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Title 8 「祭り」という文化伝承・継承空間 Author(s) 渡邊, 洋子 Citation 円環する教育のコラボレーション (2013): 120-131 Issue Date 2013-09 URL http://hdl.handle.net/2433/176383 Right Type Article Textversion publisher Kyoto University

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  • Title 8 「祭り」という文化伝承・継承空間

    Author(s) 渡邊, 洋子

    Citation 円環する教育のコラボレーション (2013): 120-131

    Issue Date 2013-09

    URL http://hdl.handle.net/2433/176383

    Right

    Type Article

    Textversion publisher

    Kyoto University

  • 8「 祭 り」 とい う文 化伝 承 ・継 承 空 間

    渡邊洋子

    本論は、文化 の伝承 ・継承(・)のあ り方 とその教育的意義 を、「祭 り」を手がか りに生涯学

    習的観点から考 えていこ うとするものです。

    一般 に、「伝承」 「継承」はいずれ も 「伝 え引き継 ぐ」 とい う意味の類義語 とみなされが

    ちですが、本論では 「伝承」は 「伝 える」ことに重点を置いた概念 として、「継承」は 「引

    き継 ぐ」ことに重点を置いた概念 として区別 して捉えつつ、両者を並列 してみていきます。

    また ここでの生涯学習的観点 とは、教育的意 図を明確 に した フォーマルな活動のみな らず、

    必ず しも教育を 目的 としないと活動において も、①人が育つ(成 長発達 ・自己形成す る)、

    ②人を育て る(学 習支援 ・教育的働 きかけをする)、③他 の人やモノや世界(知)と 出会 う ・

    関わる、③人が変わる(意 識 ・認識 ・行動が変容する)、③人 とつなが る(ネ ッ トワークが

    できる、)と い う5つ の要素 に着 目し、その契機やプ ロセス、関連す る諸要因な どを解明

    していくアプローチを とることを意味 します。

    本論ではこのような観点から、「祭 り」と呼ばれ る活動に注 目します。祭 りは近年 、グロ

    ーバルな文脈では 「無形文化遺産」 とい う新たな概念 に組み込まれ(2)、 ローカル な意味合

    いでは、東 日本大震災を通 してその存在意義が見直 されてきま した。 ここでは、主に後者

    におきながら、祭 りとい う伝承 ・継承の意味 と可能性 について、多面的に考察 したい と思

    います。

    1東 日本大震災と 「祭 り」

    2011年3.月11日 の東 日本大震災は、周知の通 り、東北地方を中心とす る広大な地域に

    甚大な人的 ・物的な被害を与 えま した。 それ とともに、震 災前には 日常生活の中で余 りに

    も 「当た り前」で敢 えて問 う必要 もなかった 「ふるさとに住む」 ことの意味を、大 きな痛

    み とともに実感 させ るもの とな りま した。破壊 され、失われた、あるいは帰れな くなった

    故郷 に、 「残 りたい」 「帰 りたい」 との想 いはますます強ま り、震災前 に比べて故郷 に愛着

    を抱 くようになった人は少 なくないよ うです。

    他方、震災直後の非被災地では、春の花見に始ま り、全体的に 「自粛」 ムー ドが流れま

    した。「浮かれている場合ではない」と、早々 と夏祭 りや花火大会が 中止にな りました。そ

    のよ うな 自粛行為 は図 らず しも、破壊の痛手を大きく受 けた被災地の経済 に、 さらなる打

    撃 を与 える結果 をも生みま した。被災地では、恒例の地域行事 としての祭 りの開催 につい

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  • ては、「それ どころではない」物理的状況に加 え、 「救済支援 を受 けている立場で許 され る

    のか」 との批判や 自問 自答 から、是非が検討 されま した。結果 として、地域や活動 によっ

    て開催 ・非開催の最終判断は分かれた とはいえ、 これ らの議論は 日本人にとって 「祭 り」

    とは何か とい う素朴な問いを、現代社会に改めて投げかけるもの とな りま した。

    そのような中、東北各地の祭 りの時期 に先駆 けて同年7月16日 ・17日 、東北六県の代

    表的な祭 りを集めた六魂祭 が催 され警備 がおいっかな くて一部の企画が中止になるほど、

    多 くの観客を集めました。実行委員長 の奥山恵美子仙台市長 は開催挨拶で、「東北の夏祭 り

    には、いに しえか らの東北人の祈 りや熱い魂が宿 っています」(3)と述べています。大地震

    に打ちのめされっっ も、力強 く粘 り強 く立 ち上がろ うとす る東北の人び との心 に六魂祭は

    大 きな灯をとも したとも言えるで しょう。

    六魂祭後、敢 えて開催に踏み切った祭 りに注 目したNHKス ペ シャル 「シリーズ東 日本

    大震災 東北 夏祭 り」(・)のサブタイ トルは 「絆 と鎮魂」で した。同番組 では、岩手県陸前

    高 田市の 「うごく七夕」開催までの 日々のほか、宮城県石巻市の 「川開き祭 り」、福島相馬

    市 ・南相馬市の 「相馬野馬追」、青森県八戸市の 「三社大祭」な どの夏祭 りが取 り上げ られ

    ました。いずれ も、現地の 「人び とはどんな思いで夏祭 りに臨 もうとしているのか。そ し

    て夏祭 りに何 を託そ うとしているのか」との視点によるものです。被災地、とりわけ4000

    件に も上 る民俗芸能が伝承 されてきた(5)東北地方 にお ける祭 りの根源的な意味(共 同性 と

    精神性)が 、少 しずつ問われ始めた とも言 えるかも しれません。

    2「 祭 り」 とい う空間

    (1)「 ハ レ」の場 としての祭 り 一 民俗学のアプローチ

    従来、「日本 の祭 り」についての研究は主に、民俗学の領域で取 り組 まれてきま した。俵

    木悟 はそ こでの 「祭 り」へのアプローチの特色 を、二人の代表的な民俗学者、柳 田國男 と

    折 口信夫の観点の比較から解 き明かそ うとしています(6)。以下、俵木の解説 を手がか りに、

    「祭 りとは何 か」について民俗学の議論をま とめてみま しょう。

    俵木はまず、著書 『日本 の祭 り』のある柳 田國男に言及 します。柳 田は祭 りの本源 を 「マ

    ツラフ」つま り 「御側 に居 る」 こと(仕 える、奉仕する、思 し召 しのままに勤仕す るとい

    う態度)と 捉 えます。つま り、神に対する人び との態度 を示す ものです。他方で柳 田は、

    都市の形成 と人 口の流動化 によって 「見物 と称す る群」(信仰を共にせず、ただ審美的な立

    場か ら祭 りを眺める者)が 登場 し、祭 りの発展に重要な役割を担った点も明 らかにします。

    「祭 りを行 う側 も、この視線 を意識 して、神幸行列に年 ごとに新たな趣 向を盛 り込んだ作

    り物 を山車、意匠を凝 らした行列 を設 え、ときには舞や踊 りを供 して、豪奢を競 うよ うに

    なった」 といいます。柳 田のい う 「祭 り」か ら 「祭礼」への変化です。

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  • この 「見 られ るもの と」 しての祭礼は、平安時代の京都 に生まれ、近世以降一般化 しま

    した。俵木は、柳 田が①都市型 の祭礼が一般化 しても、その中に本来の祭 りの姿が残存す

    る(「 祭 り」 と 「祭礼」に本質的違いはない)こ とに注 目した点、②祭 りの様式の変化を、

    技術 の進歩や普及 など社会 の変化 との関わ りで丁寧に考察 した点 を評価 しています。

    他方、俵木が祭 りについて 「柳 田より原理的な考察を行った」 とみたのは、折 田信夫で

    す。折 口は祭 りを、他界か ら来訪する神(「 まれび と」)を 迎 えてその呪言 を聞き、土地の

    精霊が誓いの言葉 で返答するとい う 「服従 を表わす儀式」とみな しま した。「神 と精霊の直

    接的な交渉」を通 して行われ る呪言 と誓約の儀式は難解なために、他の人び とにわか りや

    すいよ うにかみ砕いて繰 り返 し演 じること(「 もどき」)が 求め られ、そ こに 「ある じ」が

    捧げた供物を神 と人び とが共同で飲食 し、「舞人を出して歌舞を演 じさせ る饗宴」が生まれ

    た とい うわけです。

    折 口はそ こで歌舞が生み出された ことを、 日本における芸能の発生 と捉 えています。俵

    木は、現在に至 る芸能には祭 りの儀式的な行為 に様式化 した要素が取 り込まれ ることが多

    い として、 この折 口の見解 に賛同 し、折 口の研究方法 こそが、 日本における多様な祭 りの

    様式を解釈するための思考のひな型を提供するものであると強調 しています。

    これ らの考察の上で俵木は、柳 田と折 口の共通点 としてi「 祭 り」 を 「日常の生活 とは

    区切 られた、特別 な空間を用意 して行われ るもの」(「ハ レ」の場)と 理解する点、i「 外

    部か らの視線 が祭 りの有 り様 に決定的な影響を与えた」 と認識 している点、を挙げます。

    iに ついて俵木は祭 りの時間 ・空間を、 「通過儀礼」において 「非 日常」(服 装 ・規範 ・

    言動 など様々な面で 日常生活 と異なる状態)の 中で儀礼が執行 される典型例 とみな します。

    彼は、「祭 りや儀礼は、等質な時間に区切 りを設け、時間を秩序付 ける働 きをもっていると

    考 えられている。 これは何 も結婚式 ・成人式 ・年忌供養等の狭義の人生儀礼だけでなく、

    年 中行事や各種の祈願祭等にもあてはめることができる」(7)と述べています。

    iに ついて俵木は、「見物」とい う社会的行為の出現が 「祭 りか ら祭礼へ」とい う歴 史的

    変遷 の契機 となった点を柳 田が実証的 ・歴史主義的に解明 したのに対 し、折 口は 「見 る/

    見 られ る」 とい う関係性が 「芸能」を発生 させ る条件 となった ことを論理的 ・観念的に説

    いた と捉えます。俵木 はさらに、現代の祭 り研究の トピックの多 くが 「祭 りを取 り巻 く審

    美的な視線の負荷 とい う問題」の位相にあるとし、それ ゆえに、二人 に共通す る 「外部か

    らの視線」の認識 が決定的な意味 をもつのだ と述べています(8)。

    以上のよ うな俵木の議論が示唆的なのは、祭 りの起源 をめ ぐるこれ らの視点を 「補助線」

    としつつ も、今後の民俗学には、「祭 りに関わる人それぞれ の主体性 と、彼 らが祭 りを通 し

    て獲得 してい く経験 とを、可能な限 り仔細 に記述す ること」が要請 され ると指摘す る点で

    す。 さらに祭 り研究の近年 の傾 向として、このように祭 りの起源の探究か ら人び との主体

    性や経験の獲得 とい う祭 りの実質的機能へ と視点が移 ってきた点、また 「真正な(9)祭り」

    か否 かの検証から、「人が 『祭 り』と呼んで行っている実践 と、そこで得 られる経験」へ と

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  • 視野が広がったこと(・・)も言及 されています。

    ここに見 られ る新たな地平は、人々の 日常的な行為や活動の中に学びへの潜在的ニーズ

    や萌芽や諸契機 を見出 し、それが学びへ と育つプロセスを個々の場面で見守 り支援 し、か

    つ、地域の共有知(・・)を媒介 に学び と学びをつなげることで、ゆるやかな学びの共同体の生

    成 を展望す るものです。 これは生涯教育的な視点 と共鳴す るもの とも言えます。

    (2)「 祭 り」の位置づけと担い手 一文化財保護 と地域活性化の間で

    現在、「祭 り」を含 む伝統芸能は、文化庁が介在する文化財保護 、農林水産省が主導す る

    地域活性化の二つの政策の展開の中にあ ります。前者 は、祭祀や行事の 「真正性」(オ ーセ

    ンティシテ ィ)に 価値 をお く民俗学を足場 とし、後者 は、地域お こしや地域経済、観光な

    ど、外在的要因が ともすれば、「祭 り」を媒介に人び との関心やエネルギーを消費 ・搾取 し

    て しまいかねない と危惧 され る行政の動向を背景 とするものです。いずれの議論において

    も、祭 りを担 う人び とのニーズや意思や意欲 、経験や学びなどの存在は、相対的に軽視 さ

    れてきた と言えます。

    ① 文化財保護法 と文化庁 の動 向

    伝統芸能は、文化財保護法ではまず 「無形民俗文化財」 と位置づけ られ、文化庁 による

    「保護」の対象 とされてきま した。「無形民俗文化財 」とは 「衣食住 ・生業 ・信仰 ・年 中行

    事な どに関する風俗慣習や民俗芸能」(・2)とされ、「無形民俗文化財 に用い られ る衣服 ・器具・

    家屋」 を指す 「有形民俗文化財」 と区別 されます。他方、民俗芸能を 「地域固有の歴史や

    風土に育まれてきた個性豊かな地域資源」(・3)と捉える農林水産省な どの指導の下、地域活

    性化 の 「促進剤」 としての活用が図 られています。以下、渋谷美紀の研究 を手がか りに二

    っの施策の流れ を少 し丁寧 に見てみま しょう。

    1950(昭 和25)年 に制定 された文化財保護法は、2回 の法改正(1954年 ・75年)を 通

    して、民俗芸能への認識 を大 きく変化 させま した(・4)。75年以前の 「無形の民俗資料」は 「自

    然的に発生 し、消滅 してい く」 自生的で流動的な もの と捉えられま したが、同年の指定制

    度導入で 「不変性」が重視 されるようにな りま した。 それに伴い、文献による芸能史研究

    を背景に 「正 しい信仰 の古い姿」 「古風 なまま」「本来の芸態」 「旧来の姿」などの言葉で、

    「まるで古代 から普遍 のまま連綿 と受 け継がれてきた、固定 したものの ように」語 られ始

    めた(・5)とされます。2011年8.月 の時点において、全国で約8000件 が 「無形民俗文化財」

    に指定 されています(・6)。

    大石泰夫は、「無形民俗文化財」の指定制度や研究者 において、このよ うに不変性 を 「権

    威」 とする認識 こそが、民俗芸能に価値意識 を与えて しまったのだ と批判 します。すなわ

    ち、「本来の姿 を変 えず によりよく保存 した ものがよ り価値が高 く権威がある」とす る捉 え

    方への転換です。大石は 「こ うした民俗芸能に対す る価値意識 は、研究者間の閉 ざされた

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  • 空間でのみ展開されていた時はよかったかもしれないが、それが一般社会に流布 した時に、

    特 に民俗芸能の伝承者 に与える影響は少 なくない」(・7)と述べます。保存政策の拡大の背景

    には、高度経済成長期 の農村人 口の流出による担い手不足、また信仰心の希薄化や娯楽活

    動の多様化による芸能への関心の希薄化 などがありま した。そ こで 「保存」が 目的化 した

    がゆえに、指定 を受けた 「真正な」民俗芸能だけが生き残 り、指定外の民俗芸能はますま

    す内外の関心が薄れ、担い手や支援を失 う、 とい う矛盾 した状況 さえも生まれてきたので

    す。

    ② 「地域活性化」政策 としての 「伝統文化活用」

    1990年 代以降、農 山村 の過疎化を背景 に、中山間地域農村活性化総合整備事業を先駆 け

    とす る 「地域活性化」政策が施行 されま した。

    1992年 には、「地域伝統芸能等 を活用 した行事による観光及び特定地域の商工業の振興

    に関す る法律」(「おまつ り法」)が 制定されま した。同法 は運輸省主導で創 られ、通産省 ・

    自治省 ・農水省 ・文科省の5省 庁が関わって 「伝統芸能 を観光資源 として地域経済の進行

    に使お う」 とす るものです。渋谷は、同法で 「民俗芸能は観客が集 まる程度に応 じて地域

    経済の活性化 に貢献する地域資源 とみな されている」こと、また 「民俗芸能の 『活用』」に

    際 しては、「都市住民をは じめとする外部者の期待 に添 うように、演出などの改編を求め ら

    れ ることも多い」ため、「伝承地住民の主体性 を前提 としてい るよ うに見えなが ら、その実、

    住民に都市の論理 と必要性への対応 を要求するもの」であると的確 に指摘 しています。

    同法 を受 けて、1994年 の文化庁文化財保護企画特別委員会報告や1999年 の食料 ・農業 ・

    農村基本法な どを通 して、文化財は 「保存」から地域資源 としての 「活用」をはかる施策

    への転換が示 され ています。同委員会報告での 「伝統芸能などの文化活動 に対する国民の

    参加意欲や多様な要求へ積極的に対応する必要がある」との提起を受け、文化庁では1999

    年 に 『伝統文化活用の際の手引』『伝統文化 を活用 した地域お こしに向けて』を公刊 し、

    2001年 には 「地域において守 り伝 えられてきた個性:豊かな祭礼行事、民俗芸能、伝統芸能

    などの伝統文化の継承 ・発展」を掲げた 「ふるさと文化再興事業」(・8)を実施 しています。

    食料 ・農業 ・農村基本法では さらに、農村の多面的機能の発揮を基本理念の一つに挙げ、

    環境保全や 「良好 な景観形成」と並び、文化 の伝承に重点をおいています。2002年 の 『食

    料 ・農業 ・農村 白書』では、田園整備事業 に関わって 「農村 にお ける有形 ・無形の文化財

    を都市 と農村 の積極的な交流 を通 じて新たな資源 として再評価 していくこと」の重要性が

    強調 されま した。 これについて渋谷は、地域活性化の中で言われ る 「地域資源」が、地域

    住民よ りむ しろ 「地域 の外部 に向かってアピール しうるもの、都市住民 とい う外部者 の視

    線 を通 じて地域の独 自性を認 められるもの」(・9)に向けられている点を批判 しています。

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  • 3「 住民の主体的営為」 としての伝承活動への注 目 一祭 りはだれの ものか

    以上の批判に見 られるよ うに、渋谷美紀は伝承活動を、飽 くまで もその土地 に住む住民

    の立場に徹する立場か ら、捉 えよ うとしています。「民俗芸能 を取 り巻 く停滞状況を打開す

    るためには、 さま ざまな制約 と矛盾に満 ちた現実の 日常生活 にお ける、住民のこの限定つ

    きの主体性 こそ、可能性 を見出すべ き」と述べ、また 「住民 自身がよ りよい選択肢を求め、

    微細な局面で試行錯誤す ることに発揮 され る主体性」に現状 を改善す る可能性 を見出そ う

    としています(2・)。これ らの住民の主体性への注 目は、先の俵木の志向性 と共通するものと

    言 えましょう。

    渋谷のい う 「住民の主体的営為 としての伝承活動」への注 目の意義 は次の三点です。

    第一は、「民俗芸能 の伝承過程 を住民の創造的活動 としてとらえ」よ うとす る点です。渋

    谷は、民俗芸能 を受け継 ぐ住民が、伝承活動の 「起源」 を厳格に守るためで もまった く新

    しい活動を創作す るので もなく、 「代々変わ りなが らも」「引き継いだものを守ってい く」

    ことに強固な意識 を抱いていることを 「独 自の伝承観 に支えられている」 と重視 します。

    「制度や規範 の網 の目」に囚われた中で 「民俗芸能の連続性 を維持 していくために発揮 さ

    れ る限定つきの創造性」にこそ 「住民の主体性が現れる」 とい うのです。住民の 「あるべ

    き姿」 を固定的に捉 え美化す るのではな く、 日々の生活上の悩みや人間的な葛藤の中で取

    捨選択 しなが ら生きる等身大の住民を前提 に据 える点で、この指摘には説得力があ ります。

    第二 に、「住民の トー タルな物の見方や行動の枠組みの中で伝承活動を位 置づ ける」とい

    う点です。伝承地住民に とって伝承活動は多 くの場合、「伝承地」を舞台に営まれる 日常の

    様々な地域活動の中の一つ(に 過 ぎないもの)で す。また住民側か ら伝承活動を捉えると、

    通常私たちが 「伝承活動」 と呼ぶ行動が 「伝承活動」 と認識 されていないこともあ り得ま

    す。すなわち、消費的観点ではなく、住民 自身が 自らの生活環境の中に 「当た り前」のも

    のとして埋め込まれた伝承活動を、改めて自覚的に捉え直 してみ るとい うことです。

    第三 に、「伝承活動 に実際に関与 している外部者を多面的に把握」 しよ うとす る点です。

    外部者が関与す る局面は、観客 としてこれ を鑑賞す る局面に加 え、上演の場を取 り仕切 る

    責任者や芸能の指導 ・継承責任者、資金面、労力面での支援者な ど、各人がそれぞれの局

    面で役割 を担 うことで上演の場が成立 します。外部者 との関係形成に関す る住民の独 自の

    判断 とその基礎にある論理 こそが、伝承活動 における主体性 を支 えているのです(2・)。ここ

    では、外部者 の関与 を、住民 と利害を共有 しない 「外者」(ソ トモ ノ)で はな く、協働 のパ

    ー トナー として当事者 の外延 に置 こうとす る点が注 目されます。

    す なわち、渋谷 は、住民を複数の省庁が展開する政策 に受動的に動員 され、翻弄され る

    客体 としてではな く、①諸矛盾や悩み を抱 えつつ も、伝承活動に能動的に向かい合い、自

    らの判断で しなや かに、時には したたかに取捨選択できる主体 として、②伝承活動 を自ら

    の 日常的な生活世界の トータル な構造の中に独 自の論理で位置づ ける主体 として、③外部

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  • 者の関与を冷静かつ多面的に認識 し、パー トナーシップを生成す ることが可能な主体 とし

    て、位置づけ直そ うとしているのです。 これ らを次にみるような、祭 りのもつインフォー

    マル な人間形成機能 と考え合わせ ると、祭 りをは じめ とす る伝承活動 を私たちが担 ってい

    くことの意味を、従来 と少 し異なる観点か ら捉 えなおす手がか りが得 られ るのではないか

    と思われます。

    4祭 りの人間形成的側面 一イ ンフォーマルな学びと して

    (1)祭 りの場面展開と形成的作用

    人び とが祭 りの中で意図的 ・無意図的に得 る経験には、様々なものがあ ります。祭 りと

    い う事象が、そ こに関わる担い手や外部参加者の 自己形成や相互形成 にいかなる役割を果

    た しているのかを、インフォーマルな学び とい う観点か ら、祭 りの場面展開に関わって概

    観 してみま しょう。

    ① 「祭 りに向けて」 一準備開始から当日までの準備プロセス

    祭 りによっては、前の祭 りが終わった翌 日から、次の祭 りへの準備が始まる場合 もある

    で しょうが、多 くの場合、前の祭 りが終わって一定期間を経た後、すなわち 「ハ レ」の興

    奮が静まって 「ケ」の状態に戻って しば らくした後、厳粛な儀式 とともに祭 りの準備 が開

    始 され るよ うです。

    その儀式は 「伝承」 されてきた様式 と手順 でお ごそかに行われ、それを端緒 として、祭

    りの前の地味で地道な、特にモノに関わる準備作業や歌、踊 り、所作な どの稽古が開始 さ

    れます。 この段階で、上の世代から下の世代へ、ベテランから新人へ、中心部 にいる者か

    ら周辺部にいる者へ と、伝統的価値が伝 え られてい きます。それは裏返せば、継承す る者

    が学び取ろ うとす る努力や 工夫など、 自覚的な取 り組 みを見せるプ ロセスで もあ ります。

    またこの期間は、主た る担い手間の伝承 ・継承 と同時に、「正統的周辺参加」(22)言われ る

    イ ンフォーマルな学びのメカニズムも機能 しています。祭 りには、中心的に担 ってい るお

    となや青年男女の姿があるだけではあ りませ ん。その周辺にいる子 どもや転入者、外来者

    などは、その場や空間を遠巻 きに共有する中で、知 らない問に、祭 りの雰囲気、準備 の し

    かた、進 め方や分担の しかた、 しきた りやルール、倫理的規範や文化的価値な どを、知 ら

    ず知 らずの うちに身につけていきます。

    男性が中心的に担って きた祭 りでは、中心部 に成人男性や青年男子がお り、成人女性や

    青年女子は、子 どもとともに、周辺部にいる場合が少なくあ りません。 もちろん、多 くの

    祭 りでは、男性 と女性 の役割が明確 に規定 されてきま した。男女共同参画の観点か ら言 え

    ば不条理に見えることも、「伝統」の名 のもとでは、違和感 なく受 け止 められて しま うこと

    126

  • が多いと言 えます。

    ただ、その中で、周辺部か らの学びが 「男だけが執 り行 う行事」「女人禁制の場」の 「常

    識」を変えてきた事例 も、一部には見 られます。例 えば、京都 の祇 園祭 では通常、女性が

    山鉾に乗 ってお嘘子に参加す ることを禁 じています。 その中で、筆者が実際に新聞記事で

    読み、現地でお話 を聞いた稀有な例に、南観音 山が挙げ られます。祭 りを担 う父親 を幼い

    頃か ら見て育った女性 がお唯子への参加 を強 く希望 し、認 められた ことを契機 に、女性が

    お唯子に参加す るとい う慣行がすでに10年 以上続 き、新たな伝統 となっているとい うの

    です。その姿を見て育つ次の世代は、その新 たなお嘘子の在 り方 を、地元の伝統文化 とし

    て学んでい くことにな り、新たな伝統がまた継承 されてい くのです。

    準備段階では、所与の場面や状況の中で、各々のメンバーが 自らの責任 を果たそ うとす

    ればす るほど、役割や仕事に付随 した知識や技能が体得 され、イ ンフォーマルな活動や関

    わ りの中で、役割 を遂行する能力が培われていきます。また、一人一人の特技や長所、性

    格な どに応 じた仕事の割 り振 りの中でお互いを知 りあ うことが可能にな り、話 したことも

    ない相手 と知 り合 う場面が生まれ、顔見知 りの人について も、以前 とは違 う環境の中で新

    たな発見を した り、仲間として刺激を与え合った りすることが多 くな ります。 こ うして、

    準備 メンバーの中での 自らの役割や貢献可能性 に自覚的にな り、 自治意識や連帯意識 が生

    み出 されてい くと言 えま しょう。

    準備段階に関わっても う一つ重要なのは、参加す るコミュニテ ィの人び とが、好む と好

    まざるとにかかわ らず、祭 りの遂行のために、役割分担や協力体制を組 んで臨む ものであ

    るとい う点です。

    通常は、あま り接点も関わる機会 もない世代や属性 の人々 と、共通の 目的のために意思

    疎通 し、合意形成 をはか り、問題解決 しなが ら協力 して準備作業 を担 ってい く中で、地域

    の人々との新 たな関係性や親密性が生まれます。同時に、経験や価値観 、利害の相違か ら、

    摩擦や衝突、葛藤や悩みが生 じてくることも少な くあ りません。 これ に対 しては、飲食な

    ど交流の機会を設 けるなどして、問題 を回避 ・最小化す る知恵や工夫がなされ る一方、準

    備作業や当 日に向けての結束 に支障が出ない ようにするため、問題解決にむけた話 し合い

    が不可避 になる場合 もあ ります。 このプロセスに真摯に関われば関わるほど、対人 関係 を

    軸 としたコ ミュニケーシ ョン能力に加 え、実践的な問題解決能力が磨かれ ることになるこ

    とは想像 に難 くあ りません。

    ② 「祭 りの中で」 一当日の儀礼的な荘厳さ・静けさやクライマックスのロ宣喚の中で

    祭 り当日は、多大な努力 とエネルギーを投入 してきた準備作業の集大成であ り、「ハ レ」

    その ものです。 中心部にいる人たちは、本番 を無事に成功 させるために、全体 と個別への

    入念 な最終確認 を経て、本番 に臨みます。

    担 い手たちは、 ピンと張 りつめた雰囲気の中で集 中力 と緊張感 を研 ぎ澄ま し、心身のエ

    127

  • ネル ギーや感情 を一気 に最高潮 に高め、発散/燃 焼/爆 発 させます。また外部者(見 物者)

    は、担い手に 自らを投影 させながら、その 「場」を徐 々に共有 しつつ、同 じ境地に入って

    い きます。祭 りの場は、担 い手 と外部者 が同 じ空気の中で、神聖な ものへの心情、内面か

    ら湧 き上がる純粋 な感動や 、莫大なエネル ギー をともに分かち合い、その進行 とともに、

    徐々に融合 し一体化 してい く空間であるとも見 ることができます。非 日常性の中で味わ う

    「自己」への実感 は、 自己確認 ・自己表現 ・自己実現のいずれをも含みつつ も、いずれの

    言葉 にも集約 しきれない ものと言 えま しょう。またその空間を共有す る準備仲間や外部者

    た ちとの何 とも言 えない一体感や連帯感 には、「陶酔」や 「自失」にも似た、独特の感情の

    表出を生み出すのです。

    祭 りを共有す るとい う経験 とそこでの共感性 によって私たちは、人間関係の細々 とした

    感情 の衝突や リア リティ、お互いの問に立 ちはだかる葛藤や障壁が、超 え難いものではな

    い ことを、何 らかの形で確信す ることがあ ります。さらに、そ こで私たちが通常、「変え難

    い もの」 と認識 しがちな 「日常」や 「日常」意識 が相対化 され、思いの外容易 に変容 させ

    得 るものであるとの声なき示唆を得ることも、少なくないで しょう。総 じて、祭 りの中で

    私たちの内側 から湧き出て くる力は、 日常 に心身をエンパ ワーメン トしてくれ る大 きな機

    動力 となるのではないで しょうか。

    ③ 「祭 りを通 して」 一祭りへの参加を契機として

    「ハ レ」である祭 りへの参加 から 「ケ」である私たちの 日常生活に戻 るプ ロセスは、多

    くの場合は心地 よい疲労 とともに、脱力感や倦怠感 を伴います。ですが、それは同時に、

    日常生活の中に、思わぬ副産物をもた らす ことが少な くあ りません。 と りわけ、 日常空間

    の変容が見 られ るのは、祭 りが終わった後 に、気がつ くと地域に新たな知人や顔見知 りが

    で きてお り、人 と人 との新 たなつなが りや コミュニケー ション、さらには情報源 が生まれ

    るとい うことです。祭 りが地域お こしの起爆剤 として期待 されるのは、 この ような副産物

    がとても重要な地域資源になるからです。

    また祭 りへの参加 をきっかけに、 これまで 「住む場所」で しかなかった地域 に愛着が湧

    き、「暮 らす」場所 としての地域 とい う観点か ら、地域の再発見 ともい うべ き気づきが生ま

    れ ることもあ ります。「地域のことを学びな さい」と言 われ るまで もなく、祭 りの昂揚感の

    かす かな余韻 が、地域への親 しみの感情をは ぐくみ、従来、生活の中で気 に留 めることも

    なかった身近な事物、事象や活動(例 えば、地域の商店や産物、子 ども行事や 自治会組織

    など)を 改めて見直 してみる機会にもな り得ます。 とはいえ、おそ らく、このよ うな気づ

    きは、すべての人が得 られるものではな く、それが生 じるかど うかは、その人が祭 りにど

    う参加 したか、また地域の中に 「ハ レ」 と 「ケ」をつなぐ 「しかけ」があるか どうかによ

    って変わって くるでしょう。単なる消費者=傍 観者 としてテレビ視聴 と同 じようにみてい

    た人に、同 じことが起こるかどうかは、検証 してみ る必要があるか もしれません。

    128

  • (2)祭 りにおける自己/相 互形成の学び

    以上のよ うな祭 りの人間形成 的側面は、自己形成お よび相互形成の観点か らみ ると、「共

    有知」や地域 の担い手 としての学び、 コミュニティの一員 としての学び、参加する個人 と

    しての学び、 と捉 えなおす ことができ、①~⑩のよ うな諸要素が含 まれます(23)。

    a「 共有知」や地域 の担い手 としての学び

    ①世代間の伝承一価値 の共有化か ら継承へ

    ②地域の再発見 ・再定義

    ③外部者 の参加 と 「地域」理解

    bコ ミュニティの一員 としての学び

    ④最終 目的を見据 えた 「持 ち場」や役割

    ⑤責任 ・役割遂行 を通 しての多面的な能力や技能の育成

    ⑥前向きでオープンな人間関係 の生成

    ⑦ 「関わ らざるを得ない」人たちとの関係性の構築

    c参 加す る個人 としての学び

    ⑧ 「非 日常」の経験による日常の振 り返 り

    ⑨心身のエ ンパ ワーメン ト

    ⑩感情表出と自己表現

    5む すびに代えて

    以上、本稿 では、「祭 り」 とい う文化伝承 ・継承空間に注 目してきま した。 「祭 り」 とは

    何か とい う素朴な問いから始ま り、その場面展開 とともに見 られ る形成的作用、そ して祭

    りの中で人々がどんなイ ンフォーマルな学びを経験するのかについて、生涯学習の観点か

    ら概観 してきました。

    本論で考察 しようとした祭 りの人間形成的機能 とも言 うべ き側面は、筆者が民俗芸能復

    活の取 り組み(24)に注 目した際にイ ンタビュー した大城和喜 さん(沖 縄県南風原文化セ ンタ

    ー元館長)に よる沖縄 にとっての 「(民俗)芸 能」の意味のお話 と重な ります。沖縄独 自の

    文化土壌(25)においては、人が同世代 ・異世代 との関わ りの中で育 ち 「一人前」 として 自立

    していくプロセスで、芸能が重要な役割を果た します。また芸能は、地理的な 「地域」の

    境界線 を超 えた 「共有知」 として存在 し、沖縄の人び との ローカル ・アイデンティテ ィの

    形成 において中核的な意味をもってい るのです。

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  • ■註

    (1)な お 、 北京 聯 合 大 学 北 京 学(伝 統 文 化)研 究所 顧 問 ・元 学 長 の 張 妙弟 名 誉教 授 に よれ ば、 中国 に お い て

    「伝 承 」 は政 府 が学 術 的 価 値 と公 的保 護 ・管轄 の必 要 性 を認 め、 政 策 を も って 積 極 的 に保 護 す る場 合 に

    用 い られ る言 葉 で あ り、 他 方 で 「継 承 」 は 、 民 間 の人 び とが 自発 的 ・自覚 的 な 担 い 手 に と して 、 前世 代

    か ら引 き継 い でい く こ と を指 す もの と され る。2010年6月 の訪 中時 にお け る 同先 生 へ の イ ンタ ビュ ー に

    よ る(於 北 京 聯合 大学 国際 教 育 学 院 院 長 室)。

    (2)渡 邊 洋 子 「グ ローバ ル ・ロー カ ル な 学 び の場 と して の伝 承 文 化一 『祭 り』 を 手 か か りに」 相 庭 和 彦 ・渡

    邊 洋 子 編 『日中韓 に お け る伝 承 文 化 と生涯 学 習 の現 段 階 』(仮 題)、 明石 書 店 、2013年6.月 刊 行 予 定。

    (3)東 北 六魂 祭 りHPhttp://wwwrokkonjp/index.html。

    (4)NHK総 合 テ レ ビ、2011年8月7日 午 後9時 ~9時58分 放 映 。NHKス ペ シ ャルHP。

    htΦ://www.nhkoLjp/special/onair/110807.html(2011年10月1日 最 終参 照)。

    (5)1991年 か ら1997年 ま で の東 北 各 県 の 教 育 委員 会 の悉 皆 調 査 に よ る。渋 谷 美 紀2006『 民 俗 芸 能 の伝 承活

    動 と地域 生 活 』 農 文 協 、 注1、p.18。

    (6)俵 木 悟2009「 祭 りを見 る 目と民俗 学 」古 家信 平 ・俵 木悟 ・菊 池 健 策 ・松 尾 恒 一 『日本 の 民俗9祭 りの

    快 楽 』 、 吉川 弘 文 館 、pp.25-32。

    (7)前 掲論 文 、[俵 木2009:32]。

    (8)前 掲論 文 、[俵 木2009:33-34]。

    (9)民 俗 学研 究 で は、祭 祀 や 行 事 の 「真 正 性 」(オ ーセ ンテ ィ シテ ィ)に 価 値 をお く傾 向 が主 流 で あっ た が 、

    エ リ ック ・ホ ブ ズ ボー ム 『創 られ た 伝 統 』(紀 伊 国屋 書 店,1992年)で の 問題 提 起 な どを経 て 、近 年 、変

    化 が 見 られ る よ うにな っ た と思 われ る。

    (10)前 掲 論 文 、[俵 木2009:35-37]。

    (11)渡 邊 洋 子2008a「 伝 統 芸 能 とい う 『共有 知 』 とロー カ ル ・ア イ デ ンテ ィ テ ィ の可 能 性一 沖 縄 県 島 尻郡

    南風 原 町 の民 俗 芸 能 復 活 の 取 り組 み を手 が か りに一 」 日本社 会教 育学 会 編 『 〈ロー カル な知 〉 の 可能 性

    一 も う一つ の生 涯 学 習 を求 めて 』 東 洋館 出版 社、pp.130-144。 渡 邊 洋 子2010「 地 域 主 権 と 『共 有 知』

    と して の地 域 文 化 の 振 興一 グ ロー バ ル 時 代 の 現 状 と課 題 」 日本 学 習 社 会 学会 編 『学 習 社 会研 究』第1号 、

    学 事 出版 、pp.54-65。

    (12)「 無 形 民 俗 文 化 財 」 とは 「衣 食 住 ・生 業 ・信 仰 ・年 中行 事 な どに 関す る風 俗 慣習 や 民俗 芸能 」 とされ 、

    「無形 民俗 文 化 財 に用 い られ る衣 服 ・器 具 ・家屋 」 を指 す 「有 形 民 俗 文 化財 」 と 区別 され る。NPO無 形 民

    俗 文化 財 アー カ イ ブ ズh賃p:〃www.nponia.com/index.htm(2011年8月28日 最 終 参 照)。

    (13)前 掲 論 文 、[渋 谷2006:1]。

    (14)文 化 財 保 護 法 は1950年 に制 定 され た。1954年 改 正 で は 、有 形 の民 俗 資 料 と無 形 の 民俗 資料 は 区別 され 、

    後者 は 、記 録保 存す る た け の 「資料 」 と して扱 われ た が、1975年 改正 で は、 民俗 資 料 は民 俗 文 化財 とな

    り、 民俗 芸 能 は、 無 形 民俗 文化 財 と して 指 定 制 度 が導 入 され た 。 大 石 泰 夫2007『 芸 能 の 〈伝 承 現 場 〉

    論 一 若 者 た ちの 民 俗 的 学 び の共 同体 』 ひ つ じ書房 、序 、pp.7-8。

    (15)前 掲 論 文 、[大 石2007:8]。

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  • (16)前 掲 、NPO無 形 民俗 文 化 財 ア ー カ イ ブ ズ。

    (17)前 掲 論 文 、[大 石2007:10]。

    (18)前 掲 論 文 、[渋 谷2006:2-4]。

    (19)前 掲 論 文 、[渋 谷2006:5]。

    (20)前 掲 論 文 、[渋 谷2006:9]。

    (21)前 掲 論 文 、[渋 谷2006:10-13]。

    (22)ジ ー ン ・レイ ヴ、 エ テ ィエ ンヌ ・ウェ ン ガー 『状 況 に埋 め こまれ た学 習 一 正 統 的周 辺 参 加 』 産 業 図 書 、

    1993年 を参 照 。

    (23)具 体 的 考 察 は前 掲 論 文 、[渡 邊2013刊 行 予 定]参 照 。

    (24)前 掲 論 文 、[渡 邊2008a]参 照。

    (25)「 沖 縄 の生 涯 学 習 ・社 会 教 育 」。 渡邊 洋 子2008b「 沖縄 にお け る 『伝 統 芸 能 』 と生 涯 学 習 ・社 会 教 育 」

    『京 都 大学 生 涯 教 育 学 ・図 書館 情 報 学 研 究 』 第7号 、pp.63-81。

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