歌ことばとジェンダー - sguc.ac.jp · 歌ことばとジェンダー...
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論文
歌ことばとジェンダー
―「恋ひ死ぬ」の歌をめぐって―
佐
藤
雅
代
キーワード:歌ことば、ジェンダー、恋、死、万葉集、八代集
は
じめに
一般に「ジェンダー」とは、「社会的、文化的な性差」と訳される。
先天的なものではなく、文化的に身につけた、あるいは作られた性
差の概念を指す。つまり、社会的、文化的に構築された「性」のあ
りようが「ジェンダー」であり、それぞれの時代や社会において認
識されている「男らしさ」「女らしさ」を意味する。
このような社会構築主義に基づく「ジェンダー論」は、人間、社
会、歴史といった世界のあらゆる現象は社会的に構成、構築された
ものであり、それらに「本質」や「自然」はないという視点に立ち、
本質主義を否定する。また、知識は社会過程よって支えられており、
知識と社会的行為は相伴うが、「構築」の過程を左右する「知識」の
中心には「言語」があるとして、「言語」の作用を重視し、これに着
眼する。
山陽学園大学総合人間学部
言語文化学科
近年、言語学、日本語学の分野では、社会を作り上げる「行為」
として「ことば」を捉え、構築主義の視点から言語認識によるジェ
ンダー研究を進めている
(1)
。その方法として、言語による「男性性」
と「女性性」の構築のあり方を同様に扱い、分析や考察を行う。「ジェ
ンダー」は、一九九○年代の文化批評のキーワードであり、様々な
分野で既存の概念を脱構築する批評として定着した感がある。
同じ時期に、和歌文学研究の分野では「女歌」に関する議論が盛
んであった。折口信夫以来の「女歌」論
(2)
の再燃は、何を意味してい
たのであろうか。これは、「ジェンダー」論に象徴される新しい文
芸批評の導入ではなく、「女歌」という和歌文学研究の本来的な課
題の深化であり、そこに多少のジェンダー批評の影響があったと見
るべきであろう。
一九九○年代の「女歌」論で注目するべきは、鈴木日出男氏と後
藤祥子氏である。鈴木氏は、歌垣以来の伝統として男性の懸想に対
して切り返し、否定的であることが女歌の基本であるとした
(3)
。一方、
後藤氏は、『古今集』にはじまる勅撰集においても、忍ぶ恋など、
恋の前段階での発言は男性からというルールがあると見る。また、
1)
1)
山陽論叢 第 24 巻 (2017)
- 161 -
佐藤 : 歌ことばとジェンダー
- 173 -
1
『古今集』の恋の部立の前半は男性の立場からのものが多く、女の
恋歌は稀であり、後半は、例え詠者が男性であっても女歌的様相が
強いことを指摘している
(4)
。
取り分け「男性の女歌」を問題にしたのが鈴木氏であり、「女性
の男歌」を問題したのが後藤氏であると言えようが、両者は、題詠
や同性間の贈答歌に見られる性差の越境を、個々の和歌表現から解
明しようとした点が共通する。
さらに、和歌表現における実態としての男性性と女性性を、「歌
ことば」という視点から考察しようとしたのが、近藤みゆき氏であ
る。氏は、王朝和歌の「ことば」と性差の関係を知るための基礎的
作業として、『古今集』のフルテキストデータを統計処理して、品
詞分解ではなく、文字列分析という特殊な方法によって、名詞だけ
でなく、動詞・形容詞やその活用形、連語など、あらゆる語を網羅
し、男女の比重を計る方法を取り、男性特有表限、女性特有表現を
分析し、多くの成果を公表している
(5)
。
本稿では、和歌文学研究における以上の動向を踏まえ、「恋ひ死
ぬ」の歌をめぐって、その性差(ジェンダー)について考察する。
恋歌における「恋死」という主題は、既に『万葉集』から詠まれて
おり、八代集の恋歌にも共通して見られ、これまでも様々な視点か
ら論じられている
(6)
が、ここに「ジェンダー」という切り口を加え、
「歌ことば」としての側面を明らかにしたい。
一
、『万葉集』の「恋ひ死ぬ」
『万葉集』四五一六首のうちに「恋ふ」を詠み込んだ歌は、
五一四首、「死ぬ」を詠み込んだ歌は八一首あり、「恋ふ」と「死ぬ」
を合わせた「恋ひ死ぬ」という表現は二四首を数える。さらに、一
首の中に「恋(恋ひ)」と「死(死ぬ)」を詠み込んだ歌を加えると
六〇首ほどになり、巻十六(三八一一)の長歌を除けばすべて短歌
である。また、『万葉集』において、「死」という言葉は挽歌には極
めて稀にしか現れず、そのほとんどが相聞の歌に頻出する。
以下、例歌を見ていく。
かくばかり恋ひつつあらずは高山の岩根しまきて死なましもの
を(7)
(
巻二・八六)
この歌は、仁徳天皇の后、磐姫が旅に出た夫の帰りを待ち望む、
一連の相聞歌の中の一首であり、「恋ひ」「死ぬ」という表現を用い
た歌の中で、作者が判明している最も古い例である。これほど恋し
く思い続けているくらいなら、高山の岩を枕にして死んでしまう方
がましだ、という磐姫の思いは、「死」への希求ではなく、相手を
自分の元へ引き寄せたいという「生」への希求である。
次の歌々も、生きている証として、相手に顧みられることを切に
願い、何とかして逢いたい、という「生」への希求を詠んでいると
言えよう。
恋ひ死なむ時は何せむ生ける日のためこそ妹を見まく欲りすれ
(巻四・五六○)
恋ひ死なば恋ひも死ねとや玉桙の道行く人の事も告らなくに
(巻十一・二三七○)
佐藤 : 歌ことばとジェンダー
- 162 -
山陽論叢 第 24 巻 (2017)
- 172 -
2
- 173 -
論文
歌ことばとジェンダー
―「恋ひ死ぬ」の歌をめぐって―
佐
藤
雅
代
キーワード:歌ことば、ジェンダー、恋、死、万葉集、八代集
は
じめに
一般に「ジェンダー」とは、「社会的、文化的な性差」と訳される。
先天的なものではなく、文化的に身につけた、あるいは作られた性
差の概念を指す。つまり、社会的、文化的に構築された「性」のあ
りようが「ジェンダー」であり、それぞれの時代や社会において認
識されている「男らしさ」「女らしさ」を意味する。
このような社会構築主義に基づく「ジェンダー論」は、人間、社
会、歴史といった世界のあらゆる現象は社会的に構成、構築された
ものであり、それらに「本質」や「自然」はないという視点に立ち、
本質主義を否定する。また、知識は社会過程よって支えられており、
知識と社会的行為は相伴うが、「構築」の過程を左右する「知識」の
中心には「言語」があるとして、「言語」の作用を重視し、これに着
眼する。
山陽学園大学総合人間学部
言語文化学科
近年、言語学、日本語学の分野では、社会を作り上げる「行為」
として「ことば」を捉え、構築主義の視点から言語認識によるジェ
ンダー研究を進めている
(1)
。その方法として、言語による「男性性」
と「女性性」の構築のあり方を同様に扱い、分析や考察を行う。「ジェ
ンダー」は、一九九○年代の文化批評のキーワードであり、様々な
分野で既存の概念を脱構築する批評として定着した感がある。
同じ時期に、和歌文学研究の分野では「女歌」に関する議論が盛
んであった。折口信夫以来の「女歌」論
(2)
の再燃は、何を意味してい
たのであろうか。これは、「ジェンダー」論に象徴される新しい文
芸批評の導入ではなく、「女歌」という和歌文学研究の本来的な課
題の深化であり、そこに多少のジェンダー批評の影響があったと見
るべきであろう。
一九九○年代の「女歌」論で注目するべきは、鈴木日出男氏と後
藤祥子氏である。鈴木氏は、歌垣以来の伝統として男性の懸想に対
して切り返し、否定的であることが女歌の基本であるとした
(3)
。一方、
後藤氏は、『古今集』にはじまる勅撰集においても、忍ぶ恋など、
恋の前段階での発言は男性からというルールがあると見る。また、
1)
1)
山陽論叢 第 24 巻 (2017)
- 161 -
佐藤 : 歌ことばとジェンダー
- 173 -
1
『古今集』の恋の部立の前半は男性の立場からのものが多く、女の
恋歌は稀であり、後半は、例え詠者が男性であっても女歌的様相が
強いことを指摘している
(4)
。
取り分け「男性の女歌」を問題にしたのが鈴木氏であり、「女性
の男歌」を問題したのが後藤氏であると言えようが、両者は、題詠
や同性間の贈答歌に見られる性差の越境を、個々の和歌表現から解
明しようとした点が共通する。
さらに、和歌表現における実態としての男性性と女性性を、「歌
ことば」という視点から考察しようとしたのが、近藤みゆき氏であ
る。氏は、王朝和歌の「ことば」と性差の関係を知るための基礎的
作業として、『古今集』のフルテキストデータを統計処理して、品
詞分解ではなく、文字列分析という特殊な方法によって、名詞だけ
でなく、動詞・形容詞やその活用形、連語など、あらゆる語を網羅
し、男女の比重を計る方法を取り、男性特有表限、女性特有表現を
分析し、多くの成果を公表している
(5)
。
本稿では、和歌文学研究における以上の動向を踏まえ、「恋ひ死
ぬ」の歌をめぐって、その性差(ジェンダー)について考察する。
恋歌における「恋死」という主題は、既に『万葉集』から詠まれて
おり、八代集の恋歌にも共通して見られ、これまでも様々な視点か
ら論じられている
(6)
が、ここに「ジェンダー」という切り口を加え、
「歌ことば」としての側面を明らかにしたい。
一
、『万葉集』の「恋ひ死ぬ」
『万葉集』四五一六首のうちに「恋ふ」を詠み込んだ歌は、
五一四首、「死ぬ」を詠み込んだ歌は八一首あり、「恋ふ」と「死ぬ」
を合わせた「恋ひ死ぬ」という表現は二四首を数える。さらに、一
首の中に「恋(恋ひ)」と「死(死ぬ)」を詠み込んだ歌を加えると
六〇首ほどになり、巻十六(三八一一)の長歌を除けばすべて短歌
である。また、『万葉集』において、「死」という言葉は挽歌には極
めて稀にしか現れず、そのほとんどが相聞の歌に頻出する。
以下、例歌を見ていく。
かくばかり恋ひつつあらずは高山の岩根しまきて死なましもの
を(7)
(
巻二・八六)
この歌は、仁徳天皇の后、磐姫が旅に出た夫の帰りを待ち望む、
一連の相聞歌の中の一首であり、「恋ひ」「死ぬ」という表現を用い
た歌の中で、作者が判明している最も古い例である。これほど恋し
く思い続けているくらいなら、高山の岩を枕にして死んでしまう方
がましだ、という磐姫の思いは、「死」への希求ではなく、相手を
自分の元へ引き寄せたいという「生」への希求である。
次の歌々も、生きている証として、相手に顧みられることを切に
願い、何とかして逢いたい、という「生」への希求を詠んでいると
言えよう。
恋ひ死なむ時は何せむ生ける日のためこそ妹を見まく欲りすれ
(巻四・五六○)
恋ひ死なば恋ひも死ねとや玉桙の道行く人の事も告らなくに
(巻十一・二三七○)
佐藤 : 歌ことばとジェンダー
- 162 -
山陽論叢 第 24 巻 (2017)
- 172 -
2
- 172 -
恋ひするに死にするものにあらませば我が身は千度死に反らま
し
(
巻十一・二三九○)
恋ひ死なば恋ひも死ねとか我妹子が我家の門を過ぎて行くらむ
(巻十一・二四○一)
以上の例歌から、「恋ひ死ぬ」という言葉は、必ずしも恋のため
なら死でも良いというのではなく、「死ぬほどに恋しい」と、あく
までも生きることに、前提があることが窺える。例えば、それは、
次の歌においても顕著である。
恋ふること増される今日は玉の緒の絶えて乱れて死ぬべく思ほ
ゆ
(
巻十二・三○八三)
恋しさが増すばかりの今、玉の緒の絶え入るばかりに思い乱れて
死んでしまいそうに思われる、というのは、死によって恋の永遠化
を願うものではなく、生きることにおいて、恋の辛さを思う、とい
うのである。
一方、三○八三番の歌は、人間の魂が恋に支配され、自分の力で
はコントロールできなくなり、その結果、魂が肉体からさまよい出
て、永遠に肉体に戻れなくなってしまうことへの「畏れ」を詠んだ
と解釈できるかも知れない。
自分では全くコントロールできない状態になった恋を、次のよう
に詠んだ歌もある。
ますらをの聡き心も今はなし恋の奴に我は死ぬべし
(巻十二・二九○七)
二九○七番の歌について、西郷信綱氏は以下のように述べている。
恋とは「外から自分に乗り移って来た一種のデーモンのごとき
もの」であり、とくにそれを奴と呼ぶのは、自分では、どうに
もコントロールできないものであるゆえに「この野郎」という
気持ちがあるからだ
(8)
。
恋心に支配され、理性を欠いた「我」は死んだも同然であるとい
うのは、「死」の側から「我」を見つめるのではなく、「生」の側か
ら「我」を見つめることに他ならない。
ところで、『万葉集』の「恋ひ死ぬ」という表現は、人麻呂歌集
歌を含む、作者未詳歌に多く見られる。作者が判明している歌につ
いては、そのほとんどが大伴家持周辺の人物によって詠まれてお
り、中でも笠女郎は注目されて良い。
笠女郎が大伴家持に贈った歌は、巻四・五八七~六一○に二十四
首見えるが、「死ぬ」と共に「恋ふ」と同義で「思ふ」と詠まれた
例歌についても見ておきたい
(9)
。
恋にもぞ人は死にする水無瀬川下ゆ我痩す月に日に異に
(巻四・五九八)
朝露の凡に相見し人故に命死ぬべき恋渡るかも
(巻四・五九九)
山陽論叢 第 24 巻 (2017)
- 163 -
佐藤 : 歌ことばとジェンダー
- 171 -
3
思ひにし死にするものにあらませば千度ぞ我は死に反らまし
(巻四・六○三)
天地の神の判なくはこそ我が思ふ君に逢はず死にせめ
(巻四・六○五)
五九八番の歌は、恋が原因で人は死ぬことがあると、自分が日ご
とに衰弱していく様子を詠んでいる。「水無瀬川」は、表面は涸れ
ているが、その下は水が伏流している川の意であるが、人目にはそ
れと分からないままに、心の奥底でひそかに思い続けている心情を
冠した比喩の枕詞になっている。
五九九番の歌は、ほんの少し見ただけの相手(男性)を死ぬほど
激しく恋しく思い続けていますと、自分(女性)の側から、その恋
情を強く訴えかけている。
六○三番の歌「思ひにし死にするものに」は、先にあげた巻
十一・二三九○番「恋するに死にするものに」の類歌である。千度、
繰り返し死ぬということは、千度、生き返るということでもある。
六○五番の歌は、相手(男性)から異心を疑われた折りに詠んだ
歌であろうが、神判を信じていなかったら、あなたに逢わないまま
死ぬこともあるでしょう、というのは、裏を返せば、私は神判を信
じているから、異心の疑いも晴れ、きっとあなたに逢える、だから
決して死ぬことはないという、より強い生の執着を女性の側から表
現していると言えよう。
大伴家持が笠女郎ではなく、坂上大嬢に贈った歌に次のような例
が見える。
恋ひ死なむそこも同じぞ何せむに人目人事事痛み我せむ
(巻四・七四八)
夢にだに見えばこそあれかくばかり見えずしあるは恋ひて死ね
とか
(
巻四・七四九)
七四八番の歌は、「恋に死ぬこと」は「生きて逢えずにいること」
と同じだとし、七四九番の歌も、夢でも恋しい人に逢えないのは、
「恋のために死ね」と言われているのと同じだと訴えている。どち
らの歌も生きていることを前提に、男性の側から恋の成就を希求し
ているのである。
『万葉集』の「恋ひ死ぬ」という表現について、ジェンダーは認
められない。男性も女性も恋の歌に「死」という言葉を詠み込んだ
時、それは死によって永遠に完結する恋の成就を求めるものではな
く、恋の苦悩は生きている証であり、生命の燃焼そのものであるこ
とを確認するものに他ならなかったのである。
二
、『古今集』の「恋ひ死ぬ」
『古今集』一一○○首のうち、「恋ふ」を詠み込んだ歌は三十二
首、「死ぬ」を詠み込んだ歌は二首、「恋ひ死ぬ」と詠んだ歌は、そ
の類型表現「恋は死ぬ」「恋や死ぬ」「恋ひ死なまし」「恋ひ死ね」
を含めると八首見える。詠者の性別が特定できるのは、八首のうち
四首で、うち女性は一首である。
佐藤 : 歌ことばとジェンダー
- 164 -
山陽論叢 第 24 巻 (2017)
- 170 -
4
- 171 -
恋ひするに死にするものにあらませば我が身は千度死に反らま
し
(
巻十一・二三九○)
恋ひ死なば恋ひも死ねとか我妹子が我家の門を過ぎて行くらむ
(巻十一・二四○一)
以上の例歌から、「恋ひ死ぬ」という言葉は、必ずしも恋のため
なら死でも良いというのではなく、「死ぬほどに恋しい」と、あく
までも生きることに、前提があることが窺える。例えば、それは、
次の歌においても顕著である。
恋ふること増される今日は玉の緒の絶えて乱れて死ぬべく思ほ
ゆ
(
巻十二・三○八三)
恋しさが増すばかりの今、玉の緒の絶え入るばかりに思い乱れて
死んでしまいそうに思われる、というのは、死によって恋の永遠化
を願うものではなく、生きることにおいて、恋の辛さを思う、とい
うのである。
一方、三○八三番の歌は、人間の魂が恋に支配され、自分の力で
はコントロールできなくなり、その結果、魂が肉体からさまよい出
て、永遠に肉体に戻れなくなってしまうことへの「畏れ」を詠んだ
と解釈できるかも知れない。
自分では全くコントロールできない状態になった恋を、次のよう
に詠んだ歌もある。
ますらをの聡き心も今はなし恋の奴に我は死ぬべし
(巻十二・二九○七)
二九○七番の歌について、西郷信綱氏は以下のように述べている。
恋とは「外から自分に乗り移って来た一種のデーモンのごとき
もの」であり、とくにそれを奴と呼ぶのは、自分では、どうに
もコントロールできないものであるゆえに「この野郎」という
気持ちがあるからだ
(8)
。
恋心に支配され、理性を欠いた「我」は死んだも同然であるとい
うのは、「死」の側から「我」を見つめるのではなく、「生」の側か
ら「我」を見つめることに他ならない。
ところで、『万葉集』の「恋ひ死ぬ」という表現は、人麻呂歌集
歌を含む、作者未詳歌に多く見られる。作者が判明している歌につ
いては、そのほとんどが大伴家持周辺の人物によって詠まれてお
り、中でも笠女郎は注目されて良い。
笠女郎が大伴家持に贈った歌は、巻四・五八七~六一○に二十四
首見えるが、「死ぬ」と共に「恋ふ」と同義で「思ふ」と詠まれた
例歌についても見ておきたい
(9)
。
恋にもぞ人は死にする水無瀬川下ゆ我痩す月に日に異に
(巻四・五九八)
朝露の凡に相見し人故に命死ぬべき恋渡るかも
(巻四・五九九)
山陽論叢 第 24 巻 (2017)
- 163 -
佐藤 : 歌ことばとジェンダー
- 171 -
3
思ひにし死にするものにあらませば千度ぞ我は死に反らまし
(巻四・六○三)
天地の神の判なくはこそ我が思ふ君に逢はず死にせめ
(巻四・六○五)
五九八番の歌は、恋が原因で人は死ぬことがあると、自分が日ご
とに衰弱していく様子を詠んでいる。「水無瀬川」は、表面は涸れ
ているが、その下は水が伏流している川の意であるが、人目にはそ
れと分からないままに、心の奥底でひそかに思い続けている心情を
冠した比喩の枕詞になっている。
五九九番の歌は、ほんの少し見ただけの相手(男性)を死ぬほど
激しく恋しく思い続けていますと、自分(女性)の側から、その恋
情を強く訴えかけている。
六○三番の歌「思ひにし死にするものに」は、先にあげた巻
十一・二三九○番「恋するに死にするものに」の類歌である。千度、
繰り返し死ぬということは、千度、生き返るということでもある。
六○五番の歌は、相手(男性)から異心を疑われた折りに詠んだ
歌であろうが、神判を信じていなかったら、あなたに逢わないまま
死ぬこともあるでしょう、というのは、裏を返せば、私は神判を信
じているから、異心の疑いも晴れ、きっとあなたに逢える、だから
決して死ぬことはないという、より強い生の執着を女性の側から表
現していると言えよう。
大伴家持が笠女郎ではなく、坂上大嬢に贈った歌に次のような例
が見える。
恋ひ死なむそこも同じぞ何せむに人目人事事痛み我せむ
(巻四・七四八)
夢にだに見えばこそあれかくばかり見えずしあるは恋ひて死ね
とか
(
巻四・七四九)
七四八番の歌は、「恋に死ぬこと」は「生きて逢えずにいること」
と同じだとし、七四九番の歌も、夢でも恋しい人に逢えないのは、
「恋のために死ね」と言われているのと同じだと訴えている。どち
らの歌も生きていることを前提に、男性の側から恋の成就を希求し
ているのである。
『万葉集』の「恋ひ死ぬ」という表現について、ジェンダーは認
められない。男性も女性も恋の歌に「死」という言葉を詠み込んだ
時、それは死によって永遠に完結する恋の成就を求めるものではな
く、恋の苦悩は生きている証であり、生命の燃焼そのものであるこ
とを確認するものに他ならなかったのである。
二
、『古今集』の「恋ひ死ぬ」
『古今集』一一○○首のうち、「恋ふ」を詠み込んだ歌は三十二
首、「死ぬ」を詠み込んだ歌は二首、「恋ひ死ぬ」と詠んだ歌は、そ
の類型表現「恋は死ぬ」「恋や死ぬ」「恋ひ死なまし」「恋ひ死ね」
を含めると八首見える。詠者の性別が特定できるのは、八首のうち
四首で、うち女性は一首である。
佐藤 : 歌ことばとジェンダー
- 164 -
山陽論叢 第 24 巻 (2017)
- 170 -
4
- 170 -
題
しらず
①吉野川岩きりとほし行く水の音には立てじ恋は死ぬとも
(
)
(古今・恋一・四九二・よみ人知らず)
題
しらず
②山高み下ゆく水の下にのみなかれて恋ひむ恋は死ぬとも
(古今・恋一・四九四・よみ人知らず)
寛
平御時后の宮の歌合の歌
③紅の色には出でじ隠れ沼の下に通ひて恋は死ぬとも
(古今・恋三・六六一・友則)
これら三首は、第五句に「恋は死ぬとも」が置かれ、すべて「水」
が歌の重要なモチーフとなり、音を立てない、目に見えないという
隠れた恋を象徴している。さらに、次の『万葉集』の影響が見られ
ることも共通していると言えるだろう。
○高山の岩木たぎち行く水の音には立てじ恋ひて死ぬとも
(万葉・巻十一・二七一八)
○臥ひまろび恋は死ぬともいちしろく色には出でじ朝顔の花
(万葉・巻十・二二七四)
題
しらず
④恋ひ死なば誰が名は立たじ世の中の常なきものと言ひはなす
とも
(
古今・恋二・六○三・深養父)
深養父の六○三番の歌について、松本真奈美氏は次のように述べ
ている。
ここでは恋の苦しみのために命を落とす自分自身が《もし恋
い死んだなら》と想定され、その後の相手の状況、すなわち
自身の恋愛感情が引き起こした事態のゆくえを見据える心情
が詠まれている。深養父詠の「恋死」はいわば、生命の終焉
ではあっても恋の終焉ではなくなっているのである
(
)
。
確かに、「恋死」をする自分自身を想定し、その後のことを予測
する深養父の歌は、『万葉集』の「恋ひ死ぬ」の歌々には見られな
い発想である。しかしながら、深養父は、次のような歌も詠んでいる。
題
しらず
⑤今ははや恋ひ死なましをあひ見むと頼めしことぞ命なりける
(古今・恋二・六一三・深養父)
死ねるものなら、恋い焦がれて死んでしまいたい、という深養父
の苦悩は、「逢いましょう」と期待させた相手の言葉によって引き
起こされたものである。それこそが、まさに自分の生きている証だっ
たという詠嘆が第五句の「命なりけり」に込められていると言えよ
う。
題
しらず
⑥人の身も習はしものを逢はずしていざこころみむ恋ひや死ぬ
ると
(
古今・恋一・五一八・よみ人知らず)
10
11
山陽論叢 第 24 巻 (2017)
- 165 -
佐藤 :歌ことばとジェンダー
- 169 -
5
題
しらず
⑦恋ひ死ねとするわざならしむばたまの夜はすがらに夢に見え
つつ
(
古今・恋一・五二六・よみ人知らず)
橘
清樹が忍びにあひ知れりける女のもとよりおこせける
⑧
思ふどちひとりひとりが恋ひ死なば誰によそへて藤衣着む
(古今・恋三・六五四・よみ人知らず)
『古今集』に詠まれた「恋ひ死ぬ」の歌八首のうち、作者が判明
しているのは、六六一番の友則の歌と、六○三、六一三番の深養父
の歌の三首で、その他の五首は、よみ人知らずの歌であった。この
うち、詞書から作者の性別が判断できるのは六五四番の歌で、女性
が詠んだことが知られる。
六五四番の歌は、女性が自分の元にひそかに通っていた男性に
贈った歌であるが、先の六○三番の深養父の歌と同じ発想によって
詠まれている。自分(女性)か相手(男性)のどちらかが、恋のた
めに先に死んだとすれば、私たちは忍んだ間柄ゆえに、生き残った
者は喪に服すことができないから、いったい身内の誰が死んだこと
にして喪に服するのか、と「恋死」をした先のことまで予想してい
る。この歌が、男性から贈られた歌に対する切り返しの歌でないこ
とは注意すべきだろう
『古今集』の「恋ひ死ぬ」には、『万葉集』に見られた、男女がと
もに「恋死」と思うことに「生命の燃焼」を重ねるような歌は見ら
れない。
三
、『後撰集』『拾遺集』の「恋ひ死ぬ」
『後撰集』一四二五首のうち、「恋ふ」を詠み込んだ歌は二十七
首、「死ぬ」を詠み込んだ歌は六首見えるが、「恋ひ死ぬ」という表
現は見られない。その類型表現「恋ひは死ぬ」「恋ひや死ぬ」「恋ひ
死なまし」もない。ただ、「恋ふ」「死ぬ」の語をともに詠み込んだ
例が一首見える。
つ
れなく侍りける人に
恋ひわびて死ぬてふことはまだなきを世のためしにもなりぬべ
きかな
(
後撰・恋六・一○三六・忠岑)
恋の切なさによって死ぬことは、まだ経験がないというこの歌の
詠みぶりは、『万葉集』『古今集』に例を見ない。
ところで、『万葉集』や『古今集』において詠まれた「恋死」の歌が、
『後撰集』に少ないことについて、村瀬憲夫氏は次のように述べて
いる。後
撰集は一般的な特色として「褻の歌集」であると言われてい
るのであるが、その辺に恋死の少なさの原因があるのであろう
か。つまり専門歌人ならぬ人々の一対一の、いわば密室的な恋
の贈答歌に恋死というようなオーバーな表現はむかなかったの
であろうか
(
)
。
さらに村瀬氏は次の贈答歌を引用し、「恋死は万葉歌の多くに見
られた如き真情を持ち得ず、オーバーな表現としてかえって軽んじ
12
佐藤 : 歌ことばとジェンダー
- 166 -
山陽論叢 第 24 巻 (2017)
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6
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題
しらず
⑦恋ひ死ねとするわざならしむばたまの夜はすがらに夢に見え
つつ
(
古今・恋一・五二六・よみ人知らず)
橘
清樹が忍びにあひ知れりける女のもとよりおこせける
⑧
思ふどちひとりひとりが恋ひ死なば誰によそへて藤衣着む
(古今・恋三・六五四・よみ人知らず)
『古今集』に詠まれた「恋ひ死ぬ」の歌八首のうち、作者が判明
しているのは、六六一番の友則の歌と、六○三、六一三番の深養父
の歌の三首で、その他の五首は、よみ人知らずの歌であった。この
うち、詞書から作者の性別が判断できるのは六五四番の歌で、女性
が詠んだことが知られる。
六五四番の歌は、女性が自分の元にひそかに通っていた男性に
贈った歌であるが、先の六○三番の深養父の歌と同じ発想によって
詠まれている。自分(女性)か相手(男性)のどちらかが、恋のた
めに先に死んだとすれば、私たちは忍んだ間柄ゆえに、生き残った
者は喪に服すことができないから、いったい身内の誰が死んだこと
にして喪に服するのか、と「恋死」をした先のことまで予想してい
る。この歌が、男性から贈られた歌に対する切り返しの歌でないこ
とは注意すべきだろう
『古今集』の「恋ひ死ぬ」には、『万葉集』に見られた、男女がと
もに「恋死」と思うことに「生命の燃焼」を重ねるような歌は見ら
れない。
三
、『後撰集』『拾遺集』の「恋ひ死ぬ」
『後撰集』一四二五首のうち、「恋ふ」を詠み込んだ歌は二十七
首、「死ぬ」を詠み込んだ歌は六首見えるが、「恋ひ死ぬ」という表
現は見られない。その類型表現「恋ひは死ぬ」「恋ひや死ぬ」「恋ひ
死なまし」もない。ただ、「恋ふ」「死ぬ」の語をともに詠み込んだ
例が一首見える。
つ
れなく侍りける人に
恋ひわびて死ぬてふことはまだなきを世のためしにもなりぬべ
きかな
(
後撰・恋六・一○三六・忠岑)
恋の切なさによって死ぬことは、まだ経験がないというこの歌の
詠みぶりは、『万葉集』『古今集』に例を見ない。
ところで、『万葉集』や『古今集』において詠まれた「恋死」の歌が、
『後撰集』に少ないことについて、村瀬憲夫氏は次のように述べて
いる。後
撰集は一般的な特色として「褻の歌集」であると言われてい
るのであるが、その辺に恋死の少なさの原因があるのであろう
か。つまり専門歌人ならぬ人々の一対一の、いわば密室的な恋
の贈答歌に恋死というようなオーバーな表現はむかなかったの
であろうか
(
)
。
さらに村瀬氏は次の贈答歌を引用し、「恋死は万葉歌の多くに見
られた如き真情を持ち得ず、オーバーな表現としてかえって軽んじ
12
佐藤 : 歌ことばとジェンダー
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山陽論叢 第 24 巻 (2017)
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6
- 168 -
られたのであろう
(
)
」と指摘する。
源
さねあきら「たのむことなくは死ぬべし」と言へりければ
いたづらにたびたび死ぬと言ふめれば逢ふには何をかへむとす
らん
(
後撰・恋三・七○七・中務)
返
し
死
ぬ死ぬと聞く聞くだにも逢ひ見ねば命をいつの世にか残さむ
(
後撰・恋三・七○八・源信明)
『拾遺集』一三五一首のうち、「恋ふ」は二十七首、「死ぬ」は四
首詠み込まれている。「恋ひ死ぬ」と詠んだ歌は、「恋ひて死ぬ」「恋
は死ぬ」「恋も死ぬ」などの類型表現を含めると七首を数える。
題
知らず
①住吉の岸におひたる忘草見ずやあらまし恋は死ぬとも
(拾遺・恋四・八八八・よみ人知らず)
題
知らず
②よそながら逢ひ見ぬほどに恋ひ死なば何にかへたる命とか言
はむ
(
拾遺・恋一・六五五・よみ人知らず)
題
知らず
③恋ひ死なむ後は何せむ生ける日のためこそ人の見まくほしけ
れ
(
拾遺・恋一・六八五・大伴百世)
題
知らず
④恋ひするに死にするものにあらませば千度ぞ我は死にかへら
まし
(
拾遺・恋五・九三五・人麿)
題
知らず
⑤恋ひて死ね恋ひて死ねとや我妹子が我が家の門を過ぎてゆく
らん
(
拾遺・恋五・九三六・人麿)
題
知らず
⑥
恋ひ死なば恋ひも死ねとや玉桙の道行人に事づてもなき
(
拾遺・恋五・九三七・人麿)
題
知らず
⑦
荒磯の外ゆく浪の外心我は思はじ恋は死ぬとも
(拾遺・恋五・九五五・人麿)
八八八番の歌の「忘草を見ないでおこう」というのは、苦しくて
も恋心を持ち続け、その恋に殉じる覚悟を詠んでいる。六五五番の
歌は、恋人との逢瀬と引き換えに自身の命を失うという発想で詠ま
れており、六八五番の歌も、六五五番の歌と同様である。
ところで、六五五番の歌の「恋死なば」は、『古今集』で深養父
が詠んだ「恋ひ死なば誰が名は立たじ世の中の常なきものと言ひは
なすとも」と同じ類型表現であるが、そこから導き出される詠者の
心情は大きく異なると言えるだろう。深養父の歌は、自分が死んだ
後の状況に意識を向けており、「死」の側から「我」を見つめよう
とするものである。一方、六五五番の歌は、生きて逢瀬を遂げるこ
13
山陽論叢 第 24 巻 (2017)
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佐藤 : 歌ことばとジェンダー
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7
とに意味があり、そのため死後の状況に意識が向けられることはな
く、あくまでの「生」の側から「我」を見据えているのである。
『拾遺集』の「恋ひ死ぬ」の歌は、七例中、五例が万葉歌で、そ
のうち作者名を「人麻呂」とする歌が四首である。表現においても、
発想においても『古今集』より『万葉集』の伝統を継承していると
言えるのではないだろうか。
しかしながら、『拾遺集』には、明らかに女性が詠じたと判断で
きる「恋ひ死ぬ」の例歌は見られない。
四
、『後拾遺集』の「恋ひ死ぬ」
『後拾遺集』一二一八首のうち、「恋ふ」を詠み込んだ歌は十六首、
「死ぬ」を詠み込んだ歌は四首、「恋ひ死ぬ」の歌も四首見える。
題
知らず
①人知れず逢ふを待つまに恋ひ死なば何にかへたるいのちとか
いはむ
(
後拾遺・恋一・六五六・平兼盛)
長
久二年弘徽殿女御家の歌合し侍りけるによりてよめる
②恋ひ死なむ命はことの数ならでつれなき人のはてぞゆかしき
(
後拾遺・恋一・六五七・永成法師)
俊
綱朝臣の家に題を探りて歌よみ侍りけるに、恋をよめる
③つれなくてやみぬる人をいまはただ恋ひ死ぬとだに聞かせて
しがな
(
後拾遺・恋一・六五八・中原政義)
題
知らず
④人知れぬ恋にし死なばおほかたの世のはかなさと人や思はん
(
後拾遺・恋四・七八○・源道済)
「恋ひ死ぬ」という歌は、『古今集』八首、『拾遺集』七首に比べて、
『後拾遺集』では四首と減少している。しかしながら、その用例を
見ていくと『古今集』や『拾遺集』には見られなかった特徴的な歌
もある。
六五六番の兼盛の歌は、先の『拾遺集』の「よそながら逢ひ見ぬ
ほどに恋ひ死なば何にかへたる命とか言はむ」(よみ人しらず)に
酷似しており、逢瀬を遂げる前の恋い死には意味がないという発想
によるものであろう。
七八○番の道済の歌は、前掲『古今集』の深養父が詠んだ「恋ひ
死なば誰が名は立たじ世の中の常なきものと言ひはなすとも」を踏
まえ、人知れぬ恋のために自分が死んだら、世間の人は、総じて一
般の世のはかない例と思うだろうか、と自問しているのである。
松本真奈美氏は、この歌の「人」を世間一般の人と解釈せず、恋
しく思う相手であるとし、道済の歌と、深養父、兼盛の歌の関係性
について次のように述べている。
深養父詠では「恋ひ死なば」の句が一首の心情表現に重要な役
割を果たしていたが、この道済詠でも、「恋ひ死なば」の句に
より自身が恋い死んだ後の状況を推測する表現が導き出されて
いる。一方で兼盛詠に見られるような、恋い死には意味がない
という発想をも認められるが、道済詠の場合、恋する者が恐れ
ているのは逢瀬を持たずに死ぬことではなく、思う相手に恋心
佐藤 : 歌ことばとジェンダー
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山陽論叢 第 24 巻 (2017)
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とに意味があり、そのため死後の状況に意識が向けられることはな
く、あくまでの「生」の側から「我」を見据えているのである。
『拾遺集』の「恋ひ死ぬ」の歌は、七例中、五例が万葉歌で、そ
のうち作者名を「人麻呂」とする歌が四首である。表現においても、
発想においても『古今集』より『万葉集』の伝統を継承していると
言えるのではないだろうか。
しかしながら、『拾遺集』には、明らかに女性が詠じたと判断で
きる「恋ひ死ぬ」の例歌は見られない。
四
、『後拾遺集』の「恋ひ死ぬ」
『後拾遺集』一二一八首のうち、「恋ふ」を詠み込んだ歌は十六首、
「死ぬ」を詠み込んだ歌は四首、「恋ひ死ぬ」の歌も四首見える。
題
知らず
①人知れず逢ふを待つまに恋ひ死なば何にかへたるいのちとか
いはむ
(
後拾遺・恋一・六五六・平兼盛)
長
久二年弘徽殿女御家の歌合し侍りけるによりてよめる
②恋ひ死なむ命はことの数ならでつれなき人のはてぞゆかしき
(
後拾遺・恋一・六五七・永成法師)
俊
綱朝臣の家に題を探りて歌よみ侍りけるに、恋をよめる
③つれなくてやみぬる人をいまはただ恋ひ死ぬとだに聞かせて
しがな
(
後拾遺・恋一・六五八・中原政義)
題
知らず
④人知れぬ恋にし死なばおほかたの世のはかなさと人や思はん
(
後拾遺・恋四・七八○・源道済)
「恋ひ死ぬ」という歌は、『古今集』八首、『拾遺集』七首に比べて、
『後拾遺集』では四首と減少している。しかしながら、その用例を
見ていくと『古今集』や『拾遺集』には見られなかった特徴的な歌
もある。
六五六番の兼盛の歌は、先の『拾遺集』の「よそながら逢ひ見ぬ
ほどに恋ひ死なば何にかへたる命とか言はむ」(よみ人しらず)に
酷似しており、逢瀬を遂げる前の恋い死には意味がないという発想
によるものであろう。
七八○番の道済の歌は、前掲『古今集』の深養父が詠んだ「恋ひ
死なば誰が名は立たじ世の中の常なきものと言ひはなすとも」を踏
まえ、人知れぬ恋のために自分が死んだら、世間の人は、総じて一
般の世のはかない例と思うだろうか、と自問しているのである。
松本真奈美氏は、この歌の「人」を世間一般の人と解釈せず、恋
しく思う相手であるとし、道済の歌と、深養父、兼盛の歌の関係性
について次のように述べている。
深養父詠では「恋ひ死なば」の句が一首の心情表現に重要な役
割を果たしていたが、この道済詠でも、「恋ひ死なば」の句に
より自身が恋い死んだ後の状況を推測する表現が導き出されて
いる。一方で兼盛詠に見られるような、恋い死には意味がない
という発想をも認められるが、道済詠の場合、恋する者が恐れ
ているのは逢瀬を持たずに死ぬことではなく、思う相手に恋心
佐藤 : 歌ことばとジェンダー
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山陽論叢 第 24 巻 (2017)
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を知られずに死ぬことである。逢瀬ではなく、恋心を伝えるこ
とにひとまず目的を置く、兼盛詠より屈折した恋愛の成就の意
識をこの歌に見ることができるであろう
(
)
。
恋心を伝えることであれ、逢瀬を遂げることであれ、この世に生
きていることが前提であり、それは「死」の側から「我」を見つめ
ることではなく、「生」の側から「我」を見つめることに外ならな
いだろう。
六五七・六五八番の歌は、いずれも「つれなし」という語を詠み
込んでいる。冷淡な相手に対し、なお断ちがたい執着が恋であるな
らば、恋心は尽きることがなく、「恋ひ死ぬ」ことによっても、そ
の恋は終わらない。「恋ひ死ぬ」という表現は、次の『万葉集』に
見られるように、逢瀬を遂げた後の恋の歌にも用いられている。
○我がやどの松の葉見つつ我待たむはや帰りませ恋ひ死なぬと
に
(
万葉・巻十五・三七四七)
この歌は、流罪となった恋人、中臣朝臣宅守に狭野茅上娘子が詠
んだものであるが、自分が生きている間に恋人に戻って来てほし
い、と願う前提は、「生」の回帰に他ならない。
『後拾遺集』では、「恋ひ死ぬ」の歌四首が、すべて作者の明ら
かな男性によって詠まれ、そのうち三首が「恋一」に収められてい
ることは注意されて良い。これは、「恋ひ死ぬ」という表現が、恋
愛の初期段階の歌のテーマとして認知されてきたことを示すもので
はないだろうか。しかしながら、それが男性の側からのみ詠まれい
ることは何を意味するのだろうか。この問題については、八代集に
おける「恋ひ死ぬ」の例歌をすべて検証した後で考えてみる。
五
、『金葉集』『詞花集』の「恋ひ死ぬ」
『金葉集』(二度本)六六五首のうち、「恋ふ」を詠み込んだ歌は
五首、「死ぬ」を詠み込んだ歌は二首見えるが、「恋ひ死ぬ」という
表現は見られない
(
)
。
『詞花集』四一五首のうち、「恋ふ」を詠み込んだ歌は六首、「死
ぬ」を詠み込んだ歌は二首、「恋ひ死ぬ」の歌は四首見えるが、す
べて男性が詠んだものである。
題
しらず
①かくとだに言はではかなく恋ひ死なばやがて知られぬ身とや
なりなん
(
詞花・恋上・一八九・隆恵法師)
題
しらず
②恋ひ死なば君はあはれといはずともなかなかよその人やしの
ばむ
(
詞花・恋上・一九七・覚念法師)
左
京大夫顕輔が家に歌合し侍けるによめる
③恋ひ死なむ身こそおもへばをしからねうきもつらきも人のと
がかは
(
詞花・恋上・二二一・平実重)
家
に歌合し侍りけるに、逢ひて逢はぬ恋といふことをよめる
15
14
山陽論叢 第 24 巻 (2017)
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佐藤 :歌ことばとジェンダー
- 165 -
9
④逢ふこともわが心よりありしかば恋ひは死ぬとも人はうらみ
じ
(
詞花・恋下・二六二・源国信)
一八九番の隆恵法師の歌と一九七番の覚念法師の歌は、「自分自
身が恋い死んだ後の状況」を想定しているが、先に引用した『後拾
遺和歌集』の「人知れぬ恋にし死なばおほかたの世のはかなさと人
や思はん」(源道済)からの影響が指摘されている。
一方、二二一番の実重の歌と二六二番の国信の歌は、従来にはな
い新たな発想で詠まれている。実重は、句末の「人のとがかは」と
いう表現により、我身の憂さも相手の恨めしい仕打ちも、他ならぬ
自分自身のせいだと詠む。国信も、句末の「人はうらみじ」という
表現により、逢うことも自分の意志でしたことだから、これから逢
えなくて恋い死にするとしても、決して相手を恨むまいという思い
を詠む。両歌に共通するのは、苦しく辛い恋を受け入れる覚悟であ
るが、それは「生」の側から「我」を見据えることに他ならない。
六
、『千載集』『新古今集』の「恋ひ死ぬ」
『千載集』一二八八首のうち、「恋ふ」を詠み込んだ歌は十五首、
「死ぬ」を詠み込んだ歌は三首、「恋ひ死ぬ」の歌も八首見えるが、
すべて男性が詠んだものである。八首のうち七首の歌の初句に、「恋
ひ死ぬ」の類型表現が置かれていることは注意されて良いだろう。
また、八首のうち、七首が逢瀬以前の歌を集めた「恋一」「恋二」
の巻に収められている。
題
しらず
①恋ひ死なん命を誰にゆづりおきてつれなき人のはてをみせま
し
(
千載・恋二・七二二・俊恵法師)
後
三条内大臣の家に歌合し侍りける時、恋の歌
②恋ひ死なん身はをしからずあふことにかへんほどまでと思ふ
ばかりぞ
(
千載・恋二・七三○・道因法師)
題
しらず
③恋ひ死なん涙のはてや渡り河ふかき流れとならむとすらん
(
千載・恋二・七五九・源光行)
題
しらず
④恋ひ死なんことぞはかなき渡り河あふ瀬ありとは聞かぬもの
ゆへ
(
千載・恋二・七六二・太宰大弐重家)
歌
合し侍りける時、忍恋の心をよめる
⑤恋ひ死なば世のはかなさにいひをきてなき跡までも人に知ら
せじ
(
千載・恋一・六六六・刑部卿頼輔)
女
のもとにつかはしける
⑥恋ひ死なば我ゆゑとだに思ひ出でよさこそはつらき心なりと
も
(
千載・恋二・七七四・権大納言実国)
題
しらず
⑦恋ひ死なばうかれん魂よしばしだに我が思ふ人の褄にとどま
れ
(
千載・恋五・九二三・左兵衛督隆房)
佐藤 : 歌ことばとジェンダー
- 170 -
山陽論叢 第 24 巻 (2017)
- 164 -
10
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を知られずに死ぬことである。逢瀬ではなく、恋心を伝えるこ
とにひとまず目的を置く、兼盛詠より屈折した恋愛の成就の意
識をこの歌に見ることができるであろう
(
)
。
恋心を伝えることであれ、逢瀬を遂げることであれ、この世に生
きていることが前提であり、それは「死」の側から「我」を見つめ
ることではなく、「生」の側から「我」を見つめることに外ならな
いだろう。
六五七・六五八番の歌は、いずれも「つれなし」という語を詠み
込んでいる。冷淡な相手に対し、なお断ちがたい執着が恋であるな
らば、恋心は尽きることがなく、「恋ひ死ぬ」ことによっても、そ
の恋は終わらない。「恋ひ死ぬ」という表現は、次の『万葉集』に
見られるように、逢瀬を遂げた後の恋の歌にも用いられている。
○我がやどの松の葉見つつ我待たむはや帰りませ恋ひ死なぬと
に
(
万葉・巻十五・三七四七)
この歌は、流罪となった恋人、中臣朝臣宅守に狭野茅上娘子が詠
んだものであるが、自分が生きている間に恋人に戻って来てほし
い、と願う前提は、「生」の回帰に他ならない。
『後拾遺集』では、「恋ひ死ぬ」の歌四首が、すべて作者の明ら
かな男性によって詠まれ、そのうち三首が「恋一」に収められてい
ることは注意されて良い。これは、「恋ひ死ぬ」という表現が、恋
愛の初期段階の歌のテーマとして認知されてきたことを示すもので
はないだろうか。しかしながら、それが男性の側からのみ詠まれい
ることは何を意味するのだろうか。この問題については、八代集に
おける「恋ひ死ぬ」の例歌をすべて検証した後で考えてみる。
五
、『金葉集』『詞花集』の「恋ひ死ぬ」
『金葉集』(二度本)六六五首のうち、「恋ふ」を詠み込んだ歌は
五首、「死ぬ」を詠み込んだ歌は二首見えるが、「恋ひ死ぬ」という
表現は見られない
(
)
。
『詞花集』四一五首のうち、「恋ふ」を詠み込んだ歌は六首、「死
ぬ」を詠み込んだ歌は二首、「恋ひ死ぬ」の歌は四首見えるが、す
べて男性が詠んだものである。
題
しらず
①かくとだに言はではかなく恋ひ死なばやがて知られぬ身とや
なりなん
(
詞花・恋上・一八九・隆恵法師)
題
しらず
②恋ひ死なば君はあはれといはずともなかなかよその人やしの
ばむ
(
詞花・恋上・一九七・覚念法師)
左
京大夫顕輔が家に歌合し侍けるによめる
③恋ひ死なむ身こそおもへばをしからねうきもつらきも人のと
がかは
(
詞花・恋上・二二一・平実重)
家
に歌合し侍りけるに、逢ひて逢はぬ恋といふことをよめる
15
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山陽論叢 第 24 巻 (2017)
- 169 -
佐藤 :歌ことばとジェンダー
- 165 -
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④逢ふこともわが心よりありしかば恋ひは死ぬとも人はうらみ
じ
(
詞花・恋下・二六二・源国信)
一八九番の隆恵法師の歌と一九七番の覚念法師の歌は、「自分自
身が恋い死んだ後の状況」を想定しているが、先に引用した『後拾
遺和歌集』の「人知れぬ恋にし死なばおほかたの世のはかなさと人
や思はん」(源道済)からの影響が指摘されている。
一方、二二一番の実重の歌と二六二番の国信の歌は、従来にはな
い新たな発想で詠まれている。実重は、句末の「人のとがかは」と
いう表現により、我身の憂さも相手の恨めしい仕打ちも、他ならぬ
自分自身のせいだと詠む。国信も、句末の「人はうらみじ」という
表現により、逢うことも自分の意志でしたことだから、これから逢
えなくて恋い死にするとしても、決して相手を恨むまいという思い
を詠む。両歌に共通するのは、苦しく辛い恋を受け入れる覚悟であ
るが、それは「生」の側から「我」を見据えることに他ならない。
六
、『千載集』『新古今集』の「恋ひ死ぬ」
『千載集』一二八八首のうち、「恋ふ」を詠み込んだ歌は十五首、
「死ぬ」を詠み込んだ歌は三首、「恋ひ死ぬ」の歌も八首見えるが、
すべて男性が詠んだものである。八首のうち七首の歌の初句に、「恋
ひ死ぬ」の類型表現が置かれていることは注意されて良いだろう。
また、八首のうち、七首が逢瀬以前の歌を集めた「恋一」「恋二」
の巻に収められている。
題
しらず
①恋ひ死なん命を誰にゆづりおきてつれなき人のはてをみせま
し
(
千載・恋二・七二二・俊恵法師)
後
三条内大臣の家に歌合し侍りける時、恋の歌
②恋ひ死なん身はをしからずあふことにかへんほどまでと思ふ
ばかりぞ
(
千載・恋二・七三○・道因法師)
題
しらず
③恋ひ死なん涙のはてや渡り河ふかき流れとならむとすらん
(
千載・恋二・七五九・源光行)
題
しらず
④恋ひ死なんことぞはかなき渡り河あふ瀬ありとは聞かぬもの
ゆへ
(
千載・恋二・七六二・太宰大弐重家)
歌
合し侍りける時、忍恋の心をよめる
⑤恋ひ死なば世のはかなさにいひをきてなき跡までも人に知ら
せじ
(
千載・恋一・六六六・刑部卿頼輔)
女
のもとにつかはしける
⑥恋ひ死なば我ゆゑとだに思ひ出でよさこそはつらき心なりと
も
(
千載・恋二・七七四・権大納言実国)
題
しらず
⑦恋ひ死なばうかれん魂よしばしだに我が思ふ人の褄にとどま
れ
(
千載・恋五・九二三・左兵衛督隆房)
佐藤 : 歌ことばとジェンダー
- 170 -
山陽論叢 第 24 巻 (2017)
- 164 -
10
- 164 -
題
しらず
⑧命をば逢ふにかへむと思ひしを恋ひ死ぬとだに知らせてしが
な
(
千載・恋二・七三四・寂超法師)
『千載集』では、八首のうち四首が初句に「恋ひ死なむ」と置き、
その後に「命」「身」「涙」「こと(事)」といった名詞が続くかたち
で、恋に死ぬ我身が前提の歌となっている。
七二二番の俊恵法師の歌は、『後拾遺集』の「恋ひ死なむ命はこ
との数ならでつれなき人のはてぞゆかしき」(永成法師)の歌と同
様の発想であろう。
その他、初句に「恋死なば」を置くかたちの表現が三首見られ、
自分自身が恋死んだ後の状況を思いやる歌となっている。
六六六番の頼輔の歌は、『後拾遺集』の「人知れぬ恋にし死なば
おほかたの世のはかなさと人や思はん」(源道済)を継承した例と
言えるだろう。
九二三番の隆房の歌は、『源氏物語』葵巻で六条御息所が詠んだ
「なげきわび空に乱るるわが魂を結びとどめよしたがひの褄
(
)
」に基
づく、物語的な新しさを認められるのではないだろうか。
類型表現も含めた「恋ひ死ぬ」が初句に置かれていなのは、
七三四番の寂超法師の例歌のみである。この歌は、『後拾遺和歌集』
の「つれなくてやみぬる人をいまはただ恋ひ死ぬとだに聞かせてし
がな」(中原政義)を踏まえて詠まれたものと推察される。
『新古今集』一九七八首のうち、「恋ふ」を詠み込んだ歌は十八
首、「死ぬ」を詠み込んだ歌は三首、「恋ひ死ぬ」の歌は二首見え、
いずれも男性が詠んだものである。
題
しらず
恋ひ死なむ同じうき名をいかにして逢ふにかへつと人にいはれ
ん
(
新古今・恋二・一一四四・権中納言名方)
題
しらず
恋ひ死なむ命はなほもをしきかな同じ世にあるかひはなけれど
(
新古今・恋三・一二二九・刑部卿頼輔)
一二二九番の頼輔の歌は、先の『千載集』の俊恵法師の歌と同様
に、『後拾遺集』の永成法師の歌を踏まえながらも、独自性が認め
られるのである。もはや恋しい人と逢うすべはなく、この世に生き
ている甲斐はないが、それでもなお恋死する命が惜しく思われるの
は、同じこの世に生きていることで、恋しい人と繋がっていたい、
という切なる願望を詠んでいる。恋死ぬ我身を前提としながら、そ
の意識は「死」の側へは向かわず、「生」の側に向いているのである。
ま
とめ
以上の考察に基づき、「恋ひ死ぬ」という歌ことばをジェンダー
という視点から整理してみる。「恋ひ死ぬ」は、『万葉集』では男女
ともに詠まれているが、八代集で女性が詠んだことを確認できる例
歌は、『古今集』に一首を数えるのみであった。
「恋」ということばが王朝の和歌に用いられる時、そこにはどの
ような性差の枠組みが存在するのだろうか。この点について、近藤
みゆき氏は、文字列分析という手法で、三代集における「恋」を核
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山陽論叢 第 24 巻 (2017)
- 171 -
佐藤 :歌ことばとジェンダー
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とする語群の用例を抽出し、以下のように分析している。
『古今集』では「恋」を核とする語形群の用例は一三二首にの
ぼるが、その内訳は、男性歌六三首、読人しらず歌六五首であ
るのに対し、女性歌はわずか四首にすぎない。あたかも男性が
この「恋」という感情・心の働きを独占するかのような偏りと
なっているのである。(中略)
『後撰集』では「恋」を核とする語形群は総歌数が一○五首で
あり、そのうち女性歌は、読人しらず歌の中で詞書などから女
性であることが判断される歌をあわせると一一首となる。男性
に比べ女性の用例はやはり圧倒的に少ないものの、『古今集』
ほど極端に数が絞られている訳ではない。(中略)
『拾遺集』では「恋」を核とした語群は『後撰集』より増加し
て全一三八首となるが、女性歌は七首で、その配分は恋歌五に
三首、雑恋に一首、哀傷歌二首、離別歌一首となっている。恋
の部での用例四首はすべて万葉歌人坂上女郎で『拾遺集』にお
いてはついに平安女流歌人の「恋する」歌は載せられることは
なかった
(
)
。
恋歌の世界において、「恋」という「ことば」を男性が独占する
ことが三代集の一貫した用語法であったという近藤氏の指摘は、実
に興味深い。「恋ひ死ぬ」は、三代集で一五首、八代集では三三首
詠まれているが、先に述べたように『古今集』に見える一首を除け
ば、女性は用いておらず、男性の「歌ことば」であったことと符号
するからである。それでは、なぜ『万葉集』においては、男女とも
に詠まれていた「恋ひ死ぬ」が、『古今集』以降の勅撰集において、
男性の「歌ことば」となっていったのか、その説明が必要であろう。
『万葉集』では、男性も女性も恋の歌に「死」という言葉を詠み
込む時、それは死によって永遠に完結する恋の成就を求めるもので
はなく、恋の苦悩は生きている証であり、生命の燃焼そのものであ
ることを確認するものに他ならなかったのである。「恋ひ死ぬ」と
いう歌ことばも、この延長上において捕らえることができるだろう。
他方、『古今集』では、「恋ひ死ぬ」が男性の「歌ことば」として
規定され、三代集はもとより、八代集でもそれが継承された。
「恋ひ死ぬ」と詠んだ歌には、自分が恋死んだ後の状況に意識を
向け、「死」の側から「我」を見つめようとするもの、あるいは、
生きて逢瀬を遂げることにこそ意味があるとし、死後の状況には意
識を向けず、あくまでも「生」の側から「我」を見据えた歌も詠ま
れているが、それらは、男性の視点によるものであった。
「恋ふ」ことは逢えない前提から始まる。逢えない相手を「乞ふ」
ことは、相手の魂を乞ひ、自分以外の存在と一体化しようと願うこ
とに他ならい。恋におけるこのような心情そのものは、男性も女性
も『万葉集』の時代から『古今集』の時代まで変わることはなかっ
たであろう。しかしながら、家父長制度の浸透による男女関係の変
化や平安王朝としての後宮の完成などの社会的な要因により、『古
今集』以降の時代において、女性は恋の主体でなくなったのである。
八代集における「恋ひ死ぬ」という歌ことばの変遷からも、そのこ
とが看取できる。
注(1)中村桃子『ことばとジェンダー』(勁草書房
二○○一年)『〈性〉と日
本語
ことばがつくる男と女』(NHKブックス
二○○七年)
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佐藤 : 歌ことばとジェンダー
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山陽論叢 第 24 巻 (2017)
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題
しらず
⑧命をば逢ふにかへむと思ひしを恋ひ死ぬとだに知らせてしが
な
(
千載・恋二・七三四・寂超法師)
『千載集』では、八首のうち四首が初句に「恋ひ死なむ」と置き、
その後に「命」「身」「涙」「こと(事)」といった名詞が続くかたち
で、恋に死ぬ我身が前提の歌となっている。
七二二番の俊恵法師の歌は、『後拾遺集』の「恋ひ死なむ命はこ
との数ならでつれなき人のはてぞゆかしき」(永成法師)の歌と同
様の発想であろう。
その他、初句に「恋死なば」を置くかたちの表現が三首見られ、
自分自身が恋死んだ後の状況を思いやる歌となっている。
六六六番の頼輔の歌は、『後拾遺集』の「人知れぬ恋にし死なば
おほかたの世のはかなさと人や思はん」(源道済)を継承した例と
言えるだろう。
九二三番の隆房の歌は、『源氏物語』葵巻で六条御息所が詠んだ
「なげきわび空に乱るるわが魂を結びとどめよしたがひの褄
(
)
」に基
づく、物語的な新しさを認められるのではないだろうか。
類型表現も含めた「恋ひ死ぬ」が初句に置かれていなのは、
七三四番の寂超法師の例歌のみである。この歌は、『後拾遺和歌集』
の「つれなくてやみぬる人をいまはただ恋ひ死ぬとだに聞かせてし
がな」(中原政義)を踏まえて詠まれたものと推察される。
『新古今集』一九七八首のうち、「恋ふ」を詠み込んだ歌は十八
首、「死ぬ」を詠み込んだ歌は三首、「恋ひ死ぬ」の歌は二首見え、
いずれも男性が詠んだものである。
題
しらず
恋ひ死なむ同じうき名をいかにして逢ふにかへつと人にいはれ
ん
(
新古今・恋二・一一四四・権中納言名方)
題
しらず
恋ひ死なむ命はなほもをしきかな同じ世にあるかひはなけれど
(
新古今・恋三・一二二九・刑部卿頼輔)
一二二九番の頼輔の歌は、先の『千載集』の俊恵法師の歌と同様
に、『後拾遺集』の永成法師の歌を踏まえながらも、独自性が認め
られるのである。もはや恋しい人と逢うすべはなく、この世に生き
ている甲斐はないが、それでもなお恋死する命が惜しく思われるの
は、同じこの世に生きていることで、恋しい人と繋がっていたい、
という切なる願望を詠んでいる。恋死ぬ我身を前提としながら、そ
の意識は「死」の側へは向かわず、「生」の側に向いているのである。
ま
とめ
以上の考察に基づき、「恋ひ死ぬ」という歌ことばをジェンダー
という視点から整理してみる。「恋ひ死ぬ」は、『万葉集』では男女
ともに詠まれているが、八代集で女性が詠んだことを確認できる例
歌は、『古今集』に一首を数えるのみであった。
「恋」ということばが王朝の和歌に用いられる時、そこにはどの
ような性差の枠組みが存在するのだろうか。この点について、近藤
みゆき氏は、文字列分析という手法で、三代集における「恋」を核
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山陽論叢 第 24 巻 (2017)
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佐藤 :歌ことばとジェンダー
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とする語群の用例を抽出し、以下のように分析している。
『古今集』では「恋」を核とする語形群の用例は一三二首にの
ぼるが、その内訳は、男性歌六三首、読人しらず歌六五首であ
るのに対し、女性歌はわずか四首にすぎない。あたかも男性が
この「恋」という感情・心の働きを独占するかのような偏りと
なっているのである。(中略)
『後撰集』では「恋」を核とする語形群は総歌数が一○五首で
あり、そのうち女性歌は、読人しらず歌の中で詞書などから女
性であることが判断される歌をあわせると一一首となる。男性
に比べ女性の用例はやはり圧倒的に少ないものの、『古今集』
ほど極端に数が絞られている訳ではない。(中略)
『拾遺集』では「恋」を核とした語群は『後撰集』より増加し
て全一三八首となるが、女性歌は七首で、その配分は恋歌五に
三首、雑恋に一首、哀傷歌二首、離別歌一首となっている。恋
の部での用例四首はすべて万葉歌人坂上女郎で『拾遺集』にお
いてはついに平安女流歌人の「恋する」歌は載せられることは
なかった
(
)
。
恋歌の世界において、「恋」という「ことば」を男性が独占する
ことが三代集の一貫した用語法であったという近藤氏の指摘は、実
に興味深い。「恋ひ死ぬ」は、三代集で一五首、八代集では三三首
詠まれているが、先に述べたように『古今集』に見える一首を除け
ば、女性は用いておらず、男性の「歌ことば」であったことと符号
するからである。それでは、なぜ『万葉集』においては、男女とも
に詠まれていた「恋ひ死ぬ」が、『古今集』以降の勅撰集において、
男性の「歌ことば」となっていったのか、その説明が必要であろう。
『万葉集』では、男性も女性も恋の歌に「死」という言葉を詠み
込む時、それは死によって永遠に完結する恋の成就を求めるもので
はなく、恋の苦悩は生きている証であり、生命の燃焼そのものであ
ることを確認するものに他ならなかったのである。「恋ひ死ぬ」と
いう歌ことばも、この延長上において捕らえることができるだろう。
他方、『古今集』では、「恋ひ死ぬ」が男性の「歌ことば」として
規定され、三代集はもとより、八代集でもそれが継承された。
「恋ひ死ぬ」と詠んだ歌には、自分が恋死んだ後の状況に意識を
向け、「死」の側から「我」を見つめようとするもの、あるいは、
生きて逢瀬を遂げることにこそ意味があるとし、死後の状況には意
識を向けず、あくまでも「生」の側から「我」を見据えた歌も詠ま
れているが、それらは、男性の視点によるものであった。
「恋ふ」ことは逢えない前提から始まる。逢えない相手を「乞ふ」
ことは、相手の魂を乞ひ、自分以外の存在と一体化しようと願うこ
とに他ならい。恋におけるこのような心情そのものは、男性も女性
も『万葉集』の時代から『古今集』の時代まで変わることはなかっ
たであろう。しかしながら、家父長制度の浸透による男女関係の変
化や平安王朝としての後宮の完成などの社会的な要因により、『古
今集』以降の時代において、女性は恋の主体でなくなったのである。
八代集における「恋ひ死ぬ」という歌ことばの変遷からも、そのこ
とが看取できる。
注(1)中村桃子『ことばとジェンダー』(勁草書房
二○○一年)『〈性〉と日
本語
ことばがつくる男と女』(NHKブックス
二○○七年)
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佐藤 : 歌ことばとジェンダー
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松井・槇尾:給食提供における幼稚園児の食事摂取状況と課題
6
平成 27 年度乳幼児調査結果3)からも、魚の摂取頻度が「週 1~3 日」と回答した保護者が
52.5%であり、「週に 1 回未満」と合わせると約 6 割の家庭で「魚」が食べられていない
ことがわかる。「魚」を主菜に用いる場合、魚種、味付けなどにより残食量に違いが見られ
たことから、園児が日常的に食べている、慣れ親しんだ魚を使い、子どもたちが好む味付
けにすることが、残食量を減らすことにつながることが示唆された。一方、主菜と汁物が
一緒になった「パンプキンシチュー」は、38.5%と残食率が非常に高かった。その理由と
して、シチュー全体の野菜量が 107g/人と多く、特に園児が苦手なブロッコリーを 38g/人使用したことが残食量の多くなった要因と考えられる。
副菜と付け合せについては、「ブロッコリー」が 41.9%と最も高く、次いで「ほうれん
草の白和え」22.4%、「ミニトマト」19.6%、「かぼちゃのソテー」16.1%の順であった。
汁物については、「豆乳スープ」32.6%が最も高く、ついで「豚汁」26.5%が高く、それ
に対して「冬野菜のみそ汁」11.6%は低かった。本学幼稚園の園児の昼食は家庭からのお
弁当であるため、昼食時に汁物を食べるという習慣がないことや具沢山の汁物が苦手な園
児が多いのではないかと推測される。
結論
幼児期における食習慣が、幼児の健全な心身の成長や発育に影響を及ぼすことから、苦
手なものがある園児への食事の改善が必要であると考える。今後の課題として、献立構成
の見直しや食育指導が摂取量に影響するという報告もあることから指導内容の検討が必要
である。「食育」の第一歩は、「楽しい食事」であると考える 4)。給食の時間が園児にとっ
て「楽しい食事時間」になっているかの実態を把握するには、幼稚園の教員と実習担当教
員との連携が必須であり、家庭における園児の食事摂取状況の実態やその保護者の食意識
の把握が必要である。
謝辞
本研究にご協力くださいました山陽学園短期大学付属幼稚園の教職員、保護者の皆様に
感謝申し上げます。
引用・参考文献
1)食事摂取基準の実践・運用を考える会編:日本人の食事摂取基準(2015 年版)の実践・
運用 特定給食施設等における栄養・食事管理,第一出版株式会社 2)医歯薬出版編:日本食品成分表 2017 七訂本表編,医歯薬出版株式会社 3)厚生労働省:平成 27 年度 乳幼児栄養調査結果の概要 4)小川雄三,須賀瑞枝:幼児期の保育と食育 保育園・幼稚園での食育のすすめ方,株
式会社芽ばえ社
松井 ・ 槇尾 : 給食提供における幼稚園児の食事摂取状況と課題
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(2)『折口信夫全集』第九巻「額田女王」(中公文庫
一九七六年)
久
富木原玲「女歌的なるものー恋歌の基底ー」(『日本文学』日本文学協
会
一九八七年一月号)
藤
井貞和「歌垣から女歌へ」(『国文学解釈と教材の研究』學燈社
一九八九年十一月号)
(3)鈴木日出男『古代和歌史論』(東京大学出版会
一九九○年)
(4)後藤祥子「女流による男歌ー式子内親王歌への一視点ー」(『平安文学論
集』風間書房
一九九二年)
(5)近藤みゆき『古代後期和歌文学の研究』(風間書房
二○○五年)『王朝
和歌研究の方法』(笠間書院
二○一五年)
(6)村瀬憲夫「恋死ー万葉集、三代集ー」(『和歌山大学教育学部紀要人文科
学』第二六集
一九七七年)
永
藤靖「万葉『恋死ぬ』考」(明治大学文学部紀要『文芸研究』第五七号
一九八七年)
太
田史乃「万葉集『恋ひ死ぬ』について」(『古代研究』第二五号
早稲
田大学古代研究会
一九九三年)
松本真奈美「恋歌のことばとかたちー『恋死』の歌をめぐってー」(『論
集中世の文学
韻文篇』久保田淳編
明治書院
一九九四年)
神谷かをる「『古今集』恋歌の歌語ー『恋ひ死ぬ』ー」(『恋のかたち』
光華女子大学日本文学科編
明治書院
一九九六年)
大野順一「万葉の恋歌ノートー『恋ひ死ぬ』『恋ひわたる』『恋ひわぶ』
考ー」(明治大学文学部紀要『文芸研究』第八二号
一九九九年)
(7)万葉集の引用は、『新編日本古典文学全集』小学館により、歌番号は旧番
号で示した。
(8)西郷信綱『古事記注釈』第四巻(ちくま学芸文庫
二○○五年)
(9)松田浩「恋ふこと・思ふことー『万葉集』におけるその連関ー」(『三田
国文』第二七号
一九九八年)松田氏は、『万葉集』における恋歌に注目
し、「思ふ」と「恋ふ」の差異を考察している。
(10)和歌の引用は、特に断らない限り『新編国歌大観』により、歌番号も同書
による。ただし、私に漢字を宛てた部分がある。
(11)前掲(注6)松本論文による。
(12)前掲(注6)村瀬論文による。
(13)前掲(注6)村瀬論文による。
(14)前掲(注6)松本論文による。
(15)八代集抄本金葉集巻末には「異本」の歌として「恋ひ死なで心づくしにい
ままでもたのむればこそいきのまつばら」藤原親隆(新編国歌大観番号
七一四)がある。
(16)源氏物語の引用は、『新編日本古典文学全集』小学館による。
(17)近藤みゆき「歌ことばとジェンダーー『恋』を核とする語群の考察か
らー」(『講座平安文学論究』第一七輯
風間書房
二○○三年)
付記
本研究は、山陽学園大学・短期大学の学内研究補助金(二〇一六年度)を
受けて追行された。同じく、二〇一五年度に受けた学内研究補助金の成果
は、『山陽論叢』第二二巻(二〇一六年三月発行)に以下の論文として公
表した。
死を悼む和歌の展開ー心情表現「かなし」をめぐってー
山陽論叢 第 24 巻 (2017)
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