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はじめに インフラ整備は、開発途上国の主たる開発目標 である人間開発指標の向上、開発への参加と公正 な裨益、持続的経済発展、国土と環境の保全にと って必要不可欠である。したがって、開発途上国 にとってインフラ整備は公共政策の中で最も重要 な位置を占めている。また、政府開発援助(ODA) のみならず民間ビジネスやNGOなどの市民組織 の活動にとっても、インフラ整備への支援は、き わめて重要な分野である。しかしながら、開発目 的とインフラ整備との関連性、とりわけ、インフ ラ整備と経済発展局面や地域所得格差是正の関連 性を途上国の現代的課題の視点から論じた研究は 多くはない。 開発途上国支援におけるインフラ開発計画で は、個々のプロジェクトごとに定量的な費用便益 分析に加えて定性的な総合評価を用いている。こ の手法は、需要が顕在化している場合には最も有 効である。しかし、ほかのセクターとの補完性や、 外部経済性、地域生産創出効果などは、プロジェ クト計画・執行主体が制御できないために費用便 益分析手法は将来の国家経済の骨格形成となる基 幹インフラ整備のための意思決定手法としては限 界がある。よしんば計画執行主体にとって制御可 能であっても、外部経済性は予測と定量化が難し い。インフラ整備計画づくりの要である需要予測 と投資配分は、長期的な経済発展ビジョンと国土 利用計画を基礎とし、その国の時間的・空間的人 口動態と発展局面を予見したものでなければなら ない。このようなことを踏まえて、本稿では日本 のインフラ整備のマクロ的な実証分析に基づい て、開発途上国のインフラ整備に資する教訓を得 ることを目的とする。 まず、日本の明治初期から現代にいたるまでの 日本経済の発展局面を引用し、これらの局面に対 応したインフラ整備の軌跡を、基幹インフラ部門 (エネルギー・電力・運輸分野)における需要と 投資に焦点を当てて論じる。ここでは経済成長と インフラ需要や投資の相関性について分析する。 この日本の経験を、韓国のケースと比較分析して、 両者の類似性や特徴を示す。またインフラ整備に 関する制度と資金調達に関して、途上国の現代的 課題を見据えて、簡単に触れる。さらに、日本の インフラ投資と地域所得格差是正について論じ、 その有効性と限界について、米国と比較したうえ で予備的考察をする。そして、日本の過去1世紀 69 2000年11月 増刊号 特集:21世紀の開発途上国の社会資本を創る 日本のインフラ整備の経験と開発協力 *1 拓殖大学国際開発学部教授 吉田 恒昭 本稿は6章より構成される。まず、インフラ(社会基盤)の骨格を占める運輸・電力部門における 需要パターンを日本の過去1世紀にわたる経済発展局面ごとに分析し、その特性を抽出する。次に、 それを韓国と比較することによってインフラ需要パターンと経済発展局面の関連性を論じる。第Ⅲ章 では、インフラ整備における制度・資金調達について日本の経験を概観する。第Ⅳ章では、インフラ 投資と地域所得格差是正について日本の経験を振り返り、また地域間インフラ料金格差について日米 を比較する。第Ⅴ章では、これらの日本の経験を踏まえて、開発途上国への含意を論じる。そして、 日本のインフラ整備の経験を途上国の視点から分析・発信することは日本の開発協力における比較優 位であることを主張する。最後の第Ⅵ章では、これからのインフラ整備支援における戦略的視点を整 理しながら日本の役割を論じ、あわせていくつかの提言をする。 *1 本稿は以下の文献の中で筆者の担当した部分を大幅に加筆し、再整理したものである:「インフラ整備と経済発展の軌跡」『運 輸と経済』(2000年1月-2月号)運輸調査局、および『国際開発学:18章』(2000年)東洋経済新報社。

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Page 1: 日本のインフラ整備の経験と開発協力 - JICA › jica-ri › IFIC_and_JBICI-Studies › jica-ri › ... · を比較する。第Ⅴ章では、これらの日本の経験を踏まえて、開発途上国への含意を論じる。そして、

はじめに

インフラ整備は、開発途上国の主たる開発目標

である人間開発指標の向上、開発への参加と公正

な裨益、持続的経済発展、国土と環境の保全にと

って必要不可欠である。したがって、開発途上国

にとってインフラ整備は公共政策の中で最も重要

な位置を占めている。また、政府開発援助(ODA)

のみならず民間ビジネスやNGOなどの市民組織

の活動にとっても、インフラ整備への支援は、き

わめて重要な分野である。しかしながら、開発目

的とインフラ整備との関連性、とりわけ、インフ

ラ整備と経済発展局面や地域所得格差是正の関連

性を途上国の現代的課題の視点から論じた研究は

多くはない。

開発途上国支援におけるインフラ開発計画で

は、個々のプロジェクトごとに定量的な費用便益

分析に加えて定性的な総合評価を用いている。こ

の手法は、需要が顕在化している場合には最も有

効である。しかし、ほかのセクターとの補完性や、

外部経済性、地域生産創出効果などは、プロジェ

クト計画・執行主体が制御できないために費用便

益分析手法は将来の国家経済の骨格形成となる基

幹インフラ整備のための意思決定手法としては限

界がある。よしんば計画執行主体にとって制御可

能であっても、外部経済性は予測と定量化が難し

い。インフラ整備計画づくりの要である需要予測

と投資配分は、長期的な経済発展ビジョンと国土

利用計画を基礎とし、その国の時間的・空間的人

口動態と発展局面を予見したものでなければなら

ない。このようなことを踏まえて、本稿では日本

のインフラ整備のマクロ的な実証分析に基づい

て、開発途上国のインフラ整備に資する教訓を得

ることを目的とする。

まず、日本の明治初期から現代にいたるまでの

日本経済の発展局面を引用し、これらの局面に対

応したインフラ整備の軌跡を、基幹インフラ部門

(エネルギー・電力・運輸分野)における需要と

投資に焦点を当てて論じる。ここでは経済成長と

インフラ需要や投資の相関性について分析する。

この日本の経験を、韓国のケースと比較分析して、

両者の類似性や特徴を示す。またインフラ整備に

関する制度と資金調達に関して、途上国の現代的

課題を見据えて、簡単に触れる。さらに、日本の

インフラ投資と地域所得格差是正について論じ、

その有効性と限界について、米国と比較したうえ

で予備的考察をする。そして、日本の過去1世紀

692000年11月 増刊号

特集:21世紀の開発途上国の社会資本を創る

日本のインフラ整備の経験と開発協力*1

拓殖大学国際開発学部教授 吉田 恒昭

要 旨

本稿は6章より構成される。まず、インフラ(社会基盤)の骨格を占める運輸・電力部門における

需要パターンを日本の過去1世紀にわたる経済発展局面ごとに分析し、その特性を抽出する。次に、

それを韓国と比較することによってインフラ需要パターンと経済発展局面の関連性を論じる。第Ⅲ章

では、インフラ整備における制度・資金調達について日本の経験を概観する。第Ⅳ章では、インフラ

投資と地域所得格差是正について日本の経験を振り返り、また地域間インフラ料金格差について日米

を比較する。第Ⅴ章では、これらの日本の経験を踏まえて、開発途上国への含意を論じる。そして、

日本のインフラ整備の経験を途上国の視点から分析・発信することは日本の開発協力における比較優

位であることを主張する。最後の第Ⅵ章では、これからのインフラ整備支援における戦略的視点を整

理しながら日本の役割を論じ、あわせていくつかの提言をする。

*1 本稿は以下の文献の中で筆者の担当した部分を大幅に加筆し、再整理したものである:「インフラ整備と経済発展の軌跡」『運

輸と経済』(2000年1月-2月号)運輸調査局、および『国際開発学:18章』(2000年)東洋経済新報社。

Page 2: 日本のインフラ整備の経験と開発協力 - JICA › jica-ri › IFIC_and_JBICI-Studies › jica-ri › ... · を比較する。第Ⅴ章では、これらの日本の経験を踏まえて、開発途上国への含意を論じる。そして、

有余にわたるインフラ整備経験の特質を踏まえ

て、開発途上国への含意を考察し、あわせて、日

本の開発途上国インフラ整備へのさらなる役割を

提言する。

第Ⅰ章 日本の経済発展局面とインフラ需要

1.インフラの定義をめぐる最近の論点

本稿で用いる「インフラ」は、英語のInfra-

structureのカタカナ略語である。インフラの定義

を理解するのに最も適した議論はハーシュマンの

社会的間接資本である。*2ハーシュマンは直接的生

産資本(Direct Productive Capital)を補完する

ものとして社会的間接資本(Social Overhead

Capital)という概念を提示し、民間の直接的生産

資本(工場や機械)と公共主体が主として整備す

る社会的間接資本(以下社会資本と称す)との関

係を論じている。彼の仮説は、社会資本は多くの

場合規模の経済を有することから、一度、社会資

本が投下されると、その社会資本による公共サー

ビスの供給可能量は需要量よりも過大になること

が多く、*3民間資本に対してより安価なサービス・

中間財を提供し、民間資本の生産性を高める。そ

して、この社会資本整備が呼び水となって、民間

資本投資は増大し、今度は社会資本が相対的に不

足する状況となる。すると、民間部門の間接的生

産コストはしだいに高くなり、民間の資本投下は

減少する。ここで、社会資本投資の要請が再び起

こり、その拡大が行われる。このように両者は不

均衡を克服しながら、ジグザグ形態で拡大する。

このハーシュマンの仮説は多くの事例で経験的に

みられる現象である。*4このハーシュマンの定義す

る社会資本をインフラと同義として理解すると、

インフラの主要な属性は以下の6点である:(a)

受益者の非排除性を有することが多い、(b)技術

的特徴として、施設やそこから生み出されるサー

ビスに不可分性を有する、(c)規模の経済による

地域独占性を有する、(d)社会・経済・環境上の

特徴としての外部経済性・不経済性を有する、(e)

地域的・社会的所得分配効果を有する、そして、

(f)市場原理のみでの投資・経営では、その供給

に過不足が生じ、長期的に公共の利益が損なわれ

る可能性を有する。*5

インフラの中でも港湾・空港・高速道路・工業

用水・通信・電力にかかる設備などは民間経済活

動の生産過程に必要なサービスや中間財として用

いられることが多いことから「経済インフラ」と

称されている。これらの多くは受益者から利用量

に応じて直接料金を徴収できることから、公共の

利益を保護する制度的枠組みの中で、民間によっ

て投資・経営されるのが世界的な傾向となってき

ている。

経済インフラに対して、「防災・環境インフラ」

「社会インフラ」「生活関連インフラ」という用語

もある。これらは経済的効率の追求のみならず

人々の安全や社会的生活の質の向上に資する施設

とサービスの提供である。受益者からの利用料金

徴収が難しい国土保全、防災、自然と人工の境界

領域にある自然環境整備、公園・街づくりなどが

含まれる。「社会インフラ」や「生活関連インフラ」

が提供するサービスには、受益者からの利用料金

徴収は不可能ではないが、国民への基礎的サービ

スとして容認され税金で賄われる国防、警察、消

防、検疫や、補助金をよりどころとする公的な教

育、公衆衛生、母子保健、廃棄物処理、あるいは

実際に料金徴収が行われる上下水道などが含まれ

る。これらのサービスをだれが供給し、コストを

どのように分担し、維持管理をどのように行うか

は今や世界各国の課題である。インフラサービス

供給の分担方式は、国ごとに異なるし、時代とと

70 開発金融研究所報

*2 Hirschman,A.O. 1958. The Strategy of Economic Development.

*3 インフラ部門における需要とは、当該サービスに対する供給が可能になった時点で顕在化する需要を意味する。したがって、

本稿で述べる需要は潜在的需要を含まない。たとえば、A地点とB地点を結ぶ道路に対する潜在需要は、道路が完成して初め

て顕在化する。

*4 たとえば、高度経済成長期における道路建設投資と交通量の「抜きつ抜かれつ」の現象はよく知られる事例である。

*5 インフラの範囲や定義に関しては、経済企画庁(1998)『日本の社会資本』で詳しく論じている。

Page 3: 日本のインフラ整備の経験と開発協力 - JICA › jica-ri › IFIC_and_JBICI-Studies › jica-ri › ... · を比較する。第Ⅴ章では、これらの日本の経験を踏まえて、開発途上国への含意を論じる。そして、

もに変わるものである。すなわち、官民の適切な

分担は人々の変容する価値判断によるのである。

さらに、近年、国家や自治体の統治能力を支え、

市場における民間経済活動を活性化させる法律・

組織・制度などを含めた「制度インフラ」あるい

は「知的インフラ」という概念も登場してきてい

る。これらの概念規定を踏まえてインフラを以下

のように定義する。インフラは、生産性の向上に

資するとともに、民主的な統治のもとで、人々の

生まれながらに備わっている潜在能力の発現を支

援し、それを機能させる状況を創り出し、市民生

活の安全と質の向上に直接・間接的に貢献し、そ

の機能(サービス)を効率的に提供し、最適で持

続的な効果を産業(経済)と市民(社会)にもた

らすことを目的とする施設とサービスと制度の総

体である。

上で述べた、インフラの多元的概念整理は、実

は、戦後50年余にわたる開発途上国での苦渋に満

ちた開発経験を反映しているともいえる。終戦直

後の米国によるマーシャルプランや世界銀行の支

援による、欧州と日本の目覚ましい復興の要因は、

経済インフラの再構築であった。その後、先進諸

国は東西援助合戦のもとで、この欧州と日本にお

ける復興経験を、開発途上国へ適用させる努力を

した。しかし、東アジアのいわゆる新興工業国を

除いてほとんど失敗に終わった。多くの途上国で

は経済インフラの構築以前に、人的資源の開発、

適切な技術移転、そして、制度インフラなどの整

備が前提条件であったのである。さらに、1980年

代に入って、長い間、最貧国として停滞している

国々を中心に、国家の統治能力や援助受容能力に

対する疑念が大きくなってきた。組織や制度そし

て社会規範が果たす重要性が強く認識されたので

ある。そして、これらを強化する「制度(知的)

インフラ」や「統治能力:ガバナンス」という概

念が、環境保全・貧困削減・女性の開発への参加

とともに、途上国援助潮流の中心課題のひとつと

なってきたのである。

さらに、近年になって、UNDPでは国境を越え

た公共財として「地球公共財Global Public Goods」

という概念を提唱している。*6これは近年のITを

含む技術と制度の革新とともに出現しつつある地

球規模でのさまざまな問題に対処するために必要

不可欠な概念である。従来の国家の制御領域を越

えたところで国際的な危機(環境・貧困・安全保

障・テロ・感染症・麻薬など)が生じ、その対策

が人類共通の課題となってきたのである。地球公

共財の深刻な供給不足は現実の国際的危機を招来

していると認識されている。本稿でも述べるが、

国境を越えたインフラネットワークは紛れもなく

地球公共財、あるいは地域公共財・越境公共財の

ひとつと考えられる。

日本では、一般的にインフラ投資(整備)は公

共投資あるいは行政投資とほぼ同義語で用いられ

ているが、厳密には両者は異なっている。たとえ

ば国民所得計算における公共投資は政府資本形成

を意味し、土地に対する支出は含まれない。一方、

行政投資は公共部門での歳出項目を意味し、これ

には土地に対する支出が含まれる。本稿の第Ⅰ章

では、インフラ投資は公共投資である。一方、

第Ⅳ章ではインフラ投資は行政投資を意味してい

ることに留意されたい。しかし、これらを同一化

しても、本稿での議論と結論の意義は失われない。

2.日本の経済発展局面

一国の経済発展とは社会経済構造の変容プロセ

スであり、人々の価値観の変容過程でもある。こ

の変容を推進し、調整するのがインフラ整備の目

的にほかならない。一国の長期的経済成長の軌跡

を国民総生産でみるとき、共通してみられる特徴

は、その形が、いわゆる成長曲線(S字型:ロジ

スティック曲線)に類似することである。一国の

経済成長の軌跡に共通のパターンがみられるので

あれば、それを支えるインフラ整備のパターンに

も共通性があるという仮説を立てても不思議では

ない。欧米諸国からみれば、途上国として出発し

た日本や韓国の経済成長の軌跡とインフラ整備の

経験、とりわけ、経済発展局面の視点からインフ

ラ整備を分析することは、この仮説を実証するこ

712000年11月 増刊号

特集:21世紀の開発途上国の社会資本を創る

*6 UNDP. 1999. Global Public Goods, Oxford University Press. 日本語訳:FASID〔国際開発研究センター(1999)〕『地球公共財』

日本経済新聞社。

Page 4: 日本のインフラ整備の経験と開発協力 - JICA › jica-ri › IFIC_and_JBICI-Studies › jica-ri › ... · を比較する。第Ⅴ章では、これらの日本の経験を踏まえて、開発途上国への含意を論じる。そして、

とのみならず、開発途上国のインフラ整備の長期

的戦略策定にとっても十分に意義があるはずであ

る。本節以下では、これを実証分析する。

まず、日本の経済発展局面分析を大川一司・小

浜裕久に依拠して説明し、*7各局面における特徴的

な経済構造やマクロ経済指標を概観する。1975年

までの約1世紀の日本の経済発展過程は図表1に

示されるように、5つの局面でとらえられる。以

下に各局面の特徴を説明する。

(1)軽工業製品輸入代替局面

(明治20~37年)

(1887~1904年)

この局面では、伝統的なセクターが過去の蓄積

を踏まえて発展するとともに、製造業部門も徐々

に拡大し、それを支えるインフラの整備が行われ

始める。伝統的産品の輸出振興に合わせて、非耐

久消費財の輸入代替(すなわち、食料品、軽工業

製品、消耗品などが国内で生産され始め、それら

が輸入製品に取って代わる)が始まる。この間、

農業部門労働者がわずかに減少し始める。

(2)軽工業製品輸出局面

(明治37~大正8年)

(1904~19年)

この局面では、伝統的な農業部門の生産性が新

しい農法の導入によって上昇し始めるとともに、

労働集約的な軽工業部門が拡大し、軽工業製品の

輸出(すなわち、国内市場を満たした後に、製品

の質の向上とともに海外市場に輸出)が始まる。

製造業部門は引き続いて拡大する。民間部門の資

本蓄積はまだ緩慢であるが、インフラ部門への資

本蓄積は急速に増加する。工業部門での労働需要

の増加にともなって、労働の実質賃金が上昇し始

める。

(3)耐久消費財輸入代替局面

(大正8~昭和13年)

(1919~38年)

この局面では農業部門の国民総生産に占める割

合の減少と製造業とサービス部門の持続的拡大が

みられる。貿易面では耐久消費財(資本財、機械、

重工業製品や中間財)の輸入代替が始まる。前局

面からこの局面への移行は注目すべき3つの現象

をともなうことに留意されたい。すなわち、労働

需要が供給を上回る兆候が現れ、実質賃金の上昇

がみられること。技術移転・修得・改良・開発を

可能にする技術的能力の蓄積と人的資源・運営管

理組織能力の向上がみられること。そして、活力

ある民間部門が存在し、それが成長する政策・制

度・環境が整いつつあることである。

72 開発金融研究所報

1人当たり国民総生産額年成長率(%) 1.5 2.1 3.5 8.6 5.1�

国内総生産に占める製造業の割合(%) 10~23 17~23 23~24 23~24 24~36�

総投資の国内総生産に占める割合(%) 9.7 14.8 18.4 27.0 33.4�

限界資本産出量比率(ICOR) 3.7 4.2 3.8 2.8 5.4�

総労働人口に占める農業部門の割合(%) 約70~62 62~55 55~45 45~24 24~13�

総人口に占める都市人口の割合(%) 12~14 14~18 18~36 52~68 68~76�

総貨物量年増加率(%) 10.1 5.1 9.7 8.9 5.6�

電力需要量年増加率(%) - 15.3 16.5 11.3 7.5�

総エネルギー供給量年増加率(%) 3.9 3.6 5.8 10.5 6.7

図表1 日本経済の発展局面と主なインフラ需要年増加率�

1887~1904年�軽工業製品�輸入代替局面�

期間(年)��

主な指標�

1904~19年�軽工業製品�輸出局面�

1919~38年�耐久消費財�輸入代替局面�

1954~65年�耐久消費財�輸入代替局面�

1965~75年�耐久消費財�輸出局面�

*7 K. Ohkawa & H. Kohama. 1989. Lectures on Developing Economies: Japan's Experience and Its Relevance, University of Tokyo

Press.

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(4)耐久消費財輸入代替局面

(昭和29~40年)

(1954~65年)

この局面は、基本的には前局面の特性を備えて

おり、資本財の輸入代替が成熟化していく期間で

ある。戦争期間中の断絶を回復した期間であると

もいえる。

(5)耐久消費財輸出局面

(昭和40~50年)

(1965~75年)

この局面は耐久消費財の輸入代替が完了し、耐

久消費財、資本財、中間財の生産に国際競争力が

発揮され、これらの財が輸出されるようになる。

一方、繊維などの非耐久消費財(軽工業製品)は、

その国際競争力が失われ輸入が増加するようにな

る。

以上で説明した発展局面を、主要な経済指標

(国内総生産額、国内総資本形成額、製造業部門

生産額の年成長率の累積値)とともに図表2に示

す。図表2から明らかなように、経済発展とは資

本形成と製造業部門生産が国内総生産に比べて相

対的に高い成長を持続する過程であることを示し

ている。すなわち、資本形成(貯蓄)の旺盛さと

製造業部門の活力が持続的経済成長の原動力であ

ったことを示している。ただし、1990年以降は製

造業部門の成長率は国内総生産のそれと比較して

鈍化している傾向がわかる。これは日本経済の構

造がサービス産業中心へ転換していることを意味

している。

3.エネルギー需要と供給源の変遷

日本の過去1世紀にわたる、国内総生産・一次

エネルギー供給および近年の炭酸ガス(CO2)排

出量と二酸化硫黄(SO2)の空気中濃度(サンプ

ル地点の計測による)との関係を示したのが図表

3である(図中では発展局面の境界を縦点線で示

している)。1885年(人口3,830万人)から1995年

(人口1億2,560万人)までの110年間に総エネルギ

ー供給量は約100倍に、国内総生産額(実質)は

約80倍(1人当たり換算ではそれぞれ約30倍と約

25倍)近く増加したことになる。

図表3には環境問題に対する日本の取り組みの

一部も示している。炭素排出量は総エネルギー供

給量を下回って増加していることが読み取れる。

SO2に関しては劇的な変化を読み取ることができ

る。1960年代の高度経済成長期の後半には、公害

問題が深刻化した。その取り組みが1960年代中期

732000年11月 増刊号

特集:21世紀の開発途上国の社会資本を創る

0.0

1.0

2.0

3.0

4.0

5.0

6.0

7.0

年�

1885年からの年成長率の累積�

図表2 経済発展局面と主要経済指標成長率の累積値�

金融恐慌�(1929年)�

関東大震災�(1923年)�

第一次大戦�(1914~�18年)�日露戦争�

(1904~�05年)�

日清戦争�(1894~�95年)�

第二次大戦�(1941~�45年)�

朝鮮戦争�(1950~�53年)�

石油危機�(1973年)�

バブル崩壊�(1992年)�

日中戦争�(1937年~)�

耐久消費財�の輸出局面�

軽工業製品�の輸出局面�

軽工業製品の�輸入代替局面�

製造業部門�

国内総資本形成�国内総生産�

耐久消費財の輸入代替局面�

1885 90 95 1900 05 10 15 20 25 30 35 40 45 50 55 60 65 70 75 80 85 90 95

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から始まり、結果として、SO2の大気中濃度は図

表3に示されるように、20年間で6分の1に減少

した。今後の課題は、CO2の削減にあるのはいう

までもない。この日本における経済成長とエネル

ギー供給の相関性、そして、環境問題克服の経験

は、ひとつのモデルとして、開発途上国に対して

さまざまな示唆を与えるものである。

図表4は、この一次エネルギーの供給源別割合

を示し、あわせて、インドネシア、タイ、マレー

シアの1994年における一次エネルギー供給に占め

るバイオマス(主に薪炭)の割合に着目して、図

上にプロットしたのものである。

一次エネルギー供給の長期分析からわかること

は、国民総生産とエネルギー供給(需要)の相関

は発展局面ごとに異なることである。戦前の軽工

業製品輸出局面、さらに耐久消費財輸出局面で、

エネルギー消費は国内総生産の伸び率を大きく上

回っている。さらに、伝統的エネルギー(薪炭)

から商業エネルギー(石炭・石油など)への転換が

工業化の初期局面の30年間にわたり急速に行われ

たことがわかる。この局面は現在の多くの途上国

が直面している状況である。さらに、1950年代

と1960年代の高度経済成長は石炭から石油エネ

ルギーへの転換とともに達成されたことがよく

わかる。

4.エネルギー供給と国土保全

1880年代の日本の人口密度は、1平方キロメー

トル当たり100人と当時の世界諸国の中ではきわ

めて高いにもかかわらず、国土の約75%は森林で

占められていた。それから120年近くたった近年

でも、人口密度が334人(1997年人口1億2,620万人)

と約3倍になったにもかかわらず、驚くべきこと

に国土に占める森林面積の割合は67%と約1割減

少したにすぎない。モンスーン気候帯に位置し、

急峻な地形の中で、人口と生産資産が急速に沖積

平野へ集積したのが日本の近代化の足跡である。

この集積は、自然災害に対するリスクを大きなも

のとした。それゆえに防災のための森林資源の保

全と河川管理は優先度の高いものであった。

多くの途上国では、停滞している国も、高度成

長をしている国も、森林の急速な減少が生じてい

る。貧困であるがゆえに起こる森林破壊と経済成

長にともなう森林減少が同時進行し、危機的環境

問題として認識されている。たとえば、タイの国

土総面積に占める森林面積は1950年代の約70%か

ら、半世紀を経た今日、約30%に減少している。

74 開発金融研究所報

図表3 国内総生産・総エネルギー供給・CO2排出量・SO2濃度�

100

0

200

300

400

500

600

0

10

20

30

40

50

60

70

1885年初期値�国内総生産=5.29�総エネルギー供給=5.85

総エネルギー供給�

CO2排出量�

SO2濃度�単位�国内総生産:1980年価格兆円�総エネルギー供給:10億kcal

濃度(ppm)�

排出量(千万トン)�

CO2SO2

国内総生産�

1885 90 95 1900 05 10 15 20 25 30 35 40 45 50 55 60 65 70 75 80 85 90 95

国内総生産・総エネルギー供給�

年�

Page 7: 日本のインフラ整備の経験と開発協力 - JICA › jica-ri › IFIC_and_JBICI-Studies › jica-ri › ... · を比較する。第Ⅴ章では、これらの日本の経験を踏まえて、開発途上国への含意を論じる。そして、

図表4に示されたような、発展局面の進展にと

もなうエネルギー供給源のスムーズな転換がなけ

れば、日本でも、現在の人口稠密な途上国にみら

れる森林破壊とそれにともなう国土の深刻な劣化

が進んでいたであろう。産業構造の転換とともに

適切な自然管理を行うことは長期的な開発目的に

かなうものである。健全な森林が保水力を高め、

土壌浸食を抑え、沖積平野における稲作を中心と

した農業の生産力を高めることにつながったので

ある。そして、山地での森林保護や河川・海岸な

どの管理は、沖積平野に集積された全人口の約8

割を擁する都市基盤と、沿岸地帯において集積さ

れた産業基盤を自然災害から守る重要な役割を果

たしていることを忘れてはならない。日本の戦前

の工業化開発戦略は、その成長速度が緩やかで、

環境保全のための適切な政策や制度とうまく折合

いをつける余裕があったと思われる。しかし、戦

後の高度成長期における都市と工業地帯での公害

の実体と、それらの克服政策と手段は、途上国へ

発信できる貴重な経験のひとつである。モンスー

ンアジアに位置する日本の近代化プロセスでの、

インフラ整備の経験、とりわけ、国土保全・水資

源管理・防災インフラ整備の経験は、同じモンス

ーン地帯で自然災害に苦しむアジア途上国に対し

て移転可能な欧米には少ない技術的・制度的な知

的資産である。

5.発展局面と電力供給量の軌跡

日本における最初の電気事業は、世界で初めて

電力サービスの企業化が米国で行われた1878年か

ら、わずか9年後の1886年であった。すなわち、

この年、東京電燈会社が30馬力の蒸気機関を用い

た直流(125V×200A=25kW)によって、市内配

電事業を開始したのである。また、1889年には大

阪電燈会社が交流発電機による配電事業を開始し

た。1892年には、琵琶湖の水を利用したわが国最

初の公営水力発電所である蹴上発電所(小型発電

機19台を備えた出力1,785kW、60サイクル交流)

が稼働を開始した。その後、東京電燈は1895年に、

浅草の火力発電所にドイツAFG社製50サイクル

の発電機を導入、一方、大阪電燈では米国のトム

ソン・ハウストン(GEの前身)製の60サイクル

の発電機を導入した。これが、わが国で現在でも

2つの周波数系統併存の発端になったのであっ

た。*8

752000年11月 増刊号

特集:21世紀の開発途上国の社会資本を創る

図表4 一次エネルギー供給源別割合�

0

10

20

30

40

50

60

70

80

90

100

(%)�

年�

その他*�

原子力�

インドネシア� タイ� マレーシア�

石炭�

一次エネルギー供給割合�

*:その他は、コークス、地熱、液化天然ガス、再生可能新エネルギーを含む。�

統計不備�

石油�

薪炭�

石炭�

水力�水力�

1885 90 95 1900 05 10 15 20 25 30 35 40 45 50 55 60 65 70 75 80 85 90 95

*8 高橋亀吉(1973)『日本近代経済発達史、第3巻』東洋経済。

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この民営主体の電気事業の創業期を経て、急速

に電力需要が伸びた期間は日本の産業革命といわ

れる時期(1890~1920年ごろ)であった。電力に

よる動力革命と労働集約的製造業(とりわけ繊維

産業)が補完し合い、軽工業部門は輸入代替から

輸出指向へと移行した。これは資本蓄積によるさ

らなる成長と、農村における過剰労働力の吸収を

果たし、さらに労働者の実質賃金の上昇をもたら

した。これが日本経済のいわゆる離陸期(Take-

off)といわれる時期で、先に述べた発展局面で表

すと第2局面(労働集約的軽工業製品輸出)から

第3局面(耐久消費財の国内生産)への移行局面

である。電力需要(エネルギーとしてのkWhと出

力としてのkW)を電力部門への投資とストック

とともに示したのが図表5である。図表5が示す

ように、戦前の経済発展局面において、電力需要

は実質国内総生産額に比べて、はるかに高い増加

率を示している。一方、戦後においては、電力需

要の増加はおおむね国内総生産額とパラレルに推

移していることがわかる。すなわち発展段階の初

期において電力需要の伸びはきわめて大きかった

ことを示している。

6.貨物輸送需要と機関分担率の変遷

図表6と図表7はそれぞれ1885年から1995年の

期間における国内総貨物輸送量(トン・km)の

推移と輸送手段別の割合(機関分担率)を示した

ものである。戦前の約50年間、総貨物輸送量は平

均年率8%で増加した。そして、戦後から1975年

に至る30年間は平均10%と、さらに高い増加率を

示した。しかし、1974年の石油危機以降の経済成

長の鈍化と経済構造の大きな転換、とりわけ重化

学工業の相対的減少と製造業の空洞化現象、さら

に、1970年ごろに起きた生産年齢人口(15~64歳)

の全人口に占める割合の急速な変化(その割合は

1950年から1970年の間に60%から70%に増加した

が、1970年以降その割合はほとんど変化せず、

1995年以降に急速な低下を始めている)などを含

む人口動態の変化は貨物需要量の伸び率を低下さ

せており、1975年から1995年の20年間における貨

物輸送量の平均年増加率は2.2%にすぎない。人

口動態と経済構造の転換がインフラ需要にきわめ

て大きな影響を与えることが実証されたといえよ

う。機関分担率の変化は図に示されるように劇的

な変化をしていることがわかる。戦前は内航海運

から鉄道へのシフトが顕著で、戦後は鉄道から道

路への急速なシフトである。これらのシフトが生

じた主な要因は、技術革新や規模の経済による機

関別輸送単価の相対的変化および社会・経済にお

ける時間価値の変化である。

7.経済発展局面とインフラ需要・投資の変遷

これまで概観してきた日本の経済発展局面と主

なインフラ部門の需要の関係をまとめてみよう。

図表8は各発展局面期間における国内総生産

(GDP)と主要なインフラ部門需要の年平均増加

率を示したものである。明らかにGDPの成長率は、

いわゆる成長曲線を反映して時系列的にみて、

「山型」となっている。一方、インフラ需要は

76 開発金融研究所報

図表5 電力部門の投資・ストックと�    設備容量・供給電力量�

0.1

1

10

100

1,000

10,000

100,000

1,000,000

年�

(百万kWh/千kW/10億円 1980年価格)�

ストック�

kW

kWh

年間投資額�

国内総生産�

18901900 10 20 30 40 50 60 70 80 90

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772000年11月 増刊号

特集:21世紀の開発途上国の社会資本を創る

図表6 総貨物輸送量の推移�

0

100

200

300

400

500

600

10億トン・km

年�

総貨物輸送量�

道路�

内航海運�

鉄道�

石油危機�

高度経済�成長期�

第二次世界大戦�(1939~45年)�

バブル�景気�

1885 90 95 1900 05 10 15 20 25 30 35 40 45 50 55 60 65 70 75 80 85 90 95

図表7 総貨物輸送量の輸送機関別割合�

0

20

40

60

80

100

鉄道�

道路�

内航海運�

割合(%)�

年�1885 90 95 1900 05 10 15 20 25 30 35 40 45 50 55 60 65 70 75 80 85 90 95

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GDP成長率との関連において興味ある増加率を示

している。高い増加率は運輸部門が先行し、これ

を電力部門が追いかけており、持続的経済成長に

先行して需要が増加したことがわかる。言い換え

れば、GDPの山型とは位相にずれがあることであ

る。また、総貨物輸送量は1965年以降、また、一

次エネルギー需要は1975年以降の局面において、

GDPの成長率より低いことに注意を喚起したい。

これらの現象は、日本経済の構造が物とエネルギ

ーを相対的に多く必要とする資源多消費型構造か

らサービスと情報を提供する知的型産業構造に移

行したことを反映していると考えられる。インフ

ラ整備の優先分野は自ずからこのような社会経済

の構造転換に柔軟に対応することが要求されるの

である。

次に、主要なインフラ部門への投資を概観して

みよう。ここでは運輸部門、電力部門と通信部門

におけるそれぞれの年投資額のGDPに占める割合

を比較する。図表9はこれらの値を発展局面の区

分(図では縦点線で示されている)とともに示し

たものである。これら3部門を合計した、いわゆ

る主要経済インフラ部門への投資は、戦前では国

内総生産の1%から2.5%の間を推移しており、

緩慢な経済成長と呼応していた。一方、戦後の高

度経済成長と轍を共にした自動車の普及にともな

って、道路を中心とした運輸部門と通信部門への

投資が急速に増加し、3部門の投資の合計はGDP

の5%から6%に達した。この水準は、現在のア

ジア諸国、とりわけ、高度経済成長を実現してい

る途上国の水準にきわめて近いレベルである。こ

の経験値はこれからの開発途上国のインフラ投資

需要と投資の規模を予測するとき参考になるであ

ろう。

図表10は運輸部門の投資額とストック(実質投

資累積額)および総貨物輸送量をプロットしたも

のである。ここで注目すべき点は、ストックと総

貨物輸送量の両曲線の間隔が一様にパラレルでな

いことである。1880年代後半から1904年ごろまで

の旺盛なストックの増加は、この期間の輸送量の

高い伸びと、その後の持続的成長傾向に対応して

いることがわかる。ストック1単位当たりの貨物

輸送量を計算してみると、とりわけ1923年から

1939年までと、1954年から1965年までの期間が高

く、この期間に先行投資が十分生かされたことを

物語っている。このように、戦前は先行投資型あ

るいは需要喚起型投資パターンであったといえ

る。一方、図から読み取れるように、総貨物輸送

量が戦前のピークに達するのは1955年ごろであ

る。戦後から1955年までのストックは、わずかし

か増加していない。運輸部門への投資がスパート

したのは1955年以降である。すなわち、戦後の10

年間、急速に回復した貨物需要は戦前からのスト

78 開発金融研究所報

図表8 日本の経済発展局面における国内総生産と主要インフラ需要増加率�

0

2

4

6

8

10

12

14

16

18

1887~1904年� 1904~19年� 1919~38年� 1954~65年� 1965~75年� 1975~95年�

年増加率(%)�

国内総生産�

総貨物輸送量�

電力需要量�

一次エネルギー�

発展局面(期間)�

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ックによって、なんとか満たされていたのである。

戦争による被害調査報告書によれば、戦後の経済

社会復興にとって最も重要であった鉄道と電力部

門における被害率は10%以下であった。*9インフラ

全体の被害率も約10%であった。一方、工業部門

の被害は甚大で、機械、化学、繊維産業部門の戦

災被害率はそれぞれ25%、30%、20%ときわめて

高いものであった。*10 1955年以降1975年ごろまで

の高度経済成長期に入ると、図から読み取れるよ

うに、インフラ投資は明らかに需要追随型に移行

したことがうかがえる。

しかし、1975年以降、日本経済の成長の鈍化と

構造転換はインフラ需要にきわめて大きな変化を

もたらしている。すなわち、図表8で示されるよ

うに、インフラ需要は、GDPとの相関においても、

また、その増加率においても、それまでの発展局

面にみられたパターンとは大きく異なっているこ

とがわかる。

このように、一国のインフラ整備が、民間生産

部門での効果(ストックによる生産効果)を十分

発揮するまでには長期間を要することから、その

投資にあたっては、需要追随型か需要喚起型かの

識別が肝要である。とくに需要喚起型の場合は、

792000年11月 増刊号

特集:21世紀の開発途上国の社会資本を創る

図表9 主なインフラ投資の国内総生産に占める割合�

0.0

0.5

1.0

1.5

2.0

2.5

3.0

3.5

4.0

年�

電信電話部門�(5年移動平均)�

投資額(GDPに対する割合:%)�

運輸部門�

電力部門�

1885 90 95 1900 05 10 15 20 25 30 35 40 45 50 55 60 65 70 75 80 85

図表10 運輸部門ストックと総貨物輸送量�

1

10

100

1,000

10,000

100,000

1,000,000

年�

,�

10億円(1980年価格)/10億トン/km

総貨物輸送量�

投資�

ストック�

(5年移動平均)�

1890 1900 10 20 30 40 50 60 70 80

*9 被害率=〔戦争による直接・間接的被害額〕/〔戦争がなかった場合の終戦時での想定資産額〕。

*10 経済安定本部(1949)『太平洋戦争による我国の被害総合報告書』。

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将来の長期的な経済発展局面に対する深い洞察力

とインフラが供給される地域における生産要素の

比較優位に対する長期的予測が不可欠である。言

い換えれば、その地域のインフラ需要を喚起する

民間部門の生産活動における比較優位と当該地域

における人口動態の的確な予測こそが、インフラ

整備、とりわけ、先行投資型インフラ整備には、

必要不可欠なのである。

第Ⅱ章 韓国の経済発展局面とインフラ需要パターン

日本の経済発展局面とインフラ需要パターンの

経験は固有なのか、あるいは一般性を有するもの

かの検証は容易ではない。しかしながら、ほかの

国と比較することによって、説得力のある議論が

できるであろう。ここでは韓国のケースを比較分

析することによって、日本の経験との類似性や相

違性を検証する。

1.韓国の経済発展局面の特徴

図表11は、韓国の発展局面とそれらの局面にお

ける総貨物輸送量と電力需要量の年平均増加率を

示したものである。

ここで示す韓国の発展局面分析は大川・小浜を

引用している。*11 興味深いことは、日本で1887年

から1904年の18年間要した軽工業製品の輸入代替

局面を、韓国では1954年から1964年のわずか10年

で達成したことである。さらに、日本が1904年か

ら1919年までの15年間かかった軽工業製品の輸出

局面を、韓国では1964年から1972年のわずか8年

で達成した。同様に、日本が1954年から1965年に

達成した耐久消費財の輸入代替局面を韓国では

1972年から1979年の短期間で達成している。また、

日本で1965年以降に始まった耐久消費財の輸出局

面を、韓国では1979年以降に経験している。この

韓国にみられる現象は新興工業国における、いわ

ゆる「後発の優位性」による「圧縮された発展局

面」を示すものである。

2.経済発展局面とインフラ需要の逆U字曲線

上で述べた韓国の発展局面ごとの貨物と電力需

要の年増加率(%)をグラフで示したのが図表12

である。先に示した日本の図表8と比較すると、

両者のパターンは驚くほど似ている。局面ごとの

貨物量と電力量の増加率のパターンおよびGDPの

増加率との相関においてもきわめて類似している

ことがわかる。

日本と韓国を合わせて示したものが図表13であ

る。ここでは横軸を発展局面とし、両国の1980年

代までの発展局面を特徴づける製造業のGDPに占

める割合(%)と総固定資本形成のGDPに占める

割合(%)の平均値(%)を表示している。図表

13に示されるように、両国のパターンの類似性は

明瞭である。特徴的なことは韓国の年増加率が日

本のそれを上回っていることである。これは圧縮

80 開発金融研究所報

*11 大川一司・小浜裕久(1993)『経済発展論:日本の経験と発展途上国』東洋経済新報社。

             期間(年)� 主な指標�

国内総生産額年成長率(%) 4.8 9.6 9.5 9.0�

製造業部門年成長率(%) 11.3 22.3 15.7 12.4�

国内総生産に占める製造業の割合(%) 5~10 10~19 19~37 37~49�

総投資の国内総生産に占める割合(%) 11~12 12~25 25~32 32~34�

総貨物輸送量年増加率(%) 5.3 15.3 8.4 7.2�

電力需要量年増加率(%) 11.1 21.6 14.8 10.8

図表11 韓国の経済発展局面と主なインフラ需要の年平均増加率�

1954~64年�軽工業製品の�輸入代替局面�

1964~72年�軽工業製品の�輸出局面�

1972~79年�耐久消費財の�輸入代替局面�

1979~89年�耐久消費財の�輸出局面�

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された発展局面、言い換えれば急速な経済成長を

支えたインフラ需要を満たすために、膨大なイン

フラ部門への投資があったことを物語っている。

すでに述べたように、後発国として経済開発に邁

進した日韓両国において経験された各発展局面に

おけるインフラ需要のパターンは、横軸の経済発

展を示す指標に対して逆U字曲線(山型の曲線)

を描いていることに注目されたい。これをインフ

ラ需要の逆U字曲線と命名する。この日韓両国に

おいて実証されたインフラ需要の逆U字曲線の経

験則は、開発途上国のこれからのインフラ整備を

考えるとき重要な示唆を与えるものである。

第Ⅲ章 日本のインフラ整備:制度と資金調達*12

日本の近代化過程におけるインフラ部門での法

律・制度・規制や技術移転・自立化、そして、資

金調達の方法などを述べることはそう簡単ではな

い。これらの分野の経緯を、開発途上国のインフ

ラ整備の課題を見据えて、体系的に研究した例は

少ない。本章では、この視点を念頭に置いて、制

812000年11月 増刊号

特集:21世紀の開発途上国の社会資本を創る

図表12 韓国の経済発展局面における国内総生産と主要インフラ需要増加率�

0

5

10

15

20

25

1954~64年� 1964~72年� 1972~79年� 1979~89年�

発展局面(期間)�

年増加率(%)�

国内総生産�

総貨物輸送量�

電力需要量�

軽工業製品の�輸出局面�

軽工業製品の�輸入代替局面�

耐久消費財の�輸入代替局面�

耐久消費財�の輸出局面�

図表13 日本と韓国における経済発展局面と�     貨物輸送量と電力需要量の年増加率�

0

5

10

15

20

25

10 20 3015 25 35

日本:貨物�

韓国:貨物�

韓国:電力�

日本:電力�

発展局面指標�

(%)�

年増加率(%)�

(製造業と総国内固定資本形成のGDPに占める割合(%)の� 平均値)�

*12 この章の記述の多くは、筆者共著の土木学会(1995)『社会基盤の整備システム』経済調査会によっている。

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度・資金調達などを概観し、開発途上国への示唆

を得ることを目的とする。

1.電信電話部門

モールスによって、電信の公開実験(16km)

が行われたのは1838年である。日本では1869年に

東京・横浜間で公衆電報の取扱いが開始された。

そして、1875年(明治8年)末までに電信網は、

全国で1,701kmに、さらに、1881年末には7,250km

に達した。明治維新以降の政府が国防・治安と中

央集権国家形成のために電信網の整備を最優先し

ていたことがうかがえる。また、電話はベルが

1876年に発明してから、わずか14年後の1890年に、

東京市と横浜市の間で電話交換業務が官営によっ

て開始された。資金調達は、戦前では政府の一般

財政支出からが主体であった。したがって、通信

部門の投資は不安定な財政事情の波をまともに受

ける結果となり、投資は断続的に行われることが

多かった。債券発行による資金調達が可能となっ

たのは電話事業公債法が公布された1917年以降で

ある。政府直轄事業であったために、市場(需要)

に柔軟に対応することができず、長期間にわたっ

て供給不足の事態が続いた。この原因は、官営業

特有の非効率性にあった。もちろん、明治維新以

後、民営化の議論はしばしば登場した。民営化さ

れなかった主な理由は、地域独占の弊害が懸念さ

れたこと等である。戦後、公社化されてからの資

金源は、主に公社債券の発行と政府金融機関から

の低利借入れであった。電信電話公社は1985年に

株式会社化(当初全額政府所有、1987年に上場)

され民営に移行した。その後、滞貨は解決し、企

業体としての効率性は急上昇した。*13 電信電話事

業の民営化は官営によって事業が始まってから実

に1世紀を要したのである。

2.鉄道部門

鉄道の整備はきわめて興味ある開発プロセスを

歩んだ。明治政府は近代化の象徴として、また、

輸送の効率性から判断して、鉄道の重要性をいち

早く認識した。明治政府は、英国人のモレルを中

心とした技術者と、ロンドンのオリエンタル銀行

との契約に基づく起債発行(1870年に契約、起債

額30万ポンド、年利9分)などの支援を得て、

1872年(明治5年)に新橋・横浜間に鉄道を政府

直営で開業させた。さらに、1876年に政府は起業

公債(840万円)を募集し、築港、鉱山、鉄道の

建設に充当した。その後、京都・大阪間は1877年

に開業したが、東京・京都間やそのほかの幹線の

建設は、1877年の西南戦争によって歳出がかさみ、

政府の財政事情が厳しく開業は遅れることが多か

った。これらの事情に鑑み、1881年(明治14年)

には民間資本による日本鉄道会社が創立され、以

降、民間による鉄道開発がブームとなった。民活

奨励策の主な政策手段は、①政府による建設期間

中の利子補給、②出資者に対して開業後10年間は

純益8%を保証、③官有用地の無償払下げ、④民

有地は公共用地買上げ法により政府が買い上げ、

これを買上げ価格で会社に払い下げる、⑤国税は

すべて免税、⑥鉄道の建設は政府の鉄道局(財政

資金不足で政府直営の建設業務不足という事情の

ため)がこれを引き受ける、であった。これらの

政府による奨励策は、その後、路線ごとにケース

バイケースで運用された。とりわけ、奨励策①②

は幹線鉄道建設にかぎられ、③④⑤⑥が支線鉄道

建設に対する一般的な補助形態であった。*14 民活

によるインフラ整備(PFI)は今から120年前の

1880年代に大隆盛を極めていたのである。

主な鉄道ルートの選択は、(a)伝統的産業地帯

と港を結ぶもので、伝統的産業の育成・発展とそ

れらの輸出市場との連結を図るもの、(b)国防上

の見地、であった。ほとんどの路線は良好な経営

が続き、民間鉄道投資ブームが数十年にわたって

続き、最初の鉄道開業から28年を経た1900年には

総営業路線延長5,880km(年平均開業キロ数

280km)に達した。

しかしながら、日清(1894~95年)・日露

(1904~05年)の戦争による景気変動は、鉄道事

業者の経営状態に影響を与えた。全国に普及した

82 開発金融研究所報

*13 Sun Yan. 2000. Economic Efficiency Measurement: A Case Study on NTT. 早稲田大学アジア太平洋研究科修士論文。

*14 高橋亀吉(1973)『日本近代経済発達史、第3巻』東洋経済新報社。

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鉄道の国家経営による規格の統一と管理が議論さ

れ、ついに1906年(明治39年)に鉄道国有法が発

布された。当時の私鉄38社のうち、規模の大きい

17社が買収され、全国の鉄道は、都市部の小区間

を除いて国有化された。国有化の主な理由は当時

の政府によると、(a)国有化して統一的運営を行

うことによる効率化によって、産業振興を促すこ

と、(b)外国人の経営参加による介入を防止する

こと、(c)国家による統一的経営合理化の結果と

して日露戦争後の戦後財政の改善に資すること、

である。鉄道建設投資の資金調達先は、明治初期

の外債導入、公債発行、そして一般財政からであ

った。戦後は一般会計の中の特別会計が財源とな

った。戦後の国鉄の経営は政治介入と労使問題に

翻弄され、赤字経営が続き、労使関係が極度に悪

化した時期もあった。これらを一気に打開するた

めに、7社に分割民営化されたのは、国有化から

実に81年目の1987年であった。民営化されたとき

の負債合計は37兆円に達していた。この負債のう

ち26兆円は国鉄清算事業団が設立され継承され

た。その負債は10年以上たった今も減ることがな

い。日本の鉄道の歴史は民営と官営によるインフ

ラ整備経営の長所・短所を示す教訓を多く含んで

いる。官営時代において特記すべきことは、国境

を越えてアジアに旅立とうとしている新幹線の技

術開発である。長期的なビジョンの中で、鉄道技

術者達の真摯な情熱が世界に誇る新幹線をつくっ

たことを忘れてはならない。

3.電力部門

電力開発はその導入から現在に至るまで、戦時

中の一時期を除き、民間が中心となって実施され

た。すでに述べたように、最初に東京に電燈会社

が設立されたのは1886年である。その後、公営民

営混在して電力開発整備が進められたが、主体は

一貫して民間であった。東京電燈株式会社は1923

年に英貨社債300万ポンドを発行した。1930年代

に入って、電力国家管理法が1938年に制定され、

それまでの5大電力会社と四百有余の電気事業者

の設備と業務は日本発送電と9配電会社に整理さ

れ、完全な国家統制の時代に入った。戦後1951年

の電気事業法の成立にともなって、全国9電力会

社に分割民営となった。政府の役割はいわゆる公

共の利益を擁護するための規制権限の行使のみに

限定されることになった。資金は政府からの低利

の借入れ、債券発行による内外市場からの借入れ、

株式発行などによっている。近年は規制緩和策に

よって電力分野への参入がより容易になり、競争

原理の導入による一層の効率化にともなうコスト

の低減化が進行中である。*15

4.道路部門

道路の開発整備は明治維新以降、基本的には公

共部門の役割であった。しかし、1871年の太政官

布告第648号では有料道路の制度が認められてい

た。この制度を利用した有名な事業は1875年の大

井川の有料橋と1880年東海道中山峠(金山-日坂)

の有料道路である。このほかにもいくつかの有料

道路や橋が民間によって建設運営された。この制

度は1919年の旧道路法や1952年の道路整備特別措

置法にも引き継がれている。戦後の有料高速道路

導入は1965年全線開業した名神高速道路を嚆矢と

する。このときの建設資金の一部は世界銀行の借

款によっている。有料高速道路は1956年に設立さ

れた道路公団が主に所管し、その後も高速道路網

は急速に発達し、1995年末の有料高速道路延長は

約6,500kmに達している。首都圏の有料道路は首

都高速道路公団、阪神地区では阪神高速道路公団

が経営管理している。欧米や途上国と比べて、日

本には民間主体による道路建設・維持・管理・運

営など一貫した整備システムはいまだに存在しな

い。これからの大きな課題である。

第Ⅳ章 日本のインフラ整備と地域所得格差是正

これまでの分析では、国全体の経済成長とイン

フラ需要のパターンを、韓国との比較を含めて論

じてきた。この章では、インフラ整備に要請され

832000年11月 増刊号

特集:21世紀の開発途上国の社会資本を創る

*15 日本の電力料金は、1999年時点で米国と比べて2~3倍高い水準である。

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るもうひとつの重要な役割である地域所得格差是

正について日本の経験を概観する。さらにインフ

ラサービス料金について、日米を比較しながら分

析し、開発途上国への含意を議論する。

1.地域別インフラ投資と地域所得格差是正

終戦直後のインフラは、すでに述べたとおり、

経済の規模が戦前の水準に達するまでは戦前に蓄

積されたストックに大きく助けられた。その後、

経済成長の極大化を第一義とした隘路打開型の投

資が先行した。この事実はインフラ投資が経済活

動の活発な大都市圏に重点的に配分されたことで

裏づけられる。この資源配分は、当時の投資資金

の窮状に鑑み、効率性を第一義としたもので、き

わめて妥当な戦略であったといえよう。地方の開

発に関しては、国全体の視点から、自然災害防止、

食糧増産、電源開発などの自然資源保全開発のた

めのインフラ投資が先行した。その後、重点は急

速な工業化・都市化に呼応して都市・工業地域整

備・用水確保のためのインフラ投資が続いた。

1960年に閣議決定された所得倍増計画では大都市

圏とその周辺の開発を基調とし、そのためのイン

フラ整備が中心となり、地方部の開発のためのイ

ンフラ整備は補完的なものとして位置づけられて

いた。

しかし、1960年代に入り、地域所得格差や一極

集中の弊害がしだいに政治的課題となり、1962年

に全国総合開発計画が閣議決定されてから、今日

にいたるまで、国土の均衡ある発展、すなわち、

地域所得格差是正のための手段としてインフラ投

資(公共事業)が重要な役割を担うことになっ

た。*16

戦後の地域所得とインフラ投資の関係を以下で

概観する。*17 ここではインフラ投資の配分を8地

域に分けて論じる。すなわち、北海道、東北、関

東、中部、近畿、中国、四国、九州である。図表

14は1955年から1985年までの1人当たり実質国内

総生産(GDP)と上記8地域間の所得格差の程度

を示すテイル(Theil)の不平等指標である。テ

84 開発金融研究所報

図表14 1人当たりGDPとTheilの不平等指標�

0

0.5

1

1.5

2

2.5

3

3.5

1955 1960 1965 1970 1975 1980 19850

0.005

0.01

0.015

0.02

0.025

0.03

年�

Theilの不平等指標�

1人当たりGDP(百万円・1990年価格)�

(テイルの不平等指標)地域所得格差指標�

1人当たりGDP

*16 ここでのインフラ投資は行政投資と同義で以下を含む。生活基盤[市町村道、街路、都市計画、住宅、水道・下水道、厚生福

祉施設(病院、国民健康保健、公立大学付属病院の各事業を含む)、文教施設]、産業基盤[国県道、港湾(港湾整備事業を含

む)、空港、工業用水]、農林水産[農林水産業関係]、国土保全[治山治水、海岸保全]、その他[失業対策、災害復旧、官庁

営繕、鉄道、地下鉄、電気、ガスなど]。

*17 ここでの議論は、「Surya R.A. 1999. Infrastructure Investment Policy and Mechanism of Regional Disparity in Developing

Countries, 東京大学工学部博士論文」にあるデータを用いた。

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イルの指標とは、各地域の全国に占める人口割合

がその地域の全国に占める地域総生産額の割合と

同じであれば、地域格差がゼロであり、テイル不

平等指標もゼロとなる。一方、それが異なれば、

指標は大きい値をとる。不平等指標 I は次の式で

定義される。

ここに i は地域を示し(地域は1,2,3,…… n)、

Yi は i 地域の国民総生産に占める比率、Pi は i 地

域人口の全国人口に占める比率である。

図表14で示されるように、地域所得格差(不平

等指標)は1960年をピークに低下し、1985年に上

昇に転じている。1960年に発表された国民所得倍

増計画では、その計画目的として「経済成長の極

大化と産業の適正配置」がうたわれていた。さら

に、1970年に発表された経済社会発展計画では

「均衡がとれた経済発展」を掲げていた。このよ

うな国家目標に対応して、インフラ投資はどのよ

うな軌跡を描いたのだろうか。図表15に1960年か

ら1990年までの8地域ごとの1人当たりのインフ

ラ投資額(名目価格表示)の推移を示す。

図表15から明らかなように、1人当たりのイン

フラ投資額は、太平洋ベルト地帯の大都市圏(関

東・中部・近畿)を除く北海道・東北・中国・四

国・九州地域において、大きい値を示している。

たとえば、1980年の北海道の1人当たりインフラ

投資(年額)は近畿地域に比べて約80%高い値で

ある。この傾向は1970年代から1980年代に顕著で、

1962年に閣議決定された「全国総合開発計画」の

「地域間の均衡ある発展」を達成する手段として、

インフラ投資が地方圏を重視して行われたことを

示している。1985年以降には、1人当たりの地域

別インフラ投資額の格差は縮小の傾向を示してい

る。

このインフラ投資の地域間配分の成果はいかな

るものであったろうか。インフラ投資と地域の経

済成長に関する定量的因果関係を分析した研究は

少なくない。*18 ここでは、図表16に示すとおり、

地域別1人当たりの地域内生産額の軌跡をみる。

この図には、1960年時点での地域間1人当たり所

得格差の最大・最小比率(最大地域所得/最小地

域所得)の1.83を各年の最小所得に乗じた点線が

描かれている。図表15でみたように、低所得地域

への1人当たりインフラ投資が高所得地域と比べ

てきわめて高かった事実と、図表16でみられる、

低所得地域の1人当たり所得レベルが1960年時点

の最大所得格差比1.83の線よりかなり低いことに

留意されたい。すなわち、政策目標である地域所

得格差是正の手段としての後進地域へのインフラ

投資の重点的配分はその政策目標である地域所得

格差の是正に対して一定の貢献を果たしたと解釈

しても間違いではないであろう。

インフラ投資の経済効果には大きく分けて2種

類ある。ひとつは投資(建設)によって派生する

他の部門での需要創出効果である。これはフロー

効果とも呼ばれている。これはインフラ建設が行

われることにより、その地域でのほかの部門での

852000年11月 増刊号

特集:21世紀の開発途上国の社会資本を創る

図表15 地域別1人当たりインフラ投資額�    (千円/年、名目価格)�

0

50

100

150

200

250

300

350

400

450

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990

北海道�

東北�

関東�

中部�

近畿�

中国�

四国�

九州�

(千円)��

� 年�

*18 たとえば、三井清(1995)『インフラの生産性と公的金融』日本評論社。

I lnYn

Pi

Yii

i=1Σ�=�

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需要が増大し(波及効果あるいは乗数効果と呼ば

れる)、地域の雇用や経済を活性化させ、地域総

生産(所得)を増大させる効果である。一方、イ

ンフラ投資にはストックとしての効果がある。こ

れは整備された施設(資産)が機能することによ

って民間部門での間接的生産費用を低減させ、生

産性を高め、ひいては地域の生産額を高める効果

である。これをインフラ投資の生産効果(ストッ

ク効果)という。図表15と図表16で示された投資

と地域生産額(所得)との強い相関性はインフラ

投資のフロー効果とストック効果(乗数効果)が

ともに発揮された結果である。

公共主体が行うインフラ投資のフロー効果の検

証は、短期的な景気対策のための政策手段評価と

いう目的のために重要である。最近の計量モデル

に基づく研究では、乗数効果は1967~75年に2.1、

1975~84年で1.8、1983~92年1.7とわずかながら

低下傾向を示している。*19 もともとインフラ投資

の目的は、ストック効果、すなわち建設された施

設がその機能を発揮し、経済社会に効果を与え、

民間部門の持続的発展に資することである。した

がって、乗数効果でインフラ投資の意思決定を論

じることは長期的視点からは健全とはいえない。

とりわけ、長期的構造的不況対策としてインフラ

投資を用いることは、民間部門の構造変化や活性

化を促すほかの政策手段と連携・補完・相乗しな

いかぎり妥当ではないといえよう。

次にインフラ投資のストック効果あるいは生産

効果(限界生産性:追加的な投資1単位による追

加的な生産増加量)についてマクロな視点からみ

てみよう。*20 図表17は日本の8地域を大都市圏

(関東、中部、関西)と地方圏(残りの5地域)

にグループ分けして、それぞれの圏におけるイン

フラ投資の限界生産性の経年変化をプロットした

ものである。図表17に示すように、2つの特徴が

ある。ひとつは大都市圏の限界生産性が地方圏の

それよりかなり高いことである。また、両者とも

長期的にみて、低下していることである。この特

徴はほかの研究結果と比べてほぼ整合的である。*21

これらの特徴は、インフラ投資も収穫逓減の法則

に支配されている可能性を示している。言い換え

れば、追加的なインフラ投資1単位に対する産出

量が相対的に少なくなるということでもある。も

うひとつの理由は、近年のインフラ投資の部門別

配分が適切でなく、投資が限界生産性の高いイン

フラ分野へ配分されていないのではないかという

疑念である。つまり、必要な投資が行われず、不

必要な投資が惰性によって行われているという疑

念である。

この点に関して若干の補足をする。日本のイン

フラ投資事業案件において、個別プロジェクトの

経済評価が厳密に行われていれば、インフラ部門

間における投資の限界生産性をより正確に推計す

ることが可能である。これは、プロジェクト評価

の選択基準のひとつとして用いる経済内部収益率

が、投資案件コスト(費用)に対する国民経済の

視点からの限界生産性(収益率)を意味するから

86 開発金融研究所報

図表16 1人当たり地域内総生産の推移と�     最大/最小比率1.83ライン�

0

1

2

3

4

5

6

年�1955 1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990

1人当たり地域内総生産�

(百万円・1990年価格)�

北海道�東北�関東�中部�近畿�

四国�九州�最大・最小比=1.83

中国�

�最大/最小比率1.83ライン�

*19 (財)建設経済研究所(1997)『公共投資レポート』。

*20 生産効果の計算結果は以下の文献による:木村康博「インフラストック配分変化にともなう生産および生活活動への影響に関

する基礎的研究」東京大学工学部社会基盤工学専攻修士論文、1999年3月。

*21 吉野直行・中島隆信(1999)『公共投資の経済効果』日本評論社。

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である。日本の公共事業の多くは、事業案件(プ

ロジェクト)ごとの事前評価・事後評価が厳密に

なされていないために、インフラ部門別の限界生

産性を検証することが難しい。これからの公共事

業における制度上と評価方法論上の改革が必要な

ゆえんである。

2.インフラサービス料金の地域間格差

インフラ投資は施設を生み出し、それが機能す

ることによってサービスが受益者に提供される。

ここではインフラサービスの料金について日本と

米国の地域間格差を比較しつつ議論をする。比較

的容易に入手できる地域別家計支出に関する資料

から、電気・ガス・水道(光熱水)の日米比較が

可能である。さらに日本では運輸(交通)と通信

料金を合わせた価格指数が、米国では運輸料金指

数が入手可能である。米国では国勢調査局

(Bureau of the Census)が選定した全国66地点の

データが、一方、日本では全国47都道府県のデー

タが入手できる。*22 加えて、日本では47都道府県

の1人当たり所得のデータが入手可能であるが、

米国では66地点のうち、51地点の1人当たり所得

データが入手可能である。これらの料金指数を日

米別々に指数の高い地点から並べて両者の比較を

試みたものが図表18である。

この図から明らかなように、日本においては、

地域間のインフラサービス料金の格差がきわめて

小さいことに特徴がある。ちなみに標準偏差を計

算してみると、日本の光熱水の地域間価格の標準

偏差は5.5、交通通信価格の標準偏差はわずか3.2

にすぎない。一方、米国のそれはおのおの21.1と

9.1ときわめて大きい。興味深いことは、1人当

たりの所得の地域間格差は日本のほうがいくらか

小さいが、日米間に大きな差はない。日本の地域

所得の標準偏差は12.3、一方、米国のそれは16.0

である。日本では所得格差に見合うインフラサー

ビス料金の地域間格差は図表18で示すように非常

に小さい。*23

日米間の国土の大きさの違いを斟酌すれば、米

国に比べて日本の地域間インフラサービス料金格

差は小さいと考えられる。しかし、日本の状況は

「全国民に等しく社会的サービスを提供する」と

いう国の政策目標が強く反映されていると判断す

872000年11月 増刊号

特集:21世紀の開発途上国の社会資本を創る

図表17 インフラ投資の限界生産性�

0

0.05

0.1

0.15

0.2

0.25

0.3

0.35

0.4

0.45

0.5

1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995

年�

限界生産性�

大都市圏�

地方圏�

全国�

*22 米国のデータはStatistical Abstract of the United States(11th Edition, 1996), Bureau of the Census、日本のデータは『全国物

価統計調査報告書消費者物価地域差指数編』総務庁統計局統計調査部消費統計課。

*23 両国の詳細な地域別生計費指数の分析は加納治郎『地域物価格差の日米比較』大阪市港湾局業務論文集、2000年3月を参照。

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べきであろう。前述の米国の統計資料から国勢調

査局が選んだ23都市について、*24 インフラサービ

スに対する家計支出指数と総合生計費(物価)指

数の相関を示したのが図表19である。ここでのイ

ンフラサービス支出は光熱水(ユーティリティ)

費と交通費で、これらの生計費合計に占める割合

は、日本の水準とほとんど同じ18%である。ちな

みに、図表19上にある2つの特異点はニューヨー

ク(総合生計費指数222)とサンフランシスコ

(同指数174)である。さらに、同じ23都市につい

て、1人当たり所得指数と生計費(物価)指数の

相関を示したのが図表20である。明らかに、1人

当たりの所得と生計費(物価)指数には強い正の

相関があることがわかる。すなわち、米国では1

88 開発金融研究所報

図表18 日米地域別所得とインフラ料金指数�

60

80

100

120

140

160

180

200

地域サンプル(米国66地点、日本47都道府県)�

米国:光熱水�

米国:交通�

米国:1人当たり所得�(51地点)��

日本:光熱水�

日本:1人当たり所得�

日本:交通通信�

価 格 指 数�

注:日本、米国ともに全国平均を100としている。�

*24 23都市名は総合生計費指数の高い順に以下である。ニューヨーク、サンフランシスコ、ボストン、フィラデルフィア、ワシン

トンDC、ロサンゼルス、マイアミ、ポートランド、シカゴ、デンバー、ミルウォーキー、クリーブランド、コロンブス、シン

シナティ、フェニックス、ダラス、アトランタ、ノーフォーク、ソルトレイクシティ、ヒューストン、インディアナポリス、

オクラホマシティ、ナッシュビル。

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人当たり所得水準が高い地域では物価水準も高い

という強い相関性があるということである。

この日米の差をどのように解釈すべきであろう

か。また、開発途上国に対してどのような含意が

あるのだろうか。一国の経済発展が初期の段階で、

所得水準も低く、インフラサービスへのアクセス

が国民全般に行き届かず、人々の潜在的能力の発

現にとってインフラサービスの普及が必要不可欠

で、そのサービス購入に占める家計支出の割合が

低所得階層・地域にとって相対的に大きいのであ

れば、インフラサービスは基本的ニーズの充足と

いう視点から、財政補助や地域間あるいは所得階

層間の内部補助(Cross Subsidy)が正当化され

るであろう。たとえば、インフラサービス料金は

開発途上国において、先進国と比べて相対的に非

常に高いことである。最近開業したバンコクやマ

ニラの軽軌道電車の初乗り料金は約0.4ドル(約40

円)で、一見日本より安いと考えられる。しかし、

彼らの平均可処分所得が日本人のおおよそ10分の

1であることを斟酌すれば、彼らにとって、運賃

は相対的に非常に高いことを意味する。このよう

な事情も開発途上国のインフラ整備・制度・料金

など検討するときには十分配慮することが肝要で

ある。他方、このとき、他の有効な所得分配機能

を有する代替的政策手段もあわせて十分検討すべ

きである。インフラ利用料金に所得分配機能を求

めることは必ずしも適切な政策手段ではないこと

を認識しておくべきである。そして、経済発展局

面が移行するのにともなって国民所得の水準が上

昇し、インフラサービス料金が他の物価と比べて

相対的に低下し、人々が選択的にサービスを享受

できる水準に達したら、補助金をなくすように努

め、市場の競争原理にインフラ料金体系も合わせ

ていくべきであろう。つまり、所得が高まった段

階では市場原理に基づく地域の比較優位を反映し

て、インフラサービス料金の設定が行われるべき

である。これは産業の中間財としてのインフラサ

ービスの料金を市場原理に委ねることによって、

資源の効率的配分を促すことを意味する。地域経

済の発展を考える場合に、市場原理による地域の

892000年11月 増刊号

特集:21世紀の開発途上国の社会資本を創る

図表19 米国主要都市のインフラ料金指数と�     生計費指数の相関�

60

100

140

180

220

260

80 100 120

交通費指数(全米平均100)�

140 160

総合生計費指数(全米平均100)�

y=1.2x-20�R2=0.35

図表20 米国主要都市の生計費指数と�     1人当たり所得指数�

80

90

100

110

120

130

140

150

80 130 180 230

生計費指数�

1人当たり所得指数�

y=47Ln(x)-113�R2=0.63��

(指数=全米平均100)�

出典:Statistical Abstract of the United States (11th Edition)�

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持続的成長が期待される産業を誘致したり、育成

したりするべきである。地方分権あるいは地域開

発とは、このような地域の比較優位を基本とした

持続的産業立地の方策をみつけ出すことにほかな

らない。日米間のインフラサービス提供の異なる

姿は、開発途上国のこれからのインフラ整備を

支援するうえで、選択肢の両極端を提供してい

る。

戦後長く続いた東西冷戦時代では、共産主義諸

国との競争を強く意識して、資本主義諸国におい

ても政府は過大な公共サービスを国民に約束して

きた。インフラ整備も多くの場合公的部門によっ

て運営され、過度の保護と規制を受けてきた。こ

れが創造的で質が高いサービスの提供を妨げ、競

争力を失わせ、効率的運営を阻害してきた事例は

多い。日本では結果として、インフラサービスの

料金は全国均一で国際的にみてきわめて割高の料

金となってしまった。たとえば、有料高速道路制

度を採用しているフランスやイタリアと比べて、

日本の有料高速道路料金は約3倍近い。港湾のコ

ンテナターミナル料金は、シンガポールや釜山港

の2倍以上、ニューヨーク港の50%増しである。

空港使用料(ボーイング747-300の発着料金の

例)は成田の90万円に比べて、ケネディが25万

円、フランクフルト56万円、ドゴールが45万円

である。*25

インフラサービス料金の高さは、それを利用す

る産業にとっては国際競争力の低下を意味する。

米国の各州が日本の工場を誘致するとき、インフ

ラサービス料金の安さ、住宅の安さ、そして教育

と医療の質の高さ、そして何よりも税金の安さを

売り込むグローバルな時代になったのである。日

本国内のインフラ整備とサービスのあり方は国際

競争力の視点からの再検討が必要となってきてい

る。日本にはこのような国際競争力の視点から、

インフラ整備や徴税制度を考えて、地方開発促進

を検討することは少なかった。製造業に限らず、

今まで非貿易サービスと考えられていた業種にお

いても、IT革命によって、空洞化する現象が起こ

り始めている。インフラ料金や課税の軽重を含め

た地方における産業立地の比較優位を地方活性化

の原点とするべき時代にきているといえよう。開

発途上国のインフラ整備もこのような国際競争力

からの視点を踏まえて、開発途上国の発展段階に

応じて柔軟に対応すべきであることはいうまでも

ない。*26

第V章 日本の経験の開発途上国への含意

これまで議論してきた約1世紀にわたる日本の

インフラ整備の経験から、開発途上国に対してど

のような教訓を共有できるのだろうか。課題も含

めてまとめてみたい。

1.インフラ需要予測における発展局面認識の重要性

最初に、第Ⅱ章2.で述べた経済発展局面とイ

ンフラ需要の間の逆U字曲線である。日本と韓国

ともにインフラ需要パターンと経済発展局面には

高い相似性が観察された。貨物輸送需要と電力需

要の増加率はGDPの持続的成長に先立って高い値

を示した。また、韓国は「後発の優位性」を最大

限に利用した「圧縮された発展局面」で日本より

も高い経済成長を一時期達成した。このとき、イ

ンフラ需要の年増加率は日本のそれよりも高い値

を示した。これは持続的経済成長の必要条件とし

てインフラ整備への高い投資が行われたことを物

語っている。インフラ需要の逆U字曲線は、長期

的な視野をもって築かれるインフラ施設にとって

きわめて重要な視点である。開発途上国のインフ

ラ整備にあたっては、経済発展局面の推移の理解、

すなわち、人口動態や経済構造の変化および資本

の収穫逓減則などについての正確な認識が必要不

90 開発金融研究所報

*25 経済企画庁(1997)『社会資本の構造改革に向けて』。ドル・円の換算為替レートは港湾では110円/ドル、空港では125円/ドル

を適用。

*26 開発途上国におけるインフラプロジェクトの一般的な経済評価手法は国際競争力の視点を念頭に置いており、費用便益の計測

は国境価格を基本としているが、日本ではほとんど行われていない。

Page 23: 日本のインフラ整備の経験と開発協力 - JICA › jica-ri › IFIC_and_JBICI-Studies › jica-ri › ... · を比較する。第Ⅴ章では、これらの日本の経験を踏まえて、開発途上国への含意を論じる。そして、

可欠である。換言すれば、インフラ需要は人口動

態(都市人口集中を含む)と経済構造の変化そし

て人々の価値観の変容に基づくものであることを

忘れてはならない。

2.発展局面に応じた官民の役割分担

日本のインフラ開発・運営における官民の役割

分担の経験から学ぶべきことは少なくない。基本

的な視点は政府と民間のバランスのとれた発展局

面を十分認識した役割分担の柔軟性であろう。す

でに述べたように鉄道網の骨格形成は政府の支援

策に基づいて民間資本が中心となって行われた。

近年の開発途上国における民活によるインフラ整

備を彷彿とさせるものである。しかし、民営主体

の鉄道経営が官営に転換した日本の体験は開発途

上国のインフラ整備における官民の役割を考える

とき大切な教訓を与えてくれる。日本では、電信

電話と鉄道部門は長い間国営(公営)であった。

両者とも経営上の非効率とサービス水準の低下を

もたらしたことは否めないが、一方で国民がこれ

らのサービスに等しくアクセスできる体制を構築

し、国民全体の潜在能力の向上に大きな貢献を果

たしてきたことに異論の余地はないであろう。そ

して、これらの両部門で民営化が行われたのはご

く最近の1980年代であった。それぞれの民営化は、

経営効率の改善とサービスの向上をもたらしたこ

とは実証されており、国民もそう理解している。

両者とも過剰人員の処遇と革新技術の導入が最大

の課題であった。日本的人事処遇の方策は、労使

の摩擦を最小に保ちつつこれらの大改革を実行し

た事例として高く評価されよう。

日本の経験では、最近の規制緩和以前における

政府の過剰介入と規制は反面教師的である。たと

えば、日本において電力・運輸セクターにおける

過剰規制は多くの批判にさらされてきた。近年、

これらの分野における規制緩和は民間資源と市場

に活気を与え、消費者主権と競争原理の導入はサ

ービスの向上と、価格の低下、国際競争力の強化

に大きく役立つと認識されている。官民の役割分

担や政府の適切な介入手段は、その国の発展局面

や統治能力、官・民の能力などに依存し、一様で

はない。制度の硬直性こそが、インフラ整備の効

率性を阻害し、サービスの料金を高め、サービス

の質の低下を招き、経済全体の競争力を失わせる。

もちろん政府は公共の利益を擁護するメカニズム

が効率よく働く制度設計と監督という重要な役割

を果たす義務がある。日本の近代化プロセスの中

でのインフラ部門での制度設計、すなわち、日本

におけるインフラ整備方式(政策・制度・メカニ

ズム)の多様な経験を、これからの開発途上国で

のインフラ開発整備に生かすために、彼らの視点

から、実証分析を行うことは大いに意義のあるこ

とである。

日本の過去の経験に鑑みて、民活による途上国

のインフラ整備は、慎重に行われるべきである。

途上国は一様ではない。日本の明治維新以降にお

けるインフラ整備の多彩な経験は、途上国のイン

フラ整備の方式も多様であるべきことを示唆して

いる。途上国の経済発展段階、統治力、受容能力、

民間資源の動員力、さらに文化、伝統、行動規範、

制度規範などは多様性に満ちている。市場が未成

熟で民間資源の効率的参加が望めなく、基本的イ

ンフラサービスの普及率が低い発展段階であるな

らば、公的支援・介入と補助金は正当化されると

いえよう。この時、インフラ整備の果たす社会的

便益あるいは社会的公正への貢献を明確に説

明することが不可欠であり、公的介入は透明

(Transparent)で、恣意性が少なく(Predictable)、

公開された基準に則ったものでなければならな

い。さらに、国家目標としての国土の均衡発展に

よる国内地域格差是正や所得分配、とりわけ都市

と農村の所得格差と生活の質の格差是正に必要な

先行投資的インフラ整備などは、公共部門が果た

すべき重要な役割である。一方、需要追随型イン

フラ整備は民間との連携で整備が可能であり、

ODAの枠組みの中で民間部門との創造的な連携

手段を積極的に導入すべきであろう。民活インフ

ラの課題は誰がインフラを所有・運営するかでは

なく、効率的で透明な事業運営が可能となる制度

設計を構築できるか否かなのである。

3.インフラ部門間投資配分からの教訓

明治維新から高度経済成長期にいたるまで、イ

ンフラ投資の部門間配分はきわめて柔軟であっ

912000年11月 増刊号

特集:21世紀の開発途上国の社会資本を創る

Page 24: 日本のインフラ整備の経験と開発協力 - JICA › jica-ri › IFIC_and_JBICI-Studies › jica-ri › ... · を比較する。第Ⅴ章では、これらの日本の経験を踏まえて、開発途上国への含意を論じる。そして、

た。しかし、高度成長期以降、インフラ整備関係

予算の各省庁間の配分は、とりわけ、1980年以降

最近にいたるまでほとんど変化していない。*27 過

去20年間の日本の経済構造が激変したこと、人口

動態が大きく変動していること、人々の価値観が

大きく変容していることなどを考えれば、インフ

ラ部門間の投資配分が変化するのは当然であった

といえよう。開発途上国のインフラ整備支援に不

可避的に関連する部門間投資配分においても、そ

の意思決定プロセスや評価基準が透明であること

が不可欠である。投資配分決定の制度・プロセス

の柔軟性と、これらを支える方法論の適切な導入

がきわめて重要であることを忘れてはならない。

4.インフラ整備と地域所得格差是正

戦後の高度経済成長にともなって出現した地域

所得格差の是正手段として積極的に進められた地

方インフラ整備の経験は、一定の成果を上げたと

いえよう。しかしながら、その成果はインフラ整

備の本来的目的である生産効果が十分に発揮され

たとは断定できず、乗数効果による非持続的な地

域所得の増加である可能性が高い。地域経済の持

続的成長のためには、インフラ整備との補完的相

乗効果を目的とした他の地域経済振興政策手段と

の連携が不可欠であろう。これはインフラ整備が、

当該地域の比較優位に基づいた民間投資・生産活

動を誘発する契機となり、また民間投資の収益を

あげる間接的効果を発揮することを意味する。こ

のような視点から、開発途上国へのインフラ整備

支援は、ほかの、とりわけ民間投資を誘発するよ

うな開発手段と相乗効果を発揮するような包括的

連携支援を促進すべきであろう。

5.インフラサービス料金の地域間格差

インフラサービス料金の地域間格差を日本と米

国で比較した結果、日本ではインフラ料金の地域

間格差がきわめて小さいことがわかった。一方、

米国では地域間インフラ料金の格差は大きく、1

人当たり所得格差と正に相関している。さらに、

米国では物価(生計費)の地域間格差は1人当た

り所得格差によって相殺されている。日本では地

域間1人当たり所得格差に比べて物価の格差はは

るかに小さい。

この日米の政策の大きな差は開発途上国に対し

てどのような含意を持つのであろうか。開発途上

国にとってはどちらの政策を選択すべきであろう

か。選択の基準となるのは、インフラ整備の目的

を開発途上国国民がどのように認識するかに依存

している。そして、その認識は当該国国民の価値

判断である。インフラ整備が国民の人間としての

尊厳と潜在能力を発揮するのに必要不可欠と判断

される発展過程であり、それが優先課題として要

求される地域であれば、そのインフラサービスへ

のアクセスは人間の基本的ニーズとして考えるべ

きで、公共主体が介入して、国民に等しく利用の

機会を提供することは妥当である。すなわち、政

府の介入によって、料金の地域間格差を極力少な

くし、平等なサービス提供をまずもって優先すべ

きであろう。しかし、地域の潜在力を発揮すべき

人材と資源が開発されつつある局面に達したら、

インフラサービスの価格は地域ごとの原価主義に

近いものにすべきであろう。すなわち、公的介入

と補助金の逓減的撤廃である。地域経済の活性化

はインフラを仲介とする長期的補助金補填ではな

く、地域の比較優位原則に基づく産業育成を基本

とすべきである。たとえば、日本では電源開発を

促進するために、多額の補助金が電源立地地域へ

補填される。そして電気料金は全国一律に近い。

もし、補助金のかわりに、電源立地地域の電気料

金を大幅に引き下げる政策が採用されれば、電源

開発地域には電力多消費型の産業が興り、地域の

産業振興の土台となるとともに、国全体の視点か

らみても望ましい資源配分になる。米国のように、

地域格差に根ざした比較優位こそが、その地域の

活性化の原点であり、地方分権を支える原理であ

るとの考え方も十分意義のあることである。この

ような地域比較優位の視点からの、地方インフラ

整備は開発途上国にも大いに参考になる論点であ

92 開発金融研究所報

*27 五十嵐敬喜・小川明雄(1999)『図解公共事業のしくみ』東洋経済新報社。

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る。日米間の異なった政策は開発途上国にとって

選択しうる政策の両極端を示しているといえよ

う。

6.広域的・長期的インフラ整備への支援

日本の経済発展の初期における基幹インフラの

計画・投資・経営は、鉄道や電力部門でみられた

ように、利潤追求を目的とした民間の資源を最大

限活用したものであったが、同時に、国の長期的

な視点と国土全域を視野に入れたものであったこ

とも忘れてはならない。9電力会社や異なった鉄

道会社による広域運営のノウハウは、途上国間の

国境を越えた広域インフラ整備運営にとっても貴

重なノウハウである。開発途上国のインフラ整備、

とりわけ、輸送・エネルギー・水資源・環境部門

の国境を越えた連係化は経済合理性にかなうもの

である。欧州連合(EU)にみられるように、イ

ンフラの国境を越えた地域統合システムの構築は

地域の相互依存体制を促進し、地域安全保障に貢

献するものである。インフラ資産を国境を越えて

共有することによる地域共存共栄体制の構築は、

インフラ整備の持つ大きな役割で、21世紀におけ

る日本の開発協力の主要課題とすべきである。

多くの国際援助機関では、融資案件プロジェク

トごとの議論に終始しやすく、長期的視点に立っ

た国土開発や地域開発の観点からプロジェクトを

把握することが少ない。一方、日本のODAにお

いては、この点に関して比較優位を有する。すな

わち、JICAの技術協力(開発調査・専門家派遣)

は、まさに、一国の長期展望を踏まえての基幹イ

ンフラ計画を立案するのに最もふさわしい形態で

ある。このような広域的・長期的計画に基づいた

優先プロジェクトはJBICの資金協力に十分値す

る説得性を有することになるであろう。さらに、

地域格差是正や貧困削減のためのインフラ整備は

公共の役割が必要であることはすでに述べた。こ

のとき、インフラ整備とそのインフラ需要を喚起

する産業育成政策との補完連携政策が重要であ

る。インフラ整備と10年、20年先の生産要素の比

較優位に基づく産業育成がその地域の持続的発展

の基礎を形成することを忘れてはならない。

7.インフラ技術移転と自律化政策の重要性

日本の明治以降の近代化プロセスにおいて、電

力部門や鉄道部門でみられたように、投資の意思

決定が分権的であった期間、技術導入は一貫性に

欠けていた。先に述べた周波数2系統の弊害にみ

られるように、技術の導入と移転にともなう技術

規格の統一などは政府の技術政策の重要な役割で

ある。鉄道の分野においても、国内各地で異なっ

た国々からの規格・仕様が導入され、技術規格の

不整合は、1906年の鉄道国有化の主要な根拠とな

った。その後、技術規格の重要性が認識され国会

でもしばしば議論された。*28

設計基準・規格・仕様などはできるだけ統一性

のあることが望ましい。日本の経験では、技術を

選択的に導入するという主体性はあったが、その

ために、技術基準などに不統一性が生じることに

なった不利益も大きかった。にもかかわらず西欧

から移転された技術を日本の自然条件やモンスー

ン特有の気候に適応させつつ技術の自律化を達成

し、設計基準・規格などを進化発展させてきた軌

跡は世界に誇りうるものである。近代化において、

後発国日本の経験は、途上国インフラ技術移転と

自律化のプロセス・デザインにとって大いに役立

つことである。しかしながら、日本の発展初期の

インフラ部門における技術移転の経験と技術政策

の研究は、今後に残された課題のひとつである。

これらの日本の経験を踏まえて、これからの開発

途上国のインフラ整備支援はハードとともに、設

計基準・仕様・規格、そして技術者資格認定など

のソフト分野への知的支援が、国境を越えるグロ

ーバル・スタンダード(ISO)を見据えて、重要

になる。

932000年11月 増刊号

特集:21世紀の開発途上国の社会資本を創る

*28 たとえば、鉄道の軌道幅(狭軌の1,067mmと広軌の1,435mm)の議論は有名である。1896年以降からどちらを採択すべきか国

会でしばしば議論された。1918年にいたって、「建主改従:コストのかかる広軌への改良は後回しにし、地方など鉄道開業待望

地への狭軌での建設を主とする」が政府の方針となった。広軌道幅は新幹線開業(1964年)によって実現した。

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第VI章 日本の役割:アジアのインフラ整備への貢献

この章では、これまでの日本の経験と途上国へ

の含意についての議論を踏まえて、また、日本が

受けた援助についても言及しながら、日本の開発

途上国インフラ整備に対する役割について予備的

な提言をする。

1.日本が受けた援助の実証分析の必要性

戦後の日本は1945年から1952年まで占領下に置

かれた。この期間、米国からの援助総額はおおよ

そ20億ドルといわれている。さらに、1952年には

ドイツとともに世界銀行(以下「世銀」と称する)

へ加盟し、翌年に最初の融資が電力部門(関西電

力)へ行われた。これに先立ち日本が戦前に海外

市場で発行した債務を約定どおり返済ができたの

も世銀の仲介によるところが大きかった。1953年

から始まった世銀からの支援は日本開発銀行を通

しての電力と鉄鋼産業への融資が主であった。興

味あることは、1956年にトヨタ自動車のトラッ

ク・バス工場に対して235万ドルの融資が行われ

たことである。1953年から1960年の8年間に日本

が借入れした外貨総額約8億5,000万ドルのうち、

世銀からの借入れは実に43%に達していたのであ

る(ちなみに、1958年の日本の輸出総額は29億ド

ルであった)。*29 この間1957年には愛知用水公団、

1959年には電源開発株式会社へ、1960年には日本

道路公団(名神高速道路プロジェクト)への融資

が行われた。また、1959年にはニューヨーク市場

で戦後初めての外債の発行に成功したのである。

これは日本が世界の金融市場から信任を得たこと

を意味する重大な出来事であった。1960年以降

1966年にいたるまでに融資を受けた公共事業体

は、日本国有鉄道、日本道路公団(第2次)、首都

高速道路公団、阪神高速道路公団である。最後の

融資は1966年に日本道路公団の東名高速道路プロ

ジェクト(東京・静岡間)に対してであった。日

本は合計31案件で総額8億6,200万ドルの融資を受

けたのである。当時、日本は世銀にとって最大の

借入国のひとつであった。世銀からの最後の借款

は1990年にすべて完済した。*30

このように戦後の高度経済成長を支えたインフ

ラ整備は、世銀を中心とする外国からの援助にも

大きく助けられたのである。この援助受入れの貴

重な経験は、実はよく整理されておらず、途上国

に対して、日本の援助受入れ経験から得られた教

訓を語るに十分な分析がいまだなされていない。

これらの事実、すなわち、高度経済成長期での援

助受け入れ側としての日本の経験は、日本の開発

協力の場面で忘れてはならない貴重な体験なので

ある。この過程で得られた援助受入れ側としての

さまざまな教訓は、日本の開発協力の場において、

被援助側の立場を理解する度量と知見を与え、ま

た説得力を与えるという意味で、日本の開発協力

における比較優位なのである。ODAの一環とし

て、組織的な体制と支援のもとで行われるべき研

究課題のひとつである。

2.日本の開発協力における比較優位

すでに述べたように、日本は後発国として西欧

先進諸国とは異なったインフラ整備の貴重な経験

を有している。開発途上国における現代的課題を

見据えての、日本のさまざまなインフラ整備にお

ける経験、すなわち、インフラ技術の移転と自律

過程、法律・組織・制度・規制などの政策、そし

て、分野別投資配分やインフラ事業マネジメン

ト・システムなどを分析整理し、途上国の直面す

る課題を十分斟酌したうえで発信することは重要

な国際貢献であると認識すべきである。たとえば、

日本では戦後に、二千余のダムを築造した。それ

は沖積平野に集積された人々の命を洪水の猛威か

ら守るためであり、生活用水・工業用水を供給す

るためであり、また、食料を増産するためであり、

電力を安定的に供給するためでもあった。多くの

アジア途上国は日本が体験したこれらの課題に今

や立ち向かっているのである。日本の水資源管理

94 開発金融研究所報

*29 World Bank. 1995. The Evolving Role of the World Bank.

*30 世界銀行東京事務所(1998)『世界銀行と日本』。

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の中枢を占めたダムづくりは、環境と住民の共存

を模索した苦渋に満ちた体験であった。それだけ

に、モンスーンに位置する開発途上国と分かち合

うことのできる多くの知見を含んでいる。われわ

れの使命のひとつはダムと環境・住民が共生する

方策を彼らとともに創造する手助けをすることで

あろう。政府・民間・市民組織(NGO)が、影

響を受ける住民の参加を踏まえて、お互いに知恵

を出し合って創造的に解決策を見いだすべき課題

なのである。彼らとともにジレンマを理解し、悩

みを分かち合い、開発に対して協働する姿勢で臨

むべきであろう。このように、日本の近代化過程

における経験に基づく知的資産は、ODAにおけ

る日本の比較優位である。このことを忘れてはな

らない。

3.インフラ整備支援の戦略的視点

(1)国境を越えるインフラネットワーク構築の

支援

1997年央から突然起こったアジア通貨・経済危

機を経て、アジア地域内での連帯感が一層強化さ

れたのは、この地域内で過去30年間に加速度的に

生じた重層的相互依存関係が確立されたことの

“あかし”である。全世界貿易量の伸びはアジア

地域の貿易量の増加を軸として展開されてきた。

日本の輸出額の40%以上はすでにアジア域内であ

る。21世紀、少なくとも前半は、アジアがさらな

る発展をするであろう。今回の通貨危機でみられ

たように、日本がアジア地域でリーダーシップを

発揮することが、アジアの人々から願われるよう

になった事実は、戦後50年に日本が達成した総合

安全保障上の歴史的成果とみるべきである。この

ときODAが果たした役割はきわめて大きい。な

かんずくODAの基軸を占めていたインフラ整備

への支援はアジア途上国の高度成長を下支えして

いたといえよう。もし今後もアジア諸国が経済成

長、貧困削減、市場経済、民主化を開発の主要な

目標とするならば、日本はこれからも積極的にア

ジアを中心とした開発途上国のインフラ構築に貢

献すべきである。

アジア地域内での安定を損なうリスクは外的な

ものと内的なものがある。外的なショックを地域

内で分散回避し被害を最小化するには、地域内で

のインフラネットワークの構築が不可欠であろ

う。*31 また内的なリスクを回避する手段としても、

国境を越えるインフラネットワークの構築による

域内連携強化の一層の促進は、相互依存体制の構

築による紛争回避を促すであろう。越境(国境を

越える)インフラは地域公共財、すなわち、地域

の共有資産として認識することが重要である。地

域で共有する資産が多ければ多いほど、その地域

の紛争抑止力として期待ができる。すなわち、越

境インフラの構築は地域内連携強化による共栄と

地域平和共存を促す地域公共財である。これへの

積極的支援をもって、日本のODA戦略のひとつ

とすべきである。

この目的に資するために開発途上国研究者を含

めた「アジア越境インフラ調査研究(Asian

Trans-National Infrastructure Research Project)」

をODAの枠組みの中で行うことを提言したい。

この調査研究はアジア地域の数ヵ国にまたがる局

地経済圏のさらなる発展をインフラ整備を通して

促すとともに、潜在的に越境インフラ需要がある

地域におけるインフラに関するプロトコル(当事

者間での制度的枠組みの合意)・連携計画・技術

基準・技術的課題の克服などへの支援をITやサテ

ライトなどの最新の技術を駆使して組織的かつ戦

略的に行うものである。国際援助機関の多くがイ

ンフラ整備に関して消極的になっている昨今にお

いて、アジア地域の長期的利益にかなう越境イン

フラの調査・研究・促進・支援は21世紀のアジア

諸国がめざす共通のビジョンに合致するものであ

る。金融部門や保健・教育分野ではアジア地域内

での協力組織がすでに存在し、協力体制構築のた

めの調査研究も行われている。*32 しかし、越境イ

ンフラづくりの計画・調整・監視・支援する調査

研究は多くはない。*33 この提言は、21世紀におい

952000年11月 増刊号

特集:21世紀の開発途上国の社会資本を創る

*31 たとえば、2000年5月のアジア開発銀行総会で合意されたASEAN諸国間での金融システム安定化のための連携強化策は好例で

ある。

*32 IMF、WHO、UNESCOなどの活動がある。

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ては、アジアが域内連携強化による自己主張を始

める時代になるであろうと期待するとき、まさに

時宜に適うものである。日本には、アジア途上国

間の国境を越えた広域的インフラ整備計画の立案

や政策・制度・技術移転・人材養成などを調査研

究し実施する能力がすでに十分備わっているし、

インフラ整備と「連係・補完・相乗効果」を発揮

すべき民間との連携も十分視野に入れることがで

きる体制にある。したがって、「アジア越境イン

フラ調査研究」は日本のODAにおけるインフラ

整備分野における知的支援の核になることが期待

される。

(2)日本国内インフラ整備との協調連携

アジア地域の国境を越えた局地経済圏の出現と

ともに、日本国内とアジア開発途上国のインフラ

整備とが連係する必要性が出てきた。運輸とエネ

ルギーを基調とした連係促進は一方で日本の地方

における経済社会の活性化を招来するものであ

る。他方では近隣諸国との国際開発協力の実効性

を高めるものでもある。たとえば、北海道のエネ

ルギーはサハリンとの統合化で、かなり廉価なエ

ネルギー・電力供給が可能となり、北海道には電

力多消費型産業立地に比較優位ができるであろ

う。環日本海圏ではロシア・中国・北朝鮮・韓国

を含めた経済圏での相互依存と相互の比較優位を

最大限利用した相互依存体制構築のためのインフ

ラの整備を日本と近隣諸国の双方で同時的に進め

なければならない。九州では明らかに黄海圏と南

中国沿岸との連携構築を促進するインフラ整備に

よる地域の比較優位を追求すべきである。これま

での日本国内で構築された経済統合軸は、発展的

に近隣諸国との経済比較優位原理に基づいた連携

強化促進による分散型経済圏の構築となるであろ

う。これを可能にするのが情報通信革命と制度イ

ンフラ革命ともいうべき二国間やWTOを通して

の関税障壁の撤廃による資源移動革命との合体で

ある。このような認識から、開発協力(ODA)

による、アジア近隣諸国における広域的国際イン

フラ整備は日本のインフラ整備との戦略的連係強

化を目的のひとつとするべきであろう。

(3)知的支援拡大の必要性

本稿ですでに述べたように、日本や韓国でのイ

ンフラ整備の制度設計の成功や失敗の経験は開発

途上国にとっても貴重な教訓になりうる。この認

識が開発途上国のインフラ整備支援における基本

軸となる。したがって、日本のインフラ整備に携

わった人材の経験と知見がもっと戦略的にODA

に利用されるべきであろう。ODAのさまざまな

領域において、ソフト分野のさらなる支援の拡大

を期待し、あわせてインフラ整備に携わった人材

資源の活用を促すという視点が大切である。

(4)民間競争力の強化

ODAは日本の民間企業の活力活性化に最大限

利用されるべきである。かつて日本の援助の商業

化を批判した米国は、今や過去の日本以上に援助

と商業の連携を追求している。経済の持続的発展

は究極的に民間の活力である。したがって、援助

と市場原理を旨とする民間活力の連携を支援する

ことはきわめて重要である。ただし、援助が民間

の国際競争力を低下させるようなことになっては

「ひいきの引き倒し」である。すなわち、日本の

開発協力によって民間の国際競争力が強化される

ような制度の導入や手段を講じてこそ連携の意味

があるのである。

1960年に名神高速道路の資金の一部が世銀の融

資で調達された事例は、今後の途上国でのインフ

ラとりわけ基幹インフラを支援するときにきわめ

て教訓的である。この事例は組織(道路公団)・

資金調達・技術移転など多様な革新性が含まれて

いたと考えられる。多様な革新性の創出こそが、

これからのアジアのインフラ整備に必要である。

すなわち、開発協力の多様な形態の創造と民間資

源との革新的な連係モデル(たとえばJBICによ

る、民間インフラ事業投資への保証業務の拡大)

による資金・技術・人材育成・管理運営分野への

支援、すなわち多様な民間支援モデルの導入が強

く要請される。

96 開発金融研究所報

*33 アジアハイウエーに関しては、(社)国際建設技術協会からの支援でESCAPが活動している。

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おわりに

本稿は、日本の過去1世紀間にわたる基幹イン

フラ(エネルギー・電力・運輸部門)整備と経済

発展ならびに地域格差是正との関連性などをさま

ざまな角度から実証分析し、開発途上国のインフ

ラ整備に資する教訓を得ることを目的とした。も

とより、一国の開発は固有で包括的な歴史的営為

であって、時間と空間を越えた再現性はない。に

もかかわらず、先進諸国の経済発展は、その軌跡

において、多くの類似性を有している。後発先進

国の日本の経験が開発途上国にとって有意義な知

見を有するであろうと判断する根拠がここにあ

る。

開発途上国の多くは将来のあるべき姿を自ら描

くことができるようになってきた。このことは国

民が開発を待ったなしの実践行為としてとらえて

いることを意味する。このきわめて実践的な営為

に確信の持てる理論はないし、理想的なモデルも

ないのである。このような状況の中で、先進国の

経験はそれが実践された結果を追跡できるだけに

開発途上国にとっては貴重な参考資料なのである。

開発協力の現場で体験することは、「待つこと

ができない」という強迫観念である。開発最前線

ではパートナーとともに創造的に開発課題を解決

することが時限付きで要求される。そして、その

解決のための処方箋は少ない。このときパートナ

ーとの強固な信頼関係が決定的に重要になる。無

限の選択肢から解決手段をみつけ出す努力をする

とき、支援する側における体験から得られた知

恵・教訓はパートナーとの信頼醸成に不可欠なの

である。彼らの開発課題に対して本当の「聞く耳」

を持てるか否かは、実は支援者側にどれだけ経験

に根ざした教訓の蓄積(知恵)があるかにもよっ

ているのである。また、パートナーはわれわれの

経験からの教訓を語るときにこそ「聞く耳」を持

つのである。

日本の開発経験からの教訓は開発途上国へ発信

すべき大きな知的資産である。この知的資産は開

発協力における日本の比較優位である。欧米の開

発戦略に違和感やいら立ちを持つ開発途上国は少

なくない。彼らは開発協力において、かつて途上

国であった日本や韓国の指導力を期待しているの

である。日本や韓国での開発経験をもとに、説得

力のある開発戦略やモデルを提示する力量が求め

られているのである。21世紀に向かって、日本が

「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上

から永遠に除去しようと努めている国際社会にお

いて、名誉ある地位を占めたいと思う(日本国憲

法前文抜粋)」を具現するために、ODAの役割は

ますます重い。開発途上国のインフラ整備支援の

究極的目標もまさにここにあることを再認識して

本稿の終わりとする。

972000年11月 増刊号

特集:21世紀の開発途上国の社会資本を創る

参考文献

[和文文献]

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潜在能力と自由』岩波書店

大川一司・小浜裕久(1993)『経済発展論:日本

の経験と発展途上国』東洋経済新報社

嘉数啓・吉田恒昭(1997)『アジア型開発の課題

と展望』名古屋大学出版会

経済企画庁(1986、1998)『日本の社会資本』東

洋経済新報社

沢本守幸(1981)『公共投資100年の歩み』大成出

版社

総合研究開発機構(1985)『土木技術の発展と社

会資本に関する研究』

土木学会(1995)『社会基盤の整備システム:日

本の経験』(財)経済調査会

南亮進(1992)『日本の経済発展(第2版)』東洋

経済新報社

渡辺利夫編(2000)『国際開発学』東洋経済新報

[英文文献]

Akatsuka & Yoshida. 1999. Systems for

Infrastructure Development: Japan's

Experience, Japan International

Cooperation Publishing Co.Ltd.

Asian Development Bank. 1997. Emerging

Asia: Changes and Challenges.

─────. 1997. Guidelines for the Economic

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Analysis of Projects.

United Nations. 1972. Guidelines for Project

Evaluation.

UNDP. 1999. Human Development Report

1999 , Oxford University Press.

World Bank.1994. World Development Report

1994: Infrastructure for Development,

Oxford University Press.

[統計資料]

日本長期経済統計

日本統計年鑑(各年)

日本長期統計総覧

運輸経済統計年鑑(各年)

エネルギー・経済統計要覧(各年)

Statistical Abstract of the United States (11th

Edition, 1996 ),U.S. Bureau of the Census.

98 開発金融研究所報