吉本ばなな『ハゴロモ』における女性像 ―女性登場...

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34 吉本ばなな『ハゴロモ』における女性像 ―女性登場人物の行動の分析からThe Images of Female Characters in Yoshimoto Banana’s Hagoromo - The Analysis of Female Characters’ Behaviors スィリワン・プリーチャーナリット* チュラーロンコーン大学文学部東洋言語学科日本文化・日本文学博士課程 D1 要旨 本稿は、現代女性作者吉本ばななの作品『ハゴロモ』における女性女性像に ついて考察する。とりわけ、心の傷を負った人々が苦悩から心を癒す方法に着 目し、それを分析する。本稿の目的は女性登場人物の行動の分析する。各人の 苦しみから、どうやって立ち直るのかを見ていく。女性の登場人物の行動を分 析した結果、大きく3つの行動に分けることができる。①不道徳な行動、 過去への執着、③ 苦悩からの立ち直りが重要であると考えられる。女性た ちが苦悩からずっと悲しみに沈んでいるが、他者にアドバイスをしてもらい、 苦しかったことも、淋しかったことも徐々に忘れていき、生命力を得る。 キーワード:不道徳、苦悩、癒す Abstract This paper will analyze the images of female characters in contemporary female author; Yoshimoto Banana ’s literary work Hagoromo . This study aimed to study the healing ways from suffering of those who have suffered in their minds. ____________________________________ * Siriwan PREECHANARIT, graduate student, Chulalongkorn University e-mail : [email protected]

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吉本ばなな『ハゴロモ』における女性像

―女性登場人物の行動の分析から一

The Images of Female Characters in Yoshimoto Banana’s Hagoromo

-The Analysis of Female Characters’ Behaviors

スィリワン・プリーチャーナリット*

チュラーロンコーン大学文学部東洋言語学科日本文化・日本文学博士課程D1

要旨

本稿は、現代女性作者吉本ばななの作品『ハゴロモ』における女性女性像に

ついて考察する。とりわけ、心の傷を負った人々が苦悩から心を癒す方法に着

目し、それを分析する。本稿の目的は女性登場人物の行動の分析する。各人の

苦しみから、どうやって立ち直るのかを見ていく。女性の登場人物の行動を分

析した結果、大きく3つの行動に分けることができる。①不道徳な行動、

② 過去への執着、③ 苦悩からの立ち直りが重要であると考えられる。女性た

ちが苦悩からずっと悲しみに沈んでいるが、他者にアドバイスをしてもらい、

苦しかったことも、淋しかったことも徐々に忘れていき、生命力を得る。

キーワード:不道徳、苦悩、癒す

Abstract

This paper will analyze the images of female characters in contemporary

female author; Yoshimoto Banana’s literary work Hagoromo. This study aimed to

study the healing ways from suffering of those who have suffered in their minds.

____________________________________

* Siriwan PREECHANARIT, graduate student, Chulalongkorn University

e-mail : [email protected]

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The purpose of this paper was to analyze female characters’ behaviors and to study

how they bounced back from their sufferings. The results from analyzing the

behaviors of these female characters are divided into 3 main actions as follow; (1)

Immoral behavior; (2) Attachment to the past; and (3) Recovery from suffering.

These women were sunk into their suffering for a long time but they got the advice

from others so eventually they could forget all pains or loneliness and earned back

their vitalities.

Keywords : immorality, suffering, healing

1. はじめに

吉本ばななは現代を代表する作家の一人である。1987 年には『キッチン』

でデビュー後、海燕新人文学賞、1988 年「ムーンライト・シャドウ」で泉鏡

花文学賞、一年後『つぐみ』で山本周五郎賞をそれぞれ受賞した。また、吉本

ばななはヨーロッパなど、海外からも注目されている作家で、海外での評価も

高い、イタリアのスカンノ賞、フェンディッシメ文学賞、カプリ賞など受賞し

た。本研究では 2003 年に発表された『ハゴロモ』という作品を考察する。

『ハゴロモ』の引用はすべて新潮社に 2006年に発行から行なった。

先行研究では、『キッチン』『つぐみ』などの物語における「青年心理」

の分析は多いが、『ハゴロモ』に関してはほとんど研究されてこなかった。

『ハゴロモ』については、草野奈津美 (2004) は吉本ばなな小説作品の構造

特性―主人公の心理のグラフ化をもとに―心理変化について論じている。1 草

草野 (2004) は、主人公「ほたる」のみの心理に注目する。吉本ばなな作品は

主人公の心の成長や回復を主にした作品が多いが、本研究では、主人公だけで

はなく主人公に関わる二人の女性登場人物の行動について論じたいと思う。作

1 草野奈津美「よしもとばなな小説作品の構造特性―主人公の心理のグラフ化をもとに

―」 http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~kokugo/nonami/2002/kusano/kusano.html

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業手順としては、女性登場人物の行動を検討し、女性たちが失恋、夫との死別、

孤独など各人の苦しみから、どのような影響を受けたのか、どのようにして苦

悩から立ち直るのかを明らかにする。

2. 女性登場人物の行動について

本稿の目的は女性登場人物の行動を分析することである。各人の苦しみから、

どういう風に立ち直るのかを見ていく。本研究では、主人公「ほたる」やその

他主要人物、主人公に影響を与える「るみ」と主人公に影響を受けた「みつる

の母」の行動について考察する。現代の女性の価値観の変化について理解を深

めると同時に、なぜ吉本の作品が女性に支持されつづけているのかを理解する

手がかりとなるであろう。本作品は、心の傷を負った女性登場人物がずっと悲

しみに沈んでいたが、周りの人に支えられて、心の癒しを受け取り、元気を取

り戻した物語である。「ほたる」は母を交通事故で亡くしている。ほたるの

父は大学の教授をしながら心理学を研究していて、仕事でいつも家にいなかっ

た。ほたるは一人で生活し、孤独だった。十八歳の時に東京に出て八年間妻子

ある写真家の愛人生活をしていた。ある日相手に別れを告げられた。ほたるは

失恋の痛みと都会の疲れを癒すため、故郷に戻った。「るみ」はほたるの父

が再婚しようとしためぐみさんの娘である。母は占い師である。るみは不思議

な勘をもつ女性である。「みつるの母」の夫は町内会の旅行に参加して、バ

スの事故で死んでしまった。その出来事がショックでみつるの母はずっと寝込

んでいる。

『ハゴロモ』の女性登場人物の行動を分析した結果、大きく 3つの行動に分

けることができる ①不道徳な行動、② 過去への執着、③ 苦悩からの立ち直り

が重であると考えられる。この①不道徳な行動は主人公「ほたる」のみ見られ

る。女性登場人物の行動は以下の通りである。

2.1 ほたるの行動

2.1.1 不道徳な行動

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ほたるは素直すぎる人である。東京に来て、一人で暮らしてさみしいよう

に感じるから、写真家と付き合っていた。付き合った時、ほたるは妻子がある

とわかっていたのに、彼の愛人になった。

私は青春のいちばん恋愛に燃えている時期にわざわざ奥さんのいる人と

つきあっていていつでもどこかしら待ちの姿勢だったので、実のところ

はずっとひまでひまで仕方なく、考えるしかなくて、いつも考えてばか

りいたので疑り深くなってしまったのだろう。 (p.11)

まるで春にきれいな風が吹いてきて鼻先がちょっとあたたかく、甘い匂にお

いがするのが好きなのと同じように、冬にストーブの前にいて膝ひざ

が熱く

なって幸せになるように、ただただ楽しかった。その、恋人を待つ生活

…明日もなくて現実の重さもなくて、今だけの、思い出だけが柔らかく

降り積もる大恋愛に、お湯につかるみたいに思い切りつかっていたのだ。

(pp.14-15)

初めて彼に会ったとき、ほたるは少女だから、恋のことはまだわからない

し、好きな人もいないし、素敵な人に会うと、簡単に恋をした。ほたるは自分

の感情を抑えない。恋愛の欲望があるため、不道徳な行動を起こした。十八歳

から愛人になった。恋人を待つ生活でも、幸せだった。それにティーンエイジ

ャーの頃の生活は愛人のことしか考えていなかった。妻子を持つ彼との不倫で

ある。吉本ばななは不倫について、「私自身はしたことがないしこれからもあ

まり興味はありませんが、そういうこともあるんだなあと否定はしません。た

だふたりだけでなく大勢が関わる問題なので、すべてがケースバイケースだと

思います。だから軽々しく「ああだこうだ」と言えない感じがします」と言っ

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た。2 この作品のほたるの行動は正しくない道徳的価値観に値する。一方、性

は自由や解放の象徴として女性の平等を表す。現代女性のイメージは自分の幸

せのことばかり考えて、結婚することは自由だ。古典的な女性のイメージとは

異なった女性主人公である。

東京で私はいつでも恋を優先させていたので、人とゆったりと知り合っ

ていき友達を作るひまなんて全くなかった。ぶつ切りの時間の中で、ち

ょっと会っておしゃべりする程度だった。(p.73)

他に恋人も作らず、アルバイトだけして就職もせずただ彼との時間を作

るように工夫をして、連絡を取る手段を得るために携帯電話やパソコン

を駆使して、いつも待機していた私の青春全体がもはやノイローゼ的で

なかったと誰に言えるだろうか。比べるということや勝ち負けの空むな

しさ

を、そんなふうにぽっかりとした時間に思うのはおかしな感じだった。

(p.14)

下線部は相手に対するほたるの気持ちである。ほたるにとって初恋だから、

本気だ。恋人のために自分の時間全てを使う。他のことができなかった。自分

の時間、自分の考え方を持たないようにしている。相手に連絡するために、新

しいことを習った。いつも彼を待っていた。一方、彼にとってほたるとの関係

は遊びだったかもしれない。奥さんがこの不倫関係を気にする時、彼はほたる

と続けていくことができないと決意した。もう別れるしかないのだと彼は電話

で言った。ほたるとの関係を諦め、家族と一緒にいると決意した。

「家族を、放っておけないし。もう、充分苦しめてきたから、そういう

ことはやめることにしたんだ。(中略)俺一人の個人的な気持ちだけで

2 Q&Aコーナーによく来る質問 http://www.yoshimotobanana.com/question/

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君とつきあっていくには、もうバランスが悪すぎる。俺は、もう、こっ

ちをとるって決めたんだ。これ以上、言わせないでくれ。」

「結局、私のほうは遊びだったということね?」

「大きな意味ではそうだね。」 (pp.12-13)

彼が私を好きなのは、私が特に努力しなくてもあまりこだわりなく、ほ

がらかで、出かければいつも楽しそうで、写真の話もできないことはな

く、頭も体もそう悪くはなく、なんのしがらみもないのにいつも彼を普

通に待っていたからだったろう。寄ろうと思えばいつでも寄れるあたた

かい場所があって、しかもセックスもできてしまうという、そんな理由

によるものだったと思う。(p.17)

ほたるのほうは片思いだったのだろう。ほたるは彼が本当に好きだから、

彼のために何でもできる。彼のことしか考えなかった。他のことを本気でする

時間が取れなかった。だから、他の人との関係がなかった。愛人のためだけに

自分の時間を割く。ほたるが「愛人」という立場にいた時、いつも格好をつけ

なければならないと思う。

私は田舎に帰ってからはろくに化粧もせず、Gパンばかりはいて、長い

髪の毛も結い上げた。その雰囲気に、幼なじみの友だちは驚いていたが、

私も鏡に映る自分を見て、よくびっくりした。

愛人の仕事はこぎれいにしていることです、と当時東京での私が思って

いたとは決して思えない。だが、この違いは何から生じるんだろう、と

私は熱心に考えた。(中略)多分、東京でのあの自分は、生活の中心で

あった彼と私がふたりで作ったものだったに違いない、そういうふうに

結論づけた。私の中からだけでは、そんな自分はひきだされないのだ。

(p.27)

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ほたるが東京にいた時、愛をしていた時期だった。愛人になったから、女

らしくいつも化粧して、きれいにしてなければならない。彼に捨てられた後は、

ほたるは喪失を感じる。化粧なんか意味がない。綺麗にするのは必要がない。

それはその時、いつも愛人を待っていたから、彼が会いに来たら、いつも格好

をつけなければならない。ふられてから実家に戻り、自由を感じている。彼に

もう会えないからである。愛人の立場で、結婚はできないことをほたるは理解

している。だから、結婚のことを考えたことがない。別れてから、自分は彼に

とって、愛人でしかなく、特別な意味がない気がする。るみの言うとおり、ず

っと前から、半分透けている幽霊みたいなものになっていたのかもしれない。

結婚なんかに興味を持ったことはなかった。私はとても現実的なので、

ありもしないことを夢見たりするくせはなかったのだ。でも、その時初

めて、結婚ということがどういうことかわかった気がした。その大きな

渦の中に、私はいないのだということが。どんなにうまくいっていても、

私は彼の生活にふと現れる幽霊のようなものにすぎないのだと思った。

(pp.78-79)

家族背景をみると、ほたるは小さい時から、可哀そうな子になった。母を

交通事故で亡くして、父はいつも出張していた。母が死んだ後で、みんなはほ

たるに同情し、祖母も祖父もほたるにとても甘かった。東京で一人暮らしをし

て、寂しくて、頼る人もない感じだ。ほたるはとても素直な人だから、写真家

の彼に会って、好きになった。

お互いに直感で、この人と人生の時間を共にする、と決めたのだ。 (p.76)

だから、ほたるは彼と付き合う、そして彼のために自分の時間全てを使う。

ほたるにとってはこの不倫関係は罪ではない、純粋の愛である。だから八年も

続いた愛人生活をした。別れと言われて、茫然自失した。別れたことに慣れる

ことができない。不倫はつらい結末を迎えることが多いとわかる。

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2.1.2 過去への執着

ほたるは愛人に電話で別れを告げられた後、驚いていた。いつまで経って

も、別れたことに慣れなかった。いつでも同じようなことをぐるぐる考えてい

た。事実を受け止められない。過去のことに執着する。だから毎日同じことを

やっている。次のような行為は過去の記憶を明らかにする。

金曜日の夜はいつもうちに泊まっていった彼がもう二度とくることはな

いのに、同じTV番組を観て、同じスーパーで同じような材料を買い、

同じように洗濯機を回し、同じパジャマを着てひとりで眠りにつく。

(p.18)

まるで毎日がさめない悪い夢の中にいるようだった。

同じ店でランチを食べ、同じ商店街の同じ喫茶店でふたりで飲んでいた

コーヒーの豆を買い…八年も続いた永遠の恋愛ごっこの生活が長電話一

本でぷっつりと終わった….ほんとうにおばあさんになってしまったよう

な気がした。同じ生活を続けるのが精一杯できることで、あとのことを

するにも体が動かない状態だった。

こんなことで人はすっかり弱ってしまうのだ、と私は驚いた。(pp.18-19)

ほたるは彼との関係は簡単に終わると思わない。彼は勝手に決意するので、

驚いた。相手を失ったことが信じられなかった。別れる時に手切れ金代わりの

東京のマンションはほたるのものになった。ほたるはずっとそこに暮らしてい

て、いつまでたっても、別れたことに慣れなかった。同じTV番組を観て、同

じ店で買物し、同じレストランで食事する。なぜなら彼に会えるかもしれない

と思ったからである。ほたるは相手を失い、孤立したような気がする。縁が切

れず、いつも胸が苦しい。

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なるべくそのことには気づかないようにして生きているのだが、いまここ

の空間に自分はいない。ほんとうの自分は、まだあの日々の中にいて、あ

の生活を同じようにくりかえしているのだ。そう感じられてならなかった。

夕方まで寝てしまって目が覚めると、ああ、金曜日か、彼がもうすぐ帰っ

てくるから、何を食べに行こうか...とぼんやり考えている自分に気づく。

(p.21-22)

上記の下線部を見ると、ほたるはずっと彼のことを思って悲しみに沈んで

いる。現実の世界から逃避し、想像の世界に住みはじめる。いつでも同じこと

をぐるぐる考えていた。ずっとずっと同じようなことが穏やかに繰り返されて

いると考えていた。先に述べたように、金曜日の夜はいつも彼が泊まっていっ

たから、ほたるは目が覚めると、金曜日だと思った。夢でも彼を見た。

毎日見る夢の中ではいつも彼が部屋にいる。そして別れているあいだい

かに寂しかったか、もう一回ふたりでいられるようになれてほんとうに

よかった、というようなことをにこにこしながら語っている。手の形も、

ほほの感触も、ほんとうにリアルだった。夢の中の私は安心しきってい

て、目が覚めるなんて決して思わない。しかし、必ず目は覚めてしまう。

もうひとつの世界のあの生活の中に、私だけが置き去りになっているの

だ、と毎回泣き濡ぬ

れて私は思うのだった。 (p.21)

つらいことや悲しいことは忘れにくい。本当に好きだった人、本当に愛し

合ってしまった人は、捨てられたとしても、忘れられないに違いない。ほたる

にとって、彼との関係は本気であったため、心が痛む。

過去の暮らしの中にさまよっている私自身が、いつのまにかその中から

出られなくなるような気がした。それは、断ち切られた糸の残りが宙を

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さまよっているのをなすすべなくただじっと見ているのに似ていた。

(p.19)

まだこの街に住んでいたら、この部屋での過去のことは消えないはずであ

る。時間が遅く過ぎると感じてしまう。いまここの空間に自分はいないと気が

付いた。だから、ほたるは故郷に戻ることにした。ほたるがこの関係を美しい

思い出と考えることができるようになれば、それほど苦しくないはずである。

2.1.3 苦悩からの立ち直り

東京に住んでいた時のように、幸せで楽しかったことはもう戻ってこない。

なぜなら、愛人生活が終わったからである。彼はほたると付き合っていくこと

をあきらめた。失恋の痛みを癒すため、ほたるは帰郷することにした。たくさ

んの川が流れる故郷の街で生活を始める。故郷の川を見ると、ほたるは落ち着

いた気持ちになり、悩んでいることを忘れる。

敷石をいつまでも光が照らしている夏の夕方に、幼い頃と同じ気持ちでい

つまでも歩いていくこともできた。いつの時代でも、疲れているときには

土手にすわっているだけで気持ちが晴れた。(中略)きっとこの世のなに

ごとも長いことじっと観察していればみんなそんな様子をしているのだろ

うけれど、私にそれを教えてくれたのは、川だった。(p.7)

川辺で触れ、見ることができる全てのものが私の肉体や魂に活気を与え、

充電しているのを体で感じる。地面から、空の色から、見渡せる町の光

や車や、そういった全て、人々の生きていく営みの活気や、草の色や、

小さな生き物たちや、流れていく巨大な雲。かすかに聞こえてくる音が

耳に響く様子…きっとそれぞれの町でそれぞれの人間が、それぞれの場

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所からもたらされる特別でありながらも平凡なそういう癒いや

しを受け取り

ながら、この世界を生きているのだろうと思う。 (p.8)

川の流れを見つめていると、活気が与えられ、力をもらった。自然はほた

るの心を癒す方法の一つである。また故郷にいて、朝起きて、きれいな光に照

らされていて、解放感がする。自分自身は存在がある。世界の意味がほんの少

し近しくなっているのを感じる。それに幼い頃のことも少しずつ思い出されて

きた。

毎日同じ場所で暮らしていると、少しずついろいろなことを思いだし、

ゆとりができて、つながりができてくる。恋愛に忙しくて、そういう生

活の楽しさもすっかり忘れていた。 (p.42)

以上の文から、幼い頃、ほたるにとって川辺が大きな慰めだったことがわか

る。自然がほたるを苦悩から立ち直らせてくれる。故郷に戻ってから、自然や

故郷の人々に出会い、元気になった。失恋や彼のことを忘れて、子供ころの生

活に戻った。昔のことがよみがえって来た。そのことが解放的に思える時があ

った。ほたるはここの空間に自分はいると気が付いた。少しずつ心が癒されて

いく。

ほたるは実家に戻ってから、祖母の小さな喫茶店を手伝っていた。祖母なら、

なぜほたるが実家に帰ってきたか分かるかもしれない。だから、仕事をやらせ

た。

それでも彼女が暖かいな、と思うのは、勝手に東京に出ていった私にそ

のことでは恨み言も言わず、そんな店で当然人手なんているはずがない

のに、私の精神的なリハビリのために、私がまいっていることは一目瞭りょう

然ぜん

でも口には出さず、働かせてくれていることだった。ちゃんとバイト

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代まで出してくれたので、おこづかいを稼いでいるようで嬉うれ

しかった。

(p.26)

祖母は、ほたるが何に悩んでいるかすぐに分かった。でもそのことを聞かな

いで、仕事をやらせた。悩んだことを考える時間がなかったら、いつか辛いこ

とを忘れられる。祖母とほたるは言葉がなくても、ほたるがどんな気持ちなの

か分かる。どんな辛いことがあっても、家族だけはいつも応援してくれ、いつ

も隣にいる。ほたるは実家に帰って、祖母と父と話し合うと、心の痛みが軽く

なる。精神状態を取り戻す。また、故郷の人々はほたるが苦悩から立ち直るの

を手伝う。

るみは不思議な勘をもつ女性である。るみはほたるにいろいろなことを教

えてくれた。るみの話を聞いて、ほたるは何か思い出せそうな感じがした。失

ったものを取り戻す。るみは人の行動について、こう考える。

「人も幽霊も同じだよ。こちらの思い入れで接すると、必ず痛い目に合

う。(中略)「時間がかかるということもあるよね。」 (pp.55-56)

上記の引用文は、ほたるに伝えたいことかもしれない。ほたるは失恋した

ため、幽霊みたいな顔をしている。愛を強く感じる人は、心が痛む。心を癒す

には長い時間がかかる。ほたるは彼のことを考えると、心が痛くなる。もし、

相手に同じような気持ちがあったら、言葉がなくても、お互いの感じがわかる。

人と人の間には本当には言葉はない、ただ、全体の感じがあるだけだ。

その全体の感じをやりとりしているだけなんだとるみちゃんはさとった

そうだ。 (p.53)

ほたるはるみの話を聞いて、ほたるはその時間全体に、味わいに、ふわっと

包まれたような感じがした。

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人の、意図しない優しさは、さりげない言葉の数々は、羽衣なのだと私

は思った。いつのまにかふわっと包まれ、今まで自分をしばっていた重

く苦しい重力からふいに解き放たれ、魂が宙に気持ちよく浮いている。

(p.59)

るみはほたるに人生の意味を教えてくれた。ほたるは自分の世界が広がっ

ていく気がする。もう一人はみつるである。みつるは具合が悪い母を面倒を見

ている。みつるにとって母は大事な人だ。

「じつは僕はスキーのインストラクターなんですけど、そんな様子のお

ふくろから離れるとかわいそうだと思って、いっしょに心のリハビリを

しているんです。だから、今は、家をあまり出られないんです。幸いお

やじの遺のこ

したものが多少なりともあるので、今年は休ませてもらってる

んです。」(中略)おふくろの方が大事、そんな言葉を素直に口に出せ

るなんて、なんと大らかなことだろう、と私は思った。そして、この家

族を襲ったできごとの不条理さに比べて自分の嘆きがちっぽけなものに

思え、少し大丈夫になってきた。 (pp.69-70)

みつるは体調の悪い母の世話をするために、仕事を休み、家でラーメン屋

をやっている。みつるは楽観的な人である。お店をやるのは気晴らしで、これ

でいいと思っている。ずっと母の隣にいられるし、母の心を癒すことができる。

みつるの言葉と振る舞いはほたるに自分の嘆きは本当に小さなことだと悟らせ

た。

この世の中にいろいろな苦しみがあり、ほたるは失恋の痛みを癒すため、

時間がかかった。長い時間か、短いのか、本人によって違う。ほたるは自分の

ことばかり考えるのをやめ、他人の苦しみを思った。ほたるは周りの人に支え

られて、元気を取り戻した。

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2.2 るみの行動

2.2.1 苦悩からの立ち直り

るみは不思議な勘をもつ女性である。親は別居しているが、まだ離婚はし

ていない。父はあまり家におらず、母は占い師であるため、いつも母のところ

に深刻な悩みを抱えた人たちがよく来ていた。子供時代は学校から帰ると家に

いづらくて、いつでも墓場に行った。そして枯れた花を片づけたり、古いお墓

を洗ったり、かびたお供えを捨てたり、お水を入れ替えたりしていた。るみは

なぜそんなことをしていたのか自分がわからない。

「きっと私は誰もお参りに来てくれない墓の中に眠っている人達と、親

に関心を持たれなかった自分を重ね合わせていたのだろう。」とるみち

ゃんは言った。 (p.51)

そうは言っても、るみは親を少しも恨んでいない。るみはずっと一人だった

ため、苦労人である。るみにとって、墓場に行き、お墓をきれいにしていたの

は自分の心を慰め、孤独を忘れるためである。幽霊と会話することで立ち直っ

ている。るみは孤独感から自分で解決方法を探して、自分を守って、立ち直る

ことができるのである。

2.3 みつるの母の行動

2.3.1 過去への執着

この作品ではほたるだけではなく、みつるの母も過去のことを過去を引き

ずっている。みつるの父は、町内会の旅行のバスの事故で命を失った。みつる

の母はその出来事がショックでずっと寝込んでいる。

「あの時、おふくろは参加するはずだったんだけど、どうしても気が乗

らなくておやじだけ行くことになったんです。おふくろには勘みたいな

のがあって、おやじに行くなって止めたんだけれど、おやじはそういう

の信じないから、行って、死んでしまったんです。」 (p.68)

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死はいつか必ずあるものである。3 みつるの母は最愛の夫を事故で亡くし、

心の安定を失っている。自分のせいで夫が亡くなったと思い込んでいるため、

逃げられず、長くつらい記憶に落ち込んでしまう。るみは次のように述べてい

る。

「もうその、後悔の地獄に堂々と、逃げずにはまりこんでいるものね。

普通の人だったら、もう自殺してしまうくらい、向き合うのは苦しい道

なんじゃないだろうか。でもその人は、真正面から、時間をかけて行く

方を選んだんだと思う。…」 (p.87)

みつるの母はその時、夫と一緒に行けず、夫を一人で行かせたため、悔や

んでいる。大変な出来事で忘れられない。苦しいことに落ち込んでいたから、

体を動かさないので、体が弱くなる。それに、心も弱っていく。みつるの母は

そのショックから立ち直れない。みつるの母は愛する夫を失った。悲哀の底で

苦しんでいる。

2.3.2 苦悩からの立ち直り

るみはみつるの母の調子について、以下のように感じている。

「何か一回ちょっとしたきっかけがあれば、変わる気がするの。もうそ

れは何でもいいし、ほたるちゃんが目の前に行くだけでも、流れが変わ

るかもしれない。(中略)彼女は今ふたつに分裂していて、ひとりはも

うこのまま死んでしまいたい、というふうに思っているの。でももうひ

とりはその中で、すごくしっかりしていて、自分のしていることがよく

3 木股知史『吉本ばなな イエローページ』、荒地出版社、1999 年、p.27

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わかっていて、ただきっかけをつかみたくてもがいている。そう思え

る。」 (p.89)

みつるの母は今別の世界にいるようで、傷を治しているだろう。みつるの

母はお見舞いに来たほたるを見て、自分の体調について言った。

「時間がかかってね。何もかもに、時間がかかるたちなの。でも、時間

がかかるだけで、大丈夫なんですよ。」 (p.100)

「今、無理をして起きたら、後でたいへんなひずみが生まれてしまいそ

うだから、ぎりぎりまで、様子を見ているの。私は、大丈夫なんですよ。

みつるはたいそう心配して、いつも世話をしてくれているけれど、本当

に大丈夫なんですよ。」 (p.101)

みつるの母は昔から意志の強い人である。自分の状況から逃げているので

はなくて、向き合いすぎているのである。自分の境遇を理解し、自分を保って

いた。時間がかかるかもしれないけれど、いつか自分で決めて立ち直る。元に

戻るはずである。

「だって、あの朝に運命はわかれてしまったんだもの。後を追っても、

もう、追いつかないわ。」 (p.150)

結局、みつるの母は無理をしないように、自分の運命に従う。そのことを納

得するのに時間がかかった。ほたるは、みつるの父が結婚記念日にみつるの母

にあげるつもりだった真珠の指輪を見つけた。ほたるに影響を受けるみつるの

母は弱った心を徐々に癒していき、元気になった。

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3. おわりに

女性 3人の行動と考察を以下の表にまとめた。

表 1 ほたる、みつるの母、るみの行動のまとめ

行動

名前

(苦悩)

不道徳な行動 過去への執着 苦悩からの立ち直り

(方法)

ほたる

(失恋)

あり あり あり

(故郷に帰って、

川と人に会う)

るみ

(孤独)

なし なし あり

(幽霊と友達になる)

みつるの母

(夫との死例)

なし あり あり

(指輪をもらった)

表1を見ると、ほたるは不倫をする。愛人に捨てられて、彼のことを考えて

いる。故郷に帰って、川と人々に会う、苦悩から立ち直る。

るみは孤独な人である。お墓に行き、幽霊と友達になることで立ち直る。自

分の心を慰め、孤独を忘れることができた。

みつるの母は夫のことを考えている。いやな予感がしたのに止めなかったこ

と。一緒に行けばよかったと思う。みつるの母は自分の境遇をわかって、自分

を保っていた。物語の最後にほたるはみつるの父の指輪を見つけた。みつるの

母は無理をしないように、自分の運命に従い、元気になった。

三人の女性は異なる苦悩を抱えていて、異なる解決法で立ち直っている。

女性主人公ほたるは愛人に捨てられた後、ずっと悲しみに沈んでいた。ほたる

の行動は道徳を気にせず、独立している。一方、過去のことを執善している。

失恋のことは時間がかかりすぎていて、自分独りの力ではどうしても逃げるこ

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とができなかった。故郷に帰ってから、自然や人々に出会い、支えられて、心

の癒しを得た。ほたるは苦悩から立ち直る。みつるの母は夫の死からショック

でずっと寝込んでいる。ほたるはみつるの家族を襲った出来事に比べて自分の

苦悩は小さなことだと知った。女性の登場人物はみんな苦しかったことも、淋

しかったことも徐々に忘れていった。色々な悩みをもつ読者がいろいろな立ち

直り方に共感することで元気をもらうことができる。

<参考文献>

木股知史(1999)『吉本ばなな イエローページ』、荒地出版社

よしもとばなな(2006)『ハゴロモ』、新潮社

WEBSITE

http://www.yoshimotobanana.com/jp/index.html (2016年 6月 21日) http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~kokugo/nonami/2002/kusano/kusano.html

(2016年6月 21日)