今後の日本における 多文化共生政策についての一考察 · 2013-06-14 · 223...

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223 今後の日本における 多文化共生政策についての一考察 欧州からのインターカルチュラル政策の 流れを受けて 日比野紗也香 (関根研究会 4 年) はじめに Ⅰ これまでの多文化共生の流れ 1 グローバリゼーションによりもたらされた多文化共生 2 日本におけるこれまでの多文化共生の流れ Ⅱ 多文化共生実現における障害 1 移民問題 2 欧州の反多文化共生運動 Ⅲ 多文化共生に代わるインターカルチュラル・シティ 1 インターカルチュラル・シティの概要 2 インターカルチュラル・シティ・プログラム Ⅳ 日本におけるインターカルチュラル政策 Ⅴ 日本へのインターカルチュラル政策導入の妥当性 おわりに はじめに グローバリゼーションがますます進んでいる現代先進社会の多くにおいて、旧 植民地からの移民やその子孫だけでなく、1960年代以降ブラジルなどの南米諸国、 アジア諸国からの移民が急増し、移住先への定住化が進んでいる。また、国際結 婚により生まれた人や海外からの帰国者など、当該国家の国籍を持ちつつも外国

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223

今後の日本における 多文化共生政策についての一考察 ―欧州からのインターカルチュラル政策の

流れを受けて―

日比野紗也香 (関根研究会 4 年)

はじめにⅠ これまでの多文化共生の流れ

1 グローバリゼーションによりもたらされた多文化共生2 日本におけるこれまでの多文化共生の流れ

Ⅱ 多文化共生実現における障害1 移民問題2 欧州の反多文化共生運動

Ⅲ 多文化共生に代わるインターカルチュラル・シティ1 インターカルチュラル・シティの概要2 インターカルチュラル・シティ・プログラム

Ⅳ 日本におけるインターカルチュラル政策Ⅴ 日本へのインターカルチュラル政策導入の妥当性おわりに

はじめに

グローバリゼーションがますます進んでいる現代先進社会の多くにおいて、旧

植民地からの移民やその子孫だけでなく、1960年代以降ブラジルなどの南米諸国、

アジア諸国からの移民が急増し、移住先への定住化が進んでいる。また、国際結

婚により生まれた人や海外からの帰国者など、当該国家の国籍を持ちつつも外国

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文化を背景に持つ人々の人口が増加している。そのような多国籍・多文化社会が

広がっていく中で、移民と自国民市民が互いに豊かな生活を送ることを目的とす

る「多文化共生」が積極的に行政の場で掲げられてきた。日本もその例外ではな

く、地方自治体や市民団体において多文化共生が掲げられ、移民と日本人市民の

共生を謳ったさまざまな多文化共生政策が行われてきている。

しかしながら、近年、急増した移民と自国民市民との間で移民問題が深刻化し

ており、欧州を中心に多文化共生に陰りが見え始めている。その動きが顕著に表

れたのが2011年 7月22日に起こったノルウェー連続テロ事件である。本論文でそ

の事件の概要には触れるが、この事件からも分かるように、欧州情勢では反多文

化共生の思想が活発化し、移民に対して実際に暴動事件が起きている。

しかし、グローバリゼーションが進む現代社会の中で移民を排斥していくこと

は不可能といっても過言ではない。先進諸国では少子高齢化を受けて人口は減少

傾向にある一方、国内の定住外国人は増加傾向にある。今後国家の労働力人口を

補い、経済の活性化・国際化を支えていくためには、移民の経済力を活用してい

くことは必須である。そのため、移民であっても社会に参画し、自国民市民と対

等に暮らすことのできる多文化共生社会を実現することが求められているのであ

る。

そこで、そのような反多文化共生の動きを逸らしつつも、移民との共生を図る

ことを目的とし、多文化共生に代わる新たな概念として「インターカルチュラ

ル・シティ」が発信された。この欧州やカナダを中心に始まった「インターカル

チュラル・シティ」とはいかなるものなのか、従来の多文化共生政策と比較し、

その内容について考察していく。そして日本への導入可能性・妥当性を検討し、

今後の新たな多文化共生社会形成への道筋となるか見極めていきたい。

以上の流れを踏まえ、本論文では第Ⅰ章において、これまでの欧州と日本にお

ける多文化共生の動きについて考察し、第Ⅱ章において移民問題や反多文化共生

運動などの多文化共生を阻害する要因を考察する。そして第Ⅲ章において「イン

ターカルチュラル・シティ」についてその内容を詳しく考察し、第Ⅳ章において

日本で「インターカルチュラル・シティ」がどのように展開されているのかをみ

る。そして最後の第Ⅴ章において、その「インターカルチュラル」政策の日本へ

の導入可能性・妥当性、そして今後日本が取るべき多文化共生政策のあり方を探

る。

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Ⅰ これまでの多文化共生の流れ

1 グローバリゼーションによりもたらされた多文化共生

「多文化共生」という言葉が発生するためには、文化的交流が激しくなるグロー

バリゼーションの時代を迎える必要があった。このグローバリゼーションとは、

「工業化・脱工業化と資本主義経済システムの世界的展開によって、世界各地を

結ぶ情報通信・運輸交通手段が急速に発展し、地球上の空間的・時間的距離が縮

小し、資本(カネ)・商品(モノ)・サービスのみならず、人間、情報、文化(宗教・

イデオロギー、思想など)、そして技術などの国境を越えた移動や交流・伝播が活

発化し、世界の各地域あるいは各国の間の相互交流や依存関係(場合によっては

支配従属関係)が強まる現象」(関根2000:7-8)を指す。このグローバリゼーショ

ン時代は、大航海時代から始まったといえよう。しかし、グローバリゼーション

が人々の生活に影響を及ぼし始めたのは第二次世界大戦後である。「資本主義が

本格的に展開した近代以降になり、第二次世界大戦後加速され、一九八〇年代後

半の冷戦終了に伴い共産主義の崩壊と資本主義の世界的展開が決定的になると、

本格的に関心を集めるようになった」(関根2000:8)。

このようにグローバリゼーションが展開していくと、自国民と移民との交流が

生まれていった。自国民とは異なる文化・言語を持つ人々との交流は、文化的・

経済的利益を生むだけではなく、ときに摩擦を生むようになった。「そこでこう

した多文化社会化・多民族国家化の過程で摩擦・紛争を防ぎ、社会の安定的な統

合のために考案されたのが多文化主義である」(関根2000:41)。なお、本論文で

はここでいう多文化主義は多文化共生を目指す主義と類義語とする。

こうして発生した多文化主義・多文化共生は、移民大国を中心として世界に広

がっていった。「カナダ、オーストラリアで多文化主義の有効性が認識され始め

たのは一九七〇年代であったが、その後、英国、スウェーデン、その他のヨーロッ

パでも程度に差こそあれ、移民・難民、外国人労働者あるいは周辺地域民族集団

の統合策として導入されている。米国ではマイノリティ異文化集団の文化・言語

を学習するエスニック・スタディーズや多文化教育を中心に発展している。フラ

ンスでは多文化主義という名称は避けられているが、異文化・言語の要求は『相

違(差異)への権利』として認められつつある」(関根2000:42-43)。グローバリ

ゼーションにより始まった多文化共生は、このように様々な国で展開されていっ

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たのである。

ただし、様々な国で展開されていった多文化共生政策は、その国々によって性

格や現実の程度は異なっていた。特にその問題点が表れているのがフランスであ

る。フランスの移民政策は、一般的に同化政策もしくは統合政策といわれており、

移民の文化を尊重するというよりは移民をフランス文化に同調させようというも

のである。フランスのように、その移民政策の趣旨が多文化共生の性格とは異

なっている場合も多々あることは認識しておく必要がある。次に、日本における

多文化共生をみていく。

2 日本におけるこれまでの多文化共生の流れ

( 1) 日本国政府レベルでの多文化共生政策

日本における平成23年末における外国人登録者数は、208万人以上となり、日

本の総人口に占める割合は1.63%となっている。過去最高となった平成20年末か

らは震災の影響などもあり減少傾向にあるが、外国人登録者数は平成13年末に比

べると約17%の増加で、この10年間で外国人登録者数は約1.2倍になった。

このように外国人市民が増加する実態がある中、行政は対外国人政策を推進す

るようになった。日本政府は1979年に国際人権規約に批准したことによって、国

民健康保険の全外国人への適用や、公共住宅の国籍条項の撤廃を認め、1982年に

は難民条約の批准により外国人の国民年金加入や児童手当支給を認めた。しかし、

1990年に「出入国管理及び難民認定法」が制定されるまでは、まだ多文化共生と

いう認識は成立していなかった。そしてその後、1995年の阪神淡路大震災におけ

る市民団体・ボランティア団体による被災外国人への支援を通して、市民から多

文化共生の動きが起こり、それ以降、日本政府は本格的な多文化共生政策に乗り

出すこととなった。

2000年 3月には法務省が第二次入国管理基本計画を策定し、その中で、「外国

人に対する社会の意識・関心が高まり、その数的増加と活動範囲の拡大に伴い、

今後、我が国社会において日本人は外国人とどのように共存していくのかについ

て将来像を示すことが、出入国管理行政に求められるようになってきている」と

している。また、2003年 1月に日本経済団体連合会は、「活力と魅力溢れる日本

をめざして」という経団連の新ビジョンを発表し、そこにおいて「多様性を容認

する観点から、外国人も日本においてその能力を発揮できるよう、日本社会の扉

を開いていく」とし、外国人受け入れシステムを2010年までに確立することを目

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標とし、2009年の経団連事業計画においても「これまでの外国人材受け入れの提

言を踏まえ、多文化共生社会の形成、円滑な外国人材受け入れの推進に向け、制

度改革の実現に取り組む」と発表した。

以上のように、現在日本社会は国レベルでますます多文化共生を推進させる動

きが出ている。しかし、国の多文化共生政策は外国人を管理していこうという色

合いが濃い。また経団連は下流クラスの労働移民を受け入れようとしているので

はなく、求めているのは高度人材と呼ばれる上流・中流以上のクラスの外国人移

民である。これでは外国人市民間での格差が広がっていってしまい、さらには受

け入れられない外国人市民が排除されてしまう。それでは、国より小規模の地方

自治体はどのように外国人市民と共生しようとしているのだろうか。次に地方自

治体が行っている多文化共生政策をみていこうと思う。

( 2) 日本の地方自治体における多文化共生政策

日本における自治体の多文化共生政策は、1970年代以降、在日朝鮮・韓国人が

多く住んでいる関西の大都市や川崎市などの取り組みにその先駆けがみえた。そ

の後1980年代になると、その他の大都市や地方工業地域においてニューカマーが

急増し、その地域の自治体は外国人を対象とした政策を実施するようになった。

ただし、ここまでの自治体政策は、役所に相談窓口を設置したり、多言語による

情報発信をしたりするといった外国人市民を「短期滞在者」と想定した施策であ

り、基本的に国際交流に視点が向けられたものであった。

しかしながら、1990年代後半になると帰国すると思われていた外国人市民が集

住地域へ定住する傾向が顕著に表れ始めた。それに伴い、地方自治体は外国人市

民の生活全般にわたる諸問題に対応した政策をとる必要が出てきた。つまり、各

自治体は従来の「支援」という形の政策のみならず、外国人市民が地域社会や市

政に「参画」できるような多文化共生政策を行うことが重要となってきた。

そして2000年代になると、外国人市民が多住する地域の自治体により「外国人

集住都市会議」が2001年10月に開かれたように、外国人住民が多住している地方

自治体同士の連携がみられ始め、国・県・また関係機関への提言を行うように

なった。外国人集住都市会議で発表された「浜松宣言」の中では、外国人の定住

化を前提とした政策立案が政府に対して求められた。一方で、財政難のために多

文化共生政策を削減する自治体も出てきているが、今後よりグローバル化が進ん

でいく日本では、自治体による多文化共生政策は、国などとの連携を強め、より

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発展していくと考えられる。

( 3) 日本の多文化共生のまとめ

以上、日本における多文化共生政策は、年代を追うごとに興隆しており、一般

人の間にも多文化共生という言葉はなじみ深いものになっている。実際、多くの

多文化共生政策の名称は多文化共生を冠にしている。例えば、総務省は「地域に

おける多文化共生プラン」を打ち出し、また外国人人口が比較的少ない愛媛県新

居浜市でも「多文化共生のまちづくり」フォーラムが行われるなど、国や地方自

治体の政策には多文化共生の言葉が浸透しており、その認知度は高まっていると

いえる。総じて、日本における多文化共生政策は、国が先導をきって行うという

よりは、地方自治体が各都市の特徴に応じて行っている場合が多い。移民に最も

身近な行政窓口である地方自治体が主体となり、移民の生活現場に沿った多文化

共生政策を行っていくのが望ましいといえるだろう。今後も日本において、国・

地方自治体・市民団体が連携した多文化共生政策が交流していくことが期待され

ている。

しかしながら、欧米諸国では逆の動きが出てきているという。つまり、欧米諸

国では移民問題が重大になっていることなどから、外国人市民を排除しようとす

る動きが出ており、多文化共生に反対の勢力が強まっているのだ。以下、第Ⅱ章

においてその移民排斥運動などによる反多文化共生の動きをみていく。

Ⅱ 多文化共生実現における障害

1 移民問題

多文化共生を阻害する要因は、行政側の政策実行の非効率性など、外形的問題

の他に、自国民と移民の間に生じる摩擦による移民問題という重要な要因が挙げ

られる。この移民問題の発生には様々な原因が考えられるが、「EUの移民問題

は、歴史的に見て、第二次世界大戦以降の経済復興の過程における、国内労働力

補てんのための積極的な移民受入れと、その後、石油危機等による景気後退に伴

う国内労働市場の悪化や文化摩擦などの移民の社会適応問題が顕在化したことな

どを理由に、各国が移民の受入れを制限する政策へシフトしたことに起因してい

る」(和喜多2009:24)。

特にその国内労働市場の悪化により、自国民の雇用を移民が奪っているという

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反発が起き、移民問題は暴動にまで至っている。「暴動のきっかけは多様だが、

その根底に高い失業率がある。高賃金の西欧では、急進する東南アジアや中国と

異なり、経済の成長は小さい。経済が陰ると、どの国でも熟練度の低い分野ほど

状況は悪化する。そこで、外国人とその国の人で仕事の奪い合いになる。外国人

労働者はむしろ元気のある若者が多く、熟練をもたない内国人は仕事を奪われや

すい。もちろん外国人も元気のある人ばかりではなく、そこでの失業率は異様に

高い。このふたつのグループの間で些細な争いなどから、何日もつづく放火など

の暴動がおこるのである」(小池2009)。また、移民が多く移住する地区では、治

安問題も摩擦の原因とされている。フランスでは、マスコミによって移民集住地

区は「荒れる郊外」として取り上げられている。

一方で、このように排他的・差別的扱いを受けている移民側にも不満が溜まっ

ていることは確かである。不満が爆発した例として、2005年に起こったパリ郊外

暴動事件が挙げられる。「2005年10月27日夜、パリ北東郊外のクリシー・ス・ボ

ワ市でラマダンを終え帰宅途中であった三人の北アフリカ系の若者が強盗事件を

捜査していた警察に職務質問を受け、変電所へ逃げ込み二人が感電死、残り一人

も重傷を負うという事件が起こった。死んだ二人は十五歳と十七歳であり、彼ら

は職務質問に恐怖を感じ変電所に逃げ込んだのである。この事件を受け、『警察

が追い込んだ』として移民の若者たちが警察隊への暴動を起こし、暴動の地域は

フランスの主な都市に次々と拡がっていった。こうした事件拡大の裏には、ニコ

ラ・サルコジが打ち出した治安対策、移民取締強化策といった抑圧的政策、さら

にサルコジの『社会のくずを掃除する』発言などがある。この暴動の発端となっ

た事件が起こったクリシー・ス・ボワ市などの郊外部は移民の住む団地が多くス

ラム化しており、失業、差別、貧困などの問題がある。ここで問題なのは犠牲者

となった若者たちは正確に言うと移民ではなく移民の二世であり、『フランス人』

といえるはず。しかしそのようなフランス生まれの人々でも社会的区別や差別に

あい、貧困と無職の中で暮らさなければならないということがフランスで起きて

いる」(阪口)。この事件は、諸説あるものの、移民に対する差別的扱いを警察が

行ったことに対する不満が移民間で爆発し起こった典型的な事件とされる。「サ

ルコジは、公害の移民の親がポリガミー(一夫多妻)で子供の数が多く面倒を見

切れず、教育がなおざりにされるがゆえ、暴動に参加するような子供になったな

どと述べ、年暴動を移民問題として位置づけた。更に対策として、移民の取り締

まり強化に乗り出した」(渡戸、鈴木、A.P.F.S 2007:68)。

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このように、移民の割合が多い欧州では移民問題が深刻化しており、自国民と

移民との間の摩擦は募っている。次に、実際に起こった反多文化共生運動につい

てみていく。

2 欧州の反多文化共生運動

近年、欧州を中心に右翼・極右の台頭が目立ち、反多文化共生の動きが高まっ

ているという。その動きが顕著に表れたのが2011年 7月22日に起こったノル

ウェー連続テロ事件である。この事件とは、極右思想を持つキリスト教原理主義

者と報道されるアンネシュ・ブレイビクが、オスロの首相官邸前で爆弾を爆発さ

せ 8人を殺害し、その後、ウトヤ島で行われていた与党労働党青年部の集会で銃

を乱射し、69人を殺害したという悲惨なテロである。このテロはノルウェーの、

そしてヨーロッパのイスラム化を阻止するために必要なものであったとブレイビ

ク被告は話し、移民を受け入れ多文化共生を進める労働党こそがノルウェーのイ

スラム化の元凶だと話している。この事件は、ノルウェーという欧州の中でも親

移民政策を行う中道左派政権のもと、社会保障も充実して移民に対するネガティ

ブな感情も少ない国で起こったために世界を驚かせた。しかし、親移民的と考え

られていたノルウェーにも以前から反多文化共生的思想は根付いていた。「野党

である進歩党は、2005年の国政選挙で『犯人は外国人!』という衝撃的なキャッ

チコピーとともに、移民が銃を向けている写真をパンフレットに掲載し、物議を

かもした。進歩党は右派・リバタリアン政党で、市場原理主義、反移民政策を掲

げている」(御供2011)。

このような事件を受け、欧州の首脳は多文化主義の困難を語った。ドイツのメ

ルケル首相は、与党キリスト教民主同盟(CDU)の青年部会議で、ドイツの多文

化主義は完全に失敗したと述べ、また2012年にはニコラ・サルコジ元大統領が、

移民をフランス文化や社会に統合しようとする国の試みは機能しなくなっている

と宣言し、フランスには移民が多すぎると語った。このように、欧州情勢は反多

文化共生の動きが興隆しており、実際の政治的傾向にもそれが表れている。ドイ

ツでは、邦憲法擁護庁の年次報告書(2006)によると、2005年、極右集団による

犯罪事件は前年より27%増加し、外国人襲撃事件は958件(前年比23%増)である

という。また、フランスの右派政党で有名なフランス国民戦線は、2005年のパリ

郊外暴動事件以後支持率を急上昇させている。デンマークでは、極端な主張をし

ているピア・クラスゴー率いるデンマーク国民党が2007年11月の総選挙で過去最

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高の25議席を獲得し、2009年 6月の欧州連合議会選挙では議席を倍増させるとと

もに、デンマークの政党の中で得票率を最も伸ばしている。その他の欧州諸国で

もこのような傾向は顕著に現れている。このように、EUに批判的な勢力が台頭

する欧州政治潮流がより鮮明になってきている。

以上、欧州の世界情勢をみてきたが、2012年11月現在までに日本で大きな反多

文化共生運動や、反移民政策方針への転換はみられていない。しかし、移民問題

が興隆する危険性のある日本において、今までのように声高に多文化共生を掲げ

ることができなくなる可能性があることを念頭に置くことが重要であると考える。

Ⅲ 多文化共生に代わるインターカルチュラル・シティ

1 インターカルチュラル・シティの概要

近年、欧州を中心に多文化共生に対して逆風が吹いていることは前章で確認し

た。移民や多文化共生に対してマイナスのイメージが広まりつつあるが、多文化

共生の目的である移民と国民の共生は、グローバリゼーションの中で必須の課題

である。「現在、移民の多くは、ホテルなどのサービス業や建設業などにおいて、

労働力として大きな役割を果たしている。このような現実的な労働市場の需要に

加え、将来的に労働力人口が減少する中で、経済移民は現在及び将来の労働市場

の必要を満たし、経済の持続可能性と成長を確実にするために不可欠なものと認

識されるようになった」(和喜多2009:25)。少子高齢化という労働人口力が減少

している先進諸国は、その労働力を移民の力に頼らざるを得ない状況がすでに起

きており、今後もそれは変わる気配はないのである。

そこで、従来の多文化共生にまつわる様々なマイナス的状況を打破し、新たな

「多文化共生」への道筋が必要となってくる。ここで注目すべきがフィル・ウッ

ド氏が提唱している「インターカルチュラル・シティ」という新たな概念である。

「西欧では、2000年代以降、移民が関わる大きな事件が起こり、それまでの移

民政策を見直す機運が高まり、各国の選挙の大きな争点となっている。特に、集

住する移民の分離をもたらし、社会統合を阻んでいるとして多文化主義政策への

批判が高まる中で、多様性を尊重する新たなアプローチとして、異なる文化的背

景を有するグループ間の交流を重視する『インターカルチュラル・シティ・プロ

グラム』への関心が高まっているといえよう」(山脇2012:43)。

では、この新たなインターカルチュラル政策は、従来の多文化共生政策と何が

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異なるのであろうか。

従来の多文化共生政策は、「移住者や少数者は永住者として受け入れられる。

受入れコミュニティの文化規範との違いを有する権利は法や制度によって保障さ

れる一方、共通の立場や相互理解、共感を生み出す政策、制度や活動が高く評価

される」(国際交流基金 HP)ものであるとされる一方、インターカルチュラル政

策は、「移住者(migrant)や少数者(minority)によってもたらされる文化的多様

性を、脅威ではなくむしろ好機ととらえ、都市の活力や革新、創造、成長の源泉

とする新しい都市政策」(山脇2012:42)というものである。国際交流基金による

と、そのインターカルチュラル政策が推進されている社会であるインターカル

チュラル・シティには、異なる国籍・出身・言語・信仰・信条の人々が暮らして

おり、政治指導者とその大半の市民は、多様性を肯定的に資源と捉えるものであ

るとされる。そしてインターカルチュラル・シティにおいては積極的に差別と戦

い、その統治機構、制度、サービスを様々な住民のニーズに適合させ、多様性や

文化的衝突を取り扱う戦略と手段を有するとされる。つまり、インターカルチュ

ラル・シティは、公的空間における多様なグループ間の一層の混交と相互作用を

奨励する性質を持つとされる。

要するに、インターカルチュラル政策は、移民やマイノリティによってもたら

される文化的多様性を保護し奨励しようとするだけではなく、それを積極的に利

用しようとするものである。それによって都市の活力や革新、創造、成長の源泉

とする新しい都市政策を行うことが可能になるとし、そこに反移民運動などのマ

イナスイメージは付与されていないのである。

そこで、このインターカルチュラル政策の理解を深めるため、過去30年の欧州

都市による様々な移民受け入れ政策を分類したものをみていく。明治大学国際日

本学部教授山脇啓造によると、それは大別して 5つに分類できる。

①無政策

 移住者や少数者は、都市にとって無関係または一時的な現象で、歓迎され

ない存在とみなされ、対応する必要性が認識されない。

②ゲストワーカー政策

 移住者は一時的な労働力であり、いずれは出身国に戻る存在とみなされる。

従って短期的で、移住者の市民への影響を最小限にするような対策が取られ

る。

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③同化政策

 移住者や少数者は永住者として受け入れられるが、できるだけ早く同化す

ることが想定される。受入れコミュニティの文化規範との違いは奨励されず、

その国の一体性に対する脅威とみなされる場合には抑圧される。

④多文化政策

 移住者や少数者は永住者として受け入れられる。受入れコミュニティの文

化規範との違いは、法や制度によって奨励、保護され、反人種主義活動に

よって支援される。ただし、場合によっては分離や隔離が助長されるリスク

を負う。

⑤多文化共生政策

 移住者や少数者は永住者として受け入れられる。受入れコミュニティの文

化規範との違いを有する権利は法や制度によって保障される一方、共通の立

場や相互理解、共感を生み出す政策、制度や活動が高く評価される。

歴史的には、国際交流基金(2010、報告書)によると、欧州では1960年代から

1980年代にかけて外国人労働者を奨励する共通の政策が取られていた。そうして

移民が増加したが、まだその都市との関係は限られたものだったという。当時移

民は文化的には受け入れられず、市民権も与えられていなかった。つまり、経済

的なつながりという希薄な関係にとどめられていたとされ、これは前述の①の無

政策に該当する。

しかし、他のヨーロッパの国で取られた手法には違うものもあった。その国で

は移民にも市民権は与えられたものの、受け入れ社会の多数派市民との違いが出

る要素は捨てるというのが条件であり、これが③の同化政策である。

そして⑤の多文化共生政策とは、多文化主義による都市政策で、移民を積極的

に受け入れて定住させ、市民権を与え、その多様な文化を守るよう励ますものと

される。その結果、礼拝所や学校・教育施設が別個に作られ、隣り合って異なる

ライフスタイルがみられる都市がいくつも出てきた。「近年この政策は、オラン

ダや英国で激しい批判の対象になっていて、コミュニティ間の相互理解が得られ

なかったと非難する声」(国際交流基金、2010、報告書)もある。

インターカルチュラル政策は⑤多文化共生政策と非常に近いが、インターカル

チュラル政策ではより移民やマイノリティが持つ能力を積極的に活用していこう

とする意味合いが強い。

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なお、このインターカルチュラル・シティは欧州評議会が欧州委員会とともに

進めていこうとしているものであることに注目する必要がある。第Ⅰ章でも述べ

たように、多文化共生政策は主に地方自治体・市民団体という移民の生活に密着

した母体により積極的に行われていたものであるが、インターカルチュラル政策

はEUという大きな母体により推進されている。そのわけは以下の通りである。

「移民政策は、国家の構成員をどのようにとらえ、管理するかという国家主権と

密接にかかわる問題であったため、長く加盟国の専権事項とされてきた。しかし、

欧州統合が進む中で、特に域内での人の自由な移動を保障する政策が進められた

ことにより、移民政策は単なる一加盟国の問題にとどまらず、共同体全体の問題

へと変わっていった。この統合の深化こそ、EUにおいて共通移民政策が必要と

なった大きな要因の一つと言える」(和喜多2009:25)。

次に、具体的に欧州で行われているインターカルチュラル政策の取り組みとし

て、「インターカルチュラル・シティ・プログラム」をみる。

2 インターカルチュラル・シティ・プログラム

インターカルチュラル・シティ・プログラムとは、「欧州評議会が欧州委員会

とともに進めているプログラムで、現在、その趣旨に賛同する欧州21都市が参加

している。インターカルチュラル・シティ・プログラムは、2008年の欧州文化間

対話年(European Year of Intercultural Dialogue)や同年の欧州評議会よる文化間対

話白書(White Paper on Intercultural Dialogue)の刊行を契機に始まった」(山脇

2012:43)。

現在、インターカルチュラル・シティ・プログラムに参加しているのは、以下

の21都市である。

ベルリン市ノイケルン区(ドイツ)、イジエフスク市(ロシア連邦)、ルブリン市

(ポーランド)、リヨン市(フランス)、メリトポリ市(ウクライナ)、ヌーシャテル

州(スイス)、オスロ市(ノルウェー)、パトラ市(ギリシャ)、レッジョ・エミリ

ア市(イタリア)、サボティカ市(セルビア)、ティルブルフ市(オランダ)、コペ

ンハーゲン市(デンマーク)、リスボン市(ポルトガル)、ロンドン・ルイシャム区

(英国)、ダブリン市(アイルランド)、サン・セバスチャン市(スペイン)、ジュネー

ブ市(スイス)、リマソール市(キプロス)、ボットシルカ市(スウェーデン)、ペー

チ市(ハンガリー)、アムステルダム市南東区(オランダ)

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235

「上記の都市は正会員都市であるが、このほかに26都市が準会員都市とし

て参加している。この中には欧州域外の 2都市(メキシコシティとモントリ

オール)も含まれている。インターカルチュラル・シティ・プログラムによ

る具体的活動としては、専門家による会員都市の政策評価、会員都市相互の

視察、関連テーマに関する会議の開催などがある。また、各都市の政策を評

価し、比較する手段として、インターカルチュラル・シティ指標が開発され

ている」(山脇2012:43)。

個別のインターカルチュラル・シティの具体的な政策をみるため、ロンドンの

ルイシャム区の政策をみる。ルイシャム区は、ロンドン市を構成する33の基礎自

治体の一つであり、民族的少数者が多く、外国生まれの住民の割合が23%、その

子供も含めると人口の32%、自らを民族的少数者と認識している住民の割合は

40%に上っている。「このような背景を持つルイシャム区は、異なる文化の違い

を奨励・保護する街(マルチカルチュラル・シティ)を目指すだけではなく、とも

に暮らす者としての共通の思いを育み、住民が結束した街(インターカルチュラ

ル・シティ)となることが重要だと捉えている」(自治体国際化協会2012:2)。以下

に、ルイシャム区の特徴的な二つの取り組みを紹介する。

( 1) ルイシャム区の取り組み①―地区住民集会―

まず一つ目は、地区住民集会が開かれるようになったことが挙げられる。「発

足から 4年目を迎える地区住民集会は、区内の18の区議会議員選挙区ごとに組織

され、地区選出区議の 1人が議長を務める。活動費として地区ごとに年約250万

円が区から助成され、年 3、 4回の総会を開き、事業計画の策定や事業報告を

行っている。(略)2011年に実施された事業を分類すると、若者支援、環境問題、

犯罪・反社会的行動の防止、交通改善の順に多い。具体的には英語学習支援、コ

ミュニティーガーデン、地域清掃、タイムクレジット(働いた時間に応じて別の

サービス提供を受けられる一種の地域通貨)導入など、地域ごとに多様性がある。

(略)地区住民集会で解決できない問題は、区長や議会に問題を提起することも

できる。道路の安全性向上、市街地の騒音改善、歩行者専用道路計画等、年 1、

2件が提起されている」(自治体国際化協会2012:3)。これらの地区住民集会の開

催を通して、住民の意識に大きな変化があったとされている。「地区住民集会出

席者への調査の結果、54%が地域の決定に影響を持てたと感じており、80%が地

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236 政治学研究49号(2013)

域の課題について勉強できたと感じている。72%は異なる背景を持つ人々が集う

ことができたと感じており、61%がこれまでよりもよりよい関係が築けたと考え

ている。(略)また、費用対効果も高く評価されている。2008~2010年に、 2つ

の地区住民集会の事業について費用対効果を測定したところ、一つの事業は 1ポ

ンドの投資が10.20ポンドの社会的価値を生み、もう一つの事業でも3.4ポンドの

価値を生んでいるとされた」(自治体国際化協会2012:3)。この地区住民集会によ

り、多民族の住民からの意見が反映された事業が行えるようになったことは、イ

ンターカルチュラル・シティ形成の第一歩といえるだろう。

( 2) ルイシャム区の取り組み②―ヤング・メイヤー―

二つ目に、少年区長(ヤング・メイヤー)事業が挙げられる。「このヤング・メ

イヤー事業は、区長の提案により、若い世代の声を政策に反映させ、施策を効率

的に実現することを目的に2004年から実施されている。その効果は高く評価され、

政府のレポートにも引用され、イギリスの他の自治体にも広まりつつある。ヤン

グ・メイヤーの任期は 1年。その選挙は普通選挙と同様に区の選挙管理委員会が

運営し、投票箱も投票ブースも通常の選挙と同じ物が用いられる。ルイシャム区

内の11~18歳の若者が選挙権者、13~17歳の若者が被選挙権者である。最多得票

者がヤング・メイヤーに、次席が副ヤング・メイヤーに就任し、年間約400万円

の予算が与えられる。2011年度のメイヤー、副メイヤーはいずれも就任当時15歳

であった。区役所にはヤング・メイヤー事務所があり、区職員 2人が専任秘書と

なる。人件費と選挙費用で約2500万円の予算措置がなされている。内閣的な組織

として25人の『ヤングアドバイザーズグループ』がある。また、Facebookや

Twitterなどのソーシャルメディア上に『ヤングシチズンパネル』という場があ

り、700人以上の若者が、ヤング・メイヤーの活動について、活発に意見交換を

している。ヤング・メイヤーはこれらの組織を通して、若者の意見を集約し、ど

うすれば彼らの思いを実現できるかを考える。これまで、音楽やスポーツイベン

ト、世代間交流イベント、若者のイメージ改善、学習支援、就職・起業の支援、

ボランティアや地域活動への参加の呼びかけ等の事業が実施されてきた。その他、

区が実施する若者向けサービスについての改善提案や、新たな施策の提案もヤン

グ・メイヤーの役割である。ヤング・メイヤーは区の青少年部局からは切り離さ

れ、区長部局に所属している。ルイシャム区では区長が強力なリーダーシップを

発揮し、ヤング・メイヤーと意見を交わし、その声を政策に反映させる体制を整

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えている。このように、若者が自分たちの思いが政策に反映されていると実感で

きることが、事業の成功の秘訣とのことである」(自治体国際化協会2012:4)。ヤ

ング・メイヤーの取り組みは、多文化共生の観点からは少し離れるが、新たな意

見を取り入れる風潮を活発化させる点で、多文化的視点を深めることに役立つだ

ろう。

以上、ロンドン市ルイシャルム区の取り組みをみてきた。近年、イギリスの地

方自治体財政事情は、国からの一般補助金が2010年からの 4年間で26%削減され

るなど、非常に厳しい状態になっている。「そのような状況の中、低コストで質

の高いサービスを提供するためには、民族・世代、少数者・移民を問わず、すべ

ての住民を政策決定過程に巻き込み、コミュニティの結束をはかるとともに、そ

れぞれが課題解決の主体になれる仕組みを作ることが不可欠だというのがルイ

シャム区の考えである。区では、予算編成の際には、全ての施策ごとにコミュニ

ティの結束に繫がるか、格差を生むかというチェックを行っているとのことで

あった。一貫してコミュニティ強化に取り組んできた成果は、地域の安全・安心

という形でも成果を出しつつある。2008年度に466件発生していた人種差別に基

づく犯罪は、2011年には231件に減少したとのことであった」(自治体国際化協会

2012:5)。

Ⅳ 日本におけるインターカルチュラル政策

第Ⅲ章で見てきたように欧州で実験的に始まっているインターカルチュラル政

策であるが、日本ではどのような取り組みがなされているのであろうか。

日本においては、「国際交流基金によって、2009年から日本の専門家の欧州へ

の派遣や欧州のプログラム関係者の日本招聘などが行われてきた」(山脇2012:

43)。このシンポジウムにおいては、「ホン・メヴィス氏が、日本の外国人住民も

今後増加する可能性が高く、既に割合として多くの外国人住民を有する欧州のこ

れまでの経験や失敗から学べることは多い、と述べ」(国際交流基金 HP)、また都

市政策専門家である「フィル・ウッド氏よりも視察旅行を通じての感想として、

多文化共生のダイナミクスはインターカルチュラル・シティと相通じる、その一

方で日本にいる外国人に対してよりチャンスを与えることがこれからの日本に必

要だとの指摘があり(略)、坂井嘉已氏(美濃加茂市市民協働部生涯学習課課長兼中

央公民館長)より外国人集住都市会議の紹介や都市における“顔の見える関係”

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の重要性について、また吉富志津代氏(NPO法人たかとりコミュニティーセンター

常務理事)より多様な市民の活動のベースとなるコミュニティビジネスの重要性

について、コメントがあり(略)、第一に外国人市民の存在を好機とする具体策、

第二に外国人住民だけでなく受け入れる側の社会全体の変化が必要である点、第

三に人権の擁護という三点について、会場からの質問も交えて議論が交わさ」(国

際交流基金、2010-6)れることになった。

山脇(2012:43)によると、「2010年10月には、会員都市であるヌーシャテル州

(スイス)とレッジョ・エミリア市(イタリア)の視察に、日本の自治体関係者が

派遣され、その報告会が2011年 1月に東京で開催された。また、2011年 8月には、

欧州評議会のプログラム担当者を招いて、東京とソウルでインターカルチュラ

ル・シティをテーマにした会議が開かれている。日本では外国人住民の多い自治

体を中心に『多文化共生』の取り組みが進められ、韓国では国の強力な指導のも

と自治体による『多文化政策』が進められてきた。欧州と日本そして韓国の自治

体が互いの経験や知見を共有することには大きな意義があるように思われ」たよ

うである。

また、2012年 1月には、東京で欧州、韓国そして日本から計 9都市の首長が集

まる「多文化共生都市サミット」が開催され、日本からは浜松市、東京都大田区

および新宿区の 3首長が参加した。「このように多文化共生をテーマに欧州とア

ジアの自治体首長が一堂に会するのは初めてのことであり、画期的な会議といえ

る」(山脇2012:43)。この会議により、「多文化共生都市の連携を目指す東京宣言」

が採択された。その文言は、「『日韓欧多文化共生都市サミット』に集まった私た

ちは、お互いの知見と経験を共有し、現在そして将来の都市が直面する主要な課

題にいかに取り組むかを探るために真摯に話し合い、日本、韓国の諸都市の多文

化共生の取り組みとその成果、そして欧州評議会・欧州委員会のインターカル

チュラル・シティ・プログラムに参加する欧州都市の戦略について討議した。グ

ローバリゼーションの時代にあって、経済および社会が大きく変貌していく中で、

アジアや欧州そして世界の多くの都市にとって、新たな多文化共生の理念と実践

が今後重要性を増すとの共通の認識を得た。私たちは、文化的多様性を都市の活

力、革新、創造、成長の源泉とする新しい都市理念を構築し、多文化共生都市が

連携し、互いの成果から学び、共通の課題を解決することを目指す。そして、異

なった文化的背景を持つ住民が共に生き、繁栄し、調和した未来の都市を築いて

いく」(国際交流基金 HP、「東京宣言」)というものであった。

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また、2012年には青山学院大学国際交流共同研究センターによりフィル・ウッ

ド氏の講演会が行われた。そこで「ウッド氏は、多様性を脅威としてではなく

チャンスとして捉えるような意識改革の重要性を強調するとともに、ヨーロッパ

でこれまで取られてきた移民のための都市政策、具体的にはイギリスの『ゲスト

ワーカー政策』、フランスの『同化都市政策』、北欧諸国の『多文化都市(マルチ

カルチュラル・シティ)政策』などを批判的に取り上げた。そのような移民を含

む多様な人々の交流を阻害する政策を取るのではなく、都市は『インターカル

チュラル・シティ』のアプローチを取るべきで、多様な人々が交流するための目

的や誘因を与え、また交流の場所、制度、支援者、手段も提供する必要がある。

つまり、都市は静的な機械ではなく、動的なエコシステムとしてみなされるべき

で、多様な人々の交流の優位性を達成するためには、対立を抑制するのではなく

明らかにしてマネージすることが望ましい」(日本ケベック学会資料集)という議

論がなされた。また、ウッド氏は「日本のインターカルチャリズムについての印

象として、多くの日本の都市において外国人を含む多様な人々を受け入れること

を阻む障害や恐怖感があることを指摘した。しかしその一方でウッド氏は、日本

では多様性から生じる対立をうまく処理し、逆に多様な交流の優位性を生み出す

能力をもつ都市の行政担当者や地域のリーダーたちが多くいるようであると述べ、

外国人を含むすべての住民の子供たちに公的な教育を保証する宣言を行った浜松

市の例を取り上げた。(略)ウッド氏が示したインターカルチャリズムに対する

常にポジティブで楽観的な見方は、非常に印象的で説得力のあるものであった。

それはグローバル化した世界における都市生活の将来についての希望を参加者に

与えたといえよう」(日本ケベック学会資料集)。

Ⅴ 日本へのインターカルチュラル政策導入の妥当性

以上のように、日本におけるインターカルチュラル政策はまだ発展的段階には

ない。実験的にインターカルチュラル政策を行っている段階ではなく、欧州との

交換視察や講演会などの段階にとどまっている状況である。しかし、現在日本で

は多くの自治体により多文化共生政策が取り組まれており、その政策はインター

カルチュラル政策に近いものも存在する。例えば、神奈川県川崎市が行っている

外国人市民代表者会議は非常にインターカルチュラル政策に通ずるものがある。

この外国人市民代表者会議とは、外国人市民の地方参政権の獲得がなかなか進ま

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240 政治学研究49号(2013)

ない中、少しでも外国人市民が市政参加できるようにと実現されたものである。

1996年に代表者会議設置条例が成立し、同年末に第一回川崎市外国人市民代表者

会議が開かれた。この代表者会議においては、在日韓国・朝鮮人のみならず、

ニューカマーも議席を持つこととし、外国人市民のうちでも少数派の外国人市民

にとってもなるべく公平な議席配分がなされている。代表者会議で出された要望

や提言は、市長・市議会に報告されるよう制度化されており、外国人市民の意見

が市政に反映されるよう取りはかられている。このように、外国人市民代表者会

議は、その趣旨が移民やマイノリティからもたらされた多様性を都市政策に積極

的に利用しようとするものである点において、インターカルチュラル政策である

といっても過言ではない。つまり、日本の地方自治体における様々な多文化共生

政策の中にはすでにインターカルチュラル政策の概念を含むものがあるのであり、

それが多文化共生政策という名称のもとで執行されているということは、日本に

おいては多文化共生政策とインターカルチュラル政策の区別がつきにくい状況と

なっているといえよう。

また、日本の多文化共生政策はいずれも失敗に終わっているわけではなく、日

本では欧州のように反多文化共生の動きが出ているわけではない。そのため、欧

州のように多文化共生にマイナスのイメージが付与されているわけではなく、イ

ンターカルチュラル・シティという新たな用語によって反多文化共生の流れを刷

新させる必要もない。さらに、インターカルチュラルという語が強調され、欧州

のように多文化共生が失敗したために多文化共生政策からインターカルチュラル

政策へと転換するという流れも問題である。移民問題という障害が根本から解決

されない以上は、インターカルチュラル政策にも多文化共生政策と同様の困難性

が生じるだろう。

そういった状況を鑑みると、新たな「インターカルチュラル政策」という言葉

は住民を混乱に陥らせる恐れがあるのではないだろうか。概念的に多文化共生政

策とインターカルチュラル政策には違いがあるものの、住民にはそれが分かりづ

らいだろう。これまで多文化共生社会の実現を謳い、様々な多文化共生政策を

行ってきた地方自治体であるが、その政策の名称をインターカルチュラル政策へ

と転換し、住民に説明し理解を促すことはコストばかりがかかり、あまり生産的

ではない。

そこで、日本においては、多文化共生政策という用語はそのまま活用し、そこ

にインターカルチュラル政策の概念を従来の政策に導入していくことによってい

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241

くのが妥当であると考える。従来の多文化共生政策に、移民の意見を政策決定・

運営に反映させるようなインターカルチュラル的要素を付与することによって、

さらに豊かな多文化共生政策が発展しいていくことになるだろう。

現在の日本の国際競争力は非常に低下してきているといわれている中で、従来

のように移民を社会的弱者と認識し、支援していこうとする多文化共生政策のみ

では財政的・経済的に効率が悪い。また移民に対し魅力的な政策を行わないと、

他のアジア諸国の経済都市が急速な成長を遂げている今、ますます移民による労

働力は諸外国に流れていってしまう。今後、少子高齢化社会の中で、外国人労働

力を活用し、外国人にとっても住みよい社会を実現するには、従来の多文化共生

政策のような言語支援や福祉支援だけではなく、インターカルチュラル要素を取

り入れた発展的多文化共生を取ることにより、移民と日本国民が共に豊かな社会

を営んでいく必要がある。そうして日本においてもさらなる多文化共生が進展し

ていくことを私は期待する。

おわりに

今回の論文では、多文化共生の歴史的流れに触れたのち、その流れが逆行して

いる状況を考察した。そして反多文化共生の流れから、近年、外国人住民をはじ

めとする住民の多様性を、脅威や解決すべき課題ではなく寧ろ好機と捉え、街の

活力、革新、創造(クリエイティビティ)、成長の源泉とする新しい都市政策として、

「インターカルチュラル・シティ」という考え方が注目を浴びていることに着目

し、その概要をみてきた。その「インターカルチュラル・シティ」は、欧州では

欧州評議会を中心に進められており、欧州間で多くの議論がなされていた。一方、

日本では、「インターカルチュラル・シティ」という概念は広まっていないよう

に感じる。しかし、日本の地方自治体は地域社会において「多文化共生」という

考えのもと、多くの多文化共生政策が進められていることは第Ⅰ章でも述べた通

りである。そしてその中には、外国人住民の地域社会への参画を促し、その地域

への貢献を期待するといった、「インターカルチュラル・シティ」に近いものも

みられていた。そんな中、国際交流基金と欧州評議会が連携し、日本と欧州間で

「インターカルチュラル・シティ」に関するシンポジウムなどが開かれ、今後日

本でも「インターカルチュラル・シティ」という言葉が拡がる可能性が垣間見え

たが、それは学術的な問題であり、実際の行政政策としてインターカルチュラル

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242 政治学研究49号(2013)

政策を推進していくのは難しいと考える。EUや日本国政府など、母体が大きい

ものがインターカルチュラル政策を推進する可能性は考えられるが、移民問題な

ど、実際に移民の影響やその存在を感じるのは地方自治体レベルの地域社会であ

る。日本国内でも数多くある地方自治体が、多文化共生政策とインターカルチュ

ラル政策を区別し、それを住民にまで理解を求めるのは困難が伴うだろう。

しかしながら、インターカルチュラル政策が、移民からの多様性を受け入れ、

今後そのメリットを吸収できる体制づくりを目的としていることからは学ぶこと

も多い。従来の多文化共生政策は行政側から移民に対する支援を行うという面が

あった。しかし、インターカルチュラル政策のように移民の意見を政策決定・運

営に反映することで、より豊かな行政活動ができることは確かである。今後、よ

り多文化共生社会を発展させていくためにも、常に原状の多文化共生政策を見つ

めなおし、新たな概念を付与していく必要があるのだろう。

今回の論文で、まだ新たなインターカルチュラル・シティという概念に触れ、

多文化共生への道のりをポジティブに捉えることも多文化共生を進めていく上で

は重要なのだと感じた。欧州に多文化共生への反発心が生まれている中、イン

ターカルチュラル・シティという新しいワードがブレイクスルーの役割を果たす

ことを期待する。

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