朝和地区 - nara「朝和」の由来 周辺広域案内 大和古墳群 大和神社...

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「朝和」の由来 「朝和」の由来 周辺広域案内 周辺広域案内 朝和の民話 朝和の民話 大和古墳群 大和古墳群 奈良県では、地域資源を再発見するため、マップづくりを行っ ています。平成27年度は次の地区で作成しました。 このマップは「朝和マップ推進委員会」と 「なら・まちづくりコンシェルジュ(事務局:奈良県地域デザイン推 進課)」が協働で作成しました。 ■平成28年(2016年)3月発行 ■問い合わせ先: 朝和マップ推進委員会 TEL 074 3 - 6 6 - 0001(朝和公民館) 奈良県地域デザイン推進課 T EL 07 4 2 - 2 7 - 5433 朝 和 (天理市) 朝 和 (天理市) 協働によるマップづくり ちゃんちゃん祭 ちゃんちゃん祭 紅しで踊り (天理市無形民俗文化財) 紅しで踊り (天理市無形民俗文化財) 新幹線 賢島 大阪 天王寺 京都 大和 西大寺 大和西大寺 王寺 新王寺 新王寺 奈良 天理 長柄 河内長野 吉野 五条 橿原神宮前 路線マップ 桜井 平端 平端 あべの橋 高田 高田 御所 御所 近鉄御所 近鉄御所 伊勢中川 伊勢中川 大和八木 大和八木 西田原本 西田原本 田原本 田原本 治21年に全国で市町村が整理され、この地域では15の村が一 つになって「朝和」村ができました。 朝和の「朝」は、昔、佐保庄町に朝日神社と朝日観音が祀られていて、 そのあたりを「アサヒ」と呼んでおり、さらに毎朝、龍王山から昇る朝日に 健やかな一日を願う気持ちから、朝日の「朝」をとりました。 朝和の「和」は、崇神天皇のころより国土の守り神が祀られている大和 神社からとりました。「和」には「すべての人が仲良く、和やかに」という思 いがあります。 現在、朝日神社は大和神社に移されていますが、朝日観音は今も佐保 庄町にお祀りされています。 堤神社に伝わる「日本武尊」の話です。 第十二代景行天皇の皇子である日本武尊が、天皇の命による 東征の帰り、伊吹山のあたりで病に倒れ、亡くなられたとき、突然、尊の体 から三羽の白い鳥が飛びたち、大和の国の長柄の里に降り立ちました。 村人は不思議なことに驚きましたが、たいそう喜び、その場所にお宮を 建てて、お祀りしました。 また、言い伝えによると、日本 武尊とともに東征したのが、長柄 の里の先祖であったとも言われ ています。日本武尊を祀る神社 は、奈良県では白堤神社ただ一 社です。 和青垣の山裾に広がる大和古墳群は、越川を北限、岸田川を南 限とする朝和地区にあり、中山・萱生支群からなります。 箸墓古墳に続いて築かれたとされる全長230mの西殿塚古墳をはじ め、平成26年に国の史跡に指定された中山大塚・下池山・ノムギ古墳な ど、古墳時代初期の24基からなる大古墳群です。 墳丘部で柿やみかんが栽培されたり、「ちゃんちゃん祭り」のお旅所で あったり、中には現在のお墓が祀られていたり、古墳とそこに暮らす人々 の生活が密接につながっているのも朝和ならではの光景です。 和で古くから「祭り始めは、ちゃんちゃん祭り、祭り納めは、おん 祭り」と謡われる大和神社の祭です。4月1日に朝和地区の9町 の氏子により、大和神社から大和稚宮神社のお旅所まで、「御渡り」と呼 ばれる行列が古式豊かに行われます。先頭が鉦鼓(鐘)を「ちゃん、ちゃ ん」と鳴らしながら練り歩く姿は、春の風物詩です。 照り続きに困った村の 男衆が、白いしでを持っ た雨乞いの踊りを神様に奉納し たところ、待望の雨に恵まれまし た。これがしで踊りの始まりとさ れています。 大正時代に一度途絶えてしま いましたが、昭和30年代に地元の有志や婦人会の方々が保存会を立ち 上げ、復活させました。今では「しで」を白色から鮮やかな「紅色」に変え、 太鼓・お囃子に合わせて振り上げる姿が大変美しい踊りです。毎年9月 23日に大和神社の境内で奉納されます。 大和神社 大和神社 和神社には、日本大国魂大神・八千戈大神・御年大神がご祭神と して祀られています。 かつて、日本大国魂大神と天照大神は宮中に一緒にお祀りされていま したが、神威をおそれた崇神天皇は、二人の皇女に託し宮中の外にお祀 りしました。この時、天照大神をお祀りしたのが伊勢神宮、日本大国魂大 神をお祀りしたのが大和神社の始まりです。 その後、祭祀を任されたのが海人族を祖とする大倭直であったため、 大国魂大神は航海の神としても力をお持ちになりました。このことから、 奈良時代には、海を渡る遣唐使たちが大和神社へ参詣し、航海安全を祈 願したそうです。 境内には山上憶良による遣唐使の航海安全祈願の万葉歌碑(好去好 来の歌)があります。 また、戦時中には、かの有名な戦艦大和にこの神社の分霊が祀られま した。 西殿塚古墳 西殿塚古墳 燈籠山古墳 燈籠山古墳 中山大塚古墳 中山大塚古墳 大和神社 柳本駅 長柄駅 長柄駅 天理駅 天理駅 市役所 石上神社 JR万葉まほろば線 JR万葉まほろば線 トレイルセンター 至 田原本 朝和地区 長岳寺 龍王山 169 山の辺の道 山の辺の道 木町に伝わる「鹿の足跡」の話です。 昔々「春日(神)」様が白い鹿に乗って伊勢参りをされた折り、乙 木で休憩をされました。春日様は鹿をねぎらい、木陰の冷たい石の上で 鹿を休ませたそうです。 昔、乙木には十三歳になると「十三詣り」と言って夜都伎神社にお参り をする風習がありました。ある日、「十三詣り」をしているとき、その石に 鹿の足跡がくっきりと浮かんでいるのを見つけた子がおりました。 その 子は幸せな一生を送ったことか ら、白い鹿の足跡は縁起がいい とされ、「十三詣り」をする子は 必ずその石に立ち寄るようにな りました。 その石は現在も夜都伎神社 から少し東にあります。 あさ  わ さ ほのしょう りゅうおう ざん じん まつ すこ あさ ひ あさ ひ まつ おお やまと やまと おお くにたまのおお かみ あまてらすおおみかみ しん す じん こう じょ さい けん とう やまのうえのおくら らい せん かん やま と ぶん れい まん よう こう きょ こう さん けい おおやまとのあたい たく まつ ち ほこのおお かみ み としのおお かみ はじ うじ お わた しょう こ ふう ぶつ し うた おさ あま はや かす が じゅうさん まい あおがき こしかわ きし だ ぐん はし はか ふんきゅうぶ みっせつ にし どの づか なか やまおお つか しも いけ やま おお やまと ふん ぐん 題字:橋本 順子 大和の祭り始め ちゃんちゃん祭の御渡り 婿殿使使※明治10年頃に唄われた柳本から奈良までの道中歌 ※道中歌の赤色の文字は朝和地区の地名です。 けい こう おう じ とう せ い い ぶきやま みや まつ とり やまと たけるのみこと

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Page 1: 朝和地区 - Nara「朝和」の由来 周辺広域案内 大和古墳群 大和神社 朝和の民話 奈良県では、地域資源を再発見するため、マップづくりを行っ

「朝和」の由来 周辺広域案内

大和古墳群

大和神社

「朝和」の由来 周辺広域案内周辺広域案内 朝和の民話朝和の民話

大和古墳群大和古墳群大和古墳群

■奈良県では、地域資源を再発見するため、マップづくりを行っ ています。平成27年度は次の地区で作成しました。

■このマップは「朝和マップ推進委員会」と 「なら・まちづくりコンシェルジュ(事務局:奈良県地域デザイン推 進課)」が協働で作成しました。■平成28年(2016年)3月発行■問い合わせ先: 朝和マップ推進委員会     TEL 0743-66-0001(朝和公民館) 奈良県地域デザイン推進課 TEL 0742-27-5433

朝 和(天理市)朝 和(天理市)

協働によるマップづくり

ちゃんちゃん祭ちゃんちゃん祭

紅しで踊り(天理市無形民俗文化財)紅しで踊り(天理市無形民俗文化財)

新幹線

伊勢市駅

賢島

大阪

天王寺

名古屋

名古屋

生駒

布施

鶴嘴

伊賀神戸

京都

大和西大寺大和西大寺

王寺

新王寺新王寺

奈良生駒

布施

鶴橋

天理長柄

古市

河内長野 吉野五条

伊賀上野

橿原神宮前

路線マップ

桜井

三ノ宮

平端平端あべの橋

高田高田

御所御所近鉄御所近鉄御所

尺土

なんば

なんば

伊勢中川伊勢中川大和八木大和八木西田原本西田原本 田原本田原本

明 治21年に全国で市町村が整理され、この地域では15の村が一つになって「朝和」村ができました。

 朝和の「朝」は、昔、佐保庄町に朝日神社と朝日観音が祀られていて、そのあたりを「アサヒ」と呼んでおり、さらに毎朝、龍王山から昇る朝日に健やかな一日を願う気持ちから、朝日の「朝」をとりました。  朝和の「和」は、崇神天皇のころより国土の守り神が祀られている大和神社からとりました。「和」には「すべての人が仲良く、和やかに」という思いがあります。  現在、朝日神社は大和神社に移されていますが、朝日観音は今も佐保庄町にお祀りされています。

白 堤神社に伝わる「日本武尊」の話です。  第十二代景行天皇の皇子である日本武尊が、天皇の命による

東征の帰り、伊吹山のあたりで病に倒れ、亡くなられたとき、突然、尊の体から三羽の白い鳥が飛びたち、大和の国の長柄の里に降り立ちました。  村人は不思議なことに驚きましたが、たいそう喜び、その場所にお宮を建てて、お祀りしました。  また、言い伝えによると、日本武尊とともに東征したのが、長柄の里の先祖であったとも言われています。日本武尊を祀る神社は、奈良県では白堤神社ただ一社です。

大 和青垣の山裾に広がる大和古墳群は、越川を北限、 岸田川を南限とする朝和地区にあり、中山・萱生支群からなります。

 箸墓古墳に続いて築かれたとされる全長230mの西殿塚古墳をはじめ、平成26年に国の史跡に指定された中山大塚・下池山・ノムギ古墳など、古墳時代初期の24基からなる大古墳群です。  墳丘部で柿やみかんが栽培されたり、「ちゃんちゃん祭り」のお旅所であったり、中には現在のお墓が祀られていたり、古墳とそこに暮らす人々の生活が密接につながっているのも朝和ならではの光景です。

大 和で古くから「祭り始めは、ちゃんちゃん祭り、祭り納めは、おん祭り」と謡われる大和神社の祭です。4月1日に朝和地区の9町

の氏子により、大和神社から大和稚宮神社のお旅所まで、「御渡り」と呼ばれる行列が古式豊かに行われます。先頭が鉦鼓(鐘)を「ちゃん、ちゃん」と鳴らしながら練り歩く姿は、春の風物詩です。

日 照り続きに困った村の男衆が、白いしでを持っ

た雨乞いの踊りを神様に奉納したところ、待望の雨に恵まれました。これがしで踊りの始まりとされています。  大正時代に一度途絶えてしま

いましたが、昭和30年代に地元の有志や婦人会の方々が保存会を立ち上げ、復活させました。今では「しで」を白色から鮮やかな「紅色」に変え、太鼓・お囃子に合わせて振り上げる姿が大変美しい踊りです。毎年9月23日に大和神社の境内で奉納されます。

大和神社大和神社大和神社

大 和神社には、日本大国魂大神・八千戈大神・御年大神がご祭神として祀られています。

 かつて、日本大国魂大神と天照大神は宮中に一緒にお祀りされていましたが、神威をおそれた崇神天皇は、二人の皇女に託し宮中の外にお祀りしました。この時、天照大神をお祀りしたのが伊勢神宮、日本大国魂大神をお祀りしたのが大和神社の始まりです。  その後、祭祀を任されたのが海人族を祖とする大倭直であったため、大国魂大神は航海の神としても力をお持ちになりました。このことから、奈良時代には、海を渡る遣唐使たちが大和神社へ参詣し、航海安全を祈願したそうです。  境内には山上憶良による遣唐使の航海安全祈願の万葉歌碑(好去好来の歌)があります。  また、戦時中には、かの有名な戦艦大和にこの神社の分霊が祀られました。

西殿塚古墳西殿塚古墳

燈籠山古墳燈籠山古墳

中山大塚古墳中山大塚古墳

周辺広域案内周辺広域案内周辺広域案内周辺広域案内

大和神社柳本駅

長柄駅長柄駅

天理駅天理駅

市役所

石上神社

JR万葉まほろば線

JR万葉まほろば線

トレイルセンター

三輪・桜井

奈良

至 田原本

朝和地区 長岳寺

龍王山

169

山の辺の道山の辺の道

乙 木町に伝わる「鹿の足跡」の話です。 昔 「々春日(神)」様が白い鹿に乗って伊勢参りをされた折り、乙

木で休憩をされました。春日様は鹿をねぎらい、木陰の冷たい石の上で鹿を休ませたそうです。  昔、乙木には十三歳になると「十三詣り」と言って夜都伎神社にお参りをする風習がありました。ある日、「十三詣り」をしているとき、その石に鹿の足跡がくっきりと浮かんでいるのを見つけた子がおりました。 その子は幸せな一生を送ったことか ら、白い鹿の足跡は縁起がいいとされ、「十三詣り」をする子は必ずその石に立ち寄るようになりました。 その石は現在も夜都伎神社から少し東にあります。

あさ  わ

さ ほのしょう

りゅうおうざん

す じん

まつ

すこ

あさ ひ あさ ひ まつ

おお やまと

やまと おお くにたまのおおかみ

あまてらすおおみかみ

しん い す じん こう じょ

さい し

けん とう し

やまのうえのおくら

らい

せん かん やま と ぶん れい

まん よう か ひ こう きょ こう

さんけい

あ ま おおやまとのあたい

たく

まつ

や ち ほこのおお かみ み としのおお かみ

はじ

うじ こ お わた

しょう こ

ふう ぶつ し

うた

おさ

あま ご

はや し

お と ぎ

かす が

じゅうさん まい や と ぎ

や と ぎ

あおがき こしかわ きし だ

し ぐん

はし はか

ふんきゅうぶ

みっせつ

にし どの づか

なかやまおお つか しも いけ やま

おお やまと こ ふん ぐん

題字:橋本 順子

大和の祭り始め ちゃんちゃん祭の御渡り

ぼっそり出たのが柳本 

    腰は細そり柳腰

市場で恋しや蓮の池

    蓮やれんげの花盛り

岸田の岸に腰かけて

    中山寺を右に見て

寺でなうても成願寺 

    通うて通はぬ萱生の村

萱生は良いとこ蜜柑どこ 

    尚も良いのは茶どこ娘どこ

娘やりたや婿欲しや 

    此所は大和の鳥居前

お手々を合せて拝むとこ 

    何んぼ心願こめたとて

妾しの殿御は馬口山 

    去年の新建売払うて

一枚二枚や三昧田 

    在所で長いは佐保之庄

朝日に輝くどじよう汁 

    此所は権現藤之棚

一寸一ぷく福智堂 

    八丁畷や五反田で

三丁下れば御霊の宮 

    五倆の小使い持ち乍ら

丹波市場で皆使うて

    それでも心は川原城

盆踊

(抜粋)

道中双六

道中双六

※明治10年頃に唄われた柳本から奈良までの道中歌

※道中歌の赤色の文字は朝和地区の地名です。

し ら

けい こう おう じ

とうせい い ぶきやま

みや

まつ

とり やまと たけるのみこと

Page 2: 朝和地区 - Nara「朝和」の由来 周辺広域案内 大和古墳群 大和神社 朝和の民話 奈良県では、地域資源を再発見するため、マップづくりを行っ

地図の上の1cmは約100mです。地図の上の1cmは約100mです。

0m 100m 200m0m 100m 200m

P

P

JR長柄駅

169

⑤上ツ道︵上街道︶

❾上ツ道︵上街道︶

1010

長柄新池公園長柄新池公園

岸田川岸田川

※詳細は表面 「大和神社」参照※詳細は表面 「大和神社」参照

※詳細は表面 「朝和の由来」参照※詳細は表面 「朝和の由来」参照

朝日観音堂

朝日観音堂

天理教教祖中山みき 誕生殿天理教教祖中山みき 誕生殿

↓至 柳本・桜井↓至 柳本・桜井

❾上ツ道︵上街道︶

❾上ツ道︵上街道︶

山の辺の道

山の辺の道

❹❹

❸❸

中山大塚古墳

燈籠山古墳

西殿塚古墳

下池山古墳

中山大塚古墳

燈籠山古墳

西殿塚古墳

下池山古墳

三間塚池三間塚池

二ノ瀬池二ノ瀬池

中池古池

中池古池

萱生環濠集落萱生環濠集落

越川越川

竹之内環濠集落竹之内環濠集落

十二神社十二神社

↑至 天理・奈良↑至 天理・奈良↑至 天理・奈良

↓至 柳本・桜井↓至 柳本・桜井

ちゃんちゃん祭お渡り道

ちゃんちゃん祭お渡り道

しも いけ やましも いけ やま

にし やま づかにし やま づか

西山塚古墳西山塚古墳

❺❺

●大和神社●大和神社

じゅう に じん じゃ

⑤二ノ瀬池からの眺望  奈良盆地全体が見渡せる朝和で一押の眺望スポットで、奈良県の 「ま

ほろば眺望スポット百選」にも選ばれています。

Pバス停

駐車場

トイレ

ビューポイント

②藤の棚 芭蕉  上街道沿いの福知堂に「藤の棚」と呼

ばれる場所があり、貞亨5年(1688)大和

を訪れた芭蕉が、この地の藤の花を見て

詠んだ句『くたびれて宿かるころや藤の

花』(笈の小文)の句碑があります。また、

幕末の天誅組5名が藤堂藩の家来と出

会い、捕えられた地でもあります。

③夜都伎神社  かつて乙木村には夜都伎神社と春日

神社の二社が並立されていました。江戸

時代に夜都伎神社(現竹之内の十二神社)

と竹之内領の三間塚池とを交換し、春日

神社の社名を夜都伎神社に変えました。

祭神は春日の四神で、拝殿は珍しい萱葺

きの神社建築です。

⑥刀根早生柿発祥の地 刀根早生柿は、渋抜きするとまったり

としたなめらかな味わいで好まれてい

ます。この柿は、刀根淑民氏の平核無柿園

から枝変わりの早生種として発見され、

広く各地で栽培されています。平成11年

には、刀根早生柿発祥の地として顕彰碑

が建設されました。

⑦腰痛治しの地蔵さん(舟渡地蔵) 昔、萱生と竹之内の両村では、毎年「池掘り」をして

おりました。

 あるとき池からお地蔵さんが出てきたので、「念仏

寺の無縁墓にお祀りしよう」ということになりまし

た。力持ちの若者たちが、地蔵さんを運ぶ途中に一休

みした後、持ちあげようとしましたが動かすことが

できず、若者たちは腰を痛めてしまいました。

一同は「お地蔵さんの怒りに違いない」とここにお祀

りをしたところ、不思議なことに腰痛は治りました。

 以来「腰痛治しの地蔵さん」と信仰されています。

⑨上ツ道(上街道)  上ツ道は、奈良盆地を南北に縦断する古代

の官道のひとつで、西から下ツ道、中ツ道、上

ツ道が等間隔に整備され、現在も部分的に道

として残っています。この上ツ道は、近世にお

いては上街道と呼ばれました。

 この絵図は、江戸時代の旅行ガイドブック

である「大和名所図会」に掲載された大和神社

の当時の様子であり、鳥居の前の道が上ツ道

で、街道を行き交う人々の姿がうかがえます。

⑩白堤神社  白堤神社のご祭神は日本武尊で白鳥

明神とも呼ばれます。

 以前は現在地の南約200mの南池(白

鳥池)の西堤上にありましたが、昭和19

年大和海軍航空隊飛行場建設のために

移転を余儀なくされ、昭和21年に現在地

に社殿を新築して遷されました。元の社

地には石碑が建立されています。

①中村直三碑(1819年~ 1882年)

 中村 直三は、朝和村永原出身の農業指導者で、群馬県の船津

伝次平、香川県の奈良専二と並び「明治の三老農」の一人。稲の

品種改良や綿の改良に努め、農業の発展に活躍されました。大

正4年従五位を受け、贈位記念碑が建てられており、奈良公園

にも「功徳碑」があります。

④環濠集落(竹之内/萱生)  奈良盆地には、数多くの環濠集落がありましたが、これらの中でも、最

も高所にある環濠集落として知られています。環濠集落は、中世争乱の

頃、外敵の侵入を防ぐために集落の周囲に水濠を巡らせ、濠の内側を竹

藪で囲み、入り口には橋をかけ、有事の際には橋を外し、領民を防御した

と言われています。

⑧大和稚宮神社/ 歯定神社  大和稚宮神社は、大和神社のちゃんちゃん祭渡御のお旅所で、大和神

社と同じ三神が祀られています。毎年4月1日のちゃんちゃん祭には、翁

の舞・龍の口の舞が奉納されます。

 また、この大和稚宮神社に並んで、歯の神様である歯定神社が祀られ

ています。毎年1月15日の祭典では、地元の人がビワの葉に小豆の粥を

盛って御供えをします。

ふじ

かみ かい どう ふく ち どう

おい こ ぶみ

てんちゅうぐみ とう どう はん

なか むら なお ぞう

たな ば しょう

なが はら

ろう のう

や と ぎ

たけ の うち

さん げん づか いけ

かや ぶ

たけ の うち かよ う

竹之内環壕集落 萱生環壕集落竹之内環壕集落 萱生環壕集落

に の せ

と ね わ せ

ふな と じ ぞうこし いた なお

か ようか よう

にし どの づかにし どの づか

とう ろう やまとう ろう やま

なか やま おお つかなか やま おお つか

やま と わか みや は じょう

か よう たけ の うち いけ ほ

ねん ぶつ

む えん ばかじ

おきな

かゆ

ひら たね なしと ね よしたみ

けんしょう ひ

大和稚宮神社 歯定神社大和稚宮神社 歯定神社

しら とり

かみ つ みち

やまとたけるのみこと

みょうじん

うつ

やま と めい しょ ず え

しら とり

51

36

267さん げん づかさん げん づか

じゅう に じん じゃ

かん ごう しゅう らく

国のまほろば朝 和