osaka university knowledge archive : ouka...僕 の 母 語 は コ ー ン ク ニ ー 語 だ...

21
Title 私のことば、私達のことば : 「母語」という文化的 装置と言語ナショナリズムをめぐって Author(s) 松川, 恭子 Citation 年報人間科学. 24-1 P.67-P.86 Issue Date 2003 Text Version publisher URL https://doi.org/10.18910/10401 DOI 10.18910/10401 rights Note Osaka University Knowledge Archive : OUKA Osaka University Knowledge Archive : OUKA https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/ Osaka University

Upload: others

Post on 04-Jul-2020

1 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: Osaka University Knowledge Archive : OUKA...僕 の 母 語 は コ ー ン ク ニ ー 語 だ よ。君 の 母 語 が 日 本 語 の よ う に ね。で も 、 僕 の 家

Title 私のことば、私達のことば : 「母語」という文化的装置と言語ナショナリズムをめぐって

Author(s) 松川, 恭子

Citation 年報人間科学. 24-1 P.67-P.86

Issue Date 2003

Text Version publisher

URL https://doi.org/10.18910/10401

DOI 10.18910/10401

rights

Note

Osaka University Knowledge Archive : OUKAOsaka University Knowledge Archive : OUKA

https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/

Osaka University

Page 2: Osaka University Knowledge Archive : OUKA...僕 の 母 語 は コ ー ン ク ニ ー 語 だ よ。君 の 母 語 が 日 本 語 の よ う に ね。で も 、 僕 の 家

!

こと

のこと

「母諡巴

という文化的装置と言語ナショナリズムをめぐってー

松川

恭子

〈要旨〉

語と共同体

の結び

つき

は、近代

にお

いて強調

されるよう

にな

った

。そ

て、そ

の思想

一九

紀以降

の新

興国民国家

のナシ

ョナリズ

の中

で民

"国

民に固有

の言語と

いう

で表

現された。

現代

の多民族

・多

言語国家

におけ

エスノ

・ナ

ョナリズ

ムの増加

に伴

い、

国民国家

の枠

組みに揺さ

ぶり

がかけら

れて

いる

が、特

の共

同体に固有

の言語があ

ると

いう

原理

変化はな

い。

本論

では、

この民族

に固有

の言語と

いう

原理が、言

語ナシ

ョナリズ

ムの

中で母語と

いう概念

を巡り

いか

に現

われ

ているかを

検討す

る。まず

、近

てき

た言語権

を巡

る議論

を検討

し、自

の母語使

の権利を希求

する

言語権

の前提

に、個人の母語を言

語共同体

「母語」に読み換え

「『母瓢瞿

のロジ

ック」

が存

在す

ること

を指摘す

る。

「母

語」

のロジ

ックにより

徴化さ

れた

「母

語」が、母

語教育

や標準

化を通じ

て客

体化され、言

語共

同体

「固有

の」

言語とな

って

いく状況と

の問題点

ついて触れ

る。

して、

「母語」

のロジ

ックを

巡る事

の具体

的事例と

して、筆

の調査地

インド、ゴ

ア州

の言語ナシ

ョナ

リズ

ムに

ついて取

り上げ

る。

最後に、

ゴア

の事例

に見

られる、

「母語」

の固有性

の主張

と役

に立

つ言語を選び取

ると

う考え

の両方が

、実

は、近代的

「所

有」

の問題系

の中

に包摂

されう

るの

ではな

いか、と

いう仮説を提示する。

キー

ワード

「母証咫、言語権、言語ナシ

ョナリズ

ム、所有

(権)、ゴ

私 のことば、私達 のことば67

Page 3: Osaka University Knowledge Archive : OUKA...僕 の 母 語 は コ ー ン ク ニ ー 語 だ よ。君 の 母 語 が 日 本 語 の よ う に ね。で も 、 僕 の 家

の母語は

コーンクニー語だよ。君の母語が日本語のようにね。

でも、僕の家ではみんな英語を喋るんだ。両親ともに僕に英語

で話すんだよ。僕はガルフ

(アラブ首長国連邦)で生まれ、向

こう

(英語)教育を受けたんだ。実は、コーンクニー語はあ

まり喋ることができないんだ。ーゴアの

;目年の言葉より(、)

1

はじめ

言語と共同体問の結びつきを強調するのは、近代の特徴の

一つだ

と言えるだろう。ある特定の集団を構成する人々が特定の言語を喋

る、という意識は、近代ヨー

ロッパに産するナショナリズムととも

に生まれてきたと考えられる。言語と民族目国民の関係は、ノルウ

ェーやブインランドなど、

一九世紀以降に誕生したヨーロッパの新

興国民国家のナショナリズムにおいて声高に叫ばれ始めた

(アンダ

ーソン

一りΦ刈)。その際に、ノルウェー人、フィンランド人たちは、

近隣諸国とは異なる自分たち

固有の言語、つまり、ノルウー語やフ

ィンランド語を所有するという宣言を行

ったへ、)。そして、この国民

国家

(ネーション

・ステート)の形成基盤としての言語と

いう考え

方は、第二次世界大戦以降にアジア

・アフリカ諸国が独立を果たし

ていく際にも、

一人前

の国民国家は独自

の言語を所有すべきだ、と

いう

一種の目標として受け継がれた。

多民族構成の国民国家が求心力を失うと

いう、

一九九〇年代から

顕著にな

ったナショナリズムを巡る状況変化の後も、この民族11国

民固有の言語の所有という意識は、我々を強く縛

っている。新たな

独立国家を目指す分離志向

のナショナリズム、あるいは国家内部に

留まり

つつも、その民族が居住する地域の自治権等を要求するエス

・ナショナリズムの増加に伴い、国民国家

の言語之

いうよりは、

民族単位での言語が問題にな

っている。第二次世界大戦後に独立し

たアジア

・アフリカにおける新興国民国家は、英語、フランス語な

ど、旧宗主国の言語を教育

・行政用の国家語として採用した。ダイ

グロシア

(二言語併用)状況ーこの場合は、国家権力と結び

ついた

国家語と、家庭内や友人同士で日常的に使用される俗語

(ヴ

ァナキ

ユラi)との間の権力関係1が、.植民地時代から変わらぬまま受け

継がれたのである(、〉。この状況を

エスノ

・ナショナリズ

ムの運動家

たちは、国家語が権力の名の下に俗語を抑圧していると考える。国

家語による差別に対抗する元め、運動家たちの言説の中で、俗語は

文化の媒介物として捉えられる。例えば、ギクユ語の唱導者である

ケニアの劇作家、グギ

・ワ

・ジオンゴは、学校での俗語排斥が生徒

たちの問に自文化からの疎外感を生み出した、と英語教育を批判し、

コ言語

(俗語)は、文化である」と主張する。

'

…諸価値は、人のアイデンティティ、

つまり、自分は人間種の

一員であるという特別意識の基盤である。これら全てが、言語

により媒介される。文化としての言語は、歴史における

一民族

の経験の集団記憶装置である。文化は、言語とほぼ恒別不可能

68

Page 4: Osaka University Knowledge Archive : OUKA...僕 の 母 語 は コ ー ン ク ニ ー 語 だ よ。君 の 母 語 が 日 本 語 の よ う に ね。で も 、 僕 の 家

。'言

の起

節合

(ア

ィキ

ュレー

ョン

)、

可能

にす

て宀

事実

化を

いく

(ZΦq轟

一≦鋤

↓三

〇ロゆqlo

NOOO(一㊤Q。O)区

ω◎。)。

グギは、文化としての言語は、、世代から世代へと継承されていくと

述べる。

つまり、ここで強調されているのは、個人を民族と

いう集

団と結び

つける媒介としての言語の機能である。民族の歴史

・経験

の記憶装置としての言語を社会化

の初期段階で身につけることによ

り、その個人は民族

一員になると

いうのだ。

つまり、異なる言語

には、それぞれの言語共同体

の世界認識、行動の仕方が反映してお

り、個人は特定言語の習得によって、その言語話者で構成される言

語共同体に特有

の世界把握

の仕方を覚え

ていく

のだ

(ウォー

一雪O)。

グギにと

ってのギクユ語のように、両親から受け継いだ言語は

般的に母語と呼ばれる。『言語学大辞典』(一㊤り㎝)によれば、母語とは

「言語習得

の観点からみたとき

、文字通り

『母親の言語』で、人が生

後母親から自然に習得する言語の変種」である3。.この場合、ある

個人が母語を共有するのは、母親、父親、兄弟姉妹等の家族のメン

バーであると考えられるαそ

の個人が成長し、活動範囲が広がるに

つれ、周囲に居住する大人や自分と同年輩のグループを母語の共有

者集団に含むことができるだ

ろう。いずれにせよ、個人が対面的に

言語を習得

・使用する人々と

いう意味での母語の共有者集団はそれ

程大きくない。

しかし、近年の国家語に対する俗語の権利要求の動き、言語ナシ

ョナリズムの文脈において、母語と

いう言葉には、より象徴的な意

味合いが付与される。

冒頭のエピグラフにある、筆者の調査地インド、ゴア州の青年の

語ので、彼の

「母語」は

「ゴアの言語」、コーンクニー語(宍oロ貯9ρ三)

である。両親や兄弟との家庭内での言語生活はほぼ

一〇〇%英語で

あり、彼自身コーンクニー語をほとんど喋れな

いゆしかし、彼̀は

ーンクニー語を

「母語」と呼ぶ。本論の後の部分で詳しく述べるが、

彼のこの言い回しには、

一九六

一年以降のゴアにおける言語ナショ

ナリズムの高まりが関係している。

本論では、この種の言語ナショナリズム的言説に見られる、個人

(私)の言語ー1母語を民族

(私達)の言語11

「母駈巴

として象徴化す

るメカニズムについて検討するつまず、言語社会学、社会言語学な

どで近年間われている言語権を巡る議論を検討するつそして、己の

母語使用の権利を希求する言語権の前提として、個人の母語を言語

共同体の

「母甑巴

に読み換えるメカニズムを持

宀『母語』のロジ

ク」が存在することを指摘する。次の章ではまず、「母証巴

のロジ

クにより象徴化された

「母語」が、母語教育や標準化を通じて客体

化され、言語共同体に

「固有の」言語とな

っていく状況とその問題

点について述べるゆ更にこの章では、言語ナショナリスト達に

「母

語」のロジ

ックに対立すると見なされる、経済的に価値

の高い言語

への志向について触れる。その後に、「母語」のロジヅクを巡る事象

私の ことば、私達のこ とば69

Page 5: Osaka University Knowledge Archive : OUKA...僕 の 母 語 は コ ー ン ク ニ ー 語 だ よ。君 の 母 語 が 日 本 語 の よ う に ね。で も 、 僕 の 家

の旦ハ体的事例として、筆者の調査地、インド、ゴア州σ言語ナショ・

ナリズムについて取り上げる。最後に、ゴアの事例に見られる、「母

語」

の固有性の主張と役に立

つ言語を選び取るという考え方の両方

が、実は、近代的

「所有」の問題系の中に包摂されうるのではない

か、と

いう仮説を提示する。

2

語権

を巡

る議論

-

個人

の言

語、民族

の一一一一口語

言語活動は個人の実践である。その意味で言語は個人のものであ

る。しかしその』方で、言語を集団、その言語を話す人々の総体で

ある言語共同体

H民族のものと考える議論がある。近年にな

って出

てきた言語権の主張にも、この個人の言語と民族の言語という二つ

の視点が不思議な形で混じりあ

って存在している。

言語権

の主張

において、言語は、人間ならば誰で毛持

つべき自然

一つとして捉えられる(,)。フィリプソンとスクトナブーーカンガ

(一㊤㊤Φ)によれば、個人は、言語権の名の下で以下の権利を保証さ

れる。

(1)多数派言語であ

るか少数言語であるかにかかわらず、

(一つまたは複数の)母語と肯定的に自己同

一化する権利。その自己

一化が他者からも尊重され

る権利。(2)個人が母語で初等教育を

受け、その母語を家族などの私的場のみならず、多くの公的場で使

・用できる権利。(3)個人が居住する国の公用語のうち少なくとも

一、

つを学ぶ権利。

その

一方で、集団のレベルにおいて守られるべき言語的人権があ

る。それには、少数者が自己の言語の発展、学校などの教育機関の

設立を行う権利や、文化、教育、宗教、情報、社会的な事項につい

て集団内自治が保証される権利が含まれる。

つまり、少数言語が独

立した言語として存続する諸権利である

(フィリプソンとスクトナ

ブ時カンガス

一Φ⑩O口Oω山O膳)。

言語権の主張が主眼においているのは、国民国家内部で支配的な

多数派言語に少数民族の言語が脅かされている現状を変えていくこ

とである。多くの多言語国家では、学校教育や公的場面で、多数派

言語によるコミュニケーションが必要とされる。多数派言語を習得

せずには就業機会を失うなどの不都合さが生じるため、少数言語話

の両親は、子供たちを多数派言語で育てることにし、言語の

「乗

・り換え」が起こることも多い。国家による多数派言語重視の政策に

より少数言語話者が消えていく状況は、言語権の文脈で

「言語抹殺

(ぎ讐

虱伍Φ≧pαq三ω岳oαq窪ooこ⑦)」ど呼ばれる(スクトナブ睡カンガス

b。OO9出器芻弓o珪

NOOO)。

ここで注意すべきは、言語権は個人と集団の二側面から捉えられ

ているものの、基本的には言語を有する集団が先行する点

である。

スクトナブーーカンガスは別の所で以下のように述べている。

エスニシティと、主要な文化的核となる価値観としての言語、

あるいは

(諸)母語

への愛着の双方ともに、原初的で所与のと

ころからやってくるように思われる。つまり、あなたは、ある

特定のエスニック集団に生れ落ちる。そして、最初にあなたの

70

Page 6: Osaka University Knowledge Archive : OUKA...僕 の 母 語 は コ ー ン ク ニ ー 語 だ よ。君 の 母 語 が 日 本 語 の よ う に ね。で も 、 僕 の 家

母語

(あるいは、もしも

両親が異なる言語を話すのなら、諸母

語)が何になるかは、この事情による。…

(中略)臥:

私は、

エスニシティと母語の双方ともを、自身の気まぐれや希

望で、所有の有無、使用

の有無が決められるとするような、道

旦ぐ王義的観点を持

つ研究者たちに同意できない。幼年期、個人

の経歴に帰するような原初的源のため、

エスニシテイも母語も

アイデンティティでさえも、古

いコートのように好きに選んだ

り捨

てた

でき

る事物

、商品とし

て扱う

こと

はでき

(QQ吋=叶づ9ぴぴーH(pρづ伽q眇ω一〇ΦりHqq)。

彼女が言うには、個人が母語を持

つ.ためには、ある言語共同体

(ス

ク下ナブーーカンガスは

エスニック集団と言う)に生まれ落ちる必要

がある。つまり、個人がこの世に生まれ出る以前に

「原初的で所与

の」

エスニシティと結び

ついた、言語共同体1ーエスニック集団の

「母語」が存在する。そして、個人は、その雛形としての

「母語」を

自分の母語とすることで自己

のアイデンティティを獲得する、とい

うのだ。

言語権

の考え方は近年発展し、

一九九六年六月の世界言語権会議

において

「世界言語権宣言」が採択された(6}。条約文の第

一条第

項において

「言語共同体」の概念規定が行われ、民族が固有の言語

を持

つことが確認されている。

この宣言が

「言語共同体」として理解するものは、その空間が

認知されているか否かを問わず、特定の地域的空間において歴

史的に成立し、

一つの民族として自らを同定し、成員のあ

いだ

のコミユニケーションと文化的結合の自然な手段として共通の

言語を発達させてきたあらゆる人間社会である。「ある地域に固

有の言語」とはそのような地域において歴史的に成立した共同

体の言語のことをいう

(一言呈叩権研究会

一Φり㊤"一〇①)。

更に続

いて、第二項.では、「言語権が個人的権利であると同時に集団

的権利でもあ惹」ことが宣言される。全五十二条

の条文の中で

「言

語共同体」を主語とした条文は三十以上に及ぶ。ここでも、言語権

が立脚する前提として、個人の母語というよりは、集団

(あるいは、

民族、エスニック集団)の

「母語」が重要視されていることが分か

る。言

語戦争に関する論考において、立川

(NOOO)は、言語共同体の

ことを

「同

一の言語を話し、同

一のコードを共有して言語活動を行

う人間たち」と定義する。彼は、異な

った言葉を喋る人たちは、「他

者」として差異化されると言う。つまり言語権は、ある特定の共同

体が言語を共有すると、いう前提に立ち、その言語を守るために戦わ

れる。その時、共同体とは、ごく狭

い家族や親族関係を意味しない。

共同体とは、スクトナブーーカンガスが述べたように、エスニック集

団であり、先に引いた

⊇=呈叩権宣言」

の中に見られるよう

に、

一つ

の民族之して自己を同定する人々が構成する社会である。この文脈

で、家族や親族などの狭い範囲で習得された個人

の母語は、更に拡

私の ことば、私達 のこ とば71

Page 7: Osaka University Knowledge Archive : OUKA...僕 の 母 語 は コ ー ン ク ニ ー 語 だ よ。君 の 母 語 が 日 本 語 の よ う に ね。で も 、 僕 の 家

大された共同体

(凵民族)の

「母語」に読み換えられる。

母語が個人ではなく、言語共同体の所有にあるとする思想は、

下のヴァイスゲルバーの文章によく示されている。

…母語は個人の作品でも

なければ、また個人個人の総和の作品

でもな

い。それは共通の言語力から母語を開発し、その過程に

おいて言語共同体となる人間集団の相関概念である。…この言

語力の集団的展開は、な

かんずく言語による世界形成にあずか

るものであるから、母語とは文字通り言語共同体による世界の

(母)語化の過程そのもののことである。…その中では母語にあ

ずかる人達はばらばらの個人としてではなく、

つねに母語によ

って形成された人物とし

て行動している。

(ヴ

ァイスゲルバi

一Φ逡ロ一㎝-一一①)

このような母語と言語共同体の関係

の根源性、自然さの主張が、

「国家の境界線すら無視してしまう危険な政治的迫力」を秘めた民族

主義

の思想に行き着く可能性

について田中は述べている(畑中

一〇。。一"

お)。そして、まさに彼が言うよう

に、民族の独自性は言語により媒

介されると主張する現代の言語ナショナリズムの文脈で、母語とい

うことばが表に出てくる。母語を公共の場で使用する権利、母語に

よる教育を受ける権利等、個人の自然権を主張するところから出発

した言語権の議論にも同じメカニズムが見られる。

つまり、個人の

母語が集団の

「母語」と読み換えられているのである。

3

「母語」という装置

3

・1.「母語」のロジ

ック

前章では、言語権の主張の前提に、個人の母語を拡大した集団の

「母語」があることを確認した。この個人の母語を集団11民族の

「母

語」と読み換える論理を、「母証巴

の眉ジックと呼ぼう。

個人の母語とは、文字通り母親から子供

へと受け継がれる言語で

あ.り、子供が成長の過程で身につける言語である。母語の習得過程

で子供が対面するのは、母親に加え、父親、家族のメンバーなどの

限られた共同体である。その個人の母語が、集団11民族の

「母語」

となるためには、母語の意識化

・象徴化のメカ

ニズムが必要である。

言語をコミュニケーションの道具として用いている限りでは、「母

語」という意識は出てこない。もう少し説明を加えれば、人は同じ

言語を喋る人々と対峙しているときに、自分の言語を

「母語」とし

て意識しないということだ。言語が

「自分の母語」として自己の目

の前に出現してくるのは、自分のものとは

「違う」と感じられる他

の言語に出合う時である。このように考えると、ナショナリズムや

エスニック

・ナショナリズムと関連した言語観、そして言語権と前

章までで述べた事象がことごとく

「母語」と対立する

「他語」とで

も呼べる存在に対して向けられていることに気

づく。例えば

一九世

紀後半にヨーロッパで発生したフィンランドのナショナリズ

ムでは、

他語としてスウェーデン語が対象とされた。ま,た、エスニック

・ナ

72

Page 8: Osaka University Knowledge Archive : OUKA...僕 の 母 語 は コ ー ン ク ニ ー 語 だ よ。君 の 母 語 が 日 本 語 の よ う に ね。で も 、 僕 の 家

ショナリズムでは、支配力を持

つ国家語が他語となる。例えば、少

数民族が自分の

「母語」で教育

・公的サービスを受ける言語権を主

張する際に、国家語を批判の標的とするという事例が挙げられる。

しかし、「母語」を意識上に上らせることは、

一方で言語の固定化

につながる。近代言語学は、文法を持つ言語という実体を構築した。

そして、その過程は、国民国家の象徴としての言語、国民11民族共

同体の中で普遍的に通用する

「標準語」の成立により加速された(ヱ。

その結果、我々の目には、言語は、正しく明確な文法構造を持ち、

他の言語と境界を分けられる実体と見えている。同様に、独立した

民族であるために必要なのは、独自な

「母語」であり、その

「母語」

は国民握民族共同体が有する

「標準語」と同様に正書法、文法が確

立した言語の地位を獲得する必要がある。よって、言語ナショナリ

ズムにおいても、正書法の整備、文法の確立、辞書の編纂が第

一目

標となる。そして、次の段階として、あるいは平行して、確立した

「母語」による学校教育

の整備、「母語」による文学作品の出版が目

指される(,)。このようにして独立した言語として客体化された

「母

狃巴

は、独自の語彙、文法によ

って他の言語と区別される。

人間の言語の働きを捉えるに襟して、種老しての人間が

コミュニ

ケーショ、ンの道具として言語を用いるという生物的言語観と、人間

の集団形成、その維持に注目す

る社会的言語観がある、と田中は言

(田中

b。OO乂一㊤り一)"b。O心-b。Oα)。「母語」が客体化される際に起こっ

ているのは、言語をより社会

的観点から見ることである。

つまり、

人間特有のコミュニケーションと

いう意味で、言語の生物的機能を

重視すれば、特に皆が参考とするような正しい語彙

・文法の集成が

なくともやっていけるのだが剛「母語」を意識化することで、自己の

アイデンティティの在り処を浮かび上がらせるのである。特に言語

共同体問の境界線を強化するという意味での、言語の社会的機能を

重んじるならば、「母語」の形式を明確化するのは不可避な作業にな

る。だが、元もとの言語の性質を考えれば、言語の境界線を引くと

.いうのは無茶な作業であることが分かる。例えば、英語の中にフラ

ンス語やドイツ語からの借用語が多数に見いだせると

いう点からも

分かるように、ある独立しだ実体として考えられている言語も実際

は様々な隣接言語の語彙を借用語とし取り入れている。個々の言語

における借用語の存在は、人々が語彙や文法の固定化した言語に捕

われず、コミュニケーションを行

ってきた現われではないだろうか。

しかし、嘗由な行き来が可能であ

った言語間の接触は

「確個とし

.光文法」や

「その言語にふさわしい語彙」という防御壁により遮断

され、言語間の境界が成立する。そして、この言語の境界の確定は、

多言語状況の冲自由に様々な言語を行き来する状況の説明を難しく

する。カルヴ

ェは、ダイグロシアを含む多言語状況において、ある

一つの言語によ

って理解しあう人々から構成される言語共同体を特

定することの難しさにつ「いて、母語

のアラ語、・媒介言語のウォロフ

語、セネガルの公用語フランス語の三言語を喋るセネガル人を例に

って述べている

(カルヴ

ェNOO一"一NO山ωも。)。日常の

一瞬

一瞬で話す

言葉が変化するこの個人は、

一体この三言語のどの共同体に統合さ

れるのだろうか、と彼は問う。彼の問題提起は、ある共同体に属す

私 の ことば、私達 のことば73

Page 9: Osaka University Knowledge Archive : OUKA...僕 の 母 語 は コ ー ン ク ニ ー 語 だ よ。君 の 母 語 が 日 本 語 の よ う に ね。で も 、 僕 の 家

ると

いうよりは、対人関係により使用言語を変える、「母語」に必ず

しも縛ちれないあり方を示し

ていると言える。同様に、人間の原初

的愛着を形成すると

一般的にみなされる母語の絶対化を、川田順造

は幻想であると

一蹴

する。彼は、西アフリカ内陸の交易都市ジェン

カでの言語調査の結果を引き、この地方の人々が、自分の第

一言語

(母語)以外のことばで社会的

コミュニケーションを図っている状況

を紹介している。「そこでは、社会的に優勢な言語が、制度化された

国語として他の言語の話者に強制されることもなく、.多言語主義と

して、やはりそこからはみだす

マイノリティを作りだす形で複数の

言語が制度化されることもな

い。まことに柔軟、自在で、しかも

ジョリティによる自己主張や押し

つけのない言語状況」があるのだ

(川田

一ΦOSω一)。・

このように、「母証巴

に縛られず、対面する人により言語を変える

態度は、言語ナショナリズムの

「母語」のロジックに見られる、「母

語」の客体化、固定化とは相容れないように思われる。

3

・2

「母語」のロジ

ックに対立するロジック

言語の価値の議論

現代世界では、必ずしも先

に述べた

「母語」のロジ

ックのみが

人々の間で受け容れられているわけではない。言語ナショナリズム

の運動家が主張する

「母語」

に対立するロジックとして、言語の価

値に重点を置く志向が挙げられる。「母語」のロジックにおいて、言

語は民族の

宀母語」である限り話者数の大小に限与ず平等であり、

少数言語は多数派言語と同様

の地位を与えられるべきだと

いう主張

.がされる。しかし、現実には、経済的に要請があるか否かと

いう指

標により、学ぶのに価値のある言語とない言語の二分化が行われる。

例えば、英語は、国際的にビジネスを行うための媒介語として支

配的である。よ

って、・英語

の能力をも

つ者は、な

い者よりも経済市

.

場での需要が大き

い。身につけることにより、経済的上昇を図るこ

とが可能な言語を学ぶべきで、役に立たな

い母語など学ぶ必要はな

いということである。

フロリアン

・クルマスは、「ことばの経済学』の中で、経済的に決

定される言語の価値が

「母語」と

いう

ロジックを脅かす様を以下の

ようにまとめている。

種族としての意味では、母語はどの個人にと

っても同じように

重要である。…

(中略)…ここから確かにきわめて抽象的な意

味ではあるが、母語はすなわち母語であり、その間に差異はな

いという結論が出てくる。しかしすべての人間にと

ってその母

語が同じように価値の高いものであり、諸言語の価値

の違

いは

ただ

(外国語)言語市場で現れるに過ぎないと

いうのは、誤

た結論である。

一つの.世代から次の世代

への言語推移という現

象、

つまり両親がある特定

の状況のもとで、子どもたちに自分

自身の母語を伝えることを断念すると

いう社会的

・個人的現象

は、伝承に値しないと主観的に判断される言語もあること、ま

た他の言語が特定分歴史的

・社会的条件下で、経済的により価

74

Page 10: Osaka University Knowledge Archive : OUKA...僕 の 母 語 は コ ー ン ク ニ ー 語 だ よ。君 の 母 語 が 日 本 語 の よ う に ね。で も 、 僕 の 家

値の高

いもの乏見なされることがあることを証明している

ルマス

一〇㊤ωロ8)。

(ク

言語学者や、言語ナシ

ョナリズムに関わる運動家の問では、言語

間の平等性、「母語」のロジ

ックが自明のものとされる。彼等は、後

でゴアの事例でも見るが、経済的に割に合わな

いという理由で、母

語の伝達をあきらめた親達を、

「母語を尊ばない」ど批判する。しか

し、実際に言語問題が起こっている場を注意深く観察すれば、「母証阻

のロジックを自明視するのは、必ずしもドミナントな立場でないこ

とが分かる。

4

「母語」に対する様

々なポジショニング

アにおける言語ナシ

ョナリズムを巡る場

ここまで、言語ナショナリズ

ムや言語権の主張の前提として、集

団の

「母語」を自明視する

「母語」のロジ

ックがあること、そして

そのロジックの問題点に

つ.いて指摘した。本章では、筆者の調査地

である、インド、.ゴア州における

「母語」のロジックを巡る状況に

ついて概観する。

4

・ー

ゴアにおける言語ナ

ショナリズムの歴史的経緯・

ゴア州は、インド亜大陸の西海岸、ムンバイ

(ボンベイ)から南

南東に三七五K

m、北をマハーラーシ

ュトラ州、東と南をカルナー

タカ州に挟まれたところに位置する。州人口は、二〇〇

一年センサ

スによれば、

=二四万三九九入人である。

一五

一〇年にアフォン

・デ

・アルブケルケ率

いる軍隊がゴア島を占領して以来、

一九六

一年にインド軍がゴァを武力解放するまでの四五

一年間に亙りポル

トガル植民地であ

った。解放以降、当初連邦政府直轄地であ

ったゴ

アのインド的シズテムへの編入は徐々に行われ、

一九入七年五月三

〇日には州への格上げがなされた。

解放以降、ゴアの政治的

・文化的帰属がどこにあるかーゴアは隣

マハーラーシュトラ州と併合されるか、あるいは連邦直轄地とし

て独立の地位を維持するかーという問題が持ち.上が

った。ゴアの文

化的独立性を訴える統

一ゴア党

a巳8qOo碧

勺霞蔓"dO℃)と、ゴ

アとマハーラーシュトラ州との文化的同

一性を主張するマハーラー

ュトラワディ

・ゴ

マンタック党

(ζ咎

霞器算蕁≦曽象

Ooヨ9昌什接

℃霞蔓凵ζO℃)が対立し、政治的分裂が起

った

(国ω8<Φω一〇◎。9

「Φ彗畧α⑦ω一㊤零)。この問題には、ヒンドゥ」教徒とクリスチャンと

いう宗教の違い、高力ースト対低力ースト、地主とテナントの対立

いった様々な要素が絡んでいた

(ζ9叶ω爵9≦9NOObO)。

このような政治的対立の中で、「ゴアの言語は何か」と

いう問いが、

ゴアのアイデンティティを巡

って現れてきた。反併合派は、ゴアの

ほぼ全域で会話に使用されているコーンクニi語

(内8冨三Vを

「ゴ

・アイデンティティ」、ゴアの文化的独自性の根拠とした。

一方、

マハーラーシュトラ州との併合派は、隣州

マハーラーシュトラ州公

用語のマラーティ語

(ζ震讐三)がゴアの多数派であるヒンドゥー教

私の ことば、私達 のことば75

Page 11: Osaka University Knowledge Archive : OUKA...僕 の 母 語 は コ ー ン ク ニ ー 語 だ よ。君 の 母 語 が 日 本 語 の よ う に ね。で も 、 僕 の 家

」徒の、宗教

・文化活動の言語

であることを併合の理由として主張し

た。

一九六九年

一月の住民投票の,結果、ゴアは連邦直轄地としての

独立地位を維持することとな

ったが、言語を巡る問題は残

った。こ.

れは、

一九入○年代に入り、ゴアの州ステータス獲得の問題に形を

変え、

一九八五年八月から、

コーンク

ニー語派とマラーティ語派の

問の激しい言語紛争として噴

出したへ,す

コーンクニー語派の主体と

な.った

のは、主

にコー

ンク

ニー文学作家達

により結成された

困o艮9。巳

勺9

8びo♪≦窩

(閑℃>1ーコーンクニー人民の声)であり、

ラーティ語派を率

いたのは、

マラ」ティ文学の作家達

のグループ、

ζ四「讐三

園鉱く四しdぴ四ω<四勹「鋤ωけ⇔b9づ9コωpヨ一江(】≦菊しd℃ω回マラーティ

語公用語化委員会)であ

った。

この対立は、中央政府の介入により、

一九八七年二月四日にコーンクニi語を公用語とする公用語令が発

布され、同年五月三〇日にゴ

アがインド連邦二五番目の州としての

地位を付与されることで

一応

の決着を見た。しかし、その後も、筆

者がフィールドワークを行

った二〇〇〇~二〇〇

一年現在でも両者

の対立は完全には消え去らず、絶えず問題とな

っていた⑳。

4

.2

..マ

マー

「母語」の象徴化

コーンクニー語、

マラーティ語それぞれを掲げた言語ナショナリ

,ズムと言語紛争

の中で、支持者たちは両言語を

「母語」として象徴

化する試みを行

った。

例えば、コーンクニー語派を支援した英語新聞

ヘラルド

(漂

錯§

は、

一九八六年七月二三日付けの

一面に

「母語」としてのコーンク

ニー語を強調する漫画を掲載した。母親は息子に以下のように語り

かけている。7:そして、覚えておきなさい、息子ま。時が来て、私

はこの世を去ります。そして、あなたと私を唯

一つなぐものは、

、コ

ーンクニi語となるでしょう。この言葉こそが、广私達を結束させる

です

・.・。」

「私

「母

語」

、.誉

b訂

§

㌧↑

ζ

o昏

国8

三)..と

いう

で更

徴化

った

ジテーションが激化するにつれ、「彼女は、継母のような扱

いを受け

てきた」、「彼女は、

一家の女主人として自分の家に据えられるべき

だ」・といった象徴的言い回しが新聞紙上に現れるようになった。

それに対してマラーティ語派は、

マラーティ語新聞ゴ

マンタック

(Oo§鋤ミ毬

紙上にて、インドの古典

マハーバーラタの挿話を題材と

し、

マラーティ語を

「母語」として象徴化する戦略を取

った。

一九

八六

日付

の新

に、

.、ミ

§

き丶(11ζ

o昏

ζ

舞げ⇔..

と名づけられた女性が、人々の前でサリーを剥ぎ取られそうになる

のを、ヒンドゥー神クリシュナ

(マラーティ語派を象徴)が阻むと

いう漫画が掲載された。

マーイ

・マラーティのサリーを剥ぎ取ろう

とする王は、・コーンクニー語派のリーダーの似姿とな

っている。

以上のよう

一九入五年から八七年まで続いた言語紛争の中で、

コーンクニi語、

マラーティ語それぞれが運動家の言説で

「母」と

して提示された。この事象は非常に興味深

い。と

いうのも、この象

徴化された

「母語」は、言語習得という観点からみたゴアの個人に

っての母語とは異なる場合があるからだ。コーンク

ニi語の場合

76

Page 12: Osaka University Knowledge Archive : OUKA...僕 の 母 語 は コ ー ン ク ニ ー 語 だ よ。君 の 母 語 が 日 本 語 の よ う に ね。で も 、 僕 の 家

は、ゴア州のほぼ全域で人々が媒介語

(出⇒汀一卯口簡四⊆拶oqΦ)として用いて

おり、「センサスの母語

(自分が子供の頃に母親が喋りかけてきた言

語)は何かという質問に対し

て多くが

コーンクニー語を母語として

回答している亘。よ

って、コー

ンクニー語を集団の

「母語」」として

象徴化す惹のは、ある程度妥当性がある。しかし、マラーテそ語の

場合は様子が異なる。支持者

の多くが

マラーティ語を主に書記語と

して用い、会話には

コーンク

ニi語を用いる。彼等の個人としての

母語は、コーンクニー語である。それにも関わらず、マラーテイ語

「母語」、マーイ

・マラーティとして提示されるのは、後にも説明

するが、大半の支持者であるヒンドゥー教徒の間で、マラーティ語

が文学や儀式に使用される言語だと

いヶ認識があるからだ。また、

コーンクニー語を

「母語」とし

て支援する人々の中には、英語やポ

ルトガル語を母語とする人々が

いたと考えられる。」しかし、コーン

クニー

・マーイ、

マーイ

・マラーティと

いう形で双方の言語が

「母

語」として象徴化されること

で、それぞれの支援者の中に、個人個

人が用いる母語の定義を超え、民族の言語闘

「母語」・のイメージが

構築されていった。

4

・3

「コーンク

一一-語は、母語だから学ばなくともよい」

一九八七年の公用語令にょり、コーンクニi語は、ゴア州の公用

語として認定された。公用語令発布直前のアジテーションの高まり

から考え

て、コーンクニー語、

マラーティ語をそれぞれ

「母語」と

して象徴化する

「母語」のロジ

ックは人々の間に多大な影響力を及

ぼしたと

いえる。公用語して認定されるからには、行政

・教育を含

む全ての公的領域でコーンクニi語が使用されるべきだ、という

が運動家達の主張であ

った。しかし、、一九八七年に発布された公用

語令以降、「母語」のロジックの浸透度は完全ではない。

つまり、現

在、コーンクニー語は、未だ学ぶべき

「母語」としてゴアの人々に

受け容れられていない。

ゴア州の教育制度では、小学校

(一~四年生)ではゴアの現地語、

つまりコーンクニー語か

マラーテイ語ミディアム

(使用)で、そし

て中学校

(五~

一〇年生)以降、高校

(=

一二年生)、カレッジ

レベルまで英語で教育が行われるべきだと

いう方針とな

っている。

しかし、小学校からクリスチャンの間では子弟をミッション系

の英

語ミディアムの学校に通わせ、ビンFウi教徒の場合は

マラーティ

語ミディアムの小学校に子弟を送ることが多

い。ゴアの月刊誌、ゴ

・トディ

(Oo価ま

審S

の二〇〇〇年七月号によれば、コーンクニ

ー語ミディアムの小学校に通

っている人数は公立、私立を合わせて

三〇、

一〇八人、

マラーティ語ミディ.アムに通う

のは、五〇、○八

七人、そして英語ミディアムに通う人数は、

一五、○

○○人強とな

っているゆ

コーンクニー語支持の運動家が主張する母語教育が大勢

を占める状況には程遠い。

筆者がゴア州文書館で調査を行

っている際に、・館員が述

べた言葉

がある。「コーンクニー語は母語だから、学ばなくてもいいんだ。そ

れよりは、マラーティ語や英語を勉強するべきなんだ。」娘をコーン

クニi語ミディアムの小学校に通わせている大学講師の女性は、・筆

私 の ことば、私達 のことば77

L

Page 13: Osaka University Knowledge Archive : OUKA...僕 の 母 語 は コ ー ン ク ニ ー 語 だ よ。君 の 母 語 が 日 本 語 の よ う に ね。で も 、 僕 の 家

者にこう話した。「私の住んでいるマンションで子供をユ」ンクニー

語の小学校に通わせているのはうちだけなのよ。他の人たちは、コ

.ーンクニー語の学校なんて行

っても仕方がない、という態度を取る

の。」こ

のような現象には、コーンクニ

、1語と

マ、ラーティ語が辿

ってき

た歴史的経緯が関係している。両言語は、文法構造がほぼ同じであ

り、語彙も共通のものが多

い。ただし、前者は基本的に、ゴア全域

で口頭のコミュニケーションに用

いられる会話語であり、文学語と

して確立された歴史が浅

いのに対し、後者は、

一二世紀のバクティ

運動以来、詩

の言語と

て用

いられ

てきたと

いう差異がある

(Ωoao昌おり。。"乞山ヨ住巴

OOO)。これに更にポルトガル植民地時代の歴

史が関わ

って状況を複雑にしている。

ポルトガル人は、

一五

一〇年にゴア島を占領した後、

一五四〇年

代に入り、ヒンドゥi教徒の強制改宗を進めるべく、ヒンドゥi寺

院を破壊していった。ポルトガルは

一五四三年には、ゴア島

(現在

ではティスワディ

(目一ω≦四隻)と呼ばれる)とその周辺のバルデズ

(Ou奚号N)、サルセテ(ω巴8けΦ)を支配下に置く。これちの地域は

「旧

征服地」と呼ばれる。クリスチャンに改宗しなかつたヒンドゥー教

徒たちは、当時はポルトガルの力が及ばなかった

「新征服地」(一八

世紀にな

ってからポルトガル支配下に入る)

へと逃れていった。

その結果、ヒンドゥー教徒たちは新たな土地に寺院を建設し、

ラーティ語を母語とするブラー

マンを招き、儀礼を執り行わせた。

また、高力ーストの人々は子弟を

マラーティ語で教育した。この事

情によ噸、ゴアのセンドゥー教徒は、

マハーラーシ

ュトラ文化圏と

親密性を増していった。

「旧征服地」においては、ポルトガル語が行政言語として用いら

れた。改宗したクリスチャンの中には、ポルトガル語をステ亅タス

の高

い言語として認識し、家庭内でポルトガル語を話す者も出てき

た。コーンクニー語は召使と喋るための

「キッチン

・ランゲージ」

として認識された。

一八世紀後半にな

って、現在のゴア州全域がポ

ルトガルの支配下に入った時点で、既に

「旧征服地」ではボルトガ

ル語と

コーンクニー語のダイグロシアが嘱「新征服地」では、マラー

ティ語とコーンクニー語の間にダイグロシア的関係が形成されてい

た。ゴ

アの媒介語であるコーンクニー語を

「ゴアの言語」として確立

するコーンクニー語派の主張は、前章までに述べた

「母語」

のロジ

ックに従

ったものである。その・王張では、会話語としてのコーンク

ニー語、「母語」としてのコーンクニi

・マーイは、「ゴア人」と

う言語共同体

の構成メンバーに共有される自明なも

のであり、「ゴ

・アイデンティティ」の象徴であると語られる。そして、ゴア独

自の言語にふさわしい

「母語」としてコーンクニー語を発展させて

いこうとの意図で、辞書編纂や

「正しいコーンク

ニー語」の書き方

指南のマニュアルなどの発行が進められる2。このコーンク

ニー語

客体化

の動きは、コーンク

ニー語が、文学語として

一部

のゴアの

人々に意識され始めた二〇世紀前半にな

って始ま

った⑫。解放以降、

コーンクニー語で書かれる劇、短編、長編小説の数は徐

々に増えて

78

Page 14: Osaka University Knowledge Archive : OUKA...僕 の 母 語 は コ ー ン ク ニ ー 語 だ よ。君 の 母 語 が 日 本 語 の よ う に ね。で も 、 僕 の 家

'

って

いる

コー

ニー

(国oづ評9三

bd9ωぴ9ζ

α9一)、

・コー

ニー

・ア

デミ

(OOgH(O昌胃9⇒一蒡

9α①ヨ一)と

った

コー

ニー

語確

の動

って

いる

2

し、

の人

の多

コー

ニi語

おら

スチ

ンは

み、

ンド

ー教

マラー

ィ語

を読む

塾。

また、コーンクニi語自体に様々なヴァリエーションがあり、話

者の社会的位置づけにより、多

様な言語的要素が彼らの母語に侵入

していくという問題もある。高力iストのヒンドゥー教徒同士であ

れば、サンスクリ

ット語やマラーティ語の語彙を多用するだろう。

ポルトガル植民地時代に植民地政府と近か

ったクリスチャンは、ポ

ルトガル語の影響を強く受けたコーンクニー語を喋る。更に馬地域

ごとにアクセントや語彙が異なり、コーンクニi語の標準化が難し

い状況である。

公用語としての標準化、整備

が進まな

いのに加え、人々の間で歴

史的に蓄積された

「キッチン

・ランゲージ」としてのコーンクニー

語という考えは根強く、ゴアの多くの人々が

「役に立

つ」、「価値の

高い」言語、つまり英語やマラーティ語の習得を目指す。ゴアにお

ける産業は、十分な就労機会を与えるまではいかず、ムンバイ等の

・インドの都市部、中東のドバイ

やサウジアラビアに出稼ぎに行くた

めにはマラーティ語や英語の能力が

「母語」に勝る。そのため、先

に見たように、英語ミディアム、・あるいは

マラーティ語ミディアム

の学校に通う子供の数は

コーンクニー語ミディアムに通う子供

の数

よりも多

い。またい特にクリスチャンに多く見られるが、英語と

ーンクニー語のバイリンガルの両親が、子供に英語で話しかけ、子

供の母語が英語になるよう

「言語乗り換え」を進める場合がある。

こう

いった傾恂を批判し、フレデイ

・ダ

・コスタ神父は、「クリスチ

ャンの間で、英語による結婚式などの儀礼が増加し、コーンク

ニー

語の発展を妨げている」と述べている套。コーンクニi語支持の運

動家から見れば、母語離れが止まらな

い状況にある。

しかし、その

}方で、筆者が本論最初のエピグラフに引

いたゴア

の青年のように、英語を母語にしつつも、民族の

「母語」としてコ

ーンクニi語を所有する態度もある。母語としては、コーンクニー

語を話さないにも関わらず、「ゴア人」という民族の言語としてコー

ンクニー語と関係を持つのである。

以上のように、ゴアの母語と

「母語」を巡る状況は、「母証巴

のロ

ジックを主張する言語ナショナリスト、価値の高

い言語を志向する

人々湘母語ではない

「母語」と関係を持

つ人々など、「母語」

への

様々なポジショニングの絡まりあ

いの中、複雑な様相を見せている。

.㌔

匚」

「私

のこ七ば

」、「私達

のことば

の所有

「母語」を民族固有の言語之考え、公的領域での母語使用、母語

教育の整備を目指す立場、価値のある言語を志向する立場、そして

言語乗り換えを行いつつ、「母語」を自分のアイデンティティの指標

として有する立場。これちの、ゴアで見られた全

ての立場が、近代

私の ことば、私達の ことば

馳79

Page 15: Osaka University Knowledge Archive : OUKA...僕 の 母 語 は コ ー ン ク ニ ー 語 だ よ。君 の 母 語 が 日 本 語 の よ う に ね。で も 、 僕 の 家

に特有

の所有の問題i主体が自己に固有のもの

(所有物)と関係を

つことで《自律した存在となることーと関連しているように思わ

れる。「所

有」をキーワードに、鷲田清

一は、近年の身体加工や臓器移

植の問題について論じる。彼によれば、「かけがえのな

い私の身体」

「私の身体だからどのよう

に処分してもよい」という

一見矛盾し

た感覚は、近代における所有

権という概念

の確立

・浸透の結果生じ

てきた

(鷲田

一㊤㊤①》一〇り。。

糟b。OOO)。つまり、所有権の確立により、個人

はモノとの問に他の人々が持

たな

い特別な関係を生じさせる。そし

て、その特別なモノとの関係

は、反対に自律した主体としての個人

を規定する。この関係性の中

で、個人に所有されるモノは所有者に

固有

の存在

である。七かし、その

一方でそのモノは所有者の

一存で

誰かに譲り渡すなどの処分が可能である。この矛盾した所有権と可

処分権

の概念が身体にまで拡大され、先に述べた

「かけがえ

のな

私の身体」「私の身体の処分は私の

一存である」.どいう感覚が生まれ

てきた。

この鷲田の

「身体」に関す

る議論を言語についても応用できるの

ではないだろうか。

つまり、近代における所有権と

いう概念

の確

.浸透

の結果、自律的な主体としての個人にと

って

「私の身体」

が不可欠にな

った。私の身体は、固有の人格を有する身体である〔艀〉。.

それとともに、私に固有の言語11母語も主体が成立するための必要

不可欠な要素として現われてきた、と。ただし、母語の場合、近代

の国民国家

の言語H個人の言語という思考㊨影響から、集団に固有

の言語11

「母語」が主体成立分ために必要な個人の母語と同

一視さ

れるようになった。

.先に述べた三つの立場1

「母語」を民族固有

の言語と考え、公的

領域での母語使用、母語教育の整備を目指す立場、価値のある言語

を志向する立場、そして言語乗り換えを行いつつ、「母語」を自分の

アイデンティティの指標として有する立場1の違

いはレ言語の所有

者を個人に置くか、集団に置くかである。母語使用、母語教育

の権

利を主張する言語ナショナリストは、個人の言語

(11母語)を集団

の言語

(11

「母語」)に読み換える。そして、集団に同

一化し、集団

所有の言語を持

つことで」個人は固有のアイデンティティを持

つよ

うになる。その

一方で、「母語」を特別に所有せず、役に立つ価値の

高い言語を習得する

(自分のものとする)という立場は、言語の所

有者が個人であることを暗示する。そして、所有権

の可処分権の論

理に従

い、言語は

コミュニケーションの道旦ハであるから、より役

つ言語に取替える、という姿勢が現われる。最後

の、集団の言語

とは異なる母語を持ちつつも、象徴化された

「母語」を自己のアイ

デンティティの拠り所とする立場では、個人と集団が切り離される。

しかし、同時にその個人が集団の言語を所有すると

いう複雑な状況

が現れる。

このような言語の所有という感覚は、.先述したように、言語を客

体化した上で、その言語と特定の言語共同体、あるいは個人を関係

付けることである。しかし、特に多言語状況では誰がどの言語共同

体に所属するか特定するのは難しい。その言語共同体に固有の語彙

80

Page 16: Osaka University Knowledge Archive : OUKA...僕 の 母 語 は コ ー ン ク ニ ー 語 だ よ。君 の 母 語 が 日 本 語 の よ う に ね。で も 、 僕 の 家

や文法に則

って話すというよりは、人は種々多様な場で、コミュニ、

ケーションの相手との関係で使用する言語を決定する。この視点は、

身体は

「他者」と

の関係性の中

で成り立つという鷲田の指摘と

一致

し、言語の問題を所有

の問題系

の中で更に展開する可能性を示唆す

る。言い換えれば、「母語」の

ロジ

ックが主張する

一っの言語に結び

ついた主体、と

いう志向ではなく、様々な言語という関係性の中に

存在する主体を考える、という展開の可能性である。

6

わりに

現代世界では、言語ナショナリズ

ムの言説

のみならず、様々な言

語政策においても民族の言語としての

「母語」の所有

の問題は根強

い。例えば、インドの州公用語制度において、「母語」と

いう概念は

中心的位置を占める(↓三歪ヨ巴巴

b。OO一)。そして、ゴアにおけるコー

ンクニー語の言語ナショナリズ

ムもそこに基本的に依拠している。

つまり、人々の母語こそが公用語として用いられるべきだという前

提である。しかし、その

一方

で、「母語だからこそ学ばずともよい」

いう主張がなされる。ゴアのコーンク

ニー語話者の多くが、自分

達の母語は言語ヒエラルキ」

の中で低い地位にあることを認識して

いる。ヒンドゥー教徒の問で特権的地位にあ

ったマラーティ語でさ

えも、近年では、世界のリンガ

・フランカである英語こそを学ぶべ

きだと

いう、現代世界で進行中

の言語の価値ロジックに従

った動き

に押され気味である。

本論では、個人

(私)の言語11母語を民族

(私達)の言語11

「母

語」として象徴化するメカニズムが言語権などの言語ナショナリズ

.

ムの言説に見出せることを指摘した。その

一方で、「母語」を第

一に

置くのではなく、」どの言語を学ぶのが経済的に有利かと

いう視点に

基づく言語の価値などの様

々な論理が人

々の間にあることを明らか

にした。そして、言語ナショナリズムの現場では、活動家、たちの主

張する

「母語」のロジックのみならず、その他の論理が絡みあ

って

複雑な様相を呈していることをインド、ゴア州の事例を交えながら

問題とし、それらの論理が近代

の所有の問題系に据えられる可能性

について考えた。

現代世界では、.母語の権利を主張する言語ナショナリズムが起こ

一方で、母語から英語を中心とした価値のある言語

への

「乗り換

え」を行う人々もいる。活動家たちは、そう

い.った人々は

「母語」

を尊重しないと批判する。しかし、活動家と

「言語乗り換え」を行

う双方の.ロジ

ックともに近代と

いう

コンテクスト上で捉えうると

う視点を持

つことで、また新たな視野が開けるのではないだろうか。

謝辞本

論文中

のデータは、二〇〇

〇年

四月~二

〇〇

一年九

月、.二〇〇二年

~三月

、八月

の間

に筆者

がインド

、ゴ

ア州で行

った現地調査

で収集

され

た。

調査

は、文部省

(平成

年度

γジア諸

国等派

遣留

学生)、公益信託澁澤

族学

振興基金

(平成

一、四年度大学院生等

研究活動助

成)

の援助

により

可能

とな

った。また、本

論文

執筆中

に、

一世紀

COEプ

ログ

ラム

「イ

ンター

フェイ

スの人文学」、

「ト

ランスナシ

ョナリ

ティ研究

ロジ

ェクト」」の

一環

私の ことば、私達 のことば81

Page 17: Osaka University Knowledge Archive : OUKA...僕 の 母 語 は コ ー ン ク ニ ー 語 だ よ。君 の 母 語 が 日 本 語 の よ う に ね。で も 、 僕 の 家

として資金援助を受けた。関係諸機関にこの場を借りて感謝申し上げたい。

丁 注)

(2)

(31)

(4)

これは、

「あな

たの母語は何

です

か」と

いう筆者

の質問に対する返

であ

るゆ

会話は英

で行われた。

二〇代後半

のこ

の青年は、両

の仕事

の関係上

アラブ首長国連邦

で生

まれた。英語

によ

る教育

を受

け、成人し

てから

ゴアに帰

ってきた。

現在は中学校

で英語教

師をしな

、がら英

語学の修

士号取得

のためゴ

ア大学で勉強し

ている。

ヨー

ッパにおける

ナシ

ョナリズ

ムの二亜種

として、ドイ

ツと

ンスのナシ

ヨナリズ

ムの差

異が度

々問題と

される。前者は

フィ

テの

『国

民に告ぐ』

に示

されるよう

に、

言語を

共有する原初的

な意

での民族

の同

一性

に基

盤を置く。そ

れに対

し後

者は、

ルナ

「ン

「国民

とは何か」

にあ

るよう

に、言語

や人種

ではなく、共通

の過去と人

々の間にあ

る現在

の同意

や、とも

に生活

しよう

とする

思から発

してく

(ルナン

一〇〇刈、

ロマン

一8刈)。しかし、

一九

世紀

ヨー

ッパに起こ

った

ナシ

ョナリズ

ムの広がり

の中で、言語

、国民国家成立

の必要条件と

して考え

られるよう

にな

ったと

る。

「ダ

イグ

ロシア」ど

は、通常

「二言語併用状況」と訳され

る。

つの言語が上位言

語と

下位言語と

して社会

的機能を異

に併存す

状況

であ

る。

ァーガ

ソン

(「Φ「撃

ωOロ

一〇〇①)は、あ

る同

一言語

つの亜種

、例、えば高

地ドイ

ツ語

スイス

・ドイ

ツ語、古典

アラ

ア語と

現代

アラビ

ア語が異なる領域

で使

用される例を挙げ

てい

る。しかし、現在

では、

「ダイグ

ロシ

ア」

いう

概念

の意味は拡大

され、同

一言語

の亜種

のみならず、

アフリカに等

おける旧宗主国

の言語と俗

語の間

の関係

にも適用される。

母語は、

「第

一言語」

とも呼ばれ

る。

『言語

学大

辞典』(一〇りG臼)によ

(5)

(6)

(7)

(8)

れば、母

語と第

一言

語が

一致

しな

い人

々も

いると

いう

。例えば

何らか

の理由

で自分

の所

属する言語社会

から離れ、言語

取替

えが

った場合

であ

る。

その際、話し手がも

っと

も自然

に考え

、使

用可能な言語が第

一言語

になる。

一九

四入年

「世界人権宣言」は、第

二条

にお

いて、「す

べて人は、

人種

、皮

の色、性、言語、宗

教、政治上そ

の他

の意

見、国

民的

若しくは社会的出身

、財産、門地

その他

の地位」

に関わらず

、「す

べての権利と自由を享受す

ることができ

る」ど規定し

ている。

世界書語権会議

は、国際

ペンクラブの翻訳

・言語権委

員会および

カタ

ルー

ニャのOH国護国Σ

(スペイ

ンのカタ

ルー

ニャにあ

る少数民

の調査

・研究

・支援を行う非政府組織)

の先導

で、

NG

O団体、

ベンセンターの代

表、言語法制

の専

門家など九

〇ヵ国

から二

二〇

が.バルセ

ロナ

に集ま

って開催

れた

(言

語権

研究

一㊤⑩O"

一9

酒井直樹は、国民語

11日本語誕生以前

一八世紀

日本

の言語状況

ついて以

下のよう

に述べて

いる。

一八世紀

の日本列島

では、漢文、和漢混交文、

いわゆる擬古文

候文、歌文、

そして俗

語文と

いうよう

に、多

の異な

った文

と書

記体系

が用

いら

れて

いた

これら

の異

った雅俗

混交

(マカロニック)な文体

は、地方別

の俚言、あ

いはお

国ことば

ともに混在し

ており、

それぞれを民族言語

とし

てひと

つの輪郭

に収める

ことは

できな

った。…個人は異

った言語

に重層

に帰属し

ており、ひと.つの言語共同体

に無媒介

に同

一化す

るこ

とができ

るとは思

いも

よらなか

った。…

(酒井

一ΦりO…一鐔

山◎。㎝)

正書法の整備、文法の確立(「母狃理

による学校教育の導入を目指

「母語」の復権運動に関しての具体的事例としては、(砂野

82

Page 18: Osaka University Knowledge Archive : OUKA...僕 の 母 語 は コ ー ン ク ニ ー 語 だ よ。君 の 母 語 が 日 本 語 の よ う に ね。で も 、 僕 の 家

NOOO)を、

フランスの地域

言語に関しては

(原

一ΦO刈)を参

照。

(9∀両者

の対立は、

一九

八五年八月

コー

ンク

ニー語派

が請願

のた

の示威行動

モルチ

(ミ曾魯

瓸)を行

ったこと

で勃発

した。

一九八六

に入り

、バ

ス爆破事件

など.の小競り合

いが続

いた後、、そ・の年

に衝

突が本

格化

した。ゴ

の各地

で高速道路

がブ

ックされ、

七人

の死者が出る惨事

にまで発展

した

ため、軍隊が出動す

ること

にな

った。

の騒ぎを収拾

するため、

翌年

二月四日

に公用語令

出され、

コー

ンク

ニー語

がゴ

アの公用語と

て認定された。それ

に伴

い、

同年

五月三

〇日にゴ

アはイ

ンド共和

国二十五番目

の州と

った

のであ

る。そ

の経緯

ついて詳

しく

は、鈴木

の論考

(鈴木

b。OO一ぴ)を参照。

(10)筆

者が

フィールド

ワー

クを

開始

した

二〇〇〇年

四月にも、三月

ζ

幻bd勺Qりによる

マラー

ティ語を

アの公

用語とす

る請

願がム

ンバ

イ高等

裁判所

ゴア支部

によ

って棄却された

ことを

って公用語問

が新聞紙上

で議論され

ていた。

(11)

一九九

一年

センサ

スによれば、

ア州

の主要

三言語

の話者は、

亅ンク

一一-語話

者が、六〇万二、六二六人

(五」

・五%)、

マラー

ティ語話者が、三九万

二七

〇人

(三三

・四%)、カ

ンナダ語話者が、

五万四、

三一.=二人

であ

(窪

8

く\タ耄

≦.8

昌瞿ωぢα一p・昌簿より)。

しか

し、こ

の数字も

どれ程信用

してよ

いのかは分か

らな

い。二〇

「年

のセ

ンサ

ス調査

の際、母語を

マラー

ティ語と回答す

るよう

に、と

マラー

ティ語派が入

々に触

れ回

って

いると

の噂が立

った。

(12)ポ

ルト

ガル兵士ととも

にゴ

アにや

ってき

フランシ

スコ会

(}五

一年)、イ

エズ

ス会

(一五二四年)

の宣教師

により、

一六世紀の

に既

コー

ンク

ニー語

の研究が始め

られて

いた。例えば、

エ.

ス会士

、トー

マス

・ステ

ィーヴ

ンズ

による文法書

『カナ

リン語

(コー

ンク

ニー語)

の文法

(》はΦ§

い貯oq§

G鳶

.臼)

(一六四

○年

)が挙げ

られ

(℃①N①一村9一〇〇〇bO)。

この宣教師による

コー

ンク

ニー語記述を受け継ぎ

つつ、・一九八七年

の公

用語令

に基づき

デー

.ヴ

ァナーガリー文字

での辞書

編纂(百科事典

発行など

が行

われ

いる。

一九九九年、

二〇〇

一年

コー

ンク

ニー語

・英語辞書

、二巻

が出版された(bdo鱒曽憎Φけ四一・一㊤Φ㊤bOO一)。また、

一九九六

から二〇〇

〇年ま

でにゴ

ア大

にまる

コ」ンク

ニi百科事

典四

.

が出

版され

ている。また

、ビジネ

ス用

コーンク

ニー語

の指

南書

(切訂

≦①簿

9。一」りり㊤Vも出版され、て

いる。

(13)その中

では、

コー

ンクニー文学

の父と呼ば.れ

るシ

ェノイ

・ゴ

エン

バブ

.が

㎝九

六年

『コー

ニー

の勝

利』

(映o臥叶鳶

鴇野Φ臼

N竃じ

(一り◎。只一Φb。①))を出版し、先鞭を

つけた。

コーンク

ニー文学

の発展

ついては、サ

ルデサイ

(ω贄ユ①。。ω巴

b。OOO)

が詳

い。.

(14)

コーンク

ニ⊥

言呈叩協会は、

マダ

・マンジ

ユナ

ート

・シ

ャンバL

グ(ζ9αず四くζ9。a⊆5讐『ω『ロ昌げげ90q)により、

カルワヨ

ル(国震≦9。『、

層コンカ

ン海岸沿

い、ゴ

ア州

の南

にあ

るカルナーダ

カ州

の都市)にて

一九三九年に設立

された

(勺①「O一『O一りΦbO)。ゴ

・コーンク

ニレ

アカデミLは、

「九八六年

㌍設立ざれたゴ

ア政府

の機関である。

(15)本稿では、紙幅

の関係

ユー

ンク

ニー語をど

の文字

で書く

かハと

いう文字

のポ

リティクスに

ついて触れ

ることが

できな

ったつク

.リ

スチ

ャンは

コーンク

ニー語を

ロー

マ字

で書き

ヒンドゥ」教徒

はデーヴ

ァナーガ

リi文字

(ヒンディー語

マラー

ティ語も

字で筆記され

る)を用

いる。実は、

コーンク

ニi語話者

は、ゴ

のみならず、

マハーラーシ

ュト

ラ州、

カルナータカ州、

ケ!ラ

ラ州

に広

っており、

ロー

マ字、デーヴ

ァナLガリi文

字に加え

カンナダ文字、

マラ.iヤ

ラム文

字、アラビ

ア文字

でも筆

記される。

この点

については、別稿

で論じる予定である。

私 のことば、私達 のことば83

Page 19: Osaka University Knowledge Archive : OUKA...僕 の 母 語 は コ ー ン ク ニ ー 語 だ よ。君 の 母 語 が 日 本 語 の よ う に ね。で も 、 僕 の 家

(16)ナヴ

ヒンドタイ

ムズ

(さ

§

註魁ぎ

Φω)二

〇〇

一年八月二一二日

記事

より。

(17)主体と

人格

の問の関係は、最近

人類学

の中でも問題とな

っているゆ

たとえば、.『民族学

研究

』.第

六七巻

.一号

におけ

る特集

「危機に瀕し

人格」

に収録

の中

(敏

).(b⊃OOb。)、中

(理)(b。OOb。)、佐

(卜。OOb。)の三論文を参照。

.ア

ンダ

ツ、.ベネ

クト

6

り刈

『増

体』、白

石隆

・白

N

T

T

版。.

しd冨

≦ρ

bd7⊆曁

Φけ餌一」

Φ8

助識

b惹

為註、詈

謹き

丶簿

9。臼魯

(ωロω露

ωω閑8

皆○霞

けけ興

則Φ冨

)(三

宍o=冨

9

∪Φ<9。蠧

伽qβ。甑

のo誌讐

)"℃9口畳

"ヵ2,瞿

8

p

切OH訂

ω織

①筈

9

巴●

一〇8

沁勘粤

b惹

丶終

自丶器

鶚無

bド艶9自鋤侍

≦U丶●ト

勺p。Pa一冖力a鋤ニコω<津震

bQO2

匍融鋤竃b恥き

bキ題良

穿

魁駐ぴ

蹄幾

Φ魁b丶9丶o旨幾

くo丶・N

勺9コa皆ヵaP⊆昌ω<帥冨蕁

P

エ、

ルイ

目ジ

b。OO一

『社

学』、萩

、白

(文

セジ

ュ)。

マス

ロリ

」↑㊤Oω

『こ

の経

済学

』、

訪功

・菊

・大

国ωけ①<①ρ

切鋤弉O

δ◎o①

堤驚Oω山bqぎ

匿隠O曳

9

鋤魁Φ「魯

OOや

Z①ミ

∪①テ曽

①盛

poα勺昌

.

閃奠

oq¢ωO梦

O『9⊃ユΦω〉・一〇ΦO.⑦O皀Oく丶旨伽qミ段甘

誘bΦO讐く$

、評

bΦ銹

O旨

卜勉旨題

題鷺

⑦O息Φ§

」8

やN§

.↓『Oヨ

==9

5興

(①α●)○改O「臼

○昏

「α

q巳

く臼

匹¢

①瞼●

閃興口固Pα①ρ

〉口話

=9口O

δ

り刈

9

ぴ註

簿

OO奉

§

Φミ

QO鋤N◎ミ

ーN§

、》

ΩぜO良黛Φ儀』b鋤言

O丶恥O冷

題奉

O丶OO奉

§

叶鋤旨魁ぎ

敏蹴8

賊旨

OOや

勺口口a皆ζ

四⊆話

ΦP帥

O餌ヨ<Φけ●

(編

)

㊤Φ

『こ

の権

言語

か』、

Oo①ヨぴ四ダ

ω『①5コ9

δ

◎oα..§

Φ

謹忌

o丶さ

、国口oq一一ω7

Φ蓉

oけの

(霞碧

ω巨

.9

幻・Z2

巴評)蹄03

旨蠧

旨ミ

鋤器

9

Φ謹

Nσ丶登

bdo81訂

Oo日炒昇

勺冠ぢ江晨

勹お

ωωし

りbδ9

00拶↓O山o団L≦臼。《山艮矯●

 

Ooa

oP

608≦鋤讐

6

Φ◎。

§

Φ§

き窃

軌8

高Q。NQ。拿

Φ〉げミ

9

臼e眠啻

o曼

09冫諺再

こoq①"O鋤日訂

己oq①¢ロ一く興

除蔓

勺話

ωω・

一Φり刈

「フ

ス.の地

語」、

三浦

(編

).『多

』、

書店

、ロ℃・。。O-8

出四ω。陰国pOoロび

〉ヨ

NOOO

、、日ケ①勺o=匡8

σ宀>ーロo=江o巴

ピ一昌oQ三

ω臨o凱

い3

印q巳

ω国旨α

=

昌oq巳

9

α①、ド

幻σ9

℃げ≡

6

のop.(Φ侮.)沁丶窓

8

卜鼬b恥=廻晦Φ、肉Qミ

鉢ざ

℃OミΦひ

勉旨氏

肉儀qO恥笥O斜

ζ

90げ≦翁。ぼ

ピpユ哥村Φ口OΦ

国二σOロヨ

〉のの09讐

①ω

鬮Ob.ωω山Φ・

・千

引河

六郎

一㊤Oα

『言

6巻

語編

』、

田順

一8

「こ

の多

11活

化ー

フリ

の体

ら」、

三浦

(編

)

『多

か』、

書店

レ一。。-も。ω。

ζ

四けω爵

p。≦ρ

内《○評O

b⊃OObo

、丙Oロ犀餌巴

卸コα

.OO四ロ

HαΦ5萬受

..ぎ

勺Oωけ-OOδ艮巴

OoP

虫田..、

『南

アジ

ァ研

}四号

ロb●旨

一山念

b。OOb。

「主

の解

にお

る失

シオ

の実

ら」、

『民

研究

一号

●①b。尚◎。。

b。OOb。

「未

の人

、文

の.人

」、

『民

一号

℃P心Φ-2

乞Φヨ山島ρ

bdプ巴079p仙鑓

6

ΦO.§

Φ貯

匙q§

o丶寒

曳丶昏

¢旨

§

丶山臨

丶、》

⑦09。O丶貯蹙

む蹴O山旨既⑦書

賦O⑦貯曇

勺β。昌a皆.幻鉱げ田¢すω<陣霞β⊃P

.

F

1

Page 20: Osaka University Knowledge Archive : OUKA...僕 の 母 語 は コ ー ン ク ニ ー 語 だ よ。君 の 母 語 が 日 本 語 の よ う に ね。で も 、 僕 の 家

乞鬯

oq一≦田誤

δpoq.o

N80(一㊤◎。O>

..誤

Φピき讐

90qooh≧ゴo碧

団けΦ蠢け霞

ρ.

、じ野

爵①①ヨ

。量

)℃§

Φ匍。霆

①啻

いき

儀曾

§

81

.

ピo銭

8

o昆

σqρ9

心ムお

勺興の蹄鋭〉簿oほ9

一〇◎。b。

Φミ魁寄銹

時惹註

臼融螽

建奉'ぎ

σ一一筈巴

9

.けゲΦ

P`け70同

勺奠Φ一蠧

oωΦ

一Φ8

史鉢Φ、鋤信

映§

ミ、》

切識Φ丶越衷

o曼

"℃畧

a曽08

囚05評鋤巳

〉評PαΦヨ一曹

ブイザプ

ソン、

ロバートと

スク下ナブーーカンガ

ス、ト

ーヴ

一㊤⑩リ

コ言語的

.不正

と言語権」

木村護郎

訳、言語権

研究会

(編

)、

『ことば

の権

利-言

語権とはな

にか』、

三元社、.ロロbO山N。。。

ルナン、

エルネ

スト

一Φ鶏

.

「国民とは何か」、.鵜飼哲

訳、鵜

飼哲他訳

『国

とは何

か』、イ

ンスクリプト・・河出書房新社

、づ歹心∵罐。

マン、ジ

ョエル

一ΦΦ刈

「二

つの国民概念」、大

西雅

一郎

訳、鵜飼哲他

『国民とは何

か』、イ

ンスクリプト

・河出書房新社

、ロ梦刈ムO。

酒井直

樹」

り㊤①

『死産

される日本語

・日本人』、新曜社。

ω錠∪ΦωωΩ。rζ穹

。匿

b。OOO

象。韓

。丶兮

旨蠧

Φ丶題§

①曾

§

8

4」§

Z①≦

∪Φ巨

"Go咢

一蔓β。≧

ハ巴

①B一■

佐藤知久

卜。OO卜。

.「共通性と共同性-田

くとと

もに生き

る人

々のサポ

ートグ

.ループ

にお

ける相

互支援

と当事者

性をめぐ

って」、

『民族学

研究』六七

一号

、ロP刈㊤-りQ。。

Q。巨

9暮σ栄

oq四P

↓o<Φ

一り8

.両9

8ま

口oh竃50H三Φω."冒

}o。・喜

9}

国ωげ甘穹

(巴●)矯評

.o丶卜§讐

勁畭

魁.肉蕁註o冠

Φ訃

丶§

○首

○き

a

q巳くΦNω一蔓

①ωρロP島

-$

.

スクトナブ

ーーカンガ

ス、ト

ーヴ

NOOO

「言語権

の現在⊥

言語抹殺

に抗

して」

木村護郎編訳

、三浦

信孝

・糟谷啓介

(編)

『言語帝

国主義とは何

か』、藤原書店、Oロb㊤ω-ω一ト。

野幸稔

b。OOO

「旧仏領

フリカ

にお

いてア

フリカ言語はど

のよう

にし

『復権』され得る

のか?i

セネガ

ルの事例か

ら」、三浦

信孝

・糟谷啓

(編

)『言語帝国主義とは何か』、藤原書店、ロPb⊃宝-b。一①。

鈴木義里

卜。OO冨

『あ

ふれる言語、あ

ふれ

る文字ーイ

ンド

の言語政策』、右

文書院。

b。OO一σ

「ゴアの言語紛争

(一りQo㎝-Qo刈)⊥

言語、宗教、政治1」、『ア

・・ア

フリカ言語文化

研究』、

一巻、ロP卜。器

歯謹。

立川健二

b。OOO

『ポストナショナリズ

ムの精神』、現代書館。.

田中克彦

一り。。一

『ことばと国家』、岩波書店

(岩波新書)。

b。OO峇

りり一)

『言語

からみた民族と

国家』、岩波書店

(岩波

現代文

庫)。

.↓7写ロヨ巴巴℃ζ

●Qo●

NOO一

..H昌画貯昌

OΦコωロω.、(イ

ット

ず§

"\\萋

一穹醫

節oQΦ巨

コ§

.8ヨ\四9

一NOO一\5α一磐

8

房磊

).

ウォーフ、

B

・L

一り刈O

「習慣的な思考および行動と言

語の関係」、池

上嘉彦

訳、

「E

・サピ

ア、

B

・」

・ウォ正

フ他

『文化

人類学と言

語学』、

弘文堂、OP㊤ム①。

ァイ

スゲ

ルバi、レオ

一り逡

『母語

の言語

学』、

(福

田幸夫

訳)、

三元

社。

田清

一㊤り①

『じぶん

・この不思議な存在』、.講談社現代新書。

一〇㊤◎。

『悲鳴をあげ

る身体』、勺国勺研究所。

b。OOO

「所有と固有

」買o實一ひまと

いう

概念を

雄ぐ

って⊥

」大庭健、

田清

(編

)『所有

のエチカ』、ナカ

ニシヤ出版、署

.や自

私 のこ とば、私達 のこ とば85

Page 21: Osaka University Knowledge Archive : OUKA...僕 の 母 語 は コ ー ン ク ニ ー 語 だ よ。君 の 母 語 が 日 本 語 の よ う に ね。で も 、 僕 の 家

My Language, Our Language: Notes on Cultural Apparatus

Called `Mother Tongue' and Linguistic Nationalism

MATSUKAWA Kyoko

The strong relation between language and community started to be emphasised in the modern

times. The relation has been embodied in the idea of nation's own language in the nationalisms of

newly-rising nation-states in the 19th century . As ethno-nationalisms in multinational and multilinguistc countries increased, the framework of nation-state trembled . However, the principle of the peculiar language for a community (nation) has not changed until now.

In this article, I examine how the principle of nation's own language appears in the discourses of

linguistic nationalism, in relation to the concept of mother tongue . First, I look at arguments about linguistic right and point out that as a prerequisite for the right we can find "the logic of `mother

tongue"' which transforms individual's mother tongue into the `mother tongue' of a linguistic

community. Secondly, I indicate how `mother tongue' becomes objectified through education in the

mother tongue and standardisation, and becomes transformed into the 'peculiar' language of a

linguistic community. Some cases of linguistic nationalism in Goa are given in order to show what

situation arises in reality over the logic of `mother tongue' . Finally, I suggest that the concept of `propert

y' can shed light upon problems related to the claim of peculiar `mother tongue' and the

disposition towards useful languages.

Key Words `mother tongue'

, linguistic right, linguistic nationalism, property, Goa

86