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じゅうにんといろ
2019年6月作成GZJP.GD.19.05.0374
ゴーシェ病の患者さんとご家族、そして関係する方々のための情報サイト
病気や治療について知りたい
ゴーシェ病の患者さんのことが知りたい
社会保障制度について知りたい
どこの病院に行けばいいか知りたい
ライソライフ ゴーシェ病
https://www.lysolife.jp/gaucher
●免責事項:「てとての窓口」では、病気に関連する情報を可能な限りご提供いたしますが、ご期待に添えない場合もございます。また、「てとての窓口」は医療機関ではございません。法律で定められておりますので、診療や治療、薬剤の提供はいたしかねます。あしからずご了承お願いいたします。●個人情報の取り扱い:「てとて」で取り扱う個人情報は、弊社の規定に従い厳重に管理いたします。また、「てとて」のサービス内のみで使用し、同意を得ることなく目的外の使用や第三者に提供することはございません。
和式トイレで母親が私の足を抱え上げた瞬間、
関節の音が聞こえ、足に激痛が走る
母親によると、体を揺らすような歩き方をしていた
足に装具を着けて通園・通学。遠足はもちろん、
通学も小学校から高校まで母親が付き添ってくれていた。
体育の授業は見学。外で遊べないので、
絵を描くのが大好きに
小学校時代は1年の3分の1くらいは骨痛や原因不明の
体調不良で欠席していた。高学年になると、
お腹が腫れて痛むように
治療を開始通信制の学校で勉強しながら、
絵の勉強も始める
ゴーシェ病治療薬 発売
患者会に参加いろんな年代や症状の患者さんがいることを
知って驚いた
協力:日本ゴーシェ病の会
治療薬を変更薬の切り替えで1ヵ月ほど
治療を受けられない時期があり、
重い疲労感が蓄積。
東日本大震災美術講師の仕事を始める。20代後半からはメールの普及で
患者会の人たちとの交流が活発に
治療が継続できて良かった
家族ががんを患い、1年程闘病の末に
他界。
近所の整形外科に入院。大学病院での
検査を勧められる
ゴーシェ病Ⅰ型と診断される
女性40代Aさんの
これまでのあゆみ
治療を始めて体が楽になった
支えられる側から支える側に。
私を大切にしてくれた家族が患者という立場になったことが何よりつらかった
43歳・現在
薬で症状が抑えられるようになり、通常の生活を送れることが
何よりの幸せ
子どもたちに絵や工作を教えるのが一番の楽しみ
身長が一気に伸び、骨に強い痛みを感じる 成長痛か病気による
骨痛かわからないけど、尋常じゃない痛みだった
3歳頃
幼稚園~小学校低学年の頃
小学校高学年の頃
中学生の頃
19歳頃
20歳頃21歳頃
情報が少なく、ほかの患者さんの話を聞いてみたかった
34歳頃
美術講師
女性40代
病気にとらわれないで、本当にやりたいことにはぜひ挑戦して
初めて足に痛みを感じたのは3歳の頃。和式トイレで母親が私の足を抱え上げた瞬間、股関節が‘コキン’と鳴り、激痛が走って動けなくなりました。 近所の整形外科で股関節の骨がすり減っていることがわかり、牽引治療を受けました。しかし、数度のエックス線検査で骨の様子に違和感を覚えた先生から大学病院を紹介され、ゴーシェ病のⅠ型と診断されました。 それからは何の前触れもなく、強烈な痛みに襲われることがたびたびありました。痛む箇所はいろいろです。当時は治療薬もなく、座薬や湿布は気休め程度。一度痛みが起こると1週間は続き、息をするのも泣くのも痛く、痛む箇所を押さえてじっと耐えていました。 あざがよくできたり、疲れやすいのは日常茶飯事でしたが、小学生の終わり頃からはお腹が腫れて痛む
ようになりました。朝は腫れていなくても、疲れのたまる夕方には腫れが目立ち、スカートのホックが留まらなくなるくらいでした。 子ども時代は入退院の繰り返しでしたが、両親が明るく、2人の兄も支えてくれたお陰で、病気を深く考えることはありませんでした。学校の友だちも状況を理解して一緒に遊んでくれたので、困難も自然と受け入れながら成長したように思います。
薬が使えるようになったのは18歳の頃でした。小さい頃から病気を当たり前だと思っていたので、治療のことなど考えたことがありませんでした。だから薬があると知ったときは、「薬を必要としている人のことを考えてくれる人たちがいるんだ」と驚いたほどです。 治療を始めて半年ほどでいろんな症状が楽になりました。車の免許も取り、出か
ける機会が増え、行動範囲が一気に広がりました。 患者会に参加したのもこの頃からです。同じ病気の患者さんたちと会える機会があるなんて、想像もしませんでした。最初は緊張して何を話せばいいか戸惑いましたが、年数を重ねるごとにお互いのことを話せるようになり、今では患者会で皆に会えるのが楽しみです。
ゴーシェ病は病型によって発症時期や症状、進行の程度が異なり、患者さんによって症状はさまざまです。Aさんの場合は骨症状をはじめとした全身症状のために沢山つらい思いもされたようですが、自分の強みを見つけて、それを生かして人生を楽しんでおられ、とても素敵だなと思います。これからも前向きにクリエイティブな能力を発揮して充実した毎日を送っていただければと思います。
鳥取大学医学部附属病院 脳神経小児科 助教 成田 綾 先生
監修医からのメッセージ
治療とほかの患者さんたちとの出会いで、一気に世界が開けた
入退院を繰り返した子ども時代、学校に行けるだけでうれしかった
小さい頃から運動ができなかったので、絵を描くことや折り紙などの手作業が得意でした。今はそれを生かし、週末に絵画教室で子どもたちに絵や工作を教えながら、実家で家族と暮らしています。今では骨痛やお腹の腫れも治まり、こうして通常の生活ができることが何よりの幸せです。
病気は誰のせいでもありません。両親を恨んだことは一度もなく、幼い頃から病気も含めて全て自分自身だと思って受け入れてきました。病気だからといって悪い面を考えるとキリがありません。「楽しいことがいっぱいある」という気持ちで、これからも好きなことを続けていきたいと思っています。
楽しいことを考えながら暮らしていきたい
Aさんの作った消しゴムハンコの作品と自作のアクセサリー。絵を描くだけでなく、アクセサリー作りも得意で、友人にプレゼントすることも
じゅうにんといろ
2019年6月作成GZJP.GD.19.05.0374
ゴーシェ病の患者さんとご家族、そして関係する方々のための情報サイト
病気や治療について知りたい
ゴーシェ病の患者さんのことが知りたい
社会保障制度について知りたい
どこの病院に行けばいいか知りたい
ライソライフ ゴーシェ病
https://www.lysolife.jp/gaucher
●免責事項:「てとての窓口」では、病気に関連する情報を可能な限りご提供いたしますが、ご期待に添えない場合もございます。また、「てとての窓口」は医療機関ではございません。法律で定められておりますので、診療や治療、薬剤の提供はいたしかねます。あしからずご了承お願いいたします。●個人情報の取り扱い:「てとて」で取り扱う個人情報は、弊社の規定に従い厳重に管理いたします。また、「てとて」のサービス内のみで使用し、同意を得ることなく目的外の使用や第三者に提供することはございません。
和式トイレで母親が私の足を抱え上げた瞬間、
関節の音が聞こえ、足に激痛が走る
母親によると、体を揺らすような歩き方をしていた
足に装具を着けて通園・通学。遠足はもちろん、
通学も小学校から高校まで母親が付き添ってくれていた。
体育の授業は見学。外で遊べないので、
絵を描くのが大好きに
小学校時代は1年の3分の1くらいは骨痛や原因不明の
体調不良で欠席していた。高学年になると、
お腹が腫れて痛むように
治療を開始通信制の学校で勉強しながら、
絵の勉強も始める
ゴーシェ病治療薬 発売
患者会に参加いろんな年代や症状の患者さんがいることを
知って驚いた
協力:日本ゴーシェ病の会
治療薬を変更薬の切り替えで1ヵ月ほど
治療を受けられない時期があり、
重い疲労感が蓄積。
東日本大震災美術講師の仕事を始める。20代後半からはメールの普及で
患者会の人たちとの交流が活発に
治療が継続できて良かった
家族ががんを患い、1年程闘病の末に
他界。
近所の整形外科に入院。大学病院での
検査を勧められる
ゴーシェ病Ⅰ型と診断される
女性40代Aさんの
これまでのあゆみ
治療を始めて体が楽になった
支えられる側から支える側に。
私を大切にしてくれた家族が患者という立場になったことが何よりつらかった
43歳・現在
薬で症状が抑えられるようになり、通常の生活を送れることが
何よりの幸せ
子どもたちに絵や工作を教えるのが一番の楽しみ
身長が一気に伸び、骨に強い痛みを感じる 成長痛か病気による
骨痛かわからないけど、尋常じゃない痛みだった
3歳頃
幼稚園~小学校低学年の頃
小学校高学年の頃
中学生の頃
19歳頃
20歳頃21歳頃
情報が少なく、ほかの患者さんの話を聞いてみたかった
34歳頃
美術講師
女性40代
病気にとらわれないで、本当にやりたいことにはぜひ挑戦して
初めて足に痛みを感じたのは3歳の頃。和式トイレで母親が私の足を抱え上げた瞬間、股関節が‘コキン’と鳴り、激痛が走って動けなくなりました。 近所の整形外科で股関節の骨がすり減っていることがわかり、牽引治療を受けました。しかし、数度のエックス線検査で骨の様子に違和感を覚えた先生から大学病院を紹介され、ゴーシェ病のⅠ型と診断されました。 それからは何の前触れもなく、強烈な痛みに襲われることがたびたびありました。痛む箇所はいろいろです。当時は治療薬もなく、座薬や湿布は気休め程度。一度痛みが起こると1週間は続き、息をするのも泣くのも痛く、痛む箇所を押さえてじっと耐えていました。 あざがよくできたり、疲れやすいのは日常茶飯事でしたが、小学生の終わり頃からはお腹が腫れて痛む
ようになりました。朝は腫れていなくても、疲れのたまる夕方には腫れが目立ち、スカートのホックが留まらなくなるくらいでした。 子ども時代は入退院の繰り返しでしたが、両親が明るく、2人の兄も支えてくれたお陰で、病気を深く考えることはありませんでした。学校の友だちも状況を理解して一緒に遊んでくれたので、困難も自然と受け入れながら成長したように思います。
薬が使えるようになったのは18歳の頃でした。小さい頃から病気を当たり前だと思っていたので、治療のことなど考えたことがありませんでした。だから薬があると知ったときは、「薬を必要としている人のことを考えてくれる人たちがいるんだ」と驚いたほどです。 治療を始めて半年ほどでいろんな症状が楽になりました。車の免許も取り、出か
ける機会が増え、行動範囲が一気に広がりました。 患者会に参加したのもこの頃からです。同じ病気の患者さんたちと会える機会があるなんて、想像もしませんでした。最初は緊張して何を話せばいいか戸惑いましたが、年数を重ねるごとにお互いのことを話せるようになり、今では患者会で皆に会えるのが楽しみです。
ゴーシェ病は病型によって発症時期や症状、進行の程度が異なり、患者さんによって症状はさまざまです。Aさんの場合は骨症状をはじめとした全身症状のために沢山つらい思いもされたようですが、自分の強みを見つけて、それを生かして人生を楽しんでおられ、とても素敵だなと思います。これからも前向きにクリエイティブな能力を発揮して充実した毎日を送っていただければと思います。
鳥取大学医学部附属病院 脳神経小児科 助教 成田 綾 先生
監修医からのメッセージ
治療とほかの患者さんたちとの出会いで、一気に世界が開けた
入退院を繰り返した子ども時代、学校に行けるだけでうれしかった
小さい頃から運動ができなかったので、絵を描くことや折り紙などの手作業が得意でした。今はそれを生かし、週末に絵画教室で子どもたちに絵や工作を教えながら、実家で家族と暮らしています。今では骨痛やお腹の腫れも治まり、こうして通常の生活ができることが何よりの幸せです。
病気は誰のせいでもありません。両親を恨んだことは一度もなく、幼い頃から病気も含めて全て自分自身だと思って受け入れてきました。病気だからといって悪い面を考えるとキリがありません。「楽しいことがいっぱいある」という気持ちで、これからも好きなことを続けていきたいと思っています。
楽しいことを考えながら暮らしていきたい
Aさんの作った消しゴムハンコの作品と自作のアクセサリー。絵を描くだけでなく、アクセサリー作りも得意で、友人にプレゼントすることも