s.フロイトの夢判断 - 福島大学...ルトmarie...

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S.フロイトの夢判断 1 * 福島大学総合教育研究センター・教育相談部門 Ⅰ.はじめに ジグムント・フロイトSigmund Freud (1856-1939) の 伝 記 を 著 し た ア ー ネ ス ト・ ジ ョ ー ン ズ(Jones, 1961)は,フロイトに彼の著書で何を一番好むかと尋 ねたときに,フロイトは『夢理論』(1900)と『性欲 論三篇』(1905)を取り出して,「『性欲論三篇』は一 般に受け入れられて,そのためにやがて時代遅れに なってもらいたいが,『夢判断』の価値はそれより長 く続くとよいと思っている」と答えたという。フロイ トは夢判断への興味として二つの出発点があり,一つ は患者の自由連想を追っていくと,夢を間にはさみ, それついての連想が形成されることに気がついたこ と,もう一つは精神病の幻覚では願望充足という特色 がしばしば明白に現れる観察からであったという。 フロイトは膨大な著作の中で,なぜこれほどまでに 『夢判断』に思い入れがあるのか。この著書の出版は 1900年であるが,隠れた願望の充足が夢の本質である ということを見出した「イルマの注射」の夢は1895年 7月で,最初の着想から5年もの歳月が流れている。 この間,1896年10月23日にフロイトの父ヤコブが81歳 で亡くなり,1897年から1900年にかけて彼の神経症が 絶頂に達した。気分が極端に変化し,時折発作的な死 の不安と,鉄道旅行に関するもので,汽車に乗り遅れ るのではないかという不安があった。 そこで1897年の夏,フロイトはベルリンの耳鼻科医 ヴィルヘルム・フリースWilhelm Fliess (1858-1928) を相手に自己分析に着手した。フリースとはその10 年前の1887年の秋,ヨゼフ・ブロイアーJosef Breuer (1842-1925)を介して知り合い,その後5年のうちに 定期的な文通が行われた。オーストリアとドイツでの 「会議」と呼ばれる会合は1890年から始まり, 『夢判断』 が刊行された1900年まで続いた。『ヒステリー研究』 (1895)出版前の1894年の夏,ブロイアーとの学問的 な関係は終わるが,フリースはブロイアーと違って性 的な問題にたじろぐどころか,性を自分の仕事の中心 にしていたので,フロイトはリビドー理論(性欲論) をますます拡大した。また,ブロイアーが抑制的で用 心深く一般化することを嫌ったが,フリースは極端に 自信が強く,はっきりものを言い,ためらいもなく一 般化する気質であった。フリースはフロイトの新発見 と理論的説明に耳を傾け,それに判断を下した。ジョー ンズが指摘するように,フリースはまさにフロイトの 著作にとって「検閲官」の役割を果たした。しかし『夢 判断』の刊行後,フリースはフロイトの才能をねたん で疎遠になったと言われる。 フロイトとフリースの手紙は精神分析の起源を知る 第一級の資料であるが,フリースからフロイトに宛て た手紙はフロイトの手によって廃棄された。フロイト からフリース宛の手紙は,二人の関係を嫉妬したフ リースの妻イーダによってベルリンの出版社に売られ たが,フロイトの弟子でギリシャ王妃マリー・ボナパ ルトMarie Bonaparte(1882-1962)によって奇跡的 に保存された。フロイトの手紙は1887年から1904年の 間に284通あり,マッソン(Masson,1985)によって 編集されている。 フロイトは父の死の直後,自分の心情をフリース に「この死に際して心のなかにはおそらく過去のすべ てのことが甦ったのでしょう。僕は今まったくねこ そぎにされたような感じがしています」と述べて, S.フロイトの『夢判断』は父の死後,W.フリースとの間で行われた自己分析が生み出したもので ある。フロイトは夢内容(顕在内容)が夢思想(潜在内容)という原本を翻訳したものとして,そ の解釈に神経症理論を援用し,夢の内容の自由連想から,「夢は願望充足である」とした。夢が歪 められる「夢歪曲」は夢形成にあたり,夢に現せられる願望を形成し,さらに意識にのぼらせるか を決める「検閲」のためと説明された。夢思想から顕在夢を形成する「夢の作業」には圧縮,移動, 象徴形成,第二次加工がある。フロイトは「夢は無意識を知るための王道である」ことを見出した が,夢に無意識的な葛藤解決機能を与えなかった。彼は無意識を探求するメタ心理学として精神分 析を発展させたい願望が強く,同時に精神分析で無意識を支配できると信じたためであろう。 〔キーワード〕夢判断  自己分析  夢思想  夢歪曲  夢の作業  メタ心理学 S. フロイトの夢判断 ―自己分析が生み出したもの― 中 野 明 德*

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Page 1: S.フロイトの夢判断 - 福島大学...ルトMarie Bonaparte(1882-1962)によって奇跡的 に保存された。フロイトの手紙は1887年から1904年の 間に284通あり,マッソン(Masson,1985)によって

S.フロイトの夢判断 1

* 福島大学総合教育研究センター・教育相談部門

Ⅰ.はじめに

 ジグムント・フロイトSigmund Freud (1856-1939)の伝記を著したアーネスト・ジョーンズ(Jones, 1961)は,フロイトに彼の著書で何を一番好むかと尋ねたときに,フロイトは『夢理論』(1900)と『性欲論三篇』(1905)を取り出して,「『性欲論三篇』は一般に受け入れられて,そのためにやがて時代遅れになってもらいたいが,『夢判断』の価値はそれより長く続くとよいと思っている」と答えたという。フロイトは夢判断への興味として二つの出発点があり,一つは患者の自由連想を追っていくと,夢を間にはさみ,それついての連想が形成されることに気がついたこと,もう一つは精神病の幻覚では願望充足という特色がしばしば明白に現れる観察からであったという。 フロイトは膨大な著作の中で,なぜこれほどまでに

『夢判断』に思い入れがあるのか。この著書の出版は1900年であるが,隠れた願望の充足が夢の本質であるということを見出した「イルマの注射」の夢は1895年7月で,最初の着想から5年もの歳月が流れている。この間,1896年10月23日にフロイトの父ヤコブが81歳で亡くなり,1897年から1900年にかけて彼の神経症が絶頂に達した。気分が極端に変化し,時折発作的な死の不安と,鉄道旅行に関するもので,汽車に乗り遅れるのではないかという不安があった。 そこで1897年の夏,フロイトはベルリンの耳鼻科医ヴィルヘルム・フリースWilhelm Fliess (1858-1928)を相手に自己分析に着手した。フリースとはその10年前の1887年の秋,ヨゼフ・ブロイアーJosef Breuer

(1842-1925) を介して知り合い,その後5年のうちに

定期的な文通が行われた。オーストリアとドイツでの「会議」と呼ばれる会合は1890年から始まり,『夢判断』が刊行された1900年まで続いた。『ヒステリー研究』(1895)出版前の1894年の夏,ブロイアーとの学問的な関係は終わるが,フリースはブロイアーと違って性的な問題にたじろぐどころか,性を自分の仕事の中心にしていたので,フロイトはリビドー理論(性欲論)をますます拡大した。また,ブロイアーが抑制的で用心深く一般化することを嫌ったが,フリースは極端に自信が強く,はっきりものを言い,ためらいもなく一般化する気質であった。フリースはフロイトの新発見と理論的説明に耳を傾け,それに判断を下した。ジョーンズが指摘するように,フリースはまさにフロイトの著作にとって「検閲官」の役割を果たした。しかし『夢判断』の刊行後,フリースはフロイトの才能をねたんで疎遠になったと言われる。 フロイトとフリースの手紙は精神分析の起源を知る第一級の資料であるが,フリースからフロイトに宛てた手紙はフロイトの手によって廃棄された。フロイトからフリース宛の手紙は,二人の関係を嫉妬したフリースの妻イーダによってベルリンの出版社に売られたが,フロイトの弟子でギリシャ王妃マリー・ボナパルトMarie Bonaparte(1882-1962)によって奇跡的に保存された。フロイトの手紙は1887年から1904年の間に284通あり,マッソン(Masson,1985)によって編集されている。 フロイトは父の死の直後,自分の心情をフリースに「この死に際して心のなかにはおそらく過去のすべてのことが甦ったのでしょう。僕は今まったくねこそぎにされたような感じがしています」と述べて,

 S.フロイトの『夢判断』は父の死後,W.フリースとの間で行われた自己分析が生み出したものである。フロイトは夢内容(顕在内容)が夢思想(潜在内容)という原本を翻訳したものとして,その解釈に神経症理論を援用し,夢の内容の自由連想から,「夢は願望充足である」とした。夢が歪められる「夢歪曲」は夢形成にあたり,夢に現せられる願望を形成し,さらに意識にのぼらせるかを決める「検閲」のためと説明された。夢思想から顕在夢を形成する「夢の作業」には圧縮,移動,象徴形成,第二次加工がある。フロイトは「夢は無意識を知るための王道である」ことを見出したが,夢に無意識的な葛藤解決機能を与えなかった。彼は無意識を探求するメタ心理学として精神分析を発展させたい願望が強く,同時に精神分析で無意識を支配できると信じたためであろう。 〔キーワード〕夢判断  自己分析  夢思想  夢歪曲  夢の作業  メタ心理学

S. フロイトの夢判断―自己分析が生み出したもの―

中 野 明 德*

Page 2: S.フロイトの夢判断 - 福島大学...ルトMarie Bonaparte(1882-1962)によって奇跡的 に保存された。フロイトの手紙は1887年から1904年の 間に284通あり,マッソン(Masson,1985)によって

2012- 12 福島大学総合教育研究センター紀要第12号

葬式の夜に見た夢を書き送っている(1896年11月2日)。この夢は『夢判断』にも記載されている(中野,1995)。これ以後フロイトは自己分析を進め,1897年10月15日の手紙で初めてエディプス・コンプレックスに言及する。同年11月10日には「僕はまたもや自分がどこにいるか分からず,自分に大変退屈しています。僕はここから抜け出るために無理して夢の本を書くつもりです」と著作の決意を述べる。それからほぼ2年間,『夢判断』の執筆と自己分析は並行して進んだ。その間にフロイトはヒステリーの病因として,父に問題があるとする誘惑理論から,子どもに性的欲望があるとする欲動理論へと転向した(中野,2011)。精神分析はそれまでトラウマ心理学であったが,『夢判断』によって,意識の背後にある無意識を探求するメタ心理学(metapsychology)へと転向したのである。 『夢判断』は1899年10月27日までには完成して,一部はフリースに送られたが,出版は1900年になっている。六百部印刷されて,売り尽くすのに8年かかったが,フロイトの生前で8版まで出版され,最後のものは1929年である。1908年に書かれた第2版への序文で,

「この書物は私にとってきわめて個人的な主観的意義があり,完成した後に理解できた。それは私の自己分析の一部であり,私の父に対する反応,すなわち人生でもっとも重大なできごと,もっとも痛切な喪失に対する反応であることがわかった」と記載している。フロイトの『夢判断』は,父の死によって書かれたものであり,一面では彼自身の夢による自己分析であり,他面ではメタ心理学の書である。本小論ではこの二面性を明らかにすると同時に,夢分析の意義についてふれたい。

Ⅱ.フロイトの『夢判断』

 フロイトは夢形成の問題が恐怖症や強迫観念や妄想観念の精神病理学と基本的に関連するとみて,これらの精神病理学の理解から以下のように夢を論じた。

1.夢の問題の学問的文献 フロイトは本書の目的について,①夢を解き明かす方法があって,それを用いれば夢ははっきりとした意味を持った心の所産であることを証明できること。②夢がなぜ奇妙でとりとめがないのかを説明し,そこから逆に人間の心がもついろいろな力の正体を明らかにできることをあげた。 A 覚醒状態に対する夢の関係 夢は,覚醒時の生活から解放するものとか,自分で自分を治療する性質をもつ補充夢(complementary dream)等の学説が紹介される。 B 夢の材料―夢の中での記憶 夢の中での記憶は覚醒時の生活の中にあったどうで

もいいもの,見過ごされたものを好んで取り上げるが,夢が人間の覚醒時において全然覚えのないような超記憶的(hypermnesic)な夢もある。フロイトは神経症患者を精神分析すると,覚醒時に忘れている事柄を夢の中で大いに使っており,覚醒時に思い出されない材料の源の一つは幼年時代の生活であるという。 C 夢の刺激と夢の源泉 夢は「五臓六腑の疲れ」という通り文句で説明できるのか。睡眠中の客観的刺激が夢の源泉中もっとも確かなものと考えるむきは多いが,同じ目覚まし時計の刺激がなぜ違った夢の内容を作り上げるのか,その説明は難しい。主観的な視覚や聴覚が夢の錯覚形成に際して大きな役割を果たすとか,入眠時幻覚として経験した映像は夢の中でもしばしば見るという説がある。また,身体内部の刺激(例えば痛覚や病気で侵された器官)が夢形成に影響を与えるが,その内容にどのように関係するのかは明らかでない。昼間のうちに行ったこと,覚醒時に関心をもった心的刺激源が夢に現れるという見解は古くからあるが,一般的な法則を立てるのは難しい。夢形成において,心的生活からではない刺激が諸家によって過大視されている。 D 目が覚めると夢を忘れてしまうのか 夢忘却の理由として,夢の像が微弱である,覚醒時にただの1回しか起こらなかった,辻褄が合わず混乱している等があげられる。夢は絶対に覚醒時の秩序だった記憶を再現せず,覚醒時の記憶中から細々とした部分のみをとってきて再生させるものであるという。多くの人が夢にたいした関心を示さないことも夢を忘却させるが,記憶に残る夢はたくさんある。 E 夢の心理学的な緒特異性 フロイトは夢の学問的考察にあたって,「夢はわれわれ自身の心の所産である」ことから出発する。思考活動は概念によって行われるが,夢は視覚的な形象(イメージ)によって思考し,聴覚的形象や感覚印象を使うこともある。夢の支離滅裂性に対しては,「夢は思考を幻覚によって表現する」という立場をとる。 F 夢の中における倫理的感情 覚醒時の道徳的性向がどの程度まで夢の中へ入り込むのか。フロイトは不道徳な夢や荒唐無稽な夢の中に出てきてわれわれを訝らせる表象を意志されたのではない表象(involuntary ideas)と呼び,これは覚醒時に抑止していたあるものからなり,夢の中でそれがありのままの姿を見せると考える。 G 夢理論と夢の機能 フロイトは夢理論の区分けとして,①覚醒時の完全な心的活動は夢の中でも継続される,②夢では心的活動が低下し,諸関連が弛緩し,しかるべき材料が貧弱になる,③覚醒時には心が全然行わないか不完全なやり方で行うような特殊な仕事を夢は行う,というものをあげる。夢の解明にあたり,夢の中にある空想

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S.フロイトの夢判断 3

(imagination)と名づけられる心の活動があり,これが行う象徴化活動を避けることができないという。 H 夢と精神病との関係 グリージンガーが夢と精神病とに共通の性格として願望充足をあげており,フロイトはここに夢と精神病との心理学的な鍵があるとみた。夢の秘密に迫ろうと努める時こそ同時に精神病の解明に寄与すると考える。

2.夢判断の方法―ある夢実例の分析 フロイトは夢が解釈可能であるとし,古来より夢を解き明かす方法を2種類あげる。①象徴的判断

(symbolic dream-interpreting)は夢の内容を別のわかりやすい内容に置き換えるもので,これは直感を用いるので芸のようなものである。②解読法(decoding method)は夢を一種の暗号文のようにみて解読のキーを使うもので,機械的に翻訳されてしまうが,キーが信用にたるという保証がない。フロイトは夢判断をその当人にやらせ,夢を見た人が自分でその夢の内容から思いつくことを重視した。また,ヒステリー性の恐怖症や強迫観念等の病的表象は,患者の精神生活からでてきたところの諸要素へ還元されると病的表象が消滅するという知見から,「夢を一病的症状のごとく取り扱い,神経症のために編み出された解釈方法を夢に適応したらどうか」と考えた。そこで,頭の中で自由に浮かんだこといっさいを包み隠さずに言う自由連想法を用いて,意志されたのではない観念(何とはなしに浮かんでくる観念)を注意深く追究し,意志された

(voluntary)観念に変えていった。 この方法を実際に行ってみると,一つのまとまった全体としての夢ではなくて,夢内容の個々部分だけを注意力の対象にするのがよいという。患者はどの部分に対しても背後の考え(background thoughts)ともいうべき一連の連想を告げる。こうしてフロイトは,古来の象徴による夢判断と袂を分かつ解読法に接近し,解読法同様に全体的判断ではなくて部分判断を行う。夢をそもそも合成物,心的緒形成物の混合体とみた。 本書でフトイトは自身の夢を扱うので,自己分析

(self-analysis)の信憑性に疑義があるかもしれないが,自己観察の方が他人の観察よりも有利であるし,夢判断において自己分析がどの程度有効適切なのか試してみるという。以下に彼の<イルマの注射の夢>を紹介するが,フロイトはフリースに「『1895年7月24日,ここでジクム・フロイト博士によって夢の秘密が解き明かされた』という大理石板が掲げられるようになると思うか」という野心的な手紙を書いている(1900年6月12日)。

 前置き フロイト(F)は1895年,ある若い婦人(イルマ)に精神分析を施した。この女性はFの家族と親しく,治療に失

敗すれば古い友情がきずつく恐れがあった。治療は部分的成功をもって終了し,彼女はヒステリー性不安から解放されたが,いっさいの身体症状が消滅したわけではなく,ヒステリーという確信があったわけではなかった。ある治療法を勧めたが拒否され,中途半端な状態で治療が中断した。ある日,年下の同僚オットーが彼女の容体を伺った結果,前よりよさそうだが,すっかりよいというわけでないというので,Fは不愉快になった。患者の家族はFの治療を決して快い眼では見ていないと思われた。その晩,Fはイルマの病歴を記したが,指導的地位にあったドクターMに見せるためであった。その夜に次の夢をみた。 1895年7月23日から24日にかけての夢 <大きなホール―われわれはたくさんの客を迎えつつある。―中にイルマがいるので,私はすぐさまイルマをわきの方へ連れて行く。いわば彼女の手紙に対して返事をし,また,イルマが例の「解決方法」をまだ受け入れようとしないのを非難するためである。私はこういう,「まだ痛むといったって,それは実際に君自身の咎なのだ」―イルマが答える,「私がどれほど痛がっているか。頸,胃,お腹なんかがどんなに痛いのか,おわかりかしら。まるで締めつけられるようなんです」私はびっくりして,イルマを凝視する。蒼白く,むくんでいる。なるほど,どうもこれは何か内臓器官関係のことを見落としていたかなと思う。窓際へ連れて行って,咽を診る。すると,入れ歯をしている婦人たちがよくやるようにイルマはちょっといやがる。いやがることはないのにと私は思う。―しかしやがて口を大きく開いた。右側に大きな斑点が見つかる。別の場所にははっきりと,鼻甲介状した微妙な,縮れた形のもの,広く伸びた白灰色のかさぶたが見られる。―私は急いでドクターMを呼んでくる。Mは私と同じようにもう一度診察して間違いないという。・・・Mはいつもと様子が全然違う。真っ青な顔色で,足が不自由で,顎にひげがない。・・・友人のオットーもイルマのそばに立っている。それから友人のレーオポルドがイルマの小さな身体を打診して,左下に濁音があるといい,左肩の皮膚の浸潤部を指摘する(これは私も彼と同じように着物の上からそれとわかった)・・・Mがいう,「これは伝染病だが,しかし全然問題にならない。その上,赤痢になると思うが,毒物は排泄されるだろう」・・・どこからこの伝染病がきたかも,われわれには直接にわかっている。オットーが,イルマが病気になって間もない頃にプロピュール製剤の注射をしたのだ・・・プロピレン・・・プロピオン酸・・・トリメチラミン(この化学方程式はゴシック体で印刷されて私の前に見えた)・・・この注射はそう簡単にはやらないものなのだが・・・おそらく注射器の消毒も不完全だったのだろう>

 この後,フロイトはこの夢を文節ごとに区切り,詳細に自由連想を試みて夢判断を完了する。夢の結論は,現在のイルマの苦痛に対しては私に責任がなく,その責任は注射をしたオットーにあるというものである。

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2012- 14 福島大学総合教育研究センター紀要第12号

オットーがイルマの不完全な治癒状況を述べてフロイトを不安にしたので,夢はオットーに復讐したのである。夢の内容はある願望充足(fulfillment of a wish)であり,夢の動機はある願望であると結論した。 願望充足から見ると,オットーばかりか,イルマよりも従順な女性にすりかえることによって,フロイトの提案を受け入れないイルマにも復讐する。ドクターMの無知(「赤痢になるであろう」)をしりぞけて,用心深いレーオポルドを登場させている。さらに,<鼻甲介状のかさぶた>からは,コカインの害を連想させた。ちなみにフロイトは1885年,鼻粘膜の局所麻酔剤としてコカインの使用を着想したが,1895年に親友の病理学者フライシェルをコカイン乱用で死なせた(小此木,1973)。この夢は彼に「医師としての良心」を刺激したのである。また,ゴシック体に見えた<トリメチラミン>はフリースを連想させた。これは性的新陳代謝の産物であるので,夢は治療がうまくいかないのはイルマが未亡人であるからとすれば簡単だと示唆していると解釈できた。

3.夢は願望充足である 夢が願望充足であるのは,夢の一般的性格なのかを問題にする。夜中に水を飲むために眼を覚ます前に,水を飲んでいる夢を見れば,すぐに眼を覚ます必要はない。この夢は便宜の夢(dream of convenience)で,夢が実際の行動の代わりをする。つまり夢は利己主義を具現化するという。一番簡単な例は子どもの夢で,しばしば単純な願望充足である。

4.夢の歪曲 フロイトは願望充足以外の夢はないと主張した場合,眠りから覚ます不安恐怖夢(anxiety-dreams)をどう説明するかを問題とする。彼の説は夢の顕在内容

(manifest content)をどう見るのかではなくて,夢の背後にある夢の潜在内容(latent content)に関するものである。第二の問題として,「よく調べてみると願望充足だと判明するような,うわべはさりげない内容の夢が,なぜ初めからこの願望充足という性格をあからさまに示さないのか」をあげる。夢が直接に告げずに歪むことを夢歪曲(distortion in dreams)と呼ぶ。フロイトは夢歪曲の現象を検閲(censorship)に喩えて,夢形成には二つの心的力(流れ,組織)があり,第一検問所は夢によって現せられる願望を形成し,第二検問所は意識への入場を許可するかどうかを決める。「意識する」と「表象する」過程とは独立した心的行為であるとする。この仮説からみれば,すべての夢は第一検問所の願望を満たすという意味で願望充足夢である。 フロイトによれば,「願望に反する夢」の原動力の一つは,分析医が間違っていればよいのにという願望

である。もう一つの動機は,攻撃的・サディズム的要素の正反対物への転化によって生じたマゾヒズム的傾向を満足させる願望充足である。夢の中に頻繁に出てくる不快感は,ある願望の存在を排除するものではなく,人には誰にも言いたくない願望があり,それは歪曲される。夢歪曲は事実上の検閲行為であり,「夢はある(抑圧された)願望の(偽装した)充足である」という。不安恐怖夢の理解は,神経症的不安をどう理解するかにかかっている。当時フロイトは,「神経症的不安は性生活から出てくるものであり,その本来の使命から逸脱されて,使用されることなくやんでしまったリビドーを示している」と考えていたので,「不安恐怖夢は性的内容を持った夢であり,そこに属しているリビドーが変形したものである」とみた。

5.夢の材料と夢の源泉 フロイトは独自の夢判断の方法によって,夢の顕在内容よりもはるかに意義重大な潜在内容を発見した。夢と覚醒生活との関連,並びに夢材料の出所に関して,諸家の意見を次のようにまとめた。①夢は明らかにごく近い過去の印象を好む。②夢は本質的で重要なことではなくて付随的なものを想起させるので,覚醒時の記憶とは異なった原理にしたがって選択を行う。③夢は最早期の印象を自由に駆使し,些細でとっくに忘れられたと考えられるものを引っ張り出す。 A 夢の中にでてくる最近のものと些細なもの フロイトは「どんな夢の中にも,前日(previous day)の体験への結びつきが見出される」という。夢分析は夢をみるきっかけとなった前日の事件や体験をまず探すことから始まる。次はフロイト(F)の夢である。

 植物学研究書の夢 <私はある植物学に関する研究論文を著した。その本は私の眼前にある。私はちょうど挿入された彩色のある図版のところをめくる。どの1冊にも,植物標本館から持ってきたような,その植物の乾燥標本が綴り込まれている> 分析 前日の午前,Fは書店に飾り窓に『シクラメン属』と題する1冊の新刊本を見た。この花は妻が好きである。植物に関する<研究論文>からコカインを連想し,コカイン麻酔で父が緑内障の手術を受けたことを思い出した。<乾燥標本>から高等中学校の植物標本の清掃で,小さな<本の虫>を発見したのを思い出す。さらに,Fが5歳,妹が3歳の時に,父が<彩色図版>の入っている書物を引き裂いてもよいというので,引きちぎったことが思い出された。大学生になって異常な書物蒐集癖が生じ,Fは本の虫になった。この幼児の記憶は後年の隠蔽記憶(screen memory, 抑圧された体験や幻想を覆い隠している幼児期の記憶)である。17歳の時に本屋に負債をつくり,父親の

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S.フロイトの夢判断 5

怒りをかった。この夢も,イルマの夢と同様に,自分は正しいのだという弁明の性格をもつ。つまり,Fはコカインの研究論文を書いたが,自分は有能な勤勉な学生だといって自分を弁護したのである。

 夢内容がさして重要でない緒体験の残滓を受け入れるという事実は夢歪曲と解釈され,それは二つの心的検問所の間に成立する検閲の結果である。「夢の分析はいつも日中の生活の中に,実際の,心的に意義のある夢源泉を発見するであろう。その夢源泉の記憶はそのアクセントをどうでもいいような記憶の上に移動させる」という。日中,二つ以上の夢源泉となりうるような体験をすると,夢はそれらの体験を一つの統一体へとまとめあげるという強制に従う。夢内容が最近の体験と結合して保存され,夢刺激物が心的に価値あるものであれば,心的には価値があるが最近のものではない体験要素は,最近の重要でない要素によって代用される。とうに忘れられていた古い時期の諸要素が見出されるのは,心的に重要な材料を些細な材料によって代理させる移動(displacement)が,すでに早い時期から起こっているからである。無意味な夢刺激物はなく,無邪気な夢もないという。 B 夢の源泉としての幼児的なもの 夢の中には覚醒時の記憶の支配下にないらしい印象,最早期の印象が現れてくる。<植物学研究所の夢>の分析で5歳時の記憶に突き当たったように,願望それ自体は幼年時代に由来し,「夢の中に昔のままにいろいろな欲望を持った子どもが生き続けているのを見出す」という。

 フロイト(F)は自分の功名心の由来に思いをはせ,健康上の理由からできないが,<ローマへ行く夢>にふれる。夢の中でFはハンニバル将軍(ローマと闘ったユダヤの血をつぐカルタゴの英雄)の歩いた途を歩いた。ハンニバルはFの少年時代の大好きな英雄であった。上級生になって反ユダヤ的な感情に直面し,青年時代のFにとって,ハンニバルとローマは,ユダヤ人の頑張りとカトリック教会組織との対立の象徴であった。 ここからさらに10歳か12歳の少年時代,Fと父が散歩中の体験に到達する。父が青年の時,あるキリスト教徒が父の帽子をぬかるみの中にたたき落とし,「ユダヤ人,舗道を歩くな」と言った。「お父さんはそれでどうしたの?」とFが聞くと,父は「おれは車道へ降りて,帽子を拾ったさ」と言った。これはFには不満で,ハンニバルの父ハミカル・バルカスがローマ人への復讐を誓わせたのとは対照的であった。

 C 身体的源泉 フロイトは,心的な源泉に身体的材料が加わっても,夢の本質は変えられないという。ある願望充足の

表現形式が現在の活動的な材料によって規定されようとも,それとは無関係に夢は願望充足であるという。睡眠中の心的刺激は,心的夢源泉の表象内容と結合するのに適したものであれば,それらは夢形成に参加するが,そうでない場合には夢形成に参加しない。すべての夢は便宜の夢で,起きる代わりに眠り続けようという意図に奉仕する。夢は睡眠の守護者(guardians of sleep)であり,その妨害者ではない。眠り続けたいという願望は,つねに夢形成の動機とみなされなければならないという。 D 類型的な夢 もし他人が夢内容の背後に無意識的思想をもらすまいとすれば,他人の夢判断は絶対にできない。そこで,誰の身の上にも同じような具合で現れ,同一の意義があると想定できる類型夢(typical dreams)を知っておくとよい。フロイトがあげた以下の三つの類型夢はそのままエディプス神話に対応し,⒜は異性の親との交わり,⒝は父親殺し,⒞はスフィンクスの謎を解くことを示唆する(新宮,2011)。 ⒜ 裸で困惑する夢 本来の裸体夢は,夢の中で羞恥と困惑を覚え,その場から逃げようとするが,抑制を加えられて動くことができず,やりきれない状況を変更する能力を持たないことを感ずる内容をいう。当人は羞恥狼狽しているが,他人は気づくことはなく無関心であり,アンデルセンの『裸の王様』を思い起こさせる。裸体夢は露出欲の夢(dreams of exhibiting)で,抑制されている感じは意志の葛藤,あるいは「否」を表現しているという。 ⒝ 近親者が死ぬ夢 両親,きょうだい,子どもなど身内の者が死ぬ夢があり,①この夢をみても夢主は少しも悲しみを感じないで,自分の無情を訝るもの,②夢をみながらひどく悲しみ嘆いて,眠りながらも涙を流すものがあるという。①は類型夢ではなくて,何らかの別の願望を隠蔽している。②は幼年時代のある時期に身内の者が死んでくれたらよいのにという願望を物語る。同胞への敵意は,幼年時代頻繁にみられるものである。 両親が死ぬ夢では,男子は父親が,女子なら母親が死ぬ夢を見る。フロイトはソポクレスの悲劇『エディプス王』に言及し,男子は父親を,女子では母親を自分の恋仇と見るエディプス・コンプレックスについてここで初めてふれた。さらに,シェークスピアの『ハムレット』の場合,父を殺し母の傍にあって亡き父の地位を占めている伯父は,幼児時代の抑圧された願望を実現しているのだと指摘する。なおこの作品はシェークスピアの父の死後まもなく書かれたという。 ⒞ 試験の夢 試験に落第する夢は,幼年時代にしてはならないことをして受けた罰への消し去りがたい記憶である。学

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校卒業後に,あることをきちんとやらなかった結果,そのたびに罰せられるであろうと予想するたびごとに試験の夢を見るという。

6.夢の作業 フロイトは夢を潜在内容である夢思想(dream-thoughts)と顕在内容である夢内容(dream-content)とに分け,夢思想は原典で,夢内容はその翻訳のようなものであると考えた。夢思想から顕在夢を形成することを夢の作業(dream-work)と呼び,夢の解釈は顕在内容からではなしに,潜在内容から展開した。 A 圧縮の作業 夢の顕在内容は,巨大で豊富な夢思想と比べるならば,簡略で貧弱で言葉が少なく,大がかりな圧縮

(condensation)の作業が行われている。分析に際してあとから思いつく一切の事柄を夢の潜在内容と見なすべきかどうかという疑問について,新しい観念の結合はすでに潜在内容にそれとは違った形で結合されていたような観念の間にしか起こりえないという。<植物学研究書>の夢を例にとると,「植物学」と「研究書」という二要素は,非常に多くの夢思想が関係している交叉点を表現しており多義的である。「夢の顕在内容の要素の一つは,夢の潜在内容の中にあっては多面的に重層的にその代弁者を持っている」という。<イルマ>の夢では,イルマは別の患者,Fの娘,妻などたくさんの人物を総合している。総合人物や混合人物の作成は,圧縮の主要な作業である。 B 移動の作業 夢の顕在内容中には本質的部分として現れている要素が,夢思想中ではけっして同じ役割を演ずることなく,別の中心点を持つ。<植物学研究書>の夢では,顕在内容の中心点は「植物学」という一要素であるが,夢思想中では同業者間の義務的やりとりから生じる煩わしさや,Fが自分の道楽に多くの犠牲を払いがちだという非難にある。夢思想中で本質的な強い関心の代わりに,明らかに価値の低い別の要素が夢の顕在内容中に現れる場合が珍しくない。個々の心的強度よりも,多面的に支持されているという多面的被制約性

(overdetermination,相異なったいろいろの観念や経験と同時に関係をもつこと)が重視される。夢の作業にはある心的な力が働いて,心的価値の高い要素からエネルギーを剥奪して,多面的制約によって価値の低い新しい価値ある要素に作りかえる。夢形成においては,個々の要素の心的強度の転移及び移動が行われ,移動は内部心的防衛(endopsychic defence)である検閲によって起こるという。 C 夢の表現手段のいろいろ 夢思想は覚醒時の思考と違って論理的関係を表現すべき手段を持ち合わせていないという。フロイトは,夢の中でも精神作業が行われているという反論に対し

て,それらは夢の材料であって,決して夢における知的作業の表現でなく,夢思想の内容なのであり,夢の中にある文句は,夢材料の記憶に存すると主張する。夢の作業はいかなる手段に訴えて夢素材中の表現至難な関係を暗示しうるかを示した。 ①夢は論理的関連を元に戻して同時性として表現する。夢の中で二つのものが接近してでてくると,緊密な関連を示す。 ②因果関係を示すには,副文章(「・・・であるから」)を前駆的な夢として持ち出し,それに主文章(「・・・である」)を本論的な夢として接続させる。時間関係が逆になることもあるが,主文章は常に夢の中の詳細な主要部分によって表現される。 ③夢は「―か―か」という二者択一,あるいは多者択一を表現することはだいたいできない。 ④類似性,合致,共通性,「ちょうど・・・のように」の表現は豊富である。 ⑤逆転,反対物への転化は利用度の高い表現である。「これが逆であったらなあ」という逆転はよく用いられ。夢の意味がどうしてもわからない場合,顕在内容の特定の部分を試みに逆転するとよい。 ⑥一夜のうちに見る夢はすべて,その内容上からは一つの夢と見なすべきである。 ⑦夢の中の「・・・することができない」は,反対の表明,一つの「否」である。体が動かせないというのは,意志の葛藤を示す。 ⑧夢の中で,「これは夢にすぎないのだ」と思うことは,夢見られているものの価値を打ち消す目的がある。これは本来起こってもらいたくないことだったという願望を意味する。 D 表現可能性への顧慮 移動は圧縮の作業に役立つが,もう一つの種類として思想の言語的表現の取り替えに現れる。概して移動は,ある夢思想の抽象的な表現を形象的,具象的な表現に置き換える。この際,視覚的表現を許すものが優先的に取り上げられる。なお,言葉も多義的なので,神経症(強迫観念,恐怖症)は言葉の圧縮や偽装に役立つ利点を夢同様に利用している。 E 夢における象徴的表現―続・類型夢 象徴的表現は夢の専有物ではなく,一般の無意識的表象作用としては民間伝承,神話,伝説,諺,格言などにたくさん見出され,夢はこれらの象徴を利用する。夢象徴はしばしば多義的であり曖昧である。夢分析では夢を見た本人の自由連想に依拠し,他方それだけでは足りないところを象徴理解によって補うという総合的技術を駆使しなければならないと断ったうえで,フロイトは夢の象徴を紹介している。両親,性器,性行為など性的な象徴例が多数あげられている。 土居(1988)は夢の象徴について次のように説明する。通常の象徴である「ハトは平和の象徴である」と

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いう場合,多分に人為的であり,二個の表象が代表する対象のうち一方が他方を象徴する。これに対して夢の象徴である「船は女性器を表す」という場合,船という対象は女性器という対象の表象であるというのではなく,船の表象が女性器の表象の象徴である。つまり,夢の象徴では二個の表象間関係を示しているのであって,しかも本人はこれを全然意識していない。 F 実例-夢における計算と実例 夢の作業は計算などはせず,夢思想中に含まれ,表現すべからざる材料への暗示として役立つ数字を計算という形で並び立てる。文句や会話も新たに創造することはなく,夢が実際に行われた会話や聞いたことのある文句を夢思想中から借用して勝手気ままに取り扱うという。 G 荒唐無稽な夢―夢における知的活動 夢の荒唐無稽性(absurdity)のゆえに多くの夢理論家たちは,夢は弱化した精神活動の無意味な産物だと考えたが,分析してみると夢内容の荒唐無稽性は表面だけのものにすぎないという。夢の中での判断行為は,すでに夢思想中に存する先例の繰り返しにすぎず,最初のうちはそれが夢の中の,独自の思考活動でもあるかのような印象を人に与えることもある。 H 夢の中の情動 夢で体験された情動は,覚醒時に体験された情動に比して,その強度において決して劣っていず,夢は情動的内容をもって表象内容よりも強く,現実的体験の中に編入されることを要求する。情動と表象とがうまく適合しない場合には覚醒時の判断は混乱する。夢の中で,表象内容が覚醒時にあっては当然のことと期待されている情動が伴わないために,夢は不思議なものに思われてきた。「情動の方は元のままで,表象内容だけが移動と代理の作業を受けてしまう」ので,表象内容と情動が釣り合わなくなる。情動は検閲に簡単に屈服しない成分であり,神経症において情動はつねに本物であるという。顕在内容中に,ある情動が存在する場合は,その情動は必ず潜在内容中にも存在するが,その逆はない。一般的にいって顕在内容は心的材料よりも情動が乏しく,夢作業によって情動抑制

(inhibition of affect)が達成されているという。 夢歪曲が夢検閲の第一の成果であり,情動抑制は夢検閲の第二の成果である。夢作業は夢思想のもつ情動をそのまま許容するか,骨抜きにするか,ときには反対物に変えてしまうこと(情動逆転)もある。願望充足の本質は,好ましくない事柄をその反対物によって置き換えるという点にあるからである。逆転の原因の中には,人間の心的生活の中に存するマゾヒスティックな傾向に由来する自己批判的な刑罰夢(punishment dreams)がある。フロイトは刑罰夢を願望充足夢から区別してもよいというが,後に超自我の願望充足として理解できるとした。

 I 第二次加工 夢形成に関わる圧縮,移動,表現可能性への顧慮(象徴形成)につぐ第四の要素は第二次加工(secondary revision)で,これは覚醒時の思考とよく似た心的機能による加工をいう。夢の中に出てくる「これは夢にすぎないのだ」という批判は,心的検問が夢内容に新しいものを添加する「あと知恵」である。フロイトは無意識に留まらなければならない無意識空想(unconscious phantasies)はいくらでもあると述べ,白日空想(day-time phantasies)も夢と同様に願望充足であり,だいたいにおいて幼児期体験の印象に基づいている点もまた夢と同様である。第二次加工は自分に提供されている材料を使って白日夢(day-dreams)のようなものを作ろうとしているのだという。 以上のフロイトの考える夢形成を図示すると,図1のようになろう。

7.夢事象の心理学 フロイトは夢の諸過程の分析からメタ心理学的な仮説を立てた。 A 夢を忘れるということ 夢の忘却はその大部分が抵抗の仕業であり,抵抗の克服によって夢を思い出せる。夢判断は,夢が真新しい体験であった当時よりもずっと後になった時の方がはるかに容易に遂行されるという。とはいえ,自分の夢の分析は難しく練習を必要とするし,一挙に遂行できるものではない。行き詰まった時には一旦中止して翌日取りかかるべきで,これを分画的(fractional)夢判断という。完全な夢判断をやり遂げたと思っても,終わったことにならず,さらに深い解読が可能となる。 睡眠状態は内心の検閲の威力を減退させることで夢形成を可能にする。一つの心的要素が他の心的要素に不合理あるいは表面的に結びついている場合はいつでも,検閲の抵抗(resistance of the censorship)のも

夢内容(顕在内容)

夢思想(潜在内容)

第二検問

第一検問

第二次加工

夢作業(圧縮・移動・

象徴形成)

日中残滓

夢 判 断

図1 夢の形成

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とで,合理的かつ深い関連も同時に存在する。言い換えると,検閲の圧力で,正常な意味ある連想から,表面では不合理に見える連想への移動が起きている。 B 退行 夢の原動力はいつでも「充たさるべき願望」であるが,検閲の影響を受けて夢に多くの荒唐無稽さが生じる。夢形成にあたっては,①検閲の眼を免れようする要求,②心的材料の圧縮,③感覚的形象による表現可能性への顧慮,④夢の像の合理的かつ辻褄の合う外観への顧慮がはたらく。 これらの相互関係を知るために,フロイトは心的局在性(psychical locality)の見方を導入した。心という装置(mental apparatus)を一つの組み立て道具とし,この道具の諸部分を検問所あるいは組織

(systems)と呼ぶ。心的装置の緒構成部分をP組織とし,知覚末端Wは知覚を受け取る組織があり,運動末端Mは別の組織があり,運動力の水門を開く。心的過程はWからMへと経過する。Wに達する緒知覚は記憶痕跡(memory-trace)を残し,これに関係する機能が記憶力(memory)である。批判を加える検問所は意識と親密な関係をもつと推論して,Mの近くにあると想定され,Mの最後組織を前意識(the preconscious)と名付ける。この組織の背後に位置する組織を無意識(the unconscious)と呼び,前意識を通過する以外には意識へ通じる途をもたない。夢の原動力は無意識から援助を受け,夢思想は夜になると意識への通路を打開する。覚醒時の心的過程はMの方向に前進的(progressive)に移動するのに対して,夢をつくる興奮はWへ向かうので,夢は退行的

(regressive)性格をもつ。夢の中で表象(観念)が,それがかつて出てきたところの感性的形象(sensory image)へ逆戻りすることが退行(regression)である。夢思想は退行にさいして解体し,元の素材に還ってしまう。幼児期記憶は視覚的形象の性格をもち,そのままでは現在に復活できず,夢として復活する。夢は最近時なものへの転移によって変化させられた幼児期場面の代用物とみた。 以上の観点を図示すると,図2のようになろう。

 C 願望充足について フロイトは願望の出所として,①日中時にかき立てられたが充足させられないでいるもの,②日中に浮かんだが意識から非難されたもの,③覚醒時生活と無関

係なものをあげ,それぞれ①前意識,②前意識から無意識に押し戻された,③無意識から出ることが不可能である願望とした。それに④夜に起こる積極的な願望衝動(喉のかわきや性欲)を加える。前意識的願望は,同内容の無意識願望によって強化されて夢刺激となる。無意識的願望は幼児期由来なので,夢の中に表現される願望は幼児的願望でなければならないとみる。すべての夢が最近の日中残滓(day’s residues)を内容中に取り入れているが,無意識的表象はそれ自体では前意識に入り込む力がないので,検閲を恐れて無意味な表象と結合し,その表象の上へ自己の心的強度を転移し,その表象の背後に姿を隠す場合にのみ作用を及ぼす。 内的刺激を解消する満足体験の本質的な構成要素はある種の知覚の出現(例えば授乳)であり,この知覚の記憶像は以来,欲求興奮の記憶痕跡と連想的に結合して後に残る。こういう知覚の再出現が願望充足であるから,最初の心的活動は知覚同一性(perceptual identity),つまり,かつて欲求充足に結びついている知覚の獲得を目指している。思考活動は願望充足への迂回路を表現し,幻覚的願望の代用物であるとみた。 D 夢による覚醒-夢の機能-不安恐怖夢 フロイトは夢過程を三部に分けて説明する。第一部は,無意識的願望がそのエネルギーを日中残滓に転移して意識に内に侵入しようとする。第二部は検閲にぶつかって退行し表現可能性を獲得する。第三部は再び前進的であり,感覚興奮は人を覚醒できるし,夢は第二次加工の影響も受ける。 無意識的願望は常に存在し,無意識の中では何ものも消滅せず,何もののも忘れられないので,「精神療法は無意識を前意識の支配下に屈服せしめる以外にない」という。無意識的興奮過程は二つの出口があり,①自分でどこかに突破口を作って,自分の興奮にそのつど運動力への放出の道を作る,②その興奮を前意識に放出する代わりに束縛する。夢過程は②の場合であり,前意識的労力はわずかですみ,「夢は無意識の興奮を前意識の支配下に置くという任務を引き受けている」という。夢は無意識の興奮を放出させ,無意識に対しては安全弁として奉仕し,同時に前意識の睡眠を確保して,両組織に同時に奉仕する。もし願望充足が前意識を揺り動かしすぎると,夢は中断されて覚醒させられる。この場合は夢が睡眠の妨害者となる。 願望それ自体は無意識に属し,前意識は願望を抑制しようとする。神経症の症状は両組織が葛藤状態に一時的な結末をつける妥協の所産であり,症状は不安を防ごうとするものである。当時,フロイトは神経症的不安が性的源泉に発すると考えており,恐怖夢の夢思想中に性的材料があるとみた。 E 第一次および第二次過程―抑圧 夢形成には本質の相異なる二種類の心的過程が参

前進

退行

運動末端M

幼児期記憶

知覚末端W

無意識

(第一次過程)

前意識

(第二次過程)

図2 心的装置

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加しており,一方は正常過程と同価値の,完全に辻褄のあった夢思想を創り出し,他方はそれら夢思想を不可解な不正確なやり方で扱うもので,これが本来の夢作業である。第一組織は不快原理(unpleasure principle)ために不快なもの思考関連中に引き入れることができず,「願望する」以外の何事をもなしえない。そこで,第二組織の作業は不快記憶に対して不快発生が避けられるようにエネルギーを充当させる必要があるが,これが抑圧(repression)である。 フロイトは,第一組織(無意識)が許容する心的過程を第一次過程(primary process),第二組織(前意識)に現れる過程を第二次過程(secondary process)と呼ぶ。第一次過程は集積された興奮量をもって知覚同一性を作り出すために興奮放出へと努力するが,第二次過程は知覚同一性を修正して,思考相互間の同一性を追求する思考同一性(thought identity)を獲得しようとする。思考は表象間の関連づけの道筋に関心があり,欲望を達成するための回り道となる。第一次過程は人間の心のうちに最初から与えられているが,第二次過程は漸次形成されていくものであるという。 夢そのものは被抑制物の数々の現れであり,フロイトは「夢判断は人間の心の営みの中にある無意識的なるものを知るための王道である」と唱えた。 F 無意識と意識-現実 外界の現実が感覚器官の報告によっては不完全にしか捉えられないのと同じように,無意識的なるものは,その内的性質からみればわれわれにとっては未知であり,意識のデータによっては不完全にしか捉えられないが,心的現実性(psychical reality)をもつ。心的現実性は無意識的欲望とそれに伴う幻想の中にあり,物的現実性(material reality)と混同されてはならない。

Ⅲ.『夢判断』以後の夢理論

 フロイトが『夢判断』以後,どのように夢理論を展開したかをたどってみよう。

1.夢理論のメタ心理学的補遺(1917) 夢とは眠りを妨げようとする何かが起こったことを示すものであり,さらにこの妨害をいかにして防衛することができたかを理解させる。つまり,夢は一つの投影であり,内的過程の一つの表出である。内からか外からかの識別の機能が現実吟味(reality-testing)であるが,これは自我の重要な機能の一つであり,これは心的組織間の検閲と同列にあるという。

2.夢解釈の理論と実践についての見解(1923) 夢を解釈する際の技法についてふれている。①夢の構成要素には順序があるから,時系列に従う方法は古典的方法である。②夢のある要素を単独に取り出す方

法があり,例えばいちばん奇妙な部分,非常な明確さや感覚的強度を備えた部分に注目する。③顕在内容から離れ,近日の出来事を尋ねる方法がある。④夢を見た人が夢解釈の技法に通じている場合,どれから始めたいか当人に任せる方法がある。高次の抵抗がある場合,夢を見た人との共同作業は難しいので,深入りせずに,蓋然性が高いと思われる象徴解釈を呈示することでよしとする。

3.精神分析入門(続)(1933) 第29講「夢理論の修正」をみよう。夢が夢思想を忠実に再現しておらず,顕在夢との断絶を埋めようとすると抵抗に出会う。これまでこのような法廷や阻止的な力を夢の検閲と呼んでいた。無意識的な抑圧されたものと意識的なものという二つの法廷の間に生じる葛藤は,広くわれわれの心の営みを支配している。夢判断に対する抵抗,つまり夢の検閲は,この両法廷が互いに分離しようとする抑圧抵抗に他ならない。両者の葛藤から生まれたのが夢や神経症症状である。懲罰夢に言及して,心的生活の中にある,批判し禁止する特別の法廷を超自我(super-ego)と呼び,夢の検閲もこの法廷が行う一つの仕事であるとした。また,精神的外傷を受けた人の夢が苦痛な外傷体験に立ち戻ることから,夢は「願望充足の試み(attempt)」と修正した。

4.精神分析概説(1940) 第5章「夢解釈に関する説明」をみると,夢形成の誘因は2種類あり,夢はエスからも自我からも起こるという。エスから発する夢は睡眠中,日常は抑圧されていた本能興奮(無意識的願望)が自我の中に発現するだけの強度を得た場合である。自我から発する夢は覚醒生活から引き継がれて残存している傾向や前意識過程にある葛藤が睡眠中に無意識的要因によって強化された場合である。エスから発した夢は本能的満足を,前意識的活動の残滓から発するものは,葛藤の解決,疑惑の排除,企図の実現を無意識の助けを借りて自我に要求すると説明した。

Ⅳ.フロイト派以外の夢理論

 現代の夢理論はフロイト派とそれ以外ではかなりの違いが見える。フォッシジとローヴ(Fosshage & Loew, 1978)はフロイト派,ユング派,文化学(対人関係論)派,対象関係論派,現存在分析派,ゲシュタルト派との比較を試みている。フロイト派は夢が幼児期の願望や抑圧された葛藤を表すものとするのに対して,ユング派は夢には検閲も偽装もなく,夢が前概念的な深層の表現であり,意識の状態を補償し,それに何かを付け加えることであると提唱する。サリヴァンは夢が緊張を解放する象徴操作を含んでおり,夢もや

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はり対人的な現象であるとした(中野,2008)。フロイト派と対象関係論派を除く学派は,夢は人格の直接的な正当な表示であり,夢の意味は象徴的な形ではあるが,直接的かつ顕在的に明白であるとする。フォッシジらは,夢が人格を癒したり,その平衡を保ったり,未解決の葛藤を無意識的に徹底操作するという概念を自己平衡モデル(self-balancing model)と呼ぶ。 フロイト派の夢概念は葛藤モデルであって,自己平衡モデルに対する関心が低いのはなぜであろうか。クライン派の論客メルツァー(Melzer,1983)はフロイトの夢理論を次のように批判する。フロイトは,夢の思考が覚醒時の思考と違って論理的関係を表現する手段に欠け,情緒に判断力としての意義を認めず,「今日象徴的に結びつけられている物事は,先史時代には概念的かつ言語的同一性をもって統一されていた」と言うように,象徴は思考とも思えないような時代錯誤的思考を基盤としていると批判した。さらに「第二次加工」という恥ずべき姑息な概念で全体のほころびを縫い合わせていると批判して,『夢判断』は夢理論ではなくてパーソナリティ理論であり,『自我とエス』

(1923)の中で構造論として焼き直しされることになったと主張する。メルツァーは,夢は覚醒していても睡眠していても常に続いている夢生活の像であり,睡眠時は「夢」,覚醒時は「無意識的空想」と呼ぶのだと主張する。フロイトは成功した夢は睡眠を保ち,不成功の夢は人を目覚めさせるとしたが,メルツァーは成功した夢は問題を解決し,失敗した夢は解決していないと提起した。 筆者は,フロイトが夢の解釈にあたり,夢を神経症症状と同列に扱ったために,神経症理論に制約され続けたと考える。また,フロイトは自己分析の結果,自己に潜む壮大な野心に気づかされ,「夢は無意識を知るための王道である」という前に,ヴェルギリウスの

『アエネイス』からの一文,「天上の神々を動かしえずんば,冥界を動かさむ」を引用する。この言葉は『夢判断』の副題であり,フロイトは何が何でも,冥界すなわち無意識の世界を知り尽くすのだという野望を表現しているように思われる。願望の形成はそもそも葛藤解決の一つの方法であるにもかかわらず,「精神療法は無意識を前意識に支配下に屈服せしめる以外にない」として夢そのものに解決機能を与えていない。フロイトは「夢思想」というアイデアを提出しながら,神経生理学的なエネルギー論に基づいた願望夢に終始したと言わざるをえない。彼には精神分析をメタ心理学として創造したいという願望が強く,同時に精神分析で無意識を支配できると信じたのであろう。同時にここから自我心理学の萌芽をみることもできる。

文 献1)土居健郎(1988):精神分析 講談社学術文庫

2)FosshageJL,Loew CA(ed)(1978):Dream Interpre-tation: A Comparative Study. Spevtrum Publications. 遠藤みどり監訳(1983):夢の解釈と臨床 星和書店

3)Freud S (1900):The Interpretation of Dreams. Stan-dard Edition, Vol.4, 5. trans. Strachey J, London: Hog-arth Press, 1953. 高橋義孝訳(1968):夢判断 フロイト著作集2 人文書院

4) Freud S (1917):A Metapsychological Supplement to the Theory of Dreams. Standard Edition, Vol.14. trans. Strachey J, London: Hogarth Press, pp218-235, 1957. 高橋義孝・生松敬三他訳(1983):夢理論のメタ心理学的補遺 フロイト著作集10 人文書院 pp315-324.

5) Freud S (1923):Remarks on the Theory and Practice of Dream-Interpretation. Standard Edition, Vol.19. trans. Strachey J, London: Hogarth Press, pp107-121,1959.本間直樹編(2007):夢解釈の理論と実践についての見解 フロイト全集18 岩波書店 pp175-189.

6) Freud S (1933):New Introductory Lectures on Psycho-Analysis. Standard Edition, Vol.22. trans. Strachey J, London: Hogarth Press, pp2-182,1960.懸田克躬・高橋義孝訳(1971):精神分析入門(続) フロイト全集1人文書院 pp386-536.

7) Freud S (1940):An Outline of Psycho-Analysis. Stan-dard Edition, Vol.23. trans. Strachey J, London: Hogarth Press, pp139-207, 1964.小此木啓吾(1983):精神分析概説 フロイト全集9 人文書院 pp156-209.

8)Jones E(1961): The Life and Work of Sigmund Freud.Basic Books. 竹友安彦・藤井治彦訳(1969):フロイトの生涯 紀伊國屋書店

9)Masson JM(ed.)(1985):The Complete Letters of Sigmund Freud to Wilhelm Fliess, 1887-1904. Frankfurt: S.Fischer Verlag GmbH. 河田晃訳(2001):フロイト フリースへの手紙1887-1904 誠信書房

10)Melzer D (1983) : Dream-Life: A Re-examination of the Psycho-Analytical Theory and Technique. London: H.Karnac Books. 新宮一成・福本修・平井正三訳(2004):夢生活 金剛出版

11)中野明德(1995):性の心理―セクシュアリティと人格の発達 学校図書

12)中野明德(2008):H.S.サリヴァンの精神障害論―対人関係論のダイナミズム.福島大学心理臨床研究 3,1-8.

13)中野明德(2011):S.フロイトのヒステリー論―心的外傷の発見.福島大学総合教育研究センター紀要 10,15-24.

14)小此木啓吾(1973):フロイト その自我の軌跡 NHKブックス

15)新宮一成(2011):フロイト全集5 夢解釈Ⅱ 解題 岩波書店 pp507.