suzukimethod-violinviola-ito.comsuzukimethod-violinviola-ito.com/wp-content/uploads/2018/...created...

2
グラム 会長挨拶 弦楽アンサンブルのためのワルツ ニ 短調 ピアノ協奏曲 第 12番 イ長調 KV414 ヴアイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調 KV364・ ……………… キラキラ星変奏曲 外国民謡 鈴木鎮一 作曲 '′ 6乃 ,s々 zた , rf898_′ 998) 早野 龍五 鈴木 鎮― モーツァルト モーツァル ト 鈴木 鎮一 _乙 弦楽アンサンブルのためのワルツ ニ 短調 スズキ メソー ドによる才能教育運動の創唱者 鈴木鎮一は 1898年 名古屋に生まれ、安藤幸のもとでバイオリンを学んだ 後、1920年 イツに渡 り、∃アヒムの門弟カール ク リング ラーのもとで 8年 間バイオ リンを学んだ。 この ワルツニ 短調」 |ま 1928年 、ワル トラウ ト夫人と ドイ ツで挙式 した年の作品。ベ ル リンで生 まれ育 った夫人 にとって は、若き日の舞踏会を偲ばせる思い出の曲でもある。 モー ツァルト 翌年帰国 した鎮―は、弟の章 (ヴ イオ ラ)、 二三雄 (チェ□ )、 喜久雄 (ヴ アイ オ リン)と 鈴 木 カル テ ッ トを結 成 し、 室 内楽 を 広 く紹介 した。 また、東京弦楽団は、鈴木カルテットと鎮一の問下生、そ し て自身が教授を務めた帝国高等音楽学校の学生で構成され、国 内と海外で、放送を含め活発な活動を行つた。その演奏日誌に は、 1940年 2回 、同曲が演奏されたことが記されている。 {fffi Wolfgang Amadeus Mozart ( 1756 - 1791) ピアノ協奏曲 第 12番 イ長調 KV414 ザル ツプル クの大司教 コロ レ ドと訣別 し、 ウイーンに活動 の 拠点を移 したモーツァル トが、自ら主宰 した予約演奏会で初演 した3つの ピアノ協奏曲 (第 11番 13番 )の うちのひとつで、 3つ のうちで最初に書かれたものであると考えられており、 1782年 の秋頃にウイーンで作曲された。モーツァル トはそれ までピアノ協奏曲の分野から3年 5年 程遠ざかっていたが、 ウィーンにおける音楽活動の主柱となった予約演奏会によっ て、以後、ピアノ協奏曲を継続的に作曲 していった。 モーツァル トは手紙でこう書いている。 この協奏曲は難 し すぎるものと易 しすぎるものの中間である。非常に絢爛として いるが、耳には快 く間こえ、空虚に陥ることなく自然である。 音楽通は勿論、そうでない人もなぜだか満足できる。」 1楽 (アレグ ロ、 長三電 _ン の社交界デビュ ー にふ さわ しい明 るさ とイ華ひ I.そ _で ≡麗さを備えた楽 章。ピアノは楽草を通 して主運]:こ モ竃するc 2楽 (アンダンテ、二 長調 ま、 この 曲 を書 く直 前 に亡 くな った ヨハ ン・ ク リス テ イ ア ン ・バ ッハ の オ ペ ラ 魅惑の 女」序曲から主題を流用 している。モーツァル トは同年4月10 日付の父 レオポル ト の手紙で 音楽界 にとつての損失」だと 書いて彼の死を惜 しんでおり、彼なりの追悼の表れだといわれ ている。 3楽 (ロンド ア レグ レ レ 、イ長調)は 、軽やかで楽 し く生き生きとした、親 しみやすい楽章である。 モー ツァルト tFfr Wolfuang Amadeus Mozart (tzso- t7g_7) アイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調 KV364 1777年 9年 のマンハイム パ リ旅行において、モーツァ ル トは新 しい活動の地を得ることには成功 しなかったが、音楽 的には多くの収穫を手にした。この作品はザルツブルク帰郷後 の豊作期に生まれた最高傑作の一つである。協奏交響曲という 形式はロン ドンやバ リで一時期大流行 し、パ リの影響が大き かつたマンハイムでも大いに流行つていた。複数の楽器の独奏 による協奏曲をこのように呼ぶのであるが、同時に協奏曲と 交響曲を合体させたものというニユアンスもある。また、独奏 パー トは高 く評価 され、今 日ではヴアイオ リン ヴィオラによ る二重協奏曲として演奏される傾向にある。 1楽 .ア ング也 ・ マエス トーソ、変ホ長調)は 、幸福感 にあふれた |1夭 活なアングロ。作曲者自身 |こよるカデンツァ (ソ リス トが技巧を技露する即興的部分)が 見事である。 2楽 |アンダンテ、ハ短調)は 、一転 して悲痛なムー ド が支配する、陰影豊かな叙情楽章c 3楽 (プ レス ト、変ホ長調)は 、喜びが弾ける華やかな フィナーレcモ ー ツ ァル ト独 特 の ロ ン ド形 式 とな つて お り、 冒 頭の主題は三度回帰するc

Upload: others

Post on 06-Jan-2020

1 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: suzukimethod-violinviola-ito.comsuzukimethod-violinviola-ito.com/wp-content/uploads/2018/...Created Date 10/12/2018 4:49:11 PM

プログラム

会長挨拶

弦楽アンサンブルのためのワルツニ短調

ピアノ協奏曲 第12番 イ長調 KV414

ヴアイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調 KV364・ ………………

キラキラ星変奏曲 外国民謡

鈴木鎮一 作曲 彫Jη '′ 6乃,s々zた , rf898_′ 998)

早野 龍五

鈴木 鎮―

モーツァルト

モーツァルト

鈴木 鎮一

_乙

弦楽アンサンブルのための ワル ツ ニ短調

スズキ・メソー ドによる才能教育運動の創唱者 鈴木鎮一は1898年名古屋に生まれ、安藤幸のもとでバイオリンを学んだ

後、1920年にドイツに渡り、∃アヒムの門弟カール・クリング

ラーのもとで8年間バイオリンを学んだ。

この 「ワルツニ短調」 |ま 1928年、ワル トラウト夫人とドイ

ツで挙式した年の作品。ベルリンで生まれ育った夫人にとって

は、若き日の舞踏会を偲ばせる思い出の曲でもある。

モーツァルト

翌年帰国 した鎮―は、弟の章 (ヴイオラ)、 二三雄 (チ ェ□)、

喜久雄 (ヴ アイオリン)と鈴木カルテットを結成 し、室内楽を

広く紹介 した。

また、東京弦楽団は、鈴木カルテットと鎮一の問下生、そ し

て自身が教授を務めた帝国高等音楽学校の学生で構成され、国

内と海外で、放送を含め活発な活動を行つた。その演奏日誌に

は、1940年に2回、同曲が演奏されたことが記されている。

{fffi Wolfgang Amadeus Mozart ( 1756 - 1791)

ピアノ協奏曲 第 12番 イ長調 KV414

ザルツプルクの大司教コロレドと訣別し、ウイーンに活動の

拠点を移したモーツァル トが、自ら主宰した予約演奏会で初演

した3つのピアノ協奏曲 (第 11番~13番)の うちのひとつで、

3つのうちで最初に書かれたものであると考えられており、

1782年の秋頃にウイーンで作曲された。モーツァル トはそれ

までピアノ協奏曲の分野から3年~5年程遠ざかっていたが、

ウィーンにおける音楽活動の主柱となった予約演奏会によっ

て、以後、ピアノ協奏曲を継続的に作曲していった。

モーツァル トは手紙でこう書いている。「この協奏曲は難し

すぎるものと易しすぎるものの中間である。非常に絢爛として

いるが、耳には快く間こえ、空虚に陥ることなく自然である。

音楽通は勿論、そうでない人もなぜだか満足できる。」

第 1楽章 (ア レグロ、ノ長三電 ま フ′′_ン の社交界デビュ

ーにふさわしい明るさとイ華ひ→■I.そ _で≡麗さを備えた楽

章。ピアノは楽草を通 して主運]:こ モ竃するc

第 2楽章 (ア ンダンテ、二長調 ま、この曲を書く直前に亡

くなったヨハン・ク リステイアン・バ ッハのオペラ 『魅惑の

女」序曲から主題を流用 している。モーツァル トは同年4月 10

日付の父レオポル トヘの手紙で 「音楽界にとつての損失」だと

書いて彼の死を惜 しんでおり、彼なりの追悼の表れだといわれ

ている。

第 3楽章 (ロ ン ドーアレグレレ 、ヽイ長調)は、軽やかで楽 し

く生き生きとした、親 しみやすい楽章である。

モーツァルト tFfr Wolfuang Amadeus Mozart (tzso- t7g_7)

ヴアイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調 KV364

1777年~ア9年 のマンハイム・パ リ旅行において、モーツァ

ル トは新 しい活動の地を得ることには成功 しなかったが、音楽

的には多くの収穫を手にした。この作品はザルツブルク帰郷後

の豊作期に生まれた最高傑作の一つである。協奏交響曲という

形式はロン ドンやバ リで一時期大流行 し、パ リの影響が大き

かつたマンハイムでも大いに流行つていた。複数の楽器の独奏

による協奏曲をこのように呼ぶのであるが、同時に協奏曲と

交響曲を合体させたものというニユアンスもある。また、独奏

パー トは高く評価され、今日ではヴアイオリン・ヴィオラによ

る二重協奏曲として演奏される傾向にある。

第 1楽重 .ア ング也 ・マエス トーソ、変ホ長調)は、幸福感

にあふれた|1夭 活なアングロ。作曲者自身 |こ よるカデンツァ (ソ

リス トが技巧を技露する即興的部分)が見事である。

第 2楽重 |ア ンダンテ、ハ短調)は、一転 して悲痛なムー ド

が支配する、陰影豊かな叙情楽章 c

第 3楽章 (プ レス ト、変ホ長調)は、喜びが弾ける華やかな

フィナーレcモ ーツァル ト独特のロン ド形式となつており、冒

頭の主題は三度回帰するc

Page 2: suzukimethod-violinviola-ito.comsuzukimethod-violinviola-ito.com/wp-content/uploads/2018/...Created Date 10/12/2018 4:49:11 PM

豊田耕兒 ヴィオラ 。指揮 1111111111111111111111111111111111111111111111111111111:||||||||||:111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111‡

| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1―'|‐

1:ミSil:す

1933年、浜松市に生まれる。幼少より鈴木鎮―先生に師事。1952年、フランス政府給費留学生としてパ

リ国立高等音楽院に学ぶ。音楽院を1年で卒業後、ジョルジュ・エネスコ、アルテュール・グリュミオーに師

事。ハリエット・コーヘン財団よリバッハ賞受賞。ロン・テイボー、ジュネーヴ、エリザベー ト王妃国際音

楽コンクール入賞cライン室内楽団第一コンサー トマスターを3年間、ベルリン放送交響楽団の第一コンサー

トマスターを17年間、ベルリン国立芸術大学ヴァイオリン科教授を21年間務める。その間、ベルリン市より

カムマー・ヴィルトゥォーズの称号を受ける。グリュミオー弦楽四重奏団メンバーおよびディートリヒ・フィッ

シマー=デイース刀ワとのアンサンブル。ベルギー・ヴアロニー夏期国際アカデミーのヴァイオリン講師を

務める。草津夏期国際琶楽ア刀デミー&フ ェスティヴァル倉」立、初代音楽監督および群馬交響楽団の音楽監督、

ドイツ・ミヒャエルシュタインおよびデュッセル ドルフの夏期講習のヴアイオリン講師を歴任。1999年より

国際スズキ・メソード音楽院校長、才能教育研究会会長および芸術監督を歴任。現在、国際スズキ協会会長、

才能教育研究会宅誉会長。

鈴木秀太郎 ヴアイオリン 1書 ‐・・||||

1941~ 44年、鈴木鎮一先生に、東京用賀のお宅で手ほどきを受け、その後、鷲見三郎、パウル・クリン

グルに師事。桐朋学園高校音楽科を経て、カーチス音楽院に留学。エフレム・ジンバリス トにフ年間学んだ。

第20回全日本音楽コンクールでの大賞受賞をはじめ、チャイコフスキー、エリザベー ト、モン トリオールの

各国際コンクールでも上位入賞に輝き、1961年より、ピアニス トのゼイダ夫人とともに世界各地で演奏活動

を行なつている。

オーケス トラのコンサー トマスターとしては、ケベック交響楽団で16年間、インディアナポリス交響楽団

で27年間務め、同時に独奏者としてもNHK交響楽団、東響、読響、日本フィル、東京都響、大阪、京都、名

古屋、札幌、九州の各オーケス トラ、香港、モスクワ、レニングラー ド、ミンスク、パ IJ、 ブリュッセル、

トロン ト、モン トリオール、インディアアポリス、ケベック、ハバナ、その他数多くの交響楽団と長年にわ

たり共演 してきた。また、指揮者としても、ケベック、インディアナポリスで定期的に活動を続け、日本で

も東響、言売響、札響、また、香港フィルとも共演している。

教師としては、ケベック州立音楽院、ラバール大学、インディアナポリスのバ トラー大学音楽部などの教

授を務め、インデイアナポリスでは、S∪ Z∪ KI AND FRIENDSと いう室内楽コンサー トシリーズを組んで、

25年以上の永きにわたり、ゼイダ夫人とともに主軸奏者として活躍。このシリーズには、堤剛氏、竹澤恭子

氏などがゲス トとして参力□しているc

これらの幅広い音楽活動の成果を言忍めら4、 ノンデンアすポリス市からは、ゼイダ夫人とともに文化奨励

賞を授与された3現在■レ丁ノ 3.´ 4三不癸を通 υて、マルバロ、グラン ド、テ トン、ス トラ トフォー ドな

どの音楽祭でも活彗をfしてυ|`る 3

東 誠三 ピアノ

5歳より「スズキ・メソード」片岡ハルコ氏のもとでピアノを始める。東京音楽大学付属高校から東京音楽

大学に進み、1983年、第52回 日本音楽コンクール第1位。卒業後、フランス政府給費留学生としてパリ国立

高等音楽院に留学。数多くの国際コンクールに優勝・入賞し、演奏活動に入る。国内はもとより、ヨーロッパ、

北米などでリサイタル、オーケストラと共演。1998年、第24回 ショバン協会賞を受賞。CDはセイコーエプ

ソンより多数発売。2008年より福島・三春交流館 「まほら」にて開催されたベートーヴェン :ピアノ・ソナ

タ全曲演奏会シリーズは好評を博し、そのライブ録音CD全 9集 はいずれも高い評価を受けている。2012年

にはジュネーヴ国際音楽コンクール・ピアノ部門審査員を務めた。現在は活発な演奏活動とともに、東京藝

術大学教授を務めるほか、東京音楽大学でも後進の指導を行なつている。才能教育研究会ピアノ科特別講師。

ヽ.

ヽ   〓一一一一一..一一一一一一一一一一一一一一

鸞 〓 ・ 一驚

甲信地区指導者弦楽団/指揮 臼井 紳二

l stヴアイオリン 2ndヴアイオリン ヴィオラ

美 佳

七 美

きよみ

きよ子

麻 紀

忠 音

華 映

奈加

 

西

ダン

◎ イヒ

ガヽ

ガヽ

チェ□

北 沢

‖1 手

塚 尾

コントラバス

※柳 沢 11出 夫

オーボエ

※山 崎

※畑 中

”幡澤

夕ス

ホルン

※青 木

※奥 原

総括

降 旗 みすず

松本室内合奏団 (※ 賛助出演)

4^

′彗ヽ

●‐, ‐. ‐‐‐̀ | ‐‐‐議| ‐|

`‐

‐.`

筆‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐摯‐‐111隧 ||