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Title ワーグナー : ベートーヴェンの第九交響曲の演奏について Author(s) 小塚, 敏夫 Citation [岐阜大学教養部研究報告] vol.[16] p.[73]-[90] Issue Date 1980 Rights Version 岐阜大学教養部ドイツ語研究室 (Faculty of General Education, Gifu University) URL http://hdl.handle.net/20.500.12099/47491 ※この資料の著作権は、各資料の著者・学協会・出版社等に帰属します。

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Title ワーグナー : ベートーヴェンの第九交響曲の演奏について

Author(s) 小塚, 敏夫

Citation [岐阜大学教養部研究報告] vol.[16] p.[73]-[90]

Issue Date 1980

Rights

Version 岐阜大学教養部ドイツ語研究室 (Faculty of GeneralEducation, Gifu University)

URL http://hdl.handle.net/20.500.12099/47491

※この資料の著作権は、各資料の著者・学協会・出版社等に帰属します。

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Zum Vortrag der neunten Symphonie Beethovens

Ubersetzt von T oshio K ozuka

この驚嘆すべき音楽作品を最近指揮した とき, さ まざまな疑惑が私の心に生じた。それは,

私には必要不可欠と思われる演奏の明瞭さに関するものなので, 強 く心を択えられ, 少しで

も役立てばと, 私の気付いた弊害を除去しよう と思い立った。 その成果をここに真摯な音楽

家に開陳するが, 私の方策の模倣をあえて要求するつも りはな く , せめてこれについて考慮

するこ とがどんなに意義深いこ とかを知ってほしいのである。

一般に私は, ベー トーヴェソの管弦楽法にはどんな特殊な事情がからんでいたかとい うこ

とに注意を換起したい。 彼は, オーケス トラの能力について, 先人ハイ ドンやモーツァル ト

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ワーグナー : ベー トーヴェンの

第九交響曲の演奏について

小 塚 敏 夫 訳

岐阜大学教養部 ドイツ語研究室

(1980年10月13日受理)

これら

が, オーケス トラのみならず, 管弦楽曲草案の不変の基本を形成したのである。ベー トーヴェ

ソもまさ し く こ う したオーケス トラ以外には何も識らず, それを使用するとすれば, 彼も教

示通 りに, 当然と思われる原則に従っていたこ とが奇妙にも確認されざるをえないのであ

る。

と ころで驚嘆すべきは, 全 く同じオーケス トラを使って, モーツァル トやハイ ドソの未だ

全く考え及ばなかった変化に富んだ多様性をもつ構想を出来る限り明瞭に具体化すべく , 巨

匠が如何に作品化したかとい う こ とである。 この点に関しては, ≪英雄交響曲≫が構想の驚

異であるばかりか, 少なからず管弦楽法の驚異でもある。 ただ彼はすでにここで, 今日まで

と全 く同じ見解のも とに器楽編成を した。 その音楽的構想の性格においてかれら二人を考え

られないほどはるかに超えていたのに。管弦楽のさまざまな器楽パー トの離合集散に関して,

われわれが充分に彫塑的典型と見倣し うるものが, モーツァル トやハイ ドンで, その構想の

性格 と練 り上げられた管弦楽構成や演奏法との確固と した合致となって現れたのである。

モーツァル トの交響曲とモーツァル ト時代のオーケス トラ以上に何も適切なものは存在しえ

ない。 かれらの音楽的意図は, おのずから直ちにオーケス トラにおいて表現された, と想定

して もよいであろ う。 こ こには完全な呼応があった。 トランペ ッ トやティ ンパニー (全 く効

果的に主音においてのみ使用するこ と) を加えての全奏, 弦楽器の四重奏節, フ レソチホル

ソの不変の二重奏 (訳者注ホルン 5度) を伴っての管楽器の和音, あるいはソロ

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74 小 塚 敏 夫

未だ習得されえなかった演奏法をオーケス トラに期待していたのである。 演奏は, 巨匠の管

弦楽の構想そのものと同様に, オーケス トラの側も独創的でなければならなかったからであ

る。 それ故にこの時点から, ≪エ ロイカ≫の初演から, これらの交響曲に対する評価の難か

し さがと りざたされ, それどころか, 彼以前の時代の音楽家たちが頑 と して喜びを共にし

よう としなかったことはむろんのこと, これらの曲をき く喜びを奪おう とする妨害さえも起

り始めるのである。 これらの作品には明瞭な具体化が不足していた。 それというのも, この

明瞭さの表出は, ハイ ドンやモーツァル トの場合とは異なって管弦楽で使用された有機体の

なかではもはや保証されておらず, 個々の器楽奏者たちや指揮者の名人芸にまで達した音楽

的独創力によってのみ可能とされたからであった。

ベー トーヴェソの構想の豊かさが, はるかに多様性をもった楽器と, その楽器のはるかに

繊細な編成を必要とした以上, 彼には, つまるところ, 偉大な名人が習得した特技のように

同じ器楽奏者の演奏の強度と表現のなかできわめて急激な変化をもたせるほかに方法がな

かった。 だから, 例えばベー トーヴェソ特有のものとなった crescendoの要求。 これが頂点

で forte にならず,・ 突然 piano に転化する。 しばしば現れるこ ういったニュアンスは, わ

れわれの時代のオ→ ス ト ラ団員には大抵未知のものであるので, 少 く と も時宜に適 う

pianoの開始を確保しよ う と した慎重な指揮者は, その団員たちにcrescendoの賢明な反転

と念入りな diminuendoへの導入を義務づけたのである。 このかく も困難なニュアンスの真

の意義は確かに, 互に交替するさまざまな楽器にまかせられているときに初めて全 く明瞭と

なるこ とを, こ こでは同じ楽器が遂行しなければならない, とい う こ とのなかにある。 豊か

になった今日のオーケス トラを, またあた り前のこ と となったその使用を意のままに出来る

近頃の作曲家たちは, このこ とを知っている。 かれらは, オーケス トラに名人芸とい う並み

はずれた要求を全 くせず, 楽な気持でさまざまな器楽パー トの分担を決めるだけで, ベー トー

ヴェソが意図したある効果を極めて明瞭に確保することができたであろ う。

これに反してベー トーヴェ ソは, 当時彼自身がピアノで習得した演奏の名人芸を計算に入

れざるをえなかったのである。 そ してその際要求された最高度の技術的熟練は, 演奏者が,

あらゆるメ カニックの束縛から解放されて, 表現のニュアンスの変幻極 りのない結び付きを

徹底的に明瞭化するこ とをのみ目的と した。 明瞭さが欠ければ, メ ロディ ーさえも しばしば

不可解なカオスとして顕示されかねなかったのである。 この意味で作曲された巨匠の後期の

ピアノ曲は, リス トによって初めてわれわれに身近なものとなった。 それまではずっ とほと

んど全 く理解されずじまいであったが。 このこ とがわれわれにとって, ベー トーヴェ ソの後

期の作品の明瞭な演奏にまつわる特に困難な事情の充分な説明ともなれば, 全 く 同じ こ とが,

と りわげ巨匠の晩年の四重奏曲やその演奏についても適用できるのである。 ここでは個々の

演奏者は, ある技術的な意味でしばしば多数の演奏者の代理の役目を果たし, 後期の傑作,

四重奏曲によって聴衆が, あたかも実際よりも多数の音楽家の演奏をすぐそばで聴 くかのご

とき錯覚に, しばしば択われるよ うにしなければならない。 ご く最近になって初めて ドイツ

で, われわれのカルテッ ト奏者の名人芸が, これら稀有の音楽作品の正しい演奏法を目ざす

態勢を整えたらしいのである。 これに反して私は, リピソスキーを リーダーとする ドレスデ

ン楽団の巨匠たちによって これらの四重奏曲が, 私の当時の同僚ライシガーを して全 く ナソ

セスだ と言明してもいいと言わしめたほど, 不明瞭に演奏されたのを聴いた こ とを思い出

す。

ところで私見によれば, この明瞭さを うるにはメ ロディ ーが徹底的に浮びでるようにする

しか方法がないと思う。 すでに他の箇所で私か指摘したことだが, これに必要な演奏法の難

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75ワーグナー : ベー トーヴェソの第九交響曲の演奏について

しさの秘密を突き止めえたのは, ドイ ツの音楽家よりもむしろフランスの音楽家の方であっ

た。 つま り, イタ リア楽派に属していたかれらは, メ l==・テ ィ ーだけが, 歌 う こ とだけがすべ

ての音楽の本質と心得ていたからであった。 ところで, 唯一のこの正しい方法で, すなわち

音楽の本質である真のタ ロディ ーを探し出し強調して, 本当に天分ある音楽家たちが, これ

まで不可解と思われたベー トーヴェソの作品に必要な演奏法を発見することに成功した とす

れば, そしてかれらがこの演奏法をこのための有効な規準と してさ らに, ベー トーヴェソの

ピアノ ソナタに関してすでにビュ→ローを通じて真に驚嘆すべき方法で起ったように, 確立

できるものと期待してよいならば, われわれは, 巨匠が自己0 芸術の手近な技術的素材 ピ

アノ, 四重奏, それに管弦楽が該当すると見倣されねばなるまいがー で自分の欲求を超越

して急場をしのがざるをえなかったとい う事情のなかに, 機構的な技術そのものを精神的に

練 りあげよう とする創造的な動因を容易に認めるこ とができ よう。 そして, その技量のなか

に以前は内在しなかったよ うな, 演奏者の名人芸のこれまで未知であった精神的な高揚が得

られたのも, このこ とに負うものとせざるをえない。 だが今特にベー トーヴェソの管弦楽に

再び目を向けるとき, 私は, まさ し く メ ロディ ー確保とい う原則のために, ほとんどどう し

よ う もないと思われる管弦楽の欠陥を, も っ とよ く調べるこ となしには放置できない。 私は

ここでは, た とえどんな精神的な働きを示めそ う とも名人芸には, あの原則不履行を是正す

るだけの能力があるとは認め難いからである。

これは紛れもない事実であるが, 耳が聞えな く な り始めたベー トーヴェソの場合, オーケ

ス トラのあざやかな聴覚像が次第に色あせて, 遂には管弦楽のダイナ ミ ックな関係が明瞭に

意識されな く な り, 彼の構想が次第に新たな管弦楽の形成を必要とした ときには, それは免

れるこ とのできないこと となって しまったのである。 管弦楽の形式的な処理にかけては強い

確信をいだいていたモーツァル ト とハイ ドンには, その気になれば, 多数を占めた弦楽五重

奏の効果と同じ ようなダイナ ミ ッ クな効果が期待されたであろ うに, 繊細な木管楽器を使用

する気がなかった とすれば, ベー トーヴェ ソは, これとは反対に, この自明の力関係を しば

しば無視しなげればならな く なってしまったのである。 彼は, 管楽器と弦楽器を同等の力を

もつ 2つの楽音パー トとして互に交替させるか, あるいはまた合同で登場させる。 これは,

最近のオーケス トラの種々様々な拡大以来, われわれにとっては勿論非常に効果豊かに実行

できるこ とではあるが, ベー トーヴェ ソ時代のオーケス トラでは, 幻影的な仮定にすぎず,

実行不可能なこ とであった。 なるほどすでにベー トーヴェソはときどき, 金管楽器を配する

ことで木管楽器の負担をそれ相応に軽 くするこ とに成功してはいるか, しかし この場合彼は

その当時に分ったばかりのフ レンチホルンと トランペ ッ トの性質によってひどく制約された

ので, 木管楽器の補強にと金管楽器を採用したことから, かえってそれが障害となってメ ロ

ディ・- が明瞭に浮びでないとい う矛盾にわれわれは突き当ったのである。今日の音楽家には,

こ こで触れたベー トーヴェ ソの管弦楽法の欠陥を今さ ら明かにする必要がある とは思わな

い 。 と い う の は , わ れ わ れ に と っ て 今 日茶 飯 事 と な っ た 半 音 の 金 管 楽 器 の 使 用 で こ の 欠 陥 が

避け られるからである。 ただ確認されるこ とは, ベー トーヴェ ソが, 遠隔調で金管楽器を突

然休止させるか, あるいはまた楽器特有のきわだった個々の音で完全に妨害し, y ロディ ー

やハーモニーからもはずして協力させざるをえなかった, とい う こ とである。

私には, 最後に指摘された弊害を多 くの例証を提示して先ず明かにすることが余計なこ と

に思えてならない。 そこでその代 り と して直ちに, 弊害によって生じた巨匠の意図の明瞭な

理解の妨害が遂に私に堪えられな く なった個々の場合に, 私自身が試みた是正を参照してほ

しい。 第 2ホルン奏者と第 2 トランペ ッ ト奏者に次のような箇所で,

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あるいは

で高い音を 1オクタ ーヴさげて, 従って

塚 敏 夫76 yj

の楽器に力強 く演奏しないよ う・に勧めて, このこ とだけからも再びバスのメ ロディ ー的進

ここでは, 2小節つづけてその華麗さですべてを満たした トランペ ッ トとテ ィ ンパニーが

突然ほとんど 2小節全部休止し, ついで再び 1小節合流し, その後またも 1小節以上沈黙す

る。 これらの楽器の性格上避けられたいこ とは, 聴衆の注意が, 心ならずも純粋に音楽的な

理由からは説明できない, 音色をたすとい う この事象に向けられ, ひいてはバスのメ ロディー

的進行とい う重要事からそらされる, とい う こ とである。 私は, とぎれとぎれに協力するあ

で吹奏するこ とを一般に勧めたことで, 全 く簡単に是正することができることを発見した。

勿論これは, われわれのオーケス トラでだけ使用されている半音楽器なら容易にできるこ と

ではあるが。 このよ うに是正しただけで, すでに大きな弊害がと り除かれたものと私は思っ

た。 しかし, その楽節が, 一定の強さを と もか く持続していては, もはやどんなふさわしい

音程も自然楽器の意のままにならない調へと迷い込むとい う理由だけで, それまで何物にも

優って協力していた トランペ ッ トが突然休止する箇所に, 手を加えることは容易ならざるこ

とである。 この例と して私は八短調交響曲のアソダソテのなかのフ ォルテ楽節を挙げる。

な ど。

行が明瞭に浮び出るこ とに成功したが一 少 く ともその華麗さを奪 う こ とだけで, これまで

は是正できるものと信じていた。- だが, イ長調交響曲の第二楽章の最初の forteにおけ

る トランペ ッ トのきわめて目ざわ りな協力に関して, 時がたつにつれ一大是正を しよう と決

心した。 ベー トーヴェソがまさ し く必要だ と感じたその意図を くめばともかく合奏すること

になっていたが, 残念ながら当時の単純な性能ではこれを必要な方法で行う こ とを さまたげ

られていた 2本の トランペッ トに, こ こで クラ リネ ッ ト と同調して全主題を私は演奏させた。

これによる効果は絶大で, 聴衆の誰一人と して不満を感ぜず, 今は満足感にひたった。 これ

も改新とか変革のお蔭とは誰も思い当たる者がいなかったが。

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ここでは弱い木管楽器に, つま り 2本のフルー ト, 2本のオーボエ, 2本のクラ リネ ッ ト及

び 2本のフ ァ ゴ ッ トに, 次の図形

な ど。

ワーグナー : ベー トーヴェソの第九交響曲の演奏について 77

第九交響曲の第二楽章大スケルツォの管弦楽法における似てはいるが異種の弊害を, 同様

に根本的に是正する決心が, これまではいまだつきかねていた。 相変らず大上段にかまえて

その弊害に対処しよ う と望んでいたからである。 これは最初C音に, 二回目はd音におかれ

ている箇所, われわれがこの楽章の第二主題と見倣さねばならない箇所に適合する。

のよ うな四オクターヴで引続き fortissimoで伴奏する弦楽五重奏の力に対抗して, 鎬 り狂っ

たよ うに自己を主張する主題を執拗に堅持するとい う使命が課せられている。 その際金管楽

器による支援が, 先に挙げた方法で休止し, その結果主題の明瞭さは促進されるどころか,

むしろ間歌的に導入される自然音によって妨げられる。 私は, 音楽家に, 良心に恥じるとこ

ろな く主張することを呼びかける。 自分はかってこのメ ロディ ーをオーケス トラの演奏で明

瞭に聞いたことがあったか, と。 それどころか, 総譜を読んだ りあるいはピアノ抜粋曲を演

奏した り して, 推察しなかったら, いったい自分はノ ロディーを識るであろ うか, と。 われ

われが通例行なっているオーケス トラ演奏ではいまだかって, 弦楽器のffをかな り弱める手近

な方策が採られたこ とはなかったらしい。 とい うのは, 私かこの交響曲のオーケス トラ演奏

をき くたびごとに, この箇所ですべてが極めて激烈な強さで始まったからである。 だが, 私

自身 この方策を以前から思いついていて, そ して倍増された木管奏者たちの努力の効果を計

算で きるやいなや, これで充分な成果が約束されるものと信じていた。 と ころが, いろいろ

やってみても私の想定は決して確証されず, された と してもせいぜい不充分で しかなかった。

それ とい うの’も常に木管楽器に気迫のこもった音のエネルギー- これは木管楽器の性格

たからであった。 今この交響曲を私がまたもや指揮しなければならないとすれば, 直ちに,

この並みはずれてエネルギッシュな舞踏動機が聞きとれな く なるとまではならないが, 不明

瞭になる という否定できない弊害に対して, 少 く とも 4本のホルンに確固と した主題的協力

を割 り当てる以外の是正策は試みるこ とができないであろ う。 これはも しかすると次の方法

で実行可能であろ う。

に, 少 く ともこ こでの編成からみてどんな場合でもそぐわないものであろ う が要求され

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オ ーボこ と ク ラ リネ ッ ト

78 ・」ヽ 塚 敏 夫

な ど。

と ころで, 弦楽器の五重奏に巨匠の指示通 りのffで伴奏音型を と らせるために, こ こに示

唆された主題音符の強調で充分であったかどうかは試されるべきこ とであろ う。 見方を変え

ると特にこれは重要なこ とある。 とい うのはベー トーヴェ ソの意図がここでは・, 第二楽章の

主主題の繰 り返しの際のそれとー かってはこの唯一の驚嘆すべき交響曲のもつ極めてオ リ

ジナルなもろ もろの発明によってのみ表現 されるこ とができたー まごう こ とな く全 く 同じ

法外な奔放さを示すからである。 だから私はすでに, 弦楽器の抑制によって管楽器の際立ち

が促進されるべきである, とい う是正は非常に悪い是正である と思っていた。 そ うするこ と

によって この箇所のはげしい性格が打ち消され, 見紛 うほど全 く別なものになるに違いな

かったからである。 それ故に私か到達した究極的助言は, た とえそれが トランペ ッ トによっ

てであれ, 管楽器の主題を強調して, 遂には弦楽器の極めてエネルギッシュな fortissimoに

会っても, この主題が真によ く通 り明瞭に浮びでて支配的になるよ うにするこ とである。 d

音で この箇所が繰 り返される と きは, トラ ンペ ッ トは確かにそれ自体と して協力しているが,

残念ながら再び管楽器の主題だけを蔽う こ と とな り, その結果私はここでまたもや, 弦楽器

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く。ぞ拍子がこの箇所にはっき り押印されねばならぬとすれば, そ して これがいつも指揮者

同様 トランペ ッ トにも性格抜きの節制を勧めざるをえな く なった。 このよ うな問題が起きた

ときの決め手は, 人々が似たような音楽作品に耳を傾けるとき漸時その作曲家の意図につい

ては何ひとつはっき りしたこ とを知覚しないのを好むか, それとも反対に意図を正当に評価

する極めて目的的方策を好むか, その二者択一にのみかかっている。いずれにせよ, コンサー

トホールやオペラ劇場の聴衆はこんなこ とは全 く分らないとあきらめ切っているが。

この第九交響曲の管弦楽法における, 丁度今触れた理由から同様に派生するも うひとつの

弊害の徹底的な是正を, 遂に私が決心したのは, この前この交響曲を指揮した ときであった。

これは終楽章の冒頭の管楽器の驚愕的ファンフ ァーレに関するものである。 ここでははげし

い絶望の混沌たる爆発が叫喚, 狂乱の状を呈する。 そして木管楽器が極めて速いテンポで進

行することで この箇所を思い画ける人なら誰でも, 直ちにそれと分るこ とであ り, またその

際この音の性急な連続から リズムの拍子はほとんど推測されないのが特徴的だ, とす ぐ気づ

ワーグナー : ベー トーヴェソの第九交響曲の演奏について 79

1 ト ラ ン ペ ッ ト

にしか振舞 う こ とができない

と木管楽器から生ずる リズム

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の不安に基因する慎重なテンポ その弁明として後続の叙唱の演奏にとって得策だ と堅持

されるがー で行われれば, この箇所は必然的にほとんど笑止すべき効果を挙げざるをえな

い。 と ころが私は, この箇所の極めて大胆なテンポさえも このリズムの拍子の, こ こでは全

くあってはならない束縛から解放されていなかった とい う こ と, さ らに, そのテンポが管楽

器のユニゾンのメ ロディ ー的進行を依然と して不明瞭のまま放置した とい う こ とを発見し

た。 またも弊害は, 見方を変えても巨匠の意図に従えば全 く欠 く こ とができなかった トラン

ペ ッ トの間歌的な協力にあった。 この鳴り響 く楽器- これに反して木管楽器はただ暗示的

が木管楽器のメ ロディ ー的進行との協力を中断する。 する

だけが聞こえる。 このリズムを簡勁なものにするこ とは, 弦楽器の協力のも とにこの箇所が

最後に再び繰 り返されるこ とで明かに示されるよ うに, と もかく全 く 巨匠の意図外にあった。

従って こ こでまたもや, ベー トーヴェ ソが自分の意図通 り実行するこ とを拒まれたのは,

無弁 トランペ ッ トの制約された性質にのみよってであった。 このたび私は, この恐るべき箇

所の性格に充分ふさわしい絶望的な気持で, トランペ ッ トを して木管楽器の進行と協力させ

るこ とに手を染め, これを次に指定したごと く に行わせた。

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2

な ど。

80 jヽ 塚 敏 夫

かないために, 先人の見解を憶えていて自分もこれを堅持し よ う と して, メ ロディ ー的意図

のためどう しても この点を超えざるをえなかった とき, これを超える音符を一オクタ ーヴ下

げて機能させ, そ してこれによってメ ロディ ーの進行を中断するこ とも, それどころか直ち

に曲解を招 く こ とも意に解しないような融通のきかない手段を, 彼は思いついた。 第九交響

曲の第二楽章の大フ ォルテ ィ シモでは, 第 1 ヴァイオ リンの高いb音をどんなこ とがあって

も回避したい とい うただそれだけの理由でこの箇所は書かれているが,

そのようにではな く , メ ロディ ーの要求通 り

この箇所があとで繰り返されるときにも, トランペ ッ トは最初のときと同様に演奏した。

今や光が勝ちとられた。 恐るべきファンフ ァーレが混沌たる リズムでどっ とわれわれの上

に奔流してきた。 そしてわれわれは, なぜこれが最後に 。言葉“ とならざるをえなかったか

を理解した。

こ う した是正, すなわち巨匠の意図の完全なる復元 (restitutioinintegrum) は達成され

たが, 強調とか補充によってでな く , 管弦楽法の構造, さ らには声部操作そのものの構造に

さえ実際介入することなしでは, ベー トーヴェソのメ ロディ ー的意図を不明瞭や無理解から

救いだすことができないよ うに思われる場合には, 是正作業ははるかに困難であった。

ベー トーヴェソは, 自分がいずれの方面にも原則的に拡大しなかったオーケス トラの制約

を うけ, オーケス トラの演奏を聴 く こ とが全 く 出来な く な り始めると, 音楽的意図そのもの

と実際の遂行 との関係を当然のこ とながら無視せざるをえなかった, とい う こ とは紛れも

以上には書

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ワーグナー : ベー トーヴェソの第九交響曲の演奏について 81

のよ うに, 2つのヴァ イオ リンとヴィ オラで演奏するこ とに, どのオーケス トラも意見が一

致した, と私は思うのであるが。 第 1 フルー ト奏者が今は臆せずその楽器を充分駆使して

の代 りに

のよ うに演奏するこ とができるものと私はまた仮定する。- それにして も こ こ とか, しば

しば現れる似たような場合には是正は非常に容易であるのに, よ り根本的な修正を迫る極め

て重要な難点が, と りわけ管楽器の楽節で現れる。そこでは, 楽器が, この場合は特にブルー

トが予定された音域を超える こ とを原則的に回避したので, 巨匠は, メ ロディ ーの進行を完

全に損な う修正を採るか, あるいはメ ロディ ーに含まれない音の合流によってこの楽器の妨

害的な介入を採るか, そのいずれかに決めざるをえなかった。 この点, 登場するやいなや,

極度のソプラ ノで, メ ロディ ーを探している聴衆を心ならずも魅了し, そして今メ ロディ ー

の進行がその音符と音符の継続のなかにそれほどはっき り表現されないとき, 聴衆を必然的に

惑わすのは, まぎれもな く フルー トである。ここに指摘した悪い効果に対して, われわれの巨

匠は時がたつにつれ全 く無頓着になってしまったらしい。例えばオーボエかクラ リネッ トにソ

プラ ノでメ l=・テ ィ ーを演奏させ, そして, 主題をオクタ ーヴで演奏するこ とさえできかねる

比較的高いその位置をぜひ活用するためでもあるのか, メ ロディ ーからかげ離れている音符

のフルー トを積み重ねるのである。 これによって必要な注意はより低い楽器の演奏に分散さ

れる。 これとは全 く異なる方式があって, それによる と, 今日の器楽作曲家は, 上で上部構

造と して楽器を演奏させながら, 中位置 と低位置で主動機を極めて明瞭に出すことができる。

そのと きはこの低位を占める楽器の響きをそれ相応に強め, さ らに, 性格的に相違する とこ

ろから上位にある楽器とは取り違えられることも混同されるこ ともない同種の楽器のパー トを選

ぶのである。 かく して私自身に払 例えば≪ローエング リン≫の前奏曲で, 完全に和音化し

た主題を, 上位の楽器の継続的演奏下に益々明瞭に浮び上がらせ最高声部のあらゆる動きに

対抗 して主張するこ とができるよ うになった。

だがこの方式は, - その発見はむろんのこ と, 少なからずその他のあらゆる真正な発明

に先鞭をつけたのは偉大なベー トーヴェソであるがー メ ロディーの理解にとって否定でき

ない障害が話題にのぼり, その除去に今われわれが懸命になろ う としているとき, 全然問題

にならない。 それよりむしろ, 有害な効果しかあげないので, それを少な く し よう とわれわ

れが欲しているのは, 偶然のよ うに散 りばめられているだけの妨害的な装飾である。 かく し

て私の記憶では, 第八交響曲 (へ長調) の冒頭の第 6, 第 7, 第 8小節で, クラ リネ ッ トの

メ ロディ ーの調べの上に主題でないオーボエ と フルー トが合流したこ とで, 主題の把握を妨

害されずに聞いたこ とは一度もない。 これに反し, 冒頭の 4つの小節のなかのフルー トの

先導的協力は, 同様に正確には主題的でないにも拘らず, メ ロディ ーの理解を妨害しない。

それ とい うのもメ ロディ ーが, ここでは fgrteで どっ し り と構えたヴァイオ リンの援けをか

りて明瞭に朗々と鳴り響いたからである。 ところで, 木管楽器の楽節にのみ現れる弊害が第

九交響曲の第一楽章の重要な箇所では特にきわたっているので, この箇所を今主要な例証と

して摘出し, それを手がかりに私は自分の考えを明らかにしよう と思う。

その例証とは, ブライ トコ ップ= ヘルテル版では19頁の第 3小節で始ま り, さ らに53頁の

第 3小節で同様に繰り返される第一楽章の最初の部分の終 りごろの, 8小節にわたる木管楽

器の espressivoのこ とである。 メ ロディ ーの内容をはっき り意識してこの箇所のオーケス ト

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一一 Sこで

μ 千心

82 小 塚 敏 夫

ラ演奏をかって聞いたこ とがある, と誰が主張できよ うか。 リス トはその独自の天才的理解

力を駆使し, 第九交響曲の驚嘆すべきピアノ編曲で初めて, この箇所のメ ロディ ー的意義を

浮びあがらせたのである。 すなわち, リス トは, ここではフルー トが介入してたいてい妨害

しているが, その妨害には目も くれず, フルー トがオーボエの主題の継続を比較的上のオク

ターヴで引受けている処で, このオクターヴをメ ロディ ーを導いている楽器の低い位置へ引

きも どし, 巨匠の本来の意図をあらゆる誤解から守ったのである。 リス トによるとこのメ ロ

ディ ーの進行は次のよ うに書かれている。

.でi 二¯ 丁二

か斜 詣辱華haら轟 仏垂蜜垂 尚

7こ ¬ こ、

ここで完全にフルー トを削除するか, あるいはフルー トをオーボエのユニソツ 的倍加と して

のみ強化に役立てよ う とすれば, それは余りにも行き過ぎであ り, ベー トーヴェソの管弦楽

法- そのなかの機能性に富んだ独自なものにわれわれは大いに敬意を拡わねばならぬが

の性格にもそぐわないであろ う。 それ故私は, メ ロディ ーの進行を妨害するこ とな く ,

フルー トの特色ある声部を継続させるこ と, そ してフルー ト奏者に, 音の強さにおいても,

表現ニュアンスにおいてもオーボエ と比べてい く らかな り と も控え目にするー それとい う

のもわれわれは特にオーボエを優先的に追跡しなければならないからー よう義務づけるこ

とを勧めたい。 それによる と フルー トは, この部分の第 5小節のはるかに高いオクタ ーヴに

ある進行と結びついて,

第 6小節を

でな く , 次のよ うに

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ピアノ技巧を配慮に入れたからでもあるが, メ ロディ ーの進行を再生できた よりも正確

に主張されたであろ う。 われわれが今ひとつ更にオーボエの第 2小節を修正して, オーボエ

演奏しなげればならないだろ う。 そしてこれでメ ロディ ーの進行は, リス トの場合一 彼は

ワーグナー : ベー トーヴェソの第九交響曲の演奏について 83

匹 ]尚

のように演奏するこ とを望みたいならば, 幾分控え目なテンポで支援されねばならない次の

ようなニュアンスをあ く までだすようにし, そして今は全く なおざりに演奏されるこの箇所

全部に人目を惹 く よ うな正確な表情を与えなければならないであろ う。 だが, ただこの場合

巨匠の独自の演奏上の指示を継続するこ とが大切であろ う。

これに反し, 美し く展開され, 究極的には強く浮びでるctescendoがあれば, それは, 今

われわれがあとに続 く カデンツ楽節の悲恰感をだすのに懸命である表情を, 第 7, 第 8小節

に与えるであろ う。

だが, オーボエが異なった調と音度で繰り返される第一楽章の第二部の似たような箇所を

取 り上げて, オーボエがもつメ ロディ ー的意味内容をす ぐ分 らせるこ とは, われわれにとっ

てはるかに困難である。 ここでは, 今必要とされる一段高い音度のためと りわけ使用される

フルー トが, その高さになっても他の面で音域に制約を受けるので, タ ロディ ーの進行の変

更を余儀なく させる, そしてその結果楽句の面からみても望ましいノ ロディ ーの進行の明瞭

さは途端に曇らされるのである。 われわれが総譜のフルー ト声部

の代 りに

これは第 4小節の場合であるが一 従ってが完全にメ ロディ ーの進行を継続し,

萎肩 巾

尚 聶華

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を, オーボエ と クラ リネ ッ トがフルー トと結合するこ とで非常によ く知覚できるメ ロディ ー

の進行- これは最初の部分の終 りにもある形態に対応するものであるがー に合わせよう

とすれば, つ ま り

戸 マ T i ・ ] こ

塚 敏 夫

¯ こ¯ へ 、

84

Zべ こ;

第 5小節で

のようにされなければならないであろ うから, 一 今回はリス トさえやはり大胆な試みを回

避し, この箇所をノ ロディ ーの怪物として存続させたのである。 われわれのオーケス トラ演

の代 りに

の代 りに

のように演奏すれば, メ ロディ ーの正しい把握を全 く不可能にするから, 容易ならぬ音楽意

図の歪曲を是認する覚悟がなければならない。 ここでは音楽意図の完璧な復権は非常に危険

に思われるので, 一 音程さ え二度交換されねばならないであろ うから, つま りフルー トの

第3小節で

一 一

尚 尚垂尚大

翻訟糾頴才

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/

85ワーグナー : ベー トーヴェソの第九交響曲の演奏について

奏でこの交響曲をきいた人なら誰でも, この箇所が全 く曖昧模糊としているので, ここで 8

小節にわたってノ ロディ ーの空白を感ずるのである。 この難物に何度繰り返七繰り返し挑戦

しても同じ印象しか受けず悩み抜いた挙句のはて, 私は今万一の場合には, これら 8小節の

フルート とオーボエを次のように演奏させよう と決心するであろ う。

今回は, この進行にとってすでに必要なものと して確立された espressivoのニュアンスを再

び取 り上げることは止めにして, 1小節おきに変更されたメ ロディ ーを正当に評価し, より

緊迫的な べ はすでにあるが, 8小節の最後の小節に特に強調されるべきmolto

crescendoを与えよ う。 この moltocrescendoによって疑問視された g音から高い fis音へ

のプルー トの飛躍も

私はこ こではこれを巨匠の真の意図にふさわしいものと思うのだが一 決定的な表現を

軸心 毒訟錘に

こ 飛沢

この場合第 4小節では第2 フルー トは休止しなければならないだろ うが, 第2オーボエは第

7, 第 8小節で一部補足的に次のように演奏しなければならないであろ う。

得て正当に解釈されるであろ う。

メ i=・デ ーイーとい うものは, た とえそれが作曲家の技量いかんでしばしば極めて些細な作品

のなかでわれわれの眼前に展開されよ う と も, たえずわれわれを魅了して放さないこ と, さ

らに↓訳の分らない文章のよ うに曖昧さでわれわれを困惑させることがなげれば, この・に=・

テ ィ ーとい う言葉の正確さは, 言語とい う言葉のなかで展開される抽象的思考の論理的正確

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さに決して劣らず重要なものであること, 以上 2つのこ とがあらゆる音楽作品にどんなに比

類な く重要なこ とかをわれわれが然るべ く熟慮すれば, ベー トーヴェソのごとき天才の音楽

作品のなかのひとつの箇所の, ひとつの小節の, それどころかひとつの音符の不明瞭な点を除去

しよう との試みほど, 極めて入念な努力に価するものはないこ とを認めざるをえまい。 とい

うのはこのよ うな実体のないものの, 意外に思われるような新しい形態化はいずれも, われ

われ哀れな死すべき者に自己の世界観の深奥の秘密をなんの抵抗もな く開陳し よう とする,

神にも似た身を焼き尽 くす衝動に専ら由来するからである。 人々は, 偉大な哲学者の書物の

なかで不可解 と思われる箇所があれば, それがはっき りと理解できない うちは, 決して見過

ごして先へ進むべきではな く , また, そ よ うにしなければ先へ読み進んだ としても, 益々怠

慢が重なって その哲学者を理解できなく なるにちがいない。 それと同様ベー トーヴェソの作

品のごときものの場合も, はっきり心に留めることな く 1小節た りとも無視して先へ進むべ

きでない。 これも, 一般にわれわれの地位あるアカデ ミ ックな指揮者がやるよ うに演奏指揮

するこ と しかわれわれの念頭にはない, とい う こ とがなければの話である。 それにも拘らず

私は, 今述べた提案が原因で, アカデミ ッ クな指揮者の側から文字の神聖を汚す思い上がっ

た不届者と見倣されるこ とを覚悟しているのである。

だが, こ う した恐れにも拘らず私は, と ころ どころ書き方を熟慮の末変更すれば, 巨匠の

意図の正しい理解が助成されるとい うこ とを, なお 2, 3例を挙げて実証するに吝かでない。

これと関連 して私は先ずやはり意図通 りに実行すれば, かえってその意図を曇らせるダイ

ナ ミ ックな演奏ニュアンスに触れなければならない。 第一楽章の感動的な箇所 (ヘルテル版

13頁)

’」ヽ 塚 敏 夫86

に要求された決定的効果を阻害したのである。 それとい うのも, このcrescendoは, これと

は反対に管楽器のなかで細々と しか主張されないす ぐれたノ ロデ ィ ー的意図を余 りに も早

く無視し, あまつ さ えヴァイオ リンが主題的に登場してこの進行の性格的特徴を帯びるこ と,

いわんや更に次のcrescendoを遂行するこ とを阻害したからである。 ここで見過ごされがち

なこの弊害は, 残念ながらわれわれのオーケス トラ奏者にはいまだ殆んど識られていない控

え 目な poco crescendo- p沁 crescendo に必然的に先行 し なければな らないがー に よ っ

は, このあ とす ぐにメ ロディ ー的意図から最初の2小節が二回繰 り返されるので, crescendo

は6小節に配分される。 巨匠はそのうちの最初の2小節を管楽器の部分に終始 pianoでのみ

演奏させ, 第 3小節から初めて crescendoで, 新たに加わる管楽器に演奏させる。 それにつ

づいて今は同じメ ロディ ーの進行の第3加入が優勢な弦楽器によって受け継がれ, 強さを決

定的に増大させながら第 7小節で始まる fortissimoへと導かれるのである。 さて私の発見し

たところによると, 管楽器の第 2加入で始めるよ うに指示された crescendoが, 同時に対抗

運動的音型で高まって行 く弦楽器にも適用されて, 第 3加入のヴァイオ リンのp沁crescendo

心 ̃

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ワーグナー : ベー トーヴェソの第九交響曲の演奏について 87

てもちろん完全に除去されるであろ う。 それ故に私はこの箇所を詳細に論評したことで, こ

の重要なダイナ ミ ッ クな演奏ニュアンスのこ とは特別な練習 と傾倒にまかせたつも りであ

る。

だが, 同じ第一楽章の最後の部分で再び現れる, 巨匠の思い違いの意図の悪い結果は, そ

こで指示されている規定を どんなに几帳面に遵守七よ う と しても除去されないであろ う。 こ

こでは交替する器楽パー トのダイナ ミ ッ クな不均衡が障害となって, 指定されたニュアンス

の繊細な取 り扱いによって も除去がほとんど不可能なほど困難になっているからである。 こ

れに該当するのは先ず総譜47頁の似たような箇所にある最初の2小節であって, そこでは第

1ヴァイオ リンが全弦楽器と ともにいきな りも う, そのあとに相応の進行を もって続 く クラ

リネッ トが適当な強さ と高まりで受け継ぐこ とができないcrescendoで, 演奏しなければな

らない。 ここTでは私は, crescendo を最初の2小節から抹殺し, 次の2小節の管楽器から,

しかもエネルギッシュに始めよう と決心せざるをえなかった。 このよ うにした こ とで cre=

scendoは, そのうえすでに次の第 5小節では現実に forteとなっているので, 弦楽器によっ

てもためらわずに支持されるこ とができたのである。 次に器楽パー トのダイナ ミ ックな不均

衡という同じ理由からに59頁の最後の小節に似たような箇所の再度の繰 り返しがあるが, そ

こでは, 最初の2小節は終始 piano で, 次の2小節は管楽器の強い crescendo と弦楽器の

比較的弱い crescendoで, ついで forteの前の最後の2小節になって初めて弦楽器の音の強

さを緊迫的に増大させながら演奏されなければならないのである。

私は, ベー トーヴェソの演奏ニュアンスの性格についても, 私か正しいと思ったそのニュ

アンスの出し方についてもこれ以上詳述するつも りはないし, そ してそれほど必要でもない

のに指定されたニュアンスの動機づけをする理由を, これまで く ど く どと念入 りに立証して,

弁明これ努めたことで充分に私の判断も語り尽 く した, と思う。 だからこの件に関しては,

この演奏記号の意味が主題そのものと同様に根本的に研究されるべきである, とい う こ とが

今ではも う確認されることしか望まなかった。 それとい うのも演奏記号のなかにしばしば,

音楽的動機そのものを構想する際の巨匠の意図の正しい理解への何物にも優る指標があるか

らである。さ らにまた補足したいこ とは, 以前の論文≪指揮について≫のなかでベー トーヴェ

ソの速度にふさわしい動機づげに言及したとき, これで機智に富んだやり方を勧めたつも り

は私には確かになかった, とい う こ とである。 この機智に富んだやり方一 断乎たる確信が

あって私はそ う したのだがー で, ベルリンのある指揮者はベー トーヴェソの交響曲を指揮

する。 そのやり方はと言えば, ある箇所は, 薬味をきかすために最初は forteで, 二度目は

反響のよ うにpianoで, 最初はより遅 く , 二度目はよ り速 く演奏されねばならない, と。 さ

らにこのや り方に対して, 例えば≪連隊の娘≫, あるいは≪マルタ≫の総譜のなかで指揮者

の気嫌の良いときに持ち出されるような冗談がでる とは, ベー トーヴェソ音楽の正しい演奏

に寄与し よ う と種々解明し難い要求を提出した ときには, 私も考え及ばなかったこ とであ

る。 。。

それとは反対に, 巨匠の意図を真に明確にし よ う と励んだ理由をほんの少し前に挙げたが,

それ と同じ理由から, 私は最後になおひとつ歌手のソロ四重唱の極めて難かしい箇所を取り

上げなければならない。 その箇所に長い経験の後に初めて弊害があることを私は発見した。

そのために, それだけを取 り上げれば実にすばらしい立案であるその箇所も如何よ うに歌わ

れよ う と真に満足のゆ く効果を発揮することができないのである。 それは第九交響曲の終り

にある最後の独唱の箇所, 有名な口長調 。汝のやさ しき翼憩 う ところ“ である。 この箇所が

通常いやいつも失敗に終るのは, その原因が, 最後にあるソプラ ノの上昇する進行の難しさ

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と ころですでに, テ ノールは第 2加入においてアル トの音型的進行に6度と 3度で完全に加

勢している。 これによって, メ ロディ ーを継続するこ とになるそのあとの第 3小節のテ ノー

ルの加入は, その意義を失 うばかりか, すでに以前に自分の力で注目を自分の方へ惹きよせ

た聴衆への効果をも失 うのである。 そして今や聴衆は, テ ノールのなかで再び現れるソプラ

ノのメ リスマ的音型がここで与えなければならない刺激をも受けな く なるのである。 巨匠の

ノ ロディ ー的意図がこれによって不明瞭になるこ と, さ らには, テ ノ ール歌手が音型化され

た 2つの小節を次ぎ次ぎに確実にこなすことはできな卜こと一 第2小節の音型だけであれ

な ど。

88 小 塚 敏 夫

のなかにも, 恐らく またアルト声部の最後の前の小節にある 4d音のたいして難し くない調

整のなかにもあるわけではない。 これらの難点は, 一方では高い声が容易に出せるソプラ ノ

歌手によって, また他方ではハーモニーの場合の意識で導かれる非常に音楽的なアル ト歌手

によって, 充分に解決されるからである。 これに反してテ ノール声部のなかには, この楽節

の純粋で美しい効果を阻害するものがあって, それは徹底的な是正が行われなければ除去さ

れえないのである。 このテ ノ ール声部は時宜を計らず現れて, 音型的な動きで演奏全体の明

瞭さを阻害するかと思えば, だが他方では如何なる環境下にあっても煩硝な任務を課せられ

ているようにみえる。 合目的的な呼吸作用のどんな法則に照らしても, 気がかりな疲労困惑

に陥ることな くその任務に耐えるこ とはできないのである。 われわれがもっ と詳し くその箇

所を観察すれば, 四六の和音の参入によって, 口長調 (総譜264頁) 記号を守 りながら, この

箇所の拘束的なメ ロディ ーの意味内容は, ソプラ ノの音型的進行のなかに溶解され, そ して

その進行をアル ト, テ ノール, 最後にバスが下に向って交替しながら, 自由な模倣形式で継

続するのである。 われわれがこのノ ロディ ーの進行にただ付随するだけの声部を除いて考え

れば, 巨匠の模倣は次のように表現されていることが明瞭に聞きとれるのである。

を阻害しているのである。 だから私は熟慮の末次のように決心した。 すなわち, 今後は主要

な加入に先立つ, アル ト声部の加勢のなかにある困難な音型の展開をテ ノールから省き, テ

ノールにはこの箇所の本質的なハーモニーの音符だけを受けもたせよ う, と。それ故にテ ノー

ルはこれからは次のよ うに歌 うであろ う。

i以上 2つのことが重なってこのすばらしい箇所の効果ばテ ノールは容易にこなせたのに

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89ワーグナー : ベー トーヴェソの第九交響曲の演奏について

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の代 りに, 先立つ小節と連携して次のように

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付 記

ス コアをみながら, 第九交響曲を聴 く と, 到る処でワーグナーの提案が受け入れられているのが分る。 これ

aiell ・ be, 1¥ ’ ner 16い tep fundm!

歌 う こ とを何の抵抗感もな く指示した, とい う こ とである。

これとは反対に, 堅実なイギリスのオラ ト リオ聖歌隊のアカデ ミ ックな歌手たちには, 然

るべき正確さで歌い, { 拍子の。FreUde“から一日も早く脱皮することを期待したい。

万警垂 m 四

四 警 警 彗

g s g x i s s s g l s s s ter

のよ うに歌わねばならなかったとき, 今まで空し く この箇所に苦しみ抜いたあらゆるテノー

ル歌手は, 私に大いに感謝し, そして今はそれだけ立派に自分に実際ふさわしいノ ロディ ー

の進行を歌いあげるであろ う し, そ して私の助言を受け入れれば, その進行に次のよ うなダ

イナ ミ ッ ク な ニ ュ ア ンス

これの代 りに,

aml ・ be i如 ‘ ner

- - 之 之 皿 レ r ロ ーI ●a - - | | 〃 ●

/ ・ T「 | | |

77’ ・ |

を与え, その正しい表現を自家薬篭中のものとするのであろ う, と私は確信している。

これをこれ以上動機づけすることな く , 立派に目的を果たすために, 私がただひとつ触れ

ておきたいことは, 優秀な歌手ベッツが私の最後の指揮となった第九交響曲の演奏の際に心

よく熱心にバリ トン独唱を引き受けた とき, 彼に

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90 小 塚 敏 夫

は一面からみれば, この小論文がすでに過去の所産で, 演奏者並びに指揮者には既知の事実であって, 今更こ

と新し く訳出で もあるまいと思われるかもしれないが, 他面, この小論文がそれほどすぐれたものであったこ

との証左でもある。ルーツ探しではないが, 今日かれらが, ベー トーヴェソの意図を汲んでこの交響曲の正し

い演奏ができるー もちろん, ワーグナーの提案に基づいて種々補足, 修正がその後行われたのではあるが

ー のは, ベー トーヴェソの交響曲の欠陥に最初に気付いたワーグナーが, その是正策をこの小論文で提示し

たからである。 その意味で これは記念するべき貴重な文献である。 なお底本 と して Richard Wagner

Samtliche Schriften und Dichtungen( Sechste Auflage) , Neunter Band のなかに収録 さ れた≪Zum

Vortrag der neunten Symphonie Beethovens≫ を 使用 し た 。