title 滿洲國內の重力測定 地球 (1936), 26(6): 393-406 issue...
TRANSCRIPT
Title 滿洲國內の重力測定
Author(s) 松山, 基範
Citation 地球 (1936), 26(6): 393-406
Issue Date 1936-12-01
URL http://hdl.handle.net/2433/184636
Right
Type Departmental Bulletin Paper
Textversion publisher
Kyoto University
地
球
琴
轟
荒巻
璽
卵鶴軍
産
十二月
音
溝
洲
園
内
の
重
力
測
定
基
範
緒言1
測光法に就て1
微前
の測定
1今回
の測淀批況及紬典-
測・:+4紡鼎の現はす意味-
今後
の希党-
文献
緒
言
寛カを測定した結果よら我々が尊ぶ所は種々である。第
一には地表に於ける重力の値よう地球の
贋畳を算出する罫が出水カ。新二には全地球表面上に於ける蛮力の分布にょ-地球の形状を算出す
る事が揖来る。第三には廉
い面積に有言
重力の分布と地形との摘係よ・Ch地殻均衡詮が発達し允。第
四には相や狭
い面積内の蛮力分布が地殻均衡状態に
一致せざる状況を研究して地力撃的研究の基礎
資料とする罫が出来る。敢後に極めて狭
い地域内の重力分布を精密に研究する事によって地下の地
質構造推定の資料を得る革が出氷る。
本年夏期私は熊谷助教授、初任t講師、菅谷助手と共に満洲問内に於で重力測定敢行ふ罫が出兼ね
・梢洲幽内の菰力測光
売三
・他
球
壁
一十六怨
RA大紋
荒
川
こ
のであるが'我々の目
的は前記の内の節二乃寅節四である。従凍地球の形状として我々が位川して
居る楕個卒の数倍は主としで欧雄巴'或は並米利加等の釈粁AJ川Sて計許した純兆であ
・Ov.私は久
しぐ日本及其近隣の韮カに陶する測定及研究AJ行って居るが'常に光沖ーこ於ける子牛粒糊の相川神
川
は従凍算出されて居るものi)は典りて屠るではないかと希
へて居る。班もこ坤非些
1怖士は円本の死
力分取を舟等
之に最よ-通合する桶川髄の捕利率藁
許して敬訟し
てあtdが、死に拭い材料JJ
川.
ql一
■'
Sる事が私抄目的である.又地殻均衡Iこ放ても帥皮tが
本の外比重紳丑各地の状況は仰r沖かでない
Le
から之等の地方に於ける状語を明かにし、殊に捕殺よとt本晦を経て太平沖に到各地域はり.ヒナホ
ープェンの地鰹構造に関する嬰詮等kq'タ特椛の法忠は依する桝であるから'浦洲の死力測定の結
果は後家の日本'朝潮及太平洋上9死力測定の姑兆及朋凍希崇する朋の口本拓の沌力介祁測定の結
果と結合しV.蒐要在る資料と在る可さである。
EE
日本は於ける重力測定は文部省測地堺委員令の邸罪であっち廿日くはm申飢'長岡'新城終博史が・
之に携はられ、其後私が関係して貸測上には熊谷助敢按の努力が興るL#
だ多.い.本年誕肝浦洲古
於ける測定に普っては陸非の諒解と按助とを謂以たるに之を快諾せられ'准前件に山北舶係・:Eよか
多大の後援を祥ね。.叉満城に於ては研究求の補助'‥測定宥及測定州晶輪法上の棒大の按助を輿
へら
れ、且つ現地は放ても充分の便宜を受ける邸が〓雑ね。之等の劫に就て私心此磯V・丁は托庁なる戚謝
の意を表する次第である。
本年の測定に於
では我々は七月二十四日神戸解糖の熱河丸で二十七日大連に着いた。苗で満銭'
疎開等で㌧砂・用務を済eiL、翌日塘輔弼に行った。之から興安朝を坊断Lで浦洲鬼に至るまでの蛾泣
沿線九桝と啓々吟爾から滴下して町卒術に至るまでの蝕荘沿線で二桝とで死力を軸足する印が湖水
●
ね。
而して九月三日大建を出帆して同六日如任したのである。
測定
法
に就
て
重力を測定す率には動弥方法と静的方法とがある。昔から行ほれて衆力の.は主とJt.動的功港で・
あって今でも膏
密をる方法は之によるのであるが'種々の不便があって近衣は静的方法も取究計
7
れて居る。草も(ツカ-.は養田水の沸騰瓢と水銀柱気懸計の高さとを測つエ此カを計罪する邸を試
8
みた。凝塊は主として特殊の材料の弾性を利用する方法が畝みられて居て、ノ
ア
答は支部に於て
・之を賓行して居る。之等の方法は比較的符節に測定が行はれ!Oが
1両に於で其精度に枕で胡幾分の
不安を含ひもの'JU思ほれて居る。
,
動的方法と蕃ねのは振子を用以る方法を指し.ねのである。振子の振動迎期と相皆印綬子の長さhJ
知れば重力の倍が計算されるといふ革は此方法の基本的論凌であるが'相皆堺頼子の長さを知.る事
.i5困難であって
r此負に可逆振子を用以長さの測定の精度の影響を少夜-する方潜を取るかt.或は
●
此政測定法を用以て標準瓢の重力を知って居れば振子の長nが鼻化せ内部だけは注意して項値を用
..以る事をLに任意の地瓢の重力を決定し得る桟にするのである・.。現今
行ほれて居るのは主として此
方法である。
l一満州国内の重力測光
三豊
地
球
節二十六雀
節六紙
三食
四
日本は於では始めは東京を標準郵とし、其後光京と京都の此瞭測定が出雑犬から近年は京都を標
準鮎として測定を行って居る。賓際の.測定は於ける準備としては振子等を取付ける為は充分麗卒を
る基礎を作る革を要するが、其馬ほは地下約二メートγ以上の喋ruIから
コンク-ト.ト基を作る必翠
M
がある。然る鑑
別は私の報告に尊で置ね如-我々の手許には梅上で使用する或力測定用振子基があ.
ってp之を陸上で使用すれば前述の基礎恕作る必要はな
いので非常に手数及び経衆む覇-罫が出凍
る害である。但し此装置には非常は繊師をる部分があるから長途の陸上輪蓬は通するや否やは就く
は蔑分の不安を懐
いて居たのである。本年夏期ほは種々考慮の来遊は此装置を使用する決心をして
之か
.
寒行して見ねが'其結基は長途の陸上運搬も何等の障磐を起さざる事を確め得でp従衆の測定
に此し同
.i期間で7g多数の測定忍完了し村瀬のである。
従前の測定状況及酪呆
爪じ
兼郵亜帥亜大陸の糞力は就では共闘の印度に放ける測定の外
に
は明治三十六軒新城博士等が上
海、濃口、沙苗、香港及シンガポールは放ける測定があるが、シソガギールを除
きて他の地瓢は於
では重力のブ-グー偏倍が負三ミリガル乃至正二四ミリガ
ルである。近年に在って上海郊外徐家膳
のルゼ
-氏等は静的方法で支那各地の蛮力測定を行って居る。私は其結基を見て特に支那に於ける
或力標準値と日本のそれと聯絡して見た
い希望を持って居る。
昭和二年か
,身々は朝鮮及び大陸各地の重力測定に着手したが、其年に溝銭沿線では麓順,鹿
岳
城、遼陽、奉天及び戟崩の五胡で測定を行った.而
し
て次年の測定地を定むる為は西軍術其他数箇
所を硯察しで踊った。其後は年
々朝鮮の各地で測定を試みカが'満洲革鍵の翌年即ち昭和七年には
禰び溝洲囲内に出向してp新衆、苦林p公主嶺'川平術及鄭家電の瓦斯で重力測定数行ふ春が出水
ね
。此前後二回の浦洲鞘内に於ける測定の粍基の数倍は後に本年の鮎基と併せ
等不すが'之と朝鮮は
於ける韮力測定とむ結合すると、日本内地と典ら釆力偏椿の蚤が
7故に非常は小さい蔀が明かにな
った.之は本年及び今後の測定鮎撰操の参考と在ったものであってp満洲閣内では面積の割合から
考
へる程多数の測定を行はずとも韮力分布の概況は明かほなら得るものと考
へて屠るのであってp
概況が明かになつLJ後に虹に研究は低すべ
き局部局部は於で許師に測光散布ふ計割・AJ立てる積-
で
ある。而して溝洲囲内だけでは奪回十乃至十五所の測定数行以五
回で概況測定を終了する敢定を立
で.・本年は其笹
.i回測定を貸行しなる次雛である。
今
回
の
測
定
本年夏期の満洲囲拘束力測定鮎は十
-i朋は撰んだのであるが、主要動は大典安崩を横断LtJ重力
の分布を知ると
いふ串を目的としたのであるU其為は吟補機よ-満洲運に至る曙洲縦に桁ふてp-平
野西は吟爾洛p解々喰爾p典安両地は於では札蘭屯
、博克岡p典安p免渡河p束に呼倫月爾高原は
放て淘掠爾、満洲鬼等九所に於で測定を行以'兜に解々瞭爾より四車種に至る軍勢純に沿山容凍'
溝洲川内の凍力洲火
元.
ヒ
五
地
球
撃
二・六怨
妨六雛
克
八
J._′ヽ
挑覇の二期は放ける測定を街ふ事が用凍死。
前にも述べた如-今回の測定には海洋重力測定蔭を利J=し充のであるが、此方故では二本の振子
を同
妄
面内で振動nせて、光線を空
の振子の鋸で反射
ruせ
た後史は堅
石
鋸にあてJ反射n
せp之を時計仕掛で動-威光紙はあて\
二本の振子の振動の綜各
席基を馬具は撮るのである0此
灘にすれば振子轟が少しは動揺しても其影響は消去せられるからp
堅牢在る振子姦藍
汎くる必要が
な
芸
である。貸際は葛鼻に撮れカ綜合振動は非常は規則正しS形をして居て充分安心して使用し
視る79のである。
振動適期を計算する名は此威光紙には同時に精確在る時虚儀よ-寒中秒の記魂を入れる様ほしで
ぁる。此時虚儀の口蓋は畢
芸
文姦よ~,hの午前十
蒜
及午後九時の二
回の撃用報時を受信して測定
するのである。振子の振動適期は片振れ殆ルビ草砂であるが、所謂
コインシデンス故により之三
秒の
妄
苗分
盲
で精確に決定する事姦
し,第鼻は撮ったものから
コインシヂ
ン蒜
刻を蔑み取
第 - 図
韮カの輝 倍々
-:二\十 -:--ニー‥一・l
二7-I::字 ミ三二 二
III1-二:":_I::--:--i--:-
って計算すれば約三十分間の観測で其椅度に達し得るやうに
出凍て居る。然るは時虚儀の目差の方は約十時間叉は十四時
間の平均が得られるのみであっyp其時間内の目差の慶化を
定める事は困難である。俵で我々は十時間の間隔の問には三
回、十四時間の間隔の間には四回の測定を行ったのであるが,
各測定の結果は差が甚だ少覆工
従って其平均を採用すれば
所期の精皮内で信蝿し得る結果を得たのである。
測定した振動過期に封しては温度'先願、編束、振幅'毒の典撮れ'使用時鹿儀の目差等の影響に
封する修正を加
へ'其結果を標準鮎に於ける振動過期と比較して測定鮎に於ける重力を算出するの
である。此時程たる韮カの値は
gを以て衷はす。此倍は同
一経緯度の地瓢に於でも高庇にょ-違う
から、測鮎を海面と同じ高さに引下げた場合の値に換算したものを考
へて'之を
卯であらはす。
g
よ-釣を求
むる為の修正を高度修正
Freeai
T
COrreCtionと呼ぶ。併し革に高さのみならず周囲の
地形の影響もあるから、先づ測鮎の周囲を平坦にしカ場合の乗カに換算して考
へ'之をb、叉其海
面の高
さに於ける値を由とする.更に測鮎を通る水軍面と海水面との間の岩層の引力を除去したる
結典を:bD.之を海面の高rbに引直したる79のを〟g。で衷はし、之を求
ひる為の修正む
ブ
-グー修正
Bouguercorrectionと
いふ。此外に佃地殻均衡龍に従って修正を加
へる事が必要であるが、此報道
に放ては荷其計算の結英を報常するまでに到って居な
い。
さて地球を
一の同峰楕囲鯉と考
へると、其表面に放ける韮力は緯度の画数として拙論的に導
き得
るものであって'其各項の係数は測定せる韮力の値を綜合して決定
されるものである。此の如-し
・].
て導
き出した韮カの範式は吸蔵あるがp教,p久しく
用払られて来たもの隼
ヘルメ
ルトの
{i九
〇一年
の範式であって、之にょつて計算したる韮力の値は7.。で未はすのが普通であるU
我々が問題とするのは測定によって舘たる託カの倍が基地鮎の緯度に朝常するγ。と何程相違する
かと
いふ事である。即ち
go-.ro若-は
goJ'-Toを知る事が必要である。
鵜洲糊内
の範方古山.4
売れ
地
球
・
解二十六懇
望
ハ班
四〇〇
八
誇
示すものは昭和二年、同七年の測定結基と今年夏期の測定結果と敬重
ボしたものである○此
内初めの三者は既は精算を鹿て聴衆したものである0今年測定の耗典に就
で
は今翻精算中
で
あっ
てp鼓に揚げるものは選算の賠基であるが,精算の彼と雛79著し芸
はな
いと信ずる0
-bI)] 尤 地 '.〟(m ) g ig0 -70ー壷o′′十.{o
施 L JIA'1. 13 980.086 30 29
熊 市 頻 17 .182 '8 6
泣 ~.TlSJL 22- ∴294 22 20
春 天 38 .348 .34 31
鍼 昔1-.田 平 餌 68_ .374 21 17
郷 家 -也 120 .4白2 38 28
密 林 174 .472 14 -6
新 京 224 .491 43 23
rT,T相 計こ 141 ,669 30 18
舛々瞭爾 150 .803 22
札 樹 .也 313 I.So7 16 -19
輔 克 問 703 .780 42 -36
輿 . 餐 1000 ・.721 69 -53
磯 波 河 700 .815 46 -32
子飯 粒 爾 611 .862 54 -14
此衣の中で讐
行は測鮎の豊
-
1ト
ルで表はし-
のである。最
低はダイン品
位として
ぁるが'若
偏侍
go上、o及び】g0、、-roe値はダイン等
分竺
即ちミリガ
ル蛋
位とし蒜
値で
ある。第二閲は之等の結果新二不す79のである。
測定結果の
現はす意味
本年の測定
は輿安覇恕横
断して重力分
布を知る事で
あった。此槻
係を明かにす
る為に筋三間
に於で満洲里
雛 聞
溝洲鞘内重力偏倍分布間
よ~,h瞭爾潜に到るまでの
各測鮎間の距離数構線上
に順次に収少P各鮎の高
度を範線に現はしたもの
満州関内の萩L力測光
第 固
典安嶺横断重力偏倍分布図
勝二十六怨静六雛誓ニ10
を作れば、興安鴎横断面に近S,形を見る革が出凍る。而して此間上に更に重力偏倍を穐線上は取れば、重力分布と地形との閥係を窺以知る事が出来る.今ブ-グー偏侍の分布を見るほ於堀江及敏江の平野は於では一〇ミリガル前後の正倍を有して居る。興安嶺の山地では一般に高庇に腰じ七大在る負偏借を有し.興安は負垂二ミリガルに達しで居る。狗-,L溝洲里は海抜爾と客間高度であるほ拘らず其重力偏倍
は負七-lミリガルに超して居る事は注意すべきである。さて日本内地の重力測定の結果に就では既に地殻均衡敦による修正も計算ruれて居で'其結果に就では私は昭和八年の日本撃柵協骨は放て述べる所があった。而して各地の韮カの地殻均衡偏倍は必ずしも小でないが、若し此偏倍の倍だけ重力の倍が小であったならば重力の地勉均衡偏借は零であるべきであって従ってブ-グー偏倍がそれだけ小である場合となる。期の如-丁度重力の地殻均衡偏侍を零となすべきブ-グー偏倍を求めて見ると'之は第四囲は示す如-測鮎の高度と何等かの関係を持って居る樺に見える
第 四 閲
0
0
0
でノ
つり
一t
十
・T
+
油
洲
閣
内
の
琉
力
測
・:i
0
-10
-2O
-う0
-L.LO
即ち約二宵五十メート
ル飴の高度までは
11枚に正値を有し、それよ上向度を槍せ
ば負債とな-其太さは高庇と共は増加す
る形勢が光はれで、三〇〇メート
ルは勤
しでは負
一七ミ11ガ〝、七〇〇メート
ル
に封しては負三二ミ-
ガ
ル等の数倍を不
して居る.
典安裾の主要部に於ける高庇とブ-グ
ー偏橋との闘係は拙者上記の靭係に近い
ものである.即ち其値は恰も地殻均衡数
に従って計算して和らるべNJ訳力偏倍を
客とする如き値に近いものと旭はれるか
ら'之よわ考
へて興安嶺の主憶は大槻に
於では地顔均衡状態はあるものと考へら
;
れる。興安崩が地質壌土着
き年代に出兼
ねものである事から考
へると'之が既は
均衡状態は怒りで屠るのは皆熱である。
F_
rJ1.,1.
JL一
地
拭
節二十六各
節六郎
阿昂
.i二
満洲里に於ける重力偏件が著し-小ruい事は望
胤は低する。現在では只
一瓢だけの測定値である
から飴-進止だ結論を幕-轟は差控えたいと皿って居るのであって、賂兼は此附妃に史に数鮎を漢
んで測定を行ひたい希望である。併し満州里の測定値には説謬はな
いと侶ずるが、今暫-此
丁瓢の
倍のみに就て考
へるに、之は地下に於で質畳不足を想像せしひるものである。此地方は地形よみ見
ても達鴎諾爾の潮水よ-東北に向ふ縦及び之に併行なる教本の断暦を想像せしひる如きものが見ら
れる。叉札楽譜爾附近及び報酬里の酉南方等ほは若
い石炭の埋減があゎPv其他此地方が此綾的新ら
し
い地質年代に於で何等かの鼻動堅曳けね事を=・3はせる如
き形勢が著し
い。此馬に地下が碕充分撤
密なる状態を懐緩して唐衣
い糖基韮力偏倍が著し-小ruいと考
へられる。
次に注意すべ
きは所謂貴遼分水界の地域である。之よ-,>南方遼河の流域及び北方於堀江流域に於
ては何れも堅
70ミリガル以上の韮力偏借を有して居るが、公主瓶よカ挑宙は到る地域は偏倍精や
之より小さ-、其東方及び酉方の負偏倍地域を連結し
三の鞍部状態雷
苦
て居る。斯の如き分布
が恰も遼河松花江嗣大河の流域の分水界に於で存在する事は頗る興味ある革である。
此黒遼分水界は海抜櫨に二百メート
ル飴は過ぎずして、南方遭河或は北方松茂江の流域は百五十
メート
〝に・S遷して居るから、極
めて僅かの高度の差で非常は顕著なる流域の分水界を形成して居
る。其東方には
-1局部に玄武岩の露頭を見る・#殆ルビ各部は砂漠であって未だ其基盤が明かはされ
て居を
い。此分水界の成因は就て私財邪博士の龍O,J嫉み現在に於ける造山作用の進行中のものと解
梓する都も相常の班由はあると恩ふ。併し又
一面には教育の砂湊よ-の西風が常に砂塵を吹き近づ
で居るのであって、其堆積の畳は非常に僅かではあって7P之を数寓年或は数十寓年に積って考
へる
と数百メート
ルに達する事は極めて容易である。即ち地数百髄の造山作用と見る代わに地表の現象
として見る事も
一腰の吟味に値する筈である。此部分に於で蛮力が比較的小であるとU.ふ革は地下
の此誰の此校的小夜る事を推定せしむるから'特に此問題に就て
1暦の考慮を婁するものと考
へる
のである。私の考を確めるに就では荷此地域に蒐カの測鮎を槍
す
と
同
時に、此地方の気象撃的資
料'砂塵堆積の測定等研究す叩き鮎が多
いのであるから'今は只重力の分布よら考
へで
.iの問題を
提示するだけである。
今
後
の
希
望
}
今回溝洲問内の兼力測定の経基に就では上越の如-興安・:.Sは暴地政均衡状態はある事p備洲旦方
面は著し-糞力が小夜る聖
黒遼分水界に於では釆カが比較的小なる罫を指摘して、其意味を虜
へ
たのである。今後は史は測定を般宿して報酬囲全般に豆か釆力分布の概況を知みた
い希望であるが、
其内でも興安禍を史に南方で横断し、呼値月爾若-は察瞭爾高原に及ぶ事p東方山地を横断して重
力分布を明かにする事、熱河方面の測定を行ひ'ルゼ
I等の支部に於ける測定と聯絡させる轟等は
特は薯現は努めて東亜の地殻研究の資料としたいものである.而して圃際事楠が許せば藍は酉は測
定を進めて取鍋缶大陸の中央は連する事を程れば非常に東婆在る結果を程る事が出凍る害である。
文
献
満洲関内の沌力洲・:4
MrJh:
l三
9.8.7. 6. 5. 4.a.14.13.12. 11. 10
地
球
節二十大塔
第
大
敗
田0山ハ
1糾
松出品純、地故及地球内部の物.a騨'
1.0-三
一試'紫波納匪'物緋串及化撰.昭和五年o
Tsub
oi,C.;the
AqostSuitabte
Formu
tafor
the
Japar]ese
Gravity
ValuesL
But1.Earthq.Res・Inst・7
11(1938)
p・632・
I
and
T・Fuchida;Supplem
entaryNotesonth川
M
cstSuitabteFormula
foTtheJapaneseG
ravity
Values・
Bull・Ea叩t,hq・Res・Inst・)3
(1
935).p.355-357.
crosthwai七一H・1
・,Investigationofthelheory
of
Isostasyin.India・S
urVey
OfIndia・
Prof・
PaFCr.13L1912)
松
川苑
純'
日本
に於
ける茄力
湖山妃
と共
成兆
、
円
本聯術協
骨軸舘、鮮
丸
谷
(昭利九咋
).七
-
〓
京
。
Richthofen,DasNordticheChina.()882).
松
山
粘範
'日本に於
ける洗力
洲・:<
と炎成
兆.
日本
蝉術協骨報北口、節九怨
(昭利九年)、七-入質。
Hecker.〇・,Bestimmung
deTSchwer・kraft
auJhdem
AttantischenOzean.
Ver6m'.geod・
InstL
()903)・
脈月
鵬(P・Lejay)免共
魁
、粥
北端カ加.妊腔
、
繊
立北平
研究所数
行。
船山光軸、
En雛餅五十七満水舵に臓る日本船構上の
硯力測光p地球飾二十三怨'(昭利十年)
'i-
.t〓許。
松山韻純、熊谷郎
一p南杵群島及日本海溝上に於ける茄力洲ハ八、六文月報解二十入港
(昭利十年)
一∩主-
二
.t常o
Shin3'6.S・.R・Otaniand
E,
Yamakawa…
OntheGravityan
d
MagneticStu
veyatFiveStationsin
Eastern
Asia・
PIOC・TakyaM
ath・
Ph
ys.Soc・2
()903)pp41-E3.
Ahtuyama}M.;
Relative宣
easurementsofG
raLViyin
Japan,Tyas
enandA4anchuriasince
1912.
tnt,Union
Geod・&
Geoph
y
s・5
-h・G
en・ConfI
t933・J
ap.
Rep-N0-2.
H
elme
rt,F・R
・"DernormaleTeilderSchwerkr
aft
im荒eeresniv
eau・Stzber.k,p.Akad-W
iss・Bertin・
(1910)
塩溶隆次、
満洲
の地封及鉱産
、昭利九坤も
1七三lGo
新相図太郎、溝洲の地系tTTTi本地糾大系'満州箔。