traverse 6

16
1 traverse 6 新建築学研究第6号 インド洋大津波の当日(2004 年 12 月 26 日)、スリラン カのゴールに居て命拾いした。その時のことは求められる ままに書いたが、世界史的事件だったといっていい。スリ ランカなど、地震など全くなく、7世紀に編まれたという 『マハーヴァムサ』という古文書に依れば、紀元前2世紀頃 、王女が波にさらわれたという伝承が記されているだけだ という。それが津波だったとすれば、実に 2200 年ぶりだっ たことになる。 ゴールで 400 人、周辺で 2000 人、スリランカ全体で 33000 人が亡くなった。何かできることはないかということもあ って、7月にインド・スリランカの津波被災地を訪れてき たのであるが、特に、スリランカの場合、未だに津波の爪 痕が生々しい。海岸線から 100 m以内に建築禁止令が出さ れたせいである。しかし、それにしても津波の力は相当の ものである。 コロンボ周辺は死亡者こそ少なかったものの、海岸部に居 住していた不法占拠者たちが大きな被害を受けた。各国の NGO がまるで援助を競うようにプロジェクトを打ち上げつつ あるが、応急仮設住宅建設の段階は終わり、復興住宅建設 が今後の大きな課題である。仮設住宅地は、共同施設もそ れなりに用意され、コミュニティもしっかりしていて、独 居老人が人知れず亡くなるといった状況には全くない。 坂茂、セシル・バルモンドといった有名どころが、復興住 宅を手がけるというが具体的なプロジェクトについては不 明であった。今のところ日本の影は薄いように思われた。 何かうまいプロジェクトが組めないものか。 振り返って日本で、信じられないような電車事故が起こっ た。電車というのがかくもひ弱なボディをしていたとは。 経済的合理性のみ求める管理運営体制がしきりに問題にさ れたが、早さを求めて軽量化を追求してきたその方向に同 じような問題はないのか。 改革、改革のスローガンが叫び続けられてついに総選挙で ある。改革の実は果たして上がっているのか、正直わから ない。確かなことは世代交代が確実に進行しつつあること である。 (布野修司 / 編集委員会)

Upload: traverse-1927

Post on 26-Mar-2016

220 views

Category:

Documents


3 download

DESCRIPTION

traverse 6

TRANSCRIPT

Page 1: traverse 6

1

   traverse 6 新建築学研究第6号

 インド洋大津波の当日(2004 年 12 月 26 日)、スリラン

カのゴールに居て命拾いした。その時のことは求められる

ままに書いたが、世界史的事件だったといっていい。スリ

ランカなど、地震など全くなく、7世紀に編まれたという

『マハーヴァムサ』という古文書に依れば、紀元前2世紀頃

、王女が波にさらわれたという伝承が記されているだけだ

という。それが津波だったとすれば、実に 2200 年ぶりだっ

たことになる。

ゴールで 400 人、周辺で 2000 人、スリランカ全体で 33000

人が亡くなった。何かできることはないかということもあ

って、7月にインド・スリランカの津波被災地を訪れてき

たのであるが、特に、スリランカの場合、未だに津波の爪

痕が生々しい。海岸線から 100 m以内に建築禁止令が出さ

れたせいである。しかし、それにしても津波の力は相当の

ものである。

コロンボ周辺は死亡者こそ少なかったものの、海岸部に居

住していた不法占拠者たちが大きな被害を受けた。各国の

NGO がまるで援助を競うようにプロジェクトを打ち上げつつ

あるが、応急仮設住宅建設の段階は終わり、復興住宅建設

が今後の大きな課題である。仮設住宅地は、共同施設もそ

れなりに用意され、コミュニティもしっかりしていて、独

居老人が人知れず亡くなるといった状況には全くない。

坂茂、セシル・バルモンドといった有名どころが、復興住

宅を手がけるというが具体的なプロジェクトについては不

明であった。今のところ日本の影は薄いように思われた。

何かうまいプロジェクトが組めないものか。

振り返って日本で、信じられないような電車事故が起こっ

た。電車というのがかくもひ弱なボディをしていたとは。

経済的合理性のみ求める管理運営体制がしきりに問題にさ

れたが、早さを求めて軽量化を追求してきたその方向に同

じような問題はないのか。

改革、改革のスローガンが叫び続けられてついに総選挙で

ある。改革の実は果たして上がっているのか、正直わから

ない。確かなことは世代交代が確実に進行しつつあること

である。

              

              (布野修司 / 編集委員会)

Page 2: traverse 6

2 3

目次/ TABLE CONTENTS

スタジオコースの作品から —————————————— 5

世界はエロスに満ちている —————24

竹山聖

建築学生考 —————46

吉田哲

伊東豊雄インタビュー —————52

ー 建築は自由でなければならない ー

設計演習講評会の様子から ————————————— 65

建築家の国際相互認証と JABEE —————66

UNESCO/UIA 建築教育認定システムと日本の建築家教育

古谷誠章

ミャンマーの曼荼羅都市 —————75

インド的都城の展開

布野修司

建築プロジェクト探訪 —————87

プロジェクト発注方式の多様化

古阪秀三

寄稿者一覧 ———————————————————— 94

Eros Drives Us —————24

Kiyoshi Sey TAKEYAMA

Recent Students —————46

Tetsu YOSHIDA

Interview with Toyo ITO —————52

— Architecture should be Free —

Snapshots of Architectural Design's Review ——————————— 65

International recognition of architect's license and

JABEE(Japan

Accreditation Board for Engineering Education)-Architectural Education in Japan and UNESCO/UIA Validation System—————66

Mandala Cities in Myanmar —————75

The Development of Hindu City

Shuji FUNO

Building Construction Project Visiting—————87

Diversification of Project Delivery System

Shuzo FURUSAKA

LIST OF CONTRIBUTORS ————————————————— 94

Selected Students' Works from Studio Course 2004 ————————— 5

テンセグリティ入門 —————38

大崎純

Introduction to Tensegrity Structures —————38

Makoto OHSAKI

環境への科学的アプローチ —————21

ー光環境の心理評価

石田泰一郎

Scientific Approach to Human and Environment —————21

ー Psychological Evaluation for Lighting Environment

Taiichiro ISHIDA

Page 3: traverse 6

4 5

スタジオコース

学部の4回生は毎年「スタジオコース」と呼ばれる設計演習課題に取り組む

ことになる。

それぞれの担当教官が独自のテーマを設定し、学生はそのテーマに応じて、

自らの望むコースを所属する研究室に関係なく自由に選択するといった、い

わば卒業設計の前哨戦だ。

その様々な作品の中から、3コース 7名の作品をここに紹介する。

STUDIO COURSE

In the 4th grade, undergraduate students take the

design

class called 'studio course'.

Each professor sets up his original subject, and

students

select freely regardness of their laboratory.

These studios, so called, are 'the preliminary

SELECTED STUDENTS' WORKS

from studio course 2004

TAKEYAMA STUDIO "MANGA MUSEUM KYOTO"

AKIHIKO AKAHORI

SACHIKO KIMURA

TAKAMATSU STUDIO "SILENCE AND VERBOSITY"

TAKAHIRO OKA

KEI TANAKA

MASAYOSHI NAKANISHI

MUNEMOTO STUDIO "SCENERY AND ARCHITECTURE IN TIME"

SHOHEI SUGIHARA

KEISUKE TATSUOKA

Page 4: traverse 6

6 7

íËäº

Akihiko AKAHORISEQUENTIAL DENSITYTakeyama Studio 2005

Page 5: traverse 6

8 9

Sachiko KIMURARELATIONTakeyama Studio 2005

Page 6: traverse 6

10 11

Takahiro OKALANDSCRAPERTakamatsu Studio 2005

Page 7: traverse 6

12 13

Kei TANAKASHANGHAI MODELTakamatsu Studio 2005

Page 8: traverse 6

14 15

Masayoshi NAKANISHILA PIAZZA AQUA ALTATakamatsu Studio 2005

Page 9: traverse 6

16 17

Shohei SUGIHARAMETAMORFORSMunemoto Studio 2005

Page 10: traverse 6

18 19

Keisuke TATSUOKATHE RIPPLEMunemoto Studio 2005

Page 11: traverse 6

20 21

マンガミュージアム京都 / 竹山スタジオ 日本のマンガは独自の進化を

遂げて、いまや質、量ともに世界に冠たるマンガ文化を形成するにいた

っている。こうしたマンガ文化をきっかけに新たな国際交流もまた生ま

れつつあるのであって、ここにマンガを新たな表現ジャンルとして認知

するとともに失われつつある創世記の記憶を取り集め、その歴史を刻み

込む必要が出てくる。その裏付けがあって初めて世界に日本マンガを紹

介することもできるからである。世界の日本文化研究者の集まる京都に

この新しい日本文化の研究センターをつくりあげよう。〈マンガミュージ

アム京都〉はそのような背景を持って構想された。

沈黙と饒舌 / 高松スタジオ 時に、人をして沈黙を強いる建築があり、

かつ、人をして饒舌へと誘う建築がある。時に、それ自身が沈黙以外の

なにものでもない建築があり、かつ、めくるめくほどに饒舌な建築がある。

建築の現れ、「様相」若しくは「様態」と記述する以外に無いそのような

総体を、「システム」や「体系」で補捉することなど不可能である。

とはいえ、いや、むしろであるがゆえに、建築を人間と共に在らしめる

ことへと開く営為、即ち「設計」は不毛でも不可能でもない。

時間の中の風景と建築 / 宗本スタジオ 誰も逃れることの出来ない平等

に覆いかぶさる硬直化した時間のもとで建築を考えるとき、建築設計で

は「時間」の問題をあいまいにしてきた。つまり、時間を拘束すること

で時間のもつ多様性を単一化し、その多様性を忘れ去ったのである。そ

こでは、建築は部分に分解され、また再構築されるのである。このよう

な増殖を繰り返し、肥大化した建築の風景の典型をニュータウンなどに

見ることが出来る。

この課題では、硬直化した時間とは異なる位相をもつ「時間」、たとえば「風

化」 「うつろい」 「 仮設 」 「 不可視 」 など時間の様々な様相をキーワー

ドに、場所や対象を自由に設定して、風景と建築を問い直す。

・・・・・・

人と環境への科学的アプローチ ー光環境の心理評価

Scientific Approach to Human and Environment ー Psychological Evaluation for Lighting Environment

石田泰一郎

Taiichiro ISHIDA

1. 分光視感効率 V(l) 〜人間感覚の普遍性 光の分野には分光視感効率という重要な関数がある。これは,物理的な放射エネルギーを人が感じる

光の量に変換するために必要となる眼の分光感度である。例えば,赤外放射はいくらエネルギーが大き

くても眼で見ることはできず,明るさはゼロである。だから,放射を人間の視覚が感じる光の量として

記述するためには,波長ごとのエネルギーに眼が感じる明るさに応じた重みを付けなくてはならない。

そのための関数が分光視 感効率であり,1924 年に国際照明委員会(CIE)が定義したものである。こ

れによって光の量を記述するための国際標準が確立されたことになる。

 CIE が定義した国際標準の眼,すなわち分光視感効率は 251 名の測定データに基づいて定められた。

この被験者数は感覚データの測定として決して少なくはないが,やはり,そこには人間の眼の感度は何

らかの共通した機構によって決まっているとの前提がある。近代科学を基礎とする機械的な人間像であ

るといっても良い。もっとも,当時の科学者達が人間をまるっきりそのような存在であると考えていた

のではあるまい。現にスペクトル光の明るさを直接評価した場合には,多くの個人差が生じることは良

く知られていた。そのため分光視感効率の測定には,光の明るさを直接評価する方法ではなく,高周期

で交替する光のちらつきを最小にする方法(交照法)などが採用されている。そのことは後々問題にな

るのであるが,当時の科学者たちは,光の測定の国際標準確立という社会的,技術的要請と,実験によ

って明らかになった人間の眼の特性の双方を考慮して,選択可能な解答を出したということである。そ

してこの分光視感効率による光の記述は概ね人の視覚特性をうまく説明し,照明,映像,色彩工学など

幅広い科学技術の基盤を形成してきたのである。

2. 照明空間に対する心理評価 ところで,今日の光環境分野の研究者や専門家が関わる課題は,例えば,空間の明るさ感や快適性であったり,人の行為に相応しい光環境のあり方であったりする。ここにきて,光環境の研究が新しいス

テージを迎えようとしていると言ってもよいだろう。つまり,ものが見やすく,目に優しいという明視

性の確保だけではなく,人間の心理や行動を考慮したより積極的な光環境設計に対する貢献が求めれて

いるのである。文字の見やすさ,表示物の明るさなどを問題にするのであれば,その解決は容易ではな

いにしても,考えるべき物理要素と人間の眼の機能との関係は比較的分かりやすかった。例えば,文字

の見やすさを調べるためには,物理量として文字の大きさ,文字と背景の輝度,さらに周辺の輝度とい

ったところが主要な変数となる。それらをパラメータとして文字の視認性を測定すれば必要なデータが

得られる。さらに,文字の見やすさは眼の感度や空間解像力といった視覚の入力段階の特性で決まると

考えられるので,その特性に個人間で共通性があるとの前提に立てば,結果を一般化することも可能で

ある。ところが,照明空間に対する人間の感じ方や心理的な印象を評価するという課題に対しては,同

じような方法論では対処できそうもない。そこには,多様な環境要素と人間の認知過程が相互に影響す

る複雑な関係が含まれているのである。端的には,光環境の物理要素と人間の心理・行動との直接的な

対応が見えない状況といえる。

3. 環境と人間 — その実践と科学 このような環境と人間の複雑な問題に対しては,様々なアプローチが考えられるだろう。ひとつには,

ある環境における人間の心理や行動の問題を個別の事例として,各々問題解決を図るという考え方であ

分光視感効率関数 V( λ )

2 ゜視野, 明所視

Page 12: traverse 6

22 23

*) 石田泰一郎 , 人と環境のサイエンス

建築雑誌 2001 年 6 月号 , p.25

1) 荻内康雄, 石田泰一郎 : 仮想輝度

分布法による実大空間の明るさ感推定

に関する検討, 日本建築学会環境系論

文集, 583 号, pp.7-14, 2004

2) 荻内康雄, 石田泰一郎 : 仮想輝度分

布法による空間の明るさ感推定の有効

性 , 照明学会誌, Vol.87,

3) T. Ishida and Y. Ogiuchi: Psychological

determinants of brightness of a space -

Perceived strength of light source and

amount of light in the space, Journal of

Light & Visual Environment, Vol.26, No.2,

pp.29-35, 2002.

4) 荻内康雄 , 石田泰一郎 : 仮想輝度分

布法による空間の明るさ感の物理的な

評価法 −均等拡散面の場合− , 照明学

会誌 , Vol.84, No.8A, pp.529-533, 2000.

5) 石田泰一郎 , 荻内康雄 : 空間の明る

さ感の心理的決定要因—光源の強さ感

と空間の光量感 , 照明学会誌 , Vol.84,

No.8A, pp.473-479, 2000.

6) 石田泰一郎 , 荻内康雄 : 参照マッチ

ング法による空間の明るさ感評価の基

礎的検討 , 照明学会誌 , Vol.83, No.5,

pp.295-305, 1999.

7) T. Ishida and K. Yagi: Relationship

between visual impression of a city

landscape and its characteristics of

color, Proceedings of AIC Midterm

Meeting, pp.99-108, 1999.

8) 照明学会, 空間の明るさ評価研究調

査委員会

る。例えば,建築や照明の設計者や環境デザインに実践的に携わる人は,それぞれの事例に対して条件

を満足する解を見出す必要があり,さしあたってそれで十分でもある。あるいは,環境と人間の関係は

現場において個別的に研究すべきであると考える人もいるだろう。ある環境を人がどのように感じるの

かは,個人的な経験,社会的な関係,文化的な背景など,明示的に記述できない多様な要素が影響する

はずであり,科学ではなく,実践や臨床の対象として考えるべきであると。

 人間と環境の複雑な関係に対するもうひとつのアプローチは,それを科学的に分析しようとする立場

である。筆者は基本的にこの立場で考える。ここで科学的という意味をある程度限定しておかねばなら

ない。筆者がここで述べる科学的とは,何らかの因果性に基づいて事象をモデル化することである。因

果性とは原因があって結果があるという関係性のことだ。つまり,人間と環境の関係を科学的に分析し

ようということは,そこに何らかの因果性が存在すると想定していることになる。モデルの記述は必ず

しも定量的である必要はなく,定性的な記述もあり得る。ひとつ強調しておきたいことは,因果性に基

づいたモデルを得ることができれば,現場での実践や環境設計においても役に立つと考えられることで

ある。なぜならば,モデルの適用範囲内であれば,新たな環境で何が起こるか予想できるからである。

 人間と環境の関係を実践の問題と捉えるか,科学の問題と捉えるか,煎じ詰めれば,2通りの立場が

考えられる。もっとも,実際にはそのどちらか一方だけに加担する人はまれなはずだ。筆者が研究の方

法として科学的アプローチに力点をおくといっても,もちろん,それは実践的な対処を否定しているわ

けではない。否,むしろ人間の問題には,実践的な,あるいは臨床的な対処が必要となる領域の方が多

いはずだ。科学と実践,この両者が相互にフィードバックし,人間理解のためのサイクルを循環させて

いくことが望まれるのである。

4. 人間−環境の科学的アプローチの考え方 *)

 さて,筆者が科学的なアプローチを当面の研究の方略とするのは,かなりの程度,それが可能であると考えているからに他ならない。もちろん,一度に包括的なモデルを作ることはできない。まずは科学の方法論にのとって,対象を単純化することが必要だ。 問題設定の第一歩は,複雑に見える事象を仕分けて,いかにエッセンスを抽出するか,ということで

ある。仕分けのポイントの一つは環境の諸要素である。建築空間や日常環境には多様なものが存在して

いる。その中から問題とする心理・行動に直接影響しそうな要素を見極めなくてはならない。もうひと

つのポイントは人間の心の働きについてである。人間の心の働きの中から,説明しようとする心理・感

覚を明確にしておく必要がある。筆者のこれまでの研究では,例えば空間の明るさ感 1-6) であったり,

都市の色彩のにぎやかさ感 7) であったりする。ある心理・感覚に焦点を絞って分析するということは,

それが他の心の状態から(ある程度)独立であるとみなしていることになる。例えば,空間の明るさ感

を捉える認知モジュールがあると考えてもよい。

 第二には問題となる心理・感覚を説明する水準を考えなくてはならない。便宜的に人間の認知システ

ムを,外部環境の情報を獲得する入力レベル,知覚情報を構成する知覚レベル,さらに上位の思考や記

憶などが関わる認知レベルと分けて考えてみる。重要なのは問題とする事象を決定づけているレベルで

ある。事象の因果関係はそれを導いているレベルで記述するべきである。上位のレベルで決まっている

事象を下位レベルの情報で記述すると間接的になり,また,下位レベルで決まっている事象に上位レベ

ルの諸要素はあまり影響しない。例えば,文字の視認性は主として視力など入力レベルの特性に依存し,

物理量による直接的な記述で説明することができる。空間の明るさ感は,おそらく知覚レベルが強く関

与しており,人が何を見て明るいと感じているのか,まずは知覚の次元で考察すべき問題だろう。さら

に,日常環境では,認知や思考のプロセスも射程に入れなくてはならない。そこでは個人の経験や記憶,

さらには社会的,文化的要素も考慮することが必要になるだろう。一般に,複数の層をなす認知システ

ムの上位レベルには,下位レベルの情報がパターン化された情報が形成されると考えられ,そのパター

ン情報が明らかでない限り,上位レベルの機能を下位レベルで説明することは難しい。例えば,私たち

が指先である表面をなぞるとき,私たちが着目し感じているのは指先の振動ではなく,その表面の凹凸

や肌理である。指先の振動という下位レベルの情報は,知覚システムによって何らかのパターンに変換

され,それが表面の肌理の知覚を導く。この前提なしに振動のみを分析しても,それが意味するものは

見えてこない。もちろん,このような認知のメカニズムそのものを探求することは,今日の科学の重要

な課題のひとつである。ただし,環境と人間の関係性をモデル化するためには,その心理を導いている

要因を探り,近接した因果関係を記述することが先決であり,重要であると考える。

 ここで述べた科学的アプローチのための単純化や水準設定に決まった方法はない。研究者の問題設定

の考え方に依存するところが大である。問題の設定や実験の方法によっては,重要なものを見落として

いたり,不十分な結果しか得られないこともあるだろう。しかし,まずは,学術的,あるいは実用的に

重要な問題について,実現可能な方法で手をつけていくしかない。科学的アプローチの特徴の一つは,

研究やモデルの評価,方法の議論が検証可能な形でオープンにできるところにある。オープンな議論と

研究を繰り返して,理論やモデルの質を高めて行くこと,それが科学の強みであり,面白さであるとい

えるだろう。

5. 空間の明るさ感の評価モデル 前置きのつもりが長くなってしまった。本稿の最後に荻内,石田らが進めてきた空間の明るさ感に関する研究 1-6) をごく簡単に紹介する。空間の明るさ感は人が照明空間から感じとる最も主要な感覚とい

ってよい。空間の明るさ感を定量的に推定する方法があれば,照明設計に新たな可能性が拡がるといえ

るだろう。その方法の開発を目指して,次のような方針で研究を進めた。

 まず,空間の明るさ感に影響する主な環境要素は空間における光の分布状況であり,室の形状,什器

類などは,副次的な影響に留まると考えた。次に,空間の明るさ感とは,照明された空間そのものの明

るさ感であるとして,個々の表面や物体の明るさとは区別した。さらに,予備的な実験を通して,空間

の明るさ感を被験者が判断することは可能であり,また個人差も比較的少ないことを確認した。それに

よって空間の明るさ感を独立に扱っても良いと考えた。以上が問題の整理である。次に分析の水準を考

えなくてはならない。ある面の明るさであれば,その感覚は主として面の輝度が決めていると考えてよ

く,物理的な記述が有効となる。しかし,空間の明るさ感を決めている環境要素は明らかではない。著

者らは空間の明るさ感を決めているのは,空間に存在する光の分布パターンに基づいて知覚された光に

関する何らかの情報であると考えた。したがって決定要因は知覚レベルで考えることになる。

 以上のことから,空間の明るさ感評価モデルを作るための問題設定は次のようになる。第一に,空間

の明るさ感とは照明空間の光のどのような知覚量によって導かれる感覚であるのか明らかにする。第二

に、その知覚量を光の物理量から推定するための工学的な方法を開発する。

 研究の結果のみ述べると,空間の明るさ感は,その空間に満ちていると知覚される光の量(空間の光

量感)に対応する感覚であることが明らかになった。さらに,その空間の光量感を室内の輝度分布から

定量的に推定する方法−仮想輝度分布法を開発した。これらの結果は,模型実験,実大室実験によって

有効性を確認している。現在は,明るさ感に関する他の研究者の成果と合わせて,明るさ感に基づいた

照明設計の普及にむけた活動 8) を進めている。

6. 結び 冒頭で述べた分光視感効率の制定には視覚特性を普遍的とみなす前提が存在する。少なくとも実用になるとの判断があった。その判断は正しく,CIE が定めた標準の眼は今に至るも有効に機能している。

しかし,今日の課題に取り組むためには,人が知的な知覚システムを備えた存在であり,また,文化や

社会に多面的に関わる認知の構造を有する存在であることも考えなくてはならない。そして,これらの

特徴は何層にも重なって人の中に組み込まれているだろう。その意味で,やはり人と環境との関わり方

は複雑で多様である。その個別的な分散の中から,ある輪郭をなす枠組みを探求し,人に相応しい環境

を作るための基礎とする。それが人と環境の科学の意図するところである。人と環境の関係に科学で迫

れるところまで行った先に何があるのか。人を科学的に探求するということは,すなわち,人間性とは

何かを問うていることに他ならないのである。

輝度分布から空間の明るさ感を導いて

いるパターンを探る

参考図書

色彩工学の基礎 , 池田光男 , 朝倉書店 ,

1980

色彩工学 , 大田 登 , 東京電機大学出

版局 , 1993

心理学の新しいかたち—方法への意識 ,

下山晴彦他 , 誠信書房 , 2002

科学哲学入門 , 内井惣七 , 世界思想社 ,

1995

暴走する科学技術文明 , 市川惇信 , 岩

波書店 , 2000

システムの科学 , H.A. サイモン , パーソ

ナルメディア , 1987

暗黙知の次元 , マイケル ・ ポラニー , 紀

伊国屋書店 , 1980

Page 13: traverse 6

24 25

世界はエロスに満ちている

Eros Drives Us

竹山聖

Kiyoshi Sey TAKEYAMA

の主人公モーグリが蒙った当惑を想起してみればいい。文明社会の築いたマナーやエチケットは素朴な欲

望の発露の邪魔になる。

ところが欲望にとって障害であるはずの「文化」と欲望の満足をドライブするエロスとは、実は相補的な

関係を持っている。このことをフロイトは見抜いた。すなわち「文化」はエロスを去勢するためでなく、

むしろエロスの強度を持続させるためにある。そのためにこそ「文化」は生み出されたのだ、と。

もともと個人の欲望の素直な発露を導くのがエロスであって、その前に立ちはだかるのが「文化」にほか

ならない。「文化」は共同体の側からの個人への制約である。しかし「文化」があるからこそ、個人の欲

望の満足は先送りされ、かえって欲望の強化と持続が可能になる。この逆説的な構図の底に、「文化」そ

のものを生み出したのもまたエロスなのだという、フロイトならではの仮説が浮上してくる。

フロイトによれば、エロスは本来個々の生命体における生の欲動であって、異なるものを結び合わせると

いう働きをもつ。すなわち異質な者たちに官能をもたらし惹きつけ合う力を与えるのだ。しかしこれが個々

の生命体の間で充足し安定してしまっては、エロスの発動はそこで止まってしまう。エロスは自らの発動

を生き長らえさせるために、あえて「文化」という欲望達成への迂遠な回路を築き上げた。すなわち「文

化」とは巧妙に組み立てられた、いわばエロスをサバイバルさせる装置なのである。

このエロスのサバイバル装置としての「文化」は、人間社会にあって二つの関係調整機能を果たしてきた。

ひとつは「人類が、自然のもろもろの力を支配し、自分の必要を満たすよう自然からさまざまな物質を奪

いとるために獲得した知識と能力の一切」つまり<物と人の関係>であり、いまひとつは「人間相互の関

係、その中でもとくに、入手可能な物質の分配を円滑にするための全社会制度」つまり<人と人の関係> 5

である。すなわち「文化」とは<支配の知>と<分配の制度>であるということになる。

フロイトはまたこうもいう。「文化」とは「われわれの生活と動物だったわれわれの先祖の生活とを隔て

ており、かつ自然にたいして人間を守ることおよび人間相互の関係を規制することという二つの目的に奉

仕している、一切の文物ならびに制度の総量を意味する」6。つまり<支配の知>とは<自然からの防御

システム>であり、<分配の制度>とは<人間関係の調整システム>なのである。

かくして「文化」が物と人、人と人の関係を自然状態から逸脱させ、人間を人間たらしめた。人間と自然

との間に介在するこのずれを通して、人間は形成されたのである。いわば、自然に対する<支配の知/自

然からの防御システム>と人間に対する<分配の制度/人間関係の調整システム>を通過することによっ

て、自然との同時的かつ直接的な関わりからずれてしまった。この遅れ、我慢こそが、エロスの継続的な

躍動を許す場であり時間であった。欲望をすぐさま遂げることを妨げる「文化」によってこそ、ともすれ

ば到達と同時に消えてしまうエロスは自身を延命させることができるようになったのである。妨げによっ

て延命する。この逆説的な関係が、「文化」とエロスとのあいだに成立したのだ。

人間は「文化」を築くことによって淘汰を生き延びた生き物である。延命の鍵はエロスの持続的発動、す

なわち未来の時間への期待を持って、現在を耐え忍ぶ心である。つねに不満を抱えて満足を先延ばしする。

このことによって比喩的にも実際にも、生きる糧を得る 。とするなら、エロスの持続はまさしく人間の

マルティン ・ ハイデガー 『ニーチェⅠ』 薗田宗人訳、 白水社、 1976 (1961)、 p. 233。

ジョルジュ ・ バタイユ 『ラスコーの壁画』 出口裕弘訳、 二見書房、 1975(1955)、 pp. 71-72。

この自己自身を超え出て存在自体によって惹きつけられることがエロースである。存在が、人間への関係

においてエロース的な力を及ぼしうるかぎりにおいてのみ、人間は存在自体を思惟し、存在忘却を克服す

ることができるのである。/マルティン・ハイデガー 1

動物たちには何ごとも禁止されていない。

禁止なしには人間生活はありえない。/ジョルジュ・バタイユ 2

シニフィアンを——ここでいつものこの言葉を使わなくてはなりませんが——自然は提供するのです。そ

して、このシニフィアンが人間関係を創始的な仕方で組織化し、それに構造を与え、形を与えるのです。

/ジャック・ラカン 3

  

1. エロス誘発装置としての「文化」'Culture'as Driving Force of Eros

人類はフィクションを通して生命力を活性化する仕組みを生み出した。それは自然からの逸脱でもあった。

ここで変容をこうむったのは欲望の発動形態である。

欲望の発動と生命力の更新は深く相関すると考えられてきた。だからこそ人類の歴史をとおしてこの欲望

発動のプロセスに、手を変え品を変え工夫が凝らされてきた。欲望は障害物を待ってあらわれる。工夫が

凝らされたのは障害物のありようである。これが「文化」と呼びならわされた。「文化」は欲望到達を遅

延させる装置であった。なぜなら到達の遅延と欲望の更新は同調している。待たれるものほど期待は大き

い。遠い距離の克服ほど満足は大きい。欲望の前に立ちはだかる障害物を乗り越える心の躍動、これが生

命力の増進と連動する。この心の躍動をもたらすものは、エロスと名づけられた。

エロスという言葉を、心を惹きつけ合い、ひいては事物を統合する欲動として人間の精神活動の中心的概

念に鍛え上げたのはフロイトであった。ここでフロイトの展開した論にそって、「文化」とエロスの共犯

関係を概観しておこう。

フロイトがまず問うたのは人間の自由な欲望の発露を阻害する存在としての「文化」であった。人間の築

き上げた「文化」こそがエロスの流れを阻害している。つまりフロイトは、「文化」を欲望の前に立ちは

だかる障害物であると見たのである 4。

なるほど自然の欲望をすみやかに満足させるには「文化」は邪魔者となる。たとえば『ジャングルブック』

ジャック ・ ラカン 『精神分析の四基本概念』 ジャック = アラン ・ ミレール編、 小出浩之 ・ 新宮一成 ・ 鈴木国文 ・ 小川豊昭訳、 岩波書店、 2000 (1964)、 p.

25。

ジークムント ・ フロイト 「文化への不満」 『フロイト著作集 3』 高橋義孝他訳、 人文書院、 1969 (1930)。 もともとドイツ語の Kultur が英語では

civilization と訳されており、 文意に即せ

ばあるいは 「文明」 とするのがふさわし

いのかもしれない。 ただ

フロイト 「ある幻想の未来」 前掲書、 p. 363。

フロイト 「文化への不満」 前掲書、 p. 452。

しこのテーマをめぐって 『エロス的文明』

南博訳、 紀伊国屋書店、 1958 (1956)

を書いたマルクーゼが、 そのなかで、

わざわざ 「文明」 は 「文化」 と同義

に使う、 と断っている (p. 5)。 フロイ

トも 「ある幻想の未来」 『フロイト著作

集 3』 所 収 1969 (1927) の な か で す

でに、 「文化と文明を区別する必要を認

めない」 (p. 363) と記している。 した

がって、 以下の記述では 「文化への不

満」 という日本語訳からの引用を用いる

ので、 適宜 「文化」 を 「文明」 と置き

換えて読んでもらっていい。 ちなみにテ

リー・イーグルトンは 「システィナ礼拝堂」

と 「スクーター」 を同列に論じたところ

にフロイトのオリジナリティーがあるとコメ

ントしている。: Terry Eagleton, The Idea

of Culture, Blackwell Publishers, 2000,

pp.108-109。

Page 14: traverse 6

26 27

人間たる所以であり、その存在形式の基底を流れる力であるということになる。この<防御システム>と

<調整システム>に守られて、つまり「文化」に守られて、エロスは存分に、そして永続的に自らを跳梁

させる場をえた。フロイトの思考を辿りつつ私なりの言葉で読み替えるなら、こういうことになる 。

ちなみに自然からの守りと人間関係の規制、すなわち<支配の知>と<分配の制度>は、建築の機能であ

り使命でもある。建築は支配と分配の装置だ。とするなら、建築と「文化」は人間の行為と意識にとって

同じ機能を果たすといってもいい。では「文化」が制約なら建築も制約、「文化」を生んだのがエロスな

ら建築を生んだのもエロス、という並行関係もまた成立する、といっていいのだろうか。そして建築がエ

ロスの発動を支えてもいるのだろうか 。 この問いかけは、建築と欲望の関係について、秘められた深い部

分に触れているように思われる 。

2. 道具・火・住居 Tool・Fire・Dwelling

ところでいかにも象徴的なことに、「最初の文化的行為は、道具の使用、火を手なづけたこと、それに住

居の建設だった」7 とフロイトは述べている。道具と火と住まいとは、言い換えれば<技術・エネルギー・

建築>である。これが「文化」のはじまりだ、とフロイトはいうのである。とするなら「文化」はまさし

く建築行為と密接なかかわりをもつどころでなく、建築をその根源にもつ。道具も火もその重要な契機で

あったが、建築という行為こそがまさしく人間を自然から分かち、人間と人間の関係に新たな関係をもた

らしたからだ。かくして「文化」は<技術・エネルギー・建築>をめぐる思考のなかにその産声を上げた

のであった。

ここであらかじめ留意をうながしておくなら、ともに世界を加工する手段である<道具と火と住まい>こ

そが、人間をして、世界を受容的なものと見る立場から改変可能なものと見る立場へと変化せしめたので

あった。このようにとらえるなら、「文化」は確かに自然的欲望の抑圧であったが、いわば文化的欲望と

でも呼ぶべきものを人間の心のうちに生み出したのであり、それは建築の驚きと喜びにつながるもので

あった。「文化」は世界を加工する行為に根ざしており、建築を導く根源的欲望もまた、世界を加工する

驚きと喜びに根ざしているからである。

この驚きと喜びはまさしく自然の脅威からの解放に発している。人類の築きはじめた「文化」は、そして

建築は、単に与えられた自然への順応でなく、自然の加工をとおして自由な意志の世界を拡張する試みで

あった。そしてそれはまた、支配と分配、防御と調整のシステムを構築するというルールの上のゲームで

あり、流出するエロスの永続的な発動と不可分なかかわりをもつゲームでもあった。いわばエロスの流れ

を絶やさぬために「文化」は発展を遂げた。自然的欲望の抑圧が、いわば我慢が、エロスを瞬発的かつ刹

那的なものから永続的なものへと変容させたのだった。この驚きと喜びは、新しい抑圧の形成——とりも

なおさずそれが「文化」であり建築であるのだが——をとおして選び取られた不自由の実感のさなかのさ

らに強靱な自由の予感であり、新たな世界像と人間関係へと人類を導いたのだった。

「文化」とエロスの関係をさらに辿ってみよう。フロイトは、エロスを「生物を保存しつぎつぎにもっと

大きな単位へと集約しようとする欲動」8 であるととらえた。そして「文化」とは「最初は個々の人間を、

のちには家族を、さらには部族・民族・国家などを、一つの大きな単位——すなわち人類——へ統合しよ

うとするエロスのためのプロセス」であり、「人類を舞台にした、エロスと死のあいだの、生の欲動と死

の欲動のあいだの戦い」である 9、と位置づけた。人間が人間であることを支える「文化」こそが、もと

もと短命であったエロスの発動を永続化する。すなわちエロスに発すると同時に、エロスの加速と循環の

装置であり、しかもエロスに自己増殖と自己組織化をもたらす。しかもそれは生の欲動と死の欲動の間の

戦いのプロセスそのものだ、とフロイトは結論するのである。とするなら、人間として生きることは、さ

ながらエンジンを過熱させるためにブレーキとアクセルを同時に踏みつづけるようなものであるというこ

とになる。矛盾に満ちた存在、であるわけだ。

フロイトの思考の流れをまとめてみよう。当初、自然の衝動であるエロスを妨害すると見えた「文化」

は、実はエロスによってもたらされた人間の欲望持続のための仕組みであった。自然からの逸脱である

「文化」は、もとはといえばエロスに端を発している。エロスは自然の力であった。ただ短命な力であっ

た。エロスは自らの惹き起こす欲望をより強く長く発動させるために、人間に「文化」をつくらせた。フ

ロイトは「文化」を自然に対立させるのでなく、いわば「文化」を自然につなぎこもうとしたといえよう 10。

ところで自由に運動するエロスは生命体を活性化するのであるが、とりわけその個体を活性化する。いわ

ば個人のものである。個と個のあいだに発動し、個体を結び合わせる力であるが、あくまで個の内に発動

する。しかしながら「文化」はといえば、これはあくまで共同体のものである。最終的に個に根ざすとは

いえ 、 共同体がこれを育み 、 保護する。

個と共同体は相補的に存在しながらも基本的に対立する。対立は共同体に優先権を与えて解決されてきた。

それがこれまでの人類の歴史であった。たとえ個々の欲望がエロスの原型的な姿だとはいえ、共同体のな

かで個々の欲望がそのままに発現するなら、結末は殺し合いしかない。かくして生 ( 性 ) の衝動であるエ

ロスからは死の衝動すら導き出されることになる。死の欲動とは言うまでもなく 、 生命の原理にもとづく

ものでなく、文化の原理に根ざしたものだ。生命の原理は文化の原理において調停される。

死は個としての生命体に共同体の側から 、 すなわち「文化」の側から突きつけられた想像力の形である。「文

化」が法を生み、制度を生み、国家を築いた。共同体のために、国家のために、いわば他者のために、人

間は死を覚悟し選び取ることができる。あるいは支配の知と分配の制度への恨みのために、宗教やイデオ

ロギーのために、他者を殺めることすらできる。

こうした死への契機すらをも自らの内に孕みながらなお生へと向かう運動。このようなエロスの、危険を

はらんだエロスの、その「節度ある」発動のために「文化」は築かれた。想像力のなかにおける死の形象

が磨かれた。死への想像力は「文化」の底を形成している。

「複数のものから一つのものを作る」11 エロスの本質が、共同体の形成へと人類を向かわせる。そのエロ

スの導く欲望が、人間社会の中でより強く、より長く発動するために「文化」は築かれた。だからこそ抑

圧的「文化」が人類の知の結晶なのである。フロイトはそのように、「文化」の逆説的な存在意義を説い

ている。

テリー・イーグルトンは、 フロイトをマルクス、 ニー

チェと比較しながら、 自然と文化の関係

は単なる対立でなく、 文化形成の動因

としての自然という視点を提示している。

フロイトのエロス、 マルクスの労働、 ニー

チェの支配は、 それぞれ死の欲動、 暴

力と矛盾、 被支配を生み出しつつ、 か

えって文化の形成を力強く推し進めると

説いている。 Terry Eagleton : The Idea

of Culture, Blackwell Publishers, 2000,

pp.107-111。

フロイト 「文化への不満」 前掲書、 p. 452。

フロイト 「文化への不満」 前掲書、 p. 474。

フロイト 「文化への不満」 前掲書、 p. 477。

フロイト 「文化への不満」 前掲書、 p. 466。

Page 15: traverse 6

28 29

4. コントラストの呼び起こすリスク/エロス Contrast Recalls Risk / Eros

フロイトは「人間の努力目標」たる幸福にふたつあるとも説いている 15。ひとつは、苦痛と不快がない

こと、そしてもうひとつが、強烈な快感 16 を体験すること。わかりやすく言えば前者は、嫌なことから

は免れていること。後者は、素晴らしいことに出会えること。狭義の幸福は後者にある。しかも人間は

「コントラストによってしか強烈な快感を味わえない」17 ようにつくられている。この「コントラスト」

という指摘は示唆深い。なぜなら、生命体にとっての意味は外界のなかの差異なのであるから、差異の

強度をもたらすコントラストはおのずと生命体にとっての特権的な意味、すなわちエロスの発動をもた

らす。エロスをもたらす形はコントラストに宿っている。コントラストのない状態、すなわち苦痛も不

快もない、安定かつ均質な状態においては、形は埋没し、エロスは失われやすい。意味は、形を失えば、

あたかも風に動く砂のように滑り、崩れ、流れ出してしまうのである。

あまたある生命体のなかにあって、ひとり自覚的に形を操作し象徴のシステムを生み出して 、 自然とは

独立した記号の体系を築き上げた人類にとって、そしてこの記号の体系によって自らのサバイバル戦略

を磨き上げてきた人類にとって、無秩序のなかの秩序、その指標である形は、いってみればきわめて重

要な、世界と自らを結ぶ絆である。イタロ・カルヴィーノは形へと向かう人間の意志を、そしてその結

実としての文学を、このように語っている 18。

宇宙は熱雲となって解体し 、 エントロピーの渦のなかへと逃れようもなく落ち込んでゆくのですが 、 そ

れでもこの逆転不可能な過程の内部に 、 秩序の領域が 、 つまり形へと向かおうとするなにがしかの存在

が 、 何らかの意図や見通しが窺えそうな特権的な点が 、 生じるということがあるのです 。

カルヴィーノのいう「形へと向かおうとするなにがしかの存在」、これこそが生命力だ。すなわち、生

命体の緊張と弛緩のリズムを、つまり快感を、ひいては享楽を、生み出すなにものかなのであって、す

べての創造的な行為はこのなにものかを探り出し、結晶させる行為にほかならない。

それは自然界にさからってエントロピーを減少させる行為でもある。地球において生命活動の果たす役

割がこのエントロピーの減少であって、これが自然の循環系の一環をになっている。状態が不可逆に変

化する閉鎖系、すなわち自然界一般においては、エントロピーは増大に向かう。つまり差異は解消され

均質に向かう。ところが生命活動はエントロピーを減少に向けることができるのである。

たとえばすべての物質は重力によって山の高みから海の底へと流れていく。ところが生命活動が重力に

逆らって物質を移動させる。たとえば鳥が 、 魚が 、 重力に逆らい 、 その流れを反転させる。かれらはそ

の秩序だった行動によって 、 地球環境に循環をもたらす。すなわち生命活動は 、 非平衡状態を自己組織

化し、不均質な状態を保持し、そこに秩序をもたらすことができるのである。

ポジティヴ・フィードバックとネガティヴ・フィードバックの綱引きが、パターンを生み出し、いわば

人間は快感を求める存在であると位置づけ 、 この快感に至る道程の屈折への着目がフロイトによって創始された精神分析の出発点で

あった。 フロイトは生の欲動、 すなわち

エロスの運動を見定め、 人間という生命

体の内部に働く力の経済学を分析しつ

づけた。 晩年にはそれを人類の歴史 ・

文化の考察に適用しようとしたのだった。

批判を含めて、 20 世紀に最も多くの議

論をかきたてたフロイトの考察自体が人

間の精神活動の貴重な軌跡であり、 こ

の不可解な生命体のあり方についての

汲み尽くせぬ示唆に満ちている。

ヘーゲルは歴史を、 理性が、 個々の情熱の消耗や損傷を乗り越えて自らを実現する過程と見た。 いかなる悲劇や喜劇

が繰り返されようと、 情熱に翻弄される

事実の歴史は、 最終的に理性の歴史に

凌駕され回収されると見るのである。 こ

のような歴史の底を流れる理性のありよ

うを、 かれは 「理性の狡知」 (「理性の

奸智」 「理性の策略」) と呼ぶ。 原語は

List.: ヘーゲル 『歴史哲学講義 ( 上 )』

長谷川宏訳、 岩波文庫、 1994、 p. 63

では 「理性の策略」。 長谷川宏 『ヘー

ゲルの歴史意識』 講談社学術文庫、

1998、 p. 199 では 「理性の奸智」。

ジャン = リュック ・ ナンシーは、 死すべき人間の生に意味をもたらす 「共同

体のありうべき場」 (p. 8) を問いつつ、

「死は共同体ときりはなしえない、 という

のも死を通してはじめて共同体は開示さ

れるからである」 (pp. 43-44) と述べて、

功利や目的を超えた人間の連帯の可能

性を探った。: 『無為の共同体 : バタイ

ユの恍惚から』 西谷修訳、朝日出版社、

1985。 モーリス・ブランショがこれに 『明

かしえぬ共同体』 西谷修訳、 朝日出版

社、 1984、 で美しい応答を行っている。

抑圧的な「文化」とエロスは手をたずさえて人類の共存と活性化に邁進してきた。では再度問うてみよう。

この「文化」を建築と読み替えるのは可能だろうか。建築もまた共同体のものである。と同時に個の欲望

の発露でもある。とするなら建築もまた、エロスの躍動と死の契機を内蔵している 12 といっていいのだろ

うか。生の驚きと喜びのために求められる死という想像力の形。建築という行為を冷静に振り返ってみる

なら、建築の根底に息衝く欲望もまた、個と共同体を逆立のままにつなぎこみながら、死の欲動をめぐっ

て舞踏するエロスがこれを掻き立てているようにも思えるのだが。

建築がエロスを抱え込んでいる行為であることはじっくり検証されねばならない。ただ、いずれにせよそ

の関係は相補的なものとなることだろう。フロイトにそって考察してきたエロスと「文化」の関係もまた

相補的なものであって、ヘーゲルの「理性の狡知」13 という言葉にならうならば、フロイトもまた「エロ

スの狡知」を見出したといっていいだろう。生きる力の発動を、フロイトはこうした矛盾や対立のさなか

に探りあてようとしたのであった。

3. 美と障害物/禁止 Beauty and Obstacle / Prohibition

「文化」こそが美を生み出す、とフロイトは語っている。この「文化」に「障害物」という言葉を代入し

てみれば、障害物こそが美をうみだす、という命題ができあがる。バタイユはこれに「禁止」という言葉

をあてた。ともに美にエロス発動の契機を見ているのである。逆に言えばエロスの結晶した形こそが美な

のである。エロスの発動を加速させるのが障害物/禁止であるとするなら、障害物/禁止こそが美を、そ

して愛を、欲望を生み出す、という構図がここであらためて確認される。人間の心は矛盾に満ちている。

このことがフロイトの考察の変わらぬ出発点である。しかしこの矛盾が人間の営みを魅力に満ちたものに

していることもまた確かである。人間の心は複雑に、異質の要素がそれぞれに主張しながら絡まりあって

いる。つまりコンプレックスな形にできている。

フロイトは美についてさらにこのように語っている。「美は性感覚の領域に由来している」のであって、「お

そらく美は、目的目がけて直接突き進むことを妨げられた衝動の典型的な例」だ。そして「われわれが文

化によって大事にしてもらいたがっているのは『美』に他ならない」14。

つまり「文化」は美を守るためにある、というのである。これが人間の生み出した「文化」という仕組み

である。それはエロスによって生み出された美を育むシステムだ。ここでもかりに「文化」に建築を代入

するなら、<建築はエロスによって生み出された美を育むシステムだ>ということになる。このことも仮

説として銘記しておきたい。

換言するなら、美とは遅延させられた欲望である。あるいは到達を禁じられた欲望の触発装置である。美

とは禁じられた欲望の形だ。だから手の届かないものにわれわれは至上の美を見出す。すぐに到達しうる

ものを、われわれは美とは呼ばないのである。そしてなかなか到達しえぬものに美を見出し、欲望を喚起

され、そうした働きをこそエロスと呼ぶのである。エロスを喚起する、到達しえぬ建築は可能か。

概念の連鎖はかくして閉じられた。この循環のなかに 、 禁止と発動の緊張のなかに、建築もまた潜在的な

場所をえている。この予感は深まるばかりである。

フロイト 「文化への不満」 前掲書、 p. 447。

命体の生理がその根底で求めているコントラ

ストとして、 フロイトによる以下のような

言及も掲げておこう。 「われわれの達し

うる最大の快感、 つまり性的行為の快

感は、 高度に高まった興奮状態の瞬間

的な消滅と結びついていることを誰もが

知っている。」 : フロイト 「快感原則の彼

岸」 『フロイト著作集 6』 p. 193。 快感

はコントラスト、 すなわち緊張と弛緩の

対立に宿っている。

イタロ ・ カルヴィーノ 『カルヴィーノの文学講義』 米川良夫訳、 朝日新聞社、 1999(1988)、 p. 112。

フロイト 「文化への不満」 前掲書、 p. 441。 ここでは外界のコン

トラ

スト

を論

じて

いる

が、

フロイト 「文化への不満」 前掲書、 p. 440。

Page 16: traverse 6

30 31

形を、そしてエロスを生み出すことができる。いわば生命は形を、そしてエロスを生み出す存在形態で

あるといっていいだろう。差異を、コントラストを、不均質を、そしてリスクを、享楽を、追い求めな

がら。

人間という生命体も、文学も建築も、自然のこの不可思議な摂理の上に生み出され、生成・発展を遂げ

た果ての産物である。「生命以前」の物質に満ちた宇宙にあってその物質の燃焼と循環の営みの一部と

して、それらは生成してきた。物質間に作用する力が、いわば生命の神秘を育んだのである。

エントロピーの終局を熱的死といい、生命体の死になぞらえられているのもまた示唆深い。このたとえ

を逆転させれば、生命体の死とは、エントロビー反転力の喪失である。すなわち形に対する反応の喪失

である。

パターンによって、すなわち形によって目覚め 、 形をとりつつ生成した生命体が、形に惹かれる。エロ

スはこの力を誘起する。あるいは力そのもの、関係のなかにあって作用する力そのものだ。エロスは均

質な拡散に、すなわちエントロピーの増大に抗う力を作動させる。

ところがこれが強烈な快感へと向かうベクトルを有するがゆえに、自己破壊をすらもたらしかねないの

であって、そこにリスクへの志向が発生する。エロスの背中にはリスクがはりついている。生命はエロ

スに導かれ、活動を活性化すればするだけリスクを背負う。リスクへの志向は死に向かう運動であるよ

うに見えて、逆に死を糧にした生命燃焼の試みである。見方を変えるなら、平穏な死、無機物への回帰

に対する抵抗を意味している。エントロピー増大からの、すなわち自然の運動からの逸脱である。リス

クが逸脱の可能性であるならエロスは逸脱の力である。

エロスは平穏で均質な拡散に波風を立て、心の地形に不均質な傾斜をもたらす 。 生命は平坦な道でなく

綱渡りの綱を選択する。スリルが生命力の燃焼を高める。生命はいわば灰になるリスクを背負って火と

化す道を選ぶべく宿命づけられている。そのようなリスクを孕む物質が生命体だ。生命体はリスク/エ

ロスの火を燃やすことによって生存する。生命力を強化する。リスクとエロスは仲のよい兄弟である。

生命は官能に導かれ、官能はリスクを宿している。

生命体は生きていくために快感を必要とする。リスクを必要とする。しかもその強烈な快感へのハード

ルは、慣れるにしたがってだんだん高くなっていく。リスクは 、 のちに触れる享楽へとわれわれを導く

だろう。リスクを孕むこのハードルを設定するのはコントラストである。差異の強度である。コントラ

ストは生命力の源泉でありエロスの現れ出る苗床である。光と影の、熱さと寒さの、音の、味の、匂い

の、世界の形のコントラストが、その差異の絶対値の高さが、エロスを触発し生命を活性化する。むろ

んコントラストはリスクを内蔵しており、人間がそこにおいてエロスを発動させる契機ともなる。人間

はこうしたコントラストとリスクへと向けて自身の行動を差し向けてしまう存在なのである。

死という観念は際立ってその周囲にコントラストとリスクを付着させる。だからこそ人類は死を、正確

にいうなら死をめぐる想像力を、文化へ、あるいは建築へと鍛え上げてきたのではないだろうか。コン

トラストとリスクの圧縮 ・ 保存 ・ 輸送の装置として。死という想像力の形は、実際の死への抗いの象徴

呉茂一 『ギリシア神話』 新潮社、 1969、 pp. 129 − 131。

プシュケとはギリシア語で 「心」 「魂」 を意味する。

であるから。生命は形から生まれ、外界のコントラストを必要とする。われわれがつねに新しい形の刺

激を求めつづける理由がここにあり、新しい建築を求めつづける理由もまたここにある。

5. エロスをめぐる物語 A Story on Eros

エロスを描いた文学上の精華は古代ローマの作家アプレイウスの『エロースとプシュケー』であろう、

と呉茂一は述べている 19。この物語によれば、エロスはアフロディテの息子、すなわち美の女神の息子

である。かれは美の媒介者 、 神の愛の体現者として、プシュケという娘と結婚する。プシュケは地上の

愛の体現者、そしてその名の通り、心の、それも無垢の魂 20 の体現者である。心に美がもたらされる。

美の快感と危険。心が美を受け入れることのためらいと畏れと喜びをこのエピソードは暗示してもいる。

プシュケとエロスのあいだにはためらいが、逡巡が、薄いヴェールのように挟まっている。欲望はこの

薄いヴェールの隙間から溢れ出す。ヴェールすなわちスクリーンに穿たれた穴に生み出され、そして流

れ出す。ヴェールが、スクリーンが、欲望を生成するのである。

プシュケは神々の世界における美の体現者、アフロディテが嫉妬に狂うほど美しい少女でもあった。あ

まりに美しかったから、愛のプロデューサー・エロスも、つい弓の手元が狂って思わず自らが惹かれて

しまう。愛の物語はこの手違いから生まれるのだった。ただ人間であるプシュケは幸せにつつまれなが

ら、疑心に苛まれもし、姿をあらわさぬエロスの正体を疑い、ついにかれの逆鱗に触れる 。 やがて「プ

シュケ=心」は「エロス=愛」を求めて、アフロディテの課した幾多の苦難の道を辿ることになる。つ

いに二人は祝福の下に結ばれ、月満ちて「喜び」という名の娘が生まれる。「心」が「愛」を通過して「喜

び」を手に入れる、というわけだ 。

とはいえ、これはやはり「プシュケ=心」の冒険譚であって、エロスは恋の、あるいは愛の主体ではな

い。ただ恋を、愛を掻き立てる者だ。もともとエロスは愛の媒介者、つまり惹かれる心と惹きつける心

を世界に届ける誘惑者であって、愛の実践者ではないからである。

神話の暗示をたどるならこういうことになろうか。愛すなわちエロスはつかまえようとしてもつかまら

ない、いつも手をするりとすり抜けてしまう。いつのまにか心に忍び寄ってくるが、いつしか消えてし

まいそうな気配もある。信じていれば応えてくれるが、疑念をもてば去ってしまう。追えば逃げるが、

苦境を乗り越えた果てに、眼に見えない力と祝福によって、再び出会うこともある。気まぐれで悪戯で

だからなお惹かれる心。いわばエロスは誘惑しつつ、歓喜と絶望の道をともに示す存在なのである。

あるいは、エロスは「官能の欲望」を意味し、「種族の誕生と再生産を司る宇宙原理」をさす。たとえ

ばオルペウス教 21 は、「エロスは原初の卵から黄金の翼を持った姿で出現した。この卵は至福の充満状

態の象徴であり、その殻は割れて一方は天となり、もう一方は大地となった」と説き、「原初存在から

の断片あるいは破損とみなされるこの世界の、細分化され、場合によっては相互に矛盾している諸側面

を、その力によって統一することができる」としている 22。

この解説は実にアレゴリカルな思考の運動を暗示している。つまり、エロスはその出自たる、分かれた

ものの原初の状態、至福の状態を暗黙のうちに知っており、ふたたびひとつになろうとする力を生み出

D.P. ウォーカーは 『古代神学』 榎本武文訳、 平凡社、 1994 (1972) において、 キリスト教の形成に大きな影響を及ぼし、 ある意味でルネサンスを準備もしたネオ ・ プラ

トニズムの系譜に流れこんだ古代思想

のテクストのうち、 きわめて重要なものと

して 「オルペウス教文書」 を論じている。

残されたテクストは自然魔術、 占星術、

数秘学、 強力な音楽 (身体と結合した

結果霊魂に生じた不協和を調和に変え

る : p. 31) に対する信仰に満ちている。

オルペウスは最古のギリシャ人神学者と

され、 エジプトを訪れた後ピュタゴラスや

プラトンらの宗教的真理の源となったと

される (p. 26) が、 アリストテレスはそ

の実在を否定したという (p. 22)。 キリ

スト教の三位一体論もまたオルペウスの

テクストに強い影響を受けたと考えられ

るという(pp.32-49)。ギリシア神話では、

人類最初の詩人、 天才音楽家、 心優し

『ギリシャ ・ ローマ神話文化事典』 ルネ ・ マルタン監修松村一男訳、 原

書房

、1997

(1992)。

エロスは対比的なものの間に生まれた中間的な存在であり、

また