tuareg 独立宣言した遊牧民トゥアレグ族

50 51 DAYS JAPAN 2013/12 トゥアレグ族の難民キャンプで米 を洗う女性。2013年1月、マリ軍 の要請でフランスが軍事介入し、 「テロとの戦い」が行われたが、5 月にフランス軍が撤退した後も、 イスラム過激派のテロ攻撃は続い ており、マリ北部では緊張が高ま っている。アザワド地域キダル、 マリ北部。2013年6月12日 写真/ ファルハ・ブーダ 文/ デコート豊崎アリサ Photo by Ferhat BOUDA Text by Alissa DESCOTES—TOYOSAKI イスラム世界では珍しい自由な女系社会のトゥアレグ族。 先祖から受け継いできた土地、アザワドを守ろうとするが、 その想いはマリ共和国(以下、マリ)政府、 イスラム過激派の両者によって阻まれている。 遊牧民 トゥアレグ 独立宣言した フォトジャーナリスト。写真エージェント Vu’所属。 ファルハ・ブーダ ライター、ジャーナリスト、写真家。サ ハラ砂漠の遊牧生活を支援する団体 「サハラ・エリキ」主宰。 デコート・とよさき・アリサ

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DAYS JAPAN, dec 2013 Azawad アザワドの独立とトゥアレグ族

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Page 1: Tuareg  独立宣言した遊牧民トゥアレグ族

5051 DAYS JAPAN 2013/12

トゥアレグ族の難民キャンプで米を洗う女性。2013年1月、マリ軍の要請でフランスが軍事介入し、「テロとの戦い」が行われたが、5月にフランス軍が撤退した後も、イスラム過激派のテロ攻撃は続いており、マリ北部では緊張が高まっている。アザワド地域キダル、マリ北部。2013年6月12日

写真/ファルハ・ブーダ 文/デコート豊崎アリサPhoto by Ferhat BOUDA Text by Alissa DESCOTES—TOYOSAKI

イスラム世界では珍しい自由な女系社会のトゥアレグ族。先祖から受け継いできた土地、アザワドを守ろうとするが、その想いはマリ共和国(以下、マリ)政府、イスラム過激派の両者によって阻まれている。

遊牧民トゥアレグ族独立宣言した

フォトジャーナリスト。写真エージェントVu’所属。

ファルハ・ブーダ

ライター、ジャーナリスト、写真家。サハラ砂漠の遊牧生活を支援する団体「サハラ・エリキ」主宰。

デコート・とよさき・アリサ

Page 2: Tuareg  独立宣言した遊牧民トゥアレグ族

5253 DAYS JAPAN 2013/12

 

トゥアレグ族はアフリカ大陸サハラ

砂漠西部を中心に生活する、ベルベル

人系の遊牧民だ。彼らは20世紀の初め

にフランス植民地政策が始まるまで、

現在のアルジェリア、ニジェール、リ

ビア、マリなどのサハラ砂漠西部の広

大な土地を支配していた。 

 

現在でも彼らは、アザワドと名付け

られた先祖の土地である地域の、自治

と独立を望んでいる。アザワドとは、

マリ北部のトンブクトゥ州、キダル州、

ガオ州の一部から成る地域のことだ。

 

1960年、フランスの植民地支配

が終わり、マリが独立すると、トゥア

レグ族にはマリ人としての「市民権」

が与えられたが、同化を嫌ったトゥア

レグ族は62年に反乱を起こした。その

結果、63年にマリ軍はトゥアレグ族の

虐殺を行った。以来、トゥアレグ族の

独立意識は高まっていった。  

 

2012年1月、アザワド地域で独

立を求めるトゥアレグ族によって結成

された、アザワド解放民族運動(MN

LA)による武装蜂起が起きた。マリ

軍駐屯地を襲撃したMNLAは、マリ

北部のキダル、トンブクトゥ、ガオの

3都市を占領し、同年4月、独立宣言

を行った。しかし、同地域で同じく独

立を求めてマリ軍と戦っていたイスラ

ム系組織アンサール・ディーンが、マ

リ全体のイスラム国家樹立を要求した

ことから、MNLAと対立を始めた。

 

さらに、同地域では、アザワド独立

とは関係のないイスラム過激派組織が

「聖戦」という名のテロ行為を続けた

ため、国は大混乱に陥った。その結果、

MNLAは制圧したマリ北部の都市を

徐々に失った。13年、フランスが軍事介

入すると、一度はテロ組織が排除され

たが、トゥアレグ族や「白い肌」をもつ

アラブ系の人々に対して、マリ軍によ

る排除や報復が激しくなっていった。

 

一連の混乱により、アザワド地域一

帯に住むトゥアレグ族を中心に、約

17万人が難民となり、近隣のモーリタ

ニア、ニジェール、ブルキナファソな

どに逃げた。紛争から1年以上たった

現在、マリには新政府が誕生したが、

「アザワド」の独立が国際社会に認め

られるまで、マリ北部へは戻らないと

主張する難民が多い。フランスをはじ

め西欧諸国は、テロ組織排除という名

目でアフリカに介入してくるが、そこ

には潤沢な資源を狙う思惑が見え隠れ

する。トゥアレグ族の難民が帰還する

ために、テロを止めることができるか、

疑問だ。

 

このような困難な状況にありながら

も、「アザワドか死か」と、トゥアレ

グ族は独立をあきらめていない。テロ

に対し戦い続けるアザワド地域の市民

社会が成熟した時、サハラ砂漠に咲く

一輪の花となるだろう。

(翻訳・ノディイシドロ)

アザワドか死か

カリファ(18歳)。2013年2月下旬に起きたテロ攻撃で負傷した。この地域では治療用の医療機器が不足している。カリル地域、マリ北部。2013年6月13日

アザワド民族解放運動(MNLA)の軍事訓練。彼らは「ジハード(聖戦)」という名のテロ行為を仕掛けるイスラム過激派組織と混同され、メディアでも、「テロリスト」と誤解されることが多い。アザワド地域、マリ北部。2013年6月9日

2012年初旬に始まったマリ紛争では、トゥアレグ族の女性もMNLAの一員として、戦い始めた。トゥアレグ族の歴史のなかで、女性が武器を取ることは初めてだった。アザワド地域、マリ北部。2013年6月8日