uchu∞ burningman issuu the first part 2013

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3 砂にもマケズ / 6 Memorial of Burningman 1998-2008 by magarisugi / 54 What is Burningman / 60 VJ COLO TALKS ABOUT BURNINGMAN AND MORE / 84 GIRLS IN BURNINGMAN 2005-2011 / 70 浜崎健 インタビュー バーニングマン / 96 BURNINGMAN 2011 宇宙大使スター / 114 INTERVIEW WITH MASAE SATOUCHI aka CATHY / 126 読書三昧サマーディ 北回帰線 / 128  次号予告

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INDex of UCHU ∞ Burningman issue

3 砂ニモマケズ

6 Memorial of Burningman 1998-2008 by Magarisugi

54 What is Burningman by Magarisugi

60 VJ COLO TALKS ABOUT BURNINGMAN AND MORE

84 GIRLS IN BURNINGMAN 2005-2011

70 浜崎健 インタビュー バーニングマン

96 BURNINGMAN 2011 宇宙大使スター

114 INTERVIEW WITH MASAE SATOUCHI aka CATHY

126 読書三昧サマーディ 北回帰線

128  次号予告

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3 砂ニモマケズ

6 Memorial of Burningman 1998-2008 by Magarisugi

54 What is Burningman by Magarisugi

60 VJ COLO TALKS ABOUT BURNINGMAN AND MORE

84 GIRLS IN BURNINGMAN 2005-2011

70 浜崎健 インタビュー バーニングマン

96 BURNINGMAN 2011 宇宙大使スター

114 INTERVIEW WITH MASAE SATOUCHI aka CATHY

126 読書三昧サマーディ 北回帰線

128  次号予告

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BurningMan

Great

Features

By

UchuMegane

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BurningMan

Great

Features

By

UchuMegane

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Memorial of

BurningMAN

1998 -2008Photo & text by magarisugi

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1998イベントスタートの 2 日前に会場に到着したら、まだ MAN が完成していませんでした。人もほとんどいないノンキな状態。今見ると実に長閑だけど、当時はコレでも十分すぎる破壊力でした。サンダーストームが襲いかかって来てたくさんのテントをブチ壊したのも衝撃的な思い出です。

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1999大阪から赤いアーティスト・浜崎健さんが初参加。気さくでよい人でした。この年を最後にペペ・オザーンの SPACEOPERA が終了。世紀末らしくトランス色が強く、X-DREAM やら Hallucinogenやらトップアーティストが大集結。

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2000日本人の参加者が少しずつ増えてきたころ。全裸でブラブラ歩いていたら日本人の女の子から挨拶されて弱ってしまう一場面も。アートテーマが「THE BODY」と分かりやすかったため、会場中に淫靡なものが溢れていた

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2002Temple(寺院)が地の果てに作られ、そこだけは静かな雰囲気に。民族や宗教が違えど、神聖な感情は同じ。前年の 911 テロを受け、一時は開催中止じゃないかと言われていましたが、いつもの調子で開催されました。

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2003このころはサブカル系や音楽雑誌によくバーニングマンの記事が掲載されていました。まだ雑誌やテレビが情報源になり得たころですね。個人的にはこの年に初めて日本人複数人で参加しました。一人旅を卒業したころです。

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本格的に巨大になってきました。日本人参加者も増え、ブラックロックの遺伝子を元に日本各地でさまざまなバーニングマン関連イベントや、同じ志を持ったイベントが開催されるようになりました。

2004

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会場内は超巨大なオブジェや炎の彫刻など、アートで溢れるようになりました。日本でもバーニングマンのテレビ番組や DVD がリリースされ、一般的な知名度を持つイベントと変化しました。フリークスのサバイバル・ギャザリングから自己表現の場へ。

2006

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大爆発や大量の花火など、演出がとにかく派手になってきました。爆発の後に残る巨大なキノコ雲はどう見ても非エコで、巨大なアメリカを腹の底から感じさせてくれるものでした。まだまだ拡大は続きます。

2008

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WHAT is Burningman ?『バーニングマンって何じゃろね?』

マガリスギ氏による幻の原稿特別公開!

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―バーニングマンとはどういうイベントなんでしょう?

マガリ:はい。アメリカの砂漠で 1週間開催される、アートや音楽がたくさんあるイベントです。一般的な夏フェスとかと違うのは、なんかこうビッグスターが来てなんかやる、っていうのが目玉になってるんじゃなくて、「No Spectator」のスローガンのもと、参加者たちがかなり好き勝手にシッチャカメッチャカなことをやってる、というところです。それは音楽だったり、アートインスタレーションだったり、ヘンテコな車だったり。近所の発明オヤジ大集合!みたいな感じもあるんですが、いちいちレベル高いんですよ。あ、たまに低いのもあるんですけど。エロ本が置いてあって「おまえのお気に入りページを壁に貼ってみよう!」とか(笑)。でも全部のスケールと気合いの入れ方が違うというか。えーと、数も尋常じゃないですし。5 万人とか集まってますからね、世界中から。だから、「どこそこのキャンプがすご

かったよ!」ていうウワサを聞いても、会場もメチャクチャ広いということもあって、全然そこへ辿り着けなかったりするんです。で、それを探して歩いていたらまたおもしろいキャンプがあったりして、道草に次ぐ道草で目的地がなんだったかすっかり分かんなくなって、まぁそんな感じで毎日はあっという間に過ぎていくんですよ。

――ふむふむ。

マガリ:会場が砂漠っていうのもすごいよくて、本当にいい場所見つけたなーという感じです。星空とか強烈ですよ。天の川もガンガン見えるし、火星も土星の輪も見えました。

――土星って見えるんですか?

マガリ:いやー、みんな「サターン サターン!」って言ってたから土星だと思いますよ。輪もちゃんとありましたし。

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――すごいとこですねぇ。そこへ、生活道具一式抱えてみんなやってくるワケですね。

マガリ:はい。基本的にはただの砂漠なんで、水道や電気はありません。テントを建てて、大量の食料と水を持ってきて 1 週間過ごすんです。まぁリッチなアメリカンはシャワーもベッドもある RV カーで来てたりするんですけど、

――トイレとかはあるんですか?

マガリ:くみ取り式の簡易トイレがたくさん設置されます。かなり頻繁に交換してくれているんで、日本のキャンプ場やレイブ会場よりよっぽど快適ですよ。

――気候はどうなんですか?

マガリ:昼間はメチャクチャ暑くて、夜はメチャクチャ寒くなります。あ、でもここ数年は雨も降らないしラッキーな年が続いてますね。僕が最初に行った 98 年はサンダー

ストームが襲いかかってきて、もう大変でした。遠くから黒い雲が稲妻をバキバキ出してやってくるのが見えるんですよ。だからみんなでテントの角を持って、「くるぞー!」って叫びながら、ホント一瞬で通り過ぎるんですけどワケの分からない状態でした。ドドドドゴゴゴゴーー !! って。通り過ぎた後はいろんなところから歓声が上がって、まぁテント壊されたりとかもしたんですけど生きててよかったなーと思いました。あ、あと雨降った後の夕焼けはすっごいキレイです。

――砂漠の生活は過酷そうですねぇ。

マガリ:まぁいろいろと大変なことはあるんですけど、人間って不思議なもんで一週間もいるとそれが当たり前に思えてくるんですよ。で、バーニングマンが終わって町に戻るとギャップがすごいんです。だってもうエアコンはガンガンに聞いてるし、

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砂埃なんて一切ないし、水道ひねれば大量の水は出るし、あ、トイレの後で水を流すってのも感動的でした。ずーっと寝袋で寝てて、モーテルのベッドで寝ようとするとあんまりにフカフカすぎてなんかヘンな感じで。ワキャキャキャ、ワキャキャキャってなんか肌が恥ずかしくって。一人で「この布団ヤバイなー!」ってずーっとゲラゲラ笑い転げてましたね。

――はっはっは(笑)。では、参加している人たちっていうのはどういう感じなんでしょう?

マガリ:意外といい年のオッチャン・オバハンも多いですね。やっぱこう、砂漠で何か作るってなるとお金も時間も必要なんで、ある程度裕福な層が多いのかもしれません。ただ騒ぐだけの若者は少ない気がします。写真で見るとみんなキテレツな格好をしてたりしますが、すごいフレンドリーでマトモな連中が多いです。コンピュータ業界からもたくさん来てて、グーグルやアドビの

社長も来てるらしいです。あ、本当かウソか分かんないんですけどグーグルの面接では「キミはバーニングマンに行ったことがあるかね?」と聞かれるそうですよ。まぁ日本のレイブパーティーやロックフェスとは客層違う感じですねえ。

――裸の人も多いですよね?

マガリ:そうですね。まぁでも、大した問題じゃないと思いますよ。裸なだけであって、別にやらしいことをしようとかそういうんじゃないんで。それよりも消費に踊らされて洋服買いまくってる日本の若者の方が危険な気がします。裸は快適なんですよ。服も汚れないし。

――はっはっは(笑)。マガリさんは過去に 8 回参加されてるんですけど、バーニングマンのどこにそれほどの魅力を感じるんでしょう?

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マガリ:うーん。もう実家に帰るみたいなものかもです。まぁ実家には10 年くらい帰ってなかったんですけど。なんて言うかもう、一休みしに帰るというか、当たり前すぎるというか。たぶんそっちの生活の方が体に合ってるんでしょうね。東京で一生暮らしたいとはあんまり思わないけど、ここでなら一生暮らせそうな気もしますし。あとは、バーニングマンって終わりがないイベントなんです。たとえばこれがロックコンサートだったら、

「今年はあの人が出ないから行かなくてもいいや」とか、「去年も見たし」というのがあるかもですけど、バーニングマンにはそれがない。会場が広すぎることもあって、全然見終わらないんです。日本帰ってから友達の写真見たりとかして、「え!こんなのあったの? 」というのがたくさんあります。あとなんと言っても「No Spectator」のイベントですから、「自分もなんかやりたい」というのがあります。ここでライブやってみたいとか、アートキャンプ作ってみたいとか、

パフォーマンスに参加してみたいとか。で、一度やったら「次はこうしたい」ていうのが出てきて、あっという間に一年が過ぎて、気がついたらバーニングマン中心の生活になってるんですよね。

――来年はどうする予定ですか?

マガリ:いやー、毎年いろいろ苦労はあるんですけどそりゃ行ってみたいですね。今年、「クリスタルボウル」という楽器を持って行って演奏して、すんごい楽しかったんです。来年もし行けるとしたらもっと本格的にメディテーション・キャンプみたいなのを作って、ガッチリ演奏して、とにかく本気でいろいろやってみたいですね。やりたいこと多すぎて大変ですよ、あそこは。

――ありがとうございました。

マガリ:まいど!

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ちょっと前のプロフィール

1976 年生まれ。オルタナティブ・メディア・ア

クティビスト兼リリカルマダラーを標榜し、音楽

やアートの範疇に当てはまらないイベントを多数

手がける。バーニングマンには1998年より参加。

参加するための TIPS を集めた自身の WEB サイ

ト「マガリスギ .net」は好事家の間から熱い支持

を得ている。サンタクロースの格好で大集合する

「Santarchy」も5年目を迎えて円熟の時期となり、

最近もっとも力を注いでいるのは新しい音楽スタ

イルである「クリスタルボウル・ヒーリング・ラ

イブ」。「音の持つパワーをたくさんの人に体験し

て欲しい」と、精力的にライブやイベントオーガ

ナイズを行っている。2007 年にスタートしたい

のは自然と調和した家庭菜園。

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90年代後半にバーニングマンの洗礼を受け、VJユニット“ベータランド” パーティー

“FLOWER OF LIFE のオーガナイズや異次元アート空間 “ギャラクシーギャラシー”のプロデュースと多彩な活動を繰り広げ続けるCOLO 氏にインタビュー!!

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COLO インタビュー @ ギャラクシーギャラリー  by Razy

ー∞ BM を知ったきっかけは?

日本のパーティーはその頃から普通に遊びに行ってて、たしか 97年頃かな。BM が面白いらしいという情報を知ったのは。Drop the womb とかけっこディープなパーティーに遊びに行ってるうちに、海外のパーティー情報もリアルタイムで入ってきて。海外で起こってるヤバいパーティーに行きたいなと思ってた。ちょうどその頃宇川さんが StudioVoice 誌で連載していた記事をチェックしていて。その中で BM の記事が載ってたのが知ったきっかけかな。

* UKAWA’S Californian Shock Hunter というコラム

ー∞ あのコラム、リアルタイムで読んでたんですね。

そうやね、たしか 97、98 年頃かな。その記事で知って、これは相当ヤバそうなパーティーやなと確信して。当時 VJ はまだやってなかったけど、Zettaimu とかそいうパーティーに遊びにいってたりした頃やな。フルムーンモンドさんや関西のトランス周辺、New Worldが立ち上がったり、ドラムンベースが日本に入って来た頃かな。西海岸にはまだ行ったことなかったけど、サイケデリックなカルチャーには興味あったし。自分の興味あったカルチャーがまだ現在進行

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形で西海岸カルチャーの一環として興っているという事実を知り、これは体験したいなと。学生だったし、旅行にも行きやすいタイミングだったのもあって、何が起こるかもわからないまま、取りあえず行っとこうと飛び込んでいった感じやね。

ー∞ 実際、BM に行ってみてどうでしたか?

思ってたのと全然違ってた。だけど、自分が興味を持っていたカルチャーや音楽に対する理解がものすごい広がったね。ちょっと掘り下げて説明すると、例えばトランスなんかは、例えばイスラエルにしても、ある種の型というか、様式美があったり。その解釈がわりと固定的なものになりがちというのが、音楽にもパーティーの中にもあったりしたよね。そういう中で、ものすごい突然変異が起こる面白さを感じたのはおれの場合、EYE さんによってなんやわ。大阪のトランスシーンの救世主というか。サイケデリックに対しての解釈が EYE さんはとにかく特異に広がってた。当時EYE さんトランスのパーティーでよく DJ してたけど、ガヴァとかニューウェーブ、ハードコアもかけるし。とにかくどんなジャンルの音楽でも、サイケデリックという EYE さん独自の解釈のもとでかけていることがすごく新しかったんやわ。

ー∞ 世界が広がる感覚ですね

うん。BM はとにかく場所がめちゃくちゃ最高やしね。おっさんおばはん、自分の親よりも上の世代のような人たちがフリークアウトしまくってる光景。全然やめてない、何かを捨てたりしてない。常に現役バリバリでぶっとばしてる光景を見て、そういうスタンスはかっこいいなと思った。自分は当時二十歳過ぎで、まわりは企業とかに就職しだしたりして、いま選択し損ねたらヤバいみたいな切迫感というか、そんなんで落ち込んでるやつがいるような社会やった

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からさ。最後の選択肢という感じで BM にちょっとかけてみようかな、というノリで行っただけに衝撃はすごかった。

ー∞ そのギャップはすごいですね。日本の均質性を重んじたり、同調圧力が支配的な空気から、一気に BM の異質を認め合う自由な空気への変化は。

日本の大学まで続く教育、画一的な流れの教育でずっと来ている人たちって、すごく自分自身の可能性を狭めていて、そのことにすら気づいていないというか。おれもそういう流れで来てたとこあったから。今思うと二十歳なんてまだまだ若くていくらでも可能性や選択肢あるやろうっていう感じなのに。今なら全然そう思えるけど、あの頃は二十歳でこんなことやってていいんやろうか、という焦りみたいなのも感じたり。例えば黒人の DJ とか 10 歳からターンテーブル触ってたり、そういうの知るとさ。実際に、日本は自分のやりたいことに辿り着くのが遅いという状況を感じてたから。ただ、そういうのはやり続ければ問題なくなることがわかったけど。

ー∞ 継続の大切さですよね。さっき浜崎健さんに話を聞いたときもそのことは言ってました。

そうやね。年を重ねるほどに、継続の大切さ確実に思うね。なんか年寄り臭くなるけど(笑)自分の VJ にしても 13 年経ってようやく掴めてきた感覚もあるし。まだまだその先があるのが見えてくる。 VJの状況はいまヨーロッパですごい進化してるから。日本はちょっと遅れを取っていたりするんやけど。

ー∞ 各ジャンルの世界的な最先端に触れる機会でもありますよね。BM って。

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そうやね。同時代のおっさんおばはんたちがリタイヤせずに常に現役でぶっ飛ばしているのを見ると、いつまでもやれる!という感覚を得れる。そういうスタンスはカッコいいし、まだまだやることはいっぱいあるなと思える。

初めての BM に話を戻すと、あの頃はほとんど何の知識もなかった。まずはマガリスギのあのホームページを頼りにして行ったね。

ー∞ そのときからあるんですね、あのページは。

うん、マガリスギとは BM 初めて行ったときから接触があって、当時からやたら BM に詳しかったね。たしかメールで訊いてみたのかな。そしたら、水は何ガロン必要とか、すごい親切なガイドを教えてくれたな。

ー∞ 当時からマガリスギの BM ガイドは充実してたんですね。

そう。それで、後に VJ ユニット Betaland を一緒にやる平野、DJのシローザグッドマンとの三人で行く予定だったんやけど、シローは結局来れなくなって。とりあえず平野と二人でリノまで行ったら、免許証はあったのに、車借りれなくてね。 アメリカは 25 歳以下レンタカー借りれないとそのとき知って、会場までの足が無くなってしまった。もうこうなったらヒッチハイクしかないなーってことになって、「Go to Burningman」という看板出して、リノのフリーウェイのところで丸一日立ってたんやけど、誰も乗せてくれなくて。冷たいなぁと。

ー∞ 2日も!?

2日目にパトカーが来てさ。おれら日本人やからヒッチハイク違法って知らなかったけど、ヒッチハイクは法律で禁止だから、「お前ら

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こんなことしてたら捕まるぞ」と警告してくれてね。だからみんな停まってくれなかったんだと、そこで初めて理由がわかって。じゃあどうしようとなり、離れたスーパーに行くと、BM確実に行くやろうという感じの人たちがたくさんいた。タトゥー入りまくりのオヤジが大量に食料買ってたり、わかりやすい人たちがいっぱい。そこで頼み込んだら話早くて、すぐ連れて行ってくれることになったんやわ。それで、なんとか会場に着いたんやけど、おれバーニングマンやのにテント持っていってなくて。もうほんまにトランク一個ぐらいで、日本のアーバンな野外フェスぐらいのノリで完全になめててさ(笑)

ー∞ (笑)

平野はテント持ってきてたから、やつのテントに上半身だけ入れてもらって、下半身は外に出して寝るみたいな。

ー∞ テント一人用だったんですね

朝になったら下半身じりじり焼けて、暑ーっ!てなって起きるという

ー∞ 夜めっちゃ寒いじゃないですか!?

夜めっちゃ寒かったね(笑)いかついおっちゃんたちの軍団も、現場についた瞬間全裸になりだしてね。さっきまで紳士的やった人らが、会場ついた瞬間に全裸になったら、チンコにピアス入ってたりしてさ。ちょっと危ないかなーと思ったけど、態度はいたってジェントルマンな人たちで。どんな人なんや!?って思いつつ、ちょっと話してみたら、銀行の副頭取だったり薬剤師だったり。すげー堅気な仕事なのに、みんな裸になるとピアスがガンガンすごい所に入ってたり。

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ー∞ 日常は堅気の人たちのアルターエゴみたいな。

そうそう、社会的地位もしっかりしていて、全然ドロップアウトしてない。普段の日常ではすごいカタいしっかりしたものがある人たちがフリークアウトしてアルターエゴを出し切っているそのバランス感覚。そういうのは面白いなーと。理想のコミュニティーを掲げるヒッピーコミューンとはまた違って、一年のうち7日間だけフリークアウトという感覚。四六時中、非日常的な生活を追い求めると、どうしても排他的になりがちだったり他社や実社会との交わりがなくなりがちになると思うけど、BM はそれとはまた違っていて。断続的ではあるけれども、バーニングマンの7日間を引いた残りの348日間の日常にも繋がっているという感覚かな。

ー∞ たしかに普段何やってるんだろうと思うようなはじけ切ってる人と BM のあとサンフランシスコ辺りで遊んでみると、すごく普通の生活を営んでたりしてますよね。

そうやね。自分が拠り所にしている現実の生活との折り合いをつけながら、非日常で受けた刺激をいかに現実に持ち帰るか、というそのコンセプトが面白いなと。実際に、おれの場合も BM から帰って来てベータランドをやりはじめたり。それは確実に BM で得たヴィジョンからで、フラワーオブライフもその流れで生まれたものだったし。向こうで得たヴィジョンや、ものすごくやりたい衝動が溜まりまくるしね。BM で得た経験をもとに、日常生活でクリエイティブなことやろうとか、そういうポジティブな作用が起こり得る。

ー∞ フラワーオブライフも BM で得たインスピレーションからなんですね。

そうそう。BM って日常を変えようとするのではなく、一定の期間

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内だけ日常とは違う振り切った何か、自分のアルターエゴなり理想郷みたいな投影をあの場所に創るわけやん。日常を100%変えていこうという意図ではないけど、確実に日常の現実に作用する体験というか。ある意味サイケデリック体験に通じるみたいな。そういう日常とのパラレルな関係性や、バランス感覚がおもしろいと思ったし、時代にも合っていて無理がないなと。だから、チンコにピアス入ってる銀行の副頭取みたいなのがいるんやなーとか。そういう存在が理解できたというか。その振り幅やバランス感覚が面白いなと。

ー∞ 初 BM 以来、続けていくようになったんですね。

続けて行くようになったね。10 回行ったかな。

ー∞ 10 年間で BM が変わった思うこと?

2008 年が最後に行った BM なんやけど、そのときに思ったのはフルチンの人がいなくなってる。それは、ジェネレーションの問題かもしれないけど、全裸になるというヒッピー的な思想が廃れたのか。

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初めて行った98年頃は、8割9割は全裸やったからさ。当時は裸になれない自分が、ちゃんと自分を解放できてないのかな?とか、そういう感じがあったけど。あきらかに社会の抑圧から自分を解き放てていないという、「やっぱおれにはまだ無理やなー」っていう。パンツ一丁ぐらいまではいけるのに、この一枚を脱ぐというのが、いかにハードル高いというか(笑)

ー∞ フリークアウトへのハードル(笑)

そういうの感じてたなー、初めていったときは。しかもめちゃめちゃデカいやついるしね、自分の二の腕ぐらいのやつとか。そこにフラフープつけてまわしてたし。

ー∞ インドのサドゥーの荒行みたいですね(笑)

当時は、若かったし、自分の壁というか、殻を突き破るみたいなのを求めてた部分もあったのかな。2回目の BM 最終日、今年こそは全裸になろうと思いつつまだなれてなくて。ここでいっとかなと思い、ついに着てるものを脱いで燃やし全裸でバーニングマンの周りをぐるぐる回った。そしたら他の全裸の人たちみんな笑顔でハグしてれたり。

ー∞ 解き放たれた瞬間ですね。

それで、はっと気づいたら隣にいるおっさんがずっと自分から眼を離さんかったりしていて。オープンマインドになってるから気持ち悪いとかそういう感覚なくて、笑顔でフレンドリーに応えてたんやわ。そしたらそのおっさんから「ユーアーキュートボーイ」みたいなことをずっと言われ続け、少し話聞いてみるとそのおっさんテキサスに油田持ってて、今後の人生は何も心配しないでいいから一緒

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に来ないか?みたいなことを言われたりね。

ー∞ すごい誘いですね(笑)

それはちょっと面倒になって断ったけど。今思うと、もしその話に乗っていたら、おれの人生どうなってたのかな?とか。その油田王の金でどんだけ好きなことをできたんやろう?みたいな。人生の分岐じゃないけど、BM ってあのときああやったら?みたいな状況にけっこう出くわしたりして。バーチャルな人生ゲームに入り込むというか。人生狂わせにいく感覚みたいなのはあったね。

ー∞ グリーンゴリラとの関係は?

3、4回目の BM の頃、フラワーオブライフを始めた2002年に、グリーンゴリラクルーと接触したのかな。そうそう、BM では楽しい体験いっぱいあったけど、唯一、音だけは自分にしっくりくるものがなくて。始めの頃は、トランスもわりと聞いていて、98 年はゴアギルや DJ ツヨシも来てたし、すごいフロアができてた。杖ついた仙人みたいなおじいちゃんや、車いすの人までみんな楽しく踊りまくってるような光景もあった。その模様は UFO Encountersって Betaland が作って千本限定でリリースした映像作品に収録されてるわ。

ー∞ UFO Encounters 見たいなぁ。

音楽性で言ったら日本のパーティーのほうが面白いなと思っていて。当時から今でも。でもグリーンゴリラのラウンジの DJ が出していた音が、はじめて自分の志向としっくりくると思った。そこの人たちに話しかけ、アンソニーってやつと知り合い、そいつが良くしてくれてね。来年パーティーやろうぜという流れになった。

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でもその時点で、自己紹介というか自分がどういう表現ができるのかを言葉で伝えるのはなかなか難しかったから。じゃあアンソニーを日本に呼ぼうということになり、フラワーオブライフや SUN にもアンソニー呼んだんやわ。

ー∞ SUN 遊びに行きました。

あ、行ってた!?ああいう日本の濃いアンダーグラウンドシーンを直接体験してもらい、感銘を受けてくれてね。レスペクトし合う関係が出来た上で、じゃあ BM で一緒にやろうということになった。だから、BM では「お前らやりたいようにやれ」と言ってくれた。彼は Wicked Crue っていう IDJUT BOYS とか Nick the Record とかその辺とやってるクルーで、グリーンゴリラはそこと密接に繋がってるから、これは間違いないゾーンやなと。07 年の BM かな、おれは行ってないけどグリーンゴリラに DJ Harvay も来てプレイしてたらしいね。

ー∞ BM では普通にすごい人が来て普通にプレイしてますよね。

うん、もちろんノーギャラやしね。楽しむ人と楽しませる人という関係じゃないよね。全員が、損得勘定やお金抜きにして楽しもうという状況。そこから生まれる DJ プレイや表現というのは全員にとって新鮮で面白いよね。

ー∞ 他に印象的だった体験は?

街が生まれるプロセス、文明が出来上がっていくプロセスを見ていく気分というか。BM って文明が終わった後にもう一度、文明ができていくみたいな、SF のような感覚を体験できる場所やね。エクストリームな場所なだけに、そういうものをより感じやすいと思う。

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アメリカ人の特性として個人主義があるやん。DJ ブースも何百個もあるやろうし、パフォーマンスもブースも好き勝手に各自で盛り上がっいて、音も干渉しまくりなのに、何故か成立している不思議さ。ある種奇跡的ともいえる状況は、アメリカ的な枠組みというよりも、バーニングマン的な枠組みにおいて成立してるのかなと思う。

例えば、BM ってすごい数のチャリが行き来してるやん。最後の晩のテンプル燃えるときなんか、みんな集まるから、ものすごい数のチャリが滅茶苦茶になってもおかしくない状況で、自転車が異様な程きれいに並んでストリートができていたり。交通誘導員がいるわけでもなく、誰かが決めたルールではないのに、見事に整然と並んでいるのを見ると、すごく面白いし感動するね。誰かに決められなくても、ちゃんときれいに並ぶという。そういうのって人間が本来持っているものなのかなという。

ー∞ 自然の摂理みたいに。

そうそう。数人規模の集団がいくつか集まって、1ブロックになって、そのブロックがいくつか集まって村になって、村が集まってさらに大きくなると BRC という街になっているのかなという。そういうプロセス、当たり前と思っていた部分が当たり前じゃないというな。めっちゃ美しい瞬間に立ち会えるというか。バーティーでもそういう瞬間あるけど。

ー∞ カオスの中の調和みたいな。

そう、基本アナーキーなのにすごく調和がとれて成立している、というとすごいパラドックスなんやけど、そういうミラクルに完璧な調和がとれてることに気づく瞬間とかかなぁ。なかなか体験ないと伝わらないところがあって、言葉で表現するは難しいけど。

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BM の7日間って、初日から時間を経てだんだん感覚が研ぎすまされて、日常の感覚ではちょっとないようなテレパシックなことが起こったりするしね。あの場所って、会いたい人とすぐ出会ったり、なにかを思い立ったらめっちゃ話早いやん。

ー∞ シンクロニシティの起こる確立がすごく高くなったり。

うん。例えば人間ってもう地震予知できへんやん?他の動物はまだできるみたいやけど。そういう人間が本来持っているけど退化した動物的感覚が現れてるんじゃないかなとか。

ー∞ 貨幣、携帯電話やインターネット等、日常的に使用しているものから解き放たれて初めて現れる感覚って、確かにありますよね。今後、BM に行く予定は?

来年あたりすごい行きたいなーと思うね。あそこで体験するアホの底力は凄いからなー。ツナガイズってやつら、毎年オレゴンからやってきていて。ゲリラ的に、冷凍のツナステーキをひたすら焼いて振る舞いまくってるだけっていう。たぶん告知なしのシークレットパフォーマンスなのに、口コミだけで噂が一瞬で伝わって、ツナ食い放題のために大勢人が集まったりしてさ。

ー∞ いますよねー、そういうのが(笑)ディックマンっていう、文字通りディックの被り物しただけの男なんだけど、7、8年同じ格好で来てるって言ってましたね。

今後のパーティーのありかたについて

Page 73: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

ギャラクシーギャラリーを始めたのも、今思えば BM の影響も大きいのかな。DJ ブースとフロアだけではなくて、より総合的な表現の場所を創っているという意味で。これまでに、マカオってクラブでフラワーオブライフのパーティーを5年間やり続けて、最後には出演者無記名のパーティーなのに、「フラワーオブライフの最期」というイベントのために二千人もの人が集まってくれて、すごく満足のいく結果を得れた。そのとき達成感はあったけど、さらにまた次へと進みたくなって。

そこでふと PARTY って言葉を考えたときに、ART って言う言葉が真ん中にあって、PARTY をアートまで掘り下げて、もう一度やってみたいなという意識で、ギャラクシーギャラリーを始めてみました。ホワイトキューブはクラブのフロアより空間的には狭いけど、アーティストの世界感を出し切れれば、物理的なサイズとは関係なくすごい世界が現れてくるしね。そういう点で、フロアとホワイトキューブは相似形みたいなものだと思う。コミュニケーションツールとしては、アートの方がパーティーより一般性は高くなるのかなと。

ー∞ パーティーと比べると、アートギャラリーの方がより老若男女が来れますしね。

うん。一方で、パーティーの可能性はまだまだ感じてるから、パーティーはもちろんありきで。音って空間への支配力が強いからある音の種類が決まると、他の種類の音を呼べないこともあったりしてん。ART はその辺がなく、なんでもありなところもギャラリーの面白さのひとつやね。たとえば、2YANG っていう人たち、フラワーオブライフのパーティーではまず繋がることがなかったようなアーティストと今一緒にやらせてもらったりね。

Page 74: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

パーティーだけのときより垣根がなくなったと思う。新たなシャッフルが起こってくるギャラリーの持つ面白さや可能性を感じてます。フラワーオブライフを通じて、DIY の精神は叩き込まれているから、常に面白い現場を自分で創っていくという、その感覚を持ち続けてやって行こうかなと。

ー∞ 期待してます!ありがとうございました。

【2011年 10 月 大阪難波味園ビル内ギャラクシーギャラリーにて】

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VJ & Producer。1998年、サンフランシスコ発祥のフリークアートフェス”BURNINGMAN”で「NO SPECTATOR( 傍観者になるな )」の洗礼を浴び、VJ ユニット”BetaLand”を Hiralionと共に始動。以来、BOREDOMS や DJ HARVEY、A HUNDREDS BIRD ORCHESTRA、LOW END THEORY 等国内外最高峰のミュージシャン/ DJ たちと数えきれない VJ セッションを繰り広げ続けている。”FUJI ROCK FESTIVAL”、”SATURN”、”FREEDOMMUNE 0″等のビッグフェスから、先鋭的でアンダーグラウンドなパーティーまでと幅広いレンジで活躍する VJ。大阪が誇る歴史的文化遺産“味園ユニバースビル”を拠点とし、レジェンダリーパーティー“FLOWER OF LIFE”のオーガナイズを皮切りに、「P’ART’Y」の中にある「ART」に着目したアートギャラリー“GALAXY GALLERY”を立ち上げ、そのキュレーションも全て監督する。数多くの「P’ART’Y」に加え、“GALAXY GALLERY”や、空間演出等をプロデュースするミックスメディア・プロダクション“COSMIC LAB”を主宰する。

WORKS:

RAMM-ELL-ZEE の DVD 作品「Service Of Arms」収録映像、エゴ・ラッピン 「マンホールシ

ンドローム」 PV、エゴ・ラッピン 「マンホールシンドローム」 劇場用 CF、映画「マインド

ゲーム」限定 BOX セット収録用特典映像、OOIOO 「OPEN YOUR EYES,YOU CAN FLY」PV、

Grupo Chambelan( メキシコ )  「TIPITON (ALTZ Remix)」 PV、「味園 キャバレーユニバース」

CM、OILWORKS presents「The Visionaries」収録映像 他

INFO:

APPLE 社ウェブ・インタビュー記事

http://www.apple.com/jp/articles/interviews/mytown/betaland/

COSMICLAB WEBhttp://www.cosmiclab.jp/

GALAXY GALLERY WEBhttp://www.galaxygallery.info/

CLAZY MARKET WEBhttp://www.clazymarket.jp/

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in BurningmanGIRLS

2005-2011

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Salah from Seattle @ Center Camp in 2005

2005-2011

Page 78: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

Mary and Jessica  @ Deep End in 2009

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Renne from Paris @ Deep End in 2006

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Nicole @ 10:00 & Esplanade in 2007

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Nicole @ 10:00 & Esplanade in 2007 Laura@ 9:30&B in 2007

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Ashley and Jane @ Center Camp in 2011

Page 83: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

Paula and Natalie near Opulent Temple in 2008

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浜崎健インタビュー真っ赤なスタイルで約20年ものあいだ自身の運営する浜崎健立現代美術館から世界へ向けて赤いアートを発信し続けるアーティストが、バーニングマンや自身のパフォーマンスとバーニングマンとの関係を語る!!

Page 85: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

∞ー どうもこんにちは。お久しぶりです。

あ、自分こないだの BM のとき会ったっけ?お茶した?

∞ー はい、行ってましたが、今年はお茶の風景を側で撮

らせてもらってました。2009 年と 2006 年かな。健さん

には BM で2度、お茶点てていただいてます。その節はど

うもありがとうございました。今日はよろしくお願いし

ます。

∞ー BM に行くようになったきっかけは?

BM って野外フェスとかレイブ好きな人が関心示したり

するケースがわりと多いと思うけど、僕はそういうの一

浜崎健

浜崎健さん talks about バーニングマン

@レッドビル interview & text by Razy

Page 86: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

回も行ったことないんですよ。

日焼けも砂漠も嫌いだから、確実に行かないはずの種類

の人間なんですけど、ほんと偶然行くことになったんで

すね。でも、意外とそういう人の方が何度も行くことに

なるんじゃないかという気がしますね。

めっちゃフェスとかレイブ好きの人は、一度行くともう

これは制覇したという感じで、そんなにリピーターには

ならなかったり。

Page 87: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

僕の場合、たまたま運が良かったのか、この辺のグラ

フィックやってる社長さんが、突然、ウォータープラネッ

トっていう、水の袋に入ったクリエイターマガジンを世

界に売りたいと言い出して。その特集ページで、なんか

面白いことないかなと模索しているうちに、砂漠の変な

イベントがあるっていうのを聞きつけて「お前、暇やか

らちょっと行ってきてくれへん?」って言われて。

まったく知識なしで、行くことになったんです。

まずそのとき聞かされたのは、砂漠の真ん中で何やらど

んちゃん騒ぎをしている、辿り着けない人がいるとか、

人が毎年死んでるという噂とか。そんな危険なとこ誰も

が行けへんから、「じゃあ、お前行ってきて」という感じ

です。

そういう流れの中、砂漠でお茶を立てて、お客さんに「砂

漠でうるおいを」というテーマを持って、99年に、まっ

たく何も知らずに、初めて BM に参加したのがきっかけで

すね。

∞ー お茶と BM とどっちが先ですか?

そう、これもたまたまやけど、知り合いの人からお茶面

白いよと聞いて、お茶をちょっとだけ習いに行こうとし

てたのと、同じ時期なんです。

ちょうど大阪城に金の茶室展が来てたのを観に行ったり

して。今考えるとすごい偶然の必然と言うか、自然に

Page 88: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

BM にお茶会をしに行った感じかなぁ。

あんまり自分でやろうとした訳ではなくて。

そこから続いて、今年お茶会130回目やったんですが、

当初はこんなにやる予定もなかったし。一回だけやって

みる予定で行ってみて。絶対行こうという意識で毎年

行ってる訳じゃないんですけどね。なんか縁があって、導

かれるように、お正月に実家に帰るような感覚で、8月

末になったら普通に行けるような感覚なんですよ。なん

となく自然に行ってるだけで。よく「すごいですね」と

か言われるけど、自分としてはほんまにただなんとなく

行ってるだけなんで。

∞ー 赤いお茶会の反応は?

僕は英語がしゃべれないんですけど、あのパフォーマン

スは言葉がいらないので、それが結果的に良かったのか

なぁと。

Page 89: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

あと、みんな礼儀正しいですよ、ルールとか特に説明す

るわけでもないのに、みんな自然に靴や帽子脱いで正座

してくれたり。パフォーマンスを通じて僕がお客さんに

教えられることが多いです。

∞ー BM について思うことを聞かせてください。

今年一緒に行った友達が、「ここは大人のディズニーラン

ドだね」と言ったその言葉がぴったりやなぁと。

すごい大きいオブジェとかをその人が見て、「なんでこん

なに金かけるの、何なのこれ!?」という反応を初めは

してたけど、結局、「これってやりたいか、やりたくない

かだね」って。すごい多大なコストがかかるけど、何の

ためにと言われると、結局やりたいからなんやろうなと。

何かの為じゃなくて、ただ単にやりたいからやるってい

う感覚やと思う。

あと、BM に行って思うのは、どんな有名な人だろうと、

関係ないという。実際僕はあんまり有名な人とか知らな

いんやけど。みんなが平等に表現でコミュニケーション

し合うという関係性は面白いなと思う。

∞ー 13年前と比べて BM は変わりましたか?

Page 90: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

最初の頃より仮装したり、表現している人が少なくなっ

たかも。最近のほうが表現されているのものを見に来た

いひとが増えてるのかな。

∞ー 傍観者が増えてるんですかね?

うーん、もしかしたらそうなのかもしれへん。なんとな

くやけどね。BM も25周年続いてると、昔は良かった、

最初の頃はもっと面白いとかそういう意見もあるけど、

僕は今も全然面白いと思う。大事なのはやっぱり今も続

いてるということやと思うし。

いろんなものが興っては廃れたりするけど、結局はやり

たいかやりたくないかが大事であって。もし主催者のラ

リーさん本人が、嫌になったらやめるやろうし。

∞ー 健さんが、BM へ 13 回もいく動機は?

そんなにがつがつ行こうと思ってないんやけど。単にお

茶会をしに行ってるんですよ。あんまり過酷とも思った

ことないんですよ。特に今年は13年目にして今までで一

番ラクやった。いろんなものがとても良く準備してくれ

ていたし。でも一緒に行った初めての人は過酷やったと

言ってたかな。

∞ー 健さんはよほど BM にしっくり合ってるんですね。

BM に行くにあたり心がけていることは?

Page 91: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

きっちりお茶会をやるということかな。

基本的にそれだけしに行ってるようなもんなんで。「一週

間もいて一回しかやらないの!?」と言われることもあ

りますけど、週一回でもきっちり時間決めてあの場所で

やるってのは結構大変なんですよ。

∞ー よくわかります。BM ってちょと特殊な時間の流れ

ですよね。予期せぬイベントに遭遇することの多い環境

で、スケジュール通りにパフォーマンスをすることは、

むしろ目立つ行為かもしれませんしね。健さんにとって

BM に行く目的は一ずっと貫してるんですね。

うん。でもホンマは、最初、違うパフォーマンスだったん

ですよ。最初は各都市でお茶やって、その間に新しいパ

フォーマンスを発表していこうと思ってたんですけど。

次第にお茶会の方を求められるようになったり。

Page 92: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

99年は歯形マンっていう、白い箱に入って歯形をあげ

るっていうパフォーマンスをして。99、00年は歯形

マンがわりと反応よくて。2002年は、「はながたマ

ン」っていう阪神タイガースの。それはちょっとわかり

にくいんですけど。2003年、オマルマンっていうオ

マルになってずっと便器にすわるっていうのをやって、

それからはずっとお茶会ですね。なので、バーニングマ

ンでは過去三回、お茶会とは違う別のパフォーマンスを

しています。

∞ー お茶会が定着するまでに変遷があったんですね。気

が向いたら、また、~マンもやりますか?

うーん、最近はお茶が慣れてきてるから。どちらかとい

うとお茶会をちょっと違ったカタチでやろうとは思いま

す。持ち物とか含めて如何にシンプルできるかという。

もっとコンパクトにいろんなところでやれたらなぁと。

傘だとか白塗りとかいろんなものそぎ落として、最小限

でお茶会をやろうかなとか。

Page 93: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

∞ー これからの活動について教えてください。

最近考えたのは「地に足をつけない作家」というコンセ

プトで飛行機の中で作品を作る作家というスタイル。

1フライト1作品というルールで、飛行機が離陸してか

ら着陸するまで、空中に浮いてる間に作る作品というコ

ンセプトやろうかなと。アトリエが飛行機の座席ってい

う、そうするとご飯もタダやし、来年はいろんなとこ行

きたいと思ってるし、良いアイデアかなと。

∞ー 面白いコンセプトですね。マイルも溜まりそう。

そうそう、マイルも貯めたいなって。フライトの記録を

作品に込めるという意味で。雲の絵をフライトの間に描

いたり、作品の裏にはそのときのエアチケットを貼って、

そういうシリーズにしようかなと。

僕そういう後付けみたいなん好きなんですよ。思いつき

とか、言葉のあやだったり、たとえば「グレイトフル

レッド」とか。別にグレイトフルデッドに思い入れある

わけじゃないけど、そういうふとした思いつきからモノ

を創っていったりするのが好きなんで。

人から見たら、こじ付けみたいに思われても、僕にとっ

ては発見なんですね。

∞ー 創作のときに大切にしていることは?

Page 94: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

BM とお茶会の流れもそうだったように、周囲に受けるよ

うにすごく調べたり訓練したりじゃなくて、内側から自

然にでてくることを大事にしてやりたいなと。そうじゃ

ないと、僕の場合は作品にパワーが込めれないというか。

自分が創るとき、何かやるときにワクワクしてるかどう

かが大事やと思う。結局はやりたいかどうかやと思う。

やりたいことは頭の中にたくさんあって。まだまだ実現

できてないことの方が多いから。定年の無い仕事をしよ

うという意識で、死ぬ直前までなにか創っていたいなと

思ってます。僕は自分の作品のことを子供と呼ばせても

らうんですけど、死ぬまで子供を創っていこうと。

∞ー 期待してます! ありがとうございました!! 

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1967 8 月 10 日、健康ハートの日に生まれる。1992 自らのギャラリー"KEN HAMAZAKI ART COLLECTION

(RED GALLERY)" を東心斎橋にオープン。1994 「RED GALLERY」を南船場に移転しニューオープン。1997 自らの美術館「浜崎健立現代美術館」を開館。

浜崎 健      http://www.kenhamazaki.jp/

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宇宙大使☆スターBurningMan2011

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宇宙大使☆スター

写真撮ってます☆

春が来て梅雨が空け夏になり秋が深まるまで、

フェスっていう、なんか不思議と心地いい場所に、行きまくる!!

フジロック、朝霧 jam、ライジングサンなど

各地の野外音楽フェスのオフィシャルカメラマン

☆ツヨツヨニコニコドットコム☆

http://www.tsuyotsuyoniconico.com/

最近、ときどき東北方面。

写真が好きで、写真の力に魅せられて、写真のケータリング始めました。

『ハイ、ピーーース!』http://hipeeeace.jp/

生活の中にもっと写真を! 楽しく行きましょう!素敵に生きましょう!

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Interview with

Masae Satouchi  aka Cathy

       Photo Credit

" PSYBOTIK" Photographed byMarius Shanzer

"Turquoise-Mystic jorney " Photographed by 井辻淳二

"When the Moon meets the Sun" Photographed by Pavel Antonov

" The Calling Episode 2 by Flambeaux Fire" Photographed by Ro Mo

" Beauty in Dust Storm" Photographer: My husband / Model:Masae Satouchi

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∞ー キャシーさんは京都で美容師を

されていたそうですが、渡米へのきっか

けや転機を教えてもらえますか?

C: 高校卒業後、京都で美容師としての

生活を7年続け、店を任されるようにも

なり、とても充実した日々を送っていた

んです。もし京都に留まっていたら、結

婚して親や周りの人も安心するような

コース、安定して幸せな生活が見えてい

ました。それも悪くなかったけど、私に

は高校生の頃からの夢があって、どうし

ても諦めきれなかったのです。それは、

ダンサーになる夢。美容師としてはさみ

で表現している間に沸々と、自分には

キャンパスが小さすぎる窮屈さを感じ、

体全身で思いっきり表現したい!との

思いが強まっていきました。そして行く

なら NY というのはずっと前から心に

秘めていた願望です。

NY に行く直前にプロデュースしたヘ

アーショーで出会ったベリーダンサー

の舞に感動して、到着後すぐ、週5で通

う程にはまり、身体で表現することに快

感を覚えました。

∞ー 美容師の業界って厳しい業界です

よね。そうしたなか、下積みの期間を経て

ようやく掴んだ幸せを手放してまで、NY

に行こうと?

C: たしかに難しい選択を迫られていまし

た。仕事も充実し、周囲の人たち、仲間に

もとても恵まれていたので、そのまま京

都に留まったとしても HAPPY ではあっ

たと思います。

その時期に、虹のしずくカラーセラピー

の西野先生に出会ったんです。「あなたの

誕生日カラーは黄色、輝くために、闇夜

もあなたの笑顔で照らすよう産まれてき

たのだから、あなたらしく一番輝ける場

所に行きなさいっ!」と言われ、自分の

ミッションにはっとして、「それじゃ日本

じゃないな、よし行こう!」って即決意

しました。

ダイナミックでエキセントリックなアーティスト、チャレンジと夢を叶える事が趣味な生粋の冒険家、色彩に秘められた可能性に人生を魅了され、世界を彩るカラーコンシェルジュ。京都で美容師8年、店長&全日本へアースタイリング大会にて優勝を得て、2006 年、夢を追いかけ単身渡米。NY にてベリーダンスを皮切りに、エンターテイナーの世界へと飛び込み活躍中!バーニングマンでは、最大のイベント’Burn’のファイヤーパフォーマーに参加した経験も!! Masae Cathy Satouch がそのキャリアを語る!Interview& Text by Razy in Kyoto, 2013

Page 116: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

*親に勘当覚悟で、単身 NY へ

C: でも、両親が厳しかったので、NY に

行くことを伝えるのが大変でした。説明

しても理解してもらえるとは思っていま

せんでした。NY 渡米必要資金を貯め、8

年間数々のコンテストで入賞、優勝して、

トロフィーも貯め、それらを並べて、切

り出しました。「全ては、NY へ行き世界

で活躍する準備として結果を出してきた

の。だから私は NY へ行きます」って、相

談ではなく報告というかたちでした。No

と言われるのは解っていたので。でも、こ

のときはさすがにダンスをしに行くとは

言えず、美容師としての実力を試しに行

くと、親には説得を試みました。泣いて

説得する練習も鏡の前でしたり。

∞ー 相当の強い決意を持って単身渡米

したのですね。

それでは、NY に渡ってから、パフォー

マーとし舞台に立つまで、夫やバーニン

グマンとの出会いについて聞かせてもら

えますか?

C:NY に行って2週間で美容院を見つけ

働き始めたら、店のオーナーがサイト

ランス好きで、オフのときにちょっと

遊びに行こう、とブルックリンの倉庫で

やっていたアンダーグラウンドなパー

ティーに連れて行かれたんです。当時の

私はイケイケサイバーカウガールな感

じでワーって踊って、いつも通りパー

ティーの中でも浮いてました。そこに、

オレンジの冠つけておしりに顔のある

シッポの着いたパンツ着てた人がいて

「何あの人、面白いパンツ欲しいなー」

とか思っていたんです。

踊り疲れて外に出て休んでるとき、当

時はまだ英語も全然喋れなかったの

でパーティーは楽しめたけど、一人で

ちょっと寂しい気分になっていました。

そこに、さっき見たおしりにしっぽのカ

レがすごくナチュラルに「僕音楽つくっ

てるんだけど聞く?」って声をかけてく

れたんです。

パーティーに来ている人々は、いっ

ちゃってる感じでみんな面白くて、奇抜

で変な人たちばかりでした。そんな中カ

レはすごくナチュラルで、聞かせても

らった音楽もとても良くって、意気投合

しました。

そしてカレと一緒にビルの屋上にあが

り、そこでダンサーたちがファイヤーパ

フォーマンスをしているのを観ました。

それがファイヤーダンスとの最初の出

Page 117: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

会いです。それを見せに屋上へ連れてっ

てくれたカレと、数年後結婚することに

なったんです。彼と私はパーティーで一

番カラフルでした。

∞ー ファイヤーダンスと夫との出会い

は同じときだったんですね。

C: はい、当時はそんなつもりもなく、ビ

ビっと来たわけでもなかったけど(笑)夫

は今の自分に導いてくれた大切な存在で

す。何よりもカラフルな私のままで受け

入れてくれた初めての人。(日本では、つ

き合った男性に毎回服装を変えてほしい

と言われ続けていたので。。。)彼は、自分

と同じくらいカラフルな女性をずっと

探していたそうで、即結婚とまで心に決

めていたそうです。

∞ー それからすぐにファイヤーダン

スを始めたのですか?

C: ファイヤーダンスに出会ったパー

ティーの後しばらくして、住んでいた家

を追い出される騒動があり、彼のアパー

トへ転がり込んだり。お互い好意を感じ

ながらも、‘Love’ではなく‘Like’な

関係が始まりました。そして、その年の

クリスマスに大きなリボンのついたピ

ンクの丸い箱をプレゼントされました。

Page 118: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

てっきりアクセサリーでもいただける

のかしら?と期待して箱を開けるとポ

イが入ってました。一瞬「何コレ?」と

思いましたね。輝いてないし、「何この

ワイヤー?」ってキョトンとしてしまっ

て。火のついてないポイが一瞬何だかわ

からなかったんですね。

彼は「キミはコレをやるべきだ」と真顔

で言いながら、屋上に私を連れて行き、

なんと火をつけてそのポイを廻しだし

たんです。以前にファイヤーダンスを

初めて観たとき、ビビット感じていたの

で、それからすぐ本格的にファイヤーダ

ンスの虜になりました。渡米後、取得

難度の最も高いとされるアーティスト

ビザを幸運にも8ヶ月という最短記録

で GET し、美容院で活動しながら、ベ

リーダンス、アクターズスクールへ行き

演技を学びつ、CUNY の語学プログラ

ムを大学で受講するという多忙な生活

を送っていました。いよいよ時間が足り

なくなり、また選択と決断を迫られまし

た。フリーランスになる事への不安も

あり、美容院を辞めるか悩みましたが、

彼に「君なら、なんでもできるから、や

りたいことをやって人生を楽しんでほ

しい」勇気を頂き、10年間の美容院で

の仕事にピリオドを打ち、フリーラン

サーとなる決意をしました。心が高鳴る

演技、ファイヤーパフォーマーとしての

活動を精力的に開始しました。あっと

いう間に、オフオフブロードウェイや、

映画、 ミュージックビデオ、クラブの

ショー等の仕事が舞い込んできました。

というのも、オーディションも、リハー

サルも平日の昼間にあったので、それま

で美容院に勤めていたときには、チャ

ンスすらつかめない状況にいたのです。

とはいえ、すぐ美容院をやめれなかった

のは、十分に貯めてきた貯蓄を渡米前の

バケーションで半分、ダイビングに費

やしてしまい…NY 到着時点では、一年

ぎりぎりいれるかな?って状況でした。

朝昼、ベーグル1つとコーヒー1杯。夜

は、ベリーダンスのショーへ行っては、

合間にピザ1枚…と。日々の刺激を食べ

て生きてました(笑)でも多分、ドーパ

ミン出っぱなしで、お腹もそんなへらな

かったのかな。

*バーニングマンとファイヤーダンス

でのアクシデント

∞ー その翌年に初めてバーニングマ

ンに行ったんですね?

C: 実は当時はバーニングマンに関して

は全く知らなくて、どちらかというと

「砂漠より海に行きたい!」とか「一週

間もシャワーなしの生活イヤー」みたい

Page 119: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

な感じだったけど、カレや友人にはとに

かくすごいと聞かされいて「キミは絶対

行くべきだ」って説得されました。いざ、

行ってみると、彼らが言っていたことが

わかりました。

∞ー 何も知らずにバーニングマンに初

参加したのですか!?

C: 日本では美容師の仕事が忙しくフェス

とは、全く無縁でした。自分にとって初

めてのフェス体験は、Gaian mind ってい

う森のなかである NY のアンダーグラウ

ンドな音楽フェスでした。それに参加し

たことで開眼したというか、こんな楽し

いことを今まで知らなかったんだ!と思

いましたね。

そしてバーニングマンでのファイヤーパ

フォーマンスを目の当たりにしてさらに

衝撃を受けて、「私もここで踊る!」と決

意しました。

∞ー 他にバーニングマンで印象的だっ

た出来事は?

C:Tits ride っていう2千人くらい女子が

一斉に自転車でパレードするイベントが

あってそれに出たんです。

∞ー めっちゃ盛り上がるイベントです

よね。Tits ride 出てたんですね!

C: 一人だけ裸すぎて、そのまんまやん、

て感じでした。みんな胸にペイントとか

したりしてるのに、私だけ完全に全裸で

(笑)隣の人がくれた Wao’‘Drunk’と

書いたステッカーを胸につけて自転車

に乗ってはじけきってました。でも、そ

の帰り道で、ストームに遭遇したんで

す。目の前で三本竜巻が起こったの見え

て、避けないとヤバい!と思っているう

ちにあれよあれよと言う間に巻き込ま

れて。胸につけてたステッカーも全部吹

き飛び、また全裸になって(笑)

ストームに見舞われ目の前真っ白で1

メートル先も見えない状況で、なんとか

トイレのある場所に辿り着いたら、ベテ

ランのレンジャーが、すっごい紳士的な

対応で「大丈夫ですか、レディー」みた

いな感じで助けてくれました。

∞ー バーニングマンで困ったときレン

ジャーは頼りになりますよね。

C: 糖分とか必要な栄養補給もすぐにさ

せてくれて、「あー、これで助かった」っ

てすごく安心しました。

Page 120: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

∞ー バーニングマンの“ ザ・ バ ー

ン ” で ファイヤーバフォーマーと し て

踊 る ま で の い き さ つ に つ い て は?

C:その翌年のバーニングマンは、今年

こそは私もファイヤーダンスを踊ろう!

と思って臨みました。事前に各地のカッ

コいいファイヤーダンサーをチェックし

ていて、彼らにコンタクトしたり、一緒

に踊る機会を探ったりしていました。そ

して、いざファイヤーダンスを踊るチャ

ンスが巡ってきて、気合いを入れてパ

フォーマンスをはじめたら燃えちゃった

んですね。

∞ー 燃えた!?

C: 踊ってる最中に周囲がザワザワして

きて ' She is burning' という声がしてい

たけど、踊ってる私はアドレナリンでて

るし全然気づかずに踊り続けていたんで

す。'Yes, I'm buringn!!' って 笑

∞ー 文字通り燃えていたんだ!?マイ

ケル・ジャクソンのアクシデントみたい

に。大丈夫だったんですか?

C: 事故の直後は、高揚していたからか

痛みを感じなかったけど、そのあと激痛

がやってきて。あんな痛い経験、痛さと

ショックで動けないなんてあのとき初め

てでした。ハート形に焼けただれてしま

いました。

小さい頃、怪我したら親にすごく怒ら

れるっていうちょっとしたトラウマが

あり、そのときも一緒に居たカレに怒ら

れると思いながらこわごわテントへ帰

りました。でも、怒られるどころか、す

ごく優しくケアしてくれたんです。「傷

口に砂が入るから動いちゃだめだよ」っ

て、じっとしていられない私をなだめて

くれたり。

その時に、「あー、この人がいてくれたお

かげで、私は今まで NY でこんなに無茶

してこれたんだ」と気づき、その翌年に

災い転じてカレと結婚しました。そう。

彼との関係がやっと‘Like’から‘Love’

に変わった瞬間でした。ハネムーンにア

メリカを横断しながら、彼の故郷カリ

フォルニアを経てまたバーニングマン、

NY、京都と4度、自身のウエディングを

プロデュースしました。

さらに、その翌年にはやっと念願かなっ

てバーニングマンのメインイベントに

ファイヤーダンサーとして参加するこ

とができました。

∞ー 渡米して、パフォーマーとしての

念願も叶え、素敵な人も見つけたんです

ね。キャシーさんは渡米やバーニングマ

Page 121: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

ンの経験を通じて、ご自身がどう変わっ

たと思いますか?

C: 自分の可能性をより信じられるよう

になったかな。『思いは必ず実現する』と

いうことを、よりリアルに実感しました。

渡米してから気づいたけど、私どちらか

というとすごく閉鎖的だったんですよ。

∞ー 今からは想像できないですね。

C: 以前はいつも誰かに遠慮している感

じがあって。「何したい?」って訊かれ

たときに、すっと応えられない感じで、

自分がピュアにしたいことが言えなかっ

た。まず相手やまわりの状況を考える気

配りの文化が染み付いてることに気づい

たんです。アメリカに来てからは、「何

したいの?」と訊かれたら「何でも良い

よ〜」では、伝わらず。「君がしたい事

を僕はしたいんだ!」と、彼に訊かれる

と、とにかく何か答えなくてはいけない。

そんなダイレクトなコミュニケーション

が日常だから。そうした中で改めて日本

文化で育まれた自分の感覚に気づきまし

た。またアメリカに行ったことだけでな

く、夫との出会いによって変わったとこ

ろもあります。

Page 122: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

京都にいた頃は、当時付き合っていた彼

とのデートのとき、自分が好きな服着て

いってたら「その格好ちょっと派手す

ぎるよね。1メートル離れて歩いてくれ

る?」とか言われたりしてました(笑)

私としては自分の表現の一つなのに、そ

の人はコンサバな感じが好みだったの

か、ちょっと敬遠されたことが何度か

あったり。コンサバ好きそうな人との

デートに、先輩にシックな服を借りて

行ってみたら、最初は好感をもたれたの

に、3回目のデートでジブンを出して

行ったらアウトだった(笑)みたいな。

「あれ、こないだと雰囲気変わったね」と

言われても「あれ自分の服じゃなくて」

とは言えなかったり。

∞ー アメリカや、特にバーニングマン

では自分自身を表現した者勝ちみたい

なとこあるから、京都の頃とは真逆です

ね。

C: そうですね。今の夫は、例えば「お

葬式に何着ていったら良い?」って聞い

たら、「キミが好きな服を着ていけば良

いよ」と言う人で。「キミのやることつ

くること全部好きだから、そのままやれ

ば良いよ」って言ってくれるんです。

∞ー すごく包容力のある素敵な人で

すね。

C: それでどんどん歯止めがきかなくな

り、こんな感じになってます(笑)

∞ー 渡米して、未知の世界でやりたい

ことをひとつずつ叶えてきたキャシー

さんは今後どんなことにチャレンジし

ますか?

C: 人生とは、ドリーム・カム・トゥルー

の連続!そう感じています。今まで通り

妄想を現実化するための大冒険を続け

ます。困難なこと、追いつめられた状況

で如何に乗り越えるかってことを楽し

むちょっと M なところがあったりする

んです ( 笑 ) そんな壁がいつも私を

成長させてくれるから好きですね。いつ

もライバルは、自分自身なので。元々、要

領は悪い方だったし、行動しないで待っ

ていては何も始まらないことも知って

います。

大きな二択から、思い切って飛び込んだ

夢の世界。今、ハッピーでいられるの

は、これまでお世話になった素敵な方々

との出会いのおかげ。出会いに感謝し、

今度は私が人に夢や希望をアシストで

きるような、作品作りをファイヤーダン

サーとして、みんなのお尻に火をつけら

れるような刺激になりたいですね。

∞ー そうした活動の一環としての、

ワークショップや NPO での活動につい

Page 123: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

ても聞かせてください。

C:Masae のドリカムツアーは、今年で4

年目になります。SNS を通じて知り合っ

た方が、サンフランシスコから NY まで

会いにきてくださり、私のセッションを

受けた後、「SF に住む日本人女性を元気

にしてほしい!』というリクエストを頂

き、始まったのが、発端です。それ以降、

NY, 沖縄、京都と開催。この7月は、出

身地の滋賀県での開催は、おかげさまで

満員となりました。希望としては、これ

からも外からの情報の少ない、地方中心

に開催して行きたいと思ってます。私が

滋賀にいた頃、まったく世界の情報が手

に入らず、自分の事を悲観していた時期

があったので。小さな頃から、自分は、

ただここにうまれただけで、広い地球に

うまれたのだから、世界を観に行かなく

ては、という Message をいつからか心に

持っていました。世界へ出てみて解った

事は、皆それぞれ、ちゃんと輝ける場が

用意されているということ。そして、自

分を偽らず、ありのままでいることの幸

せを知り、自分らしさを確立する方法を

ワークショップを通じて拡めています。

∞ー 京都を飛び出し、NY で現役パ

フォーマーとして活躍するまでの道のり

で培ったもの、多彩なキャリアから得た

Page 124: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

ものをシェアしながら、これから自分

の道を行こうとする人たちの魅力を

引き出すお手伝いをされているんで

すね。

C: はい。カラーセラピーで、個性を

引き出し、ヘアーメイクで人生を演出

いたします。また、NPO 日本色彩言

語カラフルカラー協会の理事を担当

させていただいおり、「カラーで世界

中を幸せにするプロジェクト」を京都

から、世界へ発信する橋渡し役として

のミッションもあります。先日は、京

都にて虹色夏祭り開催で護王神社さ

んへ奉納の舞を踊りました。色彩をモ

チールにした舞台を NY と日本でプロ

デュースする活動もさせていただい

ています。

∞ー 文字通りの多彩な活動ですね!最

後にカラフルな締めのひとことお願いし

ます。

C: キラキラ輝く色が、あなたの笑顔を、

そしてあなたの笑顔は伝染し隣の人をも

ハッピーにして、更にそのハッピーの輪

がぐるっと地球を一周すると、環境をも

変え、争いのない、平和で美しい世界に

なる。私は、本気でそう信じています。

色んなジャンルのお仕事をさせて頂いて

ますが、私の中心は、いつもここです。

∞ー 今日は貴重なお話どうもありがと

うございました!

Page 125: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

京都で美容師を8年務め、全日本へアースタイリング大会にて入賞受賞を繰り返し、2003

年日本一に輝く。2006 年単身渡米、アーティストビザを取得し、美容院で2年勤務。2008

年表現師を目指すため、フリーランサーへ転身。アクターズスタジオへ通いつつ、ベリーダ

ンス、モダン、ジャズ、ポールダンス、ファイヤー、アフリカンを学び、エンターテイナー

の世界へ。NY では、日本人初のプロファイヤーパフォーマーとして活動を開始!世界中の

アーティスト達の muse として、舞台、映画、写真、絵画作品のモデルとしてジャンルを問

わず活躍、注目を集めている。

2006 年〜現在 色彩をアート&パフォーマンスで表現した舞台”Luminisis”をプロデュー

ス、演出、主演。

2008 年 Flambeaux Fire にスカウトされコアメンバーに。

2009 年〜現在 NY 最大のクラブ Webster Hall で、ファイヤーダンサーとしてレギュラー

出演中。

2011 年 カメラマン Gary Heller 師との協同作品”Arttour International の雑誌の表紙を

飾る。NPO 日本色彩言語カラフルカラー協会理事就任「カラーで世界中を幸せにするプロ

ジェクト」発信

2012 年 アンダーウォータプロジェクト”mystic jorney” 執筆&作品 Arttour International

に掲載。イタリアの作品& Artist Masae インタビュー記事が、同誌に掲載。

コスチューム、アート作品を NY クイーンズ美術館のグループ展示会へ出展。

ウエディングコンシェルジュとして Kaede nyc 就任。

2013 年 日本のアーティスト達と京都で初協同制作 舞台 ”Colors” を演出、主演。

JCLCCA 虹色夏祭り開催。京都護王神社で、奉納の舞をおさめる。

more bio & resume ⇒ http://masaesatouchi.com/  ⇒ http://colorfulartist.com/

Masae Satouchi aka Cathy滋賀県出身/ New York 在住

Page 126: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

 

三 昧

PRESENTED BY RAZY

本号の特集であるバーニングマンに

始めて参加したときに持って行って

読んだ本。

ただなんとなく砂漠で読むのに良さ

そうだという気がして、実際バーニン

グマンの会場であるブラックロック

シティーで砂にまみれて読んで、その

場で読むのに最もふさわしいと感じ

た印象深い一冊。

バーニングマンという混沌たる環境

の中へ意識を適応させるためのサプ

リメントのようなものと軽い気持ち

の読書のつもりだった。いざ読み進

めると精神への劇薬のような本だと

判った。どのページを繰っても刺激と

倦怠、鋭い感性と冷徹な無感覚に溢れ

ている。

例えば「世の中には死をすら滑稽に感

じさせるほど滑稽な人物に思える人

間がいるものである」というフレーズ

から繰り出される小話、男と女の痴話

喧嘩、ろくでなしが引き起こす修羅場

の数々。虚構と現実が曖昧にも思える

生活の風景から、あらゆる感覚を冷徹

に捉えるかのような一歩引いた目線

で描写し、行為から観念を浮かび上が

らせる。

不可解さや珍奇な事象の数々、様々な

価値観、異なるバックグラウンドを持

つ人々が目まぐるしく展開し、混沌と

して捉えがたいが、総体としては紛れ

もなく成立しているという点におい

てバーニングマンとある種同質なも

読書サマーディ

北回帰線著者:ヘンリー•ミラー/大久保康夫訳

新潮文庫

昭和四十四年一月発行

Page 127: UCHU∞ Burningman issuu The first part 2013

 

のが、この作品には含まれているとも

読める。

猥褻さ、ピュアさ、知性、反知性、伝

統、慣習の打破、ナショナリズム、コ

スモポリタニズム、日常からの逸脱、

無秩序さ、多様な思想と宇宙観、渇望

と至福、聖と俗、エロスとタナトス、

行為と観念、意識と無意識、等々の事

象が、脈絡なくめくるめく展開されて

いるバーニングマンという磁場、そし

て北回帰線という書物には放蕩の実在

のようなものが垣間みえる気になるの

だ。日常と隔絶され、意識を行為の導

くままにゆだねることが可能となり得

る特殊な空間バーニングマンで、自我

と忘我の狭間の感覚が、この作品の著

そうとしている対象のひとつである純

粋体験とシンクロしたように感じた。

本作品は発表当初、その赤裸々な性描

写故、裁判沙汰や発禁処分になったり

何かと物議を醸したらしい。「北回帰

線」を好色文学と見るものは彼自身わ

いせつな心の持ち主である、と述べた

エドウィン・コールの言葉は、芸術的

な高みに達した作品の持つピュアさは

鑑賞者自身を映し出す鏡となることの

証左だろう。 

ちなみにバーニングマンを、ヒッピー

や反動主義者の乱痴気騒ぎという風に

見る向きもあるようだ。しかし、あの世

界規模の祭りは、とてもそれだけで説

明できるものではない程、多様な構成

要素を含んだ巨大な実験場でもある。

例えば、先端的な創造競争の激しいシ

リコンバレー界隈から毎年多くの人々

がやって来ることからも、そのことは

判る。

また、本書はプロットらしいものがな

いという理由でこれは小説ではないと

いう批判を相当受けたらしい。ミラー

は「ネクサス」という作品中で、同様

の問いに対し主人公に「小説にプロッ

トなどが必要なのか」と反問させてい

る。その言葉が著者の回答なのだろう。

『北回帰線』はミラーというアウトサ

イダーの半自伝的小説なのだから、プ

ロットが無いことが作品にリアリティ

を生み出す効果を発揮し、さらには虚

構と現実の彼岸をも表現することを可

能にしているのだ思う。お祭り騒ぎに

プロットは要らないのだろう。

北回帰線著者:ヘンリー•ミラー/大久保康夫訳

新潮文庫

昭和四十四年一月発行

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