北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 vol 34 2008

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本誌は北海道勤医協の看護活動全般を収録する雑誌で発行は年1回です。高齢者を支える看護・介護、復職支援セミナーの取り組み、卒後研修の取り組み、ケアワーカー座談会、差額ベットのないポスピスケア病棟、看護現場からの発信などを収録しました。

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Page 1: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008
Page 2: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008
Page 3: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

6高齢者をささえる看護・介護 ④

老人保健施設でのターミナルケア

谷井 

紀美子 勤医協老人保健施設・柏ヶ丘 

療養生活部 

看護師長

高齢者をささえる看護・介護 ①

黒松内診療所共同住宅の取り組み

三本木 

美智恵 勤医協黒松内診療所 

看護師長

高齢者をささえる看護・介護 ②

住みなれた家での療養生活を支える「在宅療養支援診療所」

大槻 

由美子 勤医協札幌西区病院 

在宅医療部 

看護師長

高齢者をささえる看護・介護 ③

その人らしく地域で生きるために多種事業種の関わりから見えたこと

児玉 

悦子 歌志内居宅介護支援事業所 

ケアセンター長(看護師)訪問看護ステーション兼務

特別寄稿●看護師に期待すること

「復職セミナーの取り組み」

北海道勤医協での復職支援セミナーの取り組み

東 

幸子 北海道勤医協本部 

看護部後継者対策室 

室長

総合診療病棟での看護師さんたちとのかかわり

尾形 

和泰 勤医協中央病院 

内科科長 

医師

高齢者をささえる看護・介護

9111419 17特集

C O N T E N T S

Vol.34 April 2008

22セミナーをとおして就職した職員の声

復職支援セミナーに参加して

倉 

ヒサ子 勤医協中央病院4東病棟パート/齊籐 

朋美 勤医協札幌病院4階病棟/曽山 

暁 勤医協札幌西区病院3病棟

卒後研修の取り組み

卒後1年目

気管切開の呼吸管理におけるサクションの必要性を学んで

石垣 

菜穂子 勤医協札幌西区病院 

4病棟看護師

23卒後研修の取り組み

卒後2年目

終末期患者の要求を実現させるための看護実践から学んだ事

植木 

里美 勤医協札幌西区病院 

5病棟 

看護師

26

看護と介護 Vol.34● 2

Page 4: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

「夫と一緒に暮らしたい」願いをかなえて

老人保健施設・柏ヶ丘療養生活部

一〇〇才でも認知症でも胃ろうで元気

勤医協札幌丘珠病院第1病棟

精神疾患を抱えるMさんへのインスリン導入

勤医協もみじ台内科診療所

「患者参加型 

看護計画」の実践

勤医協中央病院5東病棟

訪問看護にはいろんな人生との出会いがある

とまこまい訪問看護ステーション

往診日誌を活用して

勤医協札幌北区ぽぷらクリニック

「在宅で最期を」Aさんを支え続けた5ケ月

勤医協浦河診療所

せん妄予測アセスメントシートを活用して

勤医協中央病院集中治療室

ベンチレーター装着せず、懸命に生き抜くAさんを支え続け

勤医協札幌西区病院第1外来

看護・介護現場からの発信

患者さんが発する言葉の背景をつかみ

勤医協札幌病院3|2病棟

「差額ベットをいただかないホスピスケア病棟誕生」

加藤 

真由美 勤医協中央病院ホスピスケア病棟 

看護師長

54 53 52 51 50 49 48 47 46 45 41〜44看護雑誌投稿規定

55編集後記

56 33〜40手探りの中で築き上げてきた、CW集団としての今。

ケアワーカー座談会

勤医協老人保健施設柏ヶ丘・療養生活部………佐藤佳奈子  

勤医協札幌丘珠病院 

1病棟……………………西島 

龍樹

株式会社 

北海道勤労者在宅医療福祉協会……菊地 

紀昭

勤医協札幌病院 

3|2病棟……………………荒木 

陽子

座長・勤医協老人保健施設・柏ヶ丘………………猫塚真里子

卒後研修の取り組み

卒後3年目

在宅退院への取り組みと継続看護の重要性について

金澤 

彩絵果 勤医協札幌病院 

3-

2病棟 

看護師

29

3 ●看護と介護 Vol.34

Page 5: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008
Page 6: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

高齢者を支える

看護・介護

特集

高齢者を支える看護・介護 ①

黒松内診療所共同住宅の取り組み高齢者を支える看護・介護 ②

住みなれた家での療養生活を支える「在宅療養支援診療所」高齢者を支える看護・介護 ③

その人らしく地域で生きるために

多種事業種の関わりから見えたこと

高齢者を支える看護・介護 ④

老人保健施設でのターミナルケア

5 ●看護と介護 Vol.34

Page 7: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

診療所のベッドは

地域の宝物

 

南後志地域の医療機能が縮

小を続ける中で、黒松内診療

所が運用してきた一般4床・

介護療養型10床の入院ベッド

は、地域にとっては何として

も守り抜きたい宝でした。し

かし、政府の低医療費政策に

よって、診療所が入院ベッド

を持ち続けると経営が成り立

ちません。昨年度、黒松内診

療所のベッド稼働率は100%を

超えましたが、1千万円を越

す赤字の要因になりました。

経営危機と医師・看護師不足

などでベッド廃止を余儀なく

されたとき、職員の脳裏をよ

ぎったのは、入院しているお

年寄りのことでした。寝たき

り、ターミナル、認知症、障

害者・・・・。みんな、この

地域では診療所だけが頼りの

人々でした。

 

黒松内診療所

共同住宅の

取り組み

特集

 

高齢者を支える看護・介護 

①勤医協黒松内診療所 看護師長

三本木 美智恵(さんぼんぎ みちえ)

1988年 勤医協札幌看護専門学校卒業。同年、北海道勤医協入職 黒松内診療所勤務。2002年 ケアマネージャー資格取得。2000年より現職。2007年 株式会社北海道勤労者在宅医療福祉協会 移籍

看護と介護 Vol.34● 6

Page 8: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

病棟を高齢者の

アパートに改装

 

黒松内町の人口は年々減り

続け、3500名程度。医療

機関の縮小・廃止は町の過疎

化に拍車をかけます。職員は、

ベッドをなくしても患者さん

を守るにはどうしたらいいか

を徹底して議論しました。小

規模多機能、有料老人ホーム

など、あらゆる可能性を探求

し、施設見学にも行きました。

職員の多くは黒松内町で生ま

れ、子供たちを産み育て暮ら

しています。

 「ふるさと黒松内の民医連

の旗を何としても守り抜きた

い」という思いは共通でした。

激論の末に辿り着いた結論

は、診療所の病棟部分をア

パートに改装し、入居者に往

診や訪問看護・介護・配食サー

ビスを提供することで、限り

なく入院に近づけるという計

画です。しかし、社団法人の

※注

定款(ていかん)上、アパー

ト経営は出来ないという問題

に突き当たりました。

職場の団結を

大切にしよう

 

もう1つの問題は雇用で

す。病棟を閉鎖すると、2名

の調理員の仕事がなくなりま

す。転勤や、事務への職種転

換は出来ないことでした。診

療所から介護難民を出さない

という議論を重ねるなかで、

2人は訪問ヘルパーなら経験

を生かし、地域に貢献できる

と職種転換を決意しました。

2007年2月26日、パート

も含めて全職員が参加した話

し合いで、診療所としての最

7 ●看護と介護 Vol.34

Page 9: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

終決断をしました。在宅部門

を「株式会社北海道勤労者在

宅医療福祉協会」に移し、職

場の団結のため、ヘルパーに

転換する職員・パートだけで

なく、事務長・師長・看護

師・訪問看護師など、黒松内

がふるさとである全職員が新

法人に移籍することになりま

した。

事務長・師長は

出向職員として

 

2007年4月からは、3

名の職員が北海道勤医協に出

向する形で診療所に勤務し、

患者さんからの夜間の訴え

も、地域をよく知る3人が交

替で対応しています。調理職

員は、休日ごとに札幌へ出か

け、ヘルパー2級講座を受講

しています。北海道勤医協の

医師集団も「黒松内から民医

連の灯火を消すな」と2ヶ月

クールで医師を派遣し、困難

な地域医療を守っています。

共同住宅

「ふきのとう」

ヘルパーステーション

「すまいる」

スタート

 

2007年6月からは、共

同住宅・ヘルパーステーショ

ンが始まりました。共同住宅

は9室で、生活保護費でも入

居出来るよう利用料は、高熱

水費・管理費・食費で6万円

です。もと入院患者さんも入

居しています。入居相談も延

べ25件に及び、現在は9室が

満室で予約者もいます。車椅

子生活の方や、視力障害者な

ど、要支援から要介護3まで

の方が入居しております。「い

ままでの暗く不安な生活が、

明るく楽しくなった」「ごは

んがおいしい。こんないいと

ころはない」など、食事や介

護サービス、そして、自由な

空間でお互いに助け合い自立

出来ています。

 

職員の「医療難民・介護難

民をつくらせない」そんな思

いが、大激論の末、花を咲か

せました。そして1年が過ぎ

ようとしている今、「第2の

ふきのとうを」と望む地域の

声がやみません。

※注定

款(ていかん)

社団法人(会社・公益法人・協

同組合等)の目的・組織・活動・

構成員・業務執行などについて

の基本原則、またはそれをしる

した書面・記録。

看護と介護 Vol.34● 8

Page 10: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

「最期まで自宅で

過ごしたい」

という願い

 

西区病院在宅医療部は、

2003年5月に開設されま

した。当初30数名の管理患者

さんが、現在では120名と

なり訪問診療が週2単位から

7.5単位に増加しています。在

宅医学管理料を算定している

患者も50名程度になってきて

います。カンファレンスも週

1回に定着し、地域連携機関

や家族等とも密に連絡をと

り、患者家族の思いに寄り

添った医療を継続していく中

で、年に3~5人程度の在宅

での看取りも行ってきまし

た。

 

昨年1月には癌末期のAさ

んと家族の、「最期まで自宅

で過ごしたい」という思いを

実現する為に病院の師長当直

の協力も得てチームで関わる

ことができました。在宅で塩

酸モルヒネの点滴を行い、最

後は静かに家族に見守られ在

宅で看取る事ができ、今後の

在宅医療への看護の広がりを

職員も感じることができまし

た。

 

最近の傾向としては、高齢

者マンションやグループホー

ムの入所者の訪問診療も増加

してきています。その中でも

昨年はうっ血性心不全や甲状

腺癌術後で転移もあり、厳し

い病態と介護度の高いBさん

の在宅を、施設の職員・介護

保険関係者・家族と連携し支

える事ができました。介護付

き高齢者マンションに住む独

居のBさん、出来るだけ在宅

で過ごしたいという思いをか

なえる為、在宅医療部での家

族参加型カンファレンスを行

いました。医師6名を含め総

勢20名以上を超えるメンバー

が参加し、医師からの病態説

明の後、家族の思いなども伺

いました。「状態も厳しく施

設入所の対象ではないし孤独

勤医協札幌西区病院 在宅医療部 看護師長

大槻 由美子(写真前列左)(おおつき ゆみこ)

1984年 東京都立板橋看護専門学校卒業。東京勤医会代々木病院勤務を経て、北海道勤医協入職。札幌病院勤務を経て、2005年より現職。

住みなれた家での

療養生活を支える

「在宅療養支援診療所」

〜地域からの期待にこたえて〜

特集

 

高齢者を支える看護・介護 

9 ●看護と介護 Vol.34

Page 11: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

死されては困る」という施設

側の事情も解った上で、Bさ

んが入院を拒否している以上

は何とか在宅療養を応援して

いく事を一致させ調整を行っ

ていきました。その内に家族

から「以前から本人の夢で

あった習字の個展を開くこと

ができそうなので、なんとか

参加させたい」と希望が出さ

れました。心不全が悪化し胸

水も増加しており、外出困難

な状態の中、何とか本人の思

いをかなえさせたいと、個展

の直前まで利尿剤の調整や

頻回の訪問診療を行いなが

ら、3日目の個展最終日に外

出をかなえることができまし

た。緊急時の医師への連絡体

制とその他のバックアップ体

制も取り、個展への参加が実

現しました。家族は「車椅子

に座ったままであっても、入

場の際の凛とした姿が忘れら

れない」と喜んでいました。

その後もケアマネージャーか

ら、病状悪化が伝えられ入院

相談はありましたが、本人・

家族の在宅で過ごしたいとい

う思いは変わらなかったた

め、“緊急時に何かあれば連

絡を貰い対応する”という方

針で、外来や当直医への申し

送りを行っていきました。家

族の電話相談にも頻回にその

都度対応し、週2回の訪看と

月2回の往診、更には娘さん

の週1回の泊り込みと施設の

職員の巡回や、ヘルパーの水

分補給援助などを行い、心不

全の悪化を防いでいきまし

た。各関係機関とご家族との

連携と本人の強い意志によっ

て、2007年の1月から肺

炎で緊急入院した12月までB

さんの在宅生活を支えること

ができました。

患者さん・

家族を支える

在支診

 

入院後まもなく危篤状態に

なり永眠されましたが、入院

中も娘さんは毎日のように在

宅医療部の前で職員を待って

いました。病状が悪化し意識

がなくなり、死が間近に迫っ

ていることへの不安や、生き

ていて欲しいと願う娘さんの

辛い気持ちを少し話すことで

落ち着き、また病室に戻って

行く姿がありました。亡く

なった一週間後に挨拶にみえ

られた息子さんからは、カン

ファレンスについて「あんな

に大勢の方に来て貰い話し合

いが出来たことが嬉しかっ

た。母の夢だった個展に参加

でき本当に病院のお陰です」

と感想を述べられました。

 

最近、インターネットで情

報を知った高齢の親御さんを

持つ子供さんからの相談電話

も増えてきています。また、

介護が必要な方もサービスを

使い施設で過ごされていま

す。今後は、政策的に療養病

棟が削減される中で、在宅医

療の充実化が益々求められま

す。在宅で療養しながら生活

しているAさんやBさんのよ

うな方々や家族が、24時間、

365日安心して相談・対応出来

る体制と地域に根ざした安心

の医療を提供できる体制が必

要と考え、4月に在宅支援診

療所を病院近隣に開院予定

で、現在準備を進めています。

 

自宅で療養されている方

が、在宅で安心して過ごして

頂けるように、24時間対応可

能な診療所として制度化され

ました。短縮して在支診と

いっています。24時間在宅を

支援するためには、夜間は待

機制で患者さんに連絡先を明

記した文章が渡され、緊急の

連絡が出来ます。又、病院と

の連携で入院対応も出来る体

制をとっていること、更に地

域の他のサービス担当者との

連携を持つことも決められて

います。職員の体制は医師と

看護師数名で行います。西区

病院に近接した斜め向かいに

開設予定です。

在宅療養支援診療所の紹介

看護と介護 Vol.34● 10

Page 12: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

はじめに

 

在宅で支える対象者は多様

化してきている。対象者が変

化してきている中、援助を提

供する際には援助者も、その

援助の内容や考え方を変えて

対応していくことは言うまで

もない。今回、胃瘻造設した

70歳代男性のA氏を支えるた

めに、様々な介護部門が関わ

りを持ち援助にあたった。胃

瘻造設前後で変化していくA

氏を支えるために他職種で援

助する際、援助に必要な視点

とチーム間での情報を共有す

ることが重要であることを確

認できたのでここに報告す

る。研

究方法

1.研究期間:2006年8

月~2007年2月

2.研究対象:在宅利用者本

人と家族

3.研究方法:事例検討・文

献学習

4.データ収集法:5事業所

で事例をまとめ、重要な

要因を抽出

5.データ分析法:抽出要因

の分類と文献照合

6.倫理的配慮:対象者およ

び家族に研究の意義を説

明し、同意を得ている。

事例紹介

70歳代 

男性 

要介護4

70歳代の妻と二人暮らし

疾患

 

#1 

脳梗塞後(右肩麻痺)

 

#2 

脳血管性認知症

 

#3 

糖尿病

 

#4 

誤嚥性肺炎

利用サービス

2000年~居宅・訪問看護

その人らしく

地域で生きるために

多種事業種の関わり

から見えたこと。

特集

 

高齢者を支える看護・介護 

③歌志内居宅介護支援事業所 ケアセンター長(看護師)訪問看護ステーション兼務

児玉 悦子(こだま えつこ)1988年 砂川市立病院附属高等看護学院卒業。砂川市立病院勤務を経て、1991年 北海道勤医協入職。神威診療所勤務。1998年 うたしない訪問看護ステーション勤務2000年 ケアマネージャー資格取得。2004年より現職。2005年 認知症ケア専門士資格取得

11 ●看護と介護 Vol.34

Page 13: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

2002年~Aデイサービス

2003年~Bヘルパーステー

ション

2006年~物忘れデイC

経過:

 

在宅で生活中、2006年

5月#4で入院。入院中は唾液

でもむせ胃瘻造設となる。入

院中より、非経口からのスト

レスが増し暴力的・拒否的な

言動が現れる。その為、経口

での1日1回のミキサー食と

プリン・ゼリー等の間食許可

を得て8月に退院し、在宅生

活の再スタートを切る。

関わりの実際

1・居宅介護支援

  

事業所

 

在宅での療養生活がスター

トすることになり、改めてA

氏を理解する為に生育歴・生

活歴を具体的に知っていっ

た。

13歳より漁師の船頭を勤め、

40歳代は建設会社の社長を

して多くの人を使ってきたこ

と、事業では裏切られるなど

の失敗の体験があることが

わかった。こうした人生背

景を念頭に、A氏らしく生

活出来ることを目標にケア

プランを作成して担当者会

議で伝えていった。

2・訪問看護

 

退院後のA氏は表情も硬

く、医療者に対して拒否的

であった。看護師の話に耳

を貸さない様子や経腸栄養

剤の注入なども自己判断で

行う様子があった。そこでま

ず信頼関係の構築を第一の目

標とし、本人の意志を尊重し、

制止や否定をしないように心

がけた。退院2ヶ月後に介護

負担から妻の体調が悪化した

ことをきっかけに、「妻が倒

れると在宅生活が維持できな

いためA氏の協力が必要であ

る」と働きかけた。翌日から

自分でできることはするよう

になった。これらの状況につ

いては担当ケアマネージャー

に随時相談報告し、連携を密

にした。

3・訪問介護

 

胃瘻造設後の訪問介護の主

な役割は、ミキサー食の調理

支援であった。初めて調理し

た時にはひとつ残らず短時間

で食べる様子が見られた。調

理前にはA氏に食材を見せ一

品一品説明を加えるようにし

た。経過の中で徐々に着替え

を進んで行うなど、見守りの

みでよい状況になっていっ

た。元は漁師の船頭や会社の

社長であったという情報や、

夫としての役割を踏まえ威厳

を保ち、障害があっても自分

らしく生活していくことをA

氏が望んでいると察すること

ができた。これらのことから、

A氏に対して絶対にせかさ

ず、焦らせず、じっくり待っ

た上で関わるということを心

がけて援助していくようにし

た。

4・デイサービス

 

入院前のA氏は臥床がち

で、体操なども見学すること

が多かった。以前と同様にね

じり鉢巻に首もとにはタオル

をかけてデイサービスを利用

していた。歩行は杖歩行で

あった。ある時A氏からデイ

サービスにプリンを持参した

いという要望が出された。通

常は許可されないが、A氏に

は固形物を摂取することがで

きないつらさがあることを踏

まえて検討し、持ってきて良

いことを伝えていった。その

頃からA氏はゲームをする時

には鉢巻きを締め直し、手も

みをしてから参加するように

なり、この姿から昔の仕事を

仕切っていた頃のA氏が想像

できた。カラオケでは思い出

の曲に涙され初めて歌った。

こうしてデイサービスに来た

時にはその日一日を楽しく過

ごすことが出来るようにな

り、現在はA氏らしくいられ

るような関わりを目指してい

る。

5・物忘れ

  

デイサービス

 

胃瘻造設後に新規の依頼が

あった。持参したプリンは常

時携帯し食べる時間も本人に

任せた。又ミキサー食は、形

がない分美味しい食事を提供

したいと色々工夫をした。関

わりでは、A氏の優しさや

リーダー的素質を感じたの

で、人の役に立つと思えるよ

うな場面設定や大工仕事が好

きだという情報があったので

立体ハンガーをあえて壊し組

み立ててもらう等を行った。

認知症があっても意志があ

る。自分の意志が出せる自由

な空間、そして楽しむ時間を

看護と介護 Vol.34● 12

Page 14: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

提供できるよう関わっていっ

た。考

 

振り返ると、胃瘻造設を境

にA氏が変わった。造設前は、

思うように食べられず非経口

となった事から、暴力的で他

者との関係がこじれる事もし

ばしばあった。しかし、造設

後は様々な制約がある中で

も、自分の食べたいときに食

べ、ムセもなく安心して食を

楽しむことが出来た。A・H

マズローは人間の基本的欲求

として、生きていくために最

低限必要な条件、空気・水・

食物・睡眠・性に対する生理

的欲求が最初に満たされるべ

きであり、それが満たされた

場合に次ぎの欲求に向かうと

述べている。A氏にとっても

「食」=「生きる上で重要で

あり安心事」であったのでは

ないかと確信した。

 

A氏をもっと理解したいと

いう思いから生育歴・生活歴

を知ることとなり、得た情報

を各事業所と共有した。大野

氏は、対象者の生活を総合的

に理解するアセスメント視点

として、生活史「ライフヒス

トリー・生育史・家族史」を

重視し、その中で原因や方針

を見いだすことが必要だと述

べている。

岩井氏はそれぞれが育った歴

史・文化背景が考え方や反応・

行動に大きく影響すると言っ

ている。A氏には、これまで

の船頭・社長・裏切り・妻の

支え等から、自尊心・警戒心

が強く、亭主関白で妻を守っ

てきたという自負などが推測

された。食に関しても、いつ

食べられるかわからない時代

背景で育った事や食べて体力

をつけないと出来ない仕事を

してきた事等が今の食行動に

影響していた。関わった人々

はこれらA氏の背後を想像し

ながらの言葉掛けや援助の方

向性を見いだしていった。そ

の中でA氏も自然体を表出し

ていくようになり、現在も安

定した在宅生活を継続できて

いる。

結論

1.健康を損ねている対象者

を援助する際、人間の基

本的欲求の充足・未充足

の視点を持つ。

2.“今”のその人を理解す

る為には、その人の歴史

を知ることが大切であ

る。

3.情報共有しチームとして

取り組む時に、その人ら

しく地域で生活する為の

援助の方向性が広がる。

おわりに

 

複数の事業所、多数の人が

参加することで、利用者に

とって援助の幅が広がること

は明確である。

 

しかし、同時に援助の方向

性が多種となる危険性もはら

む。そうならない為にも、ケ

アマネージャーがリーダー

シップをとり、チームをまと

めていく役割を担っていると

改めて実感した。

参考文献

1)「人間性の心理学」A・H・

マズロー著 

小口忠彦訳 

業能率大学出版部 

1987

2)「利用者のためのケアマネー

ジメント」大野勇夫著 

あけ

び書房 

2004年第4刷

3)「臨床看護総論」岩井郁子著

他 

医学書院

13 ●看護と介護 Vol.34

Page 15: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

はじめに

 

近年、自宅で最期を迎えた

いが家族の状況から困難な

場合、老健での最期を希望

される方がふえてきている。

2005年度の全国老健協会

の調査では三分の一を超える

老人保健施設(以下老健)で

看取りが行われている。当施

設では1999年(開設2年

目)から本人と家族の強いご

希望があって毎年4名から6

名の方の看取りを行ってき

た。その多くは認知症を有す

る高齢者である。今回、当施

設に5年間入所されていたA

さんを、家族と一緒に心をこ

めて静かに看取ることができ

たので報告する。

当施設での

ターミナルケア

の考え方

ターミナルケアの

 

基本方針

①本人・家族からの希望が明

確である事

②認知症高齢者は本人の意思

決定が困難であるため、家

族の意思確認を慎重に行う

③終末期であっても急性疾患

合併の場合は病院での治療

を優先する

④当施設での医療行為で身体

的苦痛が除去できる

ケアプランの実際

①病状変化時のインフォーム

ドコンセントの実施

老人保健施設での

ターミナルケア

特集

 

高齢者を支える看護・介護 

④勤医協老人保健施設・柏ヶ丘療養生活部 看護師長

谷井 紀美子(たにい きみこ)

1975年 北海道社会保険高等看護学校卒業。同年 北海道勤医協入職。札幌病院、北区病院、勤医協札幌看護専門学校(専任教員)、西区病院勤務を経て、2005年より現職。1998年 ケアマネージャー資格取得。 2006年 認知症ケア専門士資格取得。

看護と介護 Vol.34● 14

Page 16: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

 (最期をどこで迎えるかは、

あくまでも本人・家族の選

択とする)

②予測される急変・合併症に

ついての確認

③可能な限り、家族が加わっ

てのケアと看取りの実施

④なじみの関係と普通の生活

の継続

⑤無理のない出来る限りの経

口摂取

⑥入浴・排泄その他において

の安全・安楽なケア

⑦個室の利用・環境づくり

⑧看取りの体制の整備(休日・

夜間の医師体制・師長待機)

事例紹介

●Aさん 

90歳代 

女性 

介護4 

●障害高齢者の日常生活自立

度 

C1

●認知症高齢者の日常生活自

 

立度 

Ⅲb 

●行動障害あり(被害妄想、

 

幻視・幻覚、昼夜逆転、介

 

護抵抗)

●病名#1認知症 

#2脳梗塞後

遺症 

#3右大腿部頚部内側

骨折後

●家族構成 

夫、長男、次男

は他界。長男の嫁と2人暮

らし。

三男はB市在住。

●生活歴 

22歳で結婚、子供

3人育てる。農業を営むが

離農しB市へ転居後アパー

ト経営を行う。

実践内容

 

1995年から2002年

迄の7年間、大腿骨頚部内側

骨折後のリハビリ・療養目的

でA病院に入院する。介護

者の嫁が病弱なため在宅生活

は困難であり2002年から

当施設に入所、老人福祉施設

(特養)待機となる。入所時

Aさんは歩行器歩行をし、身

の回りのことは自分で行い、

施設の日課や行事に参加して

いた。入所については「家族

には頼らず、ここで生活して

いきたい」と受けとめてい

た。頑固な一面もあり意思

表示ははっきりとしていた。

2004年1月、肺炎のため

入院治療を行い再入所とな

る。

 

その後は、車椅子使用とな

り認知症の進行と昼夜逆転、

妄想、幻覚、幻視などの症状

が時折みられた。2005

年後半からは日中も傾眠強

く、水分摂取時ムセが出て

きたので粘調剤を開始する。

2006年に入り、離床し車

椅子に移乗しても眠っている

ことが多くなる。安全に少し

でも食べられるように栄養科

と連携し、栄養補助剤の使用

や食事の時間・体位の工夫、

食事の形態を何度も変更する

など、食べることを重点にケ

アを行った。嫁は本人の好き

な果物を持参し定期的に面会

に来設され、Aさんの環境を

整えていた。2007年5月

頃から咀嚼力の低下、自力で

の食事摂取が困難となって

いった。7月、「どう最期を

むかえるか?」嫁が一人で判

断するには迷いもあり、疎遠

だった息子に連絡し入所後始

めての面会が実現。息子同席

により、本人とともに話し合

いをもった。家族は「ここま

で頑張ってきた。高齢なので

これ以上辛い思いはさせたく

ない。ここで最期までみてほ

しい。」と希望される。胃ろ

うなどは実施せず自然な形で

経過をみることを確認する。

チームとして家族と協力しな

がら穏やかな最期を迎えるこ

とが出来るように援助してい

くことになった。居室も家族

と一緒にいる時間を大切にす

皆さんフーセンバレーに力が入ります。

15 ●看護と介護 Vol.34

Page 17: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

るために個室へ移動した。7

月10日、入所後、家のことを

口にしたことがなかったAさ

んが「帰りたい。家に帰って

ご飯食べたい。」とはっきり

と話された。最期の願いに応

えようと嫁に連絡し、急変も

ありうることを理解しても

らった上で、早急に準備を

行った。翌日、看護師・介護

福祉士と一緒に片道30分かけ

自宅まで外出し、仏壇の前で

手を合わせ、ゼリーを食べる

ことができた。外出中、息子

夫婦も来てくださり施設では

見ることがなかった満面の笑

顔で家族と一緒に自宅で時を

過ごすことができた。居室に

外出時の写真やお花を置き環

境を整え、家族に本人の様子・

職員のAさんに対する思いを

伝える連絡帳の作成を行っ

た。安全・安楽に気をつけ日

常生活のケアも継続していっ

た。最期は嫁も施設に泊まり

Aさんに寄り添い、外出7日

後に嫁に看取られ苦痛を伴わ

ず静かに息を引き取った。

考察

(この事例から

学んだこと)

 

Aさんにとって老健は、環

境の変化がない住み慣れた場

所、なじみの人々に囲まれた

「安らかな最期」を迎える場

とすることができた。職員の

中には老健で看取りを行うこ

との迷いや葛藤もあるがカン

ファレンスを重ね職員間の意

思統一を行い、看取りは特別

なケアではなく日常生活の支

援が大切なことを確認してき

た。又、Aさんが望んだ「家

に帰りたい」との願いを家族

と一緒に実現できたことは、

家族にとっても職員にとって

も「できる限りのことをやり

きった」との思いを共有でき

た。Aさんが自宅の仏壇の前

で手を合わせる姿は「最期を

迎える心の準備」とも感じら

れた。言葉では表現できない

「認知症高齢者の心の内」を

くみ取る感性が求められる。

 

最期の療養方針・療養の場

の選択は家族にとって重い決

断でした。最期は疎遠だった

息子さんにも連絡がとれ最期

の看取りを一緒に行うことが

できた。複数の家族との合意

と関わりが必要であり、その

かかわりを通して残される家

族の絆が深まった。

おわりに

 

今後も、柏ヶ丘での最期を

希望される高齢者・家族の願

いに、向き合えるチームづく

りを目指したい。

入所者さん、通所者さん参加のアートフラワーサークルの様子です。

看護と介護 Vol.34● 16

Page 18: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

 

勤医協中央病院に総合診療

病棟ができて、あっという間

に6年が経過しました。今ま

でに総合診療病棟で学んだ研

修医は60名を超えています。

 

ここでは単に病気を診るの

ではなく、様々な問題を抱え

た患者さんを全人的に診るこ

と。屋根瓦方式の研修指導体

制、フィードバックを重視し

た研修評価システム、研修医

が主体的に研修を作っていく

気風などを重視して「日本一

の総合診療病棟」を目指して

います。

 

今年2月末に06世代の初期

研修医が集まり、2年間の研

修医を振り返る合宿がありま

した。研修医はそれぞれの趣

向を凝らしたスライドを準備

して、2年間の研修を振り返

り、今後の課題やプラン、医

師としての夢を語り合いまし

た。その中で多くの研修医が

勤医協中央病院での研修で

「チーム医療」の大切さを学

んだと発言していました。

 

彼らがここで学んだ「チー

ム医療」とは、各科の医師が

科の垣根を超えて、患者さん

のために医療を提供するだけ

ではなく、カンファレンスや

個々の患者さんの問題解決の

際に発揮される「他職種によ

るチーム医療」でした。

 

特に臨床倫理四分割法を用

いたカンファレンスについて

は、総合診療病棟を開設する

少し前から導入しましたが、

例えば癌や高齢者の医療を進

めていくために欠かせないも

のとなっていますし、患者さ

んとしっかり向き合う医療や

看護を続けていく上でぶつか

る様々な「悩み」をお互い理

解し、納得して対応していく

ためにも大切です。

 

臨床倫理四分割法を用いた

カンファレンスは、医師・看

勤医協中央病院 内科科長 医師

尾形 和泰(おがた かずひろ)

1989年 旭川医科大学卒業。1989年北海道勤医協入職。中央病院、札幌病院、芦別平和診療所勤務を経て、現在、中央病院内科科長、総合診療病棟指導医、腎グループ夜間透析主治医、札幌病院腎臓外来担当。2008年4月より、中央病院副院長。

特別寄稿

総合診療病棟での

看護師さんたちとのかかわり

〜カンファレンスとフィードバック〜

看護師に期待すること

17 ●看護と介護 Vol.34

Page 19: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

護師・薬剤師・リハビリ・M

SWなど他職種が参加し「医

学的適応」「患者の意向」「Q

OL」「周囲の状況」の4つ

に分類しながら個々の患者さ

んの倫理的な問題を議論しま

す。医師のみのカンファレン

スでは、医学的な問題に偏り

がちになりますが、患者さん

のことをしっかり捉えたプラ

イマリーナースの発言や問題

提起があり、MSWからは家

族の視点からの発言があり、

研修医も指導医も何が患者さ

んにとって最良なのか、幸せ

なのかという本質的な議論が

必要なことに気付かされま

す。当初は総合診療病棟だけ

で行われていた四分割法カン

ファレンスも、今では病院全

体や他の院所・事業所へ広

がっていますし、毎年、医学

教育学会が開催する臨床倫理

ワークショップには中央病院

の看護師たちが参加し、カン

ファレンス運営や教育のスキ

ルアップを図っています。

 

その他、研修カリキュラム

の中で研修の評価は大切な要

素ですが、総合診療病棟では

毎週開かれる病棟運営会議の

中で、初期研修医や後期研修

医の評価について、看護師を

含む各職種から意見を出し合

い、その意見をまとめて指導

医が個々の研修医にフィード

バックしています。

 

指導医とはまた違った視点

から見ている看護師の評価が

あってはじめて研修医の全体

を捉えることができるような

気がします。まだまだ中央病

院ではこの360度評価は不充分

ですが、いずれ四分割法のよ

うに全体に拡がっていくもの

と確信しています。

 

これからも研修医をあたた

かく、時には厳しい目で見

守ってあげてください。そし

て私たち医療者自身も納得で

きる、患者中心の医療を楽し

く作って行きましょう。

臨床倫理の四分割法

Medical Indication医学的適応

(Beneflcience, Non-malficlence:恩恵・無害)

チェックポイント①診断と予後②治療目的の確認③医学の効用とリスク④無益性(fitility)

Patient Preferences患者の意向

(Autonomy:自己決定の原則)

チェックポイント①患者さんの判断能力②インフォームドコンセント (コミュニケーションと信頼関係)③治療の拒否④事前の意思表示(Living Will)⑤代理決定(代行判断、最善利益)

QOL(Well-Being:幸福追求)

チェックポイント① QOL の定義と評価 (身体、心理、社会、スピリチュアル)②誰がどのような基準で決めるか ・偏見の危険 ・何が患者にとって最善か③ QOL に影響を及ぼす因子

Contextual Features周囲の状況

(Justice-Utility:公平と効用)

チェックポイント①家族や利害関係者②守秘義務③経済的側面・公共の利益④施設の方針、診療形態、研究教育⑤法律、習慣、宗教⑥その他(診療情報開示、医療事故)

引用:白浜雅司のホームページ(臨床倫理の症例検討と山村の診療所の医師の日常を伝えるページ)

看護と介護 Vol.34● 18

Page 20: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

はじめに

 

2006年度診療報酬改訂に

より7対1の看護師配置基準が

設けられたことにより、看護師

の争奪戦が繰り広げられ、看護

師確保は非常に困難な状況が続

いています。北海道勤医協は2

007年度も看護体制は一層厳

しい状況です。法人の第1級の

位置づけでの看護師確保にむけ

た取り組みを行ってきました。

それは勤医協中央病院・札幌病

院の7対1を維持し、急性期病

棟の看護師労働の困難さを改善

するとともに経営的にも重要課

題として取り組んできました。

特に、看護師争奪戦の中で私達

が展望を見いだしたのは、復職

支援セミナーでありその取り組

みについて紹介します。

復職支援セミナーの開催

 

全日本民医連の会議報告で福

岡などの行った復職支援セミ

ナーの効果が非常に大きいとい

う経験を聞き、勤医協中央病院

が3月に第1回目を開催しまし

た。テレビに報道され反響の大

きさと潜在看護師の方々のセミ

ナーに対する期待の強さを痛感

しました。私たちは看護師確保

と潜在看護師の復職を支援する

ため引き続き開催を決め行って

 

北海道勤医協での

復職支援セミナーの

取り組み

  「復職セミナーの取り組み」

北海道勤医協本部看護部後継者対策室 室長

東 幸子あずま ゆきこ 

1982年 道立衛生学院卒業。国立療養所北海道第一病院入職。

1986年 北海道勤医協入職、勤医協中央病院勤務。長沼町立病院勤務を経て 1990年 北海道勤医協入職、勤医協札幌病院勤務。浦河診療所、勤医協西区病院

副総看護師長を経て、2007年5月より現職。

※2008年4月より勤医協苫小牧病院総看護師長に着任。

「復職セミナーの取り組み」

19 ●看護と介護 Vol.34

Page 21: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

きました。主なセミナー講義・

演習内容は、1日目は最近の医

療看護の動向、看護基礎技術(採

血・注射、トランスファーなど)

認知症・嚥下の評価、2日目は

医療安全・感染予防、病院見学、

救急時の初期対応 

BSL・A

EDを看護師だけでなく医師・

放射線技師・リハビリ技師・栄

養士・検査技師・事務で連携し

て行ないました。

 

救急時の初期対応演習では、人

形を使っての実技を行いました。

医師の説明で理解した様子でし

たが、実際実践してみると戸惑い

手が止まっていた場面もありま

した。また、最近の採血・注射

の仕方、取り扱い・感染予防な

ど大きく様変わりしていること

で、ブランクの間に自分の技術

や知識がどの程度通用するのか

など不安な様子でした。しかし、

講義や実技など経験できたこと

「復職セミナーの取り組み」

看護師争奪戦の中で私達が展望を見いだした、復職支援セミナーの取り組みについて紹介します。

参加者 平均年齢 ブランク年数平均 開催日数 正職員採用 病院パート

採用在宅関係パート

中央病院1回目 3月 32 41.06 9.78 3日 1 6 0中央病院2回目 7月 32 40 8.39 3日 3 3 3中央病院3回目 10月 15 34.4 6.87 2日 3 1 0西区病院1回目 7月 21 37.3 7.6 2日 2 2 1西区病院2回目 9月 11 38.64 6.68 1日 0 2 0苫小牧病院1回目 8月 7 39.3 10.6 2日 0 0 0札幌病院1回目 11月 30 34.7 8.2 2日 1 1 2合計(全平均) 148 37.91 8.3 10 15 6

資料1 復職支援セミナーからの採用状況

資料2 関わった主な職種、講義・演習内容(各病院の看護師対策委員会のメンバーを中    心に構成)

職 種 内 容

医師 ●院長からの挨拶●AED演習など

看護師●総師長の挨拶と講義●注射、医療安全。 褥瘡予防演習等

放射線技師・事務 ●リストや修了書、会場案内作り、物品手配、写真撮影等

職 種 内 容

リハビリ技師 ●トランスファー講演と演習等

栄養士 ●栄養管理とNST活動の講演●病院食や経管栄養の試食

検査技師 ●感染予防の講義と演習

その他 ●病院見学時に全職場で説明を行った

看護と介護 Vol.34● 20

Page 22: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

「復職セミナーの取り組み」

で、感覚がもどり少し自信がも

て、参加前より再就職に意欲が

わき大変良かったとの声が聞か

れました。

 

2007年度中に札幌市内6

回、苫小牧1回の合計7回を取

り組み、参加者148名(保健師8名・

看護師90名・

准看護師44名・

助産師6名)

全平均年齢37.9

歳、全ブラン

ク平均8.3年、

また、結婚・

出産・育児な

どで仕事をは

なれ就職の機

会をもてずに

いた現状と出

産育児があっ

ても働き続け

られる職場が

ないという実

態もみえてき

ました。参加

者全員に対し

復職希望等よ

く聞き、何ら

かの形で就職

に繋がるよう

細やかにフォローし、相談にのっ

てきました。その結果、勤医協

関係への就職は31名となりまし

た。

復職支援セミナー

参加者の感想

 

少ない勤務経験と長期のブラ

ンクで不安は大きく医療に関わ

ることへの恐怖心もありました。

「こんな気持ちを何とかしたい」

と思いセミナーに参加しました

が、同じ境遇の人との交流がで

きまた、励みにもなりました。

復職に対し不安は、「これくらい

のこと知っているでしょ。でき

るでしょ」と言われることです

が、セミナーではわかりやすく

「1から」教えてくださり正直

「ホッ」としました。以前使って

いた注射針・AEDなど違い現

在の現場のやり方を学ぶことが

出来、復職に向け第一歩が出せ

たように思います。

おわりに

 

この復職支援セミナーは潜在

看護師たちから待ち望まれ、社

会的にも意義のある貴重な取り

組みです。採用に結びついた方々

は、共通して「勤医協は復職を

支援してくれる病院だ」と思っ

て就職を決意しています。私た

ちはこれまでブランクの長い既

卒看護師を職場で受入れ、育て

る経験が殆どありませんでした。

看護師だけでなく全ての職員で

迎え入れ、誰もが成長できるあ

たたかい職場づくり病院づくり

としても一歩進めてきたと思い

ます。今後も確保運動に頑張り

ます。

21 ●看護と介護 Vol.34

Page 23: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

「復職セミナーの取り組み」

復職支援セミナーに

参加し働くことに

決めました。

 

私は、仕事を辞めてから3年

のブランクがありました。そろ

そろ働こうかと就職活動を考え

ていたときに復職支援セミナー

を知り、どんなことをするのか

興味を持ったので参加しました。

その時、就職の説明も行なわれ

就職することを決めました。現

在、耳鼻科と整形外科混合の急

性期病棟で勤務しています。パー

トなので注射と耳鼻科処置業務

を主にしています。時には失敗

し落ち込むこともありますが、

最近は安全注射ラウンドで満点

をもらえるようにもなりました。

これからも頑張ろうと思ってい

ます。

ここであれば、

専門職としての学びを

深められると実感。

 

7月の復職支援セミナーを受

講し、8月から札幌病院で病棟

勤務しています。

 

わたしは37歳で免許を取得し

ました。看護職としての経験は

1年9ヶ月と浅く、不安でいっ

ぱいでした。しかし、ここであ

れば専門職としての学びを深め

ることが出来るのではないかと

いう印象を受け、復職後はそれ

を実感しています。今まで自分

が経験したことがないカンファ

レンスに刺激を受け、ベッドサ

イドでは患者さんからの学びも

あります。迷ったり、悩んだり

することも多い日々ですが、明

るく元気の良いスタッフに囲ま

れ、パワーを分けてもらいなが

ら頑張っています。

熱意ある指導に、

「早く仕事がしたい」と

胸が熱くなった。

 

昨年の7月、復職支援セミナー

に参加しました。

 

前の病院を退職し、4年のブ

ランクがありましたので、技術

的な面での不安もありましたし、

最近の医療や看護の動向につい

ても興味があり、仕事をはじめ

ようと思っていた私にとっては

本当にありがたいものでした。

セミナーに参加して10年以上ブ

ランクのある方々とも様々な話

が出来たこと、感染予防講義や

体位交換、採血の実技はとても

貴重な体験でした。また、師長

さんや主任さんの温かく熱意あ

る指導が印象的で、「早く仕事が

したい」と胸が熱くなったのを

覚えています。復職して5ヶ月

経ち、まだ慣れないこともあり

ますが、周りのスタッフに支え

てもらいながら頑張っています。

これからも復職を考えている人

達のために、セミナーを続けて

いって欲しいと思います。

復職支援セミナーに参加して

  セミナーをとおして就職した職員の声

勤医協中央病院4東病棟パート

倉 ヒサ子くら ひさこ

勤医協札幌病院4階病棟

齊籐 朋美さいとう ともみ

勤医協札幌西区病院3病棟

曽山 暁そやま あき

看護と介護 Vol.34● 22

Page 24: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

 

今回私は気管切開によって呼吸を

管理しているA氏のサクションを施

行するにあたり、痰の量が多く、粘

調度が高いA氏に対し、なかなか決

まっている吸引時間内に痰が取りき

れず、また、その痰はサクションで

取りきれる位置にあるのかどうか判

断することが難しく、どうすればA

氏にとって安全に、かつ確実にサク

ションを施行することが出来るのか

問題意識を持った。そして、A氏が

少しでも療養生活を安全に過ごせる

ように自分も学びたいと思った。気

管切開の構造やA氏の病態を理解す

るなかで、気管切開やサクションは

A氏の命に関わる呼吸を管理するた

めのなくてはならない大切な処置だ

ということを学んだ。ただの手技と

してサクションを行うのではなく、

サクションはA氏が安全・安楽に呼

吸するために必要な看護のうちの一

つであるということを意識し施行す

るということが重要である。この学

びをここで報告する。

 

A氏 

60歳代 

女性

 

#1 

脳出血(左視床出血)  

 

#2 

水頭症

・#1の左視床出血から中脳まで血腫

が及び右麻痺・意識障害(JCS=

200)が現れる。血腫周辺には

脳浮腫が生じ、頭蓋内圧が上がって

しまう。A氏はこれに対し、保存的

治療を行うも血腫が増大してしまっ

た。これにより脳室内に血液が溜ま

り、脳脊髄液(髄液)の流れを閉塞

すると髄液が貯留して脳室が拡大し

#2の水頭症が発生してしまう。水頭

症により髄液の循環が障害される

と、さらに頭蓋内圧が亢進してしま

い、頭蓋内の頑丈な保護構造のため

はじめに

勤医協札幌西区病院

4病棟 

看護師

石垣

 菜穂子

2007年 勤医協札幌看護専門学校卒業。同年北海道勤医協入職。

勤医協札幌丘珠病院1病棟勤務を経て、2007年2月より現職。

い し が き   な お こ

卒後研修の取り組み 卒後1年目

気管切開の呼吸管理における

サクションの必要性を学んで

事例紹介

A氏の病態

卒後研修の取り組み

研修

23 ●看護と介護 Vol.34

Page 25: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

に、脳実質や血管系が圧迫され障害

されると、わずかな隙間に向かって

脳が押し出されてしまう。これを脳

ヘルニアといい、脳ヘルニアの進展

とともに意識障害や呼吸障害などの

重篤な症状が見られてくる。実際A

氏にも呼吸障害が見られていた。#2

の治療として脳室内に溜まった髄液

を排除し脳圧をコントロールするた

め、脳室から髄液を腹腔内へと導く

右脳室―腹腔シャント術施行してい

る。

 

また、呼吸障害・意識障害がある

ため気管切開・胃ろう造設し呼吸管

理・栄養管理を行っている。

 

出血の状態から意識障害の改善は

難しく、栄養管理と合併症予防が主

な治療であり、現在も意識状態変わ

らず、ベッド上全介助のADLであ

る。

 

A氏は痰量も多く、自力喀痰は困

難なため肺炎や窒息などの合併症発

生のリスクが高いため、頻回にサク

ションを行っていく必要があった。

※気管切開とは※

 

気管の輪状軟骨上を正中線上に

沿って皮膚切開してつくられ、気切

口より気管カニューレを挿入し気道

を確保するものである。

・A氏の場合は、#1,#2のため呼吸

障害が出現。さらに右麻痺、意識障

害があることから呼吸を維持するに

は長期間の気管内挿管が必要であっ

たため、気管切開を行い呼吸を管理

するようになった。気管カニューレ

にはカフという空気の入る袋が付

いているものと付いていないものが

あり、カフは挿管したチューブと気

管の間から空気が漏れることや唾液

や吐物が気管に入るのを防ぐ役割を

持っている。

・A氏の場合、意識障害があること

から自力での痰の喀出が出来ないの

と、長期臥床により嚥下機能が低下

し、誤嚥のリスクが高いため、カフ

付のカニューレを使用し誤嚥を防い

でいる。

・A氏は自発呼吸はあるが、誤嚥の

リスクが高いため気管切開をし、そ

こからの痰の吸引を容易にすること

で、合併症の発生を防いでいる。そ

して痰の自力喀出が困難なA氏に

とってサクションにより気道を確保

することは呼吸管理において重要な

看護の一つとなってくる。

 

気道の分泌物を取り除き、気道を

開存することで、正常なガス交換を

行えるようになり、また肺炎や窒息

などの合併症予防につながってく

る。

 

A氏は痰の粘調度が高く、カテー

テルの閉塞を起こしやすいため呼吸

を整えるために1日に頻回にサク

ションを施行している。しかし、サ

クションは気道内分泌物を取り除い

て気道を開存、正常なガス交換を行

えるようにするために必要なものだ

が、同時に患者への苦痛の他、低酸

素血症、無気肺、気道粘膜損傷、気

道感染などのリスクも伴ってくる。

これらは患者への必要以上の吸引や

吸引時間の延長、誤った挿入の深さ

や清潔動作などでも起こりうる。そ

のため、吸引を施行するためには正

しい技術で出来るだけ侵襲の少ない

吸引技術を施行しなければいけない

ことを念頭におき、実践していった。

まず、サクション施行時に呼吸、全

身状態の観察を行っていった。痰が

噴出し血中酸素飽和度の低下はない

か、また痰の貯留部位を明確にする

ため肺音を聴取しサクションを施行

していった。カテーテル挿入時は、

吸引圧をかけた状態で挿入していっ

た。これは、気管内で急激な吸引圧

がかかることにより、気道壁に吸い

付き粘膜の損傷を招いたり、蓄積し

た分泌物を押し込んでしまうためで

ある。

 

実際にA氏にサクションを施行し

ていく中で、初めは何回か施行して

もすっきり取ることができず、どこ

までサクションをすれはよいのか

迷ってしまう部分もあった。しかし、

過度のサクションは患者を長時間低

酸素状態にさらしてしまうため、サ

クションによる合併症を把握した上

で施行すべきであった。

 

そのためサクションを行うときは

吸引圧を100~200㎜Hgとし、5~15

秒の間で、カテーテル挿入の長さは

10~12㎝とし行っていった。またA

氏は痰の粘調度が高く、引ききれな

い時があった。

卒後研修の取り組み

研修

サクションは

患者の回復にどのような

意味を持つか

看護の実践

看護と介護 Vol.34● 24

Page 26: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

 

そういう時は、吸入後の加湿され

た状態の時に行ったり、カテーテル

を太いものに変えサクションを施行

していった。また、気管切開である

A氏は口や鼻を通らず空気が直接気

道に入ってしまうため、乾燥しやす

い状態で、人口鼻を使用することで

加湿を行っていった。これらにより

痰を吸引しやすくすることで、時間

の短縮につなげることが出来た。

 

また、A氏は3時間ごとの体位交

換を行っている。これは、ADLが

全介助状態のA氏に対して褥瘡予防

目的も兼ねているが、同じ部位に痰

を貯留させないためにも重要な援助

になってくる。そして肺音聴取時に

聴取された部位にあわせて体位交換

を行っていった。また、A氏は状態

を見て、1日1回リクライニング車

椅子にて離床を行っている。これも

褥瘡予防を兼ねているが、離床する

ことで肺換気量が上昇し、呼吸状態

の改善目的につながる。これらの看

護を行っていくことで、A氏は肺炎

などの合併症を起こさずに経過する

ことができている。

 

今回、A氏の事例を通してサク

ション技術を学ぶことで、技術とと

もに注意点や合併症などを学ぶこと

ができ、それらを理解することでは

じめて安全に施行できるのだと感じ

た。また、最初はA氏になぜ気管切

開が必要なのか、なぜカフ付きのカ

ニューレを入れているのか曖昧なま

ま技術を施行していたが、A氏の病

態を学ぶことで、気管切開やカフの

必要性を知ることができ、患者さん

の病態を理解することが看護師とし

て大切であり、個別性のある看護を

提供できるのだと感じた。

 

サクションは苦痛を伴うものであ

り、施行前に呼吸・全身状態の観察

を行うことや、痰の症状を観察する

ことで合併症の予防につながり、患

者さんにとっても苦痛の少ないサク

ションを行えるということに改めて

気付くことができた。今までは痰が

あるからサクションする、自分がサ

クションしなければいけないという

意識ばかりが先にきてしまい、患者

さんの状態の観察がおろそかになっ

てしまっている部分もあった。痰が

サクションで引ける位置にあり、患

者さんにとって必要であるかどうか

を判断することが大切である。そし

て、サクションは患者さんが安全・

安楽に呼吸するための看護の一つ

であり、また、体位ドレナージや離

床は褥瘡予防も兼ねているが、サク

ションと併用することで、より効果

的な呼吸への援助を提供することが

できるのだと感じた。サクションや

離床が必要な患者さんが多くいる中

で、今回の学びはA氏だけではなく、

他の気管切開を行っている患者さん

や、気管切開を行っていない患者さ

んに対しても関わってくることだ

と感じ、A氏以外でも離床や体位ド

レーンなどと併用したサクション技

術を少しずつ自信をもって行ってい

くことが出来るようになった。これ

からも、どんな患者さんに対しても

安全な看護ができるように学び、正

しい技術を身につけていきたいと思

う。

卒後研修の取り組み

研修

考察

25 ●看護と介護 Vol.34

Page 27: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

植木里美

勤医協札幌西区病院

5病棟 看護師

2006年 勤医協札幌看護専門学校卒業。同年北海道勤医協入職。勤医協札幌西区病院勤務。

終末期患者の要求を

実現させるための

看護実践から学んだ事

 

今回、肺癌で脳や骨への転移によ

る右上下肢麻痺や左下肢の病的骨折

があり、全介助状態の終末期患者さ

んが自宅に外泊したいという強い希

望のもと、厳しい家族背景や死の危

険性を伴う多大なリスクの中、患者・

家族と目標を一致させ、他職種の連

携により外泊が実現し、その翌日に

最期を迎えることとなった事例を振

り返り、学んだ事をここに報告する。

A氏 

70歳代 

女性

〈病名〉

 

#1 

肺癌、多発転移

 

#2 

転移性骨腫瘍

 

#3 

左大腿骨骨折手術後

 

#4 

転移性脳腫瘍

 

#5 

右転移性脈絡膜腫瘍

 

#6 

右滲出性網膜剥離

〈病態〉

 

右肺中葉に形成された肺の原発性

扁平上皮癌で、胸壁浸潤認め、脳、

肝臓、骨、左副腎への多発転移が見

られる。中でも、脳への転移性腫瘍

は8箇所もあり、2007年1月上

旬より右上下肢麻痺出現している。

〈生活・家族背景〉

 

夫、長男夫婦とアパート2階で4

人暮らし。夫はADLとしては自立

しているが認知症あり、1日中本人

のそばにいることは出来るが、外泊

時の介護者としては厳しい。また、

はじめに

う え き   さ と み

卒後研修の取り組み 卒後2年目

事例紹介

看護と介護 Vol.34● 26

Page 28: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

長男は仕事上出張が多く、嫁も単身

赴任中にて介護は厳しく、金銭面で

の協力が精一杯。

 

2006年11月末日、自宅の外で

転倒。左大腿顆上骨骨折し、A病院

にて固定術施行。その後、リハビリ

目的で12月末日当院へ転院される。

骨折部位の近位側に病的骨折が見つ

かり、骨転移が疑われたため、肺・

腹部CTの精密検査を行った結果、

肺癌が疑われた。

 

2007年1月上旬には、右上下

肢の脱力が出現し、脳MRにて転移

性脳腫瘍と診断され、麻痺の原因で

あると考えられた。骨折する以前は、

ADLが自立していたA氏が、わず

か1ヶ月程の期間で、四肢のうち、

自由に動かせるのは左下肢のみと

なってしまったため、本人のショッ

クは大きく「どうしてこんなことに

なっちゃったんだろう…」と時折涙

を見せる事もあった。そして、原発

巣の精密検査のため、2007年2

月2日、B病院へ転院となる。経皮

肺生検の結果、肺の原発生扁平上皮

癌と診断された。また、脳への転移

性腫瘍も8箇所見つかり、もし化学

療法を行ったとしても、残された期

間としては1~2ヶ月の違いだろう

という説明を受ける。A氏はこれ以

上の治療を望まず、本人の希望から、

当院でのリハビリ療養を行うことと

なり、一ヶ月後、再度当院へ転院と

なる。

 

A氏は右上下肢麻痺に加え、左下

肢免荷・屈曲制限があり、全介助状

態で1日の大半をベッド上で過ごす

生活であったが、入院当初より「リ

ハビリを頑張って外泊でもいいから

1度家に帰りたい」という言葉を何

度も口にされており、チームとし

てもA氏の要求・思いを捉え、それ

を実現できるよう援助することとし

た。残存機能を保持するためのリハ

ビリは、ベッドサイドでの理学療法

士・作業療法士とともに行い、外泊

という目標に向かい、毎日意欲的に

参加することが出来ていた。また、

元々人と関わることが好きだったA

氏は、2床室での寝たきりの入院生

活に寂しさを訴えることもあり、1

日1回必ず車椅子乗車することを位

置付けた。しかし、骨融解が進んで

おり、長時間の座位や荷重をかける

ことで脊髄損傷の危険性もあったた

め、毎日15分程度と短時間ホールで

好きなお菓子を食べたり、他の患者

さんと会話したりと車椅子乗車がA

氏の日々の楽しみとなった。

 

一方で、外泊に向けチーム・家族

間で具体的に打ち合わせを進めた

が、様々な危険を伴う全介助状態の

A氏を外泊させることは、高齢で認

知症の夫と、仕事が忙しく一日中付

き添うことが困難な長男という家族

背景のもとでは課題が多かった。し

かし、本人の「外泊したい」という

思いは強く、また、医師から死の危

険を伴うという説明を受けても、A

氏の希望をかなえてあげたいという

家族の強い思いは変わらなかった。

 

そこで、外泊に向けて具体的なプ

ランをチームで立てることとした。

まず、外泊中の主なA氏の看護につ

いては医療ソーシャルワーカーの協

力を得て、24時間体制の訪問看護師

へ委託した。A氏の場合、体位交換

ひとつでも多くの注意を要し、書面

だけの申し送りでは困難であると判

断したため、当日付き添う訪問看護

師2名に、事前に病棟でA氏に対す

る体位交換やオムツ交換・食事介助

の仕方・ベッドギャッジアップ時の

注意点・痛み時の対応等など、安全

な援助が施行されるよう細かく打ち

合わせを行った。介護タクシー業者

にも、移動方式や注意点などについ

て確認するなど対応を徹底した。

 

このように、チーム・本人・家族

はもちろん、多くの職種が連携しあ

い、外泊という目標に向かって協力

する体制が整った。

 

外泊への準備が進む一方、A氏は

骨転移による痛みが徐々に増強し、

鎮痛剤の使用頻度も多くなっていっ

経過と看護展開

卒後研修の取り組み

研修

27 ●看護と介護 Vol.34

Page 29: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

た。外泊前日には、明らかな意識レ

ベル低下は見られなかったが、食事

もほとんど食べられない状態とな

り、呼吸苦はないが一時的に血中酸

素飽和度が80代後半まで低下するな

ど、状態は徐々に悪化していった。

それでもA氏は、「明日家に帰れる。

楽しみだよ」と外泊を楽しみにして

おり、「可能な限りA氏の思いを応

援しよう」とチームで思いを一致さ

せた。

 

外泊当日、A氏は体力・気力と

もに限界の状態であったが、笑顔で

「いってきます」と手を振り、念願

の外泊へ出発された。自宅までは病

棟看護師が同行し急変等に備えた。

自宅には親戚が集まり、A氏も会話

を楽しんだりしていたが、序々に痛

みの増強や、呼吸苦等の訴えが聞か

れるようになった。

 

翌日の夕方に帰院されると、「辛

かった…でも楽しかった…」と話さ

れながらも、苦痛表情が強い状態で

あった。意識レベルは呼びかけには

応えられる状態であったが、その後、

徐々に呼吸状態悪化・血圧低下が見

られ、帰院翌日未明。家族に見守ら

れるなか永眠された。

 

終末期を迎えた患者さんには、そ

れぞれに様々な思い・希望があり、

家族や看護チームとしては出来る限

り願いをかなえてあげたいと思う。

「死ぬまでに家に帰りたい」という

思いを抱えている患者さんは多い

が、終末期患者にとって病院外に出

るということは、様々なリスク・死

の危険を伴う。家族の不安も大きく、

願いがかなわずに最期を迎えてしま

うことも少なくない。また、終末期

看護は患者さんや家族とどのように

接すればよいのか、どこまで関わっ

てよいのかを悩み、次のステップへ

看護展開していくまでに時間がかか

る。

 

今回、これほど重度の介護を要す

る患者さんの外泊は、チームとして

もはじめての経験であった。

 

A氏本人はもとより、家族側の条

件にも多くの困難があったため、最

初はどう進めていけばよいのかわか

らず悩んだ。しかし、外泊のチャン

スを逃さないよう、本人・家族・医

師をはじめとする病棟スタッフ他、

多職種が同じ目標に向かって協力・

連携できた事が、死を目前にしたA

氏の外泊の実現へつながったと考え

る。今回A氏を通して、チームの方

針を統一し、患者さん・家族と信頼

関係を築いた上で双方の思いを傾聴

し、満足のいく最期を迎えられるよ

う様々な情報を提供すること、そこ

で互いに目標を一致させ、協力しあ

うことが大切である事を学んだ。ま

た、限られた時間の中で看護展開し

ていかなければならないため、時期

の見極めも非常に重要である。今回

の事例は、まさに患者・家族参加型

看護展開の実践であったと感じてい

る。

 

高齢化社会が進む中で、終末期を

迎える患者さんがますます増えてい

くが、これからは今回の学びを生か

し、患者参加型看護計画を有効に活

用して看護展開していきたい。

①患者さんが死を受け止め、余生を

どのように過ごしたいのか早い段

階で思いを捉える必要がある。

②患者さん・家族・看護チームが目

標を一致させることが、要求の実

現へつながる。

③終末期患者の希望を実現させるた

めには、適切な時期の見極めが必

要である。

参考文献

・臨床外科看護各論/北島政樹ほか

・健康障害をもつ高齢者の看護/鎌田

ケイコほか

考察

結論

卒後研修の取り組み

研修

看護と介護 Vol.34● 28

Page 30: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

卒後研修の取り組み

研修

 

当回復期リハビリ病棟では、多く

の在宅退院を支援している。しかし、

在宅退院後まもなく、再入院となっ

てしまった事例もある。自分たちの

援助が対象の意向に沿ったものだっ

たのか、在宅生活を継続していける

内容であったの考えさせられる。今

回、関節リウマチによりほぼ全介助

状態、日中独居であるA氏の「自宅

へ帰りたい」「寝たきりにはなりた

くない」という思いを受け止め、チー

ムで在宅復帰を支援し、退院を迎え

ることができた。在宅生活を継続し

ていくために、自宅に帰るために必

要な援助だけでなく、退院後の在宅

生活を想定し、各職種がそれぞれの

役割を発揮し、連携することの重要

性を学んだのでここに報告する。

A氏 

70歳代 

女性 

要介護4  

 

#1 

大腸憩室出血手術後

 

#2 

慢性関節リウマチ

 

#3 

右大腿骨骨折術後

 

#4 

頸椎手術後

 

身体障害者手帳1種1級

 

長男:外科医 

次男:会社員 

A

氏と同居、2ヶ月に1回出張あり。

 

看護師として働き結婚後専業主

婦。35歳で#2発症。骨破壊による痛

み・機能障害に対しての治療のため

全身に手術歴あり。元リウマチ患者

会会長。今回、#1のためクリッピン

グ手術後リハビリ目的にて当院入院

となる。

 

A氏と家族に研修目的と個人が

特定されないよう配慮することを伝

はじめに

金澤

 彩絵果

2005年 勤医協札幌看護専門学校卒業。同年、北海道勤医協入職。

札幌病院3-2病棟、浦河診療所勤務を経て、2008年 現札幌病院3-2病棟勤務。

か な ざ わ   さ え か

卒後研修の取り組み 卒後3年目

在宅退院への取り組みと

継続看護の重要性について

事例紹介

倫理的配慮

勤医協札幌病院

3-

2病棟 

看護師

29 ●看護と介護 Vol.34

Page 31: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

え、理解と同意を得て研修発表する。

 

入院時から在宅退院の希望あり、

食事とトイレ動作の自立を目標にあ

げ、関わっていった。入院時、尿留

置カテーテル留置中、排便のみ車椅

子トイレ使用。体動時の腰痛・左大

腿部痛と全身の体力・筋力低下があ

りADLほぼ全介助であった。

 

食事摂取は、フォークで口元まで

もっていく事はできるが可動域制限

と疲労により数口程度しか自力摂取

できず。自助具を使用することや上

肢のリハビリをしていったが実用的

にはならず、機能維持目的で自力摂

取を促していった。

 

トイレ動作の自立に向けて、入院

時から痛みのコントロールをはかっ

ていった。痛みが軽減したこと、尿

留置カテーテルの長期留置により尿

路感染を繰り返していたことから、

カテーテルを抜去し、尿路感染の治

療をしていた。その後、トイレ回数

の増大により左大腿部痛が増強し、

リハビリが進まず、モチベーション

が下がってしまった。そのため、痛

みが軽減し、ADLを低下させない

ことを目標にして援助していった。

座位での痛みの増強があるため、リ

クライニング車椅子を使用しながら

離床する時間を設け、筋力を低下さ

せないよう床上でのリハビリを継続

した。夜間のトイレの回数が多く痛

みの増強があったため夜間は尿器を

使用し、痛みの原因の追及と痛みの

コントロールをはかっていった。心

電図・レントゲン撮影では明らかと

なる原因は不明で、薬物による対症

療法を行い、徐々に痛みは軽減して

いった。モチベーションが低下して

いるなか、在宅生活の具体的なイ

メージを持ちA氏の療養生活・リハ

ビリへの意欲を高めること、在宅退

院に向けて家屋状況を把握し問題点

を明らかにすることを目的に、ケア

マネージャー・ヘルパーも参加し、

退院前訪問を実施した。その後、「も

う少しリハビリをしたら家に帰れそ

うだね」と、在宅退院のイメージが

でき、順調にリハビリが進んでいっ

た。リクライニング車椅子に座位で

いる時間が徐々に延長し、角度も80

度程度まで上がるようになった。ま

た、トイレに車椅子で行けるように

なり、移動・トイレ動作の自立は困

難であったが、軽介助となり下衣の

着脱も見守りしているなかで少しず

つできるようになった。

 

在宅退院にむけて、「寝たきりに

だけはなりたくない」という思いが

あり、日中は以前と同じように離床

して過ごしたいと希望された。日中

独居でありヘルパーの利用なしでは

移動、トイレ介助が必要な状態。ま

た、痛みがあり長時間の座位は困難、

入院中は座薬の使用もしており、自

宅での痛みのコントロール方法と、

日中の過ごし方についての検討が必

要であった。ヘルパー利用時にトイ

レへ行けるようA氏の排尿パターン

を把握した上でのサービス調整、尿

路感染再燃の可能性、排便困難にて

摘便することあったため自然排便で

きるようコントロールが必要なこ

と、発汗多量・夜間オムツとなるこ

とでの皮膚状況の悪化と自力体交が

困難なことから褥瘡発生の危険が予

測された。夜間の排尿方法について

は、息子に介助させたくないこと、

夜間にヘルパー導入には抵抗があっ

たため、以前も使用していた長時間

対応のオムツで対応を希望された。

「前はできていたから大丈夫」と以

前の痛みの状況、ADL低下がある

もサービス利用の変更を希望されな

かった。在宅生活で悪化が予測され

る事柄や、訪問看護の利用が望まし

い旨説明するも、「寝たきり老人の

イメージがあって嫌」と利用には至

らなかった。A氏の思いに寄り添い

ながら、在宅生活を継続していくた

めにはどうしたらよいのかと悩みな

がら何度も何度もカンファレンスを

重ねていった。そして、在宅スタッ

フとともに在宅調整会議も施行して

いった。ヘルパーサービス1日3回、

訪問リハビリの利用週1回、自宅で

できる自主リハビリと生活上のリハ

ビリの継続をA氏が続けていけるこ

とを相談し指導した。褥瘡予防マッ

トとリクライニング車椅子のレンタ

ルが追加となった。

 「家に帰りたい」という思いある

も、痛みが完全には無くならないこ

と・自宅へ帰る事への不安等あり「家

にまだかえりたくない」という思い

もあった。入院中でサービス利用は

できないため外泊でイメージをもっ

てもらうことはできず、医師より本

人・家族へ退院前の説明をし、不安

を軽減できるように本人へ今後予

想されることや予防について啓蒙し

た。また、継続的に看護し、A氏が

スムーズに在宅生活に戻れるように

看護展開

卒後研修の取り組み

研修

看護と介護 Vol.34● 30

Page 32: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

卒後研修の取り組み

研修

ケアマネージャー・ヘルパーへ添書

で詳しく記入した。退院後のサービ

ス、物品準備が整い、笑顔で退院と

なった。

 

退院から約1ヶ月後、ケアマネー

ジャーとともにA氏宅へ退院後訪問

した。ベッドのギャッチを上げ自力

で座位となり、見守りしているな

かでL字柵を使用し車椅子へ移乗さ

れ、頓服薬は使用せず痛み自制内で

経過されていた。退院してまもなく

リクライニング車椅子使用を中止

し、普通の車椅子に座って日中を過

ごすというA氏の思い描いていたA

氏の生活がそこにはあった。食事も

摂取量は減少したが、昼食にはサン

ドイッチ等の食べやすいものでほぼ

自力摂取されていた。排泄について

は、日中我慢することはあるがパン

ツでヘルパー利用時間内にトイレで

排泄をすませ、夜間はオムツを使用

していた。口渇、発汗量の減少によ

り飲水量は軽度減少あるが、尿路

感染を起こすことなく経過されてい

る。夜間オムツによる臀部発赤の出

現があったが、早急に皮膚科受診と

つながったことで訪問時には改善さ

れていた。「やっぱり家は気楽でい

いね」と入院時より表情は柔らかく

いきいきとしており、息子さんとも

日々様々な話をされ仲良く暮してい

るようであった。しかし、不可逆的

な疾患を抱えながらの生活には今後

も不安があり、「息子を不幸にはさ

せたくないから老人ホームも考えて

いる。でも息子がもう少しがんば

れ、一緒に暮らそうと言ってくれる

からもう少し家で暮らしたいんだ。」

と話される。息子さんは介助できな

いと言っていたが、自宅ではトイレ

介助をするようになったこと、A氏

自身も息子の負担を軽減するために

ショートステイの利用を考えてお

り、お互い相手を思いやりながらそ

れぞれの精神的役割を発揮されなが

ら生活している様子がうかがえた。

訪問看護の導入はせず、退院時と同

様のサービスを継続されていた。

 

今回の事例では、関節リウマチと

いう不可逆性の疾患を持ちながら

「寝たきりにはなりたくない、息子

が帰っておいでというあいだは家で

生活したい」というA氏の思いを大

切にし、関わっていった。A氏は、「前

はできていたから大丈夫」、ADL

の低下や在宅生活の継続をしていく

ための問題点があっても、サービス

の変更はされなかった。スタッフ側

のよいと思う看護援助やサービス利

用が、患者の思い描くものと相違し

てしまう場合がある。しかし、そこ

であきらめるのではなく、患者と寄

り添いながら、A氏が寝たきりとな

る要因をつくらず在宅生活を継続し

ていけるように、退院後を想定した

援助と継続した看護が必要になって

くると感じる。また、退院前には「ま

だ入院していたい」という痛みや今

後の不安もあった。回復期リハビリ

病棟での入院制限のしばりがあるこ

と、入院中では在宅サービスが利用

できない事など、制度上の制約があ

る。外泊以外で今後の不安を補って

いくことや、痛みの原因追及と総合

的なアセスメントで、退院時期を見

極めることも患者さんにとって大切

な援助だと学んだ。退院後訪問の結

果、入院中の援助が継続して行えて

いたこと、そしてA氏が入院中より

もよい状態でいきいきと在宅生活を

継続できていることから、自分たち

の看護援助と継続看護によりA氏の

意向に沿った在宅生活の継続に至っ

ていると確信した。

 

A氏の思いを尊重しながらの関わ

りには、何度もチーム内でカンファ

レンスを重ねていった。病棟スタッ

フだけではなく他職種のそれぞれの

視点から患者をとらえ、目標を統一

させ連携しながら援助していったこ

とから、現在のA氏の在宅生活があ

結果

考察

31 ●看護と介護 Vol.34

Page 33: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

るのだと実感する。リハビリ室での

リハビリを日常的に使えるようにす

ること、生活上のリハビリを大切に

すること、在宅生活でも行える筋力

訓練や生活リハビリの指導の必要性

を学ぶことができた。在宅スタッフ

も参加した退院前訪問で、A氏の在

宅生活のイメージがつくだけでなく

スタッフも問題点の把握ができ確実

な援助につながったと感じる。そし

て、息子は参加できなかったがA氏

を含め在宅調整会議ができたこと、

看護添書により在宅チームとも連携

した援助ができたこと、退院後の継

続的な援助ができ、A氏の頑張りと

息子の支援で在宅生活の継続に至っ

ていると実感した。

 

A氏のサービスは限度額いっぱい

使用しているが、日中トイレを我慢

しなくてはいけないということから

十分なサービスとはいえない。限ら

れたサービスで生活しなければなら

ず、それが利用者の安全や安楽につ

ながっていない。介護保険制度の改

悪により、ますます使いたいサービ

スが使えなくなるなど、利用者の病

気等の予防・安心安全な継続した生

活の支援が充分にはできない制度の

矛盾を感じた。

 

A氏と息子の関係は、遠慮もあり、

直接的な介護援助はないが、助け合

いながら生活している。退院後、訪

問看護でのA氏の発言からもわかる

ように、患者と家族は切り離せない

存在で、どちらか一方が崩れたらも

う片方に影響してしまう。患者だけ

でなく家族も含めて、身体的・精神

的・社会的支援をしていかなければ

ならないことを学んだ。痛みがあり、

在宅での痛みのコントロールができ

ているか心配であったが、退院後訪

問では痛みの増強なく生き生きとし

たA氏に会うことができた。実際に

在宅で生活を送っていく上での不安

の軽減、望んでいた生活、家族で暮

らすことの精神的変化等が在宅生活

でのQOLを高める結果となったの

ではないかと、この事例を通して感

じた。

 

3年間で、民医連の諦めずに患者

さんと向き合い、患者さんの願いや

思いに寄り添いながら、安全・安心

の医療を提供していくことについて

学んできた。また、札幌病院は、患

者さんと共同の営みの医療を進めて

いる。A氏から今の後悔しない人生

があるのは、患者会があってからこ

そという話を聞き、リウマチという

難病を抱えた患者さんの心の拠り所

となっていることを改めて感じた。

今後も、「患者さんの要求からその

人らしく生きること」をチームで支

援していくこと、また、3年目とし

て自分の経験や看護観をチーム内で

発揮し、看護の追求や発信する立場

として

今後も日々看護に励みたい。

参考文献

在宅看護マニュアル 

学研

勤医協札幌病院看護部門理念

勤医協札幌病院看護の歴史 

講演

おわりに

卒後研修の取り組み

研修

看護と介護 Vol.34● 32

Page 34: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

はじめに

〜北海道勤医協ケアワーカー集団のあゆみ〜

 

北海道勤医協は1995年

に高齢者医療を総合的に発展

させる目的で、丘珠病院に老

年期病棟を開設しました。こ

の病棟に12名の新卒ケアワー

カーを初めて配置してから、

今年で13年目を迎えます。

 

続く1997年には、北海

道勤医協でただひとつの老人

保健施設・柏ヶ丘を開設、丘

珠病院から7名のケアワー

カーが参加し、施設開設を成

功させる大きな力となりまし

た。

 

その後も、各病院の療養型

病棟、回復期リハビリ病棟、

地方診療所デイサービス、訪

問介護など、次々と展開され

る介護事業を支えるため、ケ

アワーカー集団は大きな役割

を果たしました。

 

2000年からは、丘珠病

院と老人保健施設・柏ヶ丘に、

主任を1名ずつ配置し、続く

2003年からは主任・リー

ダー会議を定例開催、北海道

民医連規模でのケアワーカー

交流集会にも積極的に参加

し、学びと交流を広げていま

す。

 

現在は6病院・1老人保健

施設・9診療所に136名を配置。

2007年に別法人化した、

株式会社北海道勤労者在宅医

療福祉協会を含めると、160名

にのぼる大きな職種集団に成

長しました。

 

現在18名となった主任集団

を中心に、卒後研修・継続教

育要項作成などに取り組み、

職種としての集団づくりを進

めています。

ケアワーカー座談会

手探りの中で

築き上げてきた、

ケアワーカー集団

としての今。

勤医協老人保健施設・柏ヶ丘 副施設長(保健師)

猫塚 真里子(ねこづか まりこ)1973年 道立衛生学院保健婦科 卒業。稚内市役所勤務を経て、1974年北海道勤医協入職。厚賀診療所、中央病院、丘珠病院勤務を経て、1997年より現職。1998年ケアマネージャー資格取得。2006年認知症ケア専門士資格取得。2008年4月より勤医協丘珠診療所師長に着任。

33 ●看護と介護 Vol.34

Page 35: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

猫塚‥みなさんこんにちは。

本日座長を務めさせていだだ

きます、老人保健施設・柏ヶ

丘・副施設長の猫塚です。今

日はこれまでのケアワーカー

集団13年のあゆみを振り返

り、介護の輝きを勤医協の内

外に伝える座談会にしたいと

思います。どうぞ宜しくお願

いします。

一同‥よろしくお願いしま

す。

ケアワーカー集団が

発足した当時を振り返る

猫塚‥菊地さんと荒木さん

は、北海道勤医協がはじめて

ケアワーカーを採用した95年

の入職、佐藤さんと西島さん

は2年後の97年入職で、みな

さん、これまでのケアワー

カー集団の歴史とともに歩ん

でこられた方々ですよね。新

しい職種集団として発足した

ばかりで、教育や研修制度が

充分ではない中で大変な苦労

や戸惑いがあったと思います

が、当時を振り返っていかが

ですか?

菊地‥僕の時代の就職先とい

えば、特別養護老人ホームや

施設系が中心で、病院はまだ

少数派でした。僕が病院を選

んだ理由は、「医療の現場で

介護職がどれだけ通用するの

か」という思いがあったから

です。でも実際に現場に出る

と、すぐに壁に突き当たりま

した。「最初は看護師から指

示されることが理解できな

い」「何を怒られているのか

そのことすらわからない」そ

ういう状態でしたね。

荒木‥私もそうでした。「私

たちは看護師の下働きじゃな

い」という意識はあるのだけ

ど、「じゃ何をする人?」と

問われれば実際は何もできな

いんですよね(笑)ただ資格

だけを持っているだけ、とい

う感じでした。

佐藤‥私は、「専門職」とい

う理由で介護の仕事を選びま

した。でも現場では、朝の打

ち合わせなどは看護師中心

で、わたしたちケアワーカー

は黙って聞いているだけ。こ

れがけっこう堪えましたね。

「同じ専門職なのに」という

思いを抱きました。

菊地‥「看護師の助手じゃな

い」「何かが違う」とは思い

つつ、実際はどのように職種

としての立ち位置を定めてい

けばいいのか悩みましたよ

ね。それでも看護師が忙しそ

うにしていたら、誰よりも早

くナースコールを取りに行く

とか、自分なりに存在意義を

模索したと思います。介護の

仕事って、看護師はベースと

して持っているものですよ

ね。じゃあどこで勝負するの

か、と自問した時に「生活と

いう場面で専門性を確立して

いきたい」そう思うようにな

りました。

佐藤‥ある日の部会で「ナー

スコールは誰がとるのか」「こ

の仕事は看護師の仕事じゃな

手探りの中で

築き上げてきた、

ケアワーカー集団

としての今。

看護と介護 Vol.34● 34

Page 36: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

い」「なぜケアワーカーがや

らなきゃならないのか」と、

看護師さんたちと言い合いに

なったことがありました。そ

の時、それまで黙って聞いて

いたあるベテランの看護師さ

んがこう言いました。「あん

たたち呆れるね。さっきから

聞いていれば自分たちのこと

ばっかり。ちっとも患者さん

の名前が出てこないじゃな

い」それを聞いて、全員が静

まりかえりました。「チーム

で1人の同じ患者さんに関

わっているのに、どうして職

種の陣取り合戦になるのだろ

う…」と、みんなで反省しま

したね。それからお互いが患

者さんを中心にたくさん話合

いをすることで、チームとし

ての職種を超えた関係性を築

けるようになってきたと思い

ます。

荒木‥私も部会などで「自分

はこういう介護をしたい」と

言えるようになった事で、看

護師さんたちと理解しあえる

ようになってきましたね。

西島‥僕自身、ケアワーカー

という仕事を選んだきっかけ

は、脳性小児麻痺の方のボラ

ンティアの経験が出発点なん

です。その経験から「どんな

ことでも率先して対応する」

ということが、単純に介護の

仕事だと思っていました。ど

れだけ患者さんのSOSに応

えるか、とにかく真っ先に応

えるのが介護だと。ですか

ら、職種同士の軋轢などはあ

まり感じることはなかったで

すね。僕が入職したのはちょ

うど老健柏ヶ丘が7月に開設

する年で、その時は準備段階

でした。最初はすぐに現場に

は入らず、札幌診療所の在宅・

もみじ台内科・丘珠病院など

で、開設までの間、たっぷり

研修させてもらえました。特

に丘珠病院では、1人の患者

さんを担当として持たせても

らって、これまで机上で学ん

できたことを、実際の現場を

通して経験する事ができまし

た。振り返りの時間も充分に

いただくことができて、その

経過のなかで、「ケアワーカー

に求められる事はこういうこ

となんだ」と学ぶことができ

ました。

佐藤‥菊地さん・荒木さん達

先輩世代が、苦労して敷い

てくれたレールという存在も

あったと思います。

 

私の場合は、師長さんが

「ケアワーカーさんのこうい

う感性は大事なのよ」と、私

が書いた記録を見てケアワー

カーとしての感性を誉めてく

ださったり、いろいろとバッ

クアップをいただきました。

これは当時の同僚の看護師さ

んから、あとから聞いた話で

すが、入職したときに師長さ

んから「うちのケアワーカー

さんは凄いよ。だから看護師

も頑張ってもらわなきゃ困る

よ」って言われたそうです。

こういう強い支えがあって

こそだと思いま

す。

猫塚‥医療現場

でケアワーカー

が働くという事

に、戸惑いが

あった時期です

よね。迎え入れ

る側の看護師集

団も、なかなか

勤医協老人保健施設・柏ヶ丘 療養生活部 ケアワーカー主任

佐藤 佳奈子(さとう かなこ)1994年 北海道デザイナー学院専修学校 卒業。1997年 北海道勤医協入職。丘珠病院在職中の2001年、介護福祉士国家資格取得。北区病院勤務を経て、2003年より現職。2005年ケアマネージャー資格取得。2007年認知症ケア専門士資格取得。

35 ●看護と介護 Vol.34

Page 37: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

介護の職種性を理解できず、

双方に苦労があったと思いま

す。

でも、同じ目標を持ちながら

実践する中で、お互いがその

必要性を理解し合い、徐々に

育ちあってきましたね。

独自の卒後研修制度確立

猫塚‥集団化が軌道に乗って

くると、ケアワーカー独自の

教育・研修制度整備に乗り出

しましたよね。看護師の研修

制度を土台にしつつ、独自に

試行錯誤を重ねてきました。

いよいよ03年に「ケアワー

カー委員会」の本格的な立ち

上げに至りますが、当時を振

り返っていかがでしょうか。

荒木‥委員会を立ち上げて最

初の仕事は、「ケアワーカー

継続教育要項」の作成でし

た。「後輩たちにどんなケア

ワーカーになってほしいか」

ということを大事に進めまし

た。これまでの看護師集団と

の関係から、私たちと目指す

ものは同じと実感していまし

たから、民医連としての理念

を大事にしている看護師継続

教育要項を土台にして作りま

した。

西島‥1年目の後輩が「仕事

に慣れるのが精一杯で、とて

も研修レポートをまとめるこ

となんてできない」と言いま

す。確かに自分も最初はそう

でした。余裕がなくて「学ぼ

う」という原動力はなかなか

得にくいんですよね。でも、

「労力を惜しまないことで絶

対に自分の学びになるから」

と後輩に伝えて行く。先輩と

してアドバイスしたり、いっ

しょにまとめたりするので自

分自身も振り返って学べるん

です。そういう相互作用はあ

りますよね。

荒木‥みんな泣きながら必死

に頑張ってレポートまとめて

きますよね。そして、研修が

終わると後輩が一段上のス

テップに成長している。その

姿を見ることのできる喜びは

ありますね。主任として関

わったおかげで、自分自身も

成長できると実感しました。

佐藤‥一時期、研修を進めて

いく中で「病態」が大きな壁

になり行き詰まったことがあ

りましたよね。

 

それで教科書をコピーして

みんなで勉強しましたよね。

西島:患者さんの病態を知ら

ないと、安全で科学的な裏付

けのある介護技術の提供に結

びつかないことに気付いた

からですね。だからケアワー

カーも学ぼうと、みんなすご

く勉強して成長できたと思い

ます。

荒木‥そういう経過の中か

ら、病態を学ぶ大切さを押さ

えつつ、「生活の視点」とい

うケアワーカーの役割も再認

識しましたよね。そうして生

活支援の基本に

立ち返って継続

教育要項に反映

させることが出

来ました。

猫塚‥卒後研修

に取り組んだ当

初は、看護学校

の先生に講師を

勤医協札幌丘珠病院 1病棟 ケアワーカー主任

西島 龍樹(にしじま たつき)1997年 札幌医学技術福祉専門学校 卒業。同年、北海道勤医協入職。丘珠病院、中央病院勤務を経て、2003年より現職。2008年4月より「勤医協老人保健施設・柏ヶ丘」療養生活部ケアワーカー主任に着任。

手探りの中で

築き上げてきた、

ケアワーカー集団

としての今。

看護と介護 Vol.34● 36

Page 38: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

お願いして「人間の生命活

動(食べる・動く・排泄する

等々)の素晴らしさ」とその

活動を応援することが高齢者

にとって、いかに大切かを学

び合いましたね。その後も事

例を通して、生活史を知る意

味や、「人権を守るってどう

いう事?」とか、「私たちの

人間観・高齢者観は?」など、

深め合いましたね。みんなで

頑張って集団的に確認し合っ

てきた到達が、継続教育要項

の介護理念や教育目的に集大

成されたと思います。

集団づくりに力を

あわせて

猫塚‥ケアワーカー集団は、

みんな「若い集団」ですよ

ね。次々と後輩が入職してく

る中で、委員会を独自に立ち

上げたり、専門性や役割を自

らが形づくろうと挑戦する気

概・エネルギーは凄いと思い

ます。その原動力はどこにあ

るのでしょうか?

佐藤‥みんなが集まって語り

合える場を設けてもらえてい

ることが大きいです。ここに

いるみんなが、ちょうど主任

の役職に就き始めた頃で、同

期・同世代同士で不安や思い

を交流することができたとい

うのもあります。もちろん

バックアップしてくれた他職

種の存在も外せません。

荒木‥集まって語り合うこと

でエネルギーが充電されるん

ですよね。様々な病院・施設

で頑張ってることや悩みを、

お互いが励ましあうことが出

来るからでしょうね。でも、

周りから「自分たちで職種を

確立していきなさい」と檄を

飛ばされ続けたことの責任感

もあると思います。

西島‥他職種集団からアドバ

イスされることで、「ああそ

うか、そこが課題だなあ」と

いう発見がありますよね。

荒木:道民医連の研修会に参

加しても、北海道勤医協が先

陣をきって集団づくりをして

きたことを自覚させられる場

面があります。ここまで集

団化出来たのも、基本に芯

のしっかりした理念や研修が

あって、方向性が明確だった

からこそだと思います。

西島‥そうですね。自分たち

が取り組んだことを、形とし

て残す機会を与えられたこと

が大きいですよね。土台づく

りがしっかり出来たおかげ

で、困難にぶつかったり、新

しいことを始める時に、集団

を信頼して立ち返れるので

しょう。僕は集団づくりを通

して、後輩に「これがケアワー

カーの役割なんだよ」って言

うことができるようになりま

した。

菊地‥僕の場合は、途中から

小樽診療所にひとりで赴任し

ていたこともあって、今思う

とケアワーカー全体の集団づ

くりからは外れていたかもし

れません。それでも小樽で「ケ

アワーカーという職種を周り

に伝えたい」という気概は誰

よりもありました。そんなあ

る日、仕事中に「ケアワーカー

さんって遊んでていいね」と

何気なく言われたことがあっ

たんです。その時、「ああ、

ケアワーカーはそういう目

でしか見られてないんだ…」

と、すごく悔しくて、帰り道

で気付いたら泣いてたんです

よ。「それならば、自分がやっ

てること、ケアワーカーとい

う仕事の職種性を、もっと声

に出してどんどん伝えていこ

う」と決めたんです。小さな

事業所のなかにあって、それ

もひとつの集団づくりですよ

ね。

西島‥僕も「看護師さんにな

ればよかったのに」と言われ

たときは「何故?」と思った

ことを覚えています。「自分

は介護をしたくてこの職業を

選んだのに」って。

ケアワーカーとしての

やりがい・専門性の追求

猫塚‥看護師はどうしても

「治療」の視点で捉えがちで

すが、看護師集団としては「ど

れだけ患者さんの力を引き出

すのか」という、ケアワーカー

集団の前向きな姿勢に影響を

受けています。専門性の追求・

職種としてのやりがいという

株式会社 北海道勤労者在宅医療福祉協会勤医協ふしこ在宅総合センター 副センター長(ケアワーカー)

菊地 紀昭(きくち のりあき)1995年 専門学校日本福祉学院 卒業。同年、北海道勤医協入職。 丘珠病院、老人保健施設・柏ヶ丘、小樽診療所勤務を経て、2007年、株式会社 北海道勤労者在宅医療福祉協会入職。同年8月より現職。2001年ケアマネージャー資格取得。

37 ●看護と介護 Vol.34

Page 39: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

点ではいかがですか。

菊地‥僕は最初に丘珠病院で

病棟を立ち上げ、次に老健の

開設、そして今は、在宅事

業・共同住宅の立ち上げに関

わり、周りから「立ち上げ

屋」と呼ばれているんですけ

ど(笑)、ケアワーカーが活

躍する場所を広げてきたとい

う自負があります。小樽にケ

アワーカーとして赴任する

時、「ケアワーカーが地方診

療所で役割を発揮できるかど

うか、菊地君を通して見てい

るからね。」と言われました

ので、そういう使命感もあり

ました。今の勤医協在宅の小

内社長から「菊地君がやりた

いことが、勤医協在宅はどん

どんできるからね」「ケアワー

カーって本書いてないよね?

医者は書いているけどケア

ワーカーじゃまだいないよ。

伝えることが菊地くんの仕事

だよ」と激励されて、「やる

気があれば受け止めてくれる

んだ」「ケアワーカーにはそ

ういう働き方もあるんだと」

思いました。最近講演依頼が

すごく増えてきて、休日返上

で出向いたりします。それが

今すごく楽しいです。それか

ら、先日も友の会の皆様と食

事しながら「自分たちの街づ

くり」という話になりました。

「勤医協在宅にはそういう理

念を持っているから、創造性

を発揮して社会を変えていく

仕事をしよう!」と励まされ

ました。とてもクリエイティ

ブな仕事ですよね。「生きる」

ことを演出していけるという

事に、すごくやりがいを感じ

ます。

荒木‥私は回復期リハ病棟に

異動したとき、「ここでのケ

アワーカーの役割ってなんだ

ろう?」と思いました。限り

なく一般病棟に近いですか

ら、「生活」という視点でど

う捉えるかに迷いがありまし

た。実際に研修などで「役割

が発揮できない」といった、

同じような悩みを聞く場面も

あります。そこで、ケアワー

カーならではの患者さんとの

関わり方を考えました、例え

ば、患者さんの望む洗髪のし

かたや身体の洗い方などを、

患者さんの視線で見つめる。

「それで心から喜んでもらえ

る、気持ちよかったよ」と言っ

てもらえること、それが嬉し

いですね。菊地君のような、

大きなやりがいも見いだすこ

とも素敵だけど、こういう小

さなこともひとつひとつ重ね

て、喜び見つけていくことも

大切かなって感じてます。

菊地‥やりがいは自分で見つ

けるものですよね。

西島‥菊地君から「クリエイ

ティブ」という話が出ました

が、僕は回復期病棟勤務の

時、コーディネーターとして

の仕事にやりがいを見つけま

した。回復期は、最終的には

在宅に帰ることがゴールです

よね。それで「在宅に戻った

後の患者さんの生活」に視点

を置きました。例えば、患者

さんから在宅に戻ることで生

まれる不安を聞き出し、それ

を医療ソーシャルワーカーに

アドバイスをもらいに行く。

病態的な事では看護師から情

報を引き出す。病態からどん

な自助具が必要か、という事

では技師に尋ねる。そうして

得た知識を、自分を通して患

者さんにフィードバックしま

す。よく「患者さんの一番近

くにいるのがケアワーカー」

と言われますが、「患者さん

の視点で考え、他職種の力を

借りて援助するのも、ケア

ワーカーの役割のひとつなの

だ」とやりがいを感じること

が出来ました。

荒木‥「家に帰すだけがケア

ワーカーの仕事じゃないよ」

と、他のケアワーカー主任か

ら言われたことがあります。

「家に帰ったらどんな生活を

送りたいのか」「何を楽しみ

に家に帰るのか」そこをしっ

かり聞き出して援助する。そ

れこそがわたしたちの仕事で

しょうね。

佐藤‥職種として、患者さん

の一番身近にいるということ

は私たちの特権ですよね。

 

私は北区病院で療養型病棟

を立ち上げる時、同じ事を思

いました。医師や看護師など

スタッフの多くは外来から

異動してきた集団でしたの

で、「治療」の視点で進めま

手探りの中で

築き上げてきた、

ケアワーカー集団

としての今。

看護と介護 Vol.34● 38

Page 40: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

すよね。その時、やっぱり私

たちとは視点が違うと悩みま

した。でも、消極的にならず

にどんどん声を出すことで意

見が反映されて、4年後には

チームもまとまってきまし

た。在宅に帰す患者さんも何

人か経験して、それがやりが

いになりましたね。

西島‥患者さんの生活の視点

を持っていること、必ずそこ

に立ち返ることができるとこ

ろが、いい職種だなあって思

いますね。

荒木‥それは回復期病棟でも

在宅でも、どこにいても変わ

らないことですよね。

問題意識・

職種としてのこれから

猫塚‥ケアワーカーは人間が

最期までよりよい人生を生き

る上でなくてはならない存在

です。でも今の日本の社会保

障は、お金のあるなしで利用

者が使えるサービスも制限さ

れますよね。また、ケアワー

カーの社会的立場も確立され

ていません。これから、職種

として社会にアピールしてい

きたいこと、働いていて感じ

ることなどの思いをお聞かせ

いただけますか?

西島‥今回丘珠病院の療養型

病棟は、情勢や経営的な事情

で閉鎖し、西区病院に一部移

転することになりました。勤

医協は「患者の立場に立つ」

という理念のもと、なんとか

50床でも残そうと懸命に努力

をしていますし、介護事業展

開へのビジョンも持っていま

す。ですから、僕はこの勤医

協で働いていて本当に良かっ

たと思います。しかし国の制

度については疑問がありま

す。療養型の入院患者さんや

その家族の多くは、本当にギ

リギリの生活をしています。

療養型を無くすということ

は、そういう方々の生活を奪

うことに等しい。そのことに

は激しい怒りを感じます。例

えば、若い職員が研修で学ぶ

過程で、「こんな不充分な制

度ではやりがいなんて持てな

い」と訴えますが、僕はこの

ことに憤りを感じるだけでは

いけない、署名などで自分た

ちが制度に対してどんどん声

を上げていかなければ変わら

ない、そう思うようになりま

した。

荒木‥「病気があっても家で

生活したい」と思う人がほと

んどですよね。政策として「在

宅へ」という流れ自体はいい

ことだと思います。だけど、

実際に家で生活する充分な条

件を、制度として満たしてい

ないことが問題です。後期高

齢者医療の学習会で、ある患

者さんからこんな訴えを聞き

ました。「自分は戦争に参加

して国のために生きてきた。

これから自分の人生を楽しく

生きようという時に国からこ

んな仕打ちを受けるとは」一

生懸命に生きてきた世代がな

いがしろにされる世の中はお

かしい。お金に縛られた生活

を強いられるというのは本当

にむごいと思います。

西島:変えていく努力と平行

して、制度を受け入れる、と

いうことではなく、制度の中

でどれだけのことを提供でき

るのかを突き詰めていくのも

大事です。

佐藤:患者さんにクリエイ

ティブに接してきたのと同じ

くらい、もっと想像力を働か

せて「こんなことがあったら

もっと便利なのに」と、声を

出していくことが大切ですよ

ね。

菊地‥僕の働く東区は貧困世

帯が多いらしく、共同住宅へ

の関心が高いです。介護保険

には、「住まい」に対する供

給が少ないので、勤医協在宅

では保険外での安心できる住

まいづくりをすすめていま

す。また、この頃通所部門で

は、行政から「画一的ではな

く個性を出せ」と言われます

が、これだけがんじがらめな

中でやれと言われても、個別

性なんか出るわけがありませ

ん。もちろん、それでも利用

者さんが喜ぶように努力はし

ていますよ。それと、この仕

事に就いてから行政とも関わ

るようになり、本別町が認知

症に対して真剣に取り組んで

いることを知りました。「行

勤医協札幌病院 3-2病棟 ケアワーカー主任

荒木 陽子(あらき ようこ)1995年 札幌医学技術福祉専門学校卒業。同年、北海道勤医協入職。丘珠病院、老人保健施設・柏ヶ丘勤務を経て、2006年より現職。

39 ●看護と介護 Vol.34

Page 41: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

政も捨てたものではないな」

と感じる一方、「ではなぜ同

じ事が札幌でできないのか」

と考えることにもつながりま

した。疑問に思ったことは、

どれだけのことができるのか

を考えて挑戦しています。

荒木‥ケアワーカーの社会的

地位ということについては、

社会的にも声が出始めてます

よね。自分たちも職種として

の力をつけていかなければ、

と思いますよね。

佐藤‥重労働で賃金は安いと

言われていますが、他と比べ

勤医協は待遇はよいほうだと

思います。ただもっと現場に

スタッフが増えてほしいとは

思いますね。本部に1人ケア

ワーカー職を置くなどして、

もっと職種としての風通しが

よくなればいいなと思いま

す。

菊地‥僕は、近所の小学校の

教頭先生と色々と世間話をし

ますが、子ども達はケアワー

カーという職業自体知らない

みたいですね。看護師さんは

人気職業ランキングの上位に

入ってるとのことでしたけど

(笑)子ども達が「ケアワー

カーになりたい」と思えるよ

うに、もっと職種として社会

的に認知されるように頑張っ

ていきたいですね。

猫塚‥私自身ケアワーカー職

の立ち上げから関わり、今日

の皆さんのお話を通して13年

という歴史に感慨深いものを

感じました。皆さんと力を合

わせここまで来ることが出来

たことを本当に嬉しく思いま

す。最後になりますが、私た

ちには、百数十名のケアワー

カーの仲間がいます。ぜひこ

の力を幾重にも広げながら、

これからも、お互いいっしょ

に成長していきましょうね。

 

皆さん、今日はほんとうに

ありがとうございました。

一同:ありがとうございまし

た。

年度 職員数 北海道勤医協の高齢者医療・福祉事業 集団づくり・研修

1995 12名 丘珠病院老年期病棟 開設 病棟内でのケアワーカー研修実施

1996 14名

1997 26名 老人保健施設柏ヶ丘開設(丘珠病院から7名異動)

●2事業所(丘珠・柏ヶ丘)での研修委員会発足●合同卒後研修会実施

1998 29名 「ケアワーカー卒後研修要項」作成

1999 33名

2000 52名 ●中央病院療養病棟 開設(33床)●丘珠病院1名・柏ヶ丘1名 主任配置●小樽診療所のデイサービスに配置●本部看護部に「ケアワーカー研修委員会事務局」発足

2001 77名 ●西区病院療養病棟 開設(48床)●札幌在宅事業部設立

2002 111名

●丘珠病院 全館療養病棟化●西区病院 回復期病棟へ●北区病院 療養病棟開設●苫小牧病院 回復期リハビリ病棟開設●中央病院6病棟 休止●在宅事業の拡大

丘珠病院 主任1名増員

2003 138名 中央病院6階病棟(回復期リハビリ病棟)開設

●中央病院・西区病院・北区病院 主任配置●「主任リーダー会議」●主任の外部研修位置づけ●第1回道民医連ケアワーカー交流集会開催

2004 156名 ●札幌病院回復期リハビリ病棟開設

●訪問介護分野に6名採用 (月寒医院・当別診療所・浦河診療所・  みなみ診療所のデイサービスに配置)●「ケアワーカー委員会」発足●「ケアワーカー職員継続教育要項」作成●道民医連主任研修会

2005 162名 ●室蘭診療所・余市診療所のデイサービスに配置●「ケアワーカー職員継続教育要項」発行(4月)

2006 166名 ●「ケアワーカー職員継続教育要項」改訂(3月)

2007 130名●北区病院療養病棟 閉鎖●丘珠病院療養病棟 閉鎖●在宅事業部 別法人化

主任集団18名(5病院9名・老健4名・5診療所デイサービス5名)

看護と介護 Vol.34● 40

Page 42: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

 

中央病院緩和医療プロジェクト

は、病院機能評価機構の認定病院

でもあるという条件も生かしなが

ら、ホスピスケア病棟の開設と緩

和医療チームの活動を軌道に乗せ

ていくことを平成17年9月から準

備してきました。プロジェクトの

メンバーは、副院長と4名の医師、

緩和ケア認定看護師、看護師4

名、事務1名、薬剤師1名で構成

され活動してきました。活動内容

は、札幌南青洲病院から小林良裕

医師をアドバイザーとして招き、

学習会や症例検討会を積み重ねて

きました。「終末期のせん妄コン

トロールがうまくされずご家族が

とてもつらい思いをされました。

看護師は二度とこのような辛い体

験をさせたくない。重度せん妄を

予測した治療や看護について学習

させてほしい」と学習会に参加し

てくれた職員もいます。また、「高

齢者に対するオピオイドの使用

量、オピオイドローテーション

についての知識不足からQOL

を低下させてしまった症例」な

どの報告がされ、関連する病棟

スタッフに参加していただき

検討会を開催してきました。

 

疼痛緩和がうまくされない

ままオピオイドだけが増量さ

れていき、傾眠状態と痛み

が続いているケースを、「困

惑した病棟主任が症例検討

してほしい。集団的に討議した内

「差額ベットをいただかない

   ホスピスケア病棟誕生」

勤医協中央病院ホスピスケア病棟 

看護師長  

加藤 

真由美

1993年 勤医協看護専門学校2科卒業。同年 北海道勤医協入職。中央病院勤務。1993年〜2005年 外科病棟、消化器病棟勤務を経て、2005年 北海道医療大学認定看護師研修センターホスピスケア分野入学。2006年7月 日本看護協会認定 ホスピスケア認定看護師取得。2005年12月より現職。

ホスピス病棟だけはペットを許可されています。

勤医協中央病院ホスピスケア病棟設立経緯について

41 ●看護と介護 Vol.34

Page 43: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

容であれば主治医も治療方法を考

えてくれるのではないか」と提起

し、タイムリーに症例検討できま

した。がん性疼痛には痛みの性質

があり、このケースに使用されて

いたオピオイドは効きが難しいこ

とがあるため、オピオイドの増

量ではなく鎮痛補

助薬の使用がアセス

メントされ主治医に

アドバイスされまし

た。結果、疼痛緩和が

図られオピオイドも減

量でき、副作用の傾眠

も緩和され外泊にも行

けるようになりQOL向

上に繋げることができま

した。

 

症例検討会や学習会の

中で、中央病院に北海道勤

医協に緩和ケア病棟を作ら

なければならない、がん医療、緩

和ケアについて病院全体が学ばな

ければならないという思いがプロ

ジェクトメンバーに強く感じられ

ました。副院長も緩和ケア病棟設

立の意義を様々な場面で伝えてい

きました。平成19年度からはホス

ピスケア経験のある小林良裕医師

が北海道勤医協に復職されること

になりました。医師・緩和ケア認

お茶会の風景。病院周辺の学童保育の子供たちとの交流。新春コ

マ・けん玉競技を披露してくれました。患者さんは懐かしそうに

見つめ、元気な子供たちからのパワーをもらっていました。

看護と介護 Vol.34● 42

Page 44: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

勤医協中央病院ホスピスケア病棟設立経緯について

定看護師も揃い、更に※

がん対策

基本法の設立が追い風となり、北

海道勤医協総会でホスピスケア病

棟設立が決定され、北海道では初

めて差額ベッド料をいただかない

ホスピスケア病棟開設にむけて準

備を進めました。癒しの空間ある

病棟構造、スタッフの学習会、看

護師確保のための取り組みなどギ

リギリまで続きました。9月末に

16名の看護師が初めて顔を揃えた

ときには感無量でした。みんな同

じスタートラインに立ち、自分達

が勤医協のホスピスケア病棟を

創っていこうと誓い合い開設の日

を迎えました。

 

開設から4ヶ月が過ぎました。

沢山の患者さんとの関わりがあり

ます。振り返ってみると幾つか気

づいたことがあります。それは「今

できるケア、患者さんが望むケア

を今やらないと、もう次の日には

患者さんはいなくなっていること

があります。」今できるケア、患

者さんが望むケアをタイムリーに

おこなうこと。あるがままの患者

さんを受け入れて、援助のあり方

をチームで頭を寄せ合って工夫し

て実践することがとても大切だと

お茶会の風景。ピアノコンサート。唱歌や童謡など驚くほど大きな声で歌ってくれた患者さんもいました。

お茶会の風景。中央病院の看護師さんによるおひな祭りのお琴の演奏会の様子。みんなうっと〜り聞いていました。

お茶会の風景。バイオリンとピアノの演奏。ピアノを弾いているのは苫小牧病院の越智先生です。

お茶会の風景。市民オーケストラの三重奏。患者さんもそしてスタッフも癒されたひと時でした。

43 ●看護と介護 Vol.34

Page 45: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

実感しています。ホスピスケア病

棟とは、『患者さんが自分らしさ

を取り戻すことのできる病棟』そ

んな役割を実感し、スタッフ一同

奮闘しています。

※がん対策基本法

 

日本人の死因で最も多いがんの対

策のための国、地方公共団体等の責

務を明確にし、基本的施策、対策の

推進に関する計画と厚生労働省にが

ん対策推進協議会を置くことを定め

た法律である。

クリスマス会の風景その1 患者さんと飾りつけをしています。

クリスマス会の風景その2セラピー犬も登場!一緒に映っているのはボランティアさんです。お茶会の日にボランテイアさんは欠かせない存在です。

クリスマス会の風景その3サンタクロースは小林先生。トナカイは田村先生です。もちろんホスピスケア病棟のクリスマス会はお酒もOKです。パーティーの開始時間は17:30からでした。仕事を終えたご家族も参加でき、お孫さんもたくさんきてくれたり、ホームビデオで撮影したりするご家族もあり、談話室には50名以上が集いました。病棟のナースも白衣から私服に着替え、ボランテイアとして参加しました。

看護と介護 Vol.34● 44

Page 46: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

 

札幌病院3‐2病棟は、白石

区にたったひとつの回復期病棟

として、患者さんの在宅復帰や

次なる生活の場を提供する病棟

として、日々奮闘しています。

 

Aさん(90歳代=女性)は、

幼い頃に母親を亡くしました。

 

結婚し、3人の子供を授かり

ましたが夫が徴兵され、女手一

つで子供たちを育てました。

 

夫を亡くしてから長男と同居

し、在宅療養していました。こ

こ数年は中心静脈注射とバルー

ンが挿入され、寝たきりの状態

でサービスを利用していました

が、長男の入院にともない、当

院への入院となりました。「も

う90になるんだから死にたい。

リハビリなんてやらなくてい

い」と拒否的な言動が多くみら

れました。 

 

家族は、「子供の頃、うんと甘

えさせてもらったから、母には

苦痛なことはさせたくない」と、

毎日、食事介助に来てくれまし

た。

 

しかし、長男の退院の目処が

つかず、長期療養先を検討せざ

るを得なくなり、療養先での受

け入れ基準もあり、バルーンの

抜去を試みることになりまし

た。

 

オムツ交換や飲水を拒否する

Aさんの「ずっと寝ているんだ

から、お腹なんてすかない」と

いう言葉から、離床の機会をもっ

と増やしてみようと、立ち上が

り体操への見学を促しました。

そして 

体操への参加もだんだ

んと定着していきました。

 

同室者と共に院内散歩に出か

け、ラウンジでのお茶会や昔話

をしてから、離床時間が楽しみ

なようでした。

 

病棟トイレで排泄できるよう

になった後もオムツ交換を拒否

し続けていたため、職員が「何

故死んだほうがましだと思うの

か」「何故、オムツ交換を嫌が

るのか」と思い、Aさんに話を

聞くと、「家族に迷惑をかけた

くない」「オムツを買ってくる

のは大変」と思っていることが

わかりました。

「一緒にご家族に迷惑をかけな

い方法を考えましょう。トイレ

で排泄し、元気でいることが、

家族に迷惑をかけないことにな

るかもしれません」と提案して

みました。

 

ナースコール指導を行ったと

ころ、自らナースコールで便意

を訴えられるようになったので

す。

 

2人の介助が必要だったトイ

レ移動も、1人の介助で可能に

なりました。失禁もほとんどな

くなり、悲観的な言葉も消え、

笑顔が増えました。

「何故死にたいと思うのか」と

いう問題意識を大事に、患者さ

んの言葉一つ一つを受け止め、

その背景を知り、看護計画に反

映させ、チームで統一した関わ

りができたことが、Aさんの実

践に繋がったと考えます。

 

高齢で障害があっても残され

た能力の可能性に働きかけ、自

分の意志で1つでもできる事を

増やすことが、意欲向上につな

がっていきます。Aさんからの

学びは、3―2病棟の宝物であ

り、確信の持てた実践でした。

患者さんが発する

言葉の背景を

つかみ

勤医協札幌病院3-2病棟

看護・介護現場からの発信 ①

45 ●看護と介護 Vol.34

Page 47: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

 

進行性の神経筋疾患を持ちな

がらもベンチレーター(人工呼

吸器)の装着をせず、「自分ら

しく生きたい」と願うAさん

(60歳代・男性)を支え続ける

外来での看護実践です。

 

Aさんは2001年、仕事中

の怪我で右肩腱板を断裂し当院

に手術入院、治療を続けていく

過程で、慢性進行性の神経筋疾

患(脊髄性筋萎縮症の疑い)で

あることが判明しました。

その後、嚥下障害などの症状も

現れ、ベンチレーター装着を視

野に入れた方針が検討されまし

たが、公的支援も限られており、

在宅ベンチレーターには経済

力とマンパワーが必要となるた

め、Aさんは「娘に負担をかけ

たくない」と断念されました。

 「自宅(2階にある)までの

階段を上がれなくなったら、娘

のところに移る。でも同居は気

を遣うので、ギリギリまで1人

で暮らしたい」とAさん。

 

2003年の春には呼吸機能

の低下がみられ、秋には下肢の

筋力低下から大好きだった車の

運転もやめました。徐々に自由

や楽しみを奪われ、気もふさぎ、

酒で紛らわすこともありまし

た。しかし、「娘のために」と

いう思いは強く、低下していく

自分の機能を観察し、ベッドか

らの起きあがりや入浴方法など

日常生活動作を少ない負担で出

来るように工夫し、生活補助具

を自作したり、インターネット

や金魚、観葉植物などの新たな

趣味をみつけ、残存機能を最大

限にいかし、生活していました。

 

2004年秋からは、平地歩

行が困難になり、コーヒー皿が

持てないなど四肢の筋力低下も

一段とすすみました。

 

2階住居のままでは、階段か

らの転落の恐れもあるため、リ

ハビリスタッフやソーシャル

ワーカーと話し合い、バリアフ

リーの住宅への転居や電動車椅

子の導入、ヘルパーの利用回数

を増やすことなどを行いまし

た。

 

2005年秋頃からは、靴下

を片足履くだけで息切れするな

ど動作時の呼吸苦も一段と強く

なり、このまま在宅療養を継続

できるか訪問時には誤嚥・感染・

痰詰まりなどに注目しながら観

察を行いました。

 

家事と入浴、外出時の介助な

ど娘さんの介護量も次第に増え

ていきました。

「時間がかかって疲れても動け

るうちは動いて、1人での生活

をなんとか維持させたい」とA

さん。

 

2006年10月から呼吸筋の

低下を押さえようとリハビリを

追加し、現在も在宅療養中です。

 

Aさんとの5年間を振り返っ

て、身体的にも社会的にも様々

な困難を抱えながら「1人暮ら

しを1日でも長く続けたい」と

残存機能を最大限に発揮して

日々を懸命に生きているAさん

の頑張りを知りました。

 

これからも各職種が専門的視

点で関わり情報を共有し目標を

一致させてAさんらしく生き抜

くことを応援し続けたいと思い

ます。

ベンチレーター

装着せず、懸命に

生き抜く

Aさんを支え続け

看護・介護現場からの発信 ②

勤医協札幌西区病院第1外来

看護と介護 Vol.34● 46

Page 48: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

看護・介護現場からの発信 ②

 

集中治療室(ICU)で働く

私たちは、集中治療が必要な手

術後の患者さんや、人工呼吸は

もちろん24時間透析などの特殊

な治療を受ける患者さんの看護

に携わっています。

 

手術後の患者さんはICU入

室後1~2日で一般病棟に移り

ます。重症者の緊急受け入れを

することも多く、1日に何人も

の患者さんが入退室することも

あります。

 

そんな中で患者さんが安全に

治療を受け一日でも早く回復で

きることを目標に看護にあたっ

ています。ICUの患者さんに

は何本もの点滴ラインやドレー

ンが挿入されており、さらに心

肺機能監視装置などのモニター

が装着されています。そのよう

な日常生活とは違った特殊な環

境の中でせん妄になる方も少な

くありません。

 

せん妄の症状は一過性ですが、

その時に誤って重要な管類を引

き抜いてしまうと生命に関わる

事故につながりかねません。

ICUでも管を抜いてしまう事

故が年間10数例起きています。

 

私たちは何とか事故を予防で

きないかと、「神経疾患の既往が

ある」「睡眠剤を常用していた」

などせん妄につながりやすい要

因を点数で表す『せん妄予測ア

セスメントシート』を作成し、

シートを参考にしながら管の自

己抜去防止のための看護計画を

立てていくことにしました。

 

シート使用開始後4カ月間で

は、144名中108人(75%)が「要注意」

「特に注意」で、その内の36人に

せん妄が現れました。実に4人

に1人の割合です。せん妄が起

きた割合が予想以上に高く、ス

タッフも驚きました。

 

急性呼吸不全のAさん(男性

=79歳)はアセスメントの点数

が高く「特に注意」とされる方

でした。入室時は意識が混濁し

ており点滴に触ったり、ベッド

上でモゾモゾ落ち着かないなど

の症状がありました。呼吸状態

が落ち着くと意識は回復し得意

な鼻歌を歌ったり場を和ませて

くれましたが、悪化すると呼吸

も乱れ、無意識に管に手がいく

行動もしばしばみられました。

 

カンファレンスでは対応策を

話し合い、入眠状況と呼吸状態

を重点的に観察し、なるべく日

中は覚醒させておくような生活

リズムに気を配りました。点滴

に手がいっても危険が無いよう

に包帯で保護し、ルート類を束

ねたり、点滴類を目に入りずら

い頭上に置くなどベッド周囲の

環境も整えました。

 

Aさんは安全に治療が行われ、

無事9日目に一般病棟にもどる

ことになりました。当初は意識

のなかったAさんでしたが、移

られる時には私たちに「どうも」

と手を振ってくれました。

 

Aさんの看護を通して私たち

は、患者さんがより安全に療養

できるよう、科学的な予測を持っ

て看護することを学び、日々の

看護実践に確信をもつことがで

きました。今後もさらに患者さ

んが安心し、闘病できるように

奮闘していきたいと思います。

勤医協中央病院集中治療室

せん妄予測

アセスメントシートを

活用して

47 ●看護と介護 Vol.34

Page 49: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

 

浦河診療所は2003年に病

棟を閉鎖し、昨年は3人の患者

さんを自宅で看とりました。そ

の1人Aさんの事例を紹介しま

す。

 

若い頃、土地改良工として建

設現場などで働いていたAさん

(80歳代 

男性)は2006年

6月転倒を機に徐々にADLが

低下、肺炎を併発しました。入

院治療を拒否され、他の医療機

関の往診を受けていましたが、

褥瘡が悪化、食事量も減り点滴

が必要となり訪問看護を導入し

ました。浦河診療所へ紹介され

2006年8月末より当診療所

の管理となった方です。

 

往診開始当初は「どうせもう

死ぬんだ」と生きる意欲も無い

ような状態でした。外来診療が

終わってから連日往診をし、毎

日訪問看護で抗生剤の点滴、状

態観察をし、休日・夜間は外来

の待機看護師で褥瘡の処置、点

滴を行い肺炎・褥瘡の治療にあ

たりました。

 

緊急時に備え、地域の診療所

とも連携を取り在宅生活を支援

してきました。

 

肺炎が改善してからは、AD

Lの向上、奥さんの介護軽減の

ため当診療所のデイサービスを

10月から利用。利用開始にあた

り入浴介助・褥瘡処置のため訪

問看護、外来看護師が援助しな

がらサービスを提供し、ケアマ

ネジャー・訪問看護・デイサー

ビス・外来と他職種でカンファ

レンスや、連携を取りながら支

援をしてきました。

 

毎日、「今日は食べられてい

たよ」「今日は元気だった」「楽

しそうに話をしていた」などの

情報が飛び交い、元気になって

いくAさんを職員で見守ってい

ました。

 

12月、娘さんの誕生日祝いに

大好きなワインを飲めるまで元

気になられましたが、誤嚥性肺

炎を起こし、その後デイサービ

スに通ってくることは出来ませ

んでした。

 

Aさんが最後にデイサービス

の職員に送った言葉は「またい

くからな」でした。その一週間

後ご家族に見守られ息を引き取

りました。

 

病院ならば最期は看護師が体

を拭き、身支度を整えてご家族

に面会していただきます。自宅

で最期を迎えたAさんは、最期

の場に居たご家族、職員と5ケ

月間の思い出を語らいながら奥

さんが顔を拭き、お婿さんが髭

を剃り、娘さんが体を拭き、先

生も体を拭いて見送りました。

 

高齢化が進む浦河町は昆布や

軽種馬など第一次産業が中心。

老夫婦、独居世帯が多く、家庭

の介護力は乏しく、在宅で最期

を迎えられる方はほとんどいま

せん。

 

今年から浦河診療所は医師、

看護体制上、外来待機が出来な

くなり、変わって24時間訪問看

護を導入し、在宅患者・利用者

さんの支援を続けます。

 

A氏が最後に「またくるから

な」と言ってくれたように、地

域に信頼される医療・介護が提

供できるように頑張ります。

「在宅で最期を」

Aさんを

支え続けた5ケ月

勤医協浦河診療所

看護・介護現場からの発信 ④

看護と介護 Vol.34● 48

Page 50: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

看護・介護現場からの発信 ⑤

 

ぽぷらクリニックでは、週2

回新琴似地区を中心に約30人の

往診患者さんを診ています。平

均年齢80歳代の後期高齢患者さ

んや終末期で受診することが困

難な患者さんなど様々です。

 

佐藤忠直先生を中心に看護師

4名の往診チームで、在宅でが

んばっている患者さんが安心・

安全に自宅で療養できるよう

日々奮闘しています。

 

2007年4月より北区病院

は唯一の急性期病棟であった2

病棟を勤医協全体の医師体制上

の理由から残念ながら閉鎖し、

外来での夜間・休日の当直制も

廃止しました。

 

そのため、当然、外来患者・

往診患者・ご家族の方から「こ

のまま北区で診てもらうことが

できるのか…」「北区病院はな

くなってしまうのか…」などと

不安の声が聞かれました。

 

往診患者さんは、すぐ胸水

が貯まり心不全になってもおか

しくない厳しい病態の患者さん

や、発熱などいつ状態が変化し

ても不思議ではない患者さんが

多くいらっしゃいます。

 

どうしたら患者さん・ご家族

の方の不安を少しでも取り除く

ことができるのだろうかと往診

チームで話し合い“往診日誌”

を作成することにしました。

他の病院を受診する時に、病

名・治療内容・普段の様子を“往

診日誌”に記録しておくことで

不安を少しでも取り除くことが

できるのではないか。また、受

診先の病院との連携もスムーズ

に行うことができるのではない

かと考えました。

私たち医療従事者、患者さん・

ご家族の方も負担なく記録する

ことができ、スムーズに往診で

きるように作成には苦労しまし

た。

 

往診の患者さん宅を訪問し

“往診日誌”の使い方、北区病

院の現状、今後の対応の方法

などについて理解いただけるよ

うに丁寧に何度もご説明しまし

た。患者さん・ご家族からは「こ

んなにすてきなものを作ってい

ただいて…不安が減りました」

との言葉もいただきました。ま

だ使い始めて2ヶ月ですが、早

速、ご家族の方や訪問看護師さ

んが記録してくださっていま

す。また、皆さんのご意見をい

ただきながら改善していこうと

考えています。

これからは、自宅での療養を

する患者さんも増え、終末期の

患者さんもどんどん増えてくる

と思います。

 

安心・安全に住み慣れたご自

宅で療養できるよう私たちに何

ができるのか、チームでカン

ファレンスをどんどん行い、や

りがいや喜びを感じ、これから

もがんばっていきたいと思いま

す。

往診日誌を

活用して

勤医協札幌北区ぽぷらクリニック

49 ●看護と介護 Vol.34

Page 51: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

 

Aさんご夫妻はともに終末期

を在宅で過ごされ、時期は別で

すが、二人ともご家族に看取ら

れて永眠されました。

 

妻は高血圧と認知症、うつ的

傾向により訪問看護を受けてい

ました。脳梗塞、重症肝炎と診

断され、一時的に入院しました

が、「最期まで自宅で」とのご

家族の強い希望で、在宅へ戻り

ました。

 

在宅療養となった後も病棟で

は緊急入院のための周知がはか

られ、外来では週1回の定期と

緊急時の往診、休日は内科医師

が連絡体制を組みました。

 

当ステーションでも24時間い

つでも訪問できる体制をとり、

ご家族が安心できるように万全

の態勢で臨みました。妻は1ヵ

月間、自宅で療養し最期はご家

族全員に看取られ永眠されまし

た。

 

妻が亡くなった後、ご家族か

ら「今度はお父さんをお願いし

たい」と相談されました。

 

夫は肺癌が見つかり、ご家族

の援助で最小限の検査はしてい

たものの、「大の病院嫌い」で

通院も入院も頑なに断り続けま

した。最期まで往診と訪問看護

のみで一度も入院することなく

3年間の闘病生活を終え、住み

慣れた家で息を引き取りまし

た。

 

在宅での介護や看取りには、

ご家族の協力が何より大切です

が、病院とのスムーズな連携体

制が患者さんや利用者さん、ご

家族に安心感を与え、よりよい

在宅療養につながっていると思

います。

 

訪問でご家族は「お父さんが

笑顔で毎日ほんの少しだけウイ

スキーを飲んだり、先生に止め

られたタバコを吸ったりと最期

まで好きなようにできたのは、

家で過ごせたからだと思う。眠

れないときは一緒に外を眺めな

がら話もし、お父さんとの時間

をゆっくり過ごせた」と涙なが

らに感謝の気持ちを表わされま

した。

 

訪問看護にはいろんな人生と

の出会いがあります。

 

悪性リンパ腫による腹水貯留

と全身浮腫の夫の介護に苦慮し

ていた妻のBさんは「困ってい

たので看護師さんの訪問がとて

も助かった。もう少し早く訪問

看護のことを知っていれば」と

話されていました。「髪を切っ

て染めたい」「自分らしく生き

たい」と笑顔で話す独居の末期

癌患者のCさん、「シモのこと

は誰にも世話になりたくない」

と嫁にも看護師にも触らせない

もうすぐ102歳のDさんの誇り高

き明治女の生き様にも脱帽して

います

 

患者さん、利用者さんと共に

泣き、笑い、時には怒り、私た

ちは本当に訪問看護に「ハマッ

テいる」ことを実感しています。

訪問看護には

いろんな人生との

出会いがある

とまこまい訪問看護ステーション

看護・介護現場からの発信 ⑥

看護と介護 Vol.34● 50

Page 52: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

看護・介護現場からの発信 ⑦

 

私たち中央病院5東病棟で

は、看護師1人が年間5例以上

のプライマリー看護師(※1)

になり、患者さんや家族と目標

を共有しあえる「患者参加型看

護計画(※2)」を実践するこ

とを病棟の目標にしています。

 

Aさん(70代=男性)は今年

3月、肺炎のため入院しまし

た。当初から抗生剤の投与と酸

素吸入がされていました。症状

の悪化はみられず経過していた

ので、抗生剤も効きはじめ、病

態も改善に向かっていたと思わ

れましたが、2週間経過したあ

たりから呼吸苦が出現し、AR

DS(急性呼吸窮迫症候群)と

診断されました。

 

主治医はAさんと家族に「呼

吸苦や低酸素状態が続けば死に

至る可能性もあり、場合によっ

ては気管挿管して人工呼吸器の

装着が必要になる」と説明。A

さんも病気に対する受け止めは

できていましたが、Aさんの願

いは「苦しくなるまで、今のま

まがいい。できるところまで頑

張りたい」というものでした。

 

Aさんの頑張りを支援しよう

とプライマリー看護師を2名つ

けました。Aさんからは「愛用

している低周波治療器を使いた

い」など要望が出され、家族に

差し入れてもらうなど可能なか

ぎり応えていきました。症状観

察を充分に行い、少しの変化も

見逃さないようにするとともに

呼吸苦で思うように動けず少し

苛立ち気味だったAさんのスト

レスや不安が少しでも軽減する

よう、充分なコミュニケーショ

ンを心がけました。計画は1週

間ごとに評価し、現在の到達や

今後の目標についてAさんとも

話し合いました。こまめに評価

することで、その時々のAさん

の願いに寄り添った計画づくり

に活かすことができたと思いま

す。

 

Aさんの病状は次第に改善し

ていきました。

 「元気になって家に帰りたい」

と懸命にリハビリに励み、つい

に外泊が実現。外泊が自信につ

ながったAさんは、数日後退院

され、後日、病棟に足を運び元

気な笑顔を見せてくれました。

一時は生命の危険な状態に陥っ

たAさん。今回の事例は何より

も「もとの状態に戻りたい。自

分で歩きたい」というAさんの

努力と患者参加型看護計画を実

践し、「Aさんの頑張りを応援

したい」というスタッフの奮闘

が実を結んだ事例でした。

 

患者さんの頑張りを応援でき

る、共に歩む看護を実践できる

よう、これからもスタッフみん

なで前進していきたいです。

(赤澤茉弥 

高柴美幸)

※1患者の全看護過程を受け持

つ担当看護師のこと

※2看護計画の立案前に入院に

対する患者の要望をきき、

計画に反映、つくった計画

を患者に説明し、同意や補

足をもらう

勤医協中央病院5東病棟

「患者参加型

 

看護計画」の実践

51 ●看護と介護 Vol.34

Page 53: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

看護・介護現場からの発信 ⑧

 

2型糖尿病で当診療所通院中

のMさん(男性、38歳)へのイ

ンスリンの導入実践を報告しま

す。

Mさんは両親と3人暮らし。

生活保護と障害年金で生計を立

てており、ヘルパーを週3回、

訪問看護を週2回利用していま

す。Mさんは精神発達遅滞と統

合失調症の既往があり、入浴や

買い物時は本人が父に許可を得

ています。

 

昨年末よりヘモグロビンA1Cが

10を越える高値が続き、入院治

療を勧めましたが、本人は「過

去に入院中にいじめを受けた」

と拒否していました。その後も

血糖コントロールは不良で、ヘ

モグロビンA1Cは3ヶ月連続で10

を超えていました。

最近の傾向を分析すると、ヘモ

グロビンA1Cはうつ傾向にある時

は下がり、精神的に安定してい

る時は上がる状況を繰り返して

いたので、インスリン導入を試

みました。

 

導入前に自宅を訪問すると、

窓やカーテンは閉め切られ、足

を踏み入れるのをためらうぐら

い室内は雑然としていました。

 

訪問看護ステーションとのカ

ンファレンスでは、「食事も不

規則で、内服薬も他院のものな

ど40種もあり服薬管理が難し

い」「抗精神薬の副作用でボーっ

としているが、些細なことで緊

張し、眼のチラつきや頭痛など

の症状が現れ、インスリン導入

は無理ではないか」など意見が

出されました。

「自信がない」と導入をためら

うMさんに医師は「導入しなけ

れば命の危険がある。導入すれ

ば良くなる可能性もあるが、精

神的なバランスが崩れ悪くなる

こともある。まずは週3~4回

から始めてみよう」と話しまし

た。

 

Mさんも同意し、血糖の自己

測定から指導を開始しました。

指導日、Mさんは1時間も前

から来院していました。低血糖

への不安を訴えていましたが、

問題なく手技を獲得できまし

た。

 

しかし、インスリン導入直前

に父親が入院し、Mさんの動揺

もひどく、導入は父の退院後に

延期。その間、Mさんはインス

リンに前向きでしたが、訪看ス

テーションからは「血糖測定に

熱中し、日に幾度と行うことが

ある。導入はやはり危険では」

との情報もあり、インスリンは

「土・日・祝日を除く毎日1回、

診療所で施行する」方法をとり

ました。

 

一ヵ月後、父親が退院しイン

スリン開始。手技も問題なく、

施行可能でした。「意外とうま

くいくもんだね」とMさんも安

堵の表情。

 

インスリン開始から3週間が

経過し、現在、「ボーっとする」

など精神症状は時々現れますが

生活の中に定着してきたのか通

院日には忘れず診療所に足を運

んでくれます。今しばらくこの

スタイルを継続してみようと考

えています。

精神疾患を抱える

Mさんへの

インスリン導入

勤医協もみじ台内科診療所

看護と介護 Vol.34● 52

Page 54: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

 

今年度、高齢で認知症を抱え

ながらも胃瘻を造設した患者・

家族へのフォロー活動に取り組

んでいます。

 

現在、自宅で長男夫婦と暮ら

すMさん(100歳=女性)は今年

3月、胃瘻を造設しました。

それまでは「口から食べる事で

頭や手、口を動かすことが大

事」とお粥やお茶にトロミをつ

けて食べていましたが、誤嚥性

肺炎を繰り返すことから、主治

医は「もう口から食べる事は無

理。点滴か胃瘻造設を」と家族

へ説明しました。家族は「点滴

では短期入所施設や通所は断ら

れる。長く家で看ていきたい」

と胃瘻を選択しました。

 「周囲からは『もう100歳だし、

かわいそう』とも言われました

が、義母を家で何とか見てあげ

たい。義母も毎日顔がみられ、

喜ぶのでは」とお嫁さんは話し

ます。

 

傾眠がちでほとんど発語もな

かったMさんですが、入院して

からは目をパッチリ開いたり、

車椅子で1時間の離床もでき、

職員の声掛けにも「おはよう」

「こんばんは」「おかだま」など

活気のある言葉が返ってくるよ

うになりました。

 

元気になったMさんの姿を見

て「本当に丘珠病院に来て良

かった。100歳でも胃瘻を造って

良かった」と長男夫婦も喜んで

います。

 

急性脳梗塞後の左片麻痺で嚥

下障害があるHさん(80歳代=

女性)は一旦は在宅復帰しまし

たが、2002年に再び梗塞を

起こし、全介助状態となり入院

されました。誤嚥性肺炎を繰り

返し、胃瘻を造設しましたが、

造設当初より「パインが食べた

い」とHさんから要望が出され

ました。体力改善のため離床の

リハビリや、痰を出せるよう、

腹臥位療法も取り入れました。

IVH(中心静脈栄養)を併用

し胃瘻での栄養を確立させ、つ

いに経口摂取訓練までこぎつけ

ました。

 

重度の嚥下障害と認知症によ

る注意力散漫から固形のままの

摂取は無理でしたが、パイン味

のトロミジュースをスプーン

でひと口食べられた時のHさん

の顔は忘れられません。感動は

チームにとっても大きなもので

した。その後、Hさんの頑張り

により、ゼリーの摂取が可能に

なり、諦めていた外出も可能と

なりました。

 

現在、入院の3割が胃瘻患者

さんです。胃瘻を造っても機械

的に栄養を入れたり、寝たきり

では予後への影響、人生の質が

左右されます。

 

丘珠病院は障害者、高齢者に

優しい病院として家庭、社会復

帰に向けてチーム医療をおこな

い26年の歴史を持ちます。高齢

者が大切にされ生きる権利を保

障する看護・介護の実践をさら

に高めていきたいと思います。

勤医協札幌丘珠病院第1病棟

一〇〇才でも

認知症でも

胃ろうで元気

看護・介護現場からの発信 ⑨

53 ●看護と介護 Vol.34

Page 55: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

 

昨年10月、当施設に4年間入

所されていたSさんが、念願か

なって自宅に帰ることが出来ま

した。

    

▼ 

▼ 

Sさんは2003年に脳梗塞

を発症、左半身に麻痺が残り、

車椅子中心の生活を送っていま

した。Sさんはご主人との二人

暮しを強く望んでいましたが、

85歳のご主人も、何とか歩行し

ているような状態でヘルパー・

配食サービスを利用しており、

私たちは、ご夫婦二人での在宅

生活は困難と考えていました。

 

Sさんは、「一度でいいから

家の様子を見に行きたい。夫が

心配」と何度も訴え、昨年のお

正月に外泊を計画しました。リ

ハビリやケアスタッフ、相談員

と家庭訪問を行い、事故防止の

ための動き方、転倒した際の起

き方、緊急連絡の方法などを細

かく決めました。外泊前には職

員が部屋の掃除を行うなど環境

整備もおこなってきましたが、

私達の不安は的中し、Sさんは

転倒してしまい、何時間も起き

あがれないということもありま

したが「家に帰りたい」との思

いは変らぬままでした。

 

転倒が予測される中で私達は

「在宅」には踏み切れずにいま

したが、Sさんから 「夫にい

つまで一人暮らしをさせたらい

いのだ。『寂しくて気が変にな

る』と夫も言っている」との訴

えがあり、涙を流し訴えるSさ

んに突き動かされ、「在宅」へ

舵を切ることにしました。

 

その後半年間、見守り付きで

歩行の機会を増やし、排泄の自

立を目標に頑張っていました。

退所に向けて、Sさん夫妻と娘

さん、ケアマネジャー、ヘル

パー、通所リハビリの方々とカ

ンファレンスを行い方針を確認

しました。

 

退所への不安を訴えていた娘

さんからも「沢山の方々が色々

と考えてくださって感謝してい

ます」との言葉も聞かれました。

 

念願かなって自宅に戻ったS

さん。杖歩行も安定し「やっぱ

り家はいいね。行きたい時に好

きな所へ行ける。夫とお祭りに

行ってきた」とご主人との在宅

生活の満喫ぶりを報告してくれ

ました。ご主人も「妻にはイキ

イキとしていて欲しい」と妻へ

の思いを話されました。

 

退所後Sさんは再び転倒・骨

折しましたが、ショートステイ

を利用しながら怪我を乗り越え

ていきました。

 

転倒があっても自宅で自分ら

しく生きているSさんを見てい

ると本人の願いに寄り添い、「在

宅」への方針を持ったことに間

違いはなかったと思いました。

あきらめないで本人の願いに寄

り添った方針を持っていく大切

さを教えられた気がします。

「夫と一緒に

暮らしたい」

願いをかなえて

勤医協老人保健施設・柏ヶ丘

看護・介護現場からの発信 ⑩

看護と介護 Vol.34● 54

Page 56: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008
Page 57: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

 4月から、後期高齢者医療制度がスタートし、不安と怒りの声が広がっていま

す。高齢者・障害者の「医療・介護そして暮らしのあり様」はその社会の豊か

さを示すバロメーターです。

 今号では「高齢者を支える看護・介護」の特集をくみました。

「地域の人々の願いにしっかりと寄り添い、命と暮らしを守る」黒松内診療所の

共同住宅のとりくみは、民医連に働く職員の存在をかけたものであり胸にせま

るものがあります。

 又、誌名を「看護と介護」に改めた2号目の今回は、4人のケアワーカーに

よる「ケアワーカー座談会」を企画しました。昨年、別法人となった北海道勤

労者在宅医療福祉協会での事業を含めて、在宅・病院・老健と次々に展開され

る高齢者の医療・介護分野を担い、着実に集団として成長しているケアワーカー

集団の姿は私たちに限りない喜びと確信を与えてくれます。職種をこえて育ち

あえる民主的なチームのあり方や患者さん・利用者さんと共に創りあげる介護

のやりがいが率直に語られています。

 その他にも、復職セミナーの取り組みや看護・介護現場からの発信も多数掲

載しました。この雑誌が職員の皆様にとって「次にすすむ元気と希望」の一助

となれば大変幸いです。投稿にご協力いただきました皆様に心から感謝を申し

上げます。

編集委員長

編 集 委 員

事 務 局

(勤医協丘珠診療所 看護師長)

(勤医協中央病院透析室 看護師長)

(勤医協札幌病院4階病棟 看護師主任)

(勤医協札幌病院3階2病棟 ケアワーカー主任)

(勤医協札幌西区病院5病棟 看護師長)

(勤医協苫小牧病院沼ノ端居宅介護支援事業所 看護師長)

(勤医協メンタルクリニック東 看護師長)

(勤医協もみじ台内科診療所 看護師長)

(勤医協札幌看護学校専門学校 専任教員)

(勤医協本部看護部)

猫塚真里子

津村千代子

福島 睦子

荒木 陽子

成田しず子

三上 和子

佐藤久美子

久野かや子

森下 千鶴

山内 裕人

編集後記

Page 58: 北海道勤労者医療協会看護雑誌 看護と介護 Vol 34 2008

印 刷

発 行 日

編 集

発 行

発行責任者

印 刷 所

2008年5月

2008年5月15日

看護雑誌編集委員会

社団法人 北海道勤労者医療協会

〒003-0803 札幌市白石区菊水3条3丁目(井上ビル)(811)5370㈹

峯 田 あけみ

北海道機関紙印刷所

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