「若い力」vol.82 記事

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神戸青年会議所冊子 はるかのひまわり絆プロジェクト紹介記事

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Page 1: 「若い力」Vol.82 記事

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Page 2: 「若い力」Vol.82 記事

「はるかのひまわり」とは?

当時、神戸市東灘区に住んでいた

加藤さん

宅のはるかちゃんという小学校6年生の女の

子が、阪神大震災で被災し

亡くなりました。

はるかちゃんのお

姉さんが、その夏に亡くなっ

場所で咲くひまわりを見て「これははるかの

そだてたひまわり、はるかのひまわ

りや!」と

叫んだ事から、「はるかのひまわり」が生まれ

ました。

はるかちゃんと

同級生の娘を持つ、藤野芳雄

さんという近所のおじ

さんが、はるかちゃんを

助けたくても助けられなかった思いから、この

ひまわりの種を広める活動をそれ以降続けて

おられました。

「はるかのひまわり」

▲馨

との出会い

私は、IMMC(甘言自害OB巴

呂巨費

三の白け円が

6戸

gというNPO法人の副理事長をしてい

ますが、この

NPO法人では、阪神大震災の

翌年から被災した

子供た

ちの心を癒そうと

クラシックコンサートを続けています。

2008年のある日、この法人の理事長が藤

野さんと

同級生である

関係から、コンサートの

際に藤野さんが「はるかのひまわり」の話をさ

れるのを聞いて、心に響き、感動しました。話の

内容に感銘を受けた

私は、それから「はるかの

ひまわり」を育てることになりました。

早速、藤野さんにいただいた

鱒粒の種を、会

社の前の花壇に埋めたところ、数日たって芽が

生えて

きました。ここでは

育ちが悪いと思い、

プランターに移し

替え、日当た

りのよい近くの

市営住宅の隅っこに置かせて

もらうことにし

ました。

すると

翌日、プランターにはいつのまにかビ

タミンボトルがささっていまし

た。ど

なたがビ

タミンボトルを刺して

くれたのかと思っていま

は 5ガの ひまわりがn港切▲′

ィンタビユ‐ 松島 俊哉 氏

はるかのひまわり絆プロジェクト主幸

三 [H P]http://W W w .sea son .Co .jP/haruka su nflo W e rFB.htm

" プロジェクト

はるかのひまわり

                陸前高田市竹駒 町滝の ▲2012年、石巻市立門脇小学校に咲く

里仮設団地に咲くはるかのひまわり

 

   

  

  

-

う寿血

ち密興

した

が、後に隣のおじいちゃんが刺してくれた

こと

が分かりました。そのプランターには「は

るかのひまわ

り」と刺していたことから、その

人も何か心に響いたよ

うで、それから栽培を

手伝ってくれることになりました。この最初の

め粒から立派なはる

かのひ

まわりが4本育

ち、400粒の種が取れました。知り合いに種

が取れたことを言うと、「ぜひ譲ってほしい」と

依頼がたくさんありましたので、春になってか

ら「はるかのひ

まわ

りプロジェク

ト」として

さんに種を配る

活動をスタートすることにし

ました。

東北支援のきっかけ

粋▼-

2009年から「はるかのひまわ

りプロジェ

クト」を始め、2010年はいろんな人に「はる

かのひ

まわり」を広げていた

だき、知名度も

上がって

きました。2011年も同じよ

うに

始めよ

うと

準備していたら、3月11日、東北で

あの地震が起こ

りました。

テレビのニュースで流れる映像を見るたびに、

最初は

本当に心が凹んでしまいました。多分、

神戸で被災した人は

皆同じ気持ちだったであ

ろうかと思います。ただ、神戸での震災の時の

こと

をふと

振り返った

時に、自分が当時一番

嬉しく感じたことは、支給された

物資やお金

ではなく、人の気持ちだったことを思い出しま

した。

被災当時、バイクで走っていた

時に、ふとホテ

ルの窓を見ると、「ファイト」という文字をかた

どって

電気がついていました。その時は

その文

字をずっと眺めていました

が、それ自体にでは

なく、輝いている

明かりの向こうにいる

人の気

持ちに感動したことを思い出しました。

「そうだ!神戸の人間だからこ

そ、心の支

援をすればいいんだ!はるかのひまわりを被

災地に

持って

行き、た

くさんの

花を咲かせよ

う-Lという想いになっていきました。

  

東北での活動

/"

最初、被災された

地域にひまわ

りの花を咲

かせるにはど

うすべきか分かりませんでし

た。そうしていると、新潟の方が、南三陸町に

物資を持っていく際に「はるかのひまわ

りをm

粒分けてほしい」という連絡があり、彼に

m粒

の種を預けました。避難所に

行ってもまだ水

がない、などと

言っている

時期でしたので、いっ

渡せばいいのか、タイミングに迷っていた

そうで

すが、そこで快く受け取って

くれる

家族がい

そうです。その家族が夜に避難所でみなさ

んに「はるかのひまわり」のことを紹介して

れた

そうです。その当時は

被災地に明るい話

題がなかったため、「はるかのひまわ

り」の活動

をみなさんに共感していただき、大変喜んでい

ただいた

そうです。

そのうち、避難所生活のある

方が「私た

だけでこん

なこと

していていいんだろ

うか?

もっと

沢山の方にこのはるかちゃんのひまわり

のことを知ってもらおう」ということになり、

この「はるかのひまわ

り」で沢山の方を笑顔に

変えたい、そん

な思いに

変わって

きた

そうで

す。そこで南三陸町の町長さんに2mもの畑

を提供して頂くことになりました。それを聞

き、最初は1万2千粒の種をはる

かのひまわ

りの種を送りました。

また、その活動が広がり、南三陸町から気

仙沼まで伸びている

国道菊号線に「ひまわり

ロード」を作ろうという話になりました。しか

し、こ

ちらにある

種が全てなくなってし

まって

いました。困り果た

時に、藤野さんに

相談に

行ったところ、「これもって

け!」と

大きな袋に

入ったひまわりの種を頂くことができました。

それをまた

翌日に

被災地へ送り、それでも

足りない分は、神戸から新潟の地震の時にも

送っていたはるかのひまわりの種があり、そこ

で取れた

種も一緒にして、よ

うやくひまわり

ロードが完成し

ました。

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Page 3: 「若い力」Vol.82 記事

*̂腱′Jr

今後の活動について

私自身は

何も特別なことはしてお

りませ

ん。皆さんにひまわ

りの種を送っているだけで

す。ただ、種を送るためにはリクエストを受け

付けなければなりません。その手段として知

人からfacebookが良いと

教えていた

き、それを使い出したところ、リクエストがど

んどん

舞い込む

毎日と

なりました。今は

その

応対を続けています。

はるかのひまわりの種のリクエストは

ずっと

続いています。手元から種がなくなってしまっ

りし

ますが、「咲いたらちょっと

返して

くれ

ませんか?」と

今度は

送った

人からまた

もらっ

て活動を続けてお

ります。

種は有限性があるものです。いろいろな所で

「はるかのひまわり」が紹介さ

れ、その種に込

められた

想いを沢山の人に共感をしていただ

き、その想いが人の繋がり・絆を増えていきま

す。そんな経験を僕自身、沢山させていた

き感じたこと

があります。CSRという言葉

があります。いわゆる企業・組織の社会的責任

という言葉ですが、「はるかのひ

まわり絆プロ

ジェクト」はこの言葉ではしっくりきません。そ

れよりは

CSV6尺の巴曰隣

のけ穹温くD戸

共通価値の創造)ではないかと

思います。「は

るかのひ

まわり絆プロジェクト」の理念が共通

価値となって、沢山の方に手渡し

されていくの

かなと

感じています。

去年の11月に藤野さんが亡くなってしまい、

衝撃を受けました。一時は

今後の活動をど

うしよ

うかと

悩んでし

まいました

が、藤野さ

んのためにも、これから知る

人のためにも、情

報を整理して残していくこと

を活動に付加し

            

かち倖ん◎爺◎連鎖を紡ぐ        

       

はるか◎◎寮あり加登爾て露駁し麓種を認

薪る週櫃で薗寮を優れ、奥書◎悲惨さた

鼓幅命◎聴きを輌考艀る橇会盈苛る蔓で稀

炎◎尊厳』盤『炎藍◎問わ靭◎莢物き』疼,

許逐感字瞳豊か應地域麗会を顫藏斬る暮艦

ていこ

うと

思っています。こ

つこつ愚直に藤野さんの想い

をその

まま継続していき、

「はるかのひ

まわり」という

はるかちゃんの命を紡いでい

Jも/′

く中で、沢山の方にこの活動を共感して

頂け

たらと

思います。

    

  

▲2013年、藤野芳雄さんの

追悼記事

(日本経済新聞2 0 13 .1.10夕刊)

甕手経済人に

癖『

望むことはなんでしようか?

未来の日本の基盤を作るのは

子どもた

ちで

す。その子ど

もた

ちの心の教育が今もっとも

必要だと感じています。学校任せにするので

なく、私た

ちが子ど

もた

ちに

目をむけ、今

住んでいる地域と

共に子ど

もた

ちの心の教育

をしていかなければならないと思います。そ

れには

道徳教育が大切です。特にわれわれ親

の世代が「道徳」というものをもう一度きっち

りと学びなおし、確認し、それを子どもた

ちへ

伝えていく必要があると

感じています。

に届     山画商

でもこんな形の

   地

んの 

被災地支援の

取り組みがあります

「協働と参画のプラットホーム」

横川洋氏・

池上敬三

--1「協働と参画のプラットホーム」とはどのよう

なところなのでしょうか?

神戸市職員と市民スタッフで運営され、ワーク

ショップスペースやミーティングスペース等が設けら

れた、市民の皆さんが気軽に立ち寄り、協働の活

動について提案できる「協働のオフィス」です。

「協働」とは、市民のみなさんと

行政が、共に考

え、お

互いの知恵や資源を出し

合い、相乗効果でよ

りよい成果を生み出せるよ

う、協力して取り組む

こと

を言います。この考え方で、市民だけ、行政だ

けでは

解決できない様々な地域の課題を共有しな

がら、市民と

市、市民同士のネットワークづくりを

行い、市民の発意・提案による協働を支援し、参画

の仕組みづくりに取り組んでいます。

神戸市の

被災地支援・市民活動支援の

取り組みについて

「はるかのひまわり

絆プロジェクト」など、被災地支援を続けている民間団体は神戸にも数多く存在して

いますが、行政の側にもこ

ういった活動を支援する部署が存在しています。神戸市の「協働と参画のプラッ

トホーム」です。

このプラットホームは、阪神・淡路大震災から6年後の平成13年に行われた「神戸21世紀・復興記念事業

矢○田mgo-ひと・まち・みらいこ終了後の平成14年に、市民参画と協働の取り組みを一過性のイベントで

終わらせないよう誕生しました。その後、地域の市民団体の支援等を行ってきましたが、平成23年の東日

大震災以降は、被災地支援活動を資金面からバックアップする役割も果たしています。

そこで、同プラットホームの主管部署である市民参画推進局市民協働推進課の横川課長とNPO支援担

当の池上敬三氏にお話を伺いました。

1-1東日

本大震災以降、被災地支援をバックアッ

プされているとお聞きしています。

市民活動の支援のために「パートナーシップ活動

助成」という助成金の枠組みがあるのですが、この

助成金はスタート時から、大規模災害の際に被災

地支援をバックアップすること

ができるよ

うに制

度設計されていました。ですので、東北の被災地支

援に取り組みたい民間団体の方にも申請いただけ

ます。

実際、神戸青年会議所さんにも、平成23年8月

に宮城県気仙沼市で開催された『港けせんぬま復

活祭』での「10000灯のキャンドルナイト」を実

施するにあたって同助成金を使っていた

だきまし

た。今後も被災地支援活動をされる

際には

申請

をご

検討ください。

-l今後、我々神戸の経済人にどういった協力が

可能でしょうか?

東日本大震災の被災地等を支援する

活動や、

NP0・ボランティア等による

公益的な活動を応

援いた

だければ有難いです。具体的には「神戸市

パートナーシップ

活動推進寄附金」という形の寄

附をいた

だけると、それが上記活動の支援につな

がります。また、寄附をいただけると「ふるさと

税会可附金)」による住民税・所得税や法人税につい

て税制上の優遇措置が受けられますので、税金の

使途を地域の公益活動支援に

充てていた

だくこ

とができます。

〔取材を終えて〕

「はるかのひま

わり

絆プロジェクト」では

家族・社

会・地域の

人々など、ひまわりの

種が紡ぐ人と

人の

関わりの大切さをご紹介しました。また「協働と

画のプラットホーム」では

支援活動を様々な形でバッ

クアップをされています。このように被災地支援には

様々なカタチ・方法がまだまだ

ありま

す。震災を経

験したわれわれ神戸の人間だからこそ本っ後も継続

してできる支援」を考える

必要があると

考えます。

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