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218 【報告・紹介】 いくつもの「もうひとつの世界」 7 回世界社会フォーラム(ナイロビ)に参加して 千葉大学大学院地球福祉研究センター 准教授 上村 雄彦 はじめに 2007 1 20 日から 25 日にかけて開催された第 7 回世界社会フォーラム World Social Forum)に出席するため、ケニアに赴いた。世界社会フォーラ ムは、世界の有力な政治家や官僚、巨大企業のトップが集まってあるべき世界 を議論し、ネットワークを行っている世界経済フォーラム(World Economic Forum,別名ダヴォス会議)に対抗する形で始まった。とりわけ、世界経済 フォーラムが提示する世界(新自由主義的グローバリゼーション)に反対し、 それとは異なる「もうひとつの世界」を求めて、世界中から NGO、グローバ ル社会運動、市民運動、労働運動、研究者が数万単位で結集し、情報や経験の 共有、自由な議論・討論、縦横無尽のネットワーキングが行われる空間、「巨 大な社会学習の場」(毛利, 2004)になっている。 世界社会フォーラムは 2001 年に始まり、今年で 7 回目を迎えたが、フォー ラムでは実際にどのようなことが議論されているのか? フォーラムが提唱す る「もうひとつの世界」とはいったい何なのか? どうすれば「もうひとつの 世界」を実現することができるのか? また、現在フォーラムが抱えている課 題は何なのか? これらのことを調査し、フォーラムに集うキーパーソンたち とネットワークを築くことが、今回の出張の目的であった。 本論は、この第 7 回世界社会フォーラムの報告であるが、あわせて開催地 となったケニアに存在する最大のスラム「キベラ」の調査報告もあわせて行い、 世界の貧困問題の現状と解決策を、グローバルからローカルなレベルまで見通

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【報告・紹介】

いくつもの「もうひとつの世界」―第 7回世界社会フォーラム(ナイロビ)に参加して

千葉大学大学院地球福祉研究センター 准教授 上村 雄彦

 はじめに

 2007年 1月 20日から 25日にかけて開催された第 7回世界社会フォーラム

(World Social Forum)に出席するため、ケニアに赴いた。世界社会フォーラ

ムは、世界の有力な政治家や官僚、巨大企業のトップが集まってあるべき世界

を議論し、ネットワークを行っている世界経済フォーラム(World Economic

Forum,別名ダヴォス会議)に対抗する形で始まった。とりわけ、世界経済

フォーラムが提示する世界(新自由主義的グローバリゼーション)に反対し、

それとは異なる「もうひとつの世界」を求めて、世界中から NGO、グローバ

ル社会運動、市民運動、労働運動、研究者が数万単位で結集し、情報や経験の

共有、自由な議論・討論、縦横無尽のネットワーキングが行われる空間、「巨

大な社会学習の場」(毛利, 2004)になっている。

 世界社会フォーラムは 2001年に始まり、今年で 7回目を迎えたが、フォー

ラムでは実際にどのようなことが議論されているのか? フォーラムが提唱す

る「もうひとつの世界」とはいったい何なのか? どうすれば「もうひとつの

世界」を実現することができるのか? また、現在フォーラムが抱えている課

題は何なのか? これらのことを調査し、フォーラムに集うキーパーソンたち

とネットワークを築くことが、今回の出張の目的であった。

 本論は、この第 7回世界社会フォーラムの報告であるが、あわせて開催地

となったケニアに存在する最大のスラム「キベラ」の調査報告もあわせて行い、

世界の貧困問題の現状と解決策を、グローバルからローカルなレベルまで見通

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す一助となることを願いながら論を進めたい。

 開催地ケニアについて

 開催地となったケニアの面積は日本の約 1.5倍で、そこに現在 3430万人が

住んでいる1。ケニアは複数政党制をとる共和国であり、現大統領は最大民族

のキクユ族出身のムワイ・キバキである。ケニアには、キクユ以外にも、ルオ、

カンバ、マサイ族など 42部族が居住し、プロテスタント(40%)、カトリッ

ク(30%)、イスラム(6%)、その他伝統宗教など(23%)が信仰される多

民族・多宗教国家である。経済面に目を転じてみると、2006年の対外債務は

64億ドルで、予算に占める債務返済の割合は 24.6%にも上る2。また、一人当

たり GDPは 540ドル(約 6万 4800円)で最貧国に分類される。また途上国

に典型的に見られるとおり、貧富の格差は非常に大きく、所得上位者 10%が

富全体の 80%を得ている。そして、平均寿命は 1990年に 60歳だったものが、

1997年には 54歳に、そして 2005年には 49歳にまで下がっている3。

 空港から街中へ向かう途中、渋滞中の車をめがけてやってくる多くの物売り

を目撃した。中には、「教科書と制服を買うためにお金をください」という募

金箱を持った子どもたちもいた。また、後述するスラム「キベラ」の悲惨さは、

想像をはるかに絶するものであった。世界社会フォーラムは、まさにこのよ

うな貧困など社会問題の原因を弱者の視点から究明し、効果的な解決策を探求1 世界銀行ホームページhttp://web.worldbank.org/WBSITE/EXTERNAL/COUNTRIES/AFRICAEXT/KENYAEXTN/0,,menuPK:356536~pagePK:141132~piPK:141109~theSitePK:356509,00.html2 世界銀行ホームページhttp://web.worldbank.org/WBSITE/EXTERNAL/COUNTRIES/AFRICAEXT/KENYAEXTN/0,,menuPK:356520~pagePK:141132~piPK:141107~theSitePK:356509,00.html3 世界銀行ホームページhttp://web.worldbank.org/WBSITE/EXTERNAL/COUNTRIES/AFRICAEXT/KENYAEXTN/0,,menuPK:356536~pagePK:141132~piPK:141109~theSitePK:356509,00.html

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し、新たな世界を提示するために創設されたグローバルなフォーラムなのであ

る。以下、この世界社会フォーラムの実態を詳細に見ていこう。

 世界社会フォーラムの歴史

 世界社会フォーラムの起源は 2000年 2月まで遡る。ル・モンド・ディプ

ロマティークの編集長であり、ATTAC(Association pour une Taxe sur les

Transactions Financières pour l’Aide aux Citoyens、市民を支援するために

金融取引への課税を求めるアソシエーション)の創設者の一人であるベルナー

ル・カッセン(Bernard Cassen)、ブラジルの NGOである CIVES (Associação

Brasileira de Empresássrios pela Cidadania)のオデッド・グラジュー(Oded

Grajew)と同じくブラジルの CBJP(Comissão Brasileira de Justiça e Paz)

のフランシスコ・ウィタケル(Francisco Whitaker)が世界経済フォーラム

に対抗するグローバルフォーラムの開催で一致し、世界社会フォーラム開催に

向けての具体的な動きが始まった。8つのブラジルの NGOが組織委員会を結

成し、2000年 3月に労働党政権下のポルト・アレグレ市とリオ・グランデ・

デ・スル州の支持を得、ついに 2001年 1月に第 1回世界社会フォーラムがポ

ルト・アレグレで開催されることとなったのである(Patomäki and Teivaine,

2004:116-117)。

 その後、2001年、2002年、2003年はポルト・アレグレで開催され、それ

ぞれ 2万人、5万 5000人、10万人の参加者を集めた。2004年の第 4回大会

は初めてポルト・アレグレを離れてインドのムンバイで開催され、8万人の参

加者があった。2005年は再びポルト・アレグレで開催され、過去最大の 15

万 5000人が参加した(Ghimire, 2005:3)。2006年は初めて分散開催を試み、

マリのバマコ、ベネズエラのカラカス、パキスタンのカラチで合計 12万人の

参加者を見た(毛利, 2006:155)。そして、2007年、第 7回フォーラムが統

一開催としては初めてのアフリカとなるケニアのナイロビで開催された。

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 世界社会フォーラムの目標と開会式

 世界社会フォーラムは国際評議会を擁しており、議論の結果、第 7回を迎

える世界社会フォーラムの 9つの目標を 2006年に制定した。それは、

① 世界の平和、公正 (justice)、倫理、多様な精神性(spirituality)に対する

尊敬の構築

②多国籍企業と金融資本の支配からの世界の解放

③ 人間と自然の双方の面での「公共財」に対する普遍的かつ持続的なアクセス

の確保

④知識と情報の民主化

⑤ 尊厳の確保、多様性の防衛、ジェンダーの平等性の保証とすべての形態の差

別の排除

⑥ 経済的、社会的、人間的、文化的権利、特に食、健康、教育、住居、雇用と

しかるべき職の保証

⑦主権、自決権と人々の権利に基づいた世界秩序の構築

⑧民衆を中心にした、持続的な経済

⑨ 公共の事柄と資源の管理や決定に対する人々の完全な参加による、真に民主

的な政治構造と組織体制の構築 である4。

 この 9つの目標を前提に、2007年 1月 20日~ 1月 25日に第 7回世界社会

フォーラムがナイロビで開催された。開会式と閉会式はナイロビ市内のウフル

公園で、そして本フォーラムは市内からタクシーで 30分ほどかかるモイ国際

スポーツセンターで行われた。

 開会式でまず印象に残ったことは、女性たちのパワフルな司会運びと演説で

あった。数万の人たちをまったくものともせず、力強く、リズミカルな呼びか

けで、参加者を惹きつける女性パワーに目を見張った。そして、途上国の人々

の演説が続いた後、白人の男性が登壇したが、そこで彼が最初に口にした言葉

4 WSF Bulletin October 25th, 2006http://www.forumsocialmundial.org.br/download/wsf_bulletin_251006_ing.htm

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は、「私たちヨーロッパ人を許してください」という言葉であった。「あなた方

の国を植民地にし、苦しめた過去を許してください」。「今も『植民地』と同様

なことをしている私たちを許してください」。「そして、この現状を変えるため

の行動を十分に取れていない私たちを許してください」。あまりにも率直に過

去の非を認め、謝る彼に、そして現在の状況も含めて謝罪する彼に、会場から

は鳴り止まんばかりの拍手が送られた。ここにこそ社会的弱者の視点から世界

を語る世界社会フォーラムの核心があると思った瞬間であった。

 会場の模様とフォーラムのテーマ

 フォーラム会場のモイ国際スポーツセンターは大きなスタジアム(競技場)

とグランドから成っていたが、各セミナールームはその競技場の観客席をシー

トで上下二つに区切り、それをゲートごとに板で区切って作られるというこれ

までに見たこともない(苦肉の)ものであった。スタジアムを取り囲むように

NGOのブースが設けられ、テント作りの食堂やセミナー会場、土産屋が並ん

でいた。スタジアムの中では区切られた部屋の中で朝 8時 30分から夜の 8時

までフォーラムが行われていたが、夜 7時を過ぎると部屋が真っ暗になって続

行できず、多くのセミナーは予定時刻よりも早めに終了していた。中には電灯

のあるところに椅子を持って移動し、小さな輪になって議論を続けているセッ

ションもあった。

 スタジアムの外側では、さまざまな団体が、同じ民族衣装や Tシャツを着て、

さまざまな要求やメッセージを掲げて、太鼓を鳴らし、歌を歌い、歩きながら

踊り、声を上げながら、デモをしていた。「AIDSでも楽しく生きられる!」、「人

間の尊厳の尊重を!」、「木は大切! みんなで木を植えよう!」、「多国籍企業

は出て行け!」、「遺伝子組み換え作物反対!」、「西サハラに自由を!」、「IMF、

世界銀行、WTOはもういらない!」、「債務帳消!」、「連帯!」、「行動を変え

ることは可能だ!」、「AIDSのない世界は可能だ!」、「もうひとつの世界は可

能だ!」など、多彩なテーマを掲げて行進していた。

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 ただし、デモといっても何か物々しくて怖いものではなく、それぞれの想

いを具体的に目に見える形にし、それを具体的に伝えるという極めて当たり前

のことを楽しそうに行っていた。それを微笑ましく眺めたり、写真を撮ったり、

励ましたり、一緒に歩いているフォーラムの参加者たちの姿を見ていて、「ど

うして日本ではこういうことができないのだろう」との疑問が脳裏を横切った。

 「もうひとつの世界は可能だ!」というスローガンを掲げる世界社会フォー

ラムは、9つの目標(大テーマ)の下、本当に多数のトピックを扱っていた。

環境、貧困、債務、紛争、AIDS、人権、人種差別、少数民族、ジェンダー、

水の民営化、食糧主権、遺伝子組み換え作物、IMF(国際通貨基金)・世界銀行・

WTO(世界貿易機関)改革、国連改革、グローバル・タックス、租税回避地、

資本逃避、労働問題、土地問題、民主化、グローバル社会運動、市民社会など、実に

1400にも及ぶセミナー、ワークショップ、集会が開かれていた(WSF, 2007)。

 その中で、今回あえて選んで参加したセミナーは、「IMFや世界銀行がいか

に途上国を苦しめているか」を告発し、糾弾するワークショップ、租税回避地、

資本逃避、銀行秘匿などを新たな「汚職」として問題提起するセミナー、グ

ローバル社会運動の実態、影響力、今後を議論するセミナーであった。以下で

は、それぞれについて詳細を見ていきたい。

 弱体化する IMF(国際通貨基金)

 IMF(国際通貨基金)は、為替相場など国際金融の安定を図ることを目的に、

1944年にブレトンウッズ協定により設立された国際機関である。同時に設立

された世界銀行とあわせて、一般に「ブレトンウッズ体制」と呼ばれている。

具体的な活動としては、国際収支が悪化した国への融資や、為替相場と各国の

為替政策の監視などを行っている。とりわけ、融資の効果を上げない国には、

政策改善を条件に融資を行っている(これが有名な構造調整政策、Structural

Adjustment Programmeである)。ここでいう構造調整政策とは、資金の貸付

に際し、政府の歳出、公務員、補助金を削減し、公営企業を民営化し、規制緩

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和を進めることにより、可能な限り政府を小さくし、市場メカニズムが働くよ

うにする政策パッケージを意味している。また輸入制限の廃止など貿易を自由

化し、通貨を切り下げ、可能な限り輸出を増加させることで外貨を得る機会を

与え、財政状況を改善し、経済成長を促進させることも意図している。

 このような活動を通じて、IMFは戦後国際社会の資金の貸し手として絶大

な権力を振るってきた。世界社会フォーラムは、設立当初からこの構造調整政

策を進める IMFと世界銀行を批判・非難してきた。なぜなら、IMFや世界銀

行の意図とは裏腹に、この政策を進めることで、食糧・油の価格や交通費が高

騰し、学校・病院が有料化されて貧しい人々が教育や医療を受けることができ

なくなり、食糧自給国が輸入国に転落するなど、貧困が大幅に悪化し、社会的

弱者が極端に困窮する事態が生じてきたからである。たとえば、1986年にジ

ンバブエで食糧価格が 120%跳ね上がって飢餓暴動が起こり、1991年にペルー

でガソリンの価格が 31倍、パンが 12倍に跳ね上がる一方、最低賃金は 15年

間で 90%以上下落して貧困がこれまでになく深刻化し、1998年にはイエメン

でガソリン代が 40%上がって暴動が起こるなど、多くの問題が発生している

(トゥーサン,2006:86-87)。また、前述のとおり、構造調整政策を受け入れ

たケニアの平均寿命が 1990年は 60歳、1997年は 54歳、そして 2005年は

49歳と大幅に下がっていることも指摘しなければならない。もちろん、これ

には AIDSの蔓延も関係しているが、医療費の削減により、医師も看護師も薬

も不足し、満足な治療が受けられなくなったことが大きな要因となっている。

 CADTM(le Comité pour l’ Annulatìon de la Dette du Tiers Mond,第三

世界債務廃絶委員会)や 50 Years is Enough(50年でもうたくさんだ)など

が主催した IMFと世界銀行のセミナーでは、この構造調整政策がいかに途上

国を苦しめているかということ、構造調整政策があまりにも評判が悪いので、

IMFと世界銀行はこれを “Poverty Reduction Strategy Papers (PRSP,貧困

削減戦略ペーパー )”という名前に変えたが、実際に行っていることは構造調

整政策と何ら変わりないこと、それがステークホルダー(住民、NGOなど利

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害関係者)を巻き込んで策定されたものであるというお墨付きを与えてしまっ

ているので、むしろ状況は以前より悪くなっていることなどが議論されていた。

 しかし、このセミナーに出席して一番驚いたことは、構造調整政策を嫌っ

て、多くの途上国政府が早めに債務を IMFに返済し、IMFのコントロールか

ら自由になろうとしているという議論であった。たとえば、ブラジルなどは毎

年 500億ドルを返済してついに IMFの債務を完済したことが報告された。そ

のため、絶大な権力を振るった IMFは弱体化し、自らの役割と存在意義を見

失っているという指摘は非常に新鮮、かつ歴史的なターニングポイントに成り

うるほど重要なもののように思えた。

 このような状況下で、IMFや世界銀行に反対する NGOや社会運動の間で

は、今こそ IMFを解体すべきだという主張と、解体ではなく改革すべきだと

いう主張が闘わされているが、あまりにも意見が多様で、一致が見られていな

いということも判明した。しかしながら、これらの最大公約数の共有点として、

IMFの影響力を最小化し、国際金融の安定を図るという本来の役割に戻すこ

と、そのために政府がこれ以上 IMFへ債務を返済することを止めると同時に、

今後一切 IMFから借り入れもしないように働きかけること、そして IMFに代

わるオルタナティブを示すことが挙げられた。そのオルタナティブを議論する

ために、2007年 6月にアジアで国際会議が開催されることも確認された。

 グローバル・タックスをめぐる 3つの議論

  ―「新しい汚職」とグローバル・タックス

 グローバル・タックスとは、グローバルなモノや活動にグローバルに課税し、

負の影響を抑制しつつ税収を上げ、グローバル公共財の供給やグローバル公共

善の実現ために、税収をグローバルに再分配する税のシステムのことである。

 グローバル・タックスの議論は、①課税以前に資金の流れを透明にして漏

れを防ぐ、すなわち租税回避地や資本逃避の議論、②通貨取引税、国際炭素税、

航空券連帯税など、実際に課税を行う議論、③税の仕組みを創出・管理・運

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営するためのグローバル・ガヴァナンスを構想する議論の 3つに整理できる

(Uemura, 2007b:15-18)。

 Tax Justice Network(TJN:税を公正にするためのネットワーク)が主催

した「新しい汚職」セミナーの中心課題は、①の議論であった。「汚職」というと、

それは常に途上国政府を糾弾する言葉として使われてきたが、実は別のところ

で桁違いの汚職が横行しているという疑念が提起された。すなわち、何十もの

先進国の銀行、弁護士、会計事務所、租税回避地がネットワークを作り、途上

国政府と手を組んで、途上国の資金を先進国の銀行に送金して秘匿していると

いう議論である。そのために、先進国からの援助 1ドルにつき 10ドルがスイ

スの銀行に送金され、途上国から先進国に流出している資金が年間 5000億ド

ル、銀行に秘匿されている総額が 11.5兆ドル、もしこれらが適切に課税され

れば年間 2550億ドルの税収になることが指摘された(Christensen, 2007:8)。

国連ミレニアム開発目標を達成するために最低限必要な資金が年間 500億ド

ルであることを鑑みると、現在世界の裏側(オフショア経済)ではとてつもな

い資金が課税を逃れ、隠されていることが浮き彫りになる。

 その他にも、多国籍企業が価格操作を行い、膨大な税金逃れをしていること

なども「汚職」として指摘され、途上国政府の汚職を問う前に、もっと巨額の「汚

職」が存在しているという事実、そしてその「汚職」を誰が促しているかとい

うことを真剣に見つめ、対策を考えなければならないという問いかけがなされた。

 このような問題を解決するためには、資金の流れを透明にすること、すなわ

ち国際租税情報を世界的に公開・交換する協定が必要であり、その実現をめざ

すことを主目的として設立されたのが、このセミナーの主催者の Tax Justice

Networkであった。TJNは 2002年にヨーロッパ社会フォーラムの場で誕生

した世界社会フォーラムの申し子であり、ナイロビでのフォーラムを契機に

TJNアフリカも誕生したことが発表された。

 次に、②の実際に課税を行う議論に関連して、グローバル・タックスには、

通貨取引税、多国籍企業課税、国際炭素税、天然資源税、武器取引税、航空券

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連帯税などがあるが、とりわけジェームズ・トービン(James Tobin)が考案

し、後にパウル・シュパーン(Paul Spahn)が再定式化した通貨取引税は重

要である。これは、通常の為替取引に対しては低い税率をかける一方、設定し

た変動幅を越える取引に対しては高率の税をかけ、投機を抑え込みつつ、一定

の税収を確保する 2段階課税のことをいう(Spahn, 1995)。

 グローバル・タックスが必要な理由は、①金融危機を抑える(通貨取引税)、

二酸化炭素の排出量を削減する(国際炭素税)など、グローバルな活動の負

の影響の抑制し、②税収を確保し(通貨取引税では、年間 1000億ドルの税収

(Jetin, 2006:32)、国際炭素税では年間 1250億ドルの税収が見込まれている

(Landau Group, 2003:112,ジュタン, 2006:108))、③グローバル・ガヴァ

ナンスを透明化・民主化するためである。

 第 3のグローバル・タックスを管理・運営するためのグローバル・ガヴァ

ナンスについて、世界社会フォーラムで発表を行ったヘルシンキ大学のヘイッ

キ・パトマキ(Heikki Patomäki)は、第 1段階としていくつかの国(最低

30ヶ国、国際金融市場での占有率 20%以上)で自主的に通貨取引税機関を設

立し、各国理事会と民主的総会を設けて民主的な運営を図ることを提唱した。

その際、議決権に人口の大小を加味し、政府代表、国会議員代表、NGO・労

働組合代表からなる制度を構想し、税収の一部を国連に提供し、国連改革と民

主化を促すことを提案していた。第 2段階はすべての国々がグローバル・タッ

クス・スキーム(この場合は通貨取引税スキーム)に参加する段階である。こ

の段階で国連経済安全保障理事会を創設すること、あるいは国連経済社会理事

会(ECOSOC)改革を行うことが提案され、これらに通貨取引税機関の役割

を担わせる案が提示された(Patomäki, 2001:204)。

 パトマキの議論で重要な点は、このようなグローバル・タックスのためのグ

ローバル・ガヴァナンスの議論がグローバル・ガヴァナンスの透明化と民主化

につながりうるという点である。周知のとおり、現状のグローバル・ガヴァナ

ンスは不透明かつ非民主的である。たとえば、国際金融市場は国際権力関係の

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いくつもの「もうひとつの世界」

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一大要素となっているにもかかわらず、前述のとおり、とりわけイギリスが支

配しているオフショア経済は不透明で巨額な資金が秘匿されている。また、国

連はアメリカの拠出金拒否の脅しに常に左右されるのみならず、安全保障理事

会の拒否権によっても非民主的な性格が与えられ、IMFや世界銀行に至って

は「1ドル 1票制」といわれるごとく、豊かな先進国、特にアメリカに圧倒的

に有利な意思決定が行われる仕組みになっている。

 グローバル・タックスを実施するためには、国際的に徴税し、税収を管理・

分配し、運営する超国家的な組織が必要となり、お金を管理する以上当然のこ

とながらこれまで以上に厳しく意思決定や税の使途の透明化と民主化が要求さ

れることになる。このような大きな可能性を持つグローバル・タックスが、グ

ローバルなオルタナティブを求める世界社会フォーラムの場で、真摯に議論さ

れていたこと自体に大きな価値があると思われる。

 グローバル社会運動の可能性と課題

 世界政府が存在しない以上、グローバル・タックスの成否は各国がこれに賛

同し、実施を開始できるかどうかにかかっている。しかしながら、各国政府は

自ら得た税収をわざわざ超国家機関に差し出しはしない。また、通貨取引税や

国際炭素税は明らかに経済界が反対するだろう。そこでグローバル・タックス

の推進役として期待されるのが、狭い国益や企業の利益に縛られず、環境、将

来世代などより大きな「地球益」のために行動できる NGOや社会運動である。

実際に NGOや社会運動が自国の議会に働きかけることにより、「他国が実施

するならば」という条件付きではあるが、カナダ、フランス、ベルギー議会が

通貨取引税の実施を可決している(Uemura, 2007a:121-122)。

 しかし、結局グローバル・タックスは「他国でも実施されなければ」実現し

ない。そこで重要になってくるのが、NGOや社会運動の国際的な展開であり、

そのためのグローバルなネットワークである。このグローバルなネットワーク

や社会運動が、グローバルに働きかけることによってはじめて、グローバル・

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タックスの実現やグローバル・ガヴァナンスの透明化・民主化の可能性が見え

てくる。前述の ATTACや Tax Justice Networkはまさにグローバル・ネット

ワークの好事例であり、世界社会フォーラムはこのようなグローバル・ネット

ワークやグローバル社会運動がさらにつながり、拡大する場(a movement of

movements)となっている点は特筆に値する。

 しかし、どれだけ NGOや社会運動のネットワークがグローバルに拡大して

も、これのみで大きな変革を促すには限界がある。そこで注目されるのが、賛

同する国々とグローバル社会運動・NGOネットワークのパートナーシップ

である。1997年に対人地雷禁止条約を成立させた地雷禁止国際キャンペーン

(ICBL:International Campaign to Ban Landmines)が成功した鍵は、ま

さに地雷廃絶をめざすグローバル社会運動・NGOネットワークとカナダな

ど対人地雷禁止条約に賛同する国々とのパートナーシップにあった(目加田,

2003:81-113;長, 2007:93-102)。2006年 7月に実施が始まった航空券連

帯税も、グローバル・タックスを提唱する NGOやグローバル社会運動とフラ

ンス、ブラジル、ノルウェー、チリとの連携が実現不可能と思われた連帯税を

可能にした(Uemura, 2007a:123-125)。

 このようなグローバル社会運動の可能性と課題についてのセミナーが、今

回の世界社会フォーラムの場で開催されていた。主催者は UNRISD(United

Nations Research Institute for Social Development、国連社会開発研究所)

であった。UNRISDは 2004年から「市民社会と社会運動」というプロジェ

クトを開始しており、今回世界社会フォーラムの場でその研究成果を披露し、

実際に代表的なグローバル社会運動を展開しているキーパーソンを招いてパネ

ルディスカッションを行うことで、グローバル社会運動の可能性と課題を浮き

彫りにした。

 その中で議論された重要な指摘がグローバル社会運動の「矛盾」であった

(Ghimire, 2005)。つまり、社会運動というからには、自発的で、自主的、組

織化しないで緩やかなネットワークとして展開し、多様な声や要望を包摂しな

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がら運動を進める必要がある一方、政治的に大きな影響力を与えていくために

は、安定した財政基盤を持つなど、ある程度の組織化が必要になってくるとい

う矛盾である。

 さらに、グローバル社会運動が内部に抱える「分断」も指摘された。それは、

①南北(先進国と途上国)の運動の分断、②急進派-穏健派の考え方の分断、

そして③既存のシステム(国連、政府、企業など)と一緒にやっていくか、独

立してやっていくかという戦略をめぐる分断である。

 この指摘は、現在の世界社会フォーラムにもそのまま当てはまる。まずフォー

ラムが多様な人々や団体、ネットワークが集って議論や情報交換、ネットワーキ

ングを行う「空間」としてのみ存在するべきか、統一の政治声明を出して政治的

なインパクトを与えていくべきかという点、次に思想的に近いベネズエラ、ブ

ラジル、ボリビアなどの左翼政権との関係を強めるべきか、あくまでも政治的に

中立でいるべきかという点、そして、それに関連して NGOや社会運動、労働

組合以外のアクター、つまり、国連、政府、企業との連携やパートナーシップを進

めていくべきか否かいう点など、フォーラムが直面する課題は大きい(アミン,

2007:44-53;ウィタケル, 2004:155-156;小倉, 2007:38-39)。これらはま

さに今後の世界社会フォーラムの帰趨を決定する課題となるだろう。

 今回ケニアに結集した参加者は 5万人と推定され、これまでの増加傾向か

ら一転して減少し、2008年はフォーラム始まって以来、初めて開催されない

ことも決定された。これは UNRISDのセミナーが指摘した「矛盾」と「分断」

が表面化した証左とも考えられ、非常に興味深い。今後世界社会フォーラムが

これらの「矛盾」や「分断」をいかに乗り越え、さらなる発展につなぐことが

できるのか。その答えはいまだ見えない。

 ネットワーキング空間としての世界社会フォーラム

 以上のように世界社会フォーラムは多くの課題を抱えているが、ネットワー

キング空間としての役割は衰えることはないだろう。実際に、筆者もこのフォー

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ラムに来たからこそ出会えたキーパーソンが多数いる。たとえば、世界銀行

のセミナーでは CADTM事務局長のエリック・トゥーサン(Eric Toussaint)、

Tax Justice Networkのセミナーでは TJN創設者のジョン・クリステンセン

(John Christensen)、別のセミナーでは従属論で有名なサミール・アミンや

グローバル社会運動のリーダー的存在であるウォールデン・ベロー(Walden

Bello)、UNRISDのセミナーでは「市民社会と社会運動」プロジェクトのリー

ダーであるクレヴェール・ギミル(Kléver Ghimire)やヘルシンキ大学のヘイッ

キ・パトマキと会うことができた。

 特にパトマキ、クリステンセン、ギミルは非常に好意的で、日本への招聘に

も快く応じてくれた。また UNRISDからは市民社会と社会運動プロジェクト

を一緒にやらないかとの提案も受けるなど、ネットワーキング空間としての世

界社会フォーラムの存在意義を実感した次第であった。

 キベラスラムに挑戦する―相互利益になる企画をめざして

 世界社会フォーラムの終了後、貧困の現場を直接視察するために、東アフリカ

最大のスラムである「キベラ」を訪問した。キベラはナイロビの郊外にあり、人

口は 80万人から 100万人と推定されている。キベラの発祥は植民地時代まで

遡る。この時代に沿岸部とナイロビを結ぶ鉄道建設が行われたが、その建設労働

者としてスーダンから強制的にヌビア人が連れてこられた。その彼らが住み着

いた場所が現在のキベラにあたる。その後植民地政策の一環で、ヌビア人たちが

強制退去を迫られたときに、多くの出稼ぎ労働者を迎え入れることで人口を急

激に増加させ、強制移住を阻止したところからスラムが拡大していった。現在

はさらに四方八方から出稼ぎ労働者が入り込み、スラムが大きく膨張している。

 キベラには政府の手が入っておらず、自ら自治を行っているが、視察して一

目でわかることは、衛生状態のひどさである。下水はそのまま処理されずに流

され、ごみは放置され、あちこちから異臭が漂ってくる。トイレも 40世帯に

一つあるだけで、暗くて狭いトタン屋根の住居にあふれんばかりの人たちが住

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んでいる。学校はあるものの、ほとんどの家庭が制服や教科書代などの学費を

払えず、インフォーマル・スクールに子どもたちを通わせている。人口が 100

万人近いコミュニティにもかかわらず、病院は一軒もなく、看護師と助産婦が

いるだけの「診療所」が 7つあるのみである。HIV感染率は推定 40%で、マ

ラリアにかかっている住民も多い。住民の一部はナイロビに日雇い労働者とし

て出かけているが、片道 20シリング(34円)のバス代が払えず、数時間かけ

て歩いて通勤することも珍しくない。

 今回、ライターであり、さまざまなイベント、テレビ番組、CDを制作し、ス

タディー・ツアーや日本とアフリカの子どもたちの交流を企画し、「MASAGO

(Mashimoni Good Samaritan School for the Orphans)」スクールというイン

フォーマル・スクールを共同経営している早川千晶さんという方にキベラを案

内してもらった。彼女は大学生の時から世界を放浪し、「人は何のために生き

るのか?」を探し続け、1990年からケニアに定住し、以上のような仕事をす

るようになった。

 彼女は、援助への依存による自立の妨げや外部から文化が入ってくる悪影響

など、ツアーや援助がもたらす副作用を最小限に抑えることを念頭に、現地の

立場で物事を見、企画するツアーを、ケニアの農村部とキベラスラムで行って

いる。このようなツアーを企画することで、ツアーの参加者にも、現地の人た

ちにも利益になることをめざして活動を進めている。実際に、スタディー・ツ

アーの効果として、外部から人が入ることによって、共同体内部で意識の変化

が見られるようになったことを明らかにしている。たとえば、伝統的な共同

体を訪れるツアーによって、長老によるレクチャーを村人全員が集まって聞く

機会が作られ、村の伝統や知恵が語られるのを聞くことで、村人が自らのこ

とを再認識するようになり、伝統を重んじる長老と近代化にあこがれる若者の

ギャップが埋まり、共同体の中に一体感が育ってきているという。

 また、彼女はツアーを通じて村人たちが生き生きし始めてきたとも述べて

いる。すなわち、伝統文化に対して感動するツアー参加者を見ることを通じて、

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また小額だがお金が入ることを通じて、村人たちは生き生きとし始め、ある長

老は「伝統文化はもうなくなると思っていたが、もう一度がんばる!」との宣

言をしたとのことであった。

 この早川さんがキベラで行っている活動の一つが、「MASAGO」スクール

というインフォーマル・スクールの共同経営であり、音楽を軸にした教育であ

る。「MASAGO」スクールはもともとキベラの一人の女性が、孤児や虐待を

受けている子どもたちを保護する「かけ込み寺」として作ったものである。そ

の後、早川さんがこの学校の存在を知り、財政支援を行って子どもたちに給食

と教育を施す学校に成長させた。

 実際にこの学校を訪れてまず驚いたことは、貧しくて苦しんでいるはずの子

どもたちが元気な挨拶で出迎えてくれたことである。また、学校の先生方も美

しいゴスペルのハーモニーと底抜けに明るい民族ダンスを披露してくださった。

そして、太鼓のリズムが聞こえてくると、子どもたちがおもむろにそのリズム

に乗って、手をたたき、振りをつけて踊りながら一斉に歌い出した。そのあま

りの迫力と子どもたちの元気な姿に非常に深い感銘を受けた。この悲惨なスラ

ムの中で言葉にならないくらい困窮しているはずの彼らが、こんなにも元気に、

笑顔一杯に、全身全霊で踊り、歌い、手をたたいている。そのあまりのギャッ

プに感動を覚えざるを得なかったのである。

 孤児や虐待されている子どもたちを匿い、食事を与え、アフリカでは生活

の一部になっている音楽を使って、子どもたちの潜在能力を引き出し、元気に

している「MASAGO」スクールの活動、そしてスタディー・ツアーを通じて、

「MASAGO」の子どもたちのありのままの姿を見せることで参加者に感動を与

えると同時に、ツアー参加費を学校の支援に当てる、まさに考え抜かれた相互

利益になる企画に、早川さんの熱い想いとそれを実際に現実化する知恵を見た。

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 キベラの最後のよりどころ  ―フレパルズ・コミュニティ・ナーシング・ホーム

 前述のとおり、このキベラには病院はない。看護師と助産婦がいるだけの「診

療所」が 7つあるだけである。その一つがフレパルズ・コミュニティ・ナー

シング・ホーム (Frepals Community Nursing Home)である。これは、ナイ

ロビの病院で長年看護師として勤務したフレーダ(Freda)さんが、退職後

の 1995年 11月に設立した診療所である。ここでの活動は幅広く、助産から

AIDSの診断とカウンセリング、エイズ孤児の保護、救急、病院の紹介、女性

グループ、若者グループの形成、マイクロクレジットまで行っている。フレー

ダさんに対するキベラの人々の信頼は厚く、多くの人々がこの診療所を訪れ、

命を救われている。

 しかし、実は彼女にはここで 2度も強盗に襲われて、すべての財産を奪われ、

命の危険にさらされた過去がある。そこまでの目に遭いながら、なぜキベラで

医療活動を続けるのかとの質問に対して彼女は、「正直言って、何度も逃げ出

そうと思った。でもキベラのかわいいベイビーたちを置いていけない。それに

こんな私のことを助けてくれる友人がいる」と答えていた。

 ここキベラで体験したことは、極度に悲惨な状況下で暮らす人々に対して何

もできないという絶望感の中で、この状況を何とか改善しようと身を投げ打っ

て社会活動をしている人々との出会いという何ものにも代えがたい心からの感

動であった。

 むすびにかえて

 ケニアへの出張、とりわけキベラスラム視察でまず感じたことは、貧困の

あまりにも悲惨な現実とやるせなさであった。このような問題を解決するため

には、グローバル・リージョナル・ナショナル・ローカル・コミュニティなど、

あらゆるレベルで現実を直視し、それぞれのレベルで本質的な原因を抉り出し、

効果的な処方箋を考案、実施することが欠かせないということを再認識した。

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 グローバルレベルでの租税回避や資本逃避の「漏れを防ぐ」ことなく、途上

国に援助をどれだけ行っても、まるで「穴の開いたバケツ」で水を汲むような

ことになるだろう。また、これだけグローバル化によって世界的に格差が拡大

している中で、グローバルな課税メカニズムの創設による所得の再分配を行う

ことなしに、貧富の格差が縮小することもありえないだろう。しかし、どれだ

け途上国に資金が入ってきても、それが適切に使われなければ問題解決にはつ

ながらない。その意味で、IMFや世界銀行による構造調整政策の抜本的な見

直しとともに、途上国政府のガヴァナンス・ビルディング(統治能力の再構築)

が重要になってくる。また、キベラのような現実を改善するためには、草の根

レベルで動くアクター(NGO、NPO、住民組織)が存分に活動できる環境整

備(資金援助、制度構築、法的な支援など)や能力強化(管理・運営能力、人

材育成など)も欠かせない。これらを進める際のキーワードは、透明性、説明

責任、参加、民主主義、コミットメント、尊重だということも、今回の調査を

通じて実感した次第である。

 貧困、環境破壊、紛争など、世界の現実は途轍もなく厳しい。しかし、世界

社会フォーラムを始めとして、世界では数々の解決策や処方箋が真剣に議論さ

れ、政策提言が行われている。しかも、航空券連帯税のように現実化し始めた

処方箋もある。そして今日もさまざまな問題解決のために、身を投げ打って活

動している人が世界中にいることを忘れてはならない。

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ウィタケル、フランシスコ(2005)「開かれた空間としての世界社会フォーラム」、セン、ジャイほか編(2005)『世界社会フォーラム―帝国への挑戦』(武藤一羊ほか監訳)、作品社、154-167頁

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小倉利丸(2007)「閉ざされた『自由な空間』から社会的空間のオルタナティブへ―世界社会フォーラム=空間論批判」『季刊ピープルズ・プラン』ピープルズ・プラン研究所、No. 38、6-21頁

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セン、ジャイほか編(2005)『世界社会フォーラム―帝国への挑戦』(武藤一羊ほか監訳)、作品社

小林正弥、上村雄彦編著(2007)『世界の貧困問題をいかに解決できるか―「ホワイトバンド」の取り組みを事例として』現代図書

ミレー、ダミアン、トゥーサン、エリック(2006)『世界の貧困をなくすための 50の質問』(大倉純子役)つげ書房新社

目加田説子(2003)『国境を越える市民ネットワーク―トランスナショナル・シビルソサエティ』東洋経済新報社

毛利聡子(2004)「ムンバイ発『もうひとつの世界は可能だ』―第 4回世界社会フォーラム報告」『接続』ひつじ書房、238-263頁――(2006)「世界社会フォーラムに集う『マルチチュード』―バマコ~カラカス~カラチからの『陳情書』」『接続』ひつじ書房、154-175頁

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(うえむら・たけひこ)(2007年 3月 9日受理)