前 一 労 動 事 会 日 解 号 会 に 四 説 の 員 貢 で 月 …...1qq只f三...

1

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1qq只f三 『 日1nFl筆 黛含q暑

日本記者クラブ会報

功労会員制度

の導

入決まる

一号会員に藤原作弥氏

四月十七日闇催

の第

一.一〇

一.回理

事会

で、長期

にわた

って委負会

に貢献された会員を

遇す

『功

労会員制度し

の導人が決ま

り、第

一号の功労会員に、時事通

信社

前解説委員会顧問の藤原作

弥さん

第339号1

1998年

〔平1茂1〔〕{ド}

5月10日 発 行

が満場

一致

で椎きれました。

ご承知

のよう

に藤原

さん

は、

11

の副総裁

に就任されまし

たが、

足かけ十年

にわたり当ク

ラブ

の企

画委員

として、主

に経済

・金融関

のゲ

スト

の選定

から出席

依頼の

シラク大

統領尋

用と司会

の加

理事

長用

のボデ

ィウ

ムを並

べ、立

ったま

の会

〔4

・29)

交渉

、司会、会報

の原

稿執筆

]手に引き受け、

内外に

クラブ

の評価を大

いに高めて

れました。藤原さ

のこう

した

ご努力

に多く

の会

員から

「何

か功労にふさ

わし

い遇し

はな

いのか」と

いう声

が寄

せられました。

こで加藤理

長、杉出総務委口貝.長

のご意

向もう

かがい、会

費免除

で終

身会員

の、同制度

の新

設を決

.区

、フ

スセ

ンタ

⑰蝋

-咀

.C社

ラブ

.浸

..五

∩)、一.吐

いた

いた

です

っそ

く藤

『誠

に光

な御

配慮

お受

けす

の礼

した

隔ジ

静、ー

スト

を忘

に銘

て新

い職

に遇

です

と、

のほ

いま

た。

で、

H本

は同

理事

で、

がら

弼受

者な

と決

りま

た。

でも

田総

務委

、推薦

の推

開催

れた

四月

の選考

委員

の経

いて報

ント

.二候

ブ賞

に値

のであ

った

、と

たう

で、

「選号

委員

評価

つ19一大

終的

には

行わ

一回投

で、

の二を

がなく

、過

に達す

る候

った

ラブ賞

り、

受賞

者な

った」

と答

内容

しま

た。

これを受

て加

理事

規約

五条

「誠

に、

残念

ヒ、

、を

議決

です

「ジ

ャー

リズ

の活

のた

にも

でき

れば毎

.優

を幽

した

いう

のは、

にも異

のな

いと

ころ。

は各

とも

いう候

多数

いた

い」

く.要

望し

した

のゲ

スト

入。

国賓

て来

[さ

スカ

ロ大

フラ

シラ

ク大統

の胡

錦濤

・E席

の超

VI

Pを

でき

藤十

朗参

町村

、国

の要.

にも

お出

いた

まし

た。

に、

四卜

四回目

の訪

いう

ク大

は、

『危機

』と

いう

字を

明し

[本

いて

の質

に答

るな

ど、

日派

ぶりを

遺憾

まし

日新

「余

(5

i

)と

「産

抄」

(5

・8)

に紹

た。

お読

みく

ださ

い,

(専

理事

那部

)

(1)

1998年5月10日 第339号

ク ラ ヅ ゲ ス ト

柳井

俊二

外務事務次官

i、丼(∫ ド {卜 食 ∫,

口1`セ 承'垂」{1占}卜委 ら1

争:尋1]「尚 一・委 歩i

昌㌔活ワ11{}ノ ㌧

ラブ

への

登場

はヘー回

で三

目、冒頭の約四卜分間

のスピーチも、

の後

の質疑応

鷺口も

F

よく

こな

。事務方

の総帆只任者ヒ

して、日本

交を担う白信

から

か.

控室

での記帳

の際、弔村委員

が「見

になるよう

な話を

.一つはし

てく

だ赦、い」と今心ヰ一捌ロした

が、「外交課題

は多

いのでね」

と笑

いな

がらかわ

た.柳

片次官は

「わが国

の・E要外」父課

題」

いう資料を事島嗣に配布して

ので、最近

のA

SEM

(アジア吹

州会議

)首脳会議

の結

果、

これに関

連す

るアジア経済

危機

への対応

、日

ロ首脳会談

の見通

し、

日米、

日韓

係など醸要問題

いて要領

よく

ント

した.

次嘗

は11本経済

がよくな

い時期だ

けに国民

目が内向き

になりが

ちだ

が、「外交は

政府

だけで行う

ので

はな

い」

〔小渕外

)とし、外

交闘.題

への

国民

の理解

を呼

びかけた、AS

EM

で日本がア

ジアヒ欧州

の橋護

し役

かなリ果た

たと誇示した,

質疑では

ロシアのエリ

ツでンー入

統領

の訪

延期

れたあ

に、目

ロ問

への関bが高

一.た。

次官は北方領

での日

ロ共同繰済

ついて

「深く議論

はして

いな

い、

」問題を

ビう解決

して

いくか

にか

って

いる.

両国

が広く知恵を出

必要がある」

と述

べ、

ロシア側提案

に前向き

の姿

勢を

.小した。

次官はまた

日米関係は基-不的

良好だが、米

要入

が日木経済

つい

「凱ち・人

った話」をして

いる

こと

に不快感を示

した,

U韓新漁業

については.金

中大統領

の訪

11までにめどを

つけた

いと述

べ、今

までの妥結を

一小唆

た。日

ロ、

巨韓問題

でどう

にか兄出

しが二

つでき

か。

基硯鼎冗に桝㎜剛且杜ム酬」説禾又昌只

宝利

スカ

・ルイ

・ス

ア大

小柄な

スカ

ルフ

ァロL八統領

が、随

員や在日大

使

館員

に囲まれ

て会

見室

に姿を現し

ヒき.同行したイ

ァ八記者た

の静けさヒ行儀

の良さ

が本当に印象

的だ

った。記者と

てもそこは

タリア入だから、

取材

対象レrして

い政蟻伽{氷にAム・りレ一、

いして親

くな

いのにファー

スト

ネームで呼

掛けたり、質問

のため

って手を

げたりするなど

,

興奮

ぶりはす

わかる。彼ら

おヒ

なしか

ったヒ

ころに、慎重な

発言

「記者泣

せ」

ヒ言われ

てき

た大統

の真骨.項

があ

るのかもしれな

い。

大統

】九元

二年

五月、

.卜院議

長から大

に就任した.政

治家

対す

る汚職

捜査の嵐が吹き荒

れて

たヒき

で、

戦後

のイタリアを動

かし

てきた大

政治家はほとんど

捜査対

象ヒな

り、

政汁d命を失

った。

それ

までの大統

は、キリスト教

民、L党

(DC)

.….年解散

11

の古

のド

院議員

であ

ったが.ビち

らかレ一いえ

一匹オ

カミタィフで、

派閥を作

らなか

った、身辺の済潔

に定評

ったた

め、政治

への信

回復

の切

り札とし

て超党派で担

がれ

のだ

た、当

の新聞漫画で描

れる大統

長 女 の マIIア ン+さ ん も会 見 に 同 席

,ク

姿

った

.

レオ

、..兀首

.兀凱自相

姿

レ一り

って

(2)

1998年5月10日 第339号

ク ラ ブ ゲ ス ト

を請

い、政治家

の腐

に怒

ってい

たイ

タリア国

の留

下げ

た。坊

さん姿で描か

れた

理由はもう

つある。長

い間

DCと

いう中核与党

にありながら、派

に属さな

いで自

の道を歩

いたと

いう

ことは.要す

に頑固哲で自分

の政治信念を曲げ

なか

ったからだ。

[さ

がな

い政治家

たちは陰で、妥協

しな

いと

いう意味

こめて

「神学者

と呼んで

いた。

そんな孤高の姿勢

をち

ゃかし

て大続

に僧服を青せた

のだ

った、

久し

ぶりに兄た大

統領

は顔

の色

やも良く、上機嫌

った。イタリア

政黒川の再編と財政

赤{r削 減.単

ご翅

ユー

ロ導入を

めぐ

る欧州各国との

斎藤

十朗

参議院議長

参議院選挙が近づ

いてきた

ので、

藤議長に登場願

った。当面

の政治

の争点だけでなく、参議

院の在

り方

ついて考えてお

こう

いう狙

いか

である。

「衆議院

のカーボ

ン・コピー的存在

いかと

の批

にど

う答

か」と

いう質問

に、衆議

院にはな

参議院独自

のカラー

印刷

の傍聴券を

(

駆け引きなビ

、ず

っと修羅場をくぐ

ってきたはず

が、

疲れを兄せるど

ころか精気す

みな

って

いる。

の状況とも

関連

て、イ

タリア

政治改革

の進

ょく具合に何点

つけ

られるか聞

いてみた。答えは

「大統

の立場から点数

つけられな

い」

った、

ロー

マの

ッサジ

ェロの記

が「きちんと

数を

つける

.へきだ」

と援護射撃し

てくれた

が、受け付

てくれなか

った。

「記折泣かせ」は相

わらず

のよ

だ。

共同通信社

編集

委員

中沢

正信

4・16

〔木}記耗会兄

司会

藤博久理躯長

通訳

レ!テル駐

H尺使館通訳官

出席

隙人

取り出し、国

民に身近な参議院を

して努力し

いる

こヒをサラリと

PR、まじめ

そうな

風ぼうと違

って

かな

か、芸

が紐

い..

参議院

の独

自性

を発揮するため、

問題提起から十

八年-ぶりに実

現し

しボタン式

投西耶、委n貝会

の再編成

の説明を

くと、歴代議長

には

少な

「説明能

のあ

る政治家」

いう印象を受

けた。

ところで、

最近

の新聞

・テ

レビ

報道では参議

に関係した.記事

はた

くさん出て

いる

が.二院制

の下

での

参議院

の機能

はど

うある

べき

か、国

の意見を反

映さ

せるため

に参.議

の選挙制度を

どう

変えて

いく

かと

った基本

に関

る記事

は、

ひと

ころ

に比

べて少な

い感

じを受け

る。

日本

記者

の企

いて

は、当面

の大

きな

問.題をタイ

ムリー

に取りLげる

こと

が第

一。

これ

に加

て.比較的

味なテー

マでも基本

に関わる問題

に取

り組むことが大き

な役割

だと個人的

には考

いる。

デイリー

の.記事

にならなく

ても、

ラムや社説な

どに企画した会

の発

が引

いる

のを

つけ

ヒ、企画

の意味

がわか

っても

らえた

とうれしく

なる。企画

の中身

を充実

させ

いく

めにも.A吾貝のみなさ

んから率直

な感

想や意兄を

いただく

レ一あ

りがた

い。

話を.兀に.戻す

ヒ斎藤氏

は、丘卜丘

で議長

に就任、歴代議

の最年少

で、政界

では続投説も聞

かれる。ボ

スト

はとも

かく、時代

の大

きな変わ

リ目を迎

えて

いる

ので、参議

の基

・在

り方

に踏み込んだ

改革

の推進

役を期猟けした

い。

N11K解

説委

神志

泰裕

4

・17

(金 昼.食会

司会

川、”

恵.r委員

神志呂泰裕委員

出席

1

8ノ

イグ

イオ

・ビ

O

ECD経済

総局長

イグナ

ツィ

・ビスコO

EC

D経

済総局長は、

タリアの中央

銀行出

のエコノミ

スト

である。

それだ

に口本経済

いての話も感情

を抑

え、客観的な

数字

に基づ

いた手堅

内容

に終始

し、正直

いって、

さし

.面自

いと

は思えなか

った。

が、最

近、外国

マス

コミの

にみられる

口本経済論

には

「崩壊

ψ前

の日本

」と

った調

子のも

のが

(3)

1998年5月10日 第339号

ク ラ ブ ゲ ス ト

いだけ

に、

かえ

ってOEC

D

のよ

な国

際機

の責任ある専

門家

が日

経済を

どう評価し

ているか

がわか

って有益

った。

経済

総局長は、几八年の日本

のG

DP成

長率をド方修正した理由

とし

て、アジア通貨危機

の影響

、九

七年

から

の財

政引き締め、銀行

によ

小企業

への貸し渋りと

いう三

つの

因を挙

いた.しかし、

これら

いず

れも短期

の要因であ

り、

日本

胡錦濤

中国国家副主席

「フー

・ジ

(胡

)、

i2」。

一・几九

.一年秋、四十代門の若さ

でチ

ット

自治区党再

記から共産党

のト

ップ

七人

で構成す

る政治

局常務

委員会

入りした時、多く

の人

が驚

た。昨秋、

常務委員に再選、

次期総

の最

候補

の定

も、依然

「フiP」が

つきま

とう。

の場A14は人

の老齢化

や、

サー

ビス

産業分

の競争力

の欠落な

ど、長

期、構

造的な

マイナ

ス要閃

がある

とを指摘

これらの

マイナ

ス面

にど

・・ーチ

ャレ

ンジするかが大

きな

課題だ

と警告

いた。

とく

に徴侃通

、運輸、

エネ

ルギ

ー、

電気通

信な

の分野で

の規制

緩和を

強調し

いた

のが注目され

た。最後

に、

日本

経済

は基盤がし

っか

りして

いるの

で長期

的にみれば大丈

夫と

明る

い展望

にも触れ、

話を締

めくく

って

いた、

個人

D会員

(毎

B新

聞O

B)

田中

洋之助

4・鉤

{月り記者会見

司会

ンダ

.シーグ委員

通訳

長片鞠

出席

72人

っぱ

ら党務

畑を歩み.外国

と接す

る機会

が少な

ったせ

いだ

ろう。

それ

が今春

の全国人

民代

大会で

国家副主

に選出され、

対外

活動

舞台

に。副

主席とし

て海

デビ

にな

った

日本で、本格的

者会見

に初め

て臨ん

だ.当記者

ラブ

では

七八年

の故郡

小平副首相

(当

時)を

に、過去

ニレ六人

の中

国要入

を会

のゲスト

に迎えた

が、今回は

九一.年

の江沢

民総書

の時

の最多参

加者記

(三.一.一八)を塗

り替えた。

”未

への関心のなせる業

だ。

丘卜

丘歳

「中国第

四世代

のプリ

ンス」

は、紺

のスー

ツに気

ロ…と知性

ヰb包

で旧呪れ

た。胡啓ゐ凱

・.兀政り禰局

常務

に似

いるなあ、と

った。

じ共

産主義青年団

の出身。

啓立氏

も次世代

の指導者と嘱望さ

れたが、

.大安門

事件で挫折した。柔

和な外見

の陰

に強

い意

思を秘めたタ

イプ

だ。

「あ

の若

で副主

に選ばれ

のは不可解。肖分で立候

補したの

か、

それともだれかが推

したのか」

の質

問が

いきなり飛ん

だ。「郡小.平

が江

沢民を後継哲

に指名

したのと同

じ非

民・王的選出パター

ンではっ・」と

いう底意

のある質問

った.

胡氏

一瞬苦笑を

浮か

べたが、動

じた様

。†はなか

った,

憲法

の選出手

続きを

説明したL

「自

分がなるヒ

も、な

ゆた

いとも思わ

なか

った」「全

人代

ヒ八

の信傾

の表

であ

り、期

待にこたえる

べく

全力を尽く

とよどみなく答

えた。

「日米

どちらと

の関係

が蔽要か、中

国首

脳が

いまだ

に過去

の戦争

にこだ

わる

のは疑問だ」と

の質

への応答

は巧

みだ

った。世界と地

域の.悟和と

発展

に日米と

の関係

いずれも重.要

とし

ながら

「日中

は歴史

を教訓にし

関係を

発展させる

べき」

と語し、H

の歴史認識

の甘

さを

さりげなく

摘。

1ー中

が米中

レ一同様

に戦略的

!ト

ナ!になるには、な

お努力を要

ことを示唆し

た。

日中

共産党

の関係修復

の動きを率

に認

め、米国の

レスタ

・ブラウ

ン博

の中国の水資源

・食糧危機説

に関す

る質問には、中

の水利

・食

政策

の正しさを強調

て反論、清

(4)

1998年5月10日 第339号

ク ラ ブ ゲ ス ト

華大水利工

程科

の専門家ヒし

ライドを

のぞかせた。

の応答

ぷり

に頭

の回転

の速

さと

とも

に誠実

つ率直な人柄

がう

えた。党幹

の腐敗

が深刻化

る中、

この人

にスキ

ャンダ

ルのう

さは皆無。

廉潔さ

は故胡耀邦

(元総

書記〕、胡啓藍両

が指導した共産主

町耕

信孝

文帽

町村文相

は会

に合わせて、

焦点

の教育改革プ

ログ

ラムの改訂案

を発

表した。

クラブ

への敬意とサー

ビス

のあらわれだ

った

ようだ。改

の要

点は①心

の教育

の充実②

個性

を紳

し多様な選択

ができる学校制度

の実

現③現場

の白駐性

を尊重した学校

くりの促進④大

学改革と研究振

佐}i

子」」冒

頭、文相

この日報じられ

た大

蔵省

の大量処

に触れ

「戦後を支

義青年団

の伝

統だろう

(三八

とも同

とは

ー)。

スマ性とは無

の、

いタイプ

の指導者と見受

けた。

共同通

信社

編集局次長

伊藤

4・24

〔金)記茜会見

司会

一路理嚇

通訳

呉江浩馴11大

使館

一等詐記官

出席

蜀入

てきた

ステ

ムが壊れ始め

た。教育

にも崩壊

現象

が見える」と断

じ、最

近の少

年犯罪

の凶悪化、

いじめ、不

登校な

「こ

こま

で学校

の荒廃

が進

むと、

家庭

の問題

にも踏

み込まざ

を得な

い」

の認識を示した、

また害ハ任、

務の伴わな

い・目由

平鮒寸の山権利此思温識のμ∬き過ぎ・が

「,悪平

等と無

秩序

生んだ」と、具体的

事例を挙

げな

がら、家庭

や渇†校教

の問.題を指

するととも

に、

それは

「大入

の社会

にも真卍面

から反省を

求めること

でもある」と語

った。

に文

は大

学改

「積

極的

に取

り組んで

いる大

学と、

そう

でな

い大

の華が大き

い」と述

べたうえ

で、「文相としては語弊

があ

るかもしれな

いが、やらな

い大学

つぶれ

るだろ

うし、個入的

には

つぶ

べき

だ」と厳

しく批判し

た。

全体

のトー

ンは法秩序

全面

に出

した

ひと昔前

なら

“タカ派

文教族

η

の系譜

と受

け取られると

ころ

だが、

はそ

んな色

分けは不要な

ほど、教

の荒

が深刻と

いう

ことだ

ろう。

あえ

「新憲

法、教育基本

に問題

の根

がある

レ一考えるか」

と質問し

たら

「そうは孝

えて

いな

い」

いう

答え

った、

「実

は」と文

相が明らか

にしたと

によると、

東大の学園

闘争

の時

スト

を指揮す

る全学連

の書

記局

にい

たと

いう。「し

かし、三派

でも

民青

い。

った

。そ

退

い立

った

”秘

いま

出兄の

虹r長

の第

.線

歩」撹

「皆

いう

で、

「誠

長岸

4

・28

〔火}昼

食会

司会

川.11

f委

D

8ノ

ック

・シ

フラ

ンス大統

に四十

四回目

の来

日と紹介さ

れた。三年前

に大統領

に当

選したと

には確

か訪

H四レ回

の親

日家と紹

介さ

いた

から、それ以降

でも四

回目

の訪

問と

いう

こと

にな

る。今回

フラ

ンス文

化を総合的

日本

に紹

介す

るため

「U本

における

フラ

ス年」

開幕式

出席のた

め。

相撲

を愛

し、日本文化

に詳

い大

統領

フラ

ンス商品

の輸

出促進

につ

がるイ

ベントのため

に来

のだか

ら、

日本

に厳し

いことを

言うはず

い,

それでも「日本滞在

は楽し

い。

が短す

ぎるのが

いっも残念だ」

いう

のは外交辞A11ではなく水翰口の

よう

だ。

日本

経済

の先行き

いては、回

復す

ると信頼して

いるし、心配する

必要

はな

い、欧州諸

国も不安を持

いな

いと日本政府

を激励する.菖葉

を並

べた

が、そ

の後

で日本通

ぷりを

披.露した。

(5)

1998年5月10日 第339号

ク ラ プ ゲ ス ト

字では

「危機

は危険と機会と

敦口く。危険

(リ

スクV

は管理しなけ

ばならな

いが、機

(チ

ャンス)

つかまえなけれぱな

らな

い。膿ホ刻

な顔をして悲観的

に考

えるより将来

に向け

て機会をと

らえ

ることを考え

べきだと説

いた

のだ。

ほかのヒこ

でも

「木を見て森を

見ず」

にあた

る表

現をさりげな

く使

った

り、日本

文化

ついての素

養はさ

がに付け

焼を㌔刃ではな

い。

目本

やアジアの危

機と

は対照的に

欧州

が自信を深め

いる

ことも言葉

のはし

はしににじ

み出

いた、統

通貨

「ユー

ロ」

のスタート確定で欧

アジア経済危機

の影響を免れた

のだと説明し

、欧州

でど

の政党が政

権をと

っても

コンセ

ンサスがあ

ので欧州統合

建設

には支障がな

いと

欧州

の成熟

りを誇

.不した,

フランス大統

領らし

さを畠した

は、米欧自由貿

易協定構

想を

「や

が横暴だ」

と厳

しく

拒否したこと

と.文化

の画

一性

は危険

だと断言し

ことだ。名指

しはしな

ったが.

「英語帝国室

義」

への反撃

である.

っての会

に出

のは初めてだ

った

が、壇上

に並

んで

いす

に座るよ

マートに見える。

ただし、

この

日は百几トセ

ンチを超す

長身

のシラ

ク大

統領が相

手だ

った

だけに、司会

がやりにく

そう

に見

えた.

個人

D会員

(共

同通信OB)

秋山

民雄

4.29{水,記 者 会 見

司会 加 藤 博 久 理 事 長

通 訳 本 多f{知1∫ ・

伊 藤 ひ ろ み

ノ」、1rlカミー ユ

エ レー ヌ ・ヘ ス ケ

出 席3il[入

日経、産経一年生記者が シラク会見 を “取材

囲碁

の会●

一.一月

の例会

が四月

にずれ込んでし

ったため、

れば

せな

がら九七年

の各種

ベスト

ンの発表です.(敬

略V

勝率

⑦長尾

(・80)②船山庄

(・79)③

川丘郎

72V.④吉

正也、中俣冨

.二郎

(・68)⑥丸山勝

(・63)⑦

目比

野和幸

61)⑧河

野聡

59)

⑨山

崎政八

58)⑩

沢信昭、出

田裕

(・56)

(十五局以

V

ち点

増加数①

川五郎

(17)②

フラ ンスの シラク大統 領の会見14.29)に 、

ll本経済新聞 と産経 新聞の新人記者が、研修

の ひ とつ として出席'しま した.4月 に 入社 し

たばか りの計45人 は緊張 した面持 ちで会兄場

に 入 り、ベテ ラン記者 に混 じり熱心 にメモ を

取 ってい ま した(写 真)。

会見終 ∫後 、大統領の “生の姿、 に興奮 し

なが ら出て きた産経の記 者は 「日本の メデ ィ

アだけでな く、 ロイターな ビ世 界的 なブ レス

の記 者 も脇 で取材 を していた。遠 い世界だ っ

た場所 にいま 自分が いるんだ と思 うと圧倒 さ

れ ました」と新 人 らしい感激の弁。 さらに「日

本の非核一三原則 を どう思 うか質問 してみたか

った」 とい う頼 もしい発言 もあ りま した。

比野和幸、船

山庄

(11)④占沢

(10)⑤長尾

(9)⑤中俣富

二、

郎、大空博

〔7)⑧羽田晋

.、山路

憲夫

(6)⑩

松本

昭男、河野聡

(5)

勝ち数

西

山武典

(35)②

目比

和幸

(31)③

田川五郎

、吉川真澄

〔28)

⑤相川誠

(24V⑥小野盛四郎

〔23)

⑦占沢正也、

下村澄

(19)⑨後

藤文

康、都留重人

(18)

なお、佐伯安彦

(時事

通信顧問

)、

斉藤寿

(北目本

新聞東京支社編集部

長)の両氏が新

に入会しました。

回の例会

五月二上

「.H

〔⊥)

午後

一時からです

(6)

1998年5月10日 第339号

臓会

議報

98年度

日本記者クラブ賞選考

委員会

〔4・3

左会議室“

クラブ賞推薦委鼓会

の春原

昭彦委

員長の報告

を受けた後、選考

に入り、

最終的

には内

規による投票

の結

果、

「本年度

は受賞折なし」を決

め、理

事会

へ答申

した。

出席

田委員

長。神塚、住

田、斎

田.田村、田畑、石川

、浅野、

の各委員。加藤

理事

長、

藤副理事長、那部導務

理事.

第剛回会

報委員会

{1・B

小会議室}

委員交

〔大空博氏

から秋

山民雄

A法人会員代表変更∀

産経新聞社

(新)清原

武彦

代表

取締役

社長

〔旧)羽佐

間重彰

河北新報

(新)河

束田義郎

取締役論説

・編集

・次

期制作

システ

ム担

(旧)相

沢雄

一郎

CNN

(新}上

マリーナ

東京支

局長

(旧)

ョン

・ルイス

氏)を報

告した後

、五月

の編集

ついて協議したほか、.夏

の口写の特集

など

いて意見

を交換

した。

出席

田村、塚越

、和田

、秋

山、伊

波、埜邑の各委員

蹴回企画委員会

(4

・15

Lへ会議室〕

禾各貝交代一〔時事

・藤原

弥氏から

沢亜夫解説委U貝長兼

婿柵集

局解説

ンター長、

NHK

・小宮

山洋f氏か

ら迫田

朋子解説委員

)を報

告した後、

A・後

のクラプゲストに

ついて意兄を

交換し

た。

出席

神塚委員長

。住

川、重村、宝

利、小林、福

沢、迫田

,羽生、

菱山、

ワーグナ

ー、浅挫

の各

委員。

25回監事会

(4

・15

大会議室}

九七年度

の会計

監査

を行

った.

出席

富尾

、矢野

の両

監事。

瑠回会員資格委

員会(4

・16

小会議室一

五月

一日付の人

退会

を審議

し、理

に答申

した.前

に引

き続き、

ュニア会員制度

の導

や法入賛助

会員

の入会

問題

ついて協議

した。

出席

田委員長。

北村、

河西、伊

藤、市村

、村

の各委員。

71回総務委員

〔4・17

小会議室〕

・几七鉱-度の事

業報

生口および収支決

を原案通り承

、次期繰

り越し収

差額処分案

(収支

差額

四.五六八

万五

、011じ円

のうち

一.○OO

万円

を退職準備

立金

に.

.、○○

∩)万

円冷」資産准・備

積俘…金

に繰

り入れ

八年度.r算に追

加計

上し、

二.丘

八万配、〇五

円を

繰越金とする

)

を作

成し、理事

にヒ申した。

出席

杉川委員

長。

川、斎

出、田

村、石川、

野、酒片の各委

員。加藤

理事

長、斎藤、藤村

の両副理事

長、那部専務

理事

襯回理事会

{4

・17

大会議蜜}

一、兀L年度

の事業

・収支決算

の総務委員会案

承認

した。

一、

瓦八年度

クラ

ブ賞

「受賞者なし」

決定

した.

一、委員会活動

で多大

な貢献をし

個人を

対象に

「功

労会

員制度」を新

し、藤原作弥

・前企

画委員

にこれ

適用する

こと

を承認

した。

出席

加藤理事

長、斎

藤、藤村

の両

副理事長

那部

専務理事、杉

田、住

田、斎田、長谷

川、出

(泰

)、斉藤、小笠原

、黒澤、

木下

、石川、浅野.酒井

の各

理事

。矢野監弔.

第m回施設

運営委員会【4

・⑳

小会議室)

几ヒ年度

の貸室

収入とアラ

スカか

らの割

リ戻し収

入に

ついて事

務局

ら報告があ

った後

、前

回に引

き続

き、

総務委員

会か

ら検

討を依頼さ

たテ

・若

の現役

記者

に親近感を

ってもらうた

の方策

ついて協

した。

出席

石川委

長,佐藤、川村

、宮

川、

山田

の各委員.

会員

の著

{ご恵贈いただきましたH

母親

のた

の教育

野原

(丸善

ライ

ブラリー

一.○円

マレーシア歴台

天国

培春

〔NTT

出版

一、四〇〇

円}

贈書

情報総覧

現代

ロシア

ユーラシア研究

平成

捕年

版防衛

ハンドブ

ック

防衛庁長官官.房広報

(7)

1998年5月10日 第339号

いた話

かなか

った話

保利

さん

のピ

ャリ

尾崎

美千生

あれは高速道路

・横

羽線

の開通

の日だ

ったから、昭和四十三年

一月

ニー,八日のこと

である。折

しも、当時

の佐藤栄作首相は、自

民党総裁として三選を果たしたも

のの、すでに党内

では

「ポ

スト佐

藤」

へ向けての姦

が始ま

ってお

り、

同三十日に完了した佐藤改造

内閣

の人事をめぐ

っては、福田赴

夫、田中角栄両氏

の動きを焦点

に、

激し

い舞台裏

の駆

け引きが展開さ

いた。

は、佐藤派の番頭

格で、建設

臣だ

った保利茂氏番

を任されて

いた。とは言

っても、

まだ政治部

米記者だ

った私

が大御所の保利

氏を担当して

いた

のには、ち

とした訳があ

った。

佐藤派の重

・保利氏に

ついて

は各社、相当

のベテラン記者を配

して

いた。そし

て保利番記者

は「剰

クラブ」と呼ばれて

いた。名前

の由来は、保

利氏

が農林大臣

の時

の総選挙で油断

して落選、不遇を

っている時

に訪れて

いた記者

たちを、保利氏

が同氏

一流

の譜

精神で

「(ネタ

のな

い)わしのと

へ来る諸君なんぞ、さしずめ新

聞社

のあまリ者

(もん)じ

ゃろう」

と、からか

った

ことに端を発し

らし

い。

同クラブには

「毎

日」もかな

の古強者を

配し

いたが、同記者

衆院選挙

に立候

を決意、社を辞

たため、建設省

った

が、急き

「剰員

クラブ」

一員

った

のである。

東京目翌…のE仁

木通りの保利邸

への朝駆けがH

とな

ったが、保利氏と

ベテラ

ン記

の間

で交わされる話

の難

解さと

きたら、まる

で「禅問答」。

恥ず

しながら親

切な他社

の先輩

記者

頼んで帰路

、近くの喫茶店

「翻

訳」をしてもら

ってから、社

のデ

スクに報告

を入れると

いう体

たら

くも

一度

ではなか

った。

保利氏と

は姻

戚筋に当た

る社

先輩から

「どうだね、最近

の親父

さん

のご機嫌

はP」と聞かれた

とがあ

る。

「えー、まあ」とあ

いま

いな答えをす

る私に、先輩

記者は

「ワシが何

か質問しても、無

っと窓

の外を眺めながら何

分間

口をき

かな

いことも

るからね

えー」と、新米記者

に同情的な眼

差しを向

けてくれたも

のだ。

の担当当時は

「保

利さ

んも、

一度落選し

てからは随

分柔

らかく

った」と

いう評判も

こえ

てき

ただけ

に、目

の前

いる難解な政

治家

の昔は

一体どうだ

った

のだろ

う、

と想像したりした。

て、冒頭

の横羽線

開通式

の朝、

私は開通式

のテープカ

ット

に出席

る保

利建設大臣の車

「ハコ乗

り」(同乗

取材Vをす

ること

に成功。

あと

一人、やはり私同様、ま

だ駆

け出し

った朝日の羽原清

雅記者

(現

日新

聞西部本

取締

役)と

二人

が、保利氏

を真

ん中に

挟むよう

にして横浜

へ向

った。

話は当然、改造人事。

の日ま

でにおお

かた

の大臣ポ

スト

が固ま

り、

焦点

は内閣官房長官

にだれが

座るか

に絞られて

いた。

一時

は、当時要職を離

れて

いた

田中角栄

の名前も取

リざたされ

たが、

この日朝、佐藤首相

に呼ば

れた田中

氏は、官房長官ポ

ストを

(8)

1998年5月10日 第339号

って

いた。ポ

スト佐

の座を密

に狙

っていた田中氏

は.後継首

に福田赴夫氏を推

いた佐藤

首相

「調整」を警

戒し

て、首相

に身近な官房長官

への就任を固辞

たも

のと観測され

た。

「親福出」と見られ

いた保利氏

は、それまでの取材

に「横文字

(外

大臣)は苦手じ

ゃ」

「死刑の

ハン

コ押し

(法務人臣Vは

ご勘弁を」

と、残された重要ポ

スト

への就任

拒否を言外

にほのめ

かして

いた。

こうした情勢を背景

に、車中

私はズ

バリ切り込

んだ

つもりだ

た。「先生、こうな

ればもう官房長

官しかな

いではあ

りませんか」。そ

の時

である。「ピシ

ャリ」と大臣

右側

に座

って

いた私

の左

の大腿部

に、保利氏

の分厚

い右手

が飛んで

た。相当

の力

が入

って

いた。「キ

ミはわし

が初めて官房

長官をや

た時、もう生まれ

ったかね」と

いう怒気を含んだ声

一緒

に。

保利氏

はすでに、

この十七年も

の吉田内閣の時

に官房長官

の重

責を

こなして

いる。佐藤派内

では

先輩

格の自分

が、

田中角栄氏

がけ

ったポ

ストなど受

けられるか、

の気概もあ

った

ろう。私は、そ

言葉

の激しさに圧倒された。

デス

クに

「保利さん

の官.房長官はどう

やらな

いようですよ」と報告した。

この日のお昼

過ぎ、やはり佐藤

の侍大将、木村武雄氏が首相官

に佐藤栄作首相を訪れた。改造

の空臼時間を

利用して、人事

いを嗅ぎに

ったらし

い。私

議員会館

に戻

った

「木村元帥」を

っかけて、

この日朝の保

利氏

「ピシ

ャリ」事

件をどう見るか、

いてみた。

「バルカン政

治家」と言われた三

木武夫氏さえ、

田中内閣誕生

の際

「キ

ミにはしてやられたよ」と

ャッポを脱

いだ木村氏、なかな

のタヌキ

ぶり

で有名だ

ったが、「官

には絵を見

に行

っただけさ。

が保利と

いう御仁

はね、佐藤

の言

ことな

らど

んな

ことでも

よ」と解説し

てく

れた。

木村氏が首相官

邸を訪れた際、

首相が保利氏

の官房長官

への起

を漏らし

のかどうかは分

からな

い。結局

二日後

には、保利氏

の官

房長官就

任が発表された。

後で考

てみると、私

への

「ピ

シャリ」

は、

図星を指された保利

氏の条件反射

ではなか

ったか

と黒

う。当時

の私

に、もう少し政治蜜

の懐

を読

が備

って

いた

ら、ある

いは特ダネをも

にして

いたかもしれな

い。しかし、

そ釦

「後

の祭

り」

であ

った。

の後私

は、建設省から労働省

担当を経

て、正式に自民党

クラブ

に移り、

「角福戦争」の前夜、

田由

角栄通産相

担当とな

った。

のハ

め、ポ

スト佐藤

では、福

田氏を堆

して

いた保利氏

のところからは向

に足が遠

いた。再び保利氏

P

ったのは、福

田氏を退け

て田山

角栄氏が首相

の座

にすわり、保

氏が衆議院議

長に就任し

てから弔

ある。

が衆議

院担当記者

とし

て、乳

う久しく

ご無

沙汰して敷居

の高/

って

いた保

利議長を公邸

に訪杁

ると、議長

は分厚

い眼鏡越

に劃

をじ

っと

しな

、「お

、尾

か、

一別

以米

ゃな

た。

のあ

.保

利氏

の別

は意

った。衆

一年

に倒

れ、

時衆

記者

で当

番幹

った

が、議

長辞

の記者会

ット

た。

終わ

り、「先

、早

元気

にな

ってく

ださ

い」

.耳

ささ

いた

に、保

利氏

「ナ

ニ、じ

さ」と佐賀

で答

た。

かし

が永遠

の別

た。お

ざき

みちお会負

一九.二し年生ま

れ。hハ一.組丁{母日斬闇囲・へ社り政払旧憩…酔H甜叩{目

邸クラブキャップ、政冶部副部長、世論

調査部艮.入口問題調査会那務局長兼編

集委員などを務める。現在、入11問.題協

、議会代表幹事.

いた

、蚕

った

(9)

1998年5月10日 第339号

日本

の記者

ラブ

の担

った

が、

昨年

の四月

一日。

年後

に、

日銀法

の施

があ

のは知

って

いたが.

んな

で、

四月

一[を

こと

にな

ろう

は、

いも寄

た。

ら・\

非常

駐な

ら同

ラブ

で、

のH

日銀

総裁

て迎

藤原作

いだ

った

ろう

L

の営

業局

の収

の逮

、松

下康

の辞

で、

ー1銀

は新

ター

直前

一カ

月を

日銀

始ま

って

の嵐

のな

ごす

こと

にな

った。

われ

にと

っても

じだ

の日銀

の入

「十

.回

」と

.「.目わ

H銀、

のたす

がけ

でき

、H銀

パー

の順番

のと

は、

ぼ見

つき、

O

B

のと

に取

が白

化す

る、

と。

ばか

それ

が通

じず

H銀

O

B

の速

が総裁

に、

時事

信社

の藤

総裁

る人

とな

った

の内

当時

の幹

った私

のと

へ、

虫・のキ

ワーキンクプ

レス

一 新生 ・日銀一

金融取材 も

新たな手法で

レ 杉 浦 信 之

(朝ij新 聞社}

ップ

が藤原氏のクラブ退会届を

ってきた

のも前代未

だ。

新生

・口銀

の理念

「開

かれた

独疏

性」だ。金融政策

が政治や大

蔵省

から

の独立性を確立す

るため

には、市

場や金融機関、国

民と

間に、確

固とした信頼関係

がなく

てはならず、それを担保す

には、

日銀

の情報

公開と説明責任

(アカ

ンタビリ

ティー∀の徹底

が必要、

いう誉

え方だ。

日銀は、

の理念を今年

一月か

ら、

一部

、先取

りし

いる。公定

歩合操作など

の基本

的な金融政策

を決

める政策委貝会

の会議を月.一

「金融政策決定会

A口」とし、

に日程を公開す

るとともに、

決定内容を直後に公表。

月前半の

会合

で決めた情勢判断

は、

二営業

日後

に「金融経済月報

」で公開する

ととも

に、会合

の議事.要旨も

「カ

月後

には公開するよう

にな

った.、

政策委員会の冒頭写真撮影も数

にわた

って実現し、四月

には総

裁室

の撮影も行われ

た。

ただ、政策決定会合

は、政策委

九人

の多数決

で決

めるため、取

は、委員

の意見を慎重

に見極め

こと

が必要だが、

口銀

はこの会

の前

後二営業Hを

「プ

ックア

ウト」

として、政策

関連

の取材に

じな

いことにな

った。事前

に金

融政策を決め打ち

して報

道するこ

とは、

かなり難しくな

った。

「連

の不祥事

が、内部管理担当

理事

の自殺

にま

で発

展し、

いま

H銀職員

に、新生日銀

マンとして

の明るさを見

いだす

のは、難し

い。

接待

にからむ九十八人

に及ぶ内部

に加え、高給批判

も絶えな

い。

が、

今年

】月

の、

こう

姿

がなけ

日銀

の自浄

に対

る批判

はも

っと強

って

う。

、外部

最高

意志

決定

の政策委

った

人た

のな

には

過去

の金

融政

への理論的

現状

に対す

分析

ど、

いま

の目銀

ンに

い率直

なも

があ

り、

記者

され

いる。

「過

から

の独」1ービ

(藤原副

総裁

)は

目銀

ととも

な金

融取

当す

るわ

の課題

でも

る。

すぎうら.のぷゆき

一九八

.年人杜

経済

ロンドン特派員などを経て

垢し年四

月から経済部日銀クラプキャソプ

改1}1臼 銀 法 ドで 初 め て開 か れ た 金 融 政 策 決 定 会 合.

り1りと1よ速 ノ}(総裁.ノ1ヨよ藤7野{高II総裁 〔4.9f℃ 長撮 章多)

(m>

1998年5月10日 第339号

北国

の春は遅

い。例

年、桜前線

が札

に到着す

のは

の初

め。最北

の稚内、本

土最東端

の根

室市

民が花見酒に頬を染

めるのは

五月

も末

のこととなる。

それ

でも、春は確実

にや

って来

る。

雪解け水を集めた

川面が陽光

をキ

ラキ

ラと反射し、色

とりどり

の花

が競うように咲き

乱れる。そ

の様

は、雪に埋もれ

て長

い冬に耐

えた野

山が

「狂喜乱舞

」す

る、と

っても過、.nではな

い。

北海道経済

の現状

に日を転じる

と、様相

一変する。

の足音が

こえるどころか、吹雪

が猛威を

ふる

い、八ぴとは厳寒

、厳冬

の真

っただ中

に置かれて

いる。冷え込

みは、

この先、季節

の移

り変わり

に逆ら

って厳しさを増

しそうでさ

えある。

自然界

では、シ

ベリア、オホー

ツク海

の高気

日本

に冷

、寒気を運んでく

る.

経済

の猛

列…な

込み

は、昨年1,一月の

「拓銀破たん」

が直一接

の引き金とな

った。

創業

百年を目前

にし

いた北海

道拓殖

銀行の歩みは、

の名

の通

り、

北海道開拓

の歴

史と軌を

一に

いた。戦前、戦

後も北海道経

済を支

える屋台骨

った。

多く

の道民

にと

って

「まさか」

の破

たんは、あ

っけなく現実

のも

のとな

った。

最大

の原因は

「バプ

ル期

の貸し

ら生じた

債権

に尽き

聞休岡nで、翌十

[の朝刊

は休

みだ

った。だ

が、

ロ本

のサ

ッカー

チームのワー

ルド

ップ

への初

場が決ま

ったた

め、北海道新

聞社

はそれを伝え

る号外

の準循を進

いた。

予定されて

いた号外は、ま

「天国から地獄

へ」

と内容

が変

列 島 報 告

一 北 海 道 一

拓 銀 シ ョ ッ ク その 後

“春“は 遠 い が …

杉 江 良 之

(4ヒ1毎」茸斜「【野1制.糸子「斉 剖;」乏)

る」(河谷禎昌頭取、破

たん当Hの

記者会見でV。

銀は、日本全体

バプルに狂

した当時、他

の都

に負けじと

融資

合戦を繰り広

げた。そこには、

下位とは

いえ都

銀を名乗る意地

もあ

った。

たん前日の十

一月十六日は新

った

道を襲

った

の後

い余

震を伴

った

まち、

証券

たく

7

アイ

スサ

、間

の影

れだけ

にと

い。

にな

って

も、拓銀の傘

にあ

ったテ

ルメイ

ンターナ

ョナ

ルホテ

ルシ

ム、タウナステ

メ札幌、

エイ

ックスの大型倒産

が続き、余震

っこうに収ま

る気

配がな

い。

一九九七年度

の道内

の企業倒

は、件数で前年度

比三割増

の干

九件、負債総額

は前

年度に比

べ実

に乱倍も

一兆一.一千六百億

に達

し、過去

最悪

の結果とな

った。

負債総

のうちおよそ九千億

をたくぎ

ん抵当証券など前

の五

社が占め

いる.

「今度

はあ

の会社

が倒

産す

て本当です

か」「この会社

は大丈夫

ですか

」1

こんな電

話が、今も経

済部

のデ

スクに相次

いで

いる。北

海道経済

の先行き

に疑心暗鬼を募

せる道

民だけでなく

、取引先に信

用不安

を抱く本

州方

面からの問

い合

わせ

も少なく

い。

窮状打

の方策はある

のか。そ

の答えを

いだす

のは容易

ではな

い。が、

当然

のことな

がら活路は

切り開かな

ければならな

い。

口孔百

七卜万の北海道

が丸ご

と沈没し

てしまうわけではな

い。

背伸びをせず、地道に努

力を積

重ねれば、遠

からず

「春

」は

て来る

はず

だ。今はそう

確信す

しかな

い。

実際

「春」だ

って

一気

にや

てくるわ

ではな

い。三寒

四温

常な

のだから…。

(すぎえ

・よし

ゆき∀

(11)

1998年5月10日 第339号

バ ー7ヱ 勿も費一ク%

「ア

.画

つ.

い内

い秀

多.い。

マな

}.」、セ

った

調

の映画は内戦

の荒廃したサラ

エボを

舞台にし

ている

が、民

族紛

争そ

のも

のも、敵

も描

いて

いな

い.見えざ

る敵

によ

って戦

が起

こされ、入

が殺され、苫

しむ姿

だけを描く、.世界

F二こでも、

だれも

巻き込ま

れかねな

現代

の戦争

の気味悪

さも浮

かびヒ

がる。

サラ

エボに取

り残

れた初老

の詩入と

そこ

へ迷

い込ん

でき

た孤児

の兄弟一.人

・E役.二八

の.r役は

映画を見

こと

もな

いと

いう

が、素

直な演技

は感動

的だ.

砲声、銃

撃、

寒さ.飢え、渇

中で叔母を

探す

二入

の面倒を

るうち

に、

詩入

とrビも

の間

に親

のような絆

が生

まれ、共同艦活

を始

める。銃撃

の最

中、.月が聞

こえ

兄が命が

けで助

けた負傷

した犬

も仲

閻に加わ

った。

=.人は恐怖

におびえながらも

生き

延び、

脱吊

のた

めに空港

へ向

う。

だが、彼

の前

には銃撃

から逃

れら

れな

い皿刑走路

があ

った。

三八

が生き抜

き.愛し合

い、“夢を

る姿を、内

リアルな

7イ

ルムを

敵ねた手・沙箇が-不当

の悲惨さ亭讐伝

・ゐて

いるのではな

いか。昨

年の東京国際映

画祭グランア

リ作品。

ユー

ゴ紛争も

のの

映画ではト

プクラスだろ

う.東

京新聞編

集委員兼論

説委員

陸口

い映

ェー

の腐

L

「」

・A

・コ

f

わ、ル

.

コプ

ック

・ダ

ンゼ

作日の

に当

ド、な

、す

.面

へ”う

・ハ

一元

()年

った

ロ感

.

試写会

...年

ロサ

った

ス市

.二入

の映

は始

る。

これ

の刑事

決し

て単純な正義

の使彿険ではな

い。

野心と暴

力と欲望

に取

り付かれ、幼

いころ

の暗

い体験

に深く

とらわれた

たち

でもあるの

であ

る。

生き方が

それぞ

れ違う三入

の刑

が命を賭け

て戦

わね

ばならな

い相

手と

は2

ハー

ドな男.優の血生臭

い暴力

の場

の息抜

きになる

のは、有名映画女

にそ

っくりの高級娼

婦リ

ンのなま

めかし

い姿態であ

り、

・ベイシ

ンガー

はその役を好演

して

いる。

めるのはもちろ

んだ

が、自由

と臣.義

の国と

いう

バラ色

の神話に隠

され

いるアメリカ

の知

られざる暗

い素

畑.間見る

こと

でき

の映画のもう

一つの効用かも

しれな

い。

個人

D会員

(日本新

聞協会

OB

理作

家協会理事

)

菖治

L

・A・コンフィデ

ンシ

ャル

(12)

1998年5月10日 第339号

(13)

1998年5月10日 第339号

クラブの貸室が利用 しやす くな りま した

クラブの貸室 は、会 員の皆 さんが 自由 にお使 いになれ るスペースです。下記の ように、用途 と人数

にあ わせ ていろいろな使 い分けが可能ですので、有効 にご利 用いただ きたい と思 います。この4月 か

ら、宴会割引料金が新 設され、10階 の レス トラ ン・アラスカ もクラブ料金並みで使用で きるようにな

り、利用範 囲 も大 きく広が りま した。社内会議 は もとよ り、杜外の方 を招 いての会議 、セ ミナ ー、懇

親会 、同窓会 、出版パーテ ィーなどにお使 い ください。

貸 室 料金

*割 引科 金 は、1人 当た りの飲 食料 金が3 .OOO円 以.Lの 場 合に適用 されます。

*上 曜 日は飲食科 金の単価 にかかわ らず、…律割 引料金 にな ります。

*ABCホ ールには終 日料金(午 前10時30分 ~午後9時258 ,000円)、

半 日料 金(午 前10時30分 ~午後4時30分150 .500}IDも あ ります。

利 用 時 間

平 日は午前10時30分 一午後9時 、土曜 日は午 前10時30分 ~午後5時30分 です。

ただ し、レストラン・アラスカの 貸し切 りは平 日の夜 、シルバ ー ・ゴー ル ドの 各ル ームは平 日の昼 と夜

の時 間帯 とな ります。ご利用はすべ て2時 間 単位 です(1時 間の延長料金 は上 記の半額 とな ります}。

料 理

●会食 ●パーテ ィー

や 洋 食2 ,500円 か ら ・ 料理4,000円 か ら

噸 訟 喫:騰:1ド 飲物1 ・50鵬

レス トラ ン ・ア ラ ス カの利 用

会食 、パ ーテ ィーメニ ュー ともクラブ料金 とほぽ同程 度です。それ以 外のグ ラン ドメニュー は2割

引でご利 用になれ ます。な お、 レス トラン・ア ラスカの貸 し切 り(部 屋代 な し)は 飲食料金が1人 当

た り7,000円 、100人 か らとな ります。ご予算 に もよ りますが、土曜の夜や 日曜、祝 口の レス トラン・

アラス カの貸 し切 りについて も仲介 しますので、 ご相 談 くだ さい。

*お 闘い合 わせ、 お申 し込み はクラブの フロアマ ネジャー(電 話3503-2721)が 承 ります。

(14)

1998年5月10日 第339号

写 真 田中 紀男 螺 臼霊1灘跨ll部)

'琴元国織llな ・端 イヒしN・'ノブ㌧1逢巴姜 シ マ1フ ーア'ノ)lllμニ

1'缶ち ノごソ メ イ ヨ シ ノ 乃'と しド・'ノカ疫筒 を 巻 く

〔4 .8[lll目 τさIX>7))欠 ノ\、,・こf肥iM嚢1て'}

春 の 異 変

に花粉症

らし

のに

かか

った。

しき

いう

のは、

りは花

粉症

らな

いζ

-..口い張

る友

いる

いで、

老化

とも

に免

疫力

は落

にぶ

ら'りう依儲貝が変

こヒ

いと

いう

のだ

の揮

.番

が吹

いた

H、

.11を開

巾-に

一H

山9わ

って

い(κ・り目

が痛胴く'ゲリ

11

ング

スな

では

けな

くな

った.

ノド

の痛

つづ

いた.

の指

.小ビ

ゼ薬

ー1

に、

㌦、た

と思

うヒ痛

が.戻る

.あ

は本

は花

ではな

った

いまも

って

・'-た

って

いる。

が、

は.医療

はかな

・わな

い、一

鉄押界

の媒“変

ザoつづ

いる..直磐尽でも

は季

の移

リ変

りを

いで、

ツバキ

ラも

ツツジも

っし

に咲

いた,

の異

変ど

ころ

ヒト

や生

の存

が危機

に瀕

いる

はゆ

ゆし

いトへ

で、近

ろ、暗

い気

がれ

い。

にし

ても

ダイ

ンや合

成洗

スチ

ック

の毒

いてな

ら、

ふた

から

いぶん書

いた

、書

いて

いた

それ

いま

ごろ

突然

ルモ

ンの名

で再

から、

っく

る。

だけ花

いて

いる

の写

にも

にやら

い気

があ

る、.

(小

子)

ll5)

1998年5月10日 第339号

五月

二十

五日

岸恵

子さ

んが

講演

五月二十五

(月)午後

四時半

から、女優の岸

子さんを迎

え、

総会

記念講演会

が行われます。

パリと口本を往復

しながら、女優

として、テ

レビ

のキ

ャスターやリポ

ーター、そし

ッセイスト

とし

ても活躍。九

六年

からは国連人

]基金

の親善

大使として人

口・人権問

題にも取

り組んで

います。

講演

のテー

マは

「ヨー

ロッパと目本

」です。

終了後五時三十

分からは、会員

懇親会

が行われ

ます。講演会、懇親会

いずれもビ

ジター

「人を伴

っていただ

いて結構

です。

『ロ

エゴー

ル・T

・ガイダ

ル著

中澤孝之訳

(時事通信OBV

全閣僚

を突

然解任した

「エリ

ツィ

・ショッ

ク」は

ロシアの予測不可能性を

改め

て証明した。

重要人事

の決定

エリ

ツィ

ン政権

の最も不透明

な部分だ。

ェルノ

ムイ

ルジ

ン前

首相と同じよ

うな憂き

口にあ

った

のが、

この本

の著者E

・ガ

イダ

ル氏。九

.一年

丑月、政府

の事実

のト

ップ

であ

った同氏

(当時

・第

一副首

)

の頭越しに

副首相人事

が決

められ、

エリ

ツィ

ンから

事後通知されたと

いう

のであ

る。

こう

た未公開

の興味深

いエピソード

の数

々が

明らかにさ

れて

いる。本書

は日本

の読者

けに書き

下ろされた。

(ジャパ

ンタイ

ムズ

三、五

〇〇円

)

五月

二十

一日

コンペ

第71回ゴ

ル7会

を左記のように行

います

五月

二十

一日

(木)午前九

時集合

コー

ヶ斧

ントリークラプ

参加ご希望

の方

は、事務局の小橋

(三五

〇.一「

二七】.二)ま

ご連絡

くださ

い。

会員現況

法人

会員

一五〇社

本会員

.

π人

個人会員

.、八四六八

・個

人賛助

五六社

一八二入

特別賛助

会員

五三人

幣会貝

一四

二〇六社

二、九

一〇入

『世

レ』山

田伸

〔NHK解説委員〕

パプ

ル…朋壇 後

の混乱をめぐ

り、

「昭和

の金融

慌」との類似

が指摘されます。

かに似て

し、私も勉強

しま

したが、舞台

が国内

に眼ら

死角ができます

そこで、私は国

際的な

視野

つ必要を感

じ、小著では

「大恐慌

こだ

って、現代と

の類似性を考えまし

た。

ジア

の通貨危機

は、当

の通貨

の切リ下げ戦

と同

じ展開

で、

我な

がらび

っくりす

ほどで

す。小

では、

デフレの恐ろしさ

並大

のも

のではな

いことを、

理解

いただ

けれ

ばと思

います。

(宙小洋

以杣済新報社

一、山ハ○

○山U)

アラ

ス力

の責

任者

が代

まし

四月から、ア

ラスカ

のクラブ担当

責任者

に遠山

明彦さん(四卜

一歳

)が就任しました。これまでパレ

スサイド店

や本部

での勤

務が中心

でし

たが、クラ

アがプ

スセ

ンターに移

転した二十

.】年前、宴会

場や会議

など

のサービ

スに携

った

経験

者です

..歪

二三

==…;=一≡=[=

=

一一.=≡

.≡=

二≡}一一.三==≡…=三一…

=

三=一

〔7日現在)

13日

(水)午後

2時

ー3時

バガ

ンデ

ンゴ

ル大統領記者

14日

(木)午後

5時

30分~7時

10分

試写会

「ウ

ワサ

の真相

25日

(月)午後

4時

30分~5時

30分

総会記

念講演

岸恵子さん

午後

5時

30分ー7時

員懇親会

〔行事案内電話

〇三ー.一.五〇三-

一.一七六四)

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(16)