問合せ先 渋沢栄一記念館 電話/048-587-1100平成28年4月発行 尾高家の鬼瓦→...
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■問合せ先 渋沢栄一記念館 電話 /048-587-1100
平成 28 年 4 月発行
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尾高家の鬼瓦→
「入り山二」の印は
当時、菜種油等の商い
をしていた尾高家の
商標にあたるものと
考えられます。
←密議の絵
韮塚直次郎が深谷市田谷にある永明稲荷神社に奉納した絵馬 ( 深谷市指定文化財) 鹿島神社は旧下手計村の鎮守です。神社の境内には、尾高惇忠の功績を称えた
藍香尾高翁頌徳碑(深谷市指定文化財)があります。題額は徳川十五代将軍で
あった慶喜の手によるものです。
尾高惇忠は天保元年 (1830)、下手計村に生まれました。通称は新五郎、
諱は惇忠、藍香と号しました。
渋沢栄一の従兄弟にあたり、栄一は少年時代からこの惇忠のもとに通
い、論語をはじめ多くの学問を惇忠に師事したことが知られています。
後世、“藍香ありてこそ栄一あり”と称えられた人物で、知行合一の水戸
学に精通し、栄一の人生に大きな影響を与えました。
明治時代を迎えると、惇忠は富岡製糸場初代場長や第一国立銀行仙台
支店長などを務め、幅広く活躍しました。
この尾高惇忠生家は江戸時代後期に惇忠の曽祖父磯五郎が建てたもの
と伝わっています。当時は「油屋」の屋号で呼ばれ、この地方の商家建
物の趣を残す貴重な建物です。この家で栄一の妻となったちよ、見立養
子となった平九郎、惇忠の娘で富岡製糸場伝習工女第一号となるゆうが
育ちました。また、若き日の惇忠や栄一らがときの尊皇攘夷思想に共鳴
し、高崎城乗っ取りの謀議をなしたのもこの家の二階と伝わります。
主屋裏の煉瓦倉庫には、「上敷免製」の刻印を残す煉瓦が使われており、
日本煉瓦製造株式会社ができた明治二十一年 (1888) 以降の建築であるこ
とがわかります。
平成二十二年 (2010) 二月十日に深谷市指定文化財(史跡)に指定され
ました。
ちこうごういつ