はじめに...

23
102 election convulsion 1 2 premier

Upload: others

Post on 01-Feb-2021

0 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

  • カナダ・アルバータの保守主義(清滝)

    二九

    102

    カナダ・アルバータの保守主義

    清 

    滝 

    仁 

    はじめに

     

    二〇一五年五月五日のアルバータ州議会選挙はカナダ選挙史上、衝撃的な結果となった。政治評論家のレックス・

    マーフィーが「選挙(election

    )でなく、動乱(convulsion

    )である」と評した

    )1(

    のももっともであった。

    十二回連

    続選挙で勝利し、ほぼ四十四年間州政権を握っていた進歩保守党が敗北しただけでなく、最も保守的な州とされる

    アルバータ州で、社会主義政党である新民主党が単独過半数を獲得し、政権に就くこととなった

    )2(

    。カナダの州政府

    は議院内閣制を採用しており、原則として議会第一党が首相(prem

    ier

    )を出し、組閣する。選挙前、進歩保守党

    は総議席八十七議席中、七十議席と圧倒的な勢力を占め、他方、新民主党はわずか四議席しかなかった。選挙の結果、

    新民主党は五十四議席を獲得したのに対し、進歩保守党は十議席と、野党第一党にもならなかった。マーフィーは、

    この選挙世界憲政史上でも稀な一九九三年の連邦議会選挙―与党進歩保守党が一五四議席から二議席と大敗した―

  • カナダ・アルバータの保守主義(清滝)

    三〇

    101

    に比した

    )3(

    。もっとも、カナダでは連邦と州の政党は別組織であり、以下、取り上げる進歩保守党、新民主党、自由

    党は名前が同じでも連邦と州は違う党である

    )4(

     

    このアルバータ州の選挙は、カナダの著名な政治学者のC・H・マクファーソンが一九六二年に『アルバータの

    デモクラシー』において描いた状況を思い起こさせるものであった。彼はアルバータ州の政治を一党制、二大政党

    制、無党制、多党制のいずれにもあてはまらない「疑似政党政治」と呼んだ。そして、連邦政府が東部の利益によっ

    て支配されるとの不満を背景に大衆運動的政党が発展し、政権交代は突然、それも大差となって表れ、政権獲得後

    は急進的運動が保守化していくとした

    )5(

    。本稿では二〇一五年の劇的な選挙の状況とその背景を検討することで、と

    くに現在のカナダにおける保守主義の動向を明らかにしたい。

    1 

    アルバータ州とカナダ保守党

     

    アルバータ州は、カナダ西部にあり、太平洋岸のバンクーバーを擁するブリティッシュ・コロンビア州とロッキー

    山脈で隣接している平原州である。北米最後のフロンティア(州の創設は一九〇五年)としてアメリカ人の移住も

    多く、アメリカ流のポピュリスト的保守主義が根付いていた。当初は農業が主要産業であったが、二十世紀中葉、

    石油産業が発展し、アメリカ人の役員も多い。後出の保守主義のイデオローグであるトム・フラナガンもアメリカ

    出身である。

     

    連邦首相のスティーブン・ハーパーはアルバータ選出の下院議員であり、二〇一一年の総選挙において連邦下院

  • カナダ・アルバータの保守主義(清滝)

    三一

    100

    の州選挙区の二十八議席中、二十七議席を保守党が占めた。保守党は二〇〇六年から政権の座にあるが、その原動

    力はアルバータ州にあった。この州はカナダ保守主義の牙城とみなされ、リベラルな東部の知識人やメディアから

    は異質視されてきた。政治思想研究者のマクファーソンが唯一の実証的政治研究としてアルバータ州の政治を取り

    上げたのもこうした事情があろう。

     

    カナダ保守党は、前身の一つの進歩保守党がカナダ最古の政党であるものの、現在の党は二〇〇四年に結成され

    た。連邦政治で長らく支配的な地位を保っていたのは自由党であった。国際協調外交・高福祉・多文化主義という

    戦後カナダの主要政策は、自由党政権によってもたらされた。時折、進歩保守党が政権を担ったが、自由党政権の

    政策枠組を共有し、穏健な保守主義路線を採っていた。その保守主義はイギリス的であり、伝統的価値や既存秩序

    を維持するものであり、レッド・トーリーといわれていた。進歩保守党は一九九三年の総選挙で壊滅的大敗を喫し、

    自由党はこの選挙から三期連続で勝利し、二〇〇六年まで政権の座にあった。

     

    こうした中、アルバータ州は新たな保守政党の中心地となった。自由党長期政権の間、西部諸州の政治的疎外感

    が強まっていた。オンタリオ州(首都オタワと最大都市トロントが含まれる)やケベック州(仏語系住民が多く、

    モントリオールが含まれる)の東部エスタブリッシュメントが連邦政府を支配し、経済活動を規制して、西部にお

    ける天然資源の利益を東部のために使うとの不満があった。一九八〇年代以降、西部諸州のめざましい経済的発展

    で、カナダの人口・経済の重心が西に移るに従い、「西部は参加を求める」との怒りは連邦政治を動かす政治的エ

    ネルギーへと転化していった。

     

    一九八七年に結成された改革党は、当時の進歩保守党政権の東部優先政策にあきらたないアルバータ州など西部

  • カナダ・アルバータの保守主義(清滝)

    三二

    99

    諸州の支持を集めていた。そして大規模減税、高福祉政策の見直し、仏語の公用語化への反対などを訴えた。改革

    党は一九九三年の進歩保守党の大敗した選挙で躍進し、その後、カナダ改革同盟に発展解消した後、二〇〇四年に

    弱小政党となっていた進歩保守党と合併し、保守党となった。

     

    ハーパーは改革党の結成に加わったが、一時、党から離れ、その後、カナダ改革同盟および保守党の初代党首と

    なり、二〇〇六年の総選挙後、首相となった。彼は自由党政権の大きな政府を社会主義として批判し、自由競争、

    均衡財政、減税を訴えた。その政策はレッド・トーリーと異なり、経済的保守主義であり、アメリカ保守主義と近

    いものであった。保守党の主張は、自由党政権時代に築かれたリベラルな政治枠組から異質であり、たえず東部の

    知識人やメディアの批判にさらされてきた。そのせいもあって保守党政権は少数与党にとどまり、二〇〇八年には

    総選挙に勝利したのにもかかわらず、敗北した野党の連合に政権を奪われそうになった。

     

    ハーパー政権が安定したのは、二〇一一年五月の総選挙以降であった。内閣不信任が可決しておこなわれた選挙

    であったが、三〇八議席中、一六六議席(改選前一四四議席)の安定多数を獲得した。他方、野党第一党の自由党は、

    結党以来の大敗で三十四議席(改選前七十七議席)に落ち込み、代わって新民主党が一〇三議席(改選前三十六議

    席)を獲得し、野党第一党となった。新民主党が新たに得た議席の大半はケベック州からであり、そのあおりで州

    の分離独立をめざす民族主義政党ブロック・ケベコワは四議席(改選前四十七議席)に後退した。

     

    この選挙で、保守党は安定多数の政権か、自由党に社会主義政党(新民主党)と分離主義政党(ブロック・ケベ

    コワ)を加えた不安定な連立政権かを問うた。さらに健全財政と投資の活性化が景気回復につながることを訴えた。

    自由党は高福祉の維持を訴え、歴代政権の成果を誇ったが、大敗した。保守党はアルバータ州でほとんどの議席を

  • カナダ・アルバータの保守主義(清滝)

    三三

    98

    獲得するなど西部諸州や最大都市トロントの近郊で勝利した。従来、移民は自由党の有力支持基盤であったが、こ

    の選挙でトロント近郊での比較的成功した移民が、保守党の市場志向的政策や犯罪厳罰化、家庭の重視など信条を

    支持した。さらに保守党は、自由党政権を支えてきた東部のビジネスエリートの支持をも得た。かつて世界で最も

    成功した政党といわれた自由党は、総選挙で三連敗し、「自由党の死」と評される状況に陥り、カナダ政治の主役

    は保守党にとって代わられたように見えた。 

     

    二〇一三年にジャーナリストのダーレル・ブリッカーとジョン・アイビトソンは『ビッグ・シフト』で「ローレ

    ンシアン・コンセンサス」の消滅を指摘した。建国以来、カナダを支配し、自由党を支えてきた、セントローレン

    ス沿岸地域の政治・学問・文化・メディア・ビジネスのエリートにおけるコンセンサスが力を失い、二〇一一年の

    総選挙で決定的になったとする

    )6(

    。カナダは保守化していくように思われたが、二〇一三年以降、保守党は、上院議

    員の不正や経済不振で支持を徐々に落とし、支持率で野党が上回る状況になってきた。その中で保守党の金城湯池

    のアルバータ州で、社会主義政権が誕生した。

    2 

    アルバータ州政治の特異性

     

    アルバータ州の議会政治は、長期一党優位体制が繰り返されたユニークなものである。そして、政権を失った

    政党はどれも見る影もなく衰退してきた。一九〇五‐二一年は自由党、一九二一‐三五年は農民連合、一九三五-

    七一年は社会信用党の長期政権で、進歩保守党は一九七一年から政権を担ってきた。農民連合や社会信用党はすで

  • カナダ・アルバータの保守主義(清滝)

    三四

    97

    に消滅し、自由党は二〇一五年の選挙で一議席を獲得したに過ぎない。

     

    また長期政権下において、政権交代の直後以外、野党はわずかな議席しかもたない無力な存在であった。

    二〇一二年の選挙で進歩保守党(六十一議席)に対抗しうる野党第一党(十七議席)としてワイルド・ローズ党が

    進出したが、今回の選挙前にはわずか五議席まで落ち込んでいた

    )7(

     

    二〇一五年五月の選挙での進歩保守党の下野は、前回、二〇一二年四月の選挙で起きる可能性があった。この選

    挙の前、ワイルド・ローズ党は四議席にすぎなかったが、党首のダニエール・スミス(一九七一年生)の人気もあっ

    て支持率が急上昇し、与党進歩保守党を脅かしていた。ワイルド・ローズ党は二〇〇八年に創設され、均衡財政、

    市場経済重視、社会保守主義に立って進歩保守党よりもさらに保守的な主張を展開していた。この党の発展のきっ

    かけは二〇〇六年に就任したエドワード・ステルマク州首相のエネルギー産業政策である。二〇〇九年に不況にか

    かわらず、州政府はアルバータ州の主要産業である石油・ガスのロイヤリテイの値上げを企てた。この計画に反発

    した企業はワイルド・ローズ党を支援し、献金も大幅に増やした。若くて見栄えがよく、弁も立つ女性のスミスが

    二〇〇九年、党首に選出されると、その人気もあって党への支持は飛躍的に増えた

    )8(

     

    スミスは、経済的自由主義に立つシンクタンクのフレーザー研究所の研修生を経て、地元紙のコラム執筆やTV

    の時事問題での解説、そして保守派の教育委員として活躍していた。もともと進歩保守党に属し、二〇〇八年の州

    選挙で立候補を試みたが、選挙区の支持を得られず断念していた。翌年、ワイルド・ローズ党の党首にスカウトさ

    れた。彼女はサッチャー英首相を信奉し、市場原理を尊重し、均衡財政を唱え、ステルマクの政策を批判してい

    た)9(

  • カナダ・アルバータの保守主義(清滝)

    三五

    96

     

    アルバータ州の進歩保守党は、連邦の保守党と異なり、長期政権の間にリベラルな傾向を強めていた。有力野党

    不在という一党優位の状況で、保守主義イデオロギーを弱め、州全体の幅広い有権者を視野に入れた包括的政党と

    なっていた。アルバータ州はカナダの中で、保守主義の強い地域と言われ続けていたが、州政治では進歩保守党と

    いう党派の優位というのが実情であった。豊富なエネルギー収入に頼る財政によって、州政府による積極的なイン

    フラ開発がおこなわれていた。アルバータ州の有権者は天然資源による富を中央政府に吸い上げられることを批判

    していたが、この富を州政府が用いることには寛容であった。少し古いが二〇〇四年の調査では、連邦政府と州政

    府への信頼について、東部のオンタリオ州では、それぞれ四十%と三十七%であるのに対して、アルバータ州では、

    三十八%と七十三%であった。フランス語系住民の独立運動の盛んなケベック州では二十九%と四十七%であり、

    アルバータ州での州政府への信頼度はカナダで最も高い。また連邦政府と州政府のどちらに自分のカネを出したい

    かとの問いに、オンタリオ州では、それぞれ二十一%と二十四%であるのに対し、アルバータ州は九%と五十%、

    ケベック州で十六%と四十三%と、アルバータ州は連邦への低さと州への高さが際立っている

    )10(

    。こうした状況を背

    景に進歩保守党政権は、市場原理を唱えながらも、州政府による経済介入政策も並行しておこなった。大きな政府

    ならぬ豊かな政府というのがアルバータ州の状況であった

    )11(

     

    他方、ワイルド・ローズ党は保守主義イデオロギーにより忠実であり、大衆運動的に展開していった。その主張

    は、連邦の旧改革党に近く、ハーパー首相の下で活躍したカルガリー大学の教授であったトム・フラナガンが選挙

    戦略担当に就いていた。彼は、スミス党首のカルガリー大学での恩師であるだけでなく、フレーザー研究所での仕

    事も斡旋していた。この人物は、ハーパー首相が平議員の頃から政策策定や選挙戦略に加わっており、カナダ同盟、

  • カナダ・アルバータの保守主義(清滝)

    三六

    95

    保守党での党首選挙、総選挙の勝利に貢献し、首相府にも一時入っていた

    )12(

    。さらにワイルド・ローズ党は旧改革党

    の初代党首プレストン・マニングの支持も得ていた。彼は保守主義原理に忠実であり、政界引退の後、自らのシン

    クタンクもつくり、啓蒙活動をおこなっていた。二人の支援は、進歩保守党が保守主義原理から乖離したことに対

    する保守主義者の不満を象徴していた。進歩保守党の右派はワイルド・ローズ党の支持へ流れていた。

     

    ステルマク州首相は、二〇〇八年の選挙では大勝したものの、エネルギー政策の批判などで支持が低下し、

    二〇一一年、赤字予算編成をめぐって財務相と対立し、一月に辞任表明に追い込まれた。その後の党首選挙におい

    て、党内左派のアリソン・レッドフォード(一九六五年生)が選ばれ、十月、アルバータ州初の女性首相となった。

    レッドフォードは司法相であったものの、二〇〇八年に州議員に当選したばかりで、党首選挙の当初、同僚議員の

    一人しか支持していなかった。カナダの党首は多くが党大会における代議員によって選ばれる。レッドフォードは

    第一回投票で二位であり、首位の候補と十%以上引き離されていた。そのような状況で勝利したのは、投票の五割

    以上を獲得する候補者が出るまで投票をおこなう選挙ゆえであった。ステルマクを辞任に追い込んだ右派は有力議

    員がワイルド・ローズ党に移ったこともあり、選挙で勝利できなかった。

     

    こうした党首選挙において、最有力候補が下位候補者の連合のため敗北し、選ばれた者も党内基盤が弱くリーダー

    シップを十分に発揮できないことが時折見られる。二〇〇六年の連邦の自由党の党首選挙において、最有力候補で

    あったマイケル・イグナティエフが第一回投票で三位であったステファン・ディオンに敗れたのは典型例である。

    結局、ディオンはリーダーシップを発揮できず、イグナティエフに代わられたが、イグナティエフも党首選挙の敗

    北もあって十分に党内を掌握できずに、二〇一一年五月の総選挙で壊滅的大敗を招いた

    )13(

    。実はレッドフォードの前

  • カナダ・アルバータの保守主義(清滝)

    三七

    94

    任者のステルマクも同様で、二〇〇六年の党首選挙において最初の投票で三位であったのにかかわらず、最終的に

    党首そして州首相に就任できた。ワイルド・ローズ党が伸び、進歩保守党の有力者がこの党を支持するようになっ

    たのもこうした党内事情が背景にあった。レッド・トーリー的なレッドフォードを党首に戴くことで進歩保守党は

    ますますリベラル傾向を強め、より保守的なワイルド・ローズ党の支持率は上昇していた。

     

    二〇一二年の選挙では、前年の総選挙における保守党の大勝もあって、大半の予想でワイルド・ローズ党の地滑

    り的勝利での政権獲得、進歩保守党の下野が見込まれていた。従来のアルバータ州の政権交代パターンである。し

    かし、選挙期間に入って、急ごしらえのワイルド・ローズ党の問題が噴出した。大衆運動的に発展し、社会保守主

    義者を多く抱えていたこともあり、候補者による人種差別や同性愛者への差別発言が相次いで明らかになった。州

    民は保守的といわれながらも、社会保守主義に抵抗がある者が多かった。とくに移民の多い都市部ではそうである。

    連邦のハーパー首相はこのことを十分に認識し、保守党議員の社会保守主義的発言には統制をかけていたが、ワイ

    ルド・ローズ党はそうでなかった。一連の差別発言に対するスミス党首の弁明も、発言を断固として否定するもの

    でなく、批判に反論さえした。さらにスミス自身も党首討論で地球温暖化を否定する発言をおこなった。選挙戦が

    進むにつれて、ワイルド・ローズ党の支持率がだんだんと下がっていった。それでも選挙直前まで、少数与党となっ

    ても政権獲得は可能との予想であったが、結果は進歩保守党が五議席を減らしながらも六十一議席で単独で過半数

    を獲得し、長期政権が継続することとなった。ワイルド・ローズ党は十七議席に躍進し、野党第一党になったが、

    当初予想よりずっと少なかった。とくに州都エドモントン(総議席二十)で議席なし、最大都市カルガリー(総議

    席二十五)で二議席と都市部でほとんど議席を獲得できなかった。

  • カナダ・アルバータの保守主義(清滝)

    三八

    93

     

    この予想外の結果は、ワイルド・ローズ党候補者の社会保守主義的な発言や党首の政治的に未熟な部分をマスコ

    ミが取り上げ、有権者の拒否的反応が生まれたことによる。ワイルド・ローズ党が多くの有権者よりさらに保守的

    であることが選挙中にはっきりしたのであった。そして、その保守的なワイルド・ローズ党の政権獲得の可能性が

    報じられたことで、リベラルな立場にある自由党や新民主党の支持者が政権交代の阻止のために進歩保守党に投票

    した。レッドフォード州首相は彼らの投票を期待してリベラルな政策を挙げていた。そのあおりで自由党は八議席

    から五議席へと後退した。ただ新民主党は二議席から四議席と伸ばした。

    3 

    プレンティス政権の絶頂と進歩保守党の破局

     

    二〇一二年の選挙で勝利したことで、進歩保守党政権は、レッドフォード州首相の下で順調に続くものと考えら

    れた。保守党のハーパー首相と違い、国際法律家として南アフリカや途上国で活躍し、人権・同性婚・環境問題に

    も理解を示し、理知的にふるまう姿は、従来のアルバータの政治家と異なっていた。ハーパーやアルバータ州の保

    守主義に批判的な東部のメディアも彼女を好意的に扱っていた。しかし、州政治においては、スト権制限などで、

    選挙で支持を集めたリベラル派の期待に反する一方で、党内の保守派からも財政規律が十分でないと批判を浴びて

    いた。

     

    二〇一三年になって州首相の豪華な公舎改造や出張の実態が次々に明らかになると支持率は下がり始めた。連れ

    てきたスタッフの高額な給与や州の訴訟における夫の弁護士事務所への高額報酬も批判の的となった。企業からの

  • カナダ・アルバータの保守主義(清滝)

    三九

    92

    違法献金や病院受診の順番の政治的運用など長期政権下の腐敗も噴出した。決定的となったのは二〇一三年末のネ

    ルソン・マンデラの葬儀参列のための特別機にかかった四万五千カナダドル(約四五〇万円)の支出であった。自

    身の支持率は十%台に低下し、党もワイルド・ローズ党に支持率の逆転を許し、もともと党内基盤が弱いレッド

    フォードは州議員団の造反に直面した。カナダの政党は党首の権威が強く、日本にみられるような議員の造反はた

    とえアウトサイダーの党首でもめったに起こらない。追い込まれたレッドフォードは三月に辞任した

    )14(

     

    暫定党首デーブ・ハンコックが州首相も務め、九月の党首選挙後、カルガリー選出の連邦議員ジム・プレンティ

    ス(一九五六生)が継いだ。第一回投票で七割以上の得票を獲得し、文句なしの当選であった。プレンティスは州

    政治の経験がないものの、保守党における旧進歩保守党系の有力議員として産業相・環境相などを歴任し、次期連

    邦首相候補との期待もあった。党外から来た大物として新しい党の姿を強調することで、党勢を盛り返し、十月下

    旬の自身の選挙を含む四つの補欠選挙で全勝した。

     

    この補欠選挙の敗北でワイルド・ローズ党は動揺した。ネガティブ・キャンペーンに頼るスミス党首の選挙スタ

    イルやその党運営に対する批判が高まり、二人の議員が進歩保守党へ移籍した。スミス党首は彼らを痛烈に批判し

    たが、なんと十二月に突然、自身と支持議員八人が進歩保守党に移った。党首の移動は日本でも稀であるが、野党

    第一党の党首に特別の待遇を与えるカナダにおいてはさらに異常であった。

     

    スミス党首は、プレンティス州首相がワイルド・ローズ党の主張である均衡財政などの政策を呑んだことで、反

    対する理由がなくなったことを移籍の理由に挙げ、残された議員にも進歩保守党への合流を呼び掛けたが、拒否さ

    れた。スミスの移籍について、同性婚や中絶に批判的な社会保守主義者が党内で強く、より幅広い支持層獲得をめ

  • カナダ・アルバータの保守主義(清滝)

    四〇

    91

    ざす彼女が孤立していたことや、将来、州首相そして連邦首相をめざすうえで、社会保守主義者を多く抱え、大衆

    運動に頼る政党の限界を感じていたことが推測される。旧改革党が社会保守主義を敬遠されて伸び悩んだ前例も

    あった。

     

    ワイルド・ローズ党は五議席の弱小政党に戻ってしまった。党首のイメージに依拠して発展してきた、大衆運動

    的政党であっただけに、この事件によるダメージは大きかった。プレンティス州首相は進歩保守党の議席を再び絶

    対多数に戻した。スミスは議員を引き連れて移籍したものの、閣僚にはならなかった。両党の支持者からの批判を

    浴び、次期州議員候補の進歩保守党の予備選挙で落選し、二〇一五年の州議会選挙に立候補さえできなかった。一

    緒に移籍した議員もすべて州議員選挙の立候補断念に追い込まれるか、州選挙で敗北した。

     

    ワイルド・ローズ党は二〇一五年三月末の党首選挙で、元連邦議員のブライアン・ジーンを選出したものの、党

    大会での投票率は低く、党勢の回復は道遠しという状況であった。そしてこの機を待っていたように、四月初頭、

    プレンティス州首相は選挙を一年前倒しし、五月五日に実施することを表明した。老練な大物政治家として、レッ

    ドフォードの疑惑で危機にあった党勢を回復し、野党第一党を壊滅的状況に追い込み、突然の選挙はその総仕上げ

    であった。ブレンティスの多数派工作は、一党絶対優位というアルバータ州の長年の政治状況を見る限り、本来の

    形態に戻したものともいえなくはない。スミスの突発的行動も大衆運動に頼る不安定な野党よりも、万年与党での

    権力掌握の方が将来的に期待をもてると判断したと理解できないことはない。しかし、二〇一二年以降、ワイルド・

    ローズ党という有力野党が存在し、州議会での追及の中で、レッドフォードが辞任に至った状況は州世論の変化を

    もたらした。フラナガンは、「選挙で負ける恐れなくして政治家はけっして仕事を成し遂げられない」とし、ブレ

  • カナダ・アルバータの保守主義(清滝)

    四一

    90

    ンティスとスミスの行動によって、アルバータを無野党状態に引き戻し、進歩保守党の縁故政治や利益誘導、放漫

    な財政支出を続けさせてしまうことを批判していた

    )15(

     

    プレンティス州首相が選挙実施を急いだのには党派的動機の他に、州財政の悪化が背景にあった。財政を潤して

    いた原油の価格が下落し、財源不足に陥っていた。そのため、タバコ、酒、ガソリン税、そして行政手数料などを

    引き上げ、富裕者層向けの税を新設し、それにもかかわらず赤字予算を組まざるをえない状況となった。プレンティ

    スは政治的に優位な状況で、予算案を示し、突然の選挙に打って出ることで財政政策の信任を得ようとした。今後

    さらに州経済が悪化することが予想され、野党の立て直しが見込まれる状況で、政策を掲げての早期選挙は政略的

    に正しいと思われた。州首相は、有権者に対して、財政の現実を直視し、コストに見合った負担をすべきことを説

    いた。選挙前、絶対多数の与党と、無力な野党という「疑似政党政治」が復活し、取って代わる可能性のある大衆

    運動的政党のワイルド・ローズ党をほぼ壊滅させたことで、進歩保守党の支配は維持できるように思えた。

     

    ブレンティスの誤算は、自党が前回選挙の段階で、すでに長期政権を倦まれていた現実を過小評価していたこと

    であろう。保守派のワイルド・ローズ党の支配を嫌うリベラルな有権者が投票したことで、政権を維持できたに過

    ぎなかった。ワイルド・ローズ党の看板党首を引き抜いたことは、これらの有権者の票を失うことになった。リベ

    ラル政党は、自由党五議席、新民主党四議席と少ないが、支持者があえて進歩保守党に投票したことを考えるなら

    ば、議席以上に支持があった。

     

    現在のアルバータ州がマクファーソンの時代と異なるのは、当時、均質的であった有権者の多民族化・多様化が

    進んだことである。経済発展によって海外や国内から人口が流入し、都市化も進展していた。進歩保守党が圧倒的

  • カナダ・アルバータの保守主義(清滝)

    四二

    89

    な議席を誇っていた二〇〇四年段階においても、郊外で優勢であるものの、カルガリーの中心部では議席を得られ

    ないという、一九七一年に政権を失った社会信用党と同様の現象がすでに起きていた。そして、州都エドモントン

    もレッドモントンといわれるくらい、リベラルな有権者が多かった

    )16(

    。そして二〇一〇年に最大都市カルガリーの市

    長にリベラルでイスラム教徒のナヒード・ネンシが当選し、再選も果たした。二〇一二年の選挙で、大衆運動的政

    党が一挙に政権を獲得するというアルバータ州独特のパターンが実現しなかったのも、ワイルド・ローズ党が都市

    部を中心とした多民族化・多様化した有権者の反発を買ったからであった。二〇一二年、二〇一五年の選挙結果を

    みると、この党は郊外の支持が中心であり、都市部で支持を得ていない。大衆運動でありながら、社会保守主義的

    主張が新しい有権者には受け入れらなかった。

     

    結局、二〇一五年の選挙で一挙に政権を獲得したのは、社会主義政党の新民主党であった。この党は、一九九〇

    年代以降、最多で四議席の野党第三党に過ぎなかった。アルバータ州は社会主義を敬遠する政治風土があり、同じ

    平原三州でもサスカチュワン州、マニトバ州において新民主党政権を経験していたのと異なっていた。この弱小政

    党が選挙に勝利したのは、女性党首レイチェル・ノトリー(一九六四年生)の魅力であったといわれる。ノトリー

    は弁護士出身で二〇〇八年に州議員に当選し、二〇一四年十月に党首に就任した。州民には未知の政治家であっ

    たが、父は、州新民主党の党首を約一六年務め、在任中、飛行機事故で亡くなったこともあって人々に知られてい

    た)17(

     

    ところで、二〇一一年の連邦総選挙では、新民主党が選挙運動中におけるジャック・レイトン党首の個人的魅力

    で、支持基盤がほとんどなかったケベック州で大勝し、野党第一党に初めて躍進していた。それと同じことがアル

  • カナダ・アルバータの保守主義(清滝)

    四三

    88

    バータ州で起こった。ほとんど無名で政治経験が少ない候補者を抱えた党が、大きな政策転換をおこなっていない

    にもかかわらず、州民になじみの少ないリーダーの新鮮で卓越したパフォーマンスで大躍進した。その背景には州

    を長らく支配し、堕落した既存の政党への有権者の怒りがあった。ケベック州で民族主義的立場をとってきたブロッ

    ク・ケベコワが飽かれたのと同様、進歩保守党の長期政権への不満とワイルド・ローズ党の政治的機会主義への幻

    滅がイデオロギーに優先したと考えられる

    )18(

    。有権者は進歩保守党政権に怒り、今まで新民主党に投票することを思

    いもしなかった保守層が党首の魅力で投票していた

    )19(

     

    二〇一五年の選挙では、長期政権の堕落とともに、州首相の党派的取引、そして予算をめぐる発言に批判が集

    まった。プレンティス州首相は、有権者に向けて州が深刻な財源不足に陥っているという「現実を見よ(look in

    the mirror

    )」と発言し、それが選挙のターニングポイントとなった。メディアやSNSでの猛烈な批判を浴びた

    )20(

    州政治に携わらず、直前まで大銀行の副頭取をしていた彼には真理であったとしても、四十年以上も政権を担いな

    がら、原油価格下落に十分な手だてをしていなかった政党の党首としては不適切な発言であった。また州民に負担

    を説く一方で、法人税や石油・ガスのプレミアムを上げようとしないことにも州民は反発した。この選挙に予算案

    の信任をもちこんだことで、有権者の反発に直面しても、今さら軌道修正も難しく、進歩保守党は苦境に陥った。

     

    新民主党は、解散直後の四月九日の世論調査では、二十%の支持率で、ワイルド・ローズ党二十四%、進歩

    保守党二十一%に遅れをとっていたが、選挙直前の二十九日の最終調査では三十八%で、ワイルド・ローズ

    党二十三%、進歩保守党十八%と急上昇した。二十三日の段階で、ワイルド・ローズ党三十二%、新民主党

    三十一%、進歩保守党二十六%であり、党首の選挙活動が結果に大きく影響を与えたという推測を数字が裏付けて

  • カナダ・アルバータの保守主義(清滝)

    四四

    87

    いる

    )21(

    。こうした急激な伸びの経過は、二〇一一年の連邦総選挙での新民主党の大躍進に似ていた。

     

    新民主党は公約で社会主義的政策を維持し、富裕層への課税強化や法人税の増税、石油・ガスのプレミアムの見

    直しの一方で、予算案における教育・医療費削減の撤回、子供や老人の福祉の充実を訴えた。新民主党の急浮上で

    危機感を抱いた州首相は、社会主義政権での経済破綻の危険を警告し、猛烈な攻撃をおこなった。二〇一二年の選

    挙でワイルド・ローズ党の保守性を叩くことで勝利したことの再現を狙った。しかし、党首討論で、福祉の充実を

    訴えるノトリー党首に「数学は難しい」と小ばかにした態度を示したことで、かえって有権者の反発を招いた。そ

    して諸地区の教育委員会が教育予算削減を批判し、企業家グループも増税を批判する声明を出し、さらに与党政治

    家のスキャンダルも報じられた。新聞社の調査によると、今回選挙での有権者の関心は、信頼と責任が最上位であっ

    た。新民主党はポピュリスト的政策を展開しながら、政権交代を訴え、最も保守的なアルバータ州でよもやと思わ

    れた政権交代を果たした

    )22(

    。とくに州都エドモントンではすべての議席を新民主党が獲得した。ワイルド・ローズ党

    も善戦し、二十一議席を獲得し、与党に対抗しうる力をもった野党第一党の座を回復した。プレンティス州首相は

    自身の議席を確保したが、党敗北の責任をとって議員職までも返上した。かつてはハーパー首相の後継とも目され

    た有力政治家は政治人生を終えることを表明した。

    4 

    アルバータ保守主義の現実

     

    アルバータ州は何度も述べてきたとおり、カナダの保守主義の中心的地域であった。そこで社会主義政党が政権

  • カナダ・アルバータの保守主義(清滝)

    四五

    86

    を獲得したのは、驚天動地の現象であり、連邦野党の新民主党や自由党は今秋の総選挙への期待を高めている。カ

    ナダ政治分析の第一人者であるトロント大学のネルソン・ワイズマンは、今回の結果について、ブレンティスの失

    言と進歩保守党の長期政権への有権者の倦怠感という特殊事情が原因であって、ハーパー首相の地元での地盤が揺

    らいだことにならないとみている

    )23(

    。しかし、特殊事情があっても、個人の自立・市場原理・小さな政府への支持が

    強いとされる保守的地域での社会主義政党の勝利は理解しがたいものがある。

     

    政治評論家のジェフリー・シンプソンは、歴代政権が当初の保守主義的イデオロギーにかかわらず、天然資源の

    収入を州政府支出に向けていたことを指摘する。公的医療の一人当たりの額ではカナダ最高であり、教育や道路、

    警察などの公共部門投資も増加し、公共部門の拡大がその組合の勢力増大につながり、新民主党勝利の中核となっ

    たとする

    )24(

     

    さらに、政治評論家のアンドリュー・コインもアルバータ州の保守主義は言葉だけで、以前から、有権者は自分

    たちのために大々的に財政支出をしてくれる政党を選んでいたという。今回の選挙では石油や企業、富裕者の課税

    によって支出を維持する政党に転じただけと冷ややかに見ている

    )25(

     

    シンプソンやコインの指摘を踏まえて考えるならば、アルバータ州民の多くが本当に保守主義者なのかとの疑問

    に行きつく。この問題について、ディビッド・ステワートとアンソニー・セイヤーズが二〇〇八年に実施した調査

    で、解き明かしている

    )26(

    。進歩保守党が選挙で圧勝した年であったが、二人の結論は、アルバータ州で顕著な保守的

    な政治文化があるわけでないことと、アルバータの保守主義は誇張されているということである。

     

    調査は、いくつかの項目での質問の回答をもとにしている。まず、政府支出に対する見解について、党派の違い

  • カナダ・アルバータの保守主義(清滝)

    四六

    85

    があるが、アルバータ州の有権者の七割以上が支出増加を支持している。進歩保守党政権下で、一人当たりの公的

    支出がカナダで一番との状況を裏付けている。

     

    エネルギーと環境問題において、多数がエネルギー産業に対する政府のコントロールを支持し、六十九%が企業

    の政治的発言が多すぎるとし、五十六%が石油とガスのプレミアムを上げることに賛成している。また八十二%が

    地球環境問題に取り組むべきと考えている。二〇一二年の選挙戦で、地球環境温暖化を否定する発言をおこなった

    スミス党首が批判されたのもこうした世論があったからである。

     

    社会倫理と道徳において、アルバータ州の有権者は、一般に思われているほど保守的でないこともわかる。妊娠

    中絶も七十六%が個人の問題とし、同性婚も六十二%が賛成している。反対意見も他州と比較してみて少し高い程

    度である。州での多数意見は、中絶や同性婚に対する制限に反対するものである。ワイルド・ローズ党支持者は社

    会保守主義傾向が見られるが、有権者の多数と異なっている。

     

    調査をみていくと、アルバータ州の保守主義の中心は、ポピュリズムと西部の孤立意識であることがわかる。「一

    般人の方が専門家より信頼できる」五十八%、「問題を一般民衆の判断にゆだねることでほとんどの問題は解決する」

    七十五%、「役所主義(red tape

    )の少ない政府が必要」八十六%と、ポピュリズムの傾向が顕著である。

     

    西部の孤立意識については、地元出身のハーパーが二〇〇六年に首相になったのにもかかわらず、高い傾向が

    ある。「アルバータ州は連邦政府にフェアに扱われていない」四十六%、「アルバータ州は公平に政治権力を分け

    与えられていない」六十二%、「連邦政府はアルバータ州の費用でケベック州やオンタリオ州を支援している」

    六十五%、「政党はケベック州やオンタリオ州に依拠して、アルバータ州は無視されている」七十%である

    )27(

  • カナダ・アルバータの保守主義(清滝)

    四七

    84

     

    アルバータ州の保守主義は、経済的自由主義を強調する点から、イギリス由来の保守主義でなく、アメリカの共

    和党における保守主義と同一視されることが多いが、この調査結果からみると、そうした評価は妥当でないとわか

    る。ワイルド・ローズ党のような原理主義的保守主義は例外的である。

     

    アルバータ州の状況は、この調査がおこなわれた二〇〇八年から二〇一五年までのわずかの間にも激変してい

    た。人口は四十三万人、率にすると十五%以上増加した。大卒者は急激に増え、組合の影響下の公的医療従事者は

    五十%増加していた

    )28(

    。二〇〇八年の世論調査で保守的な回答をしていた部分の比率がさらに低くなったことは予想

    できる。

     

    ワイルド・ローズ党は、個人の自立・市場原理の尊重・均衡財政・小さな政府といった経済的自由主義的政策を

    挙げて支持を伸ばしてきたが、二〇一五年の選挙結果をみると、こうした原理は、順調な州経済の発展があって初

    めて支持されていたのではないか。経済的自由主義は、連邦政府に対抗し、長期政権での利益誘導的党派政治を批

    判するイデオロギーという面があった。州の天然資源による利益を連邦政府に吸い上げられることを批判しても、

    州内で教育や公的医療に用いることは多数の有権者が認めていた。ワイルド・ローズ党は、長期政権に倦んだ有権

    者に支持されてきたものの、その社会的保守主義は大半の有権者と意識とずれていた。そして新民主党が選択肢に

    挙がってくると、容易に乗り換えられた。今回の選挙において、当初、ワイルド・ローズ党のほうが新民主党より

    支持率が高かったものの、選挙中に逆転されたことにも、有権者がその原理にこだわっていなかったことがわかる。

    原油価格の下落と州経済の後退下で、負担の増大と教育・医療の公的支出の削減は、有権者の大半にとって不満を

    招くものであり、それにもっとも応える政策を掲げた新民主党に支持が流れたのも理解できる。

  • カナダ・アルバータの保守主義(清滝)

    四八

    83

     

    さらにまた、今回の選挙では、アルバータの保守主義の中心にあるポピュリズムと石油資本の微妙な関係が明ら

    かになった。両者の利害が一致していたのは、連邦政府のエネルギー政策への反対と、自由な企業活動が雇用機会

    の提供と州財政の貢献につながるという条件の下であったと考えられる。東部の大資本に対する批判が伝統的に根

    強い政治土壌のなかで、自州の石油資本にあっても、不況のなかでの政治的優遇に、有権者の批判が集まるのも当

    然である。先述の世論調査において、州民は石油資本を全面的に支持するわけでないことがすでに表れていた。景

    気後退でレイオフも実施されながら、政権がエネルギー企業への政治的配慮を見せたことで、ビジネス・マインド

    が優勢なアルバータ州においてかつてなく反企業熱が強まった。

    おわりに

     

    アルバータ州の選挙が保守党支配の続くカナダ政治の変革の兆しであるのか、それともこの州独特の政治状況の

    産物なのか、評価はしがたい。

     

    統治経験のない新民主党が社会主義的政策を全面的に実行しようとするならば、企業の反発もあり(現に選挙結

    果判明後、多くの企業の株価が下落した)、もともとなじみのない政党であることもあり、有権者が離反する可能

    性もある。今回の選挙での得票率をみると、新民主党四十%、ワイルド・ローズ党二十五%、進歩保守党二十八%

    である。郊外でしか議席を獲れないワイルド・ローズ党と都市部で議席が望める進歩保守党の合同があれば、フラ

    ナガンの指摘のように新民主党政権は一期だけで終わる可能性もある

    )29(

  • カナダ・アルバータの保守主義(清滝)

    四九

    82

     

    コインは、カナダ全体にわたって、財政支出をともなうリベラルな政策を掲げる党が州選挙で勝利しているとし

    て、保守党政権の危機を示唆しているが、この国では州政府と連邦政府の機能が分かれ、有権者の要求が異なり、

    身近なことに携わる州選挙の結果がそのまま連邦選挙につながるとは限らない。

     

    しかし、アルバータ州の保守主義がポピュリズムと連邦政治に対する反発を核としていることをみると、ハーパー

    保守党政権が十年近く続いている事実は、その政治エネルギーの弱化を予想させる。経済的自由主義が、その中心

    とされたアルバータ州でさえ、強固なものでなく、政府支出に必ずしも反対しない有権者は社会主義の野党にさえ

    投票することが今回の選挙で明らかになった。秋の総選挙はカナダ保守主義の将来を見通すことになるであろう。

    (1)

    Rex M

    urphy, A good night in A

    lberta in National Post, M

    ay 8 , 2015 .

    (2)

    カナダでは社会主義と言っているが、政策は社会民主主義というべきものである。

    (3)

    Murphy, op. cit. 

    (4)

    一九九〇年代に連邦の進歩保守党の党首がケベック州の自由党の党首となった例もある。党によって州と連邦組

    織の関係に相違があり、社会主義政党の新民主党は他に比べると両者の結びつきがある。

    (5)

    C・H・マクファーソン『カナダ政治の階級分析 

    アルバータの民主主義』竹本徹訳(御茶の水書房)一九九〇年参照。

    原題は『アルバータのデモクラシー』で一九六二年に出版された。

    (6)

    Darrell B

    ricker and John Ibbitson, The Big Shift: The Seismic C

    hange in Canadian Politics, Business, and C

    ulture and What It

    Means for O

    ur Future (Toronto, 2013 )

  • カナダ・アルバータの保守主義(清滝)

    五〇

    81

    (7)

    ワイルド・ローズとは薔薇の一種で、アルバータ州で親しまれている花である。自動車のナンバープレートにも

    Wild R

    ose Country

    と書かれている。

    (8)

    Karen K

    leiss, How

    the Alberta Progressive C

    onservative dynasty fell in Edmonton Journal , M

    ay 7 , 2015 .

    (9)

    Sydney Sharpe, Danielle Sm

    ith: Is she Alberta's Sarah Palin, or the future of C

    anada? in Globe and M

    ail , Apr. 14 , 2012 .

    (10)

    Stephen Brook, C

    anadian Dem

    ocracy (Ontario, 2009 ), p.114 .

    (11)

    Doreen B

    arrie, The Other Alberta; D

    ecoding A Political Enigma (R

    egina,2006 ) pp.115 -116 .

    (12)

    選挙の勝利の経緯をフラナガン自身が『ハーパー・チーム』という本にまとめたが、それがきっかけとなって、ハー

    パー首相と距離をおくことになった。Tom Flanagan, H

    arper’s Team: Behind the Scenes in the Conservative Rise to Power

    (Montreal and K

    ingston, 2007 ) , Tom Flanagan, Persona Non G

    rata: The Death of Free Speech in the Internet Age (Toronto, 2014 )

    (13)

    カナダの党首選挙においてトップランナーが選ばれない現象について次の文献を参照。B

    rook, op. cit. pp.302 -305 .

    (14)

    Party infi ghting, low poll num

    bers led to Alberta Prem

    ier's resignation in Globe and M

    ail, Mar. 19 , 2014 .

    (15)

    Tom Flanagan, O

    nce again, Alberta’s w

    ithout opposition in Globe and M

    ail, Dec. 18, 2014 .

    (16)

    Nelson W

    iseman, In Search of C

    anadian Political Culture (Vancouver, 2007 ), pp. 249 -259 .

    (17)

    Dean B

    ennett, Premier-elect N

    otley takes up dad’s legacy in Calgary H

    erald, May 5 , 2015 .

    (18)

    Antonia M

    aioni, Alberta and Q

    uebec: A tale of tw

    o orange waves in G

    lobe and Mail, M

    ay 7 , 2015 .

    (19)

    Gary M

    ason, An N

    DP victory changes everything C

    anadians think about Alberta in G

    lobe and Mail, M

    ay 5 , 2015 .

    (20)

    Allan M

    aki, Mirrors and m

    iscalculations: Five Alberta election m

    oments to rem

    ember in G

    lobe and Mail, M

    ay 5 , 2015 .

    (21)

    http://ww

    w.mainstreettechnologies.ca/

    (22) K

    aren Kleiss, op. cit.

    (23)

    Rob G

    iles, Alberta Ends a 44 -Year C

    onservative Party Reign, Associated Press, M

    ay 29 , 2015 .

    (24)

    Jeffrey Simpson, N

    DP w

    in fi ts historic pattern in Globe and M

    ail, May 7, 2015

  • カナダ・アルバータの保守主義(清滝)

    五一

    80

    (25)

    Andrew

    Coyne, A

    lberta never really was all that conservative in N

    ational Post, May 7 , 2015 .

    (26)

    David K

    Stewart and A

    nthony M. Sayers, C

    onservative Beliefs in Jam

    es Farney and David R

    ayside ed, Conservatism

    in

    Canada (Toronto, 2013 )

    (27)

    Stewart and Sayers, op. cit.

    (28)

    Colby C

    osh, The death of the Alberta PC

    dynasty in Maclean’s, M

    ay 7 , 2015 .

    (29)

    Tom Flanagan, H

    ow N

    otley can avoid becoming a one-term

    wonder in G

    lobe and Mail, M

    ay 6 , 2015 .