空撮取材も頼れる「相棒」 - 法人向け商品 - panasonic...

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パナソニックITプロダクツ事業部 モバイル開発部主幹 坂田厚志さん 仕事える レッツノート 鮉鰞鰞鯐駪騳騳鯐魪鮷魪鰑鮼鮷鮋魮駧魭鮋鱞騳鯐魮騳鮚魿鰞鰑鮷鮼鰞魿騳 毎日新聞東京本社 とおやま・かずひこ 1990年入 黕東京本社社会部黋西部本社報道どを経て今年4月、東京本社企編集室委員兼編集編成局編集委員。 毎日新聞大阪本社 かわひら・あい 2009年、写真記 として入社。和歌山支局で2年間件担当記者などを経験し、年月から大阪本社写真部。 パナソニック モバイルパソコン 頑丈さへ模索重ね モバイル性を追求 全てお客様のため レッツノートの前身は、1995年発売の 鬛鰏鮼鮷鮼鰞魿髺魿鰞鮩鮋鮷鮋麏というB5サイズ ノートPCです黕このPCは当時黋世界 小鱻最軽量のモデルであり黋この頃から バイルユーザーを意識した開発をして ましたが、ネットワークのインフラ環 が整っていないことや高額な商品だっ ため黋お客様の反応はイマイチ黕そこか 具体的にどう改善するべきなのか、模 しながら新たな商品の開発を続け、 6月に初めて麎髿魿鰞駬鰑鮷鮼鰞魿麏の名を記 た麎AL―N1麏が誕生しました。 2000年ごろまでは、お客様のご要望を いて、フルスペックのシリーズを作っ いたレッツノートですが、社内で議論 繰り返した結果、たどり着いたのがモ イルノートの本質といえる「軽量」と 長時間駆動」です。「とにかく軽さと 動時間。この二つは絶対に諦めるな。 さは1㌔を切る。やりきれなかったら、 日からの仕事はない」と、当時の責任 が覚悟を持った言葉をスタッフにか 、CF―R1の開発がスタート。年 重さ約960㌘、約6時間駆動を実現し R1の商品化に成功しました。 レッツノートはR1で得た軽量、長時 駆動をコンセプトに新たなスタートを りましたが、全ての課題が解決したわ ではありません。次に求めたのが「頑 さ」です。当時モバイルパソコンが外 出先でなぜ破損するか模索する中、開発 チームは通勤電車に注目しました。 「満員電車の圧迫により液晶が破損ているのではないか」との仮説を立てお客様のご意見をうかがうと、確かに乗車率の高い路線を使用している方に液晶の破損が多いことが判明しましたそこで、電車の中でどれくらいの圧力かかっているのか検証するため、開発自らが何回も電車に乗り込んでデータ採取すると、100㌔にも達することがかりました。 さらに、落下に対する耐性向上のたには、机の高さの㌢で落下試験を繰返しました。こうして得られたデータ基に、基板の固定方法や天板の厚みをえたり、衝撃緩衝材でハードディスク包んだりするなどの工夫を凝らして、丈さを実現させました。 また、お客様の利便性向上に加えてまざまな使用シーンでビジネスを止めいため、インターフェース部分にもこわりを持ち、USBだけでなく、今で見られなくなった標準のVGA端子、準のLANポート搭載にこだわり続けいます。そうしたこだわりが現在のモバイルパソコンの主力商品である「F―SZシリーズ」にも受け継がれてります。 さらに「日本製」へのこだわりも強く生産工場は神戸工場に一本化して、基の実装黋組み立てから品質鱻管理まですて同工場で行っています。修理部隊も戸と大阪鱻守口に置いて黋お客様によりい場所で素早い対応を心がけています。 本質は軽量、長時間駆動 レッツノートに込められた開発者の思いとそ の技術について、設計に携わるパナソニックI Tプロダクツ事業部モバイル開発部主幹の坂田 厚志さん()に語ってもらった。 稿 稿 調 使 使 稿 使 使 使 使 使 空撮取材も頼れる「相棒」 調 使 使 使 速くてタフ 抜群の使用感 軽くて頑丈、長時間の使用に耐え得るというモバイル機能を最優先して開発されたパナソニックの モバイルパソコン「レッツノート」。年の初代機発売から年になるが毎年進化を続けビジネ スマンらから高い評価を受けている。記者用パソコンにレッツノートを採用している毎日新聞大阪本 社写真部の川平愛記者と東京本社企画編集室の遠山和彦記者に、その使い心地などを聞いた。 使 稿 稿 稿 稿 使 ( ) 使 姿 パソコンの歩みと共に 新聞記事の執筆や写真の送稿手段は、過去数十年間で飛躍的 に進化した。紙面のコンピューター製作とあいまった最大のメ リットはスピードアップ。締め切り時間が格段に遅くなり、翌 日回しにせざるを得なかった記事や写真が、楽々入るようにな った。毎日新聞の歴史をひもといて、変化をたどってみよう。 広告 企画・制作 毎日新聞社広告局 高いモバイル性能で、どこでも手軽に原稿作成が可能に

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Page 1: 空撮取材も頼れる「相棒」 - 法人向け商品 - Panasonic …ƒ‘ナソニックITプロダクツ事業部 モバイル開発部主幹 坂田厚志さん 仕事を変える

パナソニックITプロダクツ事業部

モバイル開発部主幹

坂田厚志さん

仕事を変える レッツノート

鮉鰞鰞鯐駪騳騳鯐魪鮷魪鰑鮼鮷鮋魮駧魭鮋鱞騳鯐魮騳鮚魿鰞鰑鮷鮼鰞魿騳

豆知識

新聞製作

技術の歴史

遠山和彦記者

毎日新聞東京本社

とおやま・かずひこ 1990年入

社黕東京本社社会部黋西部本社報道部

などを経て今年4月、東京本社企画

編集室委員兼編集編成局編集委員。

企画編集室

毎日新聞大阪本社

写真部

川平

愛記者

かわひら・あい 2009年、写真記

者として入社。和歌山支局で2年間、

事件担当記者などを経験し、 年5

月から大阪本社写真部。

パナソニックモバイルパソコン

頑丈さへ模索重ね

モバイル性を追求

全てお客様のため

レッツノートの前身は、1995年発売の

麎鬛鰏鮼鮷鮼鰞魿髺魿鰞鮩鮋鮷鮋麏というB5サイズ

のノートPCです黕このPCは当時黋世界

最小鱻最軽量のモデルであり黋この頃から

モバイルユーザーを意識した開発をして

いましたが、ネットワークのインフラ環

境が整っていないことや高額な商品だっ

たため黋お客様の反応はイマイチ黕そこか

ら具体的にどう改善するべきなのか、模

索しながら新たな商品の開発を続け、

年6月に初めて麎髿魿鰞駬鰑鮷鮼鰞魿麏の名を記

した麎AL―N1麏が誕生しました。

2000年ごろまでは、お客様のご要望を

聞いて、フルスペックのシリーズを作っ

ていたレッツノートですが、社内で議論

を繰り返した結果、たどり着いたのがモ

バイルノートの本質といえる「軽量」と

「長時間駆動」です。「とにかく軽さと

駆動時間。この二つは絶対に諦めるな。

軽さは1㌔を切る。やりきれなかったら、

明日からの仕事はない」と、当時の責任

者が覚悟を持った言葉をスタッフにか

け、CF―R1の開発がスタート。 年

に重さ約960㌘、約6時間駆動を実現し

たR1の商品化に成功しました。

レッツノートはR1で得た軽量、長時

間駆動をコンセプトに新たなスタートを

切りましたが、全ての課題が解決したわ

けではありません。次に求めたのが「頑

丈さ」です。当時モバイルパソコンが外

出先でなぜ破損するか模索する中、開発

チームは通勤電車に注目しました。

「満員電車の圧迫により液晶が破損し

ているのではないか」との仮説を立てて

お客様のご意見をうかがうと、確かに、

乗車率の高い路線を使用している方に、

液晶の破損が多いことが判明しました。

そこで、電車の中でどれくらいの圧力が

かかっているのか検証するため、開発者

自らが何回も電車に乗り込んでデータを

採取すると、100㌔にも達することが分

かりました。

さらに、落下に対する耐性向上のため

には、机の高さの ㌢で落下試験を繰り

返しました。こうして得られたデータを

基に、基板の固定方法や天板の厚みを変

えたり、衝撃緩衝材でハードディスクを

包んだりするなどの工夫を凝らして、頑

丈さを実現させました。

また、お客様の利便性向上に加えてさ

まざまな使用シーンでビジネスを止めな

いため、インターフェース部分にもこだ

わりを持ち、USBだけでなく、今では

見られなくなった標準のVGA端子、標

準のLANポート搭載にこだわり続けて

います。そうしたこだわりが現在の 型

モバイルパソコンの主力商品である「C

F―SZシリーズ」にも受け継がれてお

ります。

さらに「日本製」へのこだわりも強く、

生産工場は神戸工場に一本化して、基板

の実装黋組み立てから品質鱻管理まですべ

て同工場で行っています。修理部隊も神

戸と大阪鱻守口に置いて黋お客様により近

い場所で素早い対応を心がけています。

本質は軽量、長時間駆動

レッツノートに込められた開発者の思いとそ

の技術について、設計に携わるパナソニックI

Tプロダクツ事業部モバイル開発部主幹の坂田

厚志さん( )に語ってもらった。

||お仕事の内容を教えて

ください。

遠山

東京本社の社会部に

長くいたのですが、今春、今

の部署に異動しました。経済

面の企業紹介の連載や、新製

品発表の会見や企業のCSR

活動イベントの取材などが多

いですね。

||その都度、取材現場に

はパソコンを持って行かれる

のですか?

遠山

そうですね。時間が

ある時は会社に戻って原稿を

書きますが、現場にはいつも

持っていきます。記事は全て

パソコンで書いて送稿までし

ていますので、パソコンがな

いと何もできません。毎日新

聞で過去に掲載された記事の

検索や調べものにも使ってい

ます。

||いつからパソコンを使

うようになったのですか?

遠山

私が入社した199

0年はまだ、専用の原稿用紙

に手書きしてファクスで送る

スタイルでした。やっと慣れ

てきた

年ごろにワープ

ロが導入されたのですが、な

かなか習熟できず、左右の人

さし指だけ使うような打ち方

をしていましたね。

パソコンに切り替わったの

は2001年ごろです。レッ

ツノートは昨年5月から使い

始め、最新型も使ってみまし

た。|

|使い勝手はいかがです

か?遠

何よりいいと思って

いるのは立ち上がりが早いこ

とです。時間に追われる仕事

なので、

秒、

秒でも遅い

とイライラしてしまいます。

以前使っていたものに比べる

とすぐに仕事に入れますし、

同じレッツノートでも、今度

の機種は一段と早くなったよ

うに思います。

それと、バッテリーの持続

時間。現場で電源を探すとい

う余計なことをしなければな

らないのはうっとうしいです

から、充電が長持ちするレッ

ツノートはありがたいです。

||軽さや頑丈さについて

はどうですか?

遠山

あちこち持ち運ぶだ

けに、軽くて丈夫なのはもち

ろんありがたいですよ。混雑

した現場では知らないうちに

ぶつけたりしますからね。そ

のほか、周りが明るくても液

晶画面が光らず見やすいこと

や、キーボードのタッチ感が

気に入ってます。また、かつ

てはキーボードが外れたり、

フリーズしたこともありまし

たが、レッツノートに替えて

からは、そんなことは一度も

ないですね。

空撮取材も頼れる「相棒」||今日は大阪空港にある

毎日新聞の格納庫にお邪魔し

ました。取材ヘリが待機して

いますが、ヘリにはよく乗ら

れるのですか?

川平

写真部記者の交代勤

務で格納庫勤務は月に2、3

回です。その時に大きな事件

や事故が起きたり、満開のサ

クラや初雪など季節の風景写

真を撮ったりする場合に乗っ

ています。

||写真はどのようにして

送るのですか?

川平

写真を撮ったらカー

ドリーダーをパソコンの端子

に差し込み、写真を選んでパ

ソコンに取り込みます。トリ

ミングや明るさなどを調整し

たうえ、写真説明を付けて送

ります。送信の時はデータ通

信端末を別の端子に接続しま

すが、スマートフォンのテザ

リング機能を利用することも

あります。

||パソコンの天板に付け

ているのは?

川平

カードリーダーとデ

ータ通信端末などを着脱可能

なテープで貼り付けていま

す。カメラマンは持ち運ぶ機

材が多いので、一分一秒を争

う時にいちいち探していては

間に合いません。写真部に来

てすぐ、先輩に言われてテー

プを買いました。おかげで、

送信まで数分で完了します。

||現場にはどれぐらいの

機材を持っていくのですか?

川平

最低でもカメラ2台

に交換レンズ、ストロボやバ

ッテリーなどが必要ですの

で、

㌔以上だと思います。

加えて、脚立も持っていくの

で、他の荷物はできるだけ軽

くて少ない方がいいですね。

||すると、レッツノート

は現場に向いている?

川平

軽くて小さいのが本

当にうれしいですね。CF|

を3年ほど使った後、9

月からCF|RZ5に替わり

ました。J

でもそれまで使

っていた他社のパソコンより

軽いと思いましたが、今のも

のはさらに薄く軽くなってい

ます。甲子園球場や事件現場

へ何度も持って行っています

が、故障したことは一度もあ

りません。

||他に気付かれた点は?

川平

複数のUSB端子を

同時に使うことが多いので、

全部の端子が通信スピードの

速いSS端子なのは助かって

います。現場に出た時は、3

時間以上電源を入れたままに

することも多いので、長時間

駆動できるレッツノートは充

電切れの心配がないのがいい

ですね。それとやっぱり、そ

の機能性を表しているような

シルバーのボディーがおしゃ

れで好きです。

レッツノートを片手にヘリに乗り込む川平記者

ヘリの中で写真データ

をチェックする川平記者。天板にはカードリーダーなどを装着している

速くてタフ 抜群の使用感

軽くて頑丈、長時間の使用に耐え得るというモバイル機能を最優先して開発されたパナソニックの

モバイルパソコン「レッツノート」。年の初代機発売から年になるが毎年進化を続けビジネ

スマンらから高い評価を受けている。記者用パソコンにレッツノートを採用している毎日新聞大阪本

社写真部の川平愛記者と東京本社企画編集室の遠山和彦記者に、その使い心地などを聞いた。

記事の執筆は、鉛筆やペンによ

る手書きの時代が100年以上続

いた。約

年前までは、はがきよ

り少し大きい「ザラ紙」と呼ばれ

る薄茶色の紙を使用。書き損じて

丸まったザラ紙が床の上に散乱し

ているのが、編集局の日常光景だ

った。1枚1行。枚数を数えれば

行数が分かった。

かつては、原稿を電話で聞き取

る「連絡さん」と呼ばれる速記者

が本社にいた。正式な職場名は「連

絡部電話通信課」。記者が専用電

話で呼び出し、原稿を吹き込むと、

連絡さんが速記で筆記してくれ

る。記者が書き取るより、数倍も

早い。吹き込み方が悪い新米記者

などは𠮟りとばされていた。

支局に鍵盤さん孔機(漢字テレ

タイプ)が導入されたのは196

0年代。オペレーターが原稿を打

ち込むと、紙テープに字ごとに違

った穴があき、それを送信機にか

け本社に送っていた黭やがて黬簡易

ファクスが入ると連絡さんは次第

に減っていき、

年2月1日をも

って

年の歴史の幕を閉じた。

ワープロ導入は

年代初め。「ワ

ープロなんかで気持ちのこもった

原稿は書けん」などと手書きにこ

だわるベテラン記者もいたが、2

000年代初頭にパソコンに切り

替わる頃には、そうした記者もい

なくなっていた。

今でこそデジタルカメラの普及

でフィルムレスになったが、戦後

しばらくまでフィルムの搬送に活

躍したのが伝書バトだ。

軍用に利用されていたハトを新

聞社が譲り受け大正時代に使うよ

うになり、東京日日新聞(毎日新

聞の前身)などは一時期500羽

を、屋上で飼育していた。ハトの

帰巣本能を利用したものだが、必

ず帰ってくるわけではないので、

大事なフィルムはコマに分けて、

複数のハトを使う一方、記者が持

ち帰っていた。

写真電送機が導入されると、印

画紙に焼き付けて送るようになっ

た。支局に配属された新人記者が

最初に覚えたのが、暗室での現像

だった。しかし、フィルムを入れ

忘れたり、不注意で露光させ台無

しにしたりする失敗も多かった。

通信機能を持つパソコンの普及

につれ暗室は姿を消し、今や、本

社の写真部にもない。

数百羽を収容した新聞社のハト小屋

パソコンの歩みと共に

新聞記事の執筆や写真の送稿手段は、過去数十年間で飛躍的

に進化した。紙面のコンピューター製作とあいまった最大のメ

リットはスピードアップ。締め切り時間が格段に遅くなり、翌

日回しにせざるを得なかった記事や写真が、楽々入るようにな

った。毎日新聞の歴史をひもといて、変化をたどってみよう。

広 告 企画・制作 毎日新聞社広告局莢莢莢莢莢莢莢莢

莢莢莢莢莢莢莢莢

高いモバイル性能で、どこでも手軽に原稿作成が可能に