人間に出来ること --- 人間 vs 機械 part i 進化と自然認識

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人人人人人人人人 人人 vs 人人 Part I 人人人人人人人 人人人人人

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10月7日 マルゼミ

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Page 1: 人間に出来ること --- 人間 vs 機械 Part I 進化と自然認識

人間にできること人間 vs 機械

Part I 進化と自然認識

丸山不二夫

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労働の現場では、機械やロボットに代替可能な肉体的な労働と、技能に基づく熟練労働のいずれもが減少する一方で、誰が行っても同じ効果が求められる、定型的なルーティン・ワークが増大しています。これらの没個性的な労働の一部あるいは全部が、いずれは、コンピュータによって代替されるかもしれないという不安は、情報化社会に生きる人間の意識を深いところで規定していくでしょう。

            丸山不二夫 2000

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私は人間が有り余るほどの時間の中でゆっくりと暮らすべきだと思います。人々のニーズを満たすために誰しもが己を捨ててまで忙しく働かなければいけない、という考え方は間違っています。問題なのは、人々がそういったことを間違いであると認識できていないところにあるんです。また、人間は何もすることがなくなったら幸せじゃなくなってしまうと思っていることも問題です。

             Larry Page 2014

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Agenda

生物と人間と機械 人間の感覚能力の拡大 言語能力の獲得と進化 機械の誕生と進化 数学的認識の誕生と発展 機械に出来ること 人間と機械との「共生」

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生物と人間と機械

生物・人間・機械の同一性と差異の論点は、多岐にわたる。ここでは、そのいくつかを取り上げる。

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生物の進化と人間の進歩 人間を含む生物と、機械との違いは明確である

ように思う。人間と人間以外の生物とは、多くの共通点を持っている。

生物と人間の違いについて、最初に確認すべきことは、生物の進化と人間の進歩は、別の原理に基づくということである。

生物の進化は、自然が適者を選択する客観的な過程であるのに対して、人間の進歩は、人間の目的意識に基づく主体的な選択の結果として生まれる。

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生物と人間の「知的能力」 生物と人間の違いを、感情・意思・知識と

いった知的能力の有無で説明しようとすることもある。ただ、少なくない動物達は、感情・ 意思・ 知識を持っているように見える。それらの有無で、動物と人間を区別するのは難しい。

それらは、個体を維持するための食欲、種を維持するための性欲、外部の環境に適応するための記憶の利用等に起源を持つ。

全ての生物は、自然の中で生き抜くために、プリミティブな「知的能力」を持つといっていい。

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人間の言語能力と自然認識能力 人間の知的能力の最大の特徴を、その言語能

力である。動物は、人間のように言語を操る能力を持たないし、機械もまた、現状では言語を十分には理解出来ていない。

人間の知的能力の発展として重要なものに、自然科学と数学の発展がある。それは言語能力を土台とした、人間の自然認識能力の拡大として捉えることが出来る。

こうした問題意識は、「人間と機械」という主題からは、狭いものに思われるかもしれないが、機械の登場を可能にした母胎は、科学技術である。

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機械の思考は可能か 現代の脳研究をドライブしている最も強い信念

の一つは、我々の思考の過程が、基本的には、生化学的・物理的過程、いわば、機械的な過程に還元出来るというものである。

それは、我々人間を、 DNA でコードされたタンパク質で出来た機械とみなすことに等しい。

機械の思考は可能か? こうした問いに対する、還元主義的な立場からの、最も単純な答えは、「可能である。我々自身を見よ。」というものである。

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機械の「進化」 機械の「進化」は、我々人間の目的意識と主体

的コミットメントの結果として行われてきた。 機械に対して、我々は創造主としてふるまう。我々は我々自身に似せて、機械を作る。我々は、我々の知能のすべてを機械に移そうとするだろう。

だから(しかしながら)、「機械の無能さ」と思われるものは、正確に、我々自身の無能さを指し示している。

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人間の感覚能力の拡大

感覚は、生物が外界を認識するために、進化を通じて発達させてきた能力である。人間は、生物学的な進化以外の方法で、感覚の拡張を果たしてきた。こうした拡張は、主要には、20世紀においてなされた。長さ・重さ・位置・時間について、生物にビルトインされた体性感覚をはるかに上回る精度の認識を、人間は得ることが出来る。

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感覚能力の拡大 顕微鏡や望遠鏡は、我々の視覚能力の拡大である。

同様に、光学的な原理に基づくものではないにしろ、電子顕微鏡や電波望遠鏡も、我々の視覚の拡張と考えていい。レントゲンや CT, MRI も同様である。

ガスクロマトグラフィー・質量分析器・分光分析器も、嗅覚・味覚に代わる、我々の対象認識の拡張手段である。対象は限られているが、 DNAシーケンサーは、我々の生物学的基礎に対する、最も重要な認識手段である。

素粒子物理の分野での巨大な加速器も、我々の感覚能力の拡張と考えることが出来る。

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CERN: We've Got the 'God Particle'

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我々の自然認識

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機械が人間の感覚能力の拡大を可能とした こうした人間の感覚能力の拡大は、機械によって支え

られている。機械の助けなしでは、それは不可能であった。現在の我々人間の自然認識の能力は、機械の能力と一体のものである。

それでは、これらの機械は感覚を持つのだろうか? 観測機械の振る舞いは、物理過程に帰着する(それは、生物の感覚器官の働きも同様であるのだが)のだが、その結果を人間が解釈することで、それは人間の感覚能力の拡大となる。

網膜がそれ自体では視覚を持たないのと同じように、観測機械もそれ自体では、感覚を持っている訳ではない。

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人類の感覚器官 もう一つ重要なことは、宇宙の観測にしろ加速器にしろ、ナショナルあるいはインターナショナルなプロジェクトとして遂行れていることだ。それは、個人の感覚能力の拡大というよりは、集団的な人間の感覚能力の拡大である。

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言語能力の獲得と進化

言語能力の有無が、人間と他の生物を分つ最大のものだということは既に、述べた。

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言語能力の獲得 人間の知能を飛躍的に発展させたのは、 30万年前に獲得した言語能力だった。それは、個体間のコミュニケーションを豊かに発達させた。

一人しか話者がいない言語は、存在の意味が無い。言語は、その言語を話す集団の存在を前提とし、本質的に、社会的な性格を持っている。それは、人間の社会性と、もっとも深いところで結びついている。

それはまた、目の前の具体的なモノの世界を抽象的な概念の世界に移し替えることを可能にした。

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文字・メディア・ネットワーク 「文字」の発明は、人間の言語能力の拡大で

ある。それは、記憶の時間的制限を超えた情報伝達を可能にした。情報の蓄積の媒体として、多様な「メディア」が登場する。

情報伝達の空間的拡大は、書物の伝播の物理的制限を超える情報通信技術「ネットワーク」の発明によって可能となった。

今日では、「ネットワーク・メディア」が、共時的・通時的コミュニケーション双方の中心的舞台になりつつある。

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言語能力の獲得30万年前

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口承文学

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文字

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文字

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メディア

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機械の誕生と進化

機械が一般に普及するのは、 18世紀の産業革命以後だが、機械の新たな進化が加速したのは、この数十年のあいだである。コンピュータとネットワークは、機械のあり方を一新した。

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機械

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http://socserv.mcmaster.ca/econ/ugcm/3ll3/ure/PhilosophyManufactures.pdf

機械

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機械

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コンピュータ

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コンピュータ

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インターネット

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数学的認識の誕生と発展

プリミティブな数学的認識、量的な関係の認識は、文字の誕生と、ほぼ同じ時期に生まれた。数学的認識の飛躍は、「科学革命」を通じた自然認識の深化の中で起きる。数学は、我々にとって、自然認識の不可欠の手段である。

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√2 = 1 .41421296 ...

バビロニアの数学 4000年前

a 2+ b 2= c 2

http://bit.ly/1vDqN5d

YBC7289

Plimpton 322

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ピタゴラスBC582年 – BC496年

ユークリッド

ギリシャの数学

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アルキメデス紀元前 287年 - 紀元前 212年

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科学革命

コペルニクス ガリレオ ケプラー

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ニュートン、ライプニッツの微積分の発見が、新しい自然認識を可能にした。

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ガウス、リーマンらの数学的達成が無ければ、アインシュタインの理論は生まれなかった

自然認識の「器官」としての

数学

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数学的・科学的認識の特質累積的な知

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累積的知 数学的・科学的認識には、大きな特徴がある。

それは、いったん正しいものとして獲得された知識が、時間とともに蓄積されて行くということだ。

たしかに科学においても、その「正しさ」は、つねに相対的で近似的なものである。科学的認識の累積も、ある意味では、そうした制約の自覚の累積である。

別の言葉で言えば、科学的認識は、先行する諸成果を踏まえて、発展するということである。

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累積的知の主体 こうした科学的認識・累積的知の現在の担い手は、我々である。ただ、時間とともに累積される知の主体は、個人ではなく、集団的で社会的なものである。それは、生物学的進化の主体が、個体ではなく、種であるのと同じである。

こうしたタイプの知の累積とそれによる知の発展を可能にすることが、我々人間の認識能力の重要な特徴である。

集団的・社会的に担われた知の発展の契機は、個人の多様性である。

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機械に出来ること

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機械に出来ること 自分を取り巻く環境を、対象として、必要に

応じて認識出来るか? 自分を取り巻く環境に、働きかけて、それを変化させることができるか?

情報を記憶し、再利用出来るか? 自分と他者との間で、コミュニケーション出

来るか? 自分自身を、再生産出来るか?

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機械は、人間なしで自律出来るか? 機械は、人間の介在なしに、自分自身を、目

的意識をもって変化させられるか? 対象としての自然に関心を持ち、自然科学・

数学的認識の担い手になれるか? 歴史的で集団的な、自然科学や数学の累積的

知のモデルを構成出来るか? 累積的知の発展を保証する、多様性のある集団を構成できるか?

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遠くない将来に、機械が人間の能力を超える日が来るという「シンギュラリティ」の議論は、疑わしいと思う。

確かに、いくつかの分野では、機械の能力は人間の能力を既にはるかに超えている。また、個人としての人間の能力を、個体あるいは、ネットワーク総体としての機械の知性が上回ることはあるかもしれない。ただ、それを可能とするのは、人間である。機械の能力は、人間の能力の一つの現れに他ならない。

機械の誕生の地である、科学・技術の領域で、人間の優位は動かないように見える。

遠い未来の予言は出来ないのだが、人間と機械の「共生」関係は、長く続くと思う。

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人間と機械との「共生」

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人間と機械の「共生」 人間と機械との共生の時代は、既に始まって

いる。人間の物理的能力の代替手段として登場した機械は、いまや、経済活動の中核的役割を担い、人間の共時的・通時的双方のコミュニケーションにとって不可欠の存在となり、日常生活のあらゆる場面に浸透している。

現代の科学技術の発展は、機械の利用と分ちがたく結びついている。それはまた、機械の更なる能力発展の条件を、やすみなく提供している。

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確かに、機械とは相対的に接点の少ない、人間の活動分野は存在する。ソーシャルな連携、思索、クリーエーティブな創作、数学的探求、 .... 。

一方で、労働の現場への機械の浸透は、確実に人間の労働の機会を奪ってゆくだろう。

人間と機械の「共生」が、どのようなものになるかは、我々が考えるべき、重要な課題の一つである。

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、次の要領で第四回マルレクを開催します

日時:  11月 25日 19:00~ 場所:  MS 品川 オフィス テーマ: 

「エンタープライズと機械学習技術 --- Big Data と Deep Learning 」

定員:  100名 申込:  11月 18日 12:00〜 登壇者:

丸山不二夫 

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NTT ドコモなどが機械翻訳事業の新会社設立

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丸山→栄藤 自然言語の理解は、最も重要な技術領域の一つ。検索・広告で出遅れた日本が、世界を狙うなら、ここに注力するのはアリだと思う。 栄藤さん、がんばって。僕は、 Old Cartesian だけど、 New Cartesian になろうと思っています。

「「インターネット主権」論と「ほんやくコンニャク」待望論」 http://on.fb.me/1vrTdRN

21世紀後半は、アジアの時代になると思う。余裕があったら、インドの言葉もとりあげてほしいな。

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10年前、発話理解何て出来ないと思っていました。初期視覚の深層学習モデルもここまで来るとは想像できませんでした。

アクセルを踏むタイミングが少し早すぎたのではないかとの心配はありますが、 2020年にあるべき姿を逆マッピングすると今、予測できない未来に向けてアクセルをベタ踏みするしかない。

翻訳は半構造データをうまく抽象化して他の半構造データに文脈依存で統計的に写像する作業だと考えると、文書整形、意図理解など応用範囲は広いと思っています。

栄藤丸山