18.禁じられた福音書(ナグ・ハマディ文書の解明) · 2014-04-08 ·...

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1 18.禁じられた福音書(ナグ・ハマディ文書の解明) (1)前書き 最近、私(筆者の林久治)はナザレのイエスとキリスト教を少々研究している。 なぜなら、これらは謎の多い問題であるからである。イエスに関しては、本感想文 の第1-5回で取り上げた。また、第 15-16 回には、スペイン映画「アレクサンド リア」を取り上げ、4-5世紀におけるキリスト教の異教弾圧の実態を紹介した。 第 17 回には、「ローマ帝国の神々」(小川英雄著)を取り上げ、古代オリエントに 存在していた様々な宗教(神々)が、ローマ帝国の時代にキリスト教に収斂して行 った過程を考察した。 今回の「禁じられた福音書」(以後、本書と書く)は、「ナグ・ハマディ写本」 の専門家である著者が、「トマスの福音書」を始めとする「グノーシス諸福音書」 の豊穣な可能性を、一般の読者に解説した好書である。「ナグ・ハマディ写本」は 1945 年にエジプトの古都テーベ(現在名はルクソール)近郊のナグ・ハマディ村 図 18.1 を参照)で壷の中から出土したパピルスに記された初期キリスト教文書であ る。この世紀の発見で発掘された「グノーシス諸福音書」は、なぜ異端とされて禁 圧されねばならなかったかを、本書は解説している。また、異端か正統かという二 元論を越え、多様な魂の探求を擁護する世界を求めて、著者自らの切実な体験と最 新の研究成果から示される宗教と信仰の根源を、本書は述べている。 著者:Elaine Pagels 原題:BEYOND BELIEF The Secret Gospel of Thomas 原著発行:2003 年 訳者:松田和也 発行所:青土社 訳書発行:2005 年3月 25 日、2400 円 著者のエレーヌ・ペイゲルス (1943.2.13 - )は、カリフ ォルニア生れの米国人女性。 ハーヴァード大学にて博士号 取得。プリンストン大学宗教 学部教授。「ナグ・ハマディ 写本:初期キリスト教の正統 と異端」で全米図書賞・全米 図書批評家賞を受賞。 訳者の松田和也は 1963 年大阪 生まれ。大阪大学文学部美学 科卒。高校の国語教諭を経て 翻訳家に。

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Page 1: 18.禁じられた福音書(ナグ・ハマディ文書の解明) · 2014-04-08 · 原題:BEYOND BELIEF The Secret Gospel of Thomas 原著発行:2003年 訳者:松田和也

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18.禁じられた福音書(ナグ・ハマディ文書の解明)

(1)前書き 最近、私(筆者の林久治)はナザレのイエスとキリスト教を少々研究している。

なぜなら、これらは謎の多い問題であるからである。イエスに関しては、本感想文

の第1-5回で取り上げた。また、第 15-16 回には、スペイン映画「アレクサンド

リア」を取り上げ、4-5世紀におけるキリスト教の異教弾圧の実態を紹介した。

第 17 回には、「ローマ帝国の神々」(小川英雄著)を取り上げ、古代オリエントに

存在していた様々な宗教(神々)が、ローマ帝国の時代にキリスト教に収斂して行

った過程を考察した。

今回の「禁じられた福音書」(以後、本書と書く)は、「ナグ・ハマディ写本」

の専門家である著者が、「トマスの福音書」を始めとする「グノーシス諸福音書」

の豊穣な可能性を、一般の読者に解説した好書である。「ナグ・ハマディ写本」は

1945 年にエジプトの古都テーベ(現在名はルクソール)近郊のナグ・ハマディ村

(図 18.1 を参照)で壷の中から出土したパピルスに記された初期キリスト教文書であ

る。この世紀の発見で発掘された「グノーシス諸福音書」は、なぜ異端とされて禁

圧されねばならなかったかを、本書は解説している。また、異端か正統かという二

元論を越え、多様な魂の探求を擁護する世界を求めて、著者自らの切実な体験と最

新の研究成果から示される宗教と信仰の根源を、本書は述べている。

著者:Elaine Pagels 原題:BEYOND BELIEF The Secret Gospel of Thomas 原著発行:2003 年

訳者:松田和也 発行所:青土社

訳書発行:2005 年3月 25

日、2400 円

著者のエレーヌ・ペイゲルス

(1943.2.13 - )は、カリフ

ォルニア生れの米国人女性。

ハーヴァード大学にて博士号

取得。プリンストン大学宗教

学部教授。「ナグ・ハマディ

写本:初期キリスト教の正統

と異端」で全米図書賞・全米

図書批評家賞を受賞。

訳者の松田和也は 1963 年大阪

生まれ。大阪大学文学部美学

科卒。高校の国語教諭を経て

翻訳家に。

Page 2: 18.禁じられた福音書(ナグ・ハマディ文書の解明) · 2014-04-08 · 原題:BEYOND BELIEF The Secret Gospel of Thomas 原著発行:2003年 訳者:松田和也

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図 18.1 左:ナグ・ハマディ村の位置。右:ナグ・ハマディ写本の一部(トマスの

福音書)。両図とも、ウィキペディアより転載。 本書の予備知識として、筆者(林久治)は「新約聖書」と「ナグ・ハマディ写本」の内容を、

以下に簡単に紹介する。

① 新約聖書(学研「キリスト教の本:上」より引用。)

マタイ福音書:旧約聖書の成就者としてのイエスの姿を描く。執筆は紀元 80 年代。

マルコ福音書:権力の批判者としてのイエスの姿を描く最古の福音書。執筆は紀元 70 年代。

ルカ福音書:世界を意識し、異教徒に向けて普遍化されたキリスト像。執筆は紀元 80 年代。

ヨハネ福音書:神的存在に高められたイエスを描く福音書の最終版。執筆は紀元 90-100 年前後。

使徒言行録:初代教会の設立とパウロの伝道旅行を語る「ルカ福音書」の続編。執筆は紀元 80-90 年の間。

手紙:世界へ飛躍するキリスト教の発展の礎となった 21 の手紙。パウロ真正文書は紀元 55-56 年に書かれた。

ヨハネ黙示録:来るべき世界の終わりを告げるキリスト教の最終啓示書。1世紀末に執筆されたと推定される。

② ナグ・ハマディ写本

「叡智の光」と題するサイトに「ナグ・ハマディ写本」の解説がある。以下に、その一部を引

用する。(掲載サイト:http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/terms/t20-nag.html)なお、

「アポクリュフォン」とは「奥義書」または「秘密の書」の意味である。

残存する写本は、十三のコーデックスより成り、それぞれの写本(コー デックス)は、皮で綴じられ装丁されており、各々

が三から七の独立した文 書を含み、全体で断片も含め、52の文書より成る。内容的には、グノーシ ス文献がもっとも多

く、他にヘルメス哲学関係文書、プラトンの『国家』の 断片なども含む。またグノーシス主義文書は、「創造神話」「福音書」

「説 教・書翰」「黙示録」などに形態的・内容的に分類される(この分類は、岩 波書店版『ナグ・ハマディ文書』全4巻に使

用されているものである)。文 書には、タイトルのないものと原題の記されているものがあるが、通称とし て、以下のよう

なグノーシス主義文書が含まれる : 『ヨハネのアポクリュ フォン』『アルコーンの本質』『この世の起源について』(以上、救

済神 話)、『トマス福音書』『フィリポ福音書』『エジプト人の福音書』『真理 の福音』『三部の教え』(以上、福音書)、『魂の

解明』『闘技者トマスの 書』『イエスの智慧』『雷・全きヌース』『真正な教え』『真理の証言』 『三体のプローテンノイア』『救

い主の対話』『ヤコブのアポクリュフォン』 『復活に関する教え』『(聖なる)エウグノストスの書』『フィリポに送っ たペトロの

手紙』(以上、説教・書翰)、『パウロ黙示録』『ヤコブ黙示録 一』『ヤコブ黙示録二』『アダムの黙示録』『シェームの釈義』

『大いなる セツの第二の教え』『ペトロ黙示録』『セツの三つの柱』『ノーレアの思 想』『アロゲネース』(以上、黙示録)。(第

十三コーデックスは、纏まっ た写本の形では存在せず、第六コーデックスの中に、八枚分が紛れ込んでい た)。

エジプト

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(2)本書の目次 1章 主の晩餐からニカイア信経まで 2章 対立する福音書:「ヨハネ」と「トマス」 3章 神の言葉か、人の言葉か 4章 真理の規範とヨハネの勝利 5章 コンスタンテイヌスとカトリック教会 (3)本書の紹介(なお私、筆者の林、の感想や注釈を青文字で記載する。また、福音書名

を記載する際には、一般によく用いられているような「マルコによる福音書」のようには記載

せず、簡潔に「マルコ福音書」または「マルコ」と記載する。)

1章 主の晩餐からニカイア信経まで 本書の著者エレーヌ・ペイゲルスは、彼女の息子マークが2歳半の時、彼が重い

病気に罹り、医者から「余命が数ヶ月か数年」と告げられた。その頃のある日曜日、

彼女は朝のジョギングの休息を取るために、ある教会の玄関をくぐった。教会に随

分足を踏み入れたことがなかった彼女は、そこで行われていた祈りに対する自分自

身の反応に驚かされた。「ここにあるのは、如何にして死と対峙するかを知るひと

つの家族だ」との考えが浮かんだ。 著者はその教会にしばしば顔を出すようになり、祈りや集会に参加すると、自分

の心の壁が崩れ悲しみと希望の嵐が明らかになった。信仰とは何だろう。彼女はそ

の教会の信者たちの特定の教義を信じていたわけではない。彼女は「自分たちがそ

こに集まったのは、必要と欲求に迫られてのことだ」と理解していた。 宗教史家である著者は、その教会を訪れた時、「いつ、どのようにして、キリス

ト教徒であるということがその特定の教義を信じることと事実上等価となったのだ

ろうか」と考えた。キリスト教徒が自らの信仰を信経(紀元 325 年のニカイア信経のこ

とを意味する)という形に纏める何世代も前に、キリスト教は過酷な弾圧を生き延び

繁栄してきた。ばらばらの党派から統合された共同体への移行に関してはその痕跡

は殆ど残されていない。 使徒パウロ(紀元5頃-紀元 67 頃)は、イエス(紀元前 4頃-紀元 30 頃)の死の 20 年

ほど後に「福音」(イエスが聖書(注1)に書いてあるとおり私たちの罪のために死

んだこと、また聖書に書いてあるとおり3日目に復活したこと)を「私も受けた」

と宣言した。一部のキリスト教徒が自らの党派の統合を図ったのは、それから百年

以上後のことであった。その目的は、同じキリスト教徒でありながら、彼らが「偽

りの教師」と見做すマルキオン(100 頃-160 頃)の要求に対抗することにあり、その

ために彼らは礼拝の中に公式の信仰表明を取り入れた。(注1)この部分はパウロの

「コリント人への手紙、第一」に記載されている。この手紙が書かれた当時には「新約聖書」

は未だ存在しなかったので、この部分の「聖書」は「ヘブライ聖書」のことである。 キリスト教の司祭たちがローマ皇帝コンスタンティヌスの命令によって、ニカイ

アで会議を開いたのは 325 年であった。この時に採用された信仰表明、すなわちニ

カイア信経こそ、今日に至るまで多くのキリスト教徒にとって信仰を規定している

のである。著者は「だが私は、信者や懐疑派や探求者との出会いによって、そして

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どの教会にも属していない人々との出会いによって、重要な宗教的体験の中には、

私たしが信ずること(そして信じないこと)以上のものが含まれると知っている。

キリスト教とは、そして宗教とは何なのか。キリスト教の伝統に関して、私たちが

愛しているものとは、そして私たちが愛せないものとは何なのか」と書いている。 「哲人」殉教者ユスティノス(100 頃-162 頃)によれば、信徒たちは洗礼を「イル

ミナティオ」(照明)と呼ぶ。なぜなら、このシンプルな行為(古い衣服を脱ぐ、

沐浴する、新しい衣服を着る、パンと葡萄酒を分かち合う)が、イエスの信徒にと

っては、強力な意味を担うのだ。著者は名目上はプロテスタントとして育てられた

が、宗教儀式などは空虚な形式だけのものと考えていた。だが、このような行為は、

そしてこのような共同体に加わることはどんな意味を持っているだろうか。これら

の問いは、簡単に答えが出るものではない。 1世紀の資料(その殆どは新約聖書であるが)を見る限り、様々な党派が、洗礼

に対して全く異なった解釈を与えていた。そして「主の晩餐」を祝うために共にパ

ンを食べ、葡萄酒を飲んだ人々も、しばしばその崇拝の意味をたったひとつの解釈

のみに限定していなかった。例えば、最古の資料のひとつに「ディダケー」(正式

名は「12 使徒を通じて諸国民に与えられた主の教訓」)がある(注2)。本文書は、

「マタイ福音書」や「ルカ福音書」よりも十年も前にシリアで書かれたもので、新

約聖書と同じ内容もあるが、聖書にないことも書かれている。本文書によれば、初

期のイエス教徒の特定の党派は、自分たちのことを「キリスト教徒」とは考えてお

らず、イエスを神の律法「トーラ」の偉大な解釈者として崇拝する「ユダヤ教徒」

と考えていた。(注2)「ディダケー」はギリシャ語で「教え」の意味。本文書は 19 世紀に

正教会のコンスタンディヌーポリ総主教庁図書室で発見された。ローマ・カトリック教会は、

これを使徒教父文書として受け入れた。本文書は最初のカテキズム(教理問答)と見なされ、

洗礼と聖餐、キリスト教の組織についての三つのおもな項目からなる。なお、次のサイトに、

本文書の翻訳が掲載されている。聖書外典及び諸文書(http://apocrypha.jimdo.com/) 「ディダケー」は異教徒の諸国民に対して、ヘブライ聖書に記された「命の道」

をイエスの解釈で説明する。それは「モーセの十戒」や「イエスの山上の垂訓」を

混ぜ合わせたもので、異教徒が日常的に犯している罪に向けた警告である。その罪

の中には、子供とのセックス、堕胎、嬰児殺しなどが含まれている。そして、その

「道」に従おうと欲する諸国民に洗礼を与え、彼らもまた来るべき神の御国に予る

方法を示す。洗礼とは、神の民であるイスラエルへの参入を求める異教徒を浄化す

る沐浴である。 「ディダケー」は「マタイ」のイエスのように「全き者」であれと促す。「ディ

ダケー」の「全き者」とは、全ての聖なる律法に従う者であるが、「仮に全き者に

なれないならば、自分に可能な限りのことをせよ」と付け加えている。「ディダケ

ー」は、パンと葡萄酒を分かち合う「聖餐」が「父なる神」と「そのしもべ(ギリ

シャ語では息子とも訳すことができる)イエス」を崇拝するために集まった人間の

家族の絆である、と言う。ユスティノスは、「異教徒はキリスト教の儀礼を見下し、

キリスト教徒は秘教と称する異国のカルトで日常的に行われていることを模倣して

いる。彼らの神の肉を食い血を飲む、と決め付けている」と懸念している。 イエスの信徒たちは、秘教カルトよりも、ユダヤ教の伝承に依拠しようとしてい

た。彼らには「もしもイエスが神のメシアであったのなら、何故に彼はあのような

忌まわしい死に方をしたのか」という現実的で困難な問題があった。パウロ自身、

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この問題に悩まされた。ユダヤ教の伝承には、パウロ、マルコ、マタイ、そしてル

カがその物語の様々なヴァージョンに組み込んだ犠牲に関連するものが豊富にある。

聖餐の持つ意味は単一の意味から様々な意味の複合へと成長して行き、極めて豊潤

かつ複雑なものとなった。 パウロは「キリストが、私たちの過越の小羊として屠られたから、過越祭を祝お

うではありませんか」と称して、信者を「主の晩餐」に招く。マルコは過越祭を受

難物語に組み込み、「イエスと弟子たちの最後の晩餐は過越祭そのものであった」

と説く。ルカとマタイはマルコ版の物語を拡張する。ヨハネ版のイエスの死の細部

は全て、「イエス自身が犠牲の小羊となった」という彼の信念を劇化するものとな

っている。 多くのキリスト教徒は、「ディダケー」のような退屈な解釈より、強烈なイメー

ジを好んだように思われる。ナグ・ハマディで発掘された「グノーシス諸福音書」

のひとつである「ペトロ黙示録」では、イエスを「十字架の上で喜び、笑う」輝け

る存在として描き出す。やはり異端の文書である「ヨハネ言行録」のイエスは自ら

の聖餐式を行い、弟子たちは「十字架の輪舞」なる秘儀的な聖歌を歌い躍る。「主

の晩餐」の参加者は、イエスの生と死と復活の物語を、自らの人生に織り込む。 著者のペイゲルスは、「これこそ、息子の発病時に、教会で漠然と気付いたもの

だ。そこで演じられていたドラマは、あたかもその時の私のためのものであるかの

ように感じられた。それは時代を超えた数千万の人々にとっても同様であろう。何

故なら、それは自ら恐怖と悲嘆と死の存在を認めつつ、希望を涵養するからであ

る」と述べている。四年後、著者の息子は6歳で急死した。 4世紀以降、このような聖体拝領への参列者に対して、神とイエスに対する複雑

な一連の信仰の告白が強要されるようになった。最初のキリスト教徒皇帝であるコ

ンスタンティヌスが「これらの信経(ニカイア信経)を作り、そして強要することに

よって、対立する諸宗派や宗教指導者たちの坩堝のような4世紀において、それら

を統合し標準化する」と考えたことも評価できる。だが、キリスト教運動の起源を

知っている今日の私たちの眼には、そのような信仰の強要はどう写るだろうか。 いにしえの秘密の福音書や黙示録の発見により、キリスト教諸宗派の間には幅が

あったことが判明した。後に特定の指導者によって「異端者」と断罪されることに

なるものの、これらのキリスト教徒の多くは自らを「信者」というよりも「探求

者」と見做していた。すなはち。「神を探求する者」である。ナグ・ハマディ写本

のひとつである「トマス福音書」を、異端として駆逐した人々こそ後の西欧キリス

ト教を決定的に形作り、不可避的に限定することになったのである。 2章 対立する福音書:「ヨハネ」と「トマス」 著者のペイゲルスが 14 歳の頃、福音派の教会に入っていた彼女は「ヨハネ福音

書」に魅了され、「ヨハネ」こそが4つの福音書の中で最も霊的なものと考えてい

た。何故なら、「ヨハネ」においては、イエスは単に人であるばかりではなく、神

秘的で超人的存在であり、そして彼は「互いに愛し合うこと」を弟子たちに説く。

当時の彼女は、「ヨハネ」の不穏な裏面について深く考えてみることはなかった。 「ヨハネ」は神を「信じる」人々に与えられる恩恵を、「神を信じぬ者は既に呪

われ、永劫の死を与えられる」という警告に入れ替えていた。彼女の親友が 16 歳の

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時に自動車事故で死ぬと、仲間のキリスト教徒たちは哀悼の意を表すどころか、彼

がユダヤ人で熱心なキリスト教徒でなかったという理由で、「彼は永劫に呪われて

いる」と宣言した。彼らの見解に納得できなかった著者は、「もはやそこにいても

安らぎを得られない」と悟り、教会を去った。 著者は大学に行って、ギリシャ語を学んだ。彼女は「古代ギリシャの異教徒たち

による作品もまた、宗教文学に他ならず、ただ宗教的感性が異なるだけだ」と知っ

た。大学の後、彼女は「キリスト教の何が私をあれほど圧倒し、同時に不満を抱か

せたのか」と考え続けた。そこで彼女は、「真のキリスト教」の探求を決意し、最

初期のキリスト教文献を研究すればそれが解ると信じていた。 著者がハーヴァード大学の博士課程に入って驚いたことには、ケスター教授とマ

クレイ教授(注3)が、1世紀に書かれた「福音書」や「外典」を大量に所有してい

たことだ。その多くは、彼女が聞いたこともない秘密文書(ナグ・ハマディ写本)

だった。これらの文書により、当時のキリスト教は実に多様であったことが明らか

になった。それは「公式」のキリスト教史によって実に巧妙に隠蔽されてしまった

ため、彼女がハーヴァード大学の大学院に来て、それについて聞かされるに至った

のである。(注3)Prof. Helmut Koester (1926 - ) and Prof. George W. MacRae (1928-1985) 1979 年、著者のペイゲルスは「グノーシス諸福音書」(邦題「ナグ・ハマディ写

本」白水社刊)を出版した。グノーシスという言葉が「知ること」すなわち経験的

洞察を意味するなら、これらの文書の多くはその定義に当てはまる。だが、「教会

神父」たちは実際には、「万物を知る」と称する人々を愚弄するためにこの言葉を

用いている。何故に教会はこれらの文書を「異端」とし、正典福音書だけを「正

統」としたのか。誰が、どのような状況でそれを決定したのか。彼女は同僚たちと

その問いを追及していく内に、初期キリスト教運動を形作った政治的関心を理解す

るようになった。 「マルコ」(執筆は 68-70 頃)「マタイ」「ルカ」(両者の執筆は 80-90 頃)の

三書(これら三書は共感福音書と呼ばれている。)が「イエスは神の使者である人間」と

見做しているのに対し、この三書より後で書かれた「ヨハネ」(執筆は 90-100 頃)

と「トマス」は「彼を人間の形を採った神の光」としている。このような類似性に

かかわらず、「ヨハネ」と「トマス」はイエスの秘密の教えを異なる方向に捉えて

いる。「ヨハネ」は「私たちが神を体験するのは、光の受肉であるイエスを通して

しかない」と言う。だが「トマス」は「イエスに受肉した神の光は全人類が共有し

ている。何故なら、私たちはみな神の似姿に創られたからである」と言う。 新約聖書の「ヨハネ」は、「イエスとは何者なのか」を問う激烈な論争の中から

生まれてきた。著者のペイゲルスは、同じ頃に書かれた可能性がある「ヨハネ」と

「トマス」を比較検討して、「ヨハネ」が特定のイエス観を決定し、他のものを排

するために書かれたものである、と考えるに至った。これは彼女自身にとってもち

ょっとした驚きであった。「ヨハネ」が守ろうとしたものと共に、排しようとした

ものも明らかになった。 「ヨハネ」は「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メ

シアであると信じるためであり、また信じてイエスの名により命を受けるためであ

る」と明言する。「トマス」は「神の光はイエスの内にのみあるのではなく、少な

くとも潜在的には、万人の内にある」と説く。「トマス」は、「ヨハネ」のように

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「イエスを信じる」ことを要求しない。むしろ、「人間ひとりひとりに与えられた

聖性を通じて神を知ることを求めよ」と要求する。 「マルコ」「マタイ」「ルカ」「ヨハネ」を比較した学者たちは、「ヨハネ」に

は高度なキリスト論への移行が示されていると云う。このようなイエス観は1世紀

から発展し始め、ニカイア信経で頂点を迎える。「ヨハネ」の定式化は、その後約

二千年にわたってキリスト教の正統教義を支配したが、彼自身の時代には普遍的に

受け入れられていたわけではなかった。なお、「ヨハネ福音書」や「トマス福音

書」の書記は、キリストの弟子のひとりの名の下で執筆したもので、そのものは著

者というよりも編集者たちである。それはおそらく、この「福音書」を伝えたのが

この弟子であると述べたいがためであろう。

「トマス」は、読者が既に「マルコ」の中でペトロがイエスの正体について「あ

なたはメシアです」と述べている事実を知っている、とのことを前提にしている。

トマスは同じ物語を別様に語る。イエスが「私は何者か」と尋ねたとき、別々の弟

子から三様の答えを受ける。ペトロは、「マルコ」や「マタイ」と同じように、

「あなたは義なる御使いと同じです」と答える。これは、ヘブライ語の「メシア」

(油注がれたる者)という単語を、トマスが想定したギリシャ語を話す聴衆のため

に翻訳したものである。

次に、マタイが「あなたは賢い哲学者と同じです」と答える。これは、ヘブライ

語の「ラビ」(教師)を異教徒に解る言葉に言い換えたものである。「マタイ」は

他の福音者のどれよりも、イエスをラビとして描き出している。三人目のトマスが

「先生、私の口は、あなたが誰と同じであるかを言うのに、全く堪えないでしょ

う」と答えると、ほかの二人を困惑させた。イエスは「私はあなたの先生ではない。

何故なら、あなたは、私が量った湧き出す泉から飲み、酔い痴れたからです」と答

えた。

イエスはペトロとマタイの答えを否定しなかったが、彼らの答えは低い理解の段

階に留まっていることを示唆した。イエスはトマスを脇に連れて行き、彼だけに三

つの言葉を語った。この言葉は秘中の秘であって、書き留められていない。ここで

トマスは「神聖冒涜の罪」によって他の者たちに石で打ち殺されるのを恐れて、こ

の三つの「秘密の言葉」を明かしていないが、明らかにこの秘密はペトロとマタイ

の理解よりも深くイエスとそのメッセージを伝えることを示唆している。 では、トマスによる福音(良き報せ)とは何であろう。共感福音書の「良き報

せ」とは、「神の王国が到来しつつある」ことであるが、「トマス」と「ヨハネ」

のイエスは「既にここにある」と言う。両者とも、時の終わりを警告するより、始

まりに目を向けることを命じる。だが、「トマス」と「ヨハネ」の読者はイエスの

メッセージを全く別様に理解することを求められる。

「ヨハネ」は有名な冒頭部分で宇宙開闢を「創世記」で語った。イエスは神の言

葉のみならず、そこにあらしめた神の光とも同一視する。「トマス」のイエスも

「はじまりの場所に立つものは幸いである。そうすれば、彼は終わりを知るであろ

う。そして死を味わうことがないであろう」と言う。すなはち、「楽園追放以前の、

輝ける天地創造の状態に復帰する」と言うのである。トマスはヨハネ同様に、イエ

スを創造の暁以前に存在した光と同一視する。「トマス」によれば、イエスは「こ

の原初の光は全宇宙を存在せしめたのみならず、今もなお、私たちが目にし、触れ

る全てのものを通じて輝いている」と述べた。

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「ヨハネ」と「トマス」におけるイエスの秘密の教えは類似しているが、「私た

ちが如何にしてその光を見出すか」において正反対である。「トマス」の生けるイ

エスは、聴衆が自らの力でその道を見出すことを要求し、「神の王国はあなたがた

の中にある」と言う。さらにイエスは奇妙なことを言う。「存在した以前に存在し

たものは幸いである。」人類の創造、あるいは宇宙の創造以前には何がいたのか。

「創世記」によれば、「はじまり」の時には、まず初めに「原初の光」があった。 トマスも「原初の光と現れたものは、驚嘆すべき人類であり、光輝く存在、人間

アダムのプロトタイプだった」と示唆する。この「光のアダム」の形は人間である

が、同時に神でもある。私たちが自らの内に霊的資質を持っているのは、まさに私

たちが「神の似姿」に創られたからである。リヨンの司教エイレナイオス(130 頃-

202)は「このように、人間を万物の神、光、幸いなる者、永遠なる者などと呼ぶ者

は異端者であって侮蔑せねばならない」と言う。

「トマス」のイエスは、ただ彼だけでなく、私たち全員が聖なる光から来たもの

であると弟子たちに説く。「私たちはその子らであり、生ける父の選ばれた者であ

る」と。ナグ・ハマディ写本にある「闘技者トマスの書」では、生けるイエスはト

マスに「お前は私の双子(注4)の兄弟であり、真の友であるのだから、自らを測り

知り、お前が何者かを学び知りなさい。(中途略)自己を知らなかった者は何ものを

も知らなかったが、自己を知った者は同時に既に万物の深淵について認識に達した

からである」と言う。(注4)トマスはアラム語で「双子」を意味する言葉に由来し、「生

けるイエス」と対面することで、人は自分自身がイエスと一卵性双生児であることを認識する。

「トマス」を読んだ後に再び「ヨハネ」に戻った著者は思わず目を疑った。彼女

は「ヨハネはもしかしたらトマスに反論する目的で自らの福音書を書いたのではな

いか」と考えた。「ヨハネ福音書(11:16)」だけが「不信のトマス」を批判的に描

き出している。それは、不信心かつ虚偽の教師であるトマスと彼を崇めている者を

嘲る目的である。ヨハネは自らの福音書を書き、「イエスだけが神の言葉の受肉で

あり、ゆえに神の権威を以て語ることができる」と主張しようとした。

2世紀以来今日まで、殆どのキリスト教徒は「ヨハネ福音書」の著者は、ペトロ

を頭とする「十二使徒」の一人(漁師のヨハネ)と信じていた。「ヨハネ」では、こ

れを書いたのは「イエスに愛された弟子」となっている。しかし、「ヨハネ」はペ

トロを貶め、「愛された弟子」を身贔屓するが、彼が漁師のヨハネであるとは言わ

ない。そもそも、ガリラヤ出の漁師風情に、これほどエレガントで簡潔な、かつ哲

学的な文章が書けるはずがない。「ヨハネ」の著者は別のヨハネ、すなわち「長老

ヨハネ」との説もある。ヨハネ派キリスト教徒とは、「イエスに愛された弟子」こ

そ自らの霊的指導者と見做す人々である。

後に新約聖書に入れられた四つの福音書はいずれも、ペトロが頭であることを明

記するか(「マルコ」「マタイ」「ルカ」)、不承不承ながらそれを認めている

(「ヨハネ」)。2世紀半ば以降、この党派は自ら「カトリック」(普遍的)と称

し、正統キリスト教会の創設者となった。様々な指導者や党派の間に示す相違点の

意味するところは、単に権力闘争だけではなく、キリスト教信仰に関っている。問

われているのは、「イエスとは何者か。そして福音とは何か」である。

トマスのように「私たち自身がイエスの如き者なのだ」という主張に、「ヨハ

ネ」は「否」という。「ヨハネ」のイエスは「アブラハムが生まれる前から、私は

ある」と言う。「ヨハネ」においては「イエスは常に自分が神である」ことを宣言

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し続ける。ヨハネ福音書の主張(それは以後、キリスト教徒の大多数に受け入れら

れるようになる)は、「イエスを信じることによってのみ、私たちは神の真理を知

ることが出来る」というものである。「トマス福音書」の発見により、他の初期キ

リスト教徒たちは「福音」を別様に理解していたことが明らかとなった。それは、

ヨハネが拒絶したもの、すなわち「神は光として万物にあるという信仰」で、トマ

スが主張する「良き報せ」と同じであった。

3章 神の言葉か、人の言葉か 科学史におけるように、キリスト教会史においても「弱点のある誤った考えは早

期に死滅し、強く正しいものが生き残る」と唱えた者もいる。傑出した新約学者で

あるレイモンド・ブラウン(1928.5.22 – 1998.8.8)も「正統的キリスト教徒が拒絶し

たものは、2世紀における塵芥に過ぎず、今なお塵芥である」と唱える。だが、こ

ういう言い方をしてしまうと、初期教会の指導層が何故、どのようにしてキリスト

教教義の基礎を定めたか、という肝心な点が全く解らなくなってしまう。2世紀の

決定的な時期に、信徒たちが直面した批判と、キリスト教伝統の創設者となった

人々がこうした批判にどのように対処したか、を調べる必要がある。

「ヨハネ」や「トマス」が書かれた 80 年後、190 年頃に北アフリカのカルタゴに

改宗者テルトゥリアヌスという人がいた。彼は「ローマ帝国の全土で、群衆が『無

神論者を捕らえろ!』(キリスト教徒はローマの神々や皇帝を崇拝することを拒んだ。)と

キリスト教徒を暴力の標的にしている。ローマの執政官はしばしばこれらの事件を

無視し、時には自ら参加している」と嘆いている。

哲学者ケルススは 178 年頃に「真の言葉」(注5)という本を書いて、「地方の広

い領域において、キリスト教徒の貧民たちが屋敷の軽信者たちを作業場に集めて、

イエスが奇蹟を起こしたとか、死後に墓から甦ったというような話を聞かせる。名

誉ある市民の間では、キリスト教徒たちによる暴行、乱交、過激な政治思想の疑い

が常にある。特に秘密主義的カルトは今も過激派と見做されており、人々は自分た

ちの友人や親族が彼らに誑かされないかと恐れている」と述べている。(注5)「真

の言葉」は後のキリスト教会により抹殺されたが、この本の主張は神学者オリゲネス(182 頃-

251)の「ケルスス反論」に引用されている。ケルススはこの本で「マリアはパンテラというロ

ーマ軍兵士と不義なまじわりをかわし、イエスが生まれた」とも書いている。 初期キリスト教が極めて多様であったにもかかわらず、2世紀の終わりまでにキ

リスト教徒の党派は、これを止めようとする試みも空しく、ローマ帝国の至る所に

増殖していた。リヨンの司教エイレナイオス(130 頃-202)は、全世界のキリスト教

徒が「カトリック」と呼ばれる唯一の教会の一員となる日を夢見ていた。彼は自分

が実践しているものこそが真のキリスト教であると信じていた。何故なら、彼は

「彼の師ポリュカルポスは『主の弟子』であるヨハネを通じて直接イエスの教えを

聞いた」と信じていたからである。

エイレナイオスの同時代人であったタティアノスは、様々な福音書をリライトし

て、ひとつのテキストに統合しようとした。これに対して、エイレナイオスはテキ

スト自体には手を触れることなく、「マルコ」「マタイ」「ルカ」「ヨハネ」は共

同的に、かつこれらのみが排他的に、完全なる福音書を構成していると主張し、

「四書から成る福音書」と呼んだ。彼によれば、これら四つの福音書だけが、神に

よる人類救済を示す出来事を直接目撃した人たち(注6)によって書かれたものなの

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である。(注6)「ヨハネ」ば「トマスはイエスの権限を移譲されていない」と主張する。何

故なら、復活したイエスは「不信のトマス」には祝福を与えていないからである。

167 年の冬、小アジアのスミルナでキリスト教徒に対する人々の悪意が爆発した。

ローマの守備隊は 86 歳のポリュカルポスを「無神論の罪」で逮捕し、皇帝への信仰

を誓うこと、キリストを呪うことを命じた。これを拒絶したポリュカルポスは、闘

技場に連れてゆかれ、裸に剥かれて生きたまま焼かれた。ローマ帝国内の各所で、

このようなキリスト教迫害が行われた。ある奴隷の少女は、これ以上はありえない

ほどの拷問に耐え、人々を驚かせた。これを見て「キリストご自身がこの少女の中

で苦しまれている」と言った者もいた。

エイレナイオスがリヨンで司祭として働いていた時、モンタヌス派の問題を検討

するためにローマに派遣された。モンタヌス派は、150 年代に小アジアでモンタヌ

スにより創始された運動で、女預言者マクシミラとプリキスラを加えた「三人組」

が各地の教会を巡り、幻視を受け、法悦状態で語り、「誰でも断食して祈ることに

よって幻視と啓示を受けることができる」と説いていた。 この運動は「新預言」と呼ばれ、ローマ帝国の至る所の教会を席巻し、熱狂と反

対を巻き起こした。マクシミラは法悦的トランス状態で「私の言葉を聞くのではあ

りません。キリストのお言葉をお聞きするのです。私は、好むと好まざるとに関ら

ず、神のグノーシスを知るに至らされたのです」と宣言していた。 ローマに到着したエイレナイオスを待ちうけていたのは、至る所で彼の福音書理

解に異議を唱える党派や宗派だった。モンタヌス派の運動は、ローマにおいてもキ

リスト教会を分裂させていた。反対派も擁護派も、論争に「ヨハネ福音書」を引用

した。擁護派は自分たちの間に聖霊が存在することは、「ヨハネ」における次のよ

うなキリストの言葉の成就であると主張した。「私は弁護者をあなたがたのところ

に送る。その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことご

とく悟らせる」。 エイレナイオスはローマで、若かりし頃に共にポリュカルポスから学んだフロリ

ヌスに出会った。その友人が今や、ウァレンティノスとプトレマイオスの率いる党

派(注7)に入っていた。彼らは自ら「霊的キリスト教徒」と称していたが、エイレ

ナイオスの目には危険な異端と映った。彼はこの竹馬の友を回心させるために、一

通の書簡を書いた。エイレナイオスは、教養あるキリスト教徒の間でも同じ方向に

行く者が増加していることを知って苦悩した。(注7)グノーシスの一派で、ウァレン

ティノスは紀元 140 年ころに約 20 年間ローマで活動した。詳細は、林の読書感想文の第3回

「グノーシス」(http://www015.upp.so-net.ne.jp/h-hayashi/D-3.pdf)を参照して下さい。

ローマからリヨンに戻ったエイレナイオスを待っていたのは、見る影もなくなっ

たキリスト教共同体であった。町の住民の娯楽として、30 人もの信徒が公開の場で

残虐な拷問の末に殺されていた。生き残った信徒たちはばらばらになり、手に負え

ない党派をいくつも結成していた。その全てが、「自分たちは聖霊から霊感を受け

ている」と主張していた。リヨン司教を引き受けたエイレナイオスは、「このよう

な矛盾する主張を纏め上げ、何らかの秩序をもたらそう」と決意した。 エイレナイオスは、「キリスト教運動は聖霊によって開始された」と信じていた。

「マルコ」は、「イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗

礼を受けられた。イエスが水の中から上がるとすぐ、天が裂けて、『霊』が鳩のよ

うに御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、『あなたは私の愛する子、

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私の心に適う者』という声が、天から聞こえた」と書いている。エイレナイオスの

時代の関心は「聖霊の出現が既に終わったか」どうかであった。 ローマのガイウスは「新預言」に反対して、「本物の幻視と啓示は使徒時代の終

焉と共に終結した」と論じた。リヨンにおいてエイレナイオスが直面していた問題

は、霊的な啓示の欠如ではなく、それが余りにも溢れかえっていることであった。

エイレナイオスが「新預言」の批判をしなかったのは、彼らが「霊によって」語る

内容が、彼が学んだ伝統からさほどかけ離れていなかったからである。彼にとって

は、彼ら以外の自称預言者たちの言動は完全に誤りであり、分離主義者の詐欺師と

断じた。 エイレナイオス自身は、その中道を作りだそうと試みた。ガイウスとは違って、

彼は使徒時代と当時との間に厳格な一線を引くことを拒んだ。彼自身もまた啓示を

受けていたからである。例えば、彼がローマを訪れていた時に、師のポリュカルポ

スが生きたまま焼かれたその日(167 年2月 23 日の午後)、突然「喇叭のような

声」が聞こえ、愛する師の身に起きた出来事を告げられた。ゆえに、エイレナイオ

スは、「福音書にある奇蹟物語は文字通りに受け取ってはならない」とか、「奇蹟

は今の世の中では起こらない」とする人々に反対する。 エイレナイオスの問題は、「聖霊」をどう識別するかである。すなわち、「神の

御言葉と、単なる人間の言葉とをどう区別すればよいのか」である。彼は「キリス

ト教共同体の多くの教師たちが、多数の違法な秘密文書を導入し、真の聖典を知ら

ない愚かしい人々を惑わしている」という。彼はこのような「秘密文書」の幾つか

を引用している。その中には、「ヨハネのアポリュフォン」「真理の福音」「ユダ

の福音書」などのナグ・ハマディ写本が含まれている。彼は「このような秘密文書

の洪水を堰き止めことが、単なる幻覚、もしくは悪魔憑きの疑いのある啓示の増殖

を押さえ込む第一歩である」と考えた。

ナグ・ハマディ写本の発見により、こうした「神の探求」が広範囲に広がってい

て、これらの「秘密文書」を書いた人々に留まらず、それよりも遥かに数多い人々

がこれらを読み、写し、崇めていたことが分かる。そうした人々の一員だったエジ

プトの僧たちは、エイレナイオスがこれを弾劾してから二百年も後において、それ

らを僧院の書庫に納めていた。367 年に、エイレナイオスの崇拝者で、狂信的なア

レクサンドリア司教アタナシウスは、一通の復活祭書簡を布告し、エジプトの僧た

ちに対して「これらの文書を全て破棄せよ」と命じた。だが、何者かが、アナナシ

ウスが焚書にすべきと定めた何十冊もの書物を集めて、重い壷に封印してナグ・ハ

マディの丘に埋めた。

著者のペイゲルスは「それらの文書の多くが啓示を受ける希望を表明し、神を探

求する人々を激励している」と書いている。彼女は本章で、ナグ・ハマディ写本の

幾つか(「ヤコブのアポリュフォン」、「使徒パウロの祈り」、および「ペトロの

黙示録」)と、1896 年にエジプトで発見された「マグダラのマリアによる福音書」

を解説している。(本感想文では、その興味深い内容を省略する。興味のある方は、本書の

p.114-127 を直接お読み下さい。)

エイレナイオスは、「どの預言そしてどの啓示が神からくるか」という問題を解

くひとつの方法として「預言に基づく証拠」を捉えていた。彼は大胆にも宣言する

「全ての真実を含む『福音』は、ただこの四本の『柱』、すなわち、『マタイ』

『マルコ』『ルカ』『ヨハネ』のみのよって支えることができる」と。それは「四

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よりも多いことも少ないこともありえない」、なぜなら「宇宙には四つの領域があ

り、四つの風がある」。預言者エゼキルが神の玉座を支える四つの生き物を見たよ

うに、聖なる神の言葉もまたこの「四書からなる福音書」によって支えられる。 エイレナイオスは言う。これらの福音書を信ずべきものとしているのは、その書

記の中に、イエスの弟子であるマタイとヨハネが含まれており、実際ここに書かれ

た物語の「証人」となっているからである。同様に、マルコとルカはペトロとパウ

ロの弟子であり、使徒自身から聞いたことのみを書き記している。(だが、今日の

新約学者の中で、彼に賛同する者は殆どいない。) エイレナイオスにとっては、「ヨハネ」は今日考えられているような「第四の福

音書」などではなく、「第一の、かつ最重要な福音書」であった。何故なら、ただ

「ヨハネ」だけが「イエスの正体、人の姿を採った神」を理解していた。彼は、

人々が聖なる真理の啓示を求めることを止めることは出来なかった。だが、彼の時

代から今日まで、彼および教会指導者の中にいる彼の後継者たちは、信者全員に

「四書から成る福音書」と使徒伝承を強制しようと躍起になってきた。 エイレナイオスは、たとえ全ての「秘密文書」を焚書にして、四福音書の正典を

作り上げたとしても、それだけがキリスト教運動の安定の保証にはなりえないこと

を認識していた。如何に「正しい」福音書とはいえ、もしそれが誤った読み方を為

されたら、新しい「異端」を創出することになる。彼は、「正統」(文字通り「正

しい考えの」)キリスト教を作り上げることによって、これに対抗しようとした。

4章 真理の規範とヨハネの勝利 ナグ・ハマディ写本の発見により、二千年近く前に、「ヨハネ」の最初期の読者

たちはこの福音書に対して、想像力豊かな反応を示していたことが判明した。エイ

レナイオスは「『邪悪な解釈者』であるウァレンティノスやその弟子であるプトレ

マイオスら(注7)は、『はじまり』とそれ以前に起こった事柄についてありとあら

ゆる神話を捏造している」と言う。 ウァレンティノスらは「万物の未知なる源である『原初の父』(あるいは、沈

黙)がまず初めに神のエネルギー(男性と女性のエネルギー)を流出させて、その

ダイナミックな相互作用が宇宙を誕生させた」と言っていた。エイレナイオスは知

らなかったかも知れないが、ユダヤ教の特定の宗派ではこの種の問題は広く論じら

れており、ウァレンティノスらに影響を与えていたのである。 ウァレンティノスとその弟子たちは、世界で初めて(新約聖書が確立する百年も

前に)、新しい「使徒」文書を「創世記」や預言と同列におき、イエスの言葉をイ

スラエルの聖典以上に崇めた。彼らは「ヨハネ」のイメージを持つ力を愛して、

「ヨハネは常に文字通りの真実を語るわけではない。彼は常に霊的な真実を語るの

である。例えば、神殿の浄化の物語は寓話であり、神が私たちの心の中で輝くとき、

そこにあるものを破壊し、作り変え、私たちを真に御霊の住処に相応しいものに変

えるということを象徴している」と述べている。 エイレナイオスは「彼らの読み方は放縦極まりないもので、聖典の中の謎や秘儀、

比喩ばかりに目が行って、単純明瞭な箇所には目が行かない」と言う。彼がナグ・

ハマディ写本などの文書で「邪悪な解釈」や「勝手な添加」として挙げている例を、

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本書ではいくつか紹介している。(本感想文では、その興味深い内容を省略する。興味の

ある方は、本書の p.137-147 を直接お読み下さい。) エイレナイオスは、ウァレンティノスとその弟子たちが「ヨハネ」の冒頭に隠さ

れた意味を見出そうとする試みを拒否し、「もしもヨハネに神的存在の原初的構造

を説明しようという意図があれば、その意図を明確に記したであろう」と言う。彼

は「ヨハネ」の「真の解釈」を提示する。彼が五巻におよぶ膨大な「異端反駁」に

着手したのは、「多くの人々は彼の結論から程遠い」と知っていたからであろう。 エイレナイオスは、「過誤から身を守る方法は、最初に学んだことに立ち返り、

洗礼の際に受けた真理の規範を心の中でしっかりと保持することである」と言う。

「フィリポ福音書」は「洗礼を受けたというだけのキリスト教徒を名乗る人々と、

洗礼の後に霊的に変容した人々を峻別すべきである。このような変容を体験した者

はもはやキリスト教徒ではない、キリストである」と言う。 エイレナイオスは、幾つかの見解や礼拝の違いには寛容になるように信者たちに

命じている。彼は四つの福音書の明らかな差異には目を瞑って、その全てを受け入

れることを奨励した。このように幅広い見解を認めていたエイレナイオスが、異端

(異なる見解)に問題ありとしたのは、どの点であり何故であろうか。彼は迫害に

より離散した信者たちを集め、共同体という隠れ家を与えようとした。そのために

は、師のポリュカルポスが考えた「カトリック」教会という名の世界的規模のネッ

トワークに彼らを参加させることである。

エイレナイオスが懸念したことは、この教会に分裂をもたらす要素であった。そ

れは異端であった。「フィリポ福音書」は「誤っている者」と「真実を知るに至っ

た者」を弁別することにより、教会をふたつに割っている。エイレナイオスの逆鱗

に触れたのは、彼らの言論ではなく、その行動にあった。とりわけ、多くの宗派が

自分勝手な儀式により、第二の洗礼を行っていた。プトレマイオス派は、第一の洗

礼により信者は神を創造主として崇め、神の奴隷になる。第二の洗礼(アポルトロ

シス)により、神の子になるのである。この語は、「救済」「解放」を意味してお

り、法的に奴隷を自由にする手続きを暗示している。 エイレナイオスによれば、アポルトロシスは「救済」ではなくサタンがこれらの

霊的教師を誑かして「信仰の全てを捨て去るように」仕向けているのである。彼の

命題は「全ての信者が受ける一般的な洗礼こそ、信仰生活への単なる第一歩ではな

く、実際に神の許に生まれ変わることであり、信仰の全てである」ということを如

何にして伝えるかである。彼は後の正統キリスト教の土台の建設に貢献した。「ど

の啓示を棄て、どの啓示を保持するか。保持したものをどう解釈するか」という彼

の教えこそが、新約聖書の構成の枠組みとなった。これが、彼が「真理の規範」と

呼ぶものであった。

5章 コンスタンテイヌスとカトリック教会 エイレナイオスが反対したのは「イエスの完全な唯一性を否定し、彼を人間と同

列におく」ことである。彼は「神の地上への顕現であるイエス・キリストは完全に

人間の思考や経験を超越している。ただ彼だけが処女から生まれ、彼だけが死後に

復活した」と主張した。彼はこの本質的なメッセージを守るために、本物はただ四

つだけだと宣言し、他の秘密文書や不正な書物を廃棄するように、信者に命じた。

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「ヨハネ」の冒頭部分を読んで、ウァレンティノスの弟子プトレマイオスは「神、

言葉、そしてイエス・キリストを、上から下に流れる神的エネルギーの流れ」と考

えた。エイレナイオスはプトレマイオスの考えに反対し「父なる神は言葉と同意で

あり、言葉はイエス・キリストと同意」と論ずる。これを元に、エイレナイオの後

継者たちは単純な、数学的な等号関係を考えた。すなわち、 神=言葉=イエス・キリスト これこそ、エイレナイオスが「ヨハネ」の冒頭部分から拝借した「真理の規範」で

ある。この大胆な解釈が、事実上、正統教義を決定づけるものとなった。 この「真理の規範」を用いる者は誰でも、ユダヤ教の聖典が「神の言葉」に言及

している部分、あるいは「主なる神自身」に言及している部分は、全て「イエス・

キリスト」と読み替えることが出来る。こういう主張は、「マルコ」「マタイ」

「ルカ」の記載から遥かにかけ離れており、そこでイエスに与えられているのは、

少し他人とは異なる、しかし人間としての役割に過ぎない。オリゲネスが述べてい

るように、「ヨハネ」だけが、イエスの「神性」を語る。 次にエイレナイオスは、「正しく神を崇拝している者は誰か、していない者は」

と問う。まず、ユダヤ人は失格である。彼らは「人間の形で語られた神」こそがイ

エスであると認識できなかったので、「義なる者イエス」を殺し、ゆえに「その手

は血にまみれいる」からである。彼は「永遠の救いに与れるかどうかは、キリスト

教会にいるどの司祭が本物で、どの司祭が異端、分離主義者、偽善者であるかを、

見分けることに懸かっている」という。 彼によれば、正統キリスト教徒とは四書からなる福音書に加えて、その解釈を示

す「真理の規範」(後に、使徒信経へと発展する)を護持する者である。彼のいう

「信仰篤き者」は使徒から預けられた信仰を、何も加えず、何も引かず、次代に伝

える者である。ゆえに彼らは、いにしえの使徒の権威を引き合いに出すことによっ

て、自分たちの教えが単に不変の真理であるのみならず、絶対的に正しいものであ

ると、主張できるのである。真のキリスト教徒と異端を区別し、正統な信仰と礼拝

を選択することが、究極的には天国と地獄の分かれ道となる。 四世紀、コンスタンテイヌス帝(在位:306-337)の下で突如としてキリスト教が公

認され、その後ローマ帝国自体がキリスト教化すると、司教連合はエイレナイオス

の定式書を採用して、彼の夢見た普遍的正統教会を実現しようとする。だが、エイ

レナイオスの時代から見れば、この歴史的転換は 150 年も未来の話で、当時は彼の

論敵であるウァレンティノスはローマのキリスト教徒から教師として広く尊崇を集

めていた。彼の派の内部では、多様な見解を是認していたのみならず、期待し歓迎

していた。哲学者たちの議論がそうであるように、多様性こそが独創的かつ創造的

な洞察の証拠であったからである。 本書は、「真理の福音」や「ヨハネのアポクリュフォン」に書かれた多様な見解

を解説している。本感想文では、その興味深い内容を省略する。興味のある方は、本書の

p.181-190 を直接お読み下さい。)だが、エイレナイオスの観点が世界中の教会で勝利

を収めるのに必要だったのは、こうした神学論争ではなく、ローマ帝国コンスタン

テイヌスが開始した革命だったのである。 カエサレアのエウセビウス(263 頃-339)は、多くの友人やキリスト教徒が命を落

とした迫害の時代を生き抜き、有名な「教会史」を著した。彼はその書で「312 年

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10 月 28 日、神は異教徒である皇帝コンスタンテイヌスの見上げる空にキリストの徴

を見出せしむる奇蹟を起こし、以て彼を信服せしめた」と述べた。325 年、コンス

タンテイヌス帝はニカイアに司教たちを集め、皇帝自ら会議に出席し、「私的な敵

意によって神の御業をお妨げすることのなきよう、諸君らの差違を解消せよ」と命

じた。 彼が解決を望んだ対立のひとつは、数年にわたって帝国全土の教会を悩ませて来

たものであった。アレクサンドリアの司教アレクサンデルと彼の後継者アタナシウ

ス(298-373)は、エイレナイオスの定式を受け継ぎ、発展させていた。アレクサン

ドリアの聖職者たちの間で人気を集めていたリビア人の司祭アリウス(250-336)は

「神の言葉は神聖ではあるが、その神聖さは父なる神のそれとは異なる種類のもの

である」と説いていた。アレクサンデルはエジプトの司教たちの会議を招集し、

「アリウスの思想は異端的であって、彼と彼を支持する全ての司教と司祭を破門す

る」と宣言した。 アリウス派門の報を聞いたシリア、パレステイナ、小アジアの司教たちは諸会議

を招集し、その内の幾つかは「アリウスの説教はカトリックの伝統に忠実であり、

完全に正統的である」と宣言した。このような時期に、ニカイア会議が召集された。

アレクサンデル派は「キリストは父なる神と同一の存在、根本的に何の違いもな

い」との一文を信経に挿入するよう主張した。アリウス派は「そのような観念は聖

典にもキリスト教の伝承にも存在しない」と反対した。 喧々諤々の議論が延々と続いているのに嫌気がさしたコンスタンテイヌス帝は、

「とりあえずその一文を入れて議論を早く終わらせてしまえ」と命じた。アリウス

と彼を支持する少数の者が退席し、「ニカイア信経」が大多数の司教たちによって

承認された。以後、全てのキリスト教徒は、皇帝の承認する唯一の教会「カトリッ

ク教会」に参加するためには、この信経を受け入れねばならなくなった。 しかし、歴史の展開は複雑で、アレクサンデルの死後(328 年)アタナシウスは

アリウス派の策動により、何回も追放された。363 年に、アタナシウスはやっとア

レクサンドリアに帰還して、373 年に死ぬまで大主教の地位を確保することが出来

た。それゆえ、彼はエジプトの多様なキリスト教徒全員を、自分の監督下に置こう

と決意した。367 年の復活祭書簡の中に、詳細な指導を次のように書き込んだ。 ①「旧約聖書と信じられている」22 の書物を目録にした後、現在知られている最古

の「新約聖書」の 27 書物を目録にした。彼は、これらを「救済の源泉」として讃え

つつ、教会からあらゆる穢れ(外典の書)を取り除くことを命じた。ナグ・ハマデ

ィの修道院の何者かが、この命令に反抗して、書庫から 50 冊以上の書物を持ち出し、

瓶に入れて崖に埋めた。

②彼は、「正典」を「非正典的」に読むことを禁じた。霊的直感(エピノイア)で

読むことを禁じ、テキストに内在する意味と意図(デイアノイア)を見分けて読む

ことを命じた。彼は、「ニカイア信経」に安置された「真理の規範」を、聖典を正

統的に解釈するための安全装置とした。

➂彼は、「神の似姿」を通じて神に直接接近しようとする道を封じた。彼は「神は

元来自らの似姿に基づいてアダムを創ったが、人間の罪はその似姿を人間の力では

回復不能なまで損なってしまった。(後に、アウグステイノスはこれを発展させて

「原罪」の理解に至る。)その結果、現在では神の似姿を体現するのは唯一人、す

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なわち「神の言葉」そのものであるイエス・キリストしかいない」と書いている。

アリウスはキリストをまねぶように促したのに対し、アタナシウスはそんなことは

困難であり、むしろ冒瀆であると宣言する。「人間に出来ること、為すべきことは、

ただ神のみが与えることのできる救済を信じ、受けることだけである」と。 迫害の最中にエイレナイオスらが作り始め、コンスタンテイヌスの改宗の後にアタ

ナシウスらが確立しようとした、「普遍的」教会は、改宗したくてもできなかった

人々を堂々と集めることができるようになった。もはやキリスト教は、社会的にも

受け入れられ、政治的な優越性まで獲得するに至った。この二千年の間に、キリス

ト教正統教義の構造は非常な耐久力と適応力に富むことが証明された。だが、キリ

スト教の起源を研究する学者たちは、予想もしていなかった光景が今、切り開かれ

たと考えている。ナグ・ハマディの発見、死海文書の発見、それに今日の多くの学

者の研究は、私たちの知るキリスト教のみならず、その境界の彼方にあるとかつて

定義していた膨大な光景までも、新たに切り開こうとしている。

(4)本書の感想 本書を読んだ私の第一印象は次の通りである。キリスト教正統派の教義は、1-

4世紀の古代世界において、教会指導者たちやローマ皇帝たちに都合の好い教義で

あり、ナザレ人イエスの教えとは必ずしも一致していない。前者は、ローマ帝国と

正統キリスト教会が結託して、人民を統治するための巧妙なマインド・コントロー

ル手段である。彼らは「お前たち人民は何も考えず、平時には黙々と働いて税金を

納めておればよい。戦時には、勇敢に戦ってどんどん死になさい。死後は、我々が

お前たちの面倒を見てやるから安心せよ。イエス・キリスト様に帰依しておれば、

最後の審判の際に、お前たちの魂を天国に送ってやろう。」と嘯いている。

私の疑問は「それでは、ナザレ人イエスの教えとは何であろうか」ということで

ある。本書はこの疑問に対して、様々な示唆を与えてくれた。先ず、「トマスの福

音書」における「秘密の言葉」とは何だろうか。「石打ちの刑」を受けるような過

激な言葉であれば、「私は神自身である」とか「本当は、神様はいないのだ」かも

知れない。 次に、グノーシス派の人々が、「宇宙のはじまりと、それ以前に起こった事柄」

に関心があったことを知って感動した。この問題は、現在の我々は「先ず、空間と

時間すら、無から自ずから生じた。その時空の揺らぎより、極微な宇宙の種が生ま

れ、この種が急速に膨張すること(これを、インフレーションと呼ぶ)により、火

の玉宇宙になった。火の玉宇宙は更に膨張(これを、ビッグ・バンと呼ぶ)して、

物質や星を生成した」と考えている。西暦1世紀前後の古代人にとっては、「この

宇宙は神が創造した」としか言えなかったであろう。 そのような古代に、「宇宙のはじまりと、それ以前」を想像する人々が居たこと

は驚きである。私は「古代人の神とは、現在の科学法則のことである」と考えてい

る。人類は「神々、悪魔ども、その他の魑魅魍魎」が跳梁・跋扈する古代世界から、

「科学法則」が支配する現代に進化して来た。古代の人々には、現在の科学法則は

まさに「神の御業」である。「無からの宇宙創造」を語る「ホーキング博士」は

「再臨のキリストである」、と私は考えている。 正統キリスト教会は「人類には原罪がある」と我々を脅している。私はむしろ正

反対に考えている。私の考えは、私のHPに記載したので、次のサイトをご覧下さ

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い。(http://www015.upp.so-net.ne.jp/h-hayashi/O-97.pdf)ここで、私は「人は

誕生時には救済されており、この世が天国であり浄土である。何故なら、我々人類

の一人一人は、『極めて奇跡的』を2乗した確率でこの世に生まれて来るのである。

つまり、一段階目の奇跡は、これまでに発生した無数の宇宙を代表して、二段階目

の奇跡は、数千億もの兄弟・姉妹(の精子や卵子)を代表して、人はこの世に生ま

れて来るのである。」と主張している。

(執筆完了:2014 年4月9日)