建築トークイン上越2009 ブックレット

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2009年10月17-18日に新潟県浦川原区において「地方都市を救う建築」をテーマとして開催された『建築トークイン上越2009』のブックレットです。企画内容の説明、各レクチャー・セッションについてまとめられています。

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Page 1: 建築トークイン上越2009 ブックレット
Page 2: 建築トークイン上越2009 ブックレット
Page 3: 建築トークイン上越2009 ブックレット

目 次

はじめに

概要

参加者紹介

課題文

トーク風景

企画構成

レクチャー

一日目ラウンドテーブル

二日目ラウンドテーブル

トークを終えて 学生

トークを終えて 講師

編集後記

4 ー  5

6 ー  7

8 ー 9

10 ー 13

14 ー 15

16 ー 17

18 ー 25

27 ー 43

45 ー 61

62 ー 77

78 ー 79

80 ー 81

Page 4: 建築トークイン上越2009 ブックレット

1 はじめに

建築トークイン上越「地方都市を救う建築」4

 ごあいさつ 

文明と文化について

 僕がこのイベントに大きな期待を寄せるのは近年、東京、名古屋、大阪といった太平洋岸の大都市に見られる絶望的なまでの混乱に対して、日本海沿岸のいくつかの都市で静かに、けれど持続性のある対話の中から、身の丈にあった可視的な小さな仕掛けを考え続けることが可能ではないかという思いからであった。 それは今から 20数年以前、今は亡き美術史家の中山公男さん達と共に立ち上げた「岩室の会」という小さなサークルに身を置く一人としての実感でもあった。 ある時こうした思いを在京の大学で指導的な立場にある教授達に話しかけたところ、幸いにも共感をいただき、その後はさらに北から南まで、この輪が広がり今日の運びとなった。 言うまでもなく、こうした思考と行動は持続する事こそが生命である。今後の静かなそしてさらに力強い活動を見続けたいという思いは強い。 最後になったが、このイベントの為に戴いた上越市浦川原の皆様のご尽力に対し厚く御礼を申し上げます。

平成 21年 11 月 27 日高橋  一

Page 5: 建築トークイン上越2009 ブックレット

1 はじめに

建築トークイン上越「地方都市を救う建築」 5

 はじめに

 『学生たちが中心となって、都市や文化を考え議論する場をもとう』という建築家高橋 一氏(大阪芸術大学名誉教授、建築トークイン上越企画委員会委員長)の呼びかけに応じて、上越市浦川原区に 12 大学 72 人の学生が集まり、2009 年 10 月 17 日(土)と 18 日(日)に「建築トークイン上越」が開催された。 17 日(土)の午後には、グローバリゼーションの中で地方都市および地方文化のあり方を問うという大きな課題に対して、木下庸子、千葉学、小嶋一浩、山代悟(発表順)の 4 名の建築家から課題提起の発表が行なわれ、それぞれの発表者を 19 名の学生が取り囲んで、4つのトークインが同時進行した。翌 18 日(日)の午前は学生が中心となってトークインを進めるというかたちで、2 日間で 2 回(合計 8 つ)のトークインが行なわれた。ラウンドテーブル型の会議(トークイン)がどのような成果をもたらしうるかは未知数だったが、17 日夜は参加学生のほとんどが月影の郷(旧月影小学校。法政大学、早稲田大学、日本女子大学、横浜国立大学の 4 研究室が浦川原村(当時)の依頼を受け 2005 年に宿泊施設に改修)に宿泊したことで、それぞれのグループで議論を深める時間をもてたことが日曜日の議論に厚みをもたらした。 どのような議論がなされたのかについてはこの冊子を紐解いていただくことして、映像やイメージの先行しがちな時代に、「言葉で語ること」をテーマに掲げたこのトークインが今後どのように展開していくか期待したい。

渡辺真理建築家、法政大学教授、建築トークイン上越企画委員会副委員長

Page 6: 建築トークイン上越2009 ブックレット

2 概要

6 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

建築トークイン上越 2009建築トークイン上越 2009岩室塾特別企画岩室塾特別企画

浦川原文化振興事業浦川原文化振興事業

地方都市を救う建築地方都市を救う建築上越市浦川原区で開催される上越市浦川原区で開催される「建築トークイン上越」「建築トークイン上越」では、グロでは、グローバリゼーションの中での地方都市および地方文化のあり方を、ーバリゼーションの中での地方都市および地方文化のあり方を、建築・都市・文化など多方面で活躍する方々を迎え、大学生らと建築・都市・文化など多方面で活躍する方々を迎え、大学生らと

ともに議論、検証をしていきますともに議論、検証をしていきます。

主催:岩室塾実行委員会(岩室の会・岩室の会うらがわら)後援:上越市(浦川原文化振興事業)

日時:2009 年 10 月 17 日 午後 1 時より 4 時まで

会場:上越市浦川原地区公民館

18 日 午前 10 時より正午まで

千葉 学建築家東京大学准教授

発表者

高橋 一建築家大阪芸術大学名誉教授

コメンテーター

小嶋一浩建築家東京理科大学教授

発表者

渡辺真理建築家法政大学教授

司会者

山代 悟建築家

発表者

木下庸子建築家工学院大学教授

発表者

高橋高橋 一 × 木下庸子 × 千葉学 × 小嶋一浩 × 山代悟 × 渡辺真理一 × 木下庸子 × 千葉学 × 小嶋一浩 × 山代悟 × 渡辺真理

Page 7: 建築トークイン上越2009 ブックレット

2 概要

7建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

Page 8: 建築トークイン上越2009 ブックレット

3 参加者紹介

8 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

□ 高橋  一/コメンテーター建築家第一工房 代表/大阪芸術大学名誉教授

□ 木下 庸子/発表者建築家設計組織ADH 代表/工学院大学教授

□ 千葉 学/発表者建築家千葉学建築計画事務所 主宰/東京大学准教授

□ 小嶋 一浩/発表者建築家C+Aパートナー/東京理科大学教授

□ 山代 悟/発表者建築家ビルディングランドスケープ共同主宰

□ 渡辺 真理/司会者建築家設計組織ADH代表/法政大学教授

講師紹介

Page 9: 建築トークイン上越2009 ブックレット

3 参加者紹介

9建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

□東京理科大学(10) 井上 雄貴 今城 瞬 木村 周平 佐々木 俊一郎 佐々木 玲奈 高山 祐毅 中村 大地 松本 透子 村山 圭 吉川 潤

□長岡造形大学(5) ケ・エム・イフテカル・タンヴィル 佐藤 舞 長谷川 孝文 吉田 知剛 渡辺 宣一

□東北藝術工科大学(2) 黒田 良太 山本 将史

□新潟大学(7) 小林 成光 斎藤 淳之 佐藤 貴信 高坂 直人

 長谷川 千紘 矢作 沙也香 吉田 邦彦

□日本女子大学(4) 青柳 有依 石井 千絵 加藤 悠 布留川 真紀

□法政大学(9) 伊澤 実希子 氏家 健太郎 円城寺 香奈 郡 謙介 小野 裕美 小畠 卓也 菊地 悠介 熊谷 浩太 福井 健太

□前橋工科大学(4) 木村 敬義 外崎 晃洋 中村 達哉 武曽 雅嗣

□横浜国立大学(4) 砂越 陽介 佐藤 賢太郎 中山 佳子

 山内 祥吾

□早稲田大学(7) 伊坂 春  梶田 知典  小堀 祥仁 杉本 和歳  墓田 京平   矢尻 貴久 吉田 遼太

(敬称略50音順)

□建築トークイン上越実行委員会 高橋 ユミ 中村 俊子

□参加者 坂下 加代子/東京理科大学助教 川口 とし子/長岡造形大学教授

参加者紹介

□工学院大学(11) 秋山 照夫 伊藤 慎太郎 宇賀神 亮 小南 聡美 近藤 巨房 佐藤 央一 時田 寛子 長谷川 公彦 濱田 真理子 別府 拓也 山内 響子

□信州大学(5) 小倉 和洋 大日方 由香 香川 翔勲 工藤 洋子 立野 駿

□東京大学(4) 斉藤 拓海 高田 彩実 藤本 健太郎 横川 美菜子

jouetu city

nigata univ.nagaoka zokei univ.

maebashi kouka univ.shinshu univ.

tokyo rika univ.

yokohama kokuritsu univ.

tohoku geijutu kouka univ.

tokyo univ.kogakuin univ.hosei univ.nihon joshi univ.waseda univ.

12 univ.

Page 10: 建築トークイン上越2009 ブックレット

4 レクチャー内容

10 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

 20 世紀後半にあたる戦後、ひたすら高度成長という定量的な価値観のなかで経済躍進とグローバリゼーション化を果たしてきたわが国も、成熟期に入った 21世紀では、環境や景観、あるいは真の意味でのバリアーフリーと介護などといった、定性的な価値が見直される時代となった。下記に取り上げるふたつの社会的な出来事 (CASE) とそのコメント、そしてそれに関連する設計組織ADHのふたつの建築作品を紹介を通して、議論のきっかけにつなげたい。

CASE 1:去る 10月 3日のニュースで、広島県福山市の景勝地・鞆 ( とも ) の浦 * の埋め立て計画が、広島地裁で差し止めを命じられたということが報道された。わが国では 2005 年に景観法(2004 年公布、2005 年全面施行)が制定されたが、建築基準法や都市計画法などによって景観をコントロールしてきたかつての手法に替わって、景観を正面から評価しようという点で、鞆の浦の判決は重要な意味を持っていると思われる。* 鞆の浦は古くは万葉集にも詠まれた自然の景色が美しい地であり、最近では宮崎駿監督のアニメ映画「崖の上のポニョ」を生み出した土地。

作品1:桜川市多目的複合施設-「サンプリング」と「アセンブリー」でつくる景観建築伝統的建造物が集積し歴史的な街並みの、旧真壁町に位置する施設の設計にあたり、街並みの景観づくりのツールとなり得る設計手法はないだろうか。伝統的な建築物のプロポーションをサンプリングし、それを基本としてアセンブルしながら、現代の技術に則って施設の設計を行うという設計プロセス。設計要求から生じるさまざまな調整を可能にしながらも、町の特徴を生かした、この地ならではの建築物が創出できることを目指している。

CASE 2:2005 年に日本の人口は、1899 年に統計を取り始めて以来、初めて出生率が死亡率を下回り、文字通り少子高齢化時代を迎えることとなった。わが国が「平均寿命世界1位」を誇るようになったのは、すでに 1977 のことであるが、その後増え続ける高齢者に対して「バリアーフリー」などという標語の基に、手すりや段差解消などのハード面での対応が図られてきた。しかし今後はハード面における対策を超えて、高齢者が建築設計の前提条件となるような住まいが考えられる必要があるのではないだろうか。

作品2:白石市営鷹巣第二住宅-「介護予防」としてのシルバーハウジング高齢者、高齢者夫婦、身障者、子どもを持つ家族向けの住まいが 18戸ある小規模な集合住宅。年齢とともに近隣や地域を重視する傾向が強まったり、地域の人々との日常的なつきあいや世代間の交流を求めるようになる(国民生活白書 2001 年度より)高齢者のための居住空間に、おしきせでなく、自然発生的なコミュニケーションを生み出す関係を住まいと住まいの間につくり上げることを考えた。「ソトマ」「エンドマ」「コニワ」などの造語が空間構成のキーとなっている。(参考:新建築 2003 年5月号)

 ここに示されているいくつかのキーワードをピックアップして調べ、自分なりの意見を整理することで、ラウンドテーブルの議論につなげてもらえばと思っている。

木下 庸子k i n o s i t a y o     k o

「現代社会の課題とは、そして建築家ができることとは?」

theme:

Page 11: 建築トークイン上越2009 ブックレット

4 レクチャー内容

11建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

建築が都市を救えるのか?

難しい話である。どのような脈絡・どのような次元で議論を始めればいいのか?そもそも、ふつうの市民たちは、建築にそんなことを期待しているのか?「コンクリートから人へ」のスローガンが、まことにもっともに聞こえるほど、この何十年建築(正確には建設)業界は、ろくなことをしてこなかったのではないか?「ビルバオ・グッゲンハイム」に代表されるアイコニック建築神話もリーマン・ショックとともに消え去ってしまった後に、さて何ができるのだろう。

 金沢は「創造都市」戦略が、うまくいっているという。都市間競争というのは、EU以降のヨーロッパで言われ出したようだ。そんな中から生まれてきたヨーロッパ発の言葉らしい。

 「シビックプライド」という言葉もある。「市民が都市に対してもつ誇りや愛着をシビックプライドと言うが、日本語の郷土愛とは少々ニュアンスが異なり、自分はこの都市を構成する一員でここをよりよい場所にするために関わっているという意識を伴う。つまり、ある種の当事者意識に基づく自負心と言える。」(「※1シビックプライド」P164 伊東香織)というのが簡単な定義のようだ。この本の中には、たまたま私たちが設計した小学校がプライドの拠り所となっているという話が出てきて驚いた。(幕張ベイタウン 千葉市立打瀬小学校・美浜打瀬小学校のケース) 「創造都市」も「シビックプライド」も「建築が都市を救う」などという直接的な話とはぜんぜん違う。でも、そうした意識を経た先に生み出される建築は、なにか今までの建築より「ちから」を持つような気もするのである。

 最近西沢大良さんから聞いた話であるが、コロンビアにできあがった内藤廣さん設計の図書館は、2 つのグループの間の戦闘(戦争)を止めたそうである。そこでは、今も建築には文字通り、あるいはそれ以上の「ちから」があるようだ。私たちが参加するUCA(Universityof Central Asia)プロジェクトも戦争とまではいかないがかなり特別な文脈の上で進んでいるプロジェクトである。他でも、特に海外のプロジェクトでは、実にいろんなことを考えさせられる。

 今回のミニレクチャーでは、そんなことを具体的に携わっているプロジェクトを通して紹介することで議論のきっかけを提供できればと思います。

 こうした観点から見て成功していると思われる建築の事例をお互いにリストアップすることから始めるのがとっかかりやすいかもしれません。

小嶋 一浩k o   j i m a k a z u h i r o

「建築の持つ “ちから ”とは?」

※1 シビックプライド都市のコミュニケーションコミュニケーションをデザインするー2008 年 11 月 28 日初版発行

監修 伊藤香織+紫牟田伸子編者 シビックプライド研究会企画制作 読売広告社都市生活研究局

発行者 小端進

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Page 12: 建築トークイン上越2009 ブックレット

4 レクチャー内容

12 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

 日本盲導犬総合センターの建つ敷地は、かつてオウム真理教が総本部を構えていた場所です。 その土地は、オウムの事件がひとまずの終結を迎えた後も、忌まわしい歴史を背負った土地として誰からも見向きもされず、長いこと放置されたままでいました。たまたま縁があったことと、そしてこの場所が盲導犬の訓練の場所として最適であったという理由(東京から2時間程度の距離であることと、周辺に比較的人家が少なく、しかも自然環境に恵まれていること)で、日本盲導犬協会がそこにこのセンターを建てることを決意して計画が実現したのですが、できあがってみて、2つの象徴的出来事が僕にとってはとても嬉しく、また印象深いことです。 一つは、この地域に住む中学生が、「これまでは自分がどこに住んでいるのかを言うのが嫌だったが、今では胸を張って盲導犬センターのあるところだと言える。」という言葉です。もう一つは、ここで毎年 1500 人規模の自転車のイベントが開催されていることです。もちろん盲導犬の訓練の場所としても十分に愛され使われ続けているのですが、そこを拠点に富士山を自転車で一周するというイベントが、たまたま僕の思いつきがきっかけで始まったことです。この2つに印象的な出来事は、どんな建築でも担わなくてはならない「公共性」に関わることだと思いますが、それは以下の2つの概念に大きく関わっているのではないかと考えています。

□冗長性簡単に言えば、建築の空間がどれだけ長い年月にわたって使われ続けるか、ということです。空間のフレキシビリティと言ってもいいと思います。ただそのフレキシビリティは、20 世紀に数多く作られたオフィスビルに象徴される均質空間ではなく、むしろもっと不均質で淀みや窪みに充ちた、言わば地形のような空間です。プログラムを超えて、その都度使われ方が再発見されていくような空間の在り方が、先のような自転車のイベントすら成立させてしまうのだと思います。この使われ方と空間との会話のようなものが、公共性を育むことになると思っています。

□象徴性建築にとっては古くからあるテーマですが、ここで言う象徴性は、建築の形が何か直接的に意味を発してしまうような意味での象徴性ではなく、むしろ建築があることによって炙りだされる土地や自然現象を言っています。このことは、農耕の風景が一つのヒントになると思っています。つまり農業は、その土地の自然を前提にそこで最大限の収穫を得るという人間の欲望のための技術ですが、それが結果的にはどの国に行っても、どの地域にいっても、その場所らしい風景をつくり出しています。その土地らしいとか自然に近いとか、そういうことは本来このような農業的なスタンスによって生まれるのではないかと思っています。そしてそれは、建築にも可能なこと なのだと考えています。

千葉 学c h i   b a m a n a b u

「建築に何が可能か」

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Page 13: 建築トークイン上越2009 ブックレット

4 レクチャー内容

13建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

 私こと、山代悟は大学院生時代に友人たちと結成したアートユニットResponsive Environment を通じて 16 年間に渡ってインスタレーションやパフォーマンスを企画・制作してきました。東京、伊豆などの国内をはじめ、オーストリア、スロベニア、中国、オーストラリアなどの国外での活動も意欲的に行ってきました。 これは主として照明や映像、音響、身体などを時間の上でコントロールしながら、仮設の環境を作り出す方法論を考え、実践してきたものです。同時に、いくつかのワークショップやまちづくりの経験を通じて、Responsive Environment で実践してきたインスタレーションなどのイベントのデザインが、まちづくりを進めていく上での一つの方法論として有用なのではないかと考えるようになりました。ある場所の可能性を読み取り、議論し、将来像をイメージしながら仮設的にイベントをデザインしてみる。そのイベントを皆で体験し、すぐれた体験を共有する中で議論をより深めていこうというものです。今回のミニレクチャーではそういった考えに連動する、いくつかのイベントを紹介したいと思います。

□Responsive Environment:: インスタレーション http://responsiveenvironment.com□ buildinglandscape:: 建築設計、アーバンデザイン http://buildinglandscape.com□ urban dynamics laboratory:: アーバンデザインの研究実践 http://www.urban-dynamics.com

■ Urban Island プロジェクト(2006 年、オーストアリア・シドニー)2006 年 8 月にシドニー大学の短期集中の国際スタジオの一環として実施したワークショップ。建築家の日高仁さんと二人で 10 名ほどの学生の参加するスタジオを担当しました。廃墟となったシドニー湾に浮かぶコッカトー島に残る魅力的な産業遺産を背景に、この場所を味わうためのイベントをデザインしてもらいました。ワークショップの後半には参加者全員で一つのイベントを実際に作り出しました。http://www.youtube.com/watch?v=7j20IkIKiqg

■ City Switch 出雲 2008(2008 年、島根県出雲市)2008 年 8 月に島根県出雲市で実施したまちづくりのワークショップ。出雲市内の 3 つの異なる背景を持つ地域を再生させるためのイベントのデザインをテーマとした。国内外の異なる大学、大学院、高専から学生が出雲に集まった。準備期間 4 日間ほどで小さなイベントを実施したグループも。http://www.urban-dynamics.com/city_switch_2008_izumo/http://www.youtube.com/watch?v=xdc-ofU-NeU

■ Candle Night at Kandagawa(2008 年、東京都中央区)2008 年の東京理科大学工学部建築学科の設計製図の授業の一環として実施したイベント。東日本橋の都市再生を考える課題の中で、ハードの整備の提案と、それを事前に実験・体験できるイベントの両方を提案することを求めた。最終的に履修者全員で一つのイベントを企画、実施した。ペットボトルを再生した特製のキャンドルスタンドを 700 個製作し、柳橋から浅草橋へかけての神田川の岸辺を演出した。イベントの中では学生による都市再生の提案パネルや模型、ビデオなども展示し、来場者の人々に提案をアピールした。http://d.hatena.ne.jp/syamashiro0531/20090205/1233801026http://www.youtube.com/watch?v=CbtkENaqAVs

山代 悟y a m a s i r o s a t o r u

「Responsive Environment, urban dynamics」

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Page 14: 建築トークイン上越2009 ブックレット

5 トーク風景

14 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

T A L K O U T …

Page 15: 建築トークイン上越2009 ブックレット

5 トーク風景

15建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

T A L K I N !

Page 16: 建築トークイン上越2009 ブックレット

6 会場設営

16 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

建築トークイ ン  一日目

懇親 会

懇親会Ⅱ @月影の 郷

Midnigh t トークイ ン

山荘見学 会

建築 トークイ ン  二日目

first talk

second talk

lecture

新潟の地酒や新米のおにぎり

各大学の紹介、活動の発表

月影の郷の展示見

フリートーク

学生だけの建築フリートーク

岩室の郷「 山 荘」の見 学

木下庸子、千葉学、小嶋一浩、山代悟らによるショートレクチャー

Part1>議論 4つのグループそれぞれにに講師が一人ずつ配置され議論が行われるPart2 >まとめ 各講師による議論のまとめ

Part1>first talkとは異なる講師と共にラウンドごとでの議論Part2 >まとめ 各ラウンドの学生コーディネーターによる議論の発表

Page 17: 建築トークイン上越2009 ブックレット

6 会場設営

17建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

1615

0

14200

stage

W.C.infomationstudentteacheraudiance

A group

B group

C group

D group

S=1:150

会場平面図

Page 18: 建築トークイン上越2009 ブックレット

7 レクチャー

18 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

「現代社会の課題とは、そして建築家ができることとは?」

木下 庸子

 確か8月頃でしょうか。高橋先生のお宅に今回のメンバーとお邪魔しまして、先生のお話しを伺いました。「20世紀後半の我が国は高度成長の時期であり、ひたすら数字を追いかけて経済躍進、グローバリゼーションを遂げた。どういう結果が出るかなど、当時は分かり得なかった。今振り返ってみると、定量的な数字に気を取られているうちに、定性的なものに目を向けることを怠ってしまったのではないだろうか。」先生は確か “文明 ”と “ 文化 ”という2つの言葉で語られたと思います。“文明 ”とは、例えば高度成長やグローバリゼーション。一方 “文化 ”はその土地が持っている固有のもの、あるいは伝統など。そして今こそ、手遅れにならないうちに文化について真剣に考えなければならないとおっしゃった。先生が長い間関わられてきたこの上越の地において、文化というものを語るセッションを持とうではないかという主旨のお話しだったと記憶します。後は他のメンバーに補足していただくとして、あの8月の時点では「地方都市を救う建築」という、今回のトークインのおよその方向づけがなされました。 私は社会における2つの出来事を通して問題提起をしたいと思います。1つ目は2005年に全面施行された景観法に関するケース、そして2つ目が少子高齢化社会に関するケースです。この2つに対して私が建築家としてできることはないのだろうかという思いを、私の事務所の作品を紹介するなかでお伝えし、後ほどのディスカッションにつなげていければと思っています。

lecture 1

104 棟の登録有形文化財のある桜川市

桜川市の多目的複合施設俯瞰

Page 19: 建築トークイン上越2009 ブックレット

7 レクチャー

19建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

白石市のシルバーハウジング外観

白石市のシルバーハウジング:ソトマとエンマとウチマ

かれており、一日の生活のなかで何度となく立つキッチンからソトマを経由して他の住人への気遣いが果たせるように考えられています。

文責:伊坂春

“サンプリング ”と “アセンブリーでつくる新しい景観建築

 まず、ケース1は去る10月3日に広島県の福山市鞆の浦の埋め立て計画が広島地裁で差し止めを命じられたという出来事です。景観については、UR都市機構おける2年間都市デザインチームでの仕事を通してずいぶん考えさせられました。景観法が施行されたことで意味を持つことは、それまでは建築基準法や都市計画法のみでコントロールされてきた都市景観に対する反省をもって、真剣に景観について議論しようという動きにあると思われます。鞆の浦のケースも、社会が景観に正面から取り組もうという意識の現われといえるわけです。 そこで、私の事務所で現在関わっている桜川市の多目的複合施設のプロジェクトを紹介します。コンペが実施されたのが2007年ですので私の2005年からのUR都市機構の仕事を通して、景観を担保する設計のガイドラインについていろいろと模索していた時期です。タイトルにあるように、ここでは“サンプリング ”と “アセンブリー ”でつくる新しい景観建築というテーマでこのコンペに臨みました。桜川市というのは3つの街が合併して出来た市で、3町のひとが真壁町でした。真壁町には伝統的建造物が多く残っており、ここに示されているように登録有形文化財が104棟存在していました。コンペの際にこの場所に作る建築はどのようにつくられるべきかを議論するなかで景観づくりのツールとなりうるような設計手法として考えたのが “サンプリング ”と“アセンブリー ”でつくるという手法でした。 サンプリング、つまり既存の建築のプロポーションをサンプリングする、そしてそれをアッセンブルしてつくることで既存の街並みと調和する景観建築づくりが果たせないだろうか、ということでした。ただ、昔の技術でつくるのではなくて、現代の21世紀の技術を用いる。この建物は木造ではなく鉄板構造の建築です。プロジェクトは現在実施設計が終わった段階です。2700平米という建築規模も、この手法を用いて設計することで住宅地のなかに建つ建築物としてふさわしいプロポーションとスケールを持つ建物となる。そのように考えたのがこの桜川市のプロジェクトです。

介護予防としてのシルバーハウジングー 

ケース2は2005年に日本の人口が、1899年に統計を取り始めて以来、初めて出生率が死亡率を下回ったという事実です。つまり、文字どおり少子高齢化の時代を迎えたことになります。そこで私たちが2003年に設計した白石市営鷹巣第二住宅というシルバーハウジングを紹介します。シルバーハウジングとは高齢入居者の生活を支援する Life Support Advisor (略称LSA)と呼ばれる生活援助員の配属される高齢者住宅のことをいいます。ここは身障者、高齢者単身者、高齢者夫婦、一般家族向けの住まいが合計18戸ある小規模な集合住宅です。まず、高齢者が建築設計の前提条件になるような集合住宅を設計できないかと考えました。コンペ段階でいろいろヒアリングをする中で分かったことは、高齢者施設における問題のひとつに認知症の発生率が高いということがありました。これに対して建築家が設計する空間を通して何か提案できないかと思いました。高齢者福祉のエキスパートの方からのヒアリングを通して私たちは、下町のような隣近所がお互いに声をかけあうような環境では認知症の発生率を低くおさえられるという経験則について知りました。そこで「ソトマ」と「エンドマ」と「コニワ」という3つのプライバシーの度合いの違う外部空間を用意しました。敷地内は3つのブロックに別れており、さまざまなカテゴリーの居住者の住戸が適当に混ざりながらちりばめられています。各ブロックは6ないしは7戸の住戸のグルーピングとなっています。ソトマは各グルーピングの中心にある共用空間で、ここに玄関が面しています。エンドマは玄関前の外部空間、そしてコニワが誰の視線も気にせずに使える自分専用の外部空間となっており、この3つが住棟構成の基本となっています。住戸計画についてはソトマ、エンドマに向けて開放性の高い公室を配置し、コニワ側には寝室などの私的要素の強い室を設ける「ツールーム」型の住戸形式です。また住戸内のキッチンは必ずソトマに向けて視線が通るような位置に置

Page 20: 建築トークイン上越2009 ブックレット

7 レクチャー

20 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

「建築の持つ “ちから ”とは?」小嶋 一浩

 “地方都市を救う建築 ”建築が都市を救えるというのは、本当でしょうか?新政権になって、“コンクリートから人へ ”というキャッチフレーズが出ています。今は都市をもっと良くしていこうという場合にも、建物というハードじゃないところから始めようという話が多い。でも僕は建築家ですから、そうした流れも多少は見聞きして知っていたとしても、自分の実践としてはなかなか話に食いこみづらい。むしろ、若い皆さんの方がコンクリートや鉄を使って出来る建物じゃないところからのアイディアをいっぱい考えているのではないかと思っています。だから今日は反対に皆さんからいろいろと話を聞けたらと思います。

シビック・プライド

 ところで建築が持つ“ちから”とは、どんなものでしょう。この場合の“建築”とは敷地に建てる狭い意味での “建築 ”にとどまらないと思います。具体的なトピックスとして幕張ベイタウンと呼ばれている街を紹介します。そこが『シビックプライド』(※1)という本の中で取り上げられていることを最近知りました。ちょうど10年の時を隔てて、偶然私たちはこの地区の2つの学校を設計しました。幕張ベイタウンの敷地は84ha あって、2万6千人の計画人口を持っています。最初に作ったのは打瀬小学校です。打瀬小が出来た 1996年にはここに6つ、中庭型のパティオスという住棟があって、これとこの打瀬小だけが埋め立て地の砂漠のような中に建っていました。その後人がたくさん集まってくるようになって、当時はできないだろうと言われていた3校目の小学校も作ることになり、これも私たちが設計しました。

lecture 2

千葉市立美浜打瀬小学校

千葉市立打瀬小学校

※1 シビックプライド都市のコミュニケーションコミュニケーションをデザインする

2008 年 11 月 28 日初版発行

監修 伊藤香織+紫牟田伸子編者 シビックプライド研究会

企画制作 読売広告社都市生活研究局

発行者 小端進

Page 21: 建築トークイン上越2009 ブックレット

7 レクチャー

21建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

  “ シビック・プライド ”という言葉があります。ヨーロッパの街に行くと都市間競争というものがあって、どうやってそれぞれの都市のアイデンティティを作っていくかということを色々と論じています。私たち建築をやっている人間からすると、この本には取り上げられていない事柄、例えばビルバオというスペインの都市にグッゲンハイム美術館をフランク・O・ゲーリーがつくったら、とても人が来るようになったということの方が都市間競争としてはリアルに感じるのですが、この本で扱われているのはアイコニックな建築をつくるより、もう少し違ったコミュニケーションデザインのようなことも含めた話をしています。 同じ本からの抜粋ですが、まず、都市に対してどんな評価指標があるのかというと、「愛着」「誇り」「共感」「自分が住みたい」「人に勧めたい」等が挙げられています。本の一節では、具体的に函館、高松、新潟という大きな街と人工的な街である、先ほどの幕張ベイタウン(千葉市ではなくこのエリアだけを取り上げている)とを比較しています。ニュータウンというのは普通住んでいる人にとって愛着のない、たまたまそこが安かったという理由で人が集まってくるものだと思っていたのですが、この本の指標を見ると、ずいぶんそこが、「愛着」「誇り」「共感」等の項目の結果が高くなっています。また、「公共建築」や「学校教育のあり方」のポイントが結構高いというのはレアなケースのようです。僕らが設計したからだということではなく、結果としてそうしたことが今起こっています。 打瀬小の開校後、ここでのソフトウェアとしての教育のあり方が建築と併せてテレビ等で取り上げられて、ずいぶんと話題になりました。そうこうするうちに、自分達の子供をここに通わせたいという人達が増えて来ました。学校の中にも道があって通り抜けることができる。(これを普通に言うと “開かれた学校 ”になるらしいです。でも開かれたっていうのはオールマイティな言葉なので自分たちではあまり使いませんが。) 3つめの小学校を設計した時には既に多くの住民の方がいましたから、相当な量の対話をしています。「池田小」のような学校を取り巻く様々な事件があった後でしたが、「住民たちが子供たちを見ているからフェンスなんか作らないで欲しい」という議論のもと打瀬小と同じ、フェンスや校門のない建築形式で成立しています。アメリカ等の建築家をここへ案内すると、建物のデザインの話よりも、何故東京という大都市のすぐ近くで、こんな学校のあり方が成り立つんだと、社会現象として不思議がっています。先に紹介したシビック・プライドとつながる話として幕張ベイタウンを紹介しましたが、建築にも何か都市を救える力があるとしたら。と思って今日はこれから皆さんと話しをしていきたいと思います。

社会のカルティベーション

 時間が短いのでもうひとつだけ、もう 5年関わっている、中央アジアの3カ国で3つの大学を作る構想を紹介します。アフガン国境に近い所やパキスタンの淵に近い、つまり世界ニュースにしょっちゅう出てくるようなところに、基本的に寄付をもとにして、英語による教育の国際水準の学校を作ろうというプロジェクトです。 これはつまり社会のカルティベーションです。このような地域では、そういうカルティベーションをやっていかないと若者は麻薬と原理主義に入っていってしまうようなエリアです。こういうところにどうやって種を蒔いていくか。この場合、建設工事自体がこの地域の再興の種になります。何の技術も持たない人たちが失業者としてたくさんいますが、その人たちが建設作業に参加できるように、設計の仕方から考えなければなりません。現在はようやく造成工事が始まって、眺望等の確認をしたり、セレモニーがあったり、インフラを入れたりという段階です。  でも「地方を救う建築」というテーマで話がシルクロードまで行ってしまうと話が拡散するので(笑)今日は日本の話をできればと思います。 

文責=杉本和歳

中央アジア大学ナリンキャンパス計画 3

中央アジア大学ナリンキャンパス計画 2

中央アジア大学ナリンキャンパス計画 4

中央アジア大学ナリンキャンパス計画 1

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7 レクチャー

22 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

「建築に何が可能か」

千葉学

―象徴性と冗長性―

 建築の設計をやりながらいつも考えるのは、建築がいかにして地域をサポートすることができるのか、そしてその建築がいかにして公共性を担うことができるのか、ということです。少し建築的な言葉に翻訳すると、それは「象徴性と冗長性」ということになるのではないか、というのが今日のお話です。象徴性というと、建築の形態的シンボリズムをイメージしてしまいますが、私がここで言う象徴性は、むしろ場所の象徴性とも言うべきものです。建築が建つことによって、その場所が素晴らしい場所であったことが発見される、そんな意味での象徴性です。もう一つの冗長性は、空間が様々な使い方を喚起しながら長い時間にわたって使い続けられていくような建築の在り方のことを言っています。建築はある特定の目的のために作られますが、それが様々なかたちで使われ続ける、そのような両面を持つ建築こそが公共性を担いうるのではないかと思うのです。

―日本盲導犬総合センター―

 この2つのことを、日本盲導犬総合センターの仕事を通じてお話したいと思います。 この建築は、盲導犬を訓練するための施設で、富士山の裾野に建っています。目の不自由な方、そして盲導犬にとっての良好な環境を作ることが第一の目的ですが、同時にたくさんの人に訪れてもらい、盲導犬を通じた福祉活動をなるべく多くの人に知ってもらうということも、この施設の大きな役割でした。そ

lecture 3

日本盲導犬総合センターで開催される富士山一周の自転車のイベント

盲導犬センターとは異なる用途で使われる様子

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7 レクチャー

23建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

ではないかと思います。 ここで注目したいことの一つは、このイベントのために何か新しく作ったものは何もなく、すでにこの地域にあったものを様々なかたちで紡いでいったことにあります。様々なモノや場所や人との関係性をデザインすることがそもそも設計だと思いますが、その意味では、このイベントも、広い意味での場所の魅力を顕在化させる設計であったということです。もう一つは、この盲導犬センターに 1500 人ものサイクリストが集まって全く別の目的に使われても、建築は十分に機能したといいうことです。思い返せば、そもそもこの設計において、小屋相互の関係性や距離のデザインが中心的テーマになっていたわけですが、その人の集まり方にも通じる設計が、結果的に建築を様々なかたちで使えるタフなものにしたのではないかと思うのです。 どんな建築であっても、その根本には、人が集まるために作るという側面があると思います。そのような観点で設計することで、建築は長い年月にわたっていかようにでも使っていくことができる、その冗長な空間の在り方が、最終的にその地域における拠点として、また公共性を育んでいく器としての役割を果たすことになるのではないか、そう思うのです。

文責=伊坂春

の意味では、守られた環境と開かれた環境という、一見すると相矛盾した状況を同時に成立させることが大きなテーマになっています。 日本のみならず、世界でも前例のない施設なので、プログラムを理解することも、また設計の手がかりもなかなか見えない状況だったのですが、最終的には実にシンプルな建築の形式に収斂しています。それは、いくつかの点在する小屋と、それらを緩やかに繋ぎとめる蛇行した回廊でできた有機体のような形式です。何故このような形式になったのか、その最大の理由は、この土地の特質にあります。ここはかつてオウム心理教の総本部があったという忌まわしい歴史を背負った場所ですが、さらに遡れば、牧畜によって開拓されたのどかな場所だったわけです。まわりには、牛舎や鶏舎などの小屋が点在していて、それがこの地域独特の風景をかたちづくっています。そこで私たちは、この牛舎や鶏舎のような素朴な小屋が、ほんの少しだけ密度高く集まることで、全く新しい空間ができないかと考えたわけです。ごくありふれた、日常的な要素を使いながら、それが新しい秩序を持つことだけで全く別のものに生まれ変わる、そのことに興味があったわけです。このようなスタンスは、私が日頃とても興味を持って見ているランドアートの作品にも通じるところがあります。特にウォルター・デ・マリアの「稲妻の平原」は、ありふれたステンレスの棒をグリッド状に並べただけの作品ですが、これは結局避雷針としての機能を果たしているのです。つまり、この地域は雷雲がよく発生するのですが、そこに更に雷が落ちやすい環境を生み出し、そのステンレスの柱に雷が落ちている風景を作品にしているのです。アーティスト自身が作ったものはありふれたものでありながら、それがこの場所の特質を炙り出す、その関係性のデザインに惹かれるのです。 どこにでもありそうな小屋の集まり方をデザインするだけで、この富士山の裾野という素晴らしい場所の魅力を顕在化させる。そしてその場所が、盲導犬のための場所でありながら、同時に誰もが自由に訪れることのできる場所にもなる、それはまさに都市そのものの在り方なわけですが、それが形態的なシンボリズムとは違うかたちで場所に象徴性を与えることになるのではないかと考えたのです。 「以前はどこに住んでいるのかを友達に教えるのが嫌だったが、今は胸を張って盲導犬センターのところと言える。それが嬉しい。」これは、この地域に住む中学生から聞いた言葉ですが、建築によって、場所の意味がこれほど大きく変わるということを実感した瞬間でもありました。

地域の拠点としての建築

 この盲導犬総合センターは、もちろん盲導犬の訓練という極めて特殊な用途のために作られた建築ですが、それが今では、全く異なる用途にも使われています。そのことは、先の冗長性に通じることです。 この建築が完成した際に、たくさんの人に出会いました。そのうちの一人、富士宮の市長からは、是非将来の富士宮の街の活性化に協力して欲しいという言葉をいただきました。もう一人は、自転車振興会の会長です。この施設は基本的に多くの方々からの寄附によってできている建物なのですが、自転車振興会もその一団体です。その時私はとっさに「ここで自転車のイベントをやりましょう。」という話をしました。もちろん個人的に自転車が大好きだということもありますが、様々なことが一気に繋がっていくのではないかと直感的に思ったからです。それが直接的な契機かどうかは定かではありませんが、あっという間にこの盲導犬総合センターをスタートとゴールにした富士山一周の自転車のイベントが実現することになったのです。富士山を一周するとちょうど100 キロ、その沿道には清水国明さんの学校があったり、工藤夕貴さんの家があったりしますが、そういった様々な拠点がエイド・ステーションとして関わったり、また富士山周辺の自治体がお互いに協力したりと、このイベントが結果的には様々なものをつないでいくことになったわけです。そこでは環境フォーラムのようなものも開き、参加者の皆さんとこの地域のことや盲導犬について考える場を設けたりもしています。今年で 3年目になりますが、参加者は1500 人にもなりました。街づくりの基本は、人がそこに集まることだと思いますが、その意味では、このイベントも富士宮の街に少しは貢献できているの 富士山を一周するイベントのスターティングポイント

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7 レクチャー

24 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

「 都 市 を 遊 ぶ Responsive Environment, Urban Dynamics」

山代悟

 今回は「都市を遊ぶ Responsive Environment, Urban Dynamics」というタイトルでお話をしたいと思います。私は普段建築家として建物の設計を仕事にしているのですが、同時に学生時代からインスタレーションアートやパフォーマンスの環境をデザインしているグループの活動を、ずっと続けてきました。一回目のイベントで、今日も講師をされている小嶋一浩さんにお話していただいたのを懐かしく思い出します。それから 16 年ほどが経ちました。最近はこの Responsive Environment というグループで行ってきた活動を、市民参加型のアーバンデザインをすすめていく時の手法として展開する可能性について意識的にとりくんでいます。時間もありませんので、建築家としての建物の設計の話は割愛して、おもにこのイベント=仮設環境のデザインと、アーバンデザインの連携の可能性について主にお話ししたいと思います。

ーシドニーでのワークショップ Urban Islands プロジェクト ー

 最初に、私が講師として参加したイベントを紹介します。「Urban Islandsプロジェクト」というもので、2006 年にオーストラリアのシドニーで参加しました。シドニーは深い入江のあるランドスケープの美しい都市です。このイベントでこの地に初めて行きましたが、大好きになって、この 3 年で 7 回くらい訪問しました。この美しい湾の中にあるコッカトー島という島がワークショップの対象敷地で、この島の再生を考えるのがワークショップのテーマでした。このワークショップはトム・リバート、オリビエ・ハイド、ジョアン・ジャ

lecture 4

コビッチの 3人の建築家によって組織され、シドニー大学などが参加して行われました。この島は、もとは監獄の島であり、写真で島の様子を示している1944 年当時はこの島では軍艦を建造していました。島のまわりのシドニー湾ではサメが泳いだりしていたそうです。20 世紀中頃までは造船の島として知られていた訳ですが、次第にそれが寂れて、90 年代には廃墟になり何も使われていない状況になりました。この場所をどのように再生し、使っていくかがこのワークショップのメインテーマとなります。 このワークショップでは三つのスタジオが開かれました。私はREを一緒にやってきた建築家の日高仁さんと一緒に一つのスタジオを担当することになりました。他の二つのスタジオは建築的なアプローチをとることが分かっていたので、イベント的なもののデザインをテーマとしました。最初の 1 週間は個人作業で色々なアイデアを出しあい、2 週間目にはスタジオの参加者全員で実際に何か 1 つイベントをやってみましょうということではじめました。実際にイベントをやってみる場所として選んだのは、長さ 100m、幅が 20m、高さが 25m くらいある、昔はタービンをつくっていた大きな空間です。その空間で何をできるだろうかと考えたはじめたところ、実は制作に使えるお金が 200 ドルくらいしかない事が分かりました。最初は呆然としましたが、それでもなお、美術館等でも出来ないような、荒削りでもインパクトのあるものが出来ないかと学生と議論をしました。 実際につくったものはとても単純です。この建物は普段から雨漏りもしているような場所であり、幸運なことに消火活動用の水栓が生きていました。普段から雨漏りしているくらいなので、水は撒いてもタダでかまわないということになりました。どんどんと床に水を撒いていくと、100mX20mという巨大な水盤が出来ます。その水盤上に、何百個かのロウソクを買ってきて配置していきました。薄暗い空間の中で、水面は鏡面をつくりだすので、高さ25m の空間は、さらに高さを増し、高さ 50m の空間の宙に浮いているような状態になります。普段身を置くことのない特異な空間ができあがり、大き

Urban Islands プロジェクト/島俯瞰図Urban Islands プロジェクト

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7 レクチャー

25建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

な入り口から見える外の夕焼けの景色も取り込みながら、非常に美しい状況が出現しました。さらには、ビデオプロジェクターで光の動きのパターンを投影したり、音の演出も加えることで、より効果的な環境を作り上げることができたいと思います。 このワークショップの最終講評イベントには、ワークショップの参加者だけでなく、島の将来に興味を持っている市民や都市計画家、建築家等たくさんの方々に参加してもらいました。我々のスタジオの発表は、もちろん模型やパネルの展示ではなく、実際に作り上げたその空間を体験してもらうことでした。その際、色々な感想や意見をもらいましたが、とても面白かったのは、このつくった環境自体を生かして、そのままこの場所をレストランにしたら楽しいのではないか、アート作品を置く場所にしたらどうか、美術館としてこの建物を再生するのはどうか、この空間をホテルのエントランスにしたら、などなど、皆が勝手に話し始めたのです。ある場所に身を置いて場所を経験し、感じ取り、めいめいが勝手に想像を膨らませながら夢を語り合う。そういった場面に立ち会えたのは非常に印象的でした。こういった、共有体験可能な場所をつくりだし、それによって人々の対話の基礎となる経験をつくりだす、これは我々が 16 年間イベントをデザインしてきた可能性の 1 つだと改めて感じました。 少し言い換えると、「可能性のプレゼンテーション」といういい方をすることもあるのですが、ある場所の可能性を読み取って議論し、将来像をイメージしながら「仮設環境」をデザインしてみる。将来像を議論して図面やパースに描いて終わるのではなく、実際に体験を共有することで、失敗の経験も含めて、どのように良くしたらいいかという議論につなげていく。そういったことができるのではないかと思います。こういったアプローチは、社会実験といって交通行政などやまちづくりの活動の中で、政府も推進しようとしています。そういった流れとも連動する者であると言えると思います。

ーCandle Night @ Kandagawa ー

 次に紹介する東京の神田川で行ったイベントは、このような仮設環境のもつ可能性により意識的に取り組んだものです。東京理科大学工学部の 3 年生の設計製図の授業の一環として、私と同じく日高仁さんが講師として担当したものです。元々はこのあたりは豊かな水辺空間をもち、商業的なポテンシャルも高い地区ですが、現在は様々な問題を抱えています。この地域のなかから三つの地区を取り上げ、その再生を考えるという課題です。第一段階では、それぞれの学生がひとつの地区を選んで建築の増改築を含む地域の再生像を設計し、同時にその場所の魅力を市民や行政に対してアピールするための仮設環境もセットでデザインするという課題です。第二段階では三つの地区毎に 8人ひとつのグループをつくり、その提案をブラシュアップしました。スライドで紹介している提案の場合は、元々建て詰まっているビルを部分的に減築し、周密な街区の中に路地を挿入して、この場所に路地の楽しさを作るにはどうしたら良いかを考えたものです。仮設環境としては、路上に布でできたタワー状のボリュームをいくつもつくりだし、そのボリュームのすき間に、路地でつくられるであろう空間を出現させようというものでした。 第三段階では、実際にイベントを実施することにしました。時間的にも制約がありましたので、三つの地区全てではなく、約 24 人で 1 つのイベントを作り上げることに決めました。場所は神田川の柳橋と浅草橋に挟まれたかいわい。柳の並木と屋形船の船宿が特徴的な地域です。これも、もともとの予算は 0 円です。模型材料などで普段の設計課題でもかかるであろう 1 人数千円のお金を出し合い、全体で 10 万円ほどの予算を工面して実施に踏み切りました。この予算のなかでイベントのチラシなども作成するので、インスタレーション自体にはかけられるお金は 2、3 万円です。将来像をまとめて提示するグループ、インスタレーション自身をデザインし製作するグループ、それを広報し地元の協力をとりつけるグループの三つのチームが編成され、準備を進めました。最終的には、ペットボトルを再利用した特製キャンドルスタンドを 700 個ほど用意し、点灯するイベントになりました。会場には学生によるこの神田川の水辺の改修提案のパネルや模型、ビデオを展示し、キャンド

ルイベントに来てくれた人々や地区の人々にアピールすることができました。都市再生像の構想、その効果を体験できる仮設環境としてのイベントのデザインと実施、人々へのアピールというプロセスを体験することができました。この時は準備期間が短く、イベントは河の中央区側でしか行うことができませんでした。しかし、実際にこのイベントをみた台東区側の人々の中で、次回は台東区側でも実施してほしいという声があったと聞いています。これはとてもうれしい反響でした。来年以降実現できればと楽しみにしています。

ー都市を遊ぶー

 最後に、私が最近考えている事は「都市を遊ぶ」という言葉についてお話ししたいと思います。我々も文章を寄せた大野秀敏先生(東京大学大学院教授)の「シュリンキング・ニッポン」という本の中で、大野先生が書かれている言葉です。これは、高度成長期には建設する対象であった都市を、現在は利用する対象としての都市、としてとらえるということではないでしょうか。今までは私たちは準備された娯楽を消費するという受け身の楽しみに慣らされてきたといえますが、これからは都市を使ってこちらが遊んでやる。そういったまちを舞台に主体的に遊ぶことのできる人々が増えてくれば、活気のある社会になるのではないでしょうか。REで取りくんできたようなイベントの実践も、このような「都市を遊ぶ」一環としてとらえることができるのではないかと考えています。

文責=伊坂春

Candle Night @ Kandagawa

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8 一日目ラウンドテーブル

26 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

Page 27: 建築トークイン上越2009 ブックレット

8 一日目ラウンドテーブル

27建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

Page 28: 建築トークイン上越2009 ブックレット

8 一日目ラウンドテーブル

28 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

「建築を遊ぶ/建築家に求められる活動範囲」

可能性と難しさの境界線

山代悟氏(以下山代):自己紹介を受けて、何らかの形で特定のある対象地域を持って活動している人が多い印象を受けました。おそらく地域について何かやっていかなければならないという認識、展覧会みたいな様々なイベントなどを既にされていると思います。重要性に関してはみなさんの中に共通理解としてあると思いますので、その先の議論に進みたいと思います。僕は「遊びましょう」という話をしましたが、実際に遊んでいるだけではお金はもらえません(笑)。みなさんは学生なので、まさにこれから就職してゆくという時期です。「遊ぶ」といいましたが、今街に入って行っているようなプロジェクトを近い将来職業や仕事の中でやっていくことを考えたときに、それが持つ可能性と感じている難しさについて議論してゆきたいと思います。せっかくなので月影の話はあとで必ず聞きますが、東北芸術工科大学の山本君、山形県の R不動産の事例はどんなことをやっていて、仮に自分が職業として近い将来職業として成り立ちそうかどうかも含めて聞かせて下さい。

山本:数年前に廃業した元旅館という空き物件がありまして、そこの中をリノベーションし、芸術工科大学出身の芸術家をそこに住まわせるというプログラムを考えた物件があります。僕の大学は芸術学校なので、卒業後も作品を制作する人もすごく多くて、住みながら地域住民に自分の作品を公開し始めています。最近はワークショップやイベントという形での地域交流が最近増えてきました。

山代:例えばそういったことは自分、あるいは後輩が今後生業として継続されてゆくイメージはできますか。

gggroup ×××× 山山山山代代悟A

早稲田大学/修士2年/墓田京平C C

工学院大学/修士1年/宇賀神亮

信州大学/修士2年/小倉和洋

東京大学/修士2年/高田彩実

東京理科大学/修士1年/井上雄貴

東北藝術工科大学/学部4年/山本将史

新潟大学/修士1年/高坂直人

法政大学/修士1年/菊地悠介

前橋工科大学/修士1年/木村敬義

横浜国立大学/修士1年/中山佳子

工学院大学/学部4年/近藤巨房

信州大学/修士2年/大日方由香

東京理科大学/修士1年/松本透子

長岡造形大学/修士1年/ケ・エム・イフテカル・タンヴィル

新潟大学/修士1年/斎藤淳之

日本女子大学/修士1年/石井千絵

法政大学/修士1年/郡謙介

早稲田大学/学部4年/吉田遼太

T 講師/山代悟

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8 一日目ラウンドテーブル

29建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

山本:できます。リノベーションを施したことが山形県内での認知が次第に広がってきていて、同じケースを抱える人からの要望が増えてきています。うちも空いているからなんとかしてくれ、っていうお声がかかるようになってきました。それを一つずつこなしてゆけば、その活動は点的な広がりが面的な広がりに移行してゆく可能性があるのではないかと考えています。

山代:山形でやっていく可能性、あるいは難しさはありますか?

山本:やりにくさといえば、情報が広まるのが遅いのかな。今なぜ山形の中心市街地の空洞化が発生しているのかを考えると、若い世代が仙台や東京へと抜けていってしまうんです。そうすると中心市街地としての機能を果たせなくなってきていて、もう一度その年代層を引き寄せるために、市街地に魅力を取り戻したいと考えています。

山代:新潟大学のお二人のどちらかでいいんだけど、今回のイベントはちょっと不思議で、東京からの大挙して人がやってきて地方都市の再生について語るっている不思議な構図があるじゃない?(笑)地元組としてどのような感想を持っていますか?

斉藤:新潟県は南北に長い土地を持っていて、その中で注目されることはたくさんあります。例えば、中越地震や限界集落といったある社会現象、そこから派生した大地の芸術祭というイベント、雪と建築という地域性などが挙げられます。しかし、そういったものは自分たちでは気がつくことがなかなかできないんです。集落に関して研究し、ワークショップへ参加していても感じることだが、外部からやってきた人がみることで気付きが生まれます。そういった意味では有意義なイベントであるように感じます。

山代:学生のときは論文が書ければよいかもしれないが、近い将来像の取り組みのイメージはできますか?

斉藤:将来像というかは、現在進行形のプロジェクトで面白いと思うものがあります。新潟美少女図鑑というフリーペーパーのプロジェクトなんですが、最近メディアにも頻繁に取り上げられ、全国に広がりつつあります。ちょっと違った目線でとらえるときれいにみえるという代表例であると思います。

山代:今回小嶋さんの課題図書で提示されたシビックプライドに通ずるところがありますね。アイアムステルダム。っていうシャレが入っていて、個人の認識レベルになっている。つまり新潟というものを行政区域で捉える方法でもなく、それより小さな地域で捉える方法でもなく、しかし一度個人という人がいるあたりまで掘り下げて、そこから全体を再構築するという観点が面白いですね。

自分は島根県の出雲の出身で、去年出雲市を舞台にワークショップを展開しました。その隣で早稲田の古谷研究室が雲南市を舞台に活動を展開していたが、その活動について触れてゆきたいと思います。

墓田:最初に活動が始まったのが国交省の内閣府から委託された都市再生モデル調査という活動であり、地方都市の再生におけるある方針を指し示すという目的から始まったものでした。僕たちが最初に行った活動は遊休化した公共施設を巡り、現状把握から始めました。なぜ遊休化するのかという理由を分析し、そこから様々な活動に展開させている段階です。活動の取り組み方としては人を介在させた地域性というものに主眼を置くことや、都市を俯瞰した視点を持つなどして将来的な像を描きながら取り組んでいます。そのような基礎を築いた後、二つ目に行った活動はイベントと連動した仮設空間の展開です。雲南市の木次町というさくらの名勝地があり、商店街はそのさくら並木通りに並行関係にあります。その商店街は空き店舗が少しずつ増加しており、ゆくゆく

山形R不動産/東北芸術工科大学 山形R不動産リミテッドとは東京R不動産の制作ディレクターである馬場正尊が、東北

芸術工科大学で特任准教授として指導をすることになり、「山形R不動産リミテッド」を実

験的、時限的に行う運びとなりました。「山形R不動産リミテッド」は、東北芸術工科大学

建築・環境デザイン学科が、東京R不動産の力を得て運営しているサイトです。運営してい

るのは主に東北芸術工科大学の学生たちで、実践的な教育の一環としての意味合いがありま

す。「山形R不動産リミテッド」は、「不動産」という名称がついていますが、実際は不動産

仲介は行わず、中心市街地の建物に対する使い方やデザイン、及びライフスタイルを提案す

ることを主な目的としています。不動産仲介の有無という違いはありますが、都市や建物の

新しい使い方、可能性を発見し、提示して行くという意味で、東京R不動産と目的を共有し

ています。また、東京R不動産が培ってきたノウハウが地方都市の中心市街地の再生に、ど

のように貢献できるかを検証する狙いもあります。このような活動を通して、具体的なビジ

ネスや活性化手法の発見につながっていけば幸いです。

古民家改修(オーベルジュUNNAN/ 2010 年 3月オープン予定)計画

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8 一日目ラウンドテーブル

30 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

はシャッター商店街になる可能性がある商店街です。現状で空いてしまっている店舗や土間のガレージをお借りして仮設的にリノベーションを施し、毎年春先に行われるさくらまつりというイベントと連動させました。合併以後の合同のコミュニティ事業として大きな成果を挙げ、今年は三年目を向かえます。そして現在展開している活動は、築 100 年の古民家を改修し簡易宿泊所付きレストランを設計する計画や、地域の廃校をコミュニティ交流施設として再生させる計画に取り組んでいます。

山代:古谷研が雲南市と関わっているのは何年ぐらいですか?

墓田:三年目です。

山代:三年やってみて個人としてもあるいは研究室としてでもよいですが、継続的なものとして展開してゆくことの難しさはどこにありますか。

墓田:率直にいうと難しいと感じています。まず、フットワークの軽さを発揮しづらい状況が一つ要因に挙げられます。都市から地方に移動し何かの活動を展開するという点において労力がかかりすぎるという点。そしてもう一つに大学機関という入れ替わりが激しい性質を持っていて、継続させることの難しさがあります。

山代:街の人にとってどう思われているの?

墓田:最初は何だこいつらみたいに、受け入れられなかったんですけど、雲南市の方は基本的にはとても穏やかで優しいので、受け入れてくれる体勢では下地としてありました。しかし、3年という経験の蓄積が以外と重要で、都市へ与える程のインパクトとなるためには、ある程度の時間が必要であるのだと感じました。

山代:今、月影でやろうとしていることの可能性と難しさはどうですか?法政大学の菊池くん。

菊池:月影の郷が誕生するまでの経緯として、10年プロジェクトが続いてきて、来年度の 10月で一度終了となります。地域の人々と外部から訪れる人々を結ぶ学生が媒体としていなくなってしまうことに対して、今後どのように活動を展開させてゆくかを考えてゆく必要があります。今までは現地で発生する作業に学生が参加させてもらう受け身の体勢であったのに対し、そうではなくて月影の郷が主体的、意識的に地域の人々と関係を持ってゆくことが大事であると思います。そうすることで自立した後にも施設と地域の連動性が生まれるのではないかと考えており、そのような状況が生まれることを目標として現在未改修の3階をリノベーションするプロジェクトを進めています。 難しさとして感じる点は、建築が持つ力が都市部と地方で異なる点にあるかと思います。集落訪問で地域を巡る際に、小学校周辺の方々しか認知していない状況を目の当たりにしてきました。月影の郷という一つの建築が地域にさらされたときに、都市部の建築の影響の与え方と少し異なるのではないかと感じています。銀座のように密集した中で象徴的な建築が都市に与える影響は大きいと思うんだけれど、都市としての景観として考えた場合、地方の建築はそうしたものを持ちにくい。そうした状況を改善するためにワークショップのようなイベントを展開しているんですけど、やはり認知させるためには多大な労力が必要とされるとプロジェクトを通して感じました。

山代:他の月影関係者の方は?早稲田大学の吉田くん。

吉田:自分はまだプロジェクトに関わって日が浅いが、地域の方にヒアリングしていて気になるコメントがありました。それは宿泊施設としては運営されているが、周辺に住んでいる人は本当に関わっているのかという点を指摘されました。建築を構築してゆく側の価値観と地域の方々の価値観を擦り合わせてゆ

雲南プロジェクト 古民家改修計画/早稲田大学古谷研究室 2007 年より島根県雲南市を舞台として活動する一連のプロジェクト。少子高齢化を背景

とした市町村合併の起こる中山間地域において公共施設やこれに準ずる施設のあり方とし

て、新しい像を発見しようとする試みである。内閣府より受託した「都市再生モデル調査を

事業」からスタートした一連のプロジェクトである。前ページの写真は、古民家(2010 年

3月オープン予定)を宿泊所付きレストランに改修する計画の外観写真。既存の軸組を活か

した再生方法の検討、街の明かりとしての照明計画、地場産業の優良素材利用、学生による

セルフビルド等、中山間地域でできる新たな建築像を目指して様々な活動を展開している。

上の写真は、I 小学校の改修計画に際したワークショップ風景。こちらは伝統芸能の保存、

既存空間の保存など、住民の意見を拾いながら計画を進行させている。

I小学校改修(コミュニティ交流施設)計画

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31建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

8 一日目ラウンドテーブル

くことは、関わってゆく側の姿勢では解決しきれない部分もあるし、そこは難しいと考えています。関わってゆく側はそうしたことを理解しながらも、それでも深く関わってゆかなければならないと最近は考えていますね。

山代:今日のディスカッションは現在行っているプロジェクトの可能性と難しさについて主軸を置いてきました。皆さんの意見は可能であるという意見が多かったですが、継続していって欲しいという気持ちが半分と、少なくとも全ての地域においてうまくゆくとは限らないという現実的に考えなければならないという気持ちが半分あります。人が減少してゆく時代において人の賑わいを創り出すことを商売として展開するのはなかなかならないかもしれません。「遊ぶ」というキーワードを提案しましたが、僕は楽しみとしてやればよいと考えています。例えば、島根県出雲市の中に江戸の末期の街並みが今も残り観光地としても注目され始めている木綿街道という通りがありますが、それは誰かが意識的に町おこしを始めた訳ではなく、お月見をすることを楽しむグループがもともとあったことから始まりました。その活動の延長として、のれんをつくり、それが街並みの景観を作っていった。それが実はとても大事なことではないかと考えています。できれば明日の朝に向けてそれを個人に置き換えて考えて欲しいのが一つ、それから、この街でお金を使わずにどんな街の遊びがありえるか。その2点を考えて欲しいと思います。 例として、設計事務所のパートナーに山形県東北芸術工科大学のプロダクトデザインを教えている西沢孝雄がいるが、彼は山形の赤湯温泉付近にある斜面地型のぶどう畑に仮設型のレストランを学生と建設しました。それは将来的に本設のレストランが造れたら良いというのが前提にあるんだけれども、最初の段階として一種の遊びに仕立てることを狙っています。どういうことかというと、ぶどう畑の上に仮設場を建設し、そこで本職のシェフの人が料理を振る舞うという形式ですが、そこに辿り着くまでに2時間程度のウォーキングツアーを行うというものを企画しています。これも一種のまちおこしではあるが、高尚なものではなく欲望に素直な遊びであると思うんです。そのような活動の中が本当の地域振興につながれば良い。その場所の魅力を抽象的なもので片付けるのではなく、具体的な魅力を発見してゆくことを一つのテーマとしてやってもらいたいです。

文責:墓田京平

月影プロジェクト/法政大学・早稲田大学・横浜国立大学・日本女子大学 本作品は豪雪地域の屋根形状をモチーフとして、河川公園に 170 個のコンクリート模型を

展開した作品であり、それぞれの模型は敷地である浦田地区の住居を一軒一軒再現されてお

り、浦田の縮図となるよう配置されています。

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8 一日目ラウンドテーブル

32 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

「景観と『らしさ』/高齢化と暮らし」

木下:2つの話について若い人たちに聞いていきたいと思います。ひとつは景観の話。街並みにしろ景観にしろ、今後どうやって建築家として取り組んでいくのか。どのようなきっかけで景観づくりに貢献していけるのか。もうひとつは高齢化社会の中でどういう形で増加する高齢者を社会が支えていくか、これも身近なところから考えていってほしい。白石市営鷹巣第二住宅はソーシャルミックスということも考えました。高齢者だけをまとめるのではなく意図的に多世代をミックスしてグルーピングしました。そういったことを前提にフリートークをしてもらいたいです。

小畠:景観に関してですが、学部までいた京都では景観法などにより行政側が主導で景観を考えていました。建築家が主導でやっていけるようにすべきだと思いますが、どのようにして建築家に発言力を持たせることができるのでしょうか。

木下:景観法はあまりこうしなければいけないというルールは作られていない。むしろ行政に持ち込む形で地域の景観形成を行うように考えられています。本当はもっと有効なはずなのだが、それがまだ活用されていない現状があります。鞆の浦の判決が一つの意味を持ったのは、市民あるいは住民の「景観をそこに残そう」という動きが裁判で認められたことが第一歩だと思います。それではいったい何ができるのでしょうか。シビックプライドの話の時に小嶋さんが触れたように、自分の街にもつプライドが重要なのでしょうか。都はある “イメージ ”があります。歴史やイメージが強いと、ヨーロッパの街もそうだが、建築家が新しい試みをできない場合があります。しかしそれがまちのアイデンティティを作っているともいえます。では幕張のニュータウンがプライドを獲得しているのはなぜなのでしょうか。

ggggrrrooouuuppp × 木木木木木下下下庸庸庸庸庸子子子子子B

工学院大学/修士1年/小南聡美C

工学院大学/修士1年/時田寛子

信州大学/修士2年/工藤洋子

東京理科大学/修士1年/今城瞬

長岡造形大学/学部4年/佐藤舞

新潟大学/修士1年/矢作沙也香

日本女子大学/学部3年/加藤悠

法政大学/学部4年/伊澤実希子

横浜国立大学/修士1年/山内祥吾

早稲田大学/修士2年/矢尻貴久

法政大学/修士1年/小畠卓也C

工学院大学/学部4年/佐藤央一

東京大学/修士2年/藤本健太郎

東京理科大学/修士1年/木村周平

長岡造形大学/学部3年/吉田知剛

新潟大学/修士1年/長谷川千紘

法政大学/学部4年/福井健太

前橋工科大学/修士1年/中村達哉

早稲田大学/修士2年/杉本和歳

T 講師/木下庸子

Page 33: 建築トークイン上越2009 ブックレット

8 一日目ラウンドテーブル

33建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

これだ、という答えはないところが難しい。そこでまず皆さんの原風景が何か聞いてみたいです。小畠:子供のころは関東のベッドタウンに住んでいて、生まれたころは畑が広がっていました。都市的なところもあり、都市計画道路などが大きくとられていたりしていて、もしかしたらそれが建築に興味を持ったきっかけなのかもしれません。

杉本:僕は実は鞆の浦のある福山市のとなりの笠岡市の出身です。島が 100以上あり、海が原風景だったのかもしれないが実際にはそこにプライドがあるなどと考えたことはありませんでした。それを思えるようになったのは東京に出てきて色んな人と話すようになってからです。

木下:客観的にみるという視点は重要。中にいては見えないものがありますね。

佐藤 ( 長岡造形 ):私は生まれも育ちも日本でも数少ない妻入りの街並みを持っている新潟県の出雲崎町出身です。ただ、自分の生まれた家の周囲はこのあたりの風景に近い。視界の広がるのどかな風景と、過密度の妻入りの風景、2つが自分の中にあります。妻入りの街並みは景観を守る条例がなく、着々と失われていっている。町の人たちはプライドを持っていて、守りたいと思っているが町の人たちだけではうまく行かない現状があります。

矢尻:生まれも育ちも東京の世田谷ですが、少し下町のような場所で、家と家の隙間の路地で遊んだりしていました。木造密集地帯だったが、最近では街並みが整理されて、恐らく一般的にはいい環境になっています。でも、住んでいた人間としては寂しい気持ちもある。一般的な感覚と、その地域に住んでいる人の感覚をどうすり合わせていくのか。シビックプライドと繋がることだと思うが、どういうところが自分の町の魅力なのかを喚起していくのかが建築家の仕事になるのではないでしょうか。

木下:町の魅力を抽出するのが仕事であると?

矢尻:一時的なもので見せるのかもしれないし、具体的な建築を立てて行くのかもしれない。その手法はまだ分かりませんね。

木下:この中に東京生まれ東京育ちはほかにもいますか?

佐藤(工学院):世田谷の鶴巻の宿舎の1階に住んでいました。陽が入らない暗い環境だったが、それが普通だったので暗いということがネガティブな要素に今も感じていません。

木下:生まれ育った環境が好きであると。ならば街並みはどうでしょうか?

佐藤(工学院):中学校に仙台に移ったが、その時に自然が少なかったことが分かりました。

木下:街の魅力を抽出するということに興味があります。自分の街の魅力はこれだ、と言うことは出来ますか?

矢尻:大通りから1本入ったところに住んでいました。閑静な住宅地というと違和感があるが、静かな時間が流れていて、狭い路地などを歩いて行くと開けた場所に出たりと少し移動するだけで色々な場所がありました。

木下:ヒューマンなスケールが好きだったということですか? 佐藤君の場合はどうですか?

佐藤(工学院):高校生の時に町に帰ってきたら本当に小さい町だと感じました。仙台などの地方都市に比べると道路幅も狭い。しかし魅力と言われると答えづ

笠岡市の風景

世田谷の風景

出雲崎(新潟県)の風景

Page 34: 建築トークイン上越2009 ブックレット

8 一日目ラウンドテーブル

34 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

らいですね。

中村:実家は石川県の金沢。金沢の魅力ということを考えると近江町市場の活気を思い出します。人と人との関わりや賑わいというものが魅力だと感じていました。しかし最近再開発され一つのビルになってしまった。以前と同じ道幅のはずだが、以前の魅力が失われてしまったように感じます。再開発のメリットもあるが、古くからあった良さが失われてしまったのではないでしょうか。

木下:再開発で建てられた建物はどこにでもあるような建物で、一口で言ってしまえばグローバル化に通じるもの。採算や数値で計算されたもの、金沢だから建てられた建物というものではない。以前の近江町市場は「金沢らしさ」を持ったユニーク(固有)な市場で、それが人にとって魅力に感じたのではないでしょうか。

今後の高齢化社会にどんな考えを持っていますか?

小南:白石市営鷹巣第二住宅を通じて建築が介護予防の一つの手法になるということが分かりました。町の景観や生活空間を生まれ育った環境、「らしさ」を残すほうが認知症などの予防になるということを論文で知っいました。建築の空間を作ることで、ハードよりもソフトで介護予防をすることが高齢化社会で必要な手法なのではないでしょうか。

木下:ここでも「らしさ」が出てきますね。つまり、どちらも非常にソフトな話。だからこそ難しい。ハードな点に嵌っていってしまうと、「手摺はこの高さにすればいい」など一応最低限のルールは出来るが、もう一歩踏み込んだところで建築家は考えていかないとなりません。昔の生活空間を変えないほうが高齢者の記憶の継続に繋がるということなのでしょうね?

小南:学生の研究なのでまだ結論には至っていないようですが、そのまま残すことよりも「らしさ」を残すことが認知症予防の上で重要らしいです。今はその「らしさ」がなんであるかを空間レベル、コミュニティレベル、都市レベルで研究しています。

伊藤:ソフトという考え方に関連して、僕たち側から高齢者の施設をつくるという分け方ではだめなのではないでしょうか。高齢者でも活動的で働くことができる人が多いにも関わらず、高齢者という一括りで考えてしまっています。人口の重心は高い世代に移っているので、建築の標準的なスタイルもそういった人たちを取り込んだ形にしないといけない。考え方をシフトしないといけないのではないでしょうか。

木下:元気な高齢者はそれでもいいのだけれども。高齢者だけを囲ってしまうのは私も反対ですが、体の衰えた人たちはどうしたらよいのか。高齢者と何人かのシングルマザーを一緒に住まわせるアメリカの集合住宅の例は面白いです。働けない高齢者が、働かないといけないシングルマザーの子供を見守り、彼女らが高齢者のための買い物など、生活の援助をする。ある意味で社会的な弱者をドッキングさせた、ソフト面でうまくいっている企画でした。標準というのがなんなのかは定義しにくいが、日本でも核家族が標準とされていた時代は長かった。でも今は社会が徐々にシフトし始めています。みなさんはあまり祖父母と住んだ経験はありませんか?

長谷川:私は実家で祖父母と住んでいました。祖母はまだ全然元気で畑仕事をしているが、家はバリアフリーではなく、両親が共働きで、今後さらに歳を重ねた時にどうなるのかを心配しています。家の雰囲気が気に入っているので介護施設に入れるような形にはしたくなく、今建築の勉強をしている私が高齢者に何がしてあげられるのかを考えたいですね。木下先生に質問したいのですが、高齢者と普通の家族が一緒になったときにお

前橋ビルインタビュープロジェクト/前橋工科大学 戦災復興の一貫として主要幹線街路に対して建設が行われた耐火建築物。しかし長い年月

の経過によって、建物の老朽化や居住者不在等のことから、まちの景観に対して大きな影響

を与えている。

Page 35: 建築トークイン上越2009 ブックレット

8 一日目ラウンドテーブル

35建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

互いがどう反応しますか?

木下:白石市営鷹巣第二住宅はシルバーハウジングで集合住宅です。同じ住宅ではなく、住んでいる住宅自体が違うんですよ。

長谷川:特に直接コミュニケーションを取るわけではないのですか?

木下:基本的にはお隣さん。エンドマはセミパブリックな外部空間で、そこで高齢者が日向ぼっこしていると隣の家族の子供が遊びにきたりしてお互いに声を交わすことを意図しています。また実際にそのように使われているようです。

杉本:キッチンを通じてコミュニケーションができると言っていたのは?

木下:ヨーロッパとアメリカのコレクティブハウジングを視察して、設計者に話を聞くと、設計のポイントの一つが「必ずキッチンから共用空間に視線が行くこと」が挙げられました。そもそもコレクティブハウジングの起こりは子育てをしている女性が、同じ年齢層の別の家族と住むことでお互いに助け合うことだった。女性が新聞の投書で協力者を求めたのが原型。そうするとコモン空間で遊んでいる子供たちをガッチリとではなく、柔らかく監視するためにキッチンがそちらを向いていることが重要な設計のポイントだった。私もキッチンを介した人間関係を高齢者の住宅の中でも使おうと考えました。

「共食」という考え方はコレクティブな住まいで重要視されています。1日ほとんど顔を合わせなくても、食事をするときに話すことでコミュニケーションが成立する。「食」を取りまくダイニング・キッチンは高齢化社会を考える上でもっと重要視されなければならないのかもしれませんね。

これらの課題については更に議論していきたいです。今晩に是非つなげてほしいですね。

文責=矢尻貴久

白石市営鷹巣第 2住宅/設計組織ADH/渡辺真理+木下庸子

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8 一日目ラウンドテーブル

36 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

「コミュニケーションから生まれること」

小嶋:順番に発表してゆくのも調子が出ないと思いますので、4つのプレゼンテーションを聞いてどのような切り口でも構わないので話しやすいところから議論を進めて行きましょう。

学生(梶田):研究室に入って島根県の雲南市で行っていることがあるのですが、そこはいわゆる過疎化で高齢化の地方で6つの町が合併してできた新しい市なので元々あった公共施設などが余っていて、私達はそれをどう生かそうかという活動をしています。そのなかで、ある町の商店街で祭りが行われているのですが、その祭りで町を活性化させようというというプロジェクトがあります。今年で3年目なのですが、初めの年はこちらからいろいろ提案したことをやってもらうという状況で、それはそれで成功はしたのですが、ただそれは街として自立させるためには私達がどこまで関わって行くのかということがとても気になりまして、課題となりました。そして2年目では3年目からは徐々に地元の方々だけでできるように引き継ぐ方向を考えて活動しています。しかし、なかなかうまくやるのは難しい。

小嶋:いきなり実践している人の話が出て来ました。この中で他にも実際に研究室とかいろんなレベルがあると思うのですが、活動している方はいますか?

学生(砂越):松原商店街という横浜市にある栄えている商店街があるのですが、今商店街で栄えている所は結構珍しい。そこがなぜ栄えているのかということを調べつつ、今のままでは持続してゆくことは難しいだろうということで、11月から12月にかけて毎年商店街でイベントがあるのですが商店街とYGSAと共同でイベント自体の企画であったり、未来ビジョンという商店街自体を50年後をみつめてどのようにしてゆくか模型をYGSAで作って町の人

grouppp ×× 小小小小小嶋嶋嶋一浩浩浩C

東京理科大学/修士1年/吉川潤C

C工学院大学/研究生/別府拓也

工学院大学/学部4年/伊藤 慎太郎

東京大学/修士1年/斉藤拓海

東京理科大学/修士1年/佐々木玲奈

長岡造形大学/学部4年/星野智世

新潟大学/修士1年/小林成光

法政大学/修士1年/氏家健太郎

横浜国立大学/修士1年/砂越陽介

早稲田大学/修士1年/伊坂春

日本女子大学/修士1年/布留川真紀

工学院大学/学部4年/濱田真理子

信州大学/修士1年/香川翔勲

東京理科大学/修士1年/高山祐毅

長岡造形大学/修士1年/渡辺 宣一

新潟大学/修士1年/吉田邦彦

法政大学/修士2年

前橋工科大学/修士1年/外崎晃洋

早稲田大学/修士2年/梶田知典

T 講師/小嶋一浩

/ 円城寺香菜

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8 一日目ラウンドテーブル

37建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

達に見てもらおうというプロジェクトがあります。やっぱり商店街の人と学生が密接に関わってゆくことが大切だと思いました。具体的にどんなことをやっているかと言いますと、商店街の天井がアーケードではなく青空で、そこに三角旗が5色くらいカラフルにかかっているのですが、この旗自体をブランディングに活かせないかということを考え、色を統一することを提案したりしました。

小嶋:結構直接商店街の人と学生達が話をしながらやってゆくのですか?

学生(砂越):そうですね。先程の山代さんのお話しにもありましたが、可能性をプレゼンテーションして共有し合うことの重要性を実際の活動を経験して感じました。  

学生(渡辺):私は1人の建築家ができることには限界があると思うんです。

小嶋:それは十分に感じています。(笑)

学生(渡辺):そういった発想とかアイディアはいかに実現可能にするのかというのは、やっぱり多くの人が共感してやることだと思うし、そういう意味で例えばこんなに自分たちの町はでかくなったんだとかそういった可能性をプレゼンテーションするのは効果的なんじゃないかと思います。

「共有することをデザインするということ」

小嶋:でも大抵の場合良いのって、例えば松代のMVRDVのだとか、ひとつの強い案が形をつくって環境を変えることができていますが、そういうのはどうでしょう?あまりにも多くの人達の意見を聞きながら建築を作ろうとすると、できあがったものが弱くなっている気がするけど弱くてもいいのでしょうか?

学生(渡辺):私は弱くはなっていないとも思います。実現可能の状態にするということは共有するということが大切だと思うんです。やはり1つのアイディアというよりもまとまっているということが強くすることもあるのではないかと思うんです。意見がバラバラになっているとそれはまとまっている状態ではなくて、アイディアが弱くなっていると思うんですけど、共通した意見でまとめていければ、よりやろうとしている方向が固まっていくんじゃないかと思います。

小嶋:迷走しないようにすること自体が大事でデザインしなくてはいけない。

学生 ( 小林 ):雁木というのがあるのですが、積雪が多い地域なので冬には歩道も歩けないくらい雪が積もります。そこで屋根をかけるのですが、自分の家を公共に出してあげ、それが繋がり屋根の続いた歩行空間ができるというものです。しかしそれも今では全てが繋がっていなく歯抜けになっているとことがあります。それを学部の3年生が毎年ひとつずつ埋めていってあげようという活動を10年前からしていて、それは50人程でコンペをし、実際に作り、数が増えかたちに残してゆくことで地域の方に愛着や誇りを与えられるんじゃないかなと思っています。そうしてなるべく自分たちが関わるようにしています。

学生(渡辺):東京の学生にはわかりにくいと思いますが、雁木はいわゆるアーケードとはちょっと違っていて、公共で作られた物ではなく、雁木は自分たちの敷地の中で歩行空間のためにつくっているというところに大きな違いがある。なぜ今歯抜けになっている場所があるのかというと近代化に伴って、元々自分の土地で建物を建てるのは自由だからという理由などで、そうするとずっと一連で繋がっていたがんぎが途切れてしまったり、あるいは空き地になってしまったりしています。地方都市を救う建築という観点から、がんぎも建築だと考えると地方の都市の生活を助ける建築ととらえることができると思いまし

松原商店街プロジェクト/YGSA 「濱のアメ横」と呼ばれる松原商店街において、横浜国立大学の地域実践センターと

Y-GSAの学生によって歳末イベントをトータルコーディネートした。神奈川県の「商店街・

大学・地域団体パートナーシップモデル事業」として、建築・グラフィックデザイン・経済

的観点から、松原商店街に潜在する魅力を可視化する 10個の展示とイベントを約 1ヶ月に

わたって行った。写真は、十字形をした松原商店街にある交差点に着目し、仮設の天井をか

け、その下でイベントを行うことで松原に広場を作り出した。また、松原のシンボルであっ

た三角旗の色をピンクに統一することでその存在感を引き出し、商店街に一体感を与えた。

Page 38: 建築トークイン上越2009 ブックレット

8 一日目ラウンドテーブル

38 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

た。

小嶋:割と共通しているのが直接商店街の人達だったり、雁木で町の人を交えてコンペしてたり、地元の人達と話をしていることにやる気がでていて、ちょっと意外に感じました。そういったプロジェクトに若い人が入るということは今までなかったように思います。  

学生(佐々木):結構逆パターンかもしれないのですが私の地元の話なのですが、茨城県の守谷市に廃校になった小学校でアーティストインレジデンスを設置して活動してるという団体があるのですが、地元の人が直接触れ合うというよりは外部から来て数ヶ月間そこで滞在し、展示をしてそれ以外の期間はあまり開かれてなくてたまにその展示はやっています。私はすぐ近くに住んでいるのですがそれをあまり身近に感じたとこはなくって建築とか勉強し始めてそういうものに興味を持ち始めて自分からアプローチしにいかなければそういうものに触れられない環境でした。プレゼンとか広め方とかが地方都市のイベントではが大切なのかなと思いました。

学生(渡辺):大地の芸術祭というのがあって、著名な芸術家の方々を呼んでいて、広い範囲にアートを点在させてそこに多くの人が訪れるというやり方をしています。

小嶋:地元の人達にとってみればあれは成功していると言えるのでしょうか?

学生(渡辺):実際のところ、私はどう思っているのかというと、あれは広範囲すぎて動くのがすごく大変でした。

小嶋:話を聞いていると今の建築学科の学生は上から目線じゃなくなっていますね。

学生(渡辺):設計だとかコンペだとかそういう思想はみんな持っていると思います。  

小嶋:昔だときっぱりデザイン系の人と計画系の人とはっきり分かれていました。だから都市計画とかまちづくりとかある種建築計画をやってる人と建築家になりたい人というのは早い段階から分かれていたのですが、今は建築家教育している学校が商店街とかで現地の人達と話をしながら設計したりしていますね。

学生(砂越):商店街のコミュニケーションなのですが、商店街の人達とコミュニケーションしながら案をつくってゆくのですが、そのときに伝わることが伝わらなかったり、伝える力を学んでゆくというかそういう大切さを学びました。  

「建築家の専門性とは」

小嶋:建築家じゃない人達がいっぱいチームの中にいて1人だけ建築家のあなたが居たときに専門性を出すというのは重要なことと思います。いろんな断片的でどうしようもない状況をまとめて無理矢理でも答えに導きビジュアルなものとか他の人が見てわかるようなものをつくる能力は大切です。一方で今の現役で大学に居るとそういうトレーニングをほとんどしていない。

学生(濱田):引っ張って行くようなデザインを作って、誰もがつくって行きたくなるようなものを作るということと実際に求められているものを考えつつ作って行くていうのは、私の経験からすると何を求めているかとうことを考えて、経験して取り入れてデザインしていくといいと思います。

小嶋:我々のところではこの後のロングランの議論のキックオフのような感覚

守谷小学校アーティストインレジデンス

守谷小学校アーティストインレジデンス

Page 39: 建築トークイン上越2009 ブックレット

8 一日目ラウンドテーブル

39建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

でしゃべっていたのでまとめることは難しいのですが、ただいろいろ話していて私にとって面白かったのは商店街だったり歯抜けになった雁木を毎年コンペして実際に施行するところまでつくってるっていう話だったり、いろんなケースがあったのですが、実際にその場所にいる人達とコミュニケーションしながらなにかやってるという人が思いのほか多かった。なんとなく全員の話はまだ聞けてないですけれども、他の人達もそういうことに対して非常に積極的であるということにビックリしました。私の方からはまず都市計画とか町づくりの学科の人もいるのかと聞いたのですが全員建築学科の学生で、そうすると卒計日本一バトルとかもやっているんですよねと質問したらそういう世界の人達ばかりでした。それとは別になにか相手がいてコミュニケーションしていく中からなにかが実現していくということに対してすごく積極的だなと思いました。まあそのことをコミュニケーションと言っているのですが、コミュニケーションをしながらデザインしていくということも聞いてそれは僕らの世代と比べて全然違う、そういうことはもう当たり前で前提としているし、そうでないと実現しないんだという認識をみんな持っている。ただ、いろんな地域で彼らをどんどん引っ張り込めば、学生達が自分たち自身でプロが入るよりいいんだと。僕の方からはクオリティーはどうなるのかということをみんなに問いかけました。いろんな人達が地域に入って来るときに建築をやってる人が地域に入ると建築の専門家としてのプロフェッショナリティとかレベルとか考えるとみんなの期待に応えられないんじゃないかと、だからもう一回戻ってくると大学のトレーニングに繋がる。ただ単に他者と違うより目立つものを作るということではなくて、実際の商店街や或は雁木ってものは個人の物で個人のクライアントと話をするということは、社会に出てから体験するであろう大変な出来事をどんどん先取りしてそれをも含めてデザインしていくということを今の人達はやっているんじゃないかなということをお話ししました。それで、これからの長い時間で話してもらいたいことは地域に入って行くなどいろんな話があったのですが今度はそれをどういう形でハンドオーバーして手渡して行って持続できるのかという話までしてもらいたいです。個人でできることと持続させるための具体的なことがらをふまえながら話すってところから始めれば今の議論が発展して行くんじゃないかと期待しています。以上です。

文責:吉川潤

Page 40: 建築トークイン上越2009 ブックレット

8 一日目ラウンドテーブル

40 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

「小さな景観」

千葉学先生(以下・千葉) 景観に対しどう思うか、建築家の職能が広がっていていること。即効性のあるような提案もあればものすごく長期に渡ることもあるし時間軸というのは建築にとっては重要だと思います。また都市のように成熟して様々な他者が集まってできている街だと遊ぶという関わり方もできるのだけど、この場所で果たしてどのような関わり方や遊び方があるか。都市の場合に比べると、全く違う観点が求められるだろうと思います。今あげた4つの話で意見を交わしていけたらと思いますがどうでしょう。

横川 どこにでもあるような集合住宅や、オフィスビルが建っていたり、マック、ジャスコといったよくあるものに浸食されていっている。それについてどう思っているのかみんなに聞きたい。

千葉 ガイドライン的にある同一的なもので作ってしまい、それがある種の善であるという風になると思うんです。ゲーリーはどこでも同じような建築を建てているわけだから、マクドナルドに近いことをやっているけど、ビルバオの街にとっては起爆剤になっていることも事実だし、景観という言葉はどっちにも触れそうな難しい概念です。

村山 新潟では普段見慣れている開口の位置に窓があいていると雪で埋もれて、光が入ってこないとか、積もっていた時にその先に外に出て行ったりできないとか、屋根の勾配が違っていたりといったことが生み出す景観。経験的景観もあると思います。

千葉 盲導犬センターを市の人に見せた時に " 東京の人の設計だね " って言われたんです。向こうの人は富士山なんかどうでもいいんです。富士宮市ってい

grroooouuup × 千千葉葉学D

東京大学/修士2年/横川美菜子C C

工学院大学/研究生/秋山照夫

工学院大学/学部4年/長谷川公彦

東京理科大学/修士1年/佐々木俊一郎

長岡造形大学/学部3年/長谷川孝文

新潟大学/修士1年/佐藤貴信

法政大学/修士2年/小野裕美

前橋工科大学/学部4年/武曽雅嗣

早稲田大学/学部4年/小堀祥仁

東京理科大学/修士1年/村山圭

工学院大学/学部4年/山内響子

信州大学/修士1年/立野駿

東京理科大学/修士1年/中村大地

東北藝術工科大学/修士1年/黒田良太

日本女子大学/学部4年/青柳有依

法政大学/修士1年/熊谷浩太

横浜国立大学/修士1年/佐藤賢太郎

早稲田大学/OB/丸山傑

T 講師/千葉学

Page 41: 建築トークイン上越2009 ブックレット

8 一日目ラウンドテーブル

41建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

うのは富士山の南西に位置するので、南の太陽がほしい。家は南西に向いて立っている。南西に向いて開放的なので富士山を背にして建っている。富士山は素晴らしいっていうのは、東京の人の感覚だって言われたんです。

千葉 屋根のカタチは切り妻でなくてはいけないっていう条例になっているんです。知らないで設計して途中で気がついて、切り妻でなくてはいけないのは納得いかなかったので、市と相談して争ったんです。

高橋てい一先生(以下・高橋) 条例っていうのは守らなくていいの?

千葉 守らないと基本的にはだめなんです。あの地域は屋根、壁の色とか、屋根の形も決められているんです。

高橋 それみんな破ったの?

千葉 ほぼ破っています。屋根の形は切り妻じゃなくて刀割れですし、色も茶色じゃなきゃだめだったんです。

横川 条例の通りに作れば、そこにあってもおかしくないような建物は建つと思うのですが、周りのルールを少し歪ませる時に起こるものっていうのもまた新しい景観になるのかなと。

高橋 景観条例はその市民のコンセンサスをとってできているのか?

千葉 条例が市民のコンセンサスを得られていないと思います。条例っていうのは市民がみんなのために作ったものではないですし。

高橋 役所はそれが得られていると思っているんだよ。

千葉 桜川のコンペで僕はファイナリストに残っていたんですけど負けたんです。そのときの議論は、瓦屋根の江戸時代の建物が残っているんですけど、あの建物らしからぬものを設計したんです。僕たちなりにその場所を解釈したんですけど、結果的には歴史家とか審査員の方の反発を食らったんです。" いったいこの場所の歴史をなんだと思っているんだ " っという感じですよ。でも、平成の素晴らしい建物も作っていかなきゃいけないと思います。時間って空間に蓄積されていかないと本来の歴史じゃないと思うので、その江戸時代の建物にならって作る必要はないんじゃないかと思うんです。今の時代に何が出来るかっていうことを考えることも一方で重要ですね。

千葉 もう一つ、景観という言葉があまり好きではなくて、むしろまだ風景の方が好きなのは、景観という言葉に人の営みとか入っていない感じがするんですね。

高橋 言葉としてね。ものすごくよくないね。

千葉 人の生活があって、様々な出来事やアクティビティがあって、それも含めて本来は街のことって考えないといけないので、景観という言葉は、すごく建物の外見だけの話に成りがちになるので、言葉は変わっていくのかなって思います。

横川 形ばっかりを風景と言ってしまいがちなのですが、ビルが建っている前に人がぎゅうぎゅう詰めになっていて、それが形としてビルになっているし、谷間、川、家があるってことで風景ができていると思いがちだけれども、本当はそこに人が住んでいることがそこの風景を作っているふうに。

高橋 全体のランドスケープね、土地の形状とか、自然の余剰権っていうのがありますね。

郊外の風景

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8 一日目ラウンドテーブル

42 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

井原 MVRDV、キョロロ、内藤さんの図書館、キナーレ、平田さんの桝屋本店。著名な建築家が地域の気候、雪の対策、景観を考えられて、情熱をこめられたものがまったく全然違う見え方をして建っている。それが面白い状況でこっちにくる動機付けになっています。いいとか悪いっていう景観法律みたいな話ではなく好みで構わないので、そのへんどうですか。

黒田 キョロロは実際行ったことはないけど、訪れる人とか住んでいる人たちがうまく使ったりするだけでもいいと思っている。都心のオフィスビルが建つっていうことがいいか悪いかって言ったら、外観だけだと悪いと思われるかもだけど、生活の仕方によっていい悪いが決まるのかなと思います。

武曽 新潟だったら雪が降るし、海側だから海風も強いので、考慮した家の建ち方をしなくちゃいけなかったんですけど、昔からの景観でいいのだろうか、それとも新しい技術を取り込んだ新しい景観を作るべきなのかが疑問です。それと景観の条例っていうのは何年続くのか、何百年続くのかっていうのも疑問です。いつか絶対変わるときも来るし、そういった判断を誰がするのかっていうのも気になるなと。

立野 エッフェル塔だって時間が経過する事で人々に愛されるものになっている。こういう時代だったんだっていう後に残るものとしてそういう建築があってもいいと思う。

千葉 僕も今の時代にできることをやったほうがいいと思う。敷地をおさえてやりましょうということは、僕はあんまり意味がないと思います。ただその一方で、ロードサイドの風景はびっくりしますね。東名高速を降りて富士宮に入っていくと、パチンコ屋、吉野家、ラーメン屋の看板が並んでいるわけですよ。あれを見るとさすがにないだろうと思うんです。富士山が世界遺産だと言っている脇であんな風景を作っていることがだめだと思うんですけど、ただそれは簡単に答えが出ないと思うんですよね。それを一気に全部茶色い建物にしましょうみたいになるのは非常に貧しい景観論だと思います。建築ってどっかで人を惹き付けたり、人が集まるために作るものなので、魅力がないといけないと思うんです。

山内 MVRDVがなかったらただの景色がこの町の人とっても、愛着がもてたんじゃないかなって思うんです。それを中心にまた新たな景観がでてきていい街になるんじゃないかなって思います。

長谷川 3年に一度の会期でない時になるとどうしても人が寂しくなって、建築を建てちゃうとそれがその期間ポツンと残ってしまう状況があって、寂しい風景になっちゃってて、自分の中で嫌だなって。

千葉 イベントの期間以外に使われないものっていうのはを使うっていう企画もない?

長谷川 古民家再生で古民家に手を加えるとか。すごい安い値段で実際に宿泊できたりするんですけど、本当に山間なので来ないときは来ない。

佐藤貴 研究室で川沿いの仮設制作を毎年繰り返しています。仮設っていう手法とサイクルがあるっていうのは地域に対して有効だと思います。景観っていうことが大きすぎて、一個人が何もできないっていうのはあるんだけど、ちっちゃい景観だったら僕らにもできるなって感じで。

佐藤謙 トリエンナーレは住民や学生、ボランティアの方々がいて、面的に地域を使っているイベントだと思うんですよ。イベントとしての風景があるのが建物だけでみられていないのでビルバオの状況とは少し違う状況でもあるんじゃないかなって思います。

リバーサイドノード/新潟大学岩佐研究室 2009 年に新潟市で開催された「水と土の芸術祭」の出展作品。信濃川の舟運を活かした水

上バス、水上タクシーと、市内に多くの拠点を持つベロタクシー、レンタサイクルを結びつ

ける交通の結節点 ( ノード ) を制作した。街と水辺を結びつけ、車依存の進む新潟において

新しい都市の体験方法を提案した。柵を転用したロングカウンター、各交通のインフォメー

ションボード、サイクルマップの作成やレンタサイクルの運営などを行った。

Page 43: 建築トークイン上越2009 ブックレット

8 一日目ラウンドテーブル

43建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

佐々木 小さい景観があげられたと思うんですけど、景観本体にも賞味期限が迫っていることが一方ではあると思います。またもう一つは東京の人から見た富士山を見たいっていう話と、地元の人のそっぽ向く矛盾点があると思うんです。そのちっちゃいレベルの矛盾みたいなところに小さい景観というものを考えるポイントがあると思います。

千葉 都市部あるいは地方都市では景観というのはどのように考えてくことができるのか。それから建築家の町への関わり方というのは建築を設計するだけではなくて、町に介入していくことができるかという職能について、どんな風な関わり方をイメージしてるのかがもう一つですね。次に関わり方には時間軸が重要なファクターとしてあるのではないか、つまり今すぐできるようなこと、短期的に繰り返して行われること、何年かのサイクルで街に関わること、長期的な永続的な関わり方、そういったことに対してどう考えていくことができるのか。最後に都市のようにかなり成熟した、あるいは様々な人たちが関わって作り上げた環境で遊ぶということと、自然が豊かで建築もそれほど作られていないような環境においてはどう展開できるのかを投げかけました。議論は景観の話に時間を費やしてしまって、結論や切り口が出たわけではないんですが、ビルバオのグッゲンハイムのような都市に刺激を与える関わり方もある一方で、ガイドライン的に全体を統合していくがある。このエリアではトリエンナーレが開かれていて、点でしかもそれぞれの建築家が自分たちなりに考えた建築。それに対してみんながどう受け止めているのかという議論。今の時代を映し出すような建築を作っていくことに価値を見出したいという意見だったり、トリエンナーレで作られた建築も、3年のサイクルでの行事、活動、人の集まりとともに起きてくるということ、そういったものと一体になってできていく中で場所に対する愛着であったり、記憶も関わって受け入れられるのではないかと。議論は収束せず、景観というのは大きすぎて、むしろ一人一人の学生が町に様々な形で関わる、それはトリエンナーレやワークショップを通じて関わっていく。個人のレベルですが作り出せる小さな景観。そういう可能性というのがあるのではないか。小さな景観と時間軸を絡ませた作り方に対して、新しい切り口が見えたら可能性に繋がるのではないか、景観というと建物の形、色がクローズアップされがちで、本来はそこにあるはずの生活、活動が排除されがちである中、小さい景観、時間軸も含めた景観を考えていくこと。さらに継続的にして建築家がどう関わっていくのか見えてくるといいなと思います。

文責=村山圭

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9 二日目ラウンドテーブル

44 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

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9 二日目ラウンドテーブル

45建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

 「 地 方 都 市 の 建 築 像 」

4 つ の 学 生 グ ル ー プ ×「 た ね 」=「 こ た え 」

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9 二日目ラウンドテーブル

46 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

「自分たちの世代の建築への認識」

求められる建築家

中山:建築家は内々の言語だけにとどまってしまったあまり、一般社会との乖離があまりに大きくなってしまったように思います。これから建築家はいかに社会性をもつことができるのかが、私達の世代の建築観であることを共有していることが分かりました。その例として、シビックプライド、象徴性の変化(シンボリックな形から、市民とのプロセスの共有をはじめとする心の中の象徴性へ)についての議論が挙げられると思います。

墓田:象徴性の変化として、ワークショップ(以下WS)等の活動が挙げられますが、現在はほぼ大学の研究室など非営利団体の活動になっています。それらは今後どのようなシステムで関わる可能性がありえるのか。それに関して、それぞれの活動から派生する具体的アイディア、またこれからの建築家の職能・建築家像について踏み込んでいきたいと思います。

―昨日のディスカッションを踏まえて、現在の建築への認識について問う。そのひとつに地方都市と都市部の二項対立論があるが、2つの異なる視点からみた建築家への認識・建築の価値観とは?

小倉:これからの建築家像として、東京一極集中でなく、地方に根付き、介入する人材が必要だと思います。地方は東京に対してのコンプレックスがありますが、それぞれに異なる良さを持っています。建築家が一回きりのプロジェクトで地方都市に介入するのではなく、一生をかけて都市を作り上げ、体験していく姿勢が必要だと思います。そのとき、その地方都市を相対化する視点を持つことも重要で、グローバリゼーションを理解する必要があるように思います。

 ggrouuppA

早稲田大学/修士2年/墓田京平C

工学院大学/修士1年/宇賀神亮

信州大学/修士2年/小倉和洋

東京大学/修士2年/高田彩実

東京理科大学/修士1年/井上雄貴

東北藝術工科大学/学部4年/山本将史

新潟大学/修士1年/高坂直人

法政大学/修士1年/菊地悠介

前橋工科大学/修士1年/木村敬義

横浜国立大学/修士1年/中山佳子C

工学院大学/学部4年/近藤巨房

信州大学/修士2年/大日方由香

東京理科大学/修士1年/松本透子

長岡造形大学/修士1年/ケ・エム・イフテカル・タンヴィル

新潟大学/修士1年/斎藤淳之

日本女子大学/修士1年/石井千絵

法政大学/修士1年/郡謙介

早稲田大学/学部4年/吉田遼太

T 講師/木下庸子

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9 二日目ラウンドテーブル

47建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

それから、建築家の職能として形を決定していく際、WS等を通して市民が主体的に介入していく体制が必要だと思います。中山:一方WSは、方法の選択によっては、建築家の大義名分のような形式だけのものになってしまう可能性がありますよね。前日にでた、古谷研の実践するWSの事例のように、建築家によって建築家の領域・市民が踏み込むことが可能な領域を計画することが重要だと思います。

墓田:WSによって市民の意識をスイッチできるかがとても重要ですね。形式だけでないWSにするには、建築家が他分野に切り込んでいく姿勢が必要です。現在、古谷研の桜山小学校のプロジェクトにおいて、教育学の専門家と建築家が協力してWSを進めていますが、異分野の人々が協力してWSを行うことで、建築言語を一般の人々へ開放していくことができるんですね。

・地方都市においては地方に根付き、介入する建築家のあり方が重要になってくる。その方法論の1つとして、形式だけでないWSの可能性があると考えられる。

―次に、都市部に住んでいる学生から、意見を伺う。都会から提示できる建築家像とは?

菊池:都市部の建築家は自身の理論を実践できる機会に恵まれますが、地方都市においては、既存のストックを活かしたリノベーション等の活動を意識的に行うことが重要になってくるんだと思います。MVRDVの農舞台が、まつだいに適合したものであるかどうかは疑問で、建築家が新しい形態を求めることだけでない姿勢が、より地方都市においては必要であると思います。

中山:地方都市と都市部の建築家が選択する手法は異なることを、自覚的に認識する意識が必要なのでは。

―ここで「都市を遊ぶ」テーマについて議論をもどしていきたい。今それぞれが行っている活動をベースに、持続可能性として、学生の立場を抜け出したときにどのような「遊び」の展開の仕方があるように考えるか?

小倉:イベントは形のない象徴性を持ちえると思いますが、地方には祭りがあるのに、なぜ新しい象徴性を作る必要があるのでしょうか?そもそも建築家は形をつくり、建物を建てる存在であり、まちがどうあるべきかを考えるのかは、建築家の職能ではなく市民ではないのでしょうか?

坂下:だからこそ今、建築家が職能として介入すべきなのだと思います。建築家が放置した結果、大手の資本が介入して画一的な地方都市の現状ができあがってしまっているんです。

小倉:しかし建築家はそれほど大きな存在なんでしょうか?建築家は「建築家」としてではなく、建築の知識をもった一市民として関わるべきであると考えています。建築家の職能には限界があると思います。

坂下:それを考える必要がると思いますね。例えば、アートポリスは、建築家が必死に市民の中に介入してトライアルした事例です。飛躍的に変えることはできませんが、挑んでいかなくては何も始まらないと思うんです。

木下:ここで、建築が都市を変えることのできた新たな事例をもとに、具体的に議論をすすめていってはどうでしょうか。先程挙がった、古谷さんの事例も非常に興味深かったですね。

墓田:現在、古谷研究室では新しい小学校の建設に際して、独善的なものでないWSの新たな可能性について考えています。建築家はまず形を提案し、使

高崎市立桜山小学校建設に伴うワークショップ/早稲田大学古谷研究室群馬県高崎市堤ヶ岡小学校の分離新設校として、計画された桜山小学校。2005 年にプロポー

ザルで設計を委託されてから、2009 年 4月の竣工・開校までの期間中全 4回に渡り、両校

の児童と教職員を対象として、教室と、オープンスペーの再現空間での授業のシュミレーショ

ン・仮想ミュージアムでの新設校に関する展示等を通し、新概念の小学校の活用方法を探る

ワークショップを実施している。

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9 二日目ラウンドテーブル

48 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

い方を家具レベルで検討していく際に、建築家とエンドユーザーの間に、WSにおいて所員や学生がワンクッションはいることで、市民・児童からのアイディアを吸い上げ空間的言語に変換することができます。それをさらに建築家がアイディアとして構築するんです。それは現在、誰もが満足する手法として成立しようとしていると思いますね。

吉田:千葉さんの盲導犬センターにおいて、サイクリングイベントの紹介がありましたが、建築家が提案したことに意味があると思います。建築家が、建築をたてること以外の領域へ積極的に関わっていく姿勢が、その事例を通じて大切であると感じました。

高田:先日くまもとアートポリスを訪れた際、乾久美子さんの駅前オブジェを見に行ったんです。オブジェとして家型のフォルムの印象が強かったですが、実際に訪れるとそこに朝方農業仕事帰りのおばあさんがピクニックをしている光景を発見しました。盲導犬センターの事例のように、市民の人々によって予期せぬ使われ方をしていたことは、建築のできる可能性を強く感じましたね。

木下:建築家の職能について、建築家が作る建築が、人と人を繋げる役割を果たしていることがキーのように思います。打瀬小学校の例では、建築家の提案した形とプログラムが塀のない小学校をうみだして、それに周辺住民が成功につながりました。

斉藤:新潟に長谷川逸子さんの「りゅーとぴあ」があり、それは音楽文化ホールとその周辺に、横の神社や公園とリンクした空中庭園が設けられているんですね。空中庭園は、長谷川さんの思想の1つですが、その説明をする際、新潟に存在した屋外活動の場である河川の浮島から着想したという説明の方法を用いていて、実際その空中庭園は常時お花見やバンド活動など人々の活動の舞台として利用されています。都市部を拠点に活躍する建築家の思想と、地方都市の特性をいかすこと・地域性を読むことが上手くリンクしたとき、良い建築や場所が生まれる可能性を感じさせる、非常に良い実例だと思います。

中山:地方の特性を活かす事と同時に、逆にそれまでその都市に存在しなかった視点を、市民が獲得できる可能性が建築にはあると思います。FOAの大桟橋ターミナルが評価されたのは、その造形というより大方が産業専用区で閉ざされている横浜の海際を公園として開放し、埠頭の先端から見る横浜の美しい風景を市民が獲得したことにあると聞いたことがあります。都市の新たな視点の獲得という意味で、空間や建築の力を信じることのできる事例だと思いますね。

高田:今の 2つのアイディアは、どちらも場の特性を読んで作られていることが共通していますね。

墓田:ただ、いつもそれが功を奏するとは限らないと思います。今の話に関して示唆的な事例として、穂積先生の学会賞を受賞した中学校(田野畑中学校及び寄宿舎)があります。敷地は農村と漁村のあいだにあり、その両者には大きなギャップが存在していました。建築家は、その両者が親しみ、交じり合うような広場をダイアグラム的に解き考案しましたが、結果的にその問題は解決しませんでした。その上、取り壊しに際して反対をする市民はいなかったそうです。建築界で認められ、ダイアグラム的に解かれた作品が、実際には効果をもたなかった象徴的な事例です。そういった意味で、WSは泥臭い手法であるがダイアグラム的に解くこととは異なる段階の手段であり、建築を理論や図式を用いて考察するならば、それをわかりやすい言語で伝達しなければいけない時代へ突入していると感じました。

木下:この 1時間半、良い議論がいくつかあがったように思います。建築家の職能を、今日 1つの解として提示することは難しいですが、先ほど中山さん、

熊本アートポリス 新八代駅前モニュメント/乾久美子建築設計事務所設計

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9 二日目ラウンドテーブル

49建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

斉藤くんのあげた事例のように、地方の特性と、新しい可能性を提示できることは建築家の職能として非常に重要なことだと思います。

中山:やはり建築家はものをつくる職業であり、それによってできる可能性はたくさんあります。その力に限界があると嘆くのではなく、空間や場をつくることによって信じることができることを明確にしたいと思いまして、その 1つが先述の事例でした。

吉田:それが、建築家が意図していたこと以上のことを発揮するといいですね。「遊び」とは提供するものではなく発見的に楽しむ行為で、多様な価値観をもつ市民に建築が還元されたとき、市民が「遊ぶ」ように使い方を発見していくことで、さらに良い作品へ向かっていくことができると思います。

中山:その方法論の1つが、きちんと練られたWSの可能性であるように思います。

―議論のまとめに入りたいと思う。

中山:私たちのチームでは、建築家の職能や、都市を「遊ぶ」態度といったテーマをもとに、いくつか面白い議論を交わす事ができました。テーマに対して、具体的な 1つの結論を導く形にはならなかったですが、自身の観点から今までの議論をまとめたいと思います。昨日までの段階で、目指す建築家像のあり方が、私たちの世代において変容してきているという共通認識がありました。これまで建築家の議論は内にとどまることが多く、建築の形のみを言及する傾向が強かったために、一般社会との乖離が進みすぎてしまいました。地方と都市部で異なる建築家像の認識と、2つのこの先の方向性の違い、地方都市へ都市部の建築家が関わる際の態度の問題等の議論を踏まえた上で、私達の世代が目指す建築家像のありかたは、建築家はより市民へ建築言語を翻訳し、伝達する姿勢をもち、その存在がより社会性を獲得しなければならないことを共有していたように思います。建築家の職業領域について議論が交わされましたが、そこで今一度、私達は建築家のものをつくる職業としての可能性を、都市や社会に希望を与えたいくつかの建築の事例をもとに、明確にしたいと考えました。建築家の思想が、地方の特性をさらに強める形に働き、市民がその場を発見的に利用している例として、乾久美子さんのオブジェなどについての事例、また、場所性を読み込んだ上で、そこに存在しなかった新しい都市への視点を作り出し、市民がシビックプライドをもつ手がかりになったものとして、大桟橋ターミナルなどの事例が挙げられました。その一方で、理論に基づき、建築作品として定評を得たものが、その意図通りに受け入れられることなく、その存在自体の意義が問われた事例も挙げられました。場所に対して「遊ぶ」姿勢を市民が持ち、利用されていくことで建築や都市は豊かになり、市民がシビックプライドを獲得できる可能性があります。そのために建築家は、市民へ建築言語を翻訳し、伝える姿勢を持たなければならないと思います。その方法論として、WSを見直す価値があります。ともすれば、それは形式的なものに陥りかねないですが、建築家と他分野の専門家によって練られたWSは、エンドユーザーである住民や生徒の意識をスイッチ出来る効力を持ちえます。以上のような論点を踏まえた上で、私は改めて、建築の空間や場所のもつ、都市や社会へ与える力の可能性を信じたいと、強く感じました。

文責:中山佳子

新潟市芸術文化会館りゅーとぴあ/長谷川逸子計画工房

横浜旅大さんばし国際客船ターミナル/ foa Farshid Moussavi・Alejandro Zaera Polo

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9 二日目ラウンドテーブル

50 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

「首都圏と地方の景観に対する価値観の違い」

価値観の再認識

小畠:昨日高齢化と景観について議論し、首都圏と地方都市での認識のズレがあることが分かりました。今日はそれをふまえて首都圏と地方都市それぞれの立場で意見していこうと思います。昨日は首都圏の学生からスタートしたので、今日の議論は地方の意見から始めたいと思います。昨日の流れをふまえ意見はないですか?

工藤:私は長野市で勉強しています。地方か首都圏かといえばもちろん地方です。研究室活動として、大学キャンパスのある長野市ではなく、近隣の K市で、とある物件の基本設計を行いました。建築設計に伴い、敷地周辺のフィールドワークを始めると、その街の一部は先に他の大学が調査していることを知りました。地方である長野のごく一部分で、その街の人ではない都市の大学と、地方の地元とはいえない大学がタイムラグをもって関わっていることに違和感と、不思議さを覚えました。

小畠:他大学との見解の違いをかんじたのですか?調査対象区域と、調査内容の違いもあり、そういうところもありました。他大学は街並み保存・修景の研究の成果から、対象街区の修景を成功させていると感じました。しかしそこ以外に住む人たちは自分たちの街区の風景の魅力に気付いていませんでした。設計予定敷地はそういった街区であることもあり、私たちは保存・修景には至らないくらいの細かい風景要素の抽出を行い、建築デザインに利用することを考えました。そのように風景の魅力は外から来た人が発見し、利用することで、中に居る人たちが気づくきっかけになるのではないかと思います。

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工学院大学/修士1年/小南聡美C

工学院大学/修士1年/時田寛子

信州大学/修士2年/工藤洋子

東京理科大学/修士1年/今城瞬

長岡造形大学/学部4年/佐藤舞

新潟大学/修士1年/矢作沙也香

日本女子大学/学部3年/加藤悠

法政大学/学部4年/伊澤実希子

横浜国立大学/修士1年/山内祥吾

早稲田大学/修士2年/矢尻貴久

法政大学/修士1年/小畠卓也C

工学院大学/学部4年/佐藤央一

東京大学/修士2年/藤本健太郎

東京理科大学/修士1年/木村周平

長岡造形大学/学部3年/吉田知剛

新潟大学/修士1年/長谷川千紘

法政大学/学部4年/福井健太

前橋工科大学/修士1年/中村達哉

早稲田大学/修士2年/杉本和歳

T 講師/小嶋一浩

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9 二日目ラウンドテーブル

51建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

小畠:千葉大学と見解の違いを感じたのですか?

工藤:そういうところもありました。小諸市は千葉大学の研究の成果から街並の一部はすごくきれいに整えられています。しかしそれ以外の地域の人たちはそこの風景の魅力に気づいていませんでした。風景の魅力は外から来た人が気付かせてあげることで、気づけるのではないかと思います。

藤本:地方都市の学生に質問なのですが、卒業後どういう場所で活動していこうと考えているのですか?小畠:僕は神奈川出身で学部を京都で学び、大学院で東京に戻ってきました。京都に住んでから地方について分かったことがありここで設計活動をしたいともを考えましたが、逆に入り込んでしまったら見えないことがあると考え、東京に戻りそこから地方をみてみることにしました。将来的にはまた地方に行き東京を見てみたいと考えています。

矢尻:僕は三重県の四日市市出身で、将来は東京で設計活動するのではなく戻って建築文化の弱いところで何かできるのではないかと考えています。現在地方で学んでいる学生はその場所でやっていこうと思っているのでしょうか?

工藤:私は来年から大阪で働くことになっています。周りの人を見てみると、やはり東京に出ていく人が多いと思います。しかし長野出身の人は将来的には戻ってきたいと言っていて、自分の出身地にポテンシャルを見いだしているのではないかと感じています。

佐藤(舞):新潟県は建築活動している人が少なく、地方での活動が面白いと気づいてもそこでやれない現状もあります。最終的には戻ってきたいと考えていてもいったんは外に出ないと出来ないことがあります。

杉本:現在いないならば最初の建築家としての席を狙えば良いのでは?新潟大学の矢作さん。

矢作:私は東京で就職したいと考えています。それは、これまで地方にいたので首都圏に出ることでわかることがあると思うからです。しかし、最終的にはそれを地方に還元したいと思っています。

山内:僕は最近地方の建築家もいいなと思いました。それは、そこに住みながら一つの街を少しずつ良くしていくという面白さがあるからです。

工藤:面白いとは誰にとっての面白さなのでしょうか? 私たちが面白いと感じることと住民が感じることにはギャップがあるのではないでしょうか。ギャップを埋めるにはそこに住むしか方法がないのでしょうか?早稲田大学の杉本くん。

矢尻:建築家は仕事があれば…安藤忠雄さんは世界各国で仕事をしているが常に地元大阪の景観ことを考えていると聞きます。建築家にとってどこに拠点を置くかはすごく重要なことだと思います。

小嶋:(今皆が話していることはリアリティーがあること。)メディアに出ることが建築の存在感なのでしょうか。日本の地方都市にも設計事務所はあります。しかし建築雑誌には出ていない。それは雑誌が誠実な仕事だけでは取り上げてくれないからで、メディアにのるアーキテクトになるかどうかで生き方は全然違います。 もう一つ、東京で一度は活動するかどうかについて。一回外に出ると相対的に見ることが出来ると思います。もしそういう目的で動くのならばアジアの国など違う価値観に元づいた社会に出て自分が今何をやって来ているかを考えたほうが、相対的にみるには距離がある分力強くなってくるのです。そういった意味で景観を考えるとどう対象化するのかということがテーマなり

K市Mプロジェクト/信州大学 とある施設の基本設計。保存・修景対象には該当しないような、細かな風景要素をリサー

チし、設計デザインに用いた。リサーチ結果の風景要素は、デザインに用いるだけでなく、

小冊子にまとめあげて、市民や観光客へ配布できるようにした。

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9 二日目ラウンドテーブル

52 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

ます。対象化することの反対に踏み込まなければ分からないということがあります。信州大学の工藤さんの話ですが、そういうことに気づけるのは建築について学びトレーニングを受けているからなのでしょう。

矢尻:早稲田大学の古谷研では島根県の雲南市でプロジェクトを行っています。シャッター街となってしまっている街並は地元の人も問題意識をもってはいました。1年はこちらからの提案だけでプロジェクトを進め、それなりに、賑わいました。それがシビックプライドのきっかけとなったのではないでしょうか。次の年からは市民の人たち自身が話をして企画を出すようになってきました。来年からは地元の高校生がイベントを考えるようになり自分たちが一歩引くことになりました。建築は作って終わりなのではなく地元のプライドを刺激し、何が面白いのか気づかせて自分を相対化して見られるようにすることは地方都市を救うということにつながるのではないでしょうか。

加藤:私は日本女子大で学んでいますが都市で学んでいるという意識はないです。景観が維持できるかどうかは地元の人たちの興味を維持できるかが重要だと考えています。直島のように成功している事例もありますが、建設から数年すると住民の興味がなくなってしまうものもあります。地方とか都市が重要なのではなくてそこにいる人たちの興味を引き続けられるものが良い景観になるのではないでしょうか。だから、永続的に興味を引き続けられる景観を考えることが重要なのです。

中村:今の話にすごく共感できます。前橋にある戦後から残っているビルに住んでいる人に聞いてみても生活に不自由はなく、そこをどうかしたいという意識がないです。建築を学んでいる学生がアドバイスすることも大切ですが、そこに住んでいる人たちの意識レベルを高めるようなことをすることによって自分から動けるように導くことが地方都市には必要だと思います。

小嶋:その古いビルは都市景観的に何か問題があるものなのですか?

中村:それもあります。さらにこれらのビルは使われていない階も多くあり、窓ガラスが割れたままの場所も多いです。そこが気になりインタビューをしました。

佐藤(舞):ある程度の人口密度がある場所では今のようなことは大切です。しかし中山間地域では昔ながらの美しい茅葺き屋根の風景は高齢化によって地元の人が残したくても残せない状況にあります。そういう地域では仕方なく茅葺き屋根からトタン屋根に変えてしまっていのです。住民の意識を高めても場所によっては限界があります。

佐藤(央):周りの人たちも住民も残したいと思っている風景ならば残していくべきです。しかし、住民がそこまで必要だと思っていないものは持続していかないといます。

工藤:必要か必要でないかという話をすると、建築を勉強していない人は景観ということを知らないのではないでしょうか。そこを私たちが必要と気づかせることが重要。必要よりも少し手前のいいと思わせる作業がないでしょうか。

小野:さっきの茅葺き屋根からトタンになったという話をすこし都市の立場から聞いていました。私たちからみるとそのトタン屋根も面白いと思っていました。そういうことも地元の人に気づいて欲しいです。

杉本:トタン屋根はいいか悪いかという問題より、この地域独特の屋根が最近出来た文化であり、ここ数十年で出来た新しい景観だとポジティブにとらえていました。

小畠:景観の分野を「相対化」といったキーワードの元で話が進められてきて

 前橋市の戦災復興の一貫として主要幹線街路に対して建設が行われた耐火建築物。しかし長い年月の経過によって、建物の老朽化や居住者不在等のことから、まちの景観に対して大きな影響を与えている。

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9 二日目ラウンドテーブル

53建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

います。そうすることで、今までネガティブに捉えられていた事柄を、ポジティブな見方をすることも出来ることが分かったと思います。

小南:ひとつの事柄でも、地方の学生と首都圏の学生では、違う見方をしていることがわかったことは、話としては良い方向に進んでいると思います。また、気付かせる行為もキーワードになってきているのではないでしょうか。

小畠:地域でのシビックプライドを持ったうえで、茅葺きを残す、トタン屋根の姿を残すといった、時代の流れの変化を受け入れて、その時の今の姿をポジティブにとらえていくこともありなのではないでしょうか。文化協会の方:現状の社会変化の中で、建築家はカオスに負ける。高田地区はガンギや、雪を道に落とすために工夫された建物での高さの変え方といった文化景観がおもしろいです。だが、老朽化や個人意思、経済的な問題から維持が難しいのです。建築家がなんとかしようとしても、この現状には、文化や建築家は負けてしまう、時代の流れがあると思います。だから茅葺きが良いといっても、いずれはなくなるでしょう。

小畠:このような意見もありますが、皆さんはどう思いますか?相対的に見たときには、多くの人は残したほうがいいという意見が出るが、実際はそういった現状があります。それを残すことが、地方都市を救うことなのかという話にもなるのではないでしょうか。

小南:先ほど、佐藤さんwが言ったように、維持することの難しさがあると思います。空間として、興味を引き続けられるということは、いい景観として維持出来ているということです。だから、カオスに負けていくなかで、私達がいいとする日本の景観をそのまま残すことがいい景観なのか、時代変化の中で生まれた景色も含めて、いい景観と言うのか。そういった考えが出ると思います。

文化協会の方:上越市には古い独特なつくりの家がたくさんあり、それを、遺族達は市に寄付したいという要望もたくさんあります。しかし市は、遺族が期待する維持方法にはお金がかかりすぎるといったことから、維持するのは難しいと見解を持っているのです。理想と現実では、上越市の場合はやはり大変です。だから、どんどん消えていくでしょう。町並みを維持していこうというのは難しいです。理想を討論するのはいいだが、なかなか大変なことなのです。

文責:小畠卓也、小南聡美

維持していくのが困難な茅葺き屋根

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9 二日目ラウンドテーブル

54 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

「完結しないデザインをデザインすること」

「ゆっくり」というキーワードから

吉川:私たちは昨日、建築を通してどのように地域の方とコミュニケーションしてゆくのか、という問題提起を小嶋先生からされましたね。実際に地方都市でプロジェクトを行っているメンバーが多かったので様々な現場の声がきけましたが、言葉がいろいろ出てきてまとまりきらなかったように感じます。そこで、今日は昨晩の議論で多く発言されていた「ゆっくり」というキーワードをテーマとして挙げようと思います。確認すると、昨晩出てきた「ゆっくり」という言葉には多くの意味があって、例えば、地方都市では建築が完結せず持続してゆく、つまり時間軸が「ゆっくり」であるということや、地域や伝統を「ゆっくり」ひも解く第3者としての建築家のスタンスのことでした。

高山:今朝見学した高橋先生の別荘の付近で、越後妻有トリエンナーレの話は松代あたりまでしか波及せず伝わってきていないということを聞きました。ある拠点があって、ある程度まで情報はゆっくり波及してゆきますが、それ以上はインターネットなどの、最短距離で情報を得る方法が適当であると思いました。

佐々木:「ゆっくり」とは、ゆっくり伝わってゆくということ、ゆっくり変化してゆくということではないですか?後者のように、急激な変化をよしとしないのならば、地域の中にゆっくりよりそってゆく建築の姿を目指すべきです。例えば、ガウディのサグラダファミリアにように、少し先のビジョンを見せながら常にゆっくりと変化し、いつのまにか誇りとして市民の心の中に根付いているような建築とか。

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東京理科大学/修士1年/吉川潤

工学院大学/研究生/別府拓也

工学院大学/学部4年/伊藤 慎太郎

東京大学/修士1年/斉藤拓海

東京理科大学/修士1年/佐々木玲奈

長岡造形大学/学部4年/星野智世

新潟大学/修士1年/小林成光

法政大学/修士1年/氏家健太郎

横浜国立大学/修士1年/砂越陽介 早稲田大学/修士1年/伊坂春

日本女子大学/修士1年/布留川真紀C

工学院大学/学部4年/濱田真理子

信州大学/修士1年/香川翔勲

東京理科大学/修士1年/高山祐毅

新潟大学/修士1年/吉田邦彦

法政大学/修士2年

前橋工科大学/修士1年/外崎晃洋

早稲田大学/修士2年/梶田知典

講師/千葉学

/円城寺香菜

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55建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

9 二日目ラウンドテーブル

香川:地域性や地域文化を無視してきたモダニズムは、「ゆっくり」に対して「はやい」というイメージですよね。サグラダファミリアは建築そのものがゆっくりつくられてゆくケースですが、地方都市に「はやい」宇宙船のような建築が急に生まれてゆくことへの疑問がみんなにはあるのではないかなと思うのですが・・・どうでしょう?

吉川:そうですね。そして、そういった2種類の建築を比較してゆけば、「ゆっくり」がより明確になるように思います。

円城寺:でも、私はどちらの建築にも「ゆっくり」は当てはまるように感じます。アイコニックな建物をつくってゆっくりと周辺に変化が伝わってゆくことと、ゆっくりと変化する建築をつくることと言い換えられるのではないですか?

梶田:早稲田大学の雲南プロジェクトでは、一つの施設を建てたりするだけではなく広い範囲を連携させてゆくことを目指しています。地方ではまわりを相互に補完させ合うネットワークが、「持続性」や「ゆっくり」につながってゆき、それが大きな変化を生むのではないでしょうか。

斉藤:ネットワークのデザインと同じように、地方での「距離」や「経路」はデザインの可能性を持っていますよね。都市では高密であるために何かをひとつ作っても周辺を大きく変えることはできないですけど、ぐんま昆虫の森で安藤さんが普通の森を昆虫の森に変えてしまったように、地方では周辺をまきこんだデザインが可能だと思うんです。

梶田:地域全体を博物館にしてしまうエコミュージアムという概念もありますよね。この場合、建築を建てるだけではなく、ゆっくりと地域を関わってゆき運営側にやる気を起こさせてゆかなければならない。

佐々木:でも、「経路」をデザインするというとマスタープランになってしまい、都市計画のように経路や規模を先に設定してしまうと、その外へ伝わってゆかない地域限定になってしまうのではないですか?

斉藤:僕が言った「経路」とは物理的な距離のことではなくて、例えば月影の郷では地元の野菜で食事を運んで作ってくれるような、まわりをまきこんでゆく経路のデザインのことです。盲導犬センターでのエコ・サイクリングも新しい経路をつくり出し、まわりをまきこんでいった手法と言ってもよいのではないかと思っているのですが・・・千葉先生?

千葉:僕?(笑)盲導犬センターではその地域のポテンシャルをあぶりだしたという印象を持っているかな。新しく作ったものはセンターだけだったけれど、エコ・サイクリングという新しい経路がきっかけで、ばらばらだった富士山周辺の地域の結束が生まれて、周囲に及ぼした影響はとても大きかったと思います。

円城寺:月影の郷周辺の地域でも集落内での結束が強くて、私たちも集落同士のつながりや経路をあぶりだすデザインを意識しています。

別府:あぶりだすために必要なのはコミュニケーション能力ですよね。建築家はコミュニケーションによってきっかけを提供する立場なのではないかと思います。

持続してゆく建築の姿とは

千葉:このテーブルの議論の面白いところは、完結せず持続してゆく仕組みを具体的に話しているところだと思うんだよね。建築をつくるプロセスやその後

ぐんま昆虫の森 昆虫観察館 ( 本館・別館 ) /安藤忠雄建築研究所

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9 二日目ラウンドテーブル

56 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

の運営のプロセスにおいて、「ゆっくり」ということはもちろんだけど、地域のポテンシャルをあぶりだす話であったり、部分をつないで新たな経路を生みだす話であったり、月影の郷のように途中まで作ってその後はセルフビルドで作り足してゆく話とか、多くの具体例があるはずだよ。

氏家:持続させるということは建築家の手を離れる部分が多いということで、専門知識のない地域の人々に「どういった目的でやっているのか」を伝えることがとても大切になってきますよね。

濱田:それは次につなげてくれる人と夢を共有するということではないかなと思います。時間をかけて大きなものをゆっくり完成させてゆくサグラダファミリアを例にするとわかりやすいと思います。

吉田:新潟大学の高架化による空き地のポケットパーク化プロジェクトでは、里山のみどりを公園にもちこむというコンセプトで住民とともに制作活動を行っていて、みどりや公園そのものは完結しないものであるという印象をもっています。

高山:サグラダファミリアでは作り続けているという宣伝効果が生まれていますね。実現可能かわからないけれど、建築自体が完結しない仕組み、例えばまずは人が集まれるホールをつくって、そこからワークショップを重ねて住民が愛着を持って作り続けて大きくなってゆく建築のような、こういった仕組みもひとつの方法ではないかなと思います。

砂越:皆の話を聞いていて、建築が作る対象がハードからプロセスへ移行しているのではないかと感じました。何かを完成させることが目的なのではなく、プロセスを根付かせることが目的のデザインを私たちは目指しているのではないかな。

氏家:プロセスのデザインに加えて、先ほど話に出てきた夢を共有するデザインも目標としたいです。こういったデザインを生むためには、地域の建築・祭りなどの文化を広い視野で見ることのできる地域の調査が必要になってくると思います。

香川:その地域での夢とは何かを考えるということは、千葉先生の「地方のポテンシャルをあぶりだす」ということにつながってくると思います。だからこそ、月影の郷からサグラダファミリアまで、その地域ごとにまったく異なる夢が形となってゆくのではないかな。

伊坂:今はプロセスとして完結しないという話をしていますが、地域の魅力をその地域だけで完結させないでまわりへ発信させてゆくという、別の意味の「完結しない」という考え方もありますよね。

別府:情報の発信は地方において重要度が高くて、例えば新潟では、新潟と東京でどう情報をやりとりするのか、どのようなネットワークを組み立てるのかが大切なんです。

斉藤:先ほど話に出た「祭り」は完結しないデザインのわかりやすい例ではないかと思いました。祭りの良さとは、完結しないものをつくるということと、ものを完結させないものをつくるということ、どちらも成立していることだと思って・・・月影の郷でも、小学校を完結させていないということ、さらに月影の郷自体が地域コミュニティの核となって完結させないものをつくっていますよね?

円城寺:月影の郷では外装のルーバーを毎年少しずつ変えてゆくことで、建築が更新し続けていることを周囲へ伝えているんです。いま思い出したのは、古谷先生のアンパンマンミュージアムのことで、市民がいじることのできる模型

月影の郷 外装ルーバー交換「月影の郷」外装に設置された杉のルーバーは、夏は庇、冬は雪囲いの役割を果たす。年に

2度学生がこのルーバーを交換することで、夏仕様から冬仕様へそしてまた夏仕様へ、とい

う変化するファサードが生まれている。

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9 二日目ラウンドテーブル

57建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

を展示することで建築が変化するものであることを伝えています。私たちが考えるべきことは、建築は変化するものであり完結しないものであるということを伝えるデザインを、いかに建築にとりいれるのかではないかなと思います。

香川:建築が完成した後も地域への影響を保ち続けることは持続性があるとも言えて、そのために建築ではどういったことができるのかはなかなか難しいですよね。でも、月影の郷のルーバーのように、完成した後にも完結しないデザインというのは、地域の人の手入れをまきこむ持続の方法を実現させているように感じます。

砂越:地域の人が手入れをしてゆくという話になると、白川郷の合掌造りを具体例として思い出します。あの地域では全員で屋根を変えることが伝統として残っていますが、そういった行為を新たなデザインにとりこんでゆくとおもしろいものができると思います。月影の郷でも、変化する余地がある建物であるという印象をうけ興味がわきました。

佐々木:一連の話を聞いていて、繰り返してゆくこと、更新してゆくこと、夢に向かってゆっくり進んでゆくことなど、完結しないデザインのデザインは様々であることを実感します。

砂越:月影の郷のように多くのデザイナーがいて一色に染まっていないこともひとつの手法かもしれないですね。

吉川:変化の余地があるという話もありましたよね。

別府:地方と都市を比較すると、地方では「完結しない」ということに対し建築が介入できる部分が大きいのではないですか?議論してきた様々な手法、つまり完結しないデザインは地方でより有効であると言えるのではないかと・・・。

一同:(うなづく)

千葉:「完結させない」ということは他者へ任せる部分が多いと言えるけれど、それは一方で作品を作りたいという建築家の意欲と相対する時もあって。皆は実際にどういったことが建築家としてできると想像しているのか、またどういったことに興味をもっているのか聞いてみたいな。

砂越:僕は完結しないデザインのデザインに元々興味があって、イタリアの円形劇場の残骸にくっついている家などを見ると、完結していないということを感じますね。

佐々木:私は様々な人が集まって地域を開発するモザイク状の開発に興味をもっています。

斉藤:私は建築だけでなくそのプログラムもつくってみたいと思います。そういった分野でも、いかに完結させないかということを考えてみたいです。

布留川:今日の議論は「ゆっくり」というテーマからスタートしましたが、議論を進めてゆくと、「ゆっくり」とは建築を「完結しないデザインのデザイン」のひとつの手法であることがわかってきました。この手法には、更新し続けてゆくこと、繰り返してゆくこと、夢を共有すること、ゆっくりと作り続けてゆくこと、多くのデザイナーとつくること、など様々な観点から意見が挙げられましたね。最終的に私たちが行きついた結論は、そういった多くの手法の前提として建築家が第3者の視点から地域のポテンシャルをあぶりだすという行為が必要であること、そして「完結しないデザインのデザイン」とは、都市より地方でより有効であるのではないかということではないでしょうか。最後に千葉先生から提起された問題は、宿題として皆それぞれに考えてゆければよいと思います。                      文責:布留川真紀

白川郷

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9 二日目ラウンドテーブル

58 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

「小さな景観」

時間軸で考える

横川:新潟大での川でのインスタレーションや越後トリエンナーレでは、一時的なイベントであっても、繰り返し続けることによって、周りの人にだんだんと知られていきます。その場所でしかできないことをやること、その場所だけではなく広い範囲で話すことが大切なのではないでしょうか。小さな景観について考えていることを議論していきたいと思います。

佐藤賢:小さな景観を考えたときに、建築家の職能を考え、自分でできることを話していきたいです。 形として建築を作ることもできるけれど、越後妻有トリエンナーレのようになど関わり方として、ソフトなやり方もあります。

熊谷:自分がインターンをしていた原宿では「1日」という時間軸の中でも、都市の風景がどんどん変化していきます。例えば、お弁当を買う時間帯には人が集まる、など。

長谷川孝:今研究室で活動をしている弥彦村(神社が有名)では、温泉があり、ちょうちんをもって歩く、というイベントがあります。人がちょうちんを持って歩くだけでも風景は変わります。地方では、お祭りも「1年」というスパンの時間軸の風景の一つと言えると思います。

○○:妻有など過疎になっていく地域では、人が住まなくなり、家が汚くなったり壊れたりします。それを近くの人が関わりながら、アートを展示したりします。お祭り後も、お祭りでできたアート作品が残り、風景として蓄積されていくのではないでしょうか。

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C

T

東京大学/修士2年/横川美菜子

工学院大学/研究生/秋山照夫

工学院大学/学部4年/長谷川公彦

東京理科大学/修士1年/佐々木俊一郎

長岡造形大学/学部3年/長谷川孝文

新潟大学/修士1年/佐藤貴信

法政大学/修士2年/小野裕美

前橋工科大学/学部4年/武曽雅嗣

早稲田大学/学部4年/小堀祥仁

東京理科大学/修士1年/村山圭C

工学院大学/学部4年/山内響子

信州大学/修士1年/立野駿

東京理科大学/修士1年/中村大地

東北藝術工科大学/修士1年/黒田良太

日本女子大学/学部4年/青柳有依

法政大学/修士1年/熊谷浩太

横浜国立大学/修士1年/佐藤賢太郎

早稲田大学/OB/丸山傑

講師/山代悟

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59建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

青柳:自分が参加した「やねキノコ」では、たくさんの家の模型を並べて展示しました。最終的には、模型を家の人にすべてあげてしまったので、何も残らなかったけれど、まだ「そこにある」という感覚が残っています。自分がその場所に関係していたことが残せたと思います。

横川:今までの話から、木の傷など目に見えやすい「蓄積される風景」と、やねキノコなど消えてもそこにあるように感じる「消える風景」の二つの風景が出てきていると思います。 山代:昨日のレクチャーの内容は「消える」方。消えるけれど残る「音楽」のようなものという考え方もあるかもしれません。この場所で何かやってやりたい!という意欲の沸く場所を発見したり、作ったりすることが皆さんの仕事ではないでしょうか。

佐々木:1日のスパンで見ると、夜景は誰もコミットしていないけれど、実は誰もがコミットしています。1日なら夜景、1ヶ月ならトリエンナーレというように、あるスパンによって消えるものを考えていくとよいのではないでしょうか。また、棚田やカーブした道は、別の場所から来た人々にとっては新鮮で感動できるが、地元の人にとってはどうでもよい。このギャップについて考え、お互いがコミットしていく方法を考えていくことが大切なのではないでしょうか。 中村:地方都市では、田んぼの中にショッピングモールが突然現れる風景がよく見られます。高齢化社会を考えた時に、移動手段がなければショッピングモールには行けないので、50 年後には廃虚になる可能性があります。ショッピングモールを倉庫や廃墟にさせないためには、建築ができることがあるのではないでしょうか。

村山:使われなくなっていくもの、という話が出ています。小堀君、プロジェクトについてお願いします。 小堀:早稲田古谷研のプロジェクトで、島根県の100mの商店街に、お祭り時に100mの長いテーブルを設置しました。一時だけれど、テーブルを介した交流をきっかけとして、崩れかけたコミュニティを取り戻すことができるのではないか、と考えました。イベントが話題となって、徐々に広がっていくのを感じています。 横川:このようなイベントを一点だけではなく、広げていくためにはどうすればよいのでしょうか? 山代:地元の人は、棚田の美しさに気づいていないだけ。空いている棚田を使って、何かできればいいのではないでしょうか。

横川:ある一点だけに何かをするのではなくて、広がる棚田に何かをすると、頭の中で棚田のイメージが広がります。広がりを目で確認できるし、頭の中で「ここまでが棚田の地域」など認識することもできるかもしれません。 山代:田んぼの中にイオンがある状況は、すぐには曲げられない状況です。私は普段の買い物はイオンなど大手にまとめて買いに行くけれど、食事に関しては街の居酒屋、眺めのいいレストランなど、小規模な場所を選択します。そういう場所に小さな景観の、リアリティのある可能性があるのではないでしょうか。

消える景観 集落の安楽死 

長谷川公:トリエンナーレのようなアートイベントだけでは、都市では通用し

雲南プロジェクト さくらまつりイベント企画/早稲田大学古谷研究室 2007 年より島根県雲南市を舞台として活動する一連のプロジェクト。少子高齢化を背景

とした市町村合併の起こる中山間地域において公共施設やこれに準ずる施設のあり方とし

て、新しい像を発見しようとする試みである。内閣府より受託した「都市再生モデル調査を

事業」からスタートし、それぞれの施設に対して行った提案の中の一つが『さくらまつり』

として実現した。商店街に並べた 100 メートルのロングテーブルの企画(写真)や、空き

店舗を利用した内装計画やプロダクトデザインなどを行った。現在は、築 100 年以上の空

き家を雲南市の食の魅力を伝えるオーベルジュに改修するプロジェクトへと展開している。

(2010 年 3月オープン予定)

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ても、地方では弱いと思います。実際に若者が滞在し、中に入り込むためには、ソフトな面でのもっと力強いものが必要だと思います。アートだけでは活性化させることはできないと思います。そもそも、この街は必要か?この街がなくなって困るのか?ということが一番初めにある問題ではないでしょうか。 長谷川孝:都会の人がやってきて棚田に感動し、この町を「残したい」と思っても、実際に住んでいる人は減ってきているのが現実です。山起こしでコミュニティセンターをつくっても、継続するのはとても難しい。中山間地で、少子高齢化が進み、人口減少していく今、町自体を消していってもいいのではないでしょうか。必ずしも、今あるものを残す必要はないと思います。 長谷川公:人が減り、家がなくなっているっていう事実を認め、本当に残したいのであれば、もっと劇的な何かをするべきだと思います。そうでなければ、潔く、「この街はもう要らない」と割り切り、若者は外に出て行って、高齢者だけが残り、滅びていくのがよいのではないでしょうか。

横川:町の終わりはどのように来るのでしょうか?最後にどうしても残る人がいると考えられるが、その人たちに対してはどうするのでしょうか? 長谷川公:町が都市機能として成立しなくなるので、皆が外に出て行って終わります。残りたい人は自給自足で残ればよいと思います。そこには関与する必要はないと思います。

横川:いくつかの村がなくなると、だんだんと一つの場所に集約していくと思われますが? 長谷川孝:実際の問題としてすでに起こっています。集落は点在していて、ひと世代しかいない集落もあります。そのような集落では、車を持っている人が死んでしまうと、街が機能しなくなってしまいます。今は、いくつかの点在する集落を、一つの大きな集落にまとめようという動きがあります。必ずしも今あるものを残す必要はないと思います。

佐藤貴:長谷川さんの主張は「都市化すればよい」というように聞こえます。場所には場所ごとのよさがあり、なんでもかんでも都市化するのがよいとは思えません。

長谷川公:その通りだと思いますが、場所のよさは、住んでいなくても、都市に住み、その場所に行けば感じられるものだと思います。

横川:だんだん「都市とその他」というように、二極化してくる可能性があると思いますが?都市が線でつながっているのではなく面的に広がっている方が、全体として成立するのではないでしょうか。間に住んでいる人がいることが安心感につながるのではないかと思います。

長谷川公:自分のように地方から都市に出た人は、その地方にいるのがいやで都市に出ていくことが多いと思います。地方に人がいる方がいい、というのは都市に住む人側の押し付けなのではないでしょうか。

佐藤貴:しかし、それでもその場所に住み続けたいという人はいるので、その場所のよさについても考えるべきではないでしょうか。

長谷川公:その場合は、トリエンナーレでは少し弱いので、もっと考えるべきだと思います。「都市化」が大切なのではなく、アートだけに頼っている状況はよくないと思います。

山代:人口を増やすためのデザインもあるが、「どう滅びていくのか」もこれから重要なデザインだと思います。内藤廣さんも、「都市の安楽死」と書かれ

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9 二日目ラウンドテーブル

61建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

ています。トリエンナーレでは、経済的効果は薄くても、土地に対する誇りが残ることに意味があると思います。都市の間に人が全くいなくなってしまうと、国のシステムが破綻してしまいます。合理的すぎるモデル化は危険だと思います。

点としての建築から 景観のネットワークへ

村山:越後妻有トリエンナーレは、期間の間だけではなく、開催前後で変化があることに意味があると思います。消えていくという大きな流れだけを促進するのではなく、自分のできる小さなことから始めてはどうでしょうか。議論の最初の方に出ていた「木に傷をつける」ような、自分がそこにいる証を作っていくこと、そのきっかけを作っていくことが今求められているのではないでしょうか。

熊谷:都市の人と地方の人の認識のギャップがあるので、アートは人を住まわせる動きにはならないかもしれないけれど、アートが置かれることでその場所が認識される、というのは意味のあることではないでしょうか。

横川:今、アートイベントはある程度認知されているので、次に何をするか、を考えてみたいと老います。例えば、自転車やシャトルバスなどの交通を拠り所として考えてみてはどうでしょう。

村山:場所と場所の間の風景は、普段は通り過ぎるだけで見過ごしてしまいがちだけれど、シャトルバスなどでつなぐと、バスの中から眺める視点、走っているバスを眺める視点など、さまざまな立ち位置が生まれます。

横川:背景の中に点だけが出てくるのではなく、シャトルバスなどの点線を作ったり、エリアやイベントに名前をつけたりすることで、新しい場所の認識が生まれるのではないでしょうか。

黒田:移動と風景に興味があります。フランスからスペインの間や、四国の巡礼路など、歴史の中で移動するという人の行為の集積がその場所の風景として認識されています。越後妻有トリエンナーレでは、車で回ることが多いが、間の場所を素通りしてしまっています。自動車の移動をもう少し変えられないかと考えています。

秋山:素通りの場所を認知してもらう、ということは大切なのではないでしょうか。車であれ、シャトルバスであれ、小さいものでもよいので「見る装置」を点在させるのはどうでしょうか。

佐藤:トリエンナーレを自転車で回ったが、急な坂、山の地形、緑の見え方など、車の中からでは普段意識しない部分に気づくことができます。自転車で山を登るのは、普段やらないことではあります。

村山:自転車レースなどは、普段やらなくても、「レース」だといえば参加する人はいます。強制的にやらせるような装置が存在すれば、強いと思います。

山代:文明は「役に立つ必要なもの」で、文化は「役に立たない必要なもの」と書いた人がいます。自動車は楽をするための文明で、お金にもならない自転車レースは文化。役に立たないものを取り込んでいくことに、人間としての楽しみがあるのではないでしょうか。

文責:横川美菜子

月影プロジェクト 越後妻有トリエンナーレ やねきのこ本作品は豪雪地域の屋根形状をモチーフとして、河川公園に 170 個のコンクリート模型を展

開した作品であり、それぞれの模型は敷地である浦田地区の住居を一軒一軒再現されており、

浦田の縮図となるよう配置されています。

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10 トークを終えて 学生

62 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

建築トークイン上越がもたらしたことを語る①

トークを終えて。〈 72名の学生の声〉機会に積極的に参加することで、少しずつ自分の考え、意見に自信を持って発言できるような知識と経験を身につけていきたいと思います。

小さな景観を考えて/木下研究室/長谷川公彦 私たちの4班(初日千葉先生、二日目山代先生)では、中山間部地域を救うと題した大きなトークテーマの中から「小さな景観」というキーワードをもとに話し合いました。 「小さな景観」とは、地域活性化のために一人一人ができる行為のことで、具体例として自転車でのツーリングを通して地域ごとを繋ぎ、活性化の足掛かりにしようという案が上げられました。個人的には、この議論の中で山代先生が述べられた「都市の安楽死」という言葉が印象的でした。この言葉は、初めから地域活性化のためにだけでなく、ゆるやかに後退させ、終わらせていくという新しい考え方を僕に与えてくれました。現在、経済的・社会的に逼迫した地域が日本中に溢れており、このような地域を全て救うことは難しいと思います。個々の地域において地域活性化の議論の前に、本当に再生を計るべきなのか、それとも緩やかに終わらせていくべきなのか、そこから議論を始めないといけないと今は考えております。 最後に、議論をリードしていただいた各校の代表者の方々へ感謝を申し上げて感想とさせていただきます。

建築、人々とのコミュニケーション/木下研究室/伊藤慎太郎 トークインに参加する前は、地方都市を救うためにはどのような方法があるのか、疑問に思っていました。建築をハードとソフトという 2面に分けて考えると、今回はソフト面を重点的に議論したように感じます。その中で、YGS-A や早稲田大学の地域活性化プロジェクトなどの具体的な話を聞き、建築を作る際には住民との直接的なコミュニケーションが重要であるという事が理解できました。また、住民の話を聞き入れながら作り上げるボトムアップな進め方は、時間をかけ、皆で共有できるビジョンを少しずつ作り上げる民主主義的な方法で良いなと感じました。建築が出来上がったらそこで完結ではなく、あえて完結せず、更新し続けるという建築のやわらかいあり方が求められているのだと解りました。つまり、月影の郷のような、建築と人々が絶えずコミュニケーションをとり続けられる建築が、地方都市を救う一つの可能性だとトークイン参加を通じて思いました 。

未来につながる議論/木下研究室/宇賀神亮 今回このような多大学の学生が参加するイベントに参加できたことをうれしく思います。 議論をする中で地方の学生の話は興味深く、東京の学生が空間論主体の建築設計に時間を費やしている間、彼らは地元に寄り添いながら街づくりに関わり、現実の建築、地域の人々を通じて実社会と関わっていることを大変羨ましく思いました。 東北芸術工科大学の方からは山形 R不動産といった、都市再生に関わるプ

■工学院大学/東京都

建築トークインに参加して/木下研究室/小南聡美 地方都市を考えるという大きなテーマからどんなディスカッションが生まれるのだろうと楽しみに参加しました。私のテーブルでは2日間を通じて景観について議論が行われました。今回、地方の大学の学生の方と短い時間ながら話しをし、景観という1つのテーマでこんなにも考えていることことや価値観が違うことには驚きました。話しの中で首都圏や地方や関係なく人の興味を引き続けられるものが良い景観であるという話しがでましたが、地方と首都圏という違う立場から話しを続けて共通の一つの答えにたどり着けたことは大きな一歩だったと思います。しかし、これは景観を考えるというテーマのいくつもある答えの中の一つでだと思う。今回のトークインは時間も短くテーブルコーディネーターという立場もあり、発言が少なくなってしまったのが残念です。

建築トークイン上越を終えて/木下研究室/時田寛子 今回このようなワークショップに参加をし、今まで体験したことのないものでしたので、たいへん貴重なものでした。まず、私達工学院大学の学生は新宿という便利な地にありながら、他の大学の方々はもちろん、他の研究室の方、友人とでもあまり討論というものを行ったことがないということを実感しました。他の大学の方々は自分の意見を言い、有意義な討論の経験が豊富であり、そんな中に混じるといつもに増して緊張してしまいました。私はもともとプレゼンテーションや人前で話をすることにとても苦手意識を持っていたので、この機会に今後につなげることができる糧を身につけたく参加したのですが、まだまだ勉強不足でもあり、先生方の話や皆様の意見をメモすることが精一杯となってしまいました。もうひとつ今回非常に貴重であったのは、地方都市の人々、実際に地方都市の中、私達と同じように大学で建築を学んでいる方々の生の声を聞くことができたことでした。地方都市のこと、さらには私達の接点のない都市はすべて、なにも知らない事実を知りました。人事なのか、遠い遠い国のようにしか考えてなかったのです。それはこの「建築トークイン」に参加をしなければ誰しも気付かないことだったのです。やはり今回のワークショップを終えて、苦手意識は払拭されませんが、様々な

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10 トークを終えて 学生

63建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

が中山間地で私たちができることである。話し合いの中で出てきた「シャトルバス」。意識されていない場所を意図的に巡るというのは一つの方法としてありえると思う。中山間地の持つ豊かな自然を通り道としてではなく意図して見せる。その手法の創造が求められているのだと感じた。

トークイン感想/木下研究室/近藤巨房 今回のトークインは非常に勉強になりました。前もって議題が出されている課題にとって社会的な問題から建築的な問題への還元を消化しその上で先生方が出された取り組み姿勢に対していかにして答えるかを個人的な意見をまず持つところまでのレベルに達する事の難しさと共にそれを共有する上での楽しいトークを来年は出来るといいなと思います。自分の意見としては過疎化の問題を定住化ではなくリピーターを求める事からの視点という意見が面白いと思ったので、そこから地方都市の古い街並みなどは東京などと比べるとビフォアアフターのような体験が出来るところが魅力の一つとして取り上げます。しかしトリエンナーレのように分散した形ではなかなかその魅力を引き出すのが難しいので交通手段として利用される車から楽しめるような点と点を繋ぐような取り組みをしたら良いのではないのかと思いました。

建築トークイン感想/木下研究室/濱田真理子 今回の新潟トークインは、とても有意義なものであったと思います。特に月影プロジェクトに実際に関わっている方や新潟や長野の学生さんと議論できたことは、今まで地方都市に対する考えをあまり深く持ったことがなかった分、実状を知り考える良い機会になりました。また、他校に友達の輪が広がって、全体を通して楽しむ事ができました。どのような結果に繋がるのかはよく見えていませんが、今後も継続して地元の方々に刺激を与えられるようなトークインになって欲しいと思います。

ロジェクトの話を伺い、さらに山代悟先生から「そのようなプロジェクトが将来に仕事となりえるか」という重要な課題を投げかけられました。今後、建築のビジネス化が進むことが期待でき、建築が地方都市にとってのキーになりえると思いますが、それについての議論まで至らなかった点は残念でした。 地方都市の復興と実状、今後の建築家像など未来を意識し建築を考える上での広い視野を獲得できたことは今回のトークインでの成果だと思います。

建築の可能性/木下研究室/別府拓也 「地方都市を救う建築」というテーマで始まった今回のディスカッションは建築の中身をどう利用するかというソフトの話が終始多く語られたように感じられました。単にソフトといっても実際は振れ幅が広く、いろんな話を行き来しながら討論を続けてはいたが、そのうちに地方都市の持っている首都圏にない可能性というものに考えが収束した手応えがあった。それは人間が手のだせない自然現象の作用で、これに対し土地性を見出すことで、改めてここでしかあり得ない建築が認識され、これに対し、今そこに住まう人々がどう振る舞っていくかという行為に建築家が新しい切り口を加えられるのではと考えた。

議論から見えたもの/木下研究室/佐藤央一 地方都市における景観の問題。高齢化社会にどう対処していくかという問題。どちらも今後日本社会の主要な課題であり、容易に解決できないことは明白である。 この二つの難題を投げかけられた私は当初、正直に言ってその問いかけ(キーワードが二つあること)に戸惑い、思考を前に進めることができなかった。月影で交わされた議論も明日何を議論するべきかという議論が中心だったように思う。このことが何を意味しているのか。学生にのみの現象なのか。この議論のやりづらさの元が何に由来するのか。木下先生が出した課題は意外な問題点を明るみにしたように思う。

建築という活動/木下研究室/山内響子 今回のテーマである「地方都市を救う建築」という問いに対して、新潟(新潟市)出身の私は、とても興味をもってトークインに参加しました。 私の参加したグループは、「景観」という大きなテーマに対して、「小さな景観をつくる」ことをテーマに話し合いが進んでいました。その議論を通して、「建築」は、地方都市に大きな影響力を与えることはできるが、それだけでは「救う」という力までは持ち得ないのだと感じました。新潟の大地芸術祭のように、新しい建築がそこに生まれることで、より多くの人を地方に呼び込むきっかけになるかもしれません。しかし、そこを訪れた人が、その場所に魅力を感じ、愛着を持ち、また訪れたい、さらには住んでみたい!と思えるきっかけは、そこで生まれる人とのかかわり合いのなかにあり、その関係を「小さな景観をつくる」活動によって生み出せるのではないかと思いました。他のグループが発表していた「ゆっくり建築をつくる」など、建築を完結した目でみるのではない考えは新鮮で、今後も自分なりに考えを深めていきたいと思います。

目的地と通り道/藤木隆明研究室/秋山照夫 過疎化していく中山間地がどのように存在していくべきか、あるいは、どのように朽ちていくべきか、それを「小さな景観」(個人~研究室単位で可能な街並みに対する働きかけ)をキーワードに考えていくなかで、地方都市には、ある目的地と、その目的地への通り道という強い性格分けが生じていることが問題であることが分かってきた。都市部から訪れる人にとって、中山間地は通り道としてただ通り過ぎる場所となっている。そのただ漫然と通り過ぎる場所をいかに意識させるか、そこにどのように「小さな景観」を形成するか。それ

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10 トークを終えて 学生

64 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

■信州大学/長野県

自分の街・他人の街/坂牛研究室/小倉和洋 討論の間、「他人の街に対して意見する意味」を時々考えていました。上越はやはり、他人の街でしかありません(上越の話はありませんでしたが)。街をよくすることはよいことだと思います。しかし、それが他人によってつくられた街であるならば、テーマパークと同じです。今の時代それでいいのかもしれません。しかし、街があってそこに人が住むのか、人が住むことで街がそこにできるのかを考えると、街とは後者のものです。そうであるならば、必要なことは「良い街を作る」ことではなく住む人が「自分の街を良くしたい」という意識を持つことです。街を作るのは建築家ではなく、住む人です。 では、そのときの建築家の役割とは何なのでしょう。それは遠くの方からたまに来て何かをやるのではなく、自らも住む人間としてその街を良くしたいと意識することだと思います。それは地方や都市という区別はなく、東京なら東京に住み続けることが大切なのだと思います。

建築トークイン感想/坂牛研究室/香川翔勲 地方の都市と建築を考える上で、僕たちのラウンドが設定したキーワードは「ゆっくり」でした。これは、現状の都市や周辺環境を考慮せず一足とびに建築を作ることへの疑問から生じたキーワードであったと思う。こういったキーワードから始まった議論を経て、今僕が必要と感じていることは「日常」の再解釈である。ただ目にみえるものだけでなく、普段何気なく起きている全てのことを考え直すということである。今までごく普通なものとしてあったものを違った視点でみる必要があり、それを利用・応用していくことは僕たち、建築を学んでいる学生にとって重要なことであるように感じた。

建築トークイン感想/坂牛研究室/立野駿 私のラウンドテーブルでは「景観」についてのディスカッションをした。その中では正しい答えなどはあり得ないが、東京の大学と地方の大学の学生でディスカッションできたことは有意義であったと思う。私は学部時代、東京理科大学に所属し、大学院で信州大学に入学したためか、特に印象に残っているディスカッションは「地方の大学と東京の大学との差」についてのディスカッションであった。私なりの意見だが、地方の大学というのは、独特のフィールドを持っており、地域と密着した活動・研究をしていると感じている。東京は、著名な建築家が設計した建造物、建築関係の数多くの本が置いてある大きな図書館、有名な建築事務所など地方よりも圧倒的に多く、いろいろな刺激を多く受けられると思うが、地方だからこそできる、地方でしかできないことという大きなメリットを信州大学に来て感じている。

職業としての “遊び ”/坂牛研究室/大日方由香 今回の議論の中で、山代先生から “ワークショップなどの活動を職業として続けていく事ができるか ”という問いかけがあった。議論全体を通して建築家と地域の人々との関わり合いは必要なのだという意識を多くの学生たちがもっていたように思うが、私はそうした “ソフト ”としての活動を “職業 ”とすることは困難であるが、それは建築家としての活動に必要な “職能 ”という面をもっていると感じた。その他には、ワークショップの内容もよく考えられた物でなければ意味がないという話もあった。そうした議論全体を通して、これから地方都市に建築を作る際に必要な工程になるであろう地域住民との交流を、自らが先導していくこと、そしてそれを単なる形式ではなく、建築にとって意味のあるものとして成り立たせることなど、ある意味コミュニケーション能力といえるようなものが必要なのではないかと思った。

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65建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

 建築にできる「消える」デザインという点が興味深かった。私は日ごろ、何か新しい形を「作り出す」ことで、何か変わるのではないか、と考えがちである。インスタレーションは会期が終われば音楽のように消えてしまうが、消えた後も記憶の集積として残る。「もの」としての蓄積だけではなく、「記憶」としての蓄積も大切なのだと意識することができた。また、山間地で少子高齢化した集落を安楽死させるなどの意見は、「すべてを残す必要はない」という地方出身者から出た意見だった。より現実的な同世代の価値観に接することで、自分の立ち位置をもう一度考え直すよい機会となった。「消す」デザインの話は山間地に関する議論からでた話だが、都市部にも当てはまる話だと思う。「作る」と 「消す」のよいバランスと方法を考えていくことをこれからの課題としたい。最後に、つたない司会の中で発言をしてくださった皆さん、先生方、ありがとうございました。

■東京大学/東京都

大きな宿題/千葉学研究室/斉藤拓海 僕たちの班では、まずそれぞれが普段行っている、街と連動して行っている設計について話し合い、そしてそれらをきっかけにして、地方都市に眠っているデザインの可能性はどんなことがあるかを話し合った。しかし、そのそれぞれ異なる具体例からなんとか「完結させない」というキーワードを紡ぎだすことが精一杯で、今度そのキーワードがどのように実際にデザインとして実践されるかは話し合うことができなかった。 そのように固有解と一般解を行ったりきたりすることでデザインを考えるということは、思えば普段の建築の設計課題のようでもあり、僕たちはその課題がようやく見つけられたような段階であったように思う。そのため当日は、もう少し時間がとれれば面白くなるのに、という気持ちが強かったけれど、一方で今また冷静になってみると、大きな宿題が残されているなあとも思う。それにどう答えていくか、これからじっくりと考えてみたい。

建築ができること/千葉学研究室/高田彩実 チームでの話し合いの過程で、他大学の方々の取り組みについてお伺いしました。都心部の学校ばかりではなかったため、単に地方都市で活動を行うだけでなく、それよりも身近に都市再生を考えている方がいらっしゃったのが、興味深かったです。ただ、それぞれのプロジェクトの狙いやその意義は地域差こそあれ共有できたのですが、短時間だったこともあり、それが実際にどう動いているのかを見当しにくかったようです。中山間に対して、何ができるかとそれを実行するためのマネージメントと同時に、私たちの力でできる構築的な方法を考えてみることの難しさを感じました。どちらもとても大事なのですが、今後様々な人と関わる上で、どのようなポジションで参加することができるのかをもう一 度問い直したいと思いました。

地方と地方都市と東京(首都圏)/千葉学研究室/藤本健太郎 議論をしてみて、興味深かったことは、地方と都市という分け方が各学生によって違うという点であった。長岡や金沢などは東京の学生から見れば地方であり、その近県に住んでいる学生からすれば地方都市であり、さらにその地方の山間地域があるということだ。それらの使い分けが学生同士できてなくて学生同士の議論が噛み合っていなかったが、小嶋一浩先生にそのことを指摘されてその後、我々のテーブルでは地方山間部の景観について議論がシフトされていった。議論の土台となる最低限のプラットフォームは各人が発言をする前に共有していおいた方が良いと感じた。

「消える」デザイン/千葉学研究室/横川美菜子

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性化させるために建築やアートはどうあるべきか、という文脈で語られることが多かったように思います。しかし、どうやらそのような方向で中山間地域を考えるのは無理があるし、むしろ「活性化を見据えない」建築の在り方があるのではないかと考えています。この考え方は従来の建築の存在意義と大きく矛盾します。しかし、従来の枠組みの向こう側にこそ新たな建築像があるのではないでしょうか。

完結しない○○/小嶋一浩研究室/佐々木 玲奈 グループでの初日のトークテーマ(「建築は都市を救えるか」)から派生したキーワード「(地方都市における建築のイメージとしての)ゆっくり」が二日目の学生主体の議論のトークテーマとなりました。地方都市において、完結させない建築のデザインが都市部に比べてより有効であり、その方法の一つとして、「ゆっくり」があるということが浮き彫りになりました。 特に議論中に出た「完結させないプロセスの設計」という言葉は非常に興味深かったです。それは土地固有の様々な媒体変数をくみこんで更新されていくようなダイナミックなものになる予感がするからです。「完結しない」という概念にも魅力を感じました。 最後になりましたが、建築トークイン上越に参加させていただき、他大学の学生の方や先生方とのセッションを体験し考え方の幅を広げられる機会に恵まれました。関係者の方々にこの場を借りて感謝の意を述べたいと思います。ありがとうございました。

未完であることの可能性/小嶋一浩研究室/高山 祐毅 今回、「中山間地域を救う建築」という議題で 2日間に渡りディスカッションしていったわけだが、あるキーワードをもとに話は進んでいったように思う。あれから少し時間が経ち、自分の中で「未完」という言葉が浮かんできた。それは継続性という意味の未完であり、ハードやソフトを包括した、かなり漠然とした言葉である。建築家がただ建築を設計すればいいという考えはどうも通用しないらしい。その建築が地域にどう受け入れて貰うかとか、これからどう関わっていくかとか、そういった部分のデザインの重要性と手法に「未完」という言葉が絡んでくる。未完とは何か。それは手法であり、実際的に建築そのものに地域住民が関わることのできる余地であるのかもしれない。東京のように気付くと新しいビルが建っていたというようなことでは、ここでは建築は廃れるだけである。

地方都市の風景/小嶋一浩研究室/中村 大地  地方都市について議論していく中で、地方や郊外を食い散らかすロードサイドの風景の話が出た。ジャスコなどの巨大ショッピングモールの出現によって、農村地帯が都会並みの消費生活を獲得することになった反面、中心市街地では商業的衰退をもたらし、その問題は年々深刻化しているという。数十年後の撤退時 には郊外の風景の中に巨大な廃墟を残すことになり、結果的に経済・景観・コミュニティーなど数多くのものを破壊する可能性があるというわけである。人口縮減の時代をむかえはじめた今、消費システム自体の組み替えを考えていくと同時に、建築の側面から出来ることを提案していかなければならない時期にきているのだと強く感じさせられたトークインであった。

建築家の職能/小嶋一浩研究室/松本 透子 建築家の職能、及びワークショップの許容範囲についての話が印象的でした。建築家が周囲の理解を得るために開くワークショップが、学生主体になると「お祭り」的なイベントに変わってしまいます。地方には既に祭がたくさんあり、これ以上のイベントは必要なく、また建築家の職能にイベントデザインは入っ

■東京理科大学/千葉県

建築家にできること/小嶋一浩研究室/井上 雄貴 今回の議論の中で私は、建築家が地方と都市部に対して建築を設計する際にどのような相違が生じているのかというテーマに強い印象を抱いている。東京のような大都市と中山間地域のような地方都市とでは既存環境の意味合いも変わり、また景観に対する重要度が違うと考えられる。多くの仕事を都市部の中に抱え、活躍している建築家がこれから中山間地域に対してどのようにその地域の住民、景観、既存環境にアプローチをしていくかが重要なテーマになってくるのではないだろうか。地方の建築は地方の建築家が考えればいいという意見が議論中で出る一方、やはり、千葉学さんの盲導犬センター、大規模な例では熊本アートポリスが地域に密着した良い結果を生み出している。このようなことから、建築家が都市部だけでなく地方にも広い視野をもって介入していくことで新たな環境を作り得ることができると再認識した。

上越讃歌/小嶋一浩研究室/今城 瞬 2日間にわたり議論を重ねていき、様々な問題が浮上してきました。初日の議論においては、まず参加者がテーマに対してどのような理解をして、どのような態度で臨んでいるのか、という意識が各大学において全く異なっていたこと。2日間という短い時間の中でなにかを生み出そうとする時に致命的なことではないのか。やはりもう少し早い段階で、共通の意識や態度をそれぞれが確立し、トークインに臨むことが今後の課題ではないだろうか。内容に関しては、直接現地へ赴き、地元の大学の方の意思を聞き、感慨深いものがありました。1年に1度ではとてももったいないのではないでしょうか。

首都圏と地方都市/小嶋一浩研究室/木村 周平 今回、地方都市を救う建築という解決が困難な議論の中、私たちのテーブルでは首都圏と地方都市という全く異なる二つの視点から議論の収束に向かいました。その中でも、地方都市の郷土愛に偏った意見(住民主体の都市計画というシビックプライドとは別のもの)が中心となりましたが、各々の原風景を語り合ったように、今回は各都市から集まった若い世代の人達が解決に向かって意見を共有することに、トークインの意義があったのだと思います。

活性化を見据えない建築像/小嶋一浩研究室/佐々木俊一郎 ある東京の学生から発せられたトリエンナーレのようなイベントへの疑問に対する、山代先生の「ゆっくりとフェードアウトさせてゆく」という言葉が印象的でした。建築やアートイベントは自動的に「活性化」を期待され担ってしまう性質をもっています。そのため、これまでの議論では、元気のない町を活

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ていないのでは、という話でした。祭があるからイベントはいらないという考え方は極端すぎるきらいがありますが、学生主体ワークショップは「学生」である数年間を愉しむアイテムのようになってしまっている気がします。建築事業と理解を得るためのワークショップ、建築を利用したイベント(ワークショップ)の関係を今一度真剣に考えなければならないと思います。この問題を乗り越えた所に建築家の新しい道が開けているのかも知れません。

無題/小嶋一浩研究室/村山 圭 テーマとして、景観、建築家の職能、関わり方の時間軸、都市との関わり合いの4つの点をあがった。それベースに議論に入るのだが、大半を景観というキーワードについて話していく事になる。 都心ではなく、新潟における景観。ロードサイドにおける、画一的な建築の存在。点で存在する建築家による建築、その建築をつなぐネットワークの在り方。即効性のある活動、長い時間をかける活動、そして、トリエンナーレに代表される周期性を伴った活動がもつ、時間軸。 数々のトピックへと議論が発散していくなか、個人のレベルでみる ”小さな景観 ”を軸に議論が発展していく。 時間軸との関係性を捉えつつ、結論がでないまま議論は終了を迎える。議論の深みに入ろうにも、ボクら学生が持っている言葉は少なく、また話を整理していくのではなく、ピントがずれてしまう事に問題が生じるのではないか。 これから先に議論を深めていく機会が重要視され、その次に何をすればいいのかを考えるきっかけとなったことが今回の議論からいえるのではないか。

建築家としてのコミュニケーション/小嶋一浩研究室/吉川 潤 コミュニケーションをしながらデザインしていくということはもはや前提的である一方で、建築家としてどういう立場で地域に入り込んで行くかという議論に興味がありました。建築家としての専門性が地域の期待になっているのであれば、私達はどのようなことを考え設計につなげていくべきか非常に考えさせられた。 設計もただ単に進めて行くのではなく、どういう形で建築を地域に手渡すことができるのか。今回のトークインでは完結しない建築の設計という結論に至りましたが、これをどう解釈していくべきなのかいろんな意見を交えることができたし、私達の今後の課題へ繋がる非常に感慨深い議論ができ良い経験ができた。 

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■東北藝術工科大学/山形県

地方都市で学ぶ建築学生としての役割とは/馬場研究室/山本将史 まず、今回建築トークイン上越に参加させて頂いて大変感謝しています。日頃全く接点のない東京の学生、他県の学生と一緒にディスカッション出来たことは自分達にとって貴重な体験となりました。今回のテーマは「地方都市を救う建築」というテーマでしたが、上越と私がいる山形と自然環境や町の状況が似ており、そこについての意見を他の地域で生活している学生から聞けたことは参考になったし、山形に住んでいる自分達だから言える意見もあったと思います。こういうディスカッションが様々な地域の学生達で行われることは地方都市にとって今後、発展の可能性が広がるのではないかと感じました。また機会があったらぜひ参加したいと思います。

視点の違いの可能性/馬場研究室/黒田良太 とても有意義な時間だった。 地方で学び、街と関わる側にいるから、都市圏で学ぶ人との話は刺激的だった。また、地方と都市圏の学生が目の当たりにする地方の現実は、感じるものが違うが、その視点や考えの違いが、地方を深く考えるには必要なものだと気付くきっかけになった。

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■長岡造形大学/新潟県

大都市と地方の学生/長岡造形大学山下研究室/ケ・エムイフテカル・タンヴィル 僕はバングラデシュから参りました留学生で、建築トークインみたいな活動に参加するのは初めてでした。経験としてはすごくいい経験だと思います。僕は今、地方の大学の建築を学んでいる学生なんですが自分の国では大都市の学生でした。日本の大都市の建築学生との交流は面白かった。言葉の問題であまり議論ができていなかったけど、本当は私はここで自分の意見を出せない方がいいと感じています。私の国で大都市以外建築の分野が無いですけど、日本では地方の建築文化はすごく強いだと感じました。だから地方は、地方的な特性を持っているので、地方の事理解できない大都市の考え方は地方に持ってこないほうがいいかなと考えています。

トークイン上越/長岡造形大学山下研究室/吉田 知剛 トークイン上越でのテーマ「地方都市を救う建築」をふまえて木下庸子先生からの問題提起の元「景観」と「少子高齢化」という二つの大きな社会的なテーマのもとで議論が進められました。都市と地方の目線に立って相対的に見たときにどうなるか、方法論としては同じなのか、などの意見が各学生から示されました。各々の意見が研究室の活動など実体験を踏まえたものであったのでリアリティがあり興味深いものでした。変わりゆく地方の景観については一般論でネガティブに捉えられることが多い中、ポジティブな見方を示す都市の学生の意見もあり別の切り口として面白く感じました。都市から地方を見たときの全く違ったアプローチの仕方が新鮮でもありました。

トーク in 上越より/長尾赤造形大学山下研究室/佐藤 舞 私は今回トーク in 上越に参加して得られたことは、大きく2点あげられると思います。普段知る機会があまりない、他大学で行われていることを間近で触れられたことと、自分の大学だけでは感じられなかった地域ごとの差を濃く感じられたことです。 普段、インターネットなどで他大学の人たちがどんなことをやっているのか客観的に知ることはできます。しかし、実際「月影の宿」に宿泊し実物を体感したり、当事者の話を直接聞けると言うことはなかなかなく貴重な体験だったと思います。 また、地元の学生が多い大学で普段感じることが無かった地域による考えの違いというのを直接感じれたということは、これから大切にしなくてはいけないことだと改めて強く思うことができた良い機会だったと感じています。

建築トークイン上越に参加して/長岡造形大学山下研究室/長谷川孝文 私たちのグループでは越後妻有トリエンナーレやビルバオのグッケンハイム

美術館などを例あげ様々な議論を進めてきました。その中で私は、地方で学んでいる学生と都市で学んでいる学生との間に少ないながらも考え方にズレがある様に感じました。それは日常的に直面している問題や日々感じている事の違いから生まれてきた良い意味でのズレだと思っています。その影響なのか最終的に議論をひとつに収束することは出来ませんでした。しかし多くの話を交わす中で皆さんと意識共有することができ、参加して良かったと感じています。このトークイベントでは、建築を学んでいる方だけではなく、様々な分野で活動している方や地元の方と話を交わすことでたくさんの刺激を貰い、とても有意義なものになりました。

都会と地方それぞれの原風景/長岡造形大学山下研究室/渡辺 宣一 地方大学の学生の作品はしばしば「ランドスケープ的だね」と言われる。自然の中に在りながら建築がランドスケープとの関係を語っていなければ、むしろそれこそが問題であり、建築と周囲のランドスケープとの関わりを考える事は必然だ。それは地方で生まれ育った私達が考えていかなければいけないことである。 しかし、都会で学んだ学生にこのような考え方をおしつけるつもりはない。なぜなら、都会の学生には、彼らにしかできないやるべき事があるからだ。 地方で建築を学んだ者には、都会で学んだ者と等しいレベルで超高層の設計ができるはずもない…他にやるべき事があるはずだ。都会で学んだ者がその設計手法、理念を地方という環境に適用しようとすれば必ずそこにはひずみが生じる…他にやるべき事があるはずだ。 それぞれがそれぞれの原風景を持っている。お互いがお互いのなすべき事をそこでやっていけばいい。私はそう思っている。

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影プロジェクトのように地域の人と更新しながら続けていく例から、建築が地域をゆっくり変えていく可能性を感じました。また、建築された後に自転車で富士山を一周するイベントが開催された千葉先生の日本盲導犬総合センターの事例のように、周りの地域を巻き込むことでものを完結させないことも重要だと思いました。トークインを通じて、様々な大学の活動を聞き、議論できたことは非常に有意義でした。

地方と都市部を相対化してみて/黒野研究室/矢作沙也香 大きなテーマではあったが、1日目はそれぞれの「原風景」など、身近なところから話し合いが行われた。しかし、話を進めていけばいくほど、地方の定義が分からなくなった。更に、班内には出身地の違いもあり、地方と都市部を相対化する上での立ち位置にも困惑し、議論が足踏みした。討論終了後も、上越市で議論する意味を問いながら、じっくり時間を掛けて意見を交換した。2日目は、地方をフィールドにした各学生の活動を語り、地方と都市部での違いを洗い出していった。地方で学ぶ学生は、地方の抱える問題の厳しさをリアルに語る。一方、都市部で学ぶ学生は地方に新しい価値を見出す。茅葺き屋根にトタンを被せる民家の議論が印象に残った。地方の現状をリアルに知る学生が、一歩引いて見ることができたら、地方が変わるきっかけになる気がした。地方を救う上で、自分の立ち位置や、自分にできることは何なのか、この先永遠のテーマとなりそうだ。

地方都市の認識/岩佐研究室/高坂直人 今回参加した大学のほとんどが関東圏の大学であり、私のグループでは地元も関東圏の人が多い印象をうけた。地方都市について議論をかわしていくと「新潟市・山形市」と「妻有・浦川原」といった山間地域が似たような問題を抱えていると理解されているのが非常に興味深かった。共通の知識として大地の芸術祭で知られる妻有地区があり、この様な地域の抱える事情が「地方都市」の抱える事情として認識されているように感じた。 グループ討論の際、聞いていて驚いたのが「地方 ( 新潟 ) の人はみんな近所づきあいがあるはず」などといった発言。地方都市の問題として多く話に出たのが限界集落や農作放棄といった問題であり、非常に極端な印象をうけた。

文明・文化の二項対立を超えて/岩佐研究室/佐藤貴信  「文明は役に立つ必要なもの、文化は役に立たない必要なもの」。山代先生が議論の中で紹介してくださった言葉ですが、私はこの言葉が最も印象に残っています。合理的な思考で考えると、山間部は人口が減っていき、やがては消えていく場所なのだけれど、そうではない非合理的な側面を人間は必ず持っていて、そのような側面によって地方は成り立っているのかもしれないと感じました。千葉先生が示された盲導犬センターを拠点に行われたサイクリングイベントはひとつの建築がその場所の文化的側面にコミットした例として非常に興味深く感じました。今回のトークインというイベントを通して、多くの学生と議論できたことはとても楽しく感じました。このイベントが継続され、「地方における建築」というパラダイムの中心として上越が存在できたら素晴らしいことだと思います。

■新潟大学/新潟県

地域活動の意義/西村研究室/小林成光 自分たちの活動が街にどのような影響を与えているのだろうか。私の参加したグループでは、学生が行っている地域活性の取り組みを話しており、私は雁木活動について話し、小嶋さんからも興味を持っていただいた。しかし、果たしてこの活動は本当に地域のシビックプライドになり得るのか。都合が付かず1日目のみの参加となったために、深く討論することができなかった。その中で、学生参加の活動が本当に良いものを残せるのか、また、ものを作った後どうするのかを問われ、今でも私の頭の中を巡っている。これからも続けていく活動であり、それらを自問自答しながら活動していきたい。

『らしさ』とは何か/西村研究室/長谷川千紘 1日目、ラウンドテーブルを囲んで議論をした中で、「らしさ」という言葉がキーワードとなった。トークインの企画主旨が中山間地域を救うということで、中山間地域をはじめとする地方を救うには「らしさ」がとても大切になってくると今回の議論を通じて感じた。地方には、その地域にしかない「らしさ」が必ず存在し、都市部には都市部の「らしさ」がもちろんあると思う。それは商店街の雰囲気かもしれないし、風景や産業かもしれない。もしかしたら具体的な形では存在しない匂いや人柄のようなものもあるかもしれない。 今後、設計を行う際には、その地域がもっている「らしさ」が何なのかを見極め、うまく引き出せるようにならなければいけないだろう。

地方を救う/黒野研究室/斎藤淳之 深夜まで続けられた議論の中で、「地方都市を救う」という言葉への疑問が挙げられた。確かに、私たちが住んでいる「地方」と呼ばれる場所は「救われなければならない」存在なのだろうか。そもそも、「地方」という言葉の認識もそれぞれ異なっていたように思える。その一つとして、地方では地域内コミュニケーションが密接であるという認識が挙げられる。しかし、これは農村部などではあり得るが、新潟市のような都市部では一概にそうとも言えないように感じる。そんな中で話された、建築家の職能としてのワークショップの存在意義に関する話題はそのギャップを埋めるような話であった。地域での活動を通じて市民の意識を変化させる、というワークショップの存在は「地方を救う」というよりも、「地域を少し変化させること」の可能性を感じた。

建築を通した地域との関わり/黒野研究室/吉田邦彦 私のグループでは、地方において建築がどのようなあり方が出来るのか、建築を通して地域とどうコミュニケーションするかということについて議論が行われていました。その中で印象に残ったのは、モゆっくりモという言葉です。月

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■日本女子大学/東京都

終わらない建築の姿を目指す共通意識/篠原研究室/布留川真紀 わたしたちのテーブルの議論は、「完結しない」「持続する」「終わらない」といった言葉で語られることが多かったように感じました。建築というモノを通して社会とつながろうとしているわたしたちにとって、このような「建築が生き続けること」を示唆するキーワードはとても魅力的でした。このトークインで、地方都市や地方文化のあり方について議論できたことはもちろん、同世代の方々とそういった建築のあり方を目指す意識を共有できたことが、何よりも自分自身の設計への励みになると思いました。ありがとうございました。

新しい建築/篠原研究室/石井千絵 私たちのグループの議論の中で、建築家が建てた建物が地域の交流場やイベントの会場など計画では意図していなかった使われ方をされているという事例が挙げられ、人の持つ力の大きさを感じたことが印象に残っています。これから私たちは都市や地方というしがらみから抜け出し、人と人をつなぎ人と地域をつなぐデザインだけではない新しい建築のあり方を考えていかなければならないのだと強く感じました。都市部の建築、地方の建築を建築家の職能とからめて議論するという、容易に解決できないようなテーマでしたが、普段とは異なる環境で、様々な立場から発せられる意見はとても刺激的で、この学生生活の中で貴重な経験になったと思います。

日本の景観をみんなで作る/ 3年生/加藤悠 地方都市について話合うのは初めてだったのだが、地方都市の建築についての考慮が足りないと常日頃から感じていたのでとても良い機会になった。議論の中でよく発言していた人が多かったが、私は地方学生だから都市のことは分からないとか、またその反対とか、決めつけてしまうと狭い視野しか持てなくなる。安易に自分を都市近郊の学生と、地方都市の学生という型にはめることはよくないと感じた。日本の全体的な景観を大事にしていくことを考えると、各地に住んで活動している人たちがお互いに情報を交換し合ってその土地に愛着を持つことによって、自分のアイデンテティーを見つけていくことの要ともなるのではないか。私は、住民たちの興味を永く維持することがその土地の景観を良く維持することの重要な鍵だと考えているので、住民たちがどうすれば興味を抱いてくれるか私たち建築を学ぶものが考えるためにも情報交換が必要だと思う。

新潟で造る小さな景観/篠原研究室/青柳有依 今回のトークインでは普段話す機会の少ない、多地域に渡る大学の考えが聞けた事が大きかったと思います。各大学で行われているプロジェクトの説明を聞いている中で「小さな景観」というキーワードがあがりました。上越の過疎

化に挑む「景観」という大きなテーマで挑戦するのではなく、個人が関われる「小さな景観」から取り組んでいく事が出来るのではないだろうか。私はこの言葉に中山間地域に対する可能性が見えると思いました。 この会場がある越後妻有地域では、3年に 1度アート・トリエンナーレが開催され、地域全体で過疎高齢化に取り組んでいるといえます。このトリエンナーレが魅力的に感じるのは、敷地が選ばれて、とって付けたようなイベントではなく、地元の人々も一人一人誇らしげに関わっている関係であると思います。カタチだけではなくソフトな面で残せる建築の在り方が見えたトークイベントとなりました。

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増加しているアイコニックな建築が地方都市にどういった影響を与えられるかなどについて意見が交わされた。私のこれまでの考えとしては、トリエンナーレなどの単発な行事も地方の活性化や人々の関心を集める良いきっかけになると漠然と思っていた。しかし、地方の学生から出た「結局、住み手が増えることはない」という現実を目の当たりにし、「活性化」という単純な方向性ではなく、人口減少に伴って集落がどのような道を辿っていくべきかについて、考えていくべきであると感じた。そのためには、私たち関東圏の学生と地方都市の学生の連携がこれまで以上になされていくことが必要であると思う。

建築家は造形論だけではない/渡辺真理研究室/郡謙介 人口が減っていく以上、限界集落や寂れた地方都市においては、滅びていく集落、生きていく集落と、都市の未来を見据えた結果として、どのような建築を建てていくのか考えなければならないように感じた。また、こうした問題は立場や価値観によって変わるため、解決するのは大変難しい問題であると同時に、ナイーブな問題だなと感じた。

問題を相対化することで/渡辺真理研究室/小畠卓也 私が参加したグループでは、景観や高齢化といったキーワードでトークが行なわれた。 景観や高齢化といった問題は地方、都市関係なく起こっていることだが、背景にある問題の根源や見解は異なる。 今回のトークインのように、地方をフィールドとする人と都市をフィールドとする人が、互いに意見を交えることで、地方都市が抱える問題を相対化してとらえることが出来たように思える。 結論を出すには至らなかったが、まずは、問題を相対化することで、一方向でしか見ることが出来なかった地方都市の問題を多面的に捉えるが出来た。次は、その相対化され、共通の認識となった地方都市の問題に対して、考えを深めることが出来る。数を重ねるごとに、この先の地方都市での建築のあり方が、見えてくるのではないだろうか。 そこに、建築トークインが毎年開かれていくことの意味があるのだと感じたと共に、来年度の開催が楽しみにもなった。

地方と都市の原風景/渡辺研究室/小野裕美 今回の議論で特に印象深かったのは、木下先生から「原風景」を聞かれた際のことです。私は都市部で育ったため、団地や路地といった人工的な風景が思い出されたのですが、地方出身の方の語る原風景は山並みや湖など環境的で大きな視点から捉えられたものが多かったと思います。そのような大きな秩序の元にある地方の風景を羨ましく感じた傍で、「建築はカオスに負ける」という地元の方の切実な意見もありました。地方の抱える問題は多く、建築はそうした現実に負けていると言うのです。私たちは建築から地方・環境と視野を広げていく必要性を感じる一方、都市部における環境的秩序をどのように見出していくか考えさせられる議論でした。

地方の建築への意識/渡邊真理研究室/伊澤実希子 今回の議論の中で、「地方の人の建築に対する意識の低さ」といった事が浮き彫りになった。どの地方都市にもその地方なりの良さがある。しかし、地方の人はその良さに気付いていない。そういった地方の住民の建築への意識を高めていくワークショップや今回のトークインのような活動こそが地方都市では重要となるのではないだろうか。建築家が地方の建築をつくるのではなく、地方の人が建築をつくっていく。その援助を建築家や学生がやっていくべきだと思う。今回は2日間で建築家と学生によるディスカッションのみだったが、今

■法政大学/東京都

『ゆっくり』というキーワード/渡辺真理研究室/円城寺香菜 私は約1年間、新潟の浦川原村を舞台に「月影小学校再生計画」というプロジェクトに関わってきた。今回のイベントで、教授方や各大学の学生の皆さんとのディスカッションを通して、自分が月影で活動してきたことへの自信を得られたような気がしている。 まず私が参加したグループでは、山代さんのワークショップのお話から派生して、「既に地方再生のような活動をしている人はいるか」という小嶋さんの質問があった。そして、多くの学生が活動の経験があることが明らかになった。その内容を聞き、同年代の学生の中だけでもこんなにも多様な活動があるということに驚かされた。さらに地方再生についてディスカッションが進み、グループ内で『ゆっくり』というキーワードが挙げられた。それは『ゆっくり』地方を理解する、『ゆっくり』地方の信頼を得る、『ゆっくり』地方が変化する・再生する、など様々な意味での『ゆっくり』だ。これは実際に地域での活動を経験したからこそ発見できるキーワードではないだろうか。このキーワードが出たとき、私は今までの自分の活動を走馬灯のように思い出すと共に、周りの学生の多様な活動との共通点が見つかったようでとても “しっくり ”きた。「地方都市を救う建築」という大きなテーマに対してそう簡単にかっこいい解答は出せないが、同年代の学生たちと自分と、異なる活動を通して同じキーワードを感じていたことに、励まされ今までの活動に対して自信を得られた。普段なかなか接点のない各大学の学生の活動や考えを知ることができたという点で、とても有意義なイベントだった。

「建築の伝える」ということ/渡邉真理研究室/菊池悠介 地方に限らず、東京や様々な環境で建築どうして作っていくべきかということに加え、建築を作った後でそれを誰にどう伝えることでその建築、さらには周りの環境を改善していけるのかということまでが、建築をやる人間のもう少し踏み込むべき領域のように今回のトークインに参加し感じた。 特に東北芸術工科大の学生の山形R不動産の話のなかで、「馬場正尊さんはR不動産を東京とは異なった方法で、地方ならではの発信する戦略を立て、一般化して人々に建築を認識させている。」という話は東京でしか物事を考えていない人間には新鮮だった。 それぞれ建築が建つ場所は違えど、「建築を伝える」という作業は共通して認識すべき建築家の大きな目標であるに違いないと思う。

地方の今後の向うべき姿/大江研究室/熊谷浩太 今回のトークイベントには、普段、地方都市の学生との討論や交流の場を持つ機会はめったにないので、私たちとの生活や考え方の相違点を知ることを楽しみにして臨むこととなった。 私たちの班では、主に景観または小さな景観、新潟のトリエンナーレや近年

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後はもっと地方の人が参加したり、月影のような具体的な活動へと発展していけたらと感じた。

新潟トークイン参加感想/陣内研究室/氏家健太郎 まずこうしていろんな大学の方々とお話しする機会に触れることができたのは大変刺激的なことでした。また意外にも今自ら取り組んでいる問題と共通する人も多く、議論に身を置くことで改めてその問題の解決への難しさを実感しました。一回目と言うこともあって、こうして問題意識を共有すると言う意味では凄く有意義な時間でした。一方で、もしこれからの地方都市を考えていく際には、地元に暮らす人のリアルな意見を取り入れることや、そういった人々にどのように今回の外部からの専門的な解決策や問題意識を伝えるかが重要なのかなと思います。次回以降、比較的専門の分野にいる自分たち側の意見をまとめた上で一般の人々との交流もあれば、より具体的な議論になるのではと思いました。

トークイン上越その後/渡辺真理研究室/福井健太 今回、このトークイン上越に参加したことによって自分にとって少し変化があった。私は、愛媛県松山市の地方都市出身者である。このトークイン上越においても、地方都市を救う建築という内容で講師の先生の講義を受け学生同士で話し合いをしたわけであるが、参加後、自分の街はどのような街なのかということに改めて興味を持った。 討論では、地方都市でこのトークインをすることの意味は何なのかという一筋縄ではいかないような問題に、より重点をおいて話し合い、私自身は自分の考えをまとめることさえできなかった。しかし、改めて考えてみると、1泊2日という短い期間であるが、いろいろな所から集まった学生と1晩過ごし、お互いの意見を言ったり聞いたりし、また、上越という場所を体験することによってこの場所でトークインすることの意味があったのではないだろうかと感じた。 最後に、私は東京で建築を学んでいるわけだが、そのことで、地方出身でありながらも地方と都市圏の目線で自分の故郷を見ることができるようになったことに改めてよかったと感じた。

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■前橋工科大学/群馬県

都市の捉え方について/石田敏明研究室/武曽雅嗣 今回の建築トークインは大勢の他大学の方々とご交流出来て、とても刺激になりました。各建築家の先生方を交えてのディスカッションは珍しい形式で貴重な体験を経験することができました。特におもしろかったのは、都市部から来た学生と地方から来た学生の都市の捉え方が違うというところでした。それぞれの都市に対する様々な考え方があって、いい意味で様々な意見が交換できて聞けてよかったと思います。

様々な都市を感じて/松井淳研究室/中村達哉 今回の機会を通して、首都圏に住まう人とその他の地域に住まう人との認識の違いを感じられて良かったです。人それぞれ違う生い立ちをしており、様々な経験を通して建築の面白いと感じる話が聞けたことは、私にとって新たな発見でもありました。各々の場所で建築を学ぶ学生だからこそ、自分の体験したことがないことを、話す機会がいただけたことに感謝しています。首都圏やその他の場所での活動などを、意見交換する場を設けることによって、より良い都市環境ができるのではないかと感じました。

トークイン感想/前橋工科大学大学院/石田敏明研究室/木村敬義 エンジンを掛けることとチェンソーの歯を回し続けることは別の仕組みで成り立っており、本当にエネルギーを食うのは後者の段階である。そして地方の場合は燃料が常に不足している。トリエンナーレは燃料を集めまくることに成功している。・・・ 一方。岩室の会の方々というのはむしろ「ノコギリで切るときれいに切れるし楽しいよ」というスタンス? 文明と文化、考えて仕掛けて進歩していく文明と、なんだかんだで出来上がっちゃう文化。でも今回のトークインは、パワーポイントを使った講演から酒の入った酔っ払い会議まで。文明と文化はシームレスに繋がっているんだなあと感じた。参加させてもらえてよかったです。ありがとうございました。

トークイン感想/前橋工科大学大学院/石田敏明研究室/外崎晃洋 今回、建築トークインというイベントに参加し、初めて他校の学生とディスカッションする機会を得て、最も強く感じたのは、前橋と東京の距離、そして地方との距離である。それが色々な思考に反映されていたと感じた。東京との距離を少しだけポジティブに捉えることができるきっかけになったと思う。

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10 トークを終えて 学生

75建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

はならないだろう。改めて、都市や社会を動かす力をもつ、建築を作ることのできる可能性を信じて、今後の活動に取り組んでいきたいと感じた。

大学生の価値観/Y-GSA/佐藤謙太郎 私がトークイン上越に参加して強く思ったことは同じ大学生でも建築に対する考え方が著しく異なる、ということです。初日の夜に他大学の方と一緒に建築や、それ以外の事についても話す機会がありました。私達の日中のディベートの班は「小さな風景」というテーマで話し合いを行いました。新潟や長野の大学の方も参加されていたので、地方の学生と関東の学生との間で面白い議論が生まれると思っていましたが、実際には学校の立地性や教育方針などが異なることから、1つ1つの大学で同じ「風景論」でも意識や扱い方が違うということが分かりました。大学間でこのような日を跨いでのトークイベントというのは稀な経験でしたが、新潟の和やかな気候の中で建築についての他者の考えを改めて知る機会になり非常に良い経験となりました。

■横浜国立大学/神奈川県

反省/横浜国立大学/Y-GSA/山内祥吾 景観と高齢者。どちらも難しいテーマである。普段大学で扱うテーマはいつも建築のうちとそとの関係性の話や、都市でどうしようもなく起こっている状況への問題提起などで、景観や高齢者の問題は大事だとはわかっているが触れられないでいる。それは都市で暮らしている学生にとって景観や高齢者の問題は日常生活で実感として湧いてこないからだろう。実感として考えていなかったことを議論するのは難しい。しかし地方で生活する学生は景観や高齢者は本当に切実な問題でありみんな真剣に考えてほしいと主張する。都市と地方では見方が異なり、相対的な視点が重要であることに気づく。都市の人が地方の住人に対して本当に自信をもって建築を提案できるのかと弱気になるよりも、都市の人こそ相対的な視点を持って地方に積極的に関わるべきなのである。そのためには、都市、地方に関わらず建築をもっと生々しい状況で考えなければならないことを学んだ。

建築トークイン上越に参加して/Y-GSA/砂越陽介 今回参加して第一に印象に残ったのは、最近の傾向として建築の学生が街や地域のイベント、つまりプロセスのデザインにかかわることがどこの大学でも共通になっているということだった。 基調講演でも、プロセスのデザインが目立っていたように思う。今建築が建つだけでは無意味になってきていて、そこが使われることで地域がどう変わるかが重要性を帯びている。そういう意味では、イベントも建築も目指す所は一緒なのだと思った。 宿泊した月影の郷のコンセプトからも感銘を受けた。毎年学生が来て、廃校の各所を段階的にリノベーションしていき、ファサードのルーバーのつけ替えを定期的に行なう、というプロセスがここでも巧みにデザインされていた。 とにかく今回、4人の建築家の講演や他大学の参加者や月影の郷からさまざまな刺激を受けることができ、参加して良かったなあと思う。

建築を作ることのもつ力/Y-GSA/中山佳子 建築トークイン上越に参加し、地方都市と都市部の学生が互いの建築観を交わす少ない機会をもつことができた。はじめに驚いたのは、建築家は形態のみを追及し、内輪の議論にとどまることなく、より社会へ目を向け、発信する存在へ向かっていかなくてはならない、という建築観を世代として共通に持ちえていることであった。都市や社会に希望を与えた実際のエピソードをもとに、形からプロセスへの「象徴性の変化」についての議論や、市民の意識をスイッチするワークショップについての議論があがったが、建築や都市空間は作者の思惑を超えて、使い手が発見的に使用し続けることで、市民がその地域へのシビックプライドを獲得する大きな可能性を持っている。そのためにも、今後建築家のもつ建築言語を、より他者へ向けて翻訳し、伝達する姿勢を持たなくて

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10 トークを終えて 学生

76 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

都市と地方という立ち位置について /早稲田大学古谷誠章研究室 /矢尻貴久 まず率直に刺激的なイベントでした。参加した木下庸子先生のラウンドでは高齢化社会に対して建築を学ぶ建築学生がどのように役割を果たせるのか。そして各々の原風景を語ると共に、その町の魅力がなんであるのかという、根源的ながら実は非常に言葉にしづらいテーマについて討論しました。夜には月影の郷で関東以外の学生のみなさんとお互いが何を考えているのか、相手のことをどうみているのかについてかなり白熱した議論を交わしました。私たちの研究室は都外でのプロジェクトを多く行っているのですが、東京の研究室がなぜ地方で仕事をしているのか、という新潟の学生からの質問を通して、ひいてはそれにどんな意義があるのかという今までになかった視点を得られたように思います。こういった機会は非常に貴重であると考えていますので、ぜひ来年以降も継続していっていただきたいと思います。お互いの立ち位置を認識しながら協働でプロジェクトを起こせば、シンポジウムの枠を超えたなにか面白いことが実現できるのではないでしょうか。

トークインを終えての感想/早稲田古谷研究室/杉本和歳 楽しかったです。と、一言で言ってしまって誤解があるかもしれませんので、「普段交わることのない人達や場所、シチュエーションが議論の後押しをしてくれていつもなら、できなかっただろう話し合いができて刺激的でした。」と付け加えます。学生同士で話し合い何かを提案するワークショップはいくつか経験したことがあるのですが、特に今回は何か答えを出すのではなく、どこまで議論を展開できるかが目的であったところにこのトークインらしさがあると感じました。以上のような流れの中では学生も教授もかなり近い距離で話し合いが出来たのも「楽しかった」と感じた理由のひとつかもしれません。

プロジェクトの相対化と相互交流/早稲田大学古谷誠章研究室/小堀祥仁 今回の建築トークイン 2009 上越に参加して、古谷研の活動を相対化して見ることができ、非常に新鮮な経験でした。日々の活動では、研究室での直近の作業に意識が行きがちです。しかし、何年にも渡り、多くのメンバーが関わる継続的活動を、長いスパンの中で現在がどういったフェーズにあり、プロジェクトのどういった点が新しく、今何が必要とされているのか。今回の経験を通して、自らの活動を客観的に捉えることの必要性を痛感しました。 また、今回は議論の中では都市の学生/地方の学生という構図が強かったと思います。私自身、日頃から、首都圏以外の大学の方の意見や活動の内容を知る機会があまりなく、交流の機会が持てたらと思っており、建築トークイン 2010以降も継続的な交流の場のひとつとして積極的に参加したいと思います。

我々の世代がやらねばならぬこと/早稲田大学古谷誠章研究室/吉田遼太 社会のあらゆる既成の概念や価値観が崩壊し、変化していく現代において我々はそのような変化に対して敏感になり、新たな概念や価値観を提示していかなければなりません。都心と地方の関係性においては顕著なことです。 しかしそれは1人で行うのは困難なことです。その点で、異なった環境や価値観を持った人と議論し、さらに社会に発信することが可能なこのような機会が与えられたことは非常に重要なことだと思います。 本来我々学生の世代こそが、社会に対して敏感であり、新たな価値観を提示できるはずです。しかし残念ながら、今回の議論は講師の方々の価値観を踏襲したにすぎません。ただ最初の一歩として考えるきっかけになる議論はできたと思います。 高橋先生の言葉をお借りすれば、今後継続して行うことによって新たなムーヴメントが起きることを期待し、今後も関わっていきたいと思います。

■早稲田大学/東京都

企画を通して見えたこと/古谷研究室」墓田京平 今回の企画の意義はこの感想欄で多く語られており、大旨は同じくこのような場が与えられたことに対して好意的な感想を抱いています。他の学生と異なる点から感想を述べるとすれば、私が記録を総括する立場から見えたことからび所感を述べようと思います。まず、ビジュアルが見えない状態でトークのみで建築を語らなければならない点が本企画の特筆すべき点でありました。編集をしていて分かったことですが、トーク風景以外によりどころにしている挿絵がなく、全ては口から言葉を発し、相手の頭の中に建築像を描かなければ成立しません。建築というものの価値観が都市と地方都市で異なる中で、この状況は追い風となるのか向かい風となるのか、これは問題意識がどこまで共有できているかに寄るかと思います。最初から想定していたリスクでありましたが、多くの感想に目を通してそれが良くも悪くも効果的で作用したように思えます。このような新しい建築的試みにスタッフとして参加できたことを嬉しく感じています。

都市と地方の建築家の存在/早稲田大学古谷誠章研究室/梶田知典 研究室で僕が地方でも比較的厳しい状況にある地域のプロジェクトに関わってきて感じるのは、やはり地方にも建築や都市について考える人が必要だと言う事だと感じました。ただ地方で考えていても土地のしがらみから逃れられないし、都市からやって来た建築家がアイデアだけ出して地方の問題というのは解決しなくなってきている感じがします。地元で専門的な知識をもって地域を良くして行こうという人も必要だが、違う土地からやってくる人の新しいアイデアも必要だと思います。 そういった意味では今回のイベントは地元の大学生だけでなく、都心の学生が一緒に地方都市について考える機会を持てた事は今後の地方都市の解決策を発見する第一歩となったのではないかと考えています。このような貴重な機会に参加させて頂き感謝してます。ありがとうございました。

建築学科生のエネルギー/早稲田大学古谷誠章研究室/伊坂 春 今回のトークインに参加して、最も印象的だったのは、“地方地域で建築が出来ること ”を丸一日かけて本気で考え、夜を徹して議論した事です。普段、研究室で雲南プロジェクトに携わっていますが、プロジェクトの進行や設計の方に時間がかけられがちです。今回のように、同じ建築学科同士で地方の未来について議論する事は非常に貴重で、私自身が建築の未来について可能性を本気で考える機会になりました。そう簡単に結論を出す事は難しいと思いましたが、私達が少しでもこのように気にとめておく事は必要だと思います。このような機会を与えて下さった、先生方、企画者、担当者、地元の方皆様本当にありがとうございました。是非、また参加させていただきたいです。

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10 トークを終えて 学生

77建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

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11 トークを終えて 講師

78 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

 小嶋一浩 

 相手がいて、対話をして、そうしたプロセスの中から何かを生み出していくこと。 そんな、手間がかかり、まどろっこしいこともたぶん多くあり、スパッと鮮やかな設計案を示して見せるとかいったことからは遙かに遠く見える地平。そこに興味をいだき、実践を望んでいる学生たちが多くいることに、本当に驚いた。なにかが変わり始めている。そういう現場に立ち合ったのかもしれないとさえ思う。これはビジュアルで誰にでもわかる<事件>などではなく、もっと深海での地殻変動のようなものなのだろう。正直なところ、モノをつくるワークショップとは異なるトークインという形式のイベントに人が集まるものなのか私自身には当日までよく分からなかったのだから。 「月影の郷」をはじめ何らかの実践を研究室の活動などを通して経験している人が多いことも、地殻が動いているのかもしれないと思わせられた理由である。声高な議論より、具体的な場所から始めること。 対話は、今の若者らしく(?)慎重さに満ちていた。誰かが話すと、いったん間が空く。しばしの沈黙を見きわめてから、次の誰かが押しつけがましくならないように、参加している誰かを批判・否定などしていないことがわかるように、また静かに語り始める。そう、議論の場は静かなのである。でも、じっくりつきあってみると、その静けさの背後には<アツイ>想いのようなものがあるようにも思われる。今は、そうポジティブにとらえたい。

 木下庸子 

 この企画は上越市浦川原区で開催されたことに意義があったと感じている。東京を初め、神奈川、群馬、長野、新潟、山形など、広範囲にわたる 12の大学が一同に集い、一泊二日のなかで、仕事や終電などを気にせずに互いの時間を共有して交わされたフェース・ツー・フェースの議論こそが最も意味あるものであったと思われる。 「グローバリゼーションのなかでの地方都市および地方文化のあり方」という大テーマの下、4人の講師が議論を導き出す複数の切り口を提示したが、当然のことながら解答はすぐに見出せるようなものでもない。それでも二日にまたがって私が接した二つの学生グループ、約 40 人の学生間での議論のなかで登場したいくつかの発言が、地方都市と地方文化のあり方を考える今回の大テーマに対して、次なるヒントを与えてくれたような気がしている。ここにそれらを記すと、地方都市の現状において「過去のものをそのまま残すのではなく、真の意味での [ らしさ ] を追求するなかで記憶の継承を考える。」私が今回提示した「景観」の継承と「高齢化社会」の住まい、双方に通じるコメントである。そのほかには、「今まで気づかなかったもの=新しい可能性を見出すことこそが建築家が建築を通してできることではないか」また「今後建築家に求められることは、形を創造するだけにとどまらず、どのように人に使われていくかを総合的に示すことである」などがとりわけ印象に残ったものである。

建築トークイン上越がもたらしたことを語る②

トークを終えて。〈 4名の講師の声〉

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11 トークを終えて 講師

79建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

 千葉学

 今回の企画には、大きく二つの意味があったように思う。一つには、もちろんこの小さな街に対し、建築家(あるいは建築を志す者)がいかに介入することができるのかを議論を通じて見出すこと。そしてもう一つは、高橋 一先生を初めとする岩室の会の方々が、初めてこの地に足を降ろした時の想いをいかに継承することができるのか、である。それは果たして成果を出せたのか。今の学生も、機会さえ与えられればちゃんと議論ができるのだ、それが最初の率直な感想である。始めは恐る恐る探り合っていた学生たちも、一度口を開けば、面白い視点を次から次へと提示する。僕が参加したチームの中だけでも、「完結させない」、「ゆっくり」、「小さな公共性」など、実に興味深く、またリアリティのある切り口が出ていた。こうした切り口を無理矢理にでも見つけることは、特にこうした場においては大きな成果につながる。ぼんやりしていた考えも、具体的にいかに行動したらいいのかも、こうした切り口があって初めて実体をもったアイデアとして結実する。だから初めての試みとしては、十分な成果があがったと言いたい。しかし、それでもやはり物足りなかったのは(自分自身の関わり方への反省も込めてだが)、こうしたアイデアが、この上越という場所とどう絡むのか、この土地の何に皆はひっかかったのか、その核心に迫れなかったことである。もちろん時間が足りなかったこともあるが、高橋先生からも、もっと話しを聞き出すべきであった。介入も継承も、まずはそこから始まるのだから。

 山代悟 

 今回のラウンドテーブルで「いまやっているような、まちづくりの活動が、みなさんの将来の仕事として継続できそうですか?」という、少し意地悪な質問をしてみた。学生たちからは、「こういった活動は仕事になりうる」あるいは「仕事になりうるような社会に変わるべきだ」というような発言があった。これは、会の主旨をくんだ、心優しい返答ではあるが、現時点では難しいと思う。 レクチャーのなかで紹介した大野秀敏氏(東京大学大学院教授)の「都市を遊ぶ」という言葉がある。これは都市を与えられた娯楽の消費の場としてではなく、自らが使い道を発見して創造的に使う対象としてとらえ直す、という視点の提唱である。また同時に、そういった活動自体を「遊び」として楽しむということだろう。「まちづくりを仕事にできるか」を心配する前に、「遊びとしてまちづくりを楽しむ」人々をいかに増やすことができるか。 ゴルフというスポーツは、多くの大人がたくさんのお金と時間と体力を使って楽しんでいる。そして、大多数の楽しみとして参加するアマチュアと、それを指導するレッスンプロや、そして新しい技やスタイルをあみだす、あこがれの対象としてのプロゴルファーがいる。そういった、層の厚さがまちづくりにもあれば、生業としてそれに専念できる人も出てくるのではないでしょうか。僕としては、必ずしも楽しいばかりではないまちづくりの活動の中に、一つの華としてのイベントをつくりだす、そういったことに力を貸せるのではないかと考えています。そういった経験を経て、明日からのまちづくりにまた元気をもって参加してもらえるような。

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80 建築トークイン上越「地方都市を救う建築」

12 編集後記

 編集後記―来年に向けて

小畠卓也/法政大学/渡辺真理研究室 第一回の建築トークイン。私達、学生準備メンバーは、初めて行なわれるイベントに対して、手探りで準備をしていたと思う。具体的なイベントの姿や意義を、トークインを終えてから気づき、理解した人も多いのではないだろうか。その中で、感じたことや、得た体験を(失敗したことも含む)を、共有・蓄積していくことで、これからのトークインがつくられていくのだと思う。そうすることで、このトークインがより一層、魅力的なイベントになるのではないだろうか。

小堀祥仁/早稲田大学/古谷誠章研究室 膨大なテキストと図版の山の整理に没頭した11月下旬の編集作業でしたが、皆さんのご協力のお陰で、何とか入稿に至りました。トークイン当日以降の作業を通して他大学の友達の環が増えたことは大きな収穫の一つだと考えています。また、来年は古谷がコーディネーターということもあり、身が引き締まる思いです。次回のトークインまでの日々を問題意識を持って、都市の様々なフィールドで活動する人々とコミュニケーションしていきたいです。

小南聡美/工学院大学/木下庸子研究室 準備段階では、建築トークインという初めての試みがどのようなものになるのだろうか想像がつきませんでした。実際に企画が始まってみると、地方都市と首都圏の学生のディスカッションはとても白熱したものとなり、この企画に学生スタッフという立場で参加できたことは、私にとって非常に貴重な経験となりました。今年は反省点がいくつか有りましたが、この刺激的で有意義な企画を来年度はさらに良いものとし、これからも続けて欲しいと思います。

中山佳子/横浜国立大学/Y-GSA 建築や都市についてビジュアルを使わず議論のみで意見を交換するイベントは、開始してからその新鮮な気分を実感した。専門分野に関する真剣な議論は、普段同じ所属の友人と、スタジオ内や居酒屋で話すが、その時は同じ教育を受け、共同プロジェクトを行った上での、ある程度の共通認識の上で会話が成立している場合が多い。学んできた環境の異なる初めての友人に、自分の考えを伝える時の言葉の選び取り方や、進行役として議論をまとめていく足並みをとる難しさを痛感し、勉強になった。初めてのイベントを実現へ向け当初よりご尽力されてきた先生方、学生スタッフの方々に感謝をしたい。

墓田京平/早稲田大学/古谷誠章研究室 この企画は私の行ってきた研究興味と一致していたところも多く、関心を寄せて参加させていただきました。学生スタッフという立場にいられたことで、他大学の多くの活動や個人の考え方により深く触れられたことに感謝しています。今回がトークインの初回で責任ある編集を早稲田大学が担当しましたが、本誌がより多くの人の目に触れられることを期待し、活動が一つの運動体へなってゆけば嬉しく思います。来年以降は企画段階から学生がバイタリティを持ってこの運動を大きくゆき、ゆくゆくはその活動を以てして地方都市をすくうものとなってゆくことを期待します。

日本女子大学/篠原研究室/布留川真紀 人の記憶とははかないもので、一ヶ月程たった今、静かに燃えた2日間の議論はひとつのよい思い出となりつつあります。あの瞬間の気持ちを少しでもリアルに伝え残してゆくために、こういったブックが完成したことは、第1回の運営に携わったものとして、とても喜ばしく思います。先生方と岩室の会の方々がつけてくださったこのトークインの火種を絶やさないよう、意志を引き継いでゆくことはもちろん、来年はさらなる盛り上がりをみせるイベントとなることを期待しています。

村山圭/東京理科大学/小嶋一浩研究室 終えた後に感じた事は、”もっと的確に意見を伝えられる整理力と言語力を鍛えなくては。”ということだった。物ではなく議論だけのイベントだけあって、いかに話題に上がったことを整理できるか、臨機応変に対応できるかが進行役にとって問われてくる。今年は議論がどう展開されるかよりも、会がどのように流れていくかにウエイトをおいた。来年は今年の基盤があるのだから、議論がどう展開されるかに準備の重点をおいてほしい。

横川美菜子/東京大学/千葉学研究室 ラウンドテーブルでは学生も先生方も手探りの状態から始まりました。会場設営を担当させていただきましたが、20 人という人数はグループで話し合う人数として最大限だったかなと思います。人数が多ければ、異なるプロジェクトや出身地など、さまざまなバックグラウンドを持った人が集まります。逆に多すぎると発言する回数も減り、話が拡散してしまいます。一般の方もうまく取り込み、来年に向けてよいバランスを見つけていきたいと思います。

吉川潤/東京理科大学/小嶋一浩研究室 建築を学ぶ私達にとってこれが現実を知るためのリアルなトークイベントとなることを願います。近代化により、地方と都市ではますます格差が生まれる一方であるこの世の中で、知識だけでは解決できない経験的な本音を交わし合える場になれば、将来建築に携わる私達に多様な考え方を与えてくれるはずです。地域の方々と建築家と学生達が現状を共有し合い、このトークイベントで具体的に深く考えることができるような、地方と都市の交流の拠点になって欲しいと思います。

吉田遼太/早稲田大学/古谷誠章研究室 本企画は我々学生が地方についていま思うことを社会に発信する媒体であると位置付けることができると思う。今回はその試みの最初の一歩としては成功したが、社会に認知される企画にするためには今後は他の人 ( 建築の学生から一般の人まで ) をどう巻き込んでいくかを考えるべきである。東京に住んでいる人のほとんどが地方に関心がない現状を改善するのが我々の使命ではないかと考える。

[五十音順]

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81建築トーク イン上越「地方都市を救う建築」

13 あとがき

横浜国立大学早稲田大学[五十音順]

建築トークイン上越実行委員会           岩室の会                    岩室の会うらがわら協力               上越市浦川原区、月影の郷

学生スタッフ    小南 聡美[工学院大学/木下庸子研究室]横川 美菜子[東京大学/千葉学研究室]

村山 圭[東京理科大学/小嶋一浩研究室]吉川 潤[東京理科大学/小嶋一浩研究室]

布留川 真紀[日本女子大学/篠原聡子研究室]小畠 卓也[法政大学/渡辺真理研究室]

中山 佳子[横浜国立大学/Y-GSA]墓田 京平[早稲田大学/古谷誠章研究室]

編集        墓田 京平[早稲田大学/古谷誠章研究室]小堀 祥仁[早稲田大学/古谷誠章研究室]吉田 遼太[早稲田大学/古谷誠章研究室]

建築トークイン上越 プロジェクトブック

参加講師     高橋  一 [建築家/大阪芸術大学名誉教授]  渡辺 真理     [建築家/法政大学教授]

       木下 庸子    [建築家/工学院大学教授]       小嶋 一浩   [建築家/東京理科大学教授]       千葉 学     [建築家/東京大学准教授]       山代 悟             [建築家]

※敬称略

参加大学                    工学院大学       信州大学       東京大学

       東京理科大学       東北芸術工科大学

       長岡造形大学       新潟大学

       日本女子大学法政大学

前橋工科大学