アメリカの市民メディア2010調査報告書

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アメリカの市民メディア 2010 調査報告書 「アメリカの市民メディア 2010」調査団

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制作 アメリカの市民メディア調査団メンバー 池田佳代(OurPlanet-TV)、川島隆(滋賀大学特任講師)、白石草(OurPlanet-TV)、宗田勝也(難民ナウ!)、津田正夫(立命館大学特任教授)、藤原広美(NYUC)、竹村朋子(立命館大学大学院)ほか期間 2010年夏期〜冬期発行 2011年2月調査訪問先 Free Press, PRO-TV, Democracy Now!, Manhattan Neighborhood Network, Paper Tiger Television, Downtown Community Television Center, Pro Publica, WBAI-FM協力 金山勉(立命館大学教授)、溝口尚美(DCTV)、松浦哲郎(龍谷大学講師)

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Page 1: アメリカの市民メディア2010調査報告書

アメリカの市民メディア 2010

調査報告書

「アメリカの市民メディア 2010」調査団

Page 2: アメリカの市民メディア2010調査報告書
Page 3: アメリカの市民メディア2010調査報告書

目 次

はじめに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2

調査報告

【パブリック・アクセス】

1 マンハッタン・ネイバーフッド・ネットワーク

Manhattan Neighborhood Network ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6

【独立系/オルタナティブメディア】

2 ダウンタウン・コミュニティ・テレビジョン・センター

Downtown Community Television Center ・・・・・・・・・・・・ 9

3 デモクラシー・ナウ! Democracy Now! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 14

4 ペーパータイガー・テレビジョン Paper Tiger Television ・・・・・・・・・・・・・・・・ 17

5 ダブリュビーエイアイ・エフエム WBAI-FM ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 20

<コラム>「FCCアポなし訪問記」 白石 草 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 23

【メディア教育】

6 プロティービー PRO-TV ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 24

【メディア・リフォーム】

7 フリープレス Free Press ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 28

8 プロパブリカ ProPublica ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 32

9 メディア・アクティビズムをリードしてきた研究者たち ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 35

<調査を終えて> 藤原/竹村/溝口/池田/川島/白石/宗田/津田 ・・・・・・ 40

資料

10 用語解説 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 49

11 「パブリック・アクセス―ジョージ・ストーニーの見解」(抄) ・・・・・・・・・・ 52

あとがきにかえて ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 58

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はじめに 「アメリカの市民メディア 2010」調査の概要

調査のねらい

この「アメリカの市民メディア 2010」調査報告書は、2010 年 9 月 13 日~9 月 17 日にか

けて、アメリカのワシントン DC とニューヨークにある“市民メディア”関連団体を、日

本でそれぞれ市民メディアの領域に関わってきた下記のメンバーが、共同で訪問調査した

結果の概要である。

激変する情報・メディア環境を背景に、既存のマスメディアの経営はきわめてきびしく

なっており、アメリカでは巨大通信企業の急激な繁殖とは裏腹に新聞社の倒産が相次ぎ、

他方パブリック・アクセス(ケーブルテレビでの市民放送局)も危機に立っていると報じ

られている。日本でも政府やマスメディアの情報の信頼性がゆらぎはじめ、一般市民や地

域住民のニーズに応えられなくなっていきている。市民・住民・NPO は、ウェブサイト、

ブログ、ツイッター、SNS、ユーチューブなどでさかんに発信しはじめている。

そうした中で、公共的な共同空間をもつ市民メディア(コミュニティメディア、オルタ

ナティブメディア)の役割が期待されつつも、なかなか大きく広がっていかない。政権交

代はあったものの、メディア政策は一向に変わらないという状況の中で、参加メンバーの

共通の問題意識は、メディア民主主義やパブリック・アクセスの“先進地”であったアメ

リカの市民メディアの現在/未来を率直に知りたい、ということであった。具体的には以下

を想定して、短い日程での調査候補を絞っていった。

(1) ケーブルテレビでの市民のメディア制作やパブリック・アクセスセンターの実態

(2) ケーブル以外の独立系/市民メディアの理念や活動実態、今後の課題

(3) メディア教育、メディアによるエンパワー団体の理念や活動実態

(4) メディア・リフォーム運動の理念や活動実態

(5) メディアの民主化と市民的公共圏についての理論的認識と展望

報告書の構成について これに似た調査は、1997 年筆者も加わって大きな規模で行われ、報告書や『パブリック・

アクセス 市民が作るメディア』(リベルタ出版、1998 年)としてまとめられてきた(そ

の後、ヨーロッパやアジアをふくめて『新版 パブリック・アクセスを学ぶ人のために』世

界思想社、2006 年)。またケーブル関係者も自主的な調査をときどき行って、業界誌など

に発表してきた。90 年代は、日本でもコミュニティ FM 法制が生まれ、阪神淡路大震災を

へてNPO 法が成立した前後であり、アメリカの教訓はきわめて示唆的なものだった。 しかし 10 余年をへた今回の調査では、当時の環境とはかなり変っていることが分かった。

たとえば、私たちは全米のパブリック・アクセス活動コアである「全米コミュニティメデ

ィア連盟(Alliance for Community Media: ACM)」での総括的な聞き取りを期待し、コーデ

ィネータは粘り強く交渉してくれたものの、日程上は実現しなかった(後日、シルヴィア・

ストロベル(Sylvia Strobel)事務局長にメール・インタビュー)。この数年、パブリック・

アクセス制度が空洞化し続けている中で、司令塔である ACM 自体さえ弱体化している実

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態が随所で垣間見えた。ローカルでは、パブリック・アクセスのみならず PBS や地方新聞

社もふくめて、パブリックな性格のメディアが後退している。オバマ政権や連邦通信委員

会(Federal Communications Commission: FCC)への批判も、いたるところで聞かされた。

しかしマンハッタン・ネイバーフッド・ネットワーク(ニューヨーク、マンハッタン区の

アクセスセンター。Manhattan Neighborhood Network: MNN)のように、新たな取り組みを

始めているところもあり、アメリカのパブリック・アクセスは乱戦模様だ。 一方で、潰れ続ける新聞社に代わって、この報告書にある「プロパブリカ(ProPublica)」のようなNPO の調査報道機関が各地続々誕生し、その数 60 とも言われている。またケー

ブルによる市民放送制度に代わって、エイミー・グッドマンの「デモクラシー・ナウ!

(Democracy Now!)」はじめアグレッシブな独立系メディア群も増え続けている。制作拠

点としてはジョン・アルパートと津野敬子夫妻が中心となって続けてきた「ダウンタウン・

コミュニティ・テレビジョン・センター(Downtown Community Television Center: DCTV)」、湾岸戦争を機にディーディー・ハレックらが立ち上げてきた「ペーパータイガー・テレビ

ジョン(Paper Tiger Television)」、さらにWBAI などパシフィカ系ラジオも意気軒昂であっ

た。 特に印象的だったのは、若い人たちや次の世代を育てていこうとするメディア教育、メ

ディアによるエンパワーのさまざまな努力が試みられていることである。そうした実践は、

たいへん示唆的で勇気づけられた。今回は駆け足だったが映像制作のワークショップを通

じて若者たちの自立を支援するDCTVの教育部門PRO-TV、MNNの若者部門Youth Channel、数十の公立学校の生徒や先生をトレーニングする教育ビデオセンター(Educational Video Center: EVC)などの活動である。 パブリックメディアの苦戦の中で期待を集めているのは、「メディア・リフォーム」と呼

ばれるメディア改革のためのロビー活動団体である。大きなところでは「パブリック・ナ

レッジ」「メディアアクセス・プロジェクト」「コミュニケーション・ポリシー」「メディア・

デモクラシー・コアリッション」「センター・オブ・メディア・ジャスティス」などがある

ようだ。彼らは言論・表現の自由、公平で正確なジャーナリズム、公共性の高いメディア

民主主義がアメリカの歴史を支えてきたという認識で一致している。個人的ブログや市民

メディアだけでは、とうてい社会全体を維持・発展させられないという危機感が共有され

ている。総合的な政策と運動で改革の先頭に立つ「フリープレス(Free Press)」は、2011年 4 月を期して、ボストンでメディア改革大集会を開く準備を進めていた。 報告の最後に、アメリカのメディア・アクティビズムに実践的に寄り添ってきた研究者

たち、パブリック・アクセス運動史に詳しいラルフ・エンゲルマン(現・ロングアイラン

ド大学)、ペーパータイガーやディープディッシュ TV を立ち上げてきたディーディー・ハ

レック、EVC のエグゼクティブ・ディレクター、スティーブ・グッドマン各氏のインタビ

ューを加えた。興味のある方はそれぞれの著書や、『パブリック・アクセス・テレビ 米国

の電子演説台』(ローラ・リンダー/松野良一訳、中央大学出版局、1999 年)なども参考

にしていただきたい。 (文責:津田正夫)

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調査日程

調査は以下の日程で実施した。

9/13 フリープレス Free Press 9/14 プロティービー PRO-TV 9/15 デモクラシー・ナウ! Democracy Now!

ラルフ・エンゲルマン Ralph Engelman ディーディー・ハレック DeeDee Halleck スティーブ・グッドマン Steve Goodman マンハッタン・ネイバーフッド・ネットワーク Manhattan Neighborhood Network

9/16 ペーパータイガー・テレビジョン Paper Tiger Television ダウンタウン・コミュニティ・テレビジョン・センター

Downtown Community Television Center 9/17 プロパブリカ ProPublica

ダブリュビーエイアイ・エフエム WBAI-FM

調査団員

池田 佳代(NPO OurPlanet-TV) 川島 隆(滋賀大学経済学部特任講師) 白石 草(NPO OurPlanet-TV) 宗田 勝也(NPO 難民ナウ!)

津田 正夫(立命館大学産業社会学部特任教授)

コーディネータ&通訳

藤原 広美(ニューヨーク大学大学院) 通訳

竹村 朋子(立命館大学大学院社会学研究科) 協力

金山 勉 (立命館大学産業社会学部教授) 溝口 尚美(ダウンタウン・コミュニティ・テレビジョン・センター DCTV)

松浦哲郎(龍谷大学社会学部講師)

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調査報告

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ニューヨークのパブリック・アクセス放送局

マンハッタン・ネイバーフッド・ネットワーク Manhattan Neighborhood Network 以下MNNと略す

<組織概要>

法人形態:非営利団体 設立:1992 年 委員:19 人(任期 3 年) 有給職員:35 人 ボランティア:1200 人 予算:460 万ドル

ニューヨークの市民放送の歴史

ニューヨークでパブリック・アクセスの構想が始まるのは、1968 年にまで遡る。当時、

同市のケーブルテレビ諮問委員会の議長であったフレッド・フレンドリー(Fred Friendly)が、ケーブル会社は 2 つのチャンネルを市民に開放すべきとする報告書を提出したのであ

る(1)。1970 年、スターリング情報サービスとテレプロンプターの 2 社が、ニューヨーク市

とのフランチャイズ契約の枠内で、2 つのチャンネルを市民に、さらに 2 つを自治体に提

供することに合意した。翌年から実際に市民放送が開始される。そこに、カナダで「変革

への挑戦」プロジェクトに参加していたジョージ・ストーニー(George Stoney)が帰国し、

同年、ニューヨーク大学にオルタナティブ・メディアセンター(Alternative Media Center)が設立された。また教育学者のシアドラ・スクローヴァー(Theadora Sklover)は非営利団

体オープンチャンネル(Open Channel)を設立する。これらのアクセスセンターが中心と

なり、市民の番組制作の支援を行っていった。

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その後、1972 年の FCC 規則と 1984 年の連邦通信法を経て、地方自治体がケーブル会社

と個別にフランチャイズ契約を結び、それにもとづき徴収されるフランチャイズ料を財源

に 3 種類(市民・教育・自治体)のアクセス・チャンネルを設けるというルールが確定し、

パブリック・アクセス放送局は全米へと広がっていく。そして湾岸戦争後の 1992 年、新た

なアクセスセンターとして創設された非営利団体がMNN である。 組織の概要

MNN はアクセスセンターとして、番組制作・放送の機会を市民に無料で提供する。年

間予算は 460 万ドル、全米でも最大規模のアクセス局である。財源の 85%はケーブル会社

タイム・ワーナー(Time Warner Cable)が支払うフランチャイズ料であり、残りも同じく

RCN とベライゾン(Verizon FiOS)が負担している。地域のケーブル放送の 4 つのチャン

ネルを占有し、毎日 24 時間放送を行う。現在、1 シーズン(3 ヶ月)に約 1200 本の番組が

新たに制作され、上記のケーブル会社のケーブル網を通じて放送される。2009 年のデータ

では、新番組の合計は 13210 時間にのぼった。これは 1 日あたり 9 時間に相当する。多く

の移民を抱えるニューヨーク市ならではの多言語放送も特徴のひとつで、20 の言語で放送

が行われている(1)。 館内には 4 つのスタジオ(2 つの大スタジオと 2 つの小スタジオ)があり、平均で 1 日

に 13 回利用されている。撮影した映像をパソコンと専用ソフトで各自が編集できる編集室

は、つねに利用者の市民でにぎわっている。希望する市民には、カメラなど機材の貸出し

も行われている。マンハッタンの地域住民と同地域に拠点を置く NPO ならば無料で受講

できる技術ワークショップも提供しており、青少年へのメディア・リテラシー教育にも力

を入れている。 番組内容の傾向と規制方法 市民が制作した番組は原則的に申請の「先着順」に放送されるが、番組は①地域情報

(Community)、②生活情報(Lifestyle)、③宗教(Spirituality)、④文化(Culture)の 4 分野

に分類され、視聴者にとって見通しがつけやすくなる配慮がなされている。MNN で制作

される番組は、宗教団体による宗教番組が一番多い。次に多いのはヒップホップ音楽関連

で、三番目に社会問題を扱ったものが続く。 人種や宗教にまつわる差別的な番組が過去に問題になった例もあるが、それよりも商業

的なコマーシャルを行う違反が切実だという。とはいえ、放送内容をチェックする専門の

監督機関のようなものは存在しない。事前検閲は一切行われず、ただし視聴者からの苦情

の申し立ては受け付けている。利用者には違反防止ガイドラインを周知徹底しているが、

それでも行われた違反に対し、利用停止などのペナルティを科すかどうかは、スタッフが

協議して決定する。 利用者の動向 興味深いことに、インターネットの普及とYouTube など動画共有サイトの台頭を経ても

MNN の利用者は減らず、むしろ継続的に増えているという。その理由についてダニエル・

カフリン(Dan Coughlin)事務局長は、世の中に急激に新メディアがあふれたことにより

人々の関心が高まったことに求めている。新メディアを使いこなすには困難がともなうが、

アクセスセンターとしてのMNN に来れば無料でトレーニングを受けられるので、その困

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難が解消されるのである。 こうした状況を受け、マンハッタンにまた新たなコミュニティメディアセンターが建設

されることが 2007 年に決定した。特に新メディアの使用スキルを市民に伝達してデジタル

格差を解消するという機能が期待されており、2011 年の開館を予定している。

新しいコミュニティメディアセンターの模型 館内ツアー後、ダンさん(写真奥)のオフィスで詳細を聞く 取材の印象 機材の充実ぶりと、利用者の市民たちの活気には驚かされた。訪問当時、女性団体が女性

軍人にインタビューを行う番組を大スタジオで撮影中で、隣の小スタジオでは元受刑者の

コメディアンが時事問題を斬るトークショーを撮影中だった。「オルタナティブな放送」を

地で行く番組作りに、パブリック・アクセスの存在意義を実感できる。 インターネットの普及は、世界的に市民アクセス制度への逆風と受け止められているが、

ここではメディア・リテラシー、デジタルデバイドの解消、青少年のメディア教育といっ

たキーワードを手がかりに、アクセスセンターの存在意義を再定義するモデルが構築され

つつあると感じた。 <注> (1) Engelman, Ralph. "Origins of Public Access Cable Television," 1966-1972. Columbia, SC: Journalism Monographs. Number 123, Oct. 1990, p.32. (2) 利用者のデータに関しては、MNNのウェブサイトも参照のこと。http://www.mnn.org/ <取材データ> Manhattan Neighborhood Network 訪問日時: 2010 年 9 月 15 日(火)15:00~17:00 住 所: 537 West 59 Street, New York, NY 10019 Tel: 212-757-2670 Fax: 212-757-1603 インタビュー対象者: Dan Coughlin (Executive Director)

(文責 川島隆)

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時代の波に順応しつつミッションを維持するメディア ダウンタウン・コミュニティ・テレビジョン・センター Downtown Community Television Center 以下 DCTV と略す <組織概要> 法人形態:非営利団体 設立:1972 年 職員:フルタイム 16 人、パートタイム 12 人 ボランティア:6 人 予算:200 万ドル 創成期~ロフトからビル所有へ 主流メディアが伝えないことを伝える独立系メディアであり、また、マイノリティの若

者をサポートする中高生向けの映像制作ワークショップ(以下、Youth Program)に定評の

あるDCTV。始まりは、チャイナタウンやその周辺に暮らす中国系やプエルトリコ系の移

民たちの現状を描いたドキュメンタリー作品がニューヨーク(以下、NY と略す)市の文

化振興職員の目にとまったことがきっかけだった。それを制作したのは、当時アルバイト

で生活費を稼ぎながら、個人的な表現活動をしていた津野敬子さんとジョン・アルパート

(Jon Alpert・共同設立者)さんである。 ある日、二人のもとを訪ねた NY 市の担当者は、中国語やスペイン語でチャイナタウン

に暮らす人々を描いたドキュメンタリーに感銘し、NPO(非営利団体)として活動するな

らば助成金を与えたいと申し出たという。「コミュニティビデオ」と称して見せた作品は、

マスメディアが伝えようとしないマイノリティの日常や現実を取り上げており、社会性に

優れていたことが高く評価されたのだった。 「当時はヒッピー的なカルチャーが活躍していたので、それに比べると、私たちは移民

を主題にするなど、非常に地味なものだった。教育的な、当時としては、色あせて見える

グループ」と、津野さんは謙遜気味に述懐した。個人の活動から組織化へのきっかけはNY市のお墨付きと活動資金の提供だったと言えそうだ。 1972 年、拠点は津野さんのロフト(自宅)に置き、スタッフは津野さんとアルパートさ

んの 2 人体制でスタートしたDCTV。1 年目の事業計画はひと夏で 40 のワークショップを

行い、40 の作品をつくること。参加費と機材使用料(使い方をマスターした人のみ)は無

料という告知を中国語やスペイン語の新聞に掲載し、人々の関心を引くために路上で映像

を見せるなどして参加を募った。その結果、街の人々は注目し、多数の参加に至った。こ

の活動に手ごたえを強く感じた二人は、以後 20 年間、この無料ワークショップを継続する。 2 年目は津野さんのいとこが加わりスタッフは 3 人、その数年後はフルタイムスタッフ

を 2 人雇い、津野さんとアルパートさんの 4 人体制へと増員した。1970 年代後半までに、

事業の半分は映像制作、もう半分は無料のワークショップとレンタルへと規模が拡大し、

ロフトでの運営は限界となった。そこへタイミング良く、元消防署だった廃ビルが見つか

ったため、2 階を手に入れて移動した(現在のDCTV)。

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スペースの拡大は、さらにプログラム増とスタッフ増を実現した。フルタイムスタッフ

5-6 人、パートタイムのワークショップ講師 4-5 人という約 10 人体制で、定員 10 の講

座を 3 つ、週 1 回ずつ実施し、週 30 人の受講が定着した。1977 年からYouth Program を開

始し、1979 年からは中学校でも講座を開始、さらに 1 階の広いフロアで上映会を実施する

ようになった。1980 年代には 2 階以外のフロアも全て購入。経費を節約するため、内装工

事はできるだけ自力で行い、古い建物を補修しながら維持してきたという。 廃屋だった 3 階建てのビルは現在、広さ 25,000sq ft(7,620 平米)、3 階はスタジオ、2 階

は編集室、講座室、レンタル受付と機材室、そしてオフィスなど主要な機能が集まり、1階は広い多目的スペースを有している。要望に応じて各フロアをイベントや上映会場に貸

し出すなど、多機能なメディアセンターへと発展を遂げた。

発展期~三度の事業転換 1980 年代、DCTV は初めて困難な課題に直面する。レーガン大統領時代に採られた、文

化的事業に対する助成金の中止や削減策の影響だ。この政策によってかなりの NPO がな

くなったという。DCTV の場合は、助成金が減額されたため、無料ワークショップの経費

を賄うために、営利事業(映像制作や機材レンタルなど)を行い、その収入を減額分に充

てようと事業を転換した。安価なレンタルサービスは、高価な最先端の機材やスタジオを

持てない独立系の制作者に好評で事業も好調だった(80 年代の収入割合は、助成金 20%、

レンタル 50%、映像制作その他が 30%)。 すると今度は、NPO が営利事業をやってはいけないと法務や会計関係者たちが指摘する

事態がおきた。そのため、制作やレンタルなどの営利事業部分と教育を行う非営利事業と

を分割するという選択をせざるを得なくなり、再び事業転換を図った。 1990 年代半ば、ビデオフォーマットが革新を遂げたことで、レンタル事業は打撃をうけ

た。ベータカムや 4 万ドルもするようなカメラよりも高機能で安価なものが出回り、編集

室を一時間数百ドルかけて借りなくても編集できる時代になったのだ。そこで、ニーズが

減少したプロフェッショナル向けのレンタル事業は廃止し、営利事業のDCTV は映像制作

中心へと移行した。これによって、放送向け映像制作への配給収入が全体の 50%以上を占

めることになった。三度の事業転換である。 しかし、最近では配給収入も 50%を切り、有料ワークショップの収入がそれを補ってい

るという。有料ワークショップの特徴は、映像制作にかかる全般をカバーしていること。

2010 年秋‐冬コースの案内(1)を参照すると、グラフィック・ウェブデザイン/動画制作・

加工/プロデュース/映像制作/映像編集と 5 つのコースがあり、ソフトウェアは

adobeCS4、Final Cut Studio3(iMac OS X10.6 Snow Leopard)を用いる。主な講座の定員は 2人以上 6 人以下の少人数制であることから、丁寧に教えようという姿勢が感じられる。

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「100 ドル単位の大学などが実施する講座よりも 1 ケタ安い金額で役立つことが学べる」

と津野さんは同講座を強調する。例えば、プロデュースの講座は、映像制作の企画、制作、

公開までの過程における資金調達、制作管理や体制づくり、法律上の権利関係や遵守事項、

配給や流通の手法などを、現役のプロデューサーから学べる内容だ。実践的なノウハウの

提供は、駆け出しの映像制作者にはありがたい。 また、「低料金だから古いテクノロジーを教えている、ということにならないよう、常に

最先端の技術を学べるように努力している。これが生き残りの理由の一つかも」と津野さ

ん。レンタル事業も同様に、今でも最先端の機材を確保し、独立系の制作者たちに安価で

提供している。 さらなる発展へ~事業モラルの一致 2012 年に 40 周年を迎える DCTV は、記念すべきその年の秋にデジタルシアター(HDシアター)をオープンする。これは、September.11 で大打撃を受けたダウンタウンの再生

に向けてNY 市が用意した文化的な開発予算から、270 万ドルの建設費を調達したもの。 主に、独立系映画や Youth Program など、普通の映画館では見られない作品を上映し、

将来は、トライベッカ映画祭との提携、地元映画館との交換、日本など国外制作者との交

換プログラムの実施などをめざしており、その資金調達はこれからだという。ウェブを通

じたコミュニケーション・システムも活用する予定だ。 実は、この事業計画は当時雇っていた NPO 業界で実績を積んだファンドレイザーの功

績によって 3 年以上も前に決定したのだが、DCTV の建物が公共施設の建築基準を満たし

ていないという理由で着工できずにいた。そこで、障害者のアクセス保障や消防法などさ

まざまな法令に適合するため、数年前に借金でエレベータを作り、最近やっと非常階段が

完成した。晴れて基準は満たされ、来春の着工が決まった。私たちが訪問した当日は、ま

さにそのキックオフミーティングが行われた。「(ビルの購入から)ここまで来るのに 25年かかった」と津野さんは感慨深げだ。 人材確保について尋ねると、「講師は最先端のソフトや機材を使いこなす人」と答えた。

そのために入れ替えは激しくなるが、1 つの職種に対してすぐに数百の応募が舞い込むと

いう。DCTV が一番力を入れている Youth Program の講師については特に、技術や知識だ

けでなく、生徒たちを指導することへの意欲や情熱が重視される。生徒たちは 10 代の多感

な世代であり、マイノリティ出身者が多い。薬物や貧困など困難な家庭環境にある生徒た

ちにも対応できる人間性が求められる。結果的には、白人の講師を雇うことは少なく、ま

た、若い世代が多いという。 現在のスタッフは約 30 人。「それぞれが各フロアをマネジメントし、経済的な収支の努

力に励んでおり、赤字を免れている状況。いいスタッ

フに恵まれている」と述べ、「ただし、事業転換によっ

て空いたスタッフをやめさせることは困難」と家庭的

な組織ゆえの課題も加えて述べた。そして、「事業モラ

ルが一致しているということは、お金には代えられな

い成果」と言葉をかみしめるように答えた。 津野さんのモチベーションはどこから来るのか、と

いう質問に「メディアは媒体。それを使って社会が良

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くなればいい。技術が身に着けばよいというのではなく、それによって生きるために役立

つものを得ることが目的であり、紙とペンの代わりにカメラを使っているだけ」と答えた。

また、最近、共同設立者で代表のアルパートさんが「DCTV を立ち上げたことは人生の中

で一番の誇りだ。エミー賞(2)などたくさんの賞よりも、この組織は一番人間的で、目的が

はっきりしていて、誇りに思う」と述べたといい、津野さんもそれは同感だという。そし

て、「ミッションは今も変わっていない」と。 一番好きな自分の作品は、チャイナタウンを描いた「Third Avenue(三番街)」(3)だが、

最も思い入れが強いのは「Invisible Citizens - Japanese Americans(見えない市民―日系アメ

リカ人)」だという。日系移民が収容所に入れられた問題をアメリカで最初に取り上げたも

ので、日本人として伝えなければという使命感で作ったという。1970 年代は、「独立系の

ドキュメンタリストは少なかったので、たくさんの人たちに伝えたい、という使命感がモ

チベーションになった」。そして、「今は、独立系メディアが増え、才能豊かな人たちがた

くさんいる。そういう人たちを間接的にでもサポートすることが今の使命だと思っている」

と結んだ。 アルパートさんは今、September.11 事件後に始めた「サイバーカー・プロジェクト」(4)

のメンバー10 人のうちの一人だ。これは、銃が引き起こす事件・事故をなくすために、NY市内の学校や街頭で銃社会の問題を訴える 40 本のビデオ上映を行うキャンペーンで、

Youth Program で制作した作品も上

映する。子どもを銃殺された母親な

どの遺族がその場でスピーチを行う

と、聴衆との議論にも発展する。彼

は今後、NY を飛び出して、アメリ

カ各地でキャンペーンを行いたいと

構想しているそうだ。 「引退後の組織の見通しがつい

たので、今年の夏は初めて休暇を取

った」と述べる津野さんだが、HDシアターのオープンとその後の事業

展開へと仕事は尽きない。今後も多

忙な日々は続きそうだ。

非営利メディアの使命と継続の関係 組織を始めるのは簡単だが継続は難しいものだ。40 年の歴史を持つ DCTV を例に、組

織の継続を成し得た鍵となる要素を挙げてみたい。第一は、明確なミッション―ここでは

ドキュメンタリーを制作する独立メディアとしてのスタンス、Youth Program の実施だ。第

二は、ミッションに基づく活動を十分に実施できる設備、第三は、時代の変化を意識した

フレキシブルな事業運営。そして、第四は、それらを理解して共に働く人材。以上の要素

を確保したことで、それらが相互に良く作用し、組織の継続に至ったのではないか。設備

や資金は不可欠だが、ミッションが明確で揺るがないことで、社会における存在意義を増

すこと、さらに、事業モラルを一致できる人材の確保につながったと推測する。 サイバーカー・プロジェクトはその意味においても、DCTV の原点を彷彿とさせ、象徴

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的だ。しかし、車両は 40 年前と同じ乗用車のバンではない。長いボディに「BEYOND BULLETS~AMAERICAN USING MEDIA TO STOP GUN VIOLENCE」の文字とカメラを持

った人、マンハッタンの高層ビル群が描かれ、映像を映し出す液晶モニターが配された大

型トレーラーである。人目を引かずにはいないであろうパワフルなサイバーカーは今、多

くのスタッフとともにチャイナタウンを飛び出し、NY の人々に現実の社会を伝えている。

変わらぬミッションを乗せて。 取材の印象 年に一度のファッションウィークで賑わう NY。訪問した日の夕刻、それに関連したイ

ベントがDCTV の1階を借りて行われており、個性的なファッションの若者たちが吸い込

まれていった。夜、その片付けでエレベータを行き来する人や、外で会話を続ける人たち

の姿があった。その佇まいはチャイナタウンに根付いていることを感じさせた。 <注> (1)DCTV発行のパンフレット「Hands-On Workshops For Digital Media Artists Sep-Dec 2010」にワーク

ショップのガイダンスが掲載。 (2)PRO-TVの注(3)を参照のこと。 (3)フレーク映像(www.flugeizo.com/lineup/DCTV.html)から日本語字幕付きDVDが提供中。 (4)「ScanLines~Independent Media Arts News From DCTV」(Summer/Fall2010)1面に今夏のキャンペー

ン記事が掲載。最終頁には支援者・団体などの一覧が掲載。 <取材データ> Downtown Community Television Center http://www.dctvny.org/ 訪問日時:2010 年 9 月 16 日(木)17:00~18:00 住 所:87 Lafayette Street New York, NY 10013 Tel: 212-966-4510 (ex. 622) Fax: 222-226-3053 インタビュー対象者:Keiko Tsuno (Co-founder) <関連書籍> 『ビデオで世界を変えよう』津野敬子著/草思社/2003 年

(文責 池田佳代)

Page 16: アメリカの市民メディア2010調査報告書

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アメリカを代表する独立系メディア(ニュース番組制作団体)

デモクラシー・ナウ! Democracy Now! 以下 DN!と略す

<組織概要>

法人形態:非営利団体 設立:1996 年 職員:常勤 19 人、パートタイム 10~15 人 インターン:40 人 ボランティア:数百人 予算:450 万ドル

DN!の歴史 独立系メディアとしての DN!は 1996 年 2 月、非営利放送ネットワークのパシフィカ・

ラジオ(Pacifica Radio)のニューヨーク局(WBAI-FM)(1)の番組として放送を開始した。

メインキャスターを務めるエイミー・グッドマン(Amy Goodman)は、1990 年代の初頭に

東チモールの虐殺をレポートして名を上げたジャーナリストである。もう一人の看板記者

であるフアン・ゴンザレス(Juan Gonzalez)とともに、彼女のカリスマ性が実質的にDN!を牽引している。当初、この番組は大統領選挙を扱う期間限定のプロジェクトとして想定

されていたが、大きな人気を集めたため恒常化され、パシフィカの看板番組に成長してい

った(2)。 ところが 1999 年、パシフィカの運営委員会と、グループ傘下の 2 つの局(バークリーの

KPFAとニューヨークのWBAI)のあいだで運営方針をめぐって勃発した紛争のさなかで、

委員会を批判する側に回ったDN!は、一時的にパシフィカから追放された。しかし、これ

が新たな飛躍のきっかけとなる。2001 年 9 月の同時多発テロ直前、パブリック・アクセス

チャンネル(PAC)を介した情報発信を打診された DN!は、チャイナタウンの DCTV(3)

の賃貸スタジオを借り、テレビ放送を始めたのである。当初はラジオ放送の収録をそのま

ま撮影するという手法で、これを PAC でケーブルテレビ放送するとともに、インターネッ

トのストリーム配信も同時に始めた。大手マスメディアがテロへの報復と戦争支持一色へ

と染められていくなかで、DN!は戦争反対の声を伝えつづけた。2003 年のイラク戦争に際

しても反戦の姿勢を貫いたDN!は独自の視点からの

ニュース番組として注目を集め、やがてアメリカの

独立系メディアを代表する存在として認知されるに

至る。グッドマン氏は、「オルタナティブなノーベル

賞」と呼ばれるライト・ライブリフッド賞(2008 年

度)をはじめ、数多くの賞を受賞している。

Page 17: アメリカの市民メディア2010調査報告書

15

組織の概要 2002 年 6 月から非営利団体として活動している。企業のスポンサーは一切受け付けず、

450 万ドルの年間予算の約半分が個人・団体の寄付金によって、残りの半分は番組と関連

商品の売り上げによって賄われている。グッドマンとゴンザレスを筆頭に、7 名の記者を

抱える。彼らを含めて常勤の有給職員は 20 人足らずだが、パートタイム職員と多数のボラ

ンティアが番組制作を支えている。2009 年末から都心の新スタジオに移動した。かつての

製本工場を再利用したビルで、環境に配慮した素材を使用し、機械室も徹底して熱効率を

追求したデザインとなっている。厳格なエコロジー基準をパスした全米でも稀有なテレビ

スタジオである。

収録を観覧できるガラス張りのテレビスタジオ(左)と、

その前のラウンジ(右)。調度品は支援者からの寄贈も。

放送体制 番組は平日に毎日一時間生放送され、全世界の 850 以上の放送局(テレビ・ラジオ)で

中継されている。パシフィカや PAC、公共放送ネットワークの他に、コミュニティ放送や

大学放送がその内訳である。世界コミュニティラジオ放送連盟(AMARC)や中南米ラジ

オ教育連盟(ALER)とのパートナーシップにより、中継局の数は増大した。2005 年から

は中南米向けのラジオ放送のためにスペイン語版のヘッドラインも作成している。ラテン

アメリカ諸国のコミュニティラジオは、インターネットでデータを受信し、それを地域に

向けて地上波で放送するという手段をとっているという。 また 2003 年からは、難聴者の利用を想定して番組の文字起こしの作業を始めた。作業

はライブ放送と並行して行われ、後にウェブサイトにアップロードされる。これは、番組

を見る時間のない人もウェブマガジンのように利用でき、かつ Google などインターネット

の検索サービスでヒットする可能性が高まるので、番組で取り上げた特定の社会問題に関

心を抱いている人にDN!の存在を知らしめる効果もある。

Page 18: アメリカの市民メディア2010調査報告書

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番組内容 政治・社会問題の分野で調査報道を行う。主流マスメディアの流動性とは違い、一つの

問題を持続的に追いかける姿勢がDN!の特徴となっている。最近では、天然ガス開発に関

わる問題など、DN!の地道な調査報道の積み重ねが主流マスメディアの取り上げるところ

となり、さらに大きな反響を呼ぶという相互作用も見られるようになった。 他の独立系メディアとの協力関係も特徴で、世界各地のジャーナリストや活動家とコン

タクトを取り、現地から素材を送ってもらい、番組作りに生かしている。最近ではパキス

タンの洪水被害に際して、主流マスメディアが国連の人道支援の模様やヘリからの俯瞰映

像に偏りがちであるのに対し、難民キャンプからの持続的なレポートにより、当事者の声

を伝えることに成功した。また市民からの素材の投稿も随時募集しており、全米から常に

応募があるという。ただし、完成された形での外部からの持ち込みはDN!の番組としては

放送されない。 インターン 現在、ビデオ制作とニュース制作の二部門でインターンを募集している。期間は 6 ヶ月

から。インターンとして働く若者たちに話を聞いたが、いずれも過去にDN!の放送を視聴

してファンになり、他のメディアが決して伝えないことを伝える姿勢に共感して参加した

と語っていた。 取材の印象 DN!は、自由ラジオのオルタナティブな精神が、パブリック・アクセス制度とインター

ネットの技術革新にうまく接続できた成功例である。 グッドマンさんや主な取材スタッフは残念ながらドイツに出かけており不在だったが、

応対してくれた財務部長のミリアム・バーナード(Miriam Barnard)さんをはじめ、職員や

インターンたちが自分自身DN!の番組の「ファン」であることを口々に語っていたことが

非常に印象的だった。声なき声を伝える、というコンセプトが広い共感を呼び、視聴者か

らの寄付と若い世代の人材を集めることに直結しており、持続的な活動のためのサイクル

が成立しているように思えた。 <注> (1) 本報告書のWBAIの章を参照。 (2) DN!の歴史に関しては、ウェブサイトも参照のこと。http://www.democracynow.org/ (3) 本報告書のDCTVの章を参照。 <取材データ> Democracy Now! 訪問日時:2010 年 9 月 15 日(火)9:00~11:00 住 所:207 West 25th Street, 11th Floor, New York, NY Tel: 212-431-9090 Fax: 212-431-8858 インタビュー対象者: Miriam Barnard (Director of Development)

(文責 川島隆)

Page 19: アメリカの市民メディア2010調査報告書

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受け継がれるリクレイミング・メディアのDNA

ペーパータイガー・テレビジョン Paper Tiger Television(Video Collective)以下ペーパータイガーと略す

<組織概要>

法人形態:非営利団体 設立:1981 年 スタッフ:1 人(パートタイム) 予算:80,000 ドル

ペーパータイガーの現在 ペーパータイガーは、「マスメディアは張り子の虎である」とのメッセージとともに、

約 30 年前に創設された。コレクティブという、自発的で上下関係のない人々の集まりによ

る映像作品の制作・発信により、情報産業の神話を打ち砕くことをミッションとする。ラ

ディカルな目標を掲げつつ、「楽しさ」「クリエイティビティ」そして「ユーモア」を重要

視した活動を創設以来、現在も続けている(1)。 毎週 1 本もしくは 2 本の短い作品をウェブサイトで配信することと、テレビ用の長い作

品の制作という 2 点が現在の取り組みである。テレビ用の作品は、MNN などを通じて放

送されるほか、過去 2 年間に 12、3 の作品を制作、衛星放送であるフリースピーチ TV を

使って提供し、それを地方局がダウンロードしてパブリック・アクセス・チャンネルで放

送したという。また放送だけでなく、大学や高校で作品がメディア教育の教材として活用

されたり、ニューヨークにとどまらず、他の州や海外で上映会(スクリーニング)を行っ

たりしているという。このうち上映会は、屋外やコーヒーショップ、時には大学のシアタ

ーなどで行っており、会場でパフォーマンスと組み合わせて参加者と交流しながら、イベ

ント自体をメディアとする試みも行っているという。唯一の有給スタッフであるバイク

(Byck)さんによれば、「昔、作ってきた番組は啓蒙的だったが、今やろうとしているこ

とは、もっとオープンなもので、自分たちで考えてもらって、その反応が返ってくるよう

な試み」とのことだった。 では、具体的なテーマはどのようなものか。幸運にも窓際に立てかけたホワイトボード

に、毎週水曜日に行われている制作と運営に関するミーティングの議案が残っていた。そ

れによると、「コミュニティガーデンや、書店、オルタナティブな学びの空間など、自治的

なスペースをどのように作るか」「クレジットカードの契約が非常に複雑なので、長文でし

かも細かい文字で書かれた契約書をオペラのように歌うという皮肉を込めた『クレジット

オペラ』の制作」「マスメディアが、人々をどのように欺くかということをテーマにしたビ

デオ作品を募集する参加型の取り組み・『Deception(欺き)』」「デトロイト・キックスター

ターという、ビデオ制作のための資金集めが可能なウェブサイトの活用」、そして「本来、

市民のものであったにも関わらず、企業によって奪われたファッションや音楽、シアター

を、再び取り戻そうというリクレイミング(取り戻す)をテーマにした番組の検討」など

の議論が分刻みで行われたことが記されていた。

Page 20: アメリカの市民メディア2010調査報告書

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いずれのテーマも、説明を聞きながら笑ってしまうような「ユーモア」に溢れながら、

社会問題へのラディカルな視点に貫かれている。彼らは、こうした取り組みを「クリエイ

ティブ・レジスタンス(創造的な抵抗)」と呼んでいた。 ネット時代のペーパータイガーの役割 一人ひとりが自分たちで作品を作って、ウェブサイトで配信する時代にあって、ペーパ

ータイガーの役割はどのような点にあるのだろう。バイクさんは、ペーパータイガーとい

う「場」がローカルなコミュニティに根付いていることと、社会問題に関わりをもってい

ることを、個人の取り組みとの相違点として挙げた。その上で、「Deception(欺き)」のよ

うな参加型のメディアプロジェクトを通して、そうしたコミュニティが広がればと展望を

話してくれた。 しかし、ペーパータイガーのような取り組みは、ニューヨークというアーティストやア

クティビスト、アカデミックの人たちが集中する場所だからこそ可能なのではないだろう

か。重ねての質問には「例えば、リクレイミング・アートは他の地域のアーティストにも

必要なことなので、ペーパータイガーのようなやり方は可能だと思う」という答えが返っ

てきた。

ペーパータイガーほか市民運動

団体などが安価で入居するビル。

NPO が所有する。(写真左)

インタビュー中、「リクレイミング」

の意味をインターネットで調べて

「取り戻す」と日本語を書いて教

えてくれたインターン。(写真右)

30 年間続いた理由 ペーパータイガーが勝ち取った最大のものは、「現在も活動を続け、そして人々の関心

を引く作品をクリエイトし続けていること」だという。では 30 年間、コレクティブという

形態で活動が続いた秘訣はどのような点にあったのか。バイクさんは、3 点を挙げた。先

ず低予算の運営。お金が少なくて済むというのは、より自由であるということにつながる

という。これは入居しているビルが、非営利団体の所有であることから非常に安い賃料で

借りられることも大きな要素になっている。次に彼らが掲げる「楽しさ」「クリエイティビ

ティ」「ユーモア」は、人々が根本的に求めているものである点、そしてペーパータイガー

の名前が既に有名となっていることから人が集まりやすい点―の 3 点であった。 加えて、彼女だけが有給スタッフであることに、「一人が有給なのはよくないと思いま

す。全員が有給か全員が無給であるべきです。本当はコレクティブのメンバーだけで運営

されるのがよいのです。弱くてもヒエラルキーが成立してしまうので」という言葉に、30年間続いてきた秘訣があるように感じた。 日本に目を転じると、アーティストも仕事が厳しくて、制作に時間をかける余裕がなく

なっている状況だ。ニューヨークもペーパータイガーがスタートした 1980 年代に比べて生

活費が高くなり、仕事のためにクリエイティブなものに時間が割けなくなっている。そう

Page 21: アメリカの市民メディア2010調査報告書

19

した中であっても、趣味に時間を割いている人や、テレビを見ている人がいたら、「見るの

ではなく、作りましょう」と呼びかけているという。ニューヨークという場所だからこの

ような取り組みが実現するのではないように、時間が、クリエイティブな活動を完全に根

絶やしにする要素ではないことを願いつつ、クリエイティブな活動が経済的な状況に束縛

されず、自由に行えるような仕組みの必要性を強く訴えたい。

パブリック・アクセスの困難について 最後に、パブリック・アクセス・チャンネルの困難な状況に意見を求めた。 「パブリック・アクセス・チャンネルは必要だと思います。ペーパータイガーは、映像

作品を作ることが楽しいこと、簡単なことと示すことによって、パブリック・アクセス・

チャンネルの存在を助けることができるのではないかと考えます」 具体的にパブリック・アクセス・チャンネルを使って、こんなことができると示すこと

が役割であるとの認識だった。 取材の印象 訪問前、当初の勢いは失われているのでないかと考えていた。しかし、その予想は全く

裏切られた。コレクティブは入れ替わりを重ねながら、中心メンバーは常に 20 代から 30代である。「先駆者がやってきた方法論を新しくすることにチャレンジしています」という

バイクさんの言葉通り、メディアを人々のために取り戻すリクレイミング・メディアの

DNA は受け継がれるだけでなく、進化を続けていた。 <注> (1)ペーパータイガーの活動に関しては、ウェブサイトも参照のこと。 http://papertiger.org <取材データ> Paper Tiger Television 訪問日時:2010 年 9 月 16 日(木)13:00~15:00 住 所:339 Lafayette Street, New York New York10012 Tel: 212-420-2800 Fax: 296-8334 インタビュー対象者:Maria Julianna Byck(Administrative and Distribution Manager)

(文責 宗田勝也)

バイクさん(前列右から2番目)を囲みインターン(前列右端)も一緒に

Page 22: アメリカの市民メディア2010調査報告書

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番組制作中のスタジオを見学

市民が支える、大規模 FMラジオ局

ダブリュビーエーアイ 99.5・エフエム WBAI99.5FM(FM RADIO STATION)以下 WBAIと略す

<組織概要>

法人形態:非営利団体 設立:1960 年 スタッフ:35 人(2010 年) 予算:320 万ドル

WBAI とパシフィカ・ラジオ(Pacifica Radio) 現在、全米に 5 つのラジオ局と、150 に及ぶ系列局を擁するパシフィカ・ラジオは 1949

年、世界初の、リスナーがスポンサーとなるラジオ局・KPFA がカリフォルニア州バーク

リーに開局したことから始まる(1)。創設者で平和主義者(Pacifist)であるルイス・ヒル(Lewis Hill)の目的は、第二次世界大戦後、反戦の声を伝えることであった。その後、ロスアン

ゼンルスにKPFK、ヒューストンに KPFT、ワシントンDC に WPFW を開局。また草の根

のコミュニティラジオの取り組みに関心を持ち、現在も積極的なネットワークの構築を目

指している。その根底にあるものは、放送波は Public Trust であるという信念であり、すべ

ての人種、国籍を通じたコミュニケーションによる平和と公正の実現、公共の対話と文化

の振興による民主主義への寄与のためであるとしている。 WBAI は 1960 年、慈善家のルイス・シュワイツァー(Louis Schweitzer)によって、パシ

フィカ・ラジオのネットワークに加わった。2010 年は開局 50 年に当たり、11 月 8 日には

ブロードウェーのスターを交えての記念パーティが開催されるとウェブサイトに華々しく

掲載されている(2010 年 11 月 4 日現在)(2)。

東海岸を可聴エリアとし、出力は 20 万ワットである。この数字を耳にしたとき、訪問

した誰もが、スタジオのツアーを担当してくれた、プログラム・ディレクターであるベイ

ツ(Bates)さんが説明を間違えたのだろうと受け取った。しかし、実際に 20 万ワットだ

ったのである。ちなみに日本のコミュニ

ティ FM局は、通常 20 ワット(災害時な

どを除く)であり、近隣の住民から「応

援しようにも聴けない」という苦情さえ

あるのが実情だ。運営費は 8 割強が市民

からの個人寄付であり、残りがCPB交付

金と、本や DVD の販売による収益であ

る。市や州、連邦政府および企業からの

出資は一切受けておらず、PBS や NPRが企業の寄付を大きな収入源としている

のとは対照的である。

放送内容は、政治的なものばかりでは

Page 23: アメリカの市民メディア2010調査報告書

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なく、アート、特に他局ではあまり放送されない外国音楽などを大切にしている。これは

若いリスナーを獲得する目的でもある。演奏用のスタジオもあったが、全米ツアーなどで

ニューヨークを訪れたバンドが演奏することがあるそうで、ストリートミュージシャンに

開かれたものではなかった。

番組の方針 彼らが大切にしている視点は 2 つ。1 つは、オルタナティブなものを伝えるということ

である。例えば、ゼネラル・マネージャーのライマーズ(Reimers)さんによれば、アフガ

ン・イラク戦争の時は、戦況や戦場の様子ではなくデモを伝えた。また最近は、黒人と警

察の衝突に多くの時間を割いているという。 そしてもう 1 つは、深く伝えるということである。「メインストリームのメディアは長

い出来事を短くしますが」とライマーズさんは話した。 では情報は誰が発信するのかという質問に対しては、例えば、ゲイやレズビアン、トラ

ンスジェンダーなど様々なマイノリティのコミュニティにいる人々が来て声を伝えている

そうだ。元受刑者がホストになって行う番組もあるという。ほかにも、アジア太平洋地域

や、中東の声、そしてメインストリームのメディアにはないアートや教育など、ラジオを

使って様々な視点を伝えることの重要性について強調した。演奏用のスタジオもそうだが、

市民が自由に行き交って、思い思いのことを話して帰るような「場」ではなかった。一定

の質というものが求められ、リスナーもそのために寄付をしようとしているのである。 ラジオという古いメディアについて ラジオという古いといわれるメディアについて、どのような可能性があると思うかにつ

いて聞いてみた。ベイツさんの返答はいたってシンプルであった。「ラジオは古いメディア

ですが、人々をつなぐ役割のためには有効です。そして、なぜそれがユニークかというと、

人々のパーソナリティに直接つながることができるからです。例えば普通の放送を聴かな

い人が、例えば実験的な取り組みですが、facebook にはコメントをします。それで若い人

たちともつながっています。また放送するにあたっては、ウェブサイトを通じて発信する

ことが義務付けられています。5 つの姉妹局と、150 局の系列局があるので、facebook が嫌

いだという人は、ウェブサイトで聴いてもらっています」。ネットやソーシャルメディアを

活用しながらも、あくまでラジオ局からの発信をベースに置くことで、人々のパーソナリ

ティをつなぐことに役立っているという。ラジオのこうした特徴については再考の価値が

あるのではないだろうか。

今後の課題 近年、WBAI では、資金難とリスナーの高齢化が課題になっている。資金に関しては、

オバマ大統領になってから寄付額が落ち込んだそうである。これは、前政権時に寄付金が

多かったことからも、社会問題に対するラジオの役割が重要視されていることの裏返しで

あるといえそうだ。オバマ政権にも賛否両論が高まる中で、寄付額がどのように推移して

いるかは興味深い点でもある。一方、リスナーの高齢化に対しては、先述したような音楽

番組の充実などで対応しようとしている。

Page 24: アメリカの市民メディア2010調査報告書

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取材の印象 市民の寄付が支えるラジオ局と聞いて、厳しい予算の中、何とか運営を続けようとして

いる、日本の非営利コミュニティ FM 局と重ね合わせていた。しかし、ウォール街のイー

ストリバー沿いにある 10 階のオフィスに到着して驚いた。日本円にして年間約 3 億の事業

費で運営されている放送局であった。市民が、自分たちにとって必要な情報を発信してい

るとみなせば、そこに寄付、そして人が集まる社会。その中で高い目的意識を持って仕事

に従事するスタッフ。オルタナティブな情報発信を取り巻く法律や制度はもちろん重要だ

が、それを下支えする市民の意識にはどれくらいの隔たりがあるのだろうか。ビルを離れ

る際、日本にも寄付によって、十分な資金を得るオルタナティブなメディアが登場するこ

とを心から望んだ。 <注> (1)パシフィカ・ラジオの歴史やネットワークに関しては、ウェブサイトも参照のこと http://pacificanetwork.org/ (2)WBAIの歴史に関しては、ウェブサイトも参照のこと http://www.wbai.org/ <取材データ> WBAI99.5FM 訪問日時:2010 年 9 月 17 日(金)14:00~16:00 住 所:120 WALL Street, 10th Floor New York, New York 10005 Tel: 212-209-2800 Fax: 212-747-1698 インタビュー対象者:Berthold Reimers(Interim General Manager) Tony Bates (Interim Program Director)

(文責 宗田勝也)

思いがけず収録に臨むことになった筆者(奥)日本語での局紹介を行った

Page 25: アメリカの市民メディア2010調査報告書

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<コラム> FCC アポなし訪問記

白石 草

ワシントンの官庁街の南に位置する米国通信委員会(Federal Communications Commission: FCC)。

米国の苦情処理について、その一端を知りたいと思い、ここを訪問した。といっても、担当者にア

ポイントメントを取る余裕がなかったため、地下1階にあるインフォメーションセンター(the FCC's Reference Information Center)を見学することにした。

FCC は、地上10階地下2階のビルで、入り口は、空港のようなセキュリティチェックがある。

しかし、案内してくれた担当者は、特に予約もしていない外国人に対し、非常に丁寧に苦情処理に

関する手続きや情報開示について教えてくれた。 インフォメーションセンターは、資料庫のほか、コピールームと自習室がある。(文末写真中)

ここを訪れる人は、月200人程度。放送局についての情報を知りたいという人は少なく、技術関

係の事業者や新しく放送局を設立したい人などが多い。その理由は、放送局に関わる情報は全て、

FCC の WEBサイトに掲載されるためだという。 苦情処理や問合せに関しては、「Filing Complaints」というページに問合せフォームがあり、ラジ

オ・テレビや広告に関する苦情から、ケーブルテレビのモデムやネット回線のことまで、様々な意

見を送ることができる。このほか、電話、ファックス、郵便、E メールでも受け付けており、それ

らは、全てデータベース化されている。テレビに対する苦情は非常に多いため、処理に数年かかる

こともある。その場合、自分の送った意見や苦情が、どう対応をされているかも、経緯もサイト上

で知ることができるという。このほか、過去に出された警告や命令をはじめ、放送局のオーナー情

報などもすべてサイト上に蓄積されている。作成した公式文書は全てサイトに公開しているといっ

ても過言ではない。

また Facebook やユーチューブ(YouTube)などのソーシャルメディアも積極的に活用しており、

最近では、オープンカンファレンスをインターネットで生放送する機会も増えている。話す言語は

英語だが、生放送の画面には、スペイン語の同時翻訳が流れる。権限の大きさも含め、日本ではあ

まり評判の良くない FCC だが、情報の公開度や、一般市民に対するアプローチは、日本に比べる

と非常にオープンで、透明性の高さを感じた。

総務省の「今後の ICT 分野における国民の権利保障の在り方等を考えるフォーラム」において、

度々、総務省による行政指導に関する決定の不透明さが話題にのぼった。日本では、総務省や総合

通信局のサイトを見ても、免許を与えている放送局や通信会社について、会社名くらいしか情報が

出てこない。しかし、行政処分はもとより、免許更新時には、放送局は常に戦々恐々としており、

総務省の権限の強さは歴然としている。その関係性が可視化するためにも、まずは、免許関連や総

務省の通達などの文書をすべて公開する必要性を、改めて認識することが出来た。

通りの向い側下から望む FCC 受付の左は自習室等、右は資料庫 気軽に質問に応じる受付係

Page 26: アメリカの市民メディア2010調査報告書

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マイノリティの子どもたちに自信を与え、進路を開く

プロティービー PRO - TV <組織概要>*DCTV の一事業であるため、DCTV の項を参照のこと 事業開始:1978 年 職員:スタッフ 3 人、講師 1 人 予算:35 万ドル 事業の趣旨と概況 PRO-TV はニューヨーク(以下、NY と略す)市の青少年に提供される無料のメディア

芸術トレーニングプログラムであり、DCTV が最も大切にしている事業である Youth Program だ。メディア制作のスキルを学ぶことで、日々の暮らしや地域社会における課題

の解決にも役立てることをめざしており、その趣旨と実績には定評がある。資金は NY 市

などの公共団体をはじめさまざまな民間財団が提供している。 指導に当たるのは、メディア芸術を学び、実践の経験があるだけではなく、最新の技術

に精通しているスキルを持ち、なおかつ、マイノリティの問題にも敏感で、生徒たちを教

える意欲と情熱に溢れた人材だ。結果的に、若い世代がその任務に就いており、生徒たち

は親近感を持ちながら学んでいる。 プログラムは主に、初級のジュニア研修(Junior fellowship)(以下、初級と略す)、中級

のメディア研修(Media fellowship)(以下、中級と略す)、上級メディア研修、夏のメディ

ア集中研修などが行われている。一年単位の各プログラムを組み合わせて、または継続し

ながら最長3年間参加することが可能で、高校1年時から3年時まで継続する生徒もいる。

ここでの経験や成果は、大学進学や奨学金を受けるためのステップに生かすことも可能だ。

これまで、中級を修了した生徒のすべてがメディア業界への就職や、メディア関係の大学

進学に成功している。 参加する生徒の多くは公立高校に通う子どもたちであり、スラムで生まれ育ち、まとも

な職業のイメージがない、または、経済的に余裕がない環境に置かれている場合が少なく

ないという。そのため、実務的な技術の習得や、作品の入賞経験は進学や就職へのインセ

ンティブになるようだ。また、研修を通じて、日常とは違う職業を知る機会や自己肯定感

を得る機会ともなり、将来の目標を見つけることにつながっている。 参加者の募集は、DCTV が長年実施してきた Youth Program を通じて提携するようにな

った公立高校での告知や口コミも少なくない。希望すればだれもが参加できるわけではな

く、審査を経て承認された者だけが参加できる。生徒たちにはプログラムの趣旨を理解し、

最後まで継続して取り組むことができるかどうかなどが問われる。これまで、大手メディ

アの NBC やニューヨーク・タイムズなどでのインターンシップを実施するなど、学んだ

スキルを実践する場も用意されている。 ウェブサイトには、どんなスタッフや講師が従事しているのか、その名前や経歴と実績

Page 27: アメリカの市民メディア2010調査報告書

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が詳しく掲載されており、関心層への情報提供が充実している。保護者にとっての安心感

にもつながりそうだ。さらに、同窓会サイト(Alumni Association)があり、卒業生たちに

よる映像祭などの招待、若いメディア制作者同士のネットワーク、社会に貢献するメディ

ア制作の継続に向けたコミュニケーションの場として機能しているようだ。 メディア研修の実際 研修の実施は、平日の放課後に1回と土曜日の終日。希望や必要に応じてそれ以外の平

日に研修室を開放することもあるという。講師のサラ・シルバーさん(Sarah Silver)によ

れば、初級と中級は、火曜日はテレビ番組や雑誌などを教材にメディアを批判的に観るこ

とを促すメディア・リテラシーを学び、土曜日は撮影や編集などの技術を学ぶ。制作はド

キュメンタリーが中心で、現在は自分について語る作品(Narrative)を制作しているが、

今回は生徒たちが興味を持っているフィクションも制作するという。 初級から中級へと続けて 3 年目になる高校 3 年生のエミリーは、1 年目に 3 つの短編映

像(1 つのドキュメンタリーと、2 つの音楽ビデオ)を制作した。2 年目も初級を続け、そ

こで制作した「My New York」がトライベッカ映画祭(1)やアジアン・アメリカン国際映画

祭(2)で入賞したという。今は演技に興味があるが、来年の 6 月までに卒業制作の映像作品

をつくる目標があると語った。 PRO-TV ではパブリック・アクセス・チャンネルでの公開よりも、テレビならエミー賞(3)、

映画祭ならばサンダンス(4)やトライベッカなどに出品して入賞することを目標の一つに据

えている。この事業に従事して 6 年になるチニーシャ・スコットさん(Chinisha Scott・プ

ログラム・コーディネーター)によれば、こういった大きな賞の受賞は、本人にとっての

誉れだけではなく、事業への評価につながり、資金調達にも影響するのだという。 大きな賞以外にも生徒が希望する挑戦をバックアップしている。例えば、世界各地の現

代芸術を紹介しているニュー・ミュージアム(New Museum)が今年実施した日本製のト

イカメラ「デジタルハリネズミ」を使った作品募集に応募したジェニーは、「SEUL」とい

う作品で入賞した。1 年目の彼女にこの研修の印象を尋ねると、初めは反抗的だった生徒

が、次第にそれを改める態度に変化したと語り、「学校の先生の指導はとても厳しいけれど、

ここの先生たちとは対等に議論ができるし、だれかが必ず私たちの話に耳を傾けてくれる。

とても居心地がいい」と話した。それにつづけて「家族みたいな感じ」と、間髪いれずに

モハメドが続けた。

Page 28: アメリカの市民メディア2010調査報告書

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研修に参加して予想外だった事柄を尋ねた際に彼は、「グループで作品をつくるとき、

いろんな人種がいて、いろんな考えや個性があるので、それらをまとめて方向を決めるの

が大変だ」と答えた。同じ質問にジョナサンは、「編集が苦手なので、うまくいかなくて大

変になる。そんなときにジョニー(Johnny Ramos・プログラムAD)が助けてくれるので、

みんなが驚くようなものを仕上げることができた」と、ダレックは「企画も大変だけど撮

影はたくさんの技術を求められる。編集するときのことを考えながら撮影する必要もある」

などの答えが返ってきた。研修の中で生じる課題に違いがあること、一人ひとりがそれに

挑戦している様子がうかがえた。 前出の講師・サラさんはオハイオ州出身で、大学でメディア芸術を学んだあと制作経験

を積み、NY でも映像制作に取り組んだ経験を持つ。この仕事の継続については、「2 年ご

との契約だが、次の 2 年とは言わず、もう少し続けたい」と答えた。少人数制のため、講

師は生徒たちとの関係が密接になり、その成長を見届けたいという気持ちが湧いてくるよ

うだ。 訪問当日は、16 時頃から約 2 時間、メディア・リテラシーを学ぶためにフランスの映像

を見て、議論するという内容だった。はじめに全員で映像を視聴するが、適宜、講師が映

像を止めて質問を出し、それについて生徒は考えて発言し、議論しながら進む。生徒たち

は一つの大きいテーブルに向かい合って座り、講師もその輪に加わって座る。ときおり笑

いがこぼれるなど、リラックスした雰囲気が感じられた。 この日の終盤は、今年初めて実施されるフランスの若者との共同制作に関する企画書を

まとめる時間にあてられた。10 月には、フランスからNY にやってくる若者たちと 2 日間

の撮影を行う予定だという。

取材の印象 生まれた時からパブリック・アクセスが存在しているアメリカの子どもたちと、そうで

ない日本の子どもたち。この環境の違いが情報管理やメディア・リテラシー、ひいては生

きる力に違いを生じないはずはないと思う。インタビューへは研修時間の一部を割いて行

Page 29: アメリカの市民メディア2010調査報告書

27

われたため駆け足になったが、もう少し時間があれば、その片鱗を感じる話が聞けたかも

しれない。終了後、私がお土産に持参した地元の祭りで用いた「豆絞り」柄の手ぬぐいに、

興味を示して質問する生徒がいてうれしかった。生徒たち一人一人の可能性に期待したい。 <注> (1)Tribeca Film Festival ロウワーマンハッタン地区の経済・文化の活性化を目的に September.11後の

2001年、プロデューサーのジェーン・ローゼンタールと俳優ロバート・デ・ニーロが設立した国際映画

祭。 (2)Asian American International Film Festival:AAIFF 毎年 7月にニューヨークで開催される北米最大級

のアジアン・アメリカンの国際映画祭。 (3)Emmy Award 米国テレビ芸術科学アカデミー(The Academy of Television Arts & Sciences)の主催の

アメリカのテレビ番組やそれに関連する業績に与えられる賞。娯楽、報道、ドキュメンタリー、海外制

作などの各種番組のほか、制作技術や放送機器・技術が表彰される。 (4)Sundance Film Festival 「明日に向かって撃て」で得たロバート・レッドフォードのギャラにより

設立された映画祭。ユタ州・パークシティで毎年 1 月に開催され、独立系の長・短編映画、ドキュメン

タリー映画が対象。 <取材データ> PRO - TV(DCTV) http://www.protvny.org [email protected] 訪問日時:2010 年 9 月 14 日(火)16:30~17:30 住 所: 87 Lafayette Street New York, NY 10013 Tel: 212-966-4510 (ex. 622) Fax:222-226-3053 インタビュー対象者:Sarah Silver(Instructor) Chinisha Scott(Program Coordinator) エミリー、ダレック、ジェニー、ジョナサン、キューロ、モハメド(生徒)

(文責 池田佳代)

Page 30: アメリカの市民メディア2010調査報告書

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“メディア・リフォーム”を推進する全米最大の組織

フリープレス Free Press(nonprofit organization for “media reform”)以下 FP と略す

<組織概要>

法人形態:非営利団体 設立:2003 年 スタッフ:38 人 予算:400 万ドル FP とは 2002 年にメディア研究者であるロバート・マクチェスニー(Robert W. McChesney)と、

ジョシュ・シルバー(Josh Silver)(現代表とCEO)によってスタートした FP は、ワシン

トンとマサチューセッツに 40 人近いスタッフを擁し、50 万人のE-activist(ネット上を中

心に、ときには実際に行動を起こすアクティビスト)を巻き込んでメディア・リフォーム

を推進しようという団体である。具体的には、多様で独立したメディアのオーナーシップ

や、強力なパブリックメディア、質の高いジャーナリズムなどの実現、ネットの中立性を

確保することなどを目的としている。超党派で女性・環境・反戦団体らと協力している。

また、企業、政府からの資金は得ておらず、財団や個人からの献金で運営。2009 年 6 月

に、”CHANGING MEDIA – PUBLIC INTEREST POLICIES FOR THE DIGITAL AGE”、2010年 5 月には、”NEW PUBLIC MEDIA – A PLAN FOR ACTION”をウェブサイト上で発表する

など、精力的な政策提言に取り組んでいる(1)。 メディア・リフォームとは では、FP が取り組むメディア・リフォームとは何か。直訳すれば「メディア改革、メデ

ィアを再び形成すること」などといった意味になるが、日本では耳慣れない言葉である。 インタビューに応じてくれたマネージング・ディレクターのアーロン(Aaron)さんによ

ると、「メディアは、すべてのことに大きな力を持っているが、これまでメディア政策に関

しては、大企業が有力なロビイストを用いて政策に大きな影響を与え、一般の人が関わる

機会がほとんどなかった」ことを背景に、「よりよいメディア、よりよいメディア政策のた

めには、多くの人が関わることが重要であり、その参加をまとめあげ、政策立案の声にし

ていこうとするのがメディア・リフォームの目的とするところ」とのことであった。FP が

全米最大の組織だといわれるが、ほかにもメディア・リフォームに取り組む組織として、

Public Knowledge(2)、Media Access Project(3)、Media Democracy Coalition(4)、Center of Media Justice(5)などが存在する。 活動の成果と「ネットの中立性」 2003 年の設立と歴史は浅い団体だが、FP は、これまでの自らの活動をどのように評価

しているのだろうか。アーロンさんは「橋渡し」の役割を強調した。 例えば 2003 年、メディアのオーナーシップについて、どれだけ寡占化が進もうとして

いるかについてのキャンペーンを行ったところ、300 万人という人々が、FCC と議会に寡

Page 31: アメリカの市民メディア2010調査報告書

29

占化を止めるようにと反対の電話をしたり、署名活動に参加した。これを受けて法案がな

くなったという。 日本から訪問した立場からすると、このような政策提言などに 40 人近いスタッフが従

事していること自体驚きである。しかしアーロンさんは、FP は、AT&T、コムキャスト、

ニューズグループなどといった大企業に比べて資金もなく、スタッフも少ない小さな存在

だという。しかし、ウェブサイトやブログでの情報発信だけでなく、マスメディアを効果

的に活用しながら、自分たちの主張を署名活動や、議員への抗議の電話、実際の陳情など

具体的なアクションにつなげている。後述するが、「ネットの中立性」にそもそも賛成して

いた Google 社が、アメリカの大手通信会社であるVerizon 社とのビジネス上の協力で、そ

れまでのポリシーを変えようとすれば、Google 本部のランチタイムに 100 人で「Don’t be evil」と押しかけて抗議する。(Don’t be evil 自体、そもそも Google 社の企業哲学の一つで

あるYou can make money without doing evil をもじった同社の非公式のモットーとして知ら

れており、それを逆手にとった痛烈な皮肉が込められている)。それは一つの「事件」とし

てマスメディアの取材するところとなり、それまでビジネス欄の小さな記事であった「ネ

ットの中立性」を守るべきだとする署名に、30 万人の人びとが参加することに成功してい

るのである。 「ネットの中立性」とは、誰もが自由に公平にオンライン上でアクセスできるというこ

とが確保され、一部のケーブル会社やプロバイダーが、より多く料金を払った人々だけに、

より早くアクセスできるような格差を設けること等がないようにすることが基本概念であ

る。FP では現在、「ネットの中立性」が損なわれる可能性のある法案(COPE 法案)成立

を防ぐために、Save the Internet というキャンペーンを展開している、中間選挙の公約に組

み込むように活動しているとのことだった。

インタビューに応じるアーロンさん Free Press が 5 階に入居するビル

パブリックメディアへのまなざし ここまで見てきたように、FP は、オンライン上のアクセス権について、重点を置いて活

動している。では、ローカルな情報発信については、どのような考えでいるのだろうか。

報告者自身の取り組み(日本のコミュニティ FM 局での番組制作)を紹介したところ、ア

ーロンさんは、まさにそのようなパブリックメディアをサポートしているという。FP では、

パブリックメディアについて、コミュニティラジオ、低出力の FM 放送、パブリック・ア

クセス・チャンネル、独立系の出版、インターネットなど幅広い分野の情報発信を総称し

Page 32: アメリカの市民メディア2010調査報告書

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たものととらえている。そして、瀕死の危機に直面するアメリカのジャーナリズムを守る

ため、現在、NPR および PBS に回っているCPBの資金について、一方で金額を増やすこ

と、他方でNPR、PBS だけではなく、コミュニティラジオ、ローカルテレビ局、非営利の

ウェブサイト運営グループなどに幅を広げることの重要性を指摘した。しかしアーロンさ

んたちの構想はそうした点に止まらず、今は一人当たりにすると年間 1 ドル 43 セントのパ

ブリックメディアへの出費が、もし 5 ドルに増えれば、多くのローカル・ジャーナリズム

が救えると考え、トラスト・ファンド(信託基金)や、理想的には大規模なパブリック・

ファンドを創設すべきと展望を示してくれた(日本でもNHK の受信料 6000 億円をファン

ドにして配分するべきとの提言がある)。 一方で、マスメディアに対しては、よりよいメディアとなるために、マスメディアを支

えるシステムやルールづくりにフォーカスし、コンテンツには干渉していないという。彼

らの主張は、マスコミが競争力をつけることで、言論の多様性が確保されることが大切な

のである。「アメリカには何千というチャンネルがあるが」と聞くと、チャンネル数は多い

が、所有しているオーナーの数が限られていることが問題だという答えだった。しかし、

結局のところマスメディアは、経済的な理由で動きが影響されるため、パブリックメディ

アを支えることが重要という認識であった。 パブリック・アクセス・チャンネルについて アメリカの地方のパブリック・アクセス・チャンネルは、ケーブルテレビ局が地方公共

団体に納めるフランチャイズ料でサポートされている。しかし、ケーブル会社がフランチ

ャイズでサポートする資金を出し渋っており危機にある。これは、とくにテレコムなどの

新規参入会社が、地方公共団体ごとのフランチャイズ契約を避け、全州規模のケーブル契

約を求め、その要求が広がっていることで、各コミュニティをサポートするパブリック・

アクセス・チャンネルが減っているのである。 パブリック・アクセス・チャンネルを守ろうという動きに関しては、FCC は、全体的に

はパブリック・アクセス・チャンネルをサポートするとしているが、チャンネル数を若く

しようと勧告するような動きに止まっている。これは FCC の管理の権限がどこまで及ぶの

か(例えばネットなど)が問題になっていることも一因だという。また、ACM が組織的

にうまくいっていないことも、パブリック・アクセス・チャンネルには逆風だ。 むしろ、FCC というよりは各州、コミュニティレベルでパブリック・アクセス・チャン

ネルを守ろうと交渉しているのが現状であり、数年前にフランチャイズ制度を変え、パブ

リック・アクセス・チャンネルを守ろうという国家レベルの法案は通らなかったが、ウィ

スコンシン州選出のタミー・ボールドウィン(Tammy Baldwin)議員から連邦議会に、ケ

ーブル会社がパブリック・アクセス・チャンネルをサポートすることを義務化しようとい

う法案を提出しているという。各コミュニティのニーズは、それぞれのコミュニティの方

がよく知っているため、FCC よりもコミュニティレベルで交渉を進めたほうがよい場合も

あるのではないかということだった。 加えて、アーロンさんによると、パブリック・アクセス・チャンネルは、コミュニティ

に密接しているが、コンテンツがよくなく、一方でNPR や PBS はコンテンツはよいがコ

ミュニティに根ざしていないことが問題であり、PBS がパブリック・アクセス・チャンネ

ルにコンテンツの提供やトレーニングを行い、ジャーナリストを輩出するような流れにな

らないかと話していた。

Page 33: アメリカの市民メディア2010調査報告書

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取材の印象 その後、彼らが「ネットの中立性」を争点にしたいとしていた、中間選挙の結果につい

て改めて聞いた(2010 年 11 月 5 日)。結局のところ、それは大きな争点にはならず、選挙

の当落に関係したとはいえなかったという返事が届いた。また、パブリックメディアへの

資金提供を問題視するような共和党の動きにも言及があり、その動きに関しては既に 25万人の署名を集め、強引な話が出てくれば、彼らに呼びかけて対抗するとのことだった。

メディア・リフォームという専門性の高いテーマを、分かりやすく、参加しやすい形に翻

訳している点が彼らの魅力である。例えば、先述したNHK の受信料による基金の創設が

「日本のメディア・リフォーム」にあたるとすれば、それをどのようにして大きな政策立

案の声にしていくか、FP の手法に学ぶ点は多いと考える。 <注> (1) FPの活動に関しては、ウェブサイトも参照のこと http://www.freepress.net/ (2) Public Knowledge: http://www.publicknowledge.org/ (3) Media Access Project: http://www.mediaaccess.org/ (4) Media Democracy Coalition: http://www.media-democracy.net/ (5) Center of Media Justice: http://centerformediajustice.org/ <取材データ> Free Press 訪問日時:2010 年 9 月 13 日(月)10:40~12:00 住 所:501 third street nw suite 875, Washington, DC 20001 Tel: 202-265-1490 Fax: 202-265-1489 インタビュー対象者:Craig Aaron(Managing Director) ※e -mail による追加取材 2010 年 11 月 5 日

(文責 宗田勝也)

写真は左から、アメリカ連邦議会議事堂、ホワイトハウス(アメリカ大統領府)、アメリカ議会図書館

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NPOの調査報道機関

プロパブリカ(1) ProPublica

<組織概要>

法人形態:非営利団体 設立:2007 年設立、2008 年からニュース配信。 記者:専門記者 32 人 インターン:数人 年間予算:およそ 10,000,000 ドル ウェブサイトビューアー:数万~10 万/週 (提携先の視聴者・読者はカウントできないくらい多い)

プロパブリカの理念

ニューヨークに設立されたプロパブリカは、独立、非営利をかかげる調査報道機関

(independent, non-profit newsroom)のモデルとして注目を集めている。多くの新聞社では、

経営危機から、記者の数や、取材時間、予算が削減され、既存のメディアから調査報道が

消滅しかけている。プロパブリカはジャーナリズムの倫理観としっかりした調査に基づい

て、政府の権力乱用や企業による不正行為、市民への裏切り行為など、本当に重要なでき

ごとを持続的に伝え、民主主義を維持していくのが使命だと考えている。

プロパブリカの成立・財源・原則 編集長ポール・スタイガー(Paul Steiger)は、16 年間「ウォール・ストリート・ジャー

ナル(WSJ)」紙で編集主幹をしていた。かねてから調査報道の衰退に強い危機感をもって

いた彼は、以前カリフォルニアの金融会社で巨額の富を築き、慈善財団を作ったリベラル

派ハーバート・サンドラー(Herbert Sandler)に調査報道の必要性を訴え、共感を得たとい

う。WSJ を退職したスタイガーは、「ニューヨークタイムズ」で働いてきたスティーブン・

エンゲルバーグ(Stephen Engelberg)ら“同志”を誘って、2007 年、プロパブリカを発足

させた。調査報道の専門記者を公募し、1400 人の応募者から 30 人を採用した。サンドラ

ー財団からは 1 年に約 1000 万ドルで 3年間の寄付をもらい、さらに 1~2 年の延長が約束

されているという。 設立にあたって、彼らはいくつかの原則を決めている。まず、会長にはサンドラー自身

が坐るが、記事や編集には一切口を出さない約束になっているという。2 つ目は、彼ら自

身が紙や放送の媒体を持つことをやめ、ストーリーはインターネットのオンラインでのみ

発行すること。パートナーとしていくつかのジャーナリズム企業を選ぶが、それらには課

金せず無料で配信することだ。ストーリーを売ると、制約を受けて自由に書けなくなって

しまうからからだという。財源は、サンドラー財団が収入の 85%を占めるが、今後そのほ

かの財団や、個人からの寄付を増やすなど財源を多様にしていこうと考えている。 配信のパートナーとして誰を選ぶかはきわめて重要だ。記事がどれだけインパクトを与

Page 35: アメリカの市民メディア2010調査報告書

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えることができるかが決め手で、政治の腐敗を追及するならワシントンDC にある媒体

(「ワシントンポスト」やweb の「ワシントンポリティコ」)と組むようにしている。現在

の提携先は、CBS、ABC、CNN などのテレビネットワーク、「ニューヨーク・タイムズ」、

「ロサンゼルスタイムズ」など 58団体である。

プロパブリカの仕事

ハリケーン「カトリーナ」にまつわる不正事件の報道で、2010 年にピュリツァー賞を獲

得したことで一躍脚光を浴びたが、地道な報道もたくさん手がけている。例えばカリフォ

ルニアの医療機関で、麻薬や暴力などの経歴のある看護師が、ノーチェックで複数雇われ

ていた問題では、1 年をかけて調査して「ロサンゼルスタイムズ」などの記事にした。シ

ュワルツネッガー知事は、記事になると即刻、看護師採用について審査をしてこなかった

この病院の理事を全員クビにして、審査を制度化させた。この記事は「オナラブル賞」を

受賞したが、こうした記事がプロパブリカの仕事の好例だという。

この記事を書いたのは、元「ロサンゼルスタイムズ」にいたチャールズ・オーンスタイ

ン(Charles Ornstein)記者とトレイシー・ウーェバー(Tracy Weber)記者だ。彼らは「ロ

サンゼルスタイムズ」が傾いたのでプロパブリカに移籍したのだが、同紙と提携関係にあ

ったことでキャンペーンが功を奏したといえるのだという。 プロパブリカは全米ネットのNPO だが、調査報道を行うNPO は珍しいものではない。

「サンディエゴの声」、「ミンポスト」(ミネソタ)、「テキサス・トリビューン」、「ハフィン

トン・ポスト調査報道基金」(ワシントン)など各地にも存在する。最近、さまざまな大学

でも調査報道をあつかうカリキュラムやワークショップは広がっているという(1)。 プロパブリカがジャーナリズム危機に対する“決定打”のように評価されることについ

て、広報担当のウェブ氏は「非営利での調査報道という我々の実験を社会に見てもらいた

い。しかしわれわれは特別な例であって唯一のモデルではない」と留保をつけ、また、ニ

ューヨーク・タイムズなどいくつかの大新聞がNPO への道も模索しているという報道に

Page 36: アメリカの市民メディア2010調査報告書

34

関しては、「一般的には、ジャーナリズムはNPO になるべきではない。行政の補助金をも

らえば腐敗を追及できなくなってしまうからだ」と否定的なニュアンスであった。 取材の印象 マンハッタンの金融中心地、ウォール街の高層ビルに

1千平米のフロアを借りているプロパブリカは、NPO と

はいえ専門ジャーナリズムとしての誇りも高く(給与も

それなりに高く)、一見エスタブリッシュな印象であった

(アメリカのNPO の多くはビルをもっているが)。しか

しインタビューに応じてくれた広報担当のウェブさんは、

元ミュージシャン志望。その後雑誌編集者を経て現職に。

気さくで、謙虚な人で好感がもてた。 なお、この報告は、インタビューを中心にしているが、

分かりやすくするため関連記事(2)も引用している。

<注> (1)スタッフ間では「パブリカ」が普通だが、「プブリカ」と読む人も多いため、どちらも正しい読み

方とされている。 http://www.propublica.org/about/frequently-asked-questions/ (2)『新聞研究』2010年 4月号、朝日新聞 2010年 10月 15日号「新聞週間特集」、同 10月 28日夕刊

~「シリーズ メディア激変 米メディアの模索」 <取材データ> 訪問日時:2010 年 9 月 17 日(金)11:00~12:00 住 所:One Exchange Plaza/55 Broadway, 23rd Floor, New York, NY 10006 Tel: 212-514-5250 email: [email protected] URL: www.propublica.org/about インタビュー対象者:Michael Webb(Communications Director)

(文責:津田正夫)

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メディア・アクティビズムをリードしてきた研究者たち

ラルフ・エンゲルマン Ralph Engelman メディア史の中のパブリック・アクセス ロングアイランド大学ジャーナリズム学部教授。『アメリカの公共放送―政治史』(Public Radio and

Television in America: A Political History, Sage Publications, 1996)の著者。うち第 11章「パブリック・アク

セス―ジョージ・ストーニーの見解(Chapter 11 Public Access: The Vision of George Stoneyは、本報告書で

後掲)は、カナダにおける住民参加による映画制作の社会実験「変革への挑戦」の過程や、その経験を

ふまえたアメリカにおけるパブリック・アクセス誕生の時期の、緊張感あふれる社会/政治闘争的な局面

を、当時の社会状況やメディア・アクティビストたちの活動、放送業界の動き、技術の進展などと重ね

あわせ、理論家たちの評価を交えて活き活きと描き出している。最近、CBSのプロデューサーとしてア

メリカのテレビジャーナリズムの黄金時代を築いたフレッド・フレンドリーの伝記『フレンドリービジ

ョン―フレッド・フレンドリーとテレビジャーナリズムの興亡』(2009)を出版。その他著書は多数。 ディーディー・ハレック DeeDee Halleck ペーパータイガーを立ち上げた経験から

カリフォルニア大学サンディエゴ校名誉教授。60年代のニューヨークのセツルメントでフェミニズム

とアート、こどもたちのつくる映像ビデオ・ワークショップなどを展開。市民の手によるメディア制

作、社会的弱者自身による発信のためのケーブルテレビへの「パブリック・アクセス」制度の導入な

どに尽力してきた。1981年パブリック・アクセスの先駆けとなったペーパータイガー・テレビジョン、

1986年ディープディッシュTV(パブリック・アクセスの衛星放送ネットワーク Deep Dish: DDTV)を共同設立。1991年湾岸危機TVプロジェクトを共同コーディネート。2001年デモクラシー・ナウ!、

2003年にはインディメディア(Independent Media Center: IMC)の設立に関わる。単にアクセス可能と

いうのみならず、可能な限り直接的に市民自らが情報発信の主体となるための取り組みを通じて時代

をリードしてきた。著書『Hand-Held Visions: The Uses of Community Media』他。

スティーブ・グッドマン Steve Goodman 公立学校も巻き込んだメディア教育 コロンビア大学ジャーナリズムスクール出身。Educational Video Center: EVC エグゼクティブ・ディレ

クター。EVCは、グッドマンらが 1984年マンハッタンの Lower East Sideの青少年のためのビデオ・ワ

ークショップから発展させた、コミュニティの若者やニューヨークの数十の公立学校の生徒たちを対象

としたメディア教育を行う NPO。ダウンタウン・コミュニティ・テレビジョン・センター(DCTV)な

どの協力で、暴力や性犯罪、麻薬などの問題を抱えた生徒たちに、ドキュメンタリーのビデオ制作を教

えている。それを通して彼らがコミュニティに関わり、社会変革のアクティビストに成長するよう教育

している。彼らが作った作品は PBS、ABC、NBCなどでも紹介され、エミー賞など数多くの賞を取って

いる。Educational Video Center http://www.evc.org/

Page 38: アメリカの市民メディア2010調査報告書

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三人との対話へ(敬称略) アメリカ調査の際に、ぜひ会いたいと第一に考えたのが、『アメリカの公共放送―政治史』の著者で、

アメリカのパブリック・アクセスを切り開いたジョージ・ストーニーの活動や諸見解、その時代の全体

像をダイナミックに描いたラルフ・エンゲルマンであった。パブリック・アクセス・チャンネルの現在

の政治的・社会的・文化的意味や、将来的役割、メジャーメディアやwebメディアとの関係、連邦通信

法アクセス条項の行方なども整理して、多少アカデミックに解説してもらいたいと思った。 コーディネータ・藤原さんを通してすぐに快諾をいただいた。ただエンゲルマンはたいへん親切に、

自分単独ではなく同時代のメディア・アクティビズムをリードしてきた幾人かの研究者たちと共同で話

したほうがいいと、繰り返し薦めてくれた。結果的にこの三人が同じ時間帯で、それぞれに得意の分野

の話をする/したいということで、場所は彼らの共同の拠点であるマンハッタン・ネイバーフッド・ネッ

トワーク(MNN)になった。話が拡散しなければいいがという多少の心配は、MNN そのものの取材と

重なったこともあって当たってしまった。エンゲルマンの理論はすでに知られており、また彼の主要な

関心がメディア史であることもあり、彼は控えめでスティーブやハレックを立ててくれた。 この質疑と応答が少しずつずれている印象があるが、それは時間の制約だけでなく、現在に至るまで

長い間にわたって徐々に進行してきたパブリック・アクセスの危機に対する認識が、彼らと私(たち)

に共有されていなかったことにもある。彼らも私たちも通訳も焦り、言葉が重なり合い、多くのイメー

ジが飛び交って十分な結果が得られなかったが、ここでは「三賢者、斯く語りき」として、特徴的な発

言を記しておく。

ラルフ・エンゲルマン

~民営化の時代こそ公共放送を~ ・私はメディア・アクティビズムの歴史を研究して

きたが、パブリック・アクセス運動(コミュニテ

ィメディア、オルタナティブメディアなども同様

だが)の特有な点は、だれでも、どの地域でもメ

ディアを使えるようにするということだ。 ・ケーブル、電話、インターネットなどメディアの

発展で、今では技術的には誰でも発信できるよう

になった。しかし決定的に違うことは、ツイッタ

ーやユーチューブは、発信したい人が一人で発信

するものだが、パブリック・アクセス・チャンネ

ルやそのセンターは人々の<共同の場>なのだ。

ハーバーマス(1)はこのような公共空間を「パブリ

ック・スフィア(public sphere)」と表現したが、

つまりみんなが物理的に集まることができる「パ

ブリックなスペース」が重要なのだ。「パブリッ

ク・アクセス」とは、人々が集まってコミュニケ

ート、発言する場所なのだ。 ・今、アメリカ社会でなぜパブリック・スフィアが

見直されるべきかと言うと、個人、企業、政府、

すべての領域で民営化が進んでいるからだ。「パ

ブリック」が再認識されなくてはならない。正確

に言おうとするとテレコミュニケーションの歴史

まで遡らなければならないが、コミュニケーショ

ンは技術進歩によってしだいに変わってきた。テ

レビなど公共空間でのコミュニケーションが、ど

んどん民営化してくるようになってきた。民営化

の圧力によって、現代は労働組合や戦争まで民営

化されてきた。たとえば戦争はもはや国と国の戦

いでなく民間企業が互いの利益のために戦ってい

るとか、公立学校までも民営化されてきた。だか

Page 39: アメリカの市民メディア2010調査報告書

37

ら30年前ディーディー・ハレックらがみんなでつ

くったこういう公共空間、公共放送も民営化され、

企業に乗っ取られてしまう事態が進んでいる。 ・アメリカではPBSという公共放送システムがある

が、それは本当に市民の公共性を代表していると

はいえない。 ・「逆に私の質問は、日本やドイツの公共放送は、

本当にパブリック・アクセスを許可し、促進して

いるのか、しているとしたらどの程度なのか、ど

の程度直接パブリック・アクセスに関与している

のか、あるいはイギリスの BBC のようなのか

(BBCのように関与していないのか、の意)、と

いうことだ。 ディーディー・ハレック

~コミュニティになくてはならない

パブリック・アクセス~

・テクノロジーになれていない女性たちや市民が、

このMNNのスタジオや、あるいは携帯、ツイッタ

ーなど新しいテクノロジーを使って情報を伝える

ことは大事なことだ。コンピュータなどを使い慣

れていない高齢者らでも、MNNに行けば支援して

くれて、情報を伝えることができるからだ。

・PAC が衰退しているといわれるが、もし人々が

PAC の意味をきちんと分かっていれば、必要だと

言うはずだ。アリゾナ州トゥーソン市(Tucson)はPACが強い町だが、フランチャイズの収入配分

をめぐって、いま市とPACと公共放送PBSの間で

争っている(2)。トゥーソン市では、これまで大学

からメディアを学ぶインターンの学生がPACに派

遣されてきていたため、全米でも 3 本の指に入る

強いPACを持っていた。みんなが知りあえるよう

なちょうどいい大きさのコミュニティでもあるこ

とが PAC 発展の要因だった。かつて 2005 年にパ

ブリック・アクセスが問題になっていたオーステ

ィン(テキサス州)は今どうなっているか心配だ

が(3)。 ・同様にバーモント州バーリントン(Burlington)は

保守的な共和党支持の町だが、ちゃんとしたパブ

リック・アクセス・チャンネルをもっている。メ

ジャーメディアは、ロスアンゼルスやニューヨー

クなど大きな町のパブリック・アクセスを見て、

これがパブリック・アクセスだと思い込んでいる

が、小さなコミュニティにこそPACは必要だ。

・パブリック・アクセスに危機をもたらしている最

大の敵は、ケーブル局の経営問題やインターネッ

トを使う技術そのものではなく、「インターネッ

トができたからもうパブリック・アクセスは要ら

ない」という人たちの考え方だ。ツイッターや携

帯電話を使ったさまざまなコミュニケーション技

術、ネットなどは通信手段としてとても必要なも

のだし、低出力ラジオも、タウンミーティングも

すべてがコミュニティにとって重要であって、す

べてそれらをふくめたものがパブリック・アクセ

スだと考えなくては、その機能は果たせないので

はないだろうか。 ~コミュニティに低出力ラジオラジオ局を~

・これまで「ローカルメディアの必要性」が盛んに

語られているので、オバマ政権がパブリック・ア

クセスについて耳を傾けてくれることを期待して

いる。なぜなら、パブリック・アクセスはローカ

ルメディアの完璧な例だからだ。政権交代でもう

少しサポートしてくれるのではないかと民主党に

期待していたが(期待はずれ)……。でもまだ待

っていますよ。あなたたち何か情報を持っていな

いですか(笑)?

・FCCの役割で言えば、ゲナコウスキー委員長はど

Page 40: アメリカの市民メディア2010調査報告書

38

ちらかといえば企業サイドの人で、パブリック・

アクセスの危機をただ傍観しているだけだ。 ・コミュニティに低出力ラジオラジオ局を作るのも

パブリック・アクセスの一つの方法だ。社会変革

をめざすNPO「プロメテウス・ラジオ・プロジェク

ト(Prometheus Radio Project)」(4)はそういう仕事

をしている。

・近年、ラジオの大ネットワーク「クリアチャンネ

ル(Clear Channel)」(5)がアメリカのラジオを独

占し、ニューヨークから全米に配信しているので、

今はもう各地のラジオ局に取材・制作する人がい

なくなった。一つの同じ企業、決まったキャスタ

ーが放送している。かつて大きな爆発事故があっ

た時、その地域には7つのラジオ局があったのに、

全てクリアチャンネルのラジオで、事故が起きた

時どの局もレポートしなかった(6)。クリアチャン

ネルは、ポップミュージックやカントリーやジャ

ズばかりやっていた。この事件をきっかけに、低

出力ラジオ、FM局をコミュニティに置くことの

必要性をFCCも現実的に認識した(7)。私たちは地

域で起きたことをカバーするのはローカルメディ

アとしてのコミュニティのチャンネルの役割だ。

スティーブ・グッドマン

~若者たちはアーティストであり

アクティビストだ~

・私はコロンビア大学ジャーナリズムスクールを出

て、ジャーナリズムと教育の両方に興味を持って

いた。70年代にストリート・ギャングについての

ドキュメンタリーを作ってから、私の関心は「従

来のジャーナリズム」から「メディア・アクティ

ビズムとメディア教育をミックスしたジャーナリ

ズム」に変った。コミュニティの若者たちに、メ

ディア教育を通して自分の意見を表現することを

教えるようになった。

・活動の拠点は、メディア教育に熱心なダウンタウ

ン・コミュニティ・テレビジョン・センター(DCTV※別項目参照)などにおいている。EVC では、

DCTV で学んだドキュメンタリー制作の経験を活

かし、メディアによって民主主義を実現してゆく

方法も教えてきた。

・現在、ニューヨーク市の15~20の公立学校で中学

生~高校生たちに教えている。ここには困難を抱

えた生徒が多い。自分たちの人生やコミュニティ

の課題をどのようにドキュメンタリーで伝えるか

を指導している。つまり「コミュニティメディア」

という視点を学校に導入し、それを作品にして外

へ返してゆくと言う方法だ。例えていえば我々は

“トロイの木馬”のようなもので、メディアを使

って君たちを救うよ、といって社会的な問題で助

けを必要とする人たちのところへ乗り込んでいる。

彼らが作った作品はコミュニティ・アクセスチャ

ンネルで放送したり、フォーラムで見せてディス

カッションして、コミュニティをどう変えていく

か考えるために使う。私は生徒自身がビデオの作

り手、アーティストであると同時にアクティビス

トでもある、という見方をしている。

~メインストリームメディアとの関係~

・他方、メインストリームのメディアに対しては、

視聴者としても、制作者としてもを批判的に見る

ことが重要だ。ある作品の例で言うと、今アパー

トの家賃がどんどん上がって、低所得の人たちが

出て行かざるをえない。それは子どもの問題でも

あるが、家族やコミュニティの問題でもある。そ

のビデオを作りながら家族やコミュニティで話し

合い、抗議したり、大きな動きにしていくという

Page 41: アメリカの市民メディア2010調査報告書

39

ようなことが起こる。

・かつて我々がスタートした頃は、メインストリー

ムメディアもこうした活動に興味を示していたが、

今は無関心なので話題になりにくい。だから公立

学校では、より広い視野に立って学校で何を教え

るべきかという、教師に対するリテラシー教育も

しなくてはならない。ニューヨークには現在 100万人の生徒がいるが、まずは小さなところから少

しずつ広げていきたい。現在はまだその入り口に

すぎない。

~メディア教育の役割~

・EVC、DCTV で教育できるのは、一度にはせいぜ

い 25人だが、学校教育を通じては15の学校でそ

れぞれ何百人を同時に教えることができインパク

トが大きい。また教師へのトレーニングもできる。

教師がメディア教育をできるようになれば、小さ

なメディアセンターを多くの学校に作ることがで

きる。実際には既存の組織が抵抗するので多くの

困難があるのだが、私たちは21世紀の教育モデル

を作ろうとしてがんばっている。

・アフリカからの政治難民の子どもたちによる番組

制作とか、国際的な問題に関わることもある。し

かし国際的・全国的ニーズからするとEVCの仕事

はまだまだごく部分的でしかない。

・海外のメディア教育の例では、カナダなどがとて

も参考になる。一方、ヨーロッパや北アイルラン

ドなどのメディア教育カリキュラムは、コミュニ

ティとの接点がまったくなくて、市民の問題、社

会的正義などの課題に関する意識を共有すること

ができていない。メディアを脱構築することはと

ても重要なことで、どうやってメディアをコミュ

ニティのために活かしていけるか考えていかなく

てはならない。

・ニューヨーク州政府、個人寄付、企業などあらゆ

るところから寄付をもらってはいるが、財源の確

保がとても難しく今後の重要な課題だ。

<注> (1) ユルゲン・ハーバーマス/細谷貞雄・山田正行訳『第 2版 公共性の構造転換 市民社会の一カテゴリーについての探究』(未来社 1994) (2) アリゾナ州トゥーソン市ではコムキャストとコックスの 2社のケーブル会社と契約し、パブリック・アクセス局「アクセス・トゥー

ソン」を経営していたが、2002年ごろから市の財政悪化のためフランチャイズ料をPAC以外の財源に流用しはじめた。2010年から

はさらに6割を削減されてパブリック・アクセス番組は中止。制作のトレーニングや機材の貸し出しだけを細々と続けている。一部

の議員は「フランチャイズ料は消防や警察などに回すべきだ」と主張している。同様の事態は、テキサス、ミシガン、マサチューセ

ッツ、オハイオ、フロリダ、ウィスコンシンなどでも起こっているといわれる。「アクセス・トゥーソン」ウェブサイト、魚住真司

「パブリックアクセスの灯を消すな」『放送レポート』 2007年 03月号など参照。 (3) 従来、複数のケーブル会社がフランチャイズ権の獲得をめぐり競争することで、PACの提供やメディアセンターの運営援助など、コ

ミュニティに有利な条件を獲得できていた。しかし、AT&Tなど大手企業のロビー活動の結果、ひとつの州で一社にフランチャイズ

権を独占させる「州単位フランチャイズ制」を導入する動きが加速している。全米コミュニティメディア連盟(ACM)のストロベル

事務局長によれば、2010年秋現在、州が免許を与えているところは 30州ほどになるだろうという。

(4) NPO「プロメテウス・ラジオ・プロジェクト」http://www.prometheusradio.org/

(5) 全米最大のラジオネットワークをはじめ多くのメディアをもつ企業。1300以上のラジオ局、30以上のケーブルテレビ局をもつ。 (6) 6、2002年1月、ノースダコタ州ミノー(Minot)市で化学物質を輸送していた貨物列車が爆発炎上する事故があった。この事故で有

害物質が大量に流出し、近隣住民1人が死亡した。当時、現場周辺は事故のため停電しており、唯一の情報源はラジオだった。しか

し、住民にこの事故のニュースと避難勧告を伝えるべきラジオ局は無人で、ニューヨークから発信されている音楽番組を流し続けて

いた。ニューヨーク大学エリック・クライネンバーグ(Eric Klinenberg)によると、ミノー市の6つの主要ラジオ局はすべてクリアチ

ャンネルが所有していた。クリアチャンネルでは、コストカットのため、番組はニューヨークなどで制作し、同じ番組を全米各地に

放送。このため、ローカルニュースやコミュニティ独自の音楽や文化などが、ラジオ放送から消えていったと指摘している。

(7) FCCは2000年 1月、限られた数の放送免許を低出力ラジオ局(一般的な聴取可能範囲は 10キロ前後)に発行することを決定。2001

年4月にKHENをはじめ数十の低出力ラジオ局が参加して全米コミュニティ放送局連盟(National Federation of Community Broadcasters: NFCB)会議 が開かれた。FCC 発行の 710の低出力ラジオ局開設許可の半分近くは、保守的な宗教団体に与えられている。2007 年

現在、まだ数百局が申請中。関連する団体「メディアアクセス・プロジェクト」。 http://www.mediaaccess.org/

この項目は、松浦哲郎さん、藤原広美さんの全面的なアドヴァイスをいただいた。感謝申し上げたい。

(文責・津田正夫)

Page 42: アメリカの市民メディア2010調査報告書

調査を終えて コーディネーターとして参加して

藤原 広美

今回の調査研究チームのリーダーである津田先生から、現地コーディネーターの依頼を

打診された時、私はちょうど修士論文の執筆中だった。論文では、メディア(特に放送)

が民主主義的役割を果たすため、どのようなモデルを構築していくべきか、という大きな

テーマに挑戦していた。今回の調査テーマが、自分の論文研究と重なる部分があったため、

即答で依頼を受けさせていただいた。 私は論文で、ロンドン大学のメディア社会学者ジェイムス・カランの提唱する民主的メ

ディア・システムの理想モデル(注1:「マスメディアと民主主義:再評価」参照)に、日

米両国の放送メディアの現状を照らし合わせ、両国の放送メディアの長所・短所を検証し

ていった。カランの理想モデルでは、公共サービス放送が中核メディア(タイヤのホイー

ル部分)となって、その周りを(1)私的企業部門、(2)市民部門、(3)専門職部門、

(4)社会的市場部門の4つが囲む車輪型をしている。すると面白いくらいはっきりと、

それぞれの長所短所が浮かび上がってきたのだ。 米国の放送システムは、その誕生から今日まで、カランのモデルでは中核にあるべき公

共サービス放送(PBS)は弱小なまま、ディズニーやニューズ・コーポレーションなどの

メディア・コングロマリットが支配する私的商業部門が肥大化し、かなり歪な車輪型とな

っている。米国は一見すると、カランの理想モデルから日本以上に乖離しているようにみ

える。しかし、その一方で日本にはない長所もある。それは、米国では日本でまだ発展途

上にある市民部門、専門職部門が独自の発展ぶりをみせ、日本にはない存在感をみせてい

るのだ。今回のリサーチに参加させていただき、この市民部門、専門職部門に当たる代表

的な団体、key person らに直にお会いし、様々な話を伺うことができたことは、自分にと

って大きな収穫だった。 そもそも放送は大企業の特権事業ではない。放送を民主主義社会に本当に役立てるため

には、様々な形で、様々な人々が、様々な目的を持って発信、受信できるシステム作りが

必要なのだということを痛感した。何を伝えるか、という部分では放送はあくまで手段で

あり、多種多様な発信したいコンテンツ(イデオロギー、主張だったり、はたまたアート

だったり)をしっかり持っていることが、アメリカにおける市民部門、専門職部門の裾野

の広さであり、2つを支えている鍵だと感じた。たとえばDemocracy Now!は、「反戦・平

和」を掲げて多くの視聴者、支援者を惹きつけ、運営資金(寄付)も集めている。主要ス

タッフのカレン・ラヌーチさんが「うちの視聴者は、“アイラブDN!”と言ってくれる。ラ

ブと言って貰えるニュース番組が大手メディアにありますか?」と指摘したように、市民

部門、専門職部門で、大手にはない、発信者と受信者の強い信頼関係が生まれていること

に、今後米メディアの Landscape を変えていくかもしれないポテンシャルを感じることが

出来た。

Page 43: アメリカの市民メディア2010調査報告書

41

テレビ画面に映る番組は、地上波、衛星、ケーブル、インターネットと様々な方法で視

聴が可能となり、テレビというメディアの定義自体がいま大きく変わろうとしている。ケ

ーブルテレビの創成期に「パブリック・アクセス」チャンネルを市民が勝ち取った時のよ

うに、技術的な過渡期にある今こそ、新しい放送のシステム作りを企業同士の利権の奪い

合いにさせるのではなく、市民の公益となるために立ち上がらなければならないと感じた。

新たな市民の「チャンネル」を確保するため、市民自身が大きな声をあげて行くべきだろ

う。具体的には、フリープレスがメディア・リフォームの中核として取り組んでいる「ネッ

トの中立性」の確保であったり、電波オークション&再配分の際の、市民メディア枠の確保

などがあげられよう。何が可能なのか技術的な面での理解も必要となり、専門知識や政治

家とのパイプを持つ企業側が有利となりがちだ。また大手メディアは自分たちに不利とな

る情報を伝えたがらない。だからこそ、市民部門、専門職部門で伝えていかなければなら

ないだろう。 最後に、今回のリサーチでうかがった皆さん全てが、貴重な時間を割いて私たちの訪問

を歓迎してくれたことに厚く感謝したい。そして、その好意に応えられるよう、彼らから

学んだことを日本で生かしていかなくては、と思っている。これからが正念場だ。

市民メディアとの新たな出会い

竹村 朋子

通訳としてこの調査に参加しなかったら、私の研究生活の中で市民メディアと関わるこ

とはなかったかもしれない。私のこれまでの研究対象は、いわゆるマスメディアである新

聞媒体で、市民メディアについてほとんど知識がなかった。修士論文では、9.11 後に世界

で起きたテロリズムを、アメリカのメディアである「ワシントン・ポスト」および「ニュ

ーヨーク・タイムズ」がどのように報道しているか分析をおこなった。博士論文では、日

本の新聞におけるデジタル媒体戦略を研究テーマとしている。市民メディアに関して全く

素人であった私にとって、今回、市民メディアについて調べ、訪問し、そこで働く人びと

や市民らと接しインタビューできたことは、新たな貴重な経験であった。 アメリカの市民メディアを訪問したことで、市民が番組を作り、市民が情報発信をする

機会というのが、アメリカではコミュニティの中に多く存在していることに驚いた。そし

て、集まった人たちが、その体験を楽しんでいる姿を見ることができた。インターネット

が普及したことで、以前に比べて、私たち市民による情報発信は手軽に行うことができる

ようになり、その機会も増えた。そんな中、アメリカ滞在中にいくつかの場所で聞いた、

「インターネットなどの新しいテクノロジーの進化によって、個人で情報を発信する機会

はたくさんあるが、人と人とが実際に集まって番組を制作するための物理的な場所として、

市民メディアは重要である」という言葉が印象的である。 また、Democracy Now!では、そこで働く人びと、インターンの学生、視聴者みんなが番

組を愛しているということがとても印象的だった。インターンの学生が、Democracy Now!でインターンをしている理由として、以前から番組のファンで、ぜひ働きたいと思ったか

Page 44: アメリカの市民メディア2010調査報告書

42

らだと説明してくれたことは印象深い。日本のメディアを見たときに、これほどまでに視

聴者に深く愛されている番組があるだろうかと疑問を感じ、Democracy Now!の人気やカリ

スマ性に感心した。 私は、ProPublica に訪問できることもとても楽しみだった。日本の報道で、ProPublica と

いうテレビでも新聞でも雑誌でもないメディアが、ピューリッツァー賞を受賞したという

情報を聞いて、興味を持っていたからである。コストがかかる調査報道は、アメリカのマ

スメディアでは衰退しつつあり、ProPublica のような外部の機関と協力体制を築くことに

よって、マスメディアの調査報道は支えられている。しかし、一方で、今後十分な資金を

得られるかどうかは ProPublica にとっても大きな問題で、試行錯誤している最中であり、

資金の問題が ProPublica の将来を左右するであろう大きな要因であることを実感した。 現在、私は、アメリカにおける非営利の調査報道メディア機関について ProPublica の事

例を紹介しながら論文を執筆している。ProPublica は市民メディアではないが、新しいジ

ャーナリズムの形として、既存のメディアとは全く異なる形で活動を行い、異なる方法で

情報を提供している。ProPublica 以外でも、アメリカにおいて、調査報道に特化した非営

利のメディア機関は近年続々と設立されている。これらのメディアが今後、どのような形

で運営を続けていくのか、研究者として見守っていきたいと思っている。

6年目の発見

溝口 尚美 2004 年 9 月、私は 10 数年フリーランスの映像作家として働いた大阪を離れ、渡米した。 市民メディアのパイオニア的存在として知られる Downtown Community Television Center (以下DCTV)が、どんな所か学ぶのが目的だった。テレビ番組のディレクターを始めて

から、メディアのあり方や自分の関わり方に疑問があり、その答えのヒントがDCTV にあ

るかもしれないと考えた。メディア業界で、自分が納得できる立ち位置を見つけたかった。 渡米したての頃、私は市民メディアの事は何も知らなかった。ペーパータイガーを市民

メディア関係の本で知り、見学に行った。3人の若者と運営者が自動車免許証の企画につ

いて話している事はわかったが、英語力も低くて理解出来ず、会話もろくにできなかった。

2005 年 1 月、DCTV にインターンとして採用され、英語学校に通いながら働き始めた。当

時は、障がい者へのプログラムがあり、制作を手伝った事があった。脳性マヒで車いすの

男性、事故で半身を悪くした元キャリアウーマン、耳の不自由な人などが協力し、自分た

ちの声を自ら表現している姿を見て、これが市民メディアなんだ。と初めて実感出来た。 誰とでも気さくに話せる雰囲気が、いつも DCTV にはある。夕方になるとプロ TV の子

ども達が集まってきて、自分の好きな日本アニメを私に見せに来たりする。子ども達は、

一見ごく普通の中高生だが、移民だったり、家族が麻薬販売者だったりと、厳しい暮らし

をしている。スタッフは数年かけて、じっくりと人間関係を築く。その信頼関係があるか

らこそ、本当は触れたくない心の傷をビデオに表現出来るのだ。プロ TV の目的は、映像

作家を育てる事ではない。社会教育の場である。チームで制作するので協調性が養われる。

Page 45: アメリカの市民メディア2010調査報告書

43

編集は忍耐力が必要だ。端的なサブタイトルを書くには、文章力が求められる。上映会で

は、スピーチの他、質疑応答でしっかり発言しないといけない。そんな経験が、子ども達

に自信を与え、大学への進学につながっている。大きくなったらストリートで麻薬を売る

道ぐらいしかないだろうと考えていた子ども達が、将来に希望を持ち始めるのだ。「結果よ

りもプロセス」プロ TV の真髄は、此処にあると私は思う。 今回、日本の調査団がニューヨークを訪問すると聞き、何かお手伝い出来る事があれ

ば・・・と申し出たが、一緒に様々な話を聞いて市民メディアの現状を学びたいという事

も頭にあった。これまでの6年間は、日々の生活に追われ、DCTV 以外の団体と関わる機

会が殆どなかった。ペーパータイガーにも再訪問し、地域に出向いての上映会など DCTVとは違った形で活動をしている事がわかった。MNN やEVC など、若者や一般向けのプロ

グラムが積極的に運営されている事を知って嬉しくなった。Democracy Now!の新オフィス

と WBAI に初めて行き、整った施設と精力的なスタッフを見て、市民メディアが確実に社

会で機能していると実感した。厳しい現状もあるが、アメリカの市民メディアは市民権を

得ている。 今、日本のマスメディアは危機的状況にあると思う。一方で市民メディアに携わる人た

ちには活気を感じる。法制度の改革が早く実現するに越した事はないが、社会が「市民メ

ディア」の必然性を理解し、認知する日は、そう遠くないような予感がしている。2008 年、

私も市民メディア団体を設立した。今後、国を越えたネットワークの構築や交流を続け、

市民メディアの発展に少しでも尽力したいと思っている。

メディアはつづくよ、どこまでも

池田 佳代

パブリック・アクセス、ドキュメンタリー、インディペンデントメディア、オルタナテ

ィブメディア―OurPlanet-TV(OPTV)はこれらの実現を目指して 2001 年に発足した。当

時、希望に満ちたこの理想を周囲に話すと、ちょっとピンとこないという反応が少なくな

かった。その数年後、「インターネットでマスメディアが伝えきれない情報を伝える映像メ

ディア」と言い換えたところ、即座に賛意を表す反応に出会えるようになり、こういった

活動を表す日本語の必要性を感じた。 その一方で、インターネットでは社会にインパクトを与えられないのでは?という疑問

も投げかけられた。この反応は、e-mail(文字)や印刷媒体を多用し、マスメディアが社

会的な話題を伝えることに期待している人たちに顕著だった。私がスタッフとして OPTVに参加して以降、OPTV に参加するメディア関係者たちの真剣さに驚いた。だれもがメデ

ィアにアクセスできる社会に向かうはずが、いつの間にかアクセスできないものになって

いる。このような問題意識はメディア組織に属さない人たちよりも、属する人たちに顕著

だったのだ。 2006 年、日本で動画投稿サイトに火がついたことで、OPTV と類似の非営利メディアが

増えることを期待したが、5 年が経つ今もそうは感じられない。海の向こうでは欧米や中

Page 46: アメリカの市民メディア2010調査報告書

44

南米を皮切りにアジアやアフリカ地域へと、市民がメディアの主体となる社会環境が広が

り、この 10 年の間に、韓国や台湾でもパブリック・アクセスが導入された。日本にその波

が届かない現状―これは数年来の仲間たちとの話題の種であり、問題意識の上位であった。 訪問先で感じたのは、情報の寡占問題が付きまとうのはアメリカも日本も同じだが、市

民が発信するチャネルが公に保障されていること、公共の福祉に貢献するメディアが存在

することの意義や価値だ。そして、Free Press を訪問したことで、ワシントンDC で活動す

るNGOロビィストから以前聞いていた取り組みが鮮明になった。帰国後、PRO - TVやEVC、MNN を想起させる事例に接する機会を得た。それは、アメリカ・バークリー発祥の、戦

争体験を語り継ぐために、また、マイノリティが自己肯定感を見出すために用いるデジタ

ル・ストーリー・テリング(DST)にヒントを得た日本での実践だ。 DST は写真とナレーションで構成する表現方法だが、そこで紹介されたのは、自伝的、

散文的、さらには川柳のリズムなどを用いた表現であった。また、MNN で得た印象と同

様の“生き生きと活動する大人たち”が存在し、自分の半生を描いた作品はまさに PRO-TVなどでも行っている自分を語る映像表現(Narrative)であった。映像表現は敬遠しがちな

大人たちも、「考えや思いを語る」ことには意欲的。この事実に一筋の希望の光を見いだし、

また、数年来抱えていたモヤモヤが晴れていく心境に至った。そして現在、社会に貢献で

きるメディアの活用、或いはそのための日本的な表現などの研究に加わることになった。 この調査を経て、私が関わっていたメディアに関する端的な要素が一つに組み合わさる

状況が導かれた。また、本報告書の編集を担当したことで、帰国後も約半年に亘り、繰り

返し思考する機会にも恵まれた。これらは別掲の謝辞に重ねて記しておきたい。

幸運な例外

川島 隆

ドイツの市民メディアを研究していた私にとって、アメリカはずっと気になる土地だっ

た。ドイツでは、当時の西ドイツに民間商業放送が導入されたのと同じ 1984 年、アメリカ

のパブリック・アクセス制度を参考にして「オープンチャンネル」の仕組みが作られる。

受信料を財源にする点は、公共放送が強いドイツならではの特徴だが、大枠ではアメリカ

のパブリック・アクセスと同じ、誰でも自由に番組を制作して放送できる放送局である。

1990 年の東西ドイツ統一を経て、オープンチャンネルはドイツ全土に定着していった。と

ころが 2000 年ごろから、インターネットとインターネット上の動画共有サービスの普及に

ともない、「オープンチャンネルの役割は終わった」という声が聞かれるようになった。そ

れでは、本家本元であるアメリカのパブリック・アクセスは今どうなっているのだろう?

というのが、当然の疑問として頭にわだかまっていたのだ。 今回、ニューヨークのアクセスセンターとその利用者団体を見て回り、かつ研究者の方々

にお話を伺い、やはり基本的な状況はアメリカも変わらないのだな、という印象を抱いた。

ここでも、インターネットの普及を理由にパブリック・アクセス不要論が公然と語られ、

フランチャイズ料をアクセス局の財源にする制度が骨抜きにされ、各地でアクセス局の閉

Page 47: アメリカの市民メディア2010調査報告書

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鎖や縮小が相次いでいる。それは、ある意味で仕方のない時代の流れなのかもしれない。 だが、その一方で、訪問したメディア団体がどれも非常に元気なことには驚かされた。

アクセスセンターであるMNN の利用者が、近年むしろ増えているという事実にも。女性

や高齢者など、往々にして新しいメディア技術から疎外されがちな人々が、そこでは活動

の最前線にいる。たとえMNN の盛況ぶりが例外的なものであるにせよ、インターネット

単独では決して担うことのできない役割がパブリック・アクセスに残されているのは間違

いなさそうだ。最新のテクノロジーとパブリック・アクセスを対立的に捉えるのではなく、

むしろツイッターやユーチューブを含めたものを新たに「パブリック・アクセス」と定義

しなおすべきだ、というディーディー・ハレックさんの言葉には含蓄がある。 もう一つ、アメリカで確認したかったことがある。ドイツでは、主流メディアがあまり

伝えたがらないマイノリティの声を社会に届けるために実際にメディアを必要としている

人々と、オープンチャンネルという「制度」とのあいだの乖離が指摘されてきた。これに

対してアメリカでは、情報を発信する市民の運動とパブリック・アクセスの制度の関係は

どうなっているのか、気になっていたのだ。結論だけ言えば、アメリカでも両者の関係は

決して自明のものではなく、必ずしも安定したものでもない。ただ今回、アクセス団体の

老舗ペーパータイガーや新興のDemocracy Now!の活動を見聞して感じたのは、自分たちの

伝えたいメッセージを社会に伝えるために、とにかく「使えるものは使う」という柔軟な

プラグマティズムの精神だった。社会運動と公的な制度が噛み合うのは、おそらく世界の

どこでも幸運な例外なのだ。それを可能にするのは、制度を使う側の柔軟さと粘り強さ、

これに尽きるのだろう。今後、狭い意味のパブリック・アクセス制度がどのような運命を

たどるにせよ、この制度をうまく使ってオルタナティブな情報発信を実現した人々の姿勢

は、世界がアメリカという国に学ぶべきものとして残り続けるに違いない。 DIY in NY

白石 草 私は2001年にそれまで勤めていた放送局を退社し、OurPlanetTV を立ち上げた。事

業をはじめた当初、私が考えていたのは、インターネットという新しいインフラを活用し、

電波主体のテレビ局では実現が難しかった、小さくても意思のあるジャーナリズムの実現

だったと思う。 それから10年—。私の考え方は少しずつ変化してきた。中でも一番の変化は、私自身

が、もはや、情報の担い手になる必要はないということに気づいたことである。ジャーナ

リストという肩書きは辞め、「映像」という私の最も愛する表現手法を、多くの人たちと共

有することを模索するようになった。 また、G8 サミット以降、放送や通信といったインフラを利用したメディアだけでなく、

路上や公園などをはじめとする公共空間など「ストリートの思想」にも影響を受け、私の

目指す方向性が定まって来た。そんな中での、今回の米国視察。プライベタイゼーション

(民営化/私有化)が進む米国で、メディアの公共性は、今どうなっているのか?という

Page 48: アメリカの市民メディア2010調査報告書

46

好奇心から参加した。 結論から言うと、様々な障壁を抱えながらも、やはり日本とは比較にならない「公共性」

に対するコンセンサスが、社会に通底していることを実感する旅となった。日本では、こ

こ1年ほど「新しい公共」という言葉が一人歩きしている。「公共」という言葉を利用しな

がらも、「新しい公共」はむしろプライベタイゼーションを加速させる道具として使われが

ちだ。新たな政権に代わり、市民活動が力を得る一方で、「公共性」について突き詰めて議

論することもないまま、ネオリベ的な臭いのする NPO が席巻する様子をそばで見ている

と、空恐ろしい気もする。 そうした意味で、今回、ペーパータイガーTV のマリアさんが口にした「reclaim media」という言葉に出会えたことは大きな収穫だった。私たちが取材を続けて来た「宮下公園」

は、まさに「reclaim park」の運動を続けている。 社会運動の流れが、DIY という方向性にあるのだということを、改めて、再確認できた。

日米の実力差を痛感し、旅行中はあまり元気が出てこなかったが、帰国後制作した報告ビ

デオは少しずつ、人びとに影響を与えている。電波もネットも、道路も公園も、全ての表

現の場が、人びとの手に戻るように、またコツコツやっていこう。「回収」されてはいけな

い。 「とんでもないくらい素晴らしい、最高のもの」

宗田 勝也

「この国(アメリカ)にはね。最低の、どうしようもないものがいっぱいあるんです。

最初はいやでいやでたまらなかったんですけど、でも、徐々にその内側の、中のほうに、

とんでもないくらい素晴らしい、最高のものもあるんだって気づくようになってからは、

好きになりましたね。日本も素晴らしいですけどね」。 調査の合間に訪れた、ワシントンの議会図書館で出会い、お世話になった司書の言葉で

ある。結婚を機に日本からアメリカへ渡り、約 20 年前、40 代を迎えてから司書という夢

に歩み始めた方だった。膨大な蔵書を前に、「こういうところに通って勉強してみたいです」

という私の感想を聞いた彼女が、「機会があればぜひ」という応援のあとに付け加えた。 今回、日本から 1 万数千キロの距離を越えて調査に訪れた先は、おそらく私たちにとっ

てヒントになると思われる、アメリカの「とんでもないくらい素晴らしい、最高の」実践

を行っているところばかりだったに違いない。では、実際に訪問して何を素晴らしいと思

ったか。必要な資金を調達する職業としてのファンドレイザーや、ネットの中立性などの

議論に際して専門用語を読み解くと同時に、分かりやすい言葉に翻訳できる人材の存在、

寄付文化を支える層の厚さなど羨ましいと思う点は数多くあった。 しかし、私のキーワードは「家族」である。調査で出会った人たちの口から、幾度とな

く仲間との関係が「家族のようなもの」と表現されていたことが非常に印象的だった。人々

が、コミュニティに根ざしたメディアに集うのは、そこに「もう一つの家族」が存在する

からだろう。そうした「場」の空気の育み方が、私には最高のものに思えたのである。逆

Page 49: アメリカの市民メディア2010調査報告書

47

に言えば、施設や機材、制度があるから、という理由だけでは人は集わないのではないだ

ろうか。技術的な知識を伝えることに加え、場を「家族のようなもの」にコーディネート

できる人材が求められる。 そのことを強く感じたのは、PRO-TV のメディア研修の現場を訪れた際の一コマだった。

貧困や親のドラッグ、マイノリティであることなど、困難な状況にある家庭の子どもたち

が、メディア制作のスキルを学ぶ教室である。突然訪れた私たちを前に、一人のアジア系

の女子生徒がうつむきがちだったことが気になっていた。他の生徒たちが、それぞれの活

動や作品について、私たちの質問に答えている間も彼女は沈黙を守っていた。突然の闖入

を申し訳なく思っていたところ、インタビューが終わり、講師であるジョニーさんが教室

にやってくると状況が一変した。その女子生徒がまさに水を得た魚のようにイキイキと力

強く発言し始めたのである。私にとって魔法の杖が振り下ろされた瞬間だった。帰り際、

ジョニーさんに胸のうちを伝えた。「彼らが『声』をもつことが大切なんです」ジョニーさ

んの言葉を聞いて、私がやりたいことはこれだと心が震える思いだった。 今回、作品をつくり、発信している普通の人たちに出会うことは十分にはできなかった。

しかし、そうした普通の人たちの中に輝く、とんでもないくらい最高のものに、一瞬では

あるが触れることができた。今後は、自分自身の暮らす社会の中で、ジョニーさんのよう

な人材の必要性や、このような実践を支える制度、法律の整備を現場から訴えていきたい。 メディア民主主義の新たな出口はどのように

津田 正夫

コロンブスがアメリカ大陸を“発見”したように、1997 年、私は仲間たちとともにアメリ

カでパブリック・アクセスと衝撃的に出会って、模索していた新しい放送制度はこれだと

直感した。それからの 10 余年、私は日本でのパブリック・アクセス教の“伝道師”あるいは

“オタク”となってなりふり構わず説き歩いてきた。この制度が、市民主体のコミュニケー

ションの基盤の一つになり、メディア民主主義につながると信じたからである。 私が働いてきたテレビ報道の業界は、80 年代半ばから新自由主義を背景として過剰な競

争が急速にすすんだ。「ロス疑惑事件」「グリコ森永事件」「日航機墜落事件」「豊田商事社

長殺人事件」「連続幼女殺害事件」などの報道に象徴されるような“劇場報道”が荒れ狂い、

歯止めのない競争によって、メディアは倫理的自壊作用を起こしていった。いったん事件・

事故が起こると、報道現場は “他社と数字”を見ながら際限なくショーアップされ、思考停

止に陥った。ニュース送出の現場で、事件ごとにモラルをめぐって職場の同僚と繰り返し

怒鳴りあいを続け、業務命令で劇場報道に加担させられた私は、現代のジャーナリズムに

は倫理というものはほとんど機能しなくなったことを心底痛感させられた。もう一つの重

いボデーブローは、1987 年から 89 年へかけての天皇代替わり期間の、「Xデイ」や「昭和

史」と呼ばれた全メディアの過剰な自己規制や報道統制であった。問答無用でどのメディ

アも能う限りの人材や資源が動員され続ける“戒厳令”に近い体制であった。 こうしたメディアの錯乱の一方で、80 年代後半、メディア・リテラシーやパブリック・

ジャーナリズムの動きなど、アメリカやカナダのメディア改革運動が断片的に紹介されつ

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つあった。私はNHKを辞した直後の 1995 年、“アメリカ帝国主義”への長いこだわりを解

いて、アメリカのNPO 制度やメディア・情報制度の調査に参加させてもらい、目からウ

ロコのショックをうけた。その後カナダ、西ヨーロッパ、韓国、台湾などのパブリック・

アクセス制度や市民活動を調査しては報告し、日本での市民メディア運動を喚起するとい

う螺旋的活動に精を出してきた。 しかしながら 10 余年をへて、今、アメリカ/日本の民主党兄弟政権(親子政権?)の誕

生とそのメディア政策が、結局テクノロジーとビジネスに振り回されていくという悲惨な

事態と容赦なく向き合わざるをえない。今回の調査では、アメリカの古典的パブリック・

アクセスを支えたメディア環境は、巨大ネット企業間戦争のあおりを受けて破綻を迎えつ

つあることを、残念ながら実感せざるをえなかった。もとよりアメリカの逞しいアクティ

ビストたちは、コミュニティメディアの概念を突き抜ける先鋭なサイトや、さらに根源的

なメディア改革をも展望してはいるが、その行方は混沌としている。 新たな出口はどのように創出されるのだろうか。ヨーロッパ、アジア、イスラムの世界

やそのコミュニケーションの形式などに、何かヒントはあるのだろうか? 日本の文化風

土は閉鎖的で遅れている、と考えがちな私自身の根源の問題の一つは、潜在的で根深いア

メリカ民主主義信仰、集権主義的メディア信仰、近代合理主義信仰にもあるかもしれない。

市民メディアの仲間では、そうしたことはまだ何一つ話し合われていない。「対話と共同行

為」が公共圏をつくる、とハーバーマスは言ったはずだが…。

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用語解説

※下線部は見出し語 ●アクセス権(access rights) メディアに関して言われる場合は、個人や集団がメディアにアクセス(参与)し、自らの意見を表明する権利

のこと。1960 年代のアメリカ公民権運動の中で、既存のマスメディアにおいて意見表明の場を与えられない

マイノリティが回復すべき権利として注目を浴びた。この権利要求の成果がパブリック・アクセス制度である。 「言論および出版の自由」の侵害を禁じた合衆国憲法修正第 1 条にメディアへのアクセス権の根拠を求めたバ

ロン(Jerome A. Barron)の解釈が理論的根拠としてよく知られている。 参考文献:ジェローム・バロン(清水英夫ほか訳)『アクセス権 誰のための言論の自由か』日本評論社。堀

部政男『アクセス権とは何か マス・メディアと言論の自由』岩波新書。

●オルタナティブメディア(alternative media) ●独立系メディア(インディペンデントメディア independent media) ●市民メディア(citizens’ media) いずれも、主流メディアとは異なるタイプの情報発信を行うメディアの呼称である。発信する情報内容だけで

なく、組織の運営形態や財源に関しても既存のマスメディアと異なるモデルを追求する場合には「オルタナテ

ィブメディア」、特に「国家・政府と大資本からの独立」に焦点を合わせる場合は「独立系メディア」、職業

的ジャーナリストではない市民の活動という点を強調する場合は「市民メディア」の語を用いることが多い。 実質的に「コミュニティメディア」と意味が重なることが少なくないが、反体制的な性格を意識する場合は「オ

ルタナティブメディア」を用いるのが一般的。両者の亀裂を埋める中立的な用語として「市民メディア」を用

いることを、メディア学者のロドリゲス(Clemencia Rodriguez)が提唱している。またドイツでも、国内のコ

ミュニティ放送とパブリック・アクセス局の総称として「市民メディア(Bürgermedien」の語が用いられる。 なお、イギリスでは民間商業放送のことを「独立テレビ」「独立ラジオ」と呼ぶが、これは「BBC から独立

した」放送という意味である。 参考文献:ミッツィ・ウォルツ(神保哲生訳)『オルタナティブ・メディア 変革のための市民メディア入門』

大月書店。松本恭幸『市民メディアの挑戦』リベルタ出版。

●公共圏(パブリック・スフィア public sphere) 一般に公開され、誰もが立ち入ることのできる領域のこと。特に近代社会においては、国家権力に対抗する市

民の「民間の=私的な(private)」領域の拡大を前提に、国家からも民間企業(資本)からも独立した「公共

の(public)」領域が成立した。ドイツの哲学者ハーバーマス(Jürgen Habermas)によれば、17~18 世紀の市

民的公共圏はマスメディアの情報と対面型のコミュニケーションの相互作用から生まれる「世論(公共の意見

public opinion)」を通じて政治的な力を発揮したが、19~20 世紀には公共圏は国家と資本に侵食され、その批

判的な機能を失っていったとされる。 参考文献:ユルゲン・ハーバーマス(細谷貞雄・山田正行訳)『第 2版 公共性の構造転換 市民社会の一カ

テゴリーについての探究』未来社。

●公共放送機構(Corporations for Public Broadcasting: CPB) 1967 年の公共放送法の成立を受け、同年に設立された非営利団体。PBS、NPR、およびその傘下の非営利放送

局を支援し、国の助成金の配分を行う。 大統領によって選出され、上院によって承認された 9 人の委員が任期 6 年で務める。そのうち同一政党の者が

過半数に達してはならないと定められている。 ●公共放送サービス(Public Broadcasting Service: PBS) アメリカの非営利テレビ局のネットワーク。1967 年の公共放送法の成立を受け、1969 年に発足。1954 年に設

立されていた「米国教育テレビ(national Educational Television)」の業務を 1970 年から引き継いだ。 約 360 の加盟局は、地方の非営利団体や大学などによって運営され、会費や寄付収入を主な財源とする。地方

公共団体の助成金、またCPB を通じて国の助成金を受けている場合もある。

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●公共(パブリック)メディア(public media) 広い意味では、あらゆるマスメディアに公共的な性格があり、公共のメディアと呼ぶことができる。(例えば

イギリスではBBC から独立した民間商業放送も「公共サービス放送」に含められる。) ただしアメリカでは近年、商業メディアではない非営利メディア(PBS、NPR、非営利の低出力ラジオ、パブ

リック・アクセス局、一部のインターネット上のメディア団体など)を包括する上位概念として「公共メディ

ア」の語が用いられる傾向にある。 ●コミュニティ FM【日本】 市町村レベルで放送を行うラジオ局。1992 年の放送法施行規則改正によって免許取得が可能になった。1995年の阪神淡路大震災をきっかけに神戸に設立された「FM わぃわぃ」の活動から防災と町おこしの機能に注目

が集まり、その後、全国で開局が相次いだ。 必ずしも政府からの独立性や非営利性を追求することが成立条件ではないため、国際的な意味における「コミ

ュニティ放送」とは異なる。ただし、2003 年に開局した「京都コミュニティ放送(京都三条ラジオカフェ)」

以降、非営利団体の運営する局も増えている。 参考文献:金山智子編『コミュニティ・メディア コミュニティ FMが地域をつなぐ』慶應義塾大学出版会。

●コミュニティ放送、コミュニティメディア(community broadcasting / community media) 多くの場合、小規模なコミュニティを対象とし、コミュニティの成員の主体的参加により運営されるメディア。

(ここでの「コミュニティ」とは「共同体」を意味し、「地域コミュニティ」と「文化・関心のコミュニティ」

を包括する概念である。)国家・政府から独立し、非営利の活動を行う。 実質的に、「オルタナティブメディア」「市民メディア」と呼ばれるものと重なることも多いが、1970 年代

にUNESCO の地域開発プロジェクトと連動して使われはじめた用語であるため、公的な制度化の文脈で使わ

れることが多い。 参考文献:松浦さと子・川島隆編『コミュニティメディアの未来 新しい声を伝える経路』晃洋書房。

●全米コミュニティメディア連合(Alliance for Community Media: ACM) アメリカ国内のパブリック・アクセス局の利益代表として 1976 年に設立された非営利団体。延べ 3000 以上の

団体・個人が加盟していると推定される。政府へのロビー活動を行う一方、各局への技術支援や人的支援など

に携わっている。 ●低出力ラジオ(low power radio) 低出力で狭い範囲の地域コミュニティをカバーするラジオは、オルタナティブメディアの活動の一種として長

い歴史を誇っている。日本では 1980 年代の規制緩和により、微弱電波を用いた放送は「ミニ FM」として免

許を必要とせず行えるようになった。 アメリカでは 2000 年、非営利または教育目的で活動する 100 ワットまでの低出力の FM 局を対象に、FCC が

新たに「低出力 FM(Low Power FM: LPFM)」を区分として認め、免許発行を始めた。これまでに約 800 局

が誕生している。商業放送局の反対運動などもあって、当初は多くの LPFM 局は出力を低めに抑えられてい

たが、1998 年に結成されていた利益代表団体「プロメテウス(Prometheus Radio Project)」のロビー活動の結

果、段階的に規制緩和がなされた。特に 2010 年の地域コミュニティラジオ法の改正により、LPFM 局の数は

飛躍的に増大することが見込まれている。 ●パブリック・アクセス(public access) 職業的ジャーナリストではない一般市民がメディアへのアクセス権を行使し、自ら情報を発信するための仕組

み。アメリカでは 1972 年、FCC の定めた規則により、市民制作番組を無検閲・先着順に放送するパブリック・

アクセス・チャンネルの制度化が実現した。これは、地域のケーブル事業者に対し、①市民アクセス(public access)、②教育アクセス(educational access)、③自治体アクセス(governmental access)の三種類のチャンネ

ルを提供するよう求めたものである。その後、1984 年のケーブル通信政策法により、アクセス・チャンネル

は、地方公共団体とケーブル事業者のあいだのフランチャイズ(地域営業権)契約の枠内で設置を決定され、

フランチャイズ料を財源とする助成を受けることになった。 同様のパブリック・アクセスの制度化は、ヨーロッパ諸国(オランダ、ドイツ、北欧)や韓国などにも広がっ

ている。ただし、アクセス・チャンネルの財源のモデルは国によって大きく異なる。

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参考文献:津田正夫・平塚千尋編『パブリック・アクセス 市民が作るメディア』リベルタ出版。津田正夫・

平塚千尋編『新版 パブリック・アクセスを学ぶ人のために』世界思想社。ローラ・R.リンダー(松野良一訳)

『パブリック・アクセス・テレビ 米国の電子演説台』中央大学出版部。

●フランチャイズ料(franchise fee) ケーブル事業者と地方公共団体とのフランチャイズ契約にもとづき、事業者の収益の 5%を上限として地方公

共団体へ納められる料金。地方公共団体は、これを財源としてパブリック・アクセス・チャンネルへの助成を

行う。ただし、この助成は義務化されてはおらず、徴収したフランチャイズ料を他の用途に回すことも認めら

れている。 ●米国公共ラジオ(National Public Radio: NPR) アメリカの非営利ラジオ局のネットワーク。1967 年の公共放送法の成立を受けて 1969 年に設立され、翌年か

ら放送を開始した。PBS とは異なり、独自のニュース番組・文化番組の制作を行っている。企業スポンサーに

よる出資、地方公共団体やCPB を通じた国の助成金を主な財源としている。 ●メディア・リテラシー(media literacy) 多様なメディアの分野において、メディアが与える情報のみならずメディアの仕組みそのものを批判的に分

析・理解・評価し、かつ自分自身が情報を発信する能力のこと。特に 1970 年代以降、各国で大衆文化(ポッ

プカルチャー)の高まりにともなって「メディア研究(media studies)」が学術的ジャンルとして整備された

のと並行して、教育の一分野として認知されるようになった。1980 年代以降には学校教育の現場にも採り入

れられる。 さらに近年、インターネットの普及とデジタル格差の拡大を受けて、青少年のメディア・リテラシー教育の重

要度が増している。 参考文献:鈴木みどり編『メディア・リテラシーを学ぶ人のために』世界思想社。

●連邦通信委員会(Federal Communications Commission: FCC) アメリカ国内の通信・放送事業を監理する独立行政機関。1934 年の連邦通信法によって設立された。放送・

通信の規制や民間の放送事業者への免許交付などに携わる。人種差別や性差別を廃し、通信・放送の分野にお

いて健全な自由競争を実現させることを使命とする。 大統領によって選出され、上院によって承認された 5 人の委員が任期 5 年で務める。そのうち同一政党の者は

3 人までと定められている。

Newsium(ワシントン DC)ではカトリーナ台風にかんする報道を特別展示 旧WTC1 階のオブジェが September,11 祈念碑に

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あとがきにかえて

学生に講義していて、彼らがピンと来ない用語の一つに「コミュニティ」がある。「コ

ミュニティの成員なら誰もがコミュニティメディアで発信の権利がある」といっても、日

本人にはなかなかイメージできない。ブログ、ツイッター、ユーチューブを使える現在、

「誰もが発信できる」という意味は、技術的可能性だけに矮小化されがちだ。一緒に集ま

り、たがいに議論しあって共同の作品や社会関係を作っていくこと(ハーバーマス風に言

えば“共同行為と対話”、今風に言うところの“オフ会”)の醍醐味や連帯感、仲間意識な

どを経験する機会も、次第に少なくなっている。そうした学生に「コミュニティ番組」を

作る意味や楽しさを教えることを考え、今回の訪問先に「日本人コミュニティに向け番組

を作る人たち」を加えようと思った。しかし、サンフランシスコ、バンクーバー、トロン

トにはあった“日本人コミュニティ向けテレビ番組”が、ニューヨークにはないらしい。

そのかわりに『ジパング』という月刊の日本語雑誌を発刊してきた人たちに会うことがで

きた。大竹秀子さんと八巻由利子さんだ。大竹さんは東大仏文卒業後『流行通信』編集長

をへて 1983 年から NY に、八巻さんは早稲田大文学部を出て『月刊 FEN ガイド』編集長

などをへて 1993 年からNY に住んでおられるという。 サイト(http://www.ezipangu.org/)の紹介によれば、『ジパング』とは「日米文化、日米

関係を軸に異質な文化間の実り豊かなダイアローグを模索するグラスルーツの非営利組

織」。1995 年にNY 在住のジャーナリスト、アーティスト、学者が中心になって結成され、

「バイリンガル、バイカルチュラルな定期刊行物・書籍の出版、講演会などのイベントを

企画・実行。思考・対話を刺激する鋭い問題提起をおこない、日米の識者をまきこんでの

ダイナミックな討論の場を提供し、相互理解を深める活動を展開」している団体だ。服部

君射殺事件を契機に「銃規制問題」を扱ったり、ニューヨークの「ジャパン・ソサエティ」

との共催で「転換期の日本―働く女性の目から見て」レクチャー・シリーズを企画・運営

してきたりした。今回、チャイナタウンの飯店で大竹さんと八巻さんにお話を伺い、雑誌

の実物やいろいろな写真も見せていただいた。短い時間ながら、現代の在米日本人・日系

人が直面している課題や、そこでアートや日系メディアの果たす役割の一端をかいま見る

ことができた。思いがけず、「日系人コミュニティ番組」を探すという当初の陳腐な発想を

超える体験をさせていただいたことに感謝したい。 「コミュニティメディア」や「オルタナティブメディア」という形を、ともすればステレオ

タイプに捉えがちな私たちは、海外の“現代のディアスポラ”たちが生きる現実の生活、

彼らが日本に向けるまなざし、その多彩な表現に触れることで、“共同行為と対話”のため

にこそメディアはあるのだと、本当の意味で理解することができる。そして、日本社会の

周縁で“ディアスポラ”たることを強制されたり、選び取ったりしている多様な人たちの

表現文化を、もっともっと知ることも重要なのだと、ふと感じた調査だった。 末筆で恐縮ですが、今回の訪問・調査先で、貴重な時間を割いていただき、初歩的な質

問にもたいへん丁寧な対応をしていただいたみなさま、資料や情報を提供していただいた

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みなさまに、あらためて心からお礼を申し上げます。 またニューヨーク、ワシントン DC を通して、お仕事と論文執筆の中で粘り強い交渉や

アポとり、通訳、宿舎手配までしていただいたコーディネータ藤原広美さんには、何回お

礼を申し上げても足りません。ほんとうにありがとうございました。また研究生活を中断

して同行してくれた竹村朋子さんの若さ溢れる通訳にも厚く感謝します。現地では、事前

に DCTV スタッフの溝口尚美さん、MRex プロダクションのタハラ・レイコさんにも市民

社会と現代メディアにかかわる、最前線のさまざまな貴重な情報をいただきました。溝口

さんはシネミンガの忙しい活動中にほぼ半分の日程にボランティアで付き添ってもらい、

随所で豊富な経歴を活かした重要な役割を担っていただきました。心から感謝します。 なお、調査の成果については、今後さまざまな形で活かされていくと確信しますが、こ

の報告書を発刊する現在までのところ、下記のものが既に発表あるいは予定されています。

・池田佳代「マスメディアを超えて―デモクラシー・ナウ!の意味と現在―」第 5 回 現代を聞く会、2010 年 11 月 19 日

・白石草制作 ビデオ「シリーズ 米国メディア報告」『OurPlanet-TV』2010 年 12 月

(1)「ネット時代の市民チャンネル」 http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/679

(2)「躍進する非営利メディア」 http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/733

(3)「メディア教育の現場から」 http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/753

・宗田勝也「『リクレイミング・メディア』に関する一考察―アメリカのパブリック・ア クセス調査から―」(仮)『同志社政策科学研究』(同志社大学大学院総合政策科学 会編集委員会編)2011 年予定。

・竹村朋子「The Trend of Investigative Nonprofit News Organizations in the U.S.: A Case Study of ProPublica」(仮)第 5回院生カンファレンス、2011 年 2 月 27 日

・竹村朋子「アメリカにおける非営利調査報道機関のトレンド:プロパブリカを事例とし て」『立命館大学産業社会論集』立命館大学産業社会学会、2011 年(予定)

・津田正夫「米国の市民メディア調査報告」公共哲学研究会、なかのゼロ、2010 年 10 月

30 日 ・津田正夫「曲がり角に立つパブリック・メディア」『アジア記者クラブ通信』220 号 2010

年 11 月 ・津田正夫「アメリカのメディアリフォーム運動」『放送レポート』228 号 2011 年 1 月 ・津田正夫「転換期のパブリック・アクセス ~アメリカ~」金山勉・津田正夫編『ネッ

ト時代のパブリック・アクセス』世界思想社、2011 年 3 月(予定) ・津田正夫「研究ノート アメリカのメディア公共圏の理念と現実(仮)」『立命館大学

産業社会論集』立命館大学産業社会学会、2011 年(予定) この報告書は、一部立命館大学産業社会学会の研究助成を受けました。記して感謝申し上げます。

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アメリカの市民メディア 2010 調査報告書 2011 年 2 月

連絡先

津田正夫

立命館大学産業社会学部

〒603-8577 京都市北区等持院北町 56-1

[email protected]

FAX 075-465-8196