「言語哲学と会話分析の対話」(2013年3月2日、明治学院大学にて)のためのポジションペーパーのようなもの...

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Page 1: 「言語哲学と会話分析の対話」(2013年3月2日、明治学院大学にて)のためのポジションペーパーのようなもの

2013年 3月 2日 (土屋)

1 いわゆる「会話分析」との私的な出会い (と離別)

1. いわゆる「行動科学」的 “content analysis”も勉強した。Goffmanも読んだ。2. “Discourse Analysis” “Textlingvistk” はかじっていた (Halliday, van Dijk)

3. 言語行為論は、1974年くらいから 1、2年と、1977年くらいから 5年くらいちゃんとやった (そのあいだで Frege)

4. 1986年から在研 (=文部省在外研究員)で、Stanfordの Center for the Study of Language and Informationに 1989年 1月まで滞在できた。(形式意味論*1としての)状況意味論による言語行為論をやる構想だったが、挫折。その原因のひとつが会話分析との出会い。(状況意味論では、(意味をもつものの)意味を状況のタイプの間の関係としてモデル化する。言語行為は、行為なので状況を変化させる (たとえば、「約束による義務の発生」。だから、しかし、結局、文至上主義と聞き手不在で、J. L. Austinが構想した“The total speech act in the total speech situation is the only actual phonomenon which, in the last resort, we are engaged

in elucidating” の “a true and comprehensive science of language”としては、Searle以降のいわゆる言語行為論では無理と考えた。したがって状況意味論によるモデル化も無意味と結論 (ただし、どこにも書いていないが)。)

5. Barbara Grosz, Candy Sidner, Martha Pollack, Phil Cohen, (Steve Levinson)等と対話システムの研究会を 1987年から。そこでこれらの AI 研究者がちょっと前に LA の研究を知って熱狂していたところだった。⇒ Intentions in Communication edited

by Philip R. Cohen, Jerry L. Morgan, and Martha E. Pollack (1990, MIT Press)にはあまり反映していないが。6.「断片発話」問題と「聞き手不在」問題が気になる。実際の研究は、「行為論」へ。⇒ David Israel, John Perry and Syun Tutiya,

”Executions, Motivations and Accomplishments”,Philosophical Review vol.102 No.4, 1993.10, Cornell University, pp.515-540.

7. 不思議な因縁で、Text Encoding Initiative(TEI)(SGMLによる言語、人文研究資源の交換フォーマットの策定)に 1989年から参加。ここで、British National Corpus、北欧の研究者 (とくに、Stig Johansson)、のちに XMLのエディターとなる人々などと交流し、対話のコーディングに関心

8. 1992 年から千葉大 地図課題対話コーパス を作成。64 名(男女各 32 名)4 人組で 8 対話ずつ収録,全 128 対話,約 23 時間。NII-SRCから無償で入手可能。

9. それをもとに若干の研究。今に至る。

2 言語、行為、共同行為について1. 言語は共同的行為にとって不可欠ではない ⇒ 存在の理由が必要 ⇒ いわば「コンテクスト」が「テキスト」に先行する2.「補足」「補充」としての言語3. となると、(非言語的な行動を含めて考察するとしても)言語的相互作用を研究することは、言語や相互作用を研究することにつながらないのではないかという疑問

3 もっと素朴な疑問1. スクリプト至上主義?

(a)言語的意味の無批判的受容、つまり、完全にはコンテクスト依存にできていない。(b)Backchannelのコーディングが素朴に不思議(c)“Total speech situation” という発想だと、スクリプトに依存した議論は、論点先取とともとれる(d)一定の限定された時間、空間については、(ほとんど)あらゆる (知覚可能な物理的実現による)現象が記録できる時代に方法論

として意味があるのか?

2. 純粋会話主義?

(a)1:1は、多人数からの縮退? それとも、多人数の基礎?(電話会話分析と二人会話の優越性)

(b)会話が社会的関係を「構成する」?

(c)すべての会話に共通する特徴づけ? なにかのために話すならば、それにすべては従属して定義されるだけで、言語を共通に使用しているからといって、すべての言語使用に共通する特性があると想定することは保証されない。

(d)コンテクストと細部への配慮を言ってみても、言語による会話を基礎とする分析3.「規範性」の素朴な信頼?

(a)Turn-taking rule, Adjacency pair, Membership categorizationの規範性(b)「ルール違反」は、morally reproachable? これらに “morality” が関係することに違和感。たしかに、ルール違反とその修正

に気づかれていなかった価値観などを発見できることであろうが。(c)「ここでこうすることもできたはずだ。でも、こうしている。そこにはこういう意味がある」という議論。しかし、それは、事

後的な「こうすべきあったかもしれない」という反省からしか出てこないのではないか。しかし、それならいくらでも可能性は考えられる。その可能性を制約する原理は何なのか。

(d)期待 (expectation)と事実。方法論の桎梏? 会話は本当に共同的行為なのか?共同的であることを前提にできる根拠は?

(e)相手のことも聞かずに、いろいろなことが未解決なままに進行する対話・会話の存在 (課題指向対話よりのバイアスか?)

*1 形式意味論の発祥は 1960年代なかばから後半の UCLA周辺なのはおもしろい。