2017 1 12 「高齢者の心不全の病態と治療」 -...

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2017 1 12 日放送 「高齢者の心不全の病態と治療」 虎の門病院 循環器センター内科医長 児玉 隆秀 日本では 2014 10 月時点での 65 歳以上の高齢者が占める割合は、総人口の 26%にの ぼり、その中でも 75 歳以上の後期高齢者は 12.5%を占め、さらに高齢化率は上昇の一途を たどっています。この高齢化社会の中で急増している疾患があります。それが心不全です。

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2017年 1月 12日放送

「高齢者の心不全の病態と治療」 虎の門病院 循環器センター内科医長

児玉 隆秀

日本では 2014 年 10 月時点での 65 歳以上の高齢者が占める割合は、総人口の 26%にの

ぼり、その中でも 75 歳以上の後期高齢者は 12.5%を占め、さらに高齢化率は上昇の一途を

たどっています。この高齢化社会の中で急増している疾患があります。それが心不全です。

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米国のフラミンガム研究によると 50 歳代での慢性心不全の発症率はおよそ 1%であるのに

比して、80 歳以上になると 10%にも達することが知られています。そして、日本における

心不全患者数の予測に関する疫学研究では、2030 年には心不全患者数が 130 万人に達する

と推計されています。なぜ、高齢化が進むと心不全患者が増加するのでしょうか。これは、

心筋の加齢性変化に加え、生活習慣の欧米化による虚血性心疾患の増加、高齢化に伴う高

血圧症や弁膜症患者の増加、また心疾患に対する治療が進歩し心疾患発症後も長期生存が

可能になったためと考えられています。

一概に心不全と言っても、なかなかその病像を言葉で理解するのは難しい場合がありま

す。日本循環器学会のガイドラインにも定義が書かれておりますが、特に一般の方にはわ

かりにくく、心不全を理解するためには症状から理解するのが最もわかりやすいと考えま

す。つまり体動時の息切れまたは臥床時の呼吸困難と水分貯留のサインがあることです。

水分貯留のサインの多くは足のむくみとして現れることが多く、指で押すと指の形が付い

てしまうようなものであることが通常です。さらに、胸部レントゲン写真で心拡大、胸水

の貯留や肺うっ血像が見られることがほとんどです。このように心不全はその症候に対し

て付けられた診断名でありますが、このような病態に至るには心血管系の機能異常がその

根底にあるのです。

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心臓は全身に血液を送るポンプとしての機能はよく知られているところですが、そのポ

ンプ機能にも二つの要素があります。一つは当然のことながら、心臓が収縮することによ

り大動脈に血液を送り出す収縮能です。もう一つは心臓に戻ってきた血液を柔軟に受け入

れる能力です。これを拡張能と言います。

この拡張能も収縮能に負けないくらい

大切なものなのです。これら二つの要素

が正常に働いて初めて心臓のポンプが

正常に機能するのです。のちに述べます

が、拡張能の低下が著しい場合には、収

縮能が比較的保たれていても、心不全を

発症しうるのです。また、心臓と血管は

完全につながって循環器系を形成して

おり、心臓から送り出された血液を受け

入れる血管側の異常や機能低下が心臓

の機能に大きな影響を及ぼすことは容

易に想像できると思います。 では高齢者の心血管系の特徴はどのようになっているのでしょうか。加齢による動脈硬

化は心臓を栄養する冠状動脈にも及ぶため、心筋梗塞をはじめとする虚血性心疾患の罹患

率が上昇し、これは心臓の収縮能のみならず同時に拡張能をも低下させることが知られて

います。また、加齢により急激に増加する大動脈弁狭窄症は、リウマチ性や先天性ではな

く、動脈硬化による変形性

であることが明らかにされ

ており、年齢、高血圧、悪

玉といわれる LDL コレス

テロール、喫煙、腎機能障

害などが危険因子であると

報告されています。さらに、

大動脈やその他全身の動脈

硬化により高齢者では収縮

期高血圧の頻度が高くなり、

心臓が収縮する際に、より

負荷がかかることになります。 心臓そのものの形態も加齢により変化していきます。心疾患がない限り、心臓の重量は

加齢によって大きく変化しませんが、左心室の壁は加齢によりわずかに増加し、左心室と

右心室の容積は加齢とともに低下します。そして、心房容積は加齢とともに著しく増加し

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ます。心筋細胞は加齢とともにその数は減少し、心筋細胞そのものは肥大します。心筋の

間質には線維化が起こるとともに、リポフスチンやアミロイドといった不要な物質が沈着

します。これらは心室コンプライアンス、すなわち心臓の柔軟性・拡張能を低下させます。

拡張能の低下は左室拡張末期圧の上昇をもたらし、心房が加齢とともに拡張する原因の一

つとなっております。さらに、心房細動などの不整脈の多い原因ともなっております。こ

のような形態の変化は、高齢者心不全の特徴として現れており、若年者のそれと比較して

収縮能の保たれた拡張不全に伴う心不全の割合が多く、必ずしも収縮不全が心不全の主体

をなしているわけではありません。先に述べた動脈硬化と心室拡張障害に伴う心室動脈関

連異常により、わずかな容量負荷・例えば急速な輸液や、過剰な塩分負荷などによっても

急激な血圧上昇を生じ得ます。結果として交感神経活性すなわち自律神経の緊張、心臓を

興奮させるホルモンである内因性カテコラミン過剰や心房細動などを誘引として、電撃性

肺水腫などの心不全急性増悪をきたしやすいのです。高齢者心不全を心収縮能で分けて、

具体的には左心室駆出率 45%以上と未満に分けた研究では、その生命予後を比較しても両

者に差がなかったことが報告されております。このことから、拡張能が収縮能に負けない

くらい大切なものであることが理解頂けたと思います。 これら、心血管系に注目しただけでも高齢者特有の変化があるのに加え、高齢者の大多

数は心臓そのものの病態に加え、心不全を増悪させる多種多様な併存症を有していること

が少なくなく、むしろ生命予後の一次決定因子となっています。虎の門病院で遭遇する高

齢者心不全においても半数近くが、肺炎や腎盂腎炎などの感染症、消化管出血に伴う貧血、

腎不全の増悪、閉塞性疾

患などの全身的要因、β

遮断薬、抗不整脈薬、非

ステロイド系解熱鎮痛

薬などの薬物要因、減塩

や水分制限の不徹底、服

薬管理の不徹底、肥満、

運動過多といった生活

要因等が単数あるいは

複数存在し、これらが誘

因となり結果として前

面に出てきた心不全を

治療しているのです。 また、虚血性心疾患や弁膜症などの心臓要因が一次的要因であっても、これらの併存症

が複数存在することが通常です。このような併存症を精査することは病態把握や予後予測

として必要でありますが、複数の併存症について個別にすべて加療することは事実上不可

能に近いと言えます。例えば、肺炎に対する抗生物質投与が、腎障害を増悪させ心不全の

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加療が困難になる、腎不全を併存する患者に対する利尿薬投与が腎不全を悪化させる、消

化管出血を伴う患者の心房細動に対する抗凝固療法をどこまで行うかなど、まさしくこち

らを立てればあちらが立たずといったジレンマは常に存在すると言っても過言ではありま

せん。 高齢者心不全の初期検査および治療は、非高齢者と同様の方針を遂行するのが原則であ

りますが、加齢に伴う様々な併存症の存在や各臓器予備能の低下、薬物動態の変化、認知

機能・身体機能、社会機

能の低下、栄養状態、サ

ルコペニア、フレイルと

いった臨床的かつ社会

的特徴などに配慮し、

様々な要因との共存を

図る対応が求められま

す。時には無駄な延命治

療にならないよう、より

よく生活の質を維持で

きるよう緩和的アプロ

ーチも念頭に置いて初

期治療に臨む必要があ

ります。 通常心不全の初期治

療では安静臥床の上、酸

素投与を始めとした呼

吸管理を行いつつ、利尿

薬、血管拡張薬の投与お

よび心保護薬の調整な

どの薬物療法を行いま

すが、臥床が長引くと容

易に筋力低下や廃用症

候群をきたします。完全

な臥床状態が継続する

と、非高齢者であっても

運動耐容能は 1 日に約

0.2METs ずつ低下する

と言われており、高齢者では数日の臥床継続で起立困難となることは珍しくありません。

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このため、初期治療により血行動態と酸素化が安定すれば速やかに運動療法などのリハビ

リテーションを開始すべきです。また、薬物療法も高齢者においては過剰な効果に留意し

て、少量から開始すべきです。副作用が出現しても自覚症状が乏しく、発見が遅れる可能

性があることにも留意が必要です。さらに、心不全患者に限ったことではありませんが、

抑うつ、せん妄など高齢者に多く見られる精神症状は高頻度で発症するため、画一的な対

応ではなく、時には精神科へのコンサルトが必要になることもあります。 心不全の原因となる個々の心疾患については近年の医療技術の進歩により高齢であるこ

とをもって、積極的治療の適応を外れることはなくなってきました。急性心筋梗塞や不安

定狭心症はもちろん、重症心筋虚血による心不全に対する経皮的冠動脈カテーテル治療は

高齢者においても予後を改善することが知られておりまして、2013 年以降の当院における

80 歳以上の高齢者に対するカテーテル治療の成績は 80 歳未満の治療成績と比較して差が

ないことが判明しております。また、経カテーテル大動脈弁置換術・TAVI は開胸による外

科的大動脈弁置換術が困難なハイリスク高齢大動脈弁狭窄症患者の根本的治療を可能にし、

外科手術に遜色ない

成績を示しておりま

す。今後もより侵襲

の少ない効果的な治

療法やデバイスが開

発されていくものと

思われ、それに伴い

高齢者心不全治療の

指針となる様々なエ

ビデンスが構築され

てくるものと思われ

ます。 以上高齢者の心不全の病態と治療について当院での治療や成績を含め概略を述べてまい

りましたが、この放送のみで全てをカバーすることは不可能です。2016 年 10 月に日本心

不全学会より高齢心不全患者の治療に関するステートメントが発刊されました。インター

ネットでも無料で参照でき、高齢者心不全の病態と治療を理解する一助となると思います

ので、参考にされると良いと思います。