2b りん - 東京農業大学2019/02/07  · 2 b 2 ― 6 ―...

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Page 1: 2B りん - 東京農業大学2019/02/07  · 2 B 2 ― 6 ― ここに、ピタゴラス学派の数学的な自然観がプラトンにも受け継がれた。的な一つの場所として捉えられた。こうした場所の幾何学的、イデア的限定として世界は数学的に構成された。プラトンのイデア論とイオニアの自然観を総合

2B 国 語

(解答番号

1

32

第1問 次の文章を読んで、後の問い(問1〜11)に答えよ。

 アギリシャの自然観は、それまでの古代オリエントの自然観とはかなり違っていた。その最大の特徴は、自

然界の事象に「何故」、「何が」、「どんな仕組みで」、「どんな大きさで」といった問いかけをし、その合理的な

答えを求める中に深い思索を繰り返していったのである。

 紀元前六世紀の小アジアの沿岸都市において、いわゆる「ギリシャ革命」が起こり、ここに「神話の世界観

から論理に基づく世界観」への転換がなされた。自然に対する人格的な観み

方かた

が廃され、自然が純粋に知的に分

離されて理論的に考察されるようになった。また、すべての自然現象を説明するために、オリエントでは神の

力を借りていたのに対し、ギリシャでは自然の運動や変化の要因を自然そのものの中に求めたことである。し

かし、近代科学と異なる点では、観察と思索、そして論理に基づく記述が中心で、事実を重んじる実証や実験

的な方法は使われなかったことである。

、論理的ではあったが、思弁的で事実とかけ離れた説明に陥

るという傾向が見られた。

ところで、ギリシャの自然観をもう少しa

クワしくみるとき、(注1)イオニア派とイタリア派に分けて考え

ることができる。

エジプトやバビロニアで重んじられた精霊やアニミズムは、イオニアでは全くかえりみられなくなった。エ

ジプト人が信じていた来世についても何らの関心も寄せられなかった。イオニアでの宗教的祭礼は神々の恩恵

を引き換えに受け取る贈与とみなす一種の商業的なクbヨウであった。それは、神秘的霊的な共感に達するた

めの呪術的な行事ではなかった。イオニアの新しい哲学の基盤を成すものは、非神話化された(注2)オリンポ

スの精神であり、

な精神を拠よ

り所として、自然から擬人主義を廃したものであった。

 イオニアでは、古代オリエントで信じられていた神々の役割、

、雨を降らせたり収穫を左右させる

という神の役割を認めず、神は、元来、人間の心の問題に関わるものであることを示そうとした。ここでは古

代オリエントの神話的思考は全く姿を消し、古い神は抽象的、精神的なものへと変わっていった。しかしなが

ら、イオニア的自然観は、近代のように人間に対立する魂なき自然ではなかった。イオニアの自然科学者のひ

とりヘラクレイトスは、「万物は魂と神々に満ちている」と言ったと伝えられているように、彼らにとって自

然は、すべての魂を内に持って運動する、生きた自然なのである。イオニア的自然観は、物質的な素材そのも

のが生命を持っているという考え方である。【①】

イオニア的自然観が現世的な自然を問題とし、もっぱら目前に横たわる経験的事物に注目したのに対し、

(注3)ピタゴラスにはじまるイタリア的な哲学は、むしろ人間の心の問題、魂の問題に関心が向けられた。

これは、多分に(注4)オルペウスの宗教観の影響を受けているといわれている。すなわち、オルフェイス教

の教義によれば、魂はもともと天上において神々とともに浄きよ

らかで幸福な生をしていたが、地上に転落してさ

まざまな生物に閉じ込められ、それらの間を輪りん

廻ね

転生する身となってしまった。したがって、魂を肉体から解

(  ― )

2B 1 

2月7日

Page 2: 2B りん - 東京農業大学2019/02/07  · 2 B 2 ― 6 ― ここに、ピタゴラス学派の数学的な自然観がプラトンにも受け継がれた。的な一つの場所として捉えられた。こうした場所の幾何学的、イデア的限定として世界は数学的に構成された。プラトンのイデア論とイオニアの自然観を総合

国語

放し、それが本来の場所である天上に還かえ

って行くことができるように、人間は普段からひたすら浄らかな生活

を実践しなければならない、というのである。

イこうしたオルペウスの信仰を哲学にまで高めたのがピタゴラスであった。ピタゴラスはサモスに生まれた

が、南イタリアのギリシャcショクミン地クロトンに行き、そこで数学的な思索と宗教的な瞑めい

想そう

に専念する学

派を結成した。ピタゴラス学派にとっては、数は宇宙の観念的な模型であって、量とか形とかが自然物の形式

を決定したと考えた。彼らは、数を単位の点、または粒子から作られた幾何学的、物理的、算術的な実在と考

えた。こういう単位の点をさまざまな幾何学図形の頂点に配置し、それらを三角形数、四角形数などと呼んだ。

ピタゴラス学派は、数は量的な大きさを持つと同時に幾何学的な形を持つと考えた。

 また、ピタゴラスは、音楽の世界において協和音程の数学的構造を明らかにした。すなわち、弦の長さの簡

単な整数比で音程の協和音が出ることを発見した。ピタゴラス一派は、数学的比例によって限定された音程を

協和音として感じる霊魂の構造そのものに数的調和(ハーモニー)を見出した。

 イオニアの自然科学者たちがもっぱらこの自然を創り上げている物質的存在の「

Y

」を問題にしてい

たのに対し、ピタゴラス学派は、その存在様式の限定である構造の「いかに」を問題にした。すなわち、イオ

ニアが自然を「質料」的な観方で捉えたのに対し、ピタゴラス学派は「形相」として捉えたのである。これは、

数学でいえばまさに幾何学である。【②】

 ピタゴラス学派における「形相」とは、「図形」と同様なものを意味していたのである。それは、正義やチャ

ンスといった抽象的な物をdフクむすべてのもの(存在)を数学的図形の形相との対比で捉えていたのである。

ピタゴラス学派によるこの「形相」の理論は、(注5)ソクラテスにおいて一つの大きな転機を迎える。「自然」

から「倫理」へ関心を移していたソクラテスは、ピタゴラス学派のこうした自然の数学的形相を「善」とか「徳」

とかなどの、人間の倫理観に関わる事項へと変換した。ソクラテスは、イオニアの自然観が「質料」的な説明

にウ終始し、「世界がなぜそうなるか」ということの真の原因を少しも与えていないのに失望した。その結果、「真

実の善が万物を結合し統合している」という見地に達し、そのような「善」や「美」の形相が事物に「臨在」

する、と考えた。こうした意味での真の「形相」を認識するのは「魂」に他ならず、肉体的な感覚は真の知恵

の獲得には障害になるとした。そのため、肉体を離れ、魂について純粋に考える必要性を人々に説いた。ソク

ラテスは、魂が肉体を離れるのは死を意味し、これによって魂は肉体に結合される以前の永遠の認識をeキョ

ウジュすることができるとした。【③】

 こうしたソクラテスの考え方は、オルペウスの宗教とピタゴラス学派の流れを汲く

んでいる。ソクラテスはこ

のような霊魂観に立ちながら同時に、「魂」を空気のような自然的なものから人格的、あるいは倫理的なもの

へと変換させた。ソクラテス以後、自然の問題も、「価値」、「規範」、「目的」といった倫理観に基づいた考察

がなされるようになった。【④】

エソクラテスの弟子プラトンは、師ソクラテスの霊魂の概念に永遠不滅で心的な(注6)イデアの原型をみて

とった。プラトンは、宇宙は、創造者が善と美の永遠なイデアを模範として創ったものの写像と考えた。そし

て、その中に理性と霊魂を有し、それは、火・気・水・土の四元素からなるとした。この四元素はそれぞれ正

多面体として表され、さらにそれらの立体は、面、線、点のような幾何学的な要素に分解され、最後に自然は

幾何学に還元されるとした。すなわち、ここでは、世界を創る素材はそれ自身全くの規定を欠いた純粋に受動

(  ― )

2B 2 

― 6 ―

的な一つの場所として捉えられた。こうした場所の幾何学的、イデア的限定として世界は数学的に構成された。

ここに、ピタゴラス学派の数学的な自然観がプラトンにも受け継がれた。

プラトンのイデア論とイオニアの自然観を総合したのが(注7)アリストテレスである。アリストテレスは、

プラトンのイデアを個体の本質である形相として捉え、同時にイオニアの自然哲学者が取り上げていた物質的

な構成要素を形相に対する素材的な質料として取り上げた。一切の個物はこのような形相と質料の結合として

把握する。しかも、アリストテレスは、形相=質料という静的な対の概念をさらに発展させて、現実態=可能

態という対の概念を動的に捉えようとした。現実態は、目的としての形相を実現した状態であり、可能態とは、

未いま

だそうした形相を実現せず、潜在的にそれを秘めている状態である。運動、変化とはこうした可能態から現

実態への移行であり、これはオ潜在的に「ある」ものから現実的に「ある」ものへの変換である。このように、

アリストテレスは自然とは可能態から現実態への運動の原理を内在したもの、と解釈した。【⑤】

イタリア的伝統における形相主義は、アリストテレスによって消化され、(注8)デモクリトスの原子論の機

械論的自然観に対する目的論的自然観を形成した。こののち暫しばらくはアリストテレスの自然観が支配することに

なったが、すぐにすたれ、十七世紀になるまで、あまり顧みられなかった。それが十七世紀以後、再び復活し、

ヨーロッパ中世はアリストテレスの自然観を継承するところからはじまるのである。

(柳瀬優二・松尾守之『情報社会と科学思想』による)

(注1)イオニア

─現在のトルコ南西部に存在した、古代の地名。

(注2)オリンポス

─ギリシャ北部の山。ギリシャ神話では、ゼウスをはじめとするオリンポス十二神が住

むとされた。

(注3)ピタゴラス

─古代ギリシャの数学者、哲学者(前五七〇頃─前四九六頃)。

(注4)オルペウス

─ギリシャ神話に登場する吟遊詩人であり、オルフェイス教の始祖とされる。

(注5)ソクラテス

─古代ギリシャの哲学者(前四六九─前三九九)。

(注6)イデア

─プラトン哲学の中心概念であり、個々の事物を存在させる根拠となる真の存在。

(注7)アリストテレス

─古代ギリシャの哲学者(前三八四─前三二二)。

(注8)デモクリトス

─古代ギリシャの哲学者(前四六〇頃─前三七〇頃)。

*問題作成上の都合により、本文の一部に手を加えてある。

2B

3

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的な一つの場所として捉えられた。こうした場所の幾何学的、イデア的限定として世界は数学的に構成された。

ここに、ピタゴラス学派の数学的な自然観がプラトンにも受け継がれた。

プラトンのイデア論とイオニアの自然観を総合したのが(注7)アリストテレスである。アリストテレスは、

プラトンのイデアを個体の本質である形相として捉え、同時にイオニアの自然哲学者が取り上げていた物質的

な構成要素を形相に対する素材的な質料として取り上げた。一切の個物はこのような形相と質料の結合として

把握する。しかも、アリストテレスは、形相=質料という静的な対の概念をさらに発展させて、現実態=可能

態という対の概念を動的に捉えようとした。現実態は、目的としての形相を実現した状態であり、可能態とは、

未いま

だそうした形相を実現せず、潜在的にそれを秘めている状態である。運動、変化とはこうした可能態から現

実態への移行であり、これはオ潜在的に「ある」ものから現実的に「ある」ものへの変換である。このように、

アリストテレスは自然とは可能態から現実態への運動の原理を内在したもの、と解釈した。【⑤】

イタリア的伝統における形相主義は、アリストテレスによって消化され、(注8)デモクリトスの原子論の機

械論的自然観に対する目的論的自然観を形成した。こののち暫しばらくはアリストテレスの自然観が支配することに

なったが、すぐにすたれ、十七世紀になるまで、あまり顧みられなかった。それが十七世紀以後、再び復活し、

ヨーロッパ中世はアリストテレスの自然観を継承するところからはじまるのである。

(柳瀬優二・松尾守之『情報社会と科学思想』による)

(注1)イオニア

─現在のトルコ南西部に存在した、古代の地名。

(注2)オリンポス

─ギリシャ北部の山。ギリシャ神話では、ゼウスをはじめとするオリンポス十二神が住

むとされた。

(注3)ピタゴラス

─古代ギリシャの数学者、哲学者(前五七〇頃─前四九六頃)。

(注4)オルペウス

─ギリシャ神話に登場する吟遊詩人であり、オルフェイス教の始祖とされる。

(注5)ソクラテス

─古代ギリシャの哲学者(前四六九─前三九九)。

(注6)イデア

─プラトン哲学の中心概念であり、個々の事物を存在させる根拠となる真の存在。

(注7)アリストテレス

─古代ギリシャの哲学者(前三八四─前三二二)。

(注8)デモクリトス

─古代ギリシャの哲学者(前四六〇頃─前三七〇頃)。

*問題作成上の都合により、本文の一部に手を加えてある。

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国語

問1 傍線部a〜eのカタカナと同じ漢字を用いるものを、各群の①〜⑤のうちからそれぞれ一つずつ選べ。

解答番号は、a・

1

〜e・

5

a クワしく   

1

博士のショウゴウを授ける。

戸籍ショウホンを取り寄せる。

説明をショウリャクする。

リンショウでの実験を重ねる。

趣旨をショウジュツする。

b クヨウ 

2

選挙で候補者をヨウリツする。

ヨウヨウたる未来が開ける。

ヨクヨウのある話し方をする。

ジヨウのあるものを食べる。

考え方がとてもヨウチだ。

c ショクミン  

3

関連法規にテイショクする。

不信感をフッショクする。

事実をフンショクして話す。

業務の一部をショクタクする。

本のゴショクを訂正する。

d フクむ  

4

ガンジョウな造りの家に住む。

ネンガンかなって合格する。

ガンチクのある言い方をする。

役者としてカイガンする。

吉報が届きハガン一笑する。

e キョウジュ 

5

現在のシンキョウを語る。

キョウラク的な生活を送る。

諸悪のゲンキョウを絶つ。

長期のフキョウから脱却する。

キョウイ的な記録を残す。

問2 空欄

に当てはまる言葉として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちからそれぞれ一

つずつ選べ。解答番号は、Ⅰ・

6

 Ⅱ・

7

もちろん  ② すなわち  ③ あるいは  ④ そのため  ⑤ ましてや

(  ― )

2B 4 

― 8 ―

問3

傍線部ア「ギリシャの自然観は、それまでの古代オリエントの自然観とはかなり違っていた」とあるが、

その違いとはどのようなものか。その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。

解答番号は、

8

古代オリエントの自然観は自然現象を説明するために神を持ち出したのに対し、ギリシャの自然観

は自然界の事象に合理性を求め、それを論理的に記述した。

古代オリエントの自然観は自然を知的かつ思弁的に捉えたのに対し、ギリシャの自然観は経験的事

物を重視し、実証や実験的な方法を用いて自然を捉えた。

古代オリエントの自然観は神話的で擬人主義的なものであったのに対し、ギリシャの自然観はその

ような見方を廃し、自然をもっぱら魂なき物質として扱った。

古代オリエントの自然観は物質的存在としての自然について考察したのに対し、ギリシャの自然観

は人間の心の問題に関心を向け、哲学的な考察を行った。

古代オリエントの自然観は神々の役割にもとづいて自然現象を説明したのに対し、ギリシャの自然

観は自然そのものに神が宿るとし、その規則性を明らかにした。

問4

空欄

に当てはまる言葉として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。

解答番号は、

9

世俗的

学問的

超越的

不変的

禁欲的

問5

傍線部イ「こうしたオルペウスの信仰を哲学にまで高めたのがピタゴラスであった」とあるが、「ピタ

ゴラス」に関する説明として適当ではないものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。

解答番号は、

10

音楽の世界においては、弦の長さの整数比から音程の協和音が出ることを発見し、協和音程の持つ

数学的構造を明らかにした。

数学的な思索と宗教的な瞑想に専念する学派を結成し、数は量的な大きさを持つとともに幾何学的

な形を持つと主張した。

オルペウスの宗教観の影響を受け、人間は魂の転生を助けるために清らかな協和的生活を実践しな

ければならないと説いた。

数は宇宙の観念的な模型であり、量や形が自然物の形式を決定したと考え、その形式がいかなるも

のであるのかを問題にした。

自然を創り上げている物質的存在を「形相」すなわち「図形」として捉え、抽象的な概念まで幾何

学的に捉えようとした。

2B

5

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問3 傍線部ア「ギリシャの自然観は、それまでの古代オリエントの自然観とはかなり違っていた」とあるが、

その違いとはどのようなものか。その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。

  解答番号は、

8

古代オリエントの自然観は自然現象を説明するために神を持ち出したのに対し、ギリシャの自然観

は自然界の事象に合理性を求め、それを論理的に記述した。

古代オリエントの自然観は自然を知的かつ思弁的に捉えたのに対し、ギリシャの自然観は経験的事

物を重視し、実証や実験的な方法を用いて自然を捉えた。

古代オリエントの自然観は神話的で擬人主義的なものであったのに対し、ギリシャの自然観はその

ような見方を廃し、自然をもっぱら魂なき物質として扱った。

古代オリエントの自然観は物質的存在としての自然について考察したのに対し、ギリシャの自然観

は人間の心の問題に関心を向け、哲学的な考察を行った。

古代オリエントの自然観は神々の役割にもとづいて自然現象を説明したのに対し、ギリシャの自然

観は自然そのものに神が宿るとし、その規則性を明らかにした。

問4 空欄

に当てはまる言葉として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。

  解答番号は、

9

世俗的

学問的

超越的

不変的

禁欲的

問5 傍線部イ「こうしたオルペウスの信仰を哲学にまで高めたのがピタゴラスであった」とあるが、「ピタ

ゴラス」に関する説明として適当ではないものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。

  解答番号は、

10

音楽の世界においては、弦の長さの整数比から音程の協和音が出ることを発見し、協和音程の持つ

数学的構造を明らかにした。

数学的な思索と宗教的な瞑想に専念する学派を結成し、数は量的な大きさを持つとともに幾何学的

な形を持つと主張した。

オルペウスの宗教観の影響を受け、人間は魂の転生を助けるために清らかな協和的生活を実践しな

ければならないと説いた。

数は宇宙の観念的な模型であり、量や形が自然物の形式を決定したと考え、その形式がいかなるも

のであるのかを問題にした。

自然を創り上げている物質的存在を「形相」すなわち「図形」として捉え、抽象的な概念まで幾何

学的に捉えようとした。

(  ― )

2B 5 

Page 6: 2B りん - 東京農業大学2019/02/07  · 2 B 2 ― 6 ― ここに、ピタゴラス学派の数学的な自然観がプラトンにも受け継がれた。的な一つの場所として捉えられた。こうした場所の幾何学的、イデア的限定として世界は数学的に構成された。プラトンのイデア論とイオニアの自然観を総合

国語

問6 空欄

に当てはまる言葉として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。

  解答番号は、

11

問7 傍線部ウ「終始し」を言い換えたものとして最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。

  解答番号は、

12

窮し

反し

和し

徹し

接し

問8 傍線部エ「ソクラテスの弟子プラトン」とあるが、プラトンとソクラテスの関係はどのようなものか。

その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。解答番号は、

13

プラトンは、ピタゴラス学派の流れを汲むソクラテスの説に異を唱えた。

プラトンはソクラテスの考えを受け継ぎながら、独自の考えを主張した。

プラトンは、ソクラテスの倫理観とピタゴラス学派の自然観を分離させた。

プラトンはソクラテスの説を原型にしながらも、その一部を修正した。

プラトンは、オルペウスの宗教の影響を受けたソクラテスを批判した。

問9 傍線部オ「潜在的に『ある』ものから現実的に『ある』ものへの変換」とあるが、それはどういうこと

か。その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。解答番号は、

14

形相を秘めている状態である可能態が、動的な運動を内包する現実態へと移行すること。

目に見えない可能性を秘めている状態から、それが失われた状態へと移行すること。

形相が未だ実現していない状態から、目的としての形相を実現した状態へと移行すること。

目的の実現が困難な状態から、目的を実現する可能性のある状態へと移行すること。

形相と質量が対立している状態が、形相と質量が結合している状態へと移行すること。

問10

次の一文が入るべき箇所を、本文中の①〜⑤のうちから一つ選べ。解答番号は、

15

【ここに数学的な自然観がはじめて登場するのである。】

(  ― )

2B 6 

― 10 ―

問11

本文の内容と一致しているものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。解答番号は、

16

イタリアの哲学は人間の心の問題や倫理観を扱うものとして発展し、自然に対する関心は徐々に薄

れていった。

アリストテレスの機械論的な自然観は一時すたれたが、十七世紀以後、再び脚光を浴びることに

なった。

イオニア的自然観においては、アニミズムは完全に否定され、あらゆるものが抽象的に捉えられる

ようになった。

古代のオリエントにおいては実験的な方法が未発達であったため、事実を無視した擬人的な自然観

が成立した。

プラトンによれば、宇宙は火・気・水・土の四元素からなり、最終的に自然は幾何学に還元される

とされた。

第2問

次の文章を読んで、後の問い(問1〜11)に答えよ。

紀貫之の輝かしい抬たい

頭とう

は、十世紀初頭の日本に生じた一大転換、すなわち中国(唐)崇拝から自国尊重への、

漢詩文から和歌と仮名文字文学への、最高位の貴族が指導する文化から中級の貴族が指導する文化への、つま

から紀貫之への、転換を象徴するものでした。

Ⅱ紀貫之ほか三名の、地位としてはまことにとるに足らない四人の下級貴族が、和歌の上手という理由によっ

て『古今和歌集』の編へん

纂さん

を天皇から命じられたのです。その光栄と責任の重大さに、まさに身も震える緊張の

中でその任に当たったのでした。ついに和歌集編纂事業が完成した時の彼らの感激ぶりは、想像を絶するもの

がありました。

それまでの一世紀間、宮中のあらゆる儀式での公的な言語は、土着の大やまと和

言葉ではなく、中国の文字による

漢詩・漢文でした。和歌は男女の秘密な恋愛感情の通路以上のものではなく、私的な通信の道具であって、公

的な場所に堂々と出せるような性質のものではないと見なされていました。それが一挙に、天皇の絶対的な権

威の裏付けとともに、宮殿の表舞台に躍り出ることになったのです。なぜなら、「勅ちょく

撰せん

」とは、まさに「天皇

によって選び出された」という意味だからです。

紀貫之が書いたとされている『古今和歌集』仮名序は、まことに誇らかに、その喜びを語りました。それは

まさしく、漢詩に対する和歌の勝利の宣言でした。

『古今和歌集』はそれ以後二十世紀初頭にいたるまで、まさに一千年間、詩歌をはじめとする日本のあらゆ

る芸術表現、また風俗現象の、美意識の根本を形づくったのです。貫之の仮名序はたえずサンaショウされる

神聖な美学の基本となりました。詩歌論はもちろんのこと、茶道、いけ花、香道、音楽、舞踊、能楽・狂言、

はては武道にいたるまで、それぞれの分野の理論的指導者たちは、陰に陽に、『古今集』の序文あるいは集中

の和歌そのものに、自分たちの理論の精神的支柱を求め、同じ意味で、ア『古今集』に続いて編纂された各時

代の代表的な勅撰和歌集にも模範を見出したのでした。

当然、イ紀貫之の名はきわめて神聖な権威となりました。彼の権威は、十九世紀最末期に和歌革新運動を起

2B

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問11 本文の内容と一致しているものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。解答番号は、

16

イタリアの哲学は人間の心の問題や倫理観を扱うものとして発展し、自然に対する関心は徐々に薄

れていった。

アリストテレスの機械論的な自然観は一時すたれたが、十七世紀以後、再び脚光を浴びることに

なった。

イオニア的自然観においては、アニミズムは完全に否定され、あらゆるものが抽象的に捉えられる

ようになった。

古代のオリエントにおいては実験的な方法が未発達であったため、事実を無視した擬人的な自然観

が成立した。

プラトンによれば、宇宙は火・気・水・土の四元素からなり、最終的に自然は幾何学に還元される

とされた。

第2問 次の文章を読んで、後の問い(問1〜11)に答えよ。

 紀貫之の輝かしい抬たい

頭とう

は、十世紀初頭の日本に生じた一大転換、すなわち中国(唐)崇拝から自国尊重への、

漢詩文から和歌と仮名文字文学への、最高位の貴族が指導する文化から中級の貴族が指導する文化への、つま

から紀貫之への、転換を象徴するものでした。

Ⅱ紀貫之ほか三名の、地位としてはまことにとるに足らない四人の下級貴族が、和歌の上手という理由によっ

て『古今和歌集』の編へん

纂さん

を天皇から命じられたのです。その光栄と責任の重大さに、まさに身も震える緊張の

中でその任に当たったのでした。ついに和歌集編纂事業が完成した時の彼らの感激ぶりは、想像を絶するもの

がありました。

 それまでの一世紀間、宮中のあらゆる儀式での公的な言語は、土着の大やまと和

言葉ではなく、中国の文字による

漢詩・漢文でした。和歌は男女の秘密な恋愛感情の通路以上のものではなく、私的な通信の道具であって、公

的な場所に堂々と出せるような性質のものではないと見なされていました。それが一挙に、天皇の絶対的な権

威の裏付けとともに、宮殿の表舞台に躍り出ることになったのです。なぜなら、「勅ちょく

撰せん

」とは、まさに「天皇

によって選び出された」という意味だからです。

 紀貫之が書いたとされている『古今和歌集』仮名序は、まことに誇らかに、その喜びを語りました。それは

まさしく、漢詩に対する和歌の勝利の宣言でした。

 『古今和歌集』はそれ以後二十世紀初頭にいたるまで、まさに一千年間、詩歌をはじめとする日本のあらゆ

る芸術表現、また風俗現象の、美意識の根本を形づくったのです。貫之の仮名序はたえずサンaショウされる

神聖な美学の基本となりました。詩歌論はもちろんのこと、茶道、いけ花、香道、音楽、舞踊、能楽・狂言、

はては武道にいたるまで、それぞれの分野の理論的指導者たちは、陰に陽に、『古今集』の序文あるいは集中

の和歌そのものに、自分たちの理論の精神的支柱を求め、同じ意味で、ア『古今集』に続いて編纂された各時

代の代表的な勅撰和歌集にも模範を見出したのでした。

当然、イ紀貫之の名はきわめて神聖な権威となりました。彼の権威は、十九世紀最末期に和歌革新運動を起

(  ― )

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Page 8: 2B りん - 東京農業大学2019/02/07  · 2 B 2 ― 6 ― ここに、ピタゴラス学派の数学的な自然観がプラトンにも受け継がれた。的な一つの場所として捉えられた。こうした場所の幾何学的、イデア的限定として世界は数学的に構成された。プラトンのイデア論とイオニアの自然観を総合

国語

こした青年正岡子規によって激しく挑戦されるまで、十世紀にわたって不動のものとなったのです。

 こういう事態の展開は、紀貫之個人の作品の価値以上に、「勅撰」の権威によるところが大きかったと思わ

れますが、また実際に(注1)アントロジーとしての『古今和歌集』そのものが、たしかに日本語の詩的表現の

歴史において、時間の磨滅作用に十分耐えうるだけの古典的美しさとbキンミツさを持った作品をたくさん収

録していたのでした。

 私はここで紀貫之が書いたとされる仮名序の最も中心的な一節を読んでおこうと思います。それはまさに序

文冒頭の一節です。

 やまとうたは、ひとのこゝろをたねとして、よろづのことの葉とぞなれりける。世よの

中なか

にある人、Aこと

わざしげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。花になく

うぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたを

。ちからを

もいれずして、あめつちをうごかし、Bめに見えぬ鬼神をも、あはれとおもはせ、をとこ女をみなのなかをもや

はらげ、たけきものゝふのこゝろをも、なぐさむるは哥うた

なり。

 貫之はここで、まず和歌の種子は「人の心」にあると言っています。そして心は、自然界の風景や事物が変

化するのに合わせて、千変万化する言葉、すなわち歌となって現れ出るのです。さらに、彼は花に鳴く鶯うぐいすや

辺で鳴く蛙かえるに代表されるすべての生き物が、同じように歌を詠む詩人なのだと言っています。このことは、日

本の詩の一つの特性と言ってもいいウ高度に洗練された(注2)アニミズムの、極めて早い時期に表明された理

論として注目されます。

 そして貫之は、さらに興味深い主張を展開します。彼は和歌というものは、「力をもいれずして」天地を感

動でゆり動かし、また死者の霊魂をも感激させると言うのです。言い換えると、超自然的な存在をさえ揺り動

かす力が、この甚だちっぽけな言葉の構造体にはあるのだと言うのです。この思想は、詩というものが、超自

然的存在に霊感を吹きこまれた特殊な能力を有する人間の口を通して語られる、超自然そのものの意思である

という、少なくとも西欧の読者には親しいであろう詩観とは、きわめて異なる詩観を語っています。

 核心にあるのは「人間の心」です。その人間の心は、一木一草のゆらぎにも容易に同化し、鳥や獣、虫や魚

とともに詩を歌う心です。

 このことはまた、日本の和歌の形式が、五七五七七というきわめて少ないシラブルで完結している事実をも

説明するものでしょう。山川草木に共鳴し、鳥獣虫魚とともに歌うことを可能にする詩型は、単純さという

cビトクを備えるためにも、短くてよいし、また短い方が、大量の暗示と他者への呼びかけを可能にする点で、

むしろ有利であるということさえ言えるからです。

 これを言いかえれば、日本の和歌は、独創的な着想や天才的なひらめきに絶対的な優位性を認めるのではな

─もちろんそれらも大いに尊重されますが

─さらに重視されたのは、一人の人の歌が他の人によって、

さらには自然界の生物、また無生物によってさえ応答され、両者の間に唱和する関係が生まれることでした。

 実際、「和歌」という言葉の「和」という語は、一つには大和という意味でもありましたが、より本質的な

意味で、「人の声に合わせ応じる」、ひいては心を相手に合わせて、「互いになごやかに和らぐ」という意味が

(  ― )

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― 12 ―

あるのです。つまり相手と調子を合わせて唱和し、調和し合うことが、和歌という語の根本的な意味でした。

エ紀貫之が主張しているのは、まさにこのことであります。そして、和歌という語の意味がこのようなもの

である以上、それが男女の関係を親密なものにし、勇猛な武士の心をも慰めるものであるべきなのは当然であ

りました。

つまり、和歌の理想は、超自然の恐るべき力をさえやわらげ、天地自然や死者の魂をさえ感動させるところ

にあったので、そのため和歌は、古代・中世においては、旱かん

魃ばつ

や洪水などの天災を押しとどめ、猛威をふるう

流行病から人々を守る呪文そのものとして唱えられることにもなったのでした。和歌にはそれだけの超自然的

な感応力があると信じられていたからです。和歌のそのような力に対する信仰は、古代・中世の日本社会には、

一般庶民の間にさえ

─むしろ庶民の中での方が一層強く

─存在しました。

恐らくこのようなきわめて実用的な局面において、オ和歌は西欧の「詩」とはかなり違った性質をもってい

たのではないでしょうか。それは「人の心」を種子として生まれるものでありながら、究極においては、「調和」

の原理そのものによって、超自然的な恐るべき存在までも、やわらげ、人間化してしまう力を、潜在的に持っ

ているのです。

詩の力を日本人がこれほどにも無邪気に信じることができた背景には、あるいは日本列島がその地理的位置

の特殊性から、きわめて長い歳月、外敵による侵略を受けることなく、幸運にも自国内での平和な日常の繰り

返しを続けてこられたからだという事実もあるかもしれません。

同時に、日本列島の気象が、東南アジア一帯のモンスーン気候の支配下にあるため、夏は高温・多湿多雨で

あり、それが植物の繁茂にはゼツdミョウの条件をなしていたという事実があります。同様に、日本の春と秋

の気候はキeフクに富んでおり、動植物の種類も多彩です。これは貫之が序文冒頭でまず鶯や蛙の声について

言わずにいられなかった事実を説明しています。

日本人のアニミスティックな自然観の形成は、このような観点からすれば、逃れ難い宿命的事実であったこ

とがわかります。そしてそれが、日本の詩の基本的性格を形づくっていたことも理解できるでしょう。

(大岡信『日本の詩歌』による)

(注1)アントロジー

─アンソロジー。詩文などの選集のこと。

(注2)アニミズム

─自然界のあらゆる事物に霊魂が宿るとする信仰。

*問題作成上の都合により、本文の一部に手を加えてある。

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あるのです。つまり相手と調子を合わせて唱和し、調和し合うことが、和歌という語の根本的な意味でした。

 エ紀貫之が主張しているのは、まさにこのことであります。そして、和歌という語の意味がこのようなもの

である以上、それが男女の関係を親密なものにし、勇猛な武士の心をも慰めるものであるべきなのは当然であ

りました。

 つまり、和歌の理想は、超自然の恐るべき力をさえやわらげ、天地自然や死者の魂をさえ感動させるところ

にあったので、そのため和歌は、古代・中世においては、旱かん

魃ばつ

や洪水などの天災を押しとどめ、猛威をふるう

流行病から人々を守る呪文そのものとして唱えられることにもなったのでした。和歌にはそれだけの超自然的

な感応力があると信じられていたからです。和歌のそのような力に対する信仰は、古代・中世の日本社会には、

一般庶民の間にさえ

─むしろ庶民の中での方が一層強く

─存在しました。

恐らくこのようなきわめて実用的な局面において、オ和歌は西欧の「詩」とはかなり違った性質をもってい

たのではないでしょうか。それは「人の心」を種子として生まれるものでありながら、究極においては、「調和」

の原理そのものによって、超自然的な恐るべき存在までも、やわらげ、人間化してしまう力を、潜在的に持っ

ているのです。

 詩の力を日本人がこれほどにも無邪気に信じることができた背景には、あるいは日本列島がその地理的位置

の特殊性から、きわめて長い歳月、外敵による侵略を受けることなく、幸運にも自国内での平和な日常の繰り

返しを続けてこられたからだという事実もあるかもしれません。

 同時に、日本列島の気象が、東南アジア一帯のモンスーン気候の支配下にあるため、夏は高温・多湿多雨で

あり、それが植物の繁茂にはゼツdミョウの条件をなしていたという事実があります。同様に、日本の春と秋

の気候はキeフクに富んでおり、動植物の種類も多彩です。これは貫之が序文冒頭でまず鶯や蛙の声について

言わずにいられなかった事実を説明しています。

 日本人のアニミスティックな自然観の形成は、このような観点からすれば、逃れ難い宿命的事実であったこ

とがわかります。そしてそれが、日本の詩の基本的性格を形づくっていたことも理解できるでしょう。

(大岡信『日本の詩歌』による)

(注1)アントロジー

─アンソロジー。詩文などの選集のこと。

(注2)アニミズム

─自然界のあらゆる事物に霊魂が宿るとする信仰。

*問題作成上の都合により、本文の一部に手を加えてある。

(  ― )

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Page 10: 2B りん - 東京農業大学2019/02/07  · 2 B 2 ― 6 ― ここに、ピタゴラス学派の数学的な自然観がプラトンにも受け継がれた。的な一つの場所として捉えられた。こうした場所の幾何学的、イデア的限定として世界は数学的に構成された。プラトンのイデア論とイオニアの自然観を総合

国語

問1 傍線部a〜eのカタカナと同じ漢字を用いるものを、各群の①〜⑤のうちからそれぞれ一つずつ選べ。

解答番号は、a・

17

〜e・

21

a サンショウ 

17

文明ハッショウの地を訪ねる。

遅刻は相手のシンショウを害する。

権力者が人心をショウアクする。

他人の生活にカンショウしない。

主役にショウメイが当たる。

b キンミツ 

18

試合にキンサで負けてしまった。

安全対策はキンキュウを要する。

キョウキンを開いて語り合う。

最後まで油断はキンモツだ。

材料をキントウに混ぜる。

c ビトク 

19

人情のキビを小説に描く。

ビコウして行き先を突き止める。

店のカビな外観が目を引く。

災害対策で食料をビチクする。

彼はビモク秀麗な青年だ。

d ゼツミョウ  

20

宵のミョウジョウを見つける。

平均ジュミョウが伸びる。

弟子が師匠のミョウセキを継ぐ。

生徒に慕われ教師ミョウリに尽きる。

問題解決のミョウアンが浮かんだ。

e キフク 

21

物語のフクセンを読み取る。

フクギョウとして店を始める。

古い織物をフクゲンする。

仕事を終えてイップクする。

批判されて彼はリップクした。

問2 空欄Ⅰに入る人物と、波線部Ⅱに該当する人物を、次の①〜⑧のうちからそれぞれ一人ずつ選べ。

  解答番号は、Ⅰ・

22

、Ⅱ・

23

源俊頼

藤原道長  ③ 藤原俊成  ④ 凡河内躬恒

藤原定家  ⑥ 紀時文

菅原道真  ⑧ 菅原孝標

問3 傍線部ア「『古今集』に続いて編纂された各時代の代表的な勅撰和歌集」とあるが、『古今集』と最も近

い時期に編纂された勅撰和歌集を、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。解答番号は、

24

後撰集

新古今集  ③ 万葉集

拾遺集  ⑤ 千載集

(  ―  )

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― 14 ―

問4

傍線部イ「紀貫之の名はきわめて神聖な権威となりました」とあるが、貫之が「神聖な権威」となった

のはなぜだと筆者は考えているか。その理由として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。

解答番号は、

25

貫之は『古今集』の編纂を天皇から命じられたことで和歌の名手として認められ、『古今集』の成

功で天皇の絶対的な権威を背景にして名声が高まり、漢詩が衰退したのちに仮名文字文学の祖とし

て千年の間に神格化されたから。

貫之が最初の勅撰和歌集である『古今集』の撰者の中心人物であったことから天皇の権威を笠に着

ることができ、それゆえ貫之の書いた仮名序が神聖な美学として認められ、日本のあらゆる分野で

精神的な支えになってきたから。

貫之が最初の勅撰和歌集として『古今集』を編纂したことで、天皇の権威を借りて大和言葉を公的

な場に出すことができるようになり、そのことで日本の美意識の根本が作られ、それが神聖視され

歌人の地位を押し上げたから。

貫之を中心に編纂された『古今集』が、天皇の権威の裏付けがあるのに加えて収録された和歌には

優れたものが多く、貫之による序文とともに日本の美意識の根幹として千年にわたって多様な分野

に影響を与えてきたから。

貫之は『古今集』の撰者としての重責を果たしたことから栄光を手に入れ、天皇の権威の裏付けの

あることで『古今集』の和歌や序文が美の規範として日本のあらゆる分野に行き渡り、貫之の名が

美意識の象徴になったから。

問5

傍線部A「ことわざしげきものなれば」の解釈として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。

解答番号は、

26

することが絶えずあるので

言葉と出来事が煩雑であれば

出来事が絶え間なくあるのなら

ことわざを多く知っているので

言うことがたくさんあるといつも

問6

空欄Xに入るものとして最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。解答番号は、

27

よみざりけり

よみざりける

よまざりけり

よまざりける

よまざりけれ

2B

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Page 11: 2B りん - 東京農業大学2019/02/07  · 2 B 2 ― 6 ― ここに、ピタゴラス学派の数学的な自然観がプラトンにも受け継がれた。的な一つの場所として捉えられた。こうした場所の幾何学的、イデア的限定として世界は数学的に構成された。プラトンのイデア論とイオニアの自然観を総合

問4 傍線部イ「紀貫之の名はきわめて神聖な権威となりました」とあるが、貫之が「神聖な権威」となった

のはなぜだと筆者は考えているか。その理由として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。

解答番号は、

25

貫之は『古今集』の編纂を天皇から命じられたことで和歌の名手として認められ、『古今集』の成

功で天皇の絶対的な権威を背景にして名声が高まり、漢詩が衰退したのちに仮名文字文学の祖とし

て千年の間に神格化されたから。

貫之が最初の勅撰和歌集である『古今集』の撰者の中心人物であったことから天皇の権威を笠に着

ることができ、それゆえ貫之の書いた仮名序が神聖な美学として認められ、日本のあらゆる分野で

精神的な支えになってきたから。

貫之が最初の勅撰和歌集として『古今集』を編纂したことで、天皇の権威を借りて大和言葉を公的

な場に出すことができるようになり、そのことで日本の美意識の根本が作られ、それが神聖視され

歌人の地位を押し上げたから。

貫之を中心に編纂された『古今集』が、天皇の権威の裏付けがあるのに加えて収録された和歌には

優れたものが多く、貫之による序文とともに日本の美意識の根幹として千年にわたって多様な分野

に影響を与えてきたから。

貫之は『古今集』の撰者としての重責を果たしたことから栄光を手に入れ、天皇の権威の裏付けの

あることで『古今集』の和歌や序文が美の規範として日本のあらゆる分野に行き渡り、貫之の名が

美意識の象徴になったから。

問5 傍線部A「ことわざしげきものなれば」の解釈として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。

解答番号は、

26

することが絶えずあるので

言葉と出来事が煩雑であれば

出来事が絶え間なくあるのなら

ことわざを多く知っているので

言うことがたくさんあるといつも

問6 空欄Xに入るものとして最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。解答番号は、

27

よみざりけり

よみざりける

よまざりけり

よまざりける

よまざりけれ

(  ―  )

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Page 12: 2B りん - 東京農業大学2019/02/07  · 2 B 2 ― 6 ― ここに、ピタゴラス学派の数学的な自然観がプラトンにも受け継がれた。的な一つの場所として捉えられた。こうした場所の幾何学的、イデア的限定として世界は数学的に構成された。プラトンのイデア論とイオニアの自然観を総合

国語

問7 傍線部B「めに見えぬ鬼神」の「ぬ」と同じ助動詞に傍線が引かれているものを、次の①〜⑤のうちか

ら一つ選べ。解答番号は、

28

春来ぬと人はいへども鶯の鳴かぬかぎりはあらじとぞ思ふ

やどりせし花橘も枯れなくになどほととぎす声たえぬらむ

月見ればちぢに物こそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど

三輪の山いかに待ち見む年経ともたづぬる人もあらじと思へば

今はとてわが身時雨にふりぬれば言の葉さへに移ろひにけり

問8 傍線部ウ「高度に洗練されたアニミズムの、極めて早い時期に表明された理論として注目されます」と

あるが、筆者はどのようなことに注目しているのか。その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のう

ちから一つ選べ。解答番号は、

29

自然界のあらゆることに感嘆して人の心に歌が生じるという真実を、貫之が千年以上も前に見抜い

て論理的に考察していること。

貫之がこの世のすべての生物の存在を人間と同じように認め、心が万物共通のものであることを解

明しようと試みていること。

自然界に生きるあらゆる生き物に心があり、その心が自然界の多彩な風物に感応して歌が生まれる

と貫之が主張していること。

この世に生きるものすべてが歌を詠むことができると貫之が考え、鶯や蛙の鳴き声まで歌を詠む声

と捉えて擬人化していること。

万物に心があり言葉そのものも自然の移り変わりとともに変化するという思想を、貫之があえて歌

集の序文で表明していること。

問9 傍線部エ「紀貫之が主張しているのは、まさにこのことであります」について、「このこと」の内容説

明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。解答番号は、

30

歌は相手の心を和らげることができるので、大和という言葉に通じ唱和や調和といった意味を持つ

「和」という語を用いて「和歌」と呼ばれるということ。

日本では歌が男女間でやり取りされるうちに洗練されてゆき、その究極として超自然的な存在をも

揺り動かす力を備える「和歌」になったのだということ。

日本の和歌が天地を動かしたり死者の霊魂を感激させたりすることができるのは、歌が生まれるも

とである日本人の「和」の精神が優れているからだということ。

歌は一人の人間の心から生まれるものではなく、歌いかける相手との関係によって成り立つものな

ので、どのような相手であっても「和」を重視するということ。

和歌は「和」という言葉が意味するように、歌を介して心を通わせることを可能にするもので、そ

の力は万物だけでなく超自然的な存在にまで及ぶということ。

(  ―  )

2B    12 

― 16 ―

問10

傍線部オ「和歌は西欧の『詩』とはかなり違った性質をもっていたのではないでしょうか」について、

ここでは和歌と西欧の「詩」の違いはどのような点にあるというのか。その説明として最も適当なものを、

次の①〜⑤のうちから一つ選べ。解答番号は、

31

西欧の「詩」が超自然的な存在の霊力を吹き込まれた人間が語るものとされるのに対して、和歌は

あらゆる生き物が詠むことができると考えられている点。

西欧の「詩」は超自然そのものの意思と見なされるのに対して、和歌は人の心を根本に置きながら

超自然的なものを動かす力をもつとされている点。

西欧の「詩」は超自然的な存在を恐るべきものとして意識するのに対して、和歌はあらゆるものを

人間化してしまうので超自然的な存在を意識しない点。

西欧の「詩」は特殊な能力を有する人間にしか作れないと考えられているのに対して、和歌は詠む

人の独創性や天才的なひらめきを必要としない点。

西欧の「詩」が超自然の意思と見なされ芸術性が重んじられるのに対して、和歌は恋文や人を守る

呪文としての実用的な役割が重視されるという点。

問11

本文の内容に合致するものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。解答番号は、

32

日本において万物に霊魂が宿るという自然観が形成されたのは、超自然的な存在を動かす力をもつ

和歌の存在によるものであるが、貫之はアニミズムの概念がまだない時代に、その宿命的な事実に

気づいていたと考えられる。

歌人として神聖な権威を持つ貫之によって日本の詩の基本的性格が形成され、『古今集』の序文で

和歌が天地自然や死者の魂を感動させることが宣言されたので、和歌は天災や流行病から人を守る

ための信仰の対象となった。

和歌が天地や死者の霊魂を感動させることのできるのは、詩型としては短い五七五七七という形式

によるものであり、和歌の基本的性格は心を相手に合わせて調和することなので、個性的な歌人は

生まれなかったといえる。

日本の地理的な条件や気象の特徴から万物に霊魂が宿るという自然観が形成され、和歌にも影響を

及ぼしているが、和歌は単純な詩型であるからこそ万物と共鳴することができ、超自然的な感応力

をもつと信じられたといえる。

侵略を受けることなく平和な日常を続けてこられた日本の特殊性から、相手と調子を合わせて調和

し合うことが和歌の根本におかれたが、和歌が超自然的な恐るべき存在を和らげることができると

信じられることはなかった。

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問10 傍線部オ「和歌は西欧の『詩』とはかなり違った性質をもっていたのではないでしょうか」について、

ここでは和歌と西欧の「詩」の違いはどのような点にあるというのか。その説明として最も適当なものを、

次の①〜⑤のうちから一つ選べ。解答番号は、

31

西欧の「詩」が超自然的な存在の霊力を吹き込まれた人間が語るものとされるのに対して、和歌は

あらゆる生き物が詠むことができると考えられている点。

西欧の「詩」は超自然そのものの意思と見なされるのに対して、和歌は人の心を根本に置きながら

超自然的なものを動かす力をもつとされている点。

西欧の「詩」は超自然的な存在を恐るべきものとして意識するのに対して、和歌はあらゆるものを

人間化してしまうので超自然的な存在を意識しない点。

西欧の「詩」は特殊な能力を有する人間にしか作れないと考えられているのに対して、和歌は詠む

人の独創性や天才的なひらめきを必要としない点。

西欧の「詩」が超自然の意思と見なされ芸術性が重んじられるのに対して、和歌は恋文や人を守る

呪文としての実用的な役割が重視されるという点。

問11 本文の内容に合致するものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。解答番号は、

32

日本において万物に霊魂が宿るという自然観が形成されたのは、超自然的な存在を動かす力をもつ

和歌の存在によるものであるが、貫之はアニミズムの概念がまだない時代に、その宿命的な事実に

気づいていたと考えられる。

歌人として神聖な権威を持つ貫之によって日本の詩の基本的性格が形成され、『古今集』の序文で

和歌が天地自然や死者の魂を感動させることが宣言されたので、和歌は天災や流行病から人を守る

ための信仰の対象となった。

和歌が天地や死者の霊魂を感動させることのできるのは、詩型としては短い五七五七七という形式

によるものであり、和歌の基本的性格は心を相手に合わせて調和することなので、個性的な歌人は

生まれなかったといえる。

日本の地理的な条件や気象の特徴から万物に霊魂が宿るという自然観が形成され、和歌にも影響を

及ぼしているが、和歌は単純な詩型であるからこそ万物と共鳴することができ、超自然的な感応力

をもつと信じられたといえる。

侵略を受けることなく平和な日常を続けてこられた日本の特殊性から、相手と調子を合わせて調和

し合うことが和歌の根本におかれたが、和歌が超自然的な恐るべき存在を和らげることができると

信じられることはなかった。

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