まだ不思議な国2:

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Page 1: まだ不思議な国2:

まだ不思議な国:欧米と戦後日本イメージと現実

英字新聞ジャパンタイムズ大阪支局次長

エリック・ジョンストン

京都外国語大学2007年5月23日

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欧米で昔から不思議な国日本のイメージ

Jonathan Swift (1726), ``Gulliver’s Travels’’(政治的社会的な風刺。日本以外、訪問された国は想像的なのです。

Lafcadio Hearn, writing in 1890: ``As first perceived, the outward strangeness of things in Japan produces (in certain minds at least) a queer thrill impossible to describe—a feeling of weirdness which comes to us only with perception of the totally unfamiliar.’’

Victor Hugo: ``Japan is the child of the world’s old age.’’

Henry Adams, writing from Japan in 1886, ``Positively everything in Japan laughs.’’

Oscar Wilde: ``The whole of Japan is pure invention.’’

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戦後、「米国の時代」で日本がどう見られていますか

戦後直後:「暴力的な敵から穏やかな見方まで」1945年ー1952年アメリカのマスコミ、政府、それから「日本専門家」は「日本人たちは基本的に平和なので‘正しく’教育されたら戦前のような軍事主義は繰り返されない」ということを強調しました。

でも、日本人は基本的に平和な国民だったらなぜ戦争に入ってしまいましたか。

「昭和初期まで日本は民主主義の道に進んでいたけど、一部の極端な陸軍、海軍の方が日本を‘拉致して’間違えた道に強制的に連れました。ですから私達米国人は日本を民衆主義の本当の意味を教える義務があります」

以上の考えを前提として米国人記者、Hollywoodなどの映画は日本という国を米国に伝えました。

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戦後直後のイメージ管理 1945年ー1952年まで在日米国マスコミは占領軍事で検閲されたところが多いでした。

戦後直後の在日米国記者たちは「日本は思ったより弱い国で一般日本人可愛そうです」との態度がよくありました。それから日本人たちは在日米国人に対して親切で占領を意外に歓迎していたみたいですから反日本イメージを伝える理由はないと思われていました。

「日本は不思議な国ですが今アメリカの見方だから友好的に取材しよう」との考えが常識になりました。

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戦後日本はどう米国に伝われましたか?

米国マスコミは日本がもっと米国のようになりたいだと考えた。特に民主主義、言論自由、男女平等、資本主義のような価値観が一般日本人たちが望んでいるということをよく報道した。「日本は小さなアメリカになりたい」とのイメージを伝えた。

Hollywoodの場合、芸者、侍の文化がある日本はまだ神秘的な国民とのことよく伝えました。古い歴史とわけが分からない価値観があります。

基本的に日本の関連するHollywood映画は二つのタイプ:

「芸能映画」と「大衆映画」。 芸能映画は「広島Mon Amour」。影響は知的な方の中。

「大衆映画」は Teahouse of the August Moon.

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1950年ー1964年のイメージ

冷戦時代で日本はアメリカの仲間。芸者、侍のイメージが現代化になってきました。「現代侍」とのものはやはり大手企業のサラリーマン。米国マスコミは日本の経済成長についての取材があったから戦争回復の早さについて米国人が驚いています。「日本人たちはアメリカ生活並みになるためよく頑張っていますね」というような言外な意味の記事がよく見られました。

60年代:一部の共産主義に絡んでいる日本人は反戦争、反日米安保ですが、殆どの日本人は「経済第一」です。1964年東京オリンピックの開催によって日本は戦争に回復したとの報道日本、海外で多かった。この時代も「日本は経済的だけではなくて技術的に段々米国企業とのライバルになるでしょうか」との一部のマスコミを報道しました。

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1965-1972年のイメージ

「反戦争日本」との情報が増加。 ベトナム戦争は60年代後半から深刻化になって日本国内の反対運動は強くなりました。米国のマスコミは「日本はまだ経済成長を最優先しているですが共産主義を支持している若者たちの一部がベトナム戦争を大反対しています」との観点から日本の社会を取材しました。

でも、沖縄米国基地からべトナムへ飛んで空爆している米国空軍に対しての反対運動は若者だけではなくていろいろな日本人が支持しました。この事実は在日米国マスコミが真剣にかからなかったけど米国学者たちがよく分かりました。

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1965-1972年 沖縄の返還:日本にとってこれは大きな動きで

すが米国マスコミは「沖縄を日本に返還することが必然でした」。それから返還しても基地がまだ存続することが分かったから一般米国人が「返還後は基本的に何も変わらない」との報道をよく読みました。

戦争、軍事のニューズ以外、日本の環境問題、特に水俣病の問題は世界中に伝われました。

しかしどうしても「経済大国になっている日本」とイメージがまだ一番強かった。

と、米国人には一番印象的な日本は米国マスコミに出ている日本ではなくて「ゴジラ」映画に出ている日本です。

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1972年ー1980年 貿易摩擦が始まっているところです。「日本はある分野で米国より強い。特に鉄鋼産業、自動車産業。」

日本の専門科、特にハーバード大学の Ezra Vogel 先生、は「アメリカの産業は日本から勉強すべき」と言っていました。これはまだ戦後直後の日本のイメージ、侍、芸者のイメージが残っている一般米国人には信じ難い話でした。

この時代で政治的にはロッキード事件以外、ある程度穏やかですが経済的に難しくなってきました。日本の企業は自由に米国市場に入ることできるけど米国の企業は日本市場に入られない例をよく米国マスコミに出た。「日本は不平な国」との米国内の訴えが広がっていました。

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1972年ー1980年 文化的なイメージはまだ芸者、侍と「ゴジ

ラ」が強いですがそれと同時に「空手」と「アニメ」のイメージもありました。「空手」はブルース・リーの映画の成功でたくさん米国人は空手だけではなくて合気道も発見した。それを勉強のため来日した米国人が増加してきました。

アニメーの場合、全米で二つの日本アニメは大人気でした「マーハ・ゴ・ゴ・」と「ギャマロン」は熱心なファンがあって因みにマーハ・ゴ・ゴは現在映画化になっているところです。

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1980年:「将軍」の現象 1980年の初めごろ、全米国で「将軍」という

テレビドラマが放送されていました。1600年の日本を舞台として歴史事実を基にした番組でした。予想より大ヒットでした。もちろん、芸者、侍の日本のイメージを強化したけど、以前の日本に関連する報道と日本を舞台にした映画と違って「将軍」は日本人の個人性をよく伝えたと思われました。

「将軍」の理由で米国人たくさん(私を含めて)もっと日本のことを勉強するように興味深くなりました。

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ですから80年代に入って一般米国人は現代日本のイメージは不明ですが

昔の「サムライ」「芸者」のイメージがまだ強かった。米国マスコミは

「将軍」の成功を参考にして「日本は現代サムライ、現代芸者のいる

不思議な国」というような頭の中見方で取材したケー

スが沢山見えました。

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1980-1992年「日本の時代」

1980年の初めごろ日本の企業の成功の鍵を勉強したい米国人が急増しました。それと同時に「米国産」とイメージは悪化して米国企業は日本の企業に対して劣等感がありました。

米国の鉄鋼産業、自動車産業の失業率が上がり「競争相手日本の企業はフェアではないか」との批判があったから日米貿易摩擦は大きなニューズでした。

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1980-1992年「日本の時代」

米国マスコミはどう「日米貿易摩擦」を取材したとき「戦争の言葉」をよく使用しました。例えば:「大日本は再びアメリカを攻撃している」「ヤンキー(米国人)対サムライ(日本人)の現戦場は経済」というような新聞見出し、テレビ番組はよくありました。ですからある一般米国人にはまた日本は敵になったかとのイメージが強くなりました。

でも、それと同時に「将軍」の文化がありながら経済力がある日本は米国人、特に経済、技術に興味ある大学生にとって日本は敵ではなくて「先生」でした。大学では「日本語ブーム」があった。「将来は日本の時代だから日本語、日本の経営し方を学ぶべきです」と思った大学生、学者、マスコミは当時多かった「ガン・ホー」との映画は大人気でした。

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バブル時代日本のイメージ 「日本はお金持ちですね」1986-1991年まで日本の経済は世界中に有名になった。物価は世の中一番高い東京とのニューズは米国のマスコミによく出た。「奈良市では金ぱくが入っているコーヒーは50,000円」「皇居の土地はフランスより値段が高い」「ある企業にはある新入社員の年俸は千万円」などの記事がよく見られた。

日本国内世論調査によると一般日本人はお金持ちと感じなかったけど来日したばかりか東京しか見ていない外国人観光者は大変お金持ちだと思った。「日本人はわがままだから自分がお金持ちということを認めたくはないでしょう」と思いつけていた外国人が多かった。

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「現在の豊かな日本は昔の苦しい時代を忘れている」

米国マスコミ、日本と東アジア バブル時代で日本はもっともっと世界に出てい

ることに当たって「まだ未解決な歴史問題」が段々出てきた。慰安婦問題、靖国 A級犯罪者、南京虐殺事件について「日本はお金持ちになったけど歴史を忘れている」との米国マスコミの記事は見えるようになった。冷戦はヨーロッパで終わりましたから戦前、戦中と戦後のまだ未解決問題を日本を指導して解決すべきだというような記事も見た。でも日本はドイツほどちゃんと攻撃した国に対して謝罪していない。「日本人は日常的によくお詫びするけど、重要な問題にお詫びをできない。無責任ですね」と一流米国マスコミがこの風によく報道しました。

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失われた10年間と現在 バブル時代は1992年ごろ崩壊して不景気は

大体2002年まで続いていました。ですから90年代は「日本の失われた10年間」と米国マスコミは結局判断しました。80年代と違って米国人の中日本のイメージは「怖いそうな国」ではなくて「可愛そうな国」になりました。

それと90年代は米国マスコミは日本社会の極端なところを報道する傾向がありました。例えばニューヨークタイムズ紙は「援助交際」「ポルノ漫画」「愛情は無い結婚は日本で普通」の記事をよく取材しました。つまり「まだ不思議な国だけではなくて変な国」とのイメージを示した。米国マスコミは一般日本人を馬鹿にしているとの思っていた在米日本人は批判しました。

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可愛そうな日本のイメージからクール・ジャパン(素敵な日本、

素敵な日本人)まで 野球外交:野茂、 ICHIRO の意味: 日米共通点はやはり野球。野茂と ICHIRO のメ

ージャーリーグで大成功で日本人も個人性が強いとのことを全米で分かった。「日本は不思議な国かも知らないけど野茂と ICHIRO のような日本人がいること凄いですね」との見方が一般米国の中普及した。野茂と ICHIRO のおかげさまで「失われた10年

間日本」のイメージを解消した。

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可愛そうな日本のイメージからクール・ジャパン(素敵な日本、

素敵な日本人)まで アニメ天国日本:米国の若者は日本製の漫画、アニ

メとビデオゲームが大好きになって「日本の漫画は世界一番深くて質が高い」とのイメージを広がった。漫画は日本の大事な文化の一つだということが一般米国人と日本専門家が認めました。

最新技術天国日本:秋葉原、大阪のでんでんタウンで他の国に手に入らない電気製品を買えるということが世界中の「おたく」の中有名になった。

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ですから、現在(2007年)一般米国人はどのように

一般日本人、日本の社会を見ているのか

との質問を答える前、三つの点を

計算に入れなければいけません

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( I) 世代によって違います70歳以上の米国人は戦中、戦後直後の日本のイメージは未だ強いです。「クリント・イーストウードの映画」のイメージ強いでしょう。

40歳ー70歳:戦後日本のイメージ、歴史問題、バブル時代の日本のイメージと思い出が強いでしょう。

40歳以下ー漫画、アニメ、クール・ジャパン、野茂、 ICHIROのイメージが一番強いでしょう。

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( II) 地域によって違います 原則として米国で日本、日本人について一番関

心が高いところは東海岸(ニューヨーク、ワシントン D.C 。ボストン)と西海岸 ( ロス、サンフランシスコ、シアトル)だと思います。もちろんハワイで特に興味が高い。

どちらかとういと西海岸のほうが東海岸より「現実的なイメージ」があるでしょう。これは西海岸では日経人と日本人の人口は全米で一番多いわけです。

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( III) 教育レベルによります残念現在一般米国人は前より日本だけではなくて海外に興味がないとのことはよく報道されています。80年代に比べると日本、日本語を勉強したい人数は確実に減少しました。9・11以来一般米国人は「海外は怖い」とのイメージが強かった。

しかし、海外に興味が強い米国人は日本にも興味があります。日本の物価は高いですから日本に行きたい米国人は割りにお金もちで高い教育レベルがあるでしょう。クール・ジャパンのおかげさまで日本語に興味がある方は最近増えている傾向がありそうですが 80 年代な日本語ブームほどではありません。

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それにあわせて現在、欧米マスコミの五つの基本考えは以下

1)技術の天国

2)戦争犯罪者の国

3)クール・ジャパン

4)経済大国

5)伝統文化(富士山、サムライ、芸者、歌舞伎など)

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戦後直後から現在までの共通イメージ

芸者、サムライのイメージはまだ完全に解消していない「ラスト・サムライの映画」

戦争時代の日本のイメージはまだ残っています。(クリント・イーストワードの映画、戦争の未解決問題の新聞報道)

日本は超現代化してきたけど、やはり日本人は何か不思議、神秘的、変なところがある(ロスト・イン・トランズレーション、バベルとの最近の映画とクール・ジャパンに関する報道の中の決め付けが現れています。)

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絶望している在日欧米マスコミ1991 年以来、在日欧米外国人記者は約 400 人から

250 人まで下がった欧米マスコミの東京支局数は 1991 以来約50ら1

4まで下がった。このことはなぜ日本にとって問題ですか海外マスコミが Hollywood やフィクションの作家

と違って現実的に日本を報道するように努力する義務があります。日本に対する深くて現実的な情報が少なくなれば明治時代のような「不思議な国日本」なイメージが欧米に続く恐れがあります。

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THANK YOU!!!!!