貞観津波と8・9世紀の大地動乱(海洋アライアンス講演)、20110714...

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Page 1: 貞観津波と8・9世紀の大地動乱(海洋アライアンス講演)、20110714

貞観津波と大地動乱の8・9世紀   東京大学史料編纂所     保立道久 20110714

はじめにーー今村明恒の提言 列島の「地震の旺盛期」の基準 ー「三陸沖地下大活動」(1)7世紀末期から9世紀末ーー貞観津波が代表(2)16世紀末から18世紀初頭、(3)19世紀半ば以降

「とくに第1期、第2期はその期間あまり長からざるにかかわらず、地震活動が、この間に本邦における地震帯の全系統を少なくも一巡している。各期における活動の原因が広く日本に対して働きつつあった一勢力にありとみる時、斯様な現象の起こるのもむしろ自然のように思われる」

(『地震』8巻3号、12号、1936年。東京大学理学部地震学教室)

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Ⅰ八・九世紀の地震・噴火貞観地震以前

(1)7世紀末、8世紀前半の地震 678年筑紫地震 ー水縄断層 684年南海地震 ー南海トラフ沿いのプレート境界地震 701年丹後地震(局地) 715年遠江・三河地震 ー天龍上流平岡断層( OR 中央構造線)

734 年畿内地震 ーーー誉田断層・生駒断層系、M7.1 誉田山古墳の前方後円形を破壊。家屋倒壊・山崩・断層・余震。飢

饉と疫病の中、衝撃大。聖武、畿内・大和地霊を恐れる。 聖武、周の文王の故事(天譴思想)により「責任は我一人、恐れず

遷都しない」と宣言。しかし、仏教帰依を強め、739年大仏建立宣言。740年近江に大仏建立開始し、同時に山城恭仁京建設ー近江紫香楽京大仏構想。

744年肥後国地震 745年美濃地震ー養老桑名四日市断層帯ー紫香楽・恭仁京直撃 大仏は奈良へ。地震は政治史に大きな影響

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(2)8世紀後半の噴火 8世紀前半は局地地震(中央構造線沿い)→→8世紀後半、地震は

静穏化し、噴火の時期 (イ )765年大隅海底火山の噴火ーー大穴持命(オオアナムチ)の噴火  神の「冶鋳」(冶金と鋳造)の仕業による「神造嶋」。神の「アズマヤ」のような石組み。本宅は桜島か。

益田勝実『火山列島の思想』、保立道久『かぐや姫と王権神話』 日本の最大の神は火山神ー地震神。大穴持命とは大国主命の自然神・火山神としての名。「アナ=噴火口、ナ=大地」。

(ロ )霧島など九州火山の噴火  771年豊後の別府鶴見岳の小噴火。  788年、大隅国贈於郡の曾乃峯(霧島御鉢)の大噴火。 霧島への「天孫降臨」神話の現場。 10世紀、書写山の性空上人。霧島で修行。身辺に地震を自由に起

こせる。 (ハ )富士の大噴火 800年。足柄路をふさぐ、箱根道を造る。

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(3)九世紀前半の地震・噴火 (1)桓武ーー全体として静謐。 (2)嵯峨 ーー関東地震 (3)淳和 ーー京都群発地震。大地動乱の時代のクライマックスの到来を告げる。

(4) 仁明ーー群発地震はおさまるが噴火。  (在位中の京都有感地震の年間平均は2,5回ほど)。   伊豆神津島の大噴火ー火山の女神ー「地(な)の神」ー山の神は女の火山神。

(5) 文徳ーー『方丈記』、東大寺の仏頭落下の地震。     文徳の陵墓は「地震神」に狙われた。     地震の神が追跡する足音。

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Ⅱ貞観大津波とその前後地震学の指摘東日本太平洋岸地震のプレート深部断層と類似東北地方のボーリング調査で貞観津波痕跡発見  陸奥国の地、大いに震動す。流光、昼の如く隠映す。しばらく人民叫呼して、伏して起きることあたわず。あるいは屋倒て圧死し、あるいは地裂けて埋殪(埋死)す。馬牛は駭奔し、あるいは互いに昇踏す。城郭・倉庫・門櫓・墻壁など頽落して顛覆すること、その数を知らず。海口は哮吼し、その聲、雷霆に似る。驚濤と涌潮と、泝洄し、漲長して、忽ちに城下に到る。海を去ること数十百里、浩々としてその涯を弁ぜす。原野道路、全て滄溟となる。船に乗る暇あらず、山に登るも及び難し。溺死するもの千ばかり、資産・苗稼、殆ど一つとして遺ることなし(『日本三代実録』貞観十一年五月廿六日条)。

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現代語訳 陸奥国の大地が大いに震動した。(夜)、流光が昼のよ

うに空をおおい照らした(地震発光の最初の記録)。直後、人民は叫び呼び、地面に伏して起きあがれない。家屋が倒れて圧死し、断層の中に埋まって死んでしまう。馬牛は、驚き走って踏みつけあう。城郭や倉庫、門櫓、垣壁などの崩落と転倒は数知れない。海口は吠えたて、その声は雷電のようであった。そして、激しい波と高潮がやってきて、川をさかのぼり、また漲り進んで、たちまち多賀城直下に到来した。海を離れること数十百里の距離まで冠水した様子は、広々としてその果てを区別できない。原野や道路はすべて青海原、船に乗る余裕もなく、山に登る時間もなく、その中で、溺死するものは千余人。資産や田畠の作物は、ひとつとして遺ることなく全滅した。

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貞観津波(M8,3?)と東日本太平洋岸津波(M9)の比較プレート境界地震としての共通性と差異

津波遡及・冠水域の比較ーー今後の調査が必要  3,11津波の遡及域。北上川、河口から約五〇 、11センチの水位変㌔化。冠水域。内陸約5 (道路でストップ)㌔

貞観津波の遡及域。不明。冠水域。文章表現、「海を去ること数十百里」=数十と百の間、漢文の語法では八十里と一〇〇里の間=約五〇

前後。 ㌔ ボーリング調査。石巻平野から磐城海岸まで、海岸線から三 内陸へ三 から五 ほどの砂層。㌔ ㌢ ㌢ 矛盾

貞観津波が大きい? 条件の相違?。(1)史料表現に修飾?、(2)海河岸構築物の不在、(2)旧暦五月という季節性(灌漑井堰の破壊)、(3)地盤沈下規模の相違。

震源位置 ーー貞観津波は北よりか 3,11京都震度3強。貞観地震、京都有感記録なし(震度2以下か)。 三陸のリアス式海岸湾内、堆積層が少なく、ボーリング調査困難。 貞観津波は3,11と相違して常陸、上総国まで及んでないか。Mをどう考えるか。

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貞観津波の特徴 余震の広がりーー「自余国々」の地震 一月半後ーー大和国地震ーー名張断層の延長部 半年後、肥後国の津波地震ーー雲仙・有明海の活断層? 九州の地震と火山フロントの背景    アムールプレートとフィリピン海プレートの衝突とマントルの上昇流。

韓半島地震・噴火との連動 韓国の地震、870年四月(王都慶州)、872年4月(同)、875年2月(王都

および東部)。『三国史記』による。被害記事はなし。 『大日本地震史料』採録漏。 8・9世紀は韓国でも「地震の旺盛期」だが、870年代の集中は特異。 十和田カルデラ(列島の有史最大)と韓半島白頭山の噴火の連動、10世紀初頭

貞観津波は一〇〇〇年に一度か? 1454年(享徳三)11月23日 陸奥国津波 夜半ニ天地震動、奥州ニ津波入テ、山ノ奥百里入テ、カヘリニ人多取ル(『王代記』山梨県史資料編六) 約一月後(朝鮮王朝暦、端宗王二年十二月甲辰)に、朝鮮の南部、慶尚道・全羅道などで大地震。多数の圧死者(『朝鮮王朝実録』)。

この連動構造は現在も生きているか?

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Ⅲ地震神話と貞観地震の前兆(1)旱魃・飢饉・疫病ーー温暖化  ロットネスト海進期( 8/9 世紀から)ー1・2度の温度上昇ー九世紀後半に、特に急激(屋久杉、尾瀬泥炭)。 気候不順、旱魃。  清和天皇詔「年ごろ、水旱時ならず。疫癘しばしば發す」( 859年貞觀1)。   epidemic 。疱瘡、インフルエンザ(韓半島も)。 866 年(貞観8 )にピーク(2)富士山の大噴火、別府鶴見岳の噴火、阿蘇の活動富士山の大噴火。 864 ー 866 (貞観6 -8 )  富士噴火史上、最大。青木ケ原溶岩流と富士五湖の形成。  火山性地震、火山雷、大噴火。恐るべき火山神に地震の実態をみる。  山頂に石造りの「社宮」を幻想する。阿蘇噴火。 864 年10月  阿蘇。日本を代表する火山(『隋書』)。カルデラ池が大きく震動、噴火、石神の崩壊。 「亀筮」の結果は「水疫の災」。山頂に「神院」別府鶴見岳の噴火 867年(貞観9)  記録に残る鶴見岳唯一の噴火。 火山池の震動、硫黄噴出、火山弾、火山灰。年末には阿蘇山頂の地割(一五〇メートル余 ×七五〇メートル余)。東西の噴火

 

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(3) 前年(貞観10年)の播磨・摂津地震 京都有感地震、20回 7月 8 日 、京都家屋倒壊の地震ー震度5弱? 震源地、播磨、郡役所・寺院など倒壊。摂津でも、地震・余震強し。 占いー摂津広田社と生田社の神の怒り。六甲山地東南縁断層帯

播磨山崎断層の活動。マグニチュード 7.0 以上、 山崎断層(加古川・姫路・相生の北を通過)から、地震波が摂津へ 山崎断層の地震神ー姫路市北部、広峰神社(素戔鳴神社)。

(4)祇園御霊会の起源ーー貞観地震の翌月 播磨広峰神社から「牛頭天王」(=素戔鳴尊と同体)が移座。 旱魃・疫病からの「悪神」を祭るーー前年の地震神を祭った。 牛頭天王は広峰神社から移座(「廿二社註式」)。 日本の地霊=地震神=地底に棲む神、スサノオ。 アマテラスへの怒り。「山川ことごとく動き、国土みな震りき」

(『古事記』上)

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(5) 地震神話と地霊ータカミムスビ・スサノウ・オオアナムチ  8・9世紀はプレート間地震だけでなく、局地的な地震、し

かも京都畿内の群発地震が多い。そして地震が少し収まったかと思うと火山が噴火する。しかも温暖化を一つの条件とした旱魃・疫病の流行によって飢饉が社会を直撃するという時代であった。

 地震・噴火が、この時期の政治社会に巨大な影響をもたらしたことが、これまでの歴史研究の視野に入っていなかった。たとえば887年(仁和地震、南海プレート間地震は光孝天皇を直撃、直後に死去。

大きな反省。歴史環境学の必要。学問の総点検。 特に神話論。中国伝来の陰陽道を支えにして、当時の人々も社会意識としては、見えない自然を見ていた。見ようとしていた。神話の認識力を軽視してはならない。我々はどこまで進歩しているか。事実にそくして謙虚にみて進歩を探る歴史認識。

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天孫降臨と火山神話ーー最大・最強の神、火山神(地震神・雷神)

天地創造神ーータカミムスビ  タカミムスビーー大和朝廷の本来の主催神、天の最高神はアマテラスではなく、

このタカミムスビで。「日神」「月神」の「祖」。アマテラスは副次的な神。  「天地を鎔造した功」をもつ創造神(『日本書紀』(顕宗紀、五世紀末の大王)所載の対馬と壱岐の豪族の証言)

 天地鎔造ーー鍛冶と鋳造。  カグツチ、スサノオ、オオアナムチ、彼らの「祖」神。オオアナムチ「神造島」

を「冶鋳」  日本神話の原風景としての「磐石飛び乱る」火山山巓の風景騎馬民族国家説から「東アジア火山国家説」へ  騎馬民族国家説の一つの根拠。騎馬民族は鍛冶民族(馬具生産とユーラシアの鉱業資源の掌握)。彼らが日本にタカミムスビ信仰を持ち込んだ。

東北アジアの火山分布 (江原『中国大陸の火山・地熱・温泉』九州大学出版会) (1)カムチャッカから日本列島につづく太平洋プレートの沈込みにともなう火山帯、

(2)内モンゴル自治区の大興安嶺山脈と黒龍江省から韓半島にむかう長白山脈に広がるホットスポット型の玄武岩質火山」

 神話の共通性の条件、ユーラシア東部の地殻運動の自然的共通性

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歴史家として考えることまとめにかえて

(イ )東アジアの噴火・地震ーー騎馬民族国家説から火山神話国家説へ    東アジア共同体の基礎。    (ロ )歴史常識の見直し、科学化  文理融合とそれにもとづく歴史像の見直しの絶対的な必要。

(ハ )文理融合ーー大学がやってきたことの点検 1936年の今村の仕事以降の全体的な自己点検。 学術の全体性、統合性と学術の社会的責任のためにも、各分野の研究者が必要な内省をする条件としての諸学融合、文理融合。

地震学・防災学・土木工学・原子力工学の統合・融合。 (ニ )真の神話と「安全神話」ー無縁・無力と叡智    神話、見えない物を見る。    「安全神話」、見える物を見えなくする。  人間の無力の実在としての放射線