674-表1hnf.fra.affrc.go.jp/event/osakana/2010kujira/2010kujira...海面上1...

12
司い~を 総合研究””託 k産研 屍~ 91 . _

Upload: others

Post on 30-Jan-2021

3 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

  • S.i

    ー ー’"""’・・・・.

    ... ..........・・・“◆圏 i 1.身近な鯨類の生態

    ~圏r平成22年9月12日(日) 慣『 午後2時~午後4時30分 i「 証論館’羅ーーーー

    パ『平成22年9月18日(土)●19日(日) ネ, ィォン釧路昭和ショピングセンター 東レストラン入口前

    聖「 平成22年10月19日(火)~24日(日) 騰「 釧路市生涯学習センター「まなぼっと幣舞」市民自由広場

    遠洋水産研究所 岩 崎 俊 秀 i

    a 釧路沖のミンククジ三 釧路沖鯨類捕獲調査のこ紹介ー ト 遠洋水産研究所 木 白 俊 哉 ミ

    3釧 路 捕 鯨 L 釧路水産協会 鈴 木 正 夫 i

    4. 鯨を美味しくいただく おばんざいくじら亭(東京農業大学客員教授) 野 口 真 希

    廿l崖 /北海道釧路総合振興局・地方独立行政法人北海道立総合研究機構水産研究本部釧路水産試験場 フて「臣/ 釧路市・釧路市立博物館・社団法人釧路水産協会・北海道漁業協同組合連合会釧路支店・釧路短期大学

    釧路地区水産技術普及指導所・独立行政法人水産総合研究センター北海道区水産研究所

    司い~を総合研究””託海轟k産研屍~)91 . _

  • ごあいさつ

    今年のおさかなセミナーは釧路と深い縁がある鯨を取り上げます。若い人にとって40年ほ

    ど前の話は昔話になるかも知れませんが、当時の釧路は日本一の沿岸捕鯨基地として活気に

    あふれていました。年配の方々にとっては、鯨は家庭でもなじみの深い水産物です。また、

    近世はもちろん、道東の遺跡からも鯨由来の道具などが見つかっているなど、古くから人間

    にとって有用な海の生物でした。

    一方、鯨は地球上で最大の生物であり、古来は洋の東西を問わず畏怖(いふ)すべき対象

    であったとともに、自然の恵みとして利用してきた存在でもあります。特に、私達日本人

    は、大きなものを表したり豊漁をもたらす神として崇め、万葉集などの和歌でも証われてき

    ました。

    近世以降、科学の発達により、鯨について多くのことが分かってきました。例えば、鯨は

    魚ではなく、陸から海に戻ったほ乳類であり、海の生態系の頂点に立つ生物として重要な位

    置を占めています。また、私達の生活を豊かにしてくれる海の恵みであるとともに、癒し効

    果についても研究が行われています。

    今日は、鯨の歴史、捕鯨、食文化などについて、お話をしていただきます。あらためて、

    鯨のすばらしさを知っていただき、鯨への関心を高めていただければ幸いです。

    最後に、本セミナーは1992年に水産都市釧路とその周辺の市民の皆様を対象として水産の

    試験研究を分かりやすく理解していただくため企画され、以来、スケトウダラやサンマから

    北の海の生態系の話まで様々なテーマについてご紹介してきました。テーマlプついプl十上b構

    へのアンケートを元に選んできましたが、繰り返しも増えてきたこともあり、今年でいった

    んお休みさせていただき、新たな企画を考えることにいたしました。

    これまで参加いただいた方々に深く感謝するとともに、新しい企画に対して、また、足を

    運んでいただくようお願いいたしまして、最後の言葉といたします。

    おさかなセミナーくしろ2010企画・実行委員長

    松 尾 豊 (水産総合研究センター北海道区水産研究所長)

    もくじ

    ●身近な鯨類の生態 1

    ●釧路沖のミンククジラ

    ―釧路沖鯨類捕獲調査のご紹介― 4

    ●釧路捕鯨史 6

    ●鯨を美味しくいただく 8

  • 図 2.ミンククジラの耳垢栓(幅約 2 cm)

    身近な鯨類の生態

    遠洋水産研究所

    岩 崎 俊 秀

    豊かな北海道の海には多くの鯨類が生息しています。ここではいくつかの鯨類を取り上げて暮らしぶりを

    紹介します。

    鯨類のからだの作りと働き

    鯨類は噛乳類なので肺呼吸をします。そのため必ず海面に姿を出す時間があります。鯨類を獲るときも見

    る(ウォッチング)ときも、この瞬間を手がかりにします。ハンドウイルカに装置を付けて調べたところ、

    経過時間の 5 %ほどの長さしか海面に浮上している時間はありませんでした。残りの95%は海の中というわ

    けです。

    体の構造から、鯨類はハクジラとヒゲクジラに二分されます。ハクジラの口の中には、われわれ人間と同様

    に歯が生えています(図1右)。下顎の片側に 2 ないし67本と、種類によって本数の違いがあります。年を取

    ると磨り減ったり、抜けたり、ムシバで損なわれるものもあります。人間と違って食べ物を噛み砕く(岨鳴す

    る)ことはせず、餌を保持して丸呑みします。歯には 1年毎に成長層(いわば年輪)が作られるので、上手に

    数えれば年齢を推定できます。戸籍も国勢調査もない野生動物ではとても大切な情報です。

    一方、ヒゲクジラは上顎から髪を杭く櫛のようにヒゲ板(図1左)が多数生えています。例えばミンククジ

    ラのヒゲ板を数えると、片側だけで300枚近くあります。ヒゲクジラは餌の群れを海水ごと口の中に取り込

    み、ヒゲ板の間から海水だけ吐き出して丸呑みにします。このヒゲ板で年齢を調べる手法もありますが、通常

    ヒゲクジラでは耳垢栓(みみあか(図2) )の層を数えます。

    なお、クジラとイルカの違いをよく質問されますが、ハクジラの中でも比較的小型の種類に〇〇イルカとい

    う種名がついています。

    ます。ハンドウイルカに装置を付けて調べたところ、

    図 1.ミンククジラのヒゲ板(左)とオキゴンドウの歯(右)

    生息頭数

    生息頭数を求めるには、予め数学的に定められたコースを船で走って、高い見張り台から人間の眼(双眼鏡

    も使います)で見つけ(図3) 、種類・頭数を確認・記録する目視調査が必要です。これにより、だいたいコ

    ース線の左右 1海里程度の帯(有効探索幅といいます)を調査したことになります。また、見落としを考慮し

    ながら必要な海域に引き伸ばして頭数を推定します。参考として、日本の近海で得られている推定値を表 1に

    示します。では、近年鯨類の頭数は増えているのでしようか、それとも減っているのでしようか。この質問に

    答えるのはきわめて困難です。推定値そのものもこれまで 2 回ほどしか得られておらず、しかも精度の問題か

    ら年代間の差を検証できないことが多いからです。漁業対象種では、漁船の数に大きな変化がなくて毎年同じ

    ように捕獲できていると、頭数の変動は大きくないと判断することができます。

  • ン 、 、

    ~ 奄ーノ 、 図4.イシイルカ型イシイルカ(左)と

    リクゼンイJレカ型イシイ)レカ(右)

    図3.目視調査船の見張り台(操舵室上方の白いバケット: 海面上1 5m)と見張り台から鯨類を確認する観察員

    表1.日本沿岸の鯨類の資源量(生息頭数)

    麗宅 学名 資源量推定値と出典

    ニタリクジラ IIalaenoptera edh,i

    20,50 l(CV申*=0.336) Shimada el d(2008)

    ミンククジラ Balaenopt切-a acuSmJSImIロ

    25,049 (CV=0.316) ' I3ucldand etal. (1992)

    ッチクジラ IIerardws baitdh

    太平洋:5,000 (95%CI*** 2,500-. 10,000) Miyashita and Kath (1993) オホ一ック海;660 (95%c1 310-'--

    1,000) Miyashita (19軸 日本海】1,500(95%i 370--乙600)

    Mivaahita (19901

    シャチ Orご加usoI'cロ 西部北太平洋】7,5 12(CV=0.286, >40N), 745(CV=0.443, 20・4 〕N)

    Miva曲ita (2009)

    オキゴンドウ Pseudo7c" crassidms

    40β92(く】、1=0.55) Mmalがkawa em(200乃

    南方型コビレゴンドウ(マゴンドウ)

    Glbi叱mpbala ,mごnr却nchus

    瓦057 (CV-0.71) Miiiamikawa etal. (200乃

    ハンドウイルカ んraiops カ訓力CQIw

    38,829 (CV=0.63) MInamikawa et吐 (200乃

    力・、’イルカ Lagenor卸m加 S obliqu,d厨s

    叫784(CW0.8) Miyashita et al (2007a)

    ハナゴンドウ Grampus 月rISCUS

    32,864 (CV=0.45) Minamikawa et al. (200乃

    スジイル力 Stenella coer血Iaalbロ

    504,334(いノ=0.55) Minamikawa et al. (200乃

    マダライルカ &endlla '1lIe,lIぬ1ロ

    397,515 (CV'0.42} Minamikawa et aL (2007)

    スナメリ Ne翌,hocaene phocoenoides

    解析中

    イシイ,レカ Phoc oenoide-.s dbIJi

    イシイルカ型:173,638(CV0.212), リクゼンイルカ型:

    17&157(CV0232) Miyahita etd

    一変勤係数 ’*序】95%信頼限界

    イシイルカとツチクジラ

    鯨類の中でもなかなか増えない種類は往々にして寿命が長く、群れを作って生活し、大人になるまで長い期

    間が必要です(例:ツチクジラ、コビレゴンドウ)。北海道周辺で漁獲もされているイシイルカは、これとは

    逆に増えやすく短命で、固定的な群れも作らず、早熟な傾向があります。鯨類では双子以上はまずありません

    (まれに、妊娠初期には見られることがあります)。また、マイルカ科の鯨類には、性成熟からしばらくは左

    右1対あるのに、左側の卵巣からしか排卵しない種類がいくつもあります。子宮も左右に分かれていますが、

    胎子は排卵が起こった側の子宮に留まります。なお、鯨類の卵巣には排卵痕が残るので、これを成熟判定に使

    うことができます。イシイルカには、体側の白斑部の長いリクゼンイルカ型と短いイシイルカ型があります

    (図4) 。両者はDNAからも別のグループであることが確認されています。日本海、オホーツク海にはイシイ

    ルカ型が見られ、太平洋では両型が見られます。太平洋のうち夏から秋の道東では沿岸部にイシイルカ型が、

    やや沖合にリクゼンイルカ型が分布すること

    がわかっています。また、冬の三陸沿岸に来

    、 る個体のおよそ95%はリクゼンイルカ型で、 ’ ~ 、 5%ほどイシイルカ型が混じります。この5% ’ のイシイルカ型は、日本海やオホーツク海の

    同型個体とは異なる太平洋沖合のグループで

    ~ ’ 二書】’一、 あることがわかっています。なお、 日本海

    ~’一ー (春)、オホーツク海(夏)、道東太平洋 (夏~秋)と、海域と季節が移るにつれて、

    イシイルカ型個体は雌とくらべて大型雄の比

    図4.イシイルカ型イシイルカ(左)と 率が増えてきます(もともと雌よりも雄の方 リクゼンイルカ型イシイルカ(右) が少し大きい)。イシイルカは夏に北上し、

  • 図6.アカウミガメを襲うシャチ 図7.定置網に混獲されたミンククジラ

    冬に南下する移動をしていますが、秋まで北方に留

    まれるのは体力のある大型雄だけなのかもしれませ

    ん。比較的冷たい水で暮らすため、繁殖期は春か

    秋に限られており、精子も排卵間近の卵胞もこの期

    間しか見られません。夏には母親と生まれた子供 2 頭の一緒に遊泳する姿が見られます。時にはもう1 頭のイシイルカが加わることがあります。群れ社会

    が発達しているとは思われないので、 3頭目は子育 てする父親ではなく、短い繁殖期を活かすために母

    親との交尾の機会をうかがう雄なのではないかと考

    えたくなります。

    体長10-urnまで成長するツチクジラ(図 5)は、 日本海、オホーツク海、太平洋に分布します。雄が子

    育てをするのではないかと考えられているコにニークな

    鯨類です。本種ではDNAや体の各部のサイズに海域間の違いが見られ、それぞれが別のグループと判定さ

    れました。なお、日本海のツチクジラは船から逃げる

    ことが少なく、接近しやすい傾向があります。

    図5.跳躍するツチクジラ

    シャチとミンククジラ

    シャチは雄で最大9mにも達するマイルカ科の最大種です。海の中では食物連鎖の最上位におり、甲羅の硬いウミガメも(図6)、ミンククジラも餌にします。母系の群れを作り、定住型、回遊型、沖合型の 3タイプに分かれるといわれています。日本沿岸に見られるものは、よく移動しているようで、定住型は稀と考えられ

    ます。2005年2月に羅臼で流氷に閉じ込められたシャチ群のDNAが回遊型に近かったという結果もあります。 ミンククジラは日本沿岸でよく見られるヒゲクジラといえるでしよう。イシイルカと同様に、大きな群れは

    作りません。商業捕鯨の休止前は、小型捕鯨船(ミンク船ともいいます)が日本の周囲を移動しながらミンク

    クジラを捕獲していました。現在では鯨類捕獲調査により、沖合で100個体、沿岸で120個体(沿岸で漁獲するものは、釧路、鮎川で陸揚げします)を捕獲する他、定置網に年間130個体ほどが混獲されています(図 7)。漁獲されたものは、グループ分けや他の漁業との関係などについて調べられています。ミンククジラは 8rn以上まで成長しますが、沿岸で見られるものは5-6mのものが多いようです。 ここで取り上げたイシイルカ、ツチクジラ、シャチ、ミンククジラの最新情報については、次のURLをご覧

    下さい。毎年情報を更新しています(httpゾノkokushLjob.affrc.gojp/index-2.htrnl) 。

  • 写真1. 釧路沖のミンククジラ

    図 1.ミンククジラの春から夏の回遊経路 (宮下ら,2009より)

    釧路沖のミ、Iクーさ

    遠洋水産研究所

    木 白 俊 哉 ―釧路沖鯨類捕獲調査のこ紹介―

    毎年、秋になると釧路市街のスーパーなどの店頭には、鮮度の良い生の鯨肉(冷凍していないもの)が並

    びます。近年ではこれも釧路の街の風物詩のひとつになってきました。これらは、釧路沖の近海で行われて

    いる鯨類捕獲調査によって得られたミンククジラの副産物です。

    ミンククジラとは

    ミンククジラ(写真1)は、ナガスクジラ科に属

    し、体長7.8-8.3mに達する小型のヒゲクジラ類

    で、胸鰭にある白斑と細く尖った頭部が特徴です。

    日本の周辺には、主にオホーツク海から西部太平洋

    にかけて分布するオホーツク西太平洋系群と、主に

    東シナ海から日本海にかけて分布する日本海系群の

    2 つのグループが知られています。釧路沖にみられ

    るミンククジラは、主に前者が主体で(一部、日本

    海系群も沿岸域で混じりますが)、冬季に繁殖のた

    め低緯度海域に回遊し、初夏に北部太平洋岸を北

    上、夏季にはオホーツク海や千島列島東方沖合まで

    分布します(図1) 。この系群の資源量は、目視調

    査に基づき、25,049頭(95%信頼区間、 13,700ー

    36,600頭)と推定されています。本種は、1950年代

    から1980年代半ばまで、沿岸の小型捕鯨業により、

    三陸、道東沖、北海道オホーツク海沿岸で、毎年

    300頭程度の商業捕鯨が行われ、釧路沖もミンクク

    ジラが多く来遊する重要な漁場のひとつでした。し

    かし、 1988年以降、国際捕鯨委員会(Iwc)の商業

    捕鯨モラトリアムにより、商業捕鯨は停止状態とな

    り、今日に至っています。

    釧路沖鯨類捕獲調査

    釧路といえばサンマ、また、かつてはマイワシの

    水揚げも多く、日本でも有数な漁業の街でもありま

    すが、漁師さん達からは、鯨が漁の邪魔をする、鯨

    が多くて魚が捕れないといった声が聞こえます。こ

    れらを受けて釧路沖での調査が始まりました。本調

    査は、第二期北西太平洋鯨類捕獲調査(JARPN II)

    計画の一環として、遠洋水産研究所が実施主体とな

    り、 2002年に予備調査を行った後、2004年以降、毎

    年、秋季に4隻の小型捕鯨船(32トンから47トンの

    小さな捕鯨船で、普段は、和歌山県太地町、千葉県

    和田浦、宮城県鮎川、北海道網走、函館などで、沿

    図1. .''72OO9 鮪から夏の回遊経路 誉の‘FF 轟2) 謡 60頭を上限としてミンククジラの捕獲を行っていま

    す。捕獲した鯨は、全て釧路港に陸揚げし、釧路市郊外に設けた鯨体調査場で詳細な調査を行っています(写真

    3) 。調査の目的は、鯨が実際に何をどのくらい食べているのか、どのような餌を選択的に食べているのか、と

    いったことを明らかにし、鯨のみでなく、サンマ、スケトウダラなどの餌生物の動向も含めた生態系モデルの構

    築を通して、沿岸漁業の包括的な管理に役立てることです。そのために、別途、餌環境調査や広域目視調査など

    も行われました。このほかにPCBや重金属などの環境要因と鯨との関係を調べること、DNAなどの分析を通し

    て鯨の系群構造を把握すること、さらには、鯨の繁殖、成長、分布など、様々な情報を収集しています。

    す。

    3)

  • ~

    ' ' ' ' ミンククジラの体長⑩

    これらの調査で得ら

    れた資試料の解析は現

    在も進行中ですが、こ

    れまでの結果から、釧

    路沖に来遊するミンク

    クジラの食性は、オキ

    アミ、スケトウダラ、

    写真2.小型捕鯨船

    、 写真3.鯨体調査の風景 3・鯨体調査の風景

    / カタクチイワシ、サン

    ~ マ、スルメイカといっ

    ― た具合に、大変多様性

    つ漁業の重要な資源を

    捕食していること、しかし鯨の来遊動向や食性は年

    によって大きく変動すること(図2) 、また、成熟

    した鯨と未成熟の鯨では好む餌生物が異なることな

    どがわかってきました(図3) 。引き続き、調査を

    継続することによって、釧路沖の海域がミンククジ

    ラによってどのように利用されているのか、その詳

    細が明らかになるとともに、沿岸漁業の包括的な管

    理にも役立てられることが期待されます。

    FL

    2002

    2004

    2005

    2006

    2007

    2008

    2009

    スケトウダラ カタクチイワシ

    サンマ 多

    図2.ミンククジラ胃内容物組成の経年変化

    ,ノ 1

    オキアミ スル‘イカ

    十 不胡

    I /空胃

    ~ 「 」

    スケトウダラ ~未成熟の鯨

    =62 ~ 成翻一Jた鮮

    トb オ弄アミ

    1叫1

    カタクチイワシ

    n=l加

    サンマ

    n叱O _ _H スルメイカ

    n45

    図3.胃内容物別にみたミンククジラの体長組成

    '0

    20

  • 1

    三舞 、=ニ一d'

    & . !1 - r

    I__

    ーニ、ー糾

    《蕪義

    江戸時代の網取式捕鯨(鯨類諌績笑録:日本水産脚提供)

    仕掛けた網へと船が鯨を追い込んでゆく

    脂皮を小切れにし、釜ゆでにして鯨油を採取する

    義櫨(ろくろ)で鯨を曳き揚げて切りさばく

    骨を小割りにして釜で煮出して油を採取後に、臼で砕いて肥料にする

    釧 路 捕 鯨「 釧路水産協会 鈴 木 正 夫

    漁業のまち・捕鯨のまち

    釧路市は言わずと知れた漁業のまちです。江戸時代末期のコンブ、ニシン、サケ漁に始まり、昭和初期のマ

    グロ景気を経て、終戦直後にはサンマ・サバの大豊漁時代を迎えました。昭和40年代に入ると、サケ・マス漁

    と、遠洋底曳によるスケトウダラの大豊漁で、昭和44年から 9年間水揚量日本一を記録し、続くイワシの豊漁

    で昭和54年に再び日本一になってから、13年間連続水揚量日本一という金字塔を打ち立てるなど、釧路は常に

    北の一大漁業基地として賑わってきました。その釧路港も、200海里時代の到来とイワシ・サバなどの資源水

    準の低下によって、かつての勢いはありませんが、昨年は水揚量全国5位と頑張っています。ところで、皆さ

    んはご存知でしょうか。釧路港は魚の水揚げだけでなく、捕鯨でも全国一の水揚げ基地であったことを。

    日本の捕鯨の始まり

    日本では古くから、 「寄りクジラ(浜に座礁、漂着した鯨)」や「流れクジラ(死んで海を漂う鯨)」が貴

    重な産物であり、肉は勿論のこと、油脂や骨まで利用されてきました。釧路でも、東釧路貝塚から大量のイル

    カ類の骨と大型の鯨の骨が出土しています。江戸時代になると、発見した鯨を船で網へ追込み、動きが鈍った

    ところをしとめて浜へ曳き揚げる「網取式捕鯨」が始まります。この方法は、ほぼ全ての鯨が捕獲できるため

    各地に広まり、江戸時代はこの漁法が主流でした。しかし、この漁法も、沖を通るクジラを待って捕獲する消

    極的なものであったことから、明治になると、船首甲板に大砲を据えた汽船を使用する、近代的な「ノルウェ

    ー式捕鯨」が日本に導入され、 「網取式捕鯨」に替わるものとして定着していくことになります。

  • 極洋捕鯨事業所:「極洋捕鯨30年史」より

    再び捕鯨が釧路市民の生活に身近なものとなってきま

    した。皆さんには、日本一の水揚高になるまでに至っ

    た釧路の捕鯨の歩みにふれて、是非、日本の捕鯨につ

    いて考えていただきたいと思います。

    釧路の店頭に並ぶ鯨肉

    捕鯨基地釧路

    近代的捕鯨手法を導入した捕鯨会社の北海道への進出は、明治末期から大正期にかけて相次ぎますが、釧路

    では、戦時下の昭和18年に、極洋捕鯨(株)が択捉島から南浜町に移転してきたのが始まりで、翌年から捕鯨を開始し、この年に21頭を捕獲しています。また、昭和26年には、日本水産(株)が知人町に事業場を開き捕鯨を始めています。この年から、極洋捕鯨(株)と日本水産(株)の2社による釧路沖での捕鯨競争がくり広げられ、釧路港は昭和27年から昭和36年の10年間にわたって、全国沿岸捕鯨で日本一の水揚高を達成しました。この時期、道東沿岸の厚岸、霧多布を含む3港の捕鯨水揚高は、全国の約50-60%を占めるまでになり、 戦後の食糧不足解消に大きく貢献しました。

    国際規制による撤退

    しかしながら、国際的な捕獲規制が徐々に強化され

    ていくと、昭和40年には極洋捕鯨(株)が釧路事業場を閉場、昭和43年には日本水産(株)も事業場を閉場し、大手捕鯨会社は完全に釧路から撤退していき

    ました。その後は、ミンククジラやツチクジラ漁を行

    う小型捕鯨が釧路沖でも操業を続けていましたが、 I wc(国際捕鯨委員会)での商業捕鯨モラトリアム決議によって厳しい捕獲制限が課されるようになり、日

    本の捕鯨は、昭和62年に南氷洋から撤退し、翌昭和 63年には、沿岸捕鯨も操業を休止することになってしまいました。現在も、 I WCでは捕鯨国と反捕鯨国が激しく対立し、商業捕鯨の再開が見えない状況であ

    ることは皆さんご存知のとおりです。

    そして鯨のまちづくりノ\

    商業捕鯨が全面禁止となった後、日本では、科学的

    研究を目的とした捕獲調査が行われています。平成

    14年には釧路沖での調査が始まり、40年ぶりに釧路港に鯨が水揚げされました。今では、ミンククジラの

    肉が毎年釧路の店頭に並んでいます。釧路市では、こ

    釧路の捕鯨事業場位置図 の調査捕鯨を契機に鯨のまちづくりを推進しており、

  • おばんざいくじら亭 (東京農業大学客員教授)

    野 口 真 希 鯨を美味しくいただく

    鯨は哨乳類?それとも魚?

    日本では昔、鯨は「久治良(クジラ)」 「勇魚(イサナ)」などと呼ばれていましたが、約1,300年前の古事記の中で「くししら」という言葉でも登場しています。これは韓国の古語で、 「く」が大きいを、 「しし」

    が獣を、そして「ら」は接尾語を表しており、つまり「くししら」は「大きな獣」という意味になりますが、

    韓国では古くから、鯨が噛乳類だとわかっていたようです。韓国のテレビドラマ「チャングムの誓い」の中で

    も、鯨を牛と同じように扱っていたということがでてきます。

    一方、日本においては、約250年前の「鯨志」 (江戸中期の動物学書)の中で鯨は魚ではないと記されていますが、それ以前は魚と同じ扱いで、調理法も魚と同じでした。約180年前の「鯨肉調味方」という本で、初めて鯨の調理法が記され、この本では、鯨の体を68ケ所の部位にして、80種類の調理法が書かれています。

    海産物が日本食の中心

    日本は四方を海に囲まれた島国であり、海産物が食の中心でした。しかし、新鮮なものを食べる文化は、ず

    っと後になってから始まります。先人達は、いかに海産物を保存するか考えていたと思われます。意外なこと

    に、現在の鮪の前身は、魚ごと、ご飯を塩と麹(こうじ)で10年以上発酵させる「なれ鯖」が始まりだったのです。つまり、魚を生で食べることができたのは、海岸沿いに住む一部の人たちだけでした。

    それでは、古くから鯨をどのようにして食べていたのか、その調理法をご紹介します。

    ―昔ながらの鯨の調理法―

    鋤焼き

    現在のすき焼きのルーツ。塩蔵した鯨肉を塩抜きしてから食べる。江戸後期の焼きを再現したもの。

    、 現在の新巻鮭と同様に、一度塩漬けをしてから、それを粕漬けにして再現したもの。

    難一 、 ~ 南蛮煮(長門市/山口県)

    ごぼう、こんにゃく、にんじんなどと、味噌や醤油で煮付けたもの。山口県では大晦日に縁起がよいとして食べられる。

    煎り皮とこんにゃくの土手鍋

    江戸時代は赤身より、黒皮のほうが価値が高かった。

    ゆでもの

    塩蔵した内臓(大腸・小腸・胃・心臓・肝臓)を茄でたもので、塩抜きをしてから酢味噌やからし醤油で食べる。

    鯨皮入りなます

    各種行事に欠かせない食べ物であるが、長崎県生月町では、特に隠れキリシタンの行事に必ず出される。

  • 釧路は海産物にとても恵まれた土地で、現在、調査捕鯨で鮮度の良

    い美味しい鯨肉が入手できます。鯨肉は昔のイメージで、 「硬い・黒

    い・臭い」と思われがちですが、今は冷凍技術も良くなり、上手に解

    凍、熟成できれば、大変美味しい肉に変貌します。熟成させることに

    より、鯨の旨み成分であるアミノ酸が何倍にも増えることがわかって

    きました。

    私の店も季節限定で生の鯨を扱っていますが、釧路の皆さんは 1年に1度であっても鯨の生肉を食べられることができ、これはとても幸

    せなことなのです。是非一度、ご家庭で熟成により変化する鯨肉も味

    含有アミノ酸成分

    わってみてはいかがでしようか。

    日本の料理の中でもっとも古い調理法

    古くは、1561年に、足利義輝(室町幕府第13代将軍)が三好義長の邸宅にて鯨料理を食べた記録があります。 また、1591年に長宗我部元親(土佐の戦国大名)が、大阪城の豊臣秀吉に10メートルもの鯨を生のまま献上し、 秀吉のメニューの記録が残っています。当時の食べ方を再現してみました。

    ―当時の食べ方の再現―

    本皮の酢の物と白和え

    赤身煮物

    塩漬けにした本皮を薄く切って湯を通して塩を

    塩蔵した鯨の赤身を薄く切り、ぬる湯をか 抜き、酢でメたものと、豆腐とあえたもの。 け、塩を抜き、葛粉をまぶして煮たもの。

    北海道ではアイヌ民族の保存食

    北海道では、縄文時代からアイヌ文化期にかけて、鯨類は食糧であり、また、骨は道具の材料として利用さ

    れてきました。鯨の名前の付いた地名が北海道には多く残っています。当時のオホーツク人やアイヌの人達は

    どのように鯨を調理していたのでしようか。文献が少ないためアイヌの人達の話をきいたところ、鮮度のよい

    ものは生で食べていましたが、海岸の砂浜に埋めたり(放射冷却を利用)、湧き水のような一定の温度下で保

    存して食べていたようです。狩猟民族の彼らにとって、鯨はめったに食べられない大切な動物タンパク源とな

    り、厳しい冬に備えての食糧としても利用されていたのです。

    鯨の旨み成分(アミノ酸)

  • ノ 江青高

    釧 ノへ~ぐミ

    ●朝陽小

    興津小 釧路コールマイン

    ノ ノ

    旭橋 .短大

    市役所 h専■辱 城UJ小仏舎利塔 湖陣高 “、 、、

    幣舞電,ー」“ー‘ '' .Lー’ .釧路工高 牲,&I、~

    ー 年涯生国七ソ々ー教育大 ’”り一” 湖畔小 ’

    釧路小 ; r 磐つと警L一 ・市立総合病院’アイスアリでーーーイ.静櫨館中4 WI田りー総合振興局 幣舞;論さ釧路市立博物館

    ロ、」、キどg;l~

    / . ・代の浦

    紫雲台

    、 、 、

    中美小 II愛, II愛・ 釧路水産試験場

    .

    ノ ノ

    川 JA

    愛乱、 ポスフール . 一

    商景高・4l 4I3 'y 塊ンター .ヤマダ電機 ・

    最小

    景‘中

    ノ ノ

    美,中

    公豊大

    太 平 洋

    】」笠李産研究所

    新.、

    篇V M篇験へ、、、 中

    青景小

    会場へのこ案内 , 」

    講演会

    釧路市立博物館 (講堂)

    パネル展

    イオン釧路昭和ショッピングセンター (東レストラン入口前)

    釧路市生涯学習センター「まなぼっと幣舞」 (市民自由広場)

    りぜD\I __Jif) くレラ2則 平成22年9月l0日発行

    「おさかなセミナーくしろ 2010」企画・実行委員会

    『事務局(独)水産総合研究センター. I 北海道区水産研究所 1 ‘ 〒085-0802 釧路市桂恋116番地 』 ‘ 電話0154-91-9136 .

    URL三 llh1 軌 71iig$.fra .affrc.go.jp/H-jouhou/ osakanaノ osakana.htm