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- , 天理大学学 魯迅と民間 集計的考察 二、民間文芸工作時代について(四) A B C b 系剛山寓言について 問諺語について 「「 _J 業績集計 A B C b 系附寓言について A 『百 一九一四・九 『百』 これは、永明十年( D 四九二)尊者僧伽斯那撰・鷲斉天笠三 A 蔵求那枇地訳にかかる全名『百句醤喰経』を、魯迅が編録校勘 巴= して金陵刻経処で刻刊したものである。 収載内容は、印度仏典から出た大乗仏法に関する、出嘗喰故事 一六 一書+- -;i::::; (結四) 士山 四則を一編校したものであり、いずれも M 寓言 w の性質を帯びた 作品ばかりである。 「『痴華髪』題記」一九二六・五・一二『集』 この題記は、一九二六年北新書局出版の王品青恭校訂 髪』のために書かれたものである。 ちなみに、これは、天笠僧伽斯那が修多羅蔵十二部経の中か ら写し出した H 百喰経 μ を対象として、王品青が「教戒を除き、 寓言だけを採録する」見地に基づく校合を施したものにほかな らず、なおまた、この書名は、『百喰経』経末に見えるか尊者僧 伽新那造作醍花髪寛 μ の語句から採った原名でもある。 *河南済源の人で北京大学出身。かつて、北京孔徳学校の教員を勤 めたことのある語紙社社員。 B 「読書雑談 l 七月十六日在広州知用中学講|」 一九二七・七・二ハ 『而』

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Page 1: A 天理大学学報 B 魯迅と民間交opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/774/GKH...法と全く同じであります。」との批評を下している。口に入れられないので、あれは酸っぱいブドウだ、とそしる方というのは、全く『伊索寓言』に出てくる、キツネがブドウをりわけおかしいものです。文壇が腐敗しているので、身を退く魯迅

-,

集計的考察

二、民間文芸工作時代について(四)

A-

B・C-

b系剛山寓言について

問諺語について

「「

一、_J

A-

B

・C-

b系附寓言について

A

『百

一九一四・九

『百』

これは、永明十年(D四九二)尊者僧伽斯那撰・鷲斉天笠三

A

蔵求那枇地訳にかかる全名『百句醤喰経』を、魯迅が編録校勘

経巴=

して金陵刻経処で刻刊したものである。

収載内容は、印度仏典から出た大乗仏法に関する、出嘗喰故事

一六

一書+-

-;i::::;

(結四)

士山

四則を一編校したものであり、いずれもM

寓言w

の性質を帯びた

作品ばかりである。

「『痴華髪』題記」一九二六・五・一二『集』

この題記は、一九二六年北新書局出版の王品青恭校訂『痴華

髪』のために書かれたものである。

ちなみに、これは、天笠僧伽斯那が修多羅蔵十二部経の中か

ら写し出したH

百喰経μ

を対象として、王品青が「教戒を除き、

寓言だけを採録する」見地に基づく校合を施したものにほかな

らず、なおまた、この書名は、『百喰経』経末に見えるか尊者僧

伽新那造作醍花髪寛μ

の語句から採った原名でもある。

*河南済源の人で北京大学出身。かつて、北京孔徳学校の教員を勤

めたことのある語紙社社員。

B

「読書雑談

l七月十六日在広州知用中学講|」

一九二七・七・二ハ

『而』

Page 2: A 天理大学学報 B 魯迅と民間交opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/774/GKH...法と全く同じであります。」との批評を下している。口に入れられないので、あれは酸っぱいブドウだ、とそしる方というのは、全く『伊索寓言』に出てくる、キツネがブドウをりわけおかしいものです。文壇が腐敗しているので、身を退く魯迅

魯迅は、この講演の一節で、批評という事柄に関して、「およ

そ中国の批評文は、わたしにとっては、読めば読むほど何とも

わからないものであり、もしも、それを真に受けていたら、ど

ちらの方向へも歩いてゆけなくなります。インド人は、普から

と述べたのち、よく用いられる寓話

それを知っていました。」

i一匹の瀦馬を連れた老人とその子供とが、道行く人の批評ど

C

おりに、騎馬に乗ったり降りたりする話ーを引いて、人の批評

はそれなりに聞くとしても、要は、自分で思索し観察する、い

わゆる主体性確保の肝要さを説いている。

「林克多『蘇聯聞見録』序」

一九三二・四・二

O

『南』

この序文中、魯迅は、この平凡な労働者作家によるソ連見聞

記が、平凡な文章である事由に基づき、かえって、ソ連の真相

を紹介するのに役立つ、と述べたのち、「だがしかし、この作家

がソ連へ行ったのは、十月革命後

ω年も経過してからのことゆ

ぇ、どのように苦闘して、こんにちの成果を収めるに至ったか、

という話はたいへん少ない。読者は、決して、この点をなおざ

りにしてはならない」と指摘して、『百喰経』中の「三重楼喰」

所載の寓言を引いている。

「王道詩話」

一九三三・三・五

『偽』

この一文は、胡適、羅隆基、梁実秋等著『人権論集』(一九三

か人権論ρ

はオウ

O年二月上海新月書店出版)を対象として、

ムから始まった、との寓話をめぐる胡適の手口|オウムが火を

消せるという点で、人権は、反動的統治を少し粉飾することが

できるが、その火を消すのには報酬を伴うーを問題視して、中

国文人の、王道とか仁政とかに名を借りた、人を欽き自己をも

欺く処世術を論難している。

「新

文中、党および国の元老である呉稚時の言動が、九-一八以

後は、民族主義文学者たちからも、冷やかな瑚笑を浴びせかけ

られるようになり、まるで薬のカス的存在になった、と論評し、

古い書物清代諸人獲作『堅弧コ一集』巻二

lに収載の寓話を引

いて、それの例証に当てている。

魯迅はこの文中で、中国人は、煽幅が「福」と同音なので好

『偽』

み、空を飛びたいとの空想を夢みる雅趣を備えているが、西洋

人には、そんな情味豊かな雅量がないゆえ、コウモリを好まな

いのだ、と述べ、その禍根を、イソップの寓話に求めて引証し

ている。

「梨烈文1書信」

『室田』

一九三三・七・一四

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」の書信の中で、曽大少がが近く上海を離れて旅行し、執筆

生活から離脱する、うんぬんρ

の声明を出したことについて、

魯迅は、「曲目大少は本当に弱腰の人で、かの声明のごときは、と

りわけおかしいものです。文壇が腐敗しているので、身を退く

というのは、全く『伊索寓言』に出てくる、キツネがブドウを

口に入れられないので、あれは酸っぱいブドウだ、とそしる方

法と全く同じであります。」との批評を下している。

文中魯迅は、室内で扇風機をかけ、ぜいたくな暮らしをして

いる上流階級の人たちと、屋外であぶら汗をかきながら、一日

中頑張って生活している人たちとの、二つの異なった世界の対

比に、「セミとアリ」|フランスの詩人ラ・フォンテlヌ作|の

寓言を引いている。

「十不必恐慌」

一九三四・八・二四

I九・一

O『且』

この「門外文談」所載の一文中、魯迅は、『目連救母』は真の

農民と職人の劇作品である、と述べたのち、その中の一段「武

松のトラ退治」を採り上げ、これは、外国の寓話|ギリシャの

イソップや、ロシアのソログ1プ作の寓言|と比べて少しも見

劣りがしないものだ、との評価を与えている。

〔一一〕

ィ、出現度数について

各時期における出現度数の小計、ならびに合計を掲げる

ならば、

C B A 時時時期期期|||

10

のごとくであり、合計叩を一

OOZとして比率を求めれ

ば、

cmwA・AmZ・Bm%の高位順となる。この出現高

位願を、それぞれの年限(C九年間、

A十四年間、

B一年

間)との対比において考察するに、双方聞に逆比例の事象

が認められる。さらに、内容面から見れば、

C時期にあり

では、寓言を本論の引証として活用しており、

A時期にあ.

りでは、仏教比轍集の編校・題記といった書誌面の作業、

B時期の1は、講演時の当を得た例証、のごとき各時期そ

れぞれの持味を、うかがい知ることができる。

「編」・『書』・所収書目別について

初めに、集計結果を「表」示してみよう。

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9

C B 右表によって、看取される諸点に触れてみたい。

その第一点は、合計山を所収する書目9種の分類面であ

る。ここに分類を施すならば、ィ、短評類(『而』1、『偽』

2、『准』

1、『花』

l)は5で印%、口、雑文類(『集』I、

『南』

1

4且』

1)は3で却%、ハ編校(『百』1)は1で

owm、ニ、書信(『書』

1〉は1で叩%となる。

けだし、

H

寓言H

の本義は、自分が正しいと認める道理

を、別な事物による比轍を通して、他人に説き悟らせるも

のであり、その様態としては、卑近な仮託を施した事物に

a、抽象的な観念や道徳的な教訓、

風刺や厳格な訓戒、

b、辛らつな

よって、

c、善意の勧告や公正な表彰、などを

魯迅と民間文芸(結四)

示すものと言える。

右のごとき様態に照らして、魯迅の用いた寓言の性格を

検討するに、むろん、少しは

a、C

の要素も含んではいる

が、bの風刺面や訓戒がめだって多い。そしてこの特性は、

イ短評類と、

ロ雑文

取りも直さず、所収書自の分類面で、

類の小計が、全体の剖%を占めている事象と表裏一体を成

すものである。その第二点は、合計山中、出現数の多い

『偽』

2と、『集』・『百』各ーについてである。

まず、一九三三年十月青光書局初版の『偽自白書』は、

一九三三年一月末から五月中旬までの問、魯迅が『申報』

の『自由談』で発表した短評判編を収めた一書である。そ

して、この一九三三年の時期は、いわゆる九一八(一九三

一年)・一二八(一九三二年)以降、日本帝国主義が中国

本土内に侵入し来たって、民族の危機が一段と深まり、国

民党反動派によるファシズム的な統治、人民革命の愛国運

日を追って激烈化の様相を呈していた。

魯迅は、この、民族が危急存亡を告げる時期、日刊『申

動に対する圧迫が、

報』の付録「自由談」を利用して、矢つぎばゃに鋭い時事

評論を発表し、当時の暗黒な時流と戦った所産がこの一書

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である。

一九三五年五月楊雰雲編・群衆図書公司初版の『集外集』

は、もともと『斯江湖』・『新青年』・『語総』・『京報副刊』

・『葬原』・『奔流』等に発表された、

三年作の諸種(雑文・新詩・通信・序肢・旧詩など)の文

章を収集したものであるが、この「題記」だけは、最初、

『痴華婁』書中にはいっていたものである。この「題記」

の中で、「天竺の寓言は、大林深泉のごとく豊富であり、他

国の文芸は、しばしばその影響を被っている。うんぬん」

との評語を下しているが、編校の上、彼自身の投資で『百

轍経』を刻印した意図は、察するに、これらの寓言を介し

て、当時の世態を風刺し、世人の精神的改変を願う、

に資せんがための営みにあったのではあるまいか0・

ハ、該当・引用・内容別について

一九

O三年

i一九三

考察の第一段として、

M

寓一=口H

所収の書目名と、それの

撰著時代別との関係を「表」示しよう。

下の「表」を対象として、感取される二三の点に言及し

てみたい。

山所収編・室回目名では、計ロ種中、『イソップ寓言』

4と 助

所収書目・関係時代表

「問\収\\編\・~書 時代別 ~・.c-南北朝宋 明目名\\~ノ、世紀

百 ロ喰 経 3

因樹屋書影 1

竪 害虫 一 集

イソップ寓言 4

ラ・フォンテーヌ寓言

目 連 救 母 1

ソログープ寓言

計 4 1--;-1 了 1

『百時経』

3がめだって多い。

周知のごとく、

ゐ凶問。同丸田

明釦

Egは、ロ・。・六世紀ギリシャの寓話作家イソップの名で

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伝えられた寓話集であり、動物を主人公とし、各動物の習

性を比鳴に託して、人生のモラルを説いたもので、寓話文

学のさきがけとされている。古代、最も動物故事を愛好し

た民族としては、

インドとギリシャをあげることができる。

たとえば、「読書雑談」中の寓言個所で、

H

インド人は、昔

からそれを知っていましたH

と、前置きして述べている該

寓話は、吋回開冨〉Zu回目∞OZ〉ZU吋出回凶ロ川口OZ剛山肘J

として、イソップにも収められており、また、』肘〉Z口出

戸〉司OZ叶〉HZ何(一六二一、t一六九五〉の寓言にしても、

ギリシャの〉-

83悶(∞・。・六世紀頃のギリシャの作家〉

の寓話その他を素材として、禽獣・魚介・草木などを扱っ

たものである。魯迅が、講演中の一コマとして、かつは評

論・雑文の一節に、ポピュラーなこのイソップ寓言を援引

した事柄は、平明にして親しみゃすい効果をねらったもの、

と察せられる。ちなみに、中国では十九世紀末、林琴南に

よる選訳『伊索寓言』や、

一八四

O年教会出版の英漢対照

『意拾蒙引』も見えているが、

一九五五年二月、周啓明訳

による『伊索寓言』(人民文学出版社)が刊行されている。

『百轍経』と魯迅との関係は、『魯迅日記』面では、甲寅日

魯迅と民間文芸(結四)

記(一九一四年〉所収「七月二十九日:・託許季上寄金陵刻

経処銀五十元、擬刻

A百職経

V。」に始まり、同「十月七

日。暗。風。午後寄南京刻経処印AA百喰経

V費十元。」

経て、

乙卯日記(一九一五年)収録「正月十一日曇。

A百喰経

V刻印成喰午後寄来品川冊。」で終っているが、魯

迅編校の『百轍経』末葉に付した題記では、「会稽周樹人施

銀洋六十円’敬刻此経。連圏計字二万一千零八十一個ノ印

送功徳書一百本。余資六円’按刻地蔵十輪経。民国三年秋

九月金陵刻経処識。」と記述されており、また甲寅書帳(『甲

寓日記』末尾所掲)をひもどけば、同年四月以降、魯迅は

各種の仏典書籍を購入し、意欲的な収集・通覧を試みてい

た跡がうかがえる。おそらく魯迅は、それら仏典類通覧の

過程で、『百轍経』の、素撲にして洗練された比轍故事のも

っ、新鮮な意義付けを見出したのではあるまいか0・筆者・

が案ずるに、むろんそこには、幾分かの、比轍故事を踏み

段とした説法臭をぬぐい去ることはできないとしても、そ

の簡明直裁な説諭性は、

まさしく、人口にカイシヤ(槍支〉

しているイソップ寓言とは別な次元

l東洋的思惟

lの所産

として、

いわゆる勧懲機能を果たすに足るものであった、

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とみなすことができる。

凶時代別では、西洋の古代1

ロ・。・六世紀!と中国の南

北朝1

〉-

U・四九二ーとが高位を占め、次いで、清代のも

のとなっている。ここに、「寓言」時代別を一覧して感得で

きる点として、魯迅の、東西両洋にわたる諸文献の渉猟をあ

「読書の方向は、生きた人間の形成と

いう、側から決めるべきであり、また、独善|国粋ーを改

め、異国の長所を学び取る仕事は、多くの外国書籍を読む

事、からスタートすべきである」(『華査築』所収「青年必

読書」や、『集外集拾遺』所収「柳答

Hi---H

」にくわしい。〉

と、中国の青年達に明示した魯迅と外国書籍との交渉は、

彼の翻訳業績面からでも容易に裏付けることができる。そ

して、このような不断の読書渉猟の姿勢が、魯迅の中・外

に及ぶ博識を生み、それが適時の「寓言」引証をもたらし

たものと考えられる。

げることができる。

考察の第二段として、

H

寓言H

の内容に、対象(寓言が

直接の対象を成して、論考されているもの)と引用(寓言

が間接の事例として、採録されているもの)の二種別を与

ぇ、あわせて、

H

寓言H

自体の区分検索をも加えてみたい。

表分別・区種右の「表」で明らかなごとく、種別では、「引用」が9で

日%、M

対象H

が3でお%を占めている。そして、「引用」の

中では仰と伺が多く、寓言を引いて、人聞の言動面におけ

る非自主性・非現実性・逃避性を戒しめたり州、民間色豊

かな劇作品を引例して、生き生きとした中国寓言の持ち味

は、ギリシャやロシアの寓言に比して見劣りがない刷、と

論じている。またH

対象N

3は、「百轍経』を扱った編校・

題記とか料、寓言への正しい解明を下して、人権のあるべ

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き正しい行為を指摘したもの付、とかである。

「区分」の詳細では、附言動に関するものとして、「引用」

||「他人の批評ばかりを気にしないで、自主的に行動す

べきである、との寓話」・「非段階的・非現実的な妄想を戒

めるたとえ」・「ひ弱い逃げ口上を戒める寓話」をあげるこ

とができる。

同対比に関するものとしては、立ち場いかんで行動が変

化する「武松のトラ退治」寓言を例に引き、ギリシャ・ロ

シアの寓言と対比させている。

付倫理道徳に関するものとしては、

M

対象H

||「世人

への勧懲」・「仏法寓言の採録」がある。

同行為に関するものとして、

H

対象H

ではH

人権に関す

る正しい認識を訴えたものH

、「引用」では「遊んで楽をし

ている者は、結果的には、骨身惜しまず働く者のおかげを

被っているのだ、との寓言」が見えている。

同風刺に関するものとしては、「その持てるエキスを吸い

取られて、

カスになってしまう寓話」の引用がある。

付習俗に関するものとしては、「コウモリを吉祥として好

む雅趣のある中国人と、

ひより見主義の象徴としてきらう

魯迅と民間文芸(結四〉

西洋人との異同」の引証をあげることができる。

r司、

一」」

A-

B・C

b系削諺語について

一九二四

A

二、形式之類の文中、横暴残忍な暴君であった呉王孫陪が、

一たび晋に降伏するや、全く卑劣無恥な奴隷となった事例に、

諺語〈臨下騎者事上心詔〉(下に臨んでおごる者は、上に仕え

ると必ずへつらう)を用いている。

「『何典』題記」一九二六・五・二五『集格』

これは、俗諺を用いて書かれた章団体の中一縮小説である『何

典』|編者は過路人、評者は纏爽二先生の一八七八年上海申報

館出版の一書|に、劉半農が校点を施して重印した『何典』の

ための題記である。魯迅はその文中で、「成語は、死んだ古書と

はまた異なり、多くは、現世相の真髄である。しかも、適宜に

摘出して、自然と、文字に格別の気力を与え、また、成語の中

から、別個の思慮がひき出される。うんぬん」と、諺語のもつ

特性1世相反映lに論及している。

B

「(『両地書』〉第二集日

一九二六・一

0・二ハ

『両』

」の許広平あての通信文の一節で、度門大学内の教員グル1

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プから出された、二つの要求|期限のない永久辞令を出せとい

う要求と、

ω年か初年後に学校から終身年金を給付せよという

要求ーについて、それは、ゴムでこしらえた、彼等の理想の天

国を打ち建てようとしたいらしい動きである、と述べ、度門大

学の立ち場を、〈諺云M

養児防老ρ

〉(子を養うは老いらくの

守り〉と風刺している。

ω」一

この書信の一節で、魯迅は、孫伏園との関係で、やむをえず

使うようになったボlイのために、かずかずの迷惑を被ってい

るありさまを述べ、八解鈴述伎繋鈴人〉(鈴を解くのも、つな

いだ人の役目〉とか、今度伏園が帰つできたら、この事態の後

始末をしてもらう要がある、と訴えている。

「阿Q正

文中魯迅は、孫伏園が毎週一回やってきて、彼から、週刊

『震報』の付録に一章ずつ連載する「阿Q正伝」の原稿の催促

ー「

『両』

を受ける苦境の表現に、八グ俗語説・・/討飯伯狗佼’秀才恰歳

考。/〉〔こじきはほえるイヌをこわがり、秀才は歳考(清代

の科挙制度で、学政使がコ一年ごとに秀才に課すテスト。)

わがる。〕を用いている。

をこ

「談H

激烈H

一九二七・九・一七

『而』

」の文中、こちら(広州)は普通であるのに比べて、あちら

(香港)は過激

l煮え油で指をいる

lなようだ、との比較表現

に、〈千里不同風’百里不同俗。〉(所変われば口問変わる)を

用いている。

また、適当な材料探しに苦心していたところ、果然〈M

天助

自助者U

〉(天は自ら助くる者を助く)、本日ついに、『循環日

報』紙上で、少しばかりの参考資料が見つかったうんぬん、と

の一節もある。

0・二二

文中魯迅は、自分の雑感が、掛かり合いのないぬれぎぬを着

せられたことに関して論難したのち、「わたしはなにも、イエス

キリストのまねをしてはいない、だから、何を苦しんで、他人

のために十字架を背負うことがあろうか?」と反論し、「だが

しかし、

H

江山好改’本性難移ρ

(持病は直しにくい)とか、

今後もまた、何か言うかもしれないよと記述している。

『而』

「再談香港」

一九二七・九・二九

『而』

これは、魯迅が香港へ赴いた際の、税関検査の模様を詳記し

た一文であるが、その一節で、携帯した

ω個のトランクの内、

魯迅の書物を入れた8個はあけられたが、孫伏園の書物を入れ

た2個は、全く手をつけられなかった、好運の叙述に、〈吉人

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自有天相〉(善人には、必ず天の助けあり。)

を用いている。

C

「関干翻訳的通信」

=司

巴=

一九三二・ゴ了二八

この一文中の八回信〉〔J-

K(恩秋白)からのロ月5日付

来信に対する返信〕で、急百迅は、「昨年の翻訳洪水のはんらん以

来、多くの人たちは眉をひそめ、ため息をつき、ひどいのにな

ると、皮肉を言う者さえありました。わたしも、たまたま訳書

を出した人間であるから、当然何とか言うべきではありますが、

・:」と述べたのち、八不可与言而与之言’失言。〉(一しょ

に話をすべきでないのに、これと話をするのは、言葉を失うこ

とだ〉の古諺を引いている。

「保

文中、八惟女子与小人為難養也。〉(ただ女子と小人は養い

がたし)の古諺を用いて、異常な時代相を風刺している。

この一文は、古人が伝授もしくは遺留してくれた、いくつか

の経験の功罪を論評したものであるが、まず、前者の功績例と

して『本草網目』をあげたのち、後者の罪悪例として、「多くの

人の経験を通していながら、逆に、後世の人に悪い影響を与え

ているものもある。

H

各人自掃門前雪’莫管他家瓦上霜ρ

・・他人の事にはかまわず、自分の事だけやれ。)

というコトワ

ザのごときは、すなわち、その一例である。:::もう一つ、悪

い経験の所産として、調子の良いコトワザH

街門八字開’有理

無銭莫進来μ

(注・・八字に開いた役所の門へは、自分に道理が

あるにしても、金が無ければはいっちゃいけない。)がある。」

ごとき二つの諺語を引き、人びとが社会生活を営んだ当初はそ

うではなかったけれども、実際上それがために、多くの犠牲を

払ったことによって、他人の事に手を出さなくなり、自分に無

関係な事柄には遠のくようになったのだ、と述べている。

「吐露

文中の前段で、おおざっぱに考えると、諺語は、もともと一

時代一国民の意志の結晶であるかのようではあるが、その実、

単に一部の人びとの意志にしかすぎず、しかも、被圧迫者たち

|圧迫者を除く|の格言である、と論破して〈各人自掃門前雪

,莫管他家瓦上霜〉を例示し、同時に、その圧迫を受けていた

人物が、一たび人をしのぐに足る権勢を得た時には、彼の行為

がまるきり変わって、〈各人不掃門前雪’却管他家瓦上霜〉と

なる変容|主人となっている時に、すべての他人を奴隷化する

ものは、主人ができると、きまって自らを奴隷化してしまう|

『南』

を説いている。

後段では、ある種の人聞は、たしかに、その種の人閣の思想

Page 11: A 天理大学学報 B 魯迅と民間交opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/774/GKH...法と全く同じであります。」との批評を下している。口に入れられないので、あれは酸っぱいブドウだ、とそしる方というのは、全く『伊索寓言』に出てくる、キツネがブドウをりわけおかしいものです。文壇が腐敗しているので、身を退く魯迅

と眼識しか持ちあわさず、彼固有の階級の外にとび出ることは

できない」事実に立脚して、諺語は、決して全国民の意志であ

り得ない、と述べて八秀才不出門’而知天下事〉〔秀才(科挙

の有資格者)は外出しないで、天下の事柄を知る〕は大ウソで

あり、実際は〈秀才錐出門’不知天王事〉である、との論評を

下している。

「重三感旧

l一九三三年憶光緒朝末1」

一九三三・一

0・

文中魯迅は、八旧瓶不能装新酒〉(古いカメに新しい酒を盛

ることはできない〉の常諺を引いて、だがこれは、実際には不

確かなものである。古いカメに新しい酒を入れることができる

し、新しいカメに古い酒を入れることもできる、と述べ、過去

の人|光緒末年の「新党」をさす|の、「維新」を志していた当

時|進攻の風潮にみちみちていた|に比べて内容的に退歩して

いる時弊を風刺している。

「『草脚鮭』(英訳中国短篇小説集)小引」

一九三四・三・二三

『且』

これは、「文学革命」以降日年来の短編小説を選んで英訳した

『一早経脚』長の小序であるが、文中魯迅は、この営みは新しい

試みに属し、こんにちまでの所、西洋人で中国を講究した著作

一一六

は、多分、中国人で自国を講究したものよりも、さらに多いこ

とであろう。だがそれらは、総じて、単なる西洋人の見かたに

すぎぬきらいがある、と述べて中国の古諺八肺蹄而能語’医師

面知上。〉(肺蹄が語ることができたら、医師の顔色は土色の

ようになる。)

を引いている。

*一九三四年九月二十一日、魯迅が楼健春あてに出した書信の中

で、「ク草詮脚ムv

・i・-これは現代の作ロ聞を選び、わたしのものから新作

家のものまでを、集めて一書と成したもので、原稿は、すでにアメリ

カへ送りずみだが、まだ刊行されていません。」との記述が見えてい

る。「

文中魯迅は、死去した劉半農は、〈趨時〉(時好に投ずる)

の良い部面|「先駆」者的戦闘性ーを備えていたと論じ、かつ

は、他の、単なる便乗者の〈趨時〉病を直す薬剤になろうとし

ている、との評語「(文学革命)当時、一部の人びとは、かえっ

て、これを「時好に投ずる」ものとしてけなした。時代は、さ

『花』

すがに少しばかり前進しているようで、:::もはやそれらと調

子を合わせ、かくてついに、清廉潔白な有名人たり得たのだ。

ところが、八人伯出名猪伯壮〉(人は名が山山るのを恐れ、豚は

とか、彼も今では、それを包んで新しい

太るのを恐れる。)

「時好に投ずるL

病気を直す薬の材料になろうとしている。」

Page 12: A 天理大学学報 B 魯迅と民間交opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/774/GKH...法と全く同じであります。」との批評を下している。口に入れられないので、あれは酸っぱいブドウだ、とそしる方というのは、全く『伊索寓言』に出てくる、キツネがブドウをりわけおかしいものです。文壇が腐敗しているので、身を退く魯迅

を与えている。

「『集外集』序言」

一九三四・=了二O

『集』

この序言の末尾で、「わたしは、自分の若年期にものした著作

を恥ずかしくは思うが、決して後悔はしていず、はては、なお

も愛情を抱いている次第で」と述べ、そのありていを諺語

l〈

乳積不愉虎〉器(盲へピにおじず〉|で表現している。

*これの出典は、八乳食触虎〉(『萄子』の「栄辱篇」所収)である。

「国軍作

A八月的郷村

V序」

一九三五・三・二八

これは、田軍(またの名は粛軍)作の『八月的郷村』(一九

三五年三月容光書店出版の長編小説)のための序文であるが、

文中魯迅は、すでに漢訳されている箭内亘(一八七五

t一九二

六、日本の史学家〉氏の著作中の記述|宋代の人民が蒙古人に

よって、どのように惨殺され奴隷化されたかの経緯ーを採り上

げ、「しかるに、南宋の小朝廷は、相も変わらず、残余の山地や

水域に往む庶民に向かって、威勢を振って享楽した。そして、

「且二」

逃げのびるあちこちで、気炎をあげてぜいたくをし、堕落と食

と述べ、そのさまを憎悪してやまない

欲とがつきまとった。」

庶民の俗諺八若要宮’殺人放火受招安;若要富’銀着行在売

酒酷。〉(官臓がほしけりゃ、人を殺し火を放って大赦を受け

ょ、富がほしけりゃ、あとについて酒や酢を売りやよいJ

引いている。

〔一一〕

考察の対象・範囲を、

イ出現度数について、

ロ「編」

『主百』

-所収書目別について、

ハ該当・引用・内容別につ

いて、に置き、それぞれ、必要な論考を加えてみたい。

ィ、出現度数について

三時期における出現度数の小計、ならびに合計をな示す

らば、A

、時期

liz

B、時期||67口

c、時期ーーー

となり、さらに、合計げを一OO%として比率を求め

c日%、

Bお%、

AUZのごとき高位順となる。こ

れば、

の出現高位順を、年限面(C九年間、

B一年間、

A十四年

間〉との対比において考察するに、出現率が年限数と逆比

例する様相を呈している。

ここで、その様相を内容的に検討するならば、

Aの北京

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工作時期にありでは、古代の歴史・小説や、民俗・翻訳等

の営みが主を成している関係上、少数の諺語面にも、勢い、

歴史的事象に根ざした性格が認められる。それが、

B時期

にはいるや一変して、現代の時潮や身辺の異変の表現に諺

語を充当させている。しかも、時期年数の小に比して出現

度数の高いゆえんは、慶門・広州における時流の変転や、

世相の流動的反映が生んだもの、と言えよう。

c時期の諺

語には、古今両面にわたる引用や対象が見られ、さまざま

な論評文中、いわゆるH

頂門の一針H

的機能を果たしてい

るものが多い。

口、「編」

『室田』

-所収書目別について

まず、集計結果を左に「表」示しよう。

3塑五1t 墳 1

集拾 1

所 両 2 い一一ー一一一

華続 1

収 而 4

f 「 1 略

偽 1 称、、、J 南 4

書 准 1

一且

目花

集 1

且二 1

一計 2 7 11 20

A

つぎに、この集計表に基づき、若干の論察を施すことに

する。そ

の第一点は、集計却を所収する書回目種の分類に関し

てである。まず、類別としては、イ雑文類(『集拾』1、『二』

1、『南』

4、『且』

1、『集』

I、『且二』

1)は9で拓%、ロ

短評類(『華続』

1、『而』

4、『偽』

l、『准』

l、『花』

1〉は

8で刊%、ハ書信『両』は2で叩%、ニ論文及び随筆『墳』

は1で5

Zを占め、さらに、イとロを合算すれば4一5強と

なり、集計の大部分に相当する。星秋白が、「魯迅は最近十

五年来、断続的に多くの論文と雑感を書いてきたが、こと

に雑感が多かった。そこで彼に、八雑感専家

V(雑感専門

家)というあだ名を付けた人がいた。

H

専H

がM

雑H

の中

にはいっている点から、明らかに、軽侮の気持が含まれて

いた、うんぬん」(『魯迅雑感選集』序一プ一口)と述べている魯

迅雑文の特性として、その現実性・戦闘性とか、

一撃必中

の短万型・投げヤリ型の鋭利牲とか、類型表現による宿弊

打破・旧態糾明などをあげることができるが、いま一面の

特色として、多様性・活発性を取り上げる要がある。

この点に関して、徐中玉著『関子魯迅的小説、雑文及其

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他』(“ぺ〉は、

魯迅の創作雑文に対して述べるならば、本当に、使用できな

い題材はなく、運用できない形式もない。題材について言えば、

国家の大事件でもよく、人生の要綱でもよく、数本の小さな釘

・数枚の瓦や小皿でもかまわない。形式について言えば、叙情

・記事・議論・随感、どのようなものもあり、また、どのよう

なものでも巧みに書きこなせる。彼が雑文を作る動機には、個

人の感触によるものや、あるいは、時事の刺激に基づくものが

あり、「短い批評で、窓のままに語っている」(『三閑集』序言〉。

との評言を下しているが、魯迅諺語のもつ妙味にありて

も、如上の多様性・活発性と一脈相通ずるもの無しとしな

い。その第二点は、「編」泊中、出現数の多い『南』4、『而』

4両2に関してである。

『南睦北調集』は、一九三二年

I三三年の作日編を収めた

雑文集であり、最初の発表は、主として『文学月報』『北

斗』『申報月刊』『議声』『論語』『現代』『文学』『文学雑誌

〈北京)』『十字街頭』などのものである。そして、諺語所収

の「経験」

2は、『申報月刊』第二巻第七号に登載されたも

のであり、「諺語」

2は、ハ一九三三年)六月十三日ものした

雑感文である。

魯迅と民間文芸(結四)

『而己集』は、魯迅が、

一九二七年の在広州在上海時期の

諸作品計却編と付録1編とを収めた短評集であり、主とし

て、最初『葬原半月刊』『文学周報』『京報副刊』『語紙周刊』

『北新周刊、半月刊』等に発表したものである。そして、

諺語所収の『而』

4は、いずれも、『語総周刊』一五二・一

五四・一五五期であった。ちなみに、この『語紙周刊』(の

ちに半月刊となる)は、一九二四年十一月十七日北京で創

刊された、当時の、進歩的傾向を備えた一種の週刊誌であ

り、内容面では、社会批判と思想批評とに重点が置かれて

いた。一九二七年十一月張作震によって差し押さえられた

が、一九二八年の初め、上海で復刊し、主編を魯迅が担当

したが、半年後柔石に代わり、一九三

O年二月二十四日第

五巻第叩期で停刊となった。

『両地書』は、三部(北京:慶門|広州;北京1

上海)か

ら成り、

一九二五年三月から二九年六月までの約四年間に

わたる、魯迅と許景宋との通信集である。しかもこれは、

個人的な通信とは言い条、文面の各所に、反動勢力の迫害

下における、魯迅の堅固不抜の戦闘精神が反映されている。

ハ、該当・引用・内容別について

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考察の第一段として、

M

諺語H

所収の区分名と、それの撰篇』(明代の張鼎思編で四十巻、内容は、経史の考証を随録

著時代別との関係「表」を次掲しよう。

所収区分・関係時代表

い円ト|一一|トL

一一l

一1

右の「表」によって、「所収区分」では、八区分・二種類

となり、二種類は、書目類四

15・諺語類四日ーから成つ

ていることが判明した。

日が日%、周と清の各3が各日%を占めている。

「時代別」では、計初中、民国の

けだし、諺語(ことわざ)という複合語は、『浪邪代酔

したもの。)

中の巻三十四に見えてはいるが、原義である

「ったえごと・ふるごと」の意としての用法八語云:・、語

日:・

Vは、すでに先秦の書に見えている。

さて、既掲〔業績集計C「諺語」(『南』)〕のごとく、魯

迅は、一時代一国民の思慮の結晶ともみなすべき、諺語の

運用解釈のしかたを問題視しているが、ここにも、彼特有

の正邪峻別・扶弱抗強の姿勢をうかがい知ることができる。

しかも、民国換言すれば、現代にスポットを当てた諺語多

出の意義付けは、まさしく、継承され遺産化された庶民の

英知・感情・思慮の端的な表現、すなわち諺語のもつ普遍

性・平易性・親近性の魯迅的|風刺・矯正・抵抗|活用に

ほかならない、と思考される。

考察の第二段として、

H

諺語H

の内容に、対象(諺語

が直接の対象となって、論述されているものJ

と引用

(諺語が間接の事例となって、引用されているものJ

の二種を設け、あわせて、

M

諺語H

自体の区分検討をも加

えてみよう。

次の「表」が示すごとく、種別では、引用げがお%、対

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\三 種別 対象…1 引周11

区分 一一一~1

(イ)人間に関するもの 2

合関 (ロ} 行為 " 12

係付 言 動 " 3 3

(斗考証に関するもの 1 1 、

各般関 体)場所 II 1

係(ぺ比較 ,, 1 1

計 3 17 20

分別・区種象3が日%に相当し、本題の援引としての引用がめだって

多い。この事象は、諺語固有の隠轍性・焼曲性もさること

ながら、むしろ、人をして魯迅雑文・短評の主成分|簡潔

性・洗練性1に、より一層の深みや厚みを感じさせる現わ

れではあるまいか0・と同時に、他方、諺語の引用を借り

て、巧みに、現代世相や時事のヒズミやユガミを例証して

いる面も認められる。

魯迅と民間文芸(結四)

区分では、

一人間関係の小計が口、

一各般関係の小計が

3となっており、特に、

一のロ行為に関するものが、

の大を占めている。この現象はとりもなおさず、魯迅が、

諺語を利して、人間の行為に関する是非善悪・警告訓戒を

示そうとした証左にほかならない、と言えよう。また、言

動にしても然りであって、そこから、風刺や動作の規範性

を示そうとした意図を察知することができる。

区分の内容では、制人聞に関するものとして、庁対象H

にH

秀才をめぐる諺語の誤った認識H

、「引用」に、「女子と

小人はやっかいな存在である、との指摘」が見えている。

同行為に関するものには、

H

対象H

としてH

利己的な御都

合主義の問題視H

、「引用」として、「慶門大学教員の要求|

老後の備えに対する風刺」、「ボlイの解雇に伴う、後始末

の責任の所在。」「秀才になぞらえた、苦境|原稿の催促ー

の表現。」、「題材探しに天与の救い」「持って生まれた癖|雑

感を書くーは直らない。」「善人

l孫伏園ーには、果報|税

関の検査を免れる好運ーがある。」」悪い経験に由来する行

為!利己的で、無関係な他人の事にはかまわない|の引例。」

2、「器と中身、名と実の一致を訴えたもの。」「出るクイは

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打たれる、

がある。

との戒めよ、

「非道な朝政行為に対する憎悪」

付言動に関する「引用」としては、「君子豹変への風刺」

「話のわからない相手に、話をしても徒労であるいい。」

「純粋で、こわいものなしの表現」をあげることができる。

同考証に関するものとして、

H

対象H

に、

H

『何血(』の

解題を通して、諺語は、現世相の真随である、との論述H

がある。

附場所に関する「引用」として、「土地柄によって、風潮

が異なる、との表現」が見えている。

付比較に関するものとしては、「引用」で、「中国人には、

西洋人とは違った見方1

真実性ーがある、との引諺」をあ

げることができる。