道徳教育アーカイブ~「道徳科」の全面実施に向けて~勝利とフェアプレイ...

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たとえば、

『クラスのみんなが仲よく、楽しく過ごせるクラスにしよう!j]

本当にみんなが仲ょくできるのでしょうか?

みんなが公平に仲よく楽しく・..

それは、とても難しいこと。

でも、みんなで

みんなが仲よく楽しくできる手だてを考えられれば

もしかしたらそんなクラスもできるのではないでしょうか?

fみんなが仲よく楽しく過ごせるクラス」を作るため

手だてを考えてみませんか?

一つよし

書の

あクラスの仲間たちの考えも

聞いてみましょう。

みんなが・・・ということを

クラメの仲間たちとともに

どんな努力をするべきなのか真剣に考えていくことができれば

このクラスの仲間たちと別れる日

このクラスの仲間たちが最高だったって

そんなふうに感じられたら・・・

3月の、成長したあなたに

このクラスへの願いを考えながら、

自分自身にあてた、手紙を書いてみませんか?

新記~Ji年を迎え手し定。今のあなたの気持ちはどうでしよう。

今年1年

仲間たちとともに、

どんなことを学びP

;.

どんな成長をしていくのでしょうか?

今のあなたはどんな未来を考えていますか?

新しい仲間たちとともに

どんなクラスをつくっていきたいと願っていますか?

今のあなたの願いを

ここに書きましょう。

!クラスへの願いの中に

みんなと仲よく・・・ 楽しく・・・

みんなと協力して・..

クラスの仲間たちの願いち

聞いてみましょう。

みんなというキーワードが出てきませんか?

「みんな」ということを

少し突き詰めて考えでみませんか?

勝利とフェアプレイ

その出来事は香港で行われたサッカー国際親善試合「デンマーク対イラン」の一戦で起こった。

試合の前半終了間際のロスタイムのときであった。観客席の心ないファンが、ハーフタイムをつげるよう

な長いホイッスルを鳴らしてしまったのだ。そして、観客が鳴らした笛を、主審の前半終了の笛と勘違

いしたイランの選手が、ボールを手で拾い上げた。これはハンドの反則であり、しかもボ!ルを触ったの

はペナルティlエリアの中であったため、審判はデンマークにペナルティlキックを与えた。イラン側は抗

議し、ファンは騒ぎ、スタジアムは険悪な空気に包まれた。しかし、判定はかわらず、審判はデンマーク

のペナルティlキックを再度宣告した。

ペナルティ!キックを蹴るデンマークの主将は、ボールを持ちあげ、ゆっくりとプレlスした。騒然と

したスタジアムの中で、彼は短い助走から思い切りよくボlルを蹴った。次の瞬間、スタジアムは一瞬水

を打ったように静まり返った。デンマークの主将は、わざとボlルを大きくはずして蹴ったのであった。

最初はバラバラと起こった拍手が、たちまちスタジアムの中に波のように広がっていき、拍手はいつまでも

やむことがなかった。

試合後、デンマークの主将は、

「ボlルを手に取ったイランの選手は不運だった。それに乗じるのはフェアではない。」

と話した。結局デンマークはO対1で敗退するが、さわやかな印象を残した。

これがワールドカップの出場権をかけたような大事な、試合だったらどうだつたであろうか。ルールは

ルlルだと迷わずゴlルを目指すのか、やはりわざとゴlルをはずすのか。葛藤は一段と厳しかったで

あろ、7。

これと似たような場面が、八王国高校サッカーへの出場を決める県大会決勝戦で起こった。前年度、八王

国ベストエイトの名門である城東高校と、県内では実力校の北洋工業との決勝戦である。この試合は接

戦の末、

1対1で延長戦にもつれこんだ。当時、この県ではVゴlル方式を採用しており、延長戦でど

ちらかが1点を先に決めた時点で試合終了となる。決勝戦の延長戦の最中、城東高校の選手が強烈な

ミドルシュ

lトを放った。そのボlルは、ゴ

lルの中の支柱に当たり、跳ね返ってくるほどの素晴らしいシ

ュlトであった。

ゴlルが決まった瞬間、八王国大会の出場が決まったと喜ぶ城東高校のイレブンや監督、そして観客席の

城東高校の応援団は歓喜につつまれていた。逆に見事なVゴlルを決められて、がっくりと肩を落とす

北洋工業の選手の姿がみられた。

その場にいた誰もが試合終了と思ったそのとき、審判が試合を続行させた。城東高校の選手のシュ

l

北洋工業の選手や先生は悩んだ。明らかにVゴlルを決められて

いて、審判のあの判定がなければ、負けていた試合である。八王国大会

Jjj/出場を辞退すべきかどうかo

八王国のサッカー愛好者の中でも意見が

ー分かれた。

北洋工業の選手や先生は悩んだ結果、八王国大会に出場することに

した。しかし、主力の二人の選手は、「試合は負けでした。」と言って

八王国大会に出場しなかった。

====ーよ〉¥

トは、ゴ

lル前面のゴ

lルポストに当たって跳ね返ったと審判が判定し、

プレイを再開したのだ。

結局、その後の延長戦でも決着がつかず、

pk戦で北洋工業が勝利

した。

決勝戦から十年たった今、当時の城東高校と北洋工業のメンバーが集まって、再試合を行ったという

話を耳にした。十年後の再試合の結果も、あの時と同じ1対1の同点であった。

いろいろな心のわだかまりを越えて行った十年ぶりの試合終了後、両チ

lムの選手は笑顔で握手を

審判の判定で全国大会に出場が決まったとき、北洋工業

の選手はどのようなことを考えたでしょう。

全国大会に出場した選手たちが、大切にしていたことは何で

しょう。

全国大会に出場しなかった選手たちが、大切にしていたこと

は何て、しょう。

あなたはどう考えますか。

2

大きく輝く

「大輝(だいき)、部活どこにするか決めた?一緒のところにしようよ。」

下校中、小学校のときから仲のよい健太が声をかけてきた。

「まだ決めていない。運動部にしたいとは思っているけど・・・。健太は?」

健太と一緒なら心強いなと、思いながら聞き返した。

「バレ

l部はどう?バレーボールを小学校のときからやっている人ってほとんどいないだろ。

みんな同じスタートってことさ。頑張れば俺たちレギュラーだって夢じゃないと思うんだ。」

健太はもう自分がレギュラーになったような顔をして、言った。

そんなのはごめんだ!のどまで出かかったが、グッとこらえた。バレーボールは身長が高い

ほうが有利だ。ルールがよくわからないぼくだって、そのくらいは知っている。健太は背が高

い。小学校のバスケット大会では、たくさんシュ

lトを決めてヒーローだった。中学に入って

また背が伸びたようだ。ぼくは、ずっとクラスで一番前。おまけに靴のサイズまで小さいとき

ている。大輝なんて完全に名前負け。親を恨んだ。

いいだろう。大輝のすばしつこさにかなうのは、そうはいないよ。

い練習にも耐えられると思うんだ。二人でレギュラー目指そうぜ。」

健太の、言葉に心が動いた。自分がスパイクを決める姿を想像すると、わくわくしてきた。

「そうだな、きっと大丈夫。すぐに上手くなってみせる。体だってそのうち大きくなるさ。」

「なあ、

一緒だったら厳し

入部してすぐは、みんな球拾い。先輩から注意を受けたときも、なぐさめ合って乗り越えた。

夏が過ぎ、一年生も実践練習に参加できるようになった。健太は、予想通りに頭角をあらわ

し、スパイクやブロックを豪快に決めるようになっていった。一方小柄なぼくは、スパイクす

るとネットにひっかかり、レシーブするとボ

lルの勢いに体が吹っ飛ばされ

h-o

手μ'ハ

やっとまともにレシーブができるようになったころ、健太は新人戦で一年

生にしてただ一人レギュラーになり、試合で次々にスパイクを決めていた。

「大輝、うまくなったな。レシーブが正確だとスパイクが打ちやすいよ。」

健太に言われたが、ちっともうれしくない。、ぼくだってスパイクを決めてみ

たい。体の成長も、技術の向上も人より遅いんだと思うと悔し涙で夕日がか

すんで見えた。

「アタッカーがよくても、試合には勝てない。」

練習後のミーティングでの先輩の言葉。アタッカーがスパイクを決めてこそ

チlムが勝つんじゃないのか・・・。もやもやしながら練習していてけがをした。

一か月の安静。「やっぱり背が低い自分に、バレーボールは無理なのかな。」

ねんざをした足も痛かったが、心の痛みも大きかった。「ゃめちゃおうか

。な・・・。」

けがをしてからのぼくは、

コートの隅でずっと背中を丸めて見学していた。

「みんなのプレーをよくみてごらん。それぞれ個性的だろう。人と比べず、大輝は大輝らしい

プレーをすればいいんだよ。」

顧問の先生が見かねて声をかけてきた。

「ぼくらしいプレ!って?」

不思議そうな顔を向けると、先生は笑顔で答えてくれた。

「チ

lムには攻撃カも守備カも必要だってこと。両方そろって、初めて強いチlムになるんだ。

nu

相手に得点は許

人と比べないで、自分のよさにもっと目を向けてみなよ。いいものもっているじゃないか。」

ぼくらしいプレーって?来る日も来る日も考えた。みんなの動きを目に焼き付けた。

「大輝のすばしつこさにかなう人は、いないよ。レシーブが正確だとスパイクが打ちやすいよ。」

健太の声が聞こえた気がした。そして・・・、どんな球が来てもレシーブしよう、

さない。ぼくは守備の要になってみせると、心に固く誓った。

けがが治ってからの大輝は今まで以上に練習に励んだ。変化球サ

lブの受け方、

つながる正確なレシーブやトスの上げ方。持ち前のすばしつこさでボ

lル

の落下点に入り込み、一つひとつのプレーを自分のものにしていった。

自分らしいプレーは、いつしか自分にしかできないプレ

lへと変わって

いった。

¥

¥

スパイクに

二年生の新人戦。健太と大輝はそろってコ

lトの中で笑っていた。

「今日も頼むよ。チームの守護神、大輝さま。」

「まかせとけ。健太こそ、たくさんスパイク決めてくれよ。」

レギュラーをつかんだ大輝はのびのびと自信にあふれ、大きく輝いていた。

3

待ってて、オスカl!

十月だというのに、潮風は私のほほをなでるというより、刺すといった方が近いと思う。朝

からずっと水を触っているからかもしれないが、体中がしんしんと冷えている。

私は水族館でシャチのトレーナーをしている。子供の頃からの夢であったシャチのトレーナ

ーは競争率五十倍の難関を突破して掴んだ仕事だ。思い描いた通りとはいかないけれど、大好

きなシャチと毎日過ごす時間は、私のかけがえのない時間である。

初めてシャチの背中に乗った時の感動は、数か月経った今でも昨日のことのように思い出せ

る。力強くぐいっと引っ張られながらも背びれを掴んで波をかきわけぐんぐん進む迫力はトレ

ーナーの醍醐味だ。ひとつ、またひとつと技ができるようになり、自分とシャチの気持ちが一

体となってきていることが嬉しかった。

私はオスカ!というまだ若いシャチと一緒に練習することが多い。動きが素早く、賢いとい

われるシャチの中でも特に賢いシャチだ。二週間前から私は一見地味であるが難易度の高い「ロ

という技に取り組んでいる。でも、今までのようにうまくいかない。その

技は、シャチの鼻先で水上に垂直に押し上げてもらって飛び、シャチの前側に着水した後、水

面をたたいてシャチを呼び、胸びれに乗り、右左と交互に足踏みをすることで、シャチとダン

スをしているように見せるものだ。今日も何回も繰り返すものの、息が合うどころかどんどん

ーディングライド」

患い状況になっていった。

「何やってんの!オスカーが来ないんだったらみさきがオスカ

l探して!」

先輩トレーナーの声が一段と大きく、きつくなってくる。分かっている。私だって上手にダン

スしたい。そういう代わりに、私は返事もせずオスカ

lに再び合図を出した。

いったい何が悪いのだろう

-、どうしてオスカ

l

もう二週間もこんな状況が続いている。

はちゃんと私のところに来てくれないのだろう。えさの用意をしながら、そのことばかり考え

ていた。そのときだった。

「みさんさ。今いいかな。」

同期の由佳が声をかけてきた。

「・・・実は私、今週末デビューすることが決まったんだ。さっきマネージャーに呼ばれて・・。」

「、ぇ

。そうなんだ!おめでとう!」

驚きがばれまいと必死につくった笑顔でそう答えたが、その後に続く言葉が見当たらず、えさ

作りを続けた。由佳も気まずさからか、すぐに立ち去った。由佳がデビューするなんて・・・。

私はまだ何も言われていないのに・・・。ぐるぐると頭の中でその言葉がうず巻いていた。

その日の練習は最悪だった。ローディングライドの練習に入ったとたん、オスカーがまた八三

然言うことをきかなくなったのだ。

「もういい。水から上がって!」

先輩はそれだけ、一呂うと自分の練習場所に行ってしまった。

私だって頑張っている。シャチの世話もしているし、練習だって欠かしたことがない。次々

に大技をやってのける先輩に私の気持ちが分かるものか!ぶつけようのない怒りがふつふつと

湧き出して、とっさに水族館から走り出していた。どれくらい歩いたのだろう。気がつくとあ

たりはすっかり日が暮れ、家々から温かい明かりがこぼれている。

「みんな、何しているのかな・・・。」

遠く離れて暮らしている家族の顔が浮かんできた。

歩き疲れ、緑がきれいな建物が目に入り足を止めた。

スポーツジムだった。

一階のジムル

l

ムに見慣れた人がいた。

「あれ?先輩?」

ジムのスタッフにアドバイスを受けているのだろうか。腰のストレッチをしているようだつた。

先輩の顔はとても菩しそうだった。痛みのあまり顔が紅潮し、途切れ途切れの息づかいが聞こ

えるようだつた。

「そういえば、長年の水中トレーニングでの水圧と冷えで、相当つらいって、一言っていたな・・・。」

泣きそうになりながら何度も膝を曲げ伸ばしする姿をしばらく見ていた。

その日の夜は、とても疲れていたはずなのに眠れなかった。由佳の言葉、練習での失敗、先

輩の言葉、先輩のトレーニング・・・。いろんなことがぐるぐると頭の中を巡っていた。

いつの間にか眠っていたが、目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。寒くて最近サボっていた

ウォ

lキングに出た。海岸沿いの道はまだ人通りもなく、まるで自分だけの道のようだつた。

水面が朝日をたたえ、ゆらゆらと光っていた。

私は私しか見ていなかった。いや、私すら見ていなかったのかもしれない。由佳の練習での

がん張りや、先輩の痛みをこらえて取り組む姿・・・。何より、ずっと一緒に練習してくれた

オスカ

lの気持ちを私はちっとも考えていなかった。

「よし!」

大きな声でそう叫ぶと、水族館への道を走っていた。

オスカ

lに声をかけて頭をなでた。オスカ

lは一回キューっと鳴くと、体を水面からのりだ

した。私は水に潜り、オスカ!とただ泳いだ。一周、ニ周、三周とただ泳いだ。五周目を終え、

水から上がった。オスカ

lはじっと私を見つめた。

「今日もよろしくね。」

そう言って、えさの準備へと向かった。

先輩に見てもらう時聞が来た。私にはもう迷いはなかった。私もオスカ

lも、きっとやれる!

そう思いながら水に飛び込んだ。今までが嘘のようにオスカーが私のかたわらにさつと寄って

きた。ぐいっと、胸びれで押し上げられる。そのまま一歩ずつダンス。少しもリズムが乱れな

¥¥ 0 「

・・ゃった!」

一通りの技を終え、

ステージに戻った。先輩が、

「ゃったね!できたじゃない。今までで一番良かったよ。オスカーが鳴いてなかったでしょ。

いっぱいほめてあげなよ。」

言われて、初めて気づいた。昨日まで練習中にすねて鳴いていたオスカlの声が今はひとつもし

ていなかった。一決があふれてくる。今までどんなに苦しい練習でも泣かなかったのに。

「うれしいの?」

先輩は笑顔で聞いてきた。

「いえ、くやしいんです。」

「そうか、よかった。くやし涙で。これで満足ですって涙だったら叱ろうかと思っていたけど。

笑ってよ!これからショーをしながら泣けないでしょ。」

そう言いながら先輩は目をこすった。

その日を境にそれまでできなかった大技も徐々に成功する割合が増えてきた。

そして十一月の中旬、私のショlデビューが決まった。朝一番にマネージャーにそのことを

きくと、水槽に走った。

待ってて、オスカl!

部活動や勉強をしていて「つらい。j と思ったことはありますか。

また、それはどんなときですか?

目標に向けて頑張ろうとしたがうまくいかず、くじけそうになったとき、ど

のような考え方が必要なのでしよう。

4

青空の下

「来週の文化祭に吉田宏太くんが来ます。」

帰りの会で担任の先生から連絡があった。優子はそれを聞きながら、ぼんやりと宏

太のことを思い出した。

宏太とは幼なじみだが、しばらく会っていない。体に障害のある宏太は、小学校の頃

から、遠く離れた特別支援学校に通っている。家が近いこともあって、小さい頃はお互

いの家で遊んだり、車椅子を押して公園に散歩に出かけたりした。

小学校の時も交流学習で、年に三回ほど、授業に参加したり、学校行事を見学し

たりということがあった。その時は入ったクラスが違ったこともあって、速くから宏太の姿

を見かけただけだった。母の送り迎えで、車で通学している宏太とは、ほとんど会うこ

ともなかった。

今年、優子は中学二年生になり、勉強に、部活動に、何かと忙しい毎日を送ってい

た。すべて順、調というわけにはいかず、友達との関係や、成績のことなど、いろいろな悩

みがあった。そんな時、今年は優子のいるこ組に、宏太が来ることになったのである。

文化祭当日。四時間目は他のクラスの授業に参加したあと、給食の時聞から宏太

はニ組の教室にやって来た。配ぜんの順番を並んで待っているところに、宏太が姿を見

せた。宏太の母もいっしょだ。車椅子を押してもらい、

「こんにちは。」

と言いながら、教室の中をぐるりと一周してきた。数人の男子が

「ゃあ、宏太。元気か。」

と声をかけた。宏太はうれしそうに、

「、7ん。」

と答えた。上を向いて、頭を振りながら返事をするその笑顔は、小学校の頃と変わら

なかった。自由のきかない手足は、同級生の男子とは違って、ずいぶん細く見えた。

「あら、優子ちゃん。久しぶりね。」

宏太の母が声をかけてきた。優子は周囲の視線が気になり、うつむいて、

「こんにちは。」

と言うのが精一杯だった。教室の後ろの方で、宏太は他の班といっしょに給食を食べた。

特別支援学級の先生が付き添っていた。その班の生徒は、宏太にどうやって話しかけ

たらいいのかわからないようで、給食の時聞がいつもより静かに過ぎていった。

昼休みのあと、文化部や教科の展示を見て回る、「展示見学」の時間になった。文

化祭のパンフレットを手に、生徒たちは教室から出ていった。気が付くと、教室には、宏

太と、優子と数名の女子が残っているだけだった。(だれもいっしょに行ってあげないのか

な。)優子はそう思ったが、自分からは何もできず、立ちつくしていた。どうしたらよい

かわからず、宏太の様子を見ていると、そばにいた美希が優子の腕をぐいとひっぱった。

「優子、行くよ。」

美希は、教室の後ろにいた宏太の方へ歩いていき、

「いっしょに見学に行こう。」

と声をかけた。宏太は満面の笑顔でそれに答えた。

美希が車椅子を押して、四階から展示発表を見学に出かけた。優子は美希の勢

いに押されて、パンフレットを見ながらその後について行った。宏太は車いすから体を乗

り出して、興味深そうに展示を見つめていた。言葉が思うように出て来ないものの、

宏太は、「すごい。」「上手。」などと、言いながら、うれしそうだ。

見学の合問、廊下を歩いていると、窓の外にきれいな青空が見えた。小さい頃、公園

に散歩に出かけたとき、宏太の車椅子越しに見たあの澄み渡った青空と同じ色・・・。

「美希、今度は私が押すよ。」

優子は車椅子の後ろに回り、押し始めた。久しぶりの感触だった。宏太と遊んだ頃の

ことを思い出した。あの頃とは遣う新しい車椅子になっていたが、宏太の明るい笑顔は

変わっていなかった。

エレベータを使って一階ずつ降りていき、三階、二階と見学して回った。宏太は、科

学部のロボットがとても気に入ったようで、

「半七、7中りょっと。」

となかなか動こうとせず、優子と美希は、時聞が過ぎてしまわないか、心配になるほど

だった。ようやく見終わって一階に降りていくと、宏太の母が待っていた。

「一緒に回ってくれたのね。ありがとう。」

「いいえ、久しぶりで、楽しかったです。」

と優子は明るく答えた。美希も大きくうなずいていた。周りの、視線はもう気にならな

かった。宏太も

「ありがとう。」

と、笑顔いっぱいだった。

展示見学の後は、体育館でステージ発表の部が始まった。吹奏楽部の演奏や、有志

のダンスなどがあった。宏太は体八五体を揺すって、楽しそうに過ごしていた。優子は、ま

わりの雰囲気を和ませてくれる無邪気な宏太の様子を見て、今まで自分が悩んでい

たことが、ほんのちっぽけなものに思えた。

「またね。」

ステージ発表のあと、学校に戻る宏太に向かって、優子はまっすぐ顔をあげ、笑顔で手

を振った。

昔のように気軽に話しかけられない優子の心の内には、どのよう

な考えがあるのだろう。

澄み渡った青空を見たとき、優子はど

んなことに気付いたのだろうか。

6

最後の大縄

中学校最後の体育祭に向けて、三年生はどのクラスも優勝目指して一生

懸命練習に励んでいた。体育委員の真菜も例外ではなかった。練習計画を

立て、クラスのために懸命に練習する毎日を過ごしていた。

真菜のクラスには、足の不自由な隆志がいる。小学校の時に交通事故にあい、股関節を怪我し

たのだ。その後遺症で、中一、中ニは松葉杖だったために体育祭を見学していたが、徐々に回復

し、今年は自分で歩くことができるようになった。隆志は最後のクラス対抗競技、『大縄』に出た

いという気持ちで、懸命にリハビリに励んだのだ。

クラスのみんなは、今年も隆志は見学で出られないと思っていた。しかし、隆志が出られると知

り、真菜もクラスメイトも、全員で参加でさることを喜んだ。

しかし、大縄の練習が始まるとすぐに問題が発生した。他のクラスが回数を伸ばす中、真菜

たちのクラスは何度やっても、一回すら跳べないのだ。不満を、言いだす人や、引っかかった子を責

める人が出てきた。次第にクラスの雰囲気が悪くなっていった。

「もっと高く跳んで!」

「ちゃんと声そろえてl!」

真菜は体育祭担当として、クラスをまとめるために必死で声を出したが、結

局その日も一度も跳べずに練習が終了した。

放課後、真菜と残っていた数人の生徒の話題は、自然と大縄の話になった。

「、どうしてうまく跳べないんだろう。」

真菜のつぶやきに、幸太が言った。

「隆志がいるからだよ。隆志、やっぱり見学がいいんじゃない。真菜もそう思わない?」

正直なところ、真菜もそう思っていた。他のメンバーもうなずいている。勝ちたい、そんな気持ち

が心の中を占領していた真菜は、幸太たちに背中を押されたような気がした。

「わたし、見学にできないか、隆志に話してみる。」

次の日も、八五く跳べないまま終わった。

(隆志のせいだ・・・。)

真菜は、昨日よりも強くそう思った。その日の放課後、真菜は隆志を呼び止めた。

「隆志、ちょっといいかな。」

クラスメイトの数名が、その様子を少し離れたところで見ていた。

「あ、足、どう?大丈夫?」

「ちょっと疲れて痛くなることがあるけど、大丈夫だよ。」

「そっか。・・・あのね、大縄のことなんだけど、やっぱりさ、心配なんだ

よね。みんなもそう思ってるよ。・・・やっぱり、見学したほうがいいん

じゃないのかな。」

「なんだよ・・・。最後の体育祭、ぼくだって、みんなと一緒に出たい

ト民・・・。」

隆志の瞳から一瞬で光が失せた。真菜は、隆志を心配するふりをしながら、隆志をはずそうと

している自分自身の言葉の残酷さに、今さらながら気づかされた。

「・・・やっぱり隆志を見学させるのやめようよ。」

隆志が帰った後の教室で、真菜は幸太たちに言った。

「え

l、でも、それじゃあ、絶対勝てないよ。」

幸太は不満気だ。

「そうだけど・

・・、でも、考えてみたら隆志は今まで一回も体育祭に出てないんだよ。私たちは

去年もおととしもあったけど、隆志にとってはこれが最初で最後なんだよね。」

少しの沈黙が流れた。

「優勝もしたいけど、隆志も入れて全員で思い出を作るのもいいんじゃないかな。それに、隆志、

必死でがんばってたし。みんなで頑張れば、優勝だってできるかもしれないよ。」

「そうだよね、私もそう思う。隆志を入れないと、私、後悔しそう。」

一緒にいた由紀が真菜に岡、調した。

翌朝、真菜が体育の授業の準備のために校庭に行くと、隆志を中心に数人のクラスメイトが

大縄の練習をしていた。真菜は隆志のもとに駆け寄った。

「おはよう、隆志。ごめんね、やっぱり昨日言ったこと取り消すよ。私、本当は勝つ『」とばかり考

えていて、隆志の気持ち考えてなかった。やっぱり隆志と一緒に頑張りたい。みんなで大縄跳ぼ

、7!」

「ありがとう。ぼくも、頑張るから。そして、みんなで優勝しようぜ!」

少し照れくさそうに、そして嬉しそうに、隆志が答えた。

学年全体での練習では相変わらずビリを更新していた真菜のクラスだが、一回、ニ回とわず

かではあるが跳べるようになっていた。真菜たちにとって、この一回はとてつもなく大きいものであ

ったし、それだけに跳べたときは、

どのクラスよりも大きな歓声に包まれた。もう引っかかった子

を責める人はいなくなっていた。そ

・・

o

手に

して、体育祭当日は今までで最高の回数を跳ぶことに成功し

隆志とクラスの仲間たち全員で大縄を跳んだ。優勝することはなかったが、最後

勝つ『」と以上の大切なものがあることを知り、何事にも代えがた

い喜びを手に入れた。

の体育祭で、

この喜びが得られたのはなぜだろう。

7

みんなの引退

終わった。今まで何よりもカを注いだ中学校での部活動が終わってしまった

0

.・・それも、僕のせいで・・・。

僕は、バレーボール部に所属している。バレーボール部は部員が少ないものの、県大会には必ず名を

連ね、まずまずの成績を修めていた。僕たちの学年は、六人。ずば抜けて、7まいやつはいなかったが、

指導熱心な顧問の先生のもと、少しずつ上達していった。

あっという聞に時は過ぎ、僕たちが最上級生となった。最上級生になると、いろいろと分かってきた。

部活動をまとめることは大変なことなんだ。僕は副部長になった。副部長といっても名ばかりで、実際

は部長がリーダーシップを発揮して、部を取りまとめていた。そして、そのほかの四人も、後輩の指

導や練習の充実のためにカを尽くしてくれた。だから、僕はこの仲間が大好きだ。言葉に出さなく

てもお互いの気持ちが分かり合えた。

そんな僕たちが迎えた中学校最後の大会。今までの部活動の集大成となる大会だ。もちろん目指

すは県大会出場。県大会では一つでも多く勝って、引退を少しでも引き伸ばしたい。負けてしまえ

ば、そこでもう、引退だからだ。三年生になった時から、この大会のためにみんな一丸となって練習し

てきた。先生も練習試合をたくさん組んでくれて、実践練習もばっちりだった。

待ちに待った大会が始まった。意気揚々と臨んで、初戦、ニ戦目と勝ち進んだ。三戦目は、県でも

トップレベルの実力校である私立扇中学校。ここで負けるわけにはいかない。一セット目は緊張のせい

もあって落としてしまった。ニセット目、なんとかニ点差で取った。そして、三セット目、僕は徐々に足

が動かなくなりミスを連発し、相手は僕をねらって打ってきた。仲間もカバーしてくれようとしたも

のの、点差はあっという間に開き、大差をつけられて、僕たちは負けた。

県大会には行けない。

自の前が真っ暗になった。会場の外に出て先生のまとめの話を聞いてパスに乗ったが、どんな話で、ど

のようにパスに乗ったか覚えていない。パスでは誰一人、話をする人はいなかった。僕はみんなに合わせ

る顔がなく、ずっと窓から外を眺めていた。僕のせいでみんなが引退となってしまった。あんなに頑張っ

てきたのに。しかも、県大会への連続出場していた記録も断ってしまった。どうやってこの責任を取れ

ばいいのだろう・・・。答えの出ない思いだけがぐるぐると頭の中を渦巻いていた。

翌日は、休日で部活動もなかった。でも、僕の頭の中ではまだ同じ思いが渦巻いていた。明日の引退

式で、まずはみんなに謝ろう。それしかできない。みんなは文句を言うかもしれない、いや、もっとひ

どい仕打ちをされるかもしれないが、仕方ない。僕のせいなのだから。その覚悟が決まって、その日は、

眠ることができた。

引退式になった。体育館横の通路でいつものミーティングのように丸くなると、先生が一昨日の試合

のことではなく、僕たちの入部当時の話をし始めた。八五くの初心者だった僕たちがよくここまでやっ

てきたこと、、初めての公式試合で勝った時の嬉しかったことなどを話し出した。

思いもよらない話に、一波がこみ上げてきた。それに気付かれまいと、顔を下げた。そして、引退す

る三年生から一人ずつ話すことになった。みんなは先生と同じように部活動での嬉しかった気持ちゃ

頑張ってきたことなどを話し出した。僕の番が回ってきた。

「今回は、僕のせいでみんなをこんなに早く引退させてしまい、本当にすみませんでした。」

そういって頭を深く下げた。すると、さっきから目にたまっていた涙が落ちてしまった。そのことが情

けなくて僕は、次の言葉を発せられなかった。すると、部長の孝輔が、

「おまえのせいじゃない、気にするな。」

と言って、僕の背中に手を置いた。

「そうだよ。誰もそんな風に思っていないぞ。」

「裕也は悉くないから泣くな。」

「終わってしまったことは、仕方ないんだ。誰も裕也を責めていないよ。」

みんなが交互に思いもよらない、一言葉をかけてくれた。そう言われれば言われるほど、ますます涙が

溢れてきて、八王く顔が上げられなかった。最後に、孝輔がまとめの話をし、みんなで円障を組んで、

コlルをかけ、引退式は終了した。

誰一人、僕を責めなかった。正直、その日はほっとした。これからもみんなと仲良くできる。しかし、

嬉しい気持ちもつかの間、また僕の心は暗くふさがった。やっぱり、僕のせいなのは紛れもない事実だ。

それなのに、みんなは優しい言葉をかけてくれた。僕を気遣ってくれて。僕はみんなのために、何も

できゃしない・・・。県大会に行けないまま引退させてしまったのに・・・。

学校では、周りに気を遣わせないよう、なるべく笑顔でいるようにした。当然、部員のみんなとも

普通に話した。でも、僕の心は相変わらずだった。

県大会に向けさらに熱心に練習しているサッカー部の横を通り、一人で帰ろうとすると、

「おい、裕也。ちょっといいか。」

と、木下先生が駆け寄ってきた。校舎に戻り、小会議室で話すことになった。

「お前、まだ浮かない顔しているな。・・・気にしているのか。」

そう言われ、僕は正直に今の気持ちを話した。すると先生は、

「いいか、裕也。みんなは慰めなんかで、あの日、お前に、一言葉をかけたんじゃないぞ。今まで一緒に頑

張ってきたこと自体が最高の時間だったからこそ、お前にあんな風に思ってほしくなかったんだよ。

お前は最後の試合の結果ばかりを気にしているが、みんなはそこに至るまでの時間をかけがえのな

いものだと思っているんだよ。だからこそ、本気で裕也にあの言葉をかけたんだ。裕也がいつまでも

浮かない顔していると、これまでみんなと過ごした素晴らしい時間までもが、浮かないものになって

しまうだろう?」

僕は、はっとした。そんな風には考えたことがなかった。

「裕也、お前は今回の経験で、人の優しさや互いに信頼することの大切さを、学んだだろう。この経験

こそ、これからのお前を作っていくんだよ。」

そういって、引退式の時に孝輔がしてくれたように僕の背中に手を置いた。

その手の温かさが、体全体に広がった。ボンボンと二回背中を叩かれた。僕はやっと顔を上げ、先

生を見て、カ強くうなずいた。

女励まし合い高め合える生涯の友を・・・あなたと友達のエピソード

9

正義の声

良男は一時間目の授業の準備をしているときに、自分の筆箱がないことに気が付いた。

「あれ、どうして筆箱がないんだろう。さつきまであったはずなのに・・・。、どこかに置いてきてしまった

のかな。」

周囲を見回したが、筆箱は見つからない。

休み時間になり、その筆箱がくっ箱の裏に隠してあるのを見つけたとき、背筋が凍るような思いに

なった。しかし良男はそのことを誰にも言えないでいた。

実は、良男には思い当たるふしがあった。

良男はいつも休み時間に数人でプロレスごっこをしていた。一見みんなでふざけて遊んでいるだけの

ように見えるが、技をかけられるのは良男ばかりだ。そんな毎日に嫌気がさした良男は、昨日はプ

ロレスごっこをしないで、休み時間には一人で図書室に行った。「きっとそのせいだ。」良男は考えた。「ま

たプロレスごっこに戻るのか、もしくはこれを機会にプロレスごっこ、いや、あいつらから離れるべきか

次の日も一人で過ごした良男であったが、今度は自分の掲示物にいたずら書きがされていることに

気がついた。ついこの前まで一緒にプロレスごっこをしていた数人が笑いながら、

「こんなことをするやつは誰だ。」

と言っていた。クラスの仲間は誰がやったのかを知っているようだが、誰も何も言わなかった。「やっぱり

そうか・・。」良男は重い気持ちを抱えて家路についたのだった。

家に帰るとすぐ、親友の真一からメlルが届いた。

「良男、助けられなくてごめん。もしお前を助けたら、今度は俺がやられてしまうんだ。勇気がな

くて、本当にごめん。」

良男の心は怒りの気持ちと、仕方がないな、と思う気持ちとが入り交っていた。「もし自分が逆の立

場だったら、真一を助けてあげられるだろうか・・・。」「これでも親友と、言えるのだろうか・・・。」その

夜はなかなか眠れなかった。

良男は学校へ行くのがつらかった。どうしてよいかわからなかったのだ。感情を押し殺して、むりや

り学校へと重い足を運んだ。

そんなある朝、担任の先生がこの件を知り、解決に動いてくれた。「どうして担任の先生は気が付

いたんだろう・・・。」そっと顔をあげると、真一と目が合った。「もしかしたら、真一が先生に言ってく

れたのかもしれない。」目で問うと、真一はかすかにうなずいた。

良男は家に帰り、いろいろなことを考えた。自分のこと、友達のこと、クラスのこと。そして、今まで

のこと、これからのこと・::。自分の部屋で夜遅くまでずっと一人で考えていた良男だが、ある決心

をするとようやく目を閉じて眠りについた。

次の日の朝。クラスのみんなが掲示物に集まって、ざわざわしていた。何事だろうと良男が近づいて

見てみると、今度は親友の真一の掲示物にいたずらがしてあった。真一はつらそうな顔をしてうつむ

き、一人で席に座っていた。

「真一。」

良男が席に近付いていくと、真一はほっとした表情を見せた。しかし、良男以外の生徒が二人に近付

くことはなかった。

翌日の朝には、良男と真一の二人の机が廊下に出されていた。黙って机を自分の席に-戻したこ人の

様子を見て、クラスの生徒遠から少しずつ声が聞かれるようになってきた。

「ひどいよね。」

「助けた人がまた嫌がらせにあうなんて、こんなクラスは嫌だ。」

「先生に相談しようよ。みんなの小さな声をもっと大きくしなくちゃ解決しないよ。」

その日、先生は早速時間をつくってくれ、クラスで話合いが行われた。先生から、

「二人が嫌がらせをされていると聞きました。そのことについて、意見を出してください。」

と話があった。

しかし、この問いかけに、誰も発言しなかった。みんな心の中では、いけないということは分かってい

た。しかし、それを発言する勇気がないのだ。しんとした、張り詰めた空気が教室をおおった。

そのとき、一人の男子が手をあげた。プロレスごっこを率先してやっている優太郎だ。

「だいたい良男は俺らの仲間なんだ。良男が俺らを裏切ったから仕返ししたんだ。誰だって仲間を裏

切るやつは許せないだろう。これは俺らの問題であって、他の人には関係ない。関係ないのに口出しし

た真一も許せない。みんなだってそうだ。寺-ロいたいことがあるんだったら、正々堂々と、言えばいいじゃ

ないか。」

クラスは凍りついた。

先生は静かにロを開いた。

「優太郎の気持ちはよく分かった。今、意見を言えたのは優太郎だけだか

らな。しかし、みんなの気持ちは分からない。せっかく時間をとったんだ。

思っていることを言ってみなさい。」

しばらく沈黙が続いた後、普段はほとんど話さない正輝が小さな声で何

か言い始めた。とても小さな声だったので聞き取れなかったが、同じ班の生

徒がうなずき、一人二人と意見を述べる者が増えていった。

気が付くと、クラスには、正義の声があふれていた。

この話し合いの後、嫌がらせはなくなった。そしてクラスに笑顔がもどっ

てきた。

あのとき正輝が何を話し、まわりの生徒がどんな意見を言ったのだろう。また、その後にクラスの

生徒が、どのように行動していったのだろうか。みなさんにも、考えてほしい。

10

おばあちゃんと花火

いつもより早く部活動が終わったので、今日は一人でおばあちゃんのお見舞いに来た。

こう言うとよくできた孫のようだが、この病院にきたのは久しぶりだ。部活動が先日まで一年生大

会だったし、その前は体育祭の練習もあって、病院に来る暇がなかったからだ。

昨日の夜中、トイレに行こうと起きると、リビングで父と母が話をしていた。気になって一扉の外から聞

いていると、おばあちゃんが重い病気らしく、退院することすら難しいらしい。しばらく会っていない聞

にそんなことになっていたなんて!僕は驚いたのと同時にこれまで病院にあまり行っていなかったことを、

後悔した。それで、今日は初めて一人で病院に来たのだ。

「おばあちゃん。僕だよ。入るよ。」

声をかけて間仕切りのカーテンを開けると、おばあちゃんは寝ていた。ニか月前に会った時よりも、な

んだか小さくなった気がする。元から色白ではあったが、今は青白くなったようだ。胸元で組まれた細

い手には、注射跡だろうか、あざがいくつもあった。

「あ、お孫さんかな。来てくれたのね。トキさあん、お孫さんですよ。」

検温のために来た看護師さんが、声をかけるとおばあちゃんはゆっくり目をあけ、僕を見た。

「・:ああ、健介かい。よく来たねえ。一人で来たのかい。」

「うん。おばあちゃん、調子はどう。」

「そうだねえ・・・。でも、健ちゃんの顔をみたら、元気が出てきたよ。」

にっこり笑いながら話すおばあちゃんは以前のままだ。

「トキさんの体にさわるから、手短にしてくださいね。」

掛布団の乱れを直しながら、冷静な口、調で看護師さんが僕に、言った。

なにやら、病院の外の通りがにぎやかになってきた。そうか、今日は花火大会だ。この町で古くから

の夏の恒例となっている花火大会には、小さいころから欠かさず家族で見に行っていた。この町で生まれ

育ったおばあちゃんは、ことさら花火大会を楽しみにしていた。まだ小さかった僕の手をひいて、連れて

行ってくれたっけ。

「このまま退院できないかもしれないなあ・:。」

急に昨日の父の、言葉が、頭の中でよみがえった。おばあちゃんはじっと窓の外を見ている。思わず僕もそ

っちをみた。花火が上がる方向だ。おばあちゃん、見たいんだな・:。でも、その窓からは隣の高いビルが

邪魔して、花火はおろか、空も見えない。

「:・おばあちゃん、行こう!」

僕はおばあちゃんの手をぎゅっと握った。えてとおばあちゃんは目を見聞き僕を見た。ほんの少し考え

ていたようだつたが、小さく領くとゆっくり体を起こした。僕も肩を支えた。慎重に車椅子に座らせ

た。僕は車椅子を押しながらあたりをきょろきょろと見回し、誰もいないことを確認すると、ナ

lスス

テーションと反対側のエレベーターに急いだ。

通りに出ると、気持ちいい風が吹いていた。花火大会はすでに始まっていた。同じ方向に向かって歩く

人の顔はみな笑顔だ。病院の角まで行けば、ちょうどビルの谷聞から花火が見える!僕は確信した。

そして注意深く車椅子を押した。みな同じことを考えたのか、通りの角は人だかりになっていた。すみ

ません、すみませんと声をかけながら進み、車椅子からでも花火が見える場所に出た。ドド

lン!大

輪の花から少し遅れて、大きな音が胸に響く。そうだ、これが花火だ!おばあちゃんの顔を見た。目

をきらきらと輝かせて、笑みを浮かべながら夢中で見ている。僕は鼻の奥がつんとした。

風向きが変わり、ちょっと冷えてきた。おばあちゃんも少し疲れたようだ。そろそろ帰らないとま

ずいなと思い、車いすを切り返し、病院の方へ進もうとした。その瞬間、片方の車輪が下水溝のふたの

段差にはまり、車椅子は斜めに傾いて元に戻せなくなった。しまった!驚いたおばあちゃんの顔。周り

の人の強張った顔。必死になって動かそうとしたが動かない。人だかりができ何人かの人が手伝い始め

た。

「おい!いたぞ!」

白衣の人が駆け寄ってきた。はあ、はあと息を切らしながら、

「勝手に連れ出しては、駄目じゃないかっ。」

と大きな声で僕を叱った。僕はおばあちゃん、大丈夫?おばあちゃん、ごめんねと繰り返し争一ロった。そ

こからは、どうやって病院に戻ったのか覚えていない。ただ、病院には父と母が来ていて、真っ青な顔をし

て、医師と共に立っていた。僕を見付けると、

「もしものことがあったらどうするんだ!」

と、いつもになく厳しい声で父は、一言った。その後ろで母はうつむき加減で黙っていた。病室に戻ると、おば

あちゃんは点滴をしてベッドに横たわっていた。僕はあふれる涙を止めることができなかった。

「ごめんね、ごめんね。」

小さい子のようにしゃくりあげて泣いた。おばあちゃんは、ゆっくり目を開けると僕の手をそっと取って、

うん、うんと領いた。目にはうっすらと涙を浮かべ、にっこり笑って何度も何度も領いた。

帰り道、言葉もなくとぼとぼと歩いていると、ポンと肩に父が手を置いた。

「あんな嬉しそうなおばあちゃん、久しぶりに見たなあ。」

風に乗ってきた花火の匂いがまだした。

12

ぼくの町

みんなの町

「今日の総合的な学習の時間はボランティアです。始めに地域のゴミ拾い活動をやります。うちのク

ラスは藤右衛門川通りの担当になりました。昼休みが終わったら、正門前に集合します。軍手・ゴ

ミ、袋を忘れないようにしてください。」

学級委員が今日の連絡をしている。そうか、今週から、ボランティア活動が始まるのか。地域のゴミ

拾い。今日は暑いだろうな。面倒くさいな。みんなはどうするのかな。ちゃんとやるのかなあ・・・。

昼休みが終わった。

「点呼をとります。一班、ニ班・・・打ち合わせした場所に行ったら、燃えるゴミと燃えないゴミを分別

して回収してください。」

ぼくはなぜか、ゴミ袋をもらってしまったけれども、これほど大きな袋に入るほどゴミがあるのだろう

か。ゴミ拾いか、憂欝だなあ。

先生や友達と歩く道。おしゃやへりしながらの道は楽しい。ゴミなど一つも落ちていないじゃないか。

きれいな道だ。このまま皆とおしゃやへりで終わったら楽だなあ。第一、きれいな道でゴミ拾いなんて無

理な話だ。

あれ。道の反対側にいる友達は、道路わきの樹木の中に手を入れている。何やってるんだろう。

「何があるの。」

「タバコの吸い殻を拾っているんだよ。」

「えっ。ゴミ。」

植込みの中をのぞくと、そこには、たくさんの吸い殻が捨てられていた。わざと見えないように捨て

るのだろ、7か。

「ひどいなあ、こんなところに捨てるなんて。」

僕たちは、ゴミを拾う作業に次第に熱中していった。今まで何気なく歩いていたけれども、吸い殻を

見つけ始めると、そればかりがやけに目に付くようになった。しかもゴミは、植込みの中に放り込ま

れている。手を伸ばし、吸い殻を拾っているうちに、だんだんと腹が立ってきた。大人が勝手に投げ捨

てたゴミを、なぜ僕らが拾って歩かなければならないんだ。

「ありがとうね。」

背中から声がした。

「ご苦労さん。」

庖から出てきたおばさんや、道行くおじさんまでもが声をかけてくれた。何だか照れくさい。

「授業ですから。」

そう答えながらも声をかけてもらったことが嬉しかった。誇らしい気持ちにさえなった。

ゴミ拾いの手を休め、ふと顔をあげると、そこに大きな石碑が建っている。見慣れた自分の町の光景

だけども、こうしてしみじみ眺めてみると、いろんなものがあることに改めて気付くものだ。

そうか、昔はこの道は川だったのか。今では、川にふたがされ、道になり、通勤・通学の人達が毎日

歩いている。僕は学校に行くとき、この道を通るけれども、その時は何気なく通っていて、この道沿い

に住む人たちのことを考えたことなどなかった。僕が生まれる前は、洪水に見舞われるひどい川だった

のか。ここに住む人たちは、大変な思いをしていたのだなあ。何回も洪水に遭いながら、町の人が助

け合って乗り越えてきたのか。今、この道は、いつも花が咲いている。四季折々の花が咲き、ゴミは一つ

も落ちていない。それは、住んでいる人たちが、道をきれいにしようと、いつも守ってきたのだろう。

ますます、植込みに隠れるように捨ててあった吸い殻のゴミに腹が立ってきた。

誰かが先生に質問している。

「先生。この道は、どうして藤右衛門川通りっていう名前なんですか。」

「昔、江戸時代の話だが、見沼の方に藤右衛門さんという人がいてね。見沼田んぼを開発するとき、

周辺の水路を開削して、地元のために尽くした人だそうだ。洪水で大変だったこの川が道に生まれ

変わり、排水路ができたときに、藤右衛門さんの名前を借りて、谷田川の名前を改め、藤右衛門

川通りにしたときいたなあ。」

「へえ。そんないわれがある川だったのか。藤右衛門さんつて、すごい人だな。」

そういう歴史を知ると、この道でゴミ拾いをしていることに、大きな価値が感じられてきた。

今までゴミ拾いなんか面倒だと思っていた僕だった。しかし、今日、町の人から感謝され、声をかけ

てもらい、町の歴史を知ったことで、通学路にも親しみがわいてきた。これから僕達は、総合的な学

習の時間でボランティアについて自分のテ

lマを探し、追究していくわけだが、僕は、江戸時代に地元

の人の暮らしを考え、支え、救った藤右衛門さんについて、調べてみようと思う。そうだ、昭和でも、こ

の町の人たちは台風や水害で苦労してきた。排水路を作ったこの町の人たちの運動を、調へてみるのも

よいかもしれない。今日のゴミ拾いには、発見があった。何より自分の町の歴史を知ることができたの

は大きな収穫だ。

「君の袋はゴミがいっぱい詰まっているねえ。」

学校に着くやいなや、友達に声をかけられた。

「そうなんだ。藤右衛門川通りって、道はきれいだけど、植木の陰にはいっぱいゴミがあって驚いたよ。

タバコの吸い殻が押し込まれているんだ。ゴミをとるのに苦労したよ。」

僕は、ゴミ袋に詰まったたくさんのゴミの量を自慢しながら、自分の町にゴミが多いことは恥ずかしい

ことだと思った。町を大事にしないとゴミが増えるのだ。昔の人はどうしていたのだろう。今、水宝ロが

来たら、ゴミだらけになってしまう。道に花を植え、通る人を気持ちよくしてくれている人たちも

自分の町を大切にしているはずだ。地域でもきっと皆がゴミ拾いをしているのだろう。これから、僕た

ちは何をしていけばよいのだろ、7。

藤右衛門さん、どうか、僕によい知恵をさずけてください。

13

津波てんでんこ

「いい、由香。明日の放課後、行くんだからね。」

寝ょうとしたら、晴美からメlルが来た。

「八刀かつてるってば。おやすみl。」

そう返信して、頭から布団をかぶった。明日かあ・・・。嫌だなあ。

明日、班のみんなで総合の時間のテ

lマである「伝統文化」について、調べるため、地元に昔から伝わる

太鼓について、保存会の人達に取材をするのだ。地域の太鼓を、調へようと言い出したのは、班長の晴

美だ。私は正直、どうでもよかった。何度かその太鼓を聞いたことはあったが、別段感動もなかったし、

吹奏楽やオーケストラのようにメロディがあるわけでもなし、どこがいいのかと思っていた。もっと言え

ば、「伝統文化」なんて、守りたい人が守っていけばいいのだし、現代の私たちの生活には馴染まないと

思う。なんでそれについて、調べなきゃいけないのか、テーマを決めた先生たちにも文句をすロいたい。ど

うせなら、私たちの未来に生かせることをテlマにしてほしい。それなら、多少やる気もでるのに・・。

浮かない気持ちのまま、朝を迎えた。

「え

l。由香、今日いないの

l。」

取材に行くため部活を休むことをペアである陽子に伝えたら、そう言われた。私はごめんといって手

を合わせた。テニス部は県大会に行くので、私がいないと、陽子はあまり練習にならない。「私だって

練習したいよ。」そう思いながら、待ち合わせ場所に向かった。

保存会の皆さんは私たちをにこにこしながら迎えてくれた。私は記録係だ。私の、祖父母よりも

年をとっている人たちが、張り切って太鼓をたたく様子をカメラに収めた。晴美たちインタビュア

lは、

うんうんと大きく領きながら、インタビューをしていた。保存会代表の安田さんが、

「この太鼓の音は百年以上前からこの地に響いていました。そしてこれからもまた受け継がれて響い

ていくことを思うと、こんな幸せなことはないって思うんですよ。」

と、何か遠くを見つめるような眼差しで話してくれた。まあ、行く前よりは印象は少しよくなった

が、それより部活の事が気になっていて、話を一一緒に聞きながら、気持ちはそこになかった。

家に帰って、テレビのニュースを見ながら、取材のまとめに取り掛かった。気乗りしないので一向に進

まず、ぼーっとテレビを見ていると、あるニュースが目についた。それは、東日本大震災の津波に関連し、

「津波てんでんこ」という言葉を紹介していた。「津波てんでんこ」とは、東北地方に古くから伝わる

言葉で、津波の時はみんなで一緒に逃げようとするのではなく、それぞれがいち早く逃げなさい、

また、すぐ近くにいる人とは助け合いなさい、という教えなのだそうだ。、初めて聞いた、一言葉だった。実

際、今回の津波でその言葉の通りに地元の中学生が隣接する小学校の児童を導いて避難し、多くの

命が助かったという。マイクを向けられた中学生が

「おばあちゃんから何度も聞かされていた、言葉だったからこそ、行動できた。おばあちゃんに心から

感謝しています。」

と涙を浮かべて話していた。

夕食後、お風呂に浸かりながら、さっきの中学生の話を思い返していた。いつ来るか分からない津波

のための言葉を孫に伝え続けたおばあちゃん・・・。その、一言葉をとっさに思いだし行動に移した中学

生・・・。伝統文化ってもしかしたら、私たちの生活に深く息づいているのかもしれない。そんな思いが

浮かんできた。だとしたら、それは私が今まで思っていた事とは大きく遣っている。どうとらえればい

いんだろう・・・。

ふと、安田さんの言葉を思い出した。

「これからもまた受け継がれて響いていくことを思うと、こんな幸せなことはない・・・。」

「ちょっと。寝てるんじゃないの。」

お風呂のドアを母が叩いた。気付かないうちに長風呂になっていたらしい。

「大丈夫、寝てないよ。」

そう答えて、また考えだした。

14

宇治先生の願い

宇治達郎は、昭和十八年夏に東大医学部を繰り上げ卒業後、軍医として中国戦線に赴いた。し

かし、戦局の悪化とともに戦地では医薬品が底を尽き、傷ついた兵士の命を思うように救うことが

できなかった。終戦後、日本に復員して東大病院に戻り、医師としての再スタートを切った。

戦後間もない昭和二十三年、東大病院の診察室には毎日多くの患者が治療を求めてやってきた。

当時日本では、食糧事情の悪さから栄養不足が多く、死亡原因の一番は胃ガンで、胃ガンと診断さ

れたら死を覚悟した時代だった。そんな胃ガン治療に光をもた冶ちしたのが、宇治の研究だった。

ある日の手術室。

「宇治先生、どうですか。」

助手は尋ねたが、メスを手に持つ宇治は開腹した腹部をじっと見つめたままであった。

「だめだね・・・・・・。ガンが広がっている。これでは、全部は取り除けない。」

宇治は恵部を助手に示した。

「それじゃあ恵者はどうなるんですか。」

「残念だが・・・・・・。」

手術中止を命じ、宇治はメスを置いた。部屋が一瞬にして重い空気におおわれた。

残酷な現実である。これから結果を待つ患者の家族の下に行き、手術は手遅れだったと伝えなく

てはならない。成功を願い待っているというのに、つらい告知である。患者はまだ三十代だという。胃ガ

ン恵者の治療の最前線にいる宇治は、数多くこんなつらい経験をしている。

(俺が何とかしなくてはいけない)

宇治は気持ちを切り替え、縫合の作業に取りかかった。

(あれができれば恵者は救えるのだが)

実は、宇治には胃ガン治療に一つの考えがあった。欧米でも研究が始まっていた、ガンを見つけるカ

メラの発明だ。胃かいようや胃ガンの治療が難しいのは、外部から診断ができないからだ。胃の隅々

まではっきり見えたら、きっと治療は早期に始められ、成功するに違いない。世界でまだ誰も成功し

ていない胃カメラだが、暗閣をともす明かりに思えた。

宇治の熱意に押され、カメラ会社の技術者が協力してくれた。しかし、宇治の考える胃カメラは、

大変製作が難しいものだった。のどや食道を通るごく小さなカメラでなくてはならないし、真っ暗な

胃の中を照らす強力なライトが必要だった。作れば作るほど宇治の要求は難しさを増したが、技術

者達は、昼夜をいとわず小さなカメラを作り上げてくれた。

その後は、動物実験を繰り返し、残された課題を一つ一つ解決していった。しかし、その聞にも胃ガ

ンで命をなくす患者がたくさん出た。宇治は毎晩診察を終えてから研究する日々であった。

昭和二十五年九月。世界で、初めて人のロからカメラを入れる実験が行われた。レンズやライトが

腹の中で割れてしまう危険性のある実験である。実験に協力してくれたのは胃もたれに悩む先輩

医師だった。宇治は、慎重に手元のスイッチを押した。ライトは割れずに次々と光り、シャッターが切

られた。宇治ははやる気持ちを抑え、現像を待った。

(ちゃんと写っていてくれ)

宇治は祈った。

出来上がった写真には、胃の患部がはっきり写し出されていた。宇治は思わず、横になっている先輩

に声をかけた。

「先輩、写ってます、はっきりと。胃かいようです。早く発見できてよかったですね。」

「ああ、写っていたか。見つけてくれてありがとう。」

先輩医師も、7なずいて答えてくれた。

「やりましたね、宇治先生。」

同僚達も喜んでくれた。

「ああ、とうとう出来上がったぞ。」

こうして世界初の国産胃カメラがついに完成した。

学会で八王国から集まった医師遠の前で宇治は胃カメラ発明の動機と開発の苦労を発表した。胃ガ

ンや胃かいようの診断に胃カメラは大きな効果があることを訴えると、発明への反響は大きかった。

胃カメラの発明から数年後、宇治は博士号を受け、東大病院では誰もが認める研究の第一人者

となっていた。しかし、ある日、周囲の人に、宇治は告げた。

「俺は今度大宮の親父の病院を継ごうと思うんだ。」

胃カメラの発明者として将来を約束されていた東大病院を辞めるとい、7のだ。

「なんてこと言うんだ。もったいないじゃないか。」

驚いて引き留める周囲の声を聞かず、宇治は父親が開業していた郷里、さいたま市大宮区の病院を

継ぐことを決めた。

(これからは、地域の患者のために働きたい)

胃カメラ研究は後輩の医師達に託し、迷うことなく東大病院を後にした。

大宮の病院を継いだ宇治は、住民の診療に熱心に取り組んだ。真夜中の往診や、緊急の手術にも

快く応じた。特に、ガンの発見、手術にカを注いだ。しかし、胃カメラの発明のことは、患者はもとよ

り家族にも語らなかったそうだ。

昭和五十五年、六十一歳で宇治は町医者としてその生涯を閉じた。地元の忠者逮は宇治を今で

も懐かしむ。

宇治が研究を離れた後も胃カメラは必要性が広く認められ、世界に普及していった。東大病院に

は世界各国の医師が研修に訪れた。技術は広がり、改良が加えられた。胃カメラは、現在ではファイ

バースコープやビデオが導入され、現代医学の最先端を行く内、視鏡手術へとその技術は続いている。

宇治の願いは現代の医師に確かに受け継がれている。

-R受け継がれた宇治先生の思いとはなんでしょう

15

悠久の時を超えて

カチ・・・。カチ・・・。カチ・・・。

水を打ったような静寂の中に響きわたる第定(せんてい↓盆栽にはさみを入れ整えること)のはさみ

の呉羽目。ここは、さいたま市盆栽村。

盆栽村は、関東大震災後の大正十四年に、東京の盆栽職人が理想郷を求めて集団移住してきたと

ころであり、当時の移住規約には、「二階屋は建てないこと」「沼一は生垣であること」「盆栽を十鉢以上

培養すること」などがあったそうである。現在では、十万余坪余りの中に日本でも屈指の名品盆栽と

なりうる樹のほとんどが揃い、「BONSA|」は日本を代表する芸術として世界的にも認められる

ようになってきた。

私はこの盆栽村で、百五十年あまり続いた盆栽職人の四代目の一人娘として生まれ、こうした

木々に固まれた環境を、当たり前の景色として育ち、大学の経済学部へと進学した。その当時、盆

栽は私の環境の一部であっても、自分の人生を彩るものではなかった。

大学四年の四月に、わたしはある会社の内定通知を受け取った。その会社は、自分の学んできた

専門分野を十分に生かすことのできる納得のいく会社であった。家族も友人も、まるで自分のことの

ようにこの会社への内定を喜んでくれた。私自身も、厳しい就職戦線の中で、やっとの思いで手に入れ

た仕事のことを思うだけで胸が高鳴るほどだった。

しかし、そんなある朝、(会社に就職してしまうと、ゆっくり盆栽を眺める時間もなくなってしま

うだろうな。)という思いで目覚めに何気なく庭に目をやった私は、心も身体もその場にくぎ付けに

なった。盆栽職人の父が丹精込めて作り上げてきた盆栽が、すがすがしい朝の空気の中で朝露におれ、

きらめく日の光を浴び、透き通るほどの柔らかさをもって美しく光輝いていたのである。

わたしはドキッとした。

「なんて美しいんだろう。」

今まであたりまえのこととして毎日見慣れてきた景色とはまるで違う世界が自の前に広がっていた。

盆栽のもつ美しさを初めて客観的に見た瞬間であった。

どの木々も春を迎え、枝枯れの中から、精一杯新しい生命を輝かせながら芽吹いている。そんな

盆栽の息吹に心が大きく震えた。

その日から、私の心の葛藤が始まった。盆栽の美しさが私の心をとらえて離さないのだ。

「本当にこのまま会社に就職していいのだろうか。」

盆栽職人の一人娘としてこの家に生まれ育った私には、眠れない日が数か月も続いた。

(最近は、盆栽を愛好する人も高齢となり、お客さんの減少に伴って職人さんの数も半減している。

このままでは盆栽がすたれてしまう。こんなにも美しい盆栽が・・・。)

ふと、圏内だけでなく、海外にも盆栽を広めようと日々奔走している父の姿が頭をよぎった。

(大学を卒業した後は、自分の希望にかなった会社に就職することが私には既に決まっているのだ。し

かし・・・この美しい生命カに富んだ盆栽を見ると、なぜか心の震えを感じる。)

(そうはいっても、男性の客がほとんどであり、職人さんも男性中心の世界の中で、女性の自分には一

体何ができるんだろう。)

不安と闘う私とは裏腹に、盆栽は漂とした姿で時の重みと命の深さを誇っていた。

(長い、長い年月をかけて育ってきた盆栽に、人々はどれほど心を注ぎ、人生を傾けてきたのだろ

、7・・・。)

来る日も来る日も、自分の生きる道をわたしは探し続けた。そしてついに、

「この美しさとたくましさのある生命カをもっ盆栽をいつまでも残すために、できるだけのことをやっ

てみよう。」

と決意した。

男性中心の世界の中でも、女性としての自分の感性を生かすことによって、盆栽の美しさを引き出

していけるのではないだろうかと、私は考え始めた。

わたしは、家族に私の決意を告げ、会社の内定を断った。

父は、黙々と前刃定ばさみを動かしながら私の話を聞き、黙って大きくうなずいた。それは、私の決

意を心の底から待ち望んでいた盆栽職人の心の表れだった気がした。そうして父は快く私の弟子入

りを認めてくれた。

父を師と仰ぐ、新たな私の人生の出発であった。

一本の枝の十年先、ニ十年先の美しさと生命力を考えながら枝の努定を行う父の後姿をみて育っ

た私は、小さいころから父を深く敬愛していた。その姿から「焦ってはいけない」という生き方を自然

に学んできた。一人前になるまで少なくとも父のもとで六年は修業しなくてはならない。

(じっくりと腰を据えて、盆栽に心を注いでいきたい。)

朝早く、庭の掃除をすませ、一鉢一鉢への水やりをしたり、盆栽の移動や、仕入れをしたりすると

きなど、女性にとってはつらいカ仕事も数多い。

私はゆっくりと深呼吸をしながら、はさみを片手に、

(女性としての私には、どんなことができるのだろう。)

という思いを巡らせながら、その技を自分なりに広げていった。

「どうにかして、世界に誇れる、この日本独自の盆栽という世界を守らなくてはならない。」

この一念が私を支え続けた。

そして、日がたつにつれ、私の中にはぼんやりとした思いが次第に明確に形づくられていった。私は、

女性の愛好者を増やし、システム化した教室から巣立つ生徒を八王国にちりばめることによって、閉鎖

的に職人の世界だけで伝承されていたものを一般化していけるのではないかと考えるようになった。

その結果、思いついたのがマンションなどの高層の家で楽しむことのできる女性を対象とした新しい盆

栽のスタイルだった。

「日本人は、本来植物が好きなはずだ。西洋のガlデニングがこんなにも日本人に受け入れられるの

だから、盆栽だってきっと受け入れてもらえるにちがいない。」

私は自然の一角を切り取るという、草ものの盆栽の手法を残しながらも盆栽と生け花の中間のよう

な「手のひらサイズのミニ盆栽」を考案し、広めていった。

一つの枝の二十数年先を考え、慎重に枝を見極める心の目は、悠久の時を超え、必ずや世界にその

「BONSA|」の名を深く刻むことを信じて、さらにこれから長い年月をかけて、この思いを結実さ

せていきたい。

私が受け継ぎたい日本のよさは・

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本当の自分

明子は部活動ではエ

lスとして期待されていたこともあったが、最近は部活動も休みがちになって

いた。心が優しく、誰にでも誠実に接することができる明子ではあるが、つらい練習があるときなど

には、つい理由をつけて部活を休んでしまう心の弱さがあった。中学校の勉強も徐々に難しくなって

くると、意欲も少なくなり、成績も落ちてきていた。特にこの夏休み明けからは、服装が派手にな

り、先生に注意されることも多くなった。

今日も明子は家に帰るとすぐに部屋に入り、ベッドにねそべってお菓子を食べながら、友達とメー

ルでのやり取りを繰り返していた。家ではまったく勉強しないで遊んでばかりの明子に、心配した母

が声をかけた。

「明子、だらしないわよ。この間の三者面談でも、担任の先生から身だしなみをきちんとしなさいって

言われたでしょ。学校の決まりをちゃんと守りなさい。」

「いちいちうるさいなあ。高校生なんかミニスカートばっかりじゃん。」

「すぐそうやって、言い訳する。あなた昔から面倒なことから逃げがちよね。外見ばっかり気にして、

本当の自分はどうなのよ。そんなんじゃ行きたい高校にだって入れないよ。」

「ああ、毎日勉強とか練習とか頑張るのって本当に大変。髪型なんかちょっと変えるだけで、みんなが

『すごい』って、一呂ってくれるのに。高校なんてどうでもいい。だいたいお母さんには関係ないでしょ。」

「自分の子どもの将来を心配しない母親なんていないでしょ。努力が足りなくて夢をあきらめるよ

うなことになってほしくないの。」

明子は黙って部屋のドアを閉めた。

そんな明子にも一つだけ頑張れることがあった。それは保健委員の仕事である。毎朝、健康観察

カlドを保健室に取りに行くことだけは、一度も忘れたことがなかった。たったそれだけのことだが、

先生や友達から「保健委員頑張っているね。」と声をかけられることが嬉しかった。

実は明子にも看護師になりたいという夢があった。明子は小学生の頃、盲腸で3週間入院したこ

とがあった。お腹が痛くて不安でふるえていた自分に、付き添って親切にしてくれた看護師さんのこ

とを今でも覚えていた。手術の直前に不安になり泣き出した自分の手をぎゅっと握りしめて、ハンカ

チで涙をふいてくれた。「大丈夫だよ。すぐに治るから。」と優しく声をかけてくれた看護師さんの

姿を見て、「私もあんな看護師さんになりたい。」と思うようになった。しかし、看護師になりたいと

いうことは誰にも言っていなかった。それを他の人に言うと、実際には努力していない自分が情けなく

なってしま、7からである。

今日も明子は部活の朝練を休んでしまった。大会が近いのに、みんなと共に頑張れない自分に自信

明子はまわりの生徒に広美の状況を素早く確認し、広美に

「すぐに先生を呼んでくるから待っててね。」

がもてないのだ。その日は英語のテストがあった。しかし明子は休み時間に廊下の鏡の前で髪の毛をい

じっているばかりで、単語のひとつも覚えようとしていなかった。

「明子、外見ばっかり気にしてないで、テストのときぐらい勉強しろよ。」

廊下で英語の先生に声をかけられて愛想よく頭はさげるが、廊下の鏡の前から動かなかった。

そのときである。教室の方から「キャ

l」という悲鳴が聞こえた。明子が急いで教室に戻ると、同じ

クラスの広美が真っ青になって倒れていた。クラスのみんなはその様

子に驚くばかりで、まわりでオロオロしているだけであった。

と声をかけると、急いで職員室に助けを求めに行った。

「ニ組の広美さんが真っ青になって倒れています。すぐにきてくだ

L3い。」

明子が大きな声で伝えると、先生達が急いで広美のところにかけつ

けた。保

健の先生が声をかけても状況はかわらず、救急車が呼ばれた。

明子が広美の手をぎゅっと握りしめ、「大丈夫だよ。すぐに治るか

ら。」と声をかけると、広美の表情が少しやわらぎ、わずかにうな

ずいた。

広美を校門まで見送った明子が教室に戻ると、クラスの友達が明子に声をかけた。

「明子って本当にすごいね。私なんかびっくりして何もできなかったのに。明子のこと、尊敬しちゃう。」

クラスの友達が何人も明子に声をかけたが、明子は広美のことで頭がいっぱいであった。

明子は昼休みになるとすぐに保健室に向かった。

明子が保健室に行くと、保健の先生が話しかけた。

「広美さんは今、病院で落ち着いて休んでいます。明子さんがすぐに知らせてくれたおかげで、対応

できました。明子さん、本当にありがとう。明子さんには人を助けるような仕事が向いている

ね。」

そばにいた担任の先生も声をかけた。

「明子さんはとても心の優しい子で、保健委員の仕事も人一倍頑張っているんだよね。外見ではない、

その素晴らしい本当の自分をもっと磨いてみなよ。世の中では、明子さんのような心の優しい人が活

躍してくれるのを多くの人が望んでいるんだよ。」

そうすロわれた明子の目は涙であ

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山れていた。

「私、真面目に勉強して、人の為にがんばる。今までいい加減だった分、これからはもっと努力するか

らね。これからの私を見ていてください。」

まわりにいた先生が大きくうなずくと、明子はすっきりとした表情で歩きはじめた。

本資料集は、さいたま市道徳郷土資料集(第 l集~第 2集)

心豊かなさいたま市の子どもをはぐくむために(第 l集~第 3集)心のノ ー ト(さいたま市版)

と併せて、編集した。

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