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憲法Ⅱ

憲法Ⅱ(統治機構)

 はじめに ― 憲法Ⅱの対象 ―

【text】1-3頁「第Ⅰ部第Ⅰ章 統治」

1 government

 governmentは、それが国家権力(作用)を指すとき「統治」と訳され、その権力行使者(担当機関)を指すとき「政府」と訳される。

 国家(地方公共団体)は、統治に携わる権力機構である。

  → 民間企業とは法的性質を決定的に異にしている(see 三菱樹脂事件)。

2 統治

 統治とは、ルールに従って一元的・統一的な権力支配を行う国家の作用のことをいう。権力支配とは、国家に居住する個人・団体に強制力を行使することをいう。

 → 国家と個人・団体との間の法的地位(法的関係)は、強制的・一方的に形成される。

 憲法(公法)とは、国家(地方公共団体)が国民(個人・団体)を統治するとき行使する権力を規律するためのルールである。

3 統治/政治

 国家は、階層的組織体の姿となって、権力支配に従事している。権力支配のための組織体の各官職を法的地位として見たとき、それを「国家機関」という。

 → われわれは国家機関の無数の行為を俯瞰したとき、そこに「国家の姿」を見て取っているのである。国家は、実在しない抽象概念である。われわれの頭の中だけにあるGestalt(形態)である(その意思を語るなかれ(xi))。

 国家機関は「統治」ばかりでなく「政治」にも従事している。

 【Point】「統治」は、国家の正式機関が国法に従ってなす組織的活動であるのに対して、「政治」の従事者は国家の正式機関に限定されていないし、ルールに従う必要もない。

 統治について語るのが国法学(憲法学(憲法Ⅱ))であり、政治について語るのが政治学である。

第1章 日本国憲法における立憲主義

【text】101-104頁(第Ⅱ部第1章)

1 立憲主義

1 立憲主義とは

 憲法によって統治権を制限することを「立憲主義」という。

 国家は、統治に携わる権力機構である。その性質上、強制力をもたざるを得ない。立憲主義の狙いは、国家の強制力を憲法の下において、その〈牙を抜く〉ことである。

 立憲主義は「近代立憲主義」と「現代立憲主義」に区別され、前者から後者への移行が説かれている。

2 近代立憲主義

 近代立憲主義とは、自由権(国家からの自由)の保障を第一義とするために「制限された権力をもっての統治」(limited government)を目指す憲法体制のことである。

 近代立憲主義の目的は、国家による強制力の発動を最小限にとどめることである。

  → 憲法は国家権力を制限する「制限規範」である。

3 現代立憲主義

 現代立憲主義とは「社会国家の樹立を目指すために権力を積極的に行使する統治」を容認する憲法体制をいう。

 【Point】社会国家とは、社会権(社会保障)を充実させることが国家の任務であると考える国家観である。ワイマール期のドイツで起こった(see ワイマール憲法)。

 現代立憲主義の目的は、社会国家の樹立、換言すると、近代立憲主義がもたらした負の遺産(貧富の格差、経済恐慌、失業など)に有効に対処することである。

  →「負の遺産」を解消するために、国家が市民生活に積極的に介入することを容認する。

 【Q】社会国家は「望ましい社会」をもたらすか? see 設計主義の考え方

 近代立憲主義の「行き過ぎ」から生じた階級や貧富の差を解消する。

   ↓

 「望ましい社会」を構想して(設計して)市民社会をその枠組に合わせる必要がある。

   ↓

 国家が社会的正義の実現を目指して統治(強制力の行使)を行う。

   ↓

 市民や「社会的弱者」にとって、よりよい社会が形成されるはず。

 【Point】これが「望ましい社会」の内容だと誰にわかるのだろう。社会的正義を追い求めることは、結局は、自らの利益を「正義」の名の下で主張する利益団体や既得権保持者の要求を追認するだけになっていないか。本当の弱者は、統治に政治的影響を与えられるような集団を形成できていないのではないか。「沈黙」を余儀なくされていないか。

4 日本国憲法の立憲主義

 【text】日本国憲法は、想像以上に、古典的な立憲主義に彩られている。社会権は「例外」と考えたほうがよい。

   2 日本国憲法の特異さ

1 現実の統治過程に明治憲法のプラクティスや習律が残っている。

(1) 日本国憲法は立憲君主制を採用していないことは明らか。

(2) 内閣(宮内庁)の天皇に対する処遇は明治憲法下のよう。

(3) 統治過程に垣間見られる古い慣行や習律(【see】103頁)。

2 「徹底した平和主義」の採用

 日本国憲法には、自衛戦争まで放棄するかのような決意が見られる。

  → 他国に誇るべき“進歩的思想”か、それとも、“普通の国からの逸脱”か。

3 豊富な社会権規定

 日本国憲法を古典的な立憲主義憲法であると完全に割り切れないほど豊富な社会権規定がある。日本国憲法下での社会権保障を「例外」と考えてよいか。

第2章 現行憲法制定の法理

【text】105-109頁(第Ⅱ部第2章)

1 明治憲法の制定とその特質

1 明治憲法の制定

(1) 明治憲法は「復古」の名の下で中央集権国家を樹立させた。

  わが国における国民国家の樹立は、明治政府により、それまでの藩体制を否定し、中央政府を作り上げることにより成し遂げられた。

  国民国家とは、国民を単位として成立した統一国家のこと。市民革命を経て国民的一体性の自覚の上に完成するのが一般的である(ex. フランス革命、アメリカ革命)。

  わが国の場合は、明治維新期の指導者たちが、市民革命を経ずに(流血の惨事を搔い潜ることなく)平和裡のうちに国民国家の樹立を成し遂げた(まさに「革命的」)。

 【Point】統一国家としての基盤を作り上げた廃藩置県の意義は大きかった。なぜなら、廃藩置県により、国民国家の基盤である租税徴収体制を全国一律に導入することができたからである。

(2) 明治憲法制定の狙いは王政復古の体制を堅固にすることであった。

  憲法制定にあたっては、君主国でありながらわが国に先駆けて憲法を制定していたプロイセン、オーストリアの憲法が参考にされた。伊藤博文らがシュタインやグナイストに学んだ。

  王政復古体制のために

1 華族令(明治17年)→ 貴族院

2 内閣官制(明治22年)→ 立憲君主制下での内閣制

2 明治憲法の特質

(1) 明治憲法の制定にあたって留意されたこと。

1 欽定憲法とすること。

2 漸進的性格とすること(進歩的にならないこと)。

3 議会の権限を希釈すること。

  【Point】明治維新が王政復古の形式をとったことから、なかでも「国体」を宣言することが、憲法制定の重要な目的であった。

   「国体」とは、明治憲法発布勅語にいう「祖宗ノ遺烈ヲ承ケ」た主権(統治権および制憲権)が天皇に帰属していること、それのみならず、天皇家や天皇の身体について、国民またはその代表者が容喙すべきでないことをいう。

(2) 明治憲法に対する批判

  明治憲法は、① 日本版王権神授説によっている、②「外見的」立憲主義にとどまっていることなどの点から、後世の民主主義者から批判を浴びている。

  → しかし、当時の指導者の立場からすれば、天皇制を復活させて、しかも西欧諸国に伍するよう国民国家を樹立するためには、やむをえない選択であったと思われる。

(3) 明治憲法の病理

【Point】統帥権の独立(明憲11条) 明治憲法11条は「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と規定している。この「統帥」という概念がマジカル・タームとなり、統帥事項は、議会や内閣の関与を許さない事項だ、との解釈を生んだ。

 議会や内閣による統制の及ばない「統帥権」の生成を許してしまったことが、明治憲法の最大の欠陥であった。→ 天皇の統帥権発動を擬制した軍部の戦争遂行

2 太平洋戦争

1 開戦 1941年12月8日 日本軍の真珠湾攻撃で太平洋戦争開戦

2 敗戦へ

 1945年6月23日 沖縄戦終結(慰霊の日)

     8月6、9日 広島、長崎に原爆投下

     8月14日 ポツダム宣言受諾

     9月2日  降伏文書調印

3 戦争を終結するためにポツダム宣言が掲げた条件(要約)

1 軍国主義勢力を永久に追放すること。

2 軍隊を完全に武装放棄すること。

3 日本国の主権が及ぶ領域は、本州、北海道、九州及び四国並びにその他の諸小島に限定されること(8項)。

4 民主主義および言論、宗教、思想の自由といった基本的人権を確立すること(10項)。

5 日本国民が自由に表明した意思に基づく責任ある政府を樹立すること(12項)。

  以後、ポツダム宣言(とくにその12項)が完全に実現されるまで、日本国内は、アメリカを中心とする連合国(United Nations)に占領されることになる。

  【Point】占領政策の最重要課題が明治憲法の「改正」だった。

    3 憲法改正手続

1 マッカーサー3原則の提示

1 元首たる地位におかれる天皇の権限は、憲法に基づいて行使されること。

2 国家の主権的権利としての戦争を、紛争解決にためであれ自衛のためであれ、放棄すること。

3 日本の封建制を廃止し、予算のタイプを英国の制度に倣うこと。

2 双方の思惑

(1) 連合国

  連合国は、危険な軍国主義国家日本を全面的に武装解除させようと考え、日本政府に対して、自衛戦争を含むいっさいの戦争を放棄するよう求めた。

(2) 日本政府

これに対して、改正にあたっていた日本の関係者たちの関心は、天皇の地位に劇的な変化が加えられないことにあった。

→ 天皇制が象徴として残されることに安堵した関係者たちは、戦争放棄の条文に神経を払うことはなかった。

(3) 明治憲法の「改正」としての日本国憲法

  憲法改正案は、明治憲法73条の改正手続に従って、第90回帝国議会に附議された。その際の勅書の中で、昭和天皇は、以下のように述べている。

  「朕・・・国民の自由に表明した意思による憲法の全面改正を意図し・・・」(上諭)

4 憲法制定権(制憲権)と憲法改正権(改正権)

     【text】56-59頁(「第Ⅰ部第9章 憲法の改正」)

1 憲法の改正とは

  憲法の定める正式の手続に従いながら、改正権者の明示的意思によって、憲法(の一部)またはその条規に変更(削除、追加糖を加えることを、「憲法の改正」という。

  → 全部改正も「改正」ととらえている憲法もある(ex.カルフォルニア州憲法)

2 通説:改正とは全部改正を含まない。

もとの憲法の内容と「同一性」(constitution)をもつ変更だけが憲法の「改正」である。「全部改正」は新たな憲法の制定である。

もとの憲法の改正手続に則って、もとの憲法の改正権の実体的限界を超えずに憲法改正が実施されたならば、そこにはconstitutionの変更はないと考えられる。

3 制憲権/改正権 法的性質の異同

  憲法のない状態を考えると・・・

  制憲権は憲法に拘束されない“生の権力”(事実の力としての万能の制憲権)である。

     ↓

  制憲権が発動され、憲法上に立法に関する条項、行政に関する条項、司法に関する条項が規定されることで、「立法権」、「行政権」、「司法権」という権限の内容が顕現するとともに、当該権限の行使機関、行使手続が明確になる。

  これらと同じように憲法改正に関する条項が憲法上に規定されることで、「憲法改正権」という権限の内容とその発動方法明確になる。

     ↓

  以後、国家権限の一部である憲法改正権は、憲法の手続規定、実体的な統制を受けることになる(「法制度化された制憲権」)。

     ↓

  憲法を全面改正すること(憲法の実体的な統制を超えて改正すること)は、〈生の権力〉である制憲権のみがなせる技であり、憲法に拘束される改正権では、憲法を全面的に改正することはできない(「制憲権/改正権」峻別論)。

   5 「改正」論争

1 【問題の所在】国民を主権者に据える日本国憲法は、天皇を主権者としている明治憲法が定める改正手続(明憲73条)に従って、帝国議会に提出され、天皇の裁可を経て誕生した。

   このように国家における主権(制憲権)の所在を転換することは、新憲法の制定にあたるので、「改正」の名の下では、法理上ありえない事態ではないか?

   → 改正権には限界があるのではないか(「改正権/制憲権」峻別論)

2 【通説的解法】憲法改正限界論からの解答

  改正権では制憲権の所在を変更できない(憲法の実体的統制の枠外の変更だから)。

    ↓

    でも改正権の限界を超えて制定された日本国憲法は無効であるとの結論は避けたい。

      ↓

    そこでポツダム宣言を受諾した時点で“わが国は国民主権へと転換した”と考えよう。

    【Point】宮沢俊義による「8月革命説」

第3章 日本国憲法前文と基本原理

【text】110-114頁(第Ⅱ部第3章)

1  憲法前文の意義

 法令の条項の前に置かれる文章を「前文」という。

 憲法典の前文には、憲法典制定の経緯や一定の基本原則が掲げられるのが通例である。

 ただ、日本国憲法の場合には、憲法制定の経緯については公布文で述べられている。前文には基本原則が述べられている。

2  前文の法源性

法の存在形式のことを「法源」という。法源ならば、法の解釈・適用にあたって援用できる法形式であることになる。

1 【Q】前文が法源であることには争いがない(前文の法規範性は肯定されている)。では、前文は裁判規範であろうか?

  「裁判規範」とは、裁判所が具体的事件に適用できる法規範のことをいう。

 → 今日では、前文全体としての裁判規範性を云々するという問題設定は生産的ではないとされている。そこで、前文には見られるが憲法本文には見られない権益の裁判規範性を検討することが行われている。

 【判例】長沼事件1審判決(札幌地判昭和48年9月7日、判時712号24頁、百選181事件)。前文第2段末尾の「平和のうちに生存する権利」の裁判規範性を肯定。

  → 前文該当部分は「全世界の国民に共通する基本的人権そのものであることを宣言するもの」であって、同権利は「憲法第三章の各条項によって、個別的に基本的人権の形で具体化され、規定されている」。

  ところが、その控訴審判決(札幌高判昭和51年8月5日、行集27巻8号1175頁、百選182事件)では、前文該当部分は理念としての平和の内容を具体的かつ特定的に規定しているわけではないことを根拠として「平和のうちに生存する権利」の裁判規範性を否定している。

 → 控訴審の「平和のうちに生存する権利」は「裁判規範として、なんら現実的、個別的内容をもつものとして具体化されているものではないというほかない」との言明から、ある法規範が裁判規範たるためには、その内容に具体性・明確性が伴っていなければならない、と考えられる(長沼事件第1審判決を批判的に検討した、今村成和「長沼自衛隊違憲訴訟における訴えの利益」判時712号11、13頁も参照)。

  百里基地訴訟においても、裁判所は第1審から上告審まで、一貫して「平和的生存権」の裁判規範性を否定している。

【Point】前文は、日本国憲法全体の基本理念を示したにとどまり、具体的事件を結論へと導く裁判規範ではない、と理解すべきである。

2 憲法前文は、裁判規範ではないとしても、憲法の骨格(国制)を描き出す重要部分である。

  【確認Point】わが国の通説的見解は、憲法改正限界論をとっていた。

 → 憲法改正規定は、憲法典上の権限であるから、憲法の基本構造・基本理念を変革する力をもつことは法理上ありえない。

  憲法改正限界論にたった場合、前文に描き出されている日本国憲法の本質部分は改正不可能である、との論理が見えてくる。

3 日本国憲法の基本原理

 憲法の前文には、立憲主義の流れや人類の歴史的経験が反映されている。憲法の読み手(解釈者)であるわれわれが憲法前文から読み取れる日本国憲法の基本原理には、すくなくともつぎのものがある。

 【注】初等中等教育で習った「三大原則」に日本国憲法の基本原則は限定されない。

1 代議制の採用 → 国民は権力を直接行使するわけではない(民主制を統制)。

「国政(を実施する)権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使」する。

2 国民主権原理の採用。

3 自由の尊重。「自由のもたらす恵沢を確保」。

4 憲法を最高法規とする。われらは「人類普遍の原理」に「反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」→ 人類普遍の原理(高次の法 higher law)に統治権者を服させる。「高次の法」は憲法制定権力者をも統制する。→ 法の支配の採用。

5 国際協調に徹しながら安全保障政策をとること。〈平和主義 → 9条 → 戦力全面放棄〉という思考法にはない。〈9条の意味 → 安全保障のあり方 → 平和主義の意味〉という思考法の採用。

  さらに、憲法本文からは権力分立制(「三権分立」ではない)の採用が、日本国憲法の基本権利として読み取れる。

4 日本国憲法と法の支配(【text】37-43頁「第Ⅰ部第7章 法の支配」)

1 立憲主義・権力分立・法の支配は、同一の目的をもつ法理論である。

  法の支配の目的は、すべての国家機関の行為を法のもとにおいて、その恣意的な活動を統制することで、人びとの基本権を保障することである(立憲主義の目的と同じ)。

  →「制限された政府」の樹立を要請する権力分立の目的とも軌を一にしている。

  法の支配は、国家機関が民主的であろうとなかろうと、すべての国家機関の行為を法によって統制しようとする理念である点で、形式的法治主義とは異なる。

  →〈正しき法の制定 → 制定された法の正しき執行〉を求める権力分立は、法の支配の構造的表れ(制度化された姿)であるといえる。

  立憲主義思想に彩られ権力分立構造を内包している日本国憲法は、法の支配の理念を現実の統治のなかで実現しようとする法思想を具体化するものであるといえる。

2 法の支配(rule of law)とは

  法の支配にいう「法」の意味を明らかにすることは、難問中の難問である。

  → なぜなら「法の支配」にいう「法」は、文書化されているルールを超えるメタ・ルールだから。

  法の支配の理論化を試みたイギリスの法学者A・ダイシーは、長年にわたる法実践のなかから人間が次第に獲得してきた法的知識を「正規の法」(regular law)と呼んだ。

  それは文書としては決して書ききることのできない、人間が会得してきた法的英知なのである。

 【Point】法の支配は、われわれの権利義務に関する実定法(人為法)を指導するメタ・ルールである。

  → 法の支配は、制憲権(主権)をも統制するルールである。日本国憲法にも法の支配の理念が散りばめられている。

3 日本国憲法に表れている法の支配

(1) 日本国憲法を包括するパラダイム 権力分立構造(41・65・76条など)。

(2) 統治機構の部

1 司法権を通常裁判所に専属させている。特別裁判所設置の禁止。(76条)

2 独立の保障された司法部。(76条)

3 憲法条規の最高法規性を宣言(98条1項)。

(3) 権利章典の部

1 適正手続保障。罪刑法定主義。(31条)

2 遡及処罰と二重の危険の禁止。(39条)

3 公正な裁判の保障。(32条)

  法の支配は崇高な理念であるので、憲法典という法文書が法の支配を完全に書き記していることはない。

  法の支配は、権力分立による謙抑的権限行使構造のなかに、反映されている。

第4章 象徴天皇制

【text】115-124頁(第Ⅱ部第4章)

   1 本章の課題

 象徴天皇制の「法的意味」を正確に理解することが本章の課題である。但し、これは思いの外、難題である。

 君主権限を支える理論は、実定憲法よりも古い歴史をもっているので、「君主を理解できれば、国家と憲法のすべての謎が解ける」ともいわれている。

   2 憲法1条

1 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であ」る(前段)。

  象徴とは:抽象的概念をある具体的なものの中に見出して姿を現させるもの(こと)。

   ex. 「平和」という抽象的概念を「鳩」という具体的なもののなかに見出す。

    「情熱」という抽象的概念を「バラ」という具体的なもので示す。

  天皇制は、日本国民統合という抽象的概念を、顕在化させるものである。

  → 自然人たる天皇は、その一身や自ら主宰する儀式を通して、国家や国民の一体性を再現前(represent)する存在である。

2 天皇の「地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」(後段)

    この一文は、明治憲法を支えた神権天皇制(日本版王権神授説)を否定し、天皇の地位を主権者である「日本国民の総意」に基礎づけようとするもの。

    → 天皇の地位が国民の総意によるものであることを擬制している。

   3 天皇の権限

1 【Q】国民の総意に基づき「天皇という職(機関)」に就いている天皇は、国家機関としてどのような権限をもつと理解すればよいか。

2 機能論 権利や権限を語るとき、その機能から権利・権限の本質(実質)を語ることはできない。

【Point】「象徴」という機能は憲法上の権限配分とは無関係である。

天皇(または天皇制)は、国民統合の象徴としての「機能」(役割)をもつが、この機能から天皇の法的権限を導き出すことはできない。

→ 天皇の権限は、その法的地位を分析することから導き出される。

  この機能論を基底にしているからこそ、次のような言説が成立する。

  【Point】国民主権と天皇制

  国民主権のもとでは、主権という「権限」を有するのは有権者団という国家機関であるのに対して、天皇という機関は象徴としての「機能」をもつにとどまっている。だから、国民主権と象徴天皇制は、法上、両立するのである。

3 天皇の法的地位

 (1) 天皇は君主か

  君主とは、国家の統治権の重要部分を行使し、対外的に国家を代表する外交交渉権をもつ、独人制国家機関のことを指す。

  → 憲法4条により「国政に関する権能を有しない」以上、天皇は君主ではない。

  ただし、政府は、天皇が世襲の地位をしめ、国民に尊崇の対象とされていることを根拠として、天皇は君主である、と理解している(昭和46年6月28日の政府公式見解)。

 (2) 天皇は元首か

  元首の概念は、散漫に用いられている。たとえば、対外的に国家を代表する機関を元首と解するなら、諸外国は、天皇を元首のように扱っている。

  → しかし、憲法73条3号により、外交処理権限は内閣にあると考えられる。天皇は、法的には、国家・国民を対外的に代表する機関ではなく、したがって元首ではない。

   4 天皇の国事行為

 【Q】君主でも元首でもない天皇が日本国憲法上なしうる行為はなにか。

1 天皇の国事行為

  憲法4条1項は「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と定め、6条、7条に「国事行為」の種類を列挙している。

  さらに、憲法3条は「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」と定めている。

  天皇が国家機関として、日本国憲法上、内閣の助言と承認のもとになしうる行為を「国事行為」という。

2 内閣による助言と承認の意義

  日本国憲法は、象徴たる天皇の地位(または象徴天皇制それ自体)を防御するために、天皇が国政に関する権能を行使しないように、また、統治や政治の領域から影響を受けないようにするために、内閣による助言と承認の制度を定めている。

  【Point】天皇による統治を防止するとともに、天皇の政治的中立性を確保する。

  → 仮に天皇が統治や政治に関与すれば、国家・国民の一体性を象徴する役割を果たせなくなる。【see】憲法Ⅰで「私人としての天皇」には憲法第3章上の権利主体性が認められるけれども、政治性を有する権利の保障は、象徴としての天皇の機能を維持するために相対化されると説いたのはこのことである。

· 内閣の助言と承認と衆議院の解散(【text】119-121頁)については「議院内閣制」の項目で解説する。

3 天皇の行為に関する学説

    天皇が憲法上なしうる行為の種類(類型)の違いに応じて、学説が二分している。ひとつは、天皇が憲法上なしうる行為を国事行為に限定する「国事行為限定説」、もうひとつは、天皇は国事行為の他にも憲法上なしうる行為があると考える「国事行為非限定説」である。

 (1) 国事行為限定説(2行為説)

   天皇の行為を【国家機関としての行為/私人としての行為】に二分。

   天皇は「天皇という職」(国家機関としての地位)を占めているとき、その行為は、憲法第1章の統制下にある。したがって、その行為の種類は、憲法6条および7条に列挙されている国事行為に限定される。

   国家機関としての天皇の地位を離れた「私人としての天皇」の行為は、憲法第3章により保障をうける(但し「象徴天皇制」を採用していることによる特別の制約があることは上述している)。

 (2) 国事行為非限定説(3行為説)

   天皇の行為を【国家機関としての行為/象徴としての行為/私人としての行為】に3分。

   天皇は、国家機関としての行為以外にも、憲法上、はたすべき象徴としての機能に応じた職務がある。たとえば、天皇の外国への親善訪問、国会開会式での「おことば」などの行為がこれにあたる。天皇は、日本国の象徴として、公式にこれらの行為をなしうるのである(象徴行為説)。

   (天皇は、天皇という職に関連する公人としての地位にあり、その地位から派生する「公人としての行為」として上述の行為を説明する「公人行為説」もある)。

   「象徴としての行為」は、内閣の助言と承認のもとで、宮内庁法1条にいう「皇室関係の国務事務」に含められ、その行為に要する費用は宮廷費(国庫)から支出される。

 (3) 国事行為限定説が正しいが実務は3行為説にある。

   天皇の機能から権限を導き出すことができないと考えられるので、象徴としての機能から憲法上の権限を導き出すことはできない(「公人」という茫漠とした概念からも権限が導き出せるとは思われない)。このように考えれば、3行為説の欠陥は明らかであると思われる・・・が、実務上は、3行為説によっている。

第5章 戦争の放棄

【text】125-134頁(第Ⅱ部第5章)

   1 立憲主義による軍隊の統制

   議会や大統領により専門職業的官僚団である軍隊を統制することを「シヴィリアン・コントロール」(civilian control、文民統制)という。【see】憲66条2項。

   → 正規軍の編成、予算、宣戦布告権などの決定を、文民による機関に留保することで、軍隊を憲法的に統制しようとした。

  

 ただ、通常の官僚団以上に専門的知識と装備を備える機能集団である軍隊を有効に統制するのは至難の技であった。なぜなら、軍隊の行動を「行政」と理解することに無理があったからである。

 それでも軍隊(自衛隊)を「立憲主義にとっての異物」にしないように9条は解釈されなければならない。

   2 武力行使違法化の歴史

1 「戦争」の定義

 国家または国際団体の正規軍が国際戦時法の範囲内で、武力を行使しあう法状態のことを「戦争」という。

 → この定義からも明らかなように、戦争は、無法状態ではない。また、国家の正規兵力を用いる点で、群民蜂起やゲリラ行為とも異なる。

2 「正戦論」から「無差別戦争論」へ

  人類は、古代から、さまざまな類型を用いて戦争を区別し、統制しようとしてきた。その第1の形体が「正戦/不正戦争」という区別である。前者は許されるが、後者は許されないというのである(正戦論)。

  → しかし、自らの行為を「不正な戦争」という国家は存在しない。

  そこで、つぎに登場したのが、戦争を類型化せず、戦争を手続的に統制しようとする「無差別戦争論」である。無差別とは、戦争を「正/不正」に類型化しないことを指す。

  → 無差別戦争論は、主権者による宣戦布告後の戦争だけを、正当な戦争行為とするものである。

  それでも、第1次世界大戦を抑止するには至らなかった。

3 戦争の原則違法化へ

 1920年に設立された国際連盟は、戦争を一般的に禁止するには至らなかった(連盟規約前文参照)→ 第1次世界大戦勃発

 この反省にたち、1928年の「不戦条約」は、侵略戦争と国策として遂行される戦争を禁止した(不戦条約1条)。

 不戦条約は、戦争を原則違法化するものではあったが、自衛戦争は例外としていた → 第2次世界大戦勃発

4 武力行使それ自体の違法化へ

  国連憲章2条4項は、国連による強制措置、「自衛権」の発動等、一定の条件下におけるものを除き、国際紛争を解決する手段としての武力行使を、一般的に禁止している(自衛戦争/自衛権の発動)。

 【Point】このような武力行使違法化の流れのなかで、憲法9条はどのように読まれるべきであろうか。

   3 憲法9条の解釈

1 9条1項の意味

  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争を、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 (1)「国権の発動たる戦争」とは、形式的意味での戦争のことである(【see】戦争の定義)。

 (2)「武力による威嚇」とは、要求を認めなければ武力を行使するという態度を示すことにより相手国を脅すことである(【ex】1915年の対華21か条の要求)。

 (3)「武力の行使」とは、形式的意味では戦争と言えなくても、それと同視できる国家間における武力紛争(実質的意味では戦争)のことである(【ex】1931年の満州事変、1937年の日中戦争)。

  【Point】9条1項は、「国際平和」を実現するためには「形式的意味の戦争」のみならず、「武力による威嚇」および「武力の行使」もすべて放棄する必要がある、との認識に立っている →「戦争/武力行使」を区別せずともに違法と考えている。【see】武力行使違法化の歴史。

 (4)「国際紛争を解決する手段としては・・・放棄する」というフレーズは、国際法上、自衛戦争の放棄を含まないものと理解されてきている。

2 9条2項の意味

  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

  ここでは2項冒頭の「前項の目的」が問題となる。1項の目的は「国際平和を誠実に希求」することにあると思われる。すなわち、2項は〈国際平和を誠実に希求する〉という目的を達成するために、陸海空軍の保持を禁止し、国の交戦権を否認している。

 

【Q】上記(4)と関連して、では自衛権の行使はどのような形で容認されているのであろうか。

→ 教科書は「武力によらない自衛権」を容認している、と理解しているように思われるが・・・。

    4 自衛権の意味

1 「自衛権」とは

  「自衛権」とは、外国からの急迫または現実の不正な侵略に対して、国家が自国を防衛するためにやむを得ず一定の実力を行使する権利であり、主権国家に固有の権利であると解されている(個別的自衛権)。

  → この考え方は、国家の「自衛」を個人の「正当防衛」に準えて理解する思考法である。であるならば、国家の「自衛権」は、実は「権利」ではなく、違法性阻却事由であると解するべきであろう。

    この意味における「自衛権」は、わが国も放棄しておらず(その不可譲性ゆえに放棄させることはできない)、自衛のための最小限度の実力(「防衛力」)は9条2項が禁止している「戦力」にはあたらない(昭和55年3月5日の政府見解)。

    → したがって「自衛のための実力行使」は、憲法上、禁止されていない。

  

  2 個別的自衛権/集団的自衛権

  

    「個別的自衛権」とは、自国が外国から武力攻撃にあったときに発揮される自衛権のことであった。「集団的自衛権」とは、他国への武力攻撃を、自国への武力攻撃とみなして、共同して防衛行動をとる権利のことである。

    → 集団的自衛権の概念が登場したのは国連憲章51条の制定による。

  

    政府見解によると、集団的自衛権は国際法上は認められるとしても、わが国はこの権利の行使を憲法9条により禁止されていることになる。

    →【see】政府見解が示した自衛権発動の要件

     ① わが国に対する急迫不正の侵害があること。

     ② これを排除するために他の適当な手段がないこと。

     ③ 必要最小限の実力行使にとどまること。

3 集団的自衛権と9条

  日米安保条約前文は「両国が国際連盟憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権

利を有していることを確認し・・・」という。また1997年の「日米防衛協力の指針(ガイドライン)」は、防衛協力における自衛隊の役割分担を定めている。この自衛隊の役割分担は、集団的自衛権概念をもちいてはじめて説明できるものであるだけに、政府見解は一貫性に欠けているとの批判がある。

   5 憲法9条をめぐる裁判例

1 砂川事件最高裁判決(最大判昭34・12・16刑集13巻13号3225頁、百選179事件)

  【争点】駐留米軍の合憲性

  【判旨】憲法9条2項が保持を禁止した戦力とは、わが国が指揮権・管理権を行使できる戦力のことである。

  【Point】この判決のなかで、最高裁は、つぎのように言った。憲法9条により「わが国が主権国家として持つ固有の自衛権は何ら否定されて」いない。「わが憲法の平和主義は決して、無防備、無抵抗を定めたものではない」。

2 長沼事件1審判決(札幌地判昭48・9・7判時712号24頁、百選181事件)

  【判旨】自衛隊は憲法9条2項により保持を禁止されている「戦力」に該当し違憲である。

  【Point】「現行憲法が・・・いっさいの戦力および軍備をもつことを禁止したとしても・・・〔独立国に〕固有の自衛権自体までも放棄したものを解するべきではない・・・。しかし、自衛権を保有し、これを行使することは、ただちに軍事力による自衛に直結しなければならないものではない」として、伝統的意味での自衛権の行使によらない自衛手段(たとえば「民衆が武器をもって抵抗する群民蜂起の方法」)であれば(「武力によらざる自衛権」)、憲法9条が禁止した自衛行為にはあたらない、という。

  【批判】「群民放棄」等の民衆による抵抗行為は、国家行為ではないので、憲法による統制対象ではない。これを「国家の自衛権」と位置づけることはできない。

  【控訴審】保安林の代替施設を整備 →「訴えの利益」消失。傍論で、防衛体制の構築は統治行為の範疇に属すると判示。【最高裁】「訴えの利益」に関する原審判決を支持。

3 自衛隊イラク派兵差止請求事件(名古屋高判平20・4・17)

  【判示事項】イラクで航空自衛隊が実施している空輸活動は、武力行使を禁止したイラク特措法2条2項、活動地域を非戦闘地域に限定した同3項に違反し、かつ、憲法9条1項に違反する活動を含むものである。ただ、この航空自衛隊の活動による控訴人らの平和的生存権に対する侵害は認められない。

  【comment】傍論でイラクでの自衛隊の活動を9条違反としている。この判決手法には賛否両論ある。

第6章 日本国憲法の基本的な統治構造

1 権力分立(【text】135-139頁)

権力分立の2つのタイプ:日本国憲法が採用した権力分立は「完全分離型」か「相互作用型」か。

 (1) 完全分離型

  国家作用を区分し、担当機関を分離して、各機関にそれぞれの作用を独占的に帰属させる権力分立の形。

  → 国家作用を 立法/行政/司法 と区分し、担当機関を 国会/内閣/裁判所 に分離して、立法権を国会に、行政権を内閣に、司法権を裁判所にと、各機関にそれぞれの作用を独占的に帰属させる権力分立観。

  【通説的見解】「権力分立」とは、国家の諸作用を立法・行政・司法に区分し、それぞれを異なる機関に担当させるよう分離し、相互に抑制と均衡を保たせる制度という。

  権力分立の目的は、国家権力が単一の国家機関に集中することに伴う権力の濫用を防ぎ、国民の権利と自由を守ることにある。

  完全分離型の欠陥

  ① 立法作用に国会以外の機関が関与していることの説明がつかない。

  ② 独立の権限を別個の機関に配分したのでは、権限行使にあたり「抑制と均衡」(check and balance)の取りようがない。

 (2) 相互作用型

  【相互作用型による権力分立の定義】ある権限を複数の機関に分属させ、当該権限の発動において複数の機関間の相互作用関係を利用することで、国家権限を謙抑的に行使させる統治の仕組みのことを「権力分立」という。

  【Point】日本国憲法の権力分立構造は、相互作用型によっている。

  → 議院内閣制における統治構造は完全分立型でとらえることはできない。なぜなら、それは国会と内閣との間に政治方針の一致をもたらそうとする統治構造であるから。

  日本国憲法における権力分立

  ① 法律の制定に関する二院制(59条2項)、署名・連書(74条)。

  ② 予算の制定に関する内閣の予算作成権・提出権(73条5号)と国会の予算決定権(60条)。

  ③ 条約の締結に関する内閣の条約締結権と国会の条約承認権(73条3号)。

  ④ 国会(法律)や内閣(命令、規則、処分)の行為の適法性を審査する裁判所の司法審査権(81条)。

  ⑤ 地方政府に統治権(自治権)を認めている第8章。 など

· 権力分立論における相互作用論のもとになっているモンテスキューの理論については、【test】 第Ⅰ部第11章「権力分立」を参照。とくに65-67頁に注意。

2 二院制(【text】139-140頁)

1 総説

 立法権の主たる行使主体として、組織原理および議事ルールが異なる2つの独立的な審議体が憲法上の機関として存在することを「二院制」という。

 モンテスキューは、二院制の存在意義を「議会の専制」を抑制することであるとした。

 日本国憲法も「国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する」(42条)、「法律案は・・・両議院で可決したとき法律となる」(59条1項)と定めており、二院制の採用を明記している。

 →〈両議院の意思が合致したとき、それが国会の意思になる〉。例外:衆議院の優越。

 【N.B.】「国会」は。実体のある組織体ではない。それは衆議院と参議院のそれぞれの議員が有している諸権限(主たるものは立法権)を共同して行使する際に浮かび上がる観念体にすぎない。〈国会とはわれわれの頭の中だけにあるGestaltである〉。

2 衆議院と参議院

 (1) 衆議院

  定数480人(小選挙区選出300人、比例代表区選出180人)

  任期4年だが、解散あり。

  衆議院の優越:法律案(59条)、予算の議決(60条)、条約の承認(61条)、内閣総理大臣の指名(67条2項)について、衆議院の議決は参議院の議決に優位する。また、内閣不信任議決権をもつのは、衆議院のみ(69条。参議院における議決は法的効果なし)。

 (2) 参議院

  定数242人(選挙区選出146人、比例代表区選出96人)

  任期6年。解散なし。

  「参議院不要論」:衆議院と選挙制度が似ていることから、構成員の同一性が高まった(「参議院の政党化」現象)。→「良識の府」としての役割を回復するためには「衆参同日選挙」をやめること、選挙制度を抜本的に改めるというような改革の必要があろう。

   3 選挙と選挙制度(【text】140-147)

1 選挙

 (1) 選挙とは

  選挙人(有権者)によって代表者を選出する行為を「選挙」という。

     議会の少なくとも一院が身分制代表のように出自によって選出されるのではなく、選挙人資格を有する者すべてによる自由で平等な投票によって選出されたとき、議会中心の統治が実現する。

   

  【N.B.】公職選挙法は選挙の方法として「投票」を採用している(35条)。

 (2) 選挙権の法的性質

  【N.B.】イェリネック「選挙権に関する二元説」:公務+主観的権利

  選挙権とは、選挙人となるための資格を求める権利(選挙人資格請求権)であり、その実質は、選挙人名簿への登録を求める権利(選挙人名簿登録請求権)である。

   → この資格は、国家という法人の構成員であるがゆえに認められるのであるから、国籍保有者に限定される。

  また、選挙権をもつ者たちが国家機関(有権者団)として行為する「選挙」という行為は、国家機関としての活動であるから、公務であると考えられる。

  わが国の通説的見解がいう「選挙権に関する二元説」は“選挙権は選挙人団という機関の公務であるとともに、「参政の権利」としての主観的権利でもある”という。

  選挙権を専ら主観的権利ととらえる見解もある(【text】145-146参照)。

   → 国民主権原理から選挙権が演繹されるという思考方法を放棄しているように思われる。では選挙権はどこから導き出される権利であるというのであろうか。

2 日本国憲法における選挙制

 (1) 議会法への委任

  日本国憲法は、選挙に関する下記の大原則を定めるのみで、選挙に関する大綱まで法律に委任している(47条)。

   → 選挙法制の技術的・専門的な領域は、憲法の規律領域ではない(憲法規定に馴染まない)。諸外国にもこのような枠組が多く見られる。

 (2) 日本国憲法における選挙の原則

  ① 普通選挙の原則(15条3項) 普通選挙の原則は、古典的には納税額による資格制限を否定する原則であった。現在では、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育等による選挙人資格の差別を禁止する趣旨で理解されている。

  ② 平等選挙の原則(44条但書) 選挙人資格者の投じた票は、誰のものであれ、一票として数えられる。「一人一票」の原則。形式的平等。

    【see】一票等価と実質的平等については【憲法Ⅰ】で述べた。

  ③ 自由選挙の原則 自由選挙とは、立候補や投票の自由を求める原則である。この原則からして、強制投票の禁止、すなわち、棄権の自由があるとされている。

    → 自由な投票を確保するために、日本国憲法は、投票人が誰に投票したのかを秘密にすることを要請している(秘密選挙の原則、15条4項、公選法52条・46条4項)。

    【補遺】最高裁は、選挙人がその候補者に投票したか調査すること(投票の検索)を、許容していない(最判昭23・6・1民集2・7・125頁、最判昭25・11・9民集4巻11号523頁)。ただ泉佐野市議選事件では、選挙犯罪捜査のために投票済み投票用紙の差押え等が許されている(最判平9・3・28判時1602号71頁)。

  ④ 直接選挙の原則 直接選挙の原則とは、選挙人が直接公務員を選挙するという原則である。【see】間接選挙制、複選制。

3 選挙制度

 (1) 選挙区

  有権者によって組織される選挙人団を区分けするための基準となる区域を「選挙区」という。選挙区は、講学上、小選挙区と大選挙区に分けられている。【cf.】中選挙区。

 (2) 比例代表制

  得票数に比例して議席を配分する代表的選挙制度に「比例代表制」がある。この制度は、死票を少なくし民意を反映する点で優れているとされている反面で、得票数に比例して議席を配分するためにはさまざまな手法があり、また技術的にも複雑になりがちであるとの批判もある。

 (3) わが国の選挙制度

  わが国では、国政選挙において、衆議院については小選挙区比例代表並立制が、参議院については選挙区選出制と比例代表選出制が並存している。

  参議院の選挙区選出議員の選挙区は、都道府県を1つの単位にしており、これがいわゆる議員定数不均衡違憲訴訟において最高裁が指摘する参議院選挙区選出議員の地域代表的機能に結びついている。

4 議院内閣制(【text】76-83頁[第Ⅰ部第12章])

1 権力分立制の中での立法府と執政府の関係

 近代国家は、国民の権利や自由を確保するために、共通して権力分立制を採用している。ただ、この権力分立制の下での立法府と執政府との関係に目を転じると、以下の4つの類型に区別できる。

 【N.B.】「執政」/「行政」

 日本国憲法65条は「行政権は、内閣に属する」と規定しているが、その英文をみると“Executive power shall be vested in the Cabinet.”となっていて、「行政権」に対応する“administrative power”という表現は用いられていない。英語の“executive power”は、本来「執政」を意味する言葉である。内閣および大統領が行使する権限は、執政権であり、行政権にとどまるものではない。【see】text 195-196頁。

 (1) 執政府優位型

   立法府と執政府は、相互に独立した関係におかれているものの、執政府が君主の任命により構成されていることにより、君主に対してのみ責任を負い(明憲55条1項)、立法府との関係ではそれに優位する地位を占めるもの。【ex】明治憲法下での立法府と執政府はこの関係にあった。各大臣は天皇を直接輔弼していた。

  → 議会の監督から超然とした存在だったので「超然内閣制」と呼ばれていた。

 (2) 立法府優位型

  議会自らが執政権限を行使するもので、議会の下に行政府がおかれ、行政府はもっぱら議会の代理人の地位を占めると考えられるもの。【ex】スイス。

  → 行政府は「議会の中に置かれた委員会」というイメージ。

 (3) 厳格分離型

  立法府と執政府が完全に分離し、執政府構成員の任命には議会の承認を必要としない代わりに、議会権限の行使にも執政府が関与しない。執政府に議会の招集・解散権や法案提出権がない。【ex】アメリカ

 (4) 議院内閣制

  議院内閣制の本質的内容を記述的に説明することは難題。

2 議院内閣制

 (1) 総説

  日本国憲法は、立法府と執政府との関係について、議院内閣制を採用しているといわれてきた。しかし、そのことは、人口に膾炙されているほどに自明なことではない。

  → 議院内閣制の採用を憲法は明記していない。

  日本の議院内閣制の下での国政の運営をみると、内閣がそれに対する主導的役割を果たしているように見える。それは、国会議員の中でも有能かつリーダー性をもつ者を内閣の構成員にしている、と考えられるからである。

  → 内閣の存在が国会の信任に基づいているわが国の議院内閣制は、「完全分離型」と捉えるならもちろん、その他の場合でも権力分立制の採用と整合的であろうか。

  日本のモデルとされるイギリスの議院内閣制は、長い政治的慣行の中から現出している(“イギリスに理論なし”)。この慣行を、憲法典の中に設計主義的に規定したのが、わが国の議院内閣制であると考えられる。

  → 慣行から生成された理論を記述することの限界。不文法の意義。

  【Point】わが国の議院内閣制は、法的には独立している議会と内閣との間で、政治的には意見の一致状況があることを、制度として確保しようとする理論である。

  → この2機関の関係において、何を〈議院内閣制の本質的要素〉と捉えるかに関しては、2つの捉え方がある。

 (2) 均衡本質説と責任本質説

  ① 均衡本質説

   この説は、議院内閣制の本質的要素を〈議会による内閣の不信任決議とそれに対する内閣による議会の解散権が法定されていること〉にあるという。

   この説によれば、議院内閣制は議会と内閣の連携関係(政治方針の一致)が崩れたとき、各機関がそれぞれ上記のような権限(不信任決議権と解散権)を行使し、両者間の政治方針一致の原則を取り戻そうとするところに議院内閣制の本質がある、と考えられる。

   → 議会と内閣の連携関係が崩れた際に〈不信任決議 - 解散〉という「伝家の宝刀」があり、そのことで各機関の権限が抑制的に行使されることが期待できるところが議院内閣制の本質であり、そのように考えることで、議院内閣制は権力分立の一要素である、と考える学説である。

  ② 責任本質説

   この説は、議会に対する内閣または首相の責任を憲法典に明記することで、〈議会の信任がある限りで内閣が国政を運営できる〉ところに議院内閣制の本質があるという。

   議会に対する内閣の責任を全うさせるために、議会における大臣への質問権、議会への大臣出席義務、首相を議会構成員から選出する、内閣の一定数を議会構成員の中から選出させる、などの方策が法定されているのである。

   【Point】日本国憲法の規定をみると、この2つの捉え方は、相互排他的なものではないことがわかる。議院内閣制の本質を理解するためのアプローチに2種類あるだけのことである。

   但し「責任」「信任」という多義的な概念を用いて議院内閣制を説明する責任本質説よりも、統治機関の二元性を強調することで権力分立論に引き付けて議院内閣制を説明する均衡本質説の方が説得力に富んでいると思われる。

   → 通説的見解は、国民代表機関である国会が内閣を民主的にコントロールすることを基底に据え、“内閣の存立は議会の信任に依存する”ことを説く責任本質説にあると思われる。

 (3) 日本国憲法における議院内閣制の具体的規定

  ① 内閣の議会に対する連帯責任(66条3項)→ 超然内閣制(明憲55条)の排除。

  ② 内閣が議会の意思に基づいて成立し議会の信任をその存続の条件としている規定

   1) 内閣総理大臣は国会議員の中から国会の議決により指名される(67条1項)。

   2) 国務大臣の過半数が国会議員の中から選ばれる(68条1項)。

   3) 衆議院の不信任決議の可決もしくは信任決議の否決があったとき、内閣は10日以内に衆議院を解散しない限り、総辞職しなければならないこと(69条)。

   4) 内閣総理大臣が欠け、または衆議院総選挙後の最初の国会召集があったとき、内閣は総辞職しなければならない(70条)。

 【Q】日本国憲法は議院内閣制を本当に採用しているのであろうか。

  → 日本国憲法上の統治構造は議院内閣制の典型とは異なるものではないか。

   【see】国民内閣制論(高橋和之)。text 83頁末。

 (4) 内閣による衆議院解散の憲法上の根拠(【text】119-121頁)

  ① 議員の任期満了前に、議員全体についてその資格を喪失させる行為を「解散」という。日本国憲法においてその宣示行為は、天皇の国事行為とされている。

   → 但し、国事行為のうち、国会の召集(7条2号)や衆議院の解散(7条3号)の実体的権限の所在は不明確。

  ② 衆議院解散の憲法上の根拠に関する学説

   1) 7条説 天皇の国事行為に必要である「内閣の助言と承認」には、政治的決定に関する実体的権能が含まれている → 内閣は7条を根拠に、自由に衆議院を解散できる。

   2) 非7条説 「内閣の助言と承認」には実体的権能が含まれていない(伝統的理論からすると、召集や解散の実体的権限は君主にあるはずだから、その権限行使に副署を与える=助言と承認を与える内閣の行為に、実体的権限は含まれていないはず)→ 解散の憲法上の根拠は7条以外に求めなければならない。

    ⅰ) 69条説 内閣は69条の場合だけ解散権を行使することができる。

    ⅱ) 制度説 議院内閣制を採用している以上、衆議院を解散できる。

    ・いずれも69条の場合が起こると → 7条の手続により解散するという選択肢が内閣に生まれると考えている(7条は手続規定)。

  ③ 評価 教科書は7条説を否定的にとらえている(121頁)が、日本国憲法下で21回行われた解散(直近は、2005年8月8日第2次小泉内閣による「郵政解散」)のうち、内閣不信任案が衆議院で可決されての解散は4回しかない。

第7章 国会の地位と権限

(【text】149-171頁「第Ⅲ部第1章 国会の地位と権限」)

   1 国会に期待されている諸機能

 国会には以下のような諸機能が期待されている。

1 国民代表機能

  国会は、国民の中になる無数の政治的考え方を相互に調整することでまとめ上げ、それを公然と表出する国家機関である。

2 審議機能

  上記(国民代表機能)と関連して、国会は、多種多様な見解に配慮しつつ複数の決断がありうる政治的争点について、討議し決定を下していく場(フォーラム)である。議事・討論の公開制は、議会の命である。

3 執政府監督機能

  立法権限をもつ国会は、統治の方針や政策を立案する執政府に対して、さらに、執政府のもとで法律を誠実に執行する行政機関に対して、法律の制定およびリーダーの指名等を通して監督する機関である。

  【Point】国会は国民代表機能を手に入れたことで、立法権限および執政府監督機能を獲得した。国会は、立法機関であるばかりでなく、執政府監督機関でもある。

   2 最高機関としての国会

1 【Q】憲法41条は「国会は、国権の最高機関であって・・・」という。この「国権の最高機関」の意味あいは ?

2 学説では以下のように考えられている。

 (1) 政治的美称説【通説的見解】

   この説は、国会の「国民代表機能」に着目して〈全国民を代表する国会は(民主的)正当性において、他の国家機関に優位する〉という。国会の「国民代表機能」は、法的性質をもたない政治的性質をもつものにとどまるので、当該文言には何ら法的効果は伴わない、と考えられる。国会を「最高機関」というのは、それが国民を代表する機関であるために付与された「政治的美称」である。

 (2) 最高機関責任説【有力説】

   国会は国政全般に配慮すべき地位にあり、「最高機関」という文言も国会の法的権限と無関係ではない。そこでこの説は、権限の所在が不明の場合には、最高機関として国政全般に責任を負う国会に当該権限の所在が推定される、と説く。「国権の最高機関」という文言は、法的効果を伴うものである。

 (3) 統括機関説

   複数の国家機関によって行われる国権の発動を、国家全体の目的にかなうよう「統括する」任務が国会にはあると考える説。「統括する」との意味あいが不分明であり、それが国会が階層的統治組織の最上位にあって、他機関に指揮・命令するというようなことを意味するというのであれば、日本国憲法の理解には適合的でない。

   仮に国家機関は法律をもとに行為するのであるから、法律を通して国家機関の行為をまとめ上げる、という意味で「統括する」を用いるなら適切な理解ともいえるが、それでは「国会は・・・立法機関である」といっていることと変わらない。

   3 憲法41条にいう「立法」の意味

1 立法/法律

  法規範を定立することを「立法」という。これには、法律の他にも、政令(73条6号)、裁判所規則(77条1項)、議院規則(58条2項)等も含まれる。

  国家が憲法所定の手続(59条)に従って立法したものを「法律」という。これは、法律の内容ではなく、その制定手続に着目した法律の見方なので「形式的意味の法律」という。

  憲法41条は、この意味における法律ではなく、ある特定の内容をもつ法規範は国会により、そして国会だけが定立しうることを規定している(なせなら、65条、76条1項と併せ読んだとき、41条は権力分立構造における実体的権限配分規定であるから)。換言すると、ある特定の内容をもつ法規範を立法する権限は、憲法により、国会のみに付与されているのである。

  【Q】この「特定の内容」とはなにか?

2 実質的意味の法律

  近代国家成立以降の君主権限と議会権限との間での管轄権争いの中で〈国民の自由と財産を制限する法規範は議会が定立する〉との妥協策が生まれた。

  → 国民の「自由と財産」を制限するという部分が、国民の「権利」を制限することと一般化され、今日では〈国民の権利を制限するまたは国民に義務を課す立法権は国会に属する〉という法命題が生まれている。

  【Point】国民の権利を制限し、または、国民に義務を課す法律のことを「実質的意味の法律」という。この法律は、ときに「法規」と呼ばれることもある。

  【Point】憲法41条にいう「立法」とは、「実質的意味の法律」(法規)を定立することを指しており、したがって、41条は実質的意味の法律を制定する権限を国会に付与した規定である。

   → 実質的意味の法律(法規)に該当しない法規範は、国会以外の国家機関でも定立することができる(“法規に該当しない事項は議会権限ではない”(156頁)の意味あいは?。禁止か許容か?)。cf. 国家行政組織の編成権(組織法の制定権限)はどの国家機関にあるか?

   4 立法機関としての国会

1 立法権限 : 実体的立法権限/手続的立法権限

  立法権限には、実体的側面と手続的側面がある。立法権限の実体的側面とは、国会に提案された法律案を審議し決定する権限である。これに対して、立法の手続的側面とは、法律案を国会に提出すること、国会が審議・決定した法律を公布することなどを指す。

  【Point】立法の実体的権限を国民代表機関である国会に担当させるのが立憲主義の常道である。

2 【Q】国会は「唯一の立法機関である」(41条)のこと意味

 (1)「国会中心立法の原則」

   憲法41条の上記文言は、権力分立構造における実体的立法権限を国会に配分する規定である。すなわち、国会が立法の実体的権限を独占する機関であることを規定しているのである。国会が実体的立法権限を独占していることを「国会中心立法の原則」という。

   「国会中心立法の原則」の意義

  ① 立法権の主体を天皇から国会へと転換した。明治憲法8条、9条に規定されていた緊急勅令や独立命令は禁止されている。

  ② 立法権限の実体的側面をそっくりそのまま他の機関に委任すること(白紙委任)は禁じられている(41条違反となる)。

   →「立法の委任および委任立法の限界」については後述。

 (2)「国会単独立法の原則」

   「国会中心立法の原則」に加えて、通説は、「国会は・・・唯一の立法機関である」というフレーズを、立法制定手続にも他の機関の関与を許さないこと、と理解している。立法制定手続まで国会が独占することを「国会単独立法の原則」という。

   【Point】但し、立法権の行使手続に複数の国家機関が関与することこそ権力分立の狙いであると考えるなら、憲法41条は、権力分立構造の中で、立法権限の実体的側面を国会に配分する規定であり、立法権限発動の手続規定と捉えるべきではない。なぜなら立法権限の発動手続規定により、実際に立法権を行使する国家機関は衆議院と参議院という国家機関であり(59条。「国会なる概念は,二院の議決の合致があるときに浮かび上がる観念である」(152頁))、内閣ももつとされている法案提出権や、法律の署名、連署、公布も、立法手続と考えられるからである。

   5 国家行政組織の編成権

 国民の権利や義務に変動をもたらす法のことを「作用法」という。この作用法は、憲法41条により、国会により制定されなければならない。

 国家の行政組織や地方公共団体の行政組織についての規定を「組織法」という。国民の権利や義務に直接影響を与えるわけではない組織法の制定権限は、どの国家機関にあるのであろうか。

 国会は「実質的意味の法律」を制定することができる。この他に国会は、憲法が明示的に「法律の定めるところ」と指示しているときには、その条文を根拠として、法律を制定することができる(ex. 66条1項、76条1項)。

 さらに、国会は、憲法が明文では国会に法律制定権限を付与していない事項についても、法律制定権限をもつと考えられている。

 【Point】「実質的意味の法律」や憲法が「法律の定めるところ」としている事項は、必ず国会が法律を定めなければならない事項なので「義務的法律事項」といい。国会が法律制定の必要があると任意に判断した事柄を「任意的法律事項」という。

 【Q】憲法が明文では規定していない「任意的法律事項」に関する立法権をなぜ国会が有しているといえるのか。その憲法上の根拠はなにか。

 → 最高機関責任説は、それは国会が「国権の最高機関」であるからであるという。憲法上の根拠は41条ということになる。

 (【Q】「任意的法律事項」の範囲と限界はどのように考えるべきであろうか)。

 憲法が明文で規定していない「国家行政組織編成権」の所在は、「国権の最高機関」である国会にある。

 → もっとも、国会が行政組織の細部まで法律で規定しなければならない、という意味ではない。行政組織については、法律がその大綱を定め、細部については政令や命令に委任することができると解される。なえなら、行政組織の細部については、法規概念に含まれない事項であると理解できるからである。

   6 個別法(措置的法律)の問題 - 法の支配のもとでの法律の制定

1 総説

  憲法41条の意義は、国民の権利義務に変動をもたらす法律(実質的意味の法律)は国会が制定しなければならない(形式的意味の法律でなければならない)ということであった。

  近時の学説は、実質的意味の法律の性質として「一般性・普遍性」を要求している。すなわち、憲法41条により国会が制定すべき法律(国民の権利義務に関する法律 = 実質的意味の法律)は、一般的・普遍的性質をもつものでなければならない、というのである。

  【Point】立法の「一般性・普遍性」とは、その法規範が特定可能な個人または集団に適用されるものではなく、誰に対しても等しく適用されることをいう。

  なぜ、国会が定める法律は、一般的・普遍的性質をもつものでなければならないのか。

  → それは、特定の人または集団に適用される個別の目的をもった法律には、立法者の選好が強く反映されやすいので「人の支配」を復活させることにつながるから。

  特定の個人または集団にのみ適用される法律を、英米では「個別法」(private act)、独では「措置的法律」という。

  【Point】憲法41条により国会に付与された立法権も「法の支配」の拘束をうける(教科書が law/legislation を区別して説明しようとしたことはこのこと)。したがって、41条に基づき国会が「実質的意味の法律」を制定する場合でも、制定された法律は、一般的・普遍的性質をもつものでなければならない。

  → 個別法の制定は「一般性・普遍性」をもつ法律しか制定できない国会の立法権の権限の範囲外の行為である。

2 【Q】ある特定の学校法人の内部紛争を解決するために制定されたかに見える「学校法人紛争の調停等に関する法律」は、憲法41条により付与された立法権の範囲外の行為ではないか。

  【see】名城大学事件(名古屋地判昭和34年12月7日判時210号6頁)

  「学校法人紛争の調停等に関する法律」は、「名城大学の紛争という単一の事件のみを規律する法律として成立したものでないことは法文上明白である」。

  → すなわち、個別法としての性質をもつものではない。

3 【Q】国会は平成11年に「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」(平成11年法律第147号)を制定している。この法律は、第1条において、この法律の目的を以下のように規定している。「団体の活動として役職員(代表者、主幹者その他いかなる名称であるかを問わず当該団体の事務に従事する者をいう。以下同じ。)又は構成員が、例えばサリンを使用するなどして、無差別大量殺人行為を行った団体につき、その活動状況を明らかにし又は当該行為の再発を防止するために必要な規制措置を定め、もって国民の生活の平穏を含む公共の安全の確保に寄与すること」。この法律は「一般性」を有する法律であろうか。

  【see】初宿正典「法律の一般性と個別的法律の問題 - いわゆるオウム規制法の制定を契機として」法学論叢146巻5・6号26頁(2000年)。

   7 立法の委任

1 「立法の委任」の意義

  国会がある規律事項の基本方針・基準を法律によって定めながらも、その細目については、命令で定めるよう行政機関に委任することがある。このことを「立法の委任」という。【ex.】国家公務員法102条1項(政治的行為の具合的内容を人事院規則に委任)。

  【Point】法律の委任に基づいて制定される命令を「委任命令」という。単に法律の実施に必要な具体的細目を定める「執行命令」とは異なり、委任命令には法規性が備わっているところに特徴がある(法規性をもたない執行命令には、法律による委任を要しない)。

  法律ですべてを規定することは不可能であり、また適切でもないと思われるので、「立法の委任」を許容せざるをえないとしても、憲法上の論拠を探究する必要がある。

2 「立法の委任」の憲法上の正当性

  憲法41条により国会に付与されている実体的立法権限には、国会が立法の本質的部分を審議し制定した後、その細目に関する規定については行政機関による命令に譲る、と決定する権限を含んでいると解される。

  →【Point】よって「立法の委任」を認めるとしても、国会の実体的立法権限を放棄するに等しい「立法の委任」は、憲法41条により許容されていないことになる。「立法の委任」は無制限に許されるわけではないのである。

 【Q】では「立法の委任」はどのような条件で許されるのか?

3 「立法の委任」の許容条件

  憲法41条の規定から実体的立法権を他の国家機関に全面的に委譲することは許されない。【Point】立法権の全面的放棄に等しい一般的・包括的条件のもとでの委任(「白紙委任」)は許されない。

 【Point】「立法の委任」が許される2条件

  ① 国会が法律制定に際し、その基本方針を制定し、それを受任機関に明示していること。

  ② 委任立法中に受任機関が行使しうる権限の範囲および方法に関する明確な基準が設定されていること。

   → とくにこの ② は、裁判所が受任機関の裁量権の踰越・濫用を司法審査するさいの基準となり、行政機関の活動を裁判所が事後的に統制するために重要な条件である。

4 委任立法の限界(一般的包括的委任か否か)

  【判例】国家公務員法による政治的行為の制限の具体的内容を人事院規則に委任していることが争われた「猿払事件上告審判決」(最大判昭和49・11・6刑集28巻9号393頁)。

  【論点】憲法15条2項は、公務員に政治的中立性(公務員の非党派性)を求めている。この規定を受けて、国家公務員法102条1項は、国家公務員に対する政治的行為の制限について規定している。そして、「政治的行為」の具体的内容については、人事院規則で制定するよう、「立法の委任」を行っている。この委任に基づき、人事院規則は、その14-7で「政治的行為」について規定している。

  本件は、国家公務員の政治的行為を制限する必要性と妥当性が仮に認められるとしても、制限される政治的行為の具体的内容は法律により明らかにされなければならないはずであるので、その内容を人事院規則に委任している国家公務員法102条1項の規定は憲法に反する、として提起された訴訟である。

  【多数意見】国公法102条が一般職公務員の政治的中立性を損なうおそれのある行為類型を示しているので、一般的包括的委任ではない。

  【反対意見】(大隅健一郎他3裁判官の反対意見)国公法102条1項は、違反に対する制裁として公務員に対し課される懲戒処分を受けるべきものと、犯罪として刑罰を科されるべきものとを区別することなく、一律にその内容についての定めを人事院規則に委任している。少なくとも後者については、国家的または社会的利益に重大な侵害をもたらす危険のある行為に、法律段階で明確な形で言及されているべきであり、それがみられない同法は、憲法に反する包括的委任である。

   8 条約承認権

1 総説

  国家または国際機構などの国際法主体間の権利義務を形成・変更する法文書のことを「条約」という。当事者間での条約締結の最終的合意のことを「批准」という。

  憲法73条3号は、条約締結権を内閣権限としながらも、「事前に、時宜によっては事後に、国会の承認を経ること」を要請している。

2 条約承認権の意義と範囲

  条約承認権が、憲法上、国会に付与されていることの意義は、① 条約によって国内法が簡単に変更されないよう、国会の立法権(41条)および財政決定権(86条)を防御すること、② 外交関係について、内閣の専断を許さないこと、この2点にあると考えられる。

  条約承認権の意義からすれば、国会の承認を必要とする条約の範囲は、① 条約が国民の権利および義務に影響を与える内容をもつ場合(法規性がある場合)、② 財政上の措置を必要とする場合、③ 政治的に重要な国際的約束である場合、ということになる(昭和49(1974)年の内閣公式見解)。

  条約の実施細目を定める条約を「行政取極」という。わが国の実務は、これに関しては国会の承認が不要であるとの理解にある。

3 条約承認権の法的性質

  憲法73条2項は、外交処理権を内閣に付与している。同号3号は、その一端を占める条約締結手続の一部に、国会の参加を認めている。

  【see】〔商談(交渉)→ 条約正文の作成 → 交渉当事者の署名 = 条約案の確定 → 議会による承認 → 批准 → 批准書の交換または寄託〕

  → このように考えると、憲法は、条約締結に関する「実体的権限」を内閣に、その締結行為に関する「承認権」を国会に、それぞれ配分しているものと思われる。

  【Point】憲法73条3号により国会に付与された条約承認権の内実は、条約の内容を修正する権限ではなく、当該条約を一括して承認するか、それとも否認するかの権限である。

4 国会による条約内容の修正は可能か?

  上記[3]のように考えれば、国会の承認権は、当該条約を一括承認するか、一括して否認するかに限られ、条約の内容を修正する権限を含まないように思われる。

  ところが通説は“承認は修正を含む”とのロジックのもとで、国会の条約承認権には条約内容の修正権を含むとの見解にたっている。

  →「事前修正肯定説」/「事後修正肯定説」

5 国会の承認を欠く条約の効力

  【Q】内閣が既に批准書の交換をした後に国会の承認を得られなかった条約の効力は?

  【Point】〈国際法上の効力〉と〈国内法上の効力〉とを分けて考える。

  → 国会不承認条約の国際法上の効力は国際法で、国内法的効力は憲法により決まる。

  (1) 国際法上の効力

国会で締結が否認された条約の国際法上の効力は「条約に関するウィーン条約」の条件のもとで、批准書の交換の時点で発生している。但し、同条約によると、明白かつ基本的重要性を有する国内法上のルールに条約締結行為が反する場合には、当該条約の国際法的効力が無効になるとされている。

   → しかし、条約の締結当事国は、相手国の憲法の条文まで調査する責務を国際法上は負わないとされていることを考えれば、国会の事後的不承認を「ウィーン条約」にいう明白な国内法違反だ、ということはできないであろう。

  (2) 国内法上の効力

   国会で締結が否認された条約の国内法としての効力は、国会による条約否認という状態から、発生しない。

   →〈国際法上は有効でありながら、国内法上は無効である条約〉に対して、日本国としては、しかるべき対応が必要になる(損害賠償、相手国からの制裁甘受等)。

【補遺】憲法43条「全国民を代表する」の意味

- 国民代表機関としての国会 -

1 総説 - 国民主権にいう「主権」・「国民」と代表観

  主権には、通常、下記の意味があるとされている。

  ① 国内における実力支配を可能にする統治権そのもののこと。

  ② 対内的には最高の、対外的には独立の権力のこと。

  ③ 国政に関する最終的決定権限のこと。

  国民主権にいう「主権」とは、③ のことであるとされている。

  国民主権の「国民」には2つの見方がある。まず、それを実在する人民の統一体である人民(プープル)とみる見方である(人民(プープル)主権論)。J・ルソーの社会契約論を淵源にもつこの立場は、人民は公共の利益を求める一般意思