私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 url...

64
Meiji University Title �(�)-�- Author(s) �,Citation �, 42(1): 1-63 URL http://hdl.handle.net/10291/11792 Rights Issue Date 1968-11-20 Text version publisher Type Departmental Bulletin Paper DOI https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

Upload: others

Post on 19-Jan-2021

3 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

Meiji University

 

Title私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成

必要論の基礎作業として-

Author(s) 野上,修市

Citation 法律論叢, 42(1): 1-63

URL http://hdl.handle.net/10291/11792

Rights

Issue Date 1968-11-20

Text version publisher

Type Departmental Bulletin Paper

DOI

                           https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

Page 2: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論8

ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

一私学助成の憲法論と実態論

  目  次

[、

¥備的考察

二、英米における私学助成の実態

三、憲法八九条の学説・見解の検討(以上本号)

四、 「公の支配」をめぐる実態(以下次号)

五、結論的考察

一、予備的考察

1

 私学助成問題が何故に生じるのか。それは表面的には、私大の”財政危機”のためであり、本質的には、政府の貧

困な文教政策(私学助成対策を含めた)のためである。

 イギリスにおいては、私大の経常費の八割が、アメリカにおいては、三割がそれぞれ国家から助成されており、国

家が積極的に私大援助に乗り出している(もっともこれらの国家においても、後述するように、最近国家の私大援助

Page 3: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

2叢一r・ノL

fi冊律法

にはいろいろな問題が生じている。したがって、単純にそれらの国家における私大援助状況をわが国に参考として引

用することは避けねばならない)。 それに比較すると、わが国の現状は、経常費(人件費)助成はなく、現行補助金

の私大収入の構成比は一.七%(昭和四〇年Yであり(-)、 しかも本年度から新設された三〇億円の私大への経常的

教育研究費助成も、その意義は高く評価すべきであるが(昭和四〇年度の私学収入総額の一%弱であるにすぎないの

である(2)Q

 しかし、私学助成必要論を展開するにあたっては、私大の”財政危機”のみにその根拠を求めてはならない。私学

助成必要論は政府の安上りの文教政策1それは、憲法の保障する国民の基本権である「学問の自由」(;二条)、「国

民の教育を受ける権利」(二六条)を通じて(、)、「国民の健康で文化的な生活を営む権利」(二五条)が完全実現され

るべきにもかかわらず、全く無視している(憲法不在の私学行政)-のために生じ、さらに、さような政策に便乗

した私学経営者の企業主義的私学経営が国民の教育権を形骸化させ、もって劣悪な教育研究条件を国民に押しつけて

いるために生じることを明確に認識する必要がある。憲法の保障する国民の教育権は、政府の安上りの文教政策や経

済的理由(私学の{口同額の授業料等)によつて、侵害・阻止されてはならないのである。したがって、私学助成必要論

はこうして失なわれている国民の権利を復活せしめるための権利要求論として展開されねばならない。本稿もそうし

た問題意識のもとで、私学助成問題に憲法的および実態的側面から接近を試みるものである(4)。

  (1) 文部省「わが国の私立学校」(以下「私学白書」とする)、一一七頁。

  (2) 読売新聞「私立学校の生きる道」(昭四三・四・一〇、社説)、二頁。なおわが国の教育費は全国家予算の約一二%であ

   り(朝日新聞「世界の教育ωー東南アジア」、昭四三・四・三〇、夕刊、二頁)、対国民総生産比は最近七年間平均で約一・

   五%程度であり、ここ数年間は減少しつつある(読売新聞「日本の防衛費」、昭四三・四・一八、朝刊、一七頁)。

Page 4: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論3

(3) なお最近、教育学者から、憲法二六条の通説的解釈に対して、新しい批判と問題点が指摘されていることに注目しなく

 てはいけない。教育学者からのこういった批判や問題点の指摘のうちには、現代の憲法解釈の通説的見解に対する新しい挑

 戦(国民からの)があり、基本的には、国民の意思や要求とかけはなれた憲法解釈論の存在を暗示するものである。宗像誠

 也「教科書検定訴訟の証言にちなんで1若干の事実と憲法解釈」(思想、五二四号)および堀尾輝久「現代における教育と

 法-憲法巨教育基本法体制の歴史的・原理的究明を中心として」(現代法八巻、現代法と市民)を参照。

(4) なお本稿の考察は宗教系の私大にはおよばないことをお断りしておく。宗教系の私大への国庫助成は、 「国教分離」の

 原則の要請にもとづき、原則的には、非宗教系の私大へのそれとは異なったものとなるであろう。宗教系の私大への国庫助

成については、和田英夫「『公の支配』と私立大学i憲法解釈の再構成の一つとして」(法律論叢、三五巻四・五・六合併号

 「松岡熊三郎教授在職四〇年記念」所収)、二=頁以下参照。また、宗教系私大の管理運営および財政状態については、

 読売新聞調査部「私立大学ー企業と学問のあいだ」、八五頁以下参照。

二、英米における私学助成の実態

 イギリスには、わが国におけるがごとき、国立の大学はない。大学といえば、一部の公立の大学を除いて、すべて

私立の大学である(-)。その私立の大学が、すでに約五〇年前から、国家の援助を受けて今日に至っている。その援

助も、 「援助すれども干渉せず」(費署。=げ三巳8艮巨)の原則を厳守し、しかも非政府機関である「大学助成金

委員会」(d巳く①屋ξΩ鎚三切Oo8日一欝①)を通じて、各私大に配分されることになっている(2)。

 アメリカでは、周知の通り、州立大学とならんで、私大が重要な高等教育機関となっており、また約二〇年前に、

わが国において今日重大な問題となっている私学助成問題が生じており(3)、さらにまた、近年ますます増大する連

邦政府の私大への助成、それをめぐっていろいろな問題が生じている。そういった両国家における私学助成の実態お

Page 5: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

4叢一論律法

第1表 イギリスの全大学の経常収入の内訳(1964年度)(6)

嘩糊金騙認 授業料叢醐剰寄倒その他難常収嶺

1. 9% 0.6%   8.1%    100%1.4%1 8.1%79.9%比 率

よびそれをめぐる諸問題を考察することは、わが国における私学助成問題の考察に、なんらかの参

考と示唆を与えてくれるという観点から、私は私学教育の伝統と実績をもつイギリスとアメリカ両

国家を選択することにした。

 その9、イギリスにおける私学助成の実態

 現在、イギリスには四二の大学(d巳く①琶受)があり、みな独立の法人格と学位授与権を国家か

ら付与された自治的教育機関であるが(4)、これに対して、その経常的支出の約八〇%、資本的支

出の約九〇%が国家によって助成されている(5)。 この意味で、イギリスの大学は、建前としては

私立であるが、その実状は国立にほぼ近いのである。一九六四年度現在の全大学の経常収入の内訳

は第1表の示す通りであるQこの約八〇%を占める国庫補助金のうち大半が、「大学助成金委員会」

(以下、U・G・Cとする)をへて、各大学に配分されるのである。U・G・Cは、その意味で、 「国

家と大学を結ぶ中間機関であり」(7)、大学がその本来の機能を果たすには、U・G・Cのバック・アッ

プがなければ、イギリスの大学はその役割を放棄せざるをえないのである(8)。 そこで、このU・

G・Cによる助成金の配分制度の確立を歴史的に考察してみることにする(9)。 イギリスにおける

国家と大学との関係は四期間にわたって発展してきている。以下、それぞれについて考察してみる

ことにする。

 ω 第一期(国王の保護から議会の保護への過渡期ー一八八八年まで)

 この期においては、国庫助成は国王の認可状を得ていた大学に限定された。すなわち、オックス

フォード、ケンブリッジ、スコットランドの四大学(セント・アンドリュース、グラスゴー、アバ

Page 6: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

一私学助成の憲法論と実態論5

ディーン、エディンバラ)、 ダラム、そしてロンドソといった各大学である。しかしこの期の終り頃には、ユニバー

シティーとは異なるユニバーシティi・カレッジ(d三く①邑藁O呂①σq。)まで、国庫助成が行なわれるようになった。

この期のオックス・ブリッジ両大学に対する助成金は微々たるもので、初期においては、スコットランドの四大学が

国庫助成の主たる「受領者」であった。大学は最初は教会から、のちに国王からの寄付を受けたが、これらの寄付金

は新しい教授の任命のためか、または教授の給料のために使用された。ところが、一八三一年から、毎年これらの寄

付金は議会の議決を必要とすることになった。議会は毎年詳細な調査を行ない、それ自身で大学助成問題を決定する

ことになった。ここに、大学助成の主役が国王から議会へと移ったのである。しかし大学に対する助成金の付与につ

いて、なんらの論争もなかった訳では決してない。たとえば、一八四八年、議会の雑支出特別委員会が報告しているよ

うに、大学教育に対して、公金をもって助成することは大いに疑問がもたれていた(⑳)。 しかしながら、一方では、

助成金は大学教育にとって有害であるとされながらも、他方では、大学自体も歓迎したが、大学そのものの認識が助

成金を正当化し、それを通じての大学への干渉を排除したのである。

 ② 第二期(一八八九年~一九一四年)                           .

 一八八四年、 「技術教育王室委員会」(即ミ巴O。ヨ巨邑88弓8げp凶。巴国音。慧8)は、イギリスにおける科学技

術教育の実状を調査し、ドイッやアメリカなどにおいて科学技術教育の著しい進歩がなしとげられているのに反し、

イギリスにおける科学技術教育の遅れを報告した。この委員会の報告は、当時政府に対して助成金を要求していた新

興の都市大学(9く8d巳く⑦琶藁)にとって都合のよいものであった。そして一八八七年、ヴィクトリア大学はマンチ

ェスター、リヴァプ;ル、リーズにある同大学を構成する三カレッジに対して、年間二、五〇〇ポンドの助成金を政

府に要求する運動をおこした。さような運動を契機として、政府はイングランドおよびスコットランドの一二のユニ

Page 7: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

6叢論律法

バーシティー・カレッジに、一五、○○○ポソドの助成金を付与する旨を発表した。ついにユニバーシティー・カレ

ッジへの一般的助成が公に認められることになった。 「今やこれら高等教育の重要な中心、特に科学や技術の中心

は、もはや地域的な寄付金ばかりに頼っていることはできないということを国家が理解しはじめたのである」(11)。そ

して、大蔵大臣は議会に対して、この一五、○○○ポンドの助成金を交付すべきユニバーシティー・カレッジとその

額を決定するために、新しい委員会の設置とその助言を歓迎する旨の意見を述べた。こうして設置された委員会は、

五人のメンバーからなり、「英国ユニバーシティー・カレッジ助成金委員会」(目げ①O。ヨ幹葺①①。昌O旨茸のεd巳f

①邑蔓O。庁σq①ぎΩお舞ヒ6昏9ぽ)と呼ばれた。この委員会は、数ヵ月後、助成金を要求した=校の業績、財政状態

等を詳細に検討した結果、報告書を作成して、そのうち一〇校に対する助成金の交付の勧告を行なった。この勧告は

承認されたが、この過程で、重要な原則が確立された。すなわち、大蔵省は「助成金の総額をたびたび変更して、不

確定な額を設定することを通例とするのは好ましくない」(21)と考えて、一五、000ポンドの助成金は、五年に一

度、議会が再審査を行なうということを条件として、そのまま継続されるという見解を議会に示した。議会は大蔵省

の見解を承認した。こうして一八八九年、大学助成金制度の一つの重要な原則である五年制のシステムが確立された

のである。この委員会は常設の委員会ではなかったが、一九〇四年までひきつづいて、大学助成金問題を取扱うこと

が命ぜられた。しかし、一九〇四年までに、大学の活動が急激に盛んになり、それに伴う大学財政も膨脹したので、国

庫助成額について再検討する必要の段階に達した。そこで、チェンバレン大蔵大臣は一九〇四~五年度には、助成金

額を二倍に、一九〇五~六年度には、これをさらに二倍にすると公約した(爲)。 そして、これら増額した助成金の配

分の検討のために、新たに委員会を任命し、この委員会を「ユニバーシティーカレッジ委員会」(d巳くΦ琶芝O巳①㈹①

O。言ヨ§①Φ)と命名した。最初の委員会の設置からこの委員会の設置まで、一五年経過し、すでにいくつかの重要な原

Page 8: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論7

則が確立され、委員会と大学の問に緊密な信頼関係が確立されていた。すなわち、大学は委員会の公平性・客観性と

助成金配分の正当性についてはいささかの疑問も持たなかったし、また大蔵省は、助成金総額の最終決定権は留保し

てはいたものの、例外なく、委員会の示す配分勧告を承認したし、議会の助成金額の決定は毎年度の議決を必要とし

たものの、実質的には、五年制のシステムが確立されていたΩ)。 助成金を受けた大学も、当時の大学の基準を示す

人文および自然科学の業績の開発に用いられる限り、助成金の用途については一切制約を受けなかった(51)。 国家と

大学との間にこういった好ましい関係が確立された反面、いくつかの欠点・弱点も明らかとなった。 「つまり永続性

の欠除である」。 その欠点・弱点の第一は、委員会のメンバーが絶えず交代したこと。第二は、助成金の配分と監査

の二つの責任は分割され、委員会は大学の業績や助成がなされた状態については直接の知識をほとんど有していなか

ったこと(カレッジの業績の性格や特質について自ら視察して定期的に助成金委員会に報告するコ、ミッショナーがい

た)。第三は、助成金は通常地方自治体の収入に応じて分配されるべきであるという大蔵省の原則が不平等を生み出し

た。というのも、豊かな地方に設置されなかった大学にとって苛酷なものとなったからである。第四は、当時助成金を

受けていない医学、工学の部門が人文科学と同じように高水準に達して、著しい成長をとげるに至ったので、国家的

重要性の見地からみて、助成金の対象に問題があった。第五は、大学とユニバーシティー・カレッジとを区別して、

助成金割当を行なうことが徐々に正当性を失ってきた、などである。そこで、「ユニバーシティー.カレ・ッジ委員会」

は、大蔵大臣に対し、これらの諸問題を解決するために、常設の委員会の設置の必要性を強調し、 「将来は、助成金

は直接大学に与えられるのでなく、その代りにこの委員会が受けとり、委員会は大蔵省に対して年次報告の義務を負

い、かつ大蔵省は議会に責任を負うべきである」(61)、と勧告した。大蔵大臣は全国の大学にこの勧告の是非を照会し、

一部の反対があったが、一般的に賛成の回答をえたうえで、この勧告を採用することにした。そして一九〇六年、最

Page 9: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

8叢≡ム面冊律法

初の常設の委員会が誕生する運びとなったQこの委員会は一九〇八年大蔵省に対して、大学が政府の各省から受ける

何種類もの助成金の管理を調整する必要性を勧告する報告書を提出した(π)。 そしてその後、大蔵省と文部省との間

に、イングランドおよびウェールズの大学に助成金を与えることに関して、管轄権上の争いが生じた。というのは、

一八九九年の文部省法令に基づき、イングランドおよびウェールズにおける教育上の監督責任は文部省が有すること

になっており、したがって、イングランドおよびウェールズに関して、文部省自らが「ユニバーシティー・カレッジ

委員会」たることを主張したのであった。そこで一九一一年、文部大臣は「大学助成金諮問委員会」 (目冨〉牙冒蔓

O。ヨヨ響88d巳く①邑け団ΩB昌)という新委員会を設置した。大蔵大臣はこの新委員会は大学に与える助成金総額に

ついては、一切の勧告権を持たない、新しく助成の要求があったときこれを考慮し、分配を行なうことを拒否しては

ならない、という条件付で新委員会の設置を承認した。新委員会は、 「イングランド・ウェールズ大学教育局への国

庫助成金配分に関して文部省に助言を与えるために」(81)という設立理由を有した七人のメンバーの常設委員会であ

った。この委員会の一九一二年の助成金割当に関する勧告には重要なものがあった。 「第一に、助成金は大学の監督

と判断のもとに消費されるべき大学一般収入に繰り入れられることとし、使途も指定していなかった。第二に、助成

金は大学の資格と基準に基づく教育と研究の歳出に充当する経常収入として厳格に処理されることとし、資本的支出

とか、貸付または抵当の利息の支出に当ててはならないとしていた。第三に、助成金は奨学金、授業料免除、或いは

学生クラブや寮の赤字をうめる分担金の形で学生を援助するために使ってはならないとしていた」(⑲)。さらに、この

委員会は、一九一九年のU・G・Cの設立にあたっても、根本的な変更を見なかった慣行をつくった。 「第一に、委

員会は、文部省によって求められた一連の諸表、文部省に対してなされた年次報告、および文部省の視察官または文

部省外の専門家による報告書をもとにカレッジの要求を査定した。第二に、当初、委員会自身が非公式の『視察』を

Page 10: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論9

行なった。委員会は大学当局とばかりでなく、教職員や学生とも自由討議を行なった」(20)Qこうして国家と大学との

関係を確立する方式が、一八八九年の最初の委員会の勧告にしたがって徐々に発展してきた。この中でも最も注目す

べきことは、各委員会とも政府機関(とくに大蔵省)の信用をえたことである(21)。

 ③ 第三期(一九一九年~一九三九年)

 第一次大戦までの大学の主要な財源は、学生納付金、寄付金、基金収入、そして地方自治体からの助成金であっ

た(22)。 しかし、戦争を契機として大学財政は非常に苦しくなってきた。学生数は、戦争中に減少し、授業料収入は

                                         /

激減した。インフレは基本財産からの収入を減じさせ、地方自治体からの助成金も低下させた(醤。 さらに、大学の

建物、とくに戦争のために接収された建物は大規模な修理を必要とした。他方、科学の発展のためには大学が絶対に

必要であることが戦争によって認識されはじめており、また戦争終結に伴う学生数の自然増加が目にみえてきた。そ

こで、一九一八年、文部大臣は大蔵大臣とともに、大学側の代表者達と前述の諸状況を処理する対策を協議した。そ

の結果、一九一九~二〇年度の助成金は大幅の増額をするということになった。そして一九一九年、大蔵省から直接

支出する資金でもって、大学に財政的援助を行なう目的で(42)、「英国の大学教育の財政的必要を調査すること、およ

び、議会によってなされる助成金の適用が適切なものかどうかについて政府に助言すること」(%)を任務とする「大学

助成金委員会」(d巳く9吻ξO寅導ωOo日5一g①)が設置されたのであった。それとともに、一度文部省の管轄下には

いった委員会はこの新委員会の設立とともに、再び大蔵省の管轄下に移された。この委員会はいろいろな方面に活動

を行ないはじめた。すなわち、一九二一年の報告書は、大学への助成は大学の自由と自治を守るためにも、ブロック

援助(三。畠σQ冨巨。・)ー一括援助が望ましいものであるが、ある種のより専門化された学問や調査を主体とする部門

には(とくに国家的必要の要請をうける部門)、用途を明確に指定した援助(指定援助)の必要性を考慮した。 一九

Page 11: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

10叢論律法

二五年の報告書は諸大学間の密接な関係の促進・成長に寄与した。 一九三〇年の報告書は、大学の給与体系、経歴

表、退職金制度、大学管理における教員スタッフの地位、任期、身分等の問題に関して、進歩的な考え方を提示し

た。一九三六年の報告書にいたっては、その主要な部分として、学生問題をとりあげているほどである(26)。

 ㈲ 第四期(一九四六年以降)                           、

 第二次大戦後の状況は、この委員会に差迫った緊急の諸問題を委ねた。第一次大戦後と同様に、学生数は戦争中に

減少し、各大学の財政状態は悪化し、大学の建物は戦争目的のために使用されたり、戦災にあったりした。一部の大学

の大規模な疎開は大学の再建と再組織をうながし、インフレが大学の基金収入の価値を下落させた愛)。 こういった

戦後の問題とともに、戦後の大学教育の発展にともなって、この委員会の役割が再検討されることになった。一九四

五年の一月、U・G・Cは各大学と会合して、むこう一〇年間の計画試案を検討し、大学教育の諸施設の拡大と改善に

は、大幅の助成金をもってのみ達成されることを大蔵大臣に進言した(認)。 それとともに、この委員会の役割とその

仕事の方策についても、必然的に変化が生じてきた。そこで、議会は、一九四六年、この委員会の機能を改訂するこ

とにした。それが更に、一九五二年に再改訂されて今日に至っている。現在U・G・Cの機能は、①大学教育の財政

的必要を調査すること、②必要資金を議会に申請するにあたって、政府に助言を行なうこと、③イギリス全体の大学

教育に関する資料の収集・分析・検討を行なうこと、④大学、その他の関係諸団体と協力して、国家的要請を充分に満

たすような大学振興計画の準備と実行を援助すること、と規程されている(29)。この委員会は、これらの機能によって、

一九↓九年の設立当初の助成金配分のみを目的とした機関からさらに発展したことがわかる(30)。 すなわち、一九一

九年には、「英国の大学教育の財政上の必要を調査し、その必要に応ずるべく、議会が議決する援助の適用にかんし

て、政府に勧告すること」臼)が、U・G・Cの職務であったが、一九四六年と一九五二年の規程の改訂にょり、 「英

Page 12: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論11

国全体の大学教育にかんする情報を収集し、調査し、有用なものとすること、そして、大学その他の関係諸団体と協

力して、大学が国家的必要に完全に応じるように、時に応じて必要とみなされる大学の発展計画の準備と実行を援助

すること」になった。したがって、U・G・Cは「国家と各大学間の相互組織の支柱で」あることがわかる。ところ

が、一九六三年一〇月、イギリスの高等教育を科学技術の急速に発展しつつある時代に即応せしめるために、再検討

することを目的とする「高等教育委員会」(○。ヨ巨§Φ8匹αq冨同国曾。彗8)1通称ロビンス委員会1が設立さ

れた。ロビンス委員会は三つの基本勧告の一つとして、大学と他の教育機関では助成金配分の経路が異なっている

が、こういった状態を整理・統合する必要があると強調して、現在大蔵省にある「大学助成金委員会」を発展的に解

消し、 「高等教育助成金審議会」(Ω鑓づヨO。日邑鞍8)を設置し、自治的管理機構を持つ高等教育機関には、すべて

この審議会を通じて国庫助成金が配分されることを勧告した(23)。この「ロビンス報告」(閃。び玄塁因①℃。巨)を契機と

して、政府はとりあえず一九六三年一二月、従来大蔵大臣が持っていた高等教育に関する権限を、 「枢密院議長」

                                          つ

(爵①βoa国①゜。置Φ巨o馬葭①Oo⊆昌o障)に移し、その後慎重に検討した結果、一九六四年、イギリスの全教育問題を包

括的に所管する政府機関の新設を発表し、教育科学大臣を任命した。そして、U・G・Cをこの「教育科学省」

(∪①窓陰ヨΦヨoh国身。匿8国巳Q。9窪8)の一つの常設委員会として、今日に至っている(鈴)。

 U.G・Cの設立意図はもともと大学の自治を保障するというところにあった愈)。 しかし、一方において、大学

への助成が必要であるが、そのための国家による大学のコントロールは避けねばならないという要請に答えるため

に、他方において、国家による公金の支出が正当な用途に充当されるという要請に答えるために、U・G・Cシステ

ムはいろいろな方策を講じている。そこで、イギリスにおける私大への助成が、大学の自治の保障を基本的前提とし

ながらも、機能的にも制度的にも適正に行なわれている有様を、要約的に検討してみることにする。

Page 13: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

12叢一論律一法 まず大学の自主性が保障されている側面から考察してみることにする(35)。

 ①助成金は直接政府から交付されるのではなく、非政府機関であるU・G・Cを通じて各大学に配分される。こ

のような非政府機関を経由することが、国家と大学との直接の折衝から生ずるかもしれない弊害によって、大学の自

治が犯かされるのを避けるための制度的保障となっている(36)。 U・G・Cの委員の数は現在二二名であるが、大多

数は大学関係者である。時により、教育行政家、産業界の著名な指導者が委員となるが、その中には常に一名の婦人

が含まれることになっているそうである(83)。 大学関係者のメソバーは自己の所属する大学の代表者を意味するもの

では決してない(器)。 要するに、民間人の専門家をメンバーにすることによって、U・G・Cの民主的構成の確保と

助成金配分の公平性と適正性をねらったものであり、これを人事面において保障しようとしている。そして、U・G・

Cは国家と大学との間を調整する機能を果たしている。U・G・Cは政府の要望を大学に伝達し、大学の協力をうな

がすとともに、大学の意向や希望を整理・調整して、政府の財政的措置を要求する中間調整機関である(04)。 政府と

U.G.Cの関係は、 「命令支配の関係ではなく、意見交換、説得による相互の了解を通じて仕事をして行くたてま

、兄である」(皿)。 これまでの実績からみて、この関係はきわめて円滑かつ良好で、親密な相互信頼関係が成立してい

る(42)。

 ②経常費助成金は五力年単位制度(ρ三昌ρ器口巳巴。・団。・8ヨ)のブロック援助ー一括援助であり(議会は五力年の総

額を承認するが、助成金の支出は毎年確認する)、 しかも用途に指定がないので、大学が自由に使用できる。このブ

ロック援助制度は大学自身が「その財源を使う最善の方法を知っているという」考え方に基礎をおき、指定援助によ

る学問への国家統制を避けたものである(紹)。

 ③従来、助成金に対する国の会計検査はなく、議会の決算委員会の調査の対象にもならなかった(姐)。この点で、

Page 14: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論13

大学の財政的自治権はほぼ完全に近い形で保障されていた。しかし本年から事情が変化してきたことを指摘しておか

ねばならない。つまり、大学に対する国の会計検査が本年一月一日以降から、開始されることを政府は言明し、U・

G・Cも同様の検査を受けることになったのである(45)。 以前から、大学およびU・G・Cへの会計検査がしばしば

主張されてきた(64)。 それはU・G・Cの扱う助成金額が最近著しく増加したためである(一九六三年にはすでに一

千億円をこえ、それは一〇年前の二倍以上の伸びである)(74)。そのため、ついに昨年、下院の決算委員会は会計検査

院長が大学およびU.G.Cに対する会計検査をしうるようにすることを政府に勧告し、政府もこの勧告をうけいれ

ることにしたのである(娼)。 これに対して、大学側は大学の自治の侵害であると強硬な反対を表明したが、政府は

「大学の自治を尊重し、決して学内の政策決定に干与するものでないが、国庫からの支出について、その会計を検査

することは最少限の要求であるとして譲歩しなかった」(94)。 「大学側は、一歩を譲って会計検査がやむをえないとし

た場合」でも、会計検査をするのは会計検査院長ではなく、U・G・Cの委員長かもしくは特別の委員を任命してそ

れに担当させるべきであると主張した(50)。しかし政府は、このような大学側の反対にもかかわらず、本年一月より、

大学およびU・G・Cに対する会計検査を行う旨を議会で発表した。政府はここでも、 「この措置が大学の自治を何

ら侵すものでなく、国費を支出するやり方は、従来どおり一括して行なわれる方式で、それをどう用いるかは大学が

自主的に決定できるのであり、会計検査は、学問的立場からの決定に介入するものではなく、検査の結果を調べた会

                                            ノ

計検査院長は、国庫の支出金が有効適切に利用されることについてコメントし、助言するにすぎないとくりかえし強

調し、大学側のおそれは杷憂にすぎないとのべている」(15)そうである。しかし、この政府の措置は、「大学の自治を

侵す第一歩になるかもしれないというみかたをする大学関係者は少なくないようである」翁)、といわれている。とに

かく、われわれはこのような措置が、今後どのように発展して行くかを注意して見守ることが必要である。

Page 15: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

14叢ltL爵冊律法

 次に大学への助成金が正当な用途に充当されるように配慮がなされている側面を考察してみることにする。

 ①U・G・Cは、前述した通り、一九五二年以降、単にそれまでの助成金の予算要求と分配について、国家と大学

との間の調整機能を果たす機関というだけのものではなく、イギリスの大学教育のあり方、とりわけ最近の大学拡充

計画や地域的配置、または学部学科の種類等について、積極的に関与し、指導的な活動を行なっており、大学の新設

問題にも強い発言力・指導力を有している論)。

 ②経常費助成は一括援助であるが、その積算は書類審査や実地視察などにより、かなり綿密に行なわれ、大学と

U・G・Cとの間に十分な了解ができているので、「実際上は多くの場合積算どおりに支出される」(45)。また経常費

の大部分は人件費、すなわち教職員の給与費であるが、 「給与体系はU・G・Cが、専門委員会を通じて作ったもの

に統一されている。また授業料の額はU・G・Cの承認を経て決定される」(野。授業料収入は平均して大学収入の八

%程度であり、わが国におけるような定員水ましというようなことは起こりえない(56)。

 ③建物、設備等の資本的経費(一年単位の算定)については、「その坪数、数量、単価等について、U・G・Cの

事務局には施設専門の部が特に設けられており、支出される国費の使途は、ほぼ完全にコントロールされている」(57)。

 ④大学に対しての国の会計検査が本年から行なわれることになったので事情が変ってきたが、従来でも、自主監査

の手続が大学認可状やそれに基づく大学基本規則(ロゆけ帥一9侍①)に規定されている。 「典型的な例をいえば、一定の要件

をみたす信用ある公認会計士に毎年監査を依頼」し、「その監査報告を商議会」(02零εーわが国の理事会に近い

ものーの全メンバー(学外の代表者も含む)に送付することになっている(馨。

 私はイギリスにおける私学助成の実態をーとくにU・G・Cシステムを通じて考察してきた訳であるが、そこで

は大学への助成にあたっても、大学の自由・自治の侵害が存在すれば、大学はもはやその目的を正しく実現すること

Page 16: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論15

はできないという理念が基本的前提となっていることを痛感させられるのである。その基本的前提が、国家は大学に

は干渉しないという一般原則を生み出しているのである(59)。そこには、「もし大学が、自己の活動や発展計画を管理

出来ないとすると、大学の精神は失われるであろう。即ち、大学が財政上の責任をもつことは、大学の健全性を保つ

ためには不可欠なものである」(60)、という深い認識が確認されているのである。しかし、この点、前述したごとく、

大学およびU.G.Cに対する国の会計検査制度が開始されたので、イギリスが「助成すれども干渉せず」の大原則

を今後どのように堅持するか、それは将来の展開をまつほかはない。

(1) イギリスの大学の設置および管理については、犬丸直「イギリスの私学制度」 (文部時報四〇年九月号)と、民主教育

 協会「海外大学教育総合調査団報告書」を参照。

(2) 「大学助成金委員会」については、外国教育事情調査員会第一分科会報告「ユニバーシティー・グランツ・コミティー」

 (大学時報一六巻七八号)、および犬丸「前掲論稿」を参照。

(3) なおイギリスおよびアメリカにおける私学助成の初期の問題点については、根石守雄「アメリカとイギリスにおける国

 庫補助運動初期の争点」(大学時報一七巻八〇号)、四五頁以下参照。

(4) 犬丸コ則掲弧醐伯桐」、 ⊥ハニ頁。           、

(5) 文部省「私学白書」、二一八頁。宮本繁雄「主要国の私学制度-現状の比較」(文部時報一〇八七号)、五九頁。

(6)文部省「私学白書」、二一八頁から引用。

(7) 根石「前掲論稿」、五七頁。なお本論稿は、アメリカについては、一九四九年の合衆国高等教育全国協議会 (Z豊。昌9

 0。嵩諭『①5。㊦。5出お『葭国αロo碧δ5)のCグループの報告から、イギリスについては、Q自マ目9ヨ$ζ〇二巨♂円9⇔⇔昏一。・ゲd甑<①↑

 ω三2から、それぞれ要約を試みたものである。

(8) 〉、ずげ図教授は、「今日、もし大蔵省の補助金が廃止されたら、イギリスの大学はどれも数週間にして、その門戸をとざ

Page 17: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

16叢論律法

 さなければならないだろう。授業料と寄付金は、諸大学にあっては、その通常収入のわずか七分の一になっているだけであ

 る。大学は納税者たちのお金をうけないではいられない。さもないと、大学生はその社会的機能をはたせなくなるのであ

 るL、とかつて指摘されたが、現在でもその通りである。エリック・アシュビー「科学革命と大学」(島田訳)、=二頁。

(9) 以下の叙述は主として、「ユニバーシティー・グラソツ・コミッティー」(大学時報一六巻七八号)を参考にしたことを

 お断りしておく。なお本論稿は、U・G・C編「d巳く①邑ぞOΦ<①δ℃ヨ⑦5δ」の「07署8円くH目“円冨閃9①o馬9①Oo日ヨ岸①①

 p巳昏Φ≦。時亀9①ρ三ロρg魯巳巴超㎝5ヨ」の大略を翻訳したものである。

                             \

(10)当時大蔵省当局でさえ、 「国家の知的最高水準を代表するものとしての大学は、国家の政策に頼るべきものではなく、

 繁栄する大学の正常な状態は独立体であり、永久不変のものであるべきである」、といっていた。「ユニバーシティー・グラ

 ンツ・コミティ!」、五頁。

(   (    (   (   (    (   (   (    (   (

20  19  18  17  16  15 14  13  12 11)   )   )   )   )   )   )   )    )   )

「   一一1   --1  r   -一「   一一T  一   「   「   「

ユ    ユ    ユ    ユ    ユ    ユ    ユ    ユ    ユ    ユ

ニバーシティー

ニバーシティー

ニバーシティー

ニバーシティー

ニバーシティー

ニバーシティー

ニバーシティー

ニバーシティー

ニバーシティー

ニバーシティー

・グランツ゜

・グランツ・

.グランツ゜

・グランツ・

・グランツ・

。グランツ。

・グランツ・

・グランツ・

・グランツ・

。グランツ゜

ココココココココココアアアアアアアアアアイイイイイイイイイイlll】】】】】llLLLLLLLLLL、 、 、 、 、 、 、 、 、 、

六頁。

七頁。

七頁。

八頁。

八頁。

九頁。

一〇頁。

一一頁。

一二頁。

二二頁。

Page 18: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

17 一私学助成の憲法論と実態論一

2c52c42C3九(

    頁「ユニバーシティー・グランツ。コミティー」、

加賀田「前掲論稿」、三九頁。

「ユニバーシティ!・グランツ・コミティー」、

一三頁。

一四頁。

(21) 一八八九年から一九一五年までの間に、ただ一度だけ、一九〇六年に大蔵大臣は委員会の助成金割当を変更したそうで

 ある。「ユニバーシティー・グランツ・コミティー」、一三頁。

(22) 加賀田倫直「外国の大学における公費助成の占める位置ーイギリスとアメリカについて」(大学時報一五巻六九号)、三

  一匙O

第2表 諮問委員会からのユニバーシティー・

  ヵレッジに対する経常助成金

五つの特別委員会

ユニパP・一シテ,f-

・カレッジ委員会

ユニバーシティー・カレッジ常設委員会

大学助成金諮問委員会

1889-90~1893-94

1894-95~1896-97

1897-98~1901-02

1902-03~1903-04

1904-05

1905-06

1906-07~1910-11

1911-12~1914-15

年間ポンド

15,000

15,000

25,000

27,000

54,000

100,000

100,000

149,000

注 (1)本表は1889-90年から1914-15年までのもの

 である。

(2)本表は「ユニバーシティー・グランツ・コミテ

 ィー」,13頁より引用。

Page 19: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

18叢こム百岡律法

(26) 「ユニバーシティ:・グラソツ・コミティー」、一七-一九頁。

(27) 「ユニバーシティー・グランツ・コミティー」、二一頁。

(28) 「ユニバーシティー・グランツ・コミティi」、二二頁。

(29) 加賀田「前掲論稿」、三九頁。

(30) 加賀田「前掲論稿」、三九頁。

(31) 根石「前掲論稿」、五八-五九頁。

(32) 中嶋・鈴木・天野共著「福祉国家における教育」、九七ー九八頁。

(33) 山内太郎編「世界の教育改革」(教育学叢書第二巻)、七一頁。

(34) 加賀田「前掲論稿」、三九頁。なお一九一八年、U・G・Cが誕生するきっかけとなった文部大臣の各大学との会見後、

 同大臣は、 「しかしながら私は、私が勧告をする上での原則について二つのことだけはいっておきたい。私は……この国の

 高等教育には国から非常に多くの拘束のない援助が必要なことを確信する。また私は、同じく、私の大学との長い接触か

 ら、大学の自治を保護することは非常に価値のあることだと確信する」、と発言している。「ユニバーシティー・グラソツ・

 コミテ・イー」、一四頁。

(35) 以下の叙述は主として、犬丸「前掲論稿」を参考にしたことをお断りしておく、、

(36) 加賀田「前掲論稿」、三九頁。

(37) 犬丸「前掲論稿」、六六頁。

(38) 根石「前掲論稿」、五八頁。

(39) 根石「前掲論稿」、五八頁。

(40) 犬丸「前掲論稿」、六六頁。

(41) 犬丸「前掲論稿」、六六頁。

Page 20: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論19

(42) 犬丸「前掲論稿」、六六頁。 ただ将来大学数が増加した場合、

 いう危惧もある、と指摘されている。

従来のこの関係の維持はむずかしくなるのではないかと

(43) 「ユニバーシティーグランツ・コミティi」、二八頁っ

(44)犬丸「前掲論稿」、六六頁。

(45) 伊藤正己「ロンドン通信ω」(ジュリスト三八五号)、一二一頁。

(46) 犬丸「芯別掲払㎜稿」、 山ハ山ハ頁。

(47) たとえば、経常費助成は一九四五年には、五百五〇万ポンド、 一九四六年には、九百万ポンド、一九六三~六四年に

 は、七千四百五〇万ポンド(これは各大学の総収入の七一・三%)、一九六四~六五年には、八千九百六〇万ポンド、そし

 て一九六五~六六年には、一億一千六百九〇万ポンド(一一六九億円)に達している。根石「前掲論稿」、五八頁。

     A

54 53)   )

tA   A       A    52  51  50  49  48

)   )   )   )   )

伊藤「ロンドン通信ω」、

伊藤「ロンドン通信㈲」、

伊藤「ロンドン通信㈲」、

伊藤「ロンドソ通信㈲」、

伊藤「ロンドン通信㈲」、

犬丸「前掲論稿」、六六頁。

犬⊥九「晶剛掲弘㎜稿」、 山ハ七頁。

一二〇頁。

一二〇頁。

=一〇i二一頁。

一二一頁g

一二一頁。

なおU.G・Cが、五力年援助を決定する手続は五段階からなっている。すなわち、「ω各

大学の五ヵ年の予算を詳記する用紙の準備と配布。②五力年の視察。㈹大学予算と発展プログラムの分析、査定。ω大蔵大

臣への報告。㈲大蔵大臣によって認められた総額の最終的割当て。L。右のうち、ω㈲の手続が現在修正されているだけで、

そのほかは現行のものである。また各大学はU・G・Cに次のことを知らせることになっている。すなわち、「@現五ヵ年

中の大学の発展。⑤大学の現在の問題と窮状。◎大学で計画している次の五力年中の発展。」。「ユニバーシティー・グランッ

Page 21: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

20叢論律法

 ・コミティー」、二八-二九頁。

(55) 犬丸「前掲論稿」、六七頁。

(56) 犬丸「前掲論稿」、六七頁。

(57) 犬⊥九「⊥閉掲込嗣稿」、 山ハ七頁。

(58) 犬丸「前掲論稿」、六七頁。

(59)国家の大学財政に対する不干渉の原則は、次の三つの考え方を基本的前提としているためであるとの指摘がある。すな

 わち、 「のいかなることにせよ大学の自由を侵害するようなことが存在すれば、大学はもはやその目的を正しく実現するこ

 とはできない。⇔大学と政府の間には、強固な信頼感が確立されている。図大学助成金委員会は良識と公平無私の使命観を

 もって、大蔵当局と大学の両局に対し円滑な意思疎通の機能を果し、実際問題の解決、処理に努めている」。加賀田「前掲論

 稿」、四〇頁。

(60) 「ユニバーシティi・グランツ・コミティー」、三八頁。

 そのω、アメリカにおける私学助成の実態

 アメリカでは、連邦憲法によって、教育に関する権限は各州に与えられている(-)。 そして、ほとんどの州におい

て、公立.私立を問わず、大学の設立・管理・運営に関する事項が州憲法もしくは州法に規定されている(2)。 しか

し、そのことは、連邦政府が教育に全々関与しないということを意味するものでは決してない。連邦憲法の制定以前

においてさ、兄、連邦創設者達は教育に関して深い関心を持っていたのである。たとえば、一七八七年の「ノースウェ

スト条令」(ヴ角O『けず≦①もΩけ ()『畠一昌P昌O①」は、「宗教や道徳や知識は、善い政治をおこない、人類の幸福をはかるためには、

かくことのできないものであるから、学校と、教育の維持は、つねに奨励されなければならない」(3)、と宣言してい

るほどである。そして今日、たと、兄州が教育に関する第一次的権能を有すれども、連邦政府の教育に関する活動を権

Page 22: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

一私学助成の憲法論と実態論一21

威づける憲法上の規定は、 「連邦議会は合衆国の……一般の福祉に備えるために、租税を……賦課徴収する権能を有

する。……」(4)、というものであることが一般に確認されている(5)。したがって、アメリカにおける私学助成を考察

する場合には、州における場合と、連邦における場合の二面から考察することが必要になる。そこでまず最初に、州

における場合から考察することにする。

 州にょる私学助成の歴史はきわめて古いのである。すでに、独立当初の一三の植民地時代から始まっている。この

時代には、植民地議会あるいは地方議会による私立カレッジに対する助成のための公金の支出ということは、めずら

しいことではなかった。というのも、当時私立カレッジしか存在していなかったし、また今日のごとき、私立カレッ

ジやユニバーシティーという観念は未発達であったがためである。したがって、公立と私立とを区別する必要がなか

ったのである。「ハーバード・カレッジ」(=碧く母侮O。濠αq①)などは、一七・八世紀に、すでに植民地や地方議会か

ら助成を受けており、マサチューセッツ州からは一八二三年まで公金の援助を受けているほどである。また、 「ダー

トマス・カレッジ」(U母§。三『○色①σQ①)なども、一九二〇年まで、ニューハンプシア州から公金の援助を受けてい

る(6)。 しかし現在では、ニューイングランドおよび中央大西洋岸の地方の若干の州を除いて、ほとんどの州憲法は

私学への公金の援助を禁止している。マサチューセッツ州憲法も一九一七年にさような趣旨の憲法改正を行なってい

る。また、ペンシルベニア州憲法は四〇年間にわたって、私立および宗派カレッジに対する公金の援助を認めている

と解釈され、一九一九年まで、毎年二百万ドル以上の助成金を支出してきた。しかし一九二一年、州最高裁判所の有

名な判決は、宗派カレッジへの公金の援助を違憲とし、私立の非宗派カレッジに対しては従来通り認めた。このよう

な州憲法上の現象は連邦憲法(修正一条および一四条)の国教分離の原則を具体化したものである。とはいえ今日で

も、「ペンシルベニァ大学」(d巳く①琶蔓亀℃①暮。■覧く9巳薗)、「テンプル大学」(目。日互①d巳く①透蔓)、「ビッツ。ハーグ大

Page 23: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

22叢論律法

学」(d巳くΦ邑高。h臣募ぴ霞σqげ)などは、若干のカレッジ(主として医科大学)とともに、州から公金の援助を受け

ている。メリーランド州憲法も私立の非宗派カレッジに対する助成を禁止するとは決して解釈されなかったし、現に

「ジョンズ・ホプキンズ大学」(旨O『昌ψ 甲閣O℃閃一昌ψ d昌一く①円ω津団)やその他若干の私立カレッジに対して助成がなされてい

る(7)。 そして、第一次大戦後まもなく、若干の州において、私大に対する助成に新しい局面が現出したことを注目

すべきである。それは、戦後大学に復帰した復員軍人に対する生計や書物などの援助のため、また復員軍人のために

増大した大学経費の援助のため、”教育ボーナス法”(①畠二〇9辞一〇昌9一 げO】P9もロ一聾ぐくo陰)というものが制定されたことである。

ウィスコンシン州では、さような法律は、 「単なる償還は助成にあらず」という理由で、憲法に違反するものではな

いと判決された(8)。 ニュージャージー州では、長年州立大学の設立をしないかわりに、私立カレッジと契約して、

その経費を支払うことにしている。フロリダ州では、 私立の「マイアミ大学」(d巳く①邑受9ζ冨巨)に対してその

医学部に在籍する自州の学生を教育する費用として、年に三千ドルを支出しているそうである(9)。 かように、州憲

法上の制約(国教分離)があるにせよ、大半の州は私大に対してなんらかの助成をなしている。一九五九年現在で、

五〇州のうち三〇州は経常費について、四州は施設費について、それぞれ私大に助成をなしているそうである(01)。

 以上の助成は、私大に対する直接的なものであるが、間接的援助に該当する州税からの免税というものをわすれて

はならない。各州とも、例外なく、公立・私立のカレッジに対して、相当に州税および地方税の免除を行なってい

る(11)。 たとえば、各州とも、私立カレッジに対して、教育目的のために所有、占有、および使用される財産に関し

ては、財産税を免除している。さらにまた、若干の州では、寄付金や寄付財産には税を免除している。その他いろい

ろと、州税や地方税の免除を私大は受けており、それらを合計すると、州立大と同程度に私立カレッジは州から援助

を受けていることになる、という指摘もなされている(21)。 さような私学に対する免税措置は、どういった理論的根

Page 24: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

拠からなされているのかというと、もし私学がなければ、当然公の税収入から支出されねばならないような欠くこと

のできない公務(陰窪。切①三8)を、私学が果たしているからである(招)。しかし、州の助成は全体からみた場合、き

わめてわずかである。第1表が示しているように、現在私学助成の主役は連邦政府である。したがって、次にもとも

と教育に関して第一次的権能を持たない連邦政府が、大学との関係を深めて行く歴史の中で、私大への助成はどのよ

私学助成の憲法論と実態論

第1表 アメリカの私大の経

   常収入の財源別比率

    (1963-64年度)

   %

100.0経常収入総額

80,7

30.4

26.5

24.8

1.7

1.3

0.2

5.7

10. 6

6.0

教育・研究活動会計収入

 学生納付金 連邦支出金

費他金

究の出

   支

研そ

地方支出金基本財産収入

金付

他(注1)の

寄 そ

17.2補助活動会計収入

2.1奨学金会計収入

(注1)補助活動とは,学生,教職

   員に対するサービスのため

   に行なわれる事業(寄宿

   舎,食堂,診療所など)を

   指す。

(注2)本表は「私学白書」,209頁

   から引用。

23

うに位置づけられるかを考察してみることにする。

 そこで、連邦政府と大学との関係を三段階にわけて、その発展過程を検討してみることにする。

 第一段階は、一七八七年の「ノースウェスト条令」の制定から一八六二年の「モリル法」(ζ◎『同幽一一 >O蒔)の制定ま

での期間である。「連合議会」(O。護話。・ω。h酔①08諭αΦ目註8)は連邦憲法が採択される以前に、のちにオハイオ、

ミシガン、インディアナ、イリノイ、そしてウィスコンシソの各州となった広大な地域の統治に関して、 「ノ:スウ

ェスト条令」というものを制定した。この法律は公立学校に対して一定の土地を交付することを規定していた。この

Page 25: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

24叢弧ffwa律法

第2表 アメリカの三私大の経常収入の財源別比率(1964年度)(14)

・・一・・一・大学1・醗ア大学k・ンフ・一・大学

48.3%

18.0

16.1

10.4

7.2

46.2%

20. 5

13.2

4.4

15.2

32.7%

24.3

20.4

8.2

14. 4

政府助成金授業料収入寄付基金収入補助的事業収入寄付金・その他の収入

8千80万ドル経常収入繍1・億・千6百万・矧・千・百・・万・ル

規定が、一八〇二年、高等教育機関にも適用されることになって、州立大学設立の道

を開拓させたのであった露)。 一八〇二年「オハイオ大学」(O竃。d巳く①琶受)、一八

〇九年「マイア、・・大学」(ζ賦言d巳く①巳受)、 いずれもオハイオ州にある二大学が、

アパラチア山脈の西部で、最初の州立大学として登場した。↓八〇三年、オハイオ州

が連邦加入を許可された以後は、州全体の公立学校制度と州立大学の確立のために、

新州に対して、連邦政府が公有地を交付することを認めた規定を、「権能付与法」

(閏5暮ぎσq>。併ω)1新州に連邦加入を認めた法律-に挿入することが慣例となった。そ

して一九世紀のはじめの頃には、連邦政府が私立カレッジに公金の援助をした例が

二、三あった。しかしこれも慣行として定着せず、その後長くわすれさられた。かよ

うに高等教育に対する連邦の関心ははやくからあったが、しかしそれはあまり効果的

なものではなく、大学に対する連邦の政策が画期的・具体的となって変化が起ったの

は、第一モリル法の制定によってである。つまり、 「モリル法」はこれまでの一定の

限定をもたなかった助成金を、とくに指定された分野に対する助成金へと変化をもた

らしたのである(16)。 すなわち、一八五〇年代になると、農学・医学・工学などの実

用的教育への関心が普及して、ペソシルベニアやミシガンなどの州において、各種の

州立カレッジが創設された。そこで一八五九年、連邦議会は各州における農業や工業

技術の振興を目的として、連邦が州に三万工ーカーの土地あるいはそれに相当するも

のを交付して、その土地あるいは相当物からの収益をもとに、各州に新しいタイプの

Page 26: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

一私学助成の憲法論と実態論25

一校以上のカレッジを設置させようとする法案を可決した(∬)。その法案はブキャナソ大統領によって拒否されたが、

一八六二年、バーモント州の上院議員モリルが奮戦努力してついに再可決され、リンカーン大統領によって署名され

た。これが「モリル法」である。この法律の適用のもとで設立された大学は「国有地交付大学」(い9巳O蜀韓O。7

一①σQ毬)と呼ばれ、現在、州立総合大学三九校、州立単科大学二六校、州立工科大学三校がこの法律のもとで設立され

ており、これら六八校で、全学生の約二〇%が学んでいるそうである(81)。 一八六二年の第一モリル法は土地あるい

はそれに相当するものの援助であり、そのため一八八〇年代になると、多くの「国有地交付大学」は財政困難に陥る

ようになってしまった愈〉。 そこで議会は、一八九〇年、第ニモリル法を制定し、これらの大学は毎年助成金を受け

ることになり、しかもその助成金は施設費だけではなく、経常費にも与えられるようになった(20)。 さらに両モリル

法とも、各州の大学の農業実験所に対して均一の助成金交付を認めた一八八七年の「ハッチ法」(国9仲Oげ >Oけ)や、農

業改良普及局を生み出した一九一四年の「スミス・レバー法」(ω目P一酔げー一「①<①村 >O酔)にまって一層充実したものになっ

た。 「モリル法」は私大への助成を目的としたものではなかったが、アメリカの大学の発展にとって画期的な立法で

                      ヅ

あり、大学に対する連邦政策の方向転換を意味する立法であった(12)。 そして第二次大戦まで、大学への連邦政府の

助成は主として「モリル法」の対象である「国有地交付大学」に限定されていたのである(22)。

 第二段階は、一九世紀の後半から第二次大戦までの期間であり、私立の総合大学の急増とともに始まり、さらに、

いわゆる都市の公立大学の出現をみる時期である(32)。 すなわち、アメリカ産業の急速な発展に伴い、スタンフォー

ドやシカゴなどの新しい私大が設立し、都市の発展拡大に伴い、ニューヨーク市立大学をはじめとして、各都市に公

立大学が出現し、これまで高等教育機関に進学する機会にめぐまれなかった都市労働者の子弟に、高等教育の機会を

与えるに至った(42)。 この期を、連邦政府の大学への助成という観点からみれば、連邦政府がいろいろな計画を通じ

Page 27: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

26叢ニム面田律法

て、高等教育のあらゆる分野に、直接または間接に関係をもち、助成をはじめた時期であるといえる。たとえば、一

九一七年、公立学校における職業教育の発展と職業科目の教員に対する特別教育の強化のために、 「ス、・・ス・ヒュー

ズ法」(Q。巨爵出口σqげΦ。。>9)が制定されたり(拓)、また第一次大戦中の予備将校訓練計画の立案により、 「大学は新兵

の供給源」にされたりした。さらに、一九三〇年代の大恐慌期になると、「ニュー・ディール政策の一環として、公共

事業局(PWA)、公共事業促進局(WPA)、民間植林治水隊(CCC)と米国青少年局(NYA)の諸計画が」(%)、

「教育の維持という政治的な考慮から、連邦政府の教育への幅広い参加を広範にもたらした」(72)。かような連邦政府

の諸計画が大学財政に影響を与えたことは疑いもないことであった。すなわち、連邦政府の広範囲にわたる助成政策

にょって、 「モリル法」の制定によりあらわれはじめていた特定分野への助成金の交付という方向づけから(農学・

医学・工学などの)、より一層教育に対する連邦管理の方向へ近づいていった。しかし、国庫助成ともいうべき私大

への研究助成は第二次大戦以後であった。

 第三段階は、第二次大戦から現在までの期間である。第二次大戦を契機として、科学技術の大発達は高等教育に対

する連邦政府の関心をいやがうえにも増大させた。その結果、連邦政府の助成政策も広範囲にわたるものに必然的に

なっていった。すなわち、従来の「モリル法」を基幹とする助成ルートに、施設計画助成、奨学金助成、そして研究

助成という新しい助成ルートが加わって、助成局面を一新させた。そこでまず、施設計画助成について検討してみょ

うo

 第二次大戦中は国防施設以外の建築は中止された。しかし、戦争終結はこれまで経験もしなかったほどの大規模な

大学施設の拡張をもたらした。それは復員軍人の大学復帰や一般学生数の急増に原因するものであった。連邦政府は

復員学生のための教育施設、臨時住宅、その他の施設の寄付、または大学への兵舎の無償提供あるいは名目的な価格

Page 28: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論27

での売却などによって、大学を援助した(82)。 一九五〇年になると、学生住宅供給や教育施設のための新しい連邦貸

付計画がスタートして、これが私立にも適用されることになった。現在連邦政府は、一九六三年の「高等教育施設

法」(田σqげ臼国9。彗8守。巳一帯ψ>2)によって、公立・私立を問わず、教育研究のための建物・諸施設の新増築や

改造に対して援助をしている(29)。本法のもとの助成は二つの目的・対象をもっている(30)。その一つは、大学自体の

教育研究計画を強化する目的での施設計画に助成をなすものであり、もう一つは、連邦政府の委託研究にもとつく施

設計画に助成をなすものである。前者に対しては、通常、半額助成であるが、後者には全額助成である(13)。 シカゴ

大学のアルゴソヌ研究所、マサチューセッッ工科大学(M・1・T)のリンカーン研究所、カリフォルニア大学のロー

レンス放射線研究所、リバモア研究所、アラモス研究所などは後者の適例である(32)。

 奨学金助成は有名な一九四四年のジー・アイ・ビルをもってはじまる(33)。 この法律は、正式の名を「復員軍人再

教育法」(ω①三8日窪ゴ菊$&塁§①昌け>g)ー臣。Ω・H・国昌。h閑凶σQ窪ーといい、第二次大戦の復員軍人に対し、無償で

大学教育を受ける恩典を与えたもので、そのために、連邦政府が大学に復学した復員学生の授業料その他の学費を大

学に交付し、さらに一定の生活費を復員学生に支給する(誕)、 というものであった。本法によれば、復員学生の修学

期間は一九五六年七月までとなっていたが、一九五二年に制定された第二のジー・アイ・ビルともいうべき「復員軍

人再教育援助法」(〈。§き、ψ国$&霧§①三〉°・°・響き①>2)によって、朝鮮戦争の復員軍人にも類似の恩典を与えてい

る(53)。 第ニジー・アイ・ビルが第一ジー・アイ・ビルと異なる点は、連邦政府が大学に復員学生の教育費用を交付

しないかわりに、復員学生が授業料等を支払うに十分な手当を学生本人に支給したことである(36)。 ついで一九五八

年、「国防教育法」(ワ引四甑O⇒9一 一)①融昌皿O  ]四傷=O蝉江O]P >Oけ)が制定された。本法は、公立・私立を問わず、大学院学生に

対して、五年間にわたり、年間一千ドルの奨学金援助をなし、六年目から一〇年間で償還すればよい、というもので

Page 29: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

28if 一論律一法

ある(訂)。そして本法は、施行期間を延長し修正を加えながら今日に至っている(認)。近年、 「国防教育法」のもとで

の奨学金援助の方が、ジi・アイ・ビルよりも増加している。

                大学に対する連邦助成のうちで、比較的最近に発達し、しかも主要なものと

第3表 アメリカの4年制大学における

   連邦政府支出奨学金(1962年度)(39)

支給額(千ドル)

160,591

  5,046

75,262

16,400

受給学生数   (人)

57,154

6,907

62,200

10,000

類種

大学院学生奨学金

学部学生奨学金復員軍人再教育奨学金

(学部,大学院を問わず)

軍人遺児奨学金  (同  上)

136,261 257,299計

なっているのが、研究助成である。そして、そのほとんどが連邦政府の委託研

究に対してなされるのである。研究助成は第5表にみられる各政府機関を通じ

て各大学に行なわれる訳であるが、これらの助成対象校がきわめて限定的であ

第4表 連邦政府の大学に対

  する項目別支出割合

     (1962年度)

助成項目i支出割合56成助究研

19金資学奨

9成助設施

3

13

教育養成等教科助成

その他主として医学研究と医療,保健,衛生専門家の養成

100

バード大学、スタンフォード大学、イリノイ大学、シカゴ大学、ミシガン大学、ミネソタ大学、

ずれも有名な私大か州立大である倉)。 さらに連邦政府の研究助成は、 「ほとんど例外なしに三つの大きな、

                               ヘ  へ

おたがいに関連しあっている国家目的に対して支出されてきた。すなわち、防衛(国防省および原子力委員会の援助

                  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

を含み一九六一年度全体の四〇パーセント)、科学および技術進歩(二〇パーセントー全米科学財団、農務省および航

ることに注意しなくてはいけ

ない。すなわち、上位一〇校だ

けで全体の三八%を占め、上位

二五校までになると、それは五

九%にも達するのである(04)。

そして上位一〇校にはいるの

は、カリフォルニア大学、M・

1.T、コロンビア大学、ハー

     コーネル大学で、い

          しかも

Page 30: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論29

第5表 連邦政府の研究助成とその支出機関(1962年度)

政 府 諸 機 関 支出額(百万ドル)

Department of Health, Education&Welfare National lnstitute Health 213.1

O缶ce of Education 8.0

2.7

19.6

OMce of Vocational Rehabilitation

Public Health Service

197.9

59.3

Department of Defense

National Science Foundation

52.3

35.6

18,8

5.8

613.1

Atomic Energy Commission

Department of Agriculture

National Aeronautics&Space Administration

Other departments

Total

(注) 本表は,加賀田「前掲論稿」,44頁より引用。

       ヘ   へ

空宇宙局)および保健(国立保健研究所を通じて三七パー

セント)の三つである」(24)、-という指摘にも注意しなく

てはいけない。連邦政府の研究助成の主体は主として委

託研究であり、しかも研究助成は特定校に限定されてい

るということともに、委託研究の内容は国家防衛研究に

関するものであることにわれわれは注意する必要があ

る(34)。したがって、イギリスの私学助成の場合とアメリ

カの場合とでは、馳かなり異なったものになっている(44)。

 そこで次に、アメリカにおける私学助成の問題点を要

約的に指摘してみることにする。

 ①イギリスとアメリカにおける私学助成は、高等教育

振興という点では同じであっても、、イギリスでは各私大

別に対する一括助成が↓般的であるのに対して、アメリ

カでは施設助成、奨学金助成、研究助成といった目的別

の援助であり、それと同時に、特定助成-国家目的に関

係する分野への助成1が一般的である。この相違はアメ

リカが連邦国家であり、教育分野に関する権限は第一次

的に州が保有するという憲法構造の違いや、高等教育機

Page 31: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

30叢一論律法

関の違い(アメリカでは州立大と私大とが併存しているのに対し、イギリスでは主として私大のみである)に起因し、

またアメリカが対ソ連との国際競争において常に優位にたたねばならないという国家的要請に起因する(54)。 この相

違から、アメリカでは、州の教育権がワシソトソ政府による教育に対する援助によって侵害を受けるという問題が生

じ(64)、 また連邦助成が国家防衛研究という特定の目的のために主としてなされるために、物理学、化学、生物学、

医学および工学といった分野に必然的にそれが集中するという現象を呈している(σ)。 無論、私大助成に関して、連

邦政府が高等教育の機会均等に努力している面も高く評価せねばならないが、しかし高等教育を国家の生存にかかわ

るものとして、その方向に高等教育を位置づけて、高等教育振興を国家の政策の道具としている傾向がある(84)。

 ②連邦助成は特定分野に限定されていると同時に、特定の大学にしか付与されていない。その結果、助成が最も必

要とされる大学には、連邦助成がないといった有様である(94)。この点、助成金配分の方法について問題がある(50)。

 ③確かにこれまで、連邦助成が”学問の自由“を侵害したという明白な証拠はないが(15)、 それにはいろいろな潜

在的危険が存する(25)。 現在すでに、「国防教育法」や「全米科学財団」(N・S・F)等の機能を通じて、連邦政府

による教育の標準化や中央集権化が現出している折から露)、 さらに今後一層連邦助成の増加が予想されるときに、

連邦助成と“学問の自由”という問題をどう解決するかが大きな今日的課題である(駁)。

 以上が英米における私学助成の実態の考察であったが、次に、私はわが国における舷学助成をめぐる諸問題の考察

に移ることにする。

(1) アメリカ修正憲法一〇条は、 「この憲法によって合衆国に委任せられず、また州に対してこの憲法によって禁止されて

 いない諸権限は、それぞれ各州または人民に留保されるものとする」、と規定している。大沢章編「世界の憲法」、三二頁。

(2) 小倉庫次「アメリカ合衆国州憲法の研究」、一九五頁以下参照。

Page 32: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論31

(3) アメリカ保健教育福祉省教育局編、アメリカの教育L(海後・河野共訳)、一一頁。なお本書では、 コこの規定は、連邦

 政府の創始者たちが、いかに教育を重視していたかを示すものとして、しばしば引用されるL、と指摘されている。

(4) アメリカ合衆国憲法一条八節一項。

(5) 聞葭σq器8睾畠罎。頃①霞ざ目匿〉旨巴。彰聞巴霞箪O。<⑦毎日①露(刈跨巴」ゆΦ。。ソ℃°伊亀゜なおで霞匡毒教授は、教育に対

 する連邦援助を違憲と考える人々には、連邦政府が一般的福祉という目的のために、租税を賦課微収しし、それを使用する

 権限を有していることが想起されねばならない、といわれる。』。7昌〉・勺①蒔ぎω”国口導。ぎσq霞σqげ①『国匹⊆雷ユo昌”蜀①巖℃①。江く①。・

 9昌山団o°・。・ま強賦β国゜閃。国oミ①゜。9巴G<睡巴o昌9ロ住同弩℃omΦ言口凶σqげ①『国伍信Bユoロ(一㊤①N)”唱゜這9

(6) 竃゜ζ゜O訂Bび㊦β司ぎき。ヨσq閏碍冨憎国ユo。讐δ昌(一8し。どや匂。c。’

(7) O『国日σ①タo℃°ユ£℃.し。㊤゜

(8) O『曽ヨげ㊦βoで゜q8やし。㊤幽

(9)O冨日び①β。℃°9G℃°し。㊤゜

(10) 文部省「私学白書」、二〇八頁。

(11) O冨ヨび①炉o℃・。ξ℃・も。O・なお、連邦教育局(○田8亀国島爵臥8)が一九五七年に調査した結果によれば、 「四八州

 のうち一六州の憲法は、教育のために使用される私的財産について、税を免除しなければならないことを規定している。ま

 た、二〇州の憲法は、同じような私的財産について、税を免除するかどうかを決定する権限を州議会に与えている」そうで

 ある。文部省「私学白書」、二〇九頁。

(12) Oげ98げ①炉o℃.6恥8で冒。。O°

(13) Ω缶ヨぴ①βoや9帥G℃°G。O°

(14) 加藤・徳永編「欧米の大学」、九三頁より引用。

(15) パーキンス・天城・井門「大学の未来像」、一〇八頁、訳者註㈹。

Page 33: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

32叢壬ムfima律法

A    21 20)   )

(   (   (   (19  18  17  16

)   )   )   )

根石「前掲論稿」、、四七頁。

加藤・徳永編「前掲書」、三九頁。

加賀田「前掲論稿」、四二頁。

加賀田「前掲論稿」、四二頁。

加藤・徳永編「前掲書」、三九頁。

ζ①『『葺竃・円ゲoヨ℃。。。P月げ①=貯oN躍o鴨団曾8けδ昌(一㊤①U)“で・一鵠゜なお丙①霞教授は「モリル法」が、「その後約一〇〇

年の間公立私立を問わずアメリカの大学の発展するいとぐちとなった」、と評価されている。C・カー「大学の効用」(茅監

訳)、五七頁。

 33

(    (    (    (    (    (    (    (    (    (    (

32  31  30  29  28  27  26  25  24  23  22)    )    )    )    )    )    )    )    )    )    )

加賀田「前掲論稿」、四二頁。

パーキンス・天城・井門「前掲書」、一〇九頁。

パーキンス・天城・井門「前掲書」、一〇九頁。

根石「前掲論稿」、四七頁。

根石「前掲論稿」、五二頁。

根石「前掲論稿」、四七頁。

O冨5げΦβ。で.。凶£やU9。1蜜゜根石「前掲論稿」、四七頁。

加賀田「前掲論稿」、四三頁。

加賀田「前掲論稿」、四三頁。

加賀田「前掲論稿」.四三頁。

C・カー「前掲書」、五九頁。加賀田「前掲論稿」、四三頁。

なおアメリカにおける奨学金助成の実態は、高藤・新坂・平木「アメリカの大学における経済援助活動」

(大学時報一

Page 34: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論一[

33

 六巻七六号)、二三-三三頁および加藤・徳永編「前掲書」、一七九-一八〇頁を参照。

(34) 加藤・徳永編「前掲書」、四〇頁。

(35) 加藤・徳永編「前掲書」、四〇頁。

(36) O罫ヨぴ臼♂名゜簿己ワ巳.

(37) 加藤・徳永編「前掲書」、一七九頁。

(認) 加賀田「前掲論稿」、四三頁。

(39) 加賀田「前掲論稿」、四三頁より引用。なお第4表も同じく、四四頁より引用。

(40) 加賀田「前掲論稿」、四三頁。

(41) 加賀田「前掲論稿」、四三頁。なお函①罎教授も、 「連邦政府研究費支出は、比較的少数の大学に焦点が合わされてき

 た。もし研究計画や大規模研究センターを含めて考えると、最近の会計年度で、六つの大学が全支出の五七パーセントを受

 けており、それを二〇の大学に拡げると、全支出の七九パーセントに達するものである。また研究計画のみを考えると、全

 基金支出のそれぞれ二八パーセントおよび五四パーセソトを受けている。……これら二〇の大学は、アメリカ合衆国におけ

 る全大学の一割にしかすぎないが、これが連邦政府の援助をうけている大学の主流をなしている」、と指摘されている。C・

 カー「前掲書」、六六-六七頁。

(42) C・カー「前掲書」、六五頁。なお以下傍点は筆者。

(43) 大沢勝「日本の私立大学」、四七頁。なお一九六五年の「高等教育法」は、公立・私立を問わず、連邦政府の「長期教

 育計画達成に必要な経費、教育研究費」を無制限に連邦政府が負担することを定めている。大沢勝「現代私立大学論」、二

 九三頁。委託研究助成の問題点およびそれについての大学側の批判などは、O『pヨび①βoや鼻こ℃°Uい占①・を参照。

(44) 囚.円.教授も、「アメリカ連邦政府の援助は、大学一般の強化あるいは特定少数の大学を強化するというような全体的な

 考え方をとっていないことは明らかで、その点われわれが推測するところの、かの英国の大学助成委員会の方針とは異なっ

Page 35: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

34叢論律法

 ているL、と指摘されている。C・カー「前掲書」、六五頁。

(45)出母募教授は連邦政府による高等教育への財政的援助を四つの理由から意義づけている。すなわち第一は、州および地

 方自治体政府は多額の負債を有しているからである。第二は、連邦政府はもともと州および地方自治体政府と比較して、最

 も生産的収入源を有しているからである。第三は、各州間における高等教育費の負担の相違が、連邦政府による均等化を要

 請するからであるる。最後は、ソ連との競争が連邦政府のリーダーシップの確立を促進させるからである。Q。聖目o霞国゜閏国-

 巳゜・”匹σq冨『国匹自巴8”菊Φ゜。2『8°・き色団ぎ暮8(一〇爵)も゜し。8・

(46) 国含6騨島。昌ヨ目異q。冨ユロσQ”2①≦く。蒔目8β≦「①①匹嘱労Φ三①≦もζ巽3一㊤①メ℃°①゜…口o≦Φ8蜀巴興9弓霞。・①Q。鼠詳σq。・“

 Z①≦<o蒔目8霧り≦Φ舞ぞ閑①<一①ぎ鵠ω①℃8日σ霞一〇①評℃°U°

(47) C・カー「前掲書」、六五-六七頁。なおO『p日げ①議教授は、連邦政府は全大学の物理学、生物学等の研究には九〇%

 を助成しているが、社会科学にはわずか二五%しか助成していない、と指摘されている。O訂ヨぴΦβoで゜葺Gや00占①゜

(84) この点、岡津教授の指摘はアメリカの高等教育の傾向としてもあてはまるであろう。岡津守彦「戦後教育制度の二十年

 1その回顧と展望」(ジュリス上二六一号)、一=二頁。なお早川教授は、「だから現在では連邦政府自身が大きな財源であ

          モ   へ

 るとともに、一つの脅威になりつつある」、と指摘されている。早川武夫「アメリカにおける大学の自治と大学制度」(ジュ

 リスト三五六号)、七五頁。

(59) 勺①蒔8♂oワ旦けG℃」q。①゜

(50) C・カi「前授書」、七六、九三-九四頁。

(51) しかし、連邦助成については、次のような「カーネギi財団」(O母⇒①σqδ国o旨傷碧δ昌)の理事会でのべられた痛烈な批

 判がある。すなわち、 「現在、連邦政府から大学に寄せられている多額の援助は真の意味の援助とはいえない。むしろ政府

    カ   カ    ヤ   コ   う   も   も   も

 によるサービスの買上げ(℃霞警霧Φ。謙霞鼠8。。1原語筆者注)である。政府が目的達成のために大学のサービスを必要とし

 て、大学がサービスを提供することを内容とする契約を結ぶのであれば、そのために支給される金銭は援助とはいえない。

Page 36: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論35

 このような協定は、往々にして、大学に負担となることがある。大学は、多くの場合、財政上困難に立たされながら耐えて

 いるのは、政府が助成をおこなうに際して必ずしも、自由、寛大ではなかったからであり、また、大学もこのような経費の

 補填を政府に主張しなかったからであるL。加賀田「前掲論稿」、四四頁。勺Φ蒔ぎ3。℃・9Gで・罠い1冨9

(52)学きぎ一教授は、政府援助に伴う潜在的危険(℃。8三芭島厨)について、次のように指摘されている。すなわち、①人

 間性(ピ日碧三①㎝)がぞんざいにあつかわれる、②新しい試みやσq一。び巴な計画が大学の確立された規律や伝統的かつ重要な

 職務を犠牲にして援助される、③政府や財団の研究に対する関心が大学の研究責任と教育責任との間に現に存在する緊張を

 一層大きなものにする、④学者が本来の職務からそれる。Oげ巴Φω聞冨爵Φ剖O。目一二・・δ『9三〔p=ω.■器ω言〉ヨ①警碧国貫冨増

 国ユロ雷叶δPρ同冨爵①一・巴・・H誘二①ωぎd巳く霞・。ξ国量$ま昌(一〇〇り)も・一①Nなお団蜀蒔巴教授は、もし特定計画に与えられ

 ている現在の政府援助制度が一般的援助計画制度に変化したなら、それらの潜在的危険はより少なくなるだろうと指摘され

 たのち、イギリスで行なわれているがごとき、一方で大学の自由を保護しながらも、政府援跡計画を実施している実態を、

 アメリカにおける参考例として提示している。午碧冨ポ。℃・9・も」①刈・

(53) 岡津「前掲論稿」、 一一三頁。

(54) この点、勺霞匠菖教授は、連邦助成が大学に対する政府コントロールの危険となってはならないと警告している。 蛸①1

 『鉱昌9。℃・鼻・も・富c。・しかし現実には、「連邦政府の国庫助成金は、こんにちの私立大学にとってプラスになっていない…

 …」、「連邦政府の大学関係支出は、約四〇億ドル(約]兆六〇〇〇億円)であるが、この半分は、政府の強い要望によって行

 なわれる研究に投下される資金であって、いわば、政府の下請作業に費消されているにすぎない」、と指摘されるとき(大沢

 「日本の私立大学」、四七頁)、さらにまた、政府の委託研究が重要な大学助成源となっている現状から(写きぎ】も℃・簿Gで・

 一①望)、委託研究と学問の自由の問題が生じてくる。なぜなら、委託研究(国家防衛研究)が「からむと公開と自由の原則

 が破られて、秘密研究になる」、と指摘されているからである(早川「前掲論稿」、七五頁)。

Page 37: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

36叢論律法

三、憲法八九条の学説・見解の検討

 私学助成が憲法上問題となり、しかも賛否両論に分かれて論議の焦点となるのは、憲法八九条の規定があるためで

ある。その規定は、 「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は

公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」と定

めて、いわゆる「公の財産の支出や利用に対する制限」を明言している。しかし、 「この規定ほど疑問の多い規定は

ない」(-)といわれるがごとく、今日まで八九条については一定した憲法解釈はなく、そのため現在八九条の意味を

より一層不明確にしている(2)。 したがって、私はここで八九条についての学説・見解を紹介し、かつそれらを整理

・分析した上で、若干のコメントをしてみようと思う。

 八九条の憲法解釈論は、その規定の趣旨・目的と、 「公の支配」とについて論議が分かれている。したがって、ま

ず最初に、八九条の規定の趣旨・目的についての論議から検討してみることにする(3)。 厳密かつ精巧な分類は新井

助教授に譲るとして、のちの「公の支配」の概念についての論議の整理・分析との関係上、私は八九条の趣旨・目的

についての論議を大別して二つの説に、すなわち「第一説」と「第二説」とに分けて検討してみることにする。

 (1) 「第一説」(前後段禁止説)

 ω まず、宮沢教授拡、本条前段は「国家と宗教との分離または国家の宗教からの独立を確保する目的のための規

定である。……本条は国家と宗教との分離の原則の趣旨にかんがみ、国または地方公共団体はすべてあらゆる宗教か

                     ヘ  ヘ   ヘ  へ

ら独立でなくてはならず、どのような宗教をも財政的に応援することは許されないという趣旨であるから、すべての

宗教を平等に応援することもまた本条の禁ずるところといわなければならない(、)」といい、これに対し、「本条後段

Page 38: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論37

       も  ぬ  へ  も  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ  も  も  へ  し  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ     し  ヘ  へ  し  ヘ  ヘ  ル  ヘ  へ  し  ヘ  へ  も  ヘ  ヘ  ヘ  へ  ぬ

は、主として、私的な慈善または教育の事業の自主性に対し、公権力による干渉の危険を除こうとするにある。公金

をある事業に支出し、または、その他の公の財産をある事業の利用に供する場合、国または地方公共団体は、その金

                   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ  へ

の使い道または財産の利用方法について、納税者たる国民に重大な責任を負うのであるから、その責任をはたす必要

                 ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   へ

上、それらの事業に対し、じゅうぶん実質的な監督権を有しなくてはならない。もしそういう監督権をもたないとす

れば、その公金の使い道または公の財産の利用方法について、国または地方公共団体は、じゅうぶん責任を負うことは

                                      ヘ  ヘ   ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   へ

できなくなるはずである。他方において、しかし、もし国または地方公共団体に対し、実質的な支配権が与えられる

                          ヘ  ヘ  ヘ                                          ヘ  ヘ  ヘ  へ

とすれば、それによって、慈善または教育の事業における自主性はそこなわれ、それらの事業の私的性格は失われ、

多かれ少なかれ、公的性格をもたざるを得なくなる。こうなることは、本来国または地方公共団体から独立に自主性

をもってなされなくてはならないはずのそれらの事業にとって、致命的な弊害を意味する。そこで、一方において、

                                           ヘ  ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

公金の使い道や、公の財産の利用方法を厳重にコントロオルすることが、国または地方公共団体が国民に対して負う

ヘ  へ

責任であること、しかも他方において、国または地方公共団体がそういう支配権をもつことは、慈善または教育の事

  ヘ  ヘ   ヘ   ヘ  へ

業の私的自主性を失わせるものであることにかんがみ、、本条は、 『公の支配』に属しない慈善、または教育の事業に

対し、公金その他の公の財産の支出または利用を禁ずることにしたのである。本条後段の趣旨は、すなわち、 『公の

支配』のもとに立つ事業と、そういう支配のもとに立たない私の事業とを明確に区別し、前者については、国または

地方公共団体がもっぱら責任を負うべきものであり、したがって、それに対し、公金その他の公の財産の支出または

                               ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

利用がみとめられることは当然であるが、後者に対しては、そういった財産的援助は絶対に許されないとしたのであ

る(5)」、といわれる。

 ② 清宮教授は、本条は「公金その他の公の財産の支出・使用について、一般に国会の監督のもとにおくとするほか

Page 39: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

38叢論律法

に、特別の目的のために設けられた規定である。すなわち、その前段は、憲法第二〇条と呼応して、国家と宗教との

   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  へ

分離、信教の自由を保障するためであり、後段は、慈善・教育・博愛事業について、跡蜘静擬助にからんで、謳穂⑳

ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

公.私の混瀟をきたすのを防止するのが、その主なねらいである」(6)、といわれる。

 ラ                                                                 ヘ ヘ へ

 ⑱ 佐藤教授は、「本条は宗教団体と国または地方公共団体との関係を財政面から切断することによって二〇条と

ともに国教分離の趣旨を保障するものであるが、同時に教育及び慈善の事業に対しても国家的援助を制限し、一つに

時雰蓉を惚するとともにまた従来みられ魯会奮算悉累伽猛(それによ・てこれらの事業が暴

ヘ  ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ  へ

目的に従属せしめられることになる)を排除しようとする趣旨である」(7)、といわれる。

 ω 『註解日本国憲法』は、「本条は、国家や公共団体が宗教団体や私的の教育事業、慈善事業を財疎紛幡接助かか

ヘ   へ

ことを禁止する。宗教団体に便益を与えることは、これを保護し間接に国又は公共団体が宗教活動をすることになる

ので、禁止されるのは当然であるが(憲法二〇条一項・三項)、これを私的の教育慈善又は博愛の事業にまで及ぼし

ているのは、どんな趣旨であろうか。教育にしても、慈善博愛にしても、公共的、社会奉仕的事業である点からは、

国家としてもこれを奨励して然るべきようにも考えられるが、私人が行うについては、その者の宗教的信念や社会観

に基く主義、思想に動機し、その発現と見るべき場合が多いので、これに国家が財政的援助を与え得ることとすれ

                 ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

ば、これを営利的に待遇し、その結果信教や良心の自由をコントロールする虞れのあることが主たる理由と認められ

る。更に又教育や慈善等の事業はその経営者や管理者個人の道徳的功績や社会的名誉をもたらすものであるから、

ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

性質上私財を投じて独力ですべきもので、何人も国家的援助によって、教育家や慈善家の栄誉を荷うべきではないと

の考え方も付け加えられているといえよう」(8)、といわれる。

 ㈲ 最後に、法務調査意見長官(現在の法制局長官にあたる)は、連絡調整中央事務局次長あての回答(昭和二四

Page 40: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論39

年二月=日法務庁調査二発第八号)の中で、「先ず前段においてその立法趣旨を考察するに、憲法第二〇条は信教

の自由を保障するとともに、国およびその機関の宗教的活動を一切禁止するなど政教の分離を宣言している。この政

教分離の原則は、当然国家の宗教団体に対する援助の禁止を含むものであって、憲法第八九条前段の規定はその旨を

ヘ  ヘ  へ

財政面から明確にしているものである。次に、同条後段の規定は左に述べる趣旨に出ずるものと解する。一般に慈善

教育もしくは博愛の事業は、これを民間人が行う場合、つとめて公の機関からの干渉や制肘を排して民間人たる事業

者自身の創意と責任とにおいて従ってその者自身の費用をもって行われるべきものである。またこれらの事業はやや

もすれぽ特定の宗教や社会思想等に左右され易い傾向があることはその性質上充分認めうるところである。勿論この

ような傾向自体を好ましくないというものではないが、このような傾向にある事業に対して公の機関が援助、特に財

政的援助を与えることは次にのべるような種々の弊害の原因を生むに至ると考えられる。すなわち、公金がこれらの

               ヘ ヘ ヘ  ヘ ヘ ヘ ヘ                              ヘ ヘ ヘ  ヘ へ も  ヘ へ

事業を援助するという美名の下に濫費されること、公の機関がこれらの事業に不当な干渉を行う動機を与・丸ること、

                                          ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

あるいは政教分離の原則にもとること、さてはこれらの事業が時々の政治勢力によって左右され事業の本質に反する

ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

ようになること等がそれである。こうした事態は回避せねばならないので憲法はこれらの事業に対する公金その他の

公の財産の支出、利用を禁止しているのである」(9)、といわれる。

 これらの学説および見解は、要するに、八九条の前段(信教の自由の保障)と後段(諸事業の特殊性・独自性の確

保)とでは、その趣旨・目的を異にするという前提(『前後段異旨説』)をとりながらも、対国民責任論(国費濫用防

止論)と諸事業の自主性への不当な干渉防止論を展開させて(0ユ)、結局は八九条の前後段とも、「公の財産の支出・利

用」を禁止するとしている。この「第一説」に対する批判はのちほど指摘することにして、次に「第二説」の検討に

進むことにする。

Page 41: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

40

[叢論律法

 (H) 「第二説」(前段禁止後段許容説)

 前述の「第一説」は論旨が明確であるのに反し、「第二説」はさまざまなニュアソスをもっている。

 ω まず、安沢教授は、 「公金その他の公の財産を、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のた

め、これを支出し、またはその利用に供してはならないことは、第二十条の規定からするならば当然のことであっ

て、それは、絶対に、禁止せらるべきものである。…:・第八十九条は、第二十条によって、すでに規定され、明かに

         ヘ   ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

されていることを、再び財政上の見地から、重ねて規定したまでのことである。したがってその支出や利用は、憲法

の規定からすれば、本来、絶対に禁止されているものといはなければならない。……しかしながら慈善、教育若しく

                                            ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

は博愛の事業については、国や公共団体が、手を出してはならないというわけのものではなくして、むしろ大いに手

ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   へ

を出すべき性質のものである。これを、教育に例をとってみても、国や公共団体は、大いに国の教育を振興すべき使

命をもっている。……現に、義務教育は、公共団体が、みつからこれを実行している。その経費は、国が、大半支出

している。大学については、国が、国立大学をみつから設置している。教育に対しては、国は、手を出してはならな

いというのではなくして、大いに出してよろしい。……同様に、個人が教育事業をいとなむというときに、国や公共

団体が、それを援助してはならない、いひかえれば、それに、公金を支出してはならないとか、公の財産をその利用

に供してはならないということは、本来、あり得ない問題である。しかしそれにもかかはらず第八十九条が、これを

             ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ  ヘ                                                 ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ   へ

禁止しているのは、それは、事柄自体からくる理由によるものではなくして、ただ、財政上の理由にすぎないという

ことになる。……したがって前段の規定と、後段の規定とでは、規定そのものの性格に相違があるというべきであ

                                   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  へ

る。前段の規定、すなわち宗教上の場合は、財政上の理由を考える前に、すでに事柄そのものとして、支出したり、

利用に供することが禁止されているのであって、財政上の理由というようなことは、はじめから問題になっていな

Page 42: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論41

い。……しかしながら後段の規定、すなわち慈善、教育若しくは博愛の場合は、事柄そのものとして、支出や利用が

                       ヘ  へ  ぬ  ヘ  ヘ  へ

禁止せらるべき理由は何物も存在しない。……ただ財政上の理由からして、これを制限しているだけにとどまるL貧)

といい、 「しからば財政上の理由とは何かということになるが、それは、これらの事業は、事の性質上、国や公共団

   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

体が、財政的援助に深入りしがちな傾向にあるため、これを制限しているまでのことである。すなわち一方からすれ

                                                ヘ  ヘ   へ

ば、他の事業とは違って、慈善、教育、博愛というごとき事業に対しては、国や公共団体としても、いきおい無理を

ヘ  ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   へ       ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ  へ

しても財政的援助に深入りするおそれがあり、また一方からすれば、これらの事業に対する援助は、一時的の支出ま

                    ヘ  ヘ  ヘ      ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

たは短期の利用という性格のものが少なく、長期的、継続的援助を要する性質のものが多い。したがってこの点から

    ヘ  ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

しても、過度の財政的援助におちいる傾向がある。したがってこのような性格にかんがみ、これらの事業に対する財

       ヘ  へ  ぬ   ヘ  へ

政的援助には、一定の限界を設けておく必要がある。この点からして、公の支配に属しないこれらの事業に対して

は、公金を支出したり、公の財産を利用せしめてはならないと規定したものと思はれる」(ど、といわれる。

                                           ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  へ

 ② 鵜飼教授は、 「私的な慈善教育博愛事業が国家財政から分離されなければならない理由は、宗教の場合とかな

                      ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  へ

らずしも同じではない。けだしこれらの事業を、直接に国家の事業として行うことはなんら差支えないからである。

したがって、これらの事業は、宗教のように、事業そのものの本質からいって、国家財政と分離する必要があるので

                                              ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

はなく、公の支配に属しないで私的経営として行われているかぎり、これに公の財産を支出することが、その本質を

ヘ  ヘ   ヘ  へ

傷つけるという考慮に出ているのである。しかしながら日本社会の現実からみると、むしろ国が、私的事業の自由な

発展を所期しながら、これに充分な財政的補助を与えることがのぞましいと思われる」(31)、といわれる。

 ③ 有倉教授は、 「宗教団体に便益を供与することは、直接的には宗教団体の保護または統制となり、間接的には

国または公共団体の宗教活動となるから、禁止されているのは、憲法第二〇条の規定にてらしても、しかるべきもの

Page 43: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

42叢論律法

                                  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ     ヘ  へ

ではあろうが、教育、慈善または博愛の事業にまでこれを及ぼすについては、特別の趣旨・目的があってのこととい

わなければならない。これを教育事業についてみれば、それは、主として、私人の行う教育事業が、その信念.主

義・思想等に基づくものとみられる場合が多いのであって、これに、公的な補助の与えられるときは、その結果にお

いて学校の経営管理に、しかしてまた、信教や良心の自由に多かれ少なかれ、制約を加えることになるおそれがない

                                       ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  へ

とはいえないとの配慮と理由とに出でたものと解すべきでろう。 このように考えれば、そのようなおそれのないと

ヘ               ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ     ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

き、または、そのようなおそれをなからしめる制度を措定することができるとき、少なくとも教育事業について、公

の補助を供与しうるとすることは、憲法第八九条の解釈として、必らずしも、妥当を欠くものということはできま

い」(14)、といわれるQ

 ω 橋本教授は、 「Gり第八九条前段と後段との間には大きな差異がある。前段においては、厳密な意味で、国家と宗

教との分離が規定されているが、後段の慈善、教育、博愛事業などは、国家との厳密な分離を本質的に必要とするも

のではない。④国または地方公共団体の事業と私の事業との区別を厳格にし、両者の中間に位する事業の存在を排斥

するということが、わが国の現実において、いかなる意味をもちうるか。これらの事業の衰微と、財閥ないしは外国か

らの援助ーそれによる干渉の可能性1などが考えられる。の現代国家が、国民生活の各分野で、調整的および助成的機

能を営んでいることを否認することはできないであろう。ωまして教育事業のごときは、国の事業として行なわれて

いるものについても、政治からの独立を強く要請されることは私立学校と異なるところはないし、私立学校といえど

も、国家からの干渉を完全に排斥しうるものではない。㈱したがって、第八九条後段の趣旨を次のように解すべきで

ある。すなわち、公の財産が、慈善、教育、博愛の私的事業に支出され利用に供された場合、完全に私的事業の自由

             ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

に委ねられるものとすると、公共の利益に反する運営が行なわれる可能性がある。そこで、国は、財政的援助をなす

Page 44: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論43

限度において、その援助が不当に利用されることのないように監督を要する。これをいいかえると、かかる監督に服

しない私的事業に、公の財産を支出し、利用させてはならない。これは、併せて国費の濫費を防ぐという意味もあろ

  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ     ヘ  ヘ  ヘ     ヘ  ヘ  ヘ  ヘ     ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

う(第八九条後段がとくに教育等の事業をあげたのは、むしろ、これらが、通常国から援助を受けることが考えられ

ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

るからである)」(15)、といわれる。

 ⑤和田教授は、 「本条前段は、もっぱら『宗教上の組織』(門亀σqδ屋寡茸三δ昌)等の問題をめぐって、つまり、

憲法二〇条に照応して発想された規定であり、かつ、そのような限度でのみ、解釈されなければならぬ性格をもつ。

したがって、この意味では、八九条前段の『公の財産の支出・利用の禁止』は、二〇条一項の『いかなる宗教団体

                                                  へ

も、国から特権を受け……てはならない』という『特権の制限』の一態様とみてよいし、むしろ、二〇条一項の-財

ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ      ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  へ

政上の見地からする1再確認的規定とみてもよいであろう。……しかし、八九条後段は、その趣旨において、憲法二

〇条の『国教分離』規定と何らの関係もないどころか、むしろ考え方によっては、慈善・教育・博愛の事業にこそ、

もともと、国や公共団体が積極的に財政上にも援助すべきであり、ときには、みずからその主体として実施してよい

事柄ではなかろうか、という議論も成り立つであろう。……すなわち、問題は、前段にあっては、憲法二〇条との関

係で、事柄そのものの性格からして、公の財産の支出・利用の制限が明瞭であるのに対し、後段にあっては、事柄そ

のものの性格からは、必ずしも、公の財産の支出・利用の制限の意図や趣旨が明瞭でない、ということにある。そう

だとすれば、後段の趣旨は、別のところにその根拠を探さなければならないであろうが、それは何であろうか。考え

られうることは、ω慈善・教育・博愛の諸事業の主宰者・経営者・管理者が自己の独自な社会観や主義主張1それ

は憲法一九条の良心の自由と関連するーに基いて設置・経営したところを、一方的に、国家が干渉することを避け

しめるということ、②かような諸事業は、もともと公共的・社会的使命にめざめる民間篤志家が己が私財を投じて独

Page 45: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

44叢一∈…ムtima律法

力でなすべきもので、国家的援助によって、かような篤志家の栄誉を横取りすべきではないということ、⑧さらに、

経営上の無責任な濫費を防止すべきであるという財政上の理由などであろう」(16)といわれたのち、前掲の宮沢・佐藤

両教授の見解と法務調査意見長官の回答を通じてさきの三つの理由を検討され、 「要するに、これらの学説見解のい

      ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  へ  も   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ      ヘ  へ

うところは、財政の濫費の防止と自主性の侵害・喪失に帰するとみられるが」、 これに対する批判として、次の三点

を指摘することができるとして、 「その第一は、財政の濫費という見地からの本条後段の立法趣旨は、それだけの問

                                     ヘ  ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ  へ

題としてならぽ、必ずしも充分な理由があるとは考えられないことである。なぜなら国・公共団体の財政援助の濫費

ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ     ヘ  ヘ  ヘ  ヘ     ヘ  ヘ     ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ     ヘ  ヘ  ヘ     ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

防止といこうとは、何も慈善・教育・博愛の諸事業についてだけあてはまることではなく、むしろ、およそ財政一般

ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

に通ずる支出ないし管理上の基本問題だからである。そうだとすれば、第二に、本条後段の趣旨は、むしろ、そこで

掲げられる諸事業の自主性への不当な干渉の防止という点に求められるべきものであろう。たしかに、そこには問題

がある(………)。そうして、この点をめぐってこそ、……『公の支配』と私立大学とのデリケートな問題が生ずるの

であるが、結論的にいえば、それは、私立大学のもつ『公共性』と『自主性』の二つの基本的性格の内容、私立大

学における宗教的支配の有無、国・公・私立を問わずおよそ大学一般に妥当すべき『学問の自由』等の諸原則を、

ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ    ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ    ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ    ヘ  ヘ  ヘ  ヘ ヘ  ヘ  ヘ ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

全体として、総合的に判断・評価しない限りは、正当な解決は得られないであろう」(17)、といわれる。

 ⑥ 新井助教授は、本条前段は「本来、信教の自由の保障、それゆえに、宗教の国家からの分離を裏付けるもので

あり」(18)、「通説にしたがえば、宗教についての本条前段の規定の趣旨・目的と、慈善・博愛、教育の事業について

                             ヘ  ヘ     ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

の後段の規定のそれとは、相異するところがあるといいながらも、慈善・博愛の事業に対する公の財産の支出・利用

    ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ                                        ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

の提供と教育の事業に対するそれとについては、深くその差異を認めていないかのごとくである」(p)と指摘されたの

                                              ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

ち、要旨を次のようにのべられる。そもそも、慈善・博愛の事実は、教育の事業とは異なり、 「いわゆる公の性質を

Page 46: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論45

ヘ  ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

もつものではなく、個人的同情心や人道主義的人類愛などに立脚して、肉体的・精神的・経済的弱者を援助するもの

であり、事業の主体の信念・信条・主義・思想などにもとついて行なわるべきものであるから、これに対して公の財

産の支出・供用がなされるときは、思想・信条・良心などの自由に制約を加える結果となる蓋然性が大であり、仮

に、憲法第二五条の趣旨・目的が十分に活かされ、その内容が完全に実現されているにもかかわらず、私人のこれら

の事業が存在しているとすれば、それは、その特殊性・独自性等の極めて強いことを示すものであるから、結果的に

それを損うことになるような公の財産の支出・供用はなさるべきではなく、また、現在のように、その内容が完全に

実現されていない場合にあっては、事業の主体の公私にかかわらず、これに対して公の財産の支出・供用をするまえ

に、その内容の完全な実現のための財源に、その公の財産を充てるべきである」(20)、また、「教育の事業については、

系統的学校(学校教育法第一条による学校)制度において実現される教育の事業は、その主体の公私にかかわらず

ヘ  ヘ  ヘ  へ

公の性質をもつものであるから、私立の学校が公の支配に属するか否かは、このことから演繹し、それが法的規制を

受けることや監督庁の監督に服すること等の法令の諸規定から帰納して、綜合的に考究さるべきであり」(12)、「慈善・

博愛の事業についての憲法第八九条の規定は、宗教上の組織または団体と教育の事業とについての同条の規定ととも

          ヘ  ヘ   ヘ   へ

に、その規定の性格を確認規定たらしめているとみることができるのである」(羽)、といわれる。

 これら諸学説の要約は、それらがさまざまなニュアンスをもっているが故に、きわめて困難なことであるが、要す

るに、八九条の前段に関する限りでは、 「第一説」と同一の理解・認識のもとにあるが、後段に関しては異なった見

                                    ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

解をもちかつ意義づけをされている。つまり、 「第二説」は総じて前段と後段との本質上の相違を語ろうとしている

といってもよいであろう。 「第二説」の特色については、次の「公の支配」についての論議を検討することによって

おのずから明らかになるので、ここでは一応両説の検討の結果、 「第一説」に対する批判点を指摘しておくにとどめ

Page 47: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

46叢…ム百冊律法

たい。それはむろん、 「第一説」に対する批判をふまえた「第二説」の諸学説の中にすでにのべられているところで

あるが、次のようなことが指摘されるであろう。まず第一は、国費濫用防止という後段の趣旨・目的はそこで掲げら

れる諸事業についてだけ限られたことではなく、およそ国家財政一般に通ずる基本原則であり、ただそれだけの理由

であるならば、わざわざ憲法に規定する必要もあるまいのではないのか、ということである。第二は、後段で掲げら

れる諸事業は、とくに教育事業などは、宗教の場合とは違って、本来国家財政と分離せねばならない理由はないので

あるから、いやむしろ国家の事業として行なうことはなんら差支えないのであるから、諸事業の特殊性・独自性を確

保しながら、公の補助を与えるように八九条の解釈を試みることがその趣旨・目的にそうものではなかろうか、とい

うことである。第三は、後段の趣旨・目的は諸事業の自主性への不当な国家干渉の防止という点にもとめられるので

あろうが、同じ事業といっても、慈善・博愛の事業と教育事業とでは、そもそも、本質的にも、沿革的にも違うので

あり、教育事業はその事柄の本質からして、本来公の性質をもつものであるから、少なくとも教育事業については、

国家の財政的補助を与えることが、日本社会の現実からみて妥当なことであるという考えを、八九条の解釈論の基本

的理念・態度となしえないのか、ということである。以上のごとき三点を、 「第一説」に対する批判点としてここに

提示しておくことにする。

 八九条の趣旨・目的についての学説・見解の分かれは、 「公の支配」の概念について、鋭角的な対立となってあら

われる。そこで、次に「公の支配」についての学説.見解を検討してみることにする。 「公の支配」についての論議

は、 「公の支配」広義説と狭義説とに分かれることをまず最初に指摘しておく(23)。もちろん、前述の「第一説」(前

後段禁止説)が「公の支配」狭義説に結合し、「第二説」(前段禁止後段許容説)が「公の支配」広義説に結合するわ

けである。そこでまず、 「公の支配」狭義説から検討してみることにする。

Page 48: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論47

 (1) 「公の支配」狭義説

                               へ  し

 ω まず、宮沢教授は、「『公の支配』とは、国または地方公共団体の支配の意味である。 『支配』とは、その事業

                              ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  へ

の予算を定め、その執行を監督し、さらにその人事に関与するなど、その事業の根本的な方向に重大な影響をおよぼ

ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  へ

すことのできる権力を有することをいう。かならずしも、その事業の日常の運行において、具体的・個別的に指揮す

る権能を含むわけではない。本条にいう『公の支配』の実例としては、現行法で」(さ、私立学校法(五九条)や社会

福祉事業法(五六条)があり、「国または地方公共団体が、右の例のように、単に『勧告』する権限を有するだけで、

私立学校なり、社会福祉法人なりが、本条にいう『公の支配』に属するといえるかどうかは、疑わしい。ここにいう

                                   ヘ   へ

『公の支配』に属する、といいうるためには、国または地方公共団体が単なる『勧告』的権限だけではなく、慈善等

    ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

の事業の根本方向を動かすような権力をもっていることが必要であろう」(52)といい、さらに、私立学校法(以下、私

学法とする)および社会福祉事業法(以下、社福法とする)は、 「……それぞれ私立学校および社会福祉法人に対

し、補助金を与え、または特に有利な条件で貸付金を行う旨を定めているが、本条の趣旨に添って、そういう『公金

その他の公の財産』の支出または利用を是認するために、それらの法人に対する各種の監督方法を定め、それによっ

て、それらの法人が国または地方公共団体による『公の支配』に属するものとしている。しかし、右の法律で定めら

     ヘ   ヘ   ヘ      ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

れる程度の微温的・名目的な監督-報告を徴し、勧告を行うことーが、はたして本条にいう『公の支配』に属す

るかどうかは、すこぶる疑問である。それらの監督手段は、決して具体的にそれらの学校法人または社会福祉法人の

ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

事業の方向を動かす力をもっていない。この程度のことで、それらの学校法人または社会福祉法人が『公の支配』に

属するということができるならば、すべての公益法人が『公の支配』に属するといえることになり、本条は、ほとん

ど空文に帰するおそれがある。本条の趣旨は、……国または地方公共団体が補助金を出す必要があるとみとめるなら

Page 49: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

48叢≡△.

肖冊律法

        ヘ  ヘ  ヘ  ヘ                                                              ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ    ヘ  ヘ  ヘ  へ

ば、その事業を『公の支配』のもとに置かなくてはいけない、言葉をかえれば、国または地方公共団体が、それらの

ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ  へ

事業をみずから経営すると同じようにしなくてはいけない、というにある。私立学校法および社会福祉事業法が、学

                     ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  へ

校法人および社会福祉法人に対して、どこまでも活動の自主性をみとめつつ、これに補助金または貸付金を与えよう

としているのは、本条に違反すると見るのほかはない」(26)、といわれる。

 ②清宮教授は、 「公の支配に属しない事業」とは、 「国または地方公共団体の監督・指導によって、組織・運営

の自主性が失われていない私の事業と解すべきであろう。これに対し、人事、予算、事業の執行などについて、自主

性を失うとみられるほどの強い監督を受けるものは『公の支配に属する事業』である」といい、私学法(五九条)、

社福法(五六条)、児童福祉法(五六条の二)などの監督規定について、「この程度の監督では、事業はなお自主性を

もち、公の支配に属するものとはみられないから、助成との関係からみて、憲法上の疑義が残される」(27)、といわれ

る。 

③ 佐藤教授は、「公の支配に属しない」事業とは、「一言でいえば要するに、私立の事業、すなわちその事業が本

質上、私的自主性を認められる建前がとられているものをいう。すなわち、国または地方公共団体がその任務の一つ

としてみずから行う事業(::..たとえば公団・公社等のごとし)以外の事業がここにいう『公の支配に属しない事

業』である。すなわち、もとより私立の事業であっても法律によりその設立の規格が定められ、その設立に当って行

政官庁等の認可を受けることは通例であり(……)、また法令に服することに関しては行政官庁・裁判所の監督を受

けるのであるから、この程度の公の支配をもここにいう『公の支配』なりとすれば、 『公の支配に属しない事業』と

いうものは存在しないことになる。従って本条の事業とは、右のような点とはかかわりなく、その性格ないし建前が

いわゆる私立の事業としてその私的自主性を維持するところにその特色があると考えうべきものをいうと解される。

Page 50: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論49

従って私立学校(私立学校法一)や社会福祉法人(社会福祉事業法五12)等は、本来、官公立学校や国または地

方団体そのものの事業と異なるところにその性格ないし建前の特色があるものであるから(……)、本条にいう『公の

支配に属しない事業』に該当すると解される。このように解すると私立学校(学校法人)に対して国または地方公共

団体が補助金を支出しまたは通常の条件よりも有利な条件で貸付金を出すこと等を認めることとした私立学校法五九

条の規定のごときは本条に反するといわねばならない(……)」(認)といい、要するに、「私立・私有・私営たることを

その基本的性格とする事業に対しては財政的助成を許さないといφのがまさに本条の趣旨なのである」(29)、といわ

れる。

 ω  『註解日本国憲法』は、「公の支配」に属するとは、「およそ事業の私的自主性とは相容れないもので、単に取

                                       ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  へ

締的な監督に服する程度では不充分なことになる。即ち、その事業の経営管理について、全面的に国家又は公共団体

ヘ  ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

の支配が及びその政策が浸透するようなものでなければならない。したがってその事業の物的施設も公の計画にした

                                        ヘ  ヘ   ヘ   ヘ  ヘ  へ

がって行われ、又人事もその任免監督を直接公の機関が掌ることが必要であって、いわゆる公団的なものでなければ

ならないことになる。このように考えれば、現在では公の支配に属するこの種の私的事業というものは見当らないこ

          ヘ  ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ   へ

とになるであろうが、本条のねらいは正にそこにあるのである。即ちこの種の事業は公のものか、私的なものか二つ

に割り切ってしまう趣旨なのである。…………したがって、現在程度の公の監督しかない私立学校や社会事業に補助

金を交付したり、無償で公有財産を貸与したりすることはできないといわなければならない」(30)といい、この点で、

私学法(五九条)や社福法(五六条)は本条に違反するほかはない、なぜなら私立学校にしろ社会福祉法人にし

   ヘ ヘ ヘ  ヘ ヘ ヘ  ヘ ヘ ヘ  ヘ ヘ ヘ ヘ                 ヘ ヘ ヘ  ヘ ヘ ヘ  ヘ ヘ ヘ  ヘ ヘ ヘ  ヘ ヘ ヘ  ヘ ヘ ヘ  ヘ ヘ ヘ  ヘ ヘ へ

ろ、 「何れも自主性を尊重することが立前なので、これは完全な公の支配の要求とは正面から相容れないからであ

る」(31)、といわれる。

Page 51: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

50叢論律法

 ⑤ 最後に、さきの法務調査意見長官の回答は、 「憲法第八九条にいう『公の支配』に属しない事業とは、国また

                 ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

は地方公共団体の機関がこれに対して決定的な支配力を持たない事業を意味するのであると解する。換言すれば、

                                   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ      ヘ   ヘ   へ

『公の支配』に属しない事業とは、その構成、人事、内容および財政等について公の機関から具体的に発言、指導ま

ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  へ

たは干渉されることなく事業者が自らこれを行うものをいうのである」(認)、といわれる。

 狭義説の学説および見解は、「公の支配」について、要するに、①国または地方公共団体が、事業の構成、人事、

内容および財政等について具体的に発言・指導または関与し、その事業の根本的な方向に重大な影響をおよぼすこと

のできる権力、②したがって、国または地方公共団体の監督・指導によって、自主性を失なうほどの強い関与・監督

を受ける、③それ故、私学法および社福法等のもとでの監督・指導の程度では「公の支配」に該当せず、④よって、

私学法および社福法等は八九条に違反し、違憲的立法である、⑤結論的にいえば、八九条の趣旨は、私的事業に対し

て国または地方公共団体は一切財政的援助をしてはならないということになる、としている(認)。 これに対して、広

義説は次のようにその見解を展開している。

 (H) 「公の支配」広義説

 ω まず、安沢教授は、 「現在の学校教育法および私立学校法に規定する教育は、第八十九条に規定する『公の支

配』に属する教育であるというべきである。現在の私立学校法による学校教育は、ドイッの憲法に規定しているよう

な、国の直営に代って行うべき代用教育ではないけれども、また私立学校をもって、公団や営団のごとく、国や公共

団体に代って、国や公共団体の事業をいとなむ団体であるとはいうことができないけれども、それでもなほ、私立学

校は、公の支配に属する学校であると解するのに何等の支障はないはつである。なんとなれば、現在の私立学校によ

って行はれている教育は、学校教育法にもとついて行はれている教育であって、決して私立学校が勝手に行っている

Page 52: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論51

                                         へ  ゐ  ヘ  へ  ぬ  ぬ  も  も  ル  も

教育ではないo公の支配に属する教育を行っているからであるα公の支配に属する教育とは、教育そのものが公の支

ヘ  ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   へ

配に属しているということであって、事業の経営者が公の支配に属しなければならないというこ゜とではない」(訓)とい

い、さらにまた、現在の学校教育法(以下、学教法とする)および私学法に規定する教育は、 「公の支配」に属する

教育であることを、次のように説明される。すなわち、「現在の私立学校に対する国の監督は、決して一般的、抽象的

監督ではない。一般的営業取締りや、事業監督と同一視すべきものではない。学校教育法においては、単に一般的な

設置基準(第三条、第七条、第八条、第九条)を定めているだけではない。個々の場合における設置廃止、設置老の

変更等について監督庁の認可を要するものとし(第四条)、校長を定めて、監督庁に届け出なければならないものとし

(第十条)、また一定の場合には、監督庁は、学校の閉鎖を命ずることができるものとしている(第十三条)。さらに

私立学校法においては、学校教育法の第四条および第十三条とほとんど同様の事項を、より詳細に規定しており(第

五条)、所轄庁に、各種の報告書の提出を命じており(第六条)、つづいてその第五節においては、 『助成及び監督』

の表題の下に、 『国又は地方公共団体は、教育の振興上必要があると認める場合には、私立学校教育の助成のため、

文部省令又は当該地方公共団体の条例で定める手続に従って援助を申請した学校法人に対し、補助金を支出し、また

は通常の条件よりも学校法人に有利な条件で、貸付金をし、その他の財産を譲渡し、若しくは貸し付けることができ

る』と定め、これについてはさらに詳細な助成並びに監督の方法を規定している(第五十九条)。以上のような学校教

育法および私立学校法に規定する監督の内容は、いうまでもなく、憲法第八十九条の『公の支配』たるべきものであ

り、さらに私立学校法は、この前提に立って、公然と、私立学校に対する助成および監督について、より詳細にこれ

を規定したものである」(53)。

 ② 鵜飼教授は、 「私立学校第五九条により、国または地方公共団体から助成(補助金、貸付金など)を受ける学

Page 53: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

52叢論律法

校法人に対しては、必要があれば業務または会計の状況に関し報告を徴するなどの監督が行われ、かくしてこれらの

法人は『公の支配』に属するものと解されている。憲法第八九条のおかれた、社会的状況からいえば、この種の立法

を適憲と解するのが正当であろう」(36)、といわれる。

 ⑧ 中谷教授は、 「私見によれば、憲法第八十九条にいう『公の支配』とは、その事業が存立上国家または公共団

  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ                         ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

体と具体的な連りをもち、従って、全体として命令服従の関係にあることを意味するものと解する。それ故に、私立

学校法第五十九条に定めている程度の国家または公共団体の『勧告』の権限を以て、直ちに『公の支配に属する』も

のと解することは、憲法法理の解釈としては必ずしも妥当とはいい得ないであろう。この点に関する限りでは〉前述

                 ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

のごとく憲法第八十九条後段の規定を形式的文理的に解し、私学は『公の支配に属しない』事業とし、私立学校法第

五十九条を憲法違反の疑いありとする所論の方がたとえ形式的文理的であるという批難はあっても、む七ろ憲法法理

の解釈論としては一見徹底しているかに見受けられるであろう。しかし、憲法第八十九条後段の諦範静慧蜘をば、右

所論のごとく形式的文理的に解するとすれば、それは忽ち蚤掛第一、一十か条伽附恥ゆ責掛と矛盾撞着するのみならず、

更にわが国における私学の現実に適合するか否か甚だ疑わしく、少くとも日本国憲法の理念の一つたる基恥帥か櫓静

ヘ  ヘ   ヘ  へ

重の精神に省みて、憲法第八十九条の立法論的当否についてはかなり議論の余地があることとなる。しかも、国家ま

たは公共団体の助成を認めた私立学校法第五十九条やまたこれと同趣旨に出た社会福祉事業法第五十六条や児童福祉

法第五十六条の二のこ之き規定が、現実社会の要望に応えて設けられ、それが広く一般に違憲でないと承認されている

袖会総愚識薯慰、懸決轡、千か条ど第応がか条どむ応較沖照じ、気a呼魯静理魯憩合歩愈銚総合慰解か

へると、憲法第八十九条後段の規定の規範的意味は、公金その他公の財産の乱費を戒めると共に、・公の経営に属しない

事業の自主的活動に対しては素りに公権力の閥与することを禁止するの法意である、と解せざるを得ないこととな

Page 54: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論53

る。要するに、私立大学に対する国庫助成の主張を以てあるいは憲法第八十九条後段の規定に戻るという意味におい

て違憲の疑いがあるとか、あるいは私学はいわゆる自己資本で賄うことを法上の建前とする趣旨に反するとか称して

私立大学に対する国庫助成を阻もうとする所論のごときは、いずれもすでに検討したごとく理拠に乏しく、到底これ

             ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ   ヘ  ヘ  ヘ  へ

に組みし得ないのみならず、日本国憲法の理念および関係法条の規範的意味を誤解したものというのほかはない」(73)、

といわれる。

 ω 田畑教授は、「『公の支配に属する』事業とは、単に国家または公共団体自体の経営的支配をする事業というの

     ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

ではなく、国家の支配の下に特に法的その他の規律を受けている事業という意味のものだからである。したがって国

立国営のものも、公立公営のものも、私立私営のものも、国家の支配下に特に法的その他の規律を受けるものは、す

べて『公の支配に属する』ものである、ということになる。この意味において、 『公の支配に属しない』事業は、そ

れ以外のものであって、たとえば、特殊学校(政党や組合の経営する政治学校や労働学校)のごときものが、その範

疇に入るのであるが、特に教育基本法・学校教育法等によりて法的支配を受けている私立学校は、 『公の支配に属す

る』ものである、といわねばならない。じたがって、かくのごとき公の支配に属する私立学校に対しては、公金その

他の公の財産を支出し、またはその利用に供してもよい、ということになるのである」(認)といい、さらに、「それに

もかかわらず、国立大学は、その経営について全面的に国費によっており、公立大学は全面的に地方公共団体の公金

によっているのであるが、私学は現在極めて僅少の助成を受けているにすぎないのである。言いかえれば、国立大学

                     ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ                                     ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

並びに公立大学と同様の『公の支配を受ける』公学性をもった私学が、、その経営については非常なる差別を受けて

ヘ   へ

いる、ということになる。第八十九条から言って、それはまことに不公平な現象であると言わねばならない。従って

また、私学に対する国庫助成一般を第八十九条違反であるとする見解は、第八十九条の全くの誤解である、と言わね

Page 55: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

54叢IAfiee律法

ばならないのである。のみならず、第二十六条第一項によれば、国は私学に対しても、国・公立の大学に対してと全

       ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

く同じように、国庫を以てその財政を賄うべき義務がある、と解しなければならない。すなわち同条同項は、 『すべ

て国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する』と定めているから

                ヘ   ヘ   ヘ    ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

である。憲法所定の、かくのごとき国民の教育基本権に照応してその公認するすべての大学の完全なる国庫助成をし

なければならない義務が国家にあるのである」(39)、といわれる。

 ⑤ 有倉教授は、 「教育の機会均等の理念は、国民の教育を受ける権利の旦ハ体化であり、その普通教育たると高等

教育たると、専門教育たるとを問わず、系統的な学校制度において実現される学校教育が、特定の一部の人の冊にの

み行わるべきものではなく、一般国民のものとして、 一般国民のために、その手によって行われるべきものであっ

                       ヘ   ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ   へ

て、このような意味において、かかる学校教育は、国民の全体のものであって、一部のものではなく、すべて国民

は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、いかなる理由によっ

ても、差別されてはならない(……)ものであり、したがって、系統的学校制度において実現される学校教育事業

は、露全雰な募愈駅露念ゆなで恋な罫・詠妻であり・公共のために行われるものであ

               ヘ  ヘ  ヘ  へ

るということができ、それ故に、公の性質をもつものといいうる。系統的学校制度において実現される学校教育事業

が公の性質をもつものであるから、これを実現する場たる学校もまた公の性質をもつものであるとの理論は成立しう

る。このように考えれば、私立学校の揚合、学校教育事業の主体たる法人は、私法人であって公の性質をもつもので

          ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

はないとしても、その学校教育事業そのものが公の性質をもつものであるかぎり、私立学校といえども、公の性質を

もつものということができる」(04)、といわれる。

                         ヘ ヘ  へ ヘ ヘ ヘ  ヘ                            ヘ ヘ  ヘ ヘ  ヘ ヘ  へ

 ⑥ 橋本教授は、宮沢教授らの見解を、 「憲法の条項の忠実な文理解釈といえるかも知れないが、活きた現実の社

Page 56: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論55 ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ   へ

’会において法が営む機能を考察することに欠けている憾みがある」貧)と批判して、さきに引用した見解を展開させた

のち、 「私立学校法第五九条に定める限度の監督をもって公の支配に属すると認めることが妥当であろう。内現実の

立法も、この解釈に従って行なわれており、一般に是認されている」(望、といわれる。

 ⑦ 和田教授は広義説を支持する理論的根拠として、要旨を次のようにのべられる。すなわち、第一に、私立学校

                              ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

に対する「公の支配」の解釈は、何よりもまず、憲法二六条の示す文化国家原則の理念と日本の現代社会の生きた現

 へ実

とから再構成されなければならない。しからば、二六条の文化国家の原則に対し、八九条はどのような意味と解釈

が与えられるべきだろうか。八九条は、第七章財政の章の、いわば一つの財政技術的な制限規定るたにすぎぬ。した

                 ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ                                 ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   へ

がって、憲法解釈論において、憲法の原則的規定(二六条)が憲法の技術的規定(八九条)に優位すべことは、およ

                                               ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

そ、解釈論のアルファであり、オメガーである。このような観点から、八九条の「公の支配」の条文は、二六条の教

 ヘ   ヘ   ヘ      ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ   ヘ  ヘ      ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   ヘ   ヘ  ヘ          ヘ  ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

育義務B教育権の条文との解釈論的コンテクストにおいて、可能な限り弾力的に広義に解釈すべき-憲法理論的な

  ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ                                                                      ヘ   ヘ   ヘ   へ

  根拠があると考える。第二に、私立学校の設立における認可制度に注目したい。私学法三〇条は認可の申請を規

                                                ヘ   ヘ   ヘ   へ

定し、同法三一条は認可の決定を規定している。かような認可制度は、そこには、国・公共団体が、いわば保護監督

 ヘ  ヘ   ヘ  へ

者の立場においてその行為を見守っており、本来的にいって、そうした内容の問題につき、自己の権限を潜在的に留

保して然るべきなのだ、という考え方が前提となっていると解したいのである。したがって、このような内容の事業

に対しては、公共的な立場から合理的な方法や限度において、コントロ:ルすることは差支えないのである。一面か

らいえば、私立学校の設置も学園当事者に一任してもよさそうに思えるが、しかし、他面、ひるがえって考えると、

           ヘ  ヘ   ヘ   へ      ヘ   ヘ                    ヘ   ヘ   ヘ  ヘ   へ

これを放任しておけば、一国の公的性格をもつべき国民の教育(教育基本法六条)がでたらめになり、民主政治の充

実、文化国家の達成に支障を来すおそれもある。私立学校の認可には、およそ右のような制度的な理由と事情がある

Page 57: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

56叢論律法

のであり、このことは、八九条の問題に関連させるならば、まさに、 「公の支配」と私立学校との解釈における広義

説を支持する論拠となるのではなかろうか。第三に、私学における「公共性」と「自主性」は、狭義説の前提にも、

おそらく、矛盾する概念としての認識が暗黙のうちにあったのではないのか。しかしそれは誤りである。私学におけ

る「自主性」は、決してその教育と運営を主観的・独断的な恣意と偏見に委せることはできないという意味で、 「公

共性」と相容れぬものではないと考える。なぜなら、私立学校は会社の事業とは、斡鳶どいひ事業ぞゆをか⑪か質的

ヘ ヘ             ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ ヘ  ヘ    ヘ ヘ  ヘ  ヘ  ヘ      ヘ  へ

性格からして、全く異なった公共的・社会的目的  教育というーを追求する任務を、 国の文教政策の一環とし

て、負担せしめられているからである。したがって、私学が、私学の「自主性」の名の下に、教育本来の公的な責任

と使命を放棄することがあれば、それは、そもそも、 「自主性」の名に価しないものであり、いわば、恣意なのであ

る。換言すれば、私学の「自主性」とは、公的な任務と責任を自覚した、すなわち、 「公共性」を深くその前提にお

いて内包した意味に理解されるべきものでなければならない(昭)。

 ⑧ 新井助教授は、 「宮沢教授のいわゆる『公の支配』の意義・内容は、慈善・博愛の事業についての憲法第八

九条の解釈上、至当なものであろう。しかし、 これを教育の事業についてみるとき、慈善・博愛の事業の場合と同

様に『公の支配』の意義.内容を理解することは、かならずしも妥当なものではないようである」といい、さらに、

「学校教育制度の制度目的とその現状とを勘案して、法定の系統に属する学校が公の性質をもつものであることから

演繹し、それが法的規制を受けることや監督庁の監督に服すること等の法令の諸規定から帰納して、繍含艀に考究さ

るべきものであり、そのような考究のもと、法定の系統に属する学校は、私立の学校といえども、憲法第八九条にい

う『公の支配』に属するものということができることとなるであろう。…………決定ゆ恥続ゆ風かを私立の学校に対

して、公金その他の公の財産を支出し、または、その利用に供することは、憲法第八九条に、かならずしも、違反す

Page 58: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論57

るものではない。ただ、支出または利用の提供に際して、それを理由として、私立の学校に対して、必要以上の規制

や監督のなされることは禁ぜらなければならない。……このようにみるとき、私立の学校に対し、補助金を与えまた

は特に有利な条件で貸金を行う旨を定めている私立学校法第五九条の規定は、憲法第八九条に違反するものとはいい

えないL(44)、といわれる。

 ⑨ 最後に、文部省は、前記の法務調査意見長官の回答とは反対に、 「公の支配に種々の程度があることは法務庁

の見解通りであるが、憲法にいう『公の支配』が如何なる程度の公の支配を意味するものであるかについては、法務

庁の見解に従い難い。すなわち、私立学校は法律により特別の監督(学校教育法第四条、第十三条、第十四条等)に

服しているものであるが、憲法にいう『公の支配』も、この程度の支配を含むと解したい。なお、このことによっ

て、公金が濫費され、私立学校に対して不当な干渉が行なわれることはない」(菊)、といわれる。

 私も、結論において、広義説を支持するものであるが、八九条の憲法解釈論についての私見は、 「結論的考察」の

ところでのべることにして、ここでは、 「公の支配」広義・狭義両説の検討から、若干の重要な論点を整理・分析し

てみることにするQ

 まず第一に、両説の問には、憲法解釈の基本的態度において、相違があるということである。すなわち、狭義説は

「憲法八九条の  そしてそれだけのわくでのー1忠実な文理解釈をしているのに対し」、 広義説は「日本社会の現

実に即した、いわば法社会学的・合理主義的・.目的論的解釈の発想と構成をしている」(46)ということである。先般の

諸事件(恵庭事件.朝日訴訟および一連の公安条例事件)を契機として、今日とくに憲法解釈の基本的態度として、実践

的憲法解釈1それは国民の要求と直結し、かつ憲法解釈の国民の権利生活への影響を意識したものーが要望されるこ

とに、われわれは注意しなくてはならない。その意味で、八九条の文理解釈はむろんのこと、文理解釈は忠実な憲法

Page 59: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

硲叢論律法

解釈であるが、日本の憲法的状態や現実には適合しない、という見解にも再検討する余地はないであろうか。なぜな

ら、私学助成必要論は国民の権利要求論として把握する必要があるからである。第二に、両説は「公の支配」の概念

について本質的に異なった見解を、いや異なったアプローチをしているということである。この点、教育を例にとれ

ば、狭義説は、本質的に教育事業を私的事業であるという発想と構成から、 「公の支配」の概念にアプローチしてい

るのに対して、広義説は、 「公の支配」の概念そのものを問題にすることよりも、むしろ教育事業は本来公の性質を

有する事業であり、したがって、それはもともと公的事業であるという発想と構成から、結果として、 「公の支配」

の概念を規定づけているということである。それ故、広義説には「公の支配」とは何かという問題よりも、 「公の支

配」の程度が問題となる。第三に、和田教授も指摘されているように、 「公の支配」の概念は「八九条のみの問題で

はなく、憲法の諸原則ないし憲法の全体系からする構造的理解のなかにおいて」のみ正しい解釈がえられるのである。

したがって、 「公の支配」の概念は、二六条の国民の有する教育権11国家の国民に対する教育義務との「解釈論的コ

ンテクスト」において、解釈すべき憲法理論的根拠があると考えられる(σ)。この点、両説とも(中谷・田畑・和田三

教授は別として)、総じて二六条の規定を考慮していないのは、再考の余地があるのではなかろうか。 さらにまた、

第四に、二三条の「学問の自由」の現代的意義を検討する必要があるのではなかろうか。 「学問の自由」の消極面、

すなわち国家と学問との分離(学問からの国家権力の排除)のみでは「学問の自由」の真の保障にはならない。 二

〇世紀における大学は、世界的傾向として、財政的能力の欠乏を訴えている。そこでは、大学の財政的能力を保障

することが、現代における「学問の自由」の保障ということになる、という理解と認識が必要である。詳細は後述す

るが、とにかく私学助成論にあたっては、 「学問の自由」の現代的意義を解明する必要があるのではなかろうか。

  (1)安沢喜一郎「日本国憲法講義」、五〇四頁。なお、大西教授も八九条の後段規定について、「この規定の趣旨は明らかで

Page 60: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論59

 ない」、と指摘されている。大西芳雄「憲法要論」、三=頁。

(2) 憲法調査会編「憲法運用の実際」(法律時報三八五号)、三四五頁。

(3) 以下の分類は、新井助教授のそれを、参考にしだことをお断りしておく。新井隆一「公の財産の支出または供用の制

 限」(ジュリスト「続学説展望」)、二六-二七頁。

(4) 宮沢俊義「日本国憲法」(コソメンタールー)、七四〇頁。

(5) 宮沢「前掲書」、七四四ー七四五頁。

(6) 清宮四郎「憲法1」(法律学全集3)、二↓五頁。

(7) 佐藤功「憲法」(ポケット注釈全書㈲)、五二八頁。なお別書でも同旨である。「日本国憲法概説」《新版》、三三〇1三

 三一頁。

A   A   Aユ8 17 16)   )   )

(   (    (   (   (   (   (   (

15  14  13  12  11 10  9  8)   )    )   )   )   )   )   )

『註解日本国憲法』下巻、一三三一ー一三三二頁。

内閣法制局監修「法制意見総覧(全)」、一七一七頁。

和田「前掲論稿」、一八五頁。・

安沢「前掲書」、五〇五 五〇七頁。

安沢「前掲書」、五〇七頁。

鵜飼信成「憲法」(岩波全書)、二四九頁。

有倉遼吉・天城勲「教育関係法H」、九四頁。

橋本公亘「憲法原論」(新版)、三六九頁。

和田「前掲論稿」、一八三t一八四頁。

和田「前掲論稿」、↓八五頁。

新井隆一「日本国憲法第八十九条の理念」(税法学一二〇号)、

一二頁。

Page 61: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

60叢論律法

   Aを2v3 、

(  (   (   (22 21  20  19・

)   )   )   )

新井「日本国憲法第八十九条の理念」、一四頁。以下、「税法学」とするひ

新井「公の財産の支出または供用の制限」、二七頁。以下「ジュリスト」とする。

新井「ジュリスト」、二七頁。、

新井「税法学」、一五頁。

以下の分類は、和田教授のそれを、参考にしたことをお断りしておく。なお教授は、 「公の支配」をめぐる学説・見解

「私学法違憲説(もしくは合憲への疑惑説)」と、「私学法合憲説」とに分けておられる。和田「前掲論稿」、一八六-一

 九四頁。

(24) 宮沢「前掲書」、七四一頁。

(25) 宮沢「前掲書」、七四一-七四二頁。

                                へ  も  セ  へ  も

(26) 宮沢「前掲書」、七四六-七四七頁。しかし、教授は、「本条後段が日本の現実にはたして適合するかどうか、はなはだ

 疑問である。私立学校法や、社会福祉事業法の右に引かれた規定は、本条後段にはむしろ違反すると考えられるが、そうい

 う本条に違反すると考えられるような規定が、現実に各方面からの要望にもとついて設けられ、それが一般に是認されてい

                  も  も  も  も  も  も  お  ゐ  ヘ  カ  ヵ  も  ヤ  も

 るということは、本条後段そのものが日本の実情に適する規定でないことを、何よりも雄弁に証明しているといえようか。

     し  ぬ  も  も  へ  も

 本条は、立法論的には、大いに検討を要する規定である」、といわれて、本条後段について、その立法論的当否の問題提起

                                      も   も   ゑ   ヘ    コ   で   ヤ   も

 をなしている。宮沢「前掲書」、七四八-七四九頁。ところで、教授は、近年、「……教育を受ける権利を実現することがい

         ヘ   へ   し   も    

 わば非常に大きな国家の責任であると考えると、憲法全体としては、国家がそういう形ででも、教育の機会を提供できるよ

 うに努力することは、憲法自身の強く要求するところといえるんじゃないか。それとの関連において八九条を解釈すると、

 へ  も  ヘ  ヘ  ヤ  ぬ  も  ヤ  も  ぬ  も

それほど神経質に形式的に考えなくてもいいんじやないか」と発言されて、微妙な態度を示しておられる。いずれにして

も、教授の八九条解釈論と現実肯定論との差異には、注目すべきものがある。「ジュリストの目ー私学振興策」(ジュリスト

 三五七号)、]八頁。

Page 62: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論61

(27)清宮「前掲書」、二一五頁。清宮教授も、「憲法の規定は、公的な財政的援助に伴い、私的事業の自主性を害することを

 嫌って設けられたものであろうが、援助をする以上は事業の自主性は認めず、事業の自主性を認める以上は援助はしないと

割り切っている憲法の態度そのものが、立法論としては、問題である。わが国の私立学校経営の実情はこれに対する反省材

 料を与えている」、といわ“れて、宮沢教授と同様に、立法論的当否の問題提起をなしている。清宮「前掲書」、二一五頁。

A    32 31)   )

(   (   (

30 29 28)   )   )

 とは、

 であって、

 (昭和二五年二月七日法務府法意一発第一二号神奈川県知事あて法制意見第一局長回答)。「前掲書」、

(33)

 否の問題提起をなしている)、

 て、

 目的を果しているのであるから、

 団体の物的.人的管理がでぎるが、私立学校に対してはできないからと理由づけられるかも知れないが、人事面に関しては

 (すくなくとも大学に関する限り)学問の自由、大学の自治が確立されていて、その点では私立学校と差異はない。その

 上、私立学校に対しても、国立学校と同様、その教育課目、教科過程は一律に一定の枠がはめられているから、私立学校の

 独自の教育をほどこし、独特の校風をつくる余地は殆んどなく、その意味で私学の独自を尊重するため之いう理由もなり立

佐藤「憲法」、五三一-五三二頁。

佐藤「憲法」、五三三頁Q

『註解日本国憲法』、=二一二五1=二三六頁。

『註解日本国憲法』、一三三六頁。

「法制意見総覧(全)」、一七一八頁。また、法制意見第一局長回答は、この点について、「憲法第八九条にいう『公の支配』

 権限に基かない事実上の支配を含まないことはもちろん、公の機関が単に抽象的な監督権限を有するだけでも不充分

   その事業を現実に支配する具体的な権限が法制上定められていることを必要とするものと解する」、といわれる

                                          一七二五頁。

また鈴木安蔵「憲法学原論」、五五一-五五三頁、小林直樹「憲法講義(全)、四二三-四二五頁(小林教授も立法的当

           も同旨である。なお大西教授は、「『公の支配』に属する学校、すなわち、国公立学校に対し

国または公共団体が公金を支出するのは当然であるが、私立学校も国公学校と同様、風跡伽教脊どい外棒会静・公出ハ静

            その間に差異を設けて取扱う理由は薄弱である。国公立学校に対しては、国家または公共

Page 63: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

62叢壼,匁

fiwa律法

ち逡・て案・の馨懲魯聞患り湊器何象繋あ・のか明・かでー慮

蘂只博愛の事情についても同様である.。かし、ともかく現在の私立学校あるいは社会福祉法人は『公の支配に属しな

い』妻団体、いう外はない.。たが。て、。れに対して澤たは公共団体か、補助金を畜する・とはできない、・いわ

ねばならないL、

 39

(   (   (   (   (38  37  36  35  34)   )   )   )   )

巻七一号)、

なわち主として高等学校卒業資格およびそれと同等以上の能力)」ということを意味するものであって、

たことをもって、

一七頁。

     といわれる。大西「前掲書」、三=1三こ貢Q

安沢「前掲書」、五〇八頁。

安沢喜一郎「憲法第八十九条の公金支出の制限」(綜合法学三三号)、三八頁。

鵜飼「晶削掲盤目」、 (注)一山ハ、 一一五一二頁。

中谷敬寿「私学助成の憲法上の疑義について」(大学時報一六巻七一号)、一四-一五頁。

田畑忍「日本国憲法条義」、三二五頁。

田畑忍「憲法第八十九条後段と二十六条一項-私学国庫助成違憲論の誤謬のポイントを視点としてI」(大学時報一六

   一六頁。なお田畑教授は、二六条の「その能力に応じて」ということは、大学の場合には、「大学進学能力(す

                                           「大学入試にパスし

      ここに言う『能力』とすることはできない」、と注目すべき見解をのべておられる。「前掲論稿」、一六1

(40) 有倉・天城「前掲書」、九一-九二頁。

(41) 橋本「前掲書」、三六九頁。

(42)橋本「前掲書」、三六九-三七〇頁。

(43) 和田「前掲論稿」、二〇三i二一一頁。

(44) 新井「税法学」、一五-一六頁。なお新井助教授は、

 律」)、二九七-二九九頁、においても論じている。

同旨のことを、「教育財政をめぐる法律問題」(有倉編「教育と法

Page 64: 私学助成の憲法論と実態論(一)-とくに私大への助成 URL DOI...私学助成の憲法論と実態論8 ーとくに私大への助成必要論の基礎作業としてf

私学助成の憲法論と実態論

(45) 「私立学校振興会史」第一巻、三八頁。大沢「現代私立大学論」、二四二頁。なお文部省は、別の回答では、次のように

 いっている。すなわち、 「……学校教育法に準拠して設立された学校は、仮令私立学校でもその支配に属する教育と考える

 が然るべきや。右御回答を乞」という照会に対し、 「学校教育法によって設置された私立学校の教育は、憲法第八十九条に

 いう『公の支配』に属する教育であると了解しているが疑義もあるので目下検討中である」 (昭和二三年一〇月二三日、学

 校五三一、松商学園高等学校長宛、学校教育局長)。または文部省の見解については、福田・安嶋共著「私立学校法詳説」、

 三一頁以下参照。

(46) 和田「前掲論稿」、一九四頁。

(47) 和田「前掲論稿」、二〇四頁。

63