横田 秀樹 -...

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145 文法形態素習得における所有格-’s の難易度 1) 横田 秀樹 2) The Difficulty of Learning Possessive -’s in the Acquisition Order of Grammatical Morphemes 1) Hideki YOKOTA 2) 英語を第二言語(外国語)として学ぶ場合、学習者の母語や教室での指導の有無に関わらず、文法形態素の習得 にはおおよその順序があることが一連の先行研究からわかってきた(例:Krashen1977)。しかし、日本語母語話 者の場合、英語の所有格-’s は習得が比較的容易であるという報告が多い(例:Shirahata1988;Tomita1989)。そし て、その要因として日本語の所有格-(例:ジョン本)からの英語-’s への転移(例:John’s book)が指摘さ れている(寺内1994;Luk & Shirai2009)。しかし、言語学的観点からすると日本語と英語の所有格の統語構造は 異なる(Bo skovi ´ c2002,2008;Chomsky1994)。その証拠として、「このジョンの本」という日本語は文法的に正し いが、「*this John’s book」という英語は文法的には誤りであることがあげられる。もしこのように日本語と英語が それぞれ異なる統語構造を持っていると仮定すると、日本語母語話者が産出する日本語の所有格-からの転移 と見られる英語のデータは、統語構造とは無関係に表面的な音(-’s )だけを当てはめている可能性が考えられる。 本研究の目的は、日本語母語話者の場合、英語の所有格-’s は習得が比較的容易であるという先行研究の主張と、 その要因は日本語からの転移にあるとする説明の真偽を検証することである。実験方法は、誘出タスク(和文英訳) と文法性判断タスクを利用した。結果として、日本語母語話者である実験参加者の多くは、英語の所有格の統語構 造を利用できているわけではなく、むしろ日本語の所有格の統語構造を英語に当てはめて使っているだけであり、 英語ネイティブ・スピーカーと同じ文法を習得しているとは言えないことが示された。したがって、日本語母語話 者にとって英語の所有格-’s の習得は、先行研究で言われているほど容易ではないことが示唆される。 キーワード:文法形態素、習得難易度、所有格 1.はじめに 第一(L1)・第二言語(L2)習得研究において1970年代から1980年代にかけて、文法形態素習得研究が盛ん に行われた。それらの一連の研究によって、概ねどの言語を母語としていても L2として英語を学ぶ場合、文法形 態素の習得の順序に共通性があることが明らかになってきた。しかし、日本語を母語とする英語学習者は、所有格 (’ s)は習得が早く、冠詞(the)、不定冠詞(a)は遅くなるという特徴があり(Nuibe1986;Tomita1989他)、そ の点は Dulay et al. (1982)などが示した自然習得順序(natural order)とは異なる。日本語母語話者によるデータに そのような違いが出る要因として、日本語からの転移(transfer)が指摘されている(寺内1994;Luk & Shirai2009)。 しかし、言語学的には、日本語と英語の所有格の統語構造は異なる(Bo skovi ´ c 2002,2008;Chomsky1994)。また、 L2習得研究では、L2の習得に困難が生じるのは表面的な音のレベルの問題(Surface Form)か統語(Syntax)レ ベルの問題かという論争がある。1980年代の文法形態素習得研究では、この統語レベルの習得まで踏み込むことが 1):平成24年10月10日受付;平成24年10月31日受理。 Received Oct. 10, 2012 ; Accepted Oct. 31, 2012. 2):金沢学院大学

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145

文法形態素習得における所有格-’s の難易度1)

横田 秀樹2)

The Difficulty of Learning Possessive -’s in the Acquisition Order ofGrammatical Morphemes1)

Hideki YOKOTA2)

要 約

英語を第二言語(外国語)として学ぶ場合、学習者の母語や教室での指導の有無に関わらず、文法形態素の習得

にはおおよその順序があることが一連の先行研究からわかってきた(例:Krashen1977)。しかし、日本語母語話

者の場合、英語の所有格-’s は習得が比較的容易であるという報告が多い(例:Shirahata1988;Tomita1989)。そし

て、その要因として日本語の所有格-の(例:ジョンの本)からの英語-’s への転移(例:John’s book)が指摘さ

れている(寺内1994;Luk & Shirai2009)。しかし、言語学的観点からすると日本語と英語の所有格の統語構造は

異なる(Bo

skovic2002,2008;Chomsky1994)。その証拠として、「このジョンの本」という日本語は文法的に正し

いが、「*this John’s book」という英語は文法的には誤りであることがあげられる。もしこのように日本語と英語が

それぞれ異なる統語構造を持っていると仮定すると、日本語母語話者が産出する日本語の所有格-のからの転移と見られる英語のデータは、統語構造とは無関係に表面的な音(-’s)だけを当てはめている可能性が考えられる。

本研究の目的は、日本語母語話者の場合、英語の所有格-’s は習得が比較的容易であるという先行研究の主張と、

その要因は日本語からの転移にあるとする説明の真偽を検証することである。実験方法は、誘出タスク(和文英訳)

と文法性判断タスクを利用した。結果として、日本語母語話者である実験参加者の多くは、英語の所有格の統語構

造を利用できているわけではなく、むしろ日本語の所有格の統語構造を英語に当てはめて使っているだけであり、

英語ネイティブ・スピーカーと同じ文法を習得しているとは言えないことが示された。したがって、日本語母語話

者にとって英語の所有格-’s の習得は、先行研究で言われているほど容易ではないことが示唆される。

キーワード:文法形態素、習得難易度、所有格

1.はじめに

第一(L1)・第二言語(L2)習得研究において1970年代から1980年代にかけて、文法形態素習得研究が盛ん

に行われた。それらの一連の研究によって、概ねどの言語を母語としていても L2として英語を学ぶ場合、文法形

態素の習得の順序に共通性があることが明らかになってきた。しかし、日本語を母語とする英語学習者は、所有格

(’s)は習得が早く、冠詞(the)、不定冠詞(a)は遅くなるという特徴があり(Nuibe1986;Tomita1989他)、そ

の点は Dulay et al.(1982)などが示した自然習得順序(natural order)とは異なる。日本語母語話者によるデータに

そのような違いが出る要因として、日本語からの転移(transfer)が指摘されている(寺内1994;Luk & Shirai2009)。

しかし、言語学的には、日本語と英語の所有格の統語構造は異なる(Bo

skovic2002,2008;Chomsky1994)。また、

L2習得研究では、L2の習得に困難が生じるのは表面的な音のレベルの問題(Surface Form)か統語(Syntax)レ

ベルの問題かという論争がある。1980年代の文法形態素習得研究では、この統語レベルの習得まで踏み込むことが

1):平成24年10月10日受付;平成24年10月31日受理。Received Oct. 10, 2012 ; Accepted Oct. 31, 2012.

2):金沢学院大学

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146 金沢学院大学紀要「文学・美術・社会学編」 第11号(2013)

少なかったことに加えて、データ収集方法のほとんどが自然発話などをもとにしており、統語レベルまでを明らか

にするためにデータを実験的に誘出することはなかった。そこで、本研究では、所有格-’s に焦点を当て、日本語

母語話者は英語の所有格-’s は習得が比較的容易であるという形態素習得難易度の先行研究と、その要因は日本語

からの転移にあるとする説明の真偽を検証することを目的とする。

本研究では、以下、第2章で文法形態素習得順序に関する先行研究を概観し、第3章では、理論的背景として日

本語と英語の所有格の統合構造の違いを見る。第4章では、形態素習得難易度の先行研究と言語学の理論的背景そ

して予備調査からリサーチ・クエスチョンを導き、第5章で実験方法と結果の報告および考察を行う。そして、最

後に、形態素習得難易度の先行研究および転移による説明に言及し、今後の課題について述べる。

2.文法形態素習得順序と転移

1970年代に Brown(1973)によって、L1としての英語の形態素習得には(1)のような順序があるという報告

がなされた。

(1)L1における文法形態素習得順序

1.現在進行形(-ing)

2.複数(-s)

3.不規則過去(wentなど)

4.所有(’s)

5.連結の be動詞(例:John is a teacher.)

6.冠詞(a / the)

7.規則過去(-ed)

8.三人称単数現在(-s)

9.助動詞の be動詞(例:Mary is playing tennis.)

その後、L2の習得研究(Dulay & Burt1974他)においても、母語が異なる(中国語、スペイン語など)英語学習

者にも、同じような英語の形態素習得順序が存在するという報告がなされた。Krashen(1977)は、L2における形

態素習得順序の関連先行研究をまとめ、(2)のように習得難易度を基に4段階に分類した(それぞれの段階内で

は順不同である)。�→�の順に習得されていく。つまり、下に行くほど習得の難易度が上がる。

(2)[L2における文法形態素習得順序]

�.現在進行形(-ing)/ 複数(-s)/ 連結の be動詞(例:John is a teacher.)

�.助動詞の be動詞 / 冠詞(a / the)

�.不規則過去(wentなど)

�.規則過去(-ed)/ 三人称単数現在(-s)/ 所有(’s)

日本語母語話者の英語習得の場合も同じような習得順序(難易度)が存在することが報告されると同時に、上の(2)

とは異なる点も指摘された。それは、日本人英語学習者の場合、所有格(’s)は習得が早く、冠詞(the)、不定冠

詞(a)は遅くなるという特徴である(Nuibe1986;Tomita1989他)。(3)に Shirahata(1988)の一例をあげる。

(3)[日本語母語話者による文法形態素習得難易度]

1.連結の be動詞

2.現在進行形(-ing)

3.所有(’s)

4.助動詞の be

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147横田:文法形態素習得における所有格-’s の難易度

5.複数(-s)

6.不規則過去(wentなど)

7.冠詞/三人称単数現在(the/-s)

8.規則過去(-ed)

9.不定冠詞(a)

それでは、なぜ日本語母語話者は、所有格(’s)は習得が早く、冠詞(the)、不定冠詞(a)が遅くなるのであろ

うか。その理由として母語の影響を指摘する研究がある(寺内1994;Luk & Shirai2009)。その研究によると、所

有を示す文法形態素(-の)が日本語に存在するおかげで、日本語母語話者は英語の所有の形態素(-’s)のシス

テムを学ぶことが容易になる。すなわち正の転移(positive transfer)が働くため習得が早くなるということである。

一方、冠詞のシステムは日本語には存在しないために英語での新しい形態素の体系を学ぶ必要があるため負の転移

(negative transfer)が起こるというのである。

本研究では、この所有格(’s)に焦点を当て、正の転移による説明の妥当性を検証し議論していく。下の(4)

に示した日本語と英語の所有格の例を見てみると、日本語(4a)下線部「の」は、英語(4b)の所有「-’s」の

働きと一致しているようである。そして日本語母語話者は、この「の」が転移して英語の所有(-’s)の習得が早

いと説明される(寺内1994;Luk & Shirai2009)。

(4)a ジョンの本

b John’s book

しかし、(4)を説明できるだけでは、日本語の「の」と英語の「-’s」が本当に同じものであるとは言い切れな

い。近年、L2習得研究において2つのレベルの論争がある。母語習得とは異なり、第二言語習得において困難が

生じるのは、表面的な音のレベルの問題(Surface Form)(Haznedar and Schwartz1997;Ladiere1998a,1998b,2000;

Prévost & White2000;Ionin & Wexler2002他)なのか、または統語(Syntax)レベルの問題(Smith and Tsimpli1995;

Tsimpli2003;Hawkins and Chan1997;Hawkins2005;Hawkins and Hattori2006他)なのかという議論である。実際、

表面上、L2を習得しているように見えるからといって、安易にネイティブ・スピーカーと同じ文法を習得してい

ると解釈してしまうことに対し、Hawkins & Hattori(2006:28)は次の(5)のように警鐘を鳴らす。

(5) ‘caution is required in interpreting apparent target−like L2 performance as evidence for the acquisition of under-

lying properties of grammar assumed to be present in the grammar of native speakers’

そこで序章では、「所有」をめぐる構造において日本語と英語では言語理論上何が異なるのかを見ていくことにす

る。

3.日本語と英語の所有格構造の違い

ここでは、日本語と英語の所有格構造の違いに関する2つの仮説を概観する。まず、Bo

skovic(2002,2008)は、

英語と日本語の所有格は、統語構造(Syntactic Structure)における機能範疇に違いがあると主張する。人間言語は、

機能範疇の DP(決定詞句)を持つか否かでパラメータ化されており(DP parameter : Bo

skovic2002,2008)、日本

語は、DP(決定詞句)を持たない[−DP]言語として、そして英語は DPを持つ[+DP]言語でとして分析される。

その証拠の一つとして、以下の(6)を例としてあげる。

(6)a このジョンの本

b *this John’s book 1

1「*」は、非文法的であることを示す。

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148 金沢学院大学紀要「文学・美術・社会学編」 第11号(2013)

日本語は、[−DP]言語であり、名詞は bare NPであると仮定すれば、(6a)のように、NP「本」の前に形容詞とし

て「この」と「ジョンの」2つを置くことが可能である。しかし、英語は(6b)に見られるように、「this」と「John’s」

の両方を NP「book」の前に置くことはできない。つまり、this bookか John’s bookのどちらかであれば許容される

が、thisと John’sの両方を NP「book」の前に置くと非文法的な句となる。

この例(6)のように日本語と英語の間に文法性の差が出る理由としてもう一つの可能性がある。英語と日本語

の所有格は、統語構造における multiple specs(Chomsky1994)を許容するか否かにおいて違いがあるというもの

である。これは、上記の Bo

skovic(2002,2008)の仮説とは異なり、日本語も英語も [+DP]言語と仮定する。そ

の代わりに、日本語と英語が異なるポイントは、日本語が multiple specsを持ち、英語は single specしか持たない

というものである。それを図示すると上の(6a)と(6b)はそれぞれ以下の(7)のような構造を持つことにな

る。

(7) multiple specsによる日本語(6a)と英語(6b)の構造の違い

(7)に示すように、日本語が multiple specsを持つとすると、(6a)では、それぞれの specの位置に「この」と

「ジョン」が配置されることになり、(6a)「このジョンの本」は文法上適格となる。一方で、英語では specが一

つしか許容されないとなると、(6b)*this John’s bookは、非文法的となる。

このように、日本語と英語の所有格は、表面的には似ているが、言語理論上想定される構造は異なることになり、

(6)の例のように許容性に差が出ることになる。

4.予備調査とリサーチ・クエスチョン

それでは、先行研究では、(6a)や(6b)のような構造はどのようにとらえられていたのであろうか。先行研

究のデータ収集方法では、関連した構造を持つデータそのものが観察されなかった可能性が高いようである。下の

表1に見られるように、Dulay & Burt(1973)をはじめとする形態素習得順序に関する海外先行研究のデータ収集

方法が、バイリンガル・シンタクス・メジャーと呼ばれる自然発話の録音などによるものが主流であったために、

その後に続く日本語母語話者を対象とした先行研究のデータ収集方法も自然な発話やライティングによるものが大

半であった。したがって、表1にある先行研究において収集されたデータは膨大な量があり、それぞれの論文内に

すべてのデータが示されているわけではいないため、(6b)this John’s bookに関連した構造が産出されたかどうか

は判断できない。

そこで、表1の和泉・内元・井佐原(2005)が利用し、現在でも利用可能な学習者コーパス The NICT JLE Corpus

(日本人英語学習者コーパス)(和泉・内元・井佐原2004)を使って、(6b)*this John’s bookと同様の構造を持つ

データが産出されているかどうか予備調査を行った。調査方法は、所有格(-’s)を使用した全データを表示し、

(6b)と同じ句構造を持つ例を一つ一つ調べた。しかし、結果として、主になる名詞の前に、冠詞や thisのよう

な代名詞をともなった(8)のような例は存在しなかった。

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149横田:文法形態素習得における所有格-’s の難易度

(8) *a Mary’s painting

*this John’s car

*that Mary’s dress

それでは、日本語を母語とする英語学習者は、このようなエラーは犯さないのであろうか。上記第3章でみたよう

に、機能範疇の DP(決定詞句)であれ、multiple specsであれ、日本語と英語の統語構造の間に違いがあるとすれ

ば、日本人英語学習者が英語の統語構造も習得できているかどうかは、先行研究で主として使われた表1のような

方法からでは分からない可能性が高い2。なぜなら、自然表出データは、複雑な構造を避けシンプルな構造を使う

傾向があり、さらにはターゲットとなるパターンをうまく産出してくれるかどうか分からないからである。したがっ

て、先行研究とは異なる方法(誘出タスクや文法性判断タスク)で検証する必要がある。また調査する構造に関し

ては、先行研究によれば日本人英語学習者は、英語の所有格(-’s)の習得が容易ということだが、もし統語(syn-

tax)レベルでも習得が容易ならば、文法文(9a)は正しく「容認」し、非文法文(9b)は正しく「拒否」する

はずである。

(9)a John’s book

b *this John’s book

しかし、もし日本人英語学習者が、日本語の表面的な音(-の)を英語の(-’s)に当てはめているだけであれば、

非文法文である(9b)を誤って「容認」してしまうはずである。そこで、本研究では日本人英語学習者の(9)

タイプの句に対する許容性を調べることで、日本人英語学習者が英語の所有格(-’s)の統語構造の違いまで習得

できているかどうか検証することを目的とする。以下にリサーチ・クエスチョンを示す。

① 誘出タスクにおいて、(9a)タイプを正しく産出する日本人英語学習者は、(9b)タイプを正しく拒否するのか?

② 文法性判断タスクにおいて、(9a)タイプを正しく許容する日本人英語学習者は、(9b)タイプを正しく拒否す

るのか?

5.実験

一つ目の実験である誘出タスクには、日本語母語話者の大学生(QPT : beginner/elementaryレベル)31名が参加

表1: 形態素習得順序の先行研究によるデータ収集方法(横田・吉住2010,p.136)

先行研究例 方法

Dulay & Burt(1973) バイリンガル・シンタクス・メジャー

Dulay & Burt(1974) バイリンガル・シンタクス・メジャー

Bailey, Madden & Krashen(1974) バイリンガル・シンタクス・メジャー

Pak(1987) バイリンガル・シンタクス・メジャー

Shin & Milroy(1999) 3つの活動のレコーディング

Koike(1983) 自発的発話のレコーディング

Nuibe(1986) 日→英の作文

Shirahata(1988) 英語の発話のレコーディング

Tomita(1989) 絵描写タスク(ライティング)および文法性判断タスク

和泉・内元・井佐原(2005) スピーキングテストによるコーパス

2 Nuibe(1986)の和文英訳と Tomita(1989)の文法性判断テストであれば、所有格の統語構造まで踏み込んだ違いを調べることができるが、残念ながら彼らの実験文の中にそれに該当する構造は存在しなかった。

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150 金沢学院大学紀要「文学・美術・社会学編」 第11号(2013)

した。誘出タスクの実験手続きは、和文英訳である。このタスクを選択した理由は、上で見てきたように自然発話

や自由記述によるライティングのような方法では、(9b)this John’s bookタイプの文が観察できないためである。

以下の(10)の2文をターゲットとし、他にフィラーとして4文を設定した。

(10)a 彼女の弟の名前はジャックです。

b このトムの本は面白い。

二つ目の実験としては、文法正判断タスクを行った、対象は日本語母語話者の大学生(QPT : beginner/elementary

レベル)33名が参加した。文法性判断には、5ポイントスケール[-2,-1,0,+1,+2]を使用し、ターゲ

ットとして(11)と(12)3の9文、フィラーとして22文を用意した。

(11)a John’s hat is yellow.

b His brother’s name is Jack.

c Mary sometimes uses her mother’s bag.

d *I used Tom computer yesterday.

e *My uncle car is very big.

f *John book is interesting.

(12)a *This is a Mary’s painting.

b *This John’s car is not expensive.

c *Did you see that Mary’s dress?

6.結果と考察

誘出タスクの結果は、以下表2のとおりである。

表2:和文英訳タスクの結果

文タイプ 産出文例 産出率

(10a)(正)Her brother’s name is Jack. 41.9%

(誤)*Her brother name is Jack. 41.9%

(10b)(正)This book of Tom’s is interesting. 0.0%

(誤)*This Tom’s book is interesting. 58.1%

(10a)タイプの文に関しては、ちょうど半数が所有の-’sを使わない誤りを産出している。なお、合計が100%

にならないのは、無回答があるためである。一方、(10b)においては、正答(This book of Tom’s)はなく、This Tom’s

bookの誤りは58.1%あった。また、こちらでは This Tom bookという-’sを使わない誤答は見られなかった。そ

して表2には示されていないが、個人データを調べると、(10a)で正しい文を産出した実験参加者のうち、61.5%

(8/13)が誤った(10b)を産出していた。つまり、誘出タスクにおいて、10a(正)タイプのように正しく英語の

所有の-’sを使えていても、その参加者の半数以上が誤って10b(誤)タイプ*this John’s bookを産出してしまっ

3(12a,b,c)に対する適格文のデータ(That motorbike of yours is cool.)は、今回は議論しないので省略する。

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151横田:文法形態素習得における所有格-’s の難易度

ている。この結果は、リサーチ・クエスチョン①「誘出タスクにおいて、(9a)John’s bookタイプを正しく産出

する日本人英語学習者は(9b)*this John’s bookタイプも正しく拒否するのか?」に対しては、NO(できない)

の回答を示していることになり、日本人英語学習者が日本語の「の」に、英語の所有の-’sの表面的な音だけを

当てはめているだけで、統語構造までは習得できていないことを示唆している。

次に、二つ目の実験、文法性判断タスクの結果を表3に示す。

表3:文法性判断タスクの結果

(11a−c)(文法文)例 : John’s hat is yellow.

(11d−f)タイプ(非文法文)例 : *My uncle car is very big.

(12a−c)タイプ(非文法文)例 : *This John’s car is not expensive.

平均スコア +1.00 -0.78 +0.77

許容率4 97.0% 18.2% 75.8%

表3を見ると、(12a−c)は、同じ非文法文の(11d−f)と比較して、平均スコアが非常に高い。つまり、参加者は

極めて高いスコア(75.8%)で(12a−c)を許容していることがわかる。また、表3には示されていないが、個人

データを見ると、(11a−c)を正しく許容した参加者のうち、75.0%(24/32)が誤って(12a−c)を許容している。

この結果から、リサーチ・クエスチョン②「文法性判断タスクにおいて、(9a=11a−c)タイプを正しく許容する

日本人英語学習者は、(9b=12a−c)タイプを正しく拒否するのか?」に対しては、上の産出タスク同様、NO(で

きない)が回答となる。すなわち、(9a=11a−c)タイプができているからといって、英語の所有格の統語構造も

正しく習得できているとは言えない。

7.結論

以上のように誘出タスク(産出面)と文法性判断タスク(受動面)の両方の実験結果から判断すると、先行研究

で比較的容易に英語所有格(-’s)が習得できるとされる日本人英語学習者の多くが、統語構造の違いまでは習得

できていないことがわかる。つまり、本研究の結果からは、日本人英語学習者を対象とした形態素習得順序に関す

る先行研究で指摘されているほど英語所有格の(-’s)の習得は容易とは言えないことが示唆される。そして同時

に、日本人英語学習者が英語の所有格の習得が容易である理由として提案されていた日本語からの「正の転移」に

よる説明も、表面的な事象を説明しているにすぎず、今回の統語面も含めたデータを考慮に入れるとむしろ日本語

の所有格の統語構造を英語に当てはめる「負の転移」が働いているとも考えられる。

さらに、この結果は、自然産出データのみに基づく文法形態素習得研究に以下の問題を提起することになる。つ

まり「文法形態素習得順序(難易度)」は、何をもって「習得」とすべきかという問題である。それを問い直すに

は、形態素習得順序(難易度)の研究において、言語の表面的な音だけでなく統語構造面も考慮に入れ、文法性判

断や誘出タスクなどを利用して再検証する必要があろう。

最後に、今回の実験結果だけでは、日本語母語話者による所有格の形態素習得「順序」に関しては正確なことは

言えない。したがって、本研究の今後の課題としては、対象者および文法項目を広げ、さらに詳しく調べることで、

日本人英語学習者は例外的に習得が簡単とされる所有格の位置づけを再検証し、他国語を母語とする学習者の形態

素習得順序(Krashen & Terrell1983)との関連を調べる必要があるだろう。

謝辞:第37回全国英語教育学会 山形研究大会での発表・質疑応答時に貴重なご意見を下さいました参加者の方々

に感謝します。なお、本研究は、科研費 C(課題番号23520716)の助成を受けています。

4 許容率は、3文のうち2文を、許容(+)した人数の%。ただし、[-2,-1,0,+1,+2]の[0]は、判断があいまいなため分析対象から除いた。

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152 金沢学院大学紀要「文学・美術・社会学編」 第11号(2013)

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