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平成28年度 群馬県立文書館 テーマ展示Ⅱ 前橋の城と城下町 平成28年10月22日(土)~平成29年2月26日(日)迄延長 ①〔前橋旧図〕 (前橋城・家臣屋敷・城下町・寺院・他、寛延2年カ、群馬県行政文書A0181AMA №1277) 【国重文】 1.天和~明和期の絵図 ⑤〔前橋城絵図〕 (元禄期カ、龍海院所蔵文書 P9902 №1) これは、明和4年( 1767 )に藩主松平大和守家が武州川越へ移城となる以前の前橋城と城下町 の姿を一緒に描いた絵図です(川越引越は明和5年)。西から利根川(紺色)、城の本丸・二の丸 ・三の丸・高浜曲輪(三階櫓、城門、白塀、緑色の土塁、紺色の水堀、水色の空堀等)、その東 ・南・北側の家臣屋敷や城門・塀などが描かれた各曲輪(ピンク色)、その東・北側に城下町(鶯 色)、源栄(英)寺・橋林寺・龍海院などの寺院や八幡宮などの神社(朱色)が色鮮やかに描か れています。各町名は、道上に記されています。三の丸から堀を隔てた東側の屋敷地には、堀中 主鈴、根村豊後、渥美鯔之助など、大手門内側には小河原権八、多賀谷修理などの名前が見えま す。城の北西、松林北側には、大渡御関所、観民稲荷、馬場、御茶屋の文字が読み取れます。 *縦 182.0 ㎝×横 278.6 ㎝、大型絵図につきマイクロ閲覧 これは、酒井氏時代の前橋城絵図です。本丸三階櫓を初 めとする各櫓、城門(入口)、塀(長さ)、橋、藩士屋敷割 り(藩士名・屋敷面積)、利根川・広瀬川・風呂川、城下へ の用水口などが詳細に描かれています。また、全面に彩色 が施され、小路は雌黄(黄赤)色、土居(土塁)は緑青色、 堀・川は藍蝋色、屋敷境は黒色(墨筋)などで描かれてい ます。作成年代は不明ですが、この絵図が旧前橋藩主酒井 家から菩提寺龍海院に寄贈された絵図であること、家臣名、 城の縄張り(高浜曲輪の形状)、利根川の流路などの描写か ら第五代藩主酒井忠挙の頃のものと考えられます。

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Page 1: 前橋の城と城下町 - archives.pref.gunma.jp · の用水口などが詳細に描かれています。また、全面に彩色 が施され、小路は雌黄(黄赤)色、土居(土塁)は緑青色、

平成28年度 群馬県立文書館 テーマ展示Ⅱ

前橋の城と城下町平成28年10月22日(土)~平成29年2月26日(日)迄延長

①〔前橋旧図〕(前橋城・家臣屋敷・城下町・寺院・他、寛延2年カ、群馬県行政文書A0181AMA №1277)

【国重文】

1.天和~明和期の絵図

⑤〔前橋城絵図〕(元禄期カ、龍海院所蔵文書 P9902 №1)

これは、明和4年(1767)に藩主松平大和守家が武州川越へ移城となる以前の前橋城と城下町の姿を一緒に描いた絵図です(川越引越は明和5年)。西から利根川(紺色)、城の本丸・二の丸

・三の丸・高浜曲輪(三階櫓、城門、白塀、緑色の土塁、紺色の水堀、水色の空堀等)、その東

・南・北側の家臣屋敷や城門・塀などが描かれた各曲輪(ピンク色)、その東・北側に城下町(鶯

色)、源栄(英)寺・橋林寺・龍海院などの寺院や八幡宮などの神社(朱色)が色鮮やかに描か

れています。各町名は、道上に記されています。三の丸から堀を隔てた東側の屋敷地には、堀中

主鈴、根村豊後、渥美鯔之助など、大手門内側には小河原権八、多賀谷修理などの名前が見えま

す。城の北西、松林北側には、大渡御関所、観民稲荷、馬場、御茶屋の文字が読み取れます。

*縦 182.0 ㎝×横 278.6㎝、大型絵図につきマイクロ閲覧

これは、酒井氏時代の前橋城絵図です。本丸三階櫓を初

めとする各櫓、城門(入口)、塀(長さ)、橋、藩士屋敷割

り(藩士名・屋敷面積)、利根川・広瀬川・風呂川、城下へ

の用水口などが詳細に描かれています。また、全面に彩色

が施され、小路は雌黄(黄赤)色、土居(土塁)は緑青色、

堀・川は藍蝋色、屋敷境は黒色(墨筋)などで描かれてい

ます。作成年代は不明ですが、この絵図が旧前橋藩主酒井

家から菩提寺龍海院に寄贈された絵図であること、家臣名、

城の縄張り(高浜曲輪の形状)、利根川の流路などの描写か

ら第五代藩主酒井忠挙の頃のものと考えられます。

Page 2: 前橋の城と城下町 - archives.pref.gunma.jp · の用水口などが詳細に描かれています。また、全面に彩色 が施され、小路は雌黄(黄赤)色、土居(土塁)は緑青色、

2.寛政~天保期の絵図と文書

⑦ -1 上野国群馬郡前橋町絵図面(文政4年、勝山敏子家文書 P8701 №1)【前橋市重文】

⑩〔前橋町年寄 御巡見控、見聞記、他〕(天保9年、松井家旧蔵文書 P01013 №19)

天保9年4月、幕府巡見使が上州の村々を廻りました。巡見使は、将軍の代替わりごとに各地

に派遣された政情・民情視察使のことです。この文書の展示以外の部分には、4月 19 日中之条泊、同 20 日中山宿(現高山村)泊、同 21 日長井小川田(前橋藩領、現渋川市赤城町)泊、同 22日前橋城下泊(八ツ時=午後2時着、翌 23 日六ツ時=午前6時出立)、同 23 日平塚宿(伊勢崎市境平塚)泊、という旅程が記されています。

この文書(展示部分)には、巡見使を前橋城下へ迎える前の諸準備や川越藩前橋陣屋役人(御

作事奉行など)による事前見分、町役人・三本陣らによる陣屋役人の接待や前泊地・長井小川田

への巡見使御機嫌伺いなど、について記されています。

この絵図には、文政期の前橋城下町の全体が描かれています。各町の道筋(道名)・河川・寺社

・家並みなどが詳細に描かれ、屋敷地には面積・氏名が記されています。町は、本町、板屋町な

ど 18 町が色分けされ、各町・寺院の面積や惣反別(総面積)が 59 町6反3畝 18 歩だったことがわかります。また、各 18 町の名主・組頭・問屋など計 105 名と町年寄2名(松井権四郎・福野勝治郎)が記されています。今回の修復以前は、北西部分に明治5年(1872)の「上野国勢多郡前橋町絵図面」(史料⑦-2)が貼付されていました。これは、広瀬川以北の細ヶ沢町・細ヶ沢新町

などが、文政4年当時、前橋町分から離脱していたことを示しています。当時の前橋城下町を知

る上で貴重な史料です。 *縦 243.0㎝×横 495.0 ㎝、大型絵図につきマイクロ閲覧

Page 3: 前橋の城と城下町 - archives.pref.gunma.jp · の用水口などが詳細に描かれています。また、全面に彩色 が施され、小路は雌黄(黄赤)色、土居(土塁)は緑青色、

3.嘉永~慶応期の絵図と文書

⑬御用雑日記(安政三辰年惣町名主月并出勤覚并月番)(安政3年、松井家旧蔵文書 P01013 № 209)

⑮御城築御普請御古達請書(元治元年、中島正家文書 P08814 № 853)

⑯〔元治元年孟夏写 再築前橋城絵図〕(元治元年、中島正家文書 P08814 № 853)

*縦 44.2 ㎝×横 35.8 ㎝

この文書は、当時前橋町年寄で惣町月番を務めていた松井喜兵衛が記した「御用雑日記」の冒

頭の部分です。安政3年正月から同年 12月までの各町名主の出勤月・月番名が記されています。ほぼ2人1組・計 10 組で務めていたことがわかります。また、当時の前橋各町の軒数、惣町々の総軒数(1,154 軒)、租税賦課の際の年寄・名主役引き 24軒、などが読み取れます。

文久3年 12 月、前橋城再築が幕府から正式に許可されました。この文書は、川越藩前橋分領西領宮関村(現前橋市大胡町)の名主・組頭・長百姓ら5名が、同藩代官・高須安左衛門、郷廻り・大串勝之助らに宛てて提出した、領内村々への前橋再築城普請出人足命令の請書です。内容は、①村々家別1人ずつの割合で出人足を勤めること、②村役人も郷例にかかわらず勤めること、③農繁期にも農事をやり繰りして勤めること、などです。実際の西領村々の普請出人足は、文久4年正月

12日より始まりました。

Page 4: 前橋の城と城下町 - archives.pref.gunma.jp · の用水口などが詳細に描かれています。また、全面に彩色 が施され、小路は雌黄(黄赤)色、土居(土塁)は緑青色、

4.明治初期の絵図と文書

⑰〔錦絵〕(伊太利人前橋城下誘引到着の図)(明治2年、遠藤昌孝家文書 P0702 №3)

⑱〔伊太利亜人・英国人取扱向き宜しき段御沙汰書〕(明治2年、松井家旧蔵文書文書 P01013 № 17)

⑲〔廃藩に付前橋県と称す趣き達書〕(明治4年、勝山敏子家文書 P8702 № 8-4)

※今回の展示史・資料に 【 群馬県立文書館】 〒 371-0801 群馬県前橋市文京町 3-27-26ついては、別紙一覧表 (もんじょかん) TEL:027-221-2346 FAX:027-221-1628を御覧ください。 E-mail: [email protected]

この錦絵は、明治2年5月5日(「松井隆一家文書」では4日)、イタリア公使「コントテラト

ール」(ヴィクトリオ・サリエール・デ・ラ・トゥール)夫妻一行8名(イタリア蚕種商人ら5

名、日本人1名含む)が、東京(商人らは横浜)から上州へ蚕糸業視察のため訪れた際の駒形・

前橋間の様子を描いたものです。総人数は、東京からの護送兵 16 名、岩鼻県からの兵士6名、前橋藩護衛衆 40 名など計 80 余名でした。一行はここまで、平塚河岸(伊勢崎市境平塚)の田部井家や島村(同市境島村)の田島弥平家などを視察し、前日駒形に宿泊、翌朝駒形郊外で前橋藩

士「遠藤鏘平」らに出迎えられました。絵図右端の小屋内部の「蚕棚」や遠景の「畑廻り桑」な

どから、蚕糸業が盛んであった当時の上州の農村風景がうかがえます。*縦 12.5 ㎝×横 161.2 ㎝

この文書は、前橋町年寄の「御用雑日記」に挿入されていました。明治新政府の外国官より前橋藩へ

届けられ、さらに書写され前橋町年寄に渡された文書と思われます。明治2年5月、伊太利亜人・英国

人が相次いで前橋を訪れ宿泊し、その取り扱い向きがよろしかったことでのお褒めの文書です。

この文書は、前橋町年寄の「御用雑日記」に挿入されている達書で、前橋県(旧前橋藩)から町年寄

宛てに出されています。藩体制が終わり、県が設置される旨を一般町民に知らせるために書かれた文書

です。明治4年7月 14 日、在京の知藩事が集められ、廃藩を命じる詔書が出されました(廃藩置県)。

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№ 古 文 書 表 題 和暦年 西暦年 月日 文書群・簿冊名 請求番号 文書番号 形態

①〔前橋旧図〕(前橋城、家臣屋敷、城下町、寺院、他) *182.0㎝×278.6㎝、大型絵図につきマイクロ閲覧

(寛延2年カ) 1749 群馬県行政文書A0181AMA

№1277絵図写

真パネル

② 前橋外曲輪御絵図 *105.0㎝×152.0㎝、軸装 (天和4年カ) 1684前橋市立図書館所蔵文書

絵図写真パネル

③前橋屋敷図(前橋町絵図) *縦117.0㎝×横245.0㎝、複製閲覧(写真)

享保5年 1720 熊谷家文書 PF8804 №1302絵図写

真パネル

④上州群馬郡前橋天川町絵図 *138.5㎝×63.0㎝、大型絵図につきマイクロ閲覧

享保15年 1730 4月天川史跡保存会文書

P8501 №1絵図写

真パネル

⑤〔前橋城絵図〕 *204㎝×198㎝、大型絵図につきマイクロ閲覧

(元禄期カ) 龍海院所蔵文書 P9902 №1絵図写

真パネル

⑥ 〔前橋領図①〕 *179.0㎝×124.0㎝、軸装(正徳3年~延享4年)

(1713~

1747)

前橋市立図書館所蔵文書

絵図写真パネル

⑦-1

上野国群馬郡前橋町絵図面(主体部) *縦243.0㎝×横495.0㎝、大型絵図につきマイクロ閲覧

文政4年 1821 10月 勝山敏子家文書 P8701 №1絵図写

真パネル

⑦-2

上野国勢多郡前橋町絵図面(貼り合わせ部分) *縦92.0㎝×横399.5㎝、大型絵図につきマイクロ閲覧

明治5年 1872 正月 勝山敏子家文書 P8701 №1絵図写

真パネル

⑧ 〔前橋陣屋絵図〕 (天保期カ)田代美和氏所蔵文書

絵図写真パネル

⑨ 乍恐以書付奉願上候(前橋惣町役人連印領主帰城願書写) 寛政3年 1791 2月 松井家旧蔵文書 P01013 №209竪帳複

⑩ 〔前橋町年寄 御巡見控、見聞記、他〕 天保9年 1838 4月 松井家旧蔵文書 P01013 №19竪帳複

⑪東通り天川村御絵図  *縦263.0㎝横182.0㎝、大型絵図につきマイクロ閲覧

安政6年 1859 2月天川史跡保存会文書

P8501 №2絵図写

真パネル

⑫乍恐以書付奉願上候(先年前橋町郷分け願書御下げ願い写)

嘉永元年 1848 7月 松井家旧蔵文書 P01013 №209竪帳複

⑬ 御用雑日記(安政三辰年惣町名主月并出勤覚并月番) 安政3年 1856 5月 松井家旧蔵文書 P01013 №209竪帳複

⑭松平氏再築ノ前橋城図(群馬県庁所蔵控図を大正八年七月中に旧前橋藩主松平伯爵家の原図に基づき増訂) *マイクロ閲覧

(慶応3年カ) 1867 2月 群馬県行政文書A0384A0G

№83絵図写

真パネル

⑮ 御城築御普請御古達請書 文久3年 1863 12月 中島正家文書 P08814 №853竪帳複

⑯〔元治元年孟夏写 再築前橋城絵図〕(御城築御普請御古達請書挿入文書) *縦44.2㎝×横35.8㎝

元治元年 1864 孟夏写 中島正家文書 P08814 №853絵図複

⑰〔錦絵〕(伊太利人前橋城下誘引到着の図) *原本 縦12.5㎝×横161.2㎝

明治2年 1869 5月 遠藤昌孝家文書 P0702 №3 継複製

⑱〔伊太利亜人・英国人取扱い向き宜しき段御沙汰書〕 *挿入文書

明治2年 1869 6月 松井家旧蔵文書 P01013 №17継、写真パネル

⑲ 〔廃藩に付前橋県と称す趣き達書〕 *挿入文書③ 明治4年 1871 7月 勝山敏子家文書 P8702 №8-4継、写真パネル

4.明治初期の絵図と文書

平成28年度 テーマ展示Ⅱ「前橋の城と城下町」展示史資料一覧2016(平成28)年10月21日

1.天和~明和期の絵図

2.寛政~天保期の絵図と文書

3.嘉永~慶応期の絵図と文書