第10 章 社会階層 - spirit...-1-第10 章 社会階層...

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-1- 10 社会階層 1912年4月10日、遠洋定期船タイタニック号が、イギリスのサウサンプトンのドックから静かに 出発し、北大西洋を横断してニューヨークに向かう処女航海に出た。新しい工業時代の誇るべき シンボルである巨大な船は、2,300人の男性、女性、子どもたちを乗せていた。そのなかには、ほ とんどの旅行者がこんにち想像できる以上の贅沢を享受している者もいた。しかしながら、貧し い人びとは下層階のデッキに群がり、かれらが望むアメリカでのよりよい生活に向かって旅をし ていた。 二日後に、乗組員は海域に氷山があるという無線通信の警告を受信したが、ほとんど注意を 払わなかった。やがて、真夜中近くになって、船が西に向かって高速で進んでいると、見張り番 が静かな洋上の真っ正面に巨大な影が現れてくるのをみつけて仰天した。その直後に、タイタニ ック号は、その船と同じくらいの高さの巨大な氷山に衝突し、巨大な船がまるで巨大なブリキ缶で あるかのように、その側面に亀裂が入った。 海水が下層階に浸入し、船首を引き下げた。衝突から25分以内に、人びとは救命ボートに殺 到した。午前2時までに、船首は完全に沈み、船尾は水面上に高くあがった。数分のうちに、す べての明かりが消えた。デッキにしがみついた助けを得られない乗客と乗組員は、救命ボートか ら静かに見守られながら、船が極寒の大西洋に消えていくまでの最後の数分を厳かに過ごした。 (Lord 1976) ************************************************************************* タイタニック号が沈没して、1,600 人以上の命を悲劇的に失ったというニュースは世界 中に広まった。しかし、この恐るべき事故を社会学的な目で冷静に振り返ると、われわれ はあるカテゴリーの乗客が、他の人びとに比べて生き残る確率が高かったことに気づく。 伝統的な親切さの時代にあって、女性と子どもたちは最初に救命ボートに乗った。そのた め、犠牲者の 80 %は男性であった。階級もまた作用していた。一等室の切符をもってい た人びとの 60 %以上は、警報を最初に知らされて、救命ボートに近づきやすかった上層 階のデッキにいたために救助された。二等室の乗客のうち生き残ったのは 36 パーセント にすぎなかった。そして、下層階のデッキにいた三等室の乗客は、24 パーセントだけが 沈没から免れた。タイタニック号の船上では、階級は、その人の船室の質以上の意味をも っていることがわかった。階級は生死を分かつ問題であった。 タイタニック号に乗船した人びとの運命は、いかに社会的不平等が人びとの生き方―― そしてときにはそもそも生きられるかどうか――に影響を及ぼすかを劇的に例示してい る。この章では、社会階層という重要な概念を探求する。第 11 章では、米国の社会的不 平等を検討することによってこの話を続け、第 12 章では、われわれの国が富と貧困のグ ローバルなシステムにどのように順応しているかを検討する。 社会階層とは何か 何万年ものあいだ、世界中の人間は、小さな狩猟採集社会に生活していた。これら一団

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Page 1: 第10 章 社会階層 - SPIRIT...-1-第10 章 社会階層 1912年4月10日、遠洋定期船タイタニック号が、イギリスのサウサンプトンのドックから静かに

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第 10 章 社会階層

1912年4月10日、遠洋定期船タイタニック号が、イギリスのサウサンプトンのドックから静かに

出発し、北大西洋を横断してニューヨークに向かう処女航海に出た。新しい工業時代の誇るべき

シンボルである巨大な船は、2,300人の男性、女性、子どもたちを乗せていた。そのなかには、ほ

とんどの旅行者がこんにち想像できる以上の贅沢を享受している者もいた。しかしながら、貧し

い人びとは下層階のデッキに群がり、かれらが望むアメリカでのよりよい生活に向かって旅をし

ていた。

二日後に、乗組員は海域に氷山があるという無線通信の警告を受信したが、ほとんど注意を

払わなかった。やがて、真夜中近くになって、船が西に向かって高速で進んでいると、見張り番

が静かな洋上の真っ正面に巨大な影が現れてくるのをみつけて仰天した。その直後に、タイタニ

ック号は、その船と同じくらいの高さの巨大な氷山に衝突し、巨大な船がまるで巨大なブリキ缶で

あるかのように、その側面に亀裂が入った。

海水が下層階に浸入し、船首を引き下げた。衝突から25分以内に、人びとは救命ボートに殺

到した。午前2時までに、船首は完全に沈み、船尾は水面上に高くあがった。数分のうちに、す

べての明かりが消えた。デッキにしがみついた助けを得られない乗客と乗組員は、救命ボートか

ら静かに見守られながら、船が極寒の大西洋に消えていくまでの最後の数分を厳かに過ごした。

(Lord 1976)

*************************************************************************

タイタニック号が沈没して、1,600 人以上の命を悲劇的に失ったというニュースは世界

中に広まった。しかし、この恐るべき事故を社会学的な目で冷静に振り返ると、われわれ

はあるカテゴリーの乗客が、他の人びとに比べて生き残る確率が高かったことに気づく。

伝統的な親切さの時代にあって、女性と子どもたちは最初に救命ボートに乗った。そのた

め、犠牲者の 80 %は男性であった。階級もまた作用していた。一等室の切符をもってい

た人びとの 60 %以上は、警報を最初に知らされて、救命ボートに近づきやすかった上層

階のデッキにいたために救助された。二等室の乗客のうち生き残ったのは 36 パーセント

にすぎなかった。そして、下層階のデッキにいた三等室の乗客は、24 パーセントだけが

沈没から免れた。タイタニック号の船上では、階級は、その人の船室の質以上の意味をも

っていることがわかった。階級は生死を分かつ問題であった。

タイタニック号に乗船した人びとの運命は、いかに社会的不平等が人びとの生き方――

そしてときにはそもそも生きられるかどうか――に影響を及ぼすかを劇的に例示してい

る。この章では、社会階層という重要な概念を探求する。第 11 章では、米国の社会的不

平等を検討することによってこの話を続け、第 12 章では、われわれの国が富と貧困のグ

ローバルなシステムにどのように順応しているかを検討する。

社会階層とは何か

何万年ものあいだ、世界中の人間は、小さな狩猟採集社会に生活していた。これら一団

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*1http://www.universal-music.co.jp/u-pop/artist/shania_twain/uicm1035.html

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の成員は、よりすばやく、より強い、とくに食糧を集める技能に長けたひとりの人を選び

出したかもしれないが、だれもがだいたい同じ社会的地位にあった。社会がもっと複雑に

なると――第 4 章(「社会」)で詳しく述べた過程――、大きな変化が生じた。社会はある

カテゴリーの人びとを他の人びとのよりも上に置き、人口の一部分に他の人びとよりも多

くの金銭、権力、そして威信を与えるようになった。

社会階層とは、社会が人びとのカテゴリーを階層秩序にランク付けするシステムである。.............................

社会階層は、4 つの基本原則からなる事態である。

1.社会階層は、社会の特性であって、たんなる個人的相違の反映ではない。われわれの多く

は、社会的地位を個人的な才能と努力との関連で考えている。そして、結果的に、われわ

れはしばしば、われわれが自分自身の運命を支配している程度を誇張して考えている。タ

イタニック号の一等船室にいた乗客の生存率が高かったのは、かれらが二等船室や三等船

室の乗客よりも賢くて泳ぎがうまかったからだろうか。ほとんどそうではない。かれらが

うまくやれたのは、船内で作用していた特権システムのゆえである。同様に、富裕な家庭

に生まれた子どもたちは、貧困家庭に生まれた子どもたちよりも、健康を享受することが

多く、大学卒の学位を得ることが多く、良い仕事を見つけることが多く、長生きすること

が多い。富裕層も貧困層も、社会階層を生みだす責任を負っているわけではなく、このシ

ステムがわれわれ全員の生活をかたちづくっているのである。

2.社会階層は世代を超えて持続する。社会階層が個人の特性ではなく社会の特性であるこ

とを理解するためには、われわれはいかに不平等が世代を超えて持続するかを見るだけで

よい。すべての社会において、両親はその社会的地位を自分の子どもに引き継がせる。

とくに高所得国において、ある個人は、社会移動を経験する。社会移動とは、社会階層....

秩序における個人の地位の変化である。社会移動は、上昇移動であるかもしれないし、下..............

降移動であるかもしれない。われわれは、シャナイア・トゥエイン〔歌手*1〕やマイケル

・ジョーダン〔プロバスケット選手〕の業績を称賛する。ふたりとも、質素な出発点から

名声と富を獲得するところにまで上昇した。しかし、人びとは、事業の失敗、失業、ある

いは病気のために下降移動することもある。もっとしばしば、人びとは水平に移動する。...

つまり、かれらは、ほぼ同じ社会的水準で仕事を変える。ほとんどの人びとにとって、社

会的地位は、一生をつうじてほぼ同じである。

3.社会階層は普遍的であるが、変化しうる。社会階層はどこでも見られる。しかし、何につ...

いて不平等で、どのように不平等であるのかは、社会によって異なる。不平等がほとんど.. .....

威信についての問題である社会もある。富や権力が、相違の重要な次元である社会もある。

さらに、ある社会は、他の社会に比べてより不平等を示している。

4.社会階層は不平等だけでなく、信念にもかかわっている。不平等なシステムは、どのよう

なものでも、ある人びとに他の人びとよりも多くを与えるだけでなく、このような配列を

公正なものとして定義する。何について不平等であるかが社会によって異なるように、な..... .

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ぜ人びとは不平等であるべきかについての説明も社会によって異なる。.

カースト・システムと階級システム

社会学者は、社会的地位の変化をほとんど許容しない「閉鎖」システムと、かなりの社

会移動を許容する「開放」システムを区別する(Tumin 1985)。

カースト・システム

カースト・システムとは、属性すなわち生まれにもとづく社会階層である。純粋なカース..................

ト・システムは、生まれだけがその人の運命を決定し、個人の努力にもとづく社会移動の

機会がほとんどもしくはまったくないので、閉鎖的である。それゆえ、カースト・システ

ムは人びとを硬直したカテゴリーに順序づけ、そのカテゴリーのもとで人びとは一生を過

ごす。

ふたつの事例――インドと南アフリカ

世界の多くの社会は、ほとんどが農業社会であるが、カースト・システムに近い。ひと

つの例がインド、あるいはほとんどのインド人がいまなお暮らしている〔インドの〕伝統

的村落である。インドのカースト(すなわち、サンスクリットの言葉で「色」を意味する

ヴァルナ)・システムは、4つのカテゴリーからなっている。バラモン、クシャトリヤ、

ヴァイシャ、シュードラである。しかし、地域のレベルでは、これらはそれぞれ、何百も

の下位カースト集団(ジャーティ)から構成されている。

カーストは、南アフリカの歴史においても重要な役割を果たしている。近年まで、この

国のアパルトヘイト政策は、500 万人のヨーロッパ系南アフリカ人に圧倒的な割合の富と

権力を与え、3500 万人の南アフリカの黒人を支配していた。中間的な地位を占めるのは、

「カラード」として知られる 300 万人の人種混合民と、約 100 万人のアジア人である。250ページのコラムは、南アフリカの人種カースト・システムの現状を記述している。

カースト・システムにおいては、生まれが人びとの人生を4つの点でかたちづくる。第

一に、伝統的なカースト集団は特定の職業をもっており、ある家族が何世代も同じタイプ

の仕事を遂行する。インドの村落では(農業のように)すべての人に開かれている仕事も

あるが、カーストは(祭司、理髪師、皮革労働者、掃除夫など)その成員がする仕事と一

致している。南アフリカでは、白人がいまなお望ましい仕事のほとんどを占めており、大

半の黒人は肉体労働とその他の下級サービス労働を遂行している。

第二に、硬直した社会階層秩序が維持されるかどうかは、人びとが自分たち自身のカテ

ゴリーの内部で結婚するかどうかに左右される。「混合」婚は子どもの地位を曖昧にする。

それゆえ、カースト・システムは、人びとが自分たちと同じような人びとと結婚すること

を要求する。社会学者はこのパターンを内婚(endogamous marriage)と呼ぶ。(endo は、

ギリシャ語に由来し、「内部」の意味)。伝統的にインドの両親は、しばしば子どもが十代

になるまえに、子どもの結婚相手を選ぶ。1985 年まで、南アフリカは人種間の結婚(と

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性交)を法律で禁止していた。こんにちでは、人種の異なる夫婦は合法であるが、ほとん

どの黒人と白人は隔離された地域に住んでいるので、それはまれである。

第三に、カースト規範は、人びとに「自分と同じ種類の」仲間とともにいるように導く。

インドのヒンズー教徒は、この隔離を支持し、より高いカーストに属する儀礼的に「清浄」

な人は、より低い地位のだれかと接触することによって「けがれる」だろうと信じている。

南アフリカのアパルトヘイトも、同じように作用している。

最後に第四として、カースト・システムは、強力な文化的信条にもとづいている。イン

ドの文化は、一生の仕事をそれがどのようなものであろうと受け入れるべきであるという

ヒンズー教の道徳的信念にもとづいて打ち立てられている。南アフリカでは、アパルトヘ

イトはもはや法律ではないが、ほとんどの人びとはいまでも「白人の仕事」と「黒人の仕

事」を区別している。

カーストと農業生活

カースト・システムは農業社会に存在する。なぜなら、農業という一生つづく型にはま

った仕事は、義務と規律にかんする堅い意識に依存しているからである。それゆえ、カー

ストは、法的に禁止され、その支配力が大都市で緩和されてから 60 年以上たっても、イ

ンドの村落に存続している。大都市では、仕事と結婚相手の選択の幅が大きい。同様に、

南アフリカでは、急速な工業化によって、個人的選択と個人の権利が重要となり、アパル

トヘイトの廃止は時間の問題であった。米国のような成熟した工業社会では、カースト的

な要素が残ってはいるものの、人びとを人種や性別を基礎にカテゴリカルに扱うことは、

人種差別主義や性差別主義という非難を招く。

カーストの浸食は、社会階層の終わりを示すものではないことに注意しよう。それとは

逆に、次の節で説明するように、社会階層の性格が変化したことを示すものである。

*********グローバル社会学******************************************************

カーストとしての人種――南アフリカからの報告

南アフリカは、アフリカ大陸の南端にある。この国は、アラスカくらいの規模で、2003年に約 4400 万人の人口である。長いあいだ黒人が住んでいたこの地域は、17 世紀の中頃

に白人オランダ人の商人と農民をひきつけた。19 世紀の初頭に、第二波の植民地化によ

って、英国人の移民がオランダ人を内陸に追いやった。1900 年の初頭までに、英国人が

この国をひきつぎ、南アフリカ連合を宣言した。1961 年に、英国は支配を放棄して、南

アフリカ共和国の独立を承認した。

しかし、自由は白人少数派にとってのみ現実であった。何年もまえに、黒人多数派に対

する政治支配を保証するために、白人はアパルトヘイト政策、すなわち人種隔離政策を打

ち立てた。アパルトヘイトは 1948 年に立法化され、黒人の公民権、土地所有権および政

府への公式の発言権を否定した。事実上、黒人の南アフリカ人は、低いカーストとなり、

ほとんど学校教育を受けることなく、単純で低賃金の仕事をしていた。このシステムのも

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とで、「中産階級」の白人世帯でさえ、少なくともひとりの黒人の家事使用人がいた。

富裕な白人の少数派は、アパルトヘイトを擁護し、黒人はかれらの文化的伝統を脅かす、

簡単にいうと劣等な、存在であると主張した。しかし、アパルトヘイトへの抵抗がしだい

に起こり、そのために白人は自分たちの権力を維持するために野蛮な軍事的抑圧に訴えた。

着実な抵抗運動――とくに政治的発言権と経済的機会を求める若い黒人からの――は、

しだいに変化を余儀なくさせた。この圧力に加えて、米国を含むほとんどの他の工業国か

らの批判があった。1980 年代中頃までに、南アフリカ政府が、混合人種とアジア系の人

びとに、限定的な政治的権利を与えると、潮流が変化しはじめた。つぎに、すべての人び

とが労働組合を結成する権利、かつては白人のみに限定されていた職業に参入する権利、

そして所有権が認められた。政府はまた、公共の場で人種を隔離する法体系も廃止しはじ

めた。

1990 年に、ネルソン・マンデラの釈放とともに変化率が増大した。1994 年に、すべて

の人種からなる全国民に開かれた最初の全国選挙で、マンデラ大統領が選出された。これ

は、白人少数派の支配を終わらせる出来事であった。

しかし、この劇的な政治的変化にもかかわらず、南アフリカの社会階層は依然として人

種にもとづいている。所有権があっても、黒人の南アフリカ人の3分の1は、仕事がなく、

大多数はひどい貧困のままである。最悪であるのは、約 700 万のウクレレレカである。コ

サ族の言葉で、「周辺に追いやられた人びと」を意味する。海のそばのソウィトは、夏の

保養地のように聞こえるが、何千ものウクレレレカの家郷である。かれらは、荷造り用の

箱、波形板金、段ボール、その他の廃材でできた掘っ立て小屋に詰め込まれている。電灯

や冷蔵庫のための電気はない。排水管がないので、人びとはバケツを使って汚水を運ぶ。

女性は、千人以上にひとつある水道の蛇口の順番を待つために並ぶ。どんな仕事も手に入

れるのは難しい。そして仕事をみつけた人は、月 200 ドル稼げれば幸運である。

南アフリカの現在の大統領ターボ・ムベキは、1999 年に選出され、何世紀もつづいた

人種カーストによっていまなおねじれた国を指導している。観光業に部分的にもとづく経

済的発展は、輝く未来の希望を抱かせる。しかし、この国は、すべての国民に現実的機会

を提供することによってはじめて、過去を取り除くことができる。

出典)Fredrickson(1981), Wren (1991), Hawthorne (1999), and Mabry and Masland (1999)*******************************************************************************

階級システム

農業は、カースト・システムによって創り出された一生にわたる規律を要求する。しか

し、工業生産は、人びとの特殊な才能の発展に左右され、階級システムをひきおこす。階

級システムとは、生まれと個人的業績の双方にもとづく社会階層である。.....................

階級システムは、より開放的であり、それゆえ学校教育と技能を獲得した諸個人は、自

分たちの両親やきょうだいとの関係において、社会的に流動的であるかもしれない。つぎ

に、このような移動は、階級区分を曖昧にする。そのため、血縁の親族でさえ、社会的地

位が異なるかもしれない。社会的境界はまた、人びとが教育と労働のより大きな機会にひ

きつけられて、外国から移住してきたり、農村から都市へ移動してくるにつれて崩壊する

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(Lipset and Bendix 1967; Cutright 1968; Treiman 1970)。典型的には、新規来住者は低賃金

の仕事に就くが、その過程で、他の人びとを社会的階梯の上方に押し上げる(Tyree,Semyonov and Hodge 1979)。

工業社会においては、人びとを肌の色、性別、あるいは社会的出身背景によってカテゴ

リー化することは、悪いと見なされるようになる。そしてすべての人びとが政治的権利と、

法のまえでのほぼ平等な地位を獲得する。さらに工業社会においては、労働は生まれによ

って固定されるのではなく、いくらか個人的選択にかかわるものである。個人主義の拡大

は、結婚相手を選択する自由の増大にもなる。

能力主義

カーストが規則である農業社会に比べて、工業社会は能力主義に向かっていく。能力主

義とは、個人の能力にもとづく社会階層である。工業社会は(農業を超えて)広い範囲の..............

能力を発展させる必要があるから、階層は厳密に生まれという偶然だけにもとづくのでは

なく、「能力」にももとづく。能力とは、ある人がする仕事であり、いかにその仕事をう

まくできるかである。能力主義を推進するために、工業社会は機会の平等を拡大するが、

人びとは結果の不平等を予想する。

純粋な能力主義においては、社会的地位は完全に個人の能力と努力に左右されるだろう。

そのようなシステムでは、社会移動が進行中で、個人は最新の成果によって継続的にシス

テムを上昇したり下降したりしているために、社会的カテゴリーは曖昧になる。カースト

社会においては、「能力」(メリット:ラテン語で、「賞に値する」という意味)は、農業

のように技能を必要としない仕事をつづける能力を意味する。カースト・システムは、義

務的に自分の仕事をして「自分の場所に」とどまりつづける人びとを称賛する。

もちろん、カースト・システムは、人間の潜在能力を無駄にする。しかし、それは非常

に秩序立っている。そしてそこには、重要な問いに対する答えがある。なぜ工業社会は、

完全な能力主義にならずに、カーストのような資質(富を世代から世代へと受け継ぐよう

な)を保っているのか。その理由は、純粋な能力主義は家族とその他の社会集団の重要性

を消滅させるからである。結局、経済的な実績がすべてではない。われわれは、家族成員

を厳密に仕事によって評価したいと思うだろうか。おそらくそうではないだろう。それゆ

え、工業社会における階級システムは、生産性と能率を促進するために能力主義に向かう

ものの、秩序と社会的凝集性を維持するためにカースト的要素を残す。

地位一貫性

地位の一貫性とは、社会的不平等のさまざまな次元にわたるある人の社会的地位におけ..............................

る一貫性の程度である。カースト・システムは、社会移動が限られており、地位の一貫性.......

が高い。そのため典型的な人は、富、権力、威信にかんして相対的に同じ位置にある。し

かし、より流動性の高い階級システムは、地位の一貫性を低める。それゆえ、米国では、

高学歴の大学教授は、高い社会的威信を享受するかもしれないが、人気のあるピザ屋を経

営する人よりも稼ぎが少ないかもしれない。地位一貫性が低いことは、階級がカーストほ.. ....

どはっきりと定義できないことを意味している。

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属性主義と業績主義――英国

階級システムにおけるカーストと能力主義の混合は、英国(大ブリテン――イングラン

ド、ウェールズ、スコットランドからなる――と北アイルランド連合王国)によって例証

される。英国は、長い農業社会の歴史をもつ工業国である。

身分システム

中世において、イングランドには3つの身分からなるカーストのようなシステムがあっ

た。第一身分は、人口の約 5 パーセントを占める世襲の貴族であった。かれらは土地――....

富の主要な形態――のほとんどを支配していた(Laslett 1984)。ほとんどの貴族は、職業

をもっていなかった。なぜなら、かれらは、商業その他の収入をともなう仕事を低くみて

いたからである。奉公人に面倒をみてもらって、貴族たちは余暇を使って馬術や戦闘の技

能を発達させるとともに、芸術、音楽、美術の洗練された趣味を育んだ。

広大な土地所有を相続による分割から守るために、長子相続制(ラテン語の「最初に生

まれた」を意味する)の法律が、すべての土地所有を長男かその他の男性親族に継承させ

るように求めた。次男以下は、他の生計手段を探さなければならなかった。ある者は聖職

者――しばしば第二身分を付与される――になり、そこでは、かれらの精神的な権力が、....

教会の広範な土地所有によって支えられた。そのほかに、高貴な生まれの次男以下の者の

なかには、軍人や法律家になる者もおり、紳士として名誉があると考えられる他の専門職

に就く者もいた。女性が父親の財産を相続することができず、自分自身で生計を立てるこ

とのできる女性が少ない時代にあって、貴族の娘は生活の安定を良い結婚に頼った。

貴族と聖職者の下に、大多数の男性と女性が第三身分すなわち平民を形成した。ほとん....

どの平民は、貴族が所有する土地で働く農奴であった。ほとんど教育もなく、ほとんどの

人は字が読めなかった。

産業革命がイングランドの経済を拡張すると、都市に住む平民のなかには、貴族に挑戦

するのに十分な金を稼ぐ者もいた。能力主義がおおいに強調され、金銭の重要性が増大し、

学校教育と法的権利がより多くの人びとに拡張された結果、社会的地位は曖昧になり、階

級システムが生じた。

ことによると、近年、伝統的な称号がたんに金銭を必要とする貴族によって売りに出さ

れていることは、時代の表れであるかもしれない。たとえば、1996 年に「ウィンブルド

ン卿」の称号は、アール・スペンサー――ダイアナ王妃の弟――によって競売にかけられ、

かれの大邸宅のひとつで配管を改修するのに必要としていた 300,000 ドルを稼いだ

(McKee 1996)。

こんにちの英国

こんにち、英国は、長い封建的な過去の痕跡を残しながらも、階級システムをもってい

る。英国家族の小さな一団が、相続された身分を所有し、費用のかかる学校に通い、かな

りの政治的影響力を行使している。伝統的な君主であるクィーン・エリザベス2世は、英

国の国家元首として君臨する。そして上院議会は、仲間からなり、約半数は貴族の生まれ

である。しかし、政府に対する統制は下院にゆだねられ、そこでは総理大臣とその他の下

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院議員が、典型的には、生まれではなく、業績――選挙での勝利――によってその地位に

到達している。

さらに階級の階層的秩序をくだると、英国民の約 4 分の 1 が「中産階級」を形成してい

る。多くは専門職や実業から十分な収入を稼いで、株式や債券のかたちで投資することが

多い。

中産階級の下に、英国人の約半数が、自分自身を肉体労働によってささやかな収入を得

る「労働者階級」であると考えている。ここ数十年間に、炭坑や鉄鋼生産のような英国の

工業が衰退し、労働者階級家族のあいだで失業率が高まった。貧困におちいり、社会的・

経済的に剥奪されている残りの 4 分の 1 の英国人に加わった者もいた。下層階級の人びと

――あるいはもっと簡単に貧困層――は、経済的衰退に悩まされている英国の北部と西部

の地域に集中している。

こんにち、英国の階級システムは、カーストの要素と能力主義が混合しており、高度に

階層化された社会が生みだされている。そこでは、人びとはきわめて不平等である。もっ

とも、上昇移動したり下降移動したりする者もいる。しかし、歴史的な身分システムのひ

とつの遺産は、社会移動が米国よりも英国において少ないことである(Kerckhoff,Campbell, and Winfield-Laird 1985)。英国におけるこのいっそう固定的な不平等のシステ

ムは、アクセントに付与された重要性に反映されている。人びとが何世代にもわたってた

がいに分離している場合、いかなる社会においても独特の話のパターンが発達する。米国

における人びとがアクセントを住んでいる場所の糸口として扱うのに対して(中西部の「鼻

声訛り」や南部の「母音を伸ばす」話し方を取り違えることはほとんどない)、英国人は

アクセントを社会階級の印として使う。たとえば、「国王の英語」を話すエリートが、ロ

ンドンのイースト・エンドで普通にみられる「コックニー(ロンドン訛り)」アクセント

の労働者階級から区別される。これらふたつのアクセントはあまりに違っているので、英

国人は、よく言われるように、共通語によって分割されたひとつの国民であるようにみえ

る。

もうひとつの例――日本

日本の社会階層もカーストと能力主義の混合である。日本は、世界で最も古くから継続

的に君主制が機能していた国であると同時に、富が個人的な業績に付随する近代社会でも

ある。

封建時代の日本

紀元 5 世紀までに、日本は、貴族と平民からなり、天皇家によって支配された厳格なカ

ースト・システムをもつ農業社会であった〔大和朝廷〕。天皇は神聖な権利によって支配

しており、その軍事的指導者(すなわち将軍)は、数多くの地方豪族を監視していた〔征

夷大将軍は 8 世紀〕。

貴族の下にはサムライがいた。サムライとは、「侍る」を意味する戦士カーストであるはべ

〔平氏政権は 11 世紀〕。この日本社会の第二身分は、兵士からなっており、かれらは軍事

技術を学び、主君への絶対的な忠誠にもとづく儀礼作法にしたがって生活していた。

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英国と同様に、この時代の日本の人民の多くは、平民であり、なんとか生きながらえる

ために働いていた。しかし、ヨーロッパの封建諸国とは違って、日本の平民は、最低の身

分ではなかった。最底辺には、被差別部落民、すなわち「アウトカースト〔賤民〕」がお

り、領主と平民から遠ざけられていた。インドの最下層集団と同様に、これらのアウトカ

ーストは、他の人びとから離れて暮らし、最もいやな仕事に就き、他の人びとと同様に、

自分の地位を変えることができなかった。

近代日本

1860 年代(米国では南北戦争の時代)までに、貴族は、伝統的なカースト・システム

では、日本が近代工業時代にはいることはできないと悟った。そのうえ、英国と同様に、

子どもたちを自分たちよりも裕福な平民と結婚させることを幸福と感じる貴族もいた。日

本が開国すると、伝統的なカースト・システムは弱体化した。1871 年に、日本は法的に

「アウトカースト」の社会的カテゴリーを禁止した〔解放令〕。もっとも、こんにちでも

人びとはこの地位の子孫を見下している。第二次世界大戦における日本の敗戦後、貴族も

法的地位を失い〔日本国憲法第 14 条、貴族制度の否認〕、天皇は日本の伝統の象徴として

のみ存続し、ほとんど実際の権力をもっていない。

日本における社会階層は、数世紀まえの厳格なカースト・システムからはほど遠い。こ

んにち、日本社会は、「上流」「中流の上」「中流の下」「下流」階級からなっている。固い

境界線はなく、多くの人びとは時間とともに階級間を移動する。しかし、日本の文化は伝

統を尊重する傾向があるので、家族的背景は、ある人の社会的地位を把握するのに表面か

ら離れることはない。公式には、だれもが法のまえで平等の地位である。もっとも、実際

には、多くの人びとはいまだに何世紀もまえのカーストという古いレンズをとおして互い

を見ている(Mannari 1974; Norbeck 1983)。最後に、ジェンダーについての伝統的観念は、ひきつづき日本社会をかたちづくってい

る。法的には、両性は平等であるが、男性は多くの点で女性を支配している。日本の親は、

娘よりも息子を大学に通わせることが多く、そのため教育に重要なジェンダー格差がある。

日本における近年の経済的な下降にしたがって、さらに多くの女性が労働力に参入した。

しかし、ほとんどの働く女性は、企業世界で低い水準の補助的な地位に就いている。指導

者の役割をもつ女性はわずかである。こうして、日本の近代階級システムにおける個人的

業績は、何世紀にもおよぶ伝統的な男性の特権の影で作用している(Brinton 1988; French2002)。

旧ソ連

20 世紀の多くの期間に軍事的超大国として米国と敵対していた旧ソビエト社会主義共

和国連邦(U.S.S.R.)は、1917 年の革命から生まれた。ロシア革命は世襲貴族によって支

配された封建的身分システムを終わらせ、農場、工場その他の生産財を私的所有から国家

的統制に移行させた。

無階級社会?

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ロシア革命は、カール・マルクスの考えによって導かれた。マルクスは、生産財の私的

所有が社会階級の基礎であると書いた(第 4 章「社会」を参照)。国家が経済への統制権

をもったとき、ソビエトの高官は、自分たちは最初の近代的無階級社会を創造したと豪語

した。

しかし、ソ連のそとでは、分析家たちがこの主張に疑念を抱いていた(Lane 1984)。か

れらは、人びとが就いている仕事はじっさいには4つの不平等なカテゴリーに分かれてい

ると指摘した。頂点には、政府高官、すなわちアパラチキがいる。つぎにソビエト・イン

テリゲンチアがきて、そこには政府の下級役人、大学教授、科学者、医者、エンジニアが

含まれている。かれらの下に、肉体労働者、そして一番下に、村落の農民がいた。

これらのカテゴリーは、はなはだ異なった生活標準を享受していたので、旧ソ連は真の

無階級社会ではなかった。しかし、工場、農場、大学、病院を国家統制下におくことによ

り、米国のような資本主義社会に比べて、経済的不平等を制限した(もっとも、権力の大

きな違いが出現したが)。

第二のロシア革命

カール・マルクス(と革命指導者であるウラジミール・レーニン)の考えにしたがって

ソビエト社会を組織して数十年後、ミハイル・ゴルバチョフが 1985 年に大統領になった

あと、ソ連は変化に揺れた。ゴルバチョフは、ペレストロイカとして広く知られている政

策を導入した。ペレストロイカとは「リストラ〔構造再編〕」という意味である。かれは、

ソビエト・システムは経済的不平等を減少させたけれども、ほとんどみんなが貧しく、生

活標準は西側諸国の高所得国に遅れをとっていると考えた。ゴルバチョフは、非効率な集

権的経済統制を減少させることによって、経済的拡大を生みだそうとした。

ゴルバチョフの経済改革は、史上最も劇的な社会運動のひとつとなった。東欧全体で、

社会主義政府が倒れ、1991 年にソ連自体が崩壊した。人びとは貧困と基本的自由の欠如

を、共産党幹部の抑圧的な支配階級のせいにした。たとえば、ソ連では、人口のわずか6

パーセントが共産党を構成し、党が国全体を運営している。

ソビエトの話は、社会的不平等には経済的資源以上のものがかかわっていることを示し

ている。ソビエト社会には、英国、日本、米国に見いだされる極端な富と貧困はないかも

しれない。しかし、それでも富よりも権力にもとづくエリート階級が存在する。ミハイル

・ゴルバチョフとかれの後継者であるボリス・エリツィンは、米国大統領ほど稼いでいな

いが、ものすごい権力を行使している。

ソ連の社会移動についてはどうであろうか。20 世紀をつうじて、ソ連では、英国、日

本、米国と同じくらい多くの上昇移動があった。急速に拡大する工業と政府は、多くの貧

しい農民を工場と事務所にひきこんだ(Dobson 1977; Lane 1984; Shipler 1984)。この趨勢

は、社会学者が構造的社会移動と呼ぶものを例証している。構造的社会移動とは、個人的...

な努力よりも社会それ自体の変化のために多数の人びとの社会的地位が変化することであ......................................

る。

ウクライナ、オデッサ、11月24日 われわれの航海で初めての雪がデッキのうえを舞

ったのは、われわれの船が、オデッサに入港したときだった。そこは、旧ソ連の最南端に

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ある黒海に面した港である。ドックからすぐ近くのところで、われわれはポチョムキンの

階段を見上げた。それは、ロシア革命の第一弾がとどろいた都市に向かう急な階段である。

私たちが最後に訪問してから数年がたち、大きな変化があった。実際、ソ連そのものが崩

壊した。生活は良くなったのであろうか。ある人たちにとっては、確かにそうである。い

まではシックなブティックがあり、おしゃれな買い物客が高級ワインやデザイナー服、そ

して輸入物の香水を買っている。しかし、ほとんどの人たちにとっては、生活はずっと悪

くなった。蚤の市が歩道に並び、家族で家庭用家具を売っている。1ポンド4ドルで肉が

売られ、平均月収が30ドルの町に、多くの人が絶望している。市でさえ、節約しなけれ

ばならず、八時には街灯を消す。ほとんどの人びとの精神は、オデッサの街路のように薄

暗くなっているようだ。

1990 年代に、新しいロシア連邦における構造移動の諸力は、ほとんど、下向きであっ

た。ひとつの重要な指標は、ロシア人男性の平均寿命が 8 年短くなり、女性は 2 年短くな

ったことである。多くの要因がこの現象に関連しており、そのなかにはロシアの保健シス

テムの貧困も含まれる。しかし、ロシアの人びとは、あきらかに 1991 年に始まった経済

変化の混乱期に苦しめられてきた。

長期的には、非効率な国家産業を閉鎖することは、国の経済実績を向上させるかもしれ

ない。短期的には、成長しつつある私企業に加わることで利得のある労働者もいた。しか

し、多くの市民(低賃金の国家企業に閉じこめられた人びとを含む)は、生活標準が低下

したので、苦境に直面した。ロシア経済が不均等に事業の私的所有に向かって移行するに

つれて、富裕層と貧困層の格差は、米国と同じくらいにまで拡大した(表 10 - 1 に示さ

れている)。こうして、近年の変化を称賛する人もいるが、より高い生活標準を望んで我

慢している人もいる(Spencer 1997b; Bohlen 1998; Gerber and Hout 1998; Gerber 2002; TheWorld Bank 2003)。

中国――社会階級の出現

抜本的な政治的経済的変化は、ロシア連邦だけではなく、中華人民共和国にも影響を及

ぼした。1949 年の共産主義革命のあと、国家はすべての農地、工場、その他の生産財の

支配権を掌握した。共産党の指導者、毛沢東は、すべての仕事は等しく重要であり、それ

ゆえ、公的には社会階級は存在しないと宣言した。

新しい政策は、経済的不平等をおおいに減少させた。しかし、ソ連の場合と同様に、社

会的相違は残った。国は莫大な権力とかなりの特権を有する政治エリートによって支配さ

れた。かれらの下には、大企業の管理者と技能のある専門職がいた。つぎに工業労働者が

おり、最もうまくいっていないのが農民で、かれらは農村を離れて都市に移住することさ

え許されなかった。

さらなる経済的変化が 1978 年にやってきた。そのとき、毛は亡くなり、鄧小平が中国

の指導者となった。しだいに国家は経済への支配をゆるめ、その結果、実業を所有する新

しい階級が出現した。党の指導層は、国を統制しつづけており、そのなかには、新しく私

的に運営されている産業を統制する、小さいが富裕なエリートの地位に加わって、富裕に

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なる者もいた。この新しい経済成長の多くは、沿岸部に集中してきた。そこでは、生活標

準は中国の内陸農村部よりもはるかに高くなった。

こんにち、新しい階級システムは、古い政治的階層秩序と新しい実業的階層秩序が混合

しつつ出現している。この初期段階において、研究者たちは新しいシステムの複雑性を指

摘し、起こりそうな未来について論争している。しかし、中国のひとつの教訓はあきらか

である。時間とともに現れつつある新しい不平等なパターンをともないながら、社会階層

が高度に動態的であることである(Bian 2002)。

イデオロギー――階層の背後にある力

世界中の社会的不平等の程度について注意すると、われわれは社会が資源をもっと平等

に分かち合うことなく持続しているのはなぜかと知りたく思うだろう。英国や日本のカー

スト的なシステムは何世紀もつづき、数百家族の手中に土地と権力をおいた。2000 年間

も、インドの人びとは、たまたま生まれによって特権があったり貧困であったりするはず

だという観念を受け入れてきた。

それゆえ、社会的階層秩序が持続する主な理由は、イデオロギーである。イデオロギー

とは、不平等のパターンを含む特定の社会的配列を正当化する文化的信念である。信念―..............................

―たとえば、金持ちは頭が良く貧乏人はのろまであるという観念――は、それが富を価値

あるものと定義し、貧民は苦境に値すると示唆するかぎり、イデオロギー的である。

イデオロギーにかんするプラトンとマルクス

古代ギリシャの哲学者プラトン(427-347 B.C.E.)は、公正をだれが何をもつべきかに

ついての合意であると定義した。あらゆる文化は、ある種の不平等を「公正」であると考

える、とプラトンは説明した。カール・マルクスもこの事実を理解した。しかし、かれは

プラトンよりもずっと不平等に批判的であった。マルクスは、資本主義社会を、富と権力

を少数の者にもたらし、その過程を「市場の法則」として弁護する課題をもったものとみ

なした。マルクスは続けて、資本主義的法律は、財の所有権を限定し、相続は貨幣が世代

から世代へと同じ家族の内部にとどまることを保証するものであると論じた。要するに、

文化と制度は結びついて社会のエリートを支え、このことが確固とした階層秩序が長期間

持続する理由であると結論づけた。

イデオロギーの歴史的パターン

社会の経済と技術が変化するにつれて、イデオロギーは変化する。農業社会は、人びと

の定型化された労働に依存するから、ある人の「持ち場」の義務を遂行することが自然秩

序の内部における道徳的責任であるとみなす階層秩序を発達させる。工業資本主義の勃興

とともに、個人的な自発性が価値を獲得し、能力主義のイデオロギーが発達する。富と権

力は、最善を尽くした人びとによって勝ち取られる賞品となった。封建制のもとで慈善の

対象であった貧民は、工業資本主義のもとでは、個人的に称賛に値しないものとして軽蔑

される。この厳しい見解は、コラムで述べられているように、ハーバート・スペンサーの

研究のなかで表明された。

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歴史は、社会階層を変化させることがいかに難しいかを示している。しかし、現状への

挑戦はつねに生じる。たとえば、「女の居場所」にかんする伝統的な観念は、女性の経済

的機会に道を譲った。南アフリカにおける人種的平等に向かう継続的な進歩も、アパルト

ヘイトのイデオロギーに対する拒否が広がっていることを例証している。

*******批判的考察**************************************************************

富裕になるのは「最適者生存」か?

「最適者生存」――われわれはみな、社会を競争的なジャングルとして記述するのにこの

言葉が使われるのを聞いたことがある。この言葉は、社会学の先駆者のひとりであるハー

バート・スペンサー(1820-1903)によって作られた。社会的不平等にかんするかれの考

えはいまでも普及している。

英国に住んでいたスペンサーは、自然科学者であるチャールズ・ダーウィン(1809-1882)の研究に熱心にしたがった。ダーウィンの生物進化論は、種が何世代もかけて身体的に変

化するのは、それが自然環境に適応するからであると主張する。スペンサーは、ダーウィ

ンの理論を社会の作用に適用して考え、社会は、「最適」な人びとが頂点に上り、弱者が

しだいに悲惨な貧困に落ち込んでいく「ジャングル」であると提唱した。

米国では、ダーウィン理論のスペンサーによる曲解は、当時の有力な産業家のあいだで

人気があった。ジョン・D・ロックフェラー(1893-1937)は、石油業で巨大な富を築い

た人であるが、日曜学校で小さな子どもにスペンサーの「社会的教義」を語った。ロック

フェラーによれば、巨大企業の成長――とその所有者の驚くべき富――は、自然の基本的

事実にすぎなかった。スペンサーもロックフェラーも、貧民にあまり同情せず、貧困を競

争的世界の基準に達しない証拠であると考えた。スペンサーは、社会福祉政策に反対し、

それらは社会の「最良の」メンバーを(税金によって)罰し、社会の「最悪の」メンバー

を(福祉の恩恵によって)報いるものとして非難した。

こんにちの社会学者は、ただちに、スペンサーの指摘とは違って、社会的地位は単純に

個人的努力の問題ではないことを指摘する。また、われわれの社会の「最も太っている者」

――金をたくさん稼いでいる会社や人びと――が必ずしも社会全体に恩恵を与えていると

いうわけでもない。しかし、人びとは多かれ少なかれ生活のなかで自分に相応しいものを

得ているというスペンサーの見解は、われわれの個人主義的な文化の一部でありつづけて

いる。

あなたはどう思いますか。

1.スペンサーが社会は「最適者生存」を奨励していると言う場合、何を意味していたの

でしょうか。

2.スペンサーの考えは、米国でいまでも人気があるのはどうしてだと思いますか。

3.どのような意味で、高給の人びとは社会に恩恵をもたらしているのでしょうか。どの

ような点で、かれらは恩恵をもたらしていないのでしょうか。

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*******************************************************************************

社会階層の機能

そもそもなぜ社会は階層化するのか。構造機能パラダイムと一致するひとつの答えは、

社会的不平等が社会の作用における生きた一部をなしているからである。この議論は、約

50 年まえに、キングスレー・デーヴィスとウィルバート・ムーア(1945)によって説明

された。

デーヴィス=ムーア命題

デーヴィス=ムーア命題は、社会階層が社会の作用にとって利益となる結果をもたらす..........................

と述べる。それ以外に、どのようにわれわれは社会階層のある形態があらゆる既知の社会

に見いだされてきたという事実を説明できるというのか、とデーヴィスとムーアは問う。

デーヴィスとムーアは、近代社会には、さまざまな重要性をもつ何百もの職業的地位が

あると述べる。ある仕事――たとえば窓掃除、草刈り、電話番――は、とても容易で、ほ

とんどだれでも遂行できる。他の仕事――新世代コンピュータの設計や臓器移植――は、

むずかしく、広範囲にわたる(そして高価な)訓練をうけた希少な才能を必要とする。

それゆえ、デーヴィスとムーアは、ある地位の機能的重要性が大きければ大きいほど、

社会はそれにより多くの報酬を付与すると説明する。この戦略は、生産性と効率性を促進

する。なぜなら、重要な仕事に所得、威信、権力、そして余暇をもって報いることは、人

びとがそのような仕事に就き、より良く、より長く、より一生懸命働くように奨励するか

らだ。不平等な報酬はある個人の利益になり、不平等な報酬体系(それが社会階層という

ことだ)は、社会全体の利益になる。

デーヴィスとムーアは、いかなる社会も平等でありうることを認めるけれども、それは

人びとがだれがどのような仕事をしてもよいと喜んで考えるかぎりにおいてである。平等.. .....

性はまた、仕事をうまく成し遂げない人びとが、仕事をうまく成し遂げる人びとと同じ報

酬を受けることを要求する。そのようなシステムはあきらかに人びとがベストを尽くそう

とする誘因を与えることが少なく、そのため、社会の生産的効率を減少させる。

デーヴィス=ムーア命題は、なぜある形態の階層があらゆるところに存在するのかを示

唆している。それは社会がどのくらいの報酬を職業的地位に与えるべきなのか、あるいは

どのくらい不平等な報酬があるべきなのかを述べてはいない。しかし、要点は、たんに社

会がより重要であると考える地位は、それほど重要でない仕事から才能を引き離すのに十

分な報酬を備えなければならないということである。

批判的評価 デーヴィス=ムーア命題は、社会学的分析への重要な貢献ではあるものの、

それは批判を喚起した。メルヴィン・テューミン(1953)は、第一に、どうやってわれわ

れは、あらゆる職業の真の重要性を査定するのか不思議に思った。あきらかに、われわれ

は重要な仕事はたんに報酬の多い仕事であるということはできない。なぜならそれは循環

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論法となるからだ(すなわち、われわれは、重要な仕事は報酬が多いと仮定するが、しか

しわれわれは仕事の重要性をその報酬の水準によって定義するために、われわれの命題は

定義によって正しくなる)。ことによると、たとえば、われわれの社会が外科医に与える

高い報酬は、ひとつには医療専門職が注意深い努力によって、外科医の供給を制限し、そ

のためかれらのサービスへの需要を増大させることから生じる結果であるかもしれない。

さらに、貨幣に多くの重要性をおく社会に暮らしていると、われわれは高賃金の仕事の

意義を過大評価しがちになる。金を稼ぐこととは別に、株式仲買人や国際通貨の取り引き

をする人びとは、実際にどのように社会に貢献しているのであろうか。ある理由から、子

育てや、創造的な著述、交響楽団での音楽演奏、あるいは必要なときにだれかの良い友達

であることなどのような、金を稼ぐことに向けられていない仕事の重要性を、われわれが

理解することは困難である(Packard 2002)。要するに、人びとに支払われる収入は、どのくらい社会への貢献を反映しているのか。

年間 1 億ドルに近い収入のあるテレビのパーソナリティ、オプラ・ウィンフレイは、二日

間で、ジョージ・W・ブッシュが大統領の在任期間に稼ぐ金以上の金を稼いでいる。トー

クショーの相手役は、一国の指導よりも重要だと論じる人がいるだろうか。コラムでは、

支払いと社会的重要性との関連を詳しく見ている。

第二に、テューミンは、デーヴィス=ムーア命題は、社会階層が個人の才能の発達を妨.

げる可能性があることを無視していると主張する。特権のある裕福な家の子どもに生まれ..

ることは、かれらの能力を発達させるかもしれないが、なにか多くの才能がある貧しい家

の子どもは、けっしてそんなことはないかもしれない。

第三に、社会階層は社会のすべての人の利益になると示唆することによって、デーヴィ

ス=ムーア命題は、社会的不平等がいかに闘争を促進し、徹底的な革命さえ促進すること

を無視している。この批判は、われわれを社会闘争パラダイムに導いていく。それは、社

会的階層秩序について非常に異なった説明を用意している。

********批判的考察*************************************************************

大金――富裕層は稼ぎに値するか

1 時間働いて、あるロサンゼルスの牧師は約 5 ドル稼ぎ、ニューオリンズのホテルのメ

イドは約 7 ドル稼ぎ、サンフランシスコのバスの運転手は約 15 ドル稼ぎ、フェニックス

のバーテンダーは約 20 ドル稼ぎ、デトロイトの自動車産業の労働者はだいたい 25 ドル稼

ぐ。これらの賃金は、サンフランシスコ・ジャイアンツで野球をしてバリー・ボンズが 1時間で稼ぐ 40,000 ドルと比べれば小さくみえる。そして、俳優のジム・キャリーが映画

制作で 1 時間に費やす 100,000 ドルは、どうだろうか。あるいは、シカゴ・ブルズでバス

ケットボールをしてマイケル・ジョーダンが毎時間稼いできた 600,000 ドルはどうか。

デーヴィス=ムーア命題は、報酬が社会にとっての職業的価値を反映していると示唆し

ている。しかし、バスケットボールで毎年 3000 万ドル以上稼ぐマイケル・ジョーダンの

才能は、100 人全員の米国上院議員の努力や 1000 人の警察官の努力よりも価値があるの

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だろうか。要するに、稼ぎは真に人びとの社会的重要性を反映しているのだろうか。

米国のような産業資本主義社会において、俸給は供給と需要にかんする市場の諸力を反

映している。簡単にいうと、市場システムにおいて価値を生みだせば生みだすほど、それ

だけ金銭的な報酬に値するものとなる。この見解にしたがえば、映画やテレビのスター、

トップ・アスリート、ポピュラーソングのライター、医師およびその他の専門職、そして

多くの会社の重役は、需要の多いまれな才能をもっていることになる。それゆえ、かれら

は、米国の典型的な労働者よりも何倍も多く稼いでいる。エルビス・プレスリーの地所で

さえ、このポピュラー歌手の死後 25 年以上たっても――毎年、何千万ドルもの使用料を

ひきつけている。

しかし、デーヴィス=ムーア命題の批判者たちは、市場が真に職業的重要性の評価者で

あるのかどうか疑問視している。第一に、米国経済は自分自身の便益のためにシステムを

操作する一部の人びとによって支配されている。たとえば、会社幹部は「重役扱い」から

利益を得ていて、会社は、順調であろうとなかろうと何百万ドルもの俸給とボーナスを支

払う。たとえば、オラクル・ソフトウェア会社が、業績を悪化させたとき、CEO のラリ

ー・エリソンは、会社のストックオプションから 7 億ドル以上も稼いでいた。それは大学

教員が稼ぐのに 10,000 年かかる額である(Benjamin 2002; Broder 2002)。よって、所得を社会的価値と等置するのは危険である。職業的な価値の尺度として市場

を弁護する者は、何がより良いものであるかを問うている。しかし、批判者が述べるよう

に、われわれの経済システムは、ひとにぎりの人びとだけがプレイする金を持っている閉

ざされたゲームになっている。

あなたはどう思いますか。

1.あなたは高給取りのエンタテイナーと運動選手は、平均的な労働者の千倍の価値があ

ると思いますか。なぜそう思うのですか、あるいは、なぜそう思わないのですか。

2.われわれはみな、親は子どもを育てるのに重要な仕事をしているという考えで一致し

ているでしょう。なぜ子育ては、無償労働なのでしょうか。

3.賃金を上げると教師の質と実績が向上するという議論についてはどう思いますか。あ

なたは賛成しますか。なぜそう思うのですか、あるいはなぜそう思わないのですか。

********************************************************************************

階層と闘争

社会闘争分析は、社会階層が、社会全体の利益になるというよりも、ある人びとに他の

人びとよりも利点を提供すると論じる。この分析は、カール・マルクスの考えにおおいに

頼っており、あわせてマックス・ウェーバーの貢献もある。

カール・マルクス――階級と闘争

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第 4 章(「社会」)で、全面的に議論しているカール・マルクスの考えは、ほとんどの人

びとが生産手段に対するふたつの基本的関係のひとつを有していると説明した。かれらは、

(1)生産財を所有しているか、(2)他人のための労働を所有しているかのどちらかである。

この生産のための役割は、社会階級の基礎である。中世ヨーロッパでは、貴族と教会の幹

部が、生産のための土地を所有していた。農奴は農民として苦労して働いていた。同様に、

工業的な階級システムにおいては、資本家(つまりブルジョアジー)が工場を統制し、そ

こで労働者(つまりプロレタリアート)の労働を使用する。

マルクスは、資本主義から生じる富と権力に大きな不平等を見ており、それが階級闘争

を不可避のものとすると論じた。やがて、抑圧と悲惨は、労働する多数派を組織させ、最

終的には資本主義を転覆させるように駆り立てるだろうと、かれは信じていた。

マルクスは、少数の強大な工業事業家が富を蓄えつつあった時代に生きていた。アンド

リュー・カーネギー、J・P・モルガン、ジョン・D・ロックフェラー、そしてジョン・

ジェイコブ・アスター(アトランティック号で遭難した数少ないとても富裕な乗客のひと

り)が、とてつもない邸宅に住んで、高価な芸術で飾り立てられ、数十人の奉公人をおい

ていた。かれらの富は、驚異的なものであった。USスティールの創業者であるアンドリ

ュー・カーネギーは、20 世紀の初頭に年間2千万ドルくらい稼いでいたと報告されてい

る(こんにちのドルで1億ドル以上)。当時の平均的な労働者は、年にだいたい 500 ドル

稼いでいたのである(Baltzell 1964; Pressen 1990)。しかし、マルクスによれば、資本主義的エリートは、その力を経済事業からのみ引きだ

しているのではない。家族をつうじて、機会と富は世代から世代へと受け継がれている。

さらに、法体系は、私有財産と相続を保護している。最後に、エリートの子どもは、排他

的な学校で交際し、生涯かれらの利益となる社会的絆を形成する。要するに、マルクスの

観点からは、資本主義社会は、各々の新しい世代において階級構造を再生産している。........................

批判的評価 資本主義がどのように階級間の闘争を生みだしているかにかんするマルクス

の分析は、社会学的思考に大きな影響を及ぼしてきた。しかし、それは革命的であり、資

本主義社会の転覆を要求するものであるために、マルクス主義はおおいに論争の的となっ

てもいる。

マルクス主義に対する最も強力な批判のひとつは、デーヴィス=ムーア命題の中心的な

教義を否定していることである。さまざまな社会的役割を遂行するように人びとを動機づ

けるためには、なんらかの不平等な報酬体系が必要となる。マルクスは、報酬を遂行から

分離して、「各人からは能力に応じて、各人へは必要に応じて」という原則にもとづく多

かれ少なかれ平等なシステムを提唱した(Marx and Engels 1972: 388; orig. 1848)。ことに

よると、このように報酬を遂行から分離することは、まさしく、旧ソ連とその他の世界中

の社会主義経済における生産性の低さの原因となったものであるかもしれない。

マルクスの弁護人は、かなりの証拠が人間性は本来利己的であるよりも社会的であると

いうマルクスの見解を支持していると反論する(Clark 1991; Fiske 1991)。それゆえ、わ

れわれは、個人の報酬が(いわんや貨幣だけが)人びとを社会的役割遂行に動機づける唯

一の方法であると想定すべきではない。

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第二の問題は、マルクスが不可避であると考えた資本主義社会内部での革命的発展は、

概して生じなかった、ということである。次節では、マルクスが予測し促した社会主義革

命が、少なくとも先進資本主義社会においてなぜ生じなかったのかについて探求する。

なぜマルクス主義革命は生じなかったのか?

マルクスの予測にもかかわらず、資本主義はいまでも繁栄している。なぜ米国とその他

の工業社会の労働者たちは、資本主義を転覆させなかったのか。ラルフ・ダーレンドルフ

(1959)は、4つの理由を示唆している。

1.資本家階級の細分化 こんにち、ひとつの家族というよりも、何百万もの株主が、ほ

とんどの大企業を所有している。さらに、大企業の日々の活動は、いまでは経営者階級の

手中にある。その成員は、大株主であるかもしれないし、そうではないかもしれない。株

が広く保有されることによって――近年の下降にもかかわらず、米国の成人の 40 パーセ

ントは市場に参入している――、ますます人びとは資本主義システムの保護に直接の利害

をもっている。

2.生活水準の高さ 第 16 章(「経済と労働」)で説明するように、一世紀まえには、ほと

んどの労働者は、工場や農場で、ブルーカラーの職業を遂行していた。それは、ほとんど....

肉体労働にかかわる威信の低い仕事である。こんにち、ほとんどの労働者はホワイトカラ................

ーの職業に就いている。それは、ほとんど精神活動にかかわる威信の高い仕事である。こ

れらの仕事は、販売、管理、その他のサービス分野にある。こんにちのホワイトカラー労

働者のほとんどは、自分自身を「工業プロレタリアート」と思っていない。同じくらい重

要なこととして、平均的な米国の労働者の所得は、20 世紀のあいだにインフレを考慮し

た場合でさえ、ほとんど 10 倍に上昇し、週あたりの労働時間は減少した。その結果、こ

んにちのほとんどの労働者は、一世紀まえの労働者よりも暮らし向きが良く、これは構造

的移動が助けとなって人びとが現状を受け入れるようになった例である。

3.労働組織の増大 労働者は、一世紀まえには欠けていた組織的な影響力をもっている。

労働組合を組織する権利をもった労働者は、怠業とストライキの脅威によって裏打ちされ

て、経営者に要求を突きつける。言いかえれば、労働者と経営者の争いは、資本主義シス

テムへの脅威なしに解決される。

4.広範な法的保護の増大 20 世紀のあいだに、政府は、職場を安全にする法律をつくり、

失業保険、障害者の保護、社会保障のような政策を発展させ、労働者により大きな経済的

保障を提供した。

対比

これらの発展は、米国社会が、資本主義の荒々しさをなめらかにしたことを示唆してい

る。しかし、多くの人が、マルクスによる資本主義の分析がいまでもおおむね妥当である

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と主張している(Domhoff 1983; Stephens 1986; Boswell and Dixon 1993; Hout, Brooks andManza 1993)。第一に、富は高度に集中したままであり、すべての私的に所有された財産

の 40 パーセントは、米国人口の 1 %の手中にある(Keister 2000)。第二に、こんにちの

ホワイトカラー職の多くは、一世紀まえの工場労働以上の所得、安定性、あるいは満足を

提供していない。第三に、こんにちの労働者が享受している利益は、マルクスが記述した

階級闘争によってもたらされたものであり、労働者はいまでも自分たちの要求を獲得する

ために戦っている。第四に、労働者たちは法的保護を得ている一方で、法律はいまでも富

裕層の私有財産を保護している。それゆえ、社会闘争理論家は、米国における社会主義革

命の欠如は、資本主義にかんするマルクスの分析を否定するものではないと結論づけてい

る。

表 10-1 は社会階層にかんする理解への二つの対立するアプローチの貢献を要約してい

る。

表 10-1 社会階層にかんする二つの説明:要約

構造-機能パラダイム 社会闘争パラダイム

社会階層は社会全体の利益となる。 社会階層は、他の者を犠牲にしてある者に

利益をあたえる。

より多くの報酬をより重要な仕事に結びつ 社会の組織は、ある人びとが多くの富と権

けることが、社会の生産性を向上させる。 力を操ることを可能にする。

ある人びとが他の人びとよりも多くの報酬 存在する社会的不平等には、広範な反対が

に値することについて、広範な合意がある。 ある。

社会階層は典型的には安定的で、長期にわ 社会階層は不安定で、時間とともに変化す

たって持続する。 る。

マックス・ウェーバー――階級、身分、権力

第 4 章(「社会」)で述べたマックス・ウェーバーのアプローチは、社会階層が社会闘争

の形態をとるという点でマルクスと一致している。しかし、かれはマルクスの二階級モデ

ルは単純すぎると考えた。その代わりに、かれは社会階層には不平等の三つの独自の次元

が含まれていると考えた。

第一の次元は、経済的不平等である。これは、マルクスにとって重要であった問題であ

る。これをウェーバーは階級的地位と呼んだ。ウェーバーは、「階級」がおおざっぱなカ..

テゴリーではなく、高階層から低階層までの範囲の連続体であると考えた。ウェーバーに

よれば、社会階層の第二の次元は身分、つまり社会的威信である、第三は権力である。.. ..

社会経済的地位の階層秩序

マルクスは、社会的威信と権力を、経済的地位のたんなる反映であるとみなして、それ

らを不平等の独自の次元として扱わなかった。しかし、ウェーバーは近代社会における地

位の一貫性は、しばしばきわめて低いことに注意した。たとえば、地方公務員はかなりの

権力を振るうかもしれないが、ほどほどの社会的地位とわずかな富しか享受しないだろう。

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したがって、ウェーバーの貢献は、産業社会における社会階層を明確に定義された階級

の階層秩序ではなく、多次元的な序列として描いていることである。ウェーバーの思考に

同調して、社会学者たちは社会経済的地位(SES)という言葉を、社会的不平等のさまざま...........

な次元にもとづく合成された序列を指すものとして用いている。...............

人びとは、階級、身分、権力の三つの次元においてさまざまであるから、ウェーバーは

マルクスとは違って、社会を独特の階級との関連においてではなく、たとえば公務員、小

企業主、あるいは工場労働者のような、自己利害をもつ多様な社会的カテゴリーとみなし

た。それゆえ、ウェーバーにとって、社会闘争は可変的であり複雑である。

不平等の歴史

ウェーバーは、社会的不平等の三つの次元のそれぞれは、人間社会の発展の異なる時点

において目立っていると述べた。農業社会では、典型的には名誉というかたちで、身分つ

まり社会的威信が強調された。これらの社会の成員は、(かれらがたとえば貴族であろう

と召使いであろうと)、自分たちの序列に対応した文化的規範に同調することによって身

分(地位)を獲得する。

工業化と資本主義の発展は、生まれにもとづく伝統的な序列を平準化し、いちじるしい

金銭的な不平等を生みだした。それゆえ、ウェーバーは、工業社会における人びとのあい

だの重要な相違は、階級という経済的次元にあると論じた。

やがて、工業社会は官僚制国家の成長を目の当たりにした。より大きな政府と他のあら

ゆる種類の組織への普及によって、階層システムにおける権力がいっそう重要になった。

とくに、社会主義社会においては、政府が生活の多くの側面を規制しているために、上級

公務員は新しいエリートになった。

歴史的な分析は、ウェーバーとマルクスの最終的な相違を指摘している。マルクスは、

生産財の私的所有を廃止することによって、社会は社会階層を除去することができると考

えた。ウェーバーは、資本主義の廃絶が社会階層をかなり消滅させるようになることを疑

った。それは、経済的な分裂を少なくすることにはなっても、社会主義は、同時に、政府

を拡大させ、政治エリートの手中に権力を集中させることによって、不平等を増大させる

だろうと、ウェーバーは推論した。東欧と旧ソ連の防備された官僚制に対する人民の反乱

は、ウェーバーの立場を支持している。

批判的評価 ウェーバーの社会階層にかんする多次元的な見解は、社会学者に絶大な影響

を及ぼした。しかし、批判者(とくにマルクスの思想を好む人びと)は、社会階層の境界

は曖昧になったかもしれないが、こんにちの高所得社会はいまでも驚くべき社会的不平等

を示していると論じる。

さらに、第 11 章(「米国の社会階級」)でみるように、所得の不平等が近年、増大して

いる。大金持ちの富の増大をみると、富裕層対貧困層にかんするマルクスの見解は、ウェ

ーバーの多次元的な階層秩序よりも、合格点に近い。

社会階層とテクノロジー――グローバルな視点

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われわれは社会の技術と社会階層のタイプとの関係を考えることによって、本章での観

察の多くをまとめることができる。この分析は、第 4 章(「社会」)で詳述したゲアハルト

・レンスキの社会文化的発展モデルにもとづいている。

狩猟採集社会

単純なテクノロジーをもつ狩猟・採集民は、日々の生活に必要なものだけを生産する。

他の人びとよりもたくさん生産する人もいるかもしれないが、集団の生存は、すべての人

が持てるものを共有することにかかっている。それゆえ、人びとのどのカテゴリーも他の

人びとより暮らし向きがよいものとして現れることはない。

農耕牧畜・農業社会

技術的な進歩が余剰を生みだすと、社会的不平等が増大する。農耕牧畜社会においては、

少数のエリートが余剰のほとんどを支配する。大規模な農業はさらにいっそう生産的であ

り、いちじるしい不平等――人類史上、最も大きい――が意味しているのは、さまざまな

カテゴリーの人びとが、際立って異なる生活をしていることである。農業貴族は典型的に

は大衆に対して神のような権力を行使する。

工業社会

工業化は、潮流を反転させ、不平等は減少する。より専門化された経済のために個人の

才能を発達させる必要があるために、能力主義が確立し、伝統的なエリートの権力が浸食

される。工業的生産力は、また、歴史的に貧困であった大多数の人びとの生活標準も上昇

させる。さらに、専門化された労働のために、すべての人びとの学校教育が必要となり、

非識字率が急速に減少する。つぎに、読み書きのできる人びとは、政治的意志決定におい

てより大きな発言権を求めて圧力をかけ、さらに社会的不平等が減少し、男性の女性に対

する支配が減少する。

やがて、富でさえ、いくらか集中しなくなる(マルクスが予測した趨勢とは反対に)。1920年代に、米国の最も富裕な 1 パーセントは、すべての富の 40 パーセントを所有していた

が、この数字は 1980 年代には 30 パーセントに減少した(Williamson and Lindert 1980;Beeghley 1989; 1991 Green Book)。このような趨勢は、なぜマルクス主義革命が農業社会

..

で生じたのかを説明する助けとなる。旧ソ連(1917 年)、キューバ(1959 年)、ニカラグ

ア(1979 年)のような農業社会では、マルクスが予測した工業社会よりも社会的不平等

が最も目立っていた。しかし、富の不平等は 1990 年以降増大し、ふたたび 1920 年代に戻

った(Keister 2000)。

クズネッツ・カーブ

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それゆえ、人類史において、技術的進歩は、社会階層化の程度をまず増大させ、ついで

緩和する。より大きな不平等は、農業社会では機能的であるものの、工業社会はもっと平

等主義的な風土から利益を得る。この歴史的趨勢は、ノーベル賞を受賞した経済学者サイ

モン・クズネッツ(1955, 1966)によって認識され、図 10-2 に示されているようなクズネ

ッツ・カーブによって説明される。

こんにち、世界中の社会的不平等のパターンは、概してクズネッツ・カーブと一致して

いる。264 ページの世界地図 10-1 は、工業時代を経過した高所得国(米国、カナダ、西

欧諸国を含む)は、農業が経済の主要な部分を占めている諸国(ラテンアメリカとアフリ

カで一般的である)よりも不平等が少ない。もちろん、所得の格差はたんに技術的発展だ

けではなく、政治的経済的な優先事項を反映している。すべての高所得国のなかで、米国

は最も所得の不平等が大きい。

そして将来はどうなるのであろうか。図 10-2 を振り返ってみると、われわれは、社会

的不平等が増大していることを示すために、クズネッツによって描かれた趨勢を脱工業社

会にまで拡張して示した(破線)。つまり、情報革命が進行するにつれて、米国社会はよ

り大きな経済的不平等を経験しつつある(次章で論じる)。このことは、長期の趨勢は、

クズネッツが半世紀まえに観察したものとは異なっているかもしれないことを示唆してい

る(Nielsen and Alderson 1997)。

社会階層――事実と価値

年は 2081 年、だれもが最終的に平等であった。かれらは神と法のまえで平等であ

っただけではない。かれらはあらゆる点で平等であった。だれもが他のだれよりも賢

くはなかった。だれもが、他のだれよりも良くはみえなかった。だれもが他のだれよ

りも強くもなければ、すばやくもなかった。すべてこの平等は、憲法修正条項 211 条、

212 条、213 条と、ハンディキャッパー・ゼネラルの諜報員の絶え間ない監視による

ものであった。

これらの言葉で、小説家であるカート・ヴォネガット・ジュニアは、『ハリソン・バー

ガーロン』の物語を始めた。それは、すべての社会的不平等が廃止された将来の米国につ

いての想像上の説明である。ヴォネガットは、ことによると原理上は訴求力があるかもし

れないが、平等は実際には危険な概念であると警告する。かれの物語は、相違を生みだす

すべての個人の才能が体系的に政府によって中和される社会工学の悪夢を記述している。

ある人を他の人よりも「良く」する相違を根絶するために、ヴォネガットの国家は、身

体的に魅力的な人びとはふつうにみえるように仮面をかぶり、賢い人は気が散るように雑

音を出すイヤホーンをつけ、最良の運動選手やダンサーは、他のだれとも同じくらい不器

用になるためにおもりをつけることを要求する。要するに、われわれは社会的平等が人び

とを解放して才能を最大限に発揮させることを想像するかもしれないけれども、ヴォネガ

ットは、平等な社会は、すべての人が最小公分母に還元される場合にのみ存在しうると結

論づける。

ヴォネガットの小説と同様に、本章における社会階層の説明は、すべて価値判断を含ん

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でいる。デーヴィス=ムーア命題は、社会階層が普遍的であるだけでなく、効率的な社会

組織には実際に必要だと述べている。それゆえ、米国社会における階級格差は、人間の能

力の違いとそれぞれの仕事の相対的な重要性の双方を反映している。この観点からは、平

等は望ましくない。なぜなら、それは、個人的才能を発達させ、優れた人に報酬を与える

ことにほとんど注意を払わない、非効率な社会においてのみ達成できるであろうから。

カール・マルクスによって提唱された社会闘争分析は、平等にかんしてもっとずっと肯

定的な見方をとっている。マルクスは、不平等が社会にとって逆機能的であると考えた。

それは人間の苦悩と持てる者と持たざる者の闘争の原因となるという簡単な理由からであ

る。かれが考えたように、社会階層は不公正と強欲から生じる。それゆえ、マルクスは資

源を平等に分かち合うことを提唱し、平等は人間の福祉を増進すると信じた。

コラムは、知能と社会階級のあいだの結びつきに焦点を当てている。この問題は、――

これもまた事実と価値が混在しているが――社会科学のなかで最も厄介なものである。ひ

とつには、「知能」を定義し、測定することが難しいからであり、いまひとつは、エリー

トは他の人びとよりもいくらか「優れている」という考えがまさにわれわれの民主主義的

な文化に挑戦しているからである。

次章(「米国の社会階級」)では、われわれ自身の国の不平等を検討し、近年の経済的二

極化に光を当てる。つぎに、第 12 章(「グローバルな階層化」)で、われわれは世界全体

を検討し、なぜある国は他の国よりも富が多いのかを説明する。われわれがやがて見るよ

うに、すべてのレベルにおいて、社会階層の研究は、事実と、公正な社会のかたちにかん

する価値を含んでいる。

論争と討論**********************************************************************

ベルカーブ論争――富裕な人は本当に賢いのか?

社会科学の本が全国的に人びとの関心を捉えることはまれである。しかし、リチャード

・J・ハーンシュテインとチャールズ・マレーの『ベルカーブ――アメリカの生活におけ

る知能と階級構造』(1994)は、人びとの関心を捉えるどころではなかった。この本は、

なぜ社会階層がわれわれの社会を分断しているのか、そして同じくらい重要なこととして、

それについて何がなされるべきかをめぐる論争の嵐に火を付けた。

『ベルカーブ』は、長大な本であり(800 頁)、多くの複雑な問題を扱っているが、根

底的には8つの命題を提出している。

1.われわれが「一般的知能」と呼びうるようなものが存在する。それをより多くもって

いる人は、より少なくもっている人よりも職歴上、成功しやすい。

2.人間の知能の分散の少なくとも半分は、世代から世代に遺伝的に伝達される。残りの

違いは、社会化に影響を及ぼす環境要因である。

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3.20 世紀をつうじて――そしてとくに情報革命が数十年前に始まってから――知能は、

われわれの社会の最も重要な仕事にいっそう必要とされるようになってきた。

4.同時に、米国で最良の大学は、アドミッション・ポリシー〔入学者選抜方針〕を、相

続する富をもつ子弟を好むことから、SAT(Scholastic Assesment Test: 大学進学適性テス

ト)、ACT(American College Test: 米国大学入学学力テスト)、GRE(Graduate RecordExamination: 一般大学院入学適性試験)のような標準化された試験で高得点をとったグレ

ードの高い若者を入学させる方向に変化した。

5.職場と高等教育におけるこうした変化の結果として、われわれの社会は、平均的にみ

て、ほとんどの人びとよりも訓練されているだけでなく、実際に知能の高い「認知的エリ

ート」によって支配されつつある。

6.知能の高い人びとは、自分たちと同じような人びとと――大学においても職場におい

ても――相互作用する傾向にある。このことは、かれらがペアになり、結婚して、知能の

高い子どもをもち、そのために「認知的エリート」を次世代にまで拡張することになりが

ちである。

7.同じ過程が、社会的階梯の反対側でも作用する。平均的にみて、知能の低い貧困層も

また、社会的に隔離されており、他の類似した社会的背景をもつ人びとと結婚し、それゆ

え自分たちのもっとわずかな能力を子どもに伝達しがちである。

それゆえ、ハーンシュテインとマレーは次のように結論づける。

8.富裕なエリートや貧困化する下層に属することは、少なくとも部分的には、主として

遺伝によってうけとった知能に根ざしているから、われわれは、貧困層が犯罪や薬物乱用

のような高水準の社会問題と戦うのは、驚くべきことではない。さらに、貧困層を救済す

る施策(ヘッドスタート〔育児支援施策〕やアファーマティブ・アクション〔積極的差別

是正政策〕)の成果は、実際には限られたものになるであろう。

『ベルカーブ』でなされた主張を評価するには、知能の概念について厳密に考えること

から始めなければならない。本書の批判者は、われわれが「知能」と呼ぶもののほとんど

は、遺伝の結果ではなく、社会化の結果であると論じる。言い換えれば、知能テストは認

知的能力を測定するものではなく、認知的遂行を測定するものである。そうであることを.. ..

われわれが知るひとつの方法は、米国人口の高学歴化が進むにつれて、IQ 得点の平均が

上昇してきたということである。知能に学校教育が重要であるならば、富裕層の子どもは、

教育上、有利であるから、そのようなテストでよりよい成績をとることを予想してよかろ

う。

知能を研究しているほとんどの調査研究者は、遺伝子が子どもの知能においてある役割

を果たしていることに同意している。しかし、ほとんどの者は、おそらく 25 パーセント

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から 40 パーセントが遺伝によるものであると結論づけている。これは、ハーンシュテイ

ンとマレーの主張よりも少ない。それゆえ、『ベルカーブ』は、社会階層が自然であり不

可避であると述べるとき、読者を誤りに導いている。事実、この本は、一世紀まえに人気

のあった社会ダーウィニズムの新版になっていると批判者は言う。社会ダーウィニズムは、

産業界の大立て者の巨大な富を「最適者の生存」として正当化した。

ことによると、こんにちの競争社会がジャングルのようにみえればみえるほど、ますま

す人びとは階層を育ちの問題というよりは血統の問題であると考えるようになるのかもし

れない。しかし、どのような欠陥があろうと、『ベルカーブ』は、われわれが容易に無視

できない問題を提起している。じっさいにある人びとが別の人びとよりも賢いのなら、わ

れわれは賢い人びとのほとんどがより高い社会的地位に到達することを予想すべきではな

いのか。それは公正なのか、そうではないのか。われわれは、さまざまな分野の頂点にい

る人びとは、残りの人びとよりも、少なくとも少しは賢いと予想できないのか。賢いエリ

ートをもつことには危険もあるのか。われわれの社会のエリートたちのほとんどは、人口

の大半を悩ませている問題――犯罪、ホームレス、粗末な学校――から切り離されて生活

していないのか。最後に、すべての人びとが可能な限り十全に自分たちの能力を発達させ

る機会をもつことを保証するために、われわれの社会は何ができるのか。

論争は続いている。

1.「一般的な知能」のようなものがあると思いますか。なぜそう思うのですか、あるい

はなぜそう思わないのですか。

2.平均的にみて、富裕な人びとは、社会的地位の低い人びとよりも知能が高いと思いま

すか。もしそうであるなら、どのような要因が知能の原因になっているのかを、われわれ

はどうやって知るのでしょうか。

3.社会科学者は、その結果が社会的不平等を正当化する可能性がある場合に、人間の知

能における違いのような問題を研究すべきであると思いますか。なぜそう思うのですか、

あるいはなぜそう思わないのですか。

出典)Herrnstein and Murray(1994), Jacoby and Glauberman(1995), and Arrow, Bowles, andDurlauf(2000)。********************************************************************************