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「油脂のおいしさと科学 メカニズムから構造・状態、調理・加工まで」(2016年8月8日 株式会社エヌ・ティー・エス 刊) 明治大学  日下 舞 明治大学  中村 卓 第 2 節 口どけとテクスチャー 第 1 編 油脂おいしさの基礎 第 2 章 構造・状態・現象とおいしさ

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Page 1: 第2節 口どけとテクスチャー - 明治大学foodeng/KD2016.pdf33 第2章 構造・状態・現象とおいしさ 1 テクスチャー(食感)における口どけの位置づけ

「油脂のおいしさと科学 メカニズムから構造・状態、調理・加工まで」(2016年8月8日 株式会社エヌ・ティー・エス 刊)

明治大学  日下 舞明治大学  中村 卓

第 2節 口どけとテクスチャー

第 1編 油脂おいしさの基礎

第 2章 構造・状態・現象とおいしさ

Page 2: 第2節 口どけとテクスチャー - 明治大学foodeng/KD2016.pdf33 第2章 構造・状態・現象とおいしさ 1 テクスチャー(食感)における口どけの位置づけ

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第2章 構造・状態・現象とおいしさ

■ 1 テクスチャー(食感)における口どけの位置づけ

 テクスチャー(Texture)はラテン語の織る(texo)を語源とし,本来は織物(textile)の

風合い・質感を意味する。さらに,芸術面でも絵画や詩の質感としても使われてきた。Food

Texture は 1960 年代米国 Szczeniak,英国 Sherman らにより食品の質感を表す言葉として提唱

された1)‒3)。現在,ISO(国際標準化機構)では「力学的・触覚的および適切であれば視覚的・聴

覚的な方法で感知できる食物のレオロジー的(変形と流動)・構造的(幾何学的および表面的)

属性の総体」と定義している4)。最も近い日本語訳として「食感」が使われる。食感では視覚は

含まず,口腔で感じる質感として使われている。人間の知覚サイドからはMouthfeel,食品の属

性サイドからはTexture が使われ,食感は両方の意味を含むと考えられる。しかし,研究者に

よって考え方に微妙な差がある。

 テクスチャー(食感)を表現する言葉の数は言語によって異なる。フランス語 226 語,中国語

144 語,英語 77 語と比べて,日本語では非常に多く,早川らによって 445 語が取り上げられ,

日本語テクスチャー用語体系として整理されている5)7)。それに基づいて表 1に項目を示した。

テクスチャー用語は 445 語で,大分類 3,中分類 15,小分類 64 に分類されている。大分類であ

る力学的特性(mechanical attribute),幾何学的特性(geometrical attribute),その他の特性

(other attribute)は,ISO11036 Texture Profile の 3 要素と対応している。この分類では,大

分類において用語の重複を許しており,2つ以上の大分類に属している用語が 69 個ある。なか

でも,「クリーミー」と「口どけが良い」の2個は大分類3つのすべてにリストアップされている。

具体的に「口どけ」は,表 1の中の「1力学的特性(308) 1.6.3 流れやすさと濃厚感(15) 口

どけがよい。2 幾何学的特性(135) 2.3.3 なめらかさと口どけ(3) 口どけがよい。3 その他

の特性(油脂と水)(73) 3.1.2 口どけ(3) 口どけがよい」の 3か所にまとめられている。「口

どけが良い」は「おいしさ」を表現する複数の食品属性を統合する用語として使われていると考

えられる。

第2節 ‌‌口どけとテクスチャー

明治大学 日下 舞  明治大学 中村 卓

第2章 構造・状態・現象とおいしさ

第Ⅰ編 油脂おいしさの基礎

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第Ⅰ編 油脂おいしさの基礎

■ 2 口どけの解析と定義

 統合的な食感を分解して具体化するためには,咀嚼部位と時間経過に分解する必要がある。図1

に基本的な考え方を示した。時間軸は,第一咀嚼(一噛み目),第二咀嚼以降と嚥下の 3期に分

けて考えられる。食品を破壊するために使う口腔部位は歯(切歯・臼歯)と舌/口蓋の 2か所あ

る。食品が大きい場合切歯を使い噛み切る。食品のかたさによって臼歯と舌/口蓋を無意識に使

い分けている(舌や唇よりもかたい場合は(104 Pa・s 以上)歯を使う)。歯を使う場合,食感は,

第一咀嚼におけるかたさ(弾性)の比重が高い。さらに,単にある人が「かたい」と言っても第

一咀嚼の前半(噛み初め)のかたさなのか第一咀嚼の後半(噛みしめた)のかたさなのかは食品

の種類や評価した人によって異なるため,時間軸を特定する必要がある。舌/口蓋を使う場合は,

基本的にやわらかいので,「ねばり」の要素が大きくなる。特に,第二咀嚼以降(破壊以降)の

流動性と均一性が「口どけ」食感にとって重要である。やわらかいほど・流動し易いほど・均一

なほど口どけが速いと感じる。このやわらかさ・流動は力学的特性,均一は幾何学的特性を反映

している。さらに,食塊の形成には唾液と体温の影響を考慮する必要がある。

 おいしさの表現としての「口どけ」を考える場合,その意味を特定する必要がある(図 2)。

「口どけ」を漢字で表現すると「解け・融け・溶け」と微妙に意味が異なる。「解ける」は塊がゆ

るくほぐれる。「融ける」はその物自体が固体から液体へ変化する。「溶ける」は固体が液体に同

化する。具体的にどの意味で「口どけ」を使っているのかを時間軸と部位に沿って解析すると少

表 1 日本語テクスチャー用語体系の分類

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第2章 構造・状態・現象とおいしさ

なくとも 5種類のとける現象に分けて考える必要がある(図 2中;解 1・融・溶・解 2・無)。例

えば,咀嚼により食品の塊が砕け解ける(解 1)。氷や固形脂の結晶が体温で融ける(融)。油が

唾液と混じる(乳化し唾液と同化して溶ける(溶))。食塊が崩れ易い=解ける(解 2)。嚥下後

口腔内からなくなる=とける(無)。食品によって個別に考える必要があるが,破壊後の力学特

性(流動性)・幾何学特性(均一性)・脂肪に注目する点は共通である。具体的には,パンやケー

キの様な乾燥食品(低水分)では唾液と混じりあった食塊が解けずに「クチャつく」食感がない

意味での口どけが求められる。チョコレートやアイスクリームの様な結晶を含む固体食品では,

体温でサッと融ける口どけ,唾液に溶けて広がる濃厚な口どけ,最終的に口腔内からなくなる口

どけを感じる。ヨーグルトやゼリーの様なゲル状食品では,口に入れるとやわらかくすぐ崩れて

広がり,なめらかな舌触り,適度なねばりと濃厚さがある,「とろ~り」とした口どけ感が求め

られている。このように,食品の種類すなわち破壊の過程の違いによって,口どけが「よい」の

意味は異なると考えられ,個別の開発事例において具体化することが重要である。

 現在の食品開発では,知覚レベルに近い食感表現(かたい・やわらかい)ではなく,おいしさ

を示す感性的な食感表現(もちっ・もちもち・もっちり/とろっ・とろとろ・とろり・とろ~り

などの擬態語・擬音語(オノマトペ表現))の実現が求められている。そのためには,おいしさ

を表現する感性的な食感表現を具体的に制御可能な食品属性に見える化する必要がある。すなわ

ち「構造と物性からの食感の見える化」が必要である。人の感覚を数値化する官能評価には嗜好

型と分析型がある。特に,感性的な評価を知覚レベルの評価と関連づけるためには分析型官能評

価を行なう必要がある。なかでも,質と強度を評価する方法としてQDA(定量的記述分析)が

行なわれてきたが,強度に時間軸を導入したTI(時間強度),質を時系列で評価するTDS(優

勢(検出)感覚の時系列変化)がパーソナルコンピュータソフトウェアを用いて行なわれてい

る8)。今後は,時間軸に加えて咀嚼部位(歯/舌)も意識化する必要がある(図 3)。

図 1 咀嚼過程の流れ 図 2 口どけの種類と咀嚼過程における位置づけ

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第Ⅰ編 油脂おいしさの基礎

■ 3 ‌口どけを食品構造の破壊過程から見える化する

 おいしい食感を食品構造の破壊過程か

ら解析するプロセスを図 4に示した。

 ①  「もちもち」「口どけよい」のよう

なおいしい食感の感性表現を口腔

内の使用部位と時間経過について

知覚レベルで官能評価し感性表現

を意識化する。

 ②  適当な機器による破壊モデルを選

択し力学物性を測定し,同時に破

壊途中の構造を観察し,破壊メカ

ニズムを明らかにする。

 ③  この破壊メカニズムを考慮し,得

られた破壊構造と力学物性と官能評価の結果を組み合わせ,共分散統計処理して,感性表

現を構造と物性により具体的かつ客観的に見える化する。

 実際の食品であるプリンとヨーグルトについて,破壊による構造と粘弾性の変化を調べた結果

の例を具体的に示す。

 プリンは唇や舌よりも柔らかいため,咀嚼時には歯で噛むのではなく,舌と口蓋で押しつぶ

す。そのため,最も単純な破壊モデル系として,平板型治具を用い,垂直圧縮時の破壊過程での

視覚化・数値化を試みた。市販プリンで破断強度試験での応力-歪曲線の異なる 3つのグループからA,B,Cを選んだ。それらの未破壊構造について走査型電子顕微鏡を用いた筆者らの観察

結果を図 5に示した。

 低歪率で破断するプリンAについて,様子の異なる 2か所を拡大すると,右に示した多糖類

と思われる繊維状のネットワーク

と,左に示した球状のタンパク質が

房状に凝集体を形成している様子が

観察され,多糖類相とタンパク質

リッチ相に分かれた相分離構造を持

つ事が明らかとなった。高歪率で破

断する B では,球状のタンパク質

がひも状のストランド構造を形成

し,300 nm~1 µm程度の大きな間隙構造が観察された。破断を示さな

い C では,球状のタンパク質がぶ

どうの房状のランダム凝集体を形成

していた。相分離構造を示した A

図 3  時間軸と口腔部位を考慮した質と強度の官能評価方法

図 4 おいしい食感の感性表現を食品属性から見える化

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第2章 構造・状態・現象とおいしさ

の破壊構造について筆者らの観察結果を図 6に示した。ゲルの表面に発生した亀裂を拡大する

と,1万倍で球状のタンパク質分子と繊維状の多糖類の間で亀裂が蛇行して発生している様子が

観察された。

 以上の観察結果より,プリンの破壊による亀裂は球状のタンパク質と繊維状の多糖類の界面で

図 5 市販プリン 3種類の走査型電子顕微鏡観察像A低歪率で破断するプリン B高歪率で破断するプリン C破断を示さないプリン

図 6 走査型電子顕微鏡によるプリンの破壊による亀裂構造の観察

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第Ⅰ編 油脂おいしさの基礎

発生していることが明らかとなった。さらに,B,Cについても破壊構造を観察した結果,壊れ

方が異なっていることが明らかとなり,この破壊の様子が食感の官能評価に反映された。例え

ば,口どけは,応力ひずみ曲線の破断点の有無と関係があると考えられた。Aが破断点を生じ

たのは,相分離の界面から亀裂が発生したためと考えられた。Bが高歪で破断点を生じたのは,

変形に対してひも状のネットワークが伸び,応力が蓄えられた後,一度にネットワークが破壊し

たためと考えられた。また,Cで明確な破断点を生じなかったのは,ぶどうの房状のランダム凝

集体間で細かい亀裂が多数入ったためと考えられた。以上のように,ざらつきは破片の大きさと

関係があり,細かい亀裂が多数形成されると,小さな破片を生じ,ざらつきを感じにくく,口ど

けがよいことが明らかとなった9)。

 市販ヨーグルトの中から官能評価で口どけに有意差が見られた Rと L(口どけよい)を分析

した。未破壊,80%圧縮破壊,撹拌破壊したヨーグルトについて動的粘弾性歪スイープ測定を

行った。その結果を図 7に,横軸をOSC-Stress,縦軸を複素粘度(η*)で示した。歪が大きくなると複素粘度が一定で OSC-Stress が増加するが,ある歪以上で複素粘度が減少し OSC-Stress は増加しなくなった。未破壊では Lの方の値が小さかった。撹拌破壊後では Lと Rが一

致した。80%圧縮破壊では Lは複素粘度が減少し始めてもOSC-Stress が増加した(図中矢印)。口どけの良い Lの方がより低い複素粘度,OSC-Stress で破壊し始めるが,80%圧縮破壊したあとは相対的に緩やかに変化することから,変形で流れやすいが緩やかに変化することがヨーグル

トの口どけのよさに必要であると考えられた。

[文 献]

1) A. S. Szczesniak and D. H. Kleyn: Food Technology, 17, 74 (1963).

2) P. Sherman: Journal of Food Science, 34, 458 (1969).

3) A. S. Szczesniak: Food Quality and Preference, 13, 215-225 (2002).

4) 合谷祥一,テクスチャーとおいしさ,化学と生物,45, 644-649(2007).

5) F. Hayakawa, et al. : Journal of Texture Studies, 44, 140-159 (2013).

6) 早川文代,日本語テクスチャー用語の体系化と官能評価への利用,日本食品科学工学会誌,60, 311-322(2013).

7) https://www.naro.affrc.go.jp/nfri/introduction/files/2013-yougotaikei.pdf

8) R. Di Monaco, et al. : Trends in Food Science & Technology, 38 104-112 (2014).

9) 青山博明,森口奈津美,山田芳,中村卓,おいしい食感と食品構造,食品と科学,54, 59-64 (2012).

図 7 市販ヨーグルトの動的粘弾性歪スイープ測定

10000

1000

100

10

1

0.1

100

10

1

0.1

100

10

00.1

0.1 1 10 100 0.01 0.1 101 100

10

LL

L

R R

R

未破壊

η*

η*

η*

80%圧縮 撹拌

OSC.stress OSC.stress OSC.stress1001