第Ⅴ章 東京オリンピックパラリンピックが 目指すも …...101...

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99 東京オリンピック パラリンピックが 目指すもの 第Ⅴ章 様々な国の国旗 1 スポーツが果たす役割 2 スポーツの振興 3 スポーツ人権と共生社会 4 共生社会と世界平和 5 国際儀礼プロトコール6 ボランティアと社会貢献 7 震災復興と東京大会 8 未来へ

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東京オリンピック・パラリンピックが目指すもの

第Ⅴ章

様々な国の国旗

1 スポーツが果たす役割 2 スポーツの振興 3 スポーツ、人権と共生社会 4 共生社会と世界平和 5 国際儀礼(プロトコール) 6 ボランティアと社会貢献 7 震災復興と東京大会 8 未来へ

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Ⅴ1スポーツを通して健康な心と体を作り、生活を豊かにすることができます。スポーツによる

国際的な交流を通して、国際平和に貢献することもできます。

スポーツが果たす役割

❖ スポーツは生活を豊かにする

人間は、スポーツを生み出し、長い年月をかけて技術やルール、施設などを工夫しながら育ててきました。スポーツは、国や人種、性別、障害の有無などにかかわらず、生涯にわたって楽しむことができる重要な文化です。スポーツに親しむことは、運動不足の解消やストレスの軽減など

によって健康な心と体を作るばかりでなく、新しい自分との出会い、家族や友人との豊かな交流にもつながります。また、スポーツは若者だけの文化ではなく、生涯にわたって誰でも、いつでもどこでも参加できる活動です。自分の生活や体力に合った楽しみ方を考え、積極的にかかわっていくことで、生涯にわたる豊かなスポーツライフを送ることができます。

ゲートボールを楽しむ高齢者 2012(平成24)年第30回ロンドン大会開会式

スポーツ基本法の前文(一部)スポーツは、世界共通の人類の文化である。

(途中省略)スポーツは、次代を担う青少年の体力を向上させると

ともに、他者を尊重しこれと協同する精神、公正さと規律を尊ぶ態度や克己心を培い、実践的な思考力や判断力を育む等人格の形成に大きな影響を及ぼすものである。

また、スポーツは、人と人との交流及び地域と地域との交流を促進し、地域の一体感や活力を醸成するものであり、人間関係の希薄化等の問題を抱える地域社会の再生に寄与するものである。さらに、スポーツは、心身の健康の保持増進にも重要な役割を果たすものであり、健康で

活力に満ちた長寿社会の実現に不可欠である。スポーツ選手の不断の努力は、人間の可能性の極限を

追求する有意義な営みであり、こうした努力に基づく国際競技大会における日本人選手の活躍は、国民に誇りと喜び、夢と感動を与え、国民のスポーツへの関心を高めるものである。これらを通じて、スポーツは、我が国社会に活力を生み出し、国民経済の発展に広く寄与するものである。また、スポーツの国際的な交流や貢献が、国際相互理解を促進し、国際平和に大きく貢献するなど、スポーツは、我が国の国際的地位の向上にも極めて重要な役割を果たすものである。

トピックス

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それぞれの年代でスポーツが果たす役割について考えてみよう。

学習の扉

❖ スポーツ振興と法律

「スポーツ振興法」は日本初のスポーツの法律として、1961(昭和36)年に制定されました。その後、スポーツ振興法を見直すべきとの声が大きくなり、2011(平成23)年に「スポーツ基本法」が制定されました。同法は、「スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは、全ての人々の権利」であるとし、スポーツが青少年の健全育成、地域社会の再生、心身の健康保持増進、社会・経済の活力の創造、我が国の国際的地位の向上など、国民生活において多面にわたる役割を担うことを明らかにしています。その上で更に、それらを具体化した「スポーツ基本計画」が作られました。

❖ 国際的スポーツ大会の役割

国際的スポーツ大会では、世界各地から観戦に訪れた人々と開催地の人々との交流も生まれます。また、国際的スポーツ大会は、世界中に放映さ

れ、見ている人は、選手が全力で競技する姿を通して、力強い動きや美しいフォーム、巧みなプレーに感動します。そして、勝利を目指して最後まで諦めずに努力すること、ルールに基づいてフェアにプレーすることの大切さなど、スポーツの意義や価値を感じ取ります。

❖ スポーツを通じた世界平和キャンペーン

サッカーのワールドカップで、試合前に選手たちが横断幕を掲げている上の写真は、FIFA(国際サッカー連盟)とUNICEF(国際児童基金)の協力による「人種差別反対キャンペーン」の一コマです。FIFAとUNICEFはこのほかにも「子供の虐待にレッドカード!」キャンペーンなど、子供たちの権利を守るための活動をしています。スポーツを通じて、世界中の視聴者に平和な世界、差別や虐待のない世界を訴えているのです。

多数の観客が集まった2016年リオ大会終了後のパレード 「人種差別にノーと言おう」の横断幕をもつサッカー選手たち

開発と平和のためのスポーツの国際デー2013(平成25)年、国連総会は、近代オリンピッ

クが初めて開催されたアテネ大会開会式の日である4月6日を「開発と平和のためのスポーツの国際デー」と定めました。これに先立つ2008(平成20)年、国連総会は「国連開発と平和のためのスポーツ局

(UNOSDP)」を設置しています。国連事務総長の特別顧問であり、現在、UNOSDP

のトップを務めるウィルフリード・レムケ氏を中心に、国連は開発と平和のためにスポーツを活用することの理解・促進を図っています。レムケ氏は、「夢だけで終わらせず、かなえよう。行動を起こそう。ゴールを決めて、それを達成しよう。逆境や困難に落胆しないで、諦めないで、世界を変えよう。私たちは毎日の実践を通じて、世界を変えることができる。」と若者に向けてメッセージを送っています。

トピックス

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スポーツのもつ力を世界の人々の明日の力に変えるため、様々な取組が行われています。様々な研究・支援機関が、アスリートたちの国際競技力向上を目指して取り組んでいます。

スポーツの振興Ⅴ2

❖ スポーツの力で未来を育てる

「未来を育てようスポーツの力で」日本スポーツ振興センターが発信した、このメッセージは、スポーツのあるべき姿を一言で表現しています。「スポーツの力」とは、スポーツに親しむことで得られる「心と身体の元気」であり、トップアスリートの輝く姿を見て胸に湧き上がる夢や憧れ、そして感動でもあります。また、安心して学校生活を送ることで子供たちが育む明日への力でもあります。これらは、全ての人々にとって、限りない可能性がある未来を育てる力となります。

❖ スポーツを通じた国際交流

「スポーツ」は世界の共通語です。スポーツは世界の共通のルールで行われるため、言葉が違っても、ともに楽しむことができるからです。世界各国にスポーツ用品を贈ったり、指導者を

派遣したり、戦争などで傷ついた国々でスポーツ大会を開催したりする団体があります。これらの団体は、スポーツを通じた支援活動によってその国の人々と交流を深めています。

❖ 「Sport for Tomorrow(SFT)」

Sport�for�Tomorrowは、2014(平成26)年から2020(令和2)年までの7年間で、開発途上国をはじめとする100か国以上・1,000万人以上を対象に、日本国政府が推進するスポーツを通じた国際貢献事業です。この事業は、世界のより良い未来を目指し、スポーツの価値を伝え、オリンピック・パラリンピック・ムーブメントをあらゆる世代の人々に広げていく取組です。このプログラムを着実に実施していくことは、東京2020大会に向けた日本の国際公約の一つでもあります。主な活動は次の通りです。❶  スポーツの価値とオリンピック・パラリン

ピック・ムーブメントの普及のための協力スポーツ関連施設の整備や器材供与(一般文化無償及び草の根文化無償)、スポーツ指導者の派遣(JICAボランティア派遣)、スポーツ分野での日本文化紹介・人材育成支援(国際交流基金事業の専門家の派遣・招へい及び在外公館文化事業)、学校体育カリキュラム・教材の策定支援、スポーツ・イベントの開催支援といったハード・ソフトの両面における支援(実施:外務省及び文部科学省)

我が国で古くから普及している「運動会」を開発途上国で開催することで、コミュニティ活性策と学校体育カリキュラムとしての運動会普及の可能性を検討している。 (写真提供:青年海外協力協会)

柔道を通じて交流できるようにと、世界各国にリサイクル柔道着を贈り、指導を行っている。 (写真提供:NPO柔道ソリダリティ)

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自分たちにできるスポーツを通じた国際交流を考えてみよう。

学習の扉

❷ IOCや国際的な大学間ネットワーク構築による国際スポーツ人材育成体制の構築国際的に活躍するスポーツ関係者を外国人教員

として日本に招へいし、また、各国オリンピック委員会等から将来のスポーツ指導者や国際スポーツ界の核となる人材を受け入れ・養成するための中核拠点を形成(実施:文部科学省)

❸ 国際的なアンチ・ドーピング推進体制の強化支援世界ドーピング防止機構(WADA/P.48参照)等の国際機関や海外の製薬業界等と連携し、アンチ・ドーピング活動を世界的に普及・促進していくための調査・研究及び教育・研修パッケージの開発・導入支援等(実施:文部科学省)

ナショナルトレーニングセンター 体操競技専用の練習場男子6種目、女子4種目の全ての体操種目の練習を同時に行うことが可能な、世界最大規模の専用練習場である。天井や壁面のハイビジョンカメラ等と、併設のテクニカルルーム内の機器を用い、映像分析を行うことができる。

国立スポーツ科学センター 従来のトレーニング体育館ではできなかった特殊なトレーニングや、新たに開発されたトレーニング方法を検証する施設である。

スポーツ振興に携わる国内組織【日本スポーツ振興センター(JSC)】

スポーツの振興と、児童・生徒らの健康保持増進を図るために設立され、「日本にスポーツの力を育む」という使命を果たすために取り組んでいます。

【国立スポーツ科学センター(JISS)】スポーツ科学・医学・情報の各機能が統合された機関

で、最新施設の下、各分野の専門家集団が連携して先端的な研究に取り組み、我が国の国際競技力向上のための支援に努めています。

■スポーツ医・科学支援事業医学、生理学、生化学、バイオメカニクス、心理学、

栄養学など様々な領域の研究成果に基づき、トップレベル競技者の競技力を評価・診断して、データやアドバイスを提供しています。

■スポーツ医・科学研究事業競技団体や国内外の研究者・研究機関などとの連携・

協力を行いながら、国際競技力向上のために役立つ方策を生み出す研究を行っています。■スポーツ診療事業

競技スポーツに通じた専門家が、トップレベル競技者のスポーツ外傷・障害及び疾病に対する診療、アスレティック・リハビリテーション、心理カウンセリング、栄養相談を実施しています。

【ナショナルトレーニングセンター(NTC)】我が国のトップレベル競技者の国際競技力の総合的な

向上を図るトレーニング施設として2008(平成20)年に開設しました。競技別の専用練習場である「屋内トレーニングセンター」、「陸上トレーニング場」、「屋内テニスコート」及び宿泊施設の「アスリート・ヴィレッジ」があり、競技者は継続的に強化活動を行うことができます。

トピックス

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「オリンピック憲章」では、「オリンピズムの根本原則」第6項に「このオリンピック憲章の定める権利および自由はいかなる種類の差別も受けることなく、 確実に享受されなければならない。」と明記されています。しかし、過去の歴史を振り返ると、様々な差別がありました。

スポーツ、人権と共生社会Ⅴ3

2012( 平 成24)年第30回ロンドン大会閉会式

1936年第11回ベルリン大会のジェシー・オーエンス 走り幅跳び

❖ オリンピックにおける「人種差別」

■ジェシー・オーエンスの戦い1936(昭和11)年第11回ベルリン大会は、「人種

差別」をオリンピックにもちこもうとした大会でした。その「人種差別」に真っ向から挑んだのが、陸上競技のアメリカ代表のジェシー・オーエンスです。オーエンスは、ベルリン大会の前年である1935(昭和10)年に世界記録五つと世界タイ記録一つを出し、この時の、走り幅跳びの8m13cmという記録は25年間破られませんでした。オーエンスは、ベルリン大会で100m、200m、

走り幅跳び、400mリレーで4個の金メダルを獲得し、世界中から英雄として仰がれました。しかし、1936年第11回ベルリン大会後、アメリカ本国で馬と競走させられるなどの差別的な扱いを受

けました。オーエンスは、波乱に満ちた人生を送りましたが、1976(昭和51)年に大統領自由勲章を受章し、歴史に名誉ある名を残す人物となっています。

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スポーツに関わる人権問題について調べてみよう。

学習の扉

女性アスリートの目覚ましい活躍2008(平成20)年第29回北京大会陸上競技女子200m予選

2000年第27回シドニー大会の400mで優勝したキャシー・フリーマン

❖ オリンピックへの「女性」参加

初めて女性がオリンピックに参加したのは、1900(明治33)年の第2回パリ大会でした。そのときの参加は僅か22人でした。それから100年以上経過した2012(平成24)年の第30回ロンドン大会では、10,568人中、4,676人が女性選手でした。1994(平成6)年に行われた世界女性スポーツ会

議では、「すべての女性が公平にスポーツに関わることのできるスポーツ文化を構築すること」を目的としたブライトン宣言が採択されました。それを受けて、1996(平成8)年にIOC世界女性スポーツ会議が開催され、選手としてのみならず、スポーツ組織の役員などに女性を増加させ、スポーツにおける女性の地位向上を目指すことが決められました。2012年第30回ロンドン大会では、初めて、各

国に設置されている全ての国内オリンピック委員会(NOC:National�Olympic�Committee)から、女性の選手が参加しました。加えて、初めて全ての競技で男女の競技が開催されました。その後、2014(平成26)年11月に発表された「オ

リンピック・アジェンダ2020」では、提言14にオリンピズムの根本原則第6項を更に強化するよう記され、その結果、2014(平成26)年版の憲章根本原則第6項は、1949(昭和24)年世界人権宣言に記載された差別の形態をすべて含み、更に「性的指向」を加え、改正されました(P.28参照)。

❖ パラリンピックへの「女性」参加

1948(昭和23)年、第14回ロンドン大会の開会式の日に、グットマンがストーク・マンデビル病院で開催したアーチェリー大会(パラリンピックの原点)には、既に女性が参加していました。

❖ 「先住民」選手の活躍

かつてオーストラリアには、アボリジニが50万~100万人ほど住んでいました。アボリジニとは、オーストラリアと周辺の先住民のことです。しかし、イギリスの植民地化が進んだ結果、アボリジニの人口は激減し、1920年頃には7万人ほどになりました。その後、オーストラリア政府の保護政策などにより、1996(平成8)年には約35万人まで回復しています。2000(平成12)年第27回シドニー大会の開会式で最終聖火ランナーを務めたキャシー・フリーマンは、オーストラリア先住民のアボリジニ出身です。陸上競技の400mに出場し、金メダルを獲得しました。彼女の獲得した金メダルは、オーストラリアにとって100個目の金メダルでした。

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東京2020大会は、スポーツのさらなる振興だけでなく、国際相互理解の進展や国際平和の推進にも寄与する、大変意義深い大会になるでしょう。大会を契機に障害者と健常者、外国人と日本人、高齢者と若者が支え合う共生社会を築いていくことが大切です。

共生社会と世界平和Ⅴ4

❖ 共生社会を推進する東京

東京は、2回目のパラリンピック大会を夏季に開催する初めての都市となります。前回の1964(昭和39)年第2回東京パラリンピック大会は、障害者スポーツを発展させる大きな契機となりました。また、高齢社会を形成している東京が、今後どのような社会を作るか、世界が注目しています。目指すべき社会は、年齢や障害の有無にかかわらず、参加できる共生社会です。2020(令和2)年の東京では、高齢者と若者、外

国人と日本人、障害者と健常者などが互いを支え合う共生社会という考え方が更に重要になってくるでしょう。こうした共生社会の考え方を、第16回夏季大会となる東京パラリンピック大会を通じて社会に浸透させ、先進的な取組を海外に発信していくことが大切です。

❖ 全ての人がスポーツを

障害のある人が、スポーツを楽しみ、チャレンジすることは今や特別なことであってはなりません。プロの野球選手やサッカー選手がいるように、プロの車いすテニス選手や陸上競技選手もいます。日本には、世界トップクラスのパラリンピックの選手が数多くいますが、彼らをサポートする環境はまだ十分とはいえません。競技に参加する人が増えれば選手の競技力が向上することはもちろん彼らを応援し、そのスポーツを楽しむ人が増えることで競技の裾野が広がり、選手がより練習に打ち込むことができる環境が整えられます。

伴走者と一緒にマラソン(視覚障害者の部)を走る高橋勇市選手(左)

ノンステップバス

サインを多言語で表示

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障害のある人や外国人が快適に生活できるようにするためには、どのような街づくりが必要か、自分たちでできることは何か話し合い、行動してみよう。

学習の扉

❖ 全ての外国人が快適かつ安心して 滞在できる都市の実現

東京を訪れる外国人旅行者数は、2014(平成26)年には約887万人と、年々拡大しています。しかし、外国語表記の不足等により、移動に不便を感じる外国人旅行者が約4割存在するなど、外国人旅行者が快適に、かつ、安心して滞在できるよう多言語対応の更なる強化が課題となっています。そのため都は、外国人旅行者を含む全ての人々が東京滞在中に、目的地へ円滑に移動できるよう、観光地や駅周辺などにおいて多言語で表記された表示類の整備を進めています。

❖ ノーベル平和賞を受賞したオリンピック選手

オリンピズムの理念を一途に追求するかのように生きた人物がいます。オリンピックのメダリストで、後に政治家・外

交官となってノーベル賞を受賞したフィリップ・ノエル=ベーカー卿(1889-1982年)です。彼は、青年時代に中長距離走の選手として活躍し、1912(明治45)年第5回ストックホルム大会には英国代表選手として、1920(大正9)年第7回アントワープ大会と1924(大正13)年第8回パリ大会には選

手兼監督として出場しました。アントワープ大会では1500mで銀メダルも獲得しています。ケンブリッジ大学卒業後は、第一次世界大戦中に衛生兵として従軍しました。1919(大正8)年に開催されたパリ講和会議ではアメリカのウッドロウ・ウィルソン大統領とともに国際連盟創設に尽くし、1924(大正13)年、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)の国際関係学部教授に就任しました。その後、ウィンストン・チャーチル第二次世界大戦戦時内閣で運輸相、1945(昭和20)年クレメント・アトリー内閣の国務相兼国連代表などを務め、政治・外交の舞台でも活躍しました。第二次世界大戦後の1948(昭和23)年第14回ロンドン大会では、献身的に準備に当たりました。一貫して平和軍縮運動に携わったことが評価され、1959(昭和34)年にノーベル平和賞を受賞しました。受賞後も、彼の姿勢は一貫して変わらず、世界の核軍備に反対し、反核・軍縮活動に取り組みました。日本の広島にも平和運動を推進するために度々訪れています。

1964(昭和39)年10月10日、国立競技場で行われた東京大会の開会式。午後3時を回り、選手宣誓をした体操の小野喬さんは、最後に「オノ、タカシ」と、名字の後に一呼吸置いて名前を告げた。その直後に平和の象徴である8,000羽の鳩が青空へ飛び立った。小野さんの一呼吸が「鳩を放つサイン」だった。

オリンピックのメダリストで、後にノーベル平和賞を受賞したフィリップ・ノエル=ベーカーとレリーフ

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外国政府要人の来日や国際会議の開催など、海外からのお客様を日本に迎える際には、「プロトコール」と呼ばれる国際的な基本儀礼、マナーに基づいた接遇を行っています。「プロトコール」は、政府が行う外交活動や国際交流の様々な場面での基本的なマナーです。

国際儀礼(プロトコール)Ⅴ5

❖ 国際儀礼(プロトコール)とは

国際的な交流の場面では、歴史、文化、言語などの違いから、誤解や不信が生まれやすくなります。相手への敬意と全ての国を平等に扱うことを基本とするプロトコールは、無用な誤解を避け、外交を円滑に進める環境づくりのための知恵として生まれました。その場にいる人々がお互いを認め合い、心地良いコミュニケーションを図るための共通認識が、プロトコールです。

❖ 外国要人が日本に来たら

国と国の関係も実際に動かしているのは人です。二国間関係の発展には、両国の関係者がしっかりとした人間関係、信頼関係を構築していることが重要です。外国要人の訪日は、日本側関係者(場合によっては皇族の方々を含む。)との会合や様々な行事への参加などを通じて日本への理解を深め、友好関係を強化する好機です。外国要人を日本政府が招待する「公式訪問」に

は、招へい者の社会的地位や訪日の目的に応じて、いくつかの枠組みがあります。各国の国王や大統領等の元首が対象となる「国賓」、皇太子や首相、副大統領等が対象となる「公賓」の場合、我が国の内閣総理大臣との首脳会談や会食に加えて、天皇陛下との御会見や宮中晩さんなどの行事が行われます。

国際連合の旗。国際連合は1945(昭和20)年に発足した国際機関。中央にオリーブの枝と北極を中心とした世界地図が描かれている国連旗は、1947(昭和22)年10月の第2回国連総会で採択された。国連が世界的機構であることと、平和の推進を目的とした機関であることがデザインに込められている。いかなる旗よりも優先して取り扱い、上位に掲げることとなっている。

迎賓館赤坂離宮。世界各国の国王、大統領、首相などの国賓、公賓が宿泊し、政財界要人との会談やレセプションを行う。

フランス語が優先して使われる世界最大のスポーツの祭典であるオリンピックの

公用語はフランス語と英語で、フランス語が英語に優先することが定められています。初期のIOC で、クーベルタンを中心にフランス語で話合いが行われたのが伝統として残っているのです。

トピックス

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外国の人々と交流する際に知っておかなければならないマナーにはどのようなことがあるかを調べ、実際に行ってみよう。

学習の扉

❖ 国旗の掲揚

国旗は国の象徴であり、国旗に敬意を表することは国際社会の基本的なマナーです。そこで、外国からのお客様を迎える際など、自国の旗と外国旗のどちらをどこに掲げればよいかが問題となります。そのため、国旗の掲揚についてもプロトコールが存在します。プロトコールの基本は、原則として「右上位」です。日本で賓客をお迎えして両国の国旗を掲揚する場合、日本ではお迎えした相手国の旗を上位と捉えるため、通常右(向かって左)に外国国旗、左(向かって右)に日本国旗を掲揚します。

また、国旗を掲揚する際には、「日本国旗と外国国旗を同時に掲げる場合は国旗の大きさとポールの高さを同一にする。」、「国の象徴である国旗と県や市など団体の旗とは格が異なるため併揚せず、どうしても併揚が必要な場合は、国旗は団体旗より大きく、高い位置で掲揚する。」などのルールがあります。

外国国旗

国旗掲揚のマナーと留意点

○ 国旗が掲揚されるときは、自国・他国に関わらず国旗に対して敬意を表すことが大切である。

○ 国旗の掲揚は本来、日の出から日没までとされているが、学校や会社では始業時刻から終業時刻とするのが一般的である。

○ 国旗は、国家の象徴であるため、破れたり汚れたものを使用しないよう気を付ける。

○ 国旗を扱う場合は、床に置いたり、引きずったりしないように気を付ける。また、上下逆に掲揚しないよう留意する。

○ 相手国の国旗のみを掲揚することは、「占領下」という意味になるので、必ず自国の国旗も掲揚する。

卓上旗のプロトコール

2か国の場合

 ポールを交差させる場合も、向かって左側が外国国旗、右側が日本国旗となる。なお、交差する部分は、外国国旗のポールが手前になる。

外国国旗

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最初のオリンピック・ボランティアは?近代オリンピック第1回目となる1896(明治29)

年アテネ大会から、第11回の1936(昭和11)年ベルリン大会まで、オリンピックは兵役中の若者とボーイスカウトのサポートによって運営されていました。

「オリンピック・ボランティア」という言葉は、1992(平成4)年バルセロナオリンピックのオフィシャルレポートにおいて、初めて正式に定義されました。

トピックス

オリンピック・パラリンピック競技大会は、選手や大会関係者だけではなく、子供から大人まで様々な人の参加によって作られます。東京2020大会に、自分がどのような形で参加できるか考えてみましょう。

ボランティアと社会貢献Ⅴ6

❖ みんなが参加できる東京大会

オリンピック・パラリンピック競技大会開催時には、子供から大人まで様々な人々に参加の機会があります。そこでは、地域スポーツ関係者・学校・商店街・芸術家など、多くの人々の協力がなくてはなりません。また、オリンピック・パラリンピック競技大会

を開催するためには、多くのボランティアの活躍が欠かせません。ボランティアの活動内容は、会場での案内、交通整理、警備のサポート、医療、広報、通信サービス、言語サービス、会場の整理、選手のサポート、観光の案内など様々な場面で運営をサポートすることです。ボランティアの数は、2012(平成24)年の第30回ロンドン大会で約7.8万人でしたが、東京2020大会では約9万人以上が必要と言われています。このように、オリンピック・パラリンピック競

技大会は、選手や大会関係者だけでなく、大勢の国民の参加によって作られます。

❖ ボランティアの役割が重要

2012年第30回ロンドン大会では、ボランティアも大会の一翼を担う参加者だという意味合いを込めて、大会運営のボランティアのことを「ゲームズメーカー」、観光案内のボランティアのことを「チームロンドンアンバサダー」と呼びました。多くの人にとって、自国でのオリンピック・パ

ラリンピック競技大会開催は一生に一度の機会です。観客として競技会場で声援を送るのも大切ですが、一歩踏み込んでボランティアに応募するのも一つの選択肢です。

ボランティアには、特別な技能や資格が必要ないものもあるため、希望すれば誰にでも可能性があります。東京2020大会までは時間があるので、言語サービスボランティアを目指して語学の勉強を始めるなど、新しいことにチャレンジしてみるのもいいでしょう。東京2020大会を目指して、各自がやれること・やってみたいことに取り組むことは、個人の成長に役立つだけでなく、日本全体に活力を生み出します。

2016(平成28)年 リオ大会のボランティア

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オリンピック・パラリンピックを支えるボランティア(過去大会からの例)

【ボランティアの種類(例)】• 運営管理サービス……大会運営の総務全般業務をサポート

• コミュニケーション……競技会場や開始時間など様々な情報を観客や関係者に提供

• エネルギー運営……競技場内の電力とガスの供給管理サポート

• 環境……環境保護やごみのリサイクル方法などの管理及びアドバイス

• 情報テクノロジー……競技結果などを表示するコンピュータ機器やそれらをつなぐネットワークの管理サポート

• 国際関係……国際及び国内オリンピック委員会メンバーの接遇

• 言語サービス……競技役員、選手、VIPなどに対する外国語でのコミュニケーションサポート

• 医療サービス&ドーピングコントロール……選手や関係者、観客に対する医療サービスとドーピングコントロールの運営サポート

• 輸送……選手やコーチ、観客を運ぶバスの運転や駐車場の整理

• オリンピックユースキャンプ……世界の若者たちが参加するオリンピックキャンプの運営サポート

• 報道支援……テレビや新聞など報道関係者のサポート

• 広報……イベント情報の提供など広報全般サポート

• 警備……競技場内外の警備サポート

• 観客案内……競技場内での観客の誘導及び案内

• 競技運営サポート……競技場内やトレーニング場、ウォームアップ場などにおける運営サポート

• テレコミュニケーション……競技場内外の通信及びネットワーク管理

【ボランティアに参加するまでの手順】• 開催2年前/募集開始。

• 共通研修、会場別研修、役割別研修が行われる。

• 数か月前〜数週間前/ユニフォーム、IDカードなどの受け取り。

• 数週間前〜開幕/活動開始。

各自治体のホームページや広報でどのようなボランティアがあるかを調べて、実際に体験してみよう。

学習の扉

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❖ 東京大会ならではの復興支援

東日本大震災は地震・津波・原発事故による複合的な災害であり、被災地域が広範囲に及びました。極めて多数の犠牲者を出すとともに、国民生活にも多大な影響を及ぼしました。国は、一刻も早い復興を成し遂げられるよう、被災地に寄り添いながら、果断に復興事業を実施するための組織として、内閣府に復興庁を設置し、震災復興に取り組んできました。東京都では、東日本大震災復興の一環として、オリンピック・パラリンピック競技大会の開催及び準備期間における32の被災地支援策を計画しています。この計画は、東京都招致委員会のメンバーでもあった岩手・宮城・福島の東北3県の知事と東京都が合同で開催した復興専門委員会により決定されました。オリンピックに関わる被災地への主な支援策として、以下の5点があります。⑴  サッカー会場……被災地の復興支援の一環としてサッカーの予選会場で宮城スタジアムを使用する。

⑵  聖火リレー……被災地の住民が参加して三陸海岸沿岸をリレーする。

⑶  事前キャンプの誘致……大会開催前における各国の事前合宿地として東北地方を中心に提供する。

⑷  文化プログラム……被災地の中高生が大会の式典や文化イベントに積極的に参加する。

⑸  イベントの開催……大会期間中に東北を紹介するイベントを都内各地で開催する。

「地域のたから」民俗芸能承継公演事業(ふるさとの祭り 2016 in 白河)

東京2020大会のサッカー予選で会場として使われる宮城スタジアム

「オリンピックデー・フェスタ in いしのまき」〈2015(平成27)年8月8日 宮城県石巻市〉

2011(平成23)年3月11日に東日本大震災が起き、日本は世界中から励ましや支援を受けました。東京2020大会を通して、災害から復興した日本を全世界に示すことが何よりの返礼となり、世界平和に向けたリレーションシップの創出につながります。

震災復興と東京大会Ⅴ7

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❖ 日本オリンピック委員会(JOC)の取組とIOCの「TSUBASA」サポートプロジェクト

国全体で震災復興に取組んでいる中、JOCは、 これまで多くの国民に支えられてきたオリンピック選手(オリンピアン)やアスリート一人一人の強い想いとチカラを“Team�JAPAN”として結集し、JOC「がんばれ!ニッポン!」プロジェクトを立ち上げ、一人でも多くの被災地の方々に“笑顔”が生まれるよう、「オリンピックデー・フェスタ」をはじめとした様々な支援を展開しています。また、JOCは、IOC(国際オリンピック委員会)からの「TSUBASA」サポートプロジェクトの支援を受け、東日本大震災の被災県に在籍する将来を担う若手選手にオリンピックを身近に体験する機会を提供し、今後のスポーツ活動に役立てもらうために、オリンピック競技大会などに派遣しました。

TSUBASAプロジェクト・インスブルック出発時

東京2020大会を契機に震災復興に向けて、自分たちがどのように関われるか考えてみよう。

学習の扉

オリンピックと復興-世界への重要なメッセージ-

1923(大正12)年9月に発生した関東大地震は、関東一円に甚大な被害をもたらしました。この時、多くの国々から日本政府に対し、義援金や医療物資等の提供がありました。

1940(昭和15)年、東京で開催されることになっていた第12回オリンピック競技大会は、戦争のため返上されましたが(P.70参照)本来は、関東大震災からの復興を示す大会になる予定でした。

1964(昭和39)年第16回東京大会は、焼け野原となった東京からの復興を世界にアピールする大きな機会となりました(P.72参照)。

そして、2020(令和2)年第32回東京大会は、東日本大震災からの復興を示すとともに世界各国からの支援に対する返礼の意味をもつ大会となります。

トピックス

第1回ユースオリンピック冬季競技大会〈2012(平成24)年インスブルック 視察団感想文から〉 大震災の影響で日本、東北は自然の恐ろし

さを知りました。誰のせいにもできないので、

その悔しさを誰にもぶつけられません。しか

し、大震災を受ける前の状態に戻すのは私た

ち人の力だと思います。元気がなければ行動

は起こせません。私は今回の大会を視察して

スポーツのもたらす力、それは「笑顔」=「平

和」だと思いました。平和な日々を取り戻す

ために、幅広いスポーツ活動を通して人々に

笑顔を与えられるようになりたいと思いまし

た。本当にありがとうございました。

※ 視察団は、東日本大震災の被災県において冬季競技に取り組む中学生で構成

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Ⅴ8東京2020大会に自分がどう関わるか、その経験を未来にどう生かすかを考えましょう。

未来へ

❖ 世界中から人が集まる オリンピック・パラリンピック

オリンピック・パラリンピックの大きな魅力は、世界一を競う競技大会であるということです。しかし、競技だけが大会の全てではありませ

ん。大会の期間中、開催都市では街中で選手や観客を歓迎する様々な文化プログラムやイベントが開催され、国際交流が盛んに行われます。また、競技会場となるエリアだけでなく、その周辺や各地に多くの練習会場や事前合宿地が設けられ、歓迎と交流の機会が生まれます。世界中からやって来る観客は競技を見るだけでなく、各地を訪れ、観光や交流を楽しむことでしょう。

❖ 未来に向かうオリンピック・パラリンピック

オリンピック・パラリンピックに参加する機会はいろいろあります。東京2020大会に選手として出場する高校生もいるでしょう。また、選手としてではなく、ボランティアとして参加する方法もあります。オリンピック・パラリンピックには、様々なボランティアが必要です。今から身近なスポーツ大会や障害者施設等でボランティアをしたり、外国語を学んだりすることは、皆さんの将来に役立ちます。東京2020大会には選手だけでなく、多くの観光客が来日します。その人たちとの交流も生まれるでしょう。東京2020大会までに、自分は何をすべきか、考えてみましょう。

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M E M O

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近代オリンピックの歩み

年 夏季大会日本の

メダル数 冬季大会日本の

メダル数 社会の主な出来事金 銀 銅 金 銀 銅

1894 パリ・アスレティック会議 日清戦争(~ 1895)

1896 第1回アテネ大会 ― ― ―

1900 第2回パリ大会・女子選手が初めて参加

1904 第3回セントルイス大会 ― ― ― 日露戦争(~ 1905)

1908 第4回ロンドン大会 ― ― ―

1912 第5回ストックホルム大会・日本人選手が初めて参加 0 0 0

1914 第一次世界大戦(~ 1918)

1916 第6回ベルリン大会中止

1920 第7回アントワープ大会・日本人選手が初のメダル獲得 0 2 0

1923 関東大震災

1924 第8回パリ大会 0 0 1第1回シャモニー・モンブラン大会・初めての単独開催

― ― ―

1928第9回アムステルダム大会・日本人選手が初の金メダル   獲得

2 2 1第2回サンモリッツ大会・  日本選手が冬の大会に初めて参加

0 0 0

1932 第10回ロサンゼルス大会 7 7 4 第3回レークプラシッド大会 0 0 0

1936 第11回ベルリン大会・初めて聖火リレーを行う。 6 4 10 第4回ガルミッシュ・パルテンキルヘン大会 0 0 0

1937 日中戦争(~ 1945)

1939 第二次世界大戦(~ 1945)

1940 第12回東京大会返上     ヘルシンキ大会中止 札幌大会返上

1941 太平洋戦争(~ 1945)

1944 第13回ロンドン大会中止 コルチナ・ダンペッツオ大会中止

1945

広島・長崎に原子爆弾が投下される。日本がポツダム宣言を受諾国際連合発足

1946 日本国憲法公布

1948 第14回ロンドン大会 ― ― ― 第5回サン・モリッツ大会 ― ― ―

1951 サンフランシスコ平和条約

1952 第15回ヘルシンキ大会・日本人選手が16年ぶりに参加 1 6 2 第6回オスロ大会 0 0 0

1956第16回メルボルン大会・ストックホルム大会 (馬術競技)・欧米以外で初の開催

4 10 5第7回コルチナ・ダンペッツオ大会・  日本人選手が冬季大会で初のメダル獲得

0 1 0

1960 第17回ローマ大会 4 7 7 第8回スコーバレー大会 0 0 0 日米安全保障条約改定

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年 夏季大会日本の

メダル数 冬季大会日本の

メダル数 社会の主な出来事金 銀 銅 金 銀 銅

1964 第18回東京大会・アジアで初の開催 16 5 8 第9回インスブルック大会 0 0 0 東海道新幹線開通

1968 第19回メキシコシティ大会 11 7 7 第10回グルノーブル大会 0 0 0

1972 第20回ミュンヘン大会・  選手村銃撃事件 13 8 8 第11回札幌大会 1 1 1 沖縄が日本に復帰

1973 石油危機

1976 第21回モントリオール大会 9 6 10 第12回インスブルック大会 0 0 0

1979 ソ連がアフガニスタンに侵攻

1980

第22回モスクワ大会・  ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議し、アメリカ、日本などがボイコット

― ― ― 第13回レークプラシッド大会 0 1 0

1984

第23回ロサンゼルス大会・  前大会の報復としてソ連などがボイコット・  民間資本導入で収支決算が大幅黒字になる。

10 8 14 第14回サラエボ大会 0 1 0

1988 第24回ソウル大会 4 3 7 第15回カルガリー大会 0 0 1

1990 東西ドイツ統一

1991 ソ連崩壊

1992 第25回バルセロナ大会 3 8 11 第16回アルベールビル大会 1 2 4

1993 EU(ヨーロッパ連合)発足

1994 第17回リレハンメル大会・冬季大会の開催年変更 1 2 2

1995 阪神・淡路大震災

1996 第26回アトランタ大会 3 6 5

1997 地球温暖化防止京都会議

1998 第18回長野大会 5 1 4

2000 第27回シドニー大会 5 8 5

2001 アメリカで同時多発テロ

2002 第19回ソルトレークシティ大会 0 1 1

2004 第28回アテネ大会 16 9 12

2006 第20回トリノ大会 1 0 0

2008 第29回北京大会 9 6 10

2010 第21回バンクーバー大会 0 3 2

2011 東日本大震災

2012 第30回ロンドン大会 7 14 17

2014 第22回ソチ大会 1 4 3

2016 第31回リオ大会 12 8 21

2018 第23回平昌大会 4 5 4

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過去のオリンピック競技大会のポスター夏季大会

1896(明治 29)年 第 1回アテネ大会

(ギリシャ)

1928(大正 15)年 第 9 回 アムステルダム大会

(オランダ)

1900(明治 33)年第 2 回 パリ大会

(フランス)

1932(昭和 7)年 第 10 回 ロサンゼルス大会

(アメリカ合衆国)

1904(明治 37)年第 3 回 セントルイス大会

(アメリカ合衆国)

1936(昭和 11)年 第 11回 ベルリン大会

(ドイツ)

1940(昭和 15)年第 12 回東京大会(日本)返上

1908(明治 41)年第 4 回 ロンドン大会

(イギリス)

1912(大正元)年第 5 回 ストックホルム大会

(スウェーデン)

1952(昭和 27)年 第 15 回 ヘルシンキ大会

(フィンランド)

1956(昭和 31)年 第 16 回 メルボルン大会

(オーストラリア)

1924(大正 13)年 第 8 回 パリ大会

(フランス)

1960(昭和 35)年 第 17 回 ローマ大会

(イタリア)

1992(平成 4)年 第 25 回 バルセロナ大会

(スペイン)

1972(昭和 47)年 第 20 回 ミュンヘン大会

(西ドイツ)

2008(平成 20)年 第 29 回 北京大会

(中華人民共和国)

1976(昭和 51)年 第 21回 モントリオール大会

(カナダ)

2012(平成 24)年 第 30 回 ロンドン大会

(イギリス)

2016(平成 28)年第 31回 リオ大会

(ブラジル)

1980(昭和 55)年 第 22 回 モスクワ大会

(ソビエト連邦)

1984(昭和 59)年  第 23 回 ロサンゼルス大会

(アメリカ合衆国)

1988(昭和 63)年 第 24 回 ソウル大会(大韓民国)

1964(昭和 39)年 第 18 回 東京大会(日本)

1996(平成 8)年 第 26 回 アトランタ大会

(アメリカ合衆国)

1968(昭和 43)年 第 19 回 メキシコシティ大会

(メキシコ)

2000(平成12)年第27回 シドニー大会(オーストラリア)

1948(昭和 23)年 第 14 回 ロンドン大会

(イギリス)

1920(大正 9)年 第 7 回 アントワープ大会

(ベルギー)

2004(平成16)年第28 回 アテネ大会(ギリシャ)

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※国名・地名は、開催当時のもの

冬季大会

1924(大正 13)年 第 1回 シャモニー・モンブラン大会

(フランス)

1964(昭和 39)年 第 9 回インスブルック大会

(オーストリア)

1928(昭和 3)年 第 2 回サン・モリッツ大会

(スイス)

1968(昭和 43)年 第 10 回グルノーブル大会

(フランス)

1932(昭和 7)年 第 3 回レークプラシッド大会

(アメリカ合衆国)

1972(昭和 47)年 第 11回札幌大会(日本)

1976(昭和 51)年 第 12 回インスブルック大会

(オーストリア)

1980(昭和 55)年 第 13 回 レークプラシッド大会

(アメリカ合衆国)

1936(昭和 11)年 第 4 回 ガルミッシュ・パルテンキルヘン大会

(ドイツ)

1984(昭和 59)年 第 14 回 サラエボ大会

(ユーゴスラビア)

1948(昭和 23)年 第 5 回サン・モリッツ大会

(スイス)

1988(昭和 63)年 第 15 回 カルガリー大会

(カナダ)

1992(平成 4)年 第 16 回 アルベールビル大会

(フランス)

1952(昭和 27)年 第 6 回オスロ大会

(ノルウェー)

1956(昭和 31)年 第 7 回 コルチナ・ダンペッツオ大会

(イタリア)

1960(昭和 35)年 第 8 回 スコーバレー大会

(アメリカ合衆国)

1994(平成 6)年 第 17 回 リレハンメル大会

(ノルウェー)

2006(平成 18)年 第 20 回 トリノ大会

(イタリア)

2010(平成 22)年 第 21回 バンクーバー大会

(カナダ)

2014(平成 26)年 第 22 回 ソチ大会(ロシア)

1998(平成 10)年 第18回 長野大会(日本)

2002(平成 14)年 第 19 回 ソルトレークシティ大会

(アメリカ合衆国)