破産状態の米国ベンチャー企業をめぐる 法的リスクとその管理 ... · 2020....

6
はじめに 新型コロナウイルスの広まりに伴い、近年先進国 の中で経済が比較的好調であった米国が突如、極端 な不景気に陥ってしまった。このような状況下で、 ベンチャー企業の資金調達は、ほんの数カ月前と比 べても非常に困難となっており、破産状態に迫って いる企業数が急上昇している。この唐突に変化した 環境下では、日系企業を含む投資家や日系ベン チャーファンド、米国ベンチャー企業と商取引を行 う事業者(以下「取引相手」という)が、財務状況の 悪化した米国ベンチャー企業をめぐる法的リスクと その管理対策を以前より真剣に考慮すべきであろう。 もちろん、企業が破産しそうになれば会社法、契 約法や倒産法など多岐にわたる法的分野のリスクが 発生し、多様なリスクが絡み合うことでさらなる複 合的なリスクが生じるため、本稿で包括的な説明と 分析を提供できるわけではない。ここでは、日系の 投資家や取引相手が認識すべきリスクのいくつか、 そして米国の市場でよく見るそのリスクへの対策を 簡潔に説明していきたい。本稿がリスク管理をめぐ る戦略立ての参考になれば幸いである。 市場慣行の背景と一般的な法的リスク ⑴ 破産状態の米国ベンチャー企業が選ぶ 対応措置 破産状態の米国ベンチャー企業におけるリスクを 管理するには、まずはそのベンチャー企業が財務状 況の悪化の際に実施することの多い対応措置を理解 する必要がある。なぜなら、対応措置によりリスク が大きく変わってくるからだ。 では、アメリカでは破産に直面するベンチャー企 業はどのような対応措置を実施するのだろうか。簡 単にまとめると、下記のいずれかを選ぶのが一般的 である。詳細は3で説明する。 ① 追加的な資金調達 ② 資産売却、事業譲渡、企業売却など ③ Assignment for the Benefit of Creditors (債 権者のための財産譲渡、以下「ABC」という) ④ 破産申請 ⑤ 任意的解散(ABCや破産申請をせずに企業を解 散) ⑵ 法的背景 上記①〜⑤の行為にかかるリスクはアメリカの連 邦法だけではなく、州法にも影響される。アメリカ ではデラウェア州のコーポレーションとして設立さ れるベンチャー企業が圧倒的に多いため、通常、米 国ベンチャー企業に適用される会社法はデラウェア 州のGeneral Corporation Lawとなる。 ベンチャー企業の創業者がデラウェア州を選ぶ理 由はいくつもあるが、主なポイントとして National Venture Capital Association(米国ベンチャーキャ ピタル協会、以下「NVCA」という)が雛形として無 料提供しているシリーズ A 投資契約書やシリーズ A定款等は、投資先がデラウェア州のコーポレー ションであることを前提にしており、この雛形書類 がマーケットの基準になっているからだといえる。 原則としてデラウェア州法人にしか投資しないとす るベンチャーファンドも少なくない。その結果、ベ ンチャーファンドからの投資を目指すスタートアッ プの大多数がデラウェア州のコーポレーションと なっている。 1 2 20 No.11702020.5.15NBL 特集 新型コロナウイルス感染症への実務対応 Feature 破産状態の米国ベンチャー企業をめぐる 法的リスクとその管理対策 外国法事務弁護士(米国ニューヨーク州法) 慶應義塾大学法務研究科准教授 モンローシェリダン・アーロン・リード A. Reid Monroe-Sheridan

Upload: others

Post on 18-Mar-2021

0 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

はじめに

新型コロナウイルスの広まりに伴い、近年先進国の中で経済が比較的好調であった米国が突如、極端な不景気に陥ってしまった。このような状況下で、ベンチャー企業の資金調達は、ほんの数カ月前と比べても非常に困難となっており、破産状態に迫っている企業数が急上昇している。この唐突に変化した環境下では、日系企業を含む投資家や日系ベンチャーファンド、米国ベンチャー企業と商取引を行う事業者(以下「取引相手」という)が、財務状況の悪化した米国ベンチャー企業をめぐる法的リスクとその管理対策を以前より真剣に考慮すべきであろう。

もちろん、企業が破産しそうになれば会社法、契約法や倒産法など多岐にわたる法的分野のリスクが発生し、多様なリスクが絡み合うことでさらなる複合的なリスクが生じるため、本稿で包括的な説明と分析を提供できるわけではない。ここでは、日系の投資家や取引相手が認識すべきリスクのいくつか、そして米国の市場でよく見るそのリスクへの対策を簡潔に説明していきたい。本稿がリスク管理をめぐる戦略立ての参考になれば幸いである。

市場慣行の背景と一般的な法的リスク

⑴  破産状態の米国ベンチャー企業が選ぶ 対応措置

破産状態の米国ベンチャー企業におけるリスクを管理するには、まずはそのベンチャー企業が財務状況の悪化の際に実施することの多い対応措置を理解する必要がある。なぜなら、対応措置によりリスクが大きく変わってくるからだ。

では、アメリカでは破産に直面するベンチャー企

業はどのような対応措置を実施するのだろうか。簡単にまとめると、下記のいずれかを選ぶのが一般的である。詳細は3で説明する。

① 追加的な資金調達② 資産売却、事業譲渡、企業売却など③ Assignment for the Benefit of Creditors(債

権者のための財産譲渡、以下「ABC」という)④ 破産申請⑤ 任意的解散(ABCや破産申請をせずに企業を解

散)⑵ 法的背景上記①〜⑤の行為にかかるリスクはアメリカの連

邦法だけではなく、州法にも影響される。アメリカではデラウェア州のコーポレーションとして設立されるベンチャー企業が圧倒的に多いため、通常、米国ベンチャー企業に適用される会社法はデラウェア州のGeneral Corporation Lawとなる。

ベンチャー企業の創業者がデラウェア州を選ぶ理由はいくつもあるが、主なポイントとしてNational Venture Capital Association(米国ベンチャーキャピタル協会、以下「NVCA」という)が雛形として無料提供しているシリーズA投資契約書やシリーズA定款等は、投資先がデラウェア州のコーポレーションであることを前提にしており、この雛形書類がマーケットの基準になっているからだといえる。原則としてデラウェア州法人にしか投資しないとするベンチャーファンドも少なくない。その結果、ベンチャーファンドからの投資を目指すスタートアップの大多数がデラウェア州のコーポレーションとなっている。

1

2

20 No.1170(2020.5.15)NBL

特集 新型コロナウイルス感染症への実務対応Feature

破産状態の米国ベンチャー企業をめぐる法的リスクとその管理対策外国法事務弁護士(米国ニューヨーク州法)慶應義塾大学法務研究科准教授

モンローシェリダン・アーロン・リード A. Reid Monroe-Sheridan

⑶  財務状況の悪化した米国ベンチャー企業を めぐる一般的なリスク

ア 金銭的なリスクまず、投資家と取引相手が負う金銭的なリスクは

定款や契約書に強く影響されるので法的リスクの側面も多くあるといえる。アメリカでは、投資先または取引先が財務状況の悪化したベンチャー企業の場合、金銭的なリスクをゼロまで抑えることがほぼ不可能であるため、ある程度のリスクを被る前提で投資・取引をする必要がある。3各節の「概要と特定のリスク」でベンチャー企業の行為により発生する金銭的なリスクの本質をさらに詳しく説明する。イ 取締役の信任義務取締役の信任義務は州法(会社法)で規定されて

いるので、米国ベンチャー企業の場合は通常、デラウェア州法が準拠法となる。デラウェア州法のもとでは、コーポレーションが実際に破産状態に陥れば、債権者が取締役の信任義務違反を追及する代表訴訟を起こす権利を持つこととなる1。このとき、投資家に指名される取締役のリスクがより高まるだろう。投資家の従業員が指名されることも多く、株主である投資家に勤めながら債権者による信任義務違反代表訴訟の対象になりうる。

投資家に指名された取締役の責任リスクを軽減する対策を簡単に三つ取り上げたい。一つ目はベンチャー企業に補償義務を負ってもらうことである。このための条項はNVCAの雛形書類にも含まれている。ただし、当然、破産状態の企業が補償義務を履行できないリスクはあるので、何らかの補足的な対策が必要である。二つ目はその二重的な保護措置として、NVCAのInvestors’ Rights Agreement(投資家権利契約書)の雛形にはベンチャー企業が役員賠償責任保険に加入する義務を負う条項も含まれているので、こちらを保護措置とすることである(さらにベンチャーファンドである投資家はそれと別に自社で保険に加入していることが多い)。最後に、利益相反のリスクが高くなりそうなときに投資家に指名された取締役が辞任することである。ケースバイケースの分析が必要であり、辞任が必ずしも取締役の責任と投資家のリスクを減らすわけではないが、辞任がベストプラクティスとなる場合もある。

⑷ 最も確実と思われるリスク管理方法根本的なリスク対策の一つは財務状況のデュー

ディリジェンスである。デラウェア州法のもとでは資本金や発行済み株式数の登記手続が一切存在しないので、ベンチャー企業に情報を共有してもらい、表明保証を通じて情報の正確性を担保するなどのプロセスがさらに重要となっている。様々な法的リスク対策があるとはいえ、極めて重要な取引の場合には、可能な限り財務状況が健全な企業と取引するのがどの法的措置よりもリスクを軽減するだろう。

上記に加え、日本のベンチャー業界で目にすることの多い株式買取請求権で投資家がリスクを軽減できるのではないか、という発想も浮かぶかもしれない。しかし、アメリカでの一般的なベンチャー投資案件ではそういった条項が設定されることはなく、投資家が要求しても拒否される可能性がとても高い。

米国ベンチャー企業が実施する対応措置の 概要とそのリスク管理

⑴ 追加的な資金調達ア 概要と特定のリスク日本のベンチャー投資家も見慣れているだろう

が、財務状況の悪化した米国ベンチャー企業が資金調達を行うと、既存の優先株式が希薄化されたり、支払優先順位が劣後されたりするリスクが高くなる。既存のエクイティ・デットの再編が資金調達の必要条件とされるケースもあり、調達後にベンチャー企業が破綻した場合、早期段階の投資家が投資を一切回収できないこともある。

デラウェア州のコーポレーションは、定款で別途定めがなく、かつ発行可能株式数を超えない限り、原則として取締役の過半数の決議だけで株式を発行することができる上、新規株式発行の登記などのような手続は存在しない2。そして発行可能株式数の変更は通常、取締役の過半数と株式の過半数を持つ株主の承認だけで足りる3。この法律を背景にしてベンチャー投資家の優先株式が希薄化されるリスクが高まりやすくなる(とはいえ、現在は特別な措置もある。新型コロナウイルスの危機に伴って米国政府が緊急対策として中小企業への借入れ制度などを設けており、特定の条件を満たすと返済義務が免除されるので、このような制度を活用して資金調達できるベンチャー企業は例外的に優先株式の希薄化などを起こさずに追加資

3

1 N.Am.CatholicEduc.ProgrammingFound.,Inc.v.Gheewalla,930A.2d92,101(Del.2007). 2 DelawareGeneralCorporationLaw(以下「DGCL」という),8Del.C.§152. 3 DGCL§242 ⒝.種類株式の発行可能株式数の変更はその種類株式の過半数を持つ株主の承認が必要とされる。

21

特集 新型コロナウイルス感染症への実務対応▶ 破産状態の米国ベンチャー企業をめぐる法的リスクとその管理対策

金を確保できる可能性がある)。イ リスク管理対策追加的な資金調達については特に一つのリスク対

策だけを取り上げたい。詳細は省くが、実質上、エクイティとデットの追加資金調達は、NVCAのシリーズA定款の雛形ではシリーズA優先株式の特定の株式数を有する株主の承認を要するとされ、また、通常はシリーズAのリード投資家の承認、又は場合によるがシリーズA優先株式の過半数を有する投資家の承認がない限り、追加的な資金調達がブロックされる(但し、シリーズB以降ではこの条件の詳細が変わることも多い)。一方、小規模の投資をしている投資家は通常、拒否権を持たないので、リード投資家などに頼らざるを得ない。そのため、リード投資家のレピュテーションを事前に確認するのが重要であろう4。⑵ 資産売却、事業譲渡、企業売却などア 概要と特定のリスク資産売却、事業譲渡、企業売却、合併など売却に

関連する取引には様々な種類があり、リスクを一段落でまとめられないが、共通して問題になりうることを二つ取り上げたい。破産状態のベンチャー企業が買収されると、買収後にベンチャー企業の事業が中止され、資産や人材資源が買収会社の中で戦略的に分配されることが多い。その際、ベンチャー企業の株主は継続事業に値する買収価格を得られないため、投資家が投資を回収できないリスクが高まる。もう一つのリスクは、買収後にベンチャー企業が投資家や取引相手との協力関係を中断することである。買収会社が友好的でない、又は競合他社である場合は、投資家との情報共有をやめたり、商取引契約の不履行をしたり、取引相手の秘密情報を悪用したりするリスクがある。イ リスク管理対策追加的な資金調達と同様に、通常、NVCAの雛

形定款にはシリーズA優先株主がこの取引をブロックできる条項が含まれている。日本の会社法と異なり、デラウェア州法のもとでは原則として事業譲渡と合併が取締役会の決議と株式の過半数を有する株主の承認だけでできるので、定款での投資家保護措置がさらに重要となる5。

株主の権利を一切持たない取引相手はどのようにこのリスクに対応できるだろうか。現実的な対策としては、財務状況のデューディリジェンス以外、商取引契約に保護条項を取り入れることの他にはあまりないだろう。

よく目にする商取引契約上の保護条項は、契約の譲渡に取引相手の承諾が必要なことに加え、ベンチャー企業のchange of control(支配権の変更)が契約譲渡とみなされる、という条件の組み合わせである。この条件下では、簡単にいうとベンチャー企業の事業譲渡、売却や合併に取引相手の承諾がなければ契約違反となる。

最後に、秘密情報の悪用リスクについてはどうすればよいのだろうか。秘密保持契約等が締結されていても相手が遵守しない危険性があることに注意し、機密性の高い情報を必要以上共有しないように気を付けるのが一策である。⑶  Assignment for the Benefit of Creditors(債権者のための財産譲渡)

ア 概要と特定のリスクABCは会社の資産を清算する手続だが、破産手

続よりは比較的簡単で、低廉かつ迅速な手続である。米国連邦法によりABCが実施できるわけではなく、具体的な規律は州法で定められている。一般的に債務者の主な資産や所在地のある州、又は債務者の設立州でABCが実施される。そのため、ベンチャー企業の場合、カリフォルニア州法、ニューヨーク州法やデラウェア州法が準拠法となるケースが多い。

ABCのプロセスを簡単にまとめると、債務者(ベンチャー企業)が譲渡先(トラスティーそのものではないがトラスティーのような役割)へ全財産を譲渡し、譲渡先が財産の売却や売掛金の回収等に努め、取得する資金を債権者へ分配する流れである。最後に債務者は解散されるが、ABCだけでは法人が最終的に解散されない州法もあるので、その場合はABCの終了後、別の解散手続を行う。

ABCにおいて取り上げたいリスクは三つある。一つ目は金銭的なリスクである。譲渡先が資産の売却を実施するので、売却価格が投資家の期待より安くなりうる。債権回収における優先順位の詳細は州によって異なるが、原則として優先株式がデットより低く、ABCによりエクイティ投資家の回収分がゼロになる可能性もある。そして商取引の支払義務は通常、無担保債権になるので、担保付債権に劣後され、商取引相手の債権回収も困難になりやすい。

二つ目のリスクも州法ごとに異なるが、債務者による特定の既存取引が実質上無効にされるリスク

(正確にいうと、債務者により譲渡された資産が取り戻されるリスク)である。例えばニューヨーク州でのABCの 場 合、 譲 渡 先 が、ABC手 続 開 始 前 の

22 No.1170(2020.5.15)NBL

fraudulent transfer( 詐 欺 的 財 産 移 転 行 為 ) とpreferential transfer(偏頗行為)を遡及的に否認することができる6。この否認権には色々な制限が付されているが、例えばABC手続開始直前の非常に有利な取引(ベンチャー企業にとって非常に不利な取引)は要注意である。

最後に、ABCを行うベンチャー企業の取引相手もオペレーション上のリスクを負うことである。ABCにより資産が清算されるので、例えばベンチャー企業の定期的なソフトウェアのアップデートなどの継続的な事業活動が停止してしまう。これによりオペレーションに相当に大きな問題が生じる場合もある上、ベンチャー企業に対する契約違反のクレーム(賠償債権)は優先順位の低い無担保債権になりやすいため、相当な損害を受けた取引相手が結局クレームを回収できない可能性がある。イ リスク管理対策投資家の最も強力なリスク管理対策はABCを予

防する権利である。追加的な資金調達や合併などと同様に、NVCAの雛形定款ではシリーズA優先株主が全資産譲渡や清算手続をブロックできるので、当該条項を確認するのが重要である。

他の対策としては、投資家と取引相手が否認の対象になりうる取引に十分注意をすることが重要である。ベンチャー企業の財務状況が劇的に悪化した場合、非常に不利な取引条件で資金を必死に確保することがあるが、あまりにも不利すぎる取引は否認されるリスクを生む他、破産申請直前に債権者が支払や資産譲渡を受けた場合、その取引・債務者の行為が否認されるリスクも比較的高い。取引が詐欺的財産移転行為又は偏頗行為にみなされるのかが判断しにくい場合がある上、詳細は非常に複雑なので、重要な取引の場合は事前に専門弁護士に相談する価値があるだろう。

契約条項によりリスクを軽減することもできる。例えば、商取引契約ではABC手続開始を含めた全資産譲渡や解散、またはそれに類似する行為があった場合、当該商取引契約の相手方はその契約を解約できる、という条項をよく目にする。これで取引相手はベンチャー企業の解散まで契約を履行し続けな

ければならない状況を避けることができる。オペレーション上のリスクを管理するには様々な

契約条項が考えられるが、ソフトウェアライセンスにおける特別な対策に一つ触れたい。それは、特定のトリガーにより行使可能となるライセンス(以下

「発生的ライセンス」という)とソースコードエスクロー契約の組み合わせである。典型的な契約条項が連邦倒産法と関連するので、下記の⑷イでこのスキームをより詳しく取り上げるが、ABCのリスク軽減の効果もある。

まとめると、リスク管理対策としては、投資家がABC申請をブロックする権利を定款に取り入れること、あまりにも一方的すぎる取引条件等に注意をすること、取引相手がABC申請の際には解約できる条項を商取引契約に追加すること、そしてソフトウェアライセンスの場合、ソースコードエスクローと発生的ライセンスを取得することが挙げられる。⑷ 破産申請ア 概要と特定のリスクアメリカでベンチャー企業が破産申請する場合、

連邦倒産法第 7 章又は第 11 章に基づいた申請のいずれかになる。第 7 章の破産手続では企業の資産が清算され事業が中止されるのに対し、第 11 章の手続により事業を止めずに債務者のエクイティとデットを再編することができる。第 7 章の場合はトラスティーが手続を管理するが、第 11 章の場合は経営者かトラスティーのいずれかが管理する。

実は、破産申請はベンチャー企業の中で比較的不人気だといえる。なぜなら、弁護士費用を含めてコストが高く、債務者の義務が重く、レピュテーションリスクもあり、そして手続が非常に遅いからであろう。しかし、破産申請するベンチャー企業はゼロではないし、破産の手続には特別なメリットもある。詳細が極めて複雑なので、本稿では日系投資家・企業へ特に紹介したい特徴とリスクだけを簡潔に触れる。

まずは、言うまでもないかもしれないが、ベンチャー投資家や取引相手は金銭的なリスクを無視できない。破産手続での債権回収は優先順位に従ってなされるため、株主や無担保債権者の回収金額が制

4 追加的な資金調達に対してもう一つの投資家保護措置がNVCAの雛形定款に含まれている。それは希薄化防止条項である。詳細や計算方法は極めて複雑だが、簡単にいうと追加資金調達で既存優先株式が希薄化された場合、その既存優先株式の普通株式転換比率を高く調整するメカニズムだ。この条項の主な問題は、既存投資家が希薄化防止条項の転換率調整権を放棄することを、新規投資の必要条件とされるケースが多く、実際にあまり使われていないことである。その結果、この保護措置の価値が限られている。

5 DGCL§251 ⒝,§251 ⒞,§271 ⒜. 6 N.Y.Debt.&Cred.Law§15(2015).

23

特集 新型コロナウイルス感染症への実務対応▶ 破産状態の米国ベンチャー企業をめぐる法的リスクとその管理対策

限されることが多い。商取引債権の履行遅滞や契約違反のクレームが通常、無担保債権になるので、取引相手も回収リスクを負う。

他に注意すべきポイントはautomatic stay(オートマチック・ステイ)である。オートマチック・ステイは、破産申請の時点で自動的に発生し、取り消されるまで破産申請前の債務に対する回収行為をほぼ全面的に禁じるものである7。例えば、ベンチャー企業からの返済が不履行となっている金銭を貸与した投資家が不履行通知書を送ることさえ禁止される(例外条項はあるが、原則としてこのような行為が禁じられている)。これにより、支払いを長く待つ投資家や取引相手がさらに待たざるを得なくなり、高額の支払不履行の場合は投資家や取引相手の資金繰りにプレッシャーを与えかねない。

破産手続ではABCと同様に詐欺的財産移転行為や偏頗行為の否認権がある8。上記の3⑶イでこの権利の概要を述べたが、連邦倒産法の規定とABCの州法による規定とでは時効や否認可能行為の範囲が一致していないことを念頭においておくべきである。

次に取り上げたいのは、連邦倒産法第 11 章に基づいたexecutory contract(未履行契約)の拒否権である。「拒否」の効果は、その契約が完全に無効にされるわけではなく、破産申請直前に債務者がその契約に違反したようにみなされるということである9。その結果、通常は契約相手が契約違反のクレームを持つ無担保債権者の立場になってしまい、被った損害賠償を全額回収できる可能性が低くなる10。加えて、オートマチック・ステイの制限を考慮すると、拒否された契約が実質上無効になるケースもある。

拒否権と事業中止のリスクにおいて、ベンチャー業界で特に注目を浴びる契約はソフトウェアライセンスである11。例えば、破産申請後にライセンサーが契約を拒否した場合、ソフトウェアのサポート、バグの対応、継続的開発、サーバーの維持などの不履行に対してライセンシーが無担保債権しか取得できず、かつ、オートマチック・ステイのため回収行為さえできない立場に押しやられるリスクがある。ライセンサーの継続的な協力がない限り使用が実質上不可能なソフトウェアもある。イ リスク管理対策NVCAの雛形定款のもとで破産申請自体にシ

リーズA株主の承認を必要とする明確な条項はない。珍しいことではあるがケースバイケースの交渉

により追加することが可能なので、それがリスク管理対策の一つとなる。

実際に破産が申請された後、回収が困難となる債権者が多く、契約などの保護条項の効果が倒産法により制限される。そのため、金銭的なリスクが負えない場合、財務状況のデューディリジェンスを徹底させ、破産に至りそうな企業との取引を控えるのが最も確実な対策であろう。

オートマチック・ステイのリスクを軽減するために契約条項が使用されるケースがある。例えば、ブリッジ・ローンの契約では破産状態になることが不履行とみなされ、その際自動的にローンが満期になる、というような条項をよく目にする(倒産法のもとでこの条項が無効になる可能性があるが、条項の書き方次第ではそのリスクを減らせる)12。倒産裁判所にオートマチック・ステイの除外を請求することもできる。

契約拒否権においては、契約条項の細かい分析や構築が主な対策である。例えば、ベンチャー企業の支払不履行が発生すれば契約相手の履行義務がなくなる、というような保護条項を取り入れることができる(但し、詳細にその有効性が問われる)。それに加え、上記の3⑶イの説明通り、ソフトウェアライセンスの場合、不履行リスク対策として追加の発生的ライセンスとソースコードエスクローが組み合わせられることがある。ここでこの対策をもう少し詳しく取り上げる。

ソースコードエスクローの基本的なコンセプトは、ライセンスされるソフトウェアのソースコードのコピーが第三者のエスクローエージェントに委託され、エスクロー契約上のトリガーが発生すれば、ソースコードがライセンシーへリリースされる、ということである。エスクロー契約の有効期間内にトリガーが発生しなければライセンシーはソースコードを一切取得しないことも大事なポイントである。

ソースコードエスクローを使用する場合、ライセンス契約とエスクロー契約を一致させるのが重要である。イメージとしては、ライセンサーの財務状況の悪化により主な不履行等が生じた場合、エスクロー契約下ではソースコードがライセンシーへリリースされ、ライセンス契約下ではライセンシーがソースコードを使用したり、ソフトウェアの開発をしたりする長期的なライセンスを自動的に取得する、というスキームである。スキームの主な目的は、ライセンサーの協力が一切なくてもソフトウェアのメインテナンスや開発を継続できる仕組みを立

24 No.1170(2020.5.15)NBL

ち上げることにある。しかし、ソフトウェアの開発が可能なエスクローシステム環境の構築には手間と費用がかかる上、秘密情報であるソースコードを第三者に共有することに抵抗を示すベンチャー企業が多いので、ベンチャー企業にとって相当に重要な取引でない限りソースコードエスクローに合意しない可能性が高い。⑸  任意的解散(ABCや破産申請をせずに企業を解散)

比較的小規模のベンチャー企業によるケースが多いが、ABC、破産手続などを経ずに、株主および債権者と交渉し、それらの合意に基づき会社を解散することもある。現金や貴重な知的財産などがあまりない場合、株主・債権者から見ると長引く手続や訴訟がリソースの無駄になるので、投資・債権を少ししか回収できなくても何らかの解散計画に合意する可能性は十分ある。

デラウェア州法のもとでは、定款に別途定めがない限り、原則として取締役の過半数と株式の過半数を持つ株主の承認でコーポレーションを解散することができる13。解散後、債務を処理してから残りの財産を株主に分配する手順が法律に規定されている。この手順には債権回収の優先順位を保つための

条項もある他、手順に従わず財産を配分した場合、株主が財産の全額までの回収責任を負いうるし、取締役の個人的な責任も問われることがある14。

株主と取締役の責任リスク以外は、事業の中止、継続事業の価値の喪失により、投資や債権の全額回収が困難となり、それが投資家や取引相手に大きなリスクとなりうる(この種のリスクについてはこの3で触れている)。要点は、任意的解散だけにより債権回収の優先順位を変更できるわけではなく、また、取締役を任命している投資家は特に法律の遵守に注意すべきである。

結 論

本稿で取り上げている内容は米国ベンチャー企業が置かれている状況を俯瞰的に説明することを目的とし、詳細をいくつも省いていることを強調しておきたい。だが、急速に変化しつつある米国経済に依存するベンチャー企業の投資家や取引相手がリスクを管理する第一歩として、上述のコンセプトを考慮する価値があると思われる。その上で、より詳細な計画や戦略の作成プロセスに入ると、作業の効率性とリスク対応の効果が高まると期待している。

4

7 11U.S.C.§362. 8 詐欺的財産移転行為は 11U.S.C.§548。偏頗行為は 11U.S.C.§547。 9 最近の米国最高裁判所の判決でこれがはっきりとさせられた。MissionProd.Holdings,Inc.v.Tempnology,LLC,139S.Ct.1652(2019).10 同上、1666。11 知的財産のライセンスについては連邦倒産法のもとで特別な条件が適用されるが、拒否リスクがまだ存在する。11U.S.C.§365 ⒩.12 11U.S.C.A.§365 ⒠⑴.13 DGCL§275.NVCAの雛形定款はシリーズA優先株主に解散をブロックする権利を与える。14 DGCL§282 ⒞.

25

特集 新型コロナウイルス感染症への実務対応▶ 破産状態の米国ベンチャー企業をめぐる法的リスクとその管理対策