天皇皇后両陛下が 戦没船員の碑にご供花 第 十天皇皇后両陛下が...

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天皇皇后両陛下が 戦没船員の碑にご供花 40 両陛下にご挨拶鈴木邦雄会長(左) 第30号 平成22年 8月1日 30 平成22年8月1日 ―1―

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天皇皇后両陛下が戦没船員の碑にご供花

6月4日、神奈川県横須賀市観音崎公園内の「戦

没船員の碑」で、第40回戦没・殉職船員追悼式が行

われた。節目に当たる今年は、戦没・殉職船員のご

遺族の長年の労苦に応えるため、天皇皇后両陛下の

行幸啓を賜った。式典はご遺族、船員OB、海事関

係者等約800名が見守る中、天皇皇后両陛下によ

るご供花が行われた。また、参列者

全員による献花も行われ、御霊の鎮

魂と海の恒久平和を祈った。また、

追悼式典に先立ち「行幸啓お成りの

碑」の除幕式も執り行われた。

内閣総理大臣

追悼の辞

本日、ここに天皇皇后両

陛下のご臨席を賜り、第四

十回戦没・殉職船員追悼式

が執り行われるにあたり、

先の大戦の戦没船員をはじ

め、殉職船員の方々の御霊

に対し、謹んで追悼の誠を捧げます。

先の大戦において、祖国を思い家

族を案じつつ戦場に散った六万人余

の船員のご心情に思いを致すとき、

悲痛な思いが胸に迫るのを禁じ得ま

せん。ここに、心よりご冥福をお祈

り申し上げます。

また、我が国の経済及び国民生活

を支える海運業や水産業に奉職し、

不幸にして海難や労働災害により殉

職された二千九百人を超える方々に

対し衷心より哀悼の意を表するもの

であります。

二十一世紀の今日の平和と繁栄

は、数多くの尊い船員の方々の犠牲

の上に築かれています。私たちは「い

のち」の大切さをあらためて心に刻

み込んで、末永い海洋の平和と海上

交通の安全への思いを新たにするも

のであります。

日本を取り巻く海を二度と「争い

の海」にすることなく、平和と繁栄

をもたらす「友愛の海」とすること

を皆さまにお誓い申し上げます。

終わりに、戦没・殉職船員のご遺

族の方々の今なお変わることのない

深い悲しみと苦しみに思いを致し、

今後のご平安を切に祈念いたしまし

て、追悼の辞といたします。

平成二十二年六月四日

内閣総理大臣

鳩山

由紀夫

両陛下にご挨拶鈴木邦雄会長(左)

海見ゆる鎮魂の碑に集う

第四十回戦没・殉職船員追悼式

ご供花される両陛下

全員献花する参列者

第30号平成22年8月1日

〇三‐三二三四‐〇六六二

〇三‐三二三四‐〇六八二

第 30 号 平成22年8月1日

― 1 ―

潮 騒

「行幸啓お成りの碑」の除幕式の

後、ご先導とお出迎えの方々は、整

列し両陛下の御着を待ち、定刻11時

26分にお出迎えした。

鈴木邦雄会長が両陛下をご先導さ

れ、谷口博昭国土交通事務次官、吉

田雄人横須賀市長、堀田明道遺族代

表、宮原耕治船主協会会長、藤澤洋

二全日本海員組合組合長がお出迎え

した。

両陛下は先導者及びお出迎え者に

ご挨拶され、静かに式典会場に進ま

れた。

追悼式に先立ち、「行幸啓お成り

の碑」の除幕式が執り行われた。

この碑は、昭和57年7月の「天皇

陛下皇后陛下行幸啓記念」碑の近く

に建立されたもので、昭和46年5月

6日以来11回の来歴がある。

設置された場所は、大きな雑木が

あり、木の根が生え茂っていたが、

神奈川県土木事務所、公園事務所の

方々のご協力を頂き完工となった。

追悼式終了後には、今回第40回の

行幸啓も刻印された。

鈴木邦雄会長は式辞を次のとおり

述べた。

式辞

本日、ここに「行幸啓お成りの碑」

の除幕式を挙行するにあたり、ご来

賓のご参列をいただき、厚くお礼申

し上げます。

私どもは、昨年、天皇陛下在位20

周年、ご成婚50周年の祝意を表した

く、また、第40回戦没・殉職船員追

悼式の記念事業の一環として、この

碑の建立を企画いたしました。幸い

にも、神奈川県ご当局から公園内に

設置することについてご許可を頂

き、本日除幕式を迎えることができ

ました。この碑には、昭和46年5月

6日挙行の第1回追悼式にご臨席さ

れた当時の皇太子・同妃殿下をはじ

め、以後お越しになられた天皇皇后

両陛下、皇族の方々の11回にわたる

来歴の記録を銘記したものでありま

す。こ

のような皇室の方がたの戦没・

殉職船員に対する尊く、温かい御心

に深く感謝を申し上げ、この地を訪

れる参拝者に永く伝えられること

を、心から祈念するものであります。

最後に、戦没・殉職船員の御霊の

安らぎと、海洋永遠の平和を願って

式辞といたします。

平成22年6月4日

日本殉職船員顕彰会

鈴木

邦雄

※行幸啓とは、天皇皇后両陛下がお

揃いでお出かけになること。

※お成りとは、宮様方がお出かけに

なること。

(皇室用語)

両陛下のお迎え

行幸啓お成りの碑 内閣総理大臣追悼の辞を代読する

谷口博昭国土交通事務次官代表献花する衛藤征士郎海事振興連盟会長

除幕する海洋大学学生 太田恵美子さん、高橋あずみさん

お出迎え者にご挨拶の両陛下

平成22年8月1日 第 30 号

― 2 ―

潮 騒

�倉洋子さん

通信士になったばかりの弟

山岸忠さん遺族

群馬県前橋市

山岸

信一さん

無線通信士の山岸忠さん(当時19

歳)乗船していた「寧海丸」(飯野

海運)は、昭和19年1月26日、トラ

ック島から横須賀への帰路、ニュー

ブリテン島ランバード岬沖で撃沈さ

れた。18歳で無線通信士になったば

かり、1年もたたずに海に消えた。

ご遺族は忠さんが船員としてどの

様に亡くなったかは、最近まで知ら

なかったという。新聞で顕彰会を知

り、船名や沈没した場所などを詳し

く知ることができたと語った。

石川県金沢市

�倉

洋子さん

初めて参加しました。父は阿波丸

(日本郵船)にドクターで乗り亡く

なりました。昭和20年4月1日で父

は58歳のとき。私は12歳でした。私

が神戸女学院に入学するために、父

は「4月1日に門司港に入ってくる

から、合格したら電報を出すように」

と、電文まで用意して出かけたんで

す。私

の勤めは先生で退職してから、

追悼式のあることを知りました。母

と主人の介護に明け暮れていました

が、母も亡くなり主人も特養に入っ

て、追悼式に来ることができました。

鹿児島県南九州市

片平

伸次さん

父は海軍軍属として御用船の航海

士でした。南祐丸(三光汽船)に乗り、

終戦の年、内地へ引き上げる途中の

10月8日、豊後水道で日本軍の敷設

した機雷に触れて沈没して亡くなり

ました。終戦が8月15日ですから、

犬死だったのでしょうか。母は3人

の子供を抱えて大変な苦労をしまし

た。小

学校に入学してしばらくして

「岸壁の母」などの歌がはやり、シ

ベリアや南方から引き揚げの兵隊が

帰ってきました。

片親の寂しさから、学校が引ける

と指宿駅へ行き、ひょっこり父が帰

ってきそうな気がして、改札口を出

てくる乗客を最後まで目をこらして

見ていました。しかし見つからず、

悲しく半べそで帰った当時のことが

切なく思いだされます。

北九州市小倉区

植村

和佳さん

祖父は永安丸(大連汽船)に乗っ

ていました。伊地知季一、46歳でし

た。門司港から出て、昭和20年7月

25日に鳥取沖でグラマン機の機銃掃

射で亡くなりました。

小中学生の頃、母は話したがらな

かったのですが、祖母は孫なので、

僕には「こうして亡くなった」とよ

く話していました。「船長をしてい

たので、他の人は逃げた」と聞いて

います。

参列者へのインタビュー

片平伸次さん

植村和佳さん

山岸信一さん(中央)ご遺族

行幸啓お成りの碑

第 30 号 平成22年8月1日

― 3 ―

潮 騒

追悼式典終了後、参列者はマイク

ロバスに分乗し、観音崎京急ホテル

の懇親会会場に向かった。

天皇皇后両陛下がご参列されると

いう第40回の記念すべき式典であ

り、かつ、晴天に恵まれたこともあ

って、追悼式の懇親会に参列された

関係者は約400名に達した。

懇親会では、鈴木邦雄会長が、「天

皇陛下からは、この追悼式が40回も

続いていることに対して、慰労のお

言葉があり、また、ご遺族に対する

お悔やみのお言葉を頂いたことを、

ご参列の皆様にご報告する」と挨拶

が行われ、献杯のご発声を行った。

引き続き、国土交通省海事局小野

芳清局長が「追悼式に参列し、戦没

船員6万人余の御霊に感謝の気持ち

がわいた。現在活躍する日本人船員

に、技術と精神を伝承したのは、ま

さにここに眠る戦没・殉職船員の皆

様である。海洋国日本の復権のため

にも、今後もさまざまな施策を行う

が、今日感じた感謝の念を忘れない

ように取り組んでいきたい」と挨拶

した。

例年より30分遅い懇親会の開始で

あったが、参列者は天皇皇后両陛下

がご参列の追悼式に参加したことの

満足感と、空腹を満たすため、各遺

族の方々と共に当時の思いを語り合

った。

殉職船員

30名の奉安

4月16日、平成21年の殉職船員30

名の御霊を奉安致しました。

業種別の内訳は、内航関係2名、

水産関係28名となっております。

昭和56年から始まった殉職船員の

奉安者数は、今回の30名を加えて2

938名となります。

殉職船員

升田

顕一

幸照海運(株)

今野

恵洋

(株)酢屋商店

斉藤

(株)酢屋商店

伊藤

義彦

(株)酢屋商店

阿部

和男

(株)酢屋商店

遠野

隆夫

(株)酢屋商店

川平

則之

(株)酢屋商店

政美

(株)酢屋商店

及川

俊和

(株)酢屋商店

吉田

悦雄

(株)酢屋商店

阿部

幹雄

(株)酢屋商店

白崎

共同船舶(株)

木村

幸彦

丸美水産(株)

多田

竹松

渡辺瀧(個人船主)

�橋

富一

宮崎水産(有)

岩野上孝夫

大栄水産(株)

前田

光彦

大栄水産(株)

岩本

昇三

大栄水産(株)

白石

正公

大栄水産(株)

岩本

光弘

大栄水産(株)

坂本

幸三

大栄水産(株)

平松

大嗣

大栄水産(株)

墨谷

智之

大栄水産(株)

内山

信吾

大栄水産(株)

福本

次広

豊丸漁業(有)

八木

(有)正福丸

平松

二次男

丸美水産(株)

鈴木

アラマタ水産(株)

山本

運輸施設整備事業団

中野

邦義

健勝漁業(有)

追悼式典のあと和やかに懇親会

懇親会でご挨拶する国土交通省小野芳清海事局長

ご遺族代表献花

堀田明道さん

(左)

加賀城久子さん(右)

式典終了後の懇親会(京急ホテル)

平成22年8月1日 第 30 号

― 4 ―

潮 騒

個人参加

案内係

清水

教代

初めて参加させて頂き、緊張して

おりましたが、皆様のおかげで大き

な失敗もなく、無事実行委員を務め

られて安堵しております。ご案内の

際の短い会話ですが、遠方からおい

での方、毎年必ずご出席なさってい

る方など、追悼式をとても大切に思

いお出でになられている事を感じ、

微力ながらそのお手伝いができ良か

ったです。

個人参加

安全管理者

瀬戸

今回は、天皇皇后両陛下ご臨席と

いう事で、多数の警察官が警備にあ

たり、安全管理者としての出番がな

かったように感じた。

日本内航海運組合総連合会

受付係

松島

啓二

好天に恵まれ、数多くの方々が来

られ、第40回戦没・殉職船員追悼式

に初めて実行委員として参加できま

したことは、また、天皇皇后両陛下

にまじかで拝見できましたことは大

変感激いたしました。貴重な体験を

させて頂きましてありがとうござい

ました。

個人参加

受付係

猪狩

紀一

今回は天皇皇后両陛下のご臨席に

伴い、国土交通省始め、関係団体、

海運企業からのVIPが多数参列さ

れていたようで、実行委員として従

来にも増して緊張感を持っての業務

遂行であったことは否めなかった。

尚、実行委員に顔見知りが多かった

ことに加え、事務局の役職員にもベ

テランが多く、各人との意思の疎通

が充分に図られ齟齬をきたすことも

なく、無難に執務することが出来た。

商船三井フェリー(株)職場委員車両整理

富山

幸弥

今回は、一方通行出口での車両整

理をしましたが、携帯電話が通じな

い場所で他部署の方と連絡が取れま

せんでした。当日大きな混乱はあり

ませんでしたが、何かあった時は困

ると思いました。私は当日だけの実

行委員でしたが、追悼式までに色々

準備をされていた事務局や実行委員

の方々は本当に大変だったと思って

おります。また、前日宿泊をさせて

頂き、いろいろの方と交流ができた

ことはよかったと思っています。あ

りがとうございました。

個人参加

受付・案内係

阿部

節子

ご遺族の高齢化を実感し、それに

追悼式実行委員の

アンケートから

第40回戦没・殉職船員追悼式の実

行委員は、事務局員含め52人、大人

数での取り組みでした。

天皇皇后両陛下の行幸啓を賜り、

例年にない警備とその対応は、簡単

には表現できないものがありました。

各人がそれぞれの業務分担に従

い、計画通り実施したことが、無事

終了できた結果と思われます。

皆さんから頂いた感想等をここに

ご紹介いたしますと共に、その御苦

労に改めて感謝申し上げます。

両陛下の御着を待つ実行委員

鈴木会長にご先導されご退場の両陛下

打ち合わせする実行委員

第 30 号 平成22年8月1日

― 5 ―

潮 騒

もまして、ご遺族の方は、この式典

を心待ちにしているのを感じます。

今回は懇親会には参加できません

でしたが、ご遺族の胸に付けられた、

名札で「亡き人、船」を偲んでいる

人が多かったのではないでしょう

か。少しでもお手伝いできたことが

良かったと思っております。本当に

関係者の皆様お疲れ様でした。

(社)大日本水産会

長岡

英典

現場での担当は初めてであった

が、要領や段取りが充分であり、戸

惑うことはほとんどなかった。

行幸啓があったにも関わらず事務

局の準備がしっかりしていたからだ

と思う。個人的には陛下が皇后に大

変気遣う姿が印象的であった。

全日本船舶職員協会

車両係

荒谷

秀治

小生は8年前より、会場付近の交

通整理担当として参加させて頂いて

おります、参加1回目の時は、マイ

クロバスの乗下車時に踏み台が無

く、年配の方がソロリソロリと行動

されていましたが、手助けは必要あ

りませんでした。翌年からは、踏み

台が用意されスムーズに乗下車が行

われましたが、昨今はこの踏み台を

用意しても手助けしてマイクロバス

への乗下車される高齢の方が増えた

と感じます。

遺族として、追悼式に出席する為

に万難を排して出席して頂ける事に

頭の下がる思いで、スタッフとして

お手伝い出来ることに感謝申し上げ

ます。また、最近の参拝者にマイク

ロバスからスイスイと乗下車される

方が増えたと感じております。おそ

らく遺族の方のご子息、お孫さん並

びに関係者と思いますが、若い方が

6万数千人の御霊の追悼に参加し、

引き継がれることと思います。

(財)日本海事広報協会

車両係

鈴木

今年は例年より駐車する車が多か

ったのですが、担当を2人にしてく

れたおかげで1人は入口で案内、も

う1人は駐車スペースにて誘導と分

担できたので、スムーズに対応でき

ました。(通常は1人でも十分対応

できます)会場から離れた場所にい

ると、自分の配車でトラブルになっ

てないか不安になりますが、無事に

何事もなく終わることができて良か

ったです。

東京海洋大学海事普及会

案内係

米吉

隆一郎

今年初めて戦没・殉職船員追悼式

の実行委員として参加させて頂きま

した。学生という立場で実行委員が

務まるだろうかと正直非常に不安で

した。案の定、式の準備の段階から、

積極的に動くことができず、私の担

当した案内係の方をはじめ、いろい

ろな方にご迷惑をお掛けしたことと

思います。式が始まってからもあた

ふたとしましたが、自分なりに精一

杯頑張ったつもりです。

東京海洋大学海事普及会

案内係

鷲尾

和久

当日までどのようなことをするの

かあまり把握できていなく、少し至

らない点があったかも知れません。

戦没・殉職船員追悼式という大き

な式典の実行委員をさせて頂き本当

にありがとうございました。また、

丁寧にご指導を頂き大変すばらしい

経験をさせて頂きました。

運営も滞りなく、とても学ぶべき

点がたくさんありました。この度は

このような機会を与えて頂き本当に

ありがとうございました。

全員献花する参列者

全員献花する参列者

私も一緒に献花する

平成22年8月1日 第 30 号

― 6 ―

潮 騒

全日本海員組合

案内係

池上

幸太

今回このような貴重な体験をさせ

て頂き、本当に感謝しております。

事務局も人数の少ない体制の中で

非常に大変だったと思いますが、追

悼式が無事開催できたことは大変喜

ばしい事だと思います。

私自身、海員組合でもこのような

イベントの事務局業務に携わること

があるので、事務局の大変さはわか

っているつもりですが、顕彰会の皆

様も相当大変だった思います。本当

にお疲れ様でした。

是非来年もまた無事に開催できる

よう頑張って下さい。本当にありが

とうございました。

全日本海員組合

報道記録係

宮川

栄司

初めての実行委員の方は大変だっ

たと思います。かく言う私も初めて

ですが、各団体で引き継がれていけ

ばよいと思います。5年に一度の今

回のような場合、可能であれば前年

に経験した方を入れてはと思います。

(社)海洋会車両係

小暮

文悟

戦没船員への実感は我々戦後生ま

れには実感しにくいが「安らかにね

むれわが友よ波静かなれとこしえ

に」の悼み歌を後輩たちも含めて、

伝承すべきと感じました。

今回私たちは第40回戦没・殉職船

員追悼式に東京海洋大学海事普及会

として参加させていただけることに

なりました。

仕事内容としては受付・案内に加

え、今回は除幕式があるということ

で除幕のお手伝いをさせていただき

ました。

式典当日の6月4日は天皇皇后両

陛下がお見えになるということで戦

没・殉職船員追悼式の重さをさらに

感じ、緊張してしまいました。

しかし、私たちは責任ある仕事が

できるように気を引き締めてできる

限りの力をつくしました。

除幕式の説明で一番重要なことは

アイコンタクトだと教わりました。

除幕式の間は声を出せないので、教

えていただいたとおりお互いに目線

で合図を送り、司会の合図の後にタ

イミングをあわせて除幕をすること

ができました。

日本殉職船員顕彰会の皆様には温

かく丁寧なご指導をいただきありが

とうございました。至らない点も多

々あったと思いますが、この反省点

を今後生かしていきたいと思いま

す。最

後になりましたが、今回の第40

回戦没・殉職船員追悼式に参加する

という貴重な体験をさせていただき

ありがとうございました。

(除幕・受付・案内担当)

第40回戦没・殉職船員

追悼式に参加して

東京海洋大学海事普及会

高橋あずみ・太田恵美子

第2会場の参列者

行幸啓お成りの碑除幕担当の高橋あずみさん(右)、太田恵美子さん(左)、

懇親会後白菊を手渡す米吉隆一郎さん(左)、鷲尾和久さん(右)

第 30 号 平成22年8月1日

― 7 ―

潮 騒

この度は突然にお電話申し上げま

した事柄にも関わりませず、ご丁寧

な調査並びに靖国神社への合祀の問

い合わせをして頂きまして、ご返信

を頂戴いたしまして誠にありがとう

ございました。

思い返しますと、13歳で父を亡く

して、戦後を母が大変な思いを致し

ましたが、父との約束だからと大学

まで出してくれましたお蔭様で現在

の私がございます。その間忘れたこ

とがございませんでしたが、昭和34

年に結婚して上京致しましてから

は、靖国神社を父のお墓と思い、お

参り致しては参りましたが、細かな

ことは何ひとつ分かりませんでし

た。40

年にもなりましょうか、母をつ

れて八丈島迄は行きましたが、西南

海上とて行くすべもなく、如何なる

海域か分らぬままにすごして参りま

した。

来春実施されます洋上巡拝団も、

東シナ海方面が主になりますらし

く、参加は難しい様でございます。

私も81歳となりまして、今回を逃

しますと無理かと思い、是非参加で

きますならば、人生最後に父の弔い

をぜひ行きたいものと思っています

が、場所が違うとの事でどうなりま

すか……。

私としては、個人では八丈島西南

西45粁と申されましても、同じ海原

に続くものとして巡拝したいものと

思っている処でございます。

5月に行われております追悼式も

存じませずにおりました。来年でも

元気でしたら是非お参り致したく思

っております。

母が早くに亡くなりましてから

は、何のつてとてなく過ごしてまい

りましたので、この度は大そう身近

に父を感じます事ができまして嬉し

ゅうございます。

ご丁寧なご調査を心より感謝、厚

く厚くお礼申し上げます。

実はこの文章を書きますには、朝

日新聞社より戦中・戦後の母子の体

験記として原稿用紙20枚程度に書い

てみませんかとの依頼がありました。

書くには裸になってと折角の機会

を逃がすのは惜しく、迷いながら書

き出したものの、戦争も終わって60

余年を経る昔の事、想い出を頭の中

で繰り返し考え、文章も後先になる

のを訂正しながら書くのです。

昼間は人がちらつくし、少しの物

音でも書けない、書くのはやっぱり

夜になります。書き出したら途中止

められず、真夜中に及ぶことばかり

です。

想い出しては書く、文の中にもあ

るように、苦労した昔を想い出して

は、うるむ目頭を拭きながらの執筆

でした。やっと書き上がった時、用

紙は30枚になっています。

仕方がない、今更書き直しもでき

ない。採用されるのが是か非かも判

らないのにと思い切って投稿。

「松下勇吉青森の沖で戦死」の報

せが役場からあり、会社からの送金

も途絶え、大海に放り出され掴む束

のワラさえも無い。奉天(今の中国

東北部)から帰った母に導かれ、

姉夫婦の家に引き取られ、やっと母

子3人救われました。

投稿した原稿のこともとっくに忘

れていたある日、本が2冊送られて

きました。採用されたのです。天に

も昇る思いでした。「戦中・戦後母

子の記録」の9巻に載っています。

苦労苦難の日のことを読んでいた

だきますのは恥ずかしいですが、戦

後も今年65年、あらゆる方面で戦後

の悲惨を決して風化させてはならな

いと言いつくされています。

拙い文ですが私自身、いまその事

に強く思いを馳せながら終わります。

草々

東京都町田市

松前佐喜子

投 稿

「「「「「「戦戦戦戦戦戦争争争争争争をををををを語語語語語語りりりりりり継継継継継継ぐぐぐぐぐぐ」」」」」」

ご遺族のお便り

「戦中・戦後母子の体験記」に挑戦して

熊本県熊本市

松下

トシエ

松前佐喜子さん

松下トシエさん

平成22年8月1日 第 30 号

― 8 ―

潮 騒

定款の変更(案)の主要事項

財団法人日本殉職船員顕彰会

定款(案)改正点の主要な事項は、

従来の「寄附行為」との比較におい

て、次のとおりです。

事業以

下のとおり規定することと

し、これらの事業を全国で行う

こととします。

この法人は、前掲の目的を達成す

るため、次の事業を行う。

(1)戦没・殉職船員の追悼行事

の実施

(2)戦没船員の碑及び殉職船員

の碑の維持管理等に対する

協力

(3)戦没・殉職船員の功績等の

調査及び名簿の作成

(4)戦時徴用船遭難の記録画等

の展示会の開催

(5)戦没・殉職船員の遺族に対

する援護

(6)その他この法人の目的を達

成するために必要な事業

基本財産の維持及び処分

基本財産については新法人に

とって、必要なものとして定め

た場合には、その維持と処分に

ついて定款で定めなければなり

ません。現在保有する基本財産

は当面維持しますが、将来事業

に充当することも考えられま

す。従

って、定款(案)では、適正

な維持管理及び処分する場合に

は理事会の決議と評議員会の承

認が必要なことを規定します。

評議員

評議員は10名以上15名以内と

規定すること、評議員の選任は

評議員会で行うこと及び評議員

の選任要件を規定することとし

ます。また、任期は法が定める

とおり、「選任後4年以内に終

了する事業年度のうち最終のも

のに関する定時評議員会の終結

の時まで」とします。なお、最

初の評議員については、評議員

選定委員会で選任された者の氏

名を定款附則に記載します。

評議員会の開催

評議員会について、定時評議

員会として年1回、毎事業年度

修了後3ヶ月以内に開催するほ

か、臨時評議員会を毎事業年度

前に開催することと規定しま

す。実態的には、事業計画及び

収支予算の審議のために10月か

ら2月頃までの間に1回、(現在

の3月開催を少し早める。)定

時評議員会として決算のために

従来どおり5月(又は6月)に

開催することが考えられます。

理事及び監事

理事は10名以上15名以内と規

定すること、監事は2名以内と

すること、代表理事1名及び業

務執行理事2名を置き、会長、

理事長及び常務理事が担当する

こととします。役員は評議員会

で選任すること及び役員につい

て同一親族又は同一団体に所属

する数を制限すること等を規定

します。

また、理事の任期は「選任後

2年以内に終了する事業年度の

うち最終のものに関する定時評

議員会の終結の時まで」とし、

監事も同様とします。なお、新

法人の代表理事については、氏

名を定款附則に記載します。

理事会の開催

理事会は、定時理事会として

年2回開催するほか、必要があ

る場合に開催する旨規定しま

す。実態的には、(5)の評議

員会に先立って開催することと

します。

定款の改正

定款は、評議員会の決議によ

って改正することができること

とし、第3条(目的)、第4条

(事業)及び第14条(評議員の

選任及び解任)の規定も改正で

きることとします。

公益認定取消し等に伴う贈与

法に定めるとおり、公益認定

取消し又は合併により消滅する

場合は、公益目的取得財産残額

を公益団体又は国若しくは地方

公共団体に贈与することを規定

します。

公告の方法

事務所内の公衆の見やすい場

所に掲示します。

3月23日及び26日に開催された評議員会、理事会において、新公益法

人移行の対応について審議の結果、公益財団法人への移行を決定致しま

した。当会は、戦没・殉職船員の霊を弔い、その功績を後世に伝えると

ともに、遺族の援護にあたり、もって海洋立国の精神を高揚し、海事思

想の普及と海洋永遠の平和に寄与することを目的としております。今後

も公益性を維持しつつ、事業の信頼性を確保し、公平・公正な法人運営

を行うことが必要であり、公益財団法人への移行を決定したものです。

公益認定申請は10月末の予定です。

公益財団法人への移行

について機関決定

第 30 号 平成22年8月1日

― 9 ―

潮 騒

大竹愛梨さん

田植えをしたよ

長崎県

小4

大鋸

美夢

今日おばあちゃんの実家の田植え

なので、手伝いに行きました。わた

しとお母さんとお母さんの同級生と

行きました。お母さんの同級生の名

前は「あけちゃん」といいます。家

を出て1時間ほどしたらおばあちゃ

んの実家につきました。

この日は雨が降っていたので、カ

ッパを着ました。そして長ぐつをは

きました。そして、しばらく田植え

機がなえを植えてくれました。その

後に田んぼのすみっこやなえがよく

植えられていない所に手で植えまし

た。やわらかい土の所とかたい土の

所がありました。かたい土の田んぼ

は長ぐつがぬけませんでした。

そして、お昼近くになりました。

べんとうを買いに行きました。わた

しは、ひやし中華と、ヨーグルトを

買ってもらいました。手伝いに来て

くれていたおじさんたちの分もたく

さん買いました。そして、おばあち

ゃんの実家でお昼ごはんを食べまし

た。おいしかったです。そしてまた、

田植えの続きをしました。3時のお

やつもしっかり食べました。あまく

ておいしかったです。おやつを食べ

てからまた4時まで田植えをしまし

た。ようじがあったので、早く帰り

ました。また来年もがんばります。

宮城県

中野

幸枝

中学校も最後の学年になり父親を

超す背丈になった姿をみせたかった

です。学校も1日も休むことなく、部

活にも進んで行って頑張ってます。

宮城県

阿部

悦子

ようやく初めての期末考査も終わ

りました。部活も3年生が抜けた分

1、2年生で新人戦に向け一生懸命

です。7月からプールも始まるので

水着など買いたいと思います。身体

も足も大きくなってきます。

高知県

岡元

美紀

新学期が始まり、元気に学校へ行

っています。今年は、2人とも高校

2年生中学3年生になり、将来を決

める大切な年になりいろいろ悩んで

いますが、しっかりと考えて進路を

決められるよう親子でよく話し合っ

ていきたいと思っています。

ハムスター

三重県

小4

大竹

愛梨

私は、2月からハムスターを飼っ

ています。名前は「ゆき」といいま

す。毛が白いからです。でも私はい

つもなぜか、「ハムちゃん」と呼ん

でいます。

ハムちゃんは、ひまわりの種が大

好きです。でも、ひまわりの種ばか

りやっていたら、すごく太ってきま

した。なので、ダイエットをさせよ

うと思って野菜をあげることにしま

した。人参、小松菜、ちんげん菜で

す。いつも、私が、包丁で切ってい

ます。そこにダイエット食品のハム

スタープラスを少し入れてえさの出

来上がりです。おいしそうなサラダ

みたいです。えさをあげようとする

と、すぐ、においで寄ってきます。

ハムちゃんは両手でえさをつかん

で、とても上手に食べます。それが、

見ていてとてもかわいいです。

ハムちゃんは、小さい綿を口でい

っぱい運んで自分で寝床をつくりま

す。そこは、トイレです。そして、

毎日トイレでとても気持ちよさそう

に寝ています。かわいいです。病気

もせずに長生きしてほしいです。

宮城県

�橋

弘子

倭はお兄ちゃんがやめた硬式テニ

ス部に入部してがんばっています。

が、母が大変です。送迎が2回にな

り、朝と夕方で計4回。私も歳です

ので、ちょっとつらいです。今日か

ら期末試験なので、結果がドキドキ

です。高校生になったので「今まで

の気持でいたら落第というのがある

よ」とおどかしておきました。

殉職船員遺族援護事業

大鋸美夢さん

平成22年8月1日 第 30 号

―10―

潮 騒

平成21年度11月以降、次の方がた

からご寄付をいただきました。

厚く御礼申し上げます。

(敬称略・順不同)

海事思想普及会(神戸市)沼田昭夫

(鹿児島市)新藤博志(横浜市)河

合ハル子(横浜市)

追悼式献花料

�倉洋子(金沢市)高等商船学校二

期生会(横浜市)南

七郎(新潟県

岩船郡)山下義韶(神奈川県中郡)

川畑實惠(明石市)河方満智子(豊

中市)横須賀市東部漁業協同組合鴨

居支所(横須賀市)青函連絡船殉職

者遺族会(函館市)長野ヨネ子(東

京都中野区)嶋田早苗(八幡市)和

田耕作(柏市)大原亮治(横須賀市)

土居和子(大阪市)三木千代子(丸

亀市)阪口勝子(草津市)小川

(明石市)西嶋

忍(大阪市)福田

陽子(雲仙市)小林義隆(篠山市)

山田利政(松江市)村上菊野(北九

州市)宮越和子(佐倉市)渡辺

(山陽小野田市)米山隆昭(東京都

北区)高等商船学校三期会(東京都

北区)高等商船学校一期会(横浜市)

荒谷秀治(横浜市)山内守武(福岡

市)江藤政雄(和歌山市)石須由美

(富山市)伊藤春子(豊田市)伊藤

郁子(東京都大田区)大圖富美子(水

戸市)岡

順二(津市)高垣宏江(神

戸市)高垣幸徳(神戸市)尾崎秀子

(神戸市)中村順子(船橋市)西川

克巳(神戸市)藤井靖子(府中市)

乙顔

均(多摩市)濱田勝彦(川崎

市)古川

昭(日立市)小泉義男(日

立市)新田尚子(宇部市)升田紀子

(横浜市)渡辺

勤(相模原市)水

野孝子(新潟市)山本艶子(伊勢原

市)山岸信一(前橋市)丸山比奈子

(東京都世田谷区)中野昭男(名古

屋市)桜井

正(千葉市)�倉洋子

(金沢市)福岡眞人(北本市)北村

禮子(東京都江東区)御代テル子(い

わき市)鈴木富喜子(横浜市)小野

寺麗子(気仙沼市)村上富子(気仙

沼市)大槻和子(角田市)千葉八代

子(石巻市)八木桃江(旭市)浦賀

観光協会(横須賀市)全日本海員生

活協同組合(横浜市)鴨居地区連合

町内会(横須賀市)鴨居三軒谷町内

会(横須賀市)浪速タンカー�(東

京都港区)(財)全日本海員福祉センタ

ー(東京都港区)川野千草(東京都

渋谷区)河合ハル子(横浜市)小田

切威(横浜市)曽根真奈実(東京都

品川区)全日本海員組合職員OB会

(東京都港区)竹股静枝(東京都江

東区)松浦郁郎(横浜市)日本内航

海運組合総連合会(東京都千代田区)

(社)全日本船舶職員協会常務理事猿渡

國雄(横浜市)相浦紀一郎(東京都

杉並区)全国海友婦人会(神戸市)

実穂海運�(姫路市)南洋海運�(藤

沢市)(財)日本船員福利雇用促進セン

ター(東京都中央区)(財)船員保険会

(東京都渋谷区)全国海運組合連合

会(東京都千代田区)(財)日本船員厚

生協会(川崎市)(財)水交会(東京都

渋谷区)東郷会理事長手塚正水(東

京都渋谷区)(財)海難審判協会理事長

上野延之(東京都千代田区)日本郵

船�郵和会本部(横浜市)日正汽船

�日正クラブ(東京都港区)NYK

シップマネージメントジャパン�海

労懇親会(東京都港区)荒川

博(三

鷹市)藤田俊夫(東京都大田区)安

藤久治(横須賀市)都竹利年雄(東

京都杉並区)三輪史郎(富里市)長

濱俊哉(東京都足立区)三宅

弘(逗

子市)横浜海員会館(横浜市)曽根

幸雄(横浜市)竹端昭治(豊中市)

才津俊朗(横浜市)伊藤喜市(横浜

市)小松和夫(横浜市)長島

弘(横

須賀市)五十嵐温彦(大和市)鹿児

島商船学校同窓会京浜支部(東京都

港区)榎本

泰(横浜市)石井修義

(狛江市)中野善夫(松本市)貝谷

アキ子(一宮市)芳賀文男(横浜市)

栗原吉良(三鷹市)小林勇(横須賀

市)飯田喜久三(東京都渋谷区)山

口春治(新潟市)稲垣義夫(神戸市)

新加入会員ご紹介

当会は、主要海運会社や関係団体

等の法人及び個人の賛助会費、協賛

会費、基本財産の運用収入等により

運営されています。しかしながら利

息の減少や海運会社の合理化にとも

なう法人賛助会員の減少により非常

に厳しい運営を強いられています。

そのような中でご遺族や関係者の

ご協力による個人賛助会員制度(年

1口1万円)・協賛会員制度(年1

口3千円)は慰霊、顕彰、援護事業

を支える大きな力となっています。

平成21年12月以降、次の方がたが賛

助会員・協賛会員に加入されまし

た。厚く御礼申し上げます。

なお、協賛会費は、ご加入の月から

1年間となっております。今後ご加

入月到来の都度ご請求いたします。

また、個人賛助会費は毎年4月に

請求いたします。

よろしくお願いいたします。

(敬称略・順不同)

◇賛助会員

山田三義(横浜市)

◇協賛会員

中野善夫(松本市)坂口春海(高崎

市)山下圓子(鹿児島市)床並繁(南

九州市)高木克巳(日立市)小林義

典(西宮市)纐纈正憲(可児市)井

上瑞枝(藤沢市)竹田容子(大阪市)

ご寄付のお礼

第 30 号 平成22年8月1日

―11―

潮 騒

会場交通案内図

開催の趣旨

今年の「戦時徴用船遭難の記録画

展」は8月24日(火)から31日(火)

まで下関市民会館1階(展示室)で

開催される。

わが国の海運・水産界は、さきの

大戦において6万余人に及ぶ尊い船

員の生命と2、500隻800万総

トンを超える商船を失うという大き

な犠牲を払ったが、その実相を伝え

る資料はほとんど残されていない。

昭和57年春、株式会社商船三井の

本社倉庫から大阪商船(現商船三井)

の嘱託画家

故大久保一郎氏が戦時

中に描いた戦時徴用船遭難の記録画

37点が見つかり、同社は日本有数の

絵画修復家黒江光彦氏に依頼し、こ

れらの絵を完全修復した。私達は、

戦没された船員の労苦をしのび、そ

の霊を慰めるとともに世界の海の永

遠の平和を願い、同社のご協力を得

て、全国各地に赴き絵画展を公開し

ている。今日ではこの催しが、ご遺

族や関係者に当会の慰霊・追悼事業

を周知する手立てにもなっている。

入場無料

会場:下関市民会館1階(展示室)

日時:8月24日(火)~31日(火)

9時~18時(初日13時開場)

第40回追悼式の警備

天皇皇后両陛下をお迎えして開催

された戦没・殉職船員追悼式では、

警備の点から参列者全員に名札かリ

ボンの着用をお願いしました。会場

は第1会場にご遺族とその関係者、

第2会場は海事関係者と区分し、大

型テレビのモニターを2台設置し式

典の状況をご覧いただきました。

遠路お運びいただいたのにもかか

わらず会場の関係で第2会場で参列

いただいた方がたには、大変申し訳

なく思っております。

また、両陛下お列(車列)通過時

の会場交通路一方通行の一時停止な

ど、警備当局担当者の適切なご指導

と、実行委員のご苦労に改めて感謝

いたします。

◇「行幸啓お成りの碑」の名称

第40回の記念すべき追悼式に

あたり、神奈川県横須賀土木事

務所及び宮内庁のご協力とご指

導を頂き、天皇皇后両陛下、皇太

子同妃殿下、皇族の方々の来歴

を碑に残し建立いたしました。

名称はどうするかいろいろ考

えたのですが、最終的に宮内庁

の助言を頂き、この名称に決ま

ったものです。「皇族用語」は、

改めて調べないとわからないと

感じました。

記録画展開催会場の選定

戦時徴用船遭難の記録画展は

昭和57年東京三越本店デパート

で第1回が開催されて以来、今

年の下関で36回となります。北

海道から沖縄まで全国主要都市

で開催されております。30年間

のうち2回開催した都市もあり

ますが、今回の下関会場は初め

ての開催です。下関市のある山

口県の戦没船員は、2270人

が名簿に留められおります。悲

惨な戦争は二度と繰り返しては

いけない。今後についてもこの

ことを訴え続けていく必要があ

ると考えております。ひとりで

も多くの方に来場頂きたいと思

っております。

(齋藤清伍)

ホームページ http : //www.kenshoukai.jp Eメール [email protected]

編集後記

遭遭遭遭難難難難のののの記記記記録録録録画画画画展展展展

戦戦戦戦時時時時徴徴徴徴用用用用船船船船

平成22年8月1日 第 30 号

―12―

潮 騒