社会科学とキリスト教 ―一大塚史学をめく って一一 ·...

7
社 会 科 学 とキ リス ト教 ―一大塚史学をめく って一一 1.大 塚史学との出会い 大正の末期から昭和のはじめにかけて、日本での社会科学が台頭するなかで、 マルクシズムはきわめて重要な位置を占めていたと思われます。しかしマルク シズムは唯物論の体系であり、したがって当然にその立場は無神論でした。そ こか ら社会科学 と宗 教、 と りわ けキ リス ト教 との問題が生 じる ことにな ります。 この問題はもちろん、日本だけではありません。ADホ ワイ トはそ の著 『科 学と宗教 との闘争』のなかで、近代社会の形成過程において科学と宗教がいか に激 しく衝突 し、排撃 し合つたかを克明に描 いています。たとえば地動鋭 を唱 えたコペルニクスは、ローマ 教会の手で死後その墓があばかれたといわれてい ますが、これなどはその一例です。かつて中央大学の付属高校で世界史を教え ていた頃、生徒か らこのことについて質問が出、 先生 、 これ で もキ リス ト教 は間違っていないのですかJと いわれ、答えに窮 した こともあ りました。そ う したこともあって、科学、とりわけ社会科学とキ リス ト教は相容れないものと いう漠然たる印象を私は抱いていたのでした。 次大戦後 、 日本 の思想状況 は大 き く変 わ ります。 しか しなお、 この問題 は私 にとって未解決で した。そ うしたとき、たまたま神田の書店で一冊の本が 目に とま ります。『キ リス ト者 の実存』 と題 す る この書物 は、松 田智雄 、武 藤 雄、北森嘉蔵の二人の方 々の論文集でしたが、当時、義兄 冨山昌徳のすす -245-―

Upload: others

Post on 03-Aug-2020

2 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: 社会科学とキリスト教 ―一大塚史学をめく って一一 · 社会科学とキリスト教 ―一大塚史学をめく ゛ って一一 山下幸夫 1.大塚史学との出会い

社会科学 とキリス ト教

―一大塚史学をめく゛って一一

山 下 幸 夫

1.大塚史学との出会い

大正の末期から昭和のはじめにかけて、日本での社会科学が台頭するなかで、

マルクシズムはきわめて重要な位置を占めていたと思われます。しかしマルク

シズムは唯物論の体系であり、したがって当然にその立場は無神論でした。そ

こから社会科学と宗教、とりわけキリス ト教との問題が生じることになります。

この問題はもちろん、日本だけではありません。ADホ ワイ トはその著『科

学と宗教との闘争』のなかで、近代社会の形成過程において科学と宗教がいか

に激しく衝突し、排撃し合つたかを克明に描いています。たとえば地動鋭を唱

えたコペルニクスは、ローマ教会の手で死後その墓があばかれたといわれてい

ますが、これなどはその一例です。かつて中央大学の付属高校で世界史を教え

ていた頃、生徒からこのことについて質問が出、「先生、これでもキリス ト教

は間違っていないのですかJと いわれ、答えに窮したこともありました。そう

したこともあって、科学、とりわけ社会科学とキリス ト教は相容れないものと

いう漠然たる印象を私は抱いていたのでした。

第二次大戦後、日本の思想状況は大きく変わります。しかしなお、この問題

は私にとって未解決でした。そうしたとき、たまたま神田の書店で一冊の本が

目にとまります。『キリス ト者の実存』と題するこの書物は、松田智雄、武藤

一雄、北森嘉蔵の二人の方々の論文集でしたが、当時、義兄・冨山昌徳のすす

―-245-―

Page 2: 社会科学とキリスト教 ―一大塚史学をめく って一一 · 社会科学とキリスト教 ―一大塚史学をめく ゛ って一一 山下幸夫 1.大塚史学との出会い

めで聖書の重要さを教えられ、それに関心を抱き始めていた私は、この本を真

剣によんでみたのです。そしてとりわけ松田先生の「社会科学とキリス ト者の

実践」に深い感銘を受けたのでした。

その内容は、カール・マルクスの『資本論』とレーニンの『ロシアにおける

資本主義の発展』について述べながら、それに Mウ ェーバーの 「プロテスタ

ンティズムの倫理」を対比させつつ、一定の角度から批判を行なうというもの

でした。このとき私が教えられたのは、この論文のなかで唯物論の牙城ともい

うべきマルクス、レーニンの著作が実によく読みこなされているということで

した。というのも、はじめから唯物論とか無神論の体系はキリス ト教とは無縁

のものとして排除するのではなく、むしろ大胆にその中に分け入って、学ぶベ

きものは十分に学びとってくるという、そこに本来の科学者としての姿勢ない

し態度があるのではないのかという、そうした思いにうたれたからでした。こ

れが一つの契機となって、その後私は松田ゼミに入れていただき、さらに大学

院に進んでからは大塚久雄先生のご指導を受けて、この点についての認識を一

段と深めることができたのでした。

なお後に大塚先生から伺ったことですが、先生もまた若い頃この問題に悩み、

内村鑑三の間を叩いたというのです。そのときの内村先生の答えは次のようで

した。すなわち、「たとえ一見信仰と相容れないように見えることであっても

一向にかまわない。たえず誠実に真理を追求していくならば、必ず神に到達す

るはずだ。なぜなら、神は真理にいますからである」と。この言葉を聞いて、

社会科学者として立とうとする覚悟がきまったというのです。この話を伺って、

私もまた大いに力づけられたのでした。

2.近代社会の形成と人間類型

以上、大塚史学との出会いについて述べましたが、このような大塚史学にお

いてとりわけ注目されるのは、経済社会の営みのなかで果たす人間の役割と、

そしてまたその人間がどのようなタイブの人であるのかという、いわゆる人間

類型の問題が論じられていることでした。一般に人間の社会は、これを大きく

分ければ上部構造と下部構造から成っているというのがカール・マルクスの指

―-246-―

Page 3: 社会科学とキリスト教 ―一大塚史学をめく って一一 · 社会科学とキリスト教 ―一大塚史学をめく ゛ って一一 山下幸夫 1.大塚史学との出会い

摘するところです (「 経済学批判Jの序文)。 唯物史観の公式ともよばれるこの

図式によれば、生産の土台をなす下部構i生 は、政治、法律、思想、芸術などい

わゆる上部構造としての人間の思想ないし意識一般を規定する最も重要な要因

なのでした。その意味で、 ド部構造としての社会経済体制が社会全体のなかで

きわめて重要な位置を占めることになるのですが、この図式からすれば、上部

構造としての人間的要素は軽視されるか、ときには見落とされることもありう

るのです。

このような唯物史観が社会科学のなかで主流であった時代に、大塚教授の提

起した問題はきわめて重要でした。それは上記のように、歴史のなかで、とり

わけ変革期における人間の重要性を指摘するとともに、それを具体的な史実に

よつて裏付けようとしたからでした。具体的には 15-6世紀のイギリス社会

に登場してくる中産の農民層、いわゆるヨーマンについての指摘がそれです。

資本主義の母国といわれたこの国イギリスでも、農民たちはかつての封建体制

のもとで、封建領主や地主、また都市に拠点をもつ商人たちの収奪を受けてい

たのですが、それが生産力の展開に応じて次第に自立化し、やがて重い地代や

身分上の制約をはねのけて、自由かつ独立の農民 (独立自営農民)へ と成長を

とげていくのです。このことを可能にした要因は何であったのか。イギリスの

封建体制の性格 (構造的な弱さ)をはじめ、農村に端を発する毛織物工業の発

展とか、さまぎまな要因があげられますが、とりわけ重要なのは、この中産の

農民と手工業者たちを捉えた職業観念が、この国の生産力の発展に大きく貢献

したということでした。

3 職業労働とプロテスタンティズムの倫理

これまでにみたイギリスの中産階級すなわち手正業者や自営の農民 (ヨ ーマ

ン)た ちは、当時イギリス社会の上層にあった地主や貿易商人などに比べると

比較的目立たない存在でしたが、しかし彼らのなかには、プロテスタンティズ

ムの信仰が広くゆきわたっていたのでした。彼らにとって職業とは、その種類

のいかんを問わず、すべて神より恩恵として与えられたものであったのです。

この点、たとえば ドィッ語で職業を意味するベルーフ (Beruf)に は、本来神

―-247-―

Page 4: 社会科学とキリスト教 ―一大塚史学をめく って一一 · 社会科学とキリスト教 ―一大塚史学をめく ゛ って一一 山下幸夫 1.大塚史学との出会い

に招かれる、すなわち召命の意味がありました。したがってこの恩恵としての

職業に精魂をうち込んで一定の成果をあげるということは、地上において神の

栄光を現わすゆえんであると同時に、各人の魂の救済とも深く関わっていたの

でした。このようにして、改革者ルターに始まるといわれるこの新しい職業観

(職業倫理)を 身につけた当時のイギリスの中産階層は、「祈 りかつ働く」こと

を通して労働の生産性を高め、当時の毛織物工業を家内工業からマニュフアク

チャーヘ、そしてさらに近代的な工場へと拡大してゆくイギリス産業の担い手

となったのでした。そしてこの過程のなかで成長をとげた中産の生産者 (農民

と手工業者)が、やがて競争を通して両極に分解をとげ、資本=賃労働関係と

いう資本主義の骨格をつくっていくのです。このように、農民や手工業者の抱

いた信仰と理念、いわゆるエー トスが生産性の増大と、近代企業の成長に大き

く関わっていたというそうした視角から、『近代欧州経済史序説』をはじめ大

塚先生の数々の労作が生まれ、そしてそれが学界での大きな流れとなるのです。

ところで、このような大塚教授の一連の研究には、つねに日本のことが念頭

にあったと思われます。以上の近代社会形成の問題を日本にあてはめてみた場

合、この国の進路は果たしてどうあるべきなのか。たしかに明治以降の日本は

急速な発展をとげ、戦後の経済発展にも目覚ましいものがあるのは事実です。

けれども、このような急成長をとげた日本社会のなかで、精神的な自立化が果

たしてどの程度達成されているのかは大変疑間であるといわねばなりません。

こうした問題を、比較史的な視点から明らかにしたいとの意図が、大塚史学の

なかには始めからあったといえましょう。『社会科学における人間』とか『近

代化の人間的基礎』 (『著作集』第 8巻)な どの著作からも、このことがよくう

かがわれます。そこで、次に日本の問題に入るのですが、その前に、近代社会

の特徴としての「意味喪失の時代」のことに一言触れておきましょう。

4.「意味喪失の時代」と日本社会

1976(昭和 51)年の 10月 、ICU(国 際基督教大学)で行なわれた講演をも

とに、大塚先生はのちに「意味喪失の時代に生きる」と題する一文を書いてお

られます。われわれの生きる現代社会は、社会のあらゆる面での合理化が極度

―-248-―

Page 5: 社会科学とキリスト教 ―一大塚史学をめく って一一 · 社会科学とキリスト教 ―一大塚史学をめく ゛ って一一 山下幸夫 1.大塚史学との出会い

に進行し、形式主義的な思考がはびこっている。そこではすべてが数量化され、

また数値に還元さオ1て、個性的なものとか、それのもつ本来の意味が失われて

いく「意味喪失」の時代にはかならないというのです。そしてここに、ルカ福

音書 (15章 )に 出る 「迷える一匹の羊Jの話が登場します。イエスの語られ

た警えですが、いま百匹の羊を飼っている人がいたとして、その中の一匹がも

しいなくなったなら、飼い主は 99匹 をそこに残して迷える羊を探し歩かない

だろうか。そしてそれを見つけたなら、自分の肩にのせて帰り、友人や隣人と

喜びを共にするであろうというのです。この話でイエスは、ただ一人の罪人で

も悔い改めるならば 99人 の正しい人にもまさって、天上には大きな喜びがあ

ることを告げているのですが、この讐えなどは果たしてどうでしようか。なぜ

一匹の羊のために 99匹が放置されねばならないのか。もしも飼い主のいない

間に狼が襲ってきたらどうするのかなど、話の本質とその意味が数量的なもの

にすりかえられてしまうという、そうした状況が今の時代にはあるのです。

同様のことは、同じ ICUで の講演で語られた 1大岡裁きJに ついてもいえ

ましよう。自分が実の母だと称して一人の幼児を取り合う二人の女に、大岡越

前守は子供の腕を片方ずつ取って両側から引っばってみよと命じます。子供が

火のついたように泣きだしたとき、実の母は思わず手を離すのですが、ここに

もまた負けるが勝ちの論理が働いて、幼児を引き寄せた方ではなく、途中で手

をA41し た女こそ実の母であると越前守は断定するのです。これらの話が語って

いるように、表面的な現象に目を奪われてその背後にある真実なもの、事の本

質を見逃すか、あるいはたとえ見ていてもあえてこれを無視してしまうという、

そうした状況が現代の社会には限りなくあるというのです。

私が思いますのに、こうした状況を生み出した背景には、たとえば近代に特

徴的な大量生産の展開なども深く関わっているようです。高度の機械化と、ま

た徹底した管理のもとで、そこに働く人々の個性や熟練が失われ、人間の部品

化が進行する。そして、さらに近代科学の進歩がこれに拍車をかけるという状

況が生まれているのです。そこではいまや宗教に代わって、科学が信仰の対象

となっているといえましょう。そうしたなかで人々は、人の死を単なる自然現

象とみてしまう傾向があり、生命の重さが忘れられると同時に、生きているこ

―-249-―

Page 6: 社会科学とキリスト教 ―一大塚史学をめく って一一 · 社会科学とキリスト教 ―一大塚史学をめく ゛ って一一 山下幸夫 1.大塚史学との出会い

との意味をも見失い始めているのです。このようにして、大塚先生のいわれる

ように、世界のあらゆる現象が意味を喪失してしまったと思える時代に、私た

ちはいま生きているといわねばなりません。

こうした状況から、いかにして人々は抜け出すことができるのか。科学にも

はやその資格はなく、物理的な諸力もとうてい無理であるとすれば、ここにど

うしても宗教が登場せざるをえません。もちろんそれはオカル ト的、呪術的な

ものであってはならず、むしろそうしたものを打ち砕いて人々の心を内面から

ゆり動かし、新たな類型の人間を造りうるような真の意味での宗教のことです

が、この点に関しての、大塚教授の次の言葉が想起されます。「究極の価値か

ら切り離され、意味も喪失してしまったこの世界の諸現象に再び豊かな意味を

あたえ、現代文化のバベルの塔のような混乱から人々を救いだす、そうした大

事業のために、キリス ト教はいま近代科学の限界をのりこえて乗り出すべきと

きが来ているのではないでしょうか。キリス ト教はその実績からみて、十分に

その底力をもっていると信じるからです。Jそ して第 1コ リン ト書 1章 18-

25節 にあるパウロのことば、「十字架の言は滅びゆく者には愚かであるが、救

いにあずかる私たちには神の力であるJが引用されているのです。

さて、以上の問題はわが日本においてはどうでしょうか。意味喪失の時代を

迎えているのは日本も同様です。しかも日本の場合には、西欧の社会にみるよ

うな近代的な人間類型の創出をみないまま、つまり市民社会形成の歴史的過程

を欠落させたまま、形の上だけで近代社会に移行したという問題があるのです。

したがって、そこには古い共同体的な遺制や遺物が根強く残存しており、古い

人間関係があとを断たない、いわゆる 1談合的Jな体質が目立つのです。この

ような状況をふ、まえ、今の日本にとって何がもっとも大事なのかを大塚先生に

伺うとすれば、おそらく先生からは次のような答えが返ってくるのではないで

しょうか。すなわち経済的には今の日本のような外国貿易依存型ではなく、国

内にしっかりと足をふまえ、諸産業と市場の間にバランスのよくとれた 「国民

経済Jを樹立すること。そして第二には、それ以上に大事なことですが、いま

最も必要とされている内画的な国民意識の変革、すなわち新たな人間類型の創

出に努めることではないでしょうか、と。

―-250-―

Page 7: 社会科学とキリスト教 ―一大塚史学をめく って一一 · 社会科学とキリスト教 ―一大塚史学をめく ゛ って一一 山下幸夫 1.大塚史学との出会い

いま天上にあって、先立たれた奥様ともども私どものことを祈っていて下さ

るであろう先生の姿を思い浮かべながら、そして先生の示された方向を目指し

たいとの決意を新たにしつつ、私の今日のお話を終えさせていただきます。