組織はどのようにアンラーニングするのか?組織アンラーニング...

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【査読付き論文】 特集/経営組織の分厚い記述 組織はどのようにアンラーニングするのか? ──社会福祉法人 X 会にみる,段階的な組織アンラーニング── 安藤 史江(南山大学 ビジネス研究科 准教授) 杉原 浩志(社会保険労務士杉原事務所 所長) 本稿では,半ばブラック・ボックス化しているトップ主導の 組織アンラーニング実現のメカニズムを,社会福祉法人 X の詳細な事例分析を通じて考察した.その結果,X 会の組織ア ンラーニングは,棄却対象の点でも棄却を行った当事者の点で も,段階的に進行したと解釈された.この段階性は,直接の上 位層の棄却レベルが下位層のそれを下回るという形で存在する ギャップに組織成員が何度も直面し,その都度それを解消する ことで生じていた. キーワード 組織学習,社会福祉法人,段階的な組織アンラーニング,直接の上位層との棄却レベルのギャップ .はじめに Hedberg(1981)の研究で注目された「組織ア ンラーニング(organizationalunlearning)」は, 組織学習のサブ・プロセスと位置づけられる重要 な概念であるが,その研究は 1990 年代,しばし の 停 滞 期 を 迎 え て い た(安 藤,2001;Becker, 2005;Tsang, 2008;Tsang and Zahra, 2008).近 年,組織アンラーニングこそ,組織パフォーマン スの向上やイノベーションの成功,競争優位性の 獲得には不可欠として,研究関心の再燃の動きが み ら れ て い る(Sincula, 2002;Cegarra-Navarro and Moya, 2005;Tsang, 2008). 組織を取り巻く環境変化が大きければ大きいほ ど,大規模な組織アンラーニングの必要性は増 し,それにつれて,旗振り役としてのトップに対 する期待も高くなる.だが,既存研究の多くは, トップ主導での取り組みが望ましい組織アンラー ニングをどのように可能にするのか,その間のメ カニズムを十分には明らかにしてこなかった.そ の背景として,従来の組織アンラーニング研究は 概念的な研究を中心としており,こうしたメカニ ズムの解明にとってより効果的と考えられる実証 研究が手薄だったことが挙げられる.とくに,具 体的で詳細な分析・考察に基づく事例研究の不足 はたびたび指摘されてきた(Akgün, Byrne, Lynn, and Keskin, 2007;Tsang and Zahra, 2008). そこで本稿では,社会福祉法人 X 会における 組織アンラーニングの事例を詳細に分析・考察す ることを通じて,現在,半ばブラック・ボックス 化しているトップ主導による組織アンラーニング の成立メカニズムの端緒をつかむことを試みた い. .組織アンラーニングに関する諸研究 1.組織アンラーニングの定義 組織アンラーニングとは,Hedberg(1981)に よれば,「時代遅れ(obsolete)になったり組織 組織科学 Vol.44 No. 35-2020115

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Page 1: 組織はどのようにアンラーニングするのか?組織アンラーニング 実現のメカニズムを,社会福祉法人X会 の詳細な事例分析を通じて考察した.その結果,X会の組織ア

【査読付き論文】

特集/経営組織の分厚い記述

組織はどのようにアンラーニングするのか?──社会福祉法人X会にみる,段階的な組織アンラーニング──

安藤 史江(南山大学 ビジネス研究科 准教授)

杉原 浩志(社会保険労務士杉原事務所 所長)

本稿では,半ばブラック・ボックス化しているトップ主導の

組織アンラーニング実現のメカニズムを,社会福祉法人 X会

の詳細な事例分析を通じて考察した.その結果,X会の組織ア

ンラーニングは,棄却対象の点でも棄却を行った当事者の点で

も,段階的に進行したと解釈された.この段階性は,直接の上

位層の棄却レベルが下位層のそれを下回るという形で存在する

ギャップに組織成員が何度も直面し,その都度それを解消する

ことで生じていた.

キーワード

組織学習,社会福祉法人,段階的な組織アンラーニング,直接の上位層との棄却レベルのギャップ

Ⅰ.はじめに

Hedberg(1981)の研究で注目された「組織ア

ンラーニング(organizational unlearning)」は,

組織学習のサブ・プロセスと位置づけられる重要

な概念であるが,その研究は 1990 年代,しばし

の停滞期を迎えていた(安藤,2001;Becker,

2005;Tsang, 2008;Tsang and Zahra, 2008).近

年,組織アンラーニングこそ,組織パフォーマン

スの向上やイノベーションの成功,競争優位性の

獲得には不可欠として,研究関心の再燃の動きが

みられている(Sincula, 2002;Cegarra-Navarro

and Moya, 2005;Tsang, 2008).

組織を取り巻く環境変化が大きければ大きいほ

ど,大規模な組織アンラーニングの必要性は増

し,それにつれて,旗振り役としてのトップに対

する期待も高くなる.だが,既存研究の多くは,

トップ主導での取り組みが望ましい組織アンラー

ニングをどのように可能にするのか,その間のメ

カニズムを十分には明らかにしてこなかった.そ

の背景として,従来の組織アンラーニング研究は

概念的な研究を中心としており,こうしたメカニ

ズムの解明にとってより効果的と考えられる実証

研究が手薄だったことが挙げられる.とくに,具

体的で詳細な分析・考察に基づく事例研究の不足

はたびたび指摘されてきた(Akgün, Byrne, Lynn,

and Keskin, 2007;Tsang and Zahra, 2008).

そこで本稿では,社会福祉法人 X 会における

組織アンラーニングの事例を詳細に分析・考察す

ることを通じて,現在,半ばブラック・ボックス

化しているトップ主導による組織アンラーニング

の成立メカニズムの端緒をつかむことを試みた

い.

Ⅱ.組織アンラーニングに関する諸研究

1.組織アンラーニングの定義

組織アンラーニングとは,Hedberg(1981)に

よれば,「時代遅れ(obsolete)になったり組織

組織科学 Vol.44 No. 3:5-20(2011)

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Page 2: 組織はどのようにアンラーニングするのか?組織アンラーニング 実現のメカニズムを,社会福祉法人X会 の詳細な事例分析を通じて考察した.その結果,X会の組織ア

や人を誤った方向に導く(misleading)知識を,

組織が捨て去る(discard)プロセス」と定義さ

れ,組織の学習棄却とも訳される.

知識のみでなく,知識獲得の基盤となる組織ル

ーティン(routine)や規範(norm),組織で共

有されている価値(shared organizational val-

ue),組織の準拠枠(frame of reference),組織

の認知構造(organizational cognitive structure),

世界観(world view),基本的仮定(basic as-

sumption)なども,組織アンラーニングの対象

として捉えられている.

組織アンラーニングの研究では,知識よりはル

ーティン,ルーティンよりは信念や組織価値とい

うように,組織により深く埋め込まれた対象物の

棄却のほうが,組織により本質的な影響力を持つ

と理解され,結果として,研究者の関心もそうし

た事象の分析に向けられがちである.だが一方

で,その前段階にあたる組織アンラーニングの定

義,すなわち概念の領域(domain)の議論につ

いては,これまで十分に行われてきたとは認めが

たい.組織アンラーニングの定義に関する,現時

点での研究者間の統一的な見解としてはせいぜ

い,「組織がもはや機能しなくなった何かを,意

識的に捨て去るプロセス」という程度である.

こ う し た 事 情 に よ り,Tsang and Zahra

(2008)が文献レビューにおいて指摘するように,

組織アンラーニングの定義として,既存の知識や

ルーティン,組織価値の「棄却」に留まらず,新

たな知識やルーティン,組織価値による「置き換

え(replacement)」まで含めて捉えようとする

研究も少なくない(Prahalad and Bettis, 1986;

Klein, 1989;Argyris and Schön, 1996;Argote,

1999;Sinkula, 2002).

だが,置き換えとは新たな知識やルーティン,

組織価値の獲得を指し,それは既存の知識やルー

ティン,組織価値の棄却とは全く別の活動であ

る.Tsang and Zahra(2008)や Akgün et al.

(2007)によれば,棄却は高次学習を実現するた

めのプラットフォームであり,棄却を経ることに

よって組織はより高レベルの知識を獲得しやすく

なるものの,それはあくまでその可能性が高まる

ことを意味するに過ぎない.それに対して,棄却

を一切伴わない知識獲得も,現実には決して少な

くない.さらには,棄却と置き換えがほぼ同時に

行われる場合もある一方で,多大な時間を要した

り,一旦棄却が行われたものの,時間の経過とと

もに元の状態に戻るなどして結局置き換えには至

らない場合もある.これらの点を考慮すると,置

き換えまで含めたプロセスを組織アンラーニング

と捉えることは,その成否についての客観的な評

価を非常に困難にさせる恐れがあると考えられ

る.

したがって本稿では,置き換えと棄却を異なる

プロセスとして明確に区別し,既存の知識やルー

ティン,組織価値の棄却のみを,組織アンラーニ

ングと捉えることにする.

2.組織アンラーニングの対象

組織アンラーニングの対象には,前述したよう

に,知識だけでなく,組織ルーティン,組織の認

知構造,組織価値が含まれる.たとえば,

Akgün et al.(2007)は,組織記憶には 3 つの形

態,「物理的な人工物(physical artifacts)」と

「公式的・非公式的な行動のルーティン(formal

and informal behavioral routines)」「信念(be-

liefs)」が あ る と し た Moorman and Miner

(1997)の主張を利用して,このうち,組織アン

ラーニングの対象となるのは,ルーティンと信念

であると説明した.行動のルーティンには,日々

の業務に関わる手順や,経営上や技術的なシステ

ム,情報共有のメカニズムなどが含まれ,信念に

は知識や組織価値,組織の認知構造などが含まれ

る.組織アンラーニングの真の成功は,ルーティ

ンと信念の双方が棄却されないと期待できない

が,組織により深く埋め込まれている信念は,慣

性の力がより強いため棄却されにくいと主張す

る.

ルーティンこそ組織の行動的な側面と認知的な

側面を統合しうる概念と捉えた Tsang and Zahra

(2008)も,同 様 の 議 論 を 行 う.彼 ら は,

Feldman and Pentland(2003)によるルーティン

の分類に従い,ルーティンには原理原則的な存在

6 組織科学 Vol. 44 No. 3

Page 3: 組織はどのようにアンラーニングするのか?組織アンラーニング 実現のメカニズムを,社会福祉法人X会 の詳細な事例分析を通じて考察した.その結果,X会の組織ア

である「表向きの(ostensive)ルーティン」と,

実際に組織で使用され,特定の場所や時間,行動

に粘着性のある「遂行的な(performative)ルー

ティン」があるとした.その内容を検討すると,

前者は Akgün et al.(2007)の公式的なルーティ

ンに近く,後者は同じく Akgün et al.(2007)の

非公式的なルーティンと信念をあわせたものに近

い.

そのうえで彼らは,多くの組織アンラーニング

は表向きのルーティンの棄却を出発点とするが,

遂行的なルーティンが棄却されないと,組織は元

の状態に戻ってしまうと論じた.この考え方は,

ルーティンと理論という対象概念の違いこそあ

れ,組織が表向き掲げる「信奉理論(espoused

theory)」と,実際に組織メンバーの行動を支配

す る「使 用 理 論(theory-in-use)」と の 関 係

(Argyris and Schön, 1978)とも酷似している.

Argyris and Schönは,使用理論に該当するのは,

既存の規範,組織価値,仮定(existing norm,

value and assumption)と説明している.

一方で,Tsang and Zahra(2008)は,組織メ

ンバーによるアンラーニングの成否が組織アンラ

ーニング成立の障壁となる可能性にも言及する.

March and Olsen(1976)の学習サイクルモデル

が示すように,組織が既存の組織の信念を棄却し

ようとするとき,進行中の組織変化にあわせて,

組織の信念を行動基盤とする組織メンバーも自ら

の信念の棄却を進めなければ,継続的に循環を繰

り返すべき組織の学習サイクルがそこで途絶えて

しまうためである.それはつまり,組織アンラー

ニングが不完全に終わることを意味している.

March and Olsen(1976)のモデルを発展させ

た Kim(1993)は,この点をさらに詳細に論じ

ている.Kimは,組織としての物の見方,信念,

組織価値である「世界観(weltanschauung)」と

組織ルーティンをあわせて,「組織の共有された

メンタルモデル(organizationʼs shared mental

models)」と定義する.そして,その変化と組織

メンバー個人のメンタルモデルの変化がリンクす

るほど,ダブル・ループ学習,すなわち既存の組

織価値・ルーティンの棄却を伴う,新たな組織価

値・ルーティンの置き換えが生じやすくなると説

明している.

組織アンラーニングの既存研究の多くは,組織

メンバー個人の信念の変化による組織アンラーニ

ングへの影響力を,これまで前面に押し出してこ

なかった(Klein, 1989).だが,組織アンラーニ

ング成立までの過程を表面的でなく,より深く詳

細に記述しようとすれば,その影響力の大きさに

言及せざるをえなくなる.実際,組織アンラーニ

ングの数少ない事例研究の 1 つである Tsang

(2008)も,組織アンラーニング失敗の原因に,

組織メンバーのメンタルモデルが変わらなかった

ことを指摘している.

以上の既存研究をまとめると,組織アンラーニ

ングの対象は表 1 のように大きく 3 つに整理でき

る.1つ目は,比較的慣性の弱い原理原則的であ

る「表向きの組織価値およびルーティン」であ

る.2 つ目は,組織に埋め込まれているため,慣

性が強く,実際の組織行動にも多大な影響を与え

組織はどのようにアンラーニングするのか? 7

表 1 組織アンラーニングの対象

・Akgün et al. (2007)

・Moorman andMiner

(1997)

・Tsang and Zahra (2006)

・Feldman and Pentland

(2003)

Argyris and Schön (1978) Kim (1993) 本稿での名称

組織

弱↓慣性↓強

公式的な,行動ルーテ

ィン

表向きのルーティン 信奉理論 組織に共有された

メンタルモデル

表向きの組織価値

およびルーティン

非公式的な,行動ルー

ティン

遂行的なルーティン 使用理論 遂行的な組織価値

およびルーティン

信念

個人各組織メンバーのメンタ

ルモデル

個人にも,信奉理論,使

用理論がある

組織メンバー個人

のメンタルモデル

組織メンバーのメ

ンタルモデル

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る「遂行的な組織価値およびルーティン」であ

る.そして 3 つ目は,組織メンバー個人に埋め込

まれているため,既存研究の多くが組織アンラー

ニングの対象から落としがちだが,実は組織アン

ラーニングの成否を握ると考えられる「組織メン

バーのメンタルモデル」である.

3.ブラック・ボックス化しているメカニズム

Akgün et al.(2007)によれば,組織に必要な

組織アンラーニングは環境状況によって異なる.

環境変化の程度が小さかったり変化の予測可能性

が高ければ,それほど大きな組織アンラーニング

は必要ないが,環境変化が大きい場合には,望ま

しい組織アンラーニングも大規模になる.すなわ

ち,組織アンラーニングの対象として前述した 3

つの要素すべての棄却の成否が最も問われるの

は,大きな環境変化に直面した組織であると考え

られる.

それでは,大きな環境変化に直面し,大掛かり

な組織アンラーニングが必要なとき,組織は具体

的にどのようなメカニズムでそれを実現しうるの

だろうか.先行研究では,組織の最高責任者/グ

ループであるトップ・マネジメントに,組織アン

ラーニング実現に向けたイニシアティブ発揮を期

待することが多い.トップには組織メンバーに対

する公式・非公式の強い影響力があると考えるか

ら で あ る(Nystrom and Starbuck, 1984;

Prahalad and Bettis, 1986;Klein, 1989).

だが,その一方で,トップによるイニシアティ

ブが,期待する組織アンラーニングの実現にどの

ように結びつくのか,既存研究はその問いに十分

な答えを提供しているとは言いがたい.たとえ

ば,トップがとるべき行動の例として,組織内で

の危機感の演出や,たとえ高業績を上げていて

も,棄却したい既存の組織価値やルーティンを体

現する者に対しての象徴的パージなどが挙げられ

るが,それらがどのようなプロセスを辿って,前

述した 3つの組織アンラーニング対象すべての棄

却を可能にするのか,文献から読み取ることは難

しい.

同様に,トップが明確で一貫したメッセージを

辛抱強く発し続けること,教育訓練や報酬・評価

制度などの整備を通じて新たな組織価値・ルーテ

ィンを浸透させること,新たな組織価値・ルーテ

ィンのもとで組織メンバーに小さな成功を積み重

ねさせること,学習喚起のためのオープンな組織

文化や場づくりを意識的に行うこと(McGill and

Slocum, 1993;Nevis, DiBella, and Gould, 1995;

Crossan, Lane, and White, 1999;Lawrence,

Mauws, Dyck, and Kleysen, 2005)なども,組織

アンラーニングには有効とされる.だが,そうし

たトップの行為と,その結果としての組織アンラ

ーニング成立との関係を,常に保証する説得力あ

る議論は必ずしも展開されない.

そもそも,トップ主導の取り組みすべてが成功

するわけではなく,むしろ失敗例のほうが多い.

では,失敗した事例はどこで躓き,成功した事例

は,失敗した事例が躓いたそれらの点をどのよう

に克服したのだろうか.また,組織は 3 つのアン

ラーニング対象すべての棄却をほぼ同時に実現す

るのか,それとも段階的に進行させるのか.仮に

後者の場合,それはどのようなメカニズムによる

のか.これらの問題意識に対して,組織アンラー

ニングの既存研究は必ずしも説得力ある十分な答

えを提供していない.

以上を総合すると,既存研究では,トップのイ

ニシアティブと組織アンラーニングの成立との関

係が,一種のブラック・ボックス化していると解

釈できる.こうしたメカニズムの解明には,具体

的で詳細な分析・考察に基づく事例研究がより効

果的と考えられる.だが,これまでの組織アンラ

ーニング研究は,概念的な研究が多数を占め,実

証研究,とくに事例研究は手薄な状態にある.

そこで本稿では,上記の問題意識を追究すべ

く,大きな環境変化に見舞われたため,トップ主

導で大規模な組織アンラーニングに挑戦すること

になった社会福祉法人X会の事例を取り上げる.

そして,X 会が表 2 の,旧体制(左側の列)の

組織価値およびルーティン,メンタルモデルを棄

却し,新体制(右側の列)の状態を確立するまで

のメカニズムについて,詳細な分析・考察を試み

たい.

8 組織科学 Vol. 44 No. 3

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Ⅲ.X会による組織アンラーニングの軌跡

1.研究対象の選定理由

X 会は,ある地方都市で老人福祉施設を経営

する社会福祉法人である.社会福祉法人は,「非

営利性」「公益性」「事業継続の信頼性」などの特

徴により,株式会社などの営利法人とは異なる性

質を持つ.X 会を研究対象に選んだ理由は,主

に以下の 3 点に集約される.

第 1 に,老人福祉事業の規制緩和や前トップの

逮捕などの大きな環境変化に見舞われた X 会で

は,2007 年 7 月から約 1 年 8 カ月にわたり,新

たなトップ主導のもと,組織変革の取り組みを進

めてきた.X 会は,最終的には「表向きの組織

価値およびルーティン」から「組織メンバーのメ

ンタルモデル」まで,前述の組織アンラーニング

対象すべての棄却を可能にし,大規模な組織アン

ラーニングを実現させた.だが,X 会がその最

終地点に至るには紆余曲折があり,変革への取り

組みが頓挫したかと思わせる出来事にも途中,何

度も遭遇した.つまり,X 会は組織アンラーニ

ングの成功例であると同時に,失敗例としての側

面も備えており,同様の取り組みを行う組織が躓

きやすい点を知る一助になると理解される.

第 2に,2名の執筆者のうち 1 人は,X会の組

織変革の全プロセスに,取り組み当初から深く関

与する機会を得た.そのため,完全な第三者では

決して知りえない情報から,事後的な聞き取りで

は真っ先に忘却の対象となるような瑣末な情報ま

で,詳細なプロセスを記録し,振り返ることが可

能になった.すなわち,これまでプロセスの観察

が困難なため,組織アンラーニングの既存研究に

不足しがちだった詳細な事例研究が可能になっ

た.

第 3に,「経営」の発想を近年になって初めて

持つようになった社会福祉法人は,長年その発想

に慣れ親しみ十分に浸透した民間企業と比較すれ

ば,経営体としては驚くほど未熟で初歩的な状態

がみられることは否めない.しかし,だからこ

そ,民間企業ではより多様で複雑な要素に覆い隠

されて把握しにくいプロセスの「本質」が,X

会の事例では剥き出しになりやすいと考えられ

た.

本稿では,X 会の関係者への聞き取りや直接

観察,3 回にわたる X 会実施によるアンケート

組織はどのようにアンラーニングするのか? 9

表 2 取り組みを通じてX会で転換が実現した,組織価値およびメンタルモデルの特徴の比較

旧体制(専制支配型組織) 新体制(自律型組織)

表向きの

組織価値およ

びルーティン

トップの立場 絶対的な存在 支援的な存在

トップと職員の関係 すべてはトップが決め,職員はそれに従う.

気に入らないと解雇される.

トップは,職員の自主性を尊重し,目的のた

めに協力しあう.

組織の目指すもの 徹底した利益追求

(儲からないことは,極端に嫌う).

利用者や職員の人間性の尊重.

採算は考えるが,直接儲けにつながらないよ

うでも,利用者満足を目指す.

遂行的な

組織価値およ

びルーティン

一般職員の行動様式 ・周囲に倣い,受動的に行動する.

・余分なことは,言ったり考えないのが賢明.

・とにかく目立ってはいけない.

・自分の業務のみしていればよい.

・長期的な視点に立ち,自ら能動的に行動す

る.

・必要であれば,自分の業務を超えた範囲に

ついても,提案や工夫を行う.

一般職員の組織観 ・理事長や管理職は信用ならない.

・この組織は変われない.

自分が行動することによって,組織も変わる

ことができる.

組織との心理的関係 冷め切った関係 自立した関係

管理職の職員観 現場は統制・指導するもの. 自分の変えるべき点を,職員の反応や態度か

ら教えられる.

理事長らの職員観 職員には限られた能力しかない. 職員の潜在能力には,限りがない.

各人のメンタルモデル 悪いのは自分ではなく,組織や周囲である. 何事も,まず自分が変わることから始まる.

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の結果や,議事録を始めとした内部資料の活用を

通じて事例分析を進めていく.具体的には,執筆

者のうち 1 名は,本論文が研究対象とした 2007

年 7 月から 2009 年 2 月までの期間,開催された

全体集会1)すべてに出席するとともに,月に

5〜10 回は X 会を訪れ,変革の進 状況を記録

する直接観察と,事務長,施設長およびその他管

理職への聞き取りを繰り返した.また,2008 年 3

月には 5名,同年 9 月には 10名の一般職員から

も,1 名につき 30分から 60分程度の聞き取りを

行っている2).

一方,もう 1名は,主に理事に対する聞き取り

調査を担当し,2008 年 12 月から 2009 年 10 月に

かけて,合計 5 回の聞き取りを直接およびメール

を通じて行った3).また,両執筆者が収集した情

報および議事録,X会に関する新聞記事を整理・

分析するとともに,X 会実施の全 3 回のアンケ

ート結果の考察も担当した.

さらに,互いの調査結果や考察結果について頻

繁に意見交換や検討を重ねていく過程では,たび

たび新たな疑問が浮上した.その疑問解明の目的

で,協力して 2009 年 10 月,2010 年 2 月,同年

10 月と計 3 回,追加的な聞き取りも行っている4).

2.X会の組織変革の背景

社会福祉法人 X 会は,主要事業の特別養護老

人ホームやグループホームを始めとして,通所

型・在宅型のサービスまで幅広く手がける総合型

老人福祉施設を運営している.社会福祉法人と

は,1951年制定の社会福祉事業法(2000 年より

社会福祉法)によって定められた社会福祉事業を

行うことを目的・使命として設立された特別法人

のことであり,国や地方公共団体と並び,特別養

護老人ホームに代表される「第一種社会福祉事

業」の主要な担い手として認められている民間組

織である(森宮,2005;九門・西岡,2009;武

居,2009).

社会福祉事業の種類には障害者関連から児童福

祉関連などさまざまなものがあるが,図 1 から明

らかなように,中でも老人福祉施設の伸びが著し

い.理由としては,少子高齢化や核家族化の進展

に伴う老人福祉事業の必要性のより一層の高まり

や,1989 年の「高齢者保健福祉推進十か年戦略

(ゴールドプラン)」や 1994 年の「新ゴールドプ

ラン」などの,国による強い推進活動の効果が大

きかったと考えられる.実際,1997 年に創設さ

れた X 会もこうした改革推進期に誕生した組織

の 1つである.正職員約 40名,準職員やパート

タイマー約 40名の計約 80名で構成され,総合型

施設としては中規模組織である.正職員には介護

福祉士や社会福祉士のほか,栄養士や看護師,ケ

アマネジャーなどの有資格者が相当数含まれてい

る.

X 会が創設されてほどなく,老人福祉事業は

10 組織科学 Vol. 44 No. 3

図 1 社会福祉施設数の推移

0 20,000 40,000 60,000 80,000 100,000 120,000

1980

1990

1995

2000

2006

施設数

保護施設 老人福祉施設 身体障害者更生援護施設知的障害者援護施設 精神障害者社会復帰施設 婦人保護施設児童福祉施設 母子福祉施設 その他の社会福祉施設

出所:厚生労働省大臣官房統計情報部『社会福祉施設等調査報告』より筆者作

成.

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大きな環境変化に直面する.2000 年の介護保険

制度の導入により,施設入所制度がそれまでの措

置制度(行政が利用者に「与える福祉」)から契

約制度(利用者が自主的に「選ぶ福祉」)に転換

したのである.その円滑な移行を目指して実施さ

れた規制緩和で,株式会社や NPO法人など多数

の民間組織が相次いでこの分野に参入した.その

ため,第二種社会福祉事業5)の競争は俄かに激化

し,従来は「運営」の発想のみで安穏としていた

社会福祉法人の多くも,「経営」のロジックを持

たないと生き残れない時代に突入した.この状況

に追い討ちをかけるように,2003 年度と 2006 年

度,連続して介護報酬の引き下げも行われた.そ

の結果,多くの施設は苦しい経営状態と高い離職

率に悩まされることになった.

第一種社会福祉事業を主要事業とする X 会も

影響の大小こそあれ,例に漏れなかった.経常収

支は悪化の一途を辿り,高い離職率から生じる労

働負荷の増大のため職員の多くは慢性的な疲労状

態にあった.組織は明らかに抜本的な変革を必要

としており,ほとんどの職員が内心そのことを十

分に理解していた.しかし当時のトップである前

理事長は専制的であり,X 会内部に一種の恐怖

政治を敷いていた.徹底した利益主義のもと,強

引な数値目標を与え,それが未達のときは管理職

の責任を厳しく追求し,時には体罰も辞さないほ

どであった.また,気に入らない者に対しては,

すぐ解雇を申し渡すというやり方をとっており,

誰も前理事長に組織変革の必要性はおろか,業務

全般について自由な考えを進言できる状況になか

った.たとえ異なる考えや不満があっても,我が

身の安全のためにそれを覆い隠して前理事長の指

示に従い,与えられた職務を目立たず無難にこな

すのみだった.

そうした,いわば異常な状態にようやく大きな

転機が訪れたのは,2007 年のことである.前理

事長が施設の管理職を巻き込んだ違法行為を働い

たことで刑事罰を受け,急遽退任させられたので

ある.そこで,X 会を立て直し,再生を図るた

め,まもなく新体制が発足し組織変革に着手する

ことになった.だが,その時点での X 会はこれ

までの専制支配と事件の痛手という双方の影響に

より,文字通り疲弊および混乱の極みにあった.

3.「新価値注入によるロワーの混沌」の第 1フ

ェーズ(2007年 7月〜2008年 6月)

再生に向けた第一歩は,理事会を含む X 会の

あるべき姿や方向性の見直しであった.まず,社

会福祉事業法で設置が義務づけられている理事会

については,2007 年 7 月,前理事長を除き,旧

体制下でも理事を務めていた 9名の中から,企業

経営者としての手腕や人望により,理事会や職員

はもちろん地域の人々からも信頼が厚かった人物

を新たな理事長として選出した.そして,旧体制

では前理事長が兼務していた現場の指揮を担当す

る施設長の役割を,理事長職から完全分離するこ

とで,これまでは形式的な決議の場に過ぎなかっ

た理事会を実質的な機能を持った組織へと転換を

図った.

新理事長は,自らの会社経営と並行して X 会

の立て直しに尽力することになったため,取り組

み全体を見守り,必要に応じて的確な指示や助言

を出すものの,常に現場にいるわけではなかっ

た.また,X 会のために割ける時間も限られて

いた.そこで自らの代わりに実際に動く変革の実

行役として,新施設長と事務長という 2名の上級

管理職と,人事労務の専門家である 1 名の理事6)

の,計 3名を選任した(本稿では,以後,「変革

の実行役」という表現で,この 3名を総称する).

施設長には,職員とのコミュニケーションの充

実を図りつつ,施設内での異常事態の予防や早期

発見,現場で起きる問題への対処が任された.事

務長には他の管理職との連携に加え,組織図の変

更,賃金の改定作業,補正予算書の作成,事業計

画の変更作業など,施策の準備および実施に伴い

発生する事務作業全般が任された.そして理事に

は,理事長と連携をとりつつ,その専門知識を活

かしての,変革の実現に向けた施策の企画・立案

や,事務長や施設長とのパイプ役が期待された.

つまり,理事長および選任された理事の 2名がと

もにトップとして組織全体に関わる大きな意思決

定をし,施設長と事務長の 2名がアッパー・ミド

組織はどのようにアンラーニングするのか? 11

Page 8: 組織はどのようにアンラーニングするのか?組織アンラーニング 実現のメカニズムを,社会福祉法人X会 の詳細な事例分析を通じて考察した.その結果,X会の組織ア

ルとして,トップが決定した施策の執行を現場か

ら支援するという体制が新たにとられることにな

った.

新体制はまず,新生 X 会として目指すべき方

向を謳った新たな経営理念を策定し,その表向き

の価値のもとで全職員の意識や行動の統一を図る

ことにした.とくに重視したのは,社会福祉事業

では非常に重要でありながら,過去の専制的支配

では疎かになっていた「人間性の尊重」や「自律

型組織」などの価値7)であった.加えて,「意見

交換や行事を通じた地域社会との交流」や「創意

工夫と改善」などの行動指針も新たに作成され

た.経営理念と行動指針は 2007 年 8 月,全職員

を集めて開催した第 1回全体集会で,新体制の披

露や今後の方針説明とともに初めて発表された.

現場も参加しての X 会の変革活動は,ここに正

式にスタートした.

この際,疲弊し混乱の最中にある職員の不安を

拭い去るべく,理事長と理事が職員に対しとくに

意識的に明言したのは,組織としての考え方・価

値観の転換であった.これまでとは異なり,今後

は安心して職務に専念できることはもちろん,自

律的な職員としての活動や職場改善のための率直

な意見や活発な議論は大いに歓迎されると伝えた

のである.

この第 1回全体集会を皮切りに,早期の解決が

必要だと判断されたさまざまな施策や制度が矢継

ぎ早に導入された.たとえば,介護従事者の低賃

金や劣悪な労働環境に対しては,夜勤手当の増額

やパート時給の底上げなどの報酬制度の見直しや

業務プロセスの改善が図られた.また,経営理念

の具現化を目指す第一歩として,職務の知識はあ

っても自らの労働条件などについては知識を持っ

ていなかった職員たちの発想転換を促し,職員の

相談窓口も設置した.さらに,施設長・事務長・

課長 2名の計 4名の管理職と,一般職員との心理

的距離が問題視されたことから,両者をつなぐ新

たな役職として主任制度も導入された.

こうした取り組みの効果は,しかし,なかなか

現れる気配がなかった.変革の実行役たちは,現

状把握のために 2007 年 10 月初めと 12 月末の 2

度,計 63 名の職員を対象に質問票調査8)を実施

した.分析の結果,専制的な旧体制からの解放に

より,職員の抑圧感が改善されたり,新体制によ

る新たな組織価値を素直に歓迎する様子が窺え

た.

だが一方で,新体制がはたして信用に足るもの

なのか,その動向を慎重に見極めようとする者が

いたり,新体制が約束した以上,本来こうあって

しかるべきなのに現状は違うと,新たな不平不満

を噴出させる者が多数生まれたことも明らかにな

った.質問票調査に付記された自由記述欄には,

前向きな意見はほとんど見られず,賃金や手当,

業務負担,施設や備品,変革の進め方などに関す

る純粋に個人的な要望や不平不満ばかりがあふれ

ていたからである.まるで,どのような不平で

も,とにかく訴えれば新体制が何とかしてくれる

と考えているかのようで,受け身の姿勢ばかりが

目立つ結果であった.

職員と管理職,職員間の摩擦も相次ぐようにな

った.たとえば 2008 年 2 月末には,ケアマネジ

ャーの資格も持つベテラン職員たちが施設長の指

示や指導に従わず,施設運営に支障が出るという

事態が発生した.旧体制下ではトップや管理者の

指示におとなしく従っていた彼らは,打って変わ

ってあからさまに管理職を批判しはじめた.「新

体制になっても管理職の意識や行動には全く変化

がなく,一般職員がボールを投げても多くは戻っ

てこない,かえって以前より管理職と一般職員の

心の距離が開いている」9)というのが,彼らの言

い分であった.また同年 6月には,従来から協調

性がなく他の職員との衝突の多かった職員が,新

体制後,その行動を急速に加速させ,被害職員が

離職を申し出る事件も巻き起こった.

これらのトラブルは,一部の職員が,新体制の

目標とする職員の自律性を職員のあらゆる自由を

保障するものと歪んだ解釈をし,組織の指示と無

関係に自分勝手な行動に走った結果生じたものと

考えられた.このように,新体制が提示した新た

な組織価値に対する解釈は各職員で大きく異な

り,旧体制下ではたとえ面従腹背でも表向きは一

致していた行動の方向性は,完全に拡散した.そ

12 組織科学 Vol. 44 No. 3

Page 9: 組織はどのようにアンラーニングするのか?組織アンラーニング 実現のメカニズムを,社会福祉法人X会 の詳細な事例分析を通じて考察した.その結果,X会の組織ア

の結果,X 会はかつてないほど混乱し,一般職

員は今までとは異なる意味で,かえって心理的負

担の大きい状況に身を置くことになってしまっ

た.

4.「転換点となったミドルの変化」の第 2フェ

ーズ(2008年 7月〜2008年 11月)

前述のトラブルや大部分の職員の自律性に欠け

た言動は,変革の実行役たちに少なからぬ挫折感

や虚無感を与えるものだった10).だが,地道な経

費削減の努力や業務プロセス見直しなどの結果,

X 会の業績は徐々に好転し,2008 年 3 月以降は

すべての月で経常収支が前年度実績を上回るよう

になった.こうした小さいながらも目に見える成

果の蓄積は,理事長と変革の実行役 3名の心の支

えとなるとともに,しばらく様子見を決めていた

職員に新体制に対する信頼感を醸成させる助けと

なった11).理事長および理事は,月 1回の全体会

議を利用し,変革の進 状況を職員にできる限り

開示することに努めつつ,変革の真の実現のため

に一人ひとりに求められる基本的な考え方を繰り

返し訴え続けていった.限られた予算や厳しい人

手不足など,多くの制約との戦いだったが,部門

目標の設定と周知,管理職による職員面談,人事

考課制度の見直しなど,対応可能な範囲で自律型

組織の実現に向けた一貫した環境整備が積み重ね

られた.

変革着手から約 1年経過したころ,ごく緩やか

ながら,ようやく職員の意識や行動に変化の兆し

が見え始める.その 1つは,業務内容や X 会に

対する受け止め方の好転である.2008 年 9 月,

理事が取り組みの効果測定の目的で 3回目の質問

票調査12)を実施し,第 2回結果と第 3回結果に対

して t 検定(平均値の差の検定)を行ったとこ

ろ,全 84項目のうち,統計的に 10%水準で有意

な結果となった 10項目はすべて,改善を示すも

のだった13).変革開始前は年 39%だった離職率

も,この時点では業界平均に近い 26%と大幅に

回復していた.

さらに,職員からの具体的な提案や意見も,彼

らが徐々に「自律的な職員」に近づきつつあるこ

とを窺わせた.旧体制下で前理事長の指示に従う

のみで,自ら考えることを取り上げられてきた職

員たちは,それを嫌悪する一方で,他人に責任や

判断を任せることの「楽さ」14)に慣れきっていた.

そのため,新体制になり急に自由な発言が奨励さ

れても,従来の行動様式を切り替え,自ら考え発

言することができずにいた.それが,自由記述欄

という他者からお膳立てされた場の活用ではあっ

ても,回を重ねる度に記述内容が単なる個人的な

要望や不平不満から,施設や業務の本質に関わる

内容にシフトしたのである(図 2)15).

組織はどのようにアンラーニングするのか? 13

図 2 自由記述欄の記述内容の変化

148

40 40

12

21 29

0 10 20

30 40 50 60 70

80 90100%

第1回(2007年10月) 第2回(2007年12月) 第3回(2008年9月)

個人的要望・不平 本質的意見・提案

注:棒グラフに記載している集計単位は、コメント数.

Page 10: 組織はどのようにアンラーニングするのか?組織アンラーニング 実現のメカニズムを,社会福祉法人X会 の詳細な事例分析を通じて考察した.その結果,X会の組織ア

とくに第 3回では,量的な変化だけでなく質の

向上も認められた.かつては自分中心な物事の捉

え方ばかり目立ったが,3 回目となると,新人の

教育方法への提案や部署による業務負担の不均衡

の是正案,異動の頻度が業務遂行に及ぼす影響の

指摘など,一見自分の業務に直接関係ない事柄で

も,X 会に必要と思われることを全体的な観点

から考える姿勢が見られ始めたのである.

一方で,X 会にとって喜ばしい変化ばかりで

はなかった.変革の取り組みに逆行するかのよう

に,新体制や変革の進め方に反感を持つ者が非公

式グループを結成したのである.彼らは業務中に

表立った反抗はしないものの,靴に仲間の印であ

るバッジを目立つようにつけることで,事務長,

施設長などの管理職に無言の圧力をかけ,業務外

には秘密の会合を重ね始めた.主要メンバー 4名

は,ケアマネジャーや看護師など高い専門性を持

つ職員ばかりであったうえ,徐々に 10名前後ま

でメンバー数を増やしていったことから,理事長

および変革の実行役にとっては新たな悩みの種と

なった.

こうした状況の解決策を探ろうと,これまでに

回収した自由記述を改めて見直していた変革の実

行役の理事は,管理職に対する職員たちの不満・

苦情の相対的な多さに目を留めた.たとえば施設

長は旧体制下で受身になりすっかり閉ざされた職

員の心を開かせようと,職員との密接なコミュニ

ケーションを意識的に心がけていた.だが,その

細かな指示や指導は親切というより,むしろ職員

の行動を統制し自律性を妨げる「お節介」「過干

渉」として受け止められていた.理事がその見解

を施設長に直接伝えたところ,施設長は大きなシ

ョックを受け,「今後,施設長をやっていく自信

がない」とまで漏らした16).しかし,まもなく自

らのリーダーシップスタイルの転換に取り組み始

めた.具体的には,担当者にある程度業務を任せ

たり,それまでは他の職員と合同のデスクを使用

していたが,2008 年 11月から応接室を新たに施

設長室として,そこを定位置として留まり,従来

のように現場に頻繁に顔を出すことを控えるよう

になった.

ほぼ同時期,事務長にも変化が生じていた.そ

れまでは地道に改善を進めていけば,職員は必ず

変わってくれるはずであり,コーチング研修など

の,効果が定かでない新規な手法に頼ることは不

要というスタンスを貫いていた.だが,反抗的な

グループの問題を解決しようと理事や施設長と議

論を重ねるうちに,それまで否定的だったコーチ

ング研修の開始を望み,自身も 2008 年 12 月から

導入したコーチング研修に参加するようになる.

職員の声を発端としたこのような管理職たちの

変化は,職員に好意的に受け取られた17).X会は

本当に変わろうとしている,自分たちの声や提案

は現実に組織を変える役に立つらしいと理解され

たのである.これを契機に,施設を良くするため

に必要なこと,自分たちができることについて,

職員たちは各種委員会18),リーダー会議・フロア

会議などの会議で活発に議論に参加するようにな

った.

5.「トップの気づきの組織への還元」の第 3フ

ェーズ(2008年 12月〜2009年 2月)

4名の管理職の考え方・行動に変化が見られ始

めたちょうどその頃,X 会にとって追い風とな

る外部環境の好転が起きた.米国の金融不安に端

を発した 2008 年秋の不況により,「現代の 3K」

ともいわれ慢性的な人材不足だった老人福祉業界

(佐藤・大木・堀田,2006;下山,2008)に求職

者が急増し,人材の充足が一気に可能になったの

である.その結果,多くの職員が従来に比べ,適

度な労働負荷と若干のゆとりを持って業務に取り

組めるようになった.さらに,2009 年度介護報

酬の 3%プラス改定や国による介護人材の緊急確

保対策の実施で,金銭的・人材的にはもちろん,

心理的にも良い効果がもたらされた.介護職への

世間の関心の高まりが,過酷な労働環境の中,職

員たちの多くが見失いがちだった働きがいや仕事

への誇りを再確認させたのである.

この時期,X 会では理事長や理事を驚かせ,

その物の見方まで塗り替えてしまうような,一般

職員の目にみえる行動変化が次々と確認されるよ

うになる.皮切りは 2008 年 12 月 1 日の全体会

14 組織科学 Vol. 44 No. 3

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議,反対グループの主要メンバーの 1人である看

護師の変化であった.これまでは理事長や理事が

全体集会の度に,そして事務長や施設長が日常業

務を通じて,「良い施設にするためには理事長た

ちや管理職任せではなく,一人ひとりが自ら考え

行動しなければならない」と再三訴えても,なか

なか一般職員の能動的な行動は確認されなかっ

た.全体会議は理事長や変革の実行役,各種委員

会からの報告や質疑応答の場にすぎず,業務領域

を超えた意見や議論はほとんど行われなかった.

しかし,この看護師は自分の担当業務を超えた次

のような呼びかけを他の職員に向けて行った.

「私たちが利用者に良いサービスを提供するた

めには,まず私たち自身の精神的なケアが大切だ

と思います.私たちが気持ちよく働けてこそ,利

用者の方々に満足のいくサービスができます.そ

のためには,まず職員同士が笑顔で挨拶をするこ

とを習慣づけることが大切です.今日から笑顔で

挨拶運動を実施したいので,皆さんの協力をお願

いします」.

理事長や変革の実行役にとって待ちに待った,

初めての一般職員側からの能動的な行動が,新体

制に反抗的な態度を貫いてきた看護師から発せら

れた事実は,彼らを驚かせた19).それまで理事長

と理事は,反対グループのメンバーを自律型組織

の実現を阻む単なる問題児と捉えていたからであ

る.だが,そのラベルづけは物事の一面しかみな

い一方的なもので,実はそれだけ彼らの施設運営

への関心や意識が高い証拠とも解釈できたこと

に,理事長らは初めて気づかされたわけである.

この看護師の行動変化の影響は大きく,他の職

員にも次々に波及する.たとえば 2009 年 1月に

は,第二種社会福祉事業であるがゆえに競争が激

化し対策が必要だったデイサービスセンターの利

用率向上のため,やはり反対グループに所属して

いた職員が,それまで敵対していた施設長や事務

長に積極的に協力し提案募集を行った.すると,

多数の提案が集まった.会議でも多くの前向きな

議論が行われるようになった.また,2009 年最

初の研修では別の職員によって初めて,写真と図

表を豊富に用いた約 50ページもの職員独自の資

料が自主的に作成された.市販の資料やテキスト

の一部をコピーした従来版とは全く異なり,X

会が保有する介護機器や X 会の事情に合わせた

内容という画期的なものだった.しかし,そのこ

と以上に理事長と理事が感激したのは,「新入職

員の育成・定着には X 会に合ったオリジナルの

研修資料が必要」という,従来には決してみられ

なかった施設全体および長期を見据えようとする

作成者の考え方であった20).

さらに,それほど変化を期待していなかった職

員の中にも,ただ単に全体的な視点に基づいて組

織を考えるだけではなく,「まず自分から変わる

ことこそ何よりも重要で,それを出発点として,

(自分の変化と組織の変化の)相乗効果で組織全

体が変わるのだ(括弧内,筆者補足)」と,大き

く意識や行動を変える者が続々と現れた21).理事

長と理事はこれまで,職員の潜在能力や可能性を

信じ支援していたつもりだったが,予想を超える

変化を遂げた職員の姿を目の当たりにし,自分た

ちがまたしても無意識のうちに,彼らの可能性に

限界を定めていたことに気づかされる.「当初は,

これほど職員たちが変われるとは思っていなかっ

た.今振り返っても,不思議な体験だった」と理

事は述懐している22).いわば,X会に従来の枠組

みからの脱却をもたらすよう主導したつもりだっ

た理事長たちこそ,実は従来の職員観から完全に

は抜け出せきれず,わずかとはいえ意図に反し

て,職員の変化から取り残されていたと捉えるこ

とができる.

いまや X 会では,もちろん採算は考慮するも

のの,かつては不可能だった「直接儲からないこ

とでも,利用者の真の満足につながることには時

間やエネルギーを投入する」23)ことが,自然にで

きるようになった.たとえば,利用者のためのレ

クリエーション,備品整備,居室環境の充実,利

用者や家族に対するサービス改善に関するアンケ

ートの実施などがこれに該当する.気がつけば,

いつしか反対グループのバッジが消えていた.そ

して,施設の運営方法が原因で離職する者もいな

くなっていた.

組織はどのようにアンラーニングするのか? 15

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Ⅳ.分析および考察

1.段階的な組織アンラーニングの発生

X 会の事例は,大規模な組織アンラーニング

成立までのプロセスを把握しうる好例といえる.

振り返れば,X 会の組織アンラーニングは,以

下のように進行したと説明できるだろう.

まず,変革の取り組み以前の X 会では,前理

事長による絶対的な支配─服従関係が成立してい

た.そのため,その時点での表向きの組織価値お

よびルーティンは「徹底的な利益主義」に加え

「すべてはトップが決め,職員はそれに従う」で

あった.遂行的な組織価値およびルーティンもそ

れに呼応し,「周囲に倣い受動的に行動し,余分

なことは言ったり考えたりしないのが賢明」であ

った.職員は組織に問題があると認識し現状に強

い危機感も持っていたが,「自分の身さえ安全で

あればよい」というメンタルモデルを有していた

と考えられる.

新体制による取り組みの第 1 フェーズでは,表

向きの組織価値およびルーティンの棄却は確認さ

れた.それに代わるものとして,新体制は「人間

性の尊重」や「自律型組織の実現」を新しい表向

きの組織価値として掲げた.だが,第 1 フェーズ

の時点では,それを全職員が額面どおりに受け入

れるほど,新体制への信頼感はまだ醸成されてい

なかったうえ,従業員の尊重や自律型組織が何を

指すのか,職員間で解釈が統一されなかった.そ

のため,その当然の帰結として,各人のメンタル

モデルの変化はもちろん,遂行的な組織価値およ

びルーティンの棄却も置き換えも生じなかったと

理解される.実際,職員は旧体制下と異なり自由

に不満を表明するようになったが,職務や X 会

全体の改善に関しては,依然として受動的なまま

だった.

第 2フェーズに入ると,新体制の謳う表向きの

組織価値について,バラツキのあった職員の理解

が徐々に収束し始める.すなわち,表向きの新た

な組織価値およびルーティンによる置き換えが成

立し,それに伴い,「受動的に行動し余分なこと

は考えない」という既存の遂行的な組織価値およ

びルーティンの棄却が生じたと考えられる.だ

が,職員が単なる不満表明から脱却し,組織を良

くするために自ら考え,能動的に行動しようとす

るほど,「職員には統制や指導が必要」「変わるべ

きは職員のみ」という,従来通りの職員観に基づ

き行動する管理職との摩擦が大きくなる.結果と

して,「自ら能動的に行動する」という新しい遂

行的な組織価値およびルーティンによる置き換え

が成立するのは,一般職員が変化してもなお,自

身がまだ既存の遂行的な組織価値に囚われている

ことに理事の指摘で施設長らが気づき,それを棄

却した後のことと捉えられる.

第 3フェーズでは,第 2フェーズで成立した新

たな遂行的な組織価値およびルーティンに基づ

き,一般職員・管理職が協力しあう形で活発な学

習活動が展開された.予想を超えた職員たちの変

化に対して,驚きを話題にした理事長と理事はそ

こで初めて,自分たちがかつての施設長たちと同

様,「問題児はどうしようもない」「よくやれても

職員はここまでが限界」と,無意識のうちに職員

に一方的なレッテルを貼り続けてきたこと,自身

を変革の対象外としていたことに気づく.理事長

らのそうした既存価値・ルーティンの棄却と前後

する形で,第 2 フェーズ以降,X 会のすべての

構成メンバー間で過渡的に使われていた「組織に

必要ならば,自分の業務に直接関係なくても力を

尽くす」という各人のメンタルモデルの棄却が組

織全体で生じる.代わって,新たに存在するよう

になったのが,「何事もまず自分が変わることか

ら始まる」というメンタルモデルであったと解釈

できる.

以上の結果から,X 会では,前述した 3 つの

組織アンラーニング対象を段階的に棄却して,大

規模な組織アンラーニングを成功させたことが確

認できる.しかも,理事長や理事が組織アンラー

ニングの牽引者となった第 1 フェーズでは,組織

アンラーニングを実際に行った当事者は一般職員

および管理職であったが,以降は表 3で示すよう

に,各フェーズの棄却の当事者は徐々に組織のよ

り上位層に移り変わっていった.X 会における

16 組織科学 Vol. 44 No. 3

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組織アンラーニングの深化は,組織アンラーニン

グを実際に行った当事者のこうした移り変わりで

成立しえた側面もあると考えられよう.

2.段階的な組織アンラーニングが生じる理由

X会の組織アンラーニングは段階的に進んだ.

それは言い換えれば,ところどころ足踏みしたと

いうことに等しい.では,その足踏みはどのよう

なときに生じ,どのように次の段階へ進むことが

できたのか.事例から 1つの共通点が浮かび上が

る.それは,組織アンラーニングの足踏みは,既

存の組織価値およびルーティンの棄却レベルに組

織内でギャップがあるときに生じ,それが解消さ

れ組織内で棄却レベルが揃うと,再び組織アンラ

ーニングに向けて動き出す,というパターンであ

る.

たとえば第 1 フェーズでの足踏みは,既存の表

向きの組織価値およびルーティンがトップ主導で

公式的に棄却されたにもかかわらず,一般職員の

間で実際の棄却の程度にバラツキがあったために

生じていた.再び動き出したのは,彼らの間でバ

ラツキが解消されてからだった.続く第 2フェー

ズも,足踏みの原因は,一般職員が旧体制の遂行

的な組織価値およびルーティンを棄却し始めたの

に対し,施設長や事務長などの管理職の棄却が遅

れ,両者の棄却レベルにギャップがあったことに

見出せた.そのギャップが解消すると再び動き出

している.最後の第 3フェーズでも同様で,理事

長や理事の棄却レベルが一般職員や管理職のそれ

に追い越されたときに足踏みが生じ,両者が揃っ

たときに変質が再開された.

この問題に取り組むにあたり,大きな手がかり

を提供しうるのが,Beer and Eisenstat(1996)

の組織変革に関する事例研究である.αテクノロ

ジー(仮名)という企業は,意欲的なトップのも

と,一時は順調に組織変革の取り組みを進め,多

くの一般従業員もそれに積極的に参加した.だ

が,活動はある時点で急速に尻すぼみになり,結

局トップが目指した結果には至らなかった.組織

構成員の大多数が既存の組織価値をいったん棄却

したにもかかわらず,最終的に元の木阿弥となっ

たのはなぜか.Beer and Eisenstatはその主な原

因をミドル・マネジャーが自己防衛意識から脱却

できず,自らの既得権益を守ろうとしたことに見

出している.トップは,新たな制度づくりなどの

ための議論に,可能な限り多くの組織構成員が参

加することを奨励したが,ミドルは制度づくりや

そのための意思決定は自分たちの領分として,一

般従業員の参加を好まない態度をみせた.それを

目の辺りにした一般従業員は変革の実現は不可能

と失望感を抱き,変革の進展どころか,無力感の

学習の発生という逆効果まで招いてしまったので

ある.

この事例から,組織内のいずれかの層で始まっ

た組織アンラーニングを足踏みさせたり,逆戻り

させないためには,当該層内での棄却レベルのバ

ラツキをなくしたうえで,その層に対して業務の

進め方に関する指示命令や評価の権限を持つ,直

接の上位層の棄却が重要になるといえそうであ

る.αテクノロジーの場合,一般従業員は結局,

意欲的なトップの言動よりも,自分の日常業務や

キャリアに影響力を持つミドルの言動によって,

取り組みの実現可能性や組織の真の推進意欲を測

っていた.X 会でも同様で,理事長や理事が牽

引役となって始まった一般職員による既存価値お

よびルーティンの棄却は,進展するにつれ,理事

長や理事の言動よりも,施設長や事務長などの管

理職の言動に対してより敏感に反応するようにな

組織はどのようにアンラーニングするのか? 17

表 3 X会における組織アンラーニングを行った当事者の移り変わり

組織アンラーニングを

実際に行った当事者

取り組み開始から,組織アンラ

ーニング実現までに要した時間

第 1 フェーズ 一般職員および管理職 約 1年

第 2フェーズ 管理職 約 1年 5カ月

第 3フェーズ 理事長および理事 約 1年 8カ月

Page 14: 組織はどのようにアンラーニングするのか?組織アンラーニング 実現のメカニズムを,社会福祉法人X会 の詳細な事例分析を通じて考察した.その結果,X会の組織ア

った.そして,それが組織アンラーニングの停滞

や逆行を招いていた.

このように,いったん下位層で棄却レベルのバ

ラツキが解消され,組織アンラーニングが進展し

かけても,直接の上位層の言動次第で下位層の棄

却レベルは容易に分散してしまう.反対に,直接

の上位層の棄却は,日常業務やキャリアなどに関

する公式的な影響力を通じて,直接の下位層の棄

却も促進するだろう.たとえば,X 会の事例で

は主に一般職員から組織アンラーニングが始まっ

たが,かりに管理職などのミドルから始まった場

合,その直接の下位層は,ミドルが自身の直接の

上位層の言動によって組織アンラーニングを停滞

もしくは逆行させるまでは,ミドルの棄却状況に

連動して棄却を進めるものと考えられる.

以上の議論を総合すると,X 会での組織アン

ラーニングの進行が段階的であったのは,組織成

員が組織アンラーニングを進展させようとするた

びに,組織内に存在する層内での棄却レベルのバ

ラツキや,直接の上位層の棄却レベルが下位層よ

り下回る形でのギャップに直面し,それらを一つ

ひとつ解決しなければ次の段階に進めなかったた

めと考えられそうである.そして,動き出した組

織アンラーニングを停滞させないための鍵とみら

れる直接の上位層の棄却レベルを,常に下位層の

棄却レベル以上に保とうとすると,表 3 のよう

な,組織アンラーニングを実際に行う当事者の移

り変わりも必要になると考えられる.たとえ当初

はトップが牽引役を務めても,目標達成のために

は,Argyris and Schön(1996)が指摘するよう

に,プロセス全体のどこかで必ずトップ自身の棄

却も必要になる時期が来るはずと考えられるから

である.

Ⅴ.結び

段階的な組織アンラーニングのメカニズムを研

究した本稿での知見は,組織変革の先行研究によ

くみられる,組織変革の成功にはハード・ソフト

両面での整合性の実現が不可欠であるとする議論

ともある程度一致する.ただし,それらの研究の

多くは全体の整合性には着目しても,各層間の整

合性に特段着目するわけではない.まして,ある

層にとっての直接の上位層における棄却の遅れ

が,変革の成否に与える深刻な影響に言及するこ

とは稀と考えられる.

また本研究での知見は,組織学習サイクルを継

続的に回す重要性を主張する組織学習論とも一貫

性を持つ.だが,学習サイクルを一回転させる過

程で起こりうる学習障害についての研究は多いも

のの,1つの回転が終わり次の回転に移行する際

の,いわば継続的な回転を妨げる学習障害の研究

となると,ほとんど見当たらない.その点,X

会の事例は,直接の上位層と下位層との棄却レベ

ル・ギャップの存在が,継続的な回転を妨げる原

因となりうることを示唆している.研究上はもち

ろん,実務的にもこの点に配慮すればある程度の

成果を期待できるに違いない.

さらに,実際に組織アンラーニングを行った当

事者が必要に応じて移り変わりながら,組織アン

ラーニングのレベルを深めていった点について

は,組織学習論における即興や学習コミュニティ

の議論を彷彿とさせる.だが,この点については

本稿で十分な議論を尽くすことができなかった.

今後の課題としたい.

謝辞

本稿の作成にあたっては,貴重な資料のご提供をはじめ

全面的なご協力を賜りました X 会の皆様に心より感謝申

し上げます.また,シニア・エディターの一橋大学の佐藤

郁哉先生,ならびに 2名の匿名レフェリーの先生方から

は,大変有意義なコメントを頂戴いたしました.さらに,

筆者の 1人が主催する組織学習事例研究会にご出席くださ

った多くの先生方,および南山大学の吉原英樹先生,上野

正樹先生からも有益なコメントをいただきました.ここに

記して謝意を表したく存じます.なお,本稿は平成 20 年

度〜23 年度科学研究費補助金若手研究 B(研究代表者

安藤史江,課題番号 20730267)の助成を受けて行った研

究成果の一部です.

1) 全体集会は,毎月 1日に開催され,全職員が出席する.

2) 2008 年 3 月 10 日と同年 9月 17 日に実施.

3) 2008 年 12 月 20 日と 2009 年 2 月 28 日,同年 4 月 29 日,

18 組織科学 Vol. 44 No. 3

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同年 10 月 6 日にそれぞれ 1時間程度の直接の聞き取りを,

2009 年 1月 12 日にメールによる聞き取りを実施.

4) 2009 年 10 月 6 日,2010 年 2 月 2 日,同年 10 月 27 日に,

それぞれ計 1時間から 3 時間程度の聞き取りを実施.

5) 第一種社会福祉事業と比較して,利用者への影響が小さい

ため,公的規制の必要性が低い事業のこと.デイサービス

センター,ショートステイ,在宅介護センターなどが該当

する.

6) 他には,医師や警察 OB,地元の名士などが理事を務めて

いたが,その多くは理事会に出席し,その場の意思決定に

参加する程度に留まっていた.なお,施設長も理事の 1人

として名を連ねていた.

7) たとえば,「人間性の尊重」とは施設に関わるすべての人

たちを尊重し,その心を豊かにすることを目指すこと,

「自律型組織」とは第Ⅲ節(5)に記述したように,一人ひ

とりの職員が自ら考え行動できるような組織のことを指

す.

8) この質問票調査では,日本労働研究機構(1999;2003)が

早稲田大学アジア太平洋研究センターと共同で開発した

HRMチェックリスト(個人用・従業員用)の中から,ワ

ークシチュエーションに関する 21 の尺度,84項目の設問

をそのまま活用した.各質問は,最後に X 会が付け加え

た自由記述欄を除き,「1.No」から「5.Yes」までの 5

点尺度で回答する.1回目は,旧体制を想起して回答する

ように求め,2 回目は調査時点での新体制の状況を回答す

るように求めた.調査対象者は,正規職員 40名,非正規

職員 23名の計 63名.いずれも回収率は 98.4%,男女比

は 1:2,回答者の平均年齢は 40.3歳であった.

9)当事者であるケアマネジャーへの聞き取りの際に得られた

発言(2008 年 3 月 10 日実施).

10) 2008 年 7 月 1 日(事務長・施設長)および同年 12 月 20

日(理事)実施のヒアリング結果.

11) 2009 年 10 月 6 日の理事に対する聞き取り結果.また,

2010 年 10 月 27 日実施の確認的なヒアリングを通じても,

複数の管理職から同様の回答を得られた.

12) 第 3回調査でも,先の 2 回の調査と同じ質問票を用いた.

勤務条件の見直しなどにより,新たに対象となった者がい

たため,調査対象者は正規 45名,非正規 29名の計 74名

である(回収率は 100%).ただし,t検定では,第 2 回調

査と第 3回調査の双方に回答した計 53名を対象者とした.

13) たとえば,5%水準で有意なものには「仕事を進める上で,

自分の意見は十分反映されている(t=− 3.292**)」「上

司・リーダーは私の長所を生かそうとしてくれる(t=−

2.440*)」「会社には明確で優れたビジョンや戦略がある

(t=− 2.283*)」「教育・研修は自分の希望や要望を十分

反映したものとなっている(t=− 2.520**)」などがあ

る.なお,有意水準の表記は,*p<.05,

**p<.01であ

る.

14) 2010 年 10 月 27 日の聞き取りで,事務長と課長が用いた

表現.

15) 自由記述欄の分析は,労働条件や作業環境に対する個人的

な不満や不安,特定の個人に対する意見,偏った解釈がな

された意見や提案などは「個人的要望・不平」に,施設の

仕組みや教育,コミュニケーションのあり方,組織風土に

関する合理的な意見・提案などは「本質的意見・提案」に

分類するとの基準を定めた後,共著者の 2人がそれぞれ独

立に分類し,その結果をすり合わせるという形で行った.

16) 2009 年 10 月 6 日実施の,理事に対する聞き取り結果.ま

た,2010 年 10 月 27 日,施設長に直接,その当時の心情

についての確認もとれた.

17) 2008 年 12 月 1日実施の,一般職員への聞き取り結果.

18)「指定介護老人福祉施設の人員,設備及び運営に関する基

準(平成 11年 3月 31日厚生省令第 39 号)」の遵守のため

に,行政の指導によって設置されている委員会.身体拘束

廃止推進委員会,福利厚生委員会,感染症対策委員会,レ

クリエーション活動委員会,褥瘡予防対策委員会などがあ

る.

19) 2008 年 12 月 20 日実施の,理事への聞き取り結果.

20) 2009 年 4 月 29 日実施の,理事への聞き取り結果.

21) 10カ月間にわたり,毎月実施したコーチング研修の記録

による.「まず自分が変わらなければならない」という記

述や,「自分で考えて行動する人が増えた」とする感想が

多数見られた.

22) 2010 年 2 月 2 日実施の理事への聞き取り結果.

23) 2010 年 10 月 27 日実施の,施設長および事務長への聞き

取り結果.

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�2010 年 6 月 25 日 受稿

2011年 1 月 21日 受理 �[担当シニアエディター 佐藤郁哉]

20 組織科学 Vol. 44 No. 3