米国議会は中国に何を求めているのか · 2015-02-20 · <要旨> ・...

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米国議会は中国に何を求めているのか -制裁法案と「人民元後」の米中摩擦- 2005 年 7 月 5 日発行

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米国議会は中国に何を求めているのか-制裁法案と「人民元後」の米中摩擦-

2005 年 7 月 5 日発行

<要旨>

・ 米中貿易赤字の拡大や、米製造業の苦境を背景に、米議会の対中警戒感が高まっている。

米議会は、中国経済を題材にした公聴会を多数開催しており、また、人民元問題などを

対象とした通商法案も相次いで提案されている。

・ 当面の焦点であった、人民元制度の改革がない場合に、中国からの輸入品に制裁関税を

賦課するという法案(シューマー・グラム法案)については、7 月末に予定されていた

投票が、今年後半の議会会期末まで延期されたために、足下で摩擦が急速に高まる可能

性は回避された。他方で、ブッシュ政権としては、今年後半までには、人民元問題に一

つの区切りをつけるというタイム・テーブルが明確になっており、また、米議会で他の

対中通商法案の審議が進む可能性も残されている。

・ また、米議会には、知的財産権や中国市場の開放といった点で、中国を問題視する声が

強く、かりに為替問題が沈静化したとしても、米中間の火種は残る。

・ 米議会の対中感情を左右する要因としては、①有権者の対中感情、②進出米企業の利害、

③米経済への影響、④安全保障上の観点の四点が注目されるが、これらには一概に摩擦

を激化させる方向に働くとは限らない要因があることには注意が必要である。

本誌に関するお問い合わせ先 みずほ総合研究所(株) 政策調査部

上席主任研究員 安井明彦

Tel(03)3201-0521

E-mail:[email protected]

1

図表1 米議会における主な中国関連公聴会(経済関係)

日付 委員会 テーマ 主な証言者

3月16日 下院資源委員会米国のエネルギー・鉱物資源に関する需要・安全保障・政策~中国・インドなどの途上国の影響増加

カルーソ(EIA)

4月14日 下院歳入委員会米中経済関係と世界経済における中国の役割

フォーブス(CEA)、ホルツィーキン(CBO)

5月13日 下院政府改革委員会 中国政府のソフトウェア調達政策 フリーマン(USTR)

5月16日 下院司法委員会 中国の知的財産権侵害 エスピネル(USTR)

5月26日 下院中小企業委員会 中国は公正貿易を妨げているか ピンコス(USTR)

5月26日 上院銀行委員会財務省外国為替報告書(人民元問題が中心)

スノー(財務省)

6月9日下院エネルギー・商業委員会

米中合同商業・貿易委員会の課題 デュダス(特許局)

6月7日 上院外交委員会アジアにおける中国の勃興~米国に対する安保・経済上の影響

ヒル(国務省)

6月23日 上院財政委員会 米中経済関係 グリーンスパン(FRB)、スノー(財務省)

(資料) 議会資料により作成。

対中貿易赤字の急増や、米製造業の苦境を背景に、米議会の対中警戒感が高まっている。

当面の焦点である中国の人民元制度改革については、議会側にも現実的な落とし所を探す

気運がある一方で、今年後半までには一応の決着をつけるというタイム・テーブルが明確

になってきた。例え為替問題に決着がついたとしても、米議会には、知的財産権の保護や

中国市場の開放などの問題意識もあり、米中摩擦の火種が消えるわけではないが、だから

といって、議会の対中姿勢が一方的に厳しくなると考えるのも早計である。

1. 高まる米議会の対中警戒感

米議会では、対中貿易赤字の拡大や、米製造業の苦境を背景に、経済面での対中警戒感

が高まっており、中国経済に関する公聴会の開催や、対中通商法案の提案が相次いでいる。

(1) 相次ぐ公聴会と対中通商法案の提出 米議会における対中警戒感の高まりを如実に現しているのが、相次ぐ公聴会の開催と、

対中通商法案の提出である。 今年に入り、米議会では、中国の経済問題に関する公聴会が多数開催されている(図表

1)。 近では、6 月 23 日に、上院における通商問題の主管委員会である財政委員会が、

グリーンスパン連邦準備制度理事会(FRB)議長やスノー財務長官を証人とする公聴会

を開催し、大きな注目を集めた。この他にも、通商問題に限らず、エネルギー問題や知的

財産権などのテーマでも、中国経済を視野に入れた公聴会が開催されている。さらに、図

表1には含めていないが、外交問題の観点から中国をとりあげる公聴会も多数開催されて

おり、米議会の中国問題に対する関心の高さと幅の広さがうかがえる1。

1例えば、下院軍事委員会:欧州の対中武器輸出(4 月 14 日)、下院外交委員会:中国の中南米における

影響力(4 月 6 日)、反国家分裂法と中台関係(4 月 6 日)などがあげられる。

2

図表2 米議会における主な対中通商法案 法案名 法案番号 提案日 共同提案 内容

① シューマー・グラム法案 S.295 2月3日 13法律成立後180日以内に中国が人民元制度を改革しない場合、中国からの輸入品に27.5%の関税を賦課。

② スタベノウ法案 S.14 1月24日 13 同上。

③ ミリック・スプラット法案 H.R.1575 4月12日 32 同上。

④ イングリッシュ法案 H.R.3004 6月21日 22財務長官に、法案成立後60日以内に中国による為替操作の有無、及びその大きさを議会に報告し、その後30日以内にこれに見合った関税の引き上げを実施することを義務付け。

⑤ ロジャース法案 H.R.2414 5月17日 1中国の為替政策を調査した上で、結果に応じてWTO提訴、制裁措置を実施。

⑥ リーバーマン法案 S.377 2月15日 0法案成立後90日以内に、為替操作実施国(中国、日本、韓国、台湾を想定)との交渉が成果を生まない場合、国際法・米通商法等を通じた適切な対処を行なう。

⑦ スノー法案 S.984 5月10日 2 財務省為替報告書の認定基準明確化

⑧ マンズーロ法案 H.R.2208 5月10日 5 同上。

⑨ シューマー法案 S.1048 5月17日 3 同上。

⑩ ライアン・ハンター法案 H.R.1498 4月6日 102相殺関税や対中セーフガードの適用などにおいて、為替操作を考慮要因に加える。

⑪ コリンズ法案 S.593 3月10日 27 非市場経済国(中国など)を相殺関税の対象国に加える。

⑫ イングリッシュ法案 H.R.1216 3月10日 48 同上。

⑬ スタベノウ法案 S.817 4月15日 3USTRに特別通商検察官を設け、WTO提訴に先立つ調査・提訴勧告権限を与える。

⑭ ボーカス法案 同上及び通商政策立案への議会関与拡大(6月23日公聴会で示唆)

⑮ トーマス法案中国の通商合意遵守に関するUSTRの権限強化、アンチ・ダンピング税徴収手続きの改善。

未提出

未提出

(注)共同提案者数は 7 月 4 日現在。 (資料) 議会資料により作成。

米議会における対中警戒感の高まりは、中国を念頭に置いた数多くの通商法案の提案に

つながっている(図表2)。 現在米議会に提案されている対中通商法案は、その内容面から 3 種類に大別できる。 第一は、人民元制度を焦点としたものである(図表2の①~⑩)。人民元問題は、もっ

とも多数の法案が提案されている分野であり、さらに細かく分類すると、①制裁関税など

の制裁措置を前提に、人民元制度の改革を迫るもの(同①~⑥)、②財務省の外国為替報

告書で、人民元制度を「為替操作」と認定しやすくするもの(⑦~⑨)、③為替操作を理

由に、相殺関税などの米通商法を発動できるようにするもの(⑩)の 3 種類の法案が提案

されている。このうち、財務省の外国為替報告書とは、1988 年の包括通商・競争力法によ

って、財務省に提出が義務付けられている報告書のことであり、このなかで「為替操作国」

と認定された国があった場合、政権は、米通商法の発動を視野に入れて、当該国との間で

交渉を行なわなければならなくなるという仕組みになっている。しかし、現在の認定基準

では、中国の人民元制度を「為替操作」とみなすことが難しいといわれており、これらの

法案は、認定基準の改定を提案している(図表3)。 第二は、中国政府による補助金を問題とするものだ(⑪~⑫)。WTOのルールでは、

WTO違反の補助金を対象とした通商措置として、各国に相殺関税の発動が認められてい

る。しかし、米国の通商法では、補助金認定の難しさなどを理由に、中国などの「非市場

経済国」に対しては、相殺関税が発動できない。そこで、こうした法案は、「非市場経済

国」を相殺関税の対象に加えることを提案している。

3

図表3 「為替操作」認定基準改正案

現行 改正案

通商上の不公正な優位を得る、もしくは、経常収支の効果的な調整を妨げるために、為替レートを操作している場合

変更なし

一方向に向けた巨額の為替介入を長期間にわたって実施した場合は為替操作に値すると明記

重大な対世界経常収支黒字及び大幅な対米貿易黒字の存在が必要

どちらか一方で可能

(資料)米議会資料などにより作成。

図表4 米国の国別貿易赤字(財)

0

5

10

15

20

25

30

35

40

45

1994 95 96 97 98 99 2000 01 02 03 04

0

1000

2000

3000

4000

5000

6000

7000

8000

対中赤字のシェア(左目盛)

(億ドル)(%)

貿易赤字額(右目盛)

(年)

対日貿易赤字のシェア(左目盛)

(資料)米商務省

図表5 中国からの繊維輸入

0

10

20

30

40

50

60

2003 2004 2005

59%

(億ドル)

54%

(注)各年第1四半期。 (資料)米商務省。

第三は、中国による通商

合意遵守の徹底や、積極的

なWTO提訴を視野に、米

通商代表部(USTR)の

権限を強化するものであ

る(⑬~⑮)。他の通商法

案と比べると、この種類の

法案には、米議会の有力議

員(下院歳入委員会のトー

マス委員長や、上院財政委員会民主党筆頭委員のボーカス議員)が、賛意を示していると

いう特徴がある。

(2) 対中警戒感の背景にある経済事情 米議会の対中警戒感が高まっている背景には、対中貿易赤字の増加や、米製造業の苦境

といった経済事情がある。また、中国企業による米系石油会社の買収提案は、中国の経済・

政治面での存在感の高まりを米議会に改めて印象づける結果をもたらした。 米国の対中貿易赤字は拡大基調を続けており、2004 年の実績は対日貿易赤字の 2 倍以上

の水準に達している(図表4)2。米国の全世界に対する貿易赤字額が拡大しているため、

これに占める対中赤字のシェア自体の上昇度合いは小さいが、それでも中国が米国にとっ

て 大の貿易赤字相手国であることは事実である。 個別の分野では、中国からの繊維輸入の増加が特筆される(図表5)。2005 年第1四半

期の米国の中国からの繊維輸入は、前年同期比 54%増を記録した。品目によっては、数量

ベースで 10 倍以上の伸びを示している製品も存在する3 。

2 2004 年の対中貿易赤字は約 1,620 億ドル(前年比 14%増)。対日貿易赤字は約 750 億ドル(同 14%増)。

2004 年度の米国の貿易赤字に占める対中貿易赤字のシェアは 24%(対日貿易赤字は 11%)。 3 例えば、綿ズボンは同時期に 1573%増、綿ニットシャツ・ブラウスも同 1276%増を記録。

4

図表6 製造業雇用の推移(景気回復期)

84

86

88

90

92

94

96

98

100

102

1 4 7 10 13 16 19 22 25 28 31 34 37 40 43

(景気の谷=100)

(月)

前回

今回

(資料)米労働省

中国からの繊維輸入の急増は、繊維貿易に

設けられていた国際的な数量割当が廃止され

たことが一因である。具体的には、MFA(多

国間繊維協定)によって設定されていた数量

割り当てが、GATT・ウルグアイラウンド

合意に基づいて、段階的な縮小過程を経た上

で、2004 年 12 月末に完全に撤廃されている4。

このことが、米国の中国からの繊維輸入の増

加につながっているのである。 また、こうした中国との貿易不均衡の拡大

は、米製造業の苦境と同時進行しており、このことが、「中国が不公正な競争を仕掛けて

いるために、米製造業が衰退している」といった米議会の反発を招く結果となっている。 米国では、今回の景気回復過程でも、「ジョブレス・リカバリー」の傾向がみられた。

とくに、製造業については、今日に至っても、雇用者数が景気の谷の水準にすら回復して

いない(図表6)。 さらに、米議会の対中警戒感の水準を一段と引き上げる役割を果たしたのが、中国の国

有企業(CNOOC)による、米系エネルギー会社(Unocal)の買収提案である。この提案

は、米議会に対して、①中国が米系企業を買収するだけの経済力を蓄えていることを認識

させると同時に、②エネルギーという戦略的な分野での提案であるだけに、安全保障面の

文脈でも、中国への警戒感を高める結果につながっている。実際に、米議会には、CNOOCの買収提案を、安全保障の観点から精査することを求める動きがみられる5。

2. 当面は回避された制裁関税法案の可決

米議会の対中警戒感が高まる中で、大きな焦点となっていたのが、制裁関税を盾に中国

に人民元制度の改革を迫る、シューマー・グラム法案の行方である。同法案については、7月末に予定されていた米上院での採決が今年後半まで延期されたために、足下での米中関

係緊迫化の引き金となる事態は回避された。ただし、ブッシュ政権にとっては、今年後半

までに人民元問題に決着をつけるというタイム・テーブルが明確になっており、また、米

議会が制裁関税法案以外の対中通商法案の審議を進める可能性も残されている。

4 WTO 繊維協定(ATC: Agreement on Textiles and Clothing)による措置。 5 1988 年包括通商・競争力法のエクソン・フロリオ条項に基づき、米国は、国家安全保障上の観点から国

内直接投資を審査し、これを規制する手続きを有している。具体的には、財務長官が座長を務める「米

国外国投資委員会(CFIUS)」が、審査を行なうことになるが、6 月 24 日に、41 人の下院議員が連名

で、スノー財務長官に対し、CNOOC による提案を CFIUS で議論することを要請する書簡を送付してい

る(27 日に 9 人の下院議員が追加署名)。なお、これまでに CFIUS に通知があった投資案件は 1500件を超えるが、実際に CFIUS が調査を行なったのは 25 件、 終的に大統領が差止め決定を下したのは

1 件のみ(1990 年の China National Aero Technology Import & Export Corp による、Mamco Manufactures 買収)。日系企業では、NTT コミュニケーションズによる Verio 買収(2000 年)等が審

査対象(認可)となっている。また 近では、CFIUS は Lenovo による IBM 買収を認めている。

5

図表7 シューマー・グラム法案の概要

行政府が議会に対して、①中国が通商上の不公正な競争的優位獲得のために、同国通貨の米ドルに対する上昇を防止すべく、外貨準備を増やすことを止め、②同国通貨の為替レートが、公正な市場レートに近い水準にまで上昇した、との報告を行なわない限り、本法成立後180日以降、中国からの輸入品に27.5%の関税を上乗せする。

本法成立から180日後に、大統領が議会に対して、中国が同国通貨の為替レートを公正な市場レートに近い水準にまで切り上げるべく真摯な努力を行なっていると認めた場合には、追加関税の導入を180日延期できる。

さらに、180日の期間が経過した後、大統領が中国が通貨切り上げに関するプランを実際に開始したと認めた場合には、追加関税の実施を12ヶ月延期できる。

行政府は、本法成立後直ちに、中国政府との間で、180日以内に中国が同国通貨の実質的な切り上げにつながるプロセスを採択するよう、交渉を開始する。

財務長官は、為替レートの問題に関して、アジア諸国、G7各国を含んだ、国際的な会議の開催を目指す。

(資料)米議会資料などにより作成。

(1) 高い支持を集めたシューマー・グラム法案 米議会における対中警

戒感の高まりを強烈に印

象づけたのは、制裁関税を

前提に、中国に人民元制度

の改革を迫る、シューマ

ー・グラム法案が、高い支

持を集めたことである。 シューマー・グラム法案

は、中国が人民元制度を改

革しない場合、中国からの

輸入品に 27.5%の制裁関

税を賦課することを趣旨とする法案である(図表7)。同法案は、WTO違反の可能性が

高く、ブッシュ政権は、人民元制度改革の必要性は認めつつも、「同法案の可決は、中国

との貿易戦争を招来しかねない」として、同法案には反対の姿勢を明確にしている。 ところが、ブッシュ政権の反対にもかかわらず、同法案は、米議会で高い支持をあつめ

ている。とくに衝撃的だったのは、上院が 4 月 6 日に、同法案を廃案とする動議を、賛成

33 票-反対 67 票で否決したことである6。この 67 票という賛成票の数は、大統領が拒否

権を発動した場合でも、これを覆せるだけの水準である。米国では、選挙区事情が反映さ

れやすい下院と比較して、上院は、大所高所からの議論が行われる傾向にあり、伝統的に

自由貿易への支持も強いといわれている。その上院で、シューマー・グラム法案がここま

での支持を集めたのは、大きな事件といって良い。 シューマー・グラム法案は、2003 年にも提案されていた経緯があるが、当時はここまで

の支持は集まっていなかった模様であり、今回の投票結果には、提案者のシューマー上院

議員やグラム上院議員も驚いているといわれる 。実際に、グラム議員は、「上院の対中観

が様変わりしたことの表れである」と発言している7。

(2) 回避された当面の「衝突」 シューマー・グラム法案は、7 月末にも上院で可決される可能性があったが、6 月末の時

点で、採決の期日が今年後半の議会会期末まで延長されたために、少なくとも当面は、同

法案が米中関係の緊迫化を招くような事態は回避された。

6 手続き的には、国務省歳出権限法案(S.600)に対する修正条項(Amdt 309)として、シューマー・グ

ラム法案が提案され、これを棚上げ(table)するという動議が否決された。 7 Miller, Rich, Stan Crock, Paul Magnusson and Dexter Roberts, “No More Mr. Nice Guy with

China?” , Business Week, April 25, 2005.

6

① 延期された投票 シューマー・グラム法案の先行きに関して、一つの山場となると見られていたのが、7月

末という日程であった。これは、前述の 4 月の採決が行なわれた後、同法案の提案者であ

るシューマー議員らと、議会共和党指導部との間で、シューマー上院議員らが同法案を一

旦取り下げる代わりに、議会指導部は、7 月末までに同法案を上院での採決にかけること

を確約するという取引が行なわれていたからである。 仮に、この取引どおりに、7 月末にシューマー・グラム法案が上院での採決にかけられ

た場合、同法案は賛成多数で成立する可能性が高かった。各上院議員が、4 月の段階で同

法案に対する投票を一度行なっている以上、彼らが投票態度を変えるためには、「何らか

の理由」が必要だったからである。 しかし、シューマー議員らは、6 月 30 日にスノー財務長官及びグリーンスパン連邦準備

制度理事会(FRB)議長と会談を行なった結果、「中国が数ヶ月以内に人民元制度改革

に踏み切る可能性が高まったとの認識を得た」として、採決を今年後半の議会会期末(10月頃)まで延期することに合意、この結果、当面の「衝突」は回避された。

② 現実的な落とし所を探っていた米議会 かねてから米議会側には、人民元問題の現実的な落とし所を探る雰囲気があり、シュー

マー・グラム法案の審議見送りに応ずる素地があった。 シューマー議員は、当初から、同法の目的は「米議会が人民元問題に対して強い問題意

識をもっていることを中国に理解させること」であり、「実際に同法案を成立させる必要

はないだろう」と述べていた8。また、同議員は、中国に即座に人民元を完全フロート化す

ることを要求しているのではなく、①フロート化に至るまでのタイム・テーブルと、②そ

の実現に向けた目に見える動きがあれば十分であり、当座については、変動幅を 1~3%拡

大するだけでも構わないと述べていた経緯もある9。 また、もう一人の主要な提案者であるグラム上院議員も、「本法案の目的は実質的な変

化をもたらすことであり、貿易戦争は本意ではない」とした上で、「7 月末までに実質的

な進展があるかどうかを行政府などと協議し、その結果によっては、一息つくことが可能

になる」と述べており、実際にそのとおりに事態は進展している10。 さらにいえば、シューマー・グラム法案自体にも、法案成立から制裁関税の発動までに

は、 大で 2 年間の猶予期間が設けられており(前掲図表7参照)、ここにも、現実的な

落とし所を見つけたいという思いが垣間見えていたのである。

8 2005 年 4 月 6 日の上院本会議での発言など。 9 2005 年 6 月 8 日にシューマー議員が外交評議会で行なった講演による。 10 Rugaber, Christopher, “Thomas Cites Possible China Currency Legislation, as Graham Softens

Approach”, Daily Report for Executives, June 8, 2005.

7

③ 明確になったタイム・テーブル シューマー・グラム法案の採決延期によって、当面の危機が回避された一方で、ブッシ

ュ政権にとっては、今年後半までに人民元問題への一応の決着をつけるというタイム・テ

ーブルが明確になった。 従来からブッシュ政権は、今年後半までには人民元問題に決着をつけるとのタイム・テ

ーブルを描いていた。具体的には、スノー財務長官は、今年 5 月に外国為替報告書を発表

した際に、中国が人民元制度の改革に踏み込まない限り、次回の報告書で中国を「為替操

作国」に指定すると明言していた経緯がある。次の報告書の発表期日は 10 月 15 日であり、

報告書の発表に多少の遅れを見込んでいたとしても、既にこの時点でブッシュ政権は、少

なくとも年末までには、人民元問題に一定の決着をつけるとのタイム・テーブルを示して

いたことになる。今般のシューマー・グラム法案の採決延長は、こうしたタイム・テーブル

を、より明確にする役割を果たしたと位置付けるべきであろう。 当然のことながら、今年後半までのあいだに、中国が人民元制度改革に動けば、シュー

マー・グラム法案の採決は見送られる可能性が高まる。足下でも、米中の間では、グレン・

イーグルズ・サミット(7 月 6~8 日)、米中合同商業・貿易委員会(7 月 11~12 日)、

ライス国務長官訪中(7 月末)、ゼーリック国務次官訪中(8 月 1~2 日)といった外交日

程が組まれており、こうしたなかで、ブッシュ政権が何らかの「成果」を示すことができ

れば、議会にシューマー・グラム法案の投票回避を呼びかけ易くなる。 一方で、仮に今年後半までに目立った動きがなく、シューマー・グラム法案が採決にか

けられた場合、これを否決することはかなり難しくなる。ブッシュ政権としては、明確と

なったタイム・テーブルのなかで、 大限の努力を講ずる必要が指摘できるのである。

④ 他の対中通商法案が成立する可能性 シューマー・グラム法案の採決は今年後半まで延長されたが、これ以外の対中通商法案

が議会で成立する可能性は残されている。 前述のように、米議会には、制裁関税法案以外にも、中国政府の補助金問題などを含め、

中国に関する法案が多数提案されている。また、かねてから米議会では、シューマー・グ

ラム法案の成立を回避するために、これに代替するような、包括的な対中通商法案を作成

すべきだという意見があった11。 実際に、下院歳入委員会のトーマス委員長は、財務省の外国為替報告書における認定基

準の改定や、USTRの権限強化といった、既提出法案の内容を組み込んだ対中通商法案

を、7 月中にも審議したいとの意向を明らかにしており、その行方が注目される12。

11とくに、上院財政委員会では、包括的な対中法案の作成を模索する動きがあり、6 月 23 日に同委員会が

主催した公聴会は、こうしたプロセスの一環になるとみられていた。ただし同公聴会後の記者会見で上

院財政委員会のグラスリー委員長は、包括法案の作成に消極的な発言を行なっている。 12背景には、議会審議中の中米自由貿易圏協定(DR-CAFTA)実施法案の可決を確かなものにするために、

対中懸念の強い議員の不満に答えておく必要があるとの判断があるとみられる。

8

図表8 米国が被っている知的財産権侵害の規模

0 5 10 15 20 25 30

メキシコ

ブラジル

イタリア

ロシア

中国

ビジネスソフト

娯楽ソフト

映画

音楽

(億ドル)

(注)2004 年。 (資料) International Intellectual Property Alliance

3. 「人民元後」の米中通商摩擦

現在の米中摩擦では、人民元問題が中心的な争点となっているが、米議会の対中警戒感

は為替の問題に限られているわけではなく、知的財産権や中国市場の開放など、「人民元

後」の米中摩擦の火種が尽きないことには注意が必要である。今後の米議会の対中感情に

影響を与える要素のなかでは、①有権者の対中感情、②進出米企業の利害、③米経済への

影響、④安全保障上の観点の四点が注目されるところであり、とくに、これらには一概に

摩擦を激化させる方向に働くとは限らない要素があることは見逃すべきではない。

(1) 為替に限られない米議会の関心事項 米議会で行なわれている中国に関する公聴会の内容などをみると、議会の対中警戒感が、

為替の問題に限られているわけではないことは明白である。 とくに米議会の問題意識が高いのが、知的財産権である。知的財産権については、映画、

音楽、ソフトウェアなどの著作権侵害だけでなく、製造業部門での模倣品や、商標の問題

まで、米議会には幅広い問題意識がある。 このうち著作権については、2004 年の時点で、米国企業の損害が 25 億ドルに達してい

るという関係業界の試算が発表されている(図表8)。また、4 月 14 日に下院歳入委員会

が行なった米中経済関係に関する公聴会でも、多くの議員が中国の知的財産権保護の不備

に関する発言を行なっており、その注目度は為替問題を上回っていたといっても良い。例

えば、トーマス委員長は、中国政府が海賊版のソフトウェアを使用していると指摘してお

り、また、ミシガン州選出のキャンプ下院議員は、同州の自動車部品業界が、中国の模倣

品業者によって大きな打撃を被っていると述べている。さらに、カリフォルニア州選出の

トンプソン議員などは、中国のワイン・メーカーが、カリフォルニア産を思わせるような

商品名を使っていると批判している。 米議会には、米国がグローバル化のメリ

ットを享受するには、高付加価値分野の強

みを生かす以外に手段はないという意識

があり、その点で、知的財産権は極めて重

要であると認識されている。後述するよう

に、現在の米中の貿易関係は相互補完的で

あり、中国は主に安価な労働力を強みとし

ている部分があるが、知的財産権の問題は、

こうした構造にも影響を与えかねないこ

ともあり、議会の注目度は高い13。

13 ブッシュ政権も、知的財産権保護問題こそが、中国問題の「真の優先事項である」との姿勢を示してい

る(4 月 14 日の下院歳入委員会公聴会における、フリーマン USTR 中国部長発言など)。

9

また、中国政府が、WTO加盟の際の約束に反し、自国市場の開放を進めていないとい

う問題意識を表明する議員も少なくない。例えば、前述の下院歳入委員会の公聴会では、

トーマス委員長が、検疫などの非関税障壁の存在を問題視する発言を行なっている。 為替問題は、利害関係者が幅広いため、米中摩擦が「市民権」を得るための「入口」と

して好都合だったという側面があることも否めない14。米議会の対中警戒感は、為替に限ら

れた問題ではないため、仮に年後半までに為替問題に一応の決着がついたとしても、米中

摩擦の火種は消えないと考えるのが妥当である。

(2) 一筋縄では行かない米中摩擦の今後 今後の米議会の対中姿勢に影響を与える要素としては、①有権者の対中感情、②進出米

企業の利害、③米経済への影響、④安全保障上の観点の四点が注目される。とくに、これ

らのなかには、一概に通商摩擦を激化させる方向に左右するとは限らない側面があること

は見逃すべきではない。

① 有権者の対中感情 米国では、有権者の対中警戒感が、通商摩擦を誘発する「臨界点」を超えたのではない

かという指摘がある。 こうした指摘の背景には、2004 年大統領選挙の経験がある。米国では、雇用不安と選挙

が重なると、通商摩擦が発生するといわれてきた。こうした経験則に従えば、2004 年の大

統領選挙の時点で、中国との通商問題が論点になっても不思議ではなかった。ところが、

実際には、大統領選挙では中国は争点にならなかった。この点について、米国には、2004年の時点では、有権者の間に対中警戒感が浸透していなかったことを理由とする見方があ

る。実際に、民主党陣営は、大統領選挙の過程で、中国問題を選挙の争点とすべく、世論

調査などを実施した経緯があるという。しかし、必ずしも有権者の反応が強くなかったた

めに、民主党はこの問題を選挙の争点としなかったというのである。 ところが、2005 年に入り、有権者の対中感には目に見える変化が生じており、議員が地

元の有権者から中国に関する質問を受ける機会が急増しているといわれる。そして、こう

した有権者の対中感情の変化が、議員の対中姿勢の硬化をもたらしている可能性が指摘で

きるのである。 もっとも、米国民の対中感情が悪化しているという事実は、世論調査などには必ずしも

明確に反映されていない。確かに、2005 年 5 月に行なわれた世論調査では、中国を「(現

在及び将来の)競争相手」と見る割合が、高い水準に達している(図表9)。しかし、中

国を「非友好的な国である」とみる割合を時系列で比べると、その水準こそ高いものの、

傾向としてこれが上昇している様子は見受けられない(図表10)。

14 シューマー議員は、2005 年 6 月 8 日の外交評議会での講演で、為替問題が幅広い産業に影響を与えて

いる点を指摘し、中国に対する広汎な不満を糾合する論点として、この問題に焦点をあてていると述べ

ている。

10

図表 9 競争相手と認識しているか(世論調査)

17

23

39

61

71

0 20 40 60 80 100

メキシコ

インド

EU

中国

日本

既に競争相手

将来的な競争相手

競争相手にはならない

分からない

(%) (資料)2005 年 5 月 12~16 日、WSJ/NBC 調査。

図表 10 「非友好的」とみる割合

0

10

20

30

40

50

60

70

80

1994 96 98 2000 2 4

(%)

中国

日本

フランス

(資料)ハリス社調査

図表 11 中国をポジティブにみる割合

0 10 20 30 40 50 60 70

議会スタッフ

ビジネス関係者

一般国民

(%)

(資料)2005 年 3 月 17~30 日、ゾグビー社調査

図表 12 在中外資系企業による輸出

0

10

20

30

40

50

60

1986 90 94 98 02

0

500

1000

1500

2000

2500

3000

3500

4000

(年)

(%) (億ドル)

輸出額(右目盛)

中国の輸出に占める割合(左目盛)

(資料)米議会調査局

また、ゾグビー社が実施した世論調査では、

議会スタッフと比べて、一般国民やビジネス

関係者は、中国をポジティブにみる割合が高

いという結果も出ている(図表11)。 有権者の対中感情の動向は、米議会の対中

姿勢に大きな影響を与える要因であり、今後

の動向に注目する必要があろう。

② 進出米企業の利害 中国問題については、米企業の間にも立場

の相違があることが、米議会の対中姿勢に少

なからぬ影響を与えてくると予想される。 現在の米中摩擦を、1980~90 年代の日米

摩擦と比較した場合、両者の大きな違いとし

てあげられるのが、米企業の利害関係の違い

である。日米摩擦の当時には、ほとんどの米

国企業が日本を非難する立場に回ったが、現

在の米中摩擦の局面では、大企業と中小企業

のあいだに立場の違いが存在する。米国の大

企業には、中国に進出している企業が多く、

これらの企業は、知的財産権の保護などには

興味がある一方で、為替問題などで米中関係

が緊迫化することは望んでいない。他方で、中小企業のなかには、米国市場における中国

企業との競争に対する危機感が高いという温度差がみられるのである。 日米摩擦当時の日本と違い、中国は外資の導入を積極的に進めている。実際に、中国か

らの輸出の多くの部分は、現地に進出した外資系企業によるものである(図表12)。

11

現在の米中摩擦の局面では、米系の大企業は、議会の保護主義的な動きを抑えようとす

るような動きを、それほど明確にしていない。しかし、今後米中摩擦の緊迫度が一層高ま

ってきた場合には、こうした大企業が摩擦の抑制に一役買う可能性が指摘できる。

③ 米経済への影響 米経済もグローバル化が進んでおり、米議会としても、対中政策が米経済に与える影響

は無視できない。この点では、米中経済が補完的な関係になっている一方で、個別業界レ

ベルでは、厳しい競争関係が生じ得ることが、議会の判断を難しくする可能性がある。 まず、総合的な観点から見れば、少なくとも現時点では、米中の経済関係は補完的であ

り、米国にとって中国は安価な製品の輸出元となっている。このため、中国からの輸入を

制限するような措置に対しては、消費者の立場から反対論が高まる可能性が指摘できる。

このことは、1980~90 年代の日米摩擦の当時に、日本が先端産業分野で米国の地位を脅か

しているとの危機感があったのとは、若干趣が異なる。 他方で、個別の業界レベルでは、中国企業が強力な競争相手として意識されることは、

米議会としても無視できない。実際に、今回の米中摩擦の局面でも、米国では既に衰退産

業である繊維分野での輸入急増が、摩擦が激化する触媒の役割を果たしている15。

④ 安全保障上の観点 米議会が中国との関係を考える上では、安全保障上の観点も避けて通ることは出来ない。 安全保障上の観点からは、米国としては、対中関係の急速な悪化は好ましくない。実際

にブッシュ政権は、2001 年の同時多発テロ以降、安全保障上の重要性に鑑みて、対中関係

を荒立てないような政策運営を心がけてきた。他方で、中国のプレゼンスが、経済面だけ

でなく、政治・軍事面でも高まっていくことが、米国にとって脅威であるのも事実である。 米議会としても、米中問題を考える際に、経済的面と安全保障面を完全に切り離して考

えることはできない。このため米議会には、米国としての包括的な対中政策を確立すべき

だという意見が浮上している。もっとも、ブッシュ政権は、包括的な政策を立案した場合、

中国をライバル視するような色合いが強くなる可能性が高いため、できるだけそれぞれの

論点を個別に扱いたいとの意向であるとされており、必ずしも方向性は定まっていない16。 米議会にとって、対中問題は息の長い課題になることは確実である。ただし、米中関係

を取り巻く環境を鑑みれば、今般のシューマー・グラム法案の採決延期にもみられるように、

一方的に摩擦が激化するという単純な展開にはならない可能性を視野に入れておく必要性

が指摘できるのである。

15 もっとも、米国の繊維産業は長期的な衰退傾向にあり、中国からの輸入増は他国からの輸入を代替して

いる色彩が強い。ただし、中米諸国等から輸入される繊維製品は、米国産繊維を原料とする割合が高く、

これが中国製品に代替されることは、米繊維産業にとって好ましくないとの見方もある。 16 Andrews, Edmund L., “Capital Nearly Speechless on Big China Bid”, New York Times, June 24,

2005.