小枝繁の虜東條から京侍を眺めか - 広島大学 学術情 …...国 語・国 文学...

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小枝繁の虜東 敏ノ さえだ r戯作者小倍』の小枝繁の項を見るとL、 せつhソ 経山と窮す、又計醜陳人と班す。通稀富木七郎次と云 青山煩棺戒に任し、後四谷忍尿横町(侍馬町三丁目横町) とあって著作目録を掲げてゐる。「浮世給類考Ld附録も全く 年彗文政九年八月七日輿享年六十八であったと冒本小詮年表』(山崎 人忌辰録』(関根只誠翁)記載の毅年に掠ってか生年を逆算したもの 谷不倒氏)には「天保三年四月十九日投、享年未詳、市ヶ谷菓王寺前町眞宗 小枝繁の虎女作から京侍を挑める

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  • 国 語・国 文学

    小枝繁の虜東條から京侍を眺めか

    ㈲ 木 敏ノ 也l

    l▼

    r戯作者小倍』の小枝繁の項を見るとL、

    せつhソ

    経山と窮す、又計醜陳人と班す。通稀富木七郎次と云ふ。撃剣に・長じ卜宏にも委し。水府の御重殿付にて、初め

    青山煩棺戒に任し、後四谷忍尿横町(侍馬町三丁目横町)に移る。

    とあって著作目録を掲げてゐる。「浮世給類考Ld附録も全く同文である。また、家を城西濁醒書裏と悲し、賢暦九卯

    年彗文政九年八月七日輿享年六十八であったと冒本小詮年表』(山崎氏編)の人名群書の部に見える。これは『名

    人忌辰録』(関根只誠翁)記載の毅年に掠ってか生年を逆算したものと推測される。然るに『草双紙と讃本の研究』(水

    谷不倒氏)には「天保三年四月十九日投、享年未詳、市ヶ谷菓王寺前町眞宗白雲仙押彙寺に葬る。法名遺元院繹直信

    小枝繁の虎女作から京侍を挑める

  • OJJ

    図 文 題 攻  第二 を 節一掃

    居士」とあり、猶、.もと幕臣で後に水戸家御室殿附の柁人となったとある。御重殿附(舞姫夫人と忠はれる)になっ

    た事茸は、元凍幕臣であったことを肯定させる。

    .そこで、この人の妊年に就て一つの質疑を提由したい。頃日、小枝繁の自筆稿本・一房枝梅薫九猫士偉.血初碍なるも

    のを見た。標匠の示すやうに扇踏里見八犬侍』の模倣作の二菅である。八犬億初囁刊行は文化十二年であった〇繁

    はその前年にし『寒燈夜話小安外偉』を著し、水溝倖式開口と十勇士鮎出の構想とを袈出してゐる。この着想は八犬倍

    へ何等かの示唆を輿へたのではあるまいか。それはともかく、八犬侍には模倣雅として大判家の芋杉偉号か、随芋

    氏の完牛偉』とかが相次いで現ほれたが、更にこの完猥士侍旨見たのであるごγで閉院となるのはその序文の

     

     

     

    一節である。(内容に就ては改めて執筆する)。即ち「今弦丙申梅雨之輿1山而潤色、拙手之病、冗長蕪稜、佳境其瑞、

    清六寧‡々」の文字がある。この丙申は天保七年に雷り、此年までの存命lま確茸と見なければならぬ。従って文政九

    年穀も天保三年投も疑ほしくなってくる。彼は此書目版の期日が預測でき重か一ったらも{序の凝りに年故を客字と

    して「…・:書且、小枝繁啓蒼山茅臆南軒之下」と二行に書いて捺印(墨書)してある。蒼山はもちろん青山の事で、此

    年代には四谷から青山へ再び腐ってゐたのか、よた四谷へ移る前なのか、それも考勘の中に入れねばなるまい。水谷

    氏のは口附も法名鴇明白なので、天保三年の三は誤植かとも思はれる。もしまた文政九年が天保九年の誤記としても

    間短は解決する。御示敦を仰ぎたい。

    この小枝繁の讃本初筆は晶晋本聖喝醇と云ひ、文化二年版で、北霊の五巻物である。常時の読本には・

    くヽ・ヽ′

  • 3

    大麓として短篇集型の奇異怪談と茸同位型の野乗史評との二様式が存在してゐ管又、極めて概括的に推移の透を辿

    れば・標誼に1古今奇談」などの角番を持った作は寛政から享和にかけて流行し、事和文化の交じは感本何々LL

    窮するものが著しく目に立って魂た。それは必ずしも速水春暁瀞の如き、壷作堅人の著作のみではなかった。而し

    てこの紛本云々の作柄は多く野乗風の内容であった。とにかぐ買緻狙』が復讐奇諸と角番し、更-こ治本のこ字を冠

    つてゐた鮎は、讃本の史的展開をそのま1跡づけ㌃ものとして、軽亙しく看過し難い。

    女に作家柳から見るとー江戸の読本堺は溺政の頃から漸暦的に賑盛を来したのであった。明和安永の交にあっては

    庭鐘・秋成・椿園等の上方作家が輩出んたが、綾足々東西移動の楔予定もて、遠-。巧のヰ心は五戸作家羊把握された

    のである。

    遁世物之本江戸作者部頓』怨三に「讃本作音響土」として、吸膚庵磯風・風爽山人毒尊月成・好妨子違全

    交,山東庵京樽・桑楊庵光・雲府餞天歩・曲亭主人の九名を靡げてゐ.吾魔息は章同濃小読切創始者止・

    して史的偲恩

    を確保してゐるが・風釆・月成・全交は青木系瀧の滑稽物作家である?京樽・・馬琴は斯界の大立物として暫く措く。1

    残る三四の代表作を見るに、好螺子の『奇侍新謡』(六巻、天明二年こは「辛苦節操死再嫁細川拉達し以下八個の読

    柄品した短篇集であり、桑楊庵の晶電離』(墓-寛政四年刊)基宇治拾遺風の悪筆雪品と天歩

    わくらは

    の遠近物語』(五巻、寛政九年)亘由成某を絞る妬好皐月と貿妾宗との三角関係一品し、速に妻妾席を換ふるに

    重みと云ふ、支那稗史系の章同慣小詮である。即ちこの局限せられた範閲にあっ.ても、二様式が並びに行ほれてゐた

    小枝繁の庭女作から京樽を挑める-

    3

  • 国 文 撃.放 第二.巻∴節 】 輯

    事が看取されるが三の問に庭した京樽馬琴はいづれも重岡麓様式の浪漫的作品に染筆してゐるのである。京樽は『忠 4

     

     

     

     

     

     

    臣水前借』(前後十巻、寛政十二年、事和三年)憲蹟沼』(五巻、事和三年)遠虫垂物語』(七番っ文化元年)を次々と空

    麦も,馬琴は『高尾舶字文L(五巻、寛政七年)の後・『給本大江山物語』(五巻-同十二年)を経て、哀化元年には、.コ月

    かんrし

    氷奇縁』(五登事和三年作)、『小詮此巽文』(二審)『耗枝鳩』(五審)、『曲亭偉奇花欽見』(二審)」『小夜中山雪道響.六五

    巻)を失掲早に公にしてゐる。即ち、文化初頭は江戸読本興隆の高潮期であった。『作者部類』の著軍(馬琴)はー恐ら

    く「讃本作者部の下しに於て蘭山・鬼載嘉虜・蓬州・∵九・種虜等と共に、小枝繁をも詮く濠定であったやつ。しかん

    彼自身の記述に詳細なる飴わ、企図せる四怨のうち三の両巻のみを成し、1飴巻いまだ稿せずー異月暇あらん華稿

    を再けて錬すべLLと詔はざるを得なかったのである。かくして小枝繁に関する記述は、馬琴の撃には上らなかった

    けれど、宮代-ニ於ける讃本作家として相脛の地位を占むべき業績を残してゐる事は、その十数部の著作が宣記すると

    ころであり、在衆の小詮史が常に彼への一瞥を避けない所以でもある。

    ざて扇放錦Lに蹄るが二通りその横風に裁て、大筋霊拍りながら展望したい。まづ蟄端に於で平和なる地方の

    豪農を鮎出し、性格を異にすむ兄鼠をあらはし二.家の柱石たる父親の死と共にt.早くも家些表徴の兆を此風に据え

    た。軸も武州紳名川の笠原卒右街門が病に朴れる。磁明にして温厚な弟息子福次は京都に遊塾し予好人物だけれど短

    気で酒癖ある兄の卒太は、梱紹したけれど家導品める事が出来ない。妻の父丹次の耳膚の戒宴に招かれ、零落の悲

    しみをつくふ1味つた彼は、房から二百金を露まれ、家蓮再興を誓って家路についた。途中嘉侭の奇瑞を見1その

  • 訓戒に反省しながら、悪友に誘る1ま1に旗事に盃を嚇む。この滑鯨が二荒の主核たる復仇事件の素因を成し、且

    “_なこ

    疑獄誘致の桟操を作ったのである。知ち夜陰に踵宅した卒太は∵弟の許嫁花見を威かした。それは、・かの金満花見を

    娼家に亘って得たものだとの撃ロを弄し其まゝ寝入って丁つたのである。花見は沈思の未、京の梼次の許へ走らんと

    て酒に投出したが、計らずも兄左太郎に遅遺してその郷里へ赴く事とする。▼一方河友嘉卒は」その妻に卒太に.曾つた

    事を語るバ隣室でそれを倫み開いたのが弟の不良兄弟勝次であった。彼は推した1此花卒太は泥酔し、その家は無

    人である、かねて懸想せる花見に迫る好機が輿へられたと。忍び入った彼は、花見の脱出後なる.を知ったが、思はす.

    も金匂▼ヴ得た。そこで目畳めた卒太を斬って逃れ出たのである。卒太横死は、こゝに花見への嫌疑となり、途にして

    帯へられた。情夫共謀との役人の推断は、兄と知れて解滑したが、絹商人なる左太郎所持の金額と紛失金との合致は、

    速に二人を田圃の人とした。たゞ奉行には考ふる屏あるらしく」急ぎ、丹次をして橘次を呼び下らしめる。かく卒太

    一時の庄興が、純具の鬼女を不幸の淵に沈めて事件展開の第一系を示し、酒友の閑談は端なくも不追行盛空示唆して、

    殺攻の惨を生み、事件展開の第二系ふ読適した。共l二訓戒を犯した酒痴.の因果に外ならない。この援端に準すべき説

    話範問は∵盃の半ばまでを費してゐる。次で説諭の場面は京洛の地に移動するが、巻秩の節序整斉を保つものとは

    云ひ稚い。

    京の橘次は将軍の侍士細川織部の知遇を待て、その家に寄寓してゐる。lこ1で犬猿のあばれるのを取抑へた事件

    たとこJ

    は、′彼の才智を立記する▼と共に織部との交渉を生する瓢に重要性がある。而して識部の妹葛の態は、春興の笛聾に因

    を蟄王女で侍女の文俵となわ、容れられぬ怨情に自害の所作を演じ、蓮に男心が描けて∵し1に霹犀一部の紅を解す 5

    小枝宏の虎女作から東侍を眺める

  • 国 文 撃 放 夢二巻 第一韓

    るに至る4丁-凡てが紋切型の濡場である。この場合の橘次はその人間味を云鰯されるよりも、むしろ優柔性を暴露 も

    し七着で為る4由ち許嫁花見への情感の蟄動が竜も認められない事は、彼の人物件格への大なる疑問符を投げかける

    ものである。綱控の娼悪が明るみに出るや、直ちに情死を企て、娘の乳母の才党に慮っては、導かるま1にその里にこ

    走るが如き、いよく出でて情痴の人なるを語るものである。途すがら悪棍敦聾を斬ったのは、たゞ武士としての整

    両を保つにすぎない。

    作者はこ1で橘攻閑居の里なる八幡相の保正(村長)の不義事件を餃適して、臥語ること頗る詳しきものがある。

    保正の治部卒は鉄夫の淋しきま1百姓惣太の妻お宿の美貌に迷ひ、女も夫の迂愚を厭って彼の情に絆される。彼は不

    僕を使疾して惣太に質物として衣服を輿へたが、その衣は将軍から群管等、盗難に掛った上訴へたためー惣太は揃

    へられて肝刺される。思ふ壷にはまってお肩は表面上東女として保正の家に移った。然るに惣太の怨鬼が崩して、女

    は奇病に雁や花々苦惜し、保正も亦不慮に傷き、二人は同刻に悶死してしまふ。保正の弟庄司の幼女が、その頃花毎

    に癒される?.茄も怨鬼の崇りと悲んだが、占師に掠れば、成美乗ずる狐狸の一業と云ふ。橘次がこの妖畢憲治もた

    が、.それは老狸の怪であった。士の八幡村事件は全構成の上に何等の契機をも発見し得ないものである。姦悪が生み

    出もた幽鬼の活躍によって、濃彩と変幻とを肝現したのであらうけれど、語調展開の本幹と閥聯するところ無く」到

    底挿話以上のものであり得ないSであ受・むしろ露部.一家との切茸な確路を提痴するか、然らざれば例除に委すべ曾

    一段である。本筋と結ぶ兄の亡墨出現の手法も1御都合主義の相談づくらしい気合が強く、且幽鬼談の直後であるだ

    け重層の感が深い。∴即ち五巻物の中軸たる竺二審は、全く挿話のた鳩に費されたもので・内に盛られた話目標は甚だ

  • 賑々し▼いけれど∵それだけ全構成の上に崇拝性を失ふものと謂つてよい。..

    この八幡村事件の後、橘次が蹄国を享けた第四容は」.時間的に遡って府中に於ける嘉勝次の「悪」の第二段を宜し

    である。.甜名川を逃亡した彼は、府中の店酒良で通りすがりの美女を見た。給仕女からその素性を開き」突差の間に姦

    計を巽東する。・女の父が旗に出てゐるので.手紙を託されたとて留守居の要を欺き.宿り込んだ花、娘の許に忍んだ

    はをhソ

    情夫書三の短拭と超誓女とを奪ひ、それを詮按に書三の親(質屋の重次)を強請って百両を持上げる。而して娘には

    廣落を蝕め、逃れ出た態の二人を迫ひかけて脅迫し、男を斬り娘に迫り、拒まれて達にこれをも殺し、・路金を一奪ふ。

    そこへ来合せた四人の凶賊と乱闘して、彼等をも屈服させ、箱根の山墾し笑内させて賊魁となる。潮ち詐欺・強請・

    殺人・追好・強奪の諸罪悪が連鎖的に遂行されてゐる。「悪」はやの紹頂に達したのである。

    橘次は箱根路で小賊に逢ふ。迫ふて道を失ひ灯影ケ尋ねて茅屋に到り、一少女を見る。一少女の風貌・′悪度とに、あ

    る示唆が動き」】ゝで肝中事件と橘次の行動とが結合される。少女は府中調質屋式次の娘であり、吉三の妹に雷る。彼

    女は兄の横死の後‥病む父と山の湯に療養するう空.賊に誘拐されのであった。賊魁は嘉藤次で兄の仇である。この

    旨を父に昏げよせ橘次に睨む。その夜陰微かな泣啓は橘次を真山に導くが、そこに展開せる怪奇的場面は、老僕の死

    と共に蛇との遜完を誘致し、、)1に児の死の農相を知るの機甲ぜ作った。印ち卒太の投後、況泉に出養生した捜彗、

    賊に揃へられたが、嘉勝次自ら卒太の下手人たるを自供し1り且彼の要たらんことを強要してゐるのせあった。橘次は

    まづ蛇と少女とを放って脱出せしめた。こ1に復仇の磯骨を待望しっ1.説話は同園に近づかんとする。

    ?  橘夷は人里に下って箱根凶戌の世評を開くに、彼等は官域を畏れず、料軍に横行を放てすると云ふ。而して大磯の 7

    小枝繁の魔女作から京侍を挑める

  • 国 文 密 教  夢二 各 節一韓

    花街に流達する者はその巨魁で、常に両三撃と共に黒顔中ぜ用ひてゐるとの事である。=そこで橘炎は撃を廻らし、蹄蹟 8

    を拇して速にこれを捕へ、官に諒へて武州に彼を迭致し㌔嘉藤次の逮捕から裁断となり、、左太郎兄疎は宥されて事

    件は落着したが、.更に卒太墓前の敵討を以って終結する。この第五巻に於ける相模路はかなー急速度の謙語旋韓で、

    員腰への混ど旬に、や1勿惟たる感があそしかし全般から観れば、短資の角華「復讐奇詔」ゐ文字に射しては、破

    瀾頚腰の華鴬もなく∵迂飴曲折の変幻もない。此校的平板に進展した詮話瘡の累顔であって、機構敵化の輯度薄く、

    七.ゞ部分的興味に∵成る程度の巧紐を散見するばか句である。

    以上によって知ちる1やうに、買緻錦』の構成は、嘉藤次の「悪」が椒撃ぞ成してゐるりそれ世評名川事l件宗空「悪」)

    と、府中事件(第二「悪」)との二保の連鎖から成立する。この中間に京の巻が挿入された1め感心から遊離する感が強

    いけれど.箱根に至って漸く根幹に埠給する。而して∵その五㌧.に大国因に到達するのである。要するに・充の巷を

    飴りに語り過ぎた事が全構成に歪曲を輿ふる結果を生んだのである4且抑名川事件の嫌疑者は飴りに長く淫交渉のま

    1に故国された嫌がある。かの歪曲を直すと共に、努除すべきを去り、補強すべきを加へて、彿釘の二三を適宜に打

    ち込まなくては、均整を保つ機構美はこの作品に肝期し得ないのである。

    二二一1

    、次に人物の方面を見るに.まづ卒太がゐる。「況順にして些しき才智はあれど「田の諦あり」・とで酒狂が怒げられて

    ゐる。その父が臨終に雷つての苦労もこの鮎にあり、五十歳になるまでの禁酒を命じた程である。しかし彼が性乗の

    好人物であるのと.それを利用する周囲とによって、彼は家撃を長蛮した。かくして舅の訓戒によっては穀生を誓約

  • も、奇侭の拷示によっては反省もした。けれども、挙ぜ返寸.やうに忽ち誘惑に陥って我を失ひ、酒が云はする餞否と

    戯言とに義妹を刑按の道へ追ひ遣るのみか、自己の生命さへ失ったのである。世上に類型の多い酒痴の徒でゼのり、

    且この作品では最初の巷に鋲を田すだけなのに拘らず、一富の主核生育の動因を成す瓢で重要人物の一である.

    弟橘攻は復仇事件に絡んで主人公の佐近にあるべき人物である。しかし仔細に鮎瞼すればその影は淳い。「聴明伶例

    にして勇を好めども、浸けに人J寧はす、甚だ諾厚なる天質」と叙してあるやうに、父も末頼もしく忠ひ、京に上せ

    て文武の導ぞ撃ばし満たのであった。けれど彼の行動は、諾厚漫筆なる青年としては必ずしも享け入れる事は出来な

    い。居常に於ける好撃と才気とは肯定し相ても、情意生活の上の映隅には看過し難いものがある4印も、故郷の許嫁

    告心れて寄寓せる家の娘に惑溺し、事務はるゝや情乎ゼ企て、達に相携へて逃亡し、片田舎の詫住居に逸柴の日を迭

    ㌃と云ふ事箕がそれ々語ってゐるつたとへ、前に揆猿を悪らし後に妖輿望討ち・また小城五六墾蒜伏せたにせよ、士

    人としての風格れ拝に快くる肝があらう。加藤信訝(仁欝を浜ぢった名)に箪び細川織部に親爽んた事彗.むしろ師

    を辱め友を撃。の轡ぞ語るにすぎない。作者は、好感をもつてこの青年を遇するの態度、著しきものが有るが、児の

    甫痴に掛して弟は情痴の機を免れまい。箱槙以後の行動は、京に於ける顔店を反撥して、初めて士人の両日を発揮し

    凍ったが、最後に晋∵臓を越えし女濱妻とレ・われを慕ふがため計らずも厨団に苦んだ許嫁を妾とする括漕、

    本末抗倒の取捌で、橘次には志操なく、・作品芯は勒緻蓋しからざるものを認めさせるだけである。

    ‥これに掛もて敵役望茹藤功は頗る活躍してゐる。彼が「悪」の才略は機敏で溝わ尖銀である。兄夫婦の談柄を倫み

    9 開くや、直ちに立って博大の家を曇ひ、邪態の亀田を察すると共に、金包有納め、交差の中に殺人を犯す。企抱と臨

    . 小枝薯の魔女作から京樽を挑める

  • .国 文 学放 節二笹 第一韓

    10 機とを問lます∵ての行動は極めて軽捷である∵てこに遅疑なく達巡なく、楓爽lとlして澗歩してゐる。次で府中の居酒 10

    鬼に慰ふや、通わすが油の美女を見、その素性と家庭の事情とを巧みに聞込み、立どころに詐欺姦請の策略を胸中に室

    策する。閲捺放癖の方針と云へば、尤瑞らしい言葉で溝重が∵】れは全∴恐ろもくすばしつ.こい野郎である。こ1

     

    でも甘露的行動と臨機的行動とが錯落してゐるが、何等のへ・恵を演じな車。詐欺も強請も殺教も、活沼々地羊躍動↓

    て、正しき迫に邁往するが如くT悪」の逸行に徹底してゐる。取囲む強賊を屈服するや威嚇して山塞のまとなわ、直

    ちに黄金を散して衆賊に分配し、恩威並び行ふの拳に出づるなど..技目のない男である。姦智に長けたと云へばそれ

    まで⊥凍るが、、いかに鳥、きびノ1した親方である。、彼の屏業は凶悪そのもので、祀骨相に姦めく蛇鴫であるけれど、

    緑林憲としての瀾層は失ってゐない。この鮎で嘉藤女はよく寓されてゐる。たゞ山室の硲谷に於ける現貨地獄と廓

    通ひの風位も彗あ重程度の異状を認盈dるを得ない。即ち前者には梅瑞潔残虐味が撞溢し、後者には茶気清々の滑

    稽感々誘致する。この二場屈は先捉模倣と云ふ串蜜が反映してゐるだけ、前車の嘉藤次に受っては、かなわの距轡ぜ

    畢見させる4のがある。其他の人物は皆副次的の佗道にある者で多く語るを要しない。箱根山中の一つ家にゐた質屋

    重次の娘の明慧がやゝ日に立つが1橘次を接る京の人々(織部、環)、八幡村の面々(治部卒・惣太・お絹)など、す

    べて型にはまった人物と云ふにすぎない。

    こlで作者の人物取扱法に関し、武州知喋の裁断に併接して一瞥を典へよう。卒太寡婦には「浸りに人を疑ふ、浅

    智、夫の仇を報ひたき一念、橘次に従って仇討すべLLとあり、丹次には「浸りに人を疑ふ、花子を養ひて子とすべ

    LLとある。この両人への言渡しは安富である。しかも次の左太郎に賢しで「室情を梅めすして走る、絹の安代牛ばに

  • 11

    て訴訟珪用を負損すべLLは、酷であり不雷でもある。花子への「箕輪を極めずして浸りに走る、丹次の子として彼

    の意に従ふベ士と云ふ。その後牛はむしろ彼女への好意であ′らうが、前年の叱責は無理解であり、温情に快くる鹿

    屋的言辞-こすぎない。左太郎兄妹を斯く行動せしめた素因を考察すれば、彼等は感賞を受けた橘次以上に、塙らはれ

    同情されて然るべきである。これは事件の表面を摂癖するに留って、作者の勒惣主我に透徹性と確資性とがない設左

    であらラ1

    「東放鐸冨一讃してすぐ聯想されるものは雇椿の『安積沼Lである。初丁の標畢芯「小幡小平次死買物譜」と角

    吉がしてあるが、匠賓には厨ぶく「復智奇談」と冠らしてゐる。日次の破随も瑛女二行書、「井」上しての並べ書きも

    其のま1で、よづ形式の模倣がある。

    『安漬沼旨大筋は、.山井淀門が親の仇を尋ねて諸国を遍歴し、.羽後男既山で誘拐された妻を救出し、月明の八郎湖

    畔に仇敵轟領事を討取るのを骨子とし/それに小平次の巷談・品よしたものである。・印も仇敵と怨真読のこ債の絢交

    ぜを作男としてゐる。この全般的構成の類似は動かすべからざるものと思ふ。詮詣展開の跡を辿れば、(一)敵計の動

    機、(二)敵討の費程‥(三)敵討途上の挿儲二四)怨重(敵討の本筋に交渉なし)1(五)敵討本懐と云品格でみる:】

    れを「東放錨』に封照すると甚しい接近が認められる。吾ゞr(三)は慈愛詮話の挿入でみるが、橘次は兄の死を知ら

    すもて愛欲に惑溺し、波門は捜索途上の遺草を食ふ。それだけの距雌が在るが、主要人物lこ終車0情話たる璽鮎で合

    致もてゐる。印ちこの二作品が、先づ同」形恕0機構を有つ皇云ふ箪一印象は肯定しなければな㌃ない4

    小枝繁の虎女作から京樽を咋める

    ll

  • ・国文撃放.第二を 節一婦

    1ほ.攻に(四)の怨霹談が全く本筋から蓮離した扮謡である事と致してゐる。這績沼」では仇敵雲平の弟左九寓に関す

    る鮎に、本筋との微細なる連なりがあるが、「東放錦等の拾部平吼話には橘次との聯紺はない。草に治部牢の弟の家

    に起った妖異退治に奄渉を生ずるのみである。たゞこの「弟」の身材に除るところに隠微なる何物かが揺摩されるば

    か事である。しかし∵苗怨蛋談の促は構成上の闊轡しそ稀淳であるが、怨讐そのものゝの取扱手法は明らかにら東

    放錦』が模倣してゐる。

    『安爵沼』の左九郎は、俳優小平次の要お環と姦通してあたが、旗興行に出てゐた小平次を準丁で、これを奥州安積

    沼に誘穀もた。由ってお壕と同棲したが、小平次の怨憲のためにお壕は悶死し、久しからすして左九部も非業に死す

    る。このお環が一時兇文にょって政はれながら、蓮に取殺される債が『雨月物語』の「吉備津登」の持込みである事

     

     

     

     

    は、文腰の流用宜苓壷間周知の事葦である.。『東放錦』には、か1る護符倖詮の九十九様式こそ見えないけれど、閏

    房に於ける怨室出現を初渦、傷口の腐燐lとか幻燈によって身蛤りの者を殺俗す竜と.か、彼此閥の女渉を膏兄するには

    飴りにも規を一にしてゐみ。必ずしも不義の徒の本夫謀殺と、それに因る怨念から悶死への筋書が類似してゐると云

    ふのみではない。

    :更に(三)として提示した主人公の禦嘉話であるが、政宅解れた通り三つながら挿話にる鮎に頓似がある。「安蹟

    沼』の波門は.奥州狭布の里でお秋と云ふ娘に思はれる。自害の費悟に驚かされた.男は、蓮に情痴の人となる。こ1

    で窓から下した白布に槌つて階上-こ忍ぶ段は、支那稗史『孝粛樽』の「楼上自粛男良媒」を踏襲したものと云ふが、

    場傍が眉夫沼の儲布の里であるだけ、異邦情調は目立たない。お秋は翌花悪漢現酋なるものが閲入してその毒手に舞

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  • 1.3

    れるが、扇億錦Lの橘次と項とは、軟骨永Lへの好運に在る。且、・笛の晋に練る項等は浮瑠璃姫式の類型の多いもの

    である。而してこの作者はかの「お秋穀LLの現四や】ゝでは嘉藤次に持込み、府中長七の娘を穀さしめるだけの改

    寓を敢てした。即ちこの娘と裏との二面を合してお秋と照腰させる事ができ告二番に於ける此の挿話の交渉は、1鴛

    t

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    の会に誘ひて、・日衆の幽情、花月の佳骨壷娯あげていふべからすー己に素王の夢醒て・しばらく互の志をかたわける

    に、容の衣の湧けやすく、随月影傾、斗星園千として、はや暁にちかかわければ、掟門焉て別れ田なんとす。お秋枚を打

    かへ七L(「安括沼L巻三二ハ丁の至と、「鴛の会に誘ひてー口承の幽情此花にそし、脛漆の譜ひ其の娯輿更に云ふベ

    ラ方なきに、春の膏の明けやすく、己に裏王の夢醒めければ、橘次牽き起て去らんとしければ」環橘次が祝をひかへ

    て」(コ児放錦』巻二、十六丁の表)とを掛此すれば、同じく巫山の痴夢を描く類型的成語とは云へ、その風趣あまり

    に近いものがあらう。而して内容としての自由禁壷は、事和文化の交の読本には往孟遍的事項として取扱はれl

    馬琴すらコ月氷奇抜L(倭文と玉琴)、遠賀文矢助市とお姿)等にこの傾向を見せてゐる。京件はもとより『優曇華物語L

    の嬰-郎・弓子、『曙草紙』の宗雄・接姫、吾小枝繁の撫では『壁落穂』の求馬・頚生の如き、すべて好一掛の才子

    世人を動かしてゐる。

    類似はこれに留らず、立に深山幽谷の無人境に於けを現貰地獄の二場面があ告買放錦旨見えろ箱根の城塞の裏

    l

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    山は、「大石の影に赤身の男女を収鋳造たり、其連惣て白骨累々として岩石.悉く鮮血に数で有り」と云ふ境であった。

    そこで橘次が月光を透して相見えたのは蛇であって、その人は夫の敵た.る賊魁から要たるべく強迫され二二日の猶濠

    の中、その最後の花に瀕してゐた。それが簑積沼』み男鹿山の且明に、波門の眼に映じた砂はー樹林の小屋に坤く

    小枝繁の慶安作から演侍を眺める

    】3

  • 14

    国 文‥撃 放.節 二巻.第一輯

    レにも†bずい誅もやhデ

    十蝕皆の人で、「戌は耳鼻をそがれ、目をくlられ、舌を按き、戌は手隙の指を断たれ、七死八活只苦痛に域へすして

    たきさけ恵

    戟異聾い且戯れなる」残虐と共に、人肉料理の凄恰たる光景であったが、その間に傷なき唯一人の女を見た。それは

    かつらこ

    鬼畜蒔田研仲の妾たるペぐ諾否の三日間の猶政の下に-.死を覚悟せ訂、妻の覧妃であった。故蓮は『安精沼r蒜方が

    教等濃彩でー陰惨と戦慄上を太い描線で表現してゐるが、壷忍の連関は云ふまでもない。然も∵その典線吟地獄受相

    の印度思惑に胚胎するものであらう。

    かくの如く大筋の上での印象を初め、構成上の細部、また、粟要性を帯ぷ素材等に於ける類似同忍は、二年後の刊

    行たる『東放錦』が」『安痘沼しの風下に在るものと見なければなる、まい。

    l小枝繁がその説本の慌二作を執筆すlる五首つて、手近虻評判作を模囁せした事-ま極めて自然の径蘭である。如上の

    同債のみに限らず.読本創作上の苗代の「型」は、細かい道具立にも及んでゐるが、その透の滑息もやはり看過もてゐ

     

    ないやうである。例へば超人即ち人物の宿命を示唆し吉凶を判する者に、『東放錨』の一事檜あれば、憲楕沼』tは丁

    然尼がゐる。この奇侭は刹那的出現で」全鰐には無力な存在に終った加、了然尼は賢在人物の採揮(「新著開集」五、崇

     

     

     

    行篇。「紫の∵本」等に見ゆ)でや0と共に、終始した超越的偏カの表象となってゐる。また、曲芸妖異の跳梁は、こ

     

    の種の浪漫的小詮豆は枚傘に追ない程であるUこの両富のそれに関しては既に指摘した通りである。軍刀に就ては、

     

    ∵-老妖魔切の剣があれば、かれに交剛大功鉾の刀がある。更に響寺使警れる動物を物色す宣∵-ゝに猿と犯

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    とがゐれば、かしこに狼がゐる。因みに遠曇華物語しょで目を造れば、超人l。金鈴掛人あ。、幽嶋に忠臣腱介の妻

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  • 15

     

    眞袖あカ動物に鷺猿勇などがゐる。敵役たる凶悪の徒が、山寡に舐り良民を虐げるのも常套的作感であるが、勒懸垂

    義標坊の銭則に準瀕して「正」の凱歌「邪」の段落に、終局を結ぶ事は切々を要しな.幸。

    語って軍-1に一事象を云ひ濁してゐる。それは「東放錦』の賊魁嘉藤次が大磯通ひの黒蔚巾と云ふ扮装に就てで

    ある。(文姿に現はれた大磯花街の近世化に関しては、此際、穿婁すべく問題外としたい)。この茅藤次は配下繭三輩をÅ

    同裳に劫せしめてゐた。橘次は彼の尿路を松林の表に要して、或は斬り、戌は捕へたのである。この着想は京樽の「禰

    要表紙L(文化三年刊)で、名古屋山三郎が不破件左街門を遊撃するの光景に髄似してゐる。尤もこ1には遊女葛城

    の「身代りLと云ふ悲恰なる苦衷が績絡してゐるが∵)れと「勒雷」とは別として、たゞ比良では扮装のカモフラー

    ジュと、仇人要撃との素材に就てだけ云ふので濁る。即ちこの場合、京樽の作が後年のものであるだけ、先従は『東放

    錨』にあると云はねばならない。但∵し1には歌舞伎に採られて成る「型」を生じた国民倖詮系の一趣向「影武者Lが

    映ってゐる事も膏定できまい。

    「安績沼』に就て「江戸作者部類」は語る。

    俳優小幡小平渦が冤鬼の怪談を旨として作れり。いよ!1時好にかなひしかば費れる事数百部に及びLと云ふ。・

    京侍にはこれ以前に『忠臣水活倖』の作があり、赤稽義士と水溝の世界とを胸交ぜにした仕組から成り、かなり奇矯で

    あり不調和でもあったが、「新奇の物を見ると云ふ世評特に高かりしかは、多く亘れたり。此頃よりして讃本漸く流行

    して題に甚しくなるを1に、京倍の稿本を乞ふて板にせん上欲する客質砂なからすし(作者部類)と云ふ状勢であっ.た。

    小枝繁の虚女作から京侍を眺める

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  • 1(;

    囲 文一怒.放  第二 各 節一婦

    「此頃よりしてLとは、孝和前後を指したもので、この筆致は招く文化文政の讃本全盛期を思念せしむるのである。

    小枝繁も亦比の風潮に乗じて綺語を弄するに至った人と思はれる。鬼女作『東放錦』刊行の文化二年は、かの「名

    人忌辰録」の年祝を信接すれば、彼の四十七歳に雷り、水月候の士分であって見れば、筆のすさびの創作は.年齢に

    は関はる▼まいが作家としては遅蒔の鰭がある。もし「天保九年型ハ■八歳」と伎定すれば、この年は三十五歳の批年

    期で、士人とし七の鬼女作執筆に.ふさはしい年輩である。而して京樽は此年四十五歳に雷る。君冠よjl筆で暮した京

    俺は、既に黄表紙・洒落本の世界に於ての拇帥椿で、文壇なる富美は常時にふさほしくないが、斯界の重鎮として聾名一

    世密腰するものがあった。寛政の筆渦以後、諌本の方面に現ほれたが、『作者部類』の云ふ如く世評は高く、馬琴の健筆

     

     

     

    には較ぷべくもないとは云へ、駈け出しの馬琴に封Lでは、先輩師匠格の佗冠があり、加ふるに、長年叩き込んだ戯作界

     

    の潜勢力には頗る偉大なるものがあった。この威容即ち世俗での黄緑はかなり強く小枝繁の眼に映つたに相違ない。

    京樽の読本の作風は、その素材を歌舞伎浮増塙と国民偉鹿とを何くれと措接して、常代敢骨相の二大事象敵討及び

    御家騒動に結締して一笛を構成するにあったが、その様棒の統合が緩く、常に支離の弊を暴露しがちである。けれど

    も変幻怪奇の筋の蓮びに、緊密なものに放けながら、走馬燈式の両白味を否定する革はできない。歌舞伎式構想に感

    興を持つ雷代の大衆彗大向ふから喝釆したのに無理もないのである。一例として「安宿沼』の素材を怒げろと「宮

    戸川物語」風の給凄詮請.う根無事」を模倣Lに孝子身亘詮話、「.牡丹醇記」流の護符説話、(こ1は「雨月物語Lから)、

    また前記の「孝粛樽」などを採拝し」作中人物には.1高菜の有由拉歌、俳優蓋談、新著囲集、五元生(又は「四場屈

    百人一首L)などl、姓多な方面に典按を求め、又、「優皇軍物語Lでは(こ鷲に逓はる1子供の話(日本蛋異記上・今昔物

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  • 17

    語巻二十]ハエ冗草群書-良堺杉、等)、(二)洪水説話(今昔巻十.挿紳記・述異記等)(三)賢者誘拐謹話(倖奇作書初

    篇・本朝櫻陰比事四、等二四)親書還放談(今昔物語巻十六・その他、類例多く∵)1は美濃谷汲山振起)の四個の説

    話系列を提り合せて仇討談を作偏してゐる。これらは『末娘錨も刊行以前にか1る、京侍の作品の組成々管見したの

    にすぎないが、京樽の取材の一般にこれによって窺はれる。

    常時の小枝繁が、如上の作男に感化を享けた事は自然の成行で、特に『安績沼』の印影が洗いと云ふ革は、もはや

    明らかであると忠ふ。彼の読本は凡て十五六篇を数ふる事ができるが、題材によって分類すれば、

    巷談物、 東赦錦。木之花草紙(楢川忠兵衛)

    侍誼物、.柳の糸(三十三間堂棟木由来)。柳原倖(愛護岩借詭)。松王物語(粟島侍詭)。道成寺鐘魔記(清姫偉詮)。

    よレもと

    歴史物、壁落穏(「新田義統功臣錬」と同一と思はれを。小栗外倦。東浦外偉。梼供聾

    等である。このうち『小栗外債』では水活偉勲蟄瑞を採拝し、人冥偉廃や絵姿説話や、また「雨月」の吉備津登、「繁

    々野話」の白菊などを持込んでゐるし.「璧訴穏』の初めには『月氷奇縁』が、.「松王物語』の牛はには『金鳳鋭記』が

    反映するなど、この作家も亦、国民停学巷談街瀞、また支那稗史、更に同時代作家の巧轡をなにくれとなく兢取し櫨

    過して、自家斐籠中のものとした事がわかる。而して大膿ともての作風は、巷談・倖詮から野東史詔に推移の路を示し、

    作家としては京樽から馬琴へその日標を轄換して行ったと謂ふ事がで.きよう。

    碑述.映じ凍る陰影をも採り入れたけれど、此の小稿は小枝繁の魔女作が、京樽初期の一作品と密接なる交渉のも

    とに書き上げられた事を提跡するにとゞよる。(昭十、十)・

    小枝盟の魔女作から京侍を眺める

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