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秋の彼岸会・永代経法要 秋の彼岸会・永代経法要 別院定例法座 午後1時から 9月28日 親鸞聖人ご命日法座 講題 「明日ありと思うこころ」 講師 三 えだ まさ なお 氏(隨 ずい えん 10月3日 ご坊文化講座 講題 「儀式からみる報恩講」 講師 窪 くぼ じゅん 氏(圓 えん とく No.350 2018 年 9 月 20 日 No.350 (1) ひ   だ   ご   坊 仏暦2561(2018)年 34 9 21 30 10 10 寿10 11 20 FAX 発行 真宗大谷派 高山教務所 発行者 出雲路 善公 〒506-0857 高山市鉄砲町6番地 ☎(0577) 32-0776 *毎月20日発行 50,000部 三市一郡無料配布 印刷 山都印刷株式会社 『ひだご坊』は毎月20日に発行されます。 姿9 20 19 10 29 80 90 姿西20日(木)ない きよし 氏(徃還寺住職) 21日(金)かえりくも 雲 真 さと 氏(還來寺住職) 22日(土)はら まさ のり 氏(專念寺住職) 23日(日)たけ まさ ふみ 氏(東等寺住職) 24日(月)しま もん 氏(高山別院輪番) 25日(火)たに しゅうどう 氏(蓮勝寺住職) 26日(水)よつ つじ あきら 氏(不遠寺住職) 9月20日(木)~26日(水) 午後1時から勤行・法話 亡き方をご縁として仏法に出遇う大切な仏事です。ぜひお参りください。 ご坊のおいしいおはぎ 上記期間中販売しています! 今回は女川町宮ケ崎地区の夏ま つりに招待をいただき、飛騨の五平 餅・みだらしだんご、子どもたちの遊 びブースを提供し交流してきました。 震災以降復興の道のりのなかで 宮ケ崎地区も高台に新しく住宅が立ち並び、震災以前からお住まいの 方々と、震災で住居を失われた方々とのはじめての夏まつりでした。そ の中心には新しく作られたというやぐらがありました。宮ケ崎の区長が、 「このやぐらの作製には飛騨の皆さまから届けていただいた復興義援金 を使わせていただきました。飛騨の皆さまの思いを形にして伝えていき たいという思いで作りました」と言われました。 夏まつりに参加していた子ど もさんが、我々への感謝の気持 ちをこめて募金をしてくれまし た。今後の飛騨御坊ボランティ ア委員会の活動に使ってくださ いとのことです。 これからも、お預かりした思 いを受けて活動していきます。 飛騨御坊ボランティア委員会活動報告 住民をつなぐ復興の夏まつり

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Page 1: 秋の彼岸会・永代経法要hidagobo.jp/site/wp-content/uploads/2018/11/026a55249cefb8d67f4… · に南河内郡)の聖徳太子廟 籠 こも られ、そこで「汝の

秋の彼岸会・永代経法要秋の彼岸会・永代経法要

北ほう

 條じ

ょう

 賴よ

 宗む

別院定例法座 午後1時から

9月28日 親鸞聖人ご命日法座

講題 「明日ありと思うこころ」

講師 三み

枝えだ

正まさ

尚なお

氏(隨ずい

縁えん

寺じ

10月3日 ご坊文化講座

講題 「儀式からみる報恩講」

講師 窪くぼ

田た

純じゅん

氏(圓えん

德とく

寺じ

和わ

国こく

の教き

ょうしゅ主

聖しょうとく徳

皇おう

〈略歴〉

一九六二年、新潟県上越市生

まれ。東京大谷専修学院卒

業。早稲田大学卒業。

真宗大谷派高田教区照行寺住

職。高田教区教区会議長。

No.3502018年9月20日

No.350 (1)ひ   だ   ご   坊仏暦2561(2018)年 

☎テレホン法話〈0577(34)2313〉 

○9月21日~30日…細川宗德氏[蓮乗寺] 

○10月1日~10日…廣田令寿氏[惠林寺] 

○10月11日~20日…邨上真生書記[高山教務所]        

宗教トラブルFAX相談窓口〈0577-

32-

0763〉

発行 真宗大谷派 高山教務所発行者 出雲路 善公

〒506-0857 高山市鉄砲町6番地☎(0577)32-0776

*毎月20日発行 50,000部三市一郡無料配布

印刷 山都印刷株式会社

『ひだご坊』は毎月20日に発行されます。

ののあらそひは、水を石

にいるるににたりけり」

と和讃しています。

 

飛鳥時代と比べること

は不適切かもしれません

が、現代においても政治

が平等に貧しい人・無名

の人・無力の人の声を聞

いていくような姿になっ

ているかということを考

えますと、1400年以

上前に仏教に基づく平等

の視点をもっていた太子

には驚かされます。こう

いうところにも、太子が

後に民衆から救世観音、

つまり“権力から打ち捨

てられた、世の中の声な

き人々の声を聞いてくだ

さる菩薩様”の生まれ変

わりだと信仰されていく

一端があると思います。

 

聖人は9歳で、両親家

族のもとを離れ、出家し

て比叡山に入られまし

た。20年間の修し

ゅぎょう行を積ん

でいかれますが、その中

で多くの苦悩を抱えてお

られたようです。19歳の

時には、太子の遺い

骨こつ

が納お

められている磯し

長なが(

大阪府

南河内郡)の聖徳太子廟

に籠こ

られ、そこで「汝の

命みょうこん根

まさに十余歳なるべ

し」という夢む

告こく

をうけら

れます。そして、この夢

告の示す10年後を目前に

して、29歳の時に、太子

建立と伝えられる六角堂

にて百日の参さ

籠ろう

を行い、

そこで救世菩薩の夢告を

受けて、吉水の法然上人

のもとへと赴お

もむ

かれたと伝

えられています。

 

これらを鑑か

んが

みますと、

聖人は少年の頃から、自

分ではどうしても解くこ

とのできない大きな課題

を抱えられた時に、太子

ゆかりの場所に身を据す

て、太子に問い続けられ

たのでしょう。さらにそ

れは、青少年期にとどま

らず、80歳を過ぎてから

も、太子を慕し

い、太子の

すがたに我が身を照らさ

れ生きた90年の生涯で

あったと言ってもよいと

思います。

 

2022年、聖徳太子

の1400回忌をお迎え

するにあたり、親鸞聖人

が仰がれた太子の恩徳

を学び直す時ではないで

しょうか。

 

親鸞聖人は、ご和わ

讃さん

おいて聖徳太子の徳を讃

え、「和国の教主聖徳皇、

広大恩徳謝し

しがたし」と、

太子を日本に誕生された

お釈迦様であり、その恩

徳は謝しても謝すること

ができないほど広く深い

と述べられています。 

真宗寺院には、若き日の

太子のお姿が絵像とし

て掲か

げてあります。聖人

は、太子をお釈迦様とし

てだけではなく、さらに

「救く

世せ

観音大菩薩、聖徳

皇と示じ

現げん

して」とあるよ

うに、民衆に深く信仰さ

れていた救世観音菩薩の

生まれ変わりとして仰あ

でおられます。

 

太子のことに少しふれ

ておきますと、太子が

生きられた時代は西暦

574~622年と言わ

れています。飛鳥時代、

初の女性天皇である推す

古こ

天皇の摂せ

っしょう政として、天皇

に代わり、政治を担に

われ

た方です。

 

太子は、それまで外国

の宗教であった仏教を正

式に日本に受け入れた方

です。さらに、その仏の

教えを中心に据す

えて、日

本で初めての憲法である

『十七条憲法』を定めら

れたことは特筆すべきこ

とだと思います。

 

太子は、『十七条憲法』

のなかで、まず第一条に

「和や

らかなるをもって貴

たっと

しとなす」と、この国を

和やわ

らかなる国にしたいと

高らかに宣言しています。

そして、第二条には「篤あ

く三宝を敬う

やま

え。三宝とは

仏ほとけ

・法の

・僧ほ

うし

なり」と、そ

のためには仏法僧の三宝

に帰き

依え

することが大事な

こととしてあげられて

います。仏法僧の三宝

に帰依するということ

は、仏弟子となるという

ことです。つまり、こ

の国の人々が皆仏弟子と

なり、仏の教えを聞く身

となっていくことによっ

て、この国を「和」の国

としていこうと表されて

います。さらに第五条に

は「財

たから

有るものが訟

うつたえは、

石をもて水に投ぐるが如ご

し。乏と

しき者ひ

の訴

うつたえは

、水を

もて石に投ぐるに似た

り」と述べて、貧しく力

無き者・声なき者の声を

聞くのが、政治に携た

ずさ

わる

者の本来のすがたである

と明らかにされていま

す。

 

親鸞聖人は、この第五

条に深く感か

銘めい

されたよう

で、「とめるもののうた

えは、石を水にいるるが

ごとくなり。ともしきも

20日(木)内ない

記き

  淨きよし

氏(徃還寺住職)

21日(金)帰かえりくも

雲 真ま

智さと

氏(還來寺住職)

22日(土)小お

原はら

 正まさ

憲のり

氏(專念寺住職)

23日(日)竹たけ

田だ

 雅まさ

文ふみ

氏(東等寺住職)

24日(月)三み

島しま

 多た

聞もん

氏(高山別院輪番)

25日(火)小こ

谷たに

 秀しゅうどう

道氏(蓮勝寺住職)

26日(水)四よつ

衢つじ

  亮あきら

氏(不遠寺住職)

9月20日(木)~26日(水)午後1時から勤行・法話

亡き方をご縁として仏法に出遇う大切な仏事です。ぜひお参りください。

ご坊のおいしいおはぎ 上記期間中販売しています!

 今回は女川町宮ケ崎地区の夏まつりに招待をいただき、飛騨の五平餅・みだらしだんご、子どもたちの遊びブースを提供し交流してきました。 震災以降復興の道のりのなかで宮ケ崎地区も高台に新しく住宅が立ち並び、震災以前からお住まいの方 と々、震災で住居を失われた方 と々のはじめての夏まつりでした。その中心には新しく作られたというやぐらがありました。宮ケ崎の区長が、「このやぐらの作製には飛騨の皆さまから届けていただいた復興義援金を使わせていただきました。飛騨の皆さまの思いを形にして伝えていきたいという思いで作りました」と言われました。 夏まつりに参加していた子どもさんが、我々への感謝の気持ちをこめて募金をしてくれました。今後の飛騨御坊ボランティア委員会の活動に使ってくださいとのことです。 これからも、お預かりした思いを受けて活動していきます。

飛騨御坊ボランティア委員会活動報告

住民をつなぐ復興の夏まつり

Page 2: 秋の彼岸会・永代経法要hidagobo.jp/site/wp-content/uploads/2018/11/026a55249cefb8d67f4… · に南河内郡)の聖徳太子廟 籠 こも られ、そこで「汝の

ました。学生の頃につきあっていた彼氏

からさだまさしの「関白宣言」のレコー

ドをプレゼントされて喜んでいたくらい

ですから、ずいぶんと能の

天てん

気き

でした。

そんな私が変わり始めたのは、大学卒

業後に就職先がなかなか決まらなかっ

たことや、結婚・出産、退職を経験し

てからです。この世界は男性中心に回っ

ていることにやっと気づき、性差別問題

が「私の問題」になりました。それ

は私にとって嬉う

しい変化でもあり、同

時に自分と向き合うことの始まりにも

なりました。

「男だ

尊そん

女じょ

子し

 

自分と向き合い始めて気づいたこと

は、今まで自由にのびのびと発言して

いたと思っていたけれど、実は時と場

合によって男の人を立てたり、波な

風かぜ

てずに一歩引くという処し

ょせいじゅつ

世術をいつの

間にか身につけていたという事実でし

た。ずるい自分の発見でもありました。

社会が女性に求める枠の中に私自身を

押し込めることは苦しいことでもある

けれど、楽な生き方でもあったからだ

と思います。男性中心の社会を作って

いるのは女性自身でもあることをコラム

ニストの酒さ

井い

順じゅん

子こ

さんは『男尊女子』

という造ぞ

語ご

にして本を書いています。

楽しく読めて、しかもドキッとします。

 

さて、「女と男のナムアミダブ

ツ」は今回で最終回です。文章を書

くことは読者へのメッセージである

と同時に、私自身との対話でもあり

ました。性差別の問題が少しでも身

近に感じていただけたとしたら幸い

です。長い間、お読みいただきあり

がとうございました。

女性医師

 

医科大学の入試で女性の受験生に

恣し

意い

的な点数の操作をしたという

ニュースに「そりゃないでしょ!」

と私は思わず叫びました。そして昔

読んだ『花は

埋うず

み』という本のことを

思い出しました。日本で初めて女医

になった荻お

野の

吟ぎん

子こ

について書かれた

ものです。時は明治維新の頃。16歳

で結婚した吟子は夫から性病をうつ

され、体調を崩して実家に帰ってき

ました。病院で診察される時に屈く

つじょく辱

感を味わった彼女は医者になろうと

決意しますが、家族からは「女子は

女子らしく定さ

めを守ることで世の中

は治お

まっていくのだから、変な考え

を起こさないように」と諭さ

されま

す。当時の医学界は女に

人にん

禁きん

制せい

。周囲

の反対を押し切り、重い扉をこじ開

けた吟子の後には女性医師が次々と

誕生し今こ

日にち

に至っています。でも、

その実態はどうなのでしょうか。

「いまだ明治か」、そんなことが頭

をよぎりました。

一見平等だけど

 

女性が男性中心の世界に入ろうと

したり、異論を唱えたりすると、

「生意気」「出しゃばり」だという

顔をされることがあります。大っぴ

らに口に出す人はいなくても、何と

なくそんな気配が漂た

だよ

ったり、疎そ

外がい

を味わったりしたことのある女性は

多いのではないでしょうか。

 

先日ある女性から電話がありまし

た。男性が9割以上の会合で勇気を

出して意見を言ったけれど、「冷ひ

やかな反応で、つらかった」と。一

見平等、つまり誰にでも門も

戸こ

が開か

れているように見えていて、実際に

は男女によって対応が違っていた

り、内側から閉めだそうとする圧力

があるように思います。今回の句は

「珍しい 

生き物ですか 

もの言う

女性」です。この背景には「女性は

控ひか

えめがいい」という価値観があり

ます。それを支持しているのは男性

ばかりではなく、女性の中にもある

のではないでしょうか。

「私の問題」

 

なぜそのように思うかと言うと、私

にもそんな気持ちがかつてはあったし、

正直に言えば今もあるからなのです。

父と、母の両親が沖縄出身だという影

響もあってか、私は小学生の頃から米

軍基地の問題等を通して平和や平等

に関心を持っていました。でも、女性

差別については全く考えたことがあり

ませんでした。女性解放を訴えるウー

マンリブの人たちがデモをする姿をテレ

ビで見ても自分には関係ないと思ってい

藤ふじ

場ば

芳よし

子こ

女ひと

と男ひ

  ナムアミダブツ�

No.350 (2)ひ   だ   ご   坊仏暦2561(2018)年

記事についてのお問い合わせは高山教務所まで ☎(0577)32-0776「ひだご坊」ホームページ hidagobo.jp

 

定例法座・法話(午後1時から) ○9月28日(金)…三枝正尚氏[隨縁寺] 

10月3日(水)窪田純氏[圓德寺] 

○10月11日(木)…三島多聞輪番      

どなたさまもお参りください。

 

家族で語ろう

 

ご回壇は、ご坊の法座

を地域寺院においてひら

く聞法の場です。

【9月】

20日(木)本教寺[西 

町]

23日(日)圓德寺[漆垣内町]

24日(月)靈雲寺[神田町]

    

淨念寺[荘川町]

30日(日)随縁寺[上切町]

    

西念寺[国府町]

【10月】

14日(日)寳圓寺[漆垣内町]

    

還來寺[丹生川町]

15日(月)圓龍寺[大門町]

20日(土)了宗寺[荘川町]

ご回壇案内

ご回壇案内

ご回壇案内

 

次回は佐賀枝夏文さんの「人生の「こ

んなこと」「あんなこと」⑤」です。

飛騨御坊御遠忌通信⑬○別院本堂の新たな姿 このほど耐震補強工事が完了しました。本堂の外観に配慮し、X状の鉄骨ブレース工法ではなく、H鋼を格子状に組み上げ、木調化粧材で飛騨の千鳥格子を表現するという方法で行われました。現在は足場が撤去され、新たな別院本堂の姿を見せています。

○本堂内陣の床を総ヒノキ張りに 内陣の床板は経年による痛みや汚れが激しく、また松や欅などの材が混在している状態であったため、この御修復事業を機に追加工事として床の張替えを行うこととなりました。床板をはがしていくと、焼け焦げた板が何枚か出てきました。おそらく、昭和 30 年御坊大火の際の残材だと思われます。御坊再建はご門徒の悲願であり、大変なご苦労があったことが偲ばれます。今回は、上等なヒノキ材を使用して全面張替えを行いました。

○内陣仏具のお洗濯 現在、内陣仏具の洗濯・修復が京都小堀仏具店において進められています。主な修復内容は、中尊前の須弥壇宮殿、祖師前厨子、卓や巻障子の補修、金紙張替え、漆塗り直し等です。各仏具の解体洗浄の後、木部木地修復が行われます。

○内陣の漆塗り 痛みの著しかった框の修復。既存漆を削り取り、木地を補修。砥の粉と漆などを混ぜた「さび」と呼ばれる下地材を3回も塗り重ね、中塗りに磨きをかけて、最終の漆塗りを行いました。この後、柱の漆磨きが行われます。

御遠忌讃仰 第37回真宗公開講座

「親鸞聖人に遇あ

う」テーマ

高山別院本堂

会 場

無料

参加費

日時 2018年11月2日(金)午後6時(『御伝鈔』後)講師 梛

なぎ

野の

 明あき

仁ひと

氏(岡崎教区本澄寺住職・三河すーぱー絵解き座座長)

日時 2019年2月18日(月)午後2時講師 酒

さか

井い

 義よし

一かず

氏(東京教区存明寺住職・本山同朋会館教導)

日時 2019年4月12日(金)午後7時講師 藤

ふじ

場ば

 芳よし

子こ

氏(金沢教区常讃寺副住職・本山女性室スタッフ)

日時 2019年5月10日(金)午後6時(『御伝鈔』後)講師 やなせ なな 氏(本願寺派教恩寺住職・シンガーソングライター)

1回目 絵解き法話

2回目 法 話

3回目 法 話

4回目 法話ライブ

 御遠忌法要は、親鸞聖人のご生涯を偲び、宗祖が伝えてくださったお念仏の教えを、現代を生きる私たち一人ひとりがいただきなおすという意味があります。 教えに我が身を聞く聞法の場として、36年に亘って開かれてきた「別院真宗公開講座」を、今回は「親鸞聖人に遇う」をテーマに「御遠忌讃仰真宗公開講座」として開催いたします。