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古代文明と環境文化② 環境文化論 第2Oct.14, 2011 1.シュメール文明の興亡 2.古代エジプト文明の興亡 福島大学共生システム理工学類 後藤

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古代文明と環境文化②

環境文化論第2講 Oct.14, 2011

1.シュメール文明の興亡

2.古代エジプト文明の興亡

福島大学共生システム理工学類 後藤 忍

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1.シュメール文明の興亡

2.古代エジプト文明の興亡

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シュメール文明の興亡

(http://www.flickr.com/photos/beckydanaher/195175854/)

シュメール文明について

周辺民族とは言語系統が異なるシュメール人が、紀元前3100年頃に、メソポタミア

(現在のイラク)南部に造った世界初の都市文明のこと。

チグリス川とユーフラテス川の間に栄えた,初期のメソポタミア文明。

シュメール人が文明を築いてから、アッカドやバビロニアの支配を受けてシュメール人が姿を消し、さらにバビロニアがペルシャ帝国に併合されるまで続いた。

ウルのジッグラト(修復されたもの)

(松本健ほか編著『四大文明 メソポタミア』より)

ニッパールのジッグラトの遺構

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http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cf/Sumer1.jpg

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シュメール文明の特徴(1) 農業と狩猟

灌漑を行い、大麦・小麦・ヒヨコマメ・ヒラマメ・雑穀・ナツメヤシなどを栽培した。

鋤などの農機具を用いた。

ウシ・ヒツジ・ヤギ・ブタの飼育を行った。

主要な役畜として雄牛を、主要な輸送用動物としてロバを使役した。

魚や家禽を狩った。

経済

森林資源と地下資源が乏しかったため、灌漑で量産した穀物を輸出し、シリアや中央アジアから木材や石材、金属を輸入していた。

穀物、陶磁器、織物などを輸出した。

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メソポタミア地域の土地利用

(NASA World Windにより作成。)

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シュメール都市の分布と地理的特徴

初期の集落遺跡とシュメール都市の分布(出典:homepage3.nifty.com/ryuota/earth/history04.html )

両川のうち,特にティグリス川の洪水は,大きな被害をもたらすことが度々あった。支流が山地から直接流れ込むために水位が急増し,1日で4m増水することも珍しく

なかった。都市の遺跡の地層からは洪水層が発見されている。

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シュメール文明の特徴(2) 技術

都市国家をつくり、ジッグラトと呼ばれる聖塔を建設した。

スズと銅を微妙な配分比率で混ぜ合わせて青銅をつくる、合金技術を持っていた。

車輪が考えられた。

ビールやワイン、パンがつくられていた。

文化紀元前3500年頃、世界で最も早い文字とされる楔形文字が発明された。

都市国家ウルでは、現在知られている最も古い法典であるウル・ナンム法典が定められた。

現存する最古の叙事詩と言われるギルガメシュ叙事詩がつくられた。

60進法を用いていた。

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ウルのスタンダード(The Standard of Ur) ウルで発見された,ビチュメン(天

然アスファルト)にはめ込まれた貝と石のモザイクで,紀元前2600年頃のもの。

用途は不明だが,楽器の音響箱との説もある。

大きい2面は,それぞれ「戦争」と

「平和と繁栄」のパネルと呼ばれ,当時の生活の様子が描写されている。

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シュメール文明の楔形文字

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シュメール語と変遷の例

Ⅰ:紀元前3000年頃発生した初期シュメールの絵文字。

Ⅱ:Ⅰの絵文字を90度回転したもの。

Ⅲ:紀元前2500年頃用いられた古代文字。粘土に刻印された最初の楔形。

Ⅳ:石や金属に刻まれた時代の古代文字。

Ⅴ/Ⅵ:紀元前2350~2000年頃に書かれた楔形文字。

Ⅶ:紀元前2000年紀の前半の楔形文字。粘土板の上に書かれたもの。

Ⅷ:楔形文字の最終形態。紀元前1000年紀にアッシリア人によって使われたもの。

空、神

大地

人間

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シュメール文明の建造物~ジッグラト(Ziggurat) シュメール文明で生まれ、メソポタミア文明でもさかんに築か

れた、神にささげられる聖なる塔のこと。

日干し煉瓦や焼成煉瓦でつくられた。

絶えず襲ってきた洪水から身を守り、また神々を祀るためにつくられたと考えられている。

http://members3.jcom.home.ne.jp/dandy2/works/works_14_2_m.html

ウルのジッグラト(発見当時) ウルのジッグラトの復元予想図

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バベルの塔とジッグラト いわゆる「バベルの塔」は,もともと「バビロン市に建立された

ジッグラト」のことを意味する。時の流れとともに,ジッグラトの存在が忘れ去られてしまい,旧約聖書に登場する意味合い(非現実的な計画)として使われるようになった。

旧約聖書には,「バベルの塔」がバビロンに建てられたものとは書かれておらず,建造場所はシンアルの平野とされている。

「バベル」とう語は,元来はアッカド語の都市名「バブ・イリ/イラニ(シュメール語ではカ・ディンギル)」つまり「神(々)の門」という意味であったが,ヘブライ語の「バラル(混乱)」と語呂が類似していることから混同されたと考えられている。

バビロンの廃墟(出典:三笠宮崇仁監修『古代メソポタミアの神々』)

「バベルの塔」すなわち「バビロンのジッグラト」は,本格的な復元工事は行われていない。それは,1913年に発掘された当時,すでに廃墟と化しており,決定的な復元図も作成されていないことによる。

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シュメール文明の主な歴史時代区分 西暦 主な出来事

ウバイド期 紀元前6千年紀~紀元前5千年紀

初期集落の形成、日干し煉瓦の使用

灌漑農耕と神殿建設を特徴とするウバイド文化

ウルク期 B.C.4000年頃~B.C.3100年頃

都市化の開始

数字記録の出現

文字(絵文字)の発明

円筒印章の発達

ジェムディット・ナスル期

B.C.3100年頃~B.C.2900年頃

都市国家の形成

粘土板文字記録システムの成立

絵文字から楔形文字への移行、体系化と普及が進む

初期王朝時代 B.C.2900年頃~B.C.2350年頃

地方の有力都市よる覇権争い

B.C.2500年頃にウルが最有力都市となる

ウルの衰退に伴い、ラガシュ、ウンマ、ウルクなどが覇権争い

アッカド王朝時代 B.C.2350年頃~B.C.2100年頃

B.C.2230年頃から王朝の勢力が衰え「混乱期」に入る

アッカドのサルゴンがシュメール、アッカドの地を統一

グティ時代 B.C.22??年~B.C.2112(?)年

東方からのグティ人による部分的支配と政治的混乱

ウル第三王朝時代 B.C.2112(?)年~B.C.2004(?)年

王統の祖、ウル・ナンムがウルの王位に就く

ウル・ナンムのジックラト、法典がつくられる

エラム人・アムル人によってウル第三王朝が滅亡

→古バビロニア時代へ

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シュメール人の信仰

シュメール人の宗教は、現代宗教の多くにとって、インスピレーションの根拠・源であると考えられている。

地母神であるナンム、愛の女神であるイナンナまたはイシュタル、風神であるエンリル、雷神であるマルドゥクなどを崇拝した。

太陽などの天体は崇拝の対象とならなかった。

神には,都市の守護神と位置づけられるものもあった。

シュメール人の「来世」は、悲惨な生活で永遠に過ごすための地獄へ降下することを含んでいた。

川の氾濫を神の罰とみなしていた(←→古代エジプト文明との対比)

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エンリル(Enlil)ニップルの守護神とされた

イナンナ(Inanna)ウルクの守護神とされた

シュメール文明での代表的な神

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シュメール文明を崩壊に導いたもの

①環境破壊① -1 塩類集積

② -2 作物の収穫量の減少

③ -3 森林破壊と洪水

②気候変動

③近隣の敵対集団

④友好的な取引相手

⑤環境問題への社会の対応

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シュメール文明を崩壊に導いたもの①-1 塩類集積

チグリス川、ユーフラテス川は、水位が最高になるのが水源地域の雪解け水を集める春であり、作物にとって一番水が必要な8月から10月にかけては、水位が最低となっ

たため、貯水と灌漑を積極的に行った。その結果、深刻な塩類集積を引き起こした。

塩類集積の問題を解決するには長期間農地を休ませる必要があったが、灌漑可能な限られた農地、増大する人口、増える官僚や兵士への食糧供給、激化する都市国家間の競争といった要因が、農業をさらに集約化していき、長期間の休耕を不可能にした。

当時の記録には、「黒い耕地が白くなり」「平野は塩で埋まった」との記述がある。

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高低差の少ない地域の緩やかな川の流れは,蒸発と沈泥(塩を含む)による塩害を引き起こしやすい。

灌漑と塩害

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塩類集積と塩害について

塩類集積(salinization)と塩害とは

耕作地の土壌表層に塩類が集積し、濃度障害により収穫量が低下、もしくは収穫できなくなる現象。

集積する塩類は、塩化ナトリウム、硫酸ナトリウム、硫酸カルシウム、硫酸マグネシウムなどである。

深刻化した場合、地表面の所々に白い塩類の結晶が視認できるようになる。

塩類集積の主な要因

潅漑用水に微量に含まれる塩分が蓄積する。

本来土層に含まれている塩分が地下水位の増加に伴う毛細管現象によって上昇し、土壌面で蒸発して塩類のみ地表に集積する。

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塩類集積の構造

出典:http://www.fao.org/docrep/R4082E/r4082e08.htm

灌漑用水に塩類が含まれる場合 地下水位の上昇による場合

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シュメール文明を崩壊に導いたもの①-2 作物の収穫量の低下

紀元前3500年ごろは、南部メソポタミアでは小麦と大麦がほぼ同じ量生産されていたが、紀元前2500年までに小麦の生産は全作物のわずか15%に低下した。

紀元前2100年までにウルでは小麦の生産を放棄した。全域で見ても、この時点で小麦の生産は全作物生産の2%にまで低下した。

紀元前2000年までにイシンとラルサの両都市で小麦の生産をやめた。

紀元前1700年までには、南部メソポタミア全域で小麦の生産ができなくなるほどに土壌の塩類濃度が高くなった。

収穫量は、紀元前2400年から2100年までの間に42%下落し、1700年までには65%も下落した。

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植物の塩分耐性

出典:http://www.itc.nl/library/Papers_2005/msc/nrm/yadav.pdf

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植物の塩分耐性

出典: http://www.animalrangeextension.montana.edu/articles/forage/ General/Salt-electrical-conductivity.htm

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シュメール文明を崩壊に導いたもの①-3森林伐採建物や舟をつくる資材として材木は需要があった。

銅と青銅の精錬や煉瓦の焼成にも大量の燃料(主に木と木炭)を必要とした。

需要を満たすために伐採を進めた結果、もともと森林の少ないシュメールでは枯渇が進んだ。

洪水の誘発伐採された山の斜面が高くなったこと、流出水の量が増えたこと、土砂などの沈殿物が増えたことなどの理由により、川の水位が上がり、洪水が多くなった。

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ギルガメシュ叙事詩 ギルガメシュ叙事詩について

紀元前3000年紀。作者不明。楔形文字で粘土板に刻まれた。

シュメール人の時代に断片が残され、後のアッカド人によってまとめられた粘土板が現存する。現存する最古の文学作品。

シュメール人の実在の王、ギルガメシュを主人公とした友情と冒険の物語。

主な内容 女神と人間の王の子としてウルクの城に生まれたギルガメシュは暴君であっ

た。神は野人エンキドゥを創って闘わせたが、のちに二人は親友となり、共にメソポタミアにはない杉を求めて旅に出る。

森には番人である怪物フンババがいたが、ギルガメシュとエンキドゥは二人でフンババを殺し、杉を切り倒して持ち帰る。

その後、エンキドゥが神の怒りにふれて衰弱死し、ギルガメシュは悲しみのあまり不死を求めて旅に出る。途中で、かつて永遠の命を得たという老人ウトナピシュティムに会う。老人は、かつて人間を滅ぼすために神が大洪水を起こし、自分の家族だけが方舟を造って助かった、という昔話を聞かせる。

→旧約聖書におけるノアの方舟伝説の元となった

老人から不死の薬草のありかを聞きだし、手に入れるが、蛇に食べられてしまう(これにより蛇は脱皮を繰り返すことによる永遠の命を得た)。ギルガメシュは失意のままウルクに戻った。

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ここで問題①

ギルガメシュとエンキドゥがフンババを殺すのに使ったものは何だったでしょうか。

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ギルガメシュ叙事詩に関する出土品

大洪水伝説の粘土板。ギルガメシュ叙事詩の写本の一部。(新アッシリア時代/紀元前650年)

フンババを殺すギルガメシュとエンキドゥ。(紀元前2000年紀初頭)

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シュメール文明を崩壊に導いたもの②

気候変動 メソポタミアの遺跡からは、紀元前3500年頃と紀元前

3000年頃の洪水層が発見されている。

花粉分析により、紀元前3000年頃にユーフラテス中・上流域で気候が寒冷・湿潤化したことが明らかになってきている。ガマ属やカヤツリグサ科など、湿原に生育する植物の花粉が、この時代以降急増してくる。

洪水や土砂の堆積を引き起こしたが、チグリス・ユーフラテス川上流にある山岳地帯の土壌の塩分濃度は高かった。

火山の噴火による気候変動 Brian M. Faganによれば、紀元前2200年ごろ、メソポタミア北部で大規模な噴火があったという。

火山灰は太陽光線をさえぎり、大気圏内の循環を弱め、メソポタミア地域は大きな農作物の被害を受けたとされる。

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シュメール文明を崩壊に導いたもの③

近隣の敵対集団

シュメールの都市国家間でも抗争は頻繁に起きていた。

紀元前2370年に、アッカド王朝を打ち立てた「アッカドのサルゴン」によって初めて外部から制圧された。→この征服は、広範囲の塩類集積のために農産物の収穫が初めて大打撃を被った時期と一致している。

アッカド帝国もグティ人の侵攻によって滅ぼされた。

紀元前2113年から2000年までの間に、ウル第三王朝に

よる短い復活があった。しかし、西部ではエラム人、東部ではアムル人によって滅ぼされた。

紀元前約1800年ごろ、北部メソポタミアを中心にバビロニア王国がこの地域を統一した。

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シュメール文明を崩壊に導いたもの④

友好的な取引相手重要な建築資材である材木と石はシュメールにはほとんどなかったため、他の地域からの輸入に頼っていた。

良質な木材はレバノンなどから輸入した(レバノン杉)。

金属鉱石もほとんど産出されなかった。

輸出するものとして、穀物、陶磁器、織物などがあったが、穀物(小麦)の生産量が減り続けたため、輸出する小麦が不足した。

レバノン杉を舟で運ぶレリーフ(新アッシリア時代/紀元前860年頃)

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レバノン杉について レバノン杉とは

学名:Cedrus libaniマツ科ヒマラヤスギ属の針葉樹。

名前に「スギ」が付いているが、スギは同目ではあるもののスギ科スギ属であり、近縁ではない。

レバノン、シリアなどの高地が原産で、高さは40mほど。

良質の木材であり、古代エジプトやメソポタミアのころから建材や船材に利用されていた。

レバノンの国旗のデザインにも用いられている。

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シュメール文明を崩壊に導いたもの⑤

環境問題への社会の対応

塩類集積による問題に対して、農地を長い期間休ませることができずに、短期的な需要を優先して耕作し続けた。

森の神を恐れずに木を伐採し続け、枯渇させてしまった。

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シュメール文明の興亡から得られる教訓

人類の介入は生態系をむしばむ方向に作用する。

農業方式が高度に人工的で、自然条件が非常に厳しく、絶え間ない増産の圧力がかかっているような場合には、生態系のバランスは容易に崩れていく。

生態系のバランスを取り戻したり、いったん始まった悪化の過程を逆戻りさせることは難しい。

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1.シュメール文明の興亡

2.古代エジプト文明の興亡

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古代エジプト文明の興亡

(http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/53/Pyramids_of_Egypt1.jpg/)

エジプト文明について

エジプトの歴史は次の3つの時代に大別される。

1.古代王朝時代(多神教時代)

2.グレコ=ローマン時代、ビザンツ支配時代(キリスト教時代)3.イスラム時代

古代エジプト文明 紀元前5000年頃から紀元前30

年頃までナイル川流域で繁栄した文明のこと。

紀元前3000年前後に中央集権

的な統一国家となる。通常、紀元前31年にプトレマイオス朝が

滅亡しローマ帝国の支配下に入る前までの時代を指す。

ギザのピラミッド

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http://www13.plala.or.jp/c2c/Egypt/egyptMapBody.htm

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古代エジプトの歴史

一般的に、古代エジプト史は、年代順に「初期王朝時代」、「古王国時代」、「中王国時代」、「新王国時代」と区切って考えられることが多い。

国内が分裂したり外国の支配を受けたりして混乱した中間期が3回ほどある。

ピラミッドが盛んに建てられたのは古王国時代(紀元前27~22世紀)のこと。

王(ファラオ)の平均的な在位期間は10年程度とされる。

(出典:http://www.ne.jp/asahi/y-sakai/fukui/sub56.html)

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古代エジプト文明の特徴(1) 農業・経済

ナイル川の氾濫を利用した、小麦を主とする穀物生産を持続的に行ってきた。

比較的安定した経済を維持しながら、これほど長く続いた古代文明は他にはないとされる。

エジプト国内においては木材資源が乏しかったため、主としてレバノン杉を輸入して用いていた。

紀元前3000年頃にメソポタミアからワインとビールが伝わりエジプトでも生産が始まった。

宗教

太陽神信仰が中心の多神教である。

死後の世界の信仰=霊魂不滅の考え方

「死者の書」「ミイラづくり」など

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クフ王の舟 クフ王の舟は,1954年および1987年

にギザの大ピラミッドの付近で発見された2隻の船のこと。

紀元前2500年頃、古代エジプト・古王国時代第4王朝のファラオであったクフのために造られたとされている。

全長42.6 m、全幅5.9 mの大きさで、主に杉板で作られていた。

発見時には1,224の部品に分解され

ており,釘などを一本も使わずに組み立てる構造となっていた。

舟がつくられた目的は定かでないが,クフ王が来世で使用するために埋められたのではないかとする説もある。いずれにしても,当時,舟がいかに重要であったかを示すものである。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/10/Barque_Solaire2.JPG

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パン職人、屠殺人、ビール職人の模型(中王国時代)

ぶどう摘み(18王朝)穀物のふるい分け・運搬(18王朝)

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古代エジプト文明の特徴(2) 文字

象形文字である神聖文字(ヒエログリフ)が誕生した。神殿やピラミッド内の壁面、またパピルス紙に記された。

ナポレオンの遠征時に発見されたロゼッタストーンをもとにシャンポリオン(仏,1790~1832)が解読した。

暦法ナイル河の氾濫を正確に予測する必要から天文観測が行われ、太陽暦が作られた。

1年は365日。ナイルの氾濫の定期性にもとづいていると考えられる。

1日は24時間、1か月は30日で、30日×12か月+5日で1年とした。

測地術ナイルの氾濫後の土地復元のため測量と幾何学が発達した。

数字表記は10進法でおこなった。

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オベリスク オベリスク(obelisk)は、古代エジ

プト(特に新王国時代)に多く製作され、神殿などに立てられた記念碑(モニュメント)の一種。

四角形の断面をもち、上方に向かって徐々に細くなった、高く長い直立の石柱のこと。ほとんどは花崗岩の一枚岩で作られている。

オベリスクの呼称自体は後世のギリシャ人たちがオベリスコ(串)から名付けたものであり、元来は「テケン(保護・防御)」と呼ばれていた。

大きいものではその重量が数百トンにも及ぶ。

http://en.wikipedia.org/wiki/File:Louxor_obelisk_Paris_dsc00780.jpg

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ここで問題②

オベリスクを花崗岩から切り出す際に,効率よく作業するために行われたとされる工夫は何でしょうか。

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ナイル川周辺の土地利用

(NASA World Windにより作成。)

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デルタ地帯の降水量は100~200mm/年程度

源流域(標高2700m程度)の

エチオピアやビクトリア湖の周辺では、降水量が多い。

雨季には、青ナイル川の流量が多く、ナイル川流量全体の8~9割を占めるとされる。

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エジプトの農業 ナイル川の水利用

自然の洪水を利用して、灌漑工事と注意深い計画により農業の基盤に役立てる水管理システムを持っていた。

紀元前約5500年に定住社会が出現して以来、19世紀以降に近代技術が用いられるまで、約7000年もの間持続した。

ナイル川上流の高地でもっとも雨が多いのは6月だが、約3000km離れたエジプトで洪水になるのは9月頃であり、11月までに終わる。この期間が秋作物の種を蒔くのに適していた。

塩害の状況

ナイル川の洪水により、肥沃な土壌が毎年供給され、蓄積した塩類を洗い流した。そのため、長期の休耕が必要なかった。

塩害が起きなかったことは,メソポタミアとは反対に,大麦に比べて塩害に弱い小麦の収穫が相対的に増加したことにも表れている。

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エジプトの農地の様子

ユーセフ運河の様子

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気候変動による影響

ナイル川の水位変化による社会への影響洪水時の水位は年によって変動したため、水位の低い年は飢饉が発生したりして、特にファラオの時代には大きな影響を及ぼした。

水位変化と社会への影響の例紀元前3000年頃から,洪水時の水位の上昇は2~3割低下した。

紀元前2250~1950年にかけて起こった著しい水位の低下は,エジプトの古王国時代の終焉につながったとされる。

逆に,中王国時代は洪水時の水位が特に高かった時代である(紀元前1840~1770年の間は,場所によっては現在の水位より9m程高かった)。水位が高くなれば,一定の被害は出るにしても,農業生産に最低限必要な水と土は確保することができた。

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ナイロメーター

ナイル川の水位を計測するため、ナイロメーターと呼ばれる装置が各地につくられた。

ナイロメーターの数値によって、王は税金を決めたとされる。

(http://hemlen.gooside.com/photo_gallery_120/panel-6.html)

エレファンティネ島のナイロメーター カイロのナイロメーター

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アスワンの位置づけ 概要

アスワンは、エジプト南部ルクソールから約200kmのところにある、ヌビア地方の都市で、人口は約20万人。

世界最少の平均降水量の都市として有名であるが、上流域のナセル湖により水源は豊かである。

古代エジプトでのアスワン

古代エジプトの時代、ここから南のヌビア地方との交易の拠点だった。ナイルの中島エレファンティネ島がその中心で防衛拠点としての役割も果たしていたという。

ナイル川の神であるハピ神や、ナイルを司るとされるクヌム神、その娘アヌキス女神などの信仰の中心であった。

ナイル川の水源はここであると考えられ(実際は違うが)、それに関わる豊穣の神イシス神がフィラエ島に祀られた。

(http://h whitemary.web.fc2.com/.../aswan.html )

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エジプト神話に登場するナイル川の神。古代エジプトにおいて信仰された。

ハピは顎に髭をはやし、垂れた女性の胸を持つ緑または青色の太った男の姿で表される。女性の胸は豊饒性を表すと考えられている。

ハピはまた、ナイル川の北と南を表す2人の神と考えられ、2人で上下エジプトの統一のシ

ンボルに植物を結びつけるサムタウイの儀式を行う姿で表されることもあった。

ハピの頭上にはパピルスあるいは睡蓮の葉が描かれる。手には供物が高く積み上げられた盆、もしくは水が流れ出る壷を持っていることもある。

豊穣の神としてオシリスと同一視、あるいはオシリスの化身とみなされることもあった。

ハピ(Hapy)神について

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古代エジプトから伝えられている創造神の一人で、ナイル川を司る神ともされる。

牡羊の頭をした人物として表される。

アスワンのエレファンティネ(Elephantine)島の神で、ろくろ台の上

で人間を作り出したと考えられ、土器づくりの神としても崇められた。

クヌム(Khnum)神について

エスナにある「イシス神殿」

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古代エジプトにおける豊穣と母性の神であり,グレコ・ローマン時代に渡って崇拝された。

冥界の王となったオシリスの妹かつ妻であり,また天空と太陽の神ホルスの母である。

ナイル川の洪水は,オシリスの死を悲しむイシスの涙によって起こると考えられ,崇拝されることもあった。

イシスがホルスに授乳する様子などが、イエスの母・マリアへの信仰の元になったといわれる。

フィラエ島にある「イシス神殿」

イシス(Isis)神について

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古代エジプト文明で起きた環境問題

一部地域での塩類集積

洪水時の水位よりも高い場所にある灌漑地域や、海面よりも低い地域では、深刻な塩類集積が起こった。

森林伐採

薪、彫刻、家具に使う木はたくさんあったが、その目的のために伐採された後に、家畜であるヤギに小さな木をすべて食べられて、森林が破壊された。

生物種の絶滅

野生動物に崇拝の念を抱いていたが、野生動物の狩猟を止めることはなかった。

生息地の壊滅がもたらす影響から野生動物を救うこともなかった。

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古代エジプト文明を崩壊に導いたもの

①環境破壊

②気候変動

③近隣の敵対集団

④友好的な取引相手

⑤環境問題への社会の対応

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古代エジプト文明の興亡から得られる教訓

自然の洪水を巧みに利用することで、長期にわたって持続する農業を行うことは可能である。

農業が持続的であれば、文明は存続しうる。

約7000年もの間持続してきた農業方式を最終的に破壊したのは、1950年代に始まった現在のアスワン・ハイ・ダムの建設であった。

→近代の効率的な技術が、必ずしも持続的であるとは限らない。

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参考文献(第1講での紹介文献以外のもの)

ドナルド・ヒューズ著、奥田暁子・あべのぞみ訳(2004)『世界の環境の歴史』、明石書店

金子史朗(2000)『古代文明はなぜ滅んだか』、中央公論社

安田喜憲(1994)『森と文明』、日本放送出版協会

H・ウーリッヒ著、戸叶勝也訳(1998)『シュメール-人類最古の文明の源流を辿る-』、アリアドネ企画

三笠宮崇仁監修,岡田明子・小林登志子著(2000)『古代メソポタミアの神々』,集英社

ジャン・ボッテロ/マリ=ジョゼフ・ステーヴ著,矢島文夫監修(1994)『メソポタミア文明』,創元社

松本健・NHKスペシャル「四大文明」プロジェクト編著(2000)『四大文明 メソポタミア』、NHK出版

吉村作治・後藤健・ NHKスペシャル「四大文明」プロジェクト編著(2000)『四大文明 エジプト』、NHK出版