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-1- 大学では学べない経済学 宇野経済原論の世界 谷田道治著

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大学では学べない経済学

― 宇野経済原論の世界 ―

谷 田 道 治 著

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はじめに

世界不況と大量失業、地球規模での環境破壊と飢餓、それらから生まれる

地域紛争、民族紛争、絶望的なテロ活動が世界を覆っている。しかしそれら

の不均衡と混乱を尻目に、他方では、それらの事態に責任を負うべきはずで

あるグローバル資本主義が巨万の富を築いている。そして多くの人々が、こ

うした現状を諦観し、おのれの身の安全と安心のみを図ることを正当化し、

偏狭なナショナリズムにはしる傾向が、普遍的立場を 凌 駕しつつある。こりよう が

れに対して、「なぜこうなってしまったのか」という問いが発せられる。そ

してこれは「そもそも資本主義とは何か」という問いに還元され、人々の関

心が資本主義に正対したマルクスの『資本論』へと向かっているのも、ごく

自然な流れというものであろう。

しかし、こんにち一般の人々が『資本論』を読むことは容易でない。およ

そ 150 年前の著作であり、またマルクス自身の手になるものが全三巻のうち

第一巻のみで、まったく未完成というべき著作なのである。

そこでお勧めしたいのが、宇野弘蔵の『経済原論』を経由してのアプロ-

チである。宇野弘蔵は『資本論』を徹底的に読み込み、マルクス晩年の方法

論を首尾一貫させることで「資本の論理」を捉えた。その成果である『経済

原論』を基準にして『資本論』を読み通すなら、現代の資本主義を把握する

科学的な方法の手がかりをうることも、また『資本論』を優れた古典として

楽しむことも十分に可能となろう。

ところが『経済原論』自身も、およそ 50 年前の著作であり、また一般の

人々に読みやすい表現をとっているとも言いがたい。さらに、いまの大学か

らは宇野弘蔵の経済原論を継承する講座がほぼ消え去っている。とすれば、

現代資本主義への関心にも結びつき、なお若い世代が平易に読めるように導

く入門書の類いにも大いに存在理由がある。加えて、かつて『資本論』や『経

済原論』に挑戦し中途の挫折で悔いを残された方々の再挑戦にも役立ちうる

のではないか。

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『経済原論』は完成された一つの作品として、資本主義の認識がその方法

とともに著されている。まずは作品そのものを全体を通して味わうべきであ

ろう。本書は、そのために役立つことに専念する。その意味で、原論解釈の

例解のひとつにすぎないが、まずは教育的な役割を果たすことが優先される

べきだと考える。そしてまたその観点で、少しでもなじみやすくなるように、

宇野弘蔵(主)に、私(客)が尋ねる、という形式のフィクションで構成し

てみた。もちろんこれは対話(ディアローク)ではない。真の対話に至るた

めのレトリックと考えている。

煩雑な(注)で読解作業が途中で妨げられないようにも配慮した。もちろ

ん、意訳しすぎの「口語訳」あるいは「過度の簡略化」とのご批判を甘受し、

「論理の不徹底」あるいは「重要課題の取りこぼし」とのご指摘を歓迎した

い。

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<付記> なぜいま『経済原論』なのか

… 現代資本主義へのアプローチ …

現代資本主義の諸相

現代資本主義の問題を指摘する声は多い。「格差の拡大」、「自然環境の破

壊」、「ゼロサムゲーム」、「軍産複合体」など。ただし、その声の多くは「危

機への警鐘」や「道徳的批判」に終始し、対抗策として挙げられるのは、「行

き過ぎの是正」、「心構え」、「思いやり」、「きずな」など、発想が一定の枠

内にとどまる。すなわち、市場のみが資源の効率的配分を実現しうる、とい

う「市場信仰」から抜け出せずに、市場経済にどっぷり依存しながら、必然

的に伴うその災いのみを避けたい、という願をかけているわけである。

実際にそのようなうまい話があるのだろうか。たとえば、資本主義のバブ

ルの恩恵に浴している者がバブルの永続を願う。あるいは、そもそも資本に

対して「儲けの自粛」をお願いすれば、それが叶えられるとする。さらには、

「正当な儲け」を抑制する法的規制が、繁栄する資本の影響力下にある「民

主的」議会や政府と矛盾なく共存するという。…

マルクスへの関心

しかし、現実は冷たく厳しい。どうしていつも願いが叶わないのか、とい

う自然な問いが生まれる。そこで、「資本主義」そのものに正面から取り組

んだ 19 世紀のマルクスへの関心も高まる。とはいえ、それにはすぐにお決

まりの結論が用意されている。「マルクスの予言はすでに外れた」、「ソ連の

ような独裁制に戻るのは恐ろしい」、「貧しさの平等はほしくない」。すなわ

ち、資本主義社会のあり方自体を問うことは「危険すぎる」こととして、「賢

明」にも巧みに避けられていたのである。したがって、マルクスの知的営み

の中身への関心には結びつかない。マルクスの名は引用されるが、その総体

的な資本主義認識は用いられないのである。

たしかにマルクスが見た資本主義は、19 世紀のものであり、またマルク

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スの著作にはその時代の社会思想として先鋭な息づかいがうかがえ、それを

魅力と感じるか、嫌悪するか、受け止め方は人それぞれ異なるであろう。

しかし『資本論』第 1 巻に記された資本主義認識は、予断なく自ら思考す

る者にとっては、客観的かつ普遍的なものとして理解しうるものなのである。

マルクスもそうしたものとしての完成を目指したが、彼自身による結実に至

らなかった。しかし、そのマルクスの業績について、こんにちなお生かして

行かなければならない部分と、批判的に受け止めねばらならない部分とを厳

密に区別していくことを通じて、マルクスの捉えた資本の論理を批判的に発

展させることができる。そうしてようやく、資本主義そのものに正対するこ

とができるのである。このような作業の積み重ねがなければ、資本形態の現

象的変遷に対応する理論作りを次々に繰り返すような無方向の現状追認とな

るか、それとも個々の現象それぞれに対応した諸々の道徳的批判の記述に終

始するしかないわけである。この双方が陥っているのは、資本主義そのもの

の認識に当たっての無「方法」、無「理論」である。

宇野弘蔵の経済理論

宇野弘蔵の『経済原論』が成立する歴史的背景には、マルクスなき後の資

本主義の変容をいかに理解するかという「修正主義論争」と、日本で明治維

新をどう意義づけするかを始点とする「講座派」対「労農派」の論争があっ

た。宇野の「経済原論・段階論・現状分析」からなる三段階論は、この二つ

の論争をともに止揚する位置にある。すなわち、マルクス晩年の経済学方法

を一貫させることで「純粋資本主義」の規定を経済原論で確立し、それによ

ってマルクス後の変化した資本主義を段階論の中に位置づけ、その資本主義

を『資本論』そのものでなく『経済原論』を尺度として分析することした。

そうすることで経済学の目標としての現状分析への道を拓いたのである。

宇野は、科学とイデオロギーの峻別を唱えたが、それはイデオロギーを抜

けば科学になるなどという「脱イデオロギーというイデオロギー」を意味し

ない。むしろ、マルクスの社会思想が資本主義イデオロギーの呪縛を解きほ

ぐすことに貢献し、科学的な資本主義分析を可能ならしめたとするのである。

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宇野は、そのマルクスの理論的業績を継承しながらも、他方ではマルクスの

唯物史観に傾斜したイデオロギー的「予言」には慎重に臨んだ。そうして『資

本論』の方法を首尾一貫させることで、資本の論理を体系的なものとして捉

えきったのである。

ところが、日本の社会科学では、経済学に限らず、こうした業績の批判的

蓄積という過程がほとんど見られない。たしかな方法とおのれの眼で足下を

見て、それを理論化することよりも、余所から目新しいものをいち早く持ち

込む競争に今でも明け暮れている。

現代資本主義への対峙

たしかに現代資本主義は、金融資本を中心としながらも多様に複雑に急速

に変貌しつつある。低賃金と低税率を求めて国境を踏み越える多国籍企業、

法的規制を巧みに免れ危うい投資で高収益をあげる投資ファンド、ゼロサム

ゲームでの損失に公的資金からの補填を当てにできるという「詐取」のよう

なカジノ資本主義等々。これらは一般利子率をはるかに上回る収益を確保し

ているという。雑多にも見えるこれらの資本の活動は、経済原論で透かして

みると、国家的規制の差違や、規制の排除、規制の変更に付け入ったものな

どであり、あるいは国家を媒介とする「収奪」であることがわかる。一方、

新事業の起業による成功談が賞賛され初期投資への報酬が羨望されるが、追

随の投資は可能でも高収益は追随できない。それでも一般利潤率を遙かに超

えた収益を求められ、達成できない経営者は、「(政治と結ぶ)能力がない

のか」と詰問され、ほかに手だてがなければ、苦し紛れに堅実な「搾取」に

立ち戻ることになる。こうした事情も経済原論で透かせばよく見える。付け

加えるなら、「モノを作らない金融よりも、モノを作る産業を大切にしよう」

とも言われるが、運動体としての資本は、自分自身をそのようには区別しな

いのである。

あらためて考えよう。経済原論は、国家の関与が濃厚となった現代資本主

義がもたらす問題を解明する際にその基準として貢献するが、問題解決の方

策を提言するわけではない。そもそも経済原論に国家は登場しない。経済過

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程の政治からの自立的展開を規定するのである。資本と人間との関係で言え

ば、経済原論は資本による労働者に対する「搾取」を基本として、それを取

り巻く諸資本と土地所有などのあり方を規定する経済法則を解明する。人間

を土地から切り離す「資本の原始的蓄積」や国境を越える「収奪」や「略奪」

は、段階論が引き受け、そこでようやく国家が前面に浮上する。そうして、

つまるところ段階論・現状分析も資本主義の病に対する対症療法を目標とす

るわけではないのである。

ところで私たちは、「略奪」よりも「詐取」がよいか、あるいは「搾取」

がよいか、という選択を与えられたとして、喜んでいられるだろうか。

あるいは、資本に対して、格差拡大の抑制のために賃金を上げ企業利潤を

抑えたり、不況対策として(実効性は疑問だが)消費拡大のために労働者の

所得を増やしたりしてくれるようお願いすればよいのだろうか。それとも、

労働者は、資本の「略奪」の手助けをして自分たちだけおこぼれにあずかる

ために、いっそう資本への従属を強めるのだろうか。

もし「略奪」も「詐取」も「搾取」もお断りしたい、というなら、知恵を

絞り力を合わせて資本主義そのものに対峙するしかない。そのために必要な

のは、何だろうか。

経済原論の現代的意義

そこで、やはり万人に受け入れられる「資本の話」が必要だということに

なる。先ほど見てきたような現代資本主義の諸相は、一つひとつがそれなり

の存立根拠を主張しながら目新しいものとして姿を現すが、相互の関連を自

らは明らかにしない。また、その多様さに対応して、人々の目の前に現れる

資本も多様であり、1 人ひとりはその一面を見るに過ぎない。その全体像は、

諸形式からなる諸資本が資本としての共通の本質を持ちながら、さまざまな

関連で競争しあい共存することを通じて形成する集合体、すなわち資本家的

社会として認識するのでなければ、見通すことができないのである。まずは

資本の論理として、産業資本、商業資本、銀行資本、土地所有者、労働者か

らなる資本家的社会を支配する経済法則の規定を捉え、ついでそれを基準と

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して、歴史的な資本主義の発展段階を考えるという手順が必要になる。

さてこうして、資本主義とは何か、それが社会に何をもたらすかについて

の社会認識を経て、「それでは私たち人間社会はその資本主義といかに向き

合うのか」という問いに直面することになる。そのときに、『経済原論』が、

資本主義の経済構造とその運動法則の解明に付随して、一般的な経済過程の

原則を明らかにしていることを想い起こしたい。これを資本主義克服への道

を模索する手がかりとしうるのである。ただし、優れた理論家や実践者が指

し示す道に皆がただ従っていけばよいというものでないことは、20 世紀の

「社会主義国家」が残した大きな教訓である。一人ひとりの人間が主体とな

って考え行動しなければならないのである。その際にもっとも有効な手段の

一つが『経済原論』であることは間違いない。

宇野は、『資本論』解釈を「科学主義」の名で独占していた当時の正統派

マルクス主義に対抗して、『資本論』そのものと自らの思考とを武器に、論

理の一貫性を徹底的に追究し『経済原論』を構成したのである。

宇野は、経済学の知識というものを、他の科学的知識のように技術的に利

用できるものではないと言う。このことを拡大解釈するならば、『経済原論』

は、一部の政策専門家のために書かれたものではなく、人間が主体となって

経済生活を成り立たせるような社会を作ることに貢献することを目指して書

かれたものである。すなわち、資本主義の経済法則の分析を通じて普遍的な

経済原則を捉えることによって、資本が人間や社会を支配し動かす社会とは

異なって、人間がそして社会が主体となり、人々の暮らしを成り立たせる社

会を実現することがいかに可能であるかを明らかにするのである。それも、

一部の知識人だけが理解し、一般の人々がそれを「信じる」というものであ

ってはならない。

それゆえに、『経済原論』はだれにでも読みやすいものでなければならな

い。少なくとも、自らの経済生活に関する話題を肉声で語りあえるような人

間関係の中に、『経済原論』を駆使し身近な経済事象を解きほぐして認識し

うるという人がいる、という状況がどこにでも成立することが、何よりも資

本主義克服のために必要な前提条件である。

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もちろん、そうした現状認識がバラバラになって収拾がつかないのではな

いか、と心配するむきもあろう。しかし、資本主義の本質は一様なのであり、

それがもたらす災いもまた同根である。たしかに現状認識は多様であるが、

それは生産現場や生活の場が多様であるからであって、むしろその多様さゆ

えに多様な方角から資本主義に詰め寄ることが可能になる。すなわち人々は、

様々な資本に正対することを通じて資本主義そのものを認識し、それを克服

しなければならないという思いを一つにしうる。そして、多様な考えによっ

て多様な道を進み行く動きが合力となって、その思いを実現させうるのであ

る。

そこで、何よりも重要となるのは、多様な現状の認識を支える「資本の論

理」認識の確かさなのである。当然のことながら、これに呼応して『経済原

論』自身もいっそう研ぎ澄まされなければならない。

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目 次

はじめに …… 3

<付記>なぜいま『経済原論』なのか…現代資本主義へのアプローチ …… 5

目次 …… 11

序論…<経済学の目的と方法> …… 17

1 経済学とは何か 17

2 経済学の目的は何か 18

3 経済学は何を対象とする学問か 19

4 商品経済はいかに発展し、経済学はいかに形成されたか 21

5 経済学の研究方法、いわゆる三段階論とは何か 24

6 経済原論はどのような方法をとるか 27

<補足・『資本論』と『経済原論』の構成比較> 28

☆談話室① …なぜ「資本」なのか ……29

第1篇 流通論…<資本はいかに成り立つか> ……33

第1章 商品…<商品とは何か(価値と使用価値)> ……34

1 簡単な価値形態 35

2 拡大された価値形態 37

3 一般的な価値形態 38

4 貨幣形態 39

第2章 貨幣…<商品流通の展開> ……41

1 価値尺度 41

2 流通手段 42

3 資金(蓄蔵・支払い手段・信用) 45

4 世界貨幣(流通圏を媒介する貨幣) 47

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第3章 資本 …<変態する運動体> ……49

1 商人資本的形式(流通を基盤とする価値増殖) 50

2 高利貸資本的形式(根拠なき自己増殖) 50

3 産業資本的形式(生産過程を包摂する) 51

4 資本主義の成立と経済学 53

☆談話室② …なぜ「使用価値」なのか ……54

第2篇 生産論…<資本はいかに生産を包摂するか(資本と労働力)> … 57

第1章 資本の生産過程…<資本による労働力の支配>

第1節 労働生産過程 ……59

第2節 価値形成増殖過程 ……63

第3節 資本家的生産方式の発展 ……68

1 絶対的剰余価値の生産 68

2 相対的剰余価値の生産・特別剰余価値の生産 70

3 協業と分業(主体の強化) 72

4 階級関係の隠蔽(労働力商品の売買か、労働の代価か)74

5 搾取を強化する賃金形態(時間賃金・個数賃金) 75

第2章 資本の流通過程…<価値増殖過程の規定と条件> ……76

1 貨幣資本・生産資本・商品資本(資本運動の三面) 78

2 流通期間の費用化 79

(1)純粋な流通費用・運輸費・保管費 79

(2)生産資本の費用化(固定資本・流動資本の扱い) 80

(3)労働力の費用化(可変資本の積極的意義) 82

(4)貨幣資本の費用化(商業資本・銀行資本による節約) 83

3 剰余価値の行方(流通からの分離と再生産過程) 84

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第3章 資本の再生産過程…<生産過程と流通過程の法則性>

第1節 単純再生産 ―資本の再生産と労働力の再生産― ……86

第2節 拡張再生産 ―資本家的蓄積の現実的過程― ……88

1 有機的構成の高度化 89

2 資本の蓄積過程 90

3 景気循環と人口法則(資本蓄積と労働力の需要供給) 91

第3節 社会総資本の再生産過程 ―価値法則の絶対的基礎―…92

1 再生産表式の例(単純再生産) 93

2 拡張再生産 94

3 金・貨幣の再生産・補給 97

4 再生産表式と価値法則 98

5 表式と階級関係 100

6 社会的所得と分配 101

☆談話室③ …なぜ「流通の中断」なのか ……103

第3篇 分配論…<資本はいかに社会を包摂するか> ……107

(利潤分配と階級性)

1 地代と利子 109

2 銀行資本と商業資本 110

第1章 利潤 …<資本どうしは、利潤をいかに分かち合うか>

第1節 一般的利潤率の形成―価値の生産価格への転化―…111

1 利潤率の要因 113

(1)剰余価値率 (2)資本の構成 (3)資本の回転期間

<補足・原理論における商業資本の扱い> 118

2 「一般的利潤率」の形成 119

3 「生産価格」の変動 120

<補足・「生産価格」と金貨幣> 122

4 「生産価格」と「一般的利潤率」 123

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5 「再生産表式」と「価値の生産価格への転化」 124

第2節 市場価格と市場価値(市場生産価格) ……125

―需要供給の関係と超過利潤の形成―

1 「価値の生産価格化」と「市場価値」 127

2 市場への供給主体と「市場価格」 128

3 市場生産価格 129

<補足・市場価値規定と個別的価値> 132

第3節 一般的利潤率の低落の傾向―生産力の増進と景気循環― 133

1 生産方法の発展と超過利潤 133

<補足・発明費用と普及費用との違い> 134

2 有機的構成の高度化と利潤率の低下 134

<補足・労働生産力の増進と利潤率の低下> 136

3 景気循環における労働力と固定資本 137

4 利潤率の低落傾向と利潤率の均等化 139

<補足・景気循環論と原理論・段階論> 140

第2章 地代…<土地所有に、利潤はいかに分与されるか> …142

1 差額地代・第一形態 146

…質の異なる土地の差違に基づく超過利潤の地代化

2 差額地代・第二形態 148

…同一種類の土地への異なる投下資本額から生じる超過利潤の地代化

3 第一形態と第二形態 150

4 絶対地代の発生(資本への積極的制約) 152

5 絶対地代の形成 152

6 土地の私有と商品化 155

第3章 利子 …<諸資本に、利潤はいかに分与されるか>

第1節 貸付資本と銀行資本 ……157

1 商業信用と銀行信用 157

2 貸付資本としての銀行資本 159

3 銀行券の発行による貸付 160

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4 景気循環における貸付資本と産業資本の連動 161

<補足・資本の過剰と恐慌> 163

5 資金の商品化による資本への規制 163

第2節 商業資本と商業利潤 ……165

1 商業資本への利潤分与 165

2 商業資本の利潤の根拠 167

3 商業労働 168

<補足・運輸保管と価値形成労働> 169

4 資本家的倒錯性と物神性 170

5 資本の形態と実体 173

第3節 それ自身に利子を生むものとしての資本 ……175

1 利潤の利子への分化 175

2 資本家と価値形成 176

3 擬制資本と資本市場の成立 177

4 原理論の役割と段階論 179

5 物神崇拝の完成 180

第4節 資本主義社会の階級性 ……182

1 隠される階級性の暴露 182

2 階級性を隠す俗流経済学の定式 183

3 資本主義の科学的解明の社会的意義 185

4 経済学と社会主義 185

☆談話室④ …「資本の運動」の行方は ……187

あとがき ……193

索引 ……195

(注意)各篇・各節の下の番号による小項目や補足< >は、筆者が設定し

たものである。

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序論 … <経済学の目的と方法>

1 経済学とは何か

客 まず、経済学の目的と方法についてお聞かせください。経済学について

の予備知識がないために、最初からつまずいてしまう人も多いようです。

「経済」について、辞書(広辞苑)では「人間の共同生活の基礎をなす財

・サービスの生産・分配・消費の行為・過程、並びにそれを通じて形成され

る人と人との社会関係の総体」と記されていますが。

主 「経済」を常識的に、一般的に規定するとそういうことだろう。ただし、

この規定から「経済学」を始めるわけにはいかない。

客 「経済」は歴史貫通的に人類が営んできたことです。ですから、それを

学問として「科学的」に把握するのが「経済学」だ、と一般的には考えられ

ていますが。

主 経済学は昔からあったわけではない。「商品経済に特有の諸現象」を解

明しようとして発達してきた。そして、歴史的に「資本主義経済」を対象と

することによって、経済学は、はじめて「経済」をとらえることができたの

だ。それと同時に、経済生活を「一般的に」とらえることができたというわ

けだ。

客 資本主義以前の古代社会や中世社会でも、商品経済はありました。

主 しかし、商品経済は、それらの社会の一部分でしか行われなかった。た

とえば、中世封建社会での経済生活は、経済外的な政治的権力に支配されて

いた。

客 だから、その経済生活を経済学によって解明する必要はなかったのです

ね。まして、そこから経済生活一般をとらえることはできません。

主 これに対して、資本主義社会では、商品経済が経済生活を全面的に支配

している。したがって、資本主義に特有なその商品経済の「形態」をとらえ

ることによって、同時に商品経済だけでなく「経済生活一般」をとらえるが

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できるというわけだ。

客 そうすれば、古代、中世などあらゆる社会の経済にも通じる「経済的基

礎」も明らかにできるというのですね。ところで「経済学」の成り立ちにつ

いては理解できましたが、それでも、経済生活の全体的な見取り図がほしい

です。

主 経済生活の全体像は、これからの資本主義分析を経て明らかになる。

客 この先への不安がありますので、結論を先取りして、「経済生活一般」

の図示を試みました。

生産手段 生産財

…生産過程… 生産物 余剰生産物

労 働 力 消費財

生活過程

ポイント 商品経済の発展、資本主義の成立の後に、経済学が生まれた

2 経済学の目的は何か

客 経済学も科学をめざすわけですが、経済学の知識は、他の科学的知識と

どういう点で異なるのですか。資本主義社会は、自然科学を利用して生産力

を高め、また生産力を高める自然科学を発達させ、それを利用するための経

済知識も豊富に正確に広めました。

主 しかし、そのような知識がそのまま経済学になるわけでない。またそう

いう知識で経済生活をとらえることもできない。経済学は、「資本主義の下

で、なぜこのように生産力が増進したか、それはどのように行われ、社会に

どのような影響を及ぼすか」など、商品経済に特有な諸現象を解明するもの

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だ。

客 そしてこの解明を経て、ほかの社会も、一般的な規定で経済生活を明ら

かにすることができるというわけですか。そういう一般的規定は、商品経済

が部分的に行われる諸社会にも共通し、さらには商品経済の問題を克服する

とされる社会主義社会にも共通することになりますね。

主 あらゆる社会に共通する経済生活の原則、いいかえれば人間社会の実体

(いわば社会の存立と発展の根拠)となる経済生活において行動の原則とな

るものを「経済原則」という。この原則は、商品経済が全社会的に行われる

資本主義社会において、特殊な「形態」で現れる。経済学はそれを「経済の

法則」として科学的に解明するわけだ。

社会の存立と発展のために守られる経済生活の原則。

経済原則 これによって、生産手段と労働力とが適切に配分され、人間

生活に必要な財・サービスの生産が年々継続される。

資本主義的 経済原則の実現を法則として強制する。

商品経済下 → 先行諸社会に対して経済的に優位に立つ

の経済法則 経済行動を科学的に明らかにしうる

社会主義下 経済の法則に支配されるのでなく、直接の生産者が主体とな

の経済原則 って計画的に実現しようとする。

3 経済学は何を対象とするか

客 「経済原則」と「経済法則」とは、どのように区別され、またどのよう

な関係にありますか。

主 「経済原則」は、商品経済の下に、商品経済の形態に特有の「経済法則」

としてあらわれる。たとえば、機械は自然科学的法則を技術的に利用して人

間の労力を省くというものだから、それを経済的に有利なものとして採用す

るということは、一般的な原則として「行動の基準」となる。これが「経済

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原則」だ。これに対して、資本家的商品経済の社会では、商品経済的に有利

な機械を採用しないわけにはいかない。これが「経済法則」だ。

客 つまり、一般的な「経済原則」では「行動の基準」なのに、資本主義で

はそれが「法則として強制的に支配するもの」になるということですね。

主 だからこそ、経済学が科学として成立することが可能となる。また同時

に、その強制力によって、資本主義がそれに先立つ社会に比べて経済的に優

位に立つ、ということが明らかになる。さらに、経済学は、この「原則」を

「法則」としてでなく、直接の生産者が主体となって計画的に実現しようと

する社会主義の主張の基礎を示すことにもなる。

客 このような「経済原則」と「経済法則」との関係を明確にしないで、常

識的な商品経済的関係からあらゆる社会に通じる原則をとらえようとして

も、「商品経済に特有な諸現象」は明らかにはなりませんね。

主 自然科学では、対象を探求して得られた自然科学的知識が、技術的に利

用できると考えられている。経済学でも、同様にできるかのように主張され

ることがある。しかし、自然科学の場合とは異なって、経済学の対象は、目

的意識的に行動する人間の社会関係としての歴史的過程だ。

客 結局、経済学の理論は、技術的に利用できるとか、予測に役立つとか、

実利的なものだとか、そういう誤解をして、実際に予測した効果があがらな

いと、「研究対象が複雑だから」などと言い訳をするんですね。

主 経済学は、簡単に実際的に利用できるようなものではなく、歴史的過程

の理論なのだ。

<経済学の対象の特性>

① 目的意識的行動をなす人間を含んでいる。

② 人間の社会関係の歴史的過程である。

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4 商品経済はいかに発展し、経済学はいかに形成されたか

客 商品経済は、資本主義以前の諸社会にもありました。ただし、それらの

社会の基本的な経済方式ではなく、補足するものとしてですが。

主 商品経済は、もともと共同体と共同体との間の生産物の交換から発生し、

物の交換を通じて、人間の社会関係を拡大した。そしてしだいに共同体の内

部に浸透し、共同体の分解を促すような影響を及ぼした。

客 そうやって、古代、中世の諸社会を通じて商品経済は発展してきました。

でも、同時にそれらの諸社会の基本的な社会関係を破壊し、社会の発展を妨

げることもしばしばでしたね。

主 近代初期の西欧で、商品経済は、スペイン、ポルトガル、オランダなど

を中心とする国際的貿易関係へと発展した。そしてついにイギリスにおいて

は、商品の流通だけでなく、生産過程自身をも商品関係(形態)で行うよう

になった。

客 基本的な社会関係が商品経済化したということは、ここで、はじめて資

本主義社会が形成されたわけですね。

<資本主義の特色> ①商品経済の高度な発展

②商品形態で生産過程をも行う

主 資本主義社会の形成と同時に、それまでは断片的で部分的な、したがっ

て表面的なものにすぎなかった経済的な知識が、ようやく独立の学問として

発達するための基礎が生まれた。

客 経済学が、社会科学や歴史科学として成立するためには、その対象自体

が形成されなければなりません。いよいよその対象となるものが歴史的に形

成されてきたのですね。

主 経済学は最初、近代的統一国家を確立するための実際的学問として、富

国強兵の物質的基礎を明らかにすることを目的とした。

客 しかし、資本主義的生産関係の究明は、そういう一国の特殊の目的に留

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まりませんでしたね。

主 資本主義の発展とともに、資本主義経済の一般的な構造と、資本の運動

を支配する経済法則とを明らかにするという、科学的な原理の研究へと発展

してきたわけだ。

客 ここまで見てきた、商品経済の発展と経済学の展開との関係を簡単に整

理します。

商品経済と社会 経済の知識

古代 共同体の外部から内部に浸透 断片的、部分的、表面的な知識

中世 し、社会関係に影響を及ぼす。

国際的貿易関係へ発展。 初期は、国家統一に役立つ実際的学

近代 生産過程も商品形態で行う。 問。やがて、資本主義の一般構造と

資本主義社会を成立させる。 その運動法則を解明する、科学的な

原理の研究へと発展。

客 実際に、経済学の展開を振り返りましょう。ただし、いまはあまり細部

にこだわらず読み流し、後で読み直してもいいですよね。

主 ウィリアム・ペティの『租税貢納論』、アダム・スミスの『諸国民の富』、

デーヴィッド・リカードの『経済学及び課税の原理』は、商品経済と資本主

義の進展にともなって発展してきた経済学の過程を示す代表的な著作だ。

客 たとえば租税論のような政策論は、経済学の原理に基づく法則性によっ

て展開できないので、しだいに重要性を失ってしまいます。

主 スミス、リカードなどによって代表される古典経済学では、なお資本主

義を一定の歴史的過程と見ることはできなかった。むしろ資本主義を理想社

会・唯一の社会として、さまざまな国家的政策を排し、資本家的商品経済を

自由に発展させるよう主張しながら、資本主義社会を解明しようとした。

客 17,8 世紀から 19 世紀にかけては、イギリス資本主義が発展していっ

た時期です。

主 たしかにそのときには、旧来の直接的支配・服従の社会関係の下に、小

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生産者的経済生活がおこなわれ、それが資本家的に自由平等な商品経済へと

純化する傾向が生じていた。

客 それを根拠として、古典経済学は、資本主義社会を理想社会・唯一の社

会と考えたのですね。

主 ところが、1820 年代以後に、おおよそ十年ごとに恐慌現象が繰り返さ

れ、もはやこれを理想社会として科学的研究を続けることはできなくなった。

客 そうして、一方ではさまざまな社会主義が主張され、他方では科学的研

究を放棄し、常識的概念で資本主義を擁護するという、俗流化の途をたどっ

たんですね。

主 この中で、マルクスの『資本論』は、社会主義の主張を科学的に基礎づ

けるものとして、資本主義自身を一定の歴史的過程とし、その商品経済的機

構を明らかにするという批判的方法に途を拓いた。

客 経済学は、ここにはじめてその原理を科学的体系として完成する基礎を

与えられたのですね。しかしマルクスは、19 世紀末以後の資本主義の変化

を予想することはできませんでした。

主 17,8 世紀以来、資本主義の純粋化は、歴史的事実だった。これによっ

て資本主義経済の一般的規定が確立されることになった。しかし、1870 年

代以後は、しだいにいわゆる金融資本の時代となり、旧来の小生産者的社会

層を残存させながら発展し、もはや純粋の資本主義社会を実現する方向にあ

るものとはいえなくなった。

客 経済学は、ここで、別の研究方法が必要になったのですね。

主 原理のほかに、原理を基準としながらも資本主義の歴史的発展過程を段

階論的に解明する、別の特殊な研究を必要とすることになる。

客 マルクス以後に、さまざまな帝国主義論が、具体的に展開されました。

主 それでもなお、この原理との関係を明確にはできなかった。

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資本主義を理想とする。

古典派経済学 資本主義の発展を妨げる国家政策を批判する自由

主義

マルクス経済学 資本主義を一定の歴史的過程とする

批判的方法で資本主義の原理を科学的に解明する

マルクス以後の研究 資本主義が変化したことに対応する

・ベルンシュタイン 修正主義

・カウツキー 正統派

・ローザ・ルクセンブルク 『金融蓄積論』

・ヒルファディング 『金融資本論』

・レーニン 『帝国主義論』

5 経済学の方法、いわゆる三段階論とは何か

客 経済学の研究は、いわゆる三段階論をとる必要があるのですね。

主 まず第一に、経済原論。そこでは、資本家と労働者と土地所有者との三

階級で構成される純粋な資本主義社会を想定し、そこに資本家的商品経済を

支配する「法則」を明らかにし、それとともに資本主義社会に特有な「機構

(メカニズム)」も明らかにする。この経済原論によって、資本家的商品経

済に一般的に通じる基本的概念を体系的に(有機的関連を持つものとして)

理解できるようになる。

客 このように理論的に再構成された純粋な資本主義社会は、その経済過程

を他に依存することなくそれ自身で存立する完結した一つの社会として、し

かも一つの歴史的な社会として解明されることになるのですね。

主 第二に、段階論。この原理論を基準として、資本主義社会の発展過程に

おいてさまざまに異なった様相であらわれる諸現象を、発展段階的に規定し

解明する。資本主義の現実の発展は、一定の時期までは純粋化の傾向を示し

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ながら、非商品経済的要因によって影響される。また一定の発展段階では、

純粋化の傾向を阻害する強力な要因が発生する。

客 現実の諸現象は、原理で片付けられない側面を必ず示しているんですね。

資本主義の発展段階 商人資本 産業資本 金融資本

一般的な政策基準 重商主義 自由主義 帝国主義

主 第三に、現状分析。経済学研究の特殊部門として、商業政策、工業政策、

農業政策、植民政策などの経済政策論や金融論、財政学あるいはまた社会政

策論などがある。それらは、段階論の内にあらわれる商品経済の諸相を解明

するものであり、先進資本主義国の支配的な産業や資本形態の段階的展開が、

各国、あるいは世界経済の諸相にどのような影響を及ぼすかを解明するもの

だ。

客 こうした現状分析が、経済学研究の究極の目的になるんですね。

資本家・労働者・土地所有者の三階級からなる純粋な資本主

原理論 義社会における経済法則を、その機構とともに明らかにする。

これは資本家的商品経済に一般的に通じる理論である。

先進資本主義国の支配的な産業、資本形態の段階的展開が、

段階論 国家形態や国際関係に及ぼす影響を解明する。原理論を基準

とし、資本主義諸国の種々異なった諸現象を、資本主義の発

展段階に規定されたものとして解明する。

種々の経済政策論、社会政策論などは、資本主義の発展段階

現状分析 によって異なってあらわれる。段階論を媒介に、各国、世界

経済の現状を分析する。

客 経済学の原理は、現実の経済過程を全面的に解明できるというものでは

ないのですね。

主 というのは、たしかに資本主義の発展とともに資本主義はますます純粋

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化する傾向をもっているので、一般的な原理論の成立は可能となる。しかし

同時に現実の過程は多かれ少なかれ旧来の残滓を伴うのだ。しかも、一定の

時期には純化の傾向も阻害される。

客 特に遅れて資本主義化した諸国は、先進国の発展の成果を輸入して資本

主義化します。当然のこととして先進国の影響を受けますが、決して同一の

過程をたどりません。先進国が資本主義化したときの事情と、後進国が資本

主義化するときの事情が違うからです。

主 したがって、個々の国々についても、また世界経済についても、原理の

他に、段階論的規定によってはじめてその解明の基準が与えられる、という

ことになる。

客 先進国イギリス自身も、19 世紀末以後、資本主義は従来の純化傾向を

阻害されます。

主 古典経済学以来、経済学研究は原理論の究明を基本目標としてきたが、19

世紀末の金融資本の時代の出現とともに、段階論的規定の必要性が明らかと

なった。

客 そうして、段階論的規定の成立は必然的だったのですね。もちろん、経

済学研究の究極の目標は、経済過程の現状分析でした。

主 原理論だけでこの目的は達成できない。段階論的規定が補足的に必要と

なるということだ。

先進資本主義国 旧社会の残滓を排しつつ、19 世紀末まで純粋化。

(イギリス) 資本主義が新段階に入り、純粋化が阻害される。

後進資本主義国 先進国の発展の成果を輸入。

(ドイツ、アメリカ等)先進国の影響下で資本主義化。

客 この方法によって、資本主義に先立つ諸社会の経済を分析すると、どう

なりますか。

主 それぞれの社会に特有な経済様式が、商品経済の影響を外的に受けなが

ら変化し発展してきた過程を、経済史として解明することになる。

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客 それは商品経済の歴史を辿ることになりますね。

主 たんなる商品経済史ではない。商品経済によって媒介されながら社会的

範囲をますます拡大し、ついに資本主義社会として国民的規模の一社会を形

成する基礎を確立するという、世界史的過程だ。

客 資本主義社会において、歴史的過程は「人間社会の前史」を終わる、と

マルクスは言っています。

主 このような歴史的過程に呼応して、資本主義という特殊な形態において

であるにせよ、経済学は経済過程を、政治的・権力的関係から分離して、純

粋な経済過程として一般的にかつ完全に把握できる。これが基礎となって、

社会主義が科学的に根拠づけられる。

客 前にお話しいただいたように、経済学の研究は、人間の行動による歴史

的過程を科学的に解明しようとするものであって、けっして自然科学のよう

にその成果を技術的に利用するというものでなく、またできるものでもない

のですね。

主 資本主義の経済構造とその運動を支配する法則とを明らかにすることに

よって、商品経済による経済過程への「盲目的な法則的支配」を、「自主的

な行動原則」へと「止揚還元」して社会主義を実現するという、その可能性

の根拠を示すものとして、科学的に役立つということだ。

6 経済原論はどのような方法をとるか

客 経済原論は、経済生活の「一般的原則」をそれ自体として直接には呈示

していません。

主 それを、商品経済的特殊形態の下に「特殊な法則性」で貫徹されるもの

として示すわけだ。その商品経済は、生産過程から発生するものではなく、

生産過程と生産過程との間に発生した交換関係に特有な「形態」を形成し、

それが、漸次に生産過程に影響し、滲透し、生産過程を把握することによっ

て、生産過程の中に商品経済の「実体的基礎」を確保する。

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客 そうすると、原理論をいわゆる生産論から始めることはできなくなりま

す。一般的、常識的には、生産論から始めて経済過程を解明するというのが

原理論の順序と考えられますが、そうではないのですね。でも、マルクスの

『資本論』は、第一巻が「資本の生産過程」という題です。また労働価値説

を商品の生産に基づいて最初に論じていますよ。

主 しかし実質的には、まず商品、貨幣、資本の「流通形態」規定を展開し、

資本の出現の後に、はじめてあらゆる経済に共通な労働過程を論じて、資本

の生産過程を説いている。マルクスの方法には不明確なものが残っているが、

商品経済の特殊性を正確に把握し順序立てているということだ。

客 そういう理由で、商品経済の原理を明らかにする経済原論は、まず流通

論から始められ、生産論はこの流通形態によって包摂された生産過程として、

その次に展開されることになるのですね

『資本論』は論理の展開が未整理

→『経済原論』の展開は、流通論から生産論へ

『資本論』と『経済原論』の構成比較

<マルクス『資本論』の構成> <宇野『経済原論』の構成>

第一部 資本の生産過程 第一篇 流通論

第一篇 商品と貨幣 第一章 商品

第二章 貨幣

第二篇 貨幣の資本への転化 第三章 資本

第三篇 絶対的剰余価値の生産 第二篇 生産論

第四篇 相対的剰余価値の生産 第一章 資本の生産過程

第五篇 絶対的及び相対的剰余価値の生産 第一節 労働生産過程

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第六篇 労賃 第二節 価値形成増殖過程

第七篇 資本の蓄積過程 第三節 資本家的生産方式の発展

第二部 資本の流通過程 第二章 資本の流通過程

第一篇 資本の諸変態とその循環 第三章 資本の再生産過程

第二篇 資本の回転 第一節 純再生産

第三篇 社会的総資本の再生産と流通 第二節 拡張再生産

第三節 社会的総資本の再生産過程

第三部 資本主義的生産の総過程 第三篇 分配論

第一篇 剰余価値の利潤への転化と 第一章 利潤

剰余価値率の利潤率への転化 第一節 一般的利潤率の形成

第二篇 利潤の平均利潤への転化 第二節 市場価格と市場価値

第三篇 利潤率の傾向的低下の法則 第三節 一般的利潤率の低落の傾向

第四篇 商品資本及び貨幣資本の商品 第二章 地代

取引資本及び貨幣取引資本への転化 第三章 利子

第五篇 利子と企業者利得への利潤の分離 第一節 貸付資本と銀行資本

利子生み資本 第二節 商業資本と商業利潤

第六篇 超過利潤の地代への転化 第三節 それ自身に利子を生むものと

第七篇 諸収入とそれらの源泉 しての資本

第四節 資本主義社会の階級性

<談話室①> … なぜ「資本」なのか

A マルクスは、いったん出版した『経済学批判』という本の続編を書

くはずのところ、『資本』(翻訳は『資本論』)という表題に変更し、それ

も最初から書き直している。どうして「資本」としたのか、考えてみたい。

B 簡単に言うと、主体・主語を「資本」としたということだね。これ

は意識的な変更だ。つまり、「人間や社会がどのように経済を営むか」と

いう記述でなく、「資本は社会の主体としてどのように経済を動かすか」

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という形式になったわけだ。

C 普通は「人間が経済を営む」と言うだろう。そして、多くの場合、

経済はこうあるべきだ、という姿を描く。もし、現状がそうなっていない

なら、その問題解決の方法を考え、人間が主体となってそれを実行すると

いうことになる。

A 経済の理想的な姿を描く場合でも、現実に起きている経済事象を解明

するという場合でも、どちらにしても、実際にその人がどのような経済生

活を営んでいるか、ということによって、理想の経済も、現実の経済も全

く異なった姿となってしまう。

B 現状に満足する人は、現状に合わせた理想の経済を描き、現状に不

満の人は、理想に合わない現状を強調して描くことになる。そうなると、

だれもが納得できるものとして経済を解明するというのは、難しいね。と

ても科学としての経済学は成立しそうもない。

C 実際には、「多少の改善は必要だけれど、ほぼこのままでよい」と

いう人たちが中心となって、この社会を維持しているわけだから、経済学

も現状維持に味方するものになりやすい訳だ。

A たとえその人たちが社会の中で実際には少数派であっても、権力と

財産を確保していれば、けっしてそれらを手放さそうとしない。みんなの

「あるべき理想の経済」の話に耳を傾けないどころか、現状を批判する話

は危険だと考えて、押さえ込むかもしれない。

B そうすると、現状維持に役立つ主張、現状の不都合を隠す意見だけ

が世間に広まる。そして、「あるべき理想の経済は不可能だ、危険だ、有

害だ」ということになる。

C でも、「現状は間違っている、転倒している、これを本来の経済に戻

さなければならない」という主張は、思想としてはわかりやすいが、賛同

者を増やすのには限界がある。大多数の人々が現状に対してよほど我慢で

きなくなったようなときは別だけれども。

A 人々が、こうしたお仕着せのイデオロギーにとらわれずに、自分自

身の社会認識を持つようになるには、理性を持つだれもが承服せざるをえ

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ないような経済学が必要になる。マルクスはそう考えたに違いない。そこ

で、入り口が重要となる。

B こんにち我々は、日常生活で、経済について考えても考えなくても、

生活に必要なものを買い入れて消費して暮らしている。そして、そのため

に必要なお金を稼いでいる。だからその生活に即して、商品の分析から始

めれば、だれもが納得するだろう。

C 注意しなければならないのは、マルクスは「資本の生産」の中で、

商品論を始めている。それに対して、宇野理論では、最初に「流通論」が

独立して設けられ、その中で「商品、貨幣、資本」が展開される。それに、

マルクスは「商品論」ですでに「労働価値説」を用いている。これに対し

て、宇野理論の「商品論」は、「労働価値説」を持ち出さず、価値形態論

に徹している。労働価値説は、経済原論全体で解明すべき課題としている。

A いずれにしても、「資本」を自明のものとして持ち出すのではなく、

「商品、貨幣、資本」という展開の中で発生するものとしている。

B ただし、資本を主体・主語とするというと、あたかも資本が自分自

身を告白する、という形のように受け取られやすい。しかし、もちろんの

ことだが、資本自身が意図することが必ずしもそのまま実現するというの

ではなく、意図せざる結果ももたらす。むしろ、その資本の運動を規定す

る経済法則が明らかになってくるわけだ。

C そもそも、資本を単一不動の主体・実体と考えるのは間違いだ。自分

自身が次々と変態していくものとして資本なのだ。そうして捉えられた資

本の運動は、現実には、一定の歴史段階の中に、様々な非経済的要因の影

響を受けながら現れる。

A その現実の姿を前にして、その経済過程の的確な認識を得た私たち

人間が、今度は主体・主語として、その資本に対してどう対処するかとい

うことになるわけだ。この事態は経済学の枠の中だけの話ではなくなる。

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第1篇 流通論 … <資本はいかに成立するか>

《第1篇流通論の概観》

始まりは流通である。なぜ資本そのものでないか。たとえば「資本はこ

ういうものである。これを真理と認めるか、認めないか」と迫るのは、自

由な思考によってものごとを認識しようとする姿勢と相容れない。まずは、

資本の「存在」がその成り立ち(生成)として示されなければならない。

ただし、ここで資本の歴史的成立は話題にならない。資本は、商品の流通

過程に発生し、いまも日々成り立っているからである。私たちは、商品の

流通過程を知ろうが知るまいが、商品群からなる社会関係の中に生きてい

る。したがって、自らの経済生活を成り立たせている、その関係を対象と

する認識は、だれにとってもそれほど困難なことではない。こうして、商

品の流通過程への考察は、「商品とは何か」から始まり、商品がはらむ「価

値と使用価値との二面性」が展開して貨幣へと発展し、さらに資本の発生

に至る。ただし、このような資本の成り立ちを流通過程において把握した

だけでは、生産過程をも包摂する資本の本質を解明したことにはならない。

客 資本主義社会は、資本が経済を処理する社会です。その経済法則を明ら

かにするためには、すべての生産物が資本によって生産されるという、純粋

の資本主義社会を想定する必要があるということですね。

主 経済法則は、その純粋資本主義社会のなかに展開するからだ。

客 さて、常識的な説明では、資本は生産手段とされ、土地と労働とともに

生産の三要素とされます。

主 それでは経済法則は明らかにならない。なぜなら、一般に生産手段は必

ずしも資本にならない。資本は、商品経済に特有なものであって、生産過程

と直接には関係なく、貨幣の特殊な使用方法から発生する。

客 歴史的には、資本として最初に出現したのは商人資本ですけれども。

主 しかし、商人の手にある資本というと、もちろん生産手段ではなく、貨

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幣や商品だ。資本は、貨幣を前提とし、貨幣は商品を前提として解明される。

もちろん商品は生産物を前提とするが、生産物は必ずしも商品とならないの

だ。

客 一般的に、「生産物から商品へ」という展開には、内面的な必然性はな

いのですね。

主 生産物は、他の生産物との交換関係の下で商品形態をとり、そうなると

必ず貨幣を出現させ、また貨幣の出現は必ず資本を出現させる。そして一定

の歴史的条件の下で、資本が生産過程そのものを把握する。すると、必ず商

品となる生産物が生産されることになる。

客 ということは、生産過程の外部の「流通形態」が、「生産過程」を包摂

するということになって、はじめて「生産物が当然に商品となる」というこ

とが言えるわけですね。

主 だから、経済学のもっとも基本的な概念は、生産や生産物でなく、商品

形態ということになるわけだ。

客 マルクスの『資本論』は、実質的に「商品」から理論的展開を始めてい

ます。

<概念の必然的な展開> 商品 → 貨幣 → 資本(生産過程を包摂)

第1章 商品…<商品とは何か(価値と使用価値)>

客 商品とは何か、その価値とは何か、から考えなければなりません。

主 商品は、まず特定の使用目的に役立つ「使用価値」としてある。ただし

それは、商品所有者にとっての使用価値でなく、他人のための使用価値とし

てある。他方で、その商品は、他の商品と交換されるものとして「商品の価

値」を持っている。

客 商品所有者は、自分の所有物の「商品の価値」を「積極的」に表現しま

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すが、その「使用価値」は、相手から「認められる」(受動態)ことを待ち

ます。つまり、「商品の価値」は積極的要因、「使用価値」は消極的(受動

的)条件ということになります。

主 そういう関係を含めて、「価値」と「使用価値」との関係は、商品に特

有な価値形態を展開することになる。

1 簡単な価値形態

主 まずは、ある商品の価値が、その所有者によって、他の商品の使用価値

で表現される、という価値表示を考えよう。たとえば、次のような表現があ

る。

(リンネル=亜麻布地、1ヤール= 91 ㎝)

リンネル20ヤールは、1着の上衣に値する

客 ここでは、リンネル所有者Aが、リンネル20ヤールをとって、自分が

欲する1着の上衣に対して、「誰か1着の上衣をもって交換を求める者があ

れば、20ヤールの亜麻布地を渡してよい」という形でリンネルの価値を表

現しています。

主 リンネルは、その価値が他の商品の一定量の使用価値(一着の上衣)に

よって表現されている。これを「相対的価値形態」という。

客 上衣は、「上衣1着がリンネル20ヤールの等価物である」として、リ

ンネルの価値を表現しています。これが「等価形態」ですね。

主 この価値表現は、リンネル所有者 A の主観的評価であって、上衣所有

者 B が上衣の価値を表現しているのではない。上衣の使用価値が、その所

有者 B の評価とは関係なく、リンネル商品の価値を表すものとされている。

客 具体的に言うと、上衣所有者 B が欲するなら、その上衣1着でリンネ

ル20ヤールと交換できるということですね。

主 リンネル所有者 A は、その価値表現で、積極的な立場で交換を要求し

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ても、自分だけは、それを実現できない。いわば消極的(受動的)立場にあ

る。

客 これに対して、上衣所有者Bは、交換を要求してもいないのに、直ちに

交換できる地位におかれています。

主 一般に商品は、価値を積極的要因とし、使用価値を消極的要因とすると

いうことで、価値と使用価値とをもつ。交換の展開でも、同様に商品は価値

と使用価値をもつが、ただし、逆転した関係となる。

客 リンネル所有者 A は、売り手として、リンネルの価値を積極的要因と

して表明します。その使用価値については、それがなければ買い手がないと

いう点で消極的な条件です。ところが、A を上衣を求める買い手としてみる

と、上衣の使用価値が目的(積極的要因)であって、上衣の価値は、使用価

値としての上衣(2着とか3着でなく1着)を手に入れるための条件(消極

的要因)になります。交換関係の場合には、上衣所有者 B から見ても、同

様のことが言えますね。

(相対的価値形態) (等価形態)

リンネル20ヤール = 1着の上衣

価値(積極的要因) A にとって使用価値(積極的要因)

他者にとって使用価値(消極的要因) 価値(消極的要因)

主 売り手は、自らが所有する商品の価値を、積極的要因として表明するが、

買い手にとっては消極的要因としての条件となる。買い手は、求める商品の

使用価値を目的(積極的要因)とするが、売り手としてはその使用価値がな

ければ買い手がないという意味での条件(消極的要因)にすぎない。

客 要するに、商品所有者が、自らの所有する商品の価値を積極的に表明し

ても、交換のためには、相手からの価値表明を受け身で(消極的に)待たな

ければならないということですね。

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売り手 買い手

積極的要因 価値 使用価値

消極的要因 使用価値 価値

主 それぞれが価値と使用価値を含む二つの商品の関係は、商品経済に特有

な「私的」な「社会性」を示している。

客 リンネルの使用価値が、上衣所有者 B に認められなければ、交換は実

現しないのですね。使用価値は、価値の条件でありながら、価値の実現を制

約するものになっています。

主 上衣所有者 B が認めないなら、他に、リンネルの使用価値を認めてく

れる相手が必要となる。

2 拡大された価値形態

客 商品の価値は、単に他の一つの商品の使用価値で表現されるだけではあ

りませんね。その他のさまざまな商品の使用価値の、さまざまな量で表現さ

れます。

主 リンネル所有者の主観的評価によって、価値表現の社会関係がさらに展

開されることになる。

(1ポンド= 453.6 g、1クオーター= 12.7 kg)

リンネル20ヤール = 1着の上着

リンネル2ヤール = 半ポンドの茶

リンネル40ヤール = 2クオーターの小麦

客 リンネル商品の所有者は、さまざまな等価商品の所有者に対して、直接

的交換をしてもよい、と表明するわけですね。

主 じつは、こういう価値表現は、商品の直接的な相互交換が不可能である

ことを明らかにしている。また、それは決して客観的な社会的評価の形態と

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なってはいない。

客 なぜなら、商品所有者が、その欲する等価物商品に対応して、自己の商

品の価値を主観的に評価し、表現するということにすぎないからですね。

主 それは、評価の基準を統一的に規定するものではない。当然、価値形態

はこのままでは存在しえない。

3 一般的な価値形態

客 さまざまな商品の所有者が、それぞれの商品をリンネル20ヤールを等

価物として表明するようになれば、リンネルは使用価値の制約を解かれたこ

とになりますね。

1着の上衣

5ポンドの茶 =20ヤールのリンネル

40ポンドのコーヒー

1クオーターの小麦

主 しかし、さまざまな量のさまざまな商品に対する等価物が、みな 20 ヤ

ールのリンネルというのは、均一価格店のような特殊な場合にしか見られな

い。相対的価値形態の商品所有者は、一定量のリンネルを使用価値として求

めるのであって、それがすべて 20 ヤールということはない。

客 では、それぞれ異なる量の使用価値を求めるものとする価値形態を考え

ます。しかし、こうなっては、リンネルの使用価値のあり方が変わってきま

す。たんに布地として「消費されるもの」から、だれからも使用価値が認め

られるが故に、どの商品に対しても「等価形態に置かれるもの」へと。

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(一般的等価物)

1着の上着 = リンネル20ヤール

半ポンドの茶 = リンネル2ヤール

20ポンドのコーヒー = リンネル10ヤール

2クオーターの小麦 = リンネル40ヤール

主 たしかに、拡大された価値形態が展開されると、いずれの商品の等価形

態にも共通にあらわれる特定の商品がもたらされることになる。そして、そ

の特定の商品さえ得れば、いかなる商品に対しても直接に交換を要求できる

ようになる。

客 拡大された価値形態では、商品所有者Aは、自分の所有する商品WAの

価値を、直接自分の欲する商品WB、WCなどで表示して、WB、WCの商品

所有者B、Cなどからの交換を待ちました。

主 しかしここでは、間接的に、まず一般的にあらゆる商品に対して直接的

に交換を要求しうる商品によって自分の所有する商品の価値を表示し、その

商品を通して自分の欲する商品との交換を求めることができる。

客 これが、一般的価値形態の展開ですね。あらゆる商品の価値を表現する

商品が、一般的等価物となります。

主 この等価物の使用価値は、必ずしも直接消費の対象とはならない。また、

その使用価値は、等価物商品としてもっとも適している。そのような商品に

帰着する。

客 リンネルでは無理ですが、金、銀が、そして結局金が、このような一般

的等価物として固定され、貨幣となるわけですね。

4 貨幣形態

主 金はどのようにも分割・合一できるし、量が異なってもその質は変化し

ない。また直接に消費の対象となることが少ない。こうして貨幣としての資

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格を持つ。

客 金あるいは銀が貨幣となると、一般に商品所有者は、もはや「自らの商

品の価値を、直接の消費の対象としての金、銀の使用価値の一定量で表示す

る」ということをしなくなります。

主 これまでは、交換を求める等価物の使用価値に制約されて、自ら交換に

出す商品の量が規制されていた。それが、自ら交換に出す商品量を価値表現

するようになる。

客 それぞれの商品は、その使用価値の単位あたりの価値が、等価物(貨幣)

で表示されるようになるのですね。

リンネル1ヤール = 2グラムの金

茶 1ポンド = 0.2 グラムの金

上衣 1着 = 40 グラムの金

主 貨幣形態において、商品所有者は互いにその商品の価値を直接に比較で

きることになる。

客 それは、商品の価値を表示する貨幣だけが、積極的に商品との交換を実

現できるものとなる、という関係を基礎としての比較です。

主 これまで、「使用価値が価値の条件でありながら価値の実現を制約する」

ために、売り手と買い手との関係において、その「社会性」が「私的」なも

のであったことを見てきた。しかし、この貨幣によって「価値と使用価値と

の矛盾」は、現実的に解決された「形態」となった。

客 商品所有者が、互いにその商品の価値を直接に比較するわけですからね。

主 そして、商品の価値を貨幣によって表示したもの、すなわち金価格が、

一般的に価値に対して価格といわれる。

客 商品の価格は、その商品が金と交換できる可能性を表しながら、同時に

その量を表しているのですね。

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第2章 貨幣 … <商品流通の展開>

1 価値尺度

客 商品価値を表示する等価物は、その使用価値がそのまま商品の価値とさ

れ、堅さや重さその他、物としての商品の属性の一つのように考えられてし

まいますが…。

主 たしかに、貨幣である金は、あらゆる商品の価値を一般的に、統一的に

表示する。そして、その使用価値の量的表示が、そのまま商品価値を量的に

表示する、と考えられることにもなる。

客 たとえば、金1円はもともと純金2分(750 ミリ・グラム)の量を示す

に過ぎないのに、それは直ちに商品価値の単位量であるとされます。これは

誤解ですね。

主 たしかに金2分が金1 匁 (3.75 グラム)の5分の1であるというようもんめ

に、円自身は価格の単位として一定不変だ。しかし、金1円は他の商品の一

定量の価値を常に表示するわけではない。

客 金も他の商品に対しては、その使用価値が価値物とされるかもしれませ

んが、だからといって、金の使用価値そのものが金の価値となるわけではな

いのですね。

主 すなわち、金もその価値はその使用価値と異なって、他の商品と同質な

ものとして、価値なのだ。

客 円、ポンド、ドルなどは「価格の単位」としては、一定不変ですが、そ

れによって「価値の単位」としても一定不変だということにはなりません。

主 物の重さや長さを計量する場合は、一定の重さ、長さを持つ尺度を基準

にするが、貨幣で商品の価値をはかる場合は、固定的な価値の基準はない。

客 表示される商品価格は、その商品の価値を、社会的に認められた一般的

等価物(金)によって表現します。

主 だからといって直ちに社会的評価を受けたことにはならない。貨幣価格

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もまた商品所有者の主観的評価なのだ。

客 一定の価格で供給される商品は、その価格で購買されて、はじめてその

価値が社会的に確認されます。しかもそれは売れなければ価格を下げ、売れ

れば価格を上げるという関係を通して行われます。

主 需要と供給との関係によって常に変動する価格で何度も繰り返される売

買のうちに、その価格の変動の中心となる価値関係として社会的に確証され

る。

客 貨幣が、価値尺度の役割を果たすのですね。つまり、貨幣は、商品の価

値を尺度しながら、商品の価値を基準とする交換を実現させるということで

す。

主 そうして、商品の需要に対応して、商品の供給が社会的に適応すること

になる。

ポイント 貨幣は商品の価値を尺度しながら、交換を実現させる

2 流通手段

客 商品の売買というと、普通は貨幣によって商品を購買するということで

す。

主 しかし、この購買過程は、一般的には商品の買い手としての貨幣所有者

が、前もって商品の売り手として得た貨幣で行う、ということだ。

客 つまり、商品を売ってえた貨幣で、他の商品を購入するというというこ

とですね。つまり、W ― G ― W'の過程の後半に当たります。

G=Geld 貨幣、W= Ware 商品

前半 後半

W ―― G ―― W'

販売 購入

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主 この W ― G ― W'の過程は、Wの所有者AにとってのW-Gが、Gの所

有者BによるG-Wによって実現され、AのG - W'がCにとって W'-G

を実現するというように、買い手の G ― W による商品の購買を通して、社

会的に行われる。

客 売り手が積極的に買い手に買わせることはできませんし、またWとW '

とが直接に交換されるということでもありません。

所有者B: G W

所有者A: W G W'

所有者C: W' G W''

所有者D: W'' G

主 商品の交換は、市場における商品流通という特殊な形式で行われ、貨幣

がその流通を媒介している。

客 このとき、商品は一般に売買されると流通界を抜け出て、消費に入りま

す。これに対して、貨幣は商品の売買を媒介しながら、つねに流通市場に留

まっています。

主 貨幣は G ― W としては価値尺度として機能し、それを基礎としながら

W ― G ― W'の関連においては、流通手段として機能する。

客 流通手段の機能を果たす貨幣のことを、通貨といいます。そして、一定

の期間のうちに売買される商品の価格総額に対応して、その売買に一定量の

通貨が使用されます。それが通貨量ですね。

主 その期間に同一貨幣が幾度も使用されれば、通貨量はそれだけ少なくて

すむ。つまり、貨幣の流通速度が速いと、少なくてすむということだ。

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客 それから、普段に商品流通の手段として使われる通貨は、鋳造貨幣にな

ります。数種類の鋳造貨幣が、それぞれ一定の重量を、円、ドル、ポンドな

どの貨幣名で示し、使用されます。もちろん、金貨といえでも、それは貨幣

名にすぎないのであって、金自身の価値を表す価格となるわけではありませ

ん。

主 要するに、通貨が常に流通市場にとどまる限り、貨幣は金でなくてよい。

W商品がW '商品へ転化する過程において、その価値が一時的にあらわれる

姿にすぎないからだ。

客 そこで、銀貨、銅貨などの補助貨幣や、紙片に過ぎない紙幣が金貨の代

わりに使われるのですね。金貨を作ったり摩耗分を補ったりする費用が節約

されますし、また少額の商品売買のために必要です。

主 ただし、補助貨幣、紙幣は、流通に必要な金貨幣量の限度を越えて発行

することが可能だ。だから、金貨幣にそのままに代わるものとはならない。

客 流通手段としての貨幣の量は、商品流通量とともに増減します。

主 金貨幣は、商品に帰ったり、商品から貨幣となったりして増減するが、

紙幣・補助貨幣はそういう適応性はない。

客 紙幣・補助貨幣は、流通手段として機能できなくなると、商品としては

それが表示する金価格を持つものではなくなるからですね。また、必要とさ

れる通貨流通量を越えることになった場合にも、流通手段として市場にとど

まらざるをえません。金貨幣のように自ずと商品に帰ることができないから

です。

主 それと同時に、個々の紙幣・補助貨幣は金貨幣に代わるものとして流通

しているわけだが、それらの流通量が必要以上になることは、紙幣・補助貨

幣に対応する金貨幣量は減少する(減額する)ことになる。

客 紙幣・補助貨幣の価値が減るのですね。たとえば、流通する紙幣の全体

が、流通必要金量の2倍になると、1ポンドの貨幣名を持つ紙幣は、0.5 ポ

ンドの金量を代表する、ということになります。通用する力が半分です。

主 そうして、紙幣・補助貨幣による商品価格は、金貨幣による商品価格よ

りも、名目的に騰貴することになる。

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客 いわゆるインフレーションですね。

主 これは、「紙幣」流通に特有な現象なのだが、この現象を一般的に「貨

幣」に生じるものと誤解して、「貨幣の価値はその数量で決定される」など

という謬説が生まれる。

客 厳密にはこういうことですね。インフレーションとは、金と交換できな

い紙幣の総額が、流通に必要な金量を上回ることによって、紙幣が代表する

金量が減少し、その減少によって紙幣の価値が低下する、ということから生

まれる物価上昇です。紙幣と貨幣を混同してはなりません。

主 しかも、金はすべて貨幣となるものでないし、常に流通手段として貨幣

になるものでもない。いいかえると、金貨幣の場合には、流通手段としての

貨幣は、金、また金貨幣の一部分が商品流通の必要に応じて流通市場に出た

ものに過ぎない。

客 紙幣も、社会的流通関係の中で、流通手段としては金の機能を代わりに

果たすこともできますが、金との交換ができなくなれば、その流通量の調整

機能はありませんし、価値尺度機能も果たせないということですね。

ポイント 金は、必要に応じて一部分が流通手段として流通市場に出る

3 資金(蓄蔵・支払い手段・信用)

客 貨幣は、商品売買を媒介する流通手段ですが、ここで注目したいのは、

特定の使用価値を持つ商品を販売して得られたものでありながら、それによ

って任意の商品を購入できる、ということです。いいかえれば、貨幣は、特

定の使用価値の制約を解除された、いわば商品の価値そのものを代表する価

値物なのですね。

主 だから、いつでも自由に商品の購買に当てられうる、資金として、直ち

に使用しないで商品経済的富として貯蓄される傾向を伴う。

客 ということは、この傾向があるにもかかわらず、商品交換の必要に迫ら

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れて、やむなく流通手段としての貨幣が出動するといってもよいのですね。

主 その点を示すのが、商品経済の発展に伴う、貨幣の蓄蔵、退蔵だ。それ

らは、資本主義社会の初期、あるいはそれに先立つ諸社会において、極端な

形で見られた。

客 その反面、こうした蓄蔵、貯蓄が形成されることによって、貨幣を直ち

に受け取ることなく商品を販売し、後に貨幣の支払いを受けるという、「掛

け売り」が可能になります。

主 貨幣を支払わないで購入した買い手は、流通手段としての貨幣を直ちに

は要しないで、後に自己の商品の販売で得た貨幣の一部分を支払い手段とし

て使うことになる。

客 貨幣なしで売買が行われると、後に貨幣が貯蓄される場合と同様に、流

通市場から貨幣が引き上げられることになりますね。

主 しかし、この支払い手段としての貨幣は、一方での借り手がまた他方で

は貸し手であるという関係の展開を基礎にして、同一の貨幣で連続して二つ

以上の貸借関係を決済できることにもなる。このような債権(支払いを求め

る権利)と債務(支払わねばならない義務)との関係にもとづいて、支払い

約束の証書で支払いにあてるということが基礎となって、信用貨幣が発生す

る。

Wa WbA → B → C

← ←Gb Gc

Wa、Wb は、A、B が所有する商品

↓3ヶ月後 Gb 、 Gc は、B、C の債務証書

Gb、Gc は、B、C の通貨支払い

Gb GcA → B → C

← ←Gb Gc

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客 信用貨幣というのは、債務証書が、貨幣の代用物として流通するもので

すね。手形が代表的なものですが、銀行券、中央銀行券も含まれます。

主 流通手段としての貨幣は、一方では貯蓄によって引き上げられたり、貯

蓄から引き出される。他方では、信用による支払い延期によって節約されつ

つ、その量を商品流通に応じて調節される。

客 しかし、その調節は、根本的には、商品としての金が他の使用目的にも

役立てられるとともに貨幣にもなり、いつでも流通手段として市場に出て、

商品の購入にもあてられるということによって行われます。

主 金は、価値尺度としての貨幣の機能を通して、流通市場と地金ないし貨

幣の貯蓄との間を流出入しながら、この調節を行う。それは単に貨幣として

行われるのでない。資金としての貨幣の新たな機能を通して行われる。

客 支払い手段としての貨幣に比べて、積極的展開といえます。商品経済的

な富として貯蓄される貨幣が、あえて使用されるということ、つまり商品を

買うということは、必ずその商品を売って利益を得るためなのですね。

主 いいかえれば富の増殖のために使用されることになる。W - G - W’

に対し、G - W - G'の新たなる流通形式が展開される。

客 貨幣はこうして資本となるわけですね。

ポイント G - W - G’ 資本としての流通形式

4 世界貨幣(流通圏を媒介する貨幣)

客 ある国が他国に商品を輸出しその商品の支払いとして得た貨幣金は、新

しくその国の地金ないし貨幣に加えられます。逆に、他国から輸入した商品

の支払いにあてられる貨幣は、自国の地金ないし貨幣から減ることになりま

す。

主 そうやって、一国の必要とする貨幣量が調節される。これは貨幣が新た

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な役割を演じていることを示している。すなわち、一国の W - G - W'と他

国の W''― G'― W との間を媒介する流通形式を展開する。

流通圏A : W G W'

媒介者 : G W G' '

流通圏B : W '' G ' W

客 それが媒介者の G ― W ― G'という流通形式ですね。しかも G の G'へ

の転化は、G の量的増加を目的としなければ意味がありませんね。

主 貨幣はここに資本となるわけだ。商品が共同体と共同体との間に発生し

たのと同様に、資本もまた流通市場と流通市場との間に発生する。

客 商品、貨幣、資本の流通形態は、どれも共同体の外部から内部に浸透す

るものとして展開されるのですね。

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第3章 資本…<変態する運動体>

客 W ― G ― W’では、W'は流通を抜け出て消費されます。しかし、商品

を売って利益を得るために商品を買うという G ― W ― G’の場合、少なく

とも G’= G +gのうちの G は、再び同じ過程を繰り返すものとしてあり

ます。

G(再び流通過程へ)

G ― W ― G’

g(剰余価値)

主 資本は、価値増殖を実現しながら、無限に同じ過程を繰り返すものとし

て資本となる。同時にその価値は、商品としての価値とも、貨幣としての価

値とも異なる。

客 商品の価値は、特定の使用価値と表裏一体でした。また、貨幣の価値は、

さまざまな使用価値を持つ商品に対して、自己の特定の使用価値を一般的価

値物とする独立の存在でした。

主 資本は、商品の姿をとっては捨て、貨幣の姿をとっては捨てるという、

変態をなす運動体として存在する。

客 ということは、貨幣も商品も、それだけでは資本ではないのですね。ま

た、資本も、単なる貨幣、商品として機能するだけであって、G ― W ― G

’という変態過程自身の中にあってはじめて資本となる、ということですね。

主 資本 G に対して、価値増殖分(剰余価値g)を利潤という。そして、

一定の時間、たとえば1年を基準にして利潤の増殖力を利潤率で表示する。

客 G ― W ― G’の過程を繰り返せば、それだけ利潤も増えることになり

ますね。

主 G ― W ― G’の一循環を資本の回転という。もちろん、同一額の資本

で同一量の剰余価値を増殖する場合は、回転速度が速いものほど、利潤量は

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多くなり、また利潤率も高くなる。

G - W - G’(G+g’)- G - W - G''(G+g'') -

1循環(回転) 1循環(回転)

1 商人資本的形式(流通を基盤とする価値増殖)

客 G ― W ― G’の形式は、資本主義に先立つ社会にも、商人資本として

ありました。

主 その形式は、商品を安く買って高く売るということによって、価値を増

殖する。

客 具体的には、場所的な相違、あるいは時間的な相違を利用するか、ある

いは相手の窮状や無知を利用するという方法ですね。。

主 そのような条件を前提として商人が資本家的活動を行うのであって、け

っして資本自身がその価値を増殖するものではない。

客 安く売る者と高く買う者との間に入って利益を上げる、いわば社会と社

会との間に割り込むことによって利益を上げる、というのですから、価値増

殖といっても、社会的に一般的根拠を持つのではないのですね。

2 高利貸資本的形式(根拠なき自己増殖)

主 こういう資本形式が出現すると、それを基礎にして、いわば資本に対す

る資本として、G … G’という資本形式が展開する。

客 つまり、商人に資金を貸し付けて、その利潤の一部分を利子として得る

という、金貸資本ですね。

主 それは、もはや本来の流通過程における剰余価値ではない。その点を端

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的に示す高利貸資本は、相手の窮状に乗じてその財産を収奪する。

客 金貸資本は、資本価値の自己増殖の一面を示すとはいえますが、商人資

本と異なって、資本家として何らか活動し、それによって価値を増殖すると

いうものではありません。

主 また、商人資本の利益が不確定なのに対して、金貸資本は、利子率が確

定している。

客 しかしそれは、同時に価値増殖の根拠を自分自身は全く持たないことを

明らかにしていますね。

主 高利貸資本にしても、商人資本にしても、資本の価値増殖のためには、

取引相手を必要とするのだが、このような形式をとる限り、その相手を、い

いかえれば自己の前提を自ら破壊することになる。

客 いずれにしても、それ自身のうちに価値増殖の根拠を持つ自主的な運動

体とは言えません。では、資本はどのようにして価値増殖の根拠を持つので

しょうか。

3 産業資本的形式(生産過程を包摂する)

主 資本が自らの基礎(価値増殖の根拠)を確立するのは、G ― W の過程

で購入した商品をそのまま売るのでなく、この商品によって新しくより多く

の価値をもつ商品を生産し、その商品を W’― G’の過程で販売して剰余

価値をえる、ということによる。

客 それが産業資本ですね。

G ― W … P … W' ― G' (P は生産過程を示す)

主 ここで G ― W で購入された商品と、W'― G'で販売される商品とでは、

単に使用価値が異なるだけでなく、後者は前者より多くの価値をもつ。生産

過程において、資本は新たな使用価値とともに、より多くの価値をもつ商品

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を生産するわけだ。

客 しかし、いわゆる小生産者のように、原料を商品として買い入れ、これ

に自らの労働を加えて新しく商品を生産するというのでは、資本が生産した

ことにはなりませんし、資本の価値増殖にもなりません。

主 そこで、G ― W の購入に際して、単に W'の生産に必要な生産手段(Pm)

だけでなく、W'を生産する労働者の労働力(A)をも購入する。これによっ

て、資本は自ら商品を生産できることになる。

(Pm= Produktionsmittel、A= Arbeitskraft)

Pm(生産手段)

G―W … P … W’― G’

A(労働力)

客 ここで労働力は、商品として購入されますが、もともと生産物ではあり

ませんし、また本来商品となるべきものでもありません。

主 しかし、生産手段を持たない者が、商品経済の社会で生活するためには、

労働力を商品化せざるを得ない。

客 ただし、中世の農民のように働かされるわけではありません。領主の支

配下におかれていると、労働力を自由に商品として売ることができません。

主 こうして産業資本の形式の展開のためには、一方で、貨幣財産の蓄積が

必要であり、他方では、マルクスの言う「二重の意味で自由な(free)」労

働者、いわゆる近代的無産労働者が大量に出現する必要がある。

客 二重の自由とは、「支配服従関係から自由 free」であり、「自己の労働の

実現のために必要な生産手段がない free」ということですね。

主 「自由な労働者」の出現は、資本の「原始的蓄積」過程と呼ばれる。こ

れは、中世的な封建社会のような領主と農民との支配服従関係が破壊され、

近代的国民国家に統一される過程に実現された。

客 この「原始的蓄積」が進行したことによって、蓄積された貨幣財産が産

業資本として投下される、そういうことが可能になりました。

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主 さて、産業資本の形式は、単なる流通形態ではない。その内に生産過程

をも包摂することによって、商品、貨幣の流通形態にその内容を与えている。

商品自身が、生産過程のうちに生産される。もちろん、この生産過程は、商

品、貨幣、資本の流通過程に応じて展開されるが、だからといって従来の諸

社会の生産過程と全く異なった生産過程となるわけではない。

客 生産過程は、社会的実体として社会の基礎となるものです。そして、あ

らゆる社会に共通するものです。

主 商品経済は、この生産過程を資本の運動の中に取り込むことによって、

歴史的一社会を形成する。

客 しかも、従来のいかなる社会とも異なって、生産過程を純経済的に展開

します。すなわちこの社会はそれ自体としては、いかなる政治・法・哲学な

ど上部構造的なイデオロギーによっても、実質的に支配されたり、影響され

たりすることがありません。

主 この社会は、社会的に需要される一切の生産物を商品として生産し、そ

の生産に必要な労働力商品をも自ら特殊の方式によって補給する。いわば自

主的な一社会を形成するわけだ。

客 古代、中世の諸社会では、商品経済はその補足的一部分にすぎませんで

した。しかし、資本家的商品経済は、他の諸形態の経済を自らの商品経済の

うちに解消し、同化する傾向をもつものとしてあらわれます。

ポイント 労働力は、資本の形態変化にとって、外的な存在。

歴史的経過の中で商品化されたもの。

4 資本主義の成立と経済学

客 商品経済は、資本主義として一社会の経済過程を全面的に規定するもの

として、歴史的な一社会を形成します。

主 そこで、商品形態という特殊な形態を対象とする経済学が初めて可能と

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なる。また、それは同時に、いわゆる社会の上部構造としての法律、政治、

宗教その他のイデオロギーの実質的支配から独立して、経済過程の展開が可

能となる。

客 これは、マルクスの唯物史観を科学的に根拠づけるものといってよいの

ですね。

主 経済学は、経済生活一般を対象とするのでなく、その特殊な形態として

の商品経済を対象とすることによって、結果として経済生活一般にも通ずる

規定を与えるものとなる。

客 同様に考えると、唯物史観もさまざまな社会形態の発展法則を一般的に

規定するのでなく、資本家的商品経済という特殊な社会の運動法則を明らか

にする経済学によって、はじめて科学的に根拠づけられることになるのです

ね。

ポイント 商品経済を対象とする規定 → 経済生活一般の規定

<談話室②> なぜ「使用価値」なのか

A 経済法則をとらえる上で、「使用価値」は数値化できないから経済

学体系のなかに組み入れるのは不可能だといわれる。

B ところが、個別課題を通じて、突然に公共財とか環境などを対象と

する領域に直面すると、「無」論理に対処せざるをえない。やっつけ仕事

のようなものになるわけだ。

C 使用価値を考えない商品論は、ちょうど「ゼロのない」算数のよう

に、数はいくらでも数えられるが、不便なだけでなく、とても数学にはな

れないようなものだ。

A たとえば、労働力は労働者が生産手段を持たなければ、労働者にとっ

て使用価値はない。資本が労働者に賃金を支払って労働力を購入すれば、

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資本は労働力を使用価値のあるものとして使用できる。

B 賃金は、労働者がこれを得なければ、生活資料を購入できず、生活

できない。これに対して、資本が賃金に充当する部分は、資本としての運

動に入らないこともありうる。すなわち、資本投下が停止され、労働者が

雇われず、貨幣のまま蓄蔵されることも可能だ。

C 貨幣は一般的に特定の使用価値の制約を解除された価値物そのもの

だ。しかし、労働者にとっての賃金は、生活資料を購入するものとしてし

か使い道がないという点で、使用価値の制約を厳格に受ける。こうした非

対称関係を、使用価値という概念なしに、理論的に説明することはかなり

困難だろう。

A 「使用価値」を経済学で扱うとすると、使用価値のない財をどう考

えるのか。もっと言えば、むしろマイナスの使用価値とも言える「廃棄物」

の取り引きをどう説明するのか、という疑問もある。

B 工場排水などは、かつて自然の浄化に任せても問題ない時代もあっ

たが、いまや自然浄化の能力を越える汚染が発生し、汚染処理の社会的費

用が必要になった。

C そのため、汚染物の処理が義務づけられることになったわけだ。排

出源に個別的に処理費を負担させることで被害の発生を予防し、汚染処理

の社会的費用を抑制する効果もあっただろう。

A しかし、それはすでに法的規制と政策の話になっている。そうした

非商品経済的な要因は、段階論と現状分析とで扱うことになっている。

B もう一度、使用価値の話に戻って考えよう。たとえば、普通の空気

は使用価値を持つが、商品にならない。しかし、普通の空気が汚染され、

そのままでは利用できないとすると、まともな空気を用意すれば商品とな

る。実際に時代の進展とともに環境汚染は進行しているが、これはやむを

えないこととされ、消極的・受動的に商品化が進行する事例となる。積極

的には、意図的に汚染を拡大し商品化を進行させることになる。

C 積極的な事例を極端に考えよう。たとえばだれもが自宅に井戸を持

っていたら、地下水は商品にならない。しかし、法的処置で井戸水を汲む

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ことを禁止したら、水が商品になる。許可を得た者だけが汲んでそれを売

るわけだ。一般人は買わざるを得ない。

A そのような国家の働きもまた、非商品経済的要因であって、経済原

論の次元を離れた話になる。そのような取り引きは段階論において捉える

ことになる。

B ところで、「二酸化炭素の排出量取引」について、商品経済として

はどう見るのか。二酸化炭素を商品として売買するというわけではないだ

ろう。

C ゴミの投棄を法律で禁止すれば、ゴミの処理が商品になる。同様に、

二酸化炭素も個別の排出者に対して排出量を制限し、上限を設ける。排出

量が上限を越せばペナルティを課し、上限に達しない場合、上限と排出量

との差を「排出権」として、削減目標に達しない排出者に売却できる、と

いう仕組みだ。こうした「市場原理」を活用して全体の排出量を制限でき

るというのだ。

A 言い換えると、「金を払えば空気を汚せる」ということだね。使用

価値を問わない市場取引も、ここまで来れば何かに気づくということなの

だろうか。

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第2篇 生産論

…<資本はいかに生産を包摂するか(資本と労働力)>…

《第2篇生産論の概観》

資本は、その生産過程において、労働力を支配下におさめ、価値形成増殖

を実現することで、いよいよその本質をあらわす。流通が中断されるこの

過程で、資本と労働力と間の直接的関係があらわになるが、資本はこの関

係を基礎として、生産方式を大きく発展させる。その一方で、資本自体は、

あくまでも流通過程にあるものとして、その価値増殖にさまざまな規定を

与えられる。このような資本の生産過程と資本の流通過程との総過程は個

別資本の枠を越えた社会的総資本の再生産過程として解明され、価値法則

の絶対的基礎があらわれることになる。ただし、資本の展開の規定は、同

時に資本の運動への制約の規定でもあり、資本と労働力との関係を可能な

らしめる社会的基礎を解明する規定として、やがて示されることになる。

客 労働力の商品化によって、資本の生産過程は実現します。ただし、資本

の生産過程は、「単なる物の生産過程」とは言えないのですね。

主 それは、「商品の生産過程」であり、また「価値形成増殖過程」でもあ

る。そうして、資本に特有な発展をとげる。言い換えると、資本の生産過程

は、「使用価値の生産」と「価値の生産」との、二重の生産過程となる。さ

らに、これに対応して、この生産過程は、生産物が「商品として流通する過

程」によって補足される。

客 資本は、もともと流通を基礎にして発生し、それ自身は流通形態ですか

ら、「資本の生産過程」も、「流通過程の間の一段階」としてあらわれるわ

けですね。

主 そこで、経済原論における生産論は、単なる「生産過程論」に留まらず、

「資本の流通過程」をも解明することになる。ちなみに、「資本の流通過程」

は、これまで見てきた商品、貨幣の流通形態と異なった意味を持つ。すなわ

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ち、これまでの第1篇「流通論」では、商品や貨幣が、その持ち主を変える

というように展開してきた。これに対して、資本自身は、運動体として商品、

貨幣の姿をとって、やがてその姿を捨てる、という変態をとげるのだ。

客 つまりこれまでの「流通論」は、一般に流通形態を明らかにしましたが、

ここ生産論における「資本の流通」では、「資本の生産過程」に対するもの

として、「資本の流通過程」を明らかにするわけですね。

主 ところで、一般に経済生活においては、不断の消費に対応して、不断の

生産と再生産が行われる。これに対して、「資本の流通過程」の内におこな

われる「資本の生産過程」は、この再生産過程を、「資本自身の再生産過程」

として実現する。同時に、「生産のための生産」として、消費はむしろ生産

のためにあるという、逆転した関係を展開する。

客 しかし、生産過程の動力となる労働力自身は、資本によって生産される

ものではありません。労働者自身によって再生産されなければなりません。

資本は、労働者による労働力再生産に必要な生活資料を生産し、再生産する

だけです。

主 資本は、再生産過程において、単に生産手段と生活資料とを商品として

生産するだけではない。労働者がその労働力を商品化せざるをえない、とい

う資本家的社会関係をも再生産する。

客 しかし、労働者人口は、自然増殖によっては資本の必要とする労働力を

常には保障しません。

主 それゆえに、資本の再生産過程は、資本主義に特有な人口法則をも展開

するものになる。生産論では、資本の「生産過程」、「流通過程」、「再生産

過程」を解明して、「資本家と労働者との基本的社会関係」を規定する法則

を明らかにしていこう。

ポイント 資本の生産過程は、資本の流通過程の間の一段階

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第1章 資本の生産過程…<資本による労働力の支配>

第1節 労働生産過程

客 資本の生産過程といっても、それ自体は人間の労働過程ですね。労働力

を自然力として対象に目的にそった変化を与え、これを生産物として獲得す

るというものです。

主 その場合、労働力の作用を拡大するために、道具あるいは機械などの労

働手段を用いる。仕事場、工場などの「場所」も労働手段に含まれる。また、

労働は、自然を対象とするだけでなく、それ自身がすでに労働生産物である

ものも対象とする。

客 労働対象物のことを、特に原料といいますね。石炭、油、染料などは、

労働手段や労働対象自身に使用される生産物で、特に補助原料といいます。

【労働過程】=特定の対象に一定の目的で働きかける

労働力 → 労働手段 → 労働対象 → 生産物

(労働主体) (作用を拡大) (自然あるいは労働生産物)

【生産過程】=労働の結果としての生産物からみる

・労働力 … 主体的要因

生産の2要因 → 生産物

・生産手段 … 客観的要因

(労働対象、労働手段)

主 労働過程は、その目的に対する結果としての生産物からいえば生産過程

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だ。労働対象と労働手段とはともに生産手段とされ、労働力もまた生産手段

と共に、生産の二要因をなすとされる。

客 しかし労働力は、生産過程において生産手段と同じ役割を演じるわけで

はありません。

主 すなわち、生産手段は客観的要因だが、労働力は主体的要因だ。

客 具体例で考えます。たとえば、6 キロの綿花と1台の機械を使って、6

キロの綿糸を生産するのに 6 時間の労働を要するものとします。

主 この場合、6 時間の紡績労働の生産物である 6 キロの綿糸は、単に 6 時

間の労働の対象化されたものではない。

客 では、たとえば、6 キロの綿花の生産自身に、20 時間の労働を要したも

のとしましょう。また、機械の生産にも一定の労働を要し、この綿糸の生産

中に消耗される機械部分をたとえば 4 時間の労働が対象化されたものとしま

しょう。

主 そうすると、生産手段自身ですでに 24 時間の労働を要していることに

なる。したがって、綿糸 6 キロは、30 時間の労働生産物ということになる。

・労働力 ( 6 時間)( 3 シリング)

・生産手段 (24 時間)(12 シリング)

綿花 6 キロ (20 時間)(10 シリング)

機械 1台 ( 4 時間)( 2 シリング)

・綿糸 6 キロ (30 時間)(15 シリング) 20 + 4 + 6 = 30 時間

客 もし労働の生産力が増進して、同一時間に従来の2倍の綿糸を生産でき

ることになったとすると、どうなりますか。

主 紡績過程における 6 時間の労働に対応するのは、以前の2倍の生産手段

(綿花 12 キロ、機械のべ 2 台)となり、それらの生産に要する労働時間は 48

時間となる。結果として、12 キロの綿糸が 54 時間の労働生産物となる。

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・労働力 ( 6 時間)( 3 シリング)

・生産手段 (48 時間)(24 シリング)

綿花 12 キロ (40 時間)(20 シリング)

機械のべ 2 台 ( 8 時間)( 4 シリング)

・綿糸 12 キロ (54 時間)(30 シリング) 40 + 8 + 6 = 54 時間

客 ここでは、綿花や機械の生産に要する労働時間が、紡績で綿糸を生産す

る労働時間の構成部分となっています。

主 ここで紡績過程の労働は、二面性がある。一面では、綿花や機械の生産

に要した労働時間を綿糸の生産に要する労働時間の一部としたうえで、綿花

を綿糸に変えている。

客 すなわち、「有用労働」として機能しているということですね。

主 もう一面として、紡績過程の労働時間は、綿花や機械の生産手段に要し

た労働時間と一様なものとして(すなわち同質であるがゆえに合算しうるも

のとして)合算され、綿糸の生産に要する労働時間とされている。

客 すなわち、「抽象的人間労働」として機能しているということですね。

誤解されやすい言葉ですが。

主 このことは、近代の機械工業成立以降に労働の「一様化」が進行しつつ

あることによってはじめて認識されたことだ。

客 前者の労働は、特定の生産物(ここでは綿糸)の生産に適合した「特定

の労働」の面です。後者の労働は、綿花や機械の生産に投じられた労働と同

様に、人間労働力の支出として、「抽象的労働」の面です。

主 この二面は、同一労働の二面にすぎないが、まったく異なった面だ。こ

の二面性によって、生産過程は、特定の生産物を、しかもさまざまな特定の

生産物を生産することができる。

客 マルクスは、この労働の二重性について、「商品に表された労働の二重

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性」として記していますが…

主 そのために、商品を生産する労働に特有なもののように誤解される。じ

つは、むしろ反対に、あらゆる社会の労働に共通なもの(二面性)が、商品

生産においては、商品生産に特有な二重性となってあらわれる。すなわち「特

定の使用価値とともに一定量の価値を生産する」というように。

<有用労働>

・綿花を綿糸に変える。綿花や機械などの生産手段に要した労働時間を新

生産物の綿糸の生産に要する労働時間の一部分とする。

・特定の生産物(綿糸)の生産に適合した特定の労働の面をなす。

<抽象的人間労働>

・紡績過程の労働時間をも綿花その他の生産手段に要した労働時間と一様

なるものとして、新生産物の生産に要する労働時間とする。

・綿花や機械の生産に投ぜられた労働と同様に、紡績労働も人間労働力の

支出としての労働である。

<労働の二重性>…労働力はあらゆる生産物を生産しうる

さまざまな有用労働として使用される…

「あらゆる社会の労働に共通」 → 「商品生産における労働」

有用労働 特定の使用価値

抽象的人間労働 一定量の価値

客 労働力は、もともと、特定の有用労働に制限されることなく、あらゆる

生産物を生産できる、さまざまな有用労働として使用されます。これが労働

の二重性の基礎となります。

主 このことは、人間社会の発展の物質的基礎をなすことになる。なぜなら、

そのような労働の生産物である生活資料を一定量消費することによって労働

力自身が再生産されなければ、その物質的基礎は得られないからだ。

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客 労働力の再生産に要する生活資料は、一定であったり、あるいはある程

度増加したりします。しかし、そうなっても、労働の生産力が増進すれば、

生活資料の生産に要する必要労働時間は減少し、剰余労働時間が増加し、さ

まざまな使用価値をもつ剰余生産物を増産することができます。

主 もともと人間は、1日の労働によって1日の生活資料以上の剰余生産物

を生産してきたので存続してきた。この剰余生産物を生産する剰余労働時間

がどのように処理されるかは、それぞれの社会において生産自身がいかにお

こなわれるかに対応して決定される。

客 その処理のあり方は、歴史的にさまざまな社会形態で区別されます。資

本主義では、古代、中世の社会とどう異なりますか。

主 資本主義では、商品として購入された労働力は生産過程で消費されるが、

その時間の一部分が剰余労働時間となる。したがって、その生産物である剰

余生産物が、資本の生産物として特殊な形態で処理される。

客 剰余生産物が資本のものとなるということは、労働の生産力を増進させ

る動力になりますね。

第2節 価値形成増殖過程

客 資本の生産過程は、労働生産過程で積極的要因となる労働力が、生産手

段とともに商品として購入されておこなわれます。したがって、その過程は

商品による商品の生産過程といってよいのですね。

主 それだけでない。この過程の主体は、もはや直接の生産者である労働者

でなく、資本だ。また、資本家もまた資本の人格化したものとして、この過

程で資本家的作業にあたる。

客 たとえば、労働力の再生産に要する1日の生活資料が6時間の労働で生

産され、その代価を3シリングとしましょう。そして、前節に述べた綿糸の

生産を資本家的におこなう場合、その生産に24時間を要した綿花、機械など

の生産手段に12シリングを支払い、その生産に30時間を要した6キロの綿糸

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を15シリングの価格で販売すれば、いずれも商品として、その生産に要した

労働時間を基準にして売買されることになります。

さらに、生産物である6キロの綿糸の代価のうち、4.8キロの綿糸の代価

で生産手段の代価12シリングが回収され、同様に、1.2キロの綿糸の代価で

労働力の代価3シリングが回収されます。労働者がその労働力の代価として

得る3シリングは、生活資料をうる代価となります。

・労働力 ( 6 時間)( 3 シリング) … 生活資料の購入

・生産手段 (24 時間)(12 シリング)

綿花 6 キロ(20 時間)(10 シリング)

機械1台 ( 4 時間)( 2 シリング)

・綿糸 6 キロ (30 時間)(15 シリング)

4.8 キロ (12 シリング)… 生産手段の代価の回収

1.2 キロ ( 3 シリング)… 労働力の代価の回収

主 この労働力の代価の3シリングは、この生産過程を基礎にして展開され

る商品交換関係の媒介をなすものにすぎない。そして、このような労働者と

紡績資本家との関係は、紡績資本家と生活資料の生産をおこなう資本家との

売買関係をも規制することになる。

客 たとえば、紡績資本家が6時間の労働生産物を3シリングで販売してい

るのに、生活資料の生産をおこなう資本家が5時間の労働生産物を3シリン

グで販売しているとすれば、それは労働者に対してその生活資料を十分に与

えないことになります。

主 紡績労働者は6時間の労働生産物の対価3シリングを受け取っても、こ

れを交換に出して得られるのは5時間労働分の生活資料だけだ。

客 そればかりではありませんね。生活資料を生産する資本家は、生活資料

を5時間の労働生産物として販売してえる対価が、紡績資本家が綿糸を6時

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間の労働生産物として販売してえられる対価と同じというならは、それだけ

で紡績資本家が利益を得るよりも優位に立ちます。紡績資本家としては、綿

糸の生産をこのまま続ける意義を失うことになります。

主 資本家は、労働力と生産手段との購入に要した貨幣を、生産物の販売に

よってできる限り多く回収しようとする。

客 その際には、労働者はその労働力の再生産に要する生活資料は必ず得な

ければならない、という事情が基礎となっています。また、資本家は生産手

段とともに労働力をも商品として購入して、任意の商品を生産しうるという

ことが基礎となっています。

主 いいかえれば、資本家と労働者との生産関係が商品形態で結ばれる、と

いうことが基軸となっている。その上で資本は、その生産物をその生産に要

する労働時間を基準として互いに交換することになる。

客 たとえば、労働者は自己の6時間の労働生産物を、たとい自ら生産した

生活資料にしても、直接には得ることができません。

主 3シリングの労働力の代価を通して買い戻さなくてはならない。

客 それは単に労働生産物が商品として交換されるというのではなく、生産

過程自身が商品形態でおこなわれることを示しているのですね。

客 「あらゆる生産物がその生産に要する労働時間によって得られる」とい

うのは、労働生産過程の「一般的原則」だが、それが商品経済の下にあって

は、その交換の基準としての「価値法則」としてあらわれるわけだ。

ポイント

労働生産過程の一般的原則…あらゆる生産物は生産に要する労働時間に

よって得られる

商品品経済下の価値法則 …労働時間が商品交換の基準となる

客 資本家は、労働力を商品として買い入れるさいに、1日6時間の労働時

間に留める理由はありません。

主 労働者も、1日の生活資料の購入に要する3シリングを得るために、1

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日 12 時間の労働時間という条件で労働力を販売せざるをえないという事情

に置かれる。

客 こうしたとき、1日の労働が 12 時間おこなわれると、紡績資本家は、

1人の労働者の1日の労働によって、12 キロの綿糸を生産できます。

労働力に3シリングを支払い、生産手段に要する資本に 24 シリングを支

払って、綿糸 12 キロを生産すると、それは 30 シリングで販売できますから、

資本家は3シリングの剰余価値を得ることになります。

・労働力 (12 時間)( 3 シリング) …生活資料の購入

・生産手段 (48 時間)(24 シリング)

綿花 12 キロ(40 時間)(20 シリング)

機械 2 台 ( 8 時間)( 4 シリング)

・綿糸 12 キロ (60 時間)(30 シリング)

9.6 キロ (24 シリング)…生産手段の代価の回収

1.2 キロ ( 3 シリング)…労働力の代価の回収

1.2 キロ ( 3 シリング)…剰余価値=資本家の利潤

主 資本は、労働力の価値を支払って労働力を買い入れ、その労働力が資本

の生産過程において新しく形成する価値によって、資本自身が価値を増殖す

る、ということだ。

客 実際上は、資本家は、生産手段も労働力も、できる限り安く買い、その

生産物はできる限り高く売ることに努力します。そうして得られる剰余価値

というのもありますが。

主 たしかに、そういう商人資本的な活動による剰余価値も、「個別資本」

にとって利潤となる。しかし、それは社会的には何ら新しい価値を形成した

ことにはならない。

客 つまり、そういう剰余価値は、資本が全体としてえるものとして、資本

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の価値増殖過程を理論的に説明するものではないのですね。

主 理論的には、先ほど見てきたように、商品が互いにその価値を基準とし

て交換されながら、しかも新しく資本の価値増殖がなされる、ということが

解明されなければならない。

客 それが、資本の生産過程において、労働力が消費されることによって、

労働が価値を形成する過程を基礎として解明されるわけですね。

主 いいかえれば、「労働者の資本家に対する関係」によって初めて解明さ

れるということだ。

客 しかし、個々の資本家は、私的生産者にすぎません。

主 だから、自らが生産する商品が、社会的にどれくらい需要されるか、ま

た他の資本家がどれくらい生産するか、さらに根本的には生産に要する労働

時間(価値形成の基準)などを予め知ることはできない。

客 需要供給の関係による価格変動を通して、事後的に社会的規制を受ける

わけですね。

主 この規制は、一方では、それぞれの商品の生産に要する労働時間を一定

の社会的基準に一様化する。他方では、全社会の労働力をそれぞれの商品の

社会的需要に応じて配分することになる。

客 個々の資本家にとっては、外部から強制される法則として作用するわけ

です。

主 この法則は、自然法則と異なり、個々の資本の下に労働する人間の行為

自身によって形成される法則だ。いいかえれば、人間が自ら形成する法則に

よって支配される、ということになる。

客 マルクスが述べた「商品経済の物神崇拝的性格」のことですね。

主 商品の価格は、直接に人間の労働の対象化されたものとしてではなく、

商品が物としてもつものとされ、また変動するものとされる。したがって価

値関係は物の社会的関係としてあらわれ、貨幣は商品に対して物として直接

に価値物とされる。こうした商品経済に特有な性格は、じつは生産過程自身

に基づいている。

客 ここでその根拠が明らかになります。

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主 すなわち、貨幣である金をも含めて、あらゆる生産物が、労働力の商品

化によって、すべて商品として資本によって生産される。貨幣である金自身

も、その生産に要する労働時間の変化とともに、その価値を変化させながら、

商品の価値を尺度する。

客 実際に、資本の生産過程においては、人間の行動自身が資本の運動とし

てあらわれます。その「物化」が現実的になります。

主 こうして、労働の生産力の増進も、資本の生産力の増進としてあらわれ、

生産方法の発展も、この特殊な形態の下に促進されることになる。

第3節 資本家的生産方法の発展

1 絶対的剰余価値の生産

客 産業資本形式で展開される資本の運動は、「その運動過程のうちに」剰

余価値を生産します。商人資本のように、単に商品を安く買って高く売ると

か、金貸資本のように、貨幣を貸し付けて利子を加えて回収するというよう

に、「外部から」剰余価値を得るのではありません。

主 しかし、この価値増殖は、もっぱら労働力に投下された資本によるので

あって、生産手段に投下された資本は、その価値を新たな生産物に移転され、

保存されるに過ぎない。しかもその移転、保存も労働によって行われる。

客 そもそも商品、貨幣、資本の価値は、単に商品、貨幣、資本自身が持つ

ものではなかったですね。

主 それらは、人間の労働の対象化したものとして、人間関係がものとして

あらわれたものに他ならない。資本の生産過程は、そういう人間関係の新た

な形成過程として、価値を形成し、増殖する。生産手段は、生産過程におい

て使用されるものであっても、新たな価値を形成するものではない。

客 そういうわけで、マルクスは、可変資本と不変資本とを区別するのです

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ね。

主 労働力に投下される資本は、新たなる価値を形成し、剰余価値を増殖す

るものとして、「可変資本」と呼び、生産手段に投下される資本は、その価

値を新生産物に移転されるに過ぎないので、「不変資本」と呼んだ。

可変資本 労働力に投下される 新たなる価値を形成し剰余価値を増殖する

variables Kapital

不変資本 生産手段に投下される 価値は新生産物に移転されるが、増えない

constantes Kapital

客 生産手段の価値は、生産手段として使用される生産過程の外で決定され

ます。そしてその増減は、新生産物の価値にそのまま移転されてあらわれま

す。これに対して、労働力の価値の増減は、新生産物の価値の増減としてそ

のままあらわれるのではありません。

主 一定の価値を支払って買い入れた労働力は、資本の生産過程ではもはや

「価値」を有するものではなく、その「使用価値」が労働として新たに価値

を形成するのであって、生産手段のようにその価値を移転されるものではな

い。

客 剰余価値は、労働力の買い入れに支払われた価値と、この新たなる価値

との差額です。

主 したがって資本にとっては、労働力の使用価値をできる限り利用するこ

とが剰余価値の増加をもたらすことになる。

客 そのため、労働時間をできる限り延長したり、一定時間における労働力

の消費をできる限り強化することがその目標になります。

主 一般の商品の場合、その使用価値は直接に人間の欲望を満足させる消費

対象となるが、資本による労働力の消費の場合、労働力の使用価値は、直接

的な消費の欲望に制限されない、価値増殖という無制限な要望の対象となる。

客 制限のない価値増殖が、資本にとっての基本的原理となるのですね。

主 労働者の生活資料の生産に必要な、いわゆる「必要労働時間」に対して、

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それを超過して「剰余労働時間」をできる限り延長することになる。

客 これが、労働者に対する資本家の基本的関係を規定する「絶対的剰余価

値の生産」ですね。

主 マルクスはこれを「剰余価値率」で表し、労働力の搾取度を示すものと

した。

m剰余価値率= (vは可変資本、m は剰余価値 Mehrwert)

v

v 1なお、労働分配率= =

v+m m1 +―

v

2 相対的剰余価値の生産・特別剰余価値の生産

客 絶対的剰余価値の生産だけでは、資本の価値増殖は、一定の限度があり

ます。労働時間の延長も労働の強化も、比較的限られた範囲でしかできない

からです。そこで、剰余価値率が一定の場合には、資本量を増加することで

発展しようとします。

主 ところが資本は、すでに最初からある程度の数の労働力を買い入れるこ

とを前提としているので、何らかの方法でそれを「社会的労働」とすること

によって、「生産力の増進」を利用することができる。またそれを利用せず

にはいない。

客 労働の生産力が増進すれば、1日の労働時間が一定であっても、労働者

の生活資料の生産に必要な労働時間は減りますね。

主 そうなると、結果として剰余労働時間は増加することになる。これが「相

対的剰余価値の生産」となる。

客 こうして資本主義は、一般に生産力を増進しようとする特殊な動力を与

えられ、生産方法の急速な発展を実現することになるのですね。

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主 もっとも「個々の資本」は、直接にはこのような一般的な相対的剰余価

値の生産をめざして生産力の増進を図るわけではない。

客 他の資本がまだ旧来の方法を採用している間に、新たな方法を採用して

生産に要する労働時間を減少すれば、剰余価値を個別的に手に入れることが

できます。それが目的となって新たな方法の採用が促進されるわけです。

主 いわゆる「特別の剰余価値」の生産をすることになる。

客 もちろん、この新たな方法が普及すれば、その商品の価値自身が低下す

ることになり、特別の剰余価値は得られなくなります。

主 しかしその結果は、生産力の増進によって、一般的に必要労働時間が減

り剰余労働時間が増加し、剰余価値の生産が増加することになる。

客 つまり資本は、個々の個別的利益を直接の動機としながら、一般に社会

発展の物質的基礎となる生産力の増進をもたらす生産方法の発展を実現す

る、ということですね。

主 それも、資本主義に特有な価値増殖の形態をとって、従来のいかなる社

会にもみられなかった速度と規模で実現することになった。

<絶対的剰余価値の生産>

資本A 必要労働時間 剰余労働時間

6時間 6時間

資本A’ 必要労働時間 剰余労働時間

6時間 8時間 (2時間)

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<特別剰余価値の生産>

資本A 必要労働時間 剰余労働時間 通常の生産方式

6時間 6時間

資本B 必要労働時間 特別剰 剰余労働時間 Bのみが新しい生産方式

4時間 余価値 8時間 剰余労働時間を増やす

Bの個別的利潤

<相対的剰余価値の生産>

資本A 必要労働時間 剰余労働時間

資本B 6時間 6時間

資本A’ 必要労働時間 剰余労働時間 社会全体で必要労働時

資本B’ 4時間 2時間 8時間 間が減じても全体の労

働時間を減じない

3 協業と分業(主体の強化)

客 資本家的生産方法の一般的な特徴は、一定数の労働者を同一場所に集め

ておこなわせる協業の普及です。実際上は、マニュファクチュア(工場制手

工業)において、早くから分業を利用しました。

主 旧来の個人的生産においては、個々の生産者が作業過程の全体にわたっ

て熟練することが必要だった。これに対してマニュファクチュアは、作業過

程を分割し、労働者を部分労働者とすることによって、不熟練労働者を多く

利用することが可能となった。

客 これによって、労働力の単純化と平等化とへ道をひらき、資本にとって

は労働力商品化の実質的基礎を拡大しました。

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主 ただし、近代初期の問屋制度を採用する「商人資本」が個々の生産者か

ら得る収奪的利益を圧倒できるものではなかった。機械的大工業が発展した

とき、はじめて工場生産が手工業生産や独立小生産者による生産の存在を許

さなくなる。

客 すなわち機械は、一方では作業を労働者の手から奪って労働を単純化し、

熟練労働者を不要にすることによって労働者の範囲を広く婦人、少年などに

まで拡大します。同時に、他方では多数の道具、大規模な道具を使用するこ

とによって、労働の生産力を著しく増進します。

主 こうして労働者は、機械的大工業の普及とともに、資本家的工場に働く

以外には、その生活を維持し得なくなる。

客 協業は、資本家を多数の労働者の監督者とし、マニュファクチュァは、

資本家をその組織者としました。機械的大工業では、多数の労働者の監督や

組織が機械を通して行われることになり、資本家は権力者化しました。労働

者は、機械の下に従属的に労働するに過ぎず、社会的労働の生産力の増進も

完全に資本の生産力としてあらわれました。

主 もっとも、資本主義も産業の機械化を一挙に実現するものではない。イ

ギリスにおける18世紀末から19世紀初めにかけての産業革命も、16、7世紀

以来の羊毛工業におけるマニュファクチュアの発展を基礎として、綿工業の

紡績、織布の工程の機械化によって実現された。

客 従来、農業と直接的に結合されて行われてきた衣料品工業が資本主義化

されることによって、基礎産業としての農業と工業とが分離され、これが商

品経済的に関係づけられ、国内市場が形成されました。

主 同時に、労働者の生活資料も全面的に商品化されて、一社会が根底から

商品経済化し、資本主義社会が確立したのだ。

分業と協業は、主体的要因を強化し、生産力を高めた

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4 階級関係の隠蔽(労働力商品の売買か、労働の代価か)

客 資本主義は、豊富な物質的生活資料と生産手段を生産することを可能と

しましたが、このことは直ちに労働者の生活を豊かにしたり、あるいはその

労働を軽減したりはしませんでした。

主 というのは、資本は、機械を剰余価値の生産増加という特殊な目的で使

用する。また、機械的大工業の発展によって、単純な労働力の商品化が確立

したにもかかわらず、それを「労働賃金」という形態で売買していた。

客 資本家にも労働者にも、「労働力の売買」としては意識されなかったの

ですね。また経済学も、長い間、この形態規定をそのままに受け取ってきま

した。

主 「賃金」によって1日の「労働の価値」が支払われれるものと考え、資

本の利潤の源泉となる剰余価値を科学的に解明することができなかった。そ

の誤りは、奴隷の労働がすべて不払い労働とされるのに匹敵するものだ。

客 剰余生産物についての理解が全くないのですね。もともと「労働賃金」

という形態は、大工、植木屋などが、いわゆる職人としての仕事に対して受

け取る報酬を意味します。

主 近代的賃金労働者は、単なる「労働力」を商品として販売するわけであ

って、職人が受け取る報酬とは異なる。

客 賃金労働者の賃金が、「労働力商品の代価」としてでなく、「労働の代

価」とされると、労働日が必要労働と剰余労働とに分かれることが、いっさ

い消し去られます。

主 賃金労働者が置かれる階級関係が、商品形態規定の背後に隠され、それ

自身には何らの階級関係でもないものとして現れる。

客 賃金労働者が無償で労働することが、こうした貨幣関係によって隠蔽さ

れるのですね。

使用価値 価値

自営職人 職人仕事 労働賃金

賃金労働者 工場労働 生活費用

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5 搾取を強化する賃金形態(時間賃金、個数賃金)

客 労働力の売買を労働の売買と見なす賃金形態は、時間賃金、あるいは個

数賃金として支払われることによって、もっともらしい形態となっています。

主 それらは、もともと1日の労働力の価値を、通例の1日の労働時間で割

り算し、「時間あたり賃金」、あるいは出来高で割り算し「1個あたり賃金」

としたに過ぎない。

客 時間賃金や個数賃金が、その「労働の代価」とされれば、資本は労働者

に対して、1日の労働力の価値を支払わずに、労働力を任意に利用する手段

となってしまいます。労働力の売買量を資本のほしいままに増減できるわけ

です。

主 また、残業手当、あるいは出来高によって賃金が増加するということも、

労働時間を延長したり、労働を強化する手段になる。

客 このような労働時間の延長または労働強化によって生産額が増加するこ

とは、たとい賃金が増加がされるにしても、結局は資本の剰余価値率を高め

ることになりますね。

主 こうして、機械大工業によって労働力商品化が実質的に完成すると、こ

の賃金形態を通して、資本にとって労働力の購入にあてられる「可変資本」

部分は、生産手段の購入にあてられる「不変資本」部分と同様に、資本の生

産過程に必要な費用(いわゆる生産費)として一様化する。この処理は、資

本としては当然といってよい。

客 もちろん、労働者も経済学者も、これらを区別できなければ、資本と同

様に当然と考えるのでしょうね。

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第2章 資本の流通過程…<価値増殖過程の規定と条件>

客 「資本の生産過程」は、「価値形成増殖過程」として実現するとしても、

それは、ほんらい「資本の流通過程」に包摂されてのことです。このことか

ら、資本に、どのような規定が与えられますか。

主 資本は、「価値形成増殖過程」の側面としては、「生産手段の生産に要

した労働」と「労働力による新たな労働」とを、ともに「生産物の生産に必

要な労働」とする。しかし、「資本の流通過程」の側面としては、生産手段

も労働力も「商品として購入されたもの」として生産に必要な「費用」とす

る。そして、その費用ができる限り安く買い入れられること(生産物はでき

るだけ高く売られること)で、生産費が少なくなり価値増殖となる。

客 つまり、生産過程における「価値形成増殖過程」も、このような「個々

の資本」による価値増殖の現実的過程の中に、包摂されるということですね。

主 そのときに、生産過程に要する時間は、「生産物の生産に要する時間」

ではなく、生産条件としての労働力と生産手段とに投下された資本が新たな

商品として出現するために必要とする「生産期間」となる。

客 その「生産期間」は、資本の価値増殖を制約するものとなるのですね。

主 それだけではない。流通過程に必要とされる時間としての「流通期間」

も、価値増殖を制約するものとなる。

客 先ほどは、生産条件としての「労働力」と「生産手段」が「費用」とさ

れることを見ましたが、もしかしてこの「流通期間」もですか。

主 たしかに、生産、流通の「期間的経過そのもの」も費用化される。これ

は後に詳しく考えよう。とにかく資本は、貨幣形態にあるにせよ、商品形態

にあるにせよ、あるいは生産過程にあるにせよ、すべて一様に、費用化する。

客 すべてが「遊ばせてはおけないもの」ということですね。

主 もちろん、このような資本の流通形態が、生産過程における「価値の形

成増殖の事実」を解消するわけではない。むしろ、その事実の外的形態とな

る。

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客 そういう内実は、直接かつ正確には示されないのですね。

主 「個々の資本」としての利潤の獲得の内に、その実質的根拠となるもの

として把握される。これは、商品経済として当然なことで、形態的回り道と

いえる。

客 「個々の資本」は、その商品生産物の販売によって、G-Wに投下した

「生産費」に対する「販売価格」の超過分として利潤を獲得しながら、その

内実として「生産過程において価値増殖」を実現しています。

主 つまり個別的には利潤が増減したりするが、社会的には利潤は一定の基

準をもつことになる。というのは、資本の運動は特殊な形態をとっているが、

その運動の基礎は「資本の生産過程における価値増殖」だからだ。

客 ただそれが商品経済的に直接的にはあらわれないで、資本の流通過程に

おける現象形態通してあらわれるということなのですね。

主 こうして流通論で与えられた形態規定が、資本の生産過程によって、そ

の実体的根拠を明らかにされ、資本もその価値増殖を法則的に規定されるわ

けだ。

客 しかし、資本の価値増殖が実体的根拠に基づいて法則的に規定されるか

らといって、もちろん資本の流通運動が形態的に規定されなくなるというわ

けではないですよね。

主 むしろ、資本は「生産過程」を商品経済関係に包摂して特有な「形態的

運動」を展開する。

客 そこで、その資本の循環や回転運動の規定が展開するのですね。

ポイント 生産過程における価値形成増殖の実体的根拠は、

資本の流通過程の現象形態を通してあらわれる

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1 貨幣資本、生産資本、商品資本(資本運動の三面)

客 すでに見てきたことですが、資本は、価値の運動体として、終点G’か

ら始点Gに帰って同じ過程を繰り返します。

主 この循環運動は、貨幣から始まり貨幣で終わる「貨幣資本の循環G-W

…P…W’-G’」だけでなく、生産過程Pに始まる「生産資本の循環P…

W’―G’・G―W…P」、さらにまた商品資本W’に始まる「商品資本の

循環W’―G’・G―W…P…W’」として進行する。

貨幣資本の循環 G - W … P … W’- G’

生産資本の循環 P … W’- G’・G - W … P

商品資本の循環 W’- G’・G - W … P … W’

客 それらの循環が、産業に投下された資本の運動を三面で示すということ

ですが、具体的にはどういうことでしょうか。

主 実際上は、生産過程が継続的に行われるように、全資本が一定の割合で、

貨幣資本G、生産資本P、商品資本W’に配分される。

たとえば、資本の基本的部分が生産過程にある間に、他の部分はG―Wの

過程にあって次の生産を準備し、さらに他の一部分はすでに生産物として市

場に出て、W’―G’の過程に入っている、という具合だ。

客 資本の運動は、その姿の変態過程として「時間的」に展開されます。た

だ、すべてが一斉に変態するのでなく、配分された部分ごとに、いわば「空

間的」に並んでそれぞれが順次進行するということですね。

主 たとえば、工場と販売部と会計係とが、常に同じ生産、販売、出納の事

務を繰り返しているとき、資本は、順次にその各部分を通過して価値増殖を

実現する、というわけだ。

客 ところで、マルクスは、生産過程にあって価値形成増殖を実現しつつあ

る資本を「生産資本」と呼び、商品、貨幣として流通過程にある資本を「流

通資本」と呼んで、区別しています。

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主 「流通資本」は商品として販売されて貨幣となり、その貨幣によって生

産手段と労働力とが商品として購入されると、「生産資本」に転化する。「生

産資本」はまた生産過程を終わると、商品として「流通資本」に転化する。

客 「生産資本」と「流通資本」は、つねに互いに転換する運動体として、

資本の二面となっています。言い換えれば、現実の資本は、「生産資本」に

あるものと、「流通資本」にあるものとの総合として構成されるのですね。

<資本の運動と経済学説>

G’… G 重商主義(商人資本的性格・貨幣増殖が目的 )

P … P 古典派・リカード(「生産のための生産」)

W' … W' ケネー(個別資本の「社会的関係」、その再生産表式をマルクスが評価)

2 流通期間の費用化

(1)純粋な流通費用・運輸費・保管費

客 以前に、「資本の流通過程」は、価値増殖を目的にして、生産過程にあ

る「生産資本(生産手段・労働力)」を費用化するとともに、「生産期間」

も「流通期間」も費用化する、ということを見ました。「生産資本の費用化」

では、その費用を「買い入れるときはできるだけ安く」することで生産費が

減少し、価値増殖となります。

主 価値増殖を制約する「生産期間」は、費用化し短縮するにしても、生産

過程の技術的規定に従って一定化される。しかし、「流通期間」の方は必ず

しも一定しない。そこでこの費用化される「流通期間」の短縮と均等化が課

題となる。

客 そこで、まずは商業資本の役割ですね。

主 商品の販売のために、店舗を開き、通信し、帳簿に記入するなど費用を

「純粋な流通費用」というが、この費用の節約と平均化の役割を担うのが、

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独立の資本としての商業資本だ。もっともこれは、商品経済に特有のことで

あって、商業資本がその役割を果たすことは、価値を形成することにはなら

ない。

客 「流通期間の費用化」として、他にはどのようなものがありますか。

主 「保管の費用」は、商品が流通過程に留まる間、その使用価値が損傷し

ないようにする費用。「運輸の費用」は、生産場所から販売場所に移転する

ための費用。この保管費・運輸費は、価値を形成しない販売費と区別される。

使用価値としての商品に実質的関連をもつのだ。

客 それらは新しく使用価値を形成するわけではありませんが、あらゆる社

会に共通に必要とされる費用です。

主 運輸は、「流通過程に延長された生産過程」であり、保管は、「流通過

程における消極的な生産過程」として、商品に新しく価値を追加していると

言ってよい。

客 価値を追加するものと追加しないものとは、理論的にはどう異なります

か。

主 価値規定の基礎があらゆる社会に共通に要する労働費用にあるか、それ

とも商品経済に特有なものか、ということだ。

客 「人の輸送」については、サービス産業の発展として考察することにな

り、『原理論』でなく、段階論・現状分析での問題となりますね。

(2)生産資本の費用化(固定資本・流動資本の扱い)

客 産業資本の循環(回転)の期間的構成を考察するときに、三循環(貨幣

資本の循環、生産資本循環、商品資本の循環)の運動を代表するものが、一

般には「貨幣資本の循環」です。

主 なぜなら、貨幣資本の循環では、貨幣Gが資本投下の出発点となりG’

が終点となるが、そのG’が資本の目標である価値増殖を計量し表示する唯

一の標準となるからだ。

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客 「貨幣資本の循環」を構成するのは、まず「購買期間」と「販売期間」

からなる「流通期間」です。そこでは資本が商品、貨幣として存在します。

次に、一定量の商品の生産に要する「生産期間」、さらにまたその「生産期

間」の一部分となる「労働期間」です。

<貨幣資本の循環形式>

G - W … P … W’ - G’

①購買期間 ②生産期間 ③販売期間

・流通期間=①購買期間+③販売期間

・②生産期間>労働期間

(農業生産や醸造生産などの生産期間には、労働期間を含まない自然的経

過期間がある)

主 それぞれが「一定の期間」を要する。だから、一般に資本の価値増殖を

制約する「回転の速度」を測る基準とされるのだ。

客 しかし、たとえば機械の価値は、循環運動の一回転とともにその全部が

回転するわけではありませんね。

主 そもそも生産資本は、その機能によって、二つに分けられる。一つは「固

定資本」であり、ひとたび生産過程に投下されると、一定期間はそのまま生

産過程に留まりながら、その使用期間に応じてその価値を一部分ずつ生産物

に移転され回収される。もう一つは「流動資本」であり、原料のような生産

手段で、新たな生産物の生産とともにその全価値を新生産物に移転され回収

される。

客 その区別は、生産資本としての機能による区別であって、貨幣資本、商

品資本としての区別ではありませんね。

主 具体例でいうと、同一物でも、耕作に用いられる牛は固定資本だが、肥

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育のための牛は流動資本だ。もちろん、商品として売買されるときは、すで

に生産資本でなく、商品資本だ。固定資本でも、流動資本でもない。

客 造船材料は、長期の生産期間を必要としますが…

主 それは流動資本であって、固定資本ではない。生産過程の期間の長短に

よる区別ではないのだ。

客 それから、海運事業で使用される船舶は、つねに場所的に移動していま

すが、固定資本にということになりますね。居場所が固定していなくても固

定資本、ということです。

主 固定資本は、貨幣資本の循環の中では、新たな生産物に移転され回収さ

れる他の流動資本部分の価値とともに、その価値の一部分を貨幣として回収

される。そして、いわゆる償却資金として積み立てられ、固定資本の更新に

あてられることになる。

客 すると、この循環運動は、この固定資本の償却が終わるまで連続して行

われるような制約を受けますね。特に理由がなければ。

生産資本 固定資本 耕作用の牛 造船機械、ドック、海運の船舶

流動資本 肥育のための牛 造船材料

貨幣資本 売却された牛の代金(投資用)

商品資本 売却される牛

(3)労働力の費用化(可変資本の積極的意義)

客 労働力は、資本にとって、一般に流動資本ですね。

主 あくまで資本にとって、労働力に投下される可変資本部分は、原料など

の流動不変資本とともに、一回の生産過程の生産物の販売によって回収され、

再び投じられるものだ。そういうものとして、流動資本とされる。

客 しかし、生産過程においては、すでに価値をもつものではなくなってい

ます。

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主 たしかに、販売するものでないという点で、価値をもつものではない。

しかし、使用価値としては、価値を形成するものだから、労働させなければ

その価値を回収できない。。

客 その意味で、ほんらいの流動資本ではないのですね。

主 この資本部分(可変資本)こそが資本価値を増殖させるものなのだ。だ

から、資本の価値増殖に対しては、資本の回転速度が積極的な役割を持つ。

客 可変資本部分の回転が速いほど資本の利潤率が高まるというということ

ですね。

主 一般に「資本の流通過程は、回転速度によって価値増殖の制約を受ける」

のだが、これは、流通過程の性質からして時間的経過が消極的制約となる、

というのに過ぎない。これに対して、可変資本部分の回転速度は価値増殖に

積極的意義を持つ。これは見失われやすい。生産手段としての固定資本部分

や流動資本部分の回転とは異なるのだ。

客 たしかに、固定資本部分は、その回転に何年を要するにしても、資本の

価値増殖にはそれ自身としては関係のないことですね。

(4)貨幣資本の費用化(商業資本・銀行資本による節約)

客 商品、貨幣が、長い間、流通期間にとどまることは、価値増殖を妨げま

すね。

主 商品、貨幣の形態にある資本部分は、その流通期間の長短によって、資

本の価値増殖を消極的に制約する。とくにW’-G’に一定の期間を要する。

その間、生産過程がその固定資本を遊休させないためには、追加資本が必要

となり、必要資本額を増加させる。

客 つまり、商品の販売が遅れて流通期間が延長されれば、それだけ可変資

本を含む流動資本部分を補うために、貨幣資本を増加する必要が出るという

ことですね。

主 反対にその期間が短縮されれば、貨幣資本の剰余を生ずる。

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客 そういうわけで、独立した商業資本が、流通資本としての商品を貨幣へ

と転化させる業務を、産業資本から引き受けるのですね。それは、商業資本

が「純粋な流通費」の節約と平均化を担うということとは別に、貨幣資本を

節約したり剰余を生むことに寄与するということになります。

主 同様に、銀行資本は、産業資本の間に入って、その剰余の貨幣資本を相

互に資本家的社会的に利用させ、その増減を調節する金融機関となる。

客 商業資本も銀行資本も、産業資本の機能の一部分を引き受けるものと言

えますね。

主 商業資本は、商品を買い取って販売を引き受ける。これに対して銀行資

本は、より内部的に産業資本の運動にかかわる。これは産業資本の外にある

金貸資本ではない。

3 剰余価値の行方(流通からの分離と再生産過程)

客 いよいよ資本循環の最終局面です。W’-G’の過程において、はじめ

て、労働によって新しく生産された価値が流通します。ただし、それは労働

力に投下された可変資本部分が、新生産物に価値を移転された、というわけ

ではありません。流通形態規定により、不変資本部分と同様に貨幣として回

収されたものとされ、剰余価値部分は、資本の価値増殖分として確定されま

した。

主 この剰余価値部分は、資本の流通と分離できることになる。資本Gに対

して、gとして分離されると、それは、資本家の個人的消費のために支出さ

れることにもなる。または、gが資本Gに一部また全部を加えられて資本の

流通に入りことにもなる。

客 前者は、単純再生産として、従来の生産過程をそのまま繰り返します。

後者は、拡張再生産として、より大きな資本による生産を始めます。

主 いずれの場合も剰余価値gは、資本の流通から離れ、自由に使用しうる

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資金となり、多かれ少なかれ貨幣形態に留まる。そして、それはその間、銀

行を通して流通上の余剰資金とともに資本家社会的に利用されることにな

る。

客 しかし、資本の流通過程から見ると、資本の運動が剰余価値gの実現を

究極目標とし、剰余価値が貨幣のままに蓄積されるということにはなりませ

ん。

主 もちろん、資本はGをより多くの価値G’に実現することを目標とする。

Gが再び資本としての運動を続けられるのと同様に、gもGに加えられて拡

張再生産となるのが原則だ。

客 それは単により多くの貨幣の蓄蔵を目標とするものではなく、拡張再生

産をおこなうために資本を蓄積する、ということですね。

主 当然のこととして、剰余価値の一部分が多かれ少なかれ資本家の個人的

消費に当てられる。

客 こうしてみると、資金としての貯蓄は、一時的姿態にすぎません。

主 資本家の個人的消費として、あるいは資本Gに加えられて、流通g-w

が展開される。

G - W …… PW’-G’・

g - w

客 剰余価値部分は、資本の流通過程に、付属的な流通となります。

主 こうして資本は、その再生産過程を展開する。

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第3章 資本の再生産過程

第1節 単純再生産 -資本の再生産と労働力の再生産-

客 あらゆる社会が、社会存続の絶対的基礎となる過程を不断に繰り返して

います。それは、次のようなものです。

生産過程は、労働力と生産手段とを消費して物を生産します。生産物の中

には、生産過程で消費される生産手段が含まれ、物の生産過程は同時にその

再生産過程でもあります。労働力は、この生産過程の生産物の消費によって

再生産されます。

主 資本主義社会は、この過程を資本の不断の運動として実現する。それは、

あらゆる社会に通じる経済原則を、商品経済に特有な法則の内に実現するこ

とになる。すなわち、生産過程における物の生産が、価値法則に規制されつ

つその再生産過程となる。同時に、労働力もまた消費過程において商品とし

て販売される労働力として再生産される。

客 ただし労働力の再生産過程は、ほんらい消費過程であって、生産過程で

はありません。

主 労働力商品は労働者の生活の内に再生産されるのであって、物としてま

た商品として生産されるわけではない。しかし、労働力の商品化は、労働力

の再生産を労働力商品の生産過程として強制する。

客 たしかに、労働力の消費過程が物の生産過程とされ、物の消費過程が労

働力の生産過程とされてはいますが、生産過程と消費過程との同一視は許さ

れるものではありません。生産過程は物の生産過程であって、消費過程は物

の消費過程です。

主 生産過程における生産手段や労働力の消費も、生産的消費といわれるが、

それは決して本来の消費過程となるものではない。

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消費財市場…(労働力再生産)…労働市場

↑ ↓

A 消費財 A

G ― W …P… W' ― G ' G ― W …P…

Pm 生産財 g Pm

生産財市場

客 資本は、W’-G’を実現すると、次の生産のために、生産過程で消費

した生産手段を再び購入します。固定資本部分に対しては、その将来の更新

のために償却資金を積み立て、一方では労働力を購入します。

主 労働力の代価として支払われる賃金は、労働者が資本のもとに生産した

生活資料を買い戻すための貨幣になる。労働力を商品として販売し、資本の

もとに労働する労働者は、自ら生産する物をも資本の生産物として生産し、

労働力の再生産に必要な生活資料も賃金によって買い戻さなければならな

い。

客 いいかえれば、物の生産過程が資本の生産過程として進行し、物の消費

過程が賃金労働者の生活として進行し、両者が商品形態で価値法則に規制さ

れながら連結されています。

主 こうして資本の生産過程は、生産手段と生活資料とを再生産しつつ、資

本自らでは生産できない労働力を、労働者の生活を通して再生産することに

なる。

客 それは、物の再生産過程でありながら、同時に資本家と労働者との社会

的関係の再生産過程です。労働者の今日の労働は、新たな生産物とともに、

価値と剰余価値とを生産しながら、明日の自分の社会的地位を賃金労働者と

して再生産するということです。

主 労働力の商品化が、労働者に労働力を商品として再生産させる。すなわ

ち、生産物を資本の生産物とすることに対応して、自らを賃金労働者として

再生産するわけだ。

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客 こうして労働者の個人的生活は、つねに資本の生産および再生産の一つ

の契機(構成要素)となるのですね。

主 たしかに、労働者がその個人的消費をおこなうのは、自分自身のためで

あって資本家を喜ばせるためではないが、このことは、労働者の役割を少し

も変えるものではない。

客 しかし、労働者は、その労働力を商品化するにしても、労働者自身を商

品化するものではありません。奴隷のように物化されるわけではないのです。

労働者は、生産物と価値の生産とともに、

自分の社会的地位を再生産している

第2節 拡張再生産 ―資本家的蓄積の現実的過程―

客 資本の本性として、剰余価値は多かれ少なかれ資本に転化され、拡張再

生産が行われます。

主 剰余価値は、その一部分が資本家の個人的消費にまわり、残りの部分が

できる限り蓄積されて一定の期間に蓄積資金を形成し、その後に資本化され

る。

客 「個々の資本」としては、商品W’の販売によって得たGを生産手段と

労働力へ再転化する際に、蓄積しておいた剰余価値を適当なときに資本に加

えます。

主 それには、生産手段と生活資料との追加的な生産を、資本が「社会的」

に行うことが必要になる。しかしその追加的生産も、追加的労働力がなけれ

ば再生産を拡張できない。

客 すると、資本の蓄積は、資本が自ら生産することのできない労働力の追

加をいかにして調達するか、という点にかかってきます。

主 しかし労働力は、労働者の生活のうちに再生産される。労働力の単純再

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生産においても、単に労働力の再生産(労働者の生活)にとどまらず、労働

人口の自然増殖(子どもが労働者に育つこと)を伴うものだ。

客 つまり、労働力の単純再生産は、資本の拡張再生産に対して、ある程度

の基礎を与えますが、それは資本の拡張再生産にとっては、「外部から」与

えられる条件だということですね。追加労働力が保障されるわけではありま

せん。

1 有機的構成の高度化

客 資本家社会が「内部から」労働力を確保できれば、拡張再生産も容易に

なりますね。

主 一般的に生産方法の発展によって生産力が増進するときは、道具、機械

その他の労働手段、原料その他の労働対象が増大されている。そのため、労

働力(労働者数)に対する生産手段の量的比率は増大する。

客 これが資本の「技術的構成」の高度化ですね。

主 そして、労働力の価値(人件費)と生産手段の価値との割合、すなわち

可変資本と不変資本の比率を、資本の「価値構成」という。ただし、資本は、

必ずしも「技術的構成」の高度化に応じて「価値構成」を高度化するとはい

えない。

客 生産力が増進すると、たとえば生産手段の価値が下がるなど、「価値構

成」の変化に影響が及ぶからですね。

主 それでも、資本の「価値構成」は「技術的構成」の変化を反映するとい

えるので、「技術的構成」の高度化に応じてあらわれる資本の「価値構成」

の高度化を、資本の「有機的構成」の高度化という。

客 それは、資本主義的生産の発展の程度を示していると言ってよいのです

ね。

主 資本の「有機的構成の高度化」が示すことが、もう一つある。資本は、

その蓄積に伴って追加労働力を必要とするが、旧来の生産方法の改善に伴っ

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て、資本にとっての相対的過剰人口が生じれば、この需要増加に応じうる。

客 つまり、「有機的構成の高度化」は、資本自身によって追加労働力の調

達が可能となることを示しているのですね。

2 資本の蓄積過程

客 では、「資本は、不断に生産方法を改善し、その有機的構成を高度化し、

相対的過剰人口をつねに新しく形成していく」と考えてよいでしょうか。

主 それは誤解だ。資本家的蓄積の過程は、一様に展開するわけではない。

まず第一に、一度投下された固定資本は、数年間にわたって使用されるので

あって、容易に新しい方法が普及することにはならない。また、新たな方法

の採用によって生まれる相対的過剰人口が基礎となって資本の蓄積が行われ

るという限りでは、新たな方法の採用が誘導されるということにはならない。

客 つまり、一般的には相対的剰余価値の生産が動機となって生産方法の改

善が動機づけられますが、直接にはこの動機によっては新しい方法は普及し

得ないということですね。

主 新たな方法の採用は、原則として不景気に強制されてはじめて行う。こ

の関係は、資本主義に特有な景気循環による断続的発展をもたらすのだ。

客 19世紀の20年代から60年代に、イギリスの資本主義の発展がだいたい10

年周期の好況、恐慌、不況の循環をしてしてきました。それはこの点に基づ

くわけですか。

客 要するに、好況期には、一定の有機的構成での資本蓄積による生産拡張

が行われ、不況期に形成されていた過剰人口を動員する。そして、恐慌後の

不況期には、恐慌による攪乱を整理して新たな生産方法の採用による有機的

構成の高度化を実現する基礎を作り、次の好況期の発展に必要となる相対的

過剰人口を形成する。こうしたことは、労働者人口とその自然増殖とによっ

て直接に制限されることなく、資本蓄積に適応した労働者人口を確保する、

という資本主義に特有な人口法則だ。

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客 『資本論』における産業予備軍は、19世紀半ばのイギリスにおける過剰

人口の具体的な存在形態の例解なのですね。

好況期 → 一定の有機的構成での資本蓄積 → 労働力需要の増加

不況期 → 有機的構成の高度化を準備 → 相対的過剰人口の形成

3 景気循環と人口法則 … 資本蓄積と労働力の需要供給 …

客 この周期的な景気循環の中で、労働者はどのような影響を受けますか。

主 労働者の賃金は、ある時は高騰し労働力の価値以上となり、ある時は低

落して価値以下になる。労働賃金の一般的な運動は、産業予備軍の膨張と収

縮とによって規制されているが、実はこの騰落の過程自身のうちに、労働者

の生活水準自身も決定される。

客 一般に、人々の生活水準は歴史的に与えられたものと考えられています

が。

主 そういうものとして留まるものではない。資本の蓄積に伴う資本主義の

発展は、好況期の蓄積過程で賃金が騰貴することによって、資本の蓄積に適

応した労働者の生活水準を歴史的に形成する。そして好況から恐慌を通して

の不況期へと転換すると、限度を示すことなる。しかし、それもまた循環過

程を繰り返す。資本が必要とする労働力は、資本蓄積による発展に伴って生

活水準が向上することを基礎条件として要求する。

客 ですから、「その基礎条件が資本主義の発展とともにますます低下する」

とはいえないですね。

主 労働力という特殊な商品は、資本主義に特有の人口法則(それは資本の

蓄積に伴って展開される)によって、その需要供給を規制される。それとと

もに、その価値を決定する労働者の生活水準自身も決定される。

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資本蓄積の変化 → 労働力の需給 → 労働者の生活水準の規定

第3節 社会総資本の再生産過程 ―価値法則の絶対的基礎―

客 資本の蓄積にともなって、労働力の需要は増加します。労働力は、直接

には資本が生産するものではありませんが、相対的過剰人口が形成されるな

ら、労働力の供給は保障されます。もしそうなれば、資本は拡張再生産過程

を自立的に実現できて、他に依存することのない、独自の一社会を形成でき

ることになります。果たしてそうなのでしょうか。

主 資本は、直接に社会的需要を計算してその生産を行うわけではない。無

政府的生産として行う。つまり、個々の資本はそれぞれその価値増殖を目標

として、価格の変動によって規制されながら、社会的需要に応ずる。

客 その社会的需要は、資本の再生産過程自身の中で形成されるのではあり

ませんか。

主 まずは、資本の生産過程のために生産手段が生産される。その一部分は

生産手段の生産のための生産手段であって、他の一部分は消費資料の生産の

ための生産手段だ。次に、消費資料が、労働者と資本家との個人的消費のた

めのものとして生産され、互いに需要するものを供給することになる。

客 そうすると、「全社会の労働力と生産手段とを、それぞれの生産物の生

産に必要とされる程度に応じて配分するによって、年々の再生産を継続する」

ことになります。あらゆる社会に共通な経済原則が、商品形態でおこなわれ

るわけですね。

主 資本家的商品経済は、経済原則を、価格の運動によって調整されながら

貫徹される価値法則によって実現する。すなわち、個々の生産物の生産に必

要な労働時間を基準にして、全社会のその生産物に対する需要に応じて、資

本は労働力と生産手段とをそれぞれの生産に投下する。

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客 この社会的連関を簡単な数字で表示したものが、マルクスの「再生産表

式」だということですね。

主 ここでまとめて説明する方が効率が良い。しばらく私の話が続くことに

なる。

1 再生産表式の例(単純再生産)

主 いま社会的総生産の年生産物を、9000億ポンドとし、そのうち生産手段

の6000億を生産部門Ⅰに、消費資料の3000億を生産部門Ⅱにまとめる。そし

て、それらの生産物の価値構成を次のように示す。なお、不変資本部分をc、

可変資本部分をv、剰余価値部分をm、剰余価値率を100%としている。

Ⅰ 6000=4000c+1000v+1000m

(現物としては生産手段だが、価値部分としてⅡの生産物と交換される)

Ⅱ 3000=2000c+ 500v+ 500m

(現物としては消費資料だが、価値部分としてⅠの生産物と交換される)

主 ここでは、剰余価値がすべて資本家によって個人的に消費される、とい

う単純再生産が行われる。第Ⅰ部門の生産物2000億(1000v+1000m)は、現

物としては第Ⅱ部門の生産手段になるものだが、価値部分としては第Ⅰ部門

の労働者と資本家の消費資料となるものだ。

第Ⅱ部門の2000億(2000c)は、現物としては第Ⅰ部門2000億の消費資料

だが、価値部分としては第Ⅱ部門の生産手段の更新に当てられるものだ。

この両者が交換されるなら、次の資本構成も次のようになる。なお、第Ⅰ

部門の 4000c は、そのまま第Ⅰ部門内の交換によって生産手段として役立ち、

第Ⅱ部門の 500v と 500m の 1000 億は、第Ⅱ部門の労働者と資本家との消費

資料となる。

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Ⅰ 4000c+1000v

Ⅱ 2000c+500v

主 次の年も、同じ価値構成で同様の生産を続けることができる。このよう

に、単純再生産が成立するための基本的条件として、第Ⅰ部門の可変資本部

分と剰余価値部分との和が、第Ⅱ部門の不変資本部分に等しくなることが示

された。すなわち、第Ⅰ部門(v+m)=第Ⅱ部門(c)ということだ。

4000c

Ⅰの生産手段

生産部門Ⅰ 生産部門Ⅱ

1000v+1000m ← 2000c(生産手段の更新)

Ⅱの生産手段へ → Ⅰの消費資料へ

500v+500m

Ⅱの資本家と労働者の消費

主 なお、部門間の交換、部門内の交換は、資本家の所有する貨幣を媒介に

して行われ、交換終了後は再び資本家の手に戻り、次年度の交換に役立つ。

<単純再生産の基本的条件> 第Ⅰ部門(v+m)=第Ⅱ部門(c)

2 拡張再生産

主 剰余価値部分が蓄積され、生産が拡張されるのは、第Ⅰ部門(v+m)が

第Ⅱ部門(c)より大きいときだ。上記の事例において、第Ⅰ部門の 1000m

のうち、500m が蓄積(投資)されるとする。これによって、第Ⅰ部門の消

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費額すなわち第Ⅱ部門の不変資本が 1500 億、また資本構成が同率ならば、

可変資本 375v、剰余価値 375m となり、両部門では次のように 8250 億が生

産されていたとする。

Ⅰ 6000 = 4000c + 1000v+1000m

Ⅱ 2250 = 1500c + 375v + 375m = 8250

そして、第Ⅰ部門で蓄積される 500m が、元の資本と同率で分割されると

すると、500(m)= 400c + 100v となり、この結果、第Ⅰ部門は、次の通

りとなる。

不変資本= 4000c + 400c = 4400c

可変資本= 1000v + 100v = 1100v

主 ついで、第Ⅰ部門の 1000v+100(m)+ 500m に対応して、第Ⅱ部門での

不変資本部分は、1500c+100c に拡張される。この蓄積が同様の資本構成と

すれば、可変資本 100v に 25v の蓄積が加わり全体で 125m が蓄積に当てら

れる。そこで第Ⅰ部門の 1000v + 100(m)+500m が、第Ⅱ部門の 1500c+100(m)

と交換される。

Ⅰ 4000c+400(m)c+1000v+100(m)v+500m

Ⅱ 1500c+100(m)c + 375v+25(m)v+250m

Ⅰの( 1000v + 100(m)v+500m)=Ⅱの(1500c+100(m)c)

主 こうしてこの年の生産資本は次の通りとなる。

Ⅰ 4400c+1100v

Ⅱ 1600c+ 400v

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主 剰余価値率を同じとして、その生産の結果は、次の通りとなる。

Ⅰ 4400c+1100v+1100m = 6600

Ⅱ 1600c + 400v+400m = 2400 = 9000

第Ⅰ部門

4000c 400(m)c

第Ⅱ部門

1000v 100(m)v 500m → 1500c 100(m)c

600m ←

375v 25(m)v 400m

(第Ⅰ部門) (第Ⅱ部門)

1000v + 100(m)+500m ←→ 1500c+100(m)c

主 以上は、第Ⅰ部門の(v+m)2000 が、第Ⅱ部門の c1500 より大きい、と

いう条件の下で蓄積が行われることを示した。すなわち、「Ⅰの(v+m)>

Ⅱの(c)」だ。それは、拡張再生産が生産手段の拡張から行われなければな

らないという経済原則を、資本主義社会は価値法則という経済法則によって

実行していることを示すものだ。

同様にして第2年度は、さらにⅠの 550m を蓄積するものとする。

Ⅰ 6600 = 4400c+1100v+550m+440(m)c+110(m)v

Ⅱ 2400 = 1600c+400v+200m+160(m)c+40(m)v

Ⅰ(1100v + 550m+110(m)v)=Ⅱ(1600c+160(m)c)

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主 第2年度の資本は、次の通りとなる。

Ⅰ 4840c+1210v

Ⅱ 1760c+440v

主 その生産は次の通りとなる。

Ⅰ 4840c+1210v+1210m = 7260

Ⅱ 1760c+ 440v + 440m = 2640 = 9900

第Ⅰ部門

4400c 440(m)c

第Ⅱ部門

1100v 110(m)v 550m → 1600c 160(m)c

660m ←

400v 40(m)v 440m

(第Ⅰ部門) (第Ⅱ部門)

1100v + 110(m)+550m ←→ 1600c+160(m)c

<拡張再生産の基本的条件> 第Ⅰ部門(v+m)>第Ⅱ部門(c)

3 金・貨幣の再生産・補給

主 資本の蓄積過程は、資本家の貨幣に媒介されるので、単純再生産の場

合でも、貨幣自身が資本の再生産過程で補給されなければならない。貨幣

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は、生産手段として生産された金が使用されずに、貨幣に充当されるもの

だが、資本家の剰余価値部分から貨幣として蓄積される部分は、再生産の

関係から控除される。それは資本家の個人的消費として再生産過程の外に

出るのだ。第Ⅰ部門の資本家が2億、第Ⅱ部門の資本家が1億の金を貨幣

として蓄積するとすれば、両部門は次の関係となる。

ただし、Ⅰの 2m は、第Ⅰ部門で貨幣として蓄積される

Ⅰの 1m は、第Ⅰ部門資本家の消費資料=第Ⅱ部門へ交換

Ⅱの 1m は、第Ⅱ部門で貨幣として蓄積される

Ⅰの 2000(v+m)のうち、3m が金・貨幣として控除され、Ⅱは 1997c

となる

資本価値構成 c:v = 4:1

Ⅰ 6000 = 4000c + 1000v + 997m + 1m + 2m

Ⅱ 2995.5 = 1997c + 499.25v + 498.25m + 1m

*交換 第Ⅰ部門 = 第Ⅱ部門

① 1000v + 997c = 1997c

② 1m = 1m

主 すなわち、金貨幣の生産を考慮する必要があるので、実際には、単純

再生産においても、第Ⅰ部門(v + m)>第Ⅱ部門(c)という条件が必要

だった。

4 再生産表式と価値法則

客 いろいろな表式を見てきました。これらの表式は、資本主義社会も、

あらゆる社会に通じる再生産の基本的条件を、商品形態で実現することを

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示しています。

主 しかし、表式はあらゆる再生産の諸条件とその変化を示せるわけでは

ない。資本は、この基本的条件を基準にして、生産物価格の変動で規制さ

れつつ、年々の生産に必要な生産手段と消費資料の生産のために、生産手

段と労働力とを配分する。この社会的な経済原則は、資本に対しても労働

者に対しても、価格運動のうちにあらわれる価値法則としてあらわれ、個

人的な利害関係で強制される。

客 たとえば、過剰生産ならば価格が低落し生産縮小を強制され、不足す

れば価格騰貴によって生産拡張を誘導されます。それは、個々の生産物の

生産に要する労働時間が社会的基準によって規制されることを基礎として

います。

主 元来、商品経済を規制する価値法則は、社会的総労働時間のうちから

その必要比例量だけが種々なる群に費やされている、というように規制す

るのであり、それはあらゆる社会に通ずる経済の原則を根拠として社会的

法則となる。表式の第Ⅰ部門と第Ⅱ部門との関係も、価値法則による均衡

関係を示す。

客 しかも、商品流通を媒介する貨幣自身も、生産手段としての金の中か

ら供給されます。

主 もちろん、貨幣である金は、商品として価値法則によって価値を決定

されるが、大部分が奢侈品の材料となり、商品流通に必要とされる限度で

貨幣となるので、その価値規定を直接に制約されるわけではない。

客 これに対して一般の生産手段や消費資料は、社会的再生産過程におけ

る一定の需要量によってその価値規定を直接に制約されます。

主 しかし、金生産も他の生産物の生産に対する労働配分を無視して生産

されるわけではない。奢侈品に対する需要は無制限にも見えるが、実際は

社会的再生産過程によって間接的に規制されている。それは、自立的な商

品経済に特有な再生産の規制方法を示すものだ。

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5 表式と階級関係

客 表式から見えてくることをまとめます。

主 表式が図式的に解明するのは、資本主義社会が、社会的総資本の前年度

の全生産物を W'として出発点とし、それらを商品として売買交換し、その

年度の生産をおこない、その生産物を次年度の出発点とする、というように

再生産を継続する過程だ。

客 その過程の基軸は、労働力が、資本の生産物である消費資料によって再

生産され、その労働力によって生産が行われるということですね。ここで労

働力が商品として再生産されることに限定されることによって、資本主義特

有の法則性が展開されます。

主 労働力は、賃金を通して渡される消費資料によって再生産され、資本の

もとに様々な生産部門に配分され、前年度の生産物である生産手段を用い、

新たに生産手段と消費資料とを生産する。

客 それは同時に、生産手段の価値 c に、新たに労働によって形成した v+m

の価値を加えることになります。

主 資本にとっては、v 部分は、c 部分とともに、先に投下した資本部分を

回収する、いわば資本の一部分の再生産されたものであり、m 部分は、v 部

分と同様に労働によって新しく形成された、いわゆる価値生産物となるにも

かかわらず、資本にとっては価値増殖分となり、資本家の所得となる。

客 労働者の賃金も一般に所得といわれますが。

主 賃金は、労働力の商品の代価として得られるものであって、資本家の所

得とは全く異なる。資本家の所得は、剰余価値生産物の代価だ。労働者の場

合は、その代価で自分らの労働で生産した価値生産物を買い戻す。それだけ

ではない。労働力商品は販売してしまえばそれですむというものではなく、

労働者はその労働力を資本の生産過程で消費されて、新たなる生産物ととも

に新たな価値を生産し、労働力商品の代価の価値部分と剰余価値部分とを再

生産する。

客 言い換えれば、労働者は、その労働力商品の販売によって、自らの生産

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物を買い戻して労働力を再生産し、再び買い戻すべき生産物を生産します。

主 それは単なる商品の売買ではない。ただ、労働力の商品としての売買関

係がこの点を隠蔽し、労働力商品の代価を、資本家の所得と同様の所得と見

せるのだ。

客 実際、賃金は労働力の再生産に当てられ、労働力を資本の再生産過程

に復帰させます。これに対して、資本家の所得となる剰余価値部分は、資

本の再生産過程から離れ、自由に処分され、いわゆる純所得となります。

だからこそ新たな資本蓄積も可能となるわけです。

v + m(生産過程での使用価値)

労働者 資本

v(労働市場での価値=生活費用)

6 社会的所得と分配

主 年々の生産物価値(c + v + m)のうち、(v + m)はその年の労働に

よって新しく形成された価値として、「一社会の所得」だ。

客 単純再生産では、それはすべて消費し、拡大再生産では、その中から

新たな生産的追加を行います。

主 いずれも、これらの再生産を労働力の商品化によって行う。資本は、v

部分を c 部分と同様に資本化し、生産物の販売によって回収されるものと

するわけだが、実は v 部分は労働者によって消費されてしまう。

客 このとき労働力の価値は、1 日の生活資料を生産する労働時間によって

決定されるわけですが、それは消費される生活資料の価値が労働力商品の

内に移転される、という関係ではないことに注意しなければなりません。

主 労働力の再生産は、人間生活のうちに行われる。労働力を再生産され

る労働者が、無産労働者として労働力を商品として販売せざるを得ないた

めに、再び労働力が商品化されるのだ。

客 生産手段は、その生産過程において商品として生産され、その消費過

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程においても商品として消費されます。これに対して、労働力の消費は、

労働として、新しく価値を形成するのであり、単に v 部分だけでなく v+m

の価値生産物を生産するのです。

主 資本家的商品経済は、この基本的関係を労働力の商品化によって処理

することによって、この点を機軸とする全再生産過程は、商品経済に特有

な法則性が与えられる。

客 ところが一般に、労働賃金は資本の利潤と同様に所得とされます。こ

れは、労働力商品化に基づく特殊的形態規定を、一般的な抽象的規定に解

消することなります。

主 いわゆる国民所得という常識的概念は、労働力の商品化という商品経

済の特殊性を無視するものだが、まったく無意味なものではない。たしか

に(v + m)を社会的所得として、抽象的には規定しうる。しかし、それが

必要労働と剰余労働からなることを忘れてはならない。

<資本家的商品経済における仮象>

資本家…剰余価値生産物の代価

(労働力の使用価値と価値との差) ともに「所得」とされる

労働者…労働力の再生産費用

(生活費)

客 労働賃金は、通俗的には、利潤、地代、利子とともにいわゆる分配論

で論じられています。

主 しかし、分配論は、剰余価値 m 部分が資本家の間で、また資本家と土

地所有者との間で、いかにして分配されるかを明らかにすべきものなのだ。

労働賃金は、すでに労働者と資本家との関係を解明する生産論のなかで明

らかにしてきた。

客 この規定は、資本家同士の関係や資本家と土地所有者との関係で修正

されるものではないですね。

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主 次の第3篇分配論は、資本家と労働者との関係を基礎にして、剰余価

値をいかに分配するかを問題にする。ただそれは商品経済的に価格形態を

通して行われる。そのために、分配論は、資本家的商品経済の具体的な諸

関係を解明する一般的規定を与えることになる。

<談話室③> なぜ「流通の中断」なのか

A 商人資本や貸付資本は、流通過程の中に生成するものだが、その流

通過程に価値増殖の根拠を持たない、という矛盾を抱える。それは、資本

が生産過程を包摂する産業資本の成立で一応解消することになる。

B ただし、労働力が資本の使用価値として労働生産物を生み出すこと

で実現する価値と、労働力に支払われる価値との差が剰余価値として資本

の下に残ることになる。

C 『資本論』や『経済原論』を読んだ人の中には、この生産論での剰

余価値論、労働価値論に納得して、ここで読み終えるという人も少なくな

い。

A 剰余価値だけでなく、資本や労働力がどのような法則的規定を受ける

のかという全体像まで見なければ、資本主義について理解したことにはな

らないのだが。特に、「労働力の商品化」については、少し詳しく考えて

ほしい。

B 労働価値論を説明するのに、小生産者からなる商品社会を想定して

説いているのをよく見かける。しかし、労働価値説が成立するためには、

需要に応じた供給が必要なので、その生産量が応変に伸縮される必要があ

る。すなわち、小生産者はそれぞれがいかなる生産手段の準備や処分をも

自在になしえて、いかなる労働もなし得なけれはならない。しかも、自ら

の労働力を自ら望むようには使わないという、相当無理な話だ。

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C 通常のどのような労働をも行うことができる労働力、言い換えれば

だれにでもできるような労働しかできない労働力を持ちながら、何ら自分

自身は生産手段を持たないため、自分の労働力を使用価値として使用でき

ない労働者が大量に出現して、初めて労働価値説が言えるということだね。

A つまり、どのような労働も可能な労働力が市場に十分に備わり、ま

たいつでもその労働を停止し別の労働に移動させられることが、資本主義

成立の条件となるわけだ。

B もちろん、価値を生む労働を支配するのは、資本だ。もはや労働者

は労働の主体ではあり得ない。

C しかし、資本家といえども、資本が人格化したものであって、資本

の運動の担い手の一部として動くしかない。

A ただし、資本家は、自分の意志で資本家であることをやめられる。し

かし労働者は、自分の意志で労働者をやめられない。せいぜい雇い主を選

ぶことぐらいだ。

B とはいえ、労働力自体は、資本によって直接に生産することはでき

ない。資本ができることは、労働者に支払う賃金を、労働者の生活を継続

させることを可能にする金額とし、しかも労働力として市場に再登場させ

るため、労働力が労働者にとって使用価値とならないように生産手段から

切り離し続ける金額とすることだ。

C そのような労働力の再生産過程、つまり労働者の生活過程は、資本

の流通過程としては「流通の中断」ということになって、資本の運動にと

っては外的な与件となる。

A その話に関連することだが、流通過程の中断は、労働者の生活過程

だけでなく、もう一つある。資本の生産過程だ。労働力は一定の法的規定

に従って資本の直接的支配下に置かれる。

B この二つの過程では、共通して、姿態そのものが変容する。具体的

に見ると、労働者の生活過程は、疲弊した労働力が回復し翌日にも労働可

能となる過程だ。これは資本が労働者に支払った賃金を回収する過程とし

て、商品流通の一部を含んでいる。

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C そして生産過程は、労働者が労働対象と労働手段を用いて新たな商

品を生産する過程だ。これは、同時に労働力が消耗する過程でもある。

A 姿態そのものが変容する過程なのだから、モノを交換する流通過程

としては、中断とならざるを得ないわけだ。

B これに対して、他の流通過程は、「貨幣から生産資本へ」、あるいは

「生産物から貨幣へ」など、姿態が他の姿態に入れ替わる変態だ。言い換

えると、貨幣や商品から見れば所有者が変わる。あるいは所有者から見れ

ば、所有物を換えるという過程だ。

C 一方、労働者の生活過程と資本の生産過程との二つの過程は、次の

ような点で対照的だ。労働者の生活過程は、資本による直接的支配を離れ、

生活費を使って労働力の価値を回復する過程だ。これに対して、生産過程

(労働過程)は、直接的に資本によって労働力が使用価値として消費され

る過程(価値増殖過程)だ。

A この二つの過程が、時間的にも空間的にも明瞭に分断され、同じ労

働力が二つの姿での存在で、すなわち「貨幣」を支払う「消費者」と「労

働契約」を結ぶ「生産者」として、別々に現れることで、資本と労働力と

の交換の非対称性が不明瞭になるわけだ。

B 二つの過程の中に労働者を過不足なくフィットさせるのが原理論の

「労働力の商品化」ということになるが、市民社会の中で自立的意志を持

つ存在として生命活動(生活)を営む労働者は、この分断された過程に果

たしてどこまで適応し続けられるのか。

C 近年の実情では、市場関係が労働者の生活領域内部にまで滲入し、

市場への依存をいっそう深めるように生活の質を変え、利潤獲得の機会を

増加させている。つまり、「心地よい消費」へと誘導する人心操作によっ

て生活領域奥部まで市場に取り込まれている。また、従来は生産過程でな

されたような労働の熟練化が生活領域での技能習得へと割り振られ、その

費用の負担を強いられる傾向もある。

A 生産過程においても、労働立法による保護が弱まることで隷属関係

が強まり、その延長上に人格的隷属関係、政治的支配が持ち込まれる傾向

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が一部に広まる。その中で、労働の単純化による低賃金化が進む一方で、

少数者に対してだが、たとえばホワイトカラー志向へと誘導され、量的に

長時間労働、質的に過重な精神負担を強いられ、身体的に精神的に病む労

働者も生まれる。

B しかしその傾向に対して、そのような隷属関係から「逃避」するた

めに、あえて非正規雇用の短時間、短期間の単純労働を選び、濃密な隷属

関係を避ける若者も増える。自分では自由で気軽に思えるが、しかしそれ

では、代償として労働者全体の待遇悪化を招き、孤立した個人として、む

き出しで市場にさらされることになる。

C 労働力の再生産過程と資本の生産過程とは、いずれも原理論の規定

で「流通過程の中断」だが、現実の過程としては、資本自身による過剰な

滲入を受けている。これらが「労働力の商品化」自体による問題であるか、

あるいはその逸脱がもたらす諸問題であるか、判断が分かれるとしても、

ともかくその中で労働者の存在が脅かされ根源的に不安定化している。つ

まり、原理論の規定自体に含まれる「労働力の商品化」の困難が、現実の

資本主義の変質の中で、いっそう深刻な事態となって現れているというこ

とだ。

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第3篇 分配論

…<資本はいかに社会を包摂するか(利潤の分配と階級性)>…

《第3篇分配論の概観》

流通過程から生まれ、生産過程を包摂した資本が、いよいよ自己増殖す

る運動体としての全体像を示すことになった。まず、資本と労働力と

の関係から引き出される利潤が資本家間でいかに分配されるかが規定

される。次いで、資本にとって外的与件となる自然要因(土地)の所

有者への利潤分与である。前篇で、同じく資本の与件であった労働力

については、直接的生産者を土地から分離するとともに相対的過剰人

口を形成することによって、その制約を一定程度解消していたが、土

地は労働生産物でも資本が生産できるものでも資本にならねばならな

いものでもないので、資本は土地の利用のために、その所有に対して

譲歩し、商品経済的・資本家的規定を含んだ地代を分与することにな

る。こうして、資本と労働力との関係を基礎として生まれる利潤が、

産業資本・商業資本・貸付資本・土地所有へといかに分与されるかが

規定される。そして、このような規定の展開は、土地所有を含めて、

「それ自身に価値を生むもの」としての擬制資本という観念(理念)

を生み出すことになる。しかし同時に、資本による全社会的包摂がこ

のような商品形態によって覆い隠されても、その階級性は自ら思考す

る者の眼に明らかになる。こうして、経済過程への商品経済による法

則的支配に代わって、人間がそして社会が主体として自主的に行動す

ることを通じて経済原則を成立させるような社会への展望が拓かれ

る。

客 資本は、利潤の獲得を唯一の目標とします。そして、つねにその最大

化を図ります。

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主 資本としては、剰余価値は資本全体によって生産するものとする。だ

から、直接には剰余価値を生産しない不変資本部分に対しても、剰余価値

が分配されるものとする。さもなければ、資本として投下する意味がない、

ということになる。

客 剰余価値率は、剰余価値mの可変資本vに対する比率 m/v でした。これ

は、資本家と労働者との関係を表します。もちろん、資本はこれを最大化

したいわけですが、それはここでの話題ではありません。

主 この剰余価値率に対して、剰余価値mの全資本(不変資本cと可変資本v)

に対する分配率 m/(c+v) が資本の利潤率を示す。これは、資本家と資本

家との間の関係を表す。

客 剰余価値率は、いわば生産過程(ただし、個々の資本の生産過程でな

く、労働者と資本家との関係としての全社会的な生産過程)の内部におけ

る関係でした。

主 それに対して、利潤率は、資本全体とその生産過程に対する関係をと

らえて、一定の期間における資本の価値増殖率を示す。資本は、この利潤

率を基準にして、各種の生産部門を選択し、社会的に需要される各種の使

用価値を社会的に生産し、供給する。

客 利潤の最大化が目標ですから、たとえその使用価値自体に関心がなく

とも、社会的に需要される商品を生産するのですね。

主 こうして、商品経済的回り道をたどって、社会的需要の充足を商品経

済の法則で実現する。これが、資本主義原理の具体的展開だ。そして、こ

の原理を貫徹するために、いわば補助的なこととして、剰余価値が地代、

利子として分配されることになる。

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剰余価値率 m/v …資本家と労働者との関係 … 生産過程内部の関係

(全社会的な関係で)

利潤率 m/(c+v) …資本家と資本家の間の関係 … 投下資本と利潤の関係

地代・利子 …資本家と土地所有者・融資者との関係

1 地代と利子

客 剰余価値が、なぜ地代として分配されるのですか。

主 地代は、資本が土地所有者に譲歩して払うものだ。土地に代表される

自然力は、その所有者が独占することができるものであり、利用を制限さ

れている。それは、資本の生産過程において生産手段として役立つものだ

が、資本にとっては外的な条件だ。そこで資本はその所有者に対して「譲

歩して」地代を払うことになる。

客 では利子についてですが、剰余価値がなぜ利子として分配されるので

すか。

主 個々の資本の運動に伴って遊休貨幣資本が生まれる。それが、一時ほ

かの資本に融通されることによって、剰余価値の生産が社会的に増進され、

その一部分が代価として支払われる。それが利子だ。つまり、資本は、そ

の再生産過程において、資本、商品、貨幣へと形態変化するものだが、遊

休資本の融通を受けることによって、商品形態、貨幣形態に留まる期間を

節約できる。これに基づいて利子が支払われるわけだ。

客 そうすると、地代は、資本の運動にとって「外部」の土地所有に対す

る剰余価値の分与です。これに対して、利子は、流通費用の節約に基づく

ものでですから、資本の運動の「内部」において増産された剰余価値の再

分配です。

主 しかし、地代は生産過程自身に直接に基づくものであって、利子は資

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本の運動を補足する、いわば第二次的な関係だ。したがって、理論的展開

は、利潤、地代、利子ということになる。この点、『資本論』とは異なる。

客 いずれにしても純粋資本主義を想定して、その基本的規定を与えなけ

ればなりませんね。

主 要するに、資本家は、労働力を商品として買い入れ、その生産過程を

土地所有者から借り入れた土地において行い、借り入れの代価として地代

を支払う。また利子は、産業に資本を投下する資本家同士の間でその遊休

資金を融通するという関係を基礎にして、その規定が与えられる。その他

の具体的な関係は、この基本的規定を基準にして解明される。

(運動の外部)→ 地代 … 土地所有者への譲歩

資本家の利潤

(運動の内部)→ 利子 … 流通費の節約→融資者

2 銀行資本と商業資本

客 産業資本の遊休貨幣は、銀行という特別の機関を通じて、資金として

融通されます。そして、融通を担当する銀行資本は、一般の利潤を分与さ

れることになります。

主 銀行資本の業務に対応して、また銀行からの金融による流通費用の節

約を前提として、独立の資本としての商業資本が、流通費用の節約業務に

よって、これもまた一般利潤の分与を受ける。

客 つまり、商業資本が、もはや生産過程での剰余価値から直接に利潤を

分与されるという形態でなく、独立の資本となると、一般利潤が商業資本

家の活動自身に基づくものとして、企業利潤の形態となるということです

ね。

主 それに対応して資本は、それ自身に利子を生むものとしての資本とい

う形態、すなわち資本家的商品経済の物神崇拝的性格を完成する形態を展

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開する。

客 それが、資本-利子、土地-地代、労働-賃金という、ブルジョア社

会の三位一体となるのですね。こうした常識的観念の確立によって、資本

主義社会は、商品経済的にその階級関係を隠蔽されるわけです。

主 この第3篇は、剰余価値の利潤としての分配方式を一般的原理として展

開し、続いて地代、利子を、その原理の展開を補足するものとして規定し、

最後に資本主義社会の特殊な階級性を明らかにする。

<ブルジョア社会の三位一体> <資本主義社会の階級関係>

資本-利子 労働者-労働力商品の代価

土地-地代 資本家-剰余価値(利潤) 土地から

労働-賃金 ↓(分配) の排斥

地主 -地代

融資者-利子

第1章 利潤 …<資本どうしは、利潤をいかに分かち合うか>

第1節 一般的利潤率の形成 ― 価値の生産価格への転化 ―

客 資本は、産業資本の運動を展開することになっても、一般的形式は、

商人資本的形式ですね。

主 実際に、資本家は、生産過程で増殖される剰余価値とともに、安く買

って高く売ることによって得られる剰余価値をも獲得する。

客 つまり、G-Wの過程で買い入れられる生産手段と労働力との価格は、

新たな生産物としてW’-G’の過程で販売する商品に対する、いわば費用

価格ということですね。

主 そうして個々の資本家は、生産手段と労働力とをできるだけ安く買い、

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その生産物はできるだけ高く売ることに努力する。また同時に、生産手段

は節約され、労働力は充分に使用される。いずれも費用価格を節約してよ

り多くの利潤を得ようとするものだ。

客 しかし、生産手段も労働力も、生産物である商品の販売価格も、一定

の価値基準があり、そう安く買うわけにも、またそう高く売るわけにもい

かないでしょう。

主 たしかに個々の資本家にとっては、安く買って高く売るということが

重要な利潤の源泉となるが、しかし、そのような個別的なケースによって、

資本の利潤を一般的に規定するわけにはいかない。

客 生産手段、労働力、商品生産物は、一般的には一定の価格を持って売

買され、また生産過程における生産手段の節約、労働力の使用も、一定の

標準に一様化される傾向をもちます。

主 そういう一般的前提のもとに、資本があらゆる生産部門に配分され、

その生産をおこなう、という社会的機能を持つことが明らかにされる。

客 それでもなお、資本にとっては、商品の価値は、費用価格に剰余価値

を加えたものとしてあらわれるのですね。

資本にとっての商品価値 = 費用価格+利潤

主 この費用価格の概念は、商品価値の (c+v+m) の価値構成をまった

く無概念に処理するものだ。そもそも不変資本 C に対する価値増殖分(v

+m) は、労働力商品の使用価値としての労働によって形成されたのであ

って、可変資本としての v 部分とは直接には関係がない。

客 もちろん、可変資本 v 部分を剰余価値 m 部分と同様の所得とするこ

とはできません。また、可変資本 v 部分を不変資本 c 部分と同様に扱っ

て、その資本価値が新生産物に移転される、とすることもできません。

主 可変資本 v 部分は、価値増殖分(v+m)の一部分であり、可変資本 v

部分が増加すれば剰余価値 m 部分は減少し、可変資本 v 部分が減少すれ

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ば、剰余価値 m 部分が増加する。

客 価値増殖分(v+m)部分そのものの増減は、労働力商品によって加え

られる労働の増減によります。

主 ところが費用価格の概念は、c+(v+m)の関係を、(c+v)+m と入

れ替えることになるのだ。

資本家にとっての商品価格 =(c+v)+m …資本の支出で計る

商品価値の概念 =c+ (v+m) …労働の支出で計る

1 利潤率の要因

客 資本家は、剰余利潤ができる限り多いことを求めますが、それぞれの

商品は、一定の価値としての基準を与えられていますから、労働者の剰余

労働による剰余価値は、この基準によってえられたことになります。

主 しかし、同額の資本が同額の剰余価値を生産することにはならない。

資本は、その生産過程の相違によって、その費用価格の構成自身が異なる

からだ。たとえば、100を投ずる二つの資本が、剰余価値率を同じ100%とし

て、資本構成が次のように異なるものとし、その結果を見よう。

(A)90c+10v+10m=110 利潤率= 10 / 100

(B)70c+30v+30m=130 利潤率= 30 / 100

客 利潤率(資本に対する剰余価値の比率)は、前者(A)で10%、後者(B)

で30%と異なります。資本は、利潤率を投資の基準としますから、前者(A)

は避けられ、後者(B)が選択されることになります。

主 ただし、ここでは、費用価格の中の固定資本は、生産に投下した固定

資本価値の一部分が生産物に移転したものとしている。利潤率を比較する

なら、投下された固定資本の全価値を含むものとして比較しなければなら

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ない。

客 資本家は、剰余価値を、資本全体によって得られるものとするからで

すね。

主 また、費用価格の概念は、商品生産に要する労働時間と、商品として販

売され剰余価値を実現するまでの期間とを含む。

客 つまり、その期間というのは、単に商品生産に要する労働時間ではな

くて、商品として生産され、販売され、剰余価値を実現するまでの期間で

あって、その期間が利潤率の要因となるわけですね。

主 こうして、資本の利潤率は、次の三要因によって決定されるわけだ。

資本は、利潤獲得を唯一の目標とするので、これらの要因の相違が資本投

下を左右することになる。

(1)剰余価値率

(2)資本の構成(固定資本を含む不変資本と可変資本との比率)

(3)資本の回転期間(生産期間、生産物商品の流通期間)

<利潤率の構成>

m m v V= × ただし有機的構成

c+v v c+v C

(利潤率)=(剰余価値率)×(資本の構成)

(1)剰余価値率

客 まず剰余価値率です。それは、必要労働時間(1日の労働時間のうち

で労働者がその生活資料を生産するのに必要な労働時間)とそれを超過す

る剰余労働時間との比率でした。

主 労働生産力の増進とともに必要労働時間が減少すると、剰余価値率は

高まる。また、1日の労働時間が短縮されることになる。それは産業の違い

を超えて一様に進む。

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客 実際上は、労働者も労働時間の短い産業を選んで自由に職場を変えら

れるわけではありませんし、また熟練、不熟練などの差は残ります。

主 しかし、機械的大工業が発達して労働過程が単純化し、そういう相違

を解消する作用を持つので、一般的には各種産業部門に均等な剰余価値率

を想定できる。

客 つまり、理論的には、資本は労働者との関係では、均等な剰余価値率

のもとで、投資部面を互いに競争して選択する、とするのですね。

主 実際に剰余価値率が相違する場合は、個別的な特殊な事情によるもの

として、別に解明すべきなのだ。

(2)資本の構成

客 資本の構成については、各生産部門で資本の構成が相違するのは当然

ですね。また、この相違は資本主義の発展によって解消されるものではあ

りません。

主 一般に、大資本を要する生産では、可変資本に対して不変資本が多く、

高度な構成を持つ。小規模な生産では不変資本に対して可変資本が比較的

に多く、低度な構成となる。

客 理論的にも、産業によって資本の構成に相違があるとしなければなり

ません。

主 しかし、同額の資本でも、高度な構成の資本よりも低度の構成の資本

のほうがより多くの剰余価値を生産することになり、資本は前者を避けて

後者を選んで投下する。

客 そうすると、前者の生産物の価格は、その「価値」以上に騰貴し、後

者は「価値」以下に低落しますね。

主 結局、「同額の資本に対してその利潤を均等にする価格」を基準とする

ことになる。

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客 生産を社会的に規制するのは、「価値」ではないのですね。

主 「費用価格」に、その全資本に対する「平均利潤」を加えた、いわゆ

る「生産価格」が、「価値」に代わって、需要供給によって変動する「市場

価格」の運動の中心をなし、生産を社会的に規制するのだ。

客 「生産価格」による規制というのはどういうものですか。

主 たとえば、異なる生産部門の3つの資本(A)、(B)、(C)が、100を投

じ、剰余価値率を同じ100%として、資本構成が次のように異なるものとし、

その結果としての利潤率、さらにその後の資本の移動を見よう。

(利潤率)→(資本投下)→(生産価格)

(A)90c + 10v + 10m = 110 (10%) (減少) (騰貴)

(B)80c + 20v + 20m = 120 (20%) (均衡) (維持)

(C)70c + 30v + 30m = 130 (30%) (増大) (低落)

主 資本は、利潤率の低い部門での生産を減らし、利潤率の高い部門での生

産を増やすように移動し、利潤率は均等化に向かう。資本移動後の結果を見

よう。

X Y (利潤率) (商品価値と比較して)

(A)90c + 10v + 20 = 120 (20%) (高い)

(B)80c + 20v + 20 = 120 (20%) (同等)

(C)70c + 30v + 20 = 120 (20%) (低い)

(費用価格) +(平均利潤)=(生産価格)

主 こうして、同額の資本に対して、同額の利潤が配分される。すなわち、

投下した資本に対して、平均した利潤が得られるわけだ。

客 ここでは、「費用価格」に「平均利潤」が加わり、「生産価格」が成立

しています。

主 この「生産価格」が、「価値」に代わって、需要供給によって変動する

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「市場価格」の運動の中心となり、生産を社会的に規制するのだ。

客 ところで、上の表の Y が示す枠内の数値 20 は、異なる資本部門(A)、

(B)、(C)の間で、剰余価値が同額で配分されることを表しています。そ

して、上の表の X が示す枠内の数値の合計と、Y が示す枠内の数値の合計

との関係は、必要労働と剰余労働との関係、すなわち労働者と資本家との関

係を示しています。

主 その関係は、「価値」が「生産価格」へと転化しても、変化していない。

つまり、この「価値の生産価格への転化」によっても、個々の商品の生産

に要する労働時間が変化するわけではない。その労働時間を前提にして、

商品の社会的生産量を決定するために、資本はこのような廻り道を必要と

するのだ。

客 要するに、資本は、生産に一定の労働時間を必要とする生産物を、社

会的にどれだけ生産したらよいか、直接には決定し得ないのですね。

主 だから、この「生産価格」によって、資本と労働とを社会的に各産業

に配分することになるのだ。

<価値の生産価格への転化>=資本の回り道

費用価格+平均利潤=生産価格

→ 市場価格の運動の中心となり、

資本と労働を社会的に配分する

(3)資本の回転期間

客 利潤率の第3の要因としての「資本の回転期間」は、「生産期間」と「流

通期間」とから成り立つということでした。

主 その「生産期間」は、可変資本を基軸とする流動資本の回転によって

決定される。また「流通期間」は、生産物が商品として販売される期間だ。

客 前者の「生産期間」は、生産過程の性質によって自然的に、あるいは

技術的に決定され、生産部門によって異なった一定期間を要します。

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主 そのような相違による利潤率の差も、「資本の構成の相違」の場合と同

様に、「価値の生産価格への転化」によって解消される。

客 「流通期間」も、同様ですか。

主 「流通期間」も、その生産物の品質から一定の期間をある程度は限定

されるが、一般的には個々の場合にさまざまに異なるので、資本もこの点

による利潤率の差を、直接に「価値の生産価格への転化」によって解決す

るわけにはいかない。そこで、その売買を商業資本家に専門的に担当させ

るわけだ。

客 そうやって、産業資本はこの不生産的な費用を節約しながら、利潤の

平均化を実現する、ということになるのですね。

生産期間…利潤率に自然的技術的差→価値の生産価格化

資本の回転期間 →利潤の平均化

流通期間…不生産的費用節約のため→商業資本に委託

<補足・原理論における商業資本の扱い>

主 原理論としては、先に産業資本における剰余価値の利潤としての「分配」

を展開し、その後に、「商業資本」とそれに対する利潤とを、剰余価値の生

産に積極的には役立たない流通費用を節約する任務を持つものとして、説く

ことにする。

客 歴史的には、反対に商人資本が先行し、産業資本の普及とともに、その商

品売買を担当するものに転化しました。

主 しかし、商人資本は、単に安く買って高く売ることで利潤を得るもの、し

かも小生産者の生産物を主とするものであって、これによって資本の利潤の実

体を一般的に理論的に規定することはできない。

客 それでも、商人資本は資本として最初に出現したものです。そして、その

資本形式は産業資本にも通じる一般的なものです。

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主 たしかに産業資本も、剰余価値の利潤としての分配をこの形式で行う。し

かし、「流通費用の平均化」については、産業資本自身ではそこまではなしえな

い。その点は、その売買を商業資本に委ねるものとして後にみることとし、こ

こでは理論的に捨象して考察してよい。またそうせざるをえない。

2 「一般的利潤率」の形成

客 こうしてみますと、資本は、生産物を「費用価格」に「平均利潤」を加え

た「生産価格」で販売しますから、もはや価格の運動は直接に「価値法則」に

よって規制されるとはいえなくなります。

主 たとえば、生産方式の変化によって、商品の生産に要する労働時間が変化

するという場合でも、その商品の価格変動として直接にはあらわれない。

客 しばらくは、特別剰余価値が利潤として分配されます。

主 その歪曲を受けながら、変動の影響があらわれることになる。しかも、生

産物の「費用価格」を構成する「生産手段」の価格も、労働力の価値を決定す

る「生活資料」の価格も、その価値から離れた「生産価格」によって売買され

る。

客 そうすると、「費用価格」自身がその価値から乖離した価格によるものとな

ります。

主 しかも、この「費用価格」に加えられる「平均利潤」も、価値から離れた

「生産価格」によって示される資本額に対して規定されるものだ。

客 それでは、資本の生産物の「生産価格」が、そう簡単な関係で「価値」か

ら乖離したと済ますわけにはいきませんね。

主 ただし、こうしたことは、労働者が必要労働時間で自分自身のために労働

し、剰余労働時間で剰余価値を資本の利潤とする、という関係自身に何ら変化

をもたらさない。

客 いいかえれば、「生産価格」は、個々の資本家の間の関係に過ぎない、とい

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うことですね。

主 つまり、「価値」から乖離した「生産価格」は、資本が全体として労働者か

ら得た剰余価値を個々の資本の間で平等に分配するために生じるのだ。「価値」

以上の「生産価格」を実現する資本は、「価値」以下の「生産価格」を実現する

資本から、その剰余価値の一部分を分与され、互いに同額の資本に同額の利潤

を得ることになる。

客 こうやって、利潤率は、「一般的利潤率」として全資本に一様化するわけで

すね。

<生産価格> 資本家の間で剰余価値を分配するための基準となる

<価値法則> 資本家と労働者との関係を決定する役割を持ち、一般

の商品の間の交換関係もこの関係を基準として法則的

必然性で規制される

3 「生産価格」の変動

客 「価値の生産価格への転化」は、「価値」の変動を、直接には表さなくなり

ます。

主 それだけでない。ある商品を生産する資本が生産方式を変化させて、その

資本構成あるいは回転期間に変化がもたらされると、他の商品を生産する資本

が生産方法を何ら変化させない場合でも、商品価格が変動がする。

客 というのは、一般的利潤率自身が変化するからですね。

主 また賃金が騰落しても、「商品価値」は影響を受けないが、「生産価格」は、

資本構成がどのようなものかによって、利潤率の一般的変動を通じて、賃金騰

落の影響を受ける。

客 資本構成の違い、たとえば、資本の10分1が可変資本である部門と、10分

の3が可変資本である部門とでは、賃金の騰落が生産価格に及ぼす影響が異な

る、ということですね。しかし、単に費用価格の増減がそのままに「生産価格」

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の増減になる、ということではないでしょう。まとめて詳しくご説明ください。

主 次の事例では、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲの3部門の資本が全社会の資本を代表するものと

している。固定資本の存在、回転期間の相違その他は捨象する。

1 80c+20v+20m=120

60×100Ⅱ 90c+10v+10m=110 利潤率 = = 20%

300

Ⅲ 70c+30v+30m=130

計 240c+60v+60m=360

いま、賃金vが10%騰貴すると、価値生産物全体(v+m)は変化せず、さしあた

り各部門の利潤mがそれぞれ次のように減じ、部門間に利潤率の差が生じる。

Ⅰ 20v + 20m → 22v + 18m

Ⅱ 10v + 10m → 11v + 9m

Ⅲ 30v + 30m → 33v + 27m

そこで、生産物の価値構成と平均的利潤率は次のように変化する。

1 80c+22v+18m=12054×100 11

Ⅱ 90c+11v+ 9m=110 利潤率 = % =17 %306 17

Ⅲ 70c+33v+27m=130

計 240c+66v+54m=360

したがって、生産価格(費用価格+平均利潤)は次のように変化する。なお、

m m各部門の平均利潤 m =(c + v)× は、平均的利潤率

c + v c + v

をもとに算出される。

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1 (80+22)+18 =120

14 14 3Ⅱ (90+11)+17―― =118 … 1 の低落

17 17 17

3 3 3Ⅲ (70+33)+18―― =121 … 1 の騰貴

17 17 17

客 この例で示されたように、賃金が騰貴すると、高度構成の資本の生産物は、

その「生産価格」が低落し、低度構成のものは騰貴します。反対に、賃金が低

落すると、反対の結果がもたらされるでしょう。中位構成の資本では、利潤率

が変動するだけで、「生産価格」に変化はありません。中位では、賃金の騰貴は、

商品の価値に変化を及ぼしません。要するに、すべての資本の生産物について

同じことがいえるわけです。

主 賃金の騰落は、全体としての価値生産物(v+m)には増減なく、mの減増と

してあらわれるだけだ。しかし、それは資本の価値構成と剰余価値率とを変え、

各資本間の構成の相違の関係を変えることになるために、一般的には「生産価

格」に変化をもたらすことになる、ということだ。

<補足・「生産価格」と金貨幣>

客 ともかく、単に費用価格の増減がそのままに「生産価格」の増減となる、

というわけでないということですね。

主 これらの動きは、すべて労働生産物が資本の生産物として商品交換される

ということに基づく価値法則の展開だ。そして、この展開は、商品交換にあた

って、その価値を尺度する貨幣金自身も資本の生産物だ、ということを含んで

進行する。

客 つまり、金生産も、資本によって行われる限り、平均利潤を保障されなけ

ればなりません。だから、貨幣である金も、その「価値」に代わって、その「生

産価格」にあたるものによって、他の商品の価値を尺度するということになり

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ます。

主 たとえば、金生産が、上述の例の資本Ⅲのように低位の資本構成で行われ

ているとしよう。すると、1ポンドの量の金が130の価値量(70c+30v+30m)を

もつものであるとしても、貨幣としての金は、「生産価格」120にあたるものと

して他の商品を尺度する。

客 そこで、一般に120の「生産価格」をもつ商品は、すべて1ポンドの「生産

価格」をもつとされるわけですね。

主 貨幣である金が、一定の不変の「価値」を持つものとしてでなく、価値が

変動する一商品として価値尺度となる。それだけでなく、価値から乖離した「生

産価格」にあたるもので他の商品の価値尺度となる。

客 こうしたことは異様にも考えられます。

主 しかし、資本によって、いわば「私的に」生産される商品生産物は、同様

に資本によって「私的に」生産される金によって、その価値を尺度されながら

「社会的」需要を充足する、というのが、商品経済の特性なのだ。

貨幣としての金も商品 →金の「生産価格」で尺度する

4 「生産価格」と「一般的利潤率」

客 ここまで、「生産価格」の運動は、価値法則をそのままに展開するとはいえ

ない、ということをみてきました。

主 しかし、商品経済を支配する「価値法則」は、「価値の生産価格化」によっ

て、その実現の機構を確立され、全面的に貫徹されることになる。つまり、全

社会の需要するさまざまな使用価値が、その個々の生産に要する労働時間に基

づいて、それぞれの量で生産されるということが、利潤率を通して客観的に規

制される、ということだ。資本は、それによって各種の生産物の生産に社会的

総労働の均衡のとれた配分をおこなう。

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客 それを可能にさせるのが、労働力の商品化なのですね。。

主 もちろん個々の資本は、生産過程で労働力を消費して価値を形成し、剰余

価値を増殖するが、それをそのまま自己の価値増殖とすることはできない。「生

産価格」によって資本家の間で均等に配分することになる。したがって、一方

では価値以上の「生産価格」で売買される商品があれば、他方に価値以下の「生

産価格」でなければ売れない商品がある、ということになる。

客 実際に資本は、価値形成増殖を基礎としながら、「生産価格」によって規制

されて再生産の均衡を実現するわけです。その客観的基準となるのが、一般的

利潤率ですね。

主 もっとも、一般的利潤率なるものも、個々の資本ができる限りに多くの利

潤を得ようとして有利な産業を選択することから形成される。だから、各種の

産業に対する資本投資の競争による合成物というべきだ。そして、同時にそれ

が客観的には投資の基準となる。

個別資本 投資競争を通じて形成

個別資本 一般的利潤率

個別資本 投資の基準を与える

5 「再生産表式」と「価値の生産価格への転化」

客 以前に生産論の「再生産表式」において、価値法則による社会的総資本の

再生産過程を解明しました。そして、ここで「一般的利潤率」の形成を「価値

の生産価格への転化」としてみました。すると、前者の直接的な社会的総労働

の配分が、後者の転化によって、修正され変更される、ということでしょうか。

主 そうではない。「価値の生産価格化」においては、個々の産業への労働配

分を問題とする。たしかに資本は、「生産価格」を基準として、それに規制され

て労働配分を行う。これに対して、「再生産表式」では、各産業に対する資本と

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労働の配分が、集って生産手段部門と消費資料生産部門とを構成するものとし

て、その関係が表示される。

客 それは、個々の資本家の間の関係としてでなく、労働者と資本家との間の

関係として表示されるということですね。

主 いいかえれば、c、v、mの価値関係を基礎として、生産手段と消費資料とに

一定の現物としての関係を展開する。「再生産表式」は、「生産価格」による資

本の個々の産業への配分の外枠となるものだ。

客 ということは、「価値の生産価格化」による個々の資本に対する社会的規制

は、表式に表される「価値法則」による一定量の生産手段と消費資料との生産

を、むしろ実現するのですね。それによって、社会的再生産過程を遂行するこ

とになるわけですか。

主 「価値の生産価格化」は、価値の形成、剰余価値の増殖そのものには何ら

の影響を及ぼすものではない。むしろ表式を前提として「剰余価値を利潤とし

て配分するために」転化が行われるのだ。

第2節 市場価格と市場価値(市場生産価格)

-需要供給の関係と超過利潤の形成-

客 異なる産業部門間では、生産流通過程における資本構成、回転に相違があ

りましたが。

主 それらに基づいて、利潤率に相違が生じることになるが、その相違は、そ

の生産物の「価値の生産価格化」によって解消され、あらゆる産業に投じられ

る資本に一般利潤率による平均利潤が分与されることになる。

産業部門に利潤率の差 → 価値の生産価格化 → 一般利潤率

→ 平均利潤の分与

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客 しかし実際は、同一の産業部門内における個々の資本は、同一の条件で生

産するわけではありません。

主 まず、資本の大小による規模の相違があって、必然的に利潤率の相違が生

じる。また、従来と異なった改良された方法によって生産が行われ、旧来の方

法による資本と競合する場合に相違が生じる。さらに、農業その他のように制

限された自然力を重要な生産手段として利用するために生産力の相違が生じる

ような特殊な場合は、もちろん利潤率の相違が生じる。

客 一般的にも、生産条件の何らかの相違による利潤率の相違は免れません。

もちろん、資本はできる限り有利な条件を求めて競争し、同一の生産条件の下

に生産する方向に進むのでしょうけれども。

主 実際に、市場においては、一物一価の原則によって、有利な条件の下に生

産されたものとそうでないものとは、同一の価格で販売されなければならない。

客 市場では、生産条件の相違を理由に異なった価格を要求するわけには行き

ませんからね。

主 異なる産業部門の間で、他の産業部門への投資の選択が行われ、一定の一

般的利潤率による平均利潤を与えられる、というのであれば、あたかも一資本

が各産業部門全体を生産するようなことになる。たとえば同種の商品が、生産

条件の異なる諸工場で、すべて一資本のもとに生産されるとすれば、資本は、

全体を合計して、その全資本に対する利潤率を平均的に計上することもできる。

しかし、実際には諸工場が、それぞれ別個の資本によって経営され、その利潤

率が異なるとなれば、単純に合計して平均化するわけにはいかない。

客 となれば、同種の製品を生産する同一部門では、一般利潤率の形成に際し

て、むしろ利潤率の相違が残る、ということになります。

主 それは、利潤率の相違を残す「市場価値規定」の支配が内包されているか

らだ。いいかえれば、もし同一部門内で利潤率が均等になるとすれば、それは

「市場価値規定」によってそうなるのだ。

客 資本の生産物は、「市場価値」に代わって「市場生産価格」としてあらわれ

ます。

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主 この「生産価格」は同一部門内の資本に必ずしも利潤の平均をもたらすの

ものでない。この「生産価格」は、「価値」と同様に「市場価格」の運動の中心

となるものとしての「生産価格」だ。

・異なる生産部門間 … 価値の生産価格化 → 一般利潤率

・同種商品生産資本間 … 市場価値規定 → 異なる利潤率

1 「価値の生産価格化」と「市場価値」

客 「価値の生産価格化」を説いた後に、「市場価値」を説くのは、順序が

逆になっていませんか。

主 実はそうではない。商品の価値規定は、社会的需要に応じた「供給」を前

提とする。この前提は、機構的には資本の生産物における「価値の生産価格化」

によって初めて現実に与えられる、という関係になる。また、価値規定の市場

における制約も「価値の生産価格化」を前提として初めて説けるのだ。

客 同一種類の商品の生産をする資本は、その生産物を市場において販売する

場合に、この「価値の生産価格化」という前提のもとで競争する、ということ

でした。

主 しかし、そこでは生産条件の相違から生じる利潤率の相違を「価値の生産

価格化」によって解消するわけにはゆかない。

客 いいかえれば同一部門内での資本の間には「価値の生産価格化」は行われ

ないと同じですね。

主 価値関係自身に与えられている「市場価格」の運動の中心となる「市場価

値規定」によることになる。

客 資本の生産物としての「価値の生産価格化」が、これに対して別に新たな

価値規定を加えるということにはなりませんね。

主 したがって「市場価値」規定は、同時に「市場生産価格」規定にもなるわ

けだ。

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個別資本は、同一生産部門内で利潤率を高める競争を展開しながら

この部門の平均的利潤率を基準に他の生産部門での展開も選択する。

(異なる生産部門)

A 部門 B 部門 C 部門

↓利潤率の平均化

資本 A 1 生産価格

資本 A 2 市場での競争 → 市場生産価格

資本 A 3 (異なる利潤率)→ 市場価格

(同一部門内)

2 市場への供給主体と「市場価値」

客 一般的には、中位的な生産条件による生産が供給の大量を占め、その価値

が市場価格となると考えられますが。

主 必ずしもそうとは限らない。もともと「市場価値」は、需要供給の均衡を

基礎にして決定されるので、需要が変動することで、どのような生産条件の商

品の供給が増加するのか、ということになる。

客 一般的に中位的生産条件による商品の価値が「市場価値」となるのは、供

給増加が中位的生産条件の商品の生産の増加によって行われるからなのですね。

そのときは、特に優良なる条件、あるいは劣等な条件のものは例外とされます。

主 もし供給増加が比較的劣等な条件による生産によって行われるとすれば、

「市場価値」は劣等的条件によって生産される商品の個別的価値によって決定

される。

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客 このとき、優良な条件で生産する資本はもちろん、中位的条件の資本も、

平均利潤以上の超過利潤を得ることになります。

主 反対に、供給増加が優良条件で生産する資本の商品生産物によって充足さ

れる場合には、劣等条件の資本はもちろん、中位的条件の資本も平均以下の利

潤しか得られなくなる。

客 この場合、もし不利な条件の資本がその生産を停止し供給が減少すれば、

その不足を優良な条件の資本が生産を増加して補うことが前提になります。

主 中位的条件の資本による商品の個別的価値が「市場価値」を決定するとい

う場合にも、劣等条件の資本がその生産を停止すれば、この中位的条件の資本

がそれを補うということを前提に、「市場価値」が決定されるわけだ。

<供給主体と利潤状況>

利潤の状況 優位条件 中位条件 劣位条件

供給の中心 の資本 の資本 の資本

優位条件の資本 平均(市場価値) 平均以下 平均以下 撤退も

中位条件の資本 例外 平均(市場価値) 例外

劣位条件の資本 多くの超過利潤 超過利潤 平均(市場価値)

3 「市場生産価格」

客 市場競争は、単に売り手たちと買い手たちとの売買競争だけに終わりませ

ん。

主 需要が供給を超過すれば、価格は上がって供給が増加され、反対に供給が

需要を超過すれば価格は下がって供給が減少することになる。しかも、この需

要超過とか供給超過とかは、「市場価値」を基準にして言えることだ。

客 この「市場価値」は、需要と供給が相互に規制する関係のうちに形成され

るものです。

主 この「市場価値」を決定するのは、その商品の生産条件なのだが、問題点

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は、生産条件がだいたいにおいては標準的なものになるが、必ずしもそうでな

いということにある。

客 商品経済は、社会的に需要される生産物を個別的に、社会的計画なしに、

無政府的に生産します。

主 個々の生産者に対しては、「価値法則」が外部から自然法則のように強力的

なものとして作用して社会的に規制する。この「価値法則」による社会的規制

が、特殊な機構で商品経済に特有な形態で展開されることによって、労働生産

過程を基礎とする、あらゆる社会に共通な「経済の原則」を法則的に実現する。

客 その規制は、資本の生産過程における労働者と資本家との関係によって、

社会的に全面的な必然的展開の基礎を与えられます。

主 それと同時に、「価値の生産価格化」という資本家的回り道をせざるを得な

い。それは、商品経済が、社会的労働を各種の産業にその必要に応じて機動的

に配分するための特殊な客観的方法なのだ。

客 しかし、この配分は、社会的需要に対応する供給量がどのようになるか、

ということで、さまざまに異なってきますね。

主 しかも、それは同一種類の商品を生産する産業部門が必要とする「労働総

量」によってではなく、変動する需要に応じる「供給」がどのような生産条件

で生産される商品によって充足されるかによって決定される。

客 つまり、上述のような「市場価値規定」に従うわけですね。

主 いいかえれば、社会的には実際に投下される労働総量以上に、あるいは以

下に評価されることにもなる。

客 もちろん「価値の生産価格化」は、当然にこの「市場価値規定」を「市場

生産価格」として実現します。

主 こうして、それぞれの産業部門に属する個々の資本の間には、「利潤率の相

違」を残しながら、各種の産業部門で生産される商品の「市場価値」を決定す

る資本の間には、「均等な利潤率」を実現するということになる。

客 逆に言えば資本は、「市場価格」規定によって、一般的にはいずれの生産部

門を選択しても一定の利潤率を実現するということにもなりますが、同一産業

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の資本には、必ずしも同一の利潤率が保障されるわけではありません。

主 こういう関係は、資本主義的生産には当然な需要供給の不断の変動のうち

に確立されるのであって、一定の固定的なものとしてではない。需要は、供給

を基礎とし前提とするが、供給はまた需要によって制約される。しかも資本主

義的生産は、資本の蓄積によって、供給と同時に需要を常に増進しつつ発展す

るのであって、両者は不断の価格の変動のうちに互いに調整される。

客 それが、マルクスのいわゆる「不断の不均等の不断の均等化」の過程です

ね。

主 もちろん、需要供給の関係自身がこの「市場価値規定」の実体を形成する

わけではない。

客 「市場価値規定」の実体は、あくまでその商品の生産に要する労働時間に

よって形成されます。

主 その商品が、需要供給の関係によって、「市場価値」を決定する商品となる

のだ。

経済原則

↓(商品経済形態化)

価値法則

<価値の生産価格化> ↓ <市場価値価格>

(不断の不均等の不断の均等化)

市場生産価格

<部門間に均等な利潤率> <個別資本に利潤率の差>

市場価値規定の実体は、その商品の生産に要する労働時間によって形成

その商品が、需給関係によって、市場価値を決定する。

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<補足・市場価値規定と個別的価値>

客 「市場価値」の決定に関して、需要は消極的条件となるのに対して、供給

は積極的条件となります。それは商品の価値決定が、使用価値を消極的にその

条件とするということのあらわれです。

主 そのようなあらわれとして、一方で、さまざまに異なった使用価値をもつ

商品の社会的需要に対しては、資本はその生産物の「価値の生産価格化」によ

ってでも、その生産に必要な社会的労働の配分をおこなう。

客 他方で、同種の使用価値をもつ商品に対しては、社会的需要は、時によっ

ては実際以上に、あるいは以下に社会的に労働を要したものとする、というこ

とにもあらわれます。

主 いずれも、商品経済に特有なズレといってよいが、前者は価値実体として

の基礎の上での剰余価値の特殊な配分替えに過ぎないのに対して、後者は、価

値の実体的規定そのものと相違する「市場価値」規定を与えることにもなる。

客 そうすると、前者の場合とは異なって、後者による超過利潤は、資本とし

ては常に追求しながら、結局は競争によって解消されざるをえないものですね。。

主 ただ原理論として明らかにしておかなければならないことは、このような

超過利潤が解消された場合にも、「市場価値」規定は需要に応じて供給をおこな

う資本の「個別的価値」によって決定されるという点である。またそれが明ら

かになって、他のさまざまな場合の超過利潤の形成も解明されることになる。

異なる使用価値商品の需要→価値の生産価格化→社会的労働の配分

(価値実体を基礎→剰余価値の配分替え)

同種の使用価値商品の需要→市場価値規定 →実際とズレた労働配分

(実体的規定と相違する個別的価値→超過利潤は解消)

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第3節 一般的利潤率の低落の傾向 -生産力の増進と景気循環-

1 生産方法の発展と超過利潤

客 資本は、新たに改良された機械を採用し、生産力を増進することによって、

超過利潤を得ます。一般的には、資本はその超過利潤を求めて、生産方法の改

善を進め、相対的剰余価値の生産をおこないます。

主 しかし、これは、先ほどの「同種の使用価値商品」に対する「市場価値」

規定による超過利潤とは異なる。すなわち、この超過利潤は、従来の方法によ

る商品の市場価値と、新方法による商品の個別的価値との相違を根拠としてい

る。

客 新方法の資本が出現して生産量が増加すると、その商品価格は、従来の市

場価格よりも安くはなりますが、新方法による商品の個別的価値よりも高くな

らざるをえないでしょう。だから、新方法の資本は、なおいくらかの特別剰余

価値としての超過利潤をえることになります。

主 しかし、その新方法を採用する資本が増加するにしたがって、価格が引き

下げられ、結局は超過利潤はえられなくなり、新たな市場価値が決定される。

客 従来の方法による資本は、この過程のうちで新方法の採用を強制されるわ

けですね。

主 新方法を採用する資本の得る超過利潤は、従来の方法による資本が失う利

潤部分によるものというわけではない。従来の市場価値とこの新方法による商

品の個別的価値との差額に基づく。しかし、新方法による資本の増加にしたが

って、市場価値がこの新方法による個別的価値に近づく。

客 比較的容易に従来の方法が新方法に転換されれば、新方法による資本の超

過利潤を得る期間は短いことになりますね。。

主 新方法を採用する資本が出現しても、直ちに新市場価値を形成しないで、

超過利潤を与えられるところに、新方法を普及させる資本家的方式が示される。

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ポイント 超過利潤が新生産方法を普及させる

<補足・発明費用と普及費用との違い>

客 新方法によって形成される特別剰余価値は、「市場価値」規定による「超過

利潤」としてあらわれますが、新方法の普及とともに消失します。

主 この剰余価値は、いわば普及のために社会が支払う改良費用だ。これと、

新方法を発明し、発見するための費用とは区別される。発明・発見の費用は、

一般に価値を形成するものではない。

客 普及費用は、たとえば社会主義社会においても、当然に認められなければ

ならない費用ですね。

主 資本家的商品経済においても、一般的な超過利潤とは異なるものとしてだ

が、価値としての実体的規定を与えられる。ただし、直接社会的に旧方法の改

良費としてではなく、新方法を採用する資本の個別的超過利潤とされる。

客 そこに資本主義の特殊性があるのですね。

<新方法の価値>

発明・発見…価値を構成しない

普及 …価値を形成。ただし採用する資本の個別的超過利潤に

2 有機的構成の高度化と利潤率の低下

客 資本家的生産方法は、生産方法を改善し、生産力を増進しつつ発展します。

その条件となるのが、マルクスのいう「資本の有機的構成の高度化」です。

主 そこでは、総資本に占める可変資本部分の比率 v/(c+v) は低下する。特に

固定資本 c は増加する。そこで剰余価値率 m/v を一定とすれば、総資本に対

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する剰余価値の比率 m/(c+v)としての一般利潤率は低下することになる。

m m v v= × なお、有機的構成は

c+v v c+v c

(利潤率)=(剰余価値率)×(資本の構成)

v c v 1*― が低下すれば が上昇するので = も低下する

c v c+v c+ 1

客 有機的構成v/cの高度化とは、v/cの値が低下することですから、 v/(c+v)

も低下することになります。たしかに利潤率は低下することになります。

主 もちろん、生産方式の改善によって生産力が増進すると、直接、間接に、

剰余価値率自身は高まり、利潤率の低落は、妨げられる。また、生産過程にお

ける技術的改良や流通過程における交通機関その他の発達も、資本の回転期間

を短縮し、利潤率を高める。

客 つまり、そのように利潤率の低下を妨げたり、利潤率を高めたりするのが、

資本の有機的構成の高度化で、それが同時に利潤率の低落をもたらすわけです

ね。

主 根本的には、生産力の増進を実現する生産方式の発展が、いわゆる資本の

技術的構成の高度化をもたらす。そして、労働の生産力の増進は、労働量に対

する労働手段その他の生産手段を増加させることになる。

客 ただ、生産力が増進することによって、生産手段の価値や、労働力の価値

を決定する生活資料の価値は低下することになります。

主 たしかに、それによって、技術的構成の高度化は、有機的構成(価値構成)

の高度化としては緩和されてあらわされる。また、この高度化における利潤率

の低落は、剰余価値率の増進によって阻害されることにもなる。

客 こうして、この低落は、マルクスのいう「傾向的法則」となるのですね。

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主 もちろん、資本量が増加すれば、利潤率の低落にもかかわらず利潤量は増

加する。このために、資本の蓄積が漸次に減退するということにはならない。

しかし、資本は常により多くの価値の獲得と利潤率の上昇とを目標とし、相対

的剰余価値の生産を推進するために、その生産方式を改善するとともに、その

商品の価値をますます低下させ、利潤率を漸次に低落させる、ということにな

る。

客 そのような利潤率の低落の傾向が、一般に労働の生産力の増進というもの

を、資本家的に特有に表現しているというわけですね。

技術的構成の高度化 → 生産力の増進

生産手段の増加

↓ 緩和

有機的構成の高度化 ← 生産手段の価値低下

利潤率低下 ← 剰余価値率の上昇・回転期間の短縮

(傾向的法則) 阻害

<補足・労働生産力の増進と利潤率の低下>

客 労働の生産力の増進は、単位労働量に対して、生産手段の量が相対的に増

加することを意味します。それは、あらゆる社会に共通な、自明な原則です。

それが、資本主義社会では、利潤率の低落という特有な形であらわれる、とい

うことですね。

主 つまり、労働によって新しく形成される価値生産物の全量が、可変資本

部分にょって、言い換えれば労働者によって生産される。その可変資本は、

不変資本に対比してますます減少する。言い換えれば、労働者は相対的に減

少する。しかも、増加する不変資本の中でも、固定資本が重要部分を占める。

客 だから、一般的には利潤率の低落の傾向は、労働の生産力の増進の資本家

的な表現だというのですね。

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3 景気循環における労働力と固定資本

客 資本家的生産の発展によって、生産方法が不断に改善されるわけではない

のですね。

主 固定資本の存在がそれを許さない。償却期限の残っているものを簡単に廃

棄するわけにはいかないのだ。また、単純に特別の剰余価値としての超過利潤

を目標として行われるというのでもない。不況期の窮状を脱するために、いわ

ゆる合理化として、旧来の固定資本を更新し、新たな方法を採用するというこ

とになる。

客 ということは、不断に相対的過剰人口が形成されるのではないのですね。

主 不況期の生産停滞に伴う過剰人口に、さらにこの過剰人口が加わり、それ

を基礎にして好況期のために蓄積されるのだ。

客 好況期には、生産方法の改善よりも、生産拡張に重点が置かれます。資本

は、生産拡張とともにますます多くの生産手段と生活資料とを生産します。そ

して、自ら生産することのできない労働力を過剰人口として与えられるならば、

生産拡張は制限されません。

主 この場合、同じ生産方法のもとに拡張を続ける。しかしそういう拡張は、

やがては必ず賃金の騰貴によって、利潤の急激な低落をもたらす。資本主義経

済に必然的な、周期的恐慌現象は、この利潤率の急激な低落による資本の過剰

を根本的原因とする。

客 マルクスは、「利潤率の傾向的低下の法則」がはらむ内的矛盾の展開として、

恐慌論の基本的規定を捉えていますが。

主 この法則は、それ自身では恐慌の根源をなすような内的矛盾を持つわけで

はない。つまり、賃金騰貴によって利潤率が低下すると、蓄積による資本増大

にもかかわらず資本の利潤量は増加しない。それは資本の過剰をなす。資本は、

しかしこれで直ちに蓄積を停止するわけではない。個々の資本としては、利潤

率の低下による利潤量の減少に対して、むしろ反対にあらゆる手段による蓄積

の増進によって補おうとする。この利潤率の低下に伴って生じる利子率の高騰

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によって、個々の資本は転換を強制される。

客 恐慌が発生したのですね。

主 もちろん、それは単なる産業部門間の不均衡によるものではなかった。産

業部門間の均衡によってでは労働人口の不足は補えなかった。しかも、生産方

式の改善、有機的構成の高度化による相対的過剰人口の形成で補足することも

急にはできなかった。こうして資本は、生産方法の改善を、恐慌によって強制

されて行うのだ。

客 恐慌のこの必然性は、確かに労働者の消費力が資本主義的に制限されてい

ることを示しています。

主 しかしそれは、単に労働者の生活が常に最低限にとどめられているという

ことを意味しない。好況期には、賃金が高騰し、一定程度の生活水準の向上が

許される。しかしその騰貴は、利潤率の低落による資本の過剰をもたらすもの

として、資本家的に制限されている。

客 しかし、生産方法の改善、有機的構成の高度化は、相対的過剰人口を形成

し、この賃金の騰貴を制止できるのではないですか。

主 固定資本の存在が、そう自由にこのような改善をおこなわせないのだ。す

なわち、好況期に続く不況期において、資本家的生産過程の一般的停滞のうち

に、資本はようやく固定資本の更新を迎え、改善された方法による新たな出発

点を見いだす。もちろん、恐慌後の不況期における停滞は、商品の過剰ととも

に固定資本を含む、あらゆる資本の価値を破壊し、喪失させることになり、ま

た労働者を失業させ、賃金を低落させるわけだ。しかしこのような一般的な価

格の低落は、直ちに新たなる回復をもたらすものではない。

客 それは、この恐慌と不況の原因自身を除くものではないからですね。

主 いわゆる合理化による、新たなる方法の出現が、新たな資本家対労働者の

関係を展開し、生産力の新たなる発展を実現することになる。

客 要するに、資本による生産方法の改善は、固定資本の更新と相対的過剰人

口の形成とを基礎とする景気循環の過程で断続的に行われる、ということです

ね。

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好況期…同じ生産方式での生産拡大

→ 労働力不足・賃金高騰 →労働者の生活水準の向上

→ 利潤率低落・利潤量減少

→ 利子率高騰

→ 資本増大しても利潤量減少(資本の過剰)

恐慌 …価格崩落 連鎖倒産 信用低下

不況期…生産停滞→価格・利子率・賃金の低下 →過剰人口・失業・合理化

(新生産方式の出現)

→ 固定資本の更新

4 利潤率の低落傾向と利潤率の均等化

客 こうしてみると、生産方式の改善による有機的構成の高度化は、資本主義

の発展過程で不断に行われるとは言えません。また、利潤率の低落傾向も、好

況期の中位的水準の時にあらわれるものです。

主 もっとも、好況期に生産方法の改善が全く行わないというのではない。ま

た不況期にあらゆる産業で一様に、合理化としての生産方式の改善が行われる

わけでもない。

資本としては、多くの利潤の得られる好況期に、固定資本を犠牲にしてまで

生産方法改善の利益を求めるより、既存の方法で生産拡張を求めるのは当然だ。

また自己の産業でなく他の重要な産業に生産方式の改善があれば、その産業に

新たに参入する機会をうかがう。

客 19世紀のイギリスで、10年周期の循環が見られたということは、固定資本

の更新と重要な関連を持っているわけですね。

主 たしかにそう言えるが、固定資本の更新期が10年と決まっているわけでは

ない。たとえば不況期の競争では、ほんらい更新する時期でない固定資本も改

変されるのだ。

客 ところで、資本主義は、一定周期の景気循環を繰り返す過程のうちに発展

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します。一般利潤率もまたこの景気循環過程に伴って変動しつつ低落する傾向

にあります。

主 それゆえに、利潤率均等化の法則も、一定の時期に生産された剰余価値が

総資本の間に均等に分配されるというように、いわば「静態的に」理解されて

はならない。実際、超過利潤が残るにしても、資本の競争によって解消される

べきものだ。また各産業部門間の利潤率の相違も、蓄積の伸展とともに均等化

されるものだ

客 そのような「動態」を通して、法則が貫徹されるのですね。

主 こうして、資本家的商品経済では、「利潤率均等化」の法則が、「価値」に

代わる「生産価格」を中心として動く価格変動を通してあらわれる。また、「利

潤率の傾向的低下」の法則が、景気循環過程を通してあらわれる。

客 それらの法則の展開のうちに、経済過程が資本家的社会的に規制される、

ということになります。

< 資本主義社会を規制する二つの法則>

・利潤率均等化の法則 …生産価格による価格変動であらわれる

・利潤率の傾向的低下の法則…景気循環であらわれる

<補足・景気循環論と原理論・段階論>

客 原理論によらなければ、恐慌を伴う景気循環の過程が必然的なものだとい

うことはできないのですね。

主 実際上は、つねに不純の要素があり、実際の経済過程からの抽象的規定は

困難だ。しかも、理論的規定の基礎となるような周期性を確実に示した循環は、

19世紀20年代から60年代までの間に5回繰り返されただけだ。

客 つまり、単に実際の過程を抽象するだけでは、基本的規定は得られない。

そのために、原理論の諸規定の関連のうちにその抽象的規定を与えるしかない、

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ということですね。

主 好況期の生産方法の改善もその点から考慮されなければならない。

客 ただ、最近の資本主義のように、株式会社制度が産業に普及すると、生産

方法の改善は比較的より容易に、またその時期を選ばず行われます。新しい方

式の採用は、新しい会社で行われるからです。

主 しかし、不況期の合理化として行われるということが全くなくなるわけで

はない。一般に最近の資本主義の発展は、原理論で規定されものを基準にして、

いわば不純の状態をなすものとして解明されるべきなのだ。

客 株式会社の普及も、そのもとで行われる生産方法の改善も、段階論的規定

のうちに解明されるべきだということですね。

恐慌は、原理論で抽象的に規定される。

実際の過程は、原理論による規定の歪曲・不純化過程として、

段階論的規定のうちに解明される。

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第2章 地代 …<土地所有に、利潤はいかに分与されるか>

客 土地などの自然は、生産手段として利用できるものであり、まただれ

かがその利用を制限したり、独占したりできるものです。

主 資本は、その自然力を、直接の生産者である労働者から分離し、労働

者を無産労働者とすることによって、労働力の商品化の基礎を確立してき

た。

客 つまり、歴史的には、資本家たちが土地私有者たちに要請したのです

ね。労働者たちを土地から排除するように、と。

主 労働者たちは、労働のために直接、間接に土地を必要とするが、そこ

から排除されるため、自ら労働することができなくなる。そして、自らに

とって使用価値を失った労働力を商品として売らざるをえなくなる。

客 そうやって、資本家的商品経済が社会体制として基礎づけられたので

すね。

主 一方、自然力は、もともと労働生産物でなく、一般に資本となりえな

いものだ。

客 つまり、資本家以外のだれかの所有物として、資本家に対立するもの

なのですね。

主 そこで、資本家は、その自然力を生産手段として利用するときに、所

有者から借り入れなければならない。

客 資本家と土地所有者とのこの関係が、資本家と労働者との基本的関係

の前提になると言ってよいのですか。

主 いや、それは違う。前者の関係が後者の関係を決定するのではなく、

むしろ後者の関係によって、前者の関係が規定され、確立されることにな

る。

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<資本家が直接に生産できないもの>

①自然力

所有者から借り入れ ← 労働生産物でなく資本が生産できない

②労働力

商品として市場で購入 ← 土地私有により労働者を土地から分離

客 そもそも地代について、どこから規定していくのでしょう。数値の入っ

た説明になるでしょうから、しばらくは専らお聞きします。

主 資本は、制限され独占される自然力を利用する場合、資本家同士の間

で処理できない「超過利潤」が発生することに直面する。その処理のため

に、その生産様式に適応した土地所有を要請することになる。

たとえば、動力として一般には蒸気力が利用されているが、その蒸気力よ

りも自然の落流(水力)のほうが有利であるとしよう。ところが、蒸気力

は資本が自由に利用できるが、落流の利用は制限されていて自由に利用で

きない。このため、落流によって得られる超過利潤は、地代として、いわ

ば資本の運動の外部に差し出される。

いま、蒸気力工場の生産物が100の費用価格で生産され、115の生産価格で

販売されるとすれば、利潤は15となり、(費用価格を全資本とすると)、利

潤率は 15 %となる。これに対して落流利用の資本が 90 の費用価格を要す

るに過ぎないとすれば、その工場の個別的生産価格を利潤率 15%として、

103.5(90 × 1.15 = 103.5)となる。そこでこれが蒸気力利用の生産物と同

様に販売されれば、11.5 の超過利潤を得ることになる。資本としては、こ

れをすべて資本自身の得る超過利潤とするわけにはいかないが、かりにこ

れをすべて落流の利用に対して地代として支払うとしても、(90 +地代)の

費用価格に対して、13.5 の利潤が得られるわけだ。

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工場 費用 個別 生産 (地代) 利潤 利潤率

価格 価格

(A)蒸気力 100 115 115 115 -100 = 15 15%

(B)水力 90 103.5 115 ( 0) 115-90- 0 = 25 27.8%

(超過利潤11.5)

(B)’水力 90 103.5 115 (11.5) 115-90-11.5=13.5 13.3%

さて、蒸気力を利用するある工場が、機械の改良によって費用価格を90

に低下することになったとすると、この工場も 11.5 の超過利潤をえること

になるが、この場合にはそれは地代化されず、資本がえる特別の剰余価値

としての超過利潤となる。そして他の蒸気力工場にもこの改良を普及させ

る資本家的動力となる。

<新蒸気力(A)' の登場>

工場 費用 個別 生産 地代 利潤 利潤率

価格 価格

(A)蒸気力 100 115 115 115-100=15 15%

(A)’蒸気力 90 103.5 115 115- 90=25 27.8%

(特別剰余価値11.5)

(B)’水力 90 103.5 115 11.5 115-90-11.5=13.5 13.3%

( 地代を負担)

やがて、この改良が普及すると、他の蒸気力工場の生産価格は、103.5に

低下し、超過利潤は得られなくなる。落流工場もまた超過利潤を得られな

くなるので、地代を支払う利点はなくなる。

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<新蒸気力の普及 (A)も改良>

工場 費用 個 別 生 産 地代 利潤 利潤率

価格 価格

(A)蒸気力 90 103.5 103.5 103.5-90=13.5 15%

(A)’蒸気力 90 103.5 103.5 103.5-90=13.5 15%

(特別剰余価値なし)

(B)’水力 90 103.5 103.5 11.5 103.5-90-11.5=2 0.02%

(地代負担困難)

客 ということは、生産手段(それ自身が資本の生産物である)の改良が

普及することによって、超過利潤がやがて排除されるのに対して、農業な

どで利用される土地の自然力によって形成される超過利潤は、排除されま

せん。

主 それが、地代として固定されるわけだ。生産手段の改良による超過利

潤は、生産手段の改良のために社会的に必要とされる費用として、資本家

的商品経済において価値を形成するものとされる。これに対して、地代化

された超過利潤は、なんら社会的役割をもつものではなく、ただ商品経済

における市場価値規定に基づく、いわば形態的な、いいかえれば実体的基

礎のない特殊な超過利潤として、「虚偽の社会的価値」となる。

客 それは、土地自身が資本としての生産手段と異なって、労働の生産物

でないという事実によるのですね。

主 なお、生産方法の改良に基づく特別の剰余価値としての超過利潤は、

あらゆる社会に認められる改良費として、社会的実体をもつものだ。ただ

資本主義的商品経済では、それが一般的な市場価値規定のもとに個人的な

特別の利潤とされる。

客 それが生産方式の改善の動機となるのが資本主義の特徴ですね。とこ

ろで、より具体的な地代形態の規定について、これからまとめてお話しく

ださい。

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<超過利潤の区別>

根拠 継続性 取得者

自然力の差によ 実体的基礎はなく、形態的。 資本自体によっ 地主

る超過利潤 例外的個別生産価格が固定化。ては解消できず

生産手段の改良 改良の普及費用 普及と共に解消 資本家の

による超過利潤 特別利潤

1 差額地代・第一形態

… 質の異なる土地の差異に基づく超過利潤の地代化 …

主 たとえば、質の異なる農地A、B、C、Dに対して、1エーカー(約40ア

ール)あたり同一額の資本50シリングを投下して得られる小麦の生産額が、

それぞれ10、15、20、25ブッセルだとする。いま1ブッセルを6シリングで

販売されるとし、Aの生産額10ブッセルを販売して資本のえる10シリングの

利潤が平均利潤となるとすれば、B、C、Dはそれぞれ30、60、90シリングの

超過利潤をえるわけだ。これは当然に地代化される。それは次のように表

示できる。

(1ブッセル=36.4㍑=小麦27.2キロ、1シリング硬貨=12ペンス)

耕地 生産物 投下資本 利潤 超過利潤(地代)

ブッセル シリング シリング シリング シリング

A 10 60 50 10 0

B 15 90 50 40 30

C 20 120 50 70 60

D 25 150 50 100 90

計 70 420 200 220 180

1 ブッセル= 6 シリング

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主 社会的にはこれらのさまざまな土地がさまざまな割合で利用され、そ

の全生産額が最劣等地Aの生産価格で販売されるものとして、B、C、Dなど

にそれぞれその利用面積に応じた地代が生ずることになる。

さて、生産物に対する需要が変化し、たとえばAの土地を利用する資本に

平均利潤を与えないような価格となって、しかもA地の生産物がなくとも需

要が充足されるということになれば、B地の資本の生産価格4シリングが市

場調節的生産価格となる。したがってC、Dにおいて地代化される超過利潤

は、20、40に減少することにもなる。

耕地 生産物 投下資本 利潤 超過利潤(地代)

ブッセル シリング シリング シリング シリング

B 15 60 50 10 0

C 20 80 50 30 20

D 25 100 50 50 40

計 60 240 150 90 60

1ブッセル=4シリング

主 あるいはまた、生産方法が改良されてA,B,C,Dに新たな差が生ずるとい

うこともある。いずれにしろ同一額の資本が投下されて、異なった生産額

が生じるというような、さまざまな土地が利用されるかぎり、資本はその

超過利潤を地代に転化して、その平均利潤の原理を貫徹させることになる。

このような「さまざまに質を異にする土地の間の差異」に基づく超過利潤

の地代化が差額地代・第一形態だ。これに対して、「同一種類の土地に対す

る投下資本額が異なる」のにしたがって、たとえば最初の投資と次の投資

というように、一定量の投下資本によって生産額に差異が生じると、その

間に超過利潤が生じることになり、それもまた地代化される。これが差額

地代・第二形態だ。

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<差額地代>

超過利潤の地代化

第一形態 質の異なる土地の差異に基づく。横に同時に比較される差異。

第二形態 同一種類の土地への異なる投下資本額から生じる。資本蓄積とともに変化する相違。

2 差額地代・第二形態

…同一種類の土地への異なる投下資本額から生じる超過利潤の地代化…

主 たとえば第一形態の最優良地Dに対して計200シリングを資本投下する

とし、最初の50シリングによって25ブッセル、第Ⅱ、第Ⅲ、第Ⅳの50シリ

ング投資によって、それぞれ20、15、10ブッセルの小麦を生産するものと

する。そして、1ブッセル6シリングで販売するものとし、D地を利用する資

本が、最後の第Ⅳ投資50シリングによって10シリングの平均利潤をえるな

ら、第Ⅰ投資~第Ⅲ投資はそれぞれ100、70、40シリングの利潤をえて、そ

れぞれの超過利潤90,60,30シリングを合計して180シリングを地代化する

ことになる。

投資 資本 生産額 利潤 超過利潤(地代)

シリング ブッセル シリング シリング シリング

DⅠ 50 25 150 100 90

DⅡ 50 20 120 70 60

DⅢ 50 15 90 40 30

DⅣ 50 10 60 10 0

計 200 70 420 220 180

1ブッセル=6シリング

主 小麦価格が上昇し、1ブッセル12シリングで販売するとするものとして、

D地にさらに50シリングの第Ⅴ次投資がなされ、5ブッセルを生産し、10シ

リングの平均利潤をあげるなら、D地の第Ⅰ~第Ⅳ次投資も240、180、120、

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60シリングの超過利潤を生じる。同時に第一形態のA地にも地代に転化され

る超過利潤60シリングを生じることになる。

耕 資本 生産額 利潤 超過利潤(地代)

地 シリング ブッセル シリング シリング シリング

DⅠ 50 25 300 250 240

DⅡ 50 20 240 190 180

DⅢ 50 15 180 130 120

DⅣ 50 10 120 70 60

DⅤ 50 5 60 10 0

計 250 75 900 650 600

A 50 10 120 70 60

1ブッセル=12シリング

主 これとは反対に、社会的需要が縮小し、1ブッセル4シリングで販売す

るものとして、D地への第Ⅲ次投資による生産で需要が充足されるなら、D

地の超過利潤は60シリングに減少し、A地は耕作圏外に置かれ、B地の資本

も超過利潤をあげることはできない。

耕 資本 生産額 利潤 超過利潤(地代)

地 シリング ブッセル シリング シリング シリング

DⅠ 50 25 100 50 40

DⅡ 50 20 80 30 20

DⅢ 50 15 60 10 0

計 150 60 240 90 60

A 50 10 40 -10 耕作圏外

B 50 15 60 10 超過利潤なし

1 ブッセル= 4 シリング

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3 第一形態と第二形態

客 差額地代第一形態の図式では、資本がまず優良地 Dを選択して利用し

ます。そして需要が増大すると、それに対応して、より劣等な土地C、B、A

をやむなく利用するということから超過利潤が生じ、それが地代化する、

と理解してよいのでしょうか。

主 いや、超過利潤が地代化すること自体は、けっして必然的にいわゆる

下方序列(優良地から劣等地へ)によって行われるわけではない。たしか

に優良地に限りがあるという前提によって超過利潤が地代化するのだが、

それだけではなく、限りがあることで生じた超過利潤が資本としては処分

できないために地代化するのだ。つまり、土地所有は資本の外にあって、

資本が土地を自由に利用できるものではないのだから、土地利用について

資本の選択によってその序列を規定できるわけではないのだ。

客 差額地代第二形態については、いわゆる「収穫逓減の法則」(一定面積

の土地に対する資本投下額の増加にしたがってその生産額が減じてゆくと

いう法則)によるものであるかのようにも考えられますが。

主 そういうことではない。たしかに農業では資本投下は土地自身によっ

て制約される。だからといって、資本投下量の増加が必ず収穫を逓減する

ということにはならない。問題は、土地所有の制約が資本投下に対立する

ものとしてあって、資本に対抗する点にある。

客 一般に資本の蓄積が進むと、農産物に対する需要が増加し、土地を主

な生産手段とする資本の蓄積も増進します。

主 その場合、生産物価格が騰貴して、資本投下の増大が誘導されても、

借地関係のあり方によっては、その資本投下が促進されることにも、また

阻害されることにもなる。さらにまた資本投下が強制されることにもなる。

客 従来の地代契約のもとでは、新たに得られる超過利潤は、そのまま資

本の利潤に加えられることになりますね。しかしそれは契約更新とともに

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地代化されます。

主 それと同時にそのような資本投下の増加は、一般的に進行する。しか

し、同種の土地も契約更新の時期が異なって、ある期間はしばしば異なっ

た地代を生ずることにもなる。

客 こうした借地関係によって、原則として追加投資が従来の投資と一体

化されずに、超過利潤を形成し、それが地代化されるわけですね。

主 いずれの形態にあっても、資本主義の発展とともに、資本の蓄積と借

地の拡大とによって、一般的に地代は増加する。

客 しかし、それは必ずしも順次に劣等な耕地が利用されるということに

よるものでもなく、また収穫逓減の法則によるものとも言えないのですね。

主 技術的発展は、土地の生産性を高め、土地の差に変動をもたらすが、

資本と土地との間には土地所有が存在し、新たに形成される超過利潤が地

代化されるのだ。またこれによって農業の技術的発展が阻害されることに

なる。

超過利潤の地代化の根拠 留意点

第一形態 質の異なる土地の差異に基づく 資本の選択で序列化できない

第二形態 異なる投下資本額から生じる 資本は自由に資本投下を増大しえない

<資本の展開と土地所有>

超過利潤の地代化 → 技術的発展の阻害

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<差額地代と絶対地代>

差額地代 土地に起因する超過利潤を地代化する。外部的、消極的に資本と関係。

第一形態 資本の側が、土地所有にたいして資本家的規定を与える第一歩。

第二形態 土地所有形態が資本蓄積に対して消極的に制約を与える。

絶対地代 土地所有による利得を社会的に負担。あらゆる土地が資本に要求する。

資本に対して積極的に制限を与える。

4 絶対地代の発生 …資本への積極的制約

客 土地などの特殊な自然力が資本に対する関係は、以上のような外部的、

消極的なものにとどまるものではありませんね。

主 もともと資本は、原始的蓄積過程で農民から土地を分離することによ

って生産過程を把握する根拠を得た。それと同時に、土地を資本にも対立

するものとした。

客 土地は労働生産物でないので、資本となりえず、また利用制限や独占

が可能な自然力であって、資本はこれを生産手段として自由に使用するこ

とができません。

主 そこで資本は、何らかの地代を支払うことによって、土地に資本を投

下する。この地代は、一般的にあらゆる土地が資本に対して要求できる絶

対地代だ。

客 一方で土地所有者も、資本家に貸与して資本を投下させなければ、何

らの地代もえられません。だから、一定の限度を持った地代で貸し付ける

わけですね。

5 絶対地代の形成

客 土地を主要な生産手段とする農業では、資本蓄積による労働手段の改

善は、自然としての土地によって制限されます。

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主 特に回収に長期を要する固定資本への投下は阻害される。土地改良も

その効果は土地所有者が得るものとなるので、制限される。

客 そうすると、以前に「異なる生産部門間においては利潤率の均等化に

向かう」という「価値の生産価格化」をみましたが、「価値の生産価格化」

として農産物部門が増大することが制限されることになりますね。

主 一般に農業における資本の有機的構成は、社会的平均以下にあるため

に、たといそれが回転期間の長さによって相殺される(利潤率の制約)に

しても、「価値の生産価格化」が制限される中では、その生産物の「生産価

格(費用価格+利潤)」は「価値」以下にあるものと想定される。

客 つまり、資本投下の増大が制限され、「生産物価格」は低落しないので

すね。そこで土地所有は、この差額部分(「生産物価格」と「生産価格」と

の差額)に対しては、いわゆる絶対地代を要求できることになるわけです。

これはあらゆる土地に対しても言えることです。

主 念のため、この絶対地代を「独占地代」から区別しておく。「独占地代」

は、稀少生産物に要する土地の絶対的不足によって超過利潤が地代に転化

するものだ。

客 ともかく、資本は、その生産物に対象化された剰余価値部分を利潤と

して他の資本と平均的に分配することを、土地所有によって阻まれ、これ

を地代化するわけですね。

主 もちろんこの場合、この土地の「生産物価格」は、「生産価格」以上に

騰貴するわけであって、差額地代が一定の「生産価格」を前提とするのと

はまったく異なった関係を展開する。

客 つまり、差額地代は、資本の競争によっては処理し得ない土地生産力

の差による超過利潤を地代化して解決しました。これに対して絶対地代は、

土地所有者が資本の競争による「価値の生産価格化」を、ある程度制限す

るところに発生します。

主 なぜなら、農業以外の生産部門との間での剰余価値の分配が制限され

るからだ。

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客 もっとも、土地所有がこの地代によってどの程度にその価格を騰貴さ

せるかは、市場の状況によります。土地所有者の側には何の基準もありま

せん。

主 ただその価格は、一方で土地所有の側が貸付の競争を行い、他方で資

本の側が土地生産物に対象化された剰余価値部分を平均利潤へと均等化し

ようとする中で、前者が後者をどの程度阻止するかということにかかって

くる。

客 もちろんこの地代は、「生産物価格」が「生産価格」以上に騰貴したこ

とによるものです。ですから、当然に優良地の差額地代を増加するものと

してあらわれます。

主 いうまでもないことだが、差額地代にせよ、絶対地代にせよ、両者は

借地料として一体となって、資本家から土地所有者に支払われる。

<絶対地代の根拠>

農業の有機的構成の低さ (生産増大を誘うが)利潤率は高いまま

土地利用に制約 → 生産物価格は低落せず

(利潤率均等化に制限) (「生産物価格」>「生産価格」の継続)

→ 差額が絶対地代に

<さまざまな地代>

独占地代 特定の生産物の生産に要する土地が絶対的に不足しているときに、

これを生産する資本に発生する超過利潤が、地代に転化する。

差額地代 一定の生産価格を前提。

資本が処理できない自然力の差による超過利潤を地代とする

絶対地代 土地所有に対して、資本の競争による「価値の生産価格化」を制限

することで生まれる超過利潤が地代として分与される。

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6 土地の私有と商品化

客 絶対地代は、資本の利潤を積極的に削減するものです。そのため、資

本主義社会においてたびたび土地国有論が発生します。

主 しかし、土地国有も決してこの地代を排除できるものではない。実際

に、資本家的商品経済は、土地私有を自己の前提条件とする。

客 というのは、土地私有は、資本主義の歴史的前提として、直接の生産

者を無産労働者にするからですね。

主 それだけではない。資本主義経済においては、私有制そのものが全面

的に展開するものであり、土地私有は当然のこととして要請されるのだ。

労働によって獲得される生産物も、土地によって代表される自然を一般的

基礎とするものであって、労働生産物の私有制もこの自然力の私有を前提

とするのだ。

客 しかし、この土地によって代表される自然力は、それ自体に私有であ

る根拠をもちません。自然力は、資本の生産方法に直接、あるいは間接に

適応するものとして、その私有制を一般に社会的に認められることになっ

ているのです。

主 地代が、その特殊な経済的形態なのだ。同時に土地自身が、一定の所

得を定期的に生ずるものとして、商品化され、売買されることにもなる。

客 次章の「利子論」の中で、土地の商品化をみるわけですね。

主 資本家的生産方法のうちに、「それ自身に利子を生むものとしての資本」

が発生することによって、資本が商品化する。それに伴って、土地の商品

化も根拠を与えられることになるのだ。

客 なお、「剰余価値の地代化」の関係は、以上のような、いわゆる土地の

豊度としての差などによってだけではありませんね。

主 生産物の市場への距離としての位置の差などとしても展開される。し

かも両者は競合する場合が少なくない。ある程度相殺することもある。

客 また農業地代でなく、鉱山地代,建築地地代としても基本的には同様

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の関係が見られますね。

主 しかし、経済原論としては以上のような基本的規定を与えるにとどま

る。

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第3章 利子 …<諸資本に、利潤はいかに分与されるか>

客 資本主義に先立って、商品経済のある程度の発展とともに、金貸資本形

式G…G’や商人資本形式G-W-G’が出現していました。しかし、いず

れもその価値増殖の根拠を、社会的実体としての労働生産過程自身に持つも

のではありませんでした。

主 資本は、いわば社会の外部から 蚕 食 して(カイコが桑の葉を食うよさんしよく

うにして)価値増殖するに過ぎなかったが、資本形式としては資本価値の自

己増殖を示すもので、後の産業資本への発展の前提となり、その要素となる

ものだった。

客 産業資本は、貨幣が資本に転化し、生産過程を把握して、資本家的生産

方法を確立するというものです。そして、自らは不経済とする流通費用を節

約するために、商人資本にも金貸資本にも、価値増殖の合理的根拠を与える

ことになります。

主 それと同時に、それらの資本の解明のための基準を与えることになる。

第1節 貸付資本と銀行資本

1 商業信用と銀行信用

客 資本の再生産過程では、多かれ少なかれ、遊休の貨幣資本が生まれます。

主 それは第1には、商品資本W’が生産資本W…Pへと転化する過程での

一時的存在であり、生産過程を連続させるための準備資金だ。第2には、固

定資本の償却資金として、資本の他の運動から独立して蓄積される。第3に

は、蓄積資金として、再投資のために備えられる。最後には、価格変動など

に対する準備金としての貨幣資本として置かれる。

客 いずれも個々の資本としては、価値増殖が消極的に制約されます。

主 社会的には、この不生産的な貨幣資本をできる限り節約しながら、商品

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販売を確保する手段をとる。具体的には、一定期間の後に商品代金の支払い

を保証するという債務証書(手形)を用いて商品を売買し、売り手は、また

この手形を自己の必要とする商品の買い入れに利用する。手形は貨幣に代わ

って流通することになる。後にこれらの手形債務を互いに相殺すれば、貨幣

を用いずに取引を決済できるので、貨幣は完全に節約される。

客 このように、手形によって商品を売買し、手形を信用貨幣として現金に

代える信用取引が商業信用ですね。

主 しかし、この商業信用は全面的に行われるわけではない。たとえば、石

炭業者は、紡績業者に対しては信用を与える(債権を持つ)ことはできるが、

紡績業者から信用を受ける(債務を負う)ことはできない。また労働者に対

する賃金の支払いは、一般に資本の生産物をもって直接に行うことはできな

いし、手形をもって行うこともできない。実際個々の資本は、その生産物の

信用販売をそれぞれの特殊の事情で制約されざるをえない。

客 そこで銀行が、この個別的な信用関係を社会的信用関係に転換する機関

となるのですね。

主 銀行は、産業資金の運動中に一定期間遊休する貨幣資本を預金として集

中し、これを他の産業に一定の期間貸し付けることによって、個別的な商業

信用を銀行信用に転換し、資本家社会的に一般化する。

客 この関係を代表するのが、手形割引ですね。

主 銀行は、個々の産業資本家間での商品売買で用いられる手形を、一定期

間の利子を差し引いてこれを買い入れる。信用販売した資本家は、必要に応

じてその代金を銀行で現金化し、銀行は、これによって商品の売買代金を売

り手を通して買い手に貸し付けることになる。手形満期とともに買い手は銀

行に対して手形金額を支払うことになる。

客 これは、直接にこの買い手に貸し付けるのではなく、すでに行われた商

品売買を基礎として、売り手を通して、買い手に貸し付けることになります。

主 売り手は、この信用関係によって商品販売の機会を得ることになる。こ

うして商品販売が促進され、商品資本・貨幣資本として流通する資本、すな

わち流通資本は、社会的に節約されることになる。

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銀 行 … 手形の取引で差額分を得る(実質的には貸付)

貨幣(割引) 決済 貨幣(全額)

手形

売り手の資本家 買い手の資本家

商品

<前期的資本(資本主義以前の古い資本形態)の変化>

・高利貸資本 → 貸付資本

(利子を得ることを目的として資金を貸し出す)

・商人資本 → 商業資本

(産業資本に代わって商品流通を専門に営む)

2 貸付資本としての銀行資本

客 流通資本の節約によって、生産資本による剰余価値の生産は増加します。

しかし、生産資本の個別的な信用関係だけでは、資金の利用を社会的に媒介

する機能を果たせません。

主 そこでその機能を銀行が、貸付資本G…G’の形式で行う。銀行は一方

では利子を支払って預金を集め、他方ではその貸付による利子を受け、この

差額を自己の資本の利潤とする。

客 銀行は、自己資金を貸し付けて利殖するのではないですね。

主 資金の貸し付けを媒介する。銀行は資金自身を商品化して、いわゆる貨

幣市場を形成し、そこで資金を売買する。「一定期間の資金の使用に対する

代価」が利子だ。利子率は、それまでのような個々の資本家の間の商業信用

では、社会的基礎を得られなかった。

客 ここに至って利子率が一般的に確立されることになります。

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主 またこの貨幣市場で資金が売買され、社会的に融通されることによって、

なお価値増殖の増加を予想される利潤率の比較的高い部面へ貸し付けられ、

一般的利潤率の均等化を補足する。

客 ここでは、銀行は、その資本を資金売買の準備金として、一方で安く買

った資金を他方で高く売ってその利鞘を利潤とする、という点で商人資本で

あるといえませんか。

主 しかし、その利潤の根源は、産業資本の遊休貨幣資本を社会的に生産資

本化することにある。単なる商人資本ではない。また、預金に対する利子も、

貸付に対する利子も、同様に資本家社会的な剰余価値生産の増加に基づくも

のだ。

客 その利子がまた、資金の商品化によって商品経済的に調整されながら決

定されるというわけですね。

3 銀行券の発行による貸付

客 銀行は、一方で受けた預金を他方で貸し付けるだけはありません。自ら

いつでも貨幣で支払うことを約束する手形(銀行券)で貸付を行うことがで

きます。

主 もともと銀行券は金貨幣支払いの約束手形だった。その手形の銀行券で

手形の割引をするのだ。銀行は、資本家社会的に公共的な機関として、資金

の社会的配分を媒介するので、銀行の手形(銀行券)は、個々の資本家の手

形と異なって、貨幣に代わって一般的に流通することになる。

客 このような銀行券を発行する銀行の発券業務が、集中され統一され、や

がて中央銀行が独占することになるのですね。

主 銀行券はもともと金貨の預かり証として発行されたことが起源だ。政府

紙幣とも異なる。その発行者がこれによって商品を購入し、あるいはその他

の支払いをするというものではない。

客 つまり銀行券は、他の資本が再生産過程のために要求した貸付に応じて

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発行されるものであって、その貸付を受けた資本がもはや不要とすれば直ち

に銀行に復帰する、というものなのですね。

主 そうして、再生産過程のために必要とする流通手段、ないしは支払い手

段としての貨幣量を、利子率によって調整しながら補充するわけだ。

政府によって法的に規定され、通用の強制力を持つ。生産物

政府紙幣 の量に直接見合うものでなく、自動的には回収されずに、イ

ンフレに結びつきやすい

銀行が金貨の預かり証として発行したことを起源として、次

銀行券 第に中央銀行が発行を独占する。内在的需要で発行され、銀

行に返済・還流される。

4 景気循環における貸付資本と産業資本の連動

客 産業資本の再生産過程の拡張を制限するものは、労働力以外にありませ

ん。労働力による制限が、いわゆる景気循環の決定的原因となります。

主 不況期に相対的過剰人口が形成され、それを基礎として好況期の拡張再

生産が発展すると、資本は将来の利益を予想してますますその規模を拡張し、

貸付資金もできる限り利用する。中央銀行もまたこれに応じて銀行券の発行

を増加する。

客 しかし資本の有機的構成を変えないままで、再生産過程を拡張し生産力

を増進していくと、必ず労働賃金が騰貴します。

主 それによって利潤率が低下し、ついには資本蓄積の増進にもかかわらず

利潤量は増加しない、という事態になる。

客 いわゆる資本の過剰ですね。

主 銀行券増発による銀行の貸付増加もこの事態は救済しえない。もともと

個々の資本の間の信用関係が発展した銀行信用に対して貸付増加が要求され

るが、利潤量の減退に伴って資金の形成は減少する。これに反して、その需

要がますます増加することになると、各銀行の割引率は一般的に高騰せざる

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をえなくなる。

客 割引率が高騰すれば、発券銀行の銀行券発行が、その増加をもっとも強

く要求されるときに、増加を抑制されるということになります。

主 こうして個々の資本の間には、必ず支払い不能に陥るものが生じ、その

再生産過程の拡張も継続できなくなる。しかもその中断は一部にあらわれる

と連鎖的に反応する。

客 いわゆる恐慌となって爆発するのですね。

主 個々の資本は、いずれも現金支払いを要求することによって、互いにそ

の極度に拡張された生産を麻痺させる。こうしてまた生産された商品も販売

できない過剰商品となるわけだ。

不況期 相対的過剰人口の形成(賃金低下) … 景気の停滞 利子率低下

生産物価格の低下

好況期 拡張再生産(有機的構成不変のまま)… 利潤率は平均 利子率も安定

貸付資金拡大→通貨量増加

雇用増・労働力不足→ 賃金高騰 …利潤率低下

利潤量低迷

貸付需要増、銀行割引率の上昇 …利潤率激減 < 利子率急上昇

→資金難 →赤字経営、経営難

商品価格上昇を見込み投機的取引 (資本の過剰)

恐 慌 製品販売の停滞(生産過剰) … 信用取引減少・現金払い要求

現金不足の企業→在庫品の投げ売り

→価格崩落 … 手形決済で支払い不能の連鎖

→連鎖倒産

再不況 生産縮小、価格低下、失業、消費不足

資金需要減少、利子率低下

長期の停滞 →(新生産方法・新製品の参入)

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<補足・資本の過剰と恐慌>

客 恐慌の直接的な原因は、商品の過剰ではありません。

主 資本は、生産手段と消費資料とを、価格の運動を通して社会的に調整さ

れながら生産する。だから、一般的に過剰生産はしない。もちろん部分的に

は常に過不足を免れないが、それは価格によって調整される。

客 また、労働者の消費力が商品への制限となるとも言われますが、これも

原因にはなりませんね。

主 労働者の消費力が、労働力の価値によって制限されているわけではない。

好況期には価値以上に高騰する賃金によって、消費を増加する。

客 その限界をもたらすのが、資本の過剰ですね。

主 資本の蓄積は、利子率の高騰によって資本家社会的に規制されることで

初めて限界が現実化する。

客 それが恐慌ということですね。

主 もっとも、実際には、投機による買い付け、ことに商業資本による過度

の投機が一部の商品の過剰生産をもたらし、その支払い不能によって恐慌の

口火を切ることになる場合も少なくない。しかし、それも一般的に産業資本

の過剰の事実があってこそ、恐慌として爆発するものだ。

5 資金の商品化による資本への規制

客 利潤率は、一般的に個々の資本にとってその投資部面を決定する基準と

なります。

主 それに対して、利子率は、個々の資本の運動中に生じる遊休貨幣資本を、

資金として資本家社会的に共同的に利用しながら、利潤率の相違を補足的に

均等化するものだ。この資金は、個々の資本家の資金でありながら、銀行を

通して社会的資金として、資本の蓄積を社会的に規制するものとなる。それ

は個々の資本の蓄積過程のうちに形成されながら社会的に利用される。

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<資本の運動と利子率の関係(マルクスの表現による)>

資本の運動 利子率

繁栄期または特別利潤期 低い

繁栄とその転換との境界期 上昇

恐慌 極端な高利

沈滞 比較的低い

活気の増大 ある程度上昇

客 この資金は、資本の運動の中から出るものでありながら、個々の資本の

運動からは独立して、貨幣市場において一定の期限を持った商品として売買

されることになります。

主 つまり、個々の資本の運動に利用され、流通費用の節約に役立ちながら、

個々の資本の運動を社会的に規制するものとなる。このことは、まさに資本

家的商品経済に適応した規制方法といってよい。資金の商品化による資本に

対する規制だ。

客 なおマルクスは、「資金の商品化」を直ちに「資本の商品化」としまし

たが、ここではまだ資本が商品化しているわけではないですよね。

主 たしかに、利子は、資金の一定期間の使用に対する代価であって、資本

の代価ではない。資本は定期的に一定の利子を生むものとして商品化するが、

商品としての資本の代価は明らかに利子ではない。

<資金の商品化と資本の規制>

個別資本 A の運動 遊 期限付き商品として

休 資本家社会的利用

流通費の節約 貨幣市場

個別資本 B の運動 追 利潤率の均等化

加 資本蓄積を規制

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第2節 商業資本と商業利潤

客 銀行資本は、産業資本の遊休貨幣資本を資金として社会的に融通し、流

通資本を生産資本化して、剰余価値の生産を「直接的に」増加させることに

寄与します。

主 これに対して商業資本は、産業資本の運動における商品資本の貨幣資本

への転化W’-G’の過程を、産業資本に代わって引き受けて専門的に行い

これを促進する。この商品販売の過程は、資本の運動でもっとも困難な問題

を含んでいるが、これを引き受けることによって、商業資本は、いわば「間

接的に」剰余価値の生産増加に寄与することになる。

客 商業資本と銀行資本は、ともに流通費用の節約によって、剰余価値の生

産を増加させるわけですが、異なった役割を持っているのですね。

主 しかも、貸付資本の形成にはその背後に銀行資本があり、商業資本は、

その貸付資本を前提とし、これを極力利用するものとなる。

銀行資本 産業資本の遊休資金を社会的に融通。流 直接的増加

通資本の生産資本化。

商業資本 生産物の売買の引き受け。流通期間の短 間接的増加

縮。流通費用の節約。

1 商業資本への利潤分与

客 産業資本は、その商品を商業資本によって買い取られ貨幣を得ると、直

ちに次の生産を続けることができます。

主 ただし、これは当該産業資本の個別的生産にとってのことであって、社

会的には何ら流通費用の節約にはならない。むしろこのとき商業資本は銀行

の媒介による資金を極力利用しているのであって、その場合は間接的に銀行

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資本によって流通費用を節約するわけだ。

客 しかし、商業資本が商品販売を引き受けて産業資本の流通期間を短縮す

るということは、同時に、産業資本が長短さまざまに異なる流通期間を商業

資本に委譲するということになり、しかも流通に必要な費用を節約すること

にもなります。

主 産業資本にとっては、商品売買に要する流通期間が長かったり短かった

りすることは、資本の利潤率を平均的に計算することを一般的に困難にさせ

る。これが商業資本に引き受けられれば、産業資本の投資部面を決定する利

潤率の均等化に重要な機構的条件となる。

客 それだけではありません。商品販売のために必要な費用(たとえば店舗

を設けるとか、帳簿をつけるとかいうこと)は、産業資本としては、流通期

間のように単なる流通費用とは言えず、積極的な負担として剰余価値のマイ

ナスです。そのような必要な費用を節約できることになります

主 個別の産業資本が、その費用によって流通期間を短縮したとしても、

その費用は客観的基準を持つものとして社会的に認められるものではない。

産業資本としてはそういうことになる。

しかし、商業資本にとっては、この費用は流通期間の短縮のために役立つ

と同時に、さまざまな商品であれ、同種のものであれ、集合して販売できる

とともに、自ら平均的計算を可能にする。したがって、商業資本の構成部分

となるものに転化できる。

客 いいかえると、商業資本は、流通期間を短縮して資本家社会的費用を

節約することによって、商品買い入れに投下した資本と一緒に、このような

売買作業の流通費用を回収し、さらに平均の利潤を分与されることになるの

ですね。

商業資本の利潤=市場価格-産業資本からの売渡価格-諸費用

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2 商業資本の利潤の根拠

客 販売作業に要する費用は、実際上は商人資本において資本として扱われ

てきましたが、理論的には産業資本において資本として想定することはでき

ません。

主 というのは、個々の産業資本家にとっては、その費用が剰余価値の生産

を間接的に増加することになるとしても、積極的に資本として剰余価値を生

むものとするわけにはいかないからだ。また、商品資本や貨幣資本と同様に

資本部分となるわけではない。流通資本を減少するための費用なのだ。

客 しかし、この費用は、産業資本家の手から離れ、商業資本家の手にある

と、その独自の事業のための費用となり、平均計算が可能になるとともに、

一般に資本の流通期間短縮のための費用を節約するものとして、資本となり

ます(流通費の資本化)。

主 つまり、商業資本家は、産業資本の場合の費用よりも節約し、流通期間

をさらに短縮することによって、販売価格の中からその費用を回収するばか

りでなく、その費用に対する平均利潤をも実現する、ということだ。

客 産業資本は、自ら販売する場合の流通期間と流通費用とを考慮し、商業

資本に対して、「生産価格(費用価格+平均利潤)」よりも安い「売渡価格」

としても、なおいくらか有利となります。

主 商業資本は、「生産価格」で販売することによって、買い入れに充てた

資本を回収するだけでなく、店舗、簿記その他の流通費用に対しても、これ

を資本としてその償却費、補填費をも回収し、さらに利潤をも実現しうるこ

とになる。

客 ただし、その利潤は、産業資本の売渡価格に何かを追加し販売価格とし

たことで得られたというものではありません。

主 実際上の具体的な商業資本は、多かれ少なかれ商人資本的な性格を残す

が、商業資本と商業利潤の理論的解明は、このような抽象的な純粋の形でな

されなければ、その利潤の根拠も明確にはできないのだ。

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<産業資本と商業資本>

産業資本

生産期間(費用) 流通期間(費用)

分離・独立

流通費

産業資本 商業資本 利子 →貸付資本へ

利潤

生産に特化 流通に特化、流通費の節約

資本構成の再編成 資本構成の再編成

(価値形成過程を含まず)

3 商業労働

客 商業資本が、労働者を雇い売買の業務に当てるという場合も、その業務

は価値を形成するわけではないですね。

主 原理的には同様だ。これに対して、同じく流通費用といっても、運輸、

保管に要する労働は、価値を形成するものとして、したがってまた利潤とし

て分配されるべき剰余価値を生産するものとなる。しかし、商品売買にあた

る商業労働は、売買過程自身が何らの価値をも形成するものではない。労働

者の労働によるとしても、価値を、したがって剰余価値を形成するものでは

ない。

客 もともと商業労働は、資本家の唯一の労働をなすもので、労働者がこれ

に代わってなすとしてもその点に変わりはないのです。その労働は、積極的

に生産物に価値を加えるものではありません。

主 ここでは労働者は、流通費用をさらにいっそう節約することに役立つこ

とによって、商業資本家に対してその賃金を回収させるだけでなく、その可

変資本としての資本の利潤をもえさせることになる。

客 労働者は、他の産業と同様に賃金をえて労働力を商品として販売するわ

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けですが、その労働は、必要労働部分も剰余労働部分も、ともに新たな価値

を形成するものとしてではなく、商品の流通期間を短縮し、それによって流

通費用を一般的に節約するという、商業活動に特有な役割を演ずるものとな

ります。

商業労働 価値、剰余価値を形成しないが、商業資本に「利潤」

を得させる。

運輸・保管労働 価値、剰余価値を生産する。使用価値としての商品に

実質的に関連する。

<補足・運輸保管と価値形成労働>

主 運輸、保管に要する労働は価値を形成するが、直接に物の生産にあたる

産業よりも複雑な関係にある。

客 社会的に必要とされる運輸、保管と、そうでないものとの区別が容易で

ないですね。

主 特に商業の投機的売買と結合されるときに容易でない。またその労働は、

生産物自身に結果を残さないので、価値形成はただ運輸、保管料としてあら

われるということになる。

客 運輸の場合は、ものの輸送だけでなく人の輸送も同様に扱われます。

主 これらの問題は、原理的規定を基準にして理解すべきであって、すべて

原理的に一様に解明しようとすると、資本主義の基本的諸法則を商品経済の

形式的法則で骨抜きにすることになる。

客 たとえば、骨董品の価格決定によって労働価値説を否定するのと同様に

なってしまいますね。

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4 資本家的倒錯性と物神性

客 産業資本にとって、流通費用は利潤形成のために必要でありながら負担

でもあります。その流通費用を代わって節約する、というところに、商業利

潤の基礎があります。

主 このことは、資本自身が本来持っている流通形態的倒錯性の根拠を明ら

かにする。まず、薄利多売としての回転が促進されることが利潤を積極的に

形成することになり、その利潤形成は、当然のこととして商業資本家自身の

活動によるものとされる。また、一般に商品の買い入れ価格を原価として、

これを超過する販売価格との差額を資本の利潤とする、いわゆる譲渡利潤が

利潤の源泉である、という資本家的利潤観がここに支柱を与えられることに

なる。そしてさらに、産業資本家は商業資本への売却によって、生産物の終

局的販売を待たずに再生産過程を継続できることになり、いわば資本家的生

産の無政府的一面を商業資本に委譲したことになる。

客 完全にではないですが、商業資本家が資本家の代表として、資本家とし

ての活動を代表することになります。

主 利潤形成に関する、このような倒錯性は、資本家的投機性のうちに埋没

される。すなわち、積極的な利潤形成は商業資本家の活動によるものだとし

たり、商人資本的形式による利潤の源泉を資本の一般的定式とする利潤観を

促したり、商業資本が資本を代表して市場に向き合ったりなど。これらの倒

錯した関係が見えなくなるのだ。

客 商業資本だけでなく、貸付資本も産業資本もが資本家的投機活動に埋も

れてしまうわけですから、そのような倒錯性が見えなくなるのですね。

主 こうして商品の買い入れに充てられる資本は、銀行を通して利用される

貸付資本に準じるものとされ、これに対する利子を(その利子率は先取りさ

れ確定されている)、その利潤から差し引いた残りの利潤こそ、商業資本家

の活動によるものであるとして、いわゆる企業利潤という資本家的観念を形

成する。

客 すなわち、それ自身価値形成の根拠を持たない商業資本が、その活動自

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体によって利潤を形成するとされるわけですね。

主 これに対応して資本は、それ自身に利子を生むものとしての資本家的物

神性を完成される。これは商業資本だけでなく、貸付資本、産業資本におい

ても完成される。すなわち、商業資本から貸付資本に対する利子が、貸付資

本自体によって形成されると観念され、さらに産業資本もその資本を貸付資

本と見なし、利潤を利子と見なす観念を生むのだ。

<資本家的物神性の成立>

商業資本の企業利潤 = 商品売買による利潤 - 借入に対する利払い

↓( 観念の発生) ↓(観念の発生)

「利潤は商業資本家の活動によるもの」 「利子は貸付資本自体から生まれるもの」

<産業資本から流通(販売)過程の分離>

【例1】…同一期間内に一回転とする例

費用価格 1000 市場価格 1050 利潤

A 産業資本 (生産過程)800 (流通過程)200 50

↓分離 利潤 ↓分離 利潤 10

産業資本(生産部門・その他流通部門)800 40 流通(販売)費 200 10

売渡価格 840 →流通期間の短縮、次の回転へ →流通費の節約へ

<産業資本と商業資本の利潤率均等化への過程>

【例2】商業資本が仕入費用を全額借入し、その利子を含む流通費用を節約する場合の均衡

B 産業資本(生産部門・その他流通部門)800 40 (販売部門) 10

売渡価格 840

代金 840 節約された流通費 利潤

C 貸付資本から利率 5 %で借入(仕入価格 840) 42 158 10

借入費(利子)

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【例3】貸付資本が商業資本の仕入費用 840 を利子率 5 %で貸付する場合

節約された商業資本 200

C (仕入価格 840) 42 158 10

貸付↑ ↓返却 年 5%の利払 ↓

D 貸付資本 840 42

*資本の一回転における利潤率

・産業資本の利潤率 40 / 800 = 0.05

・商業資本の利潤率 10 / 200 = 0.05

・貸付資本の利潤率 42 / 840 = 0.05

*資本の回転数による利潤率への影響

資本の回転期間(生産期間と流通期間)が資本構成に直接に反映する

ものとするなら、産業資本 A が1年に4回転するとき、産業資本 B

は 5 回転する

・産業資本 A …資本 1000(800 + 200)→ 利潤 200(50 × 4 回転)

・産業資本 B …資本 800 → 利潤 200(40 × 5 回転)

・商業資本 C …節約された資本 200 → 利潤 50(10 × 5 回転)

・産業資本 B と商業資本 C は、他資本に比較して超過利潤をえる。

・商業資本の借入費用(利子)負担は回転数に反比例して軽減される。

<「利子」を生む商業資本>という倒錯

「流通費用を節約した 200 の商業資本が、10 の商業利潤(利子)を生む」

商業資本の利潤 = 売買差額 210 - 流通費用 200 = 10

商業資本 200 が 10 の利潤(利子)を生む という観念

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<「利子」を生む貸付資本>という物神性

貸付資本 840 が利子率 5 %で 42 の利子を生む という観念

<「利子」を生む産業資本>という物神性

…株式投資を貸付と見なして(現実としては株式は商品であるが)

ある産業資本が 1 株額面 5 万円の 160 株 800 万円の資本で構成される株式

会社で、年 40 万円の利潤を全額株主に配分するとすれば、1 株額面 5 万

円の貸付資本が 0.25(40 / 160)万円すなわち 5 %(0.25 / 5)の配当(利

子)を生む。

という観念

5 資本の形態と実体

客 恐慌に先立つ好況期には、商人資本の投機的活動が顕著になります。

主 そのことによって、恐慌の真の原因が隠される。恐慌の原因は生産過剰

にある、という一般的見解は、この現象からの印象に基づく。もちろん、原

理論で解明する商業資本に、この商人資本の一面に共通するものもある。し

かし、それは産業資本の蓄積過程としての景気循環過程を、補足的に拡充す

るものとしてだ。

客 つまり、恐慌の実質的基礎は産業資本の蓄積過程にあって、現象的に商

業資本の活動として表面にあらわれる、ということですね。

主 なお、原理論の対象とする純粋資本主義社会においては、その価値法則

は常に価格の運動を通して貫徹され、資本の蓄積は景気の循環を通して行わ

れ、利潤率の均等化は、不均等の均等化として実現される。

客 けっして投機的活動のない資本を想定しているわけではないのですね。

主 たとえば価値実体を明らかにする場合には、価格の運動そのものによっ

てではなく、その中心によって明らかにしなければならない。それと同様に、

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恐慌の原因を解明する場合には、資本家の、特に商業資本の投機的活動によ

って解明するというわけにはいかないのだ。

客 逆に価値形態を明らかにするには、価値の実体をもって明らかにするわ

けにはいきませんね。しかし、実体規定が与えられると、形態は実体の形態

としてその根拠によって解明されます。だからといって形態規定がなくなる

わけではありません。

主 価値は価格の運動の中心としてある。資本形態についても同様だ。資本

形態は、その実体的基礎となる生産過程を把握しても、流通過程を生産過程

と同様に処理することはできない。そこで流通過程に伴う諸問題を銀行資本、

商業資本を通して資本家的に処理する。資本家の投機的活動は、こうした実

体的規定によって、単なる投機ではなく、その任務を商業資本が代表するも

のとして解明されるのだ。

客 原論は、けっして投機的活動がない世界を対象として理論的に解明しよ

うというのではないのですね。

主 原論の世界でも、商業資本はもちろんのこと、産業資本にしても、過剰

取引をやれば、支払い不能にも陥るものとして資本だ。ただし、商業資本の

過剰取引ということによってでは、恐慌の根本的原因である資本の過剰は解

明しえないのだ。

産業資本

↓(流通を委任) 資本を代表

商業資本 商業資本の投機的活動

↓ ↑ 規制 流通過程の諸問題を処理

貸付資本

(ときに過剰取引、支払い不能も)

資本の過剰 生産の過剰

(実体的規定) (形態の現象)

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第3節 それ自身に利子を生むものとしての資本

1 利潤の利子への分化

客 商業資本によって、利潤が利子と企業利潤とに分化されると、企業利潤

と区別されたものとしての「利子」を一般に資本がそれ自身に生むものとし

て固定することになります。

主 産業資本も、一方では、銀行から融通される資金を自己資本に加えて利

用し、それに利子を支払うとともに、自己の遊休資金を銀行に預金して利子

を得る。自己の資本自身をも他から借り入れた資金によるものとする。また

他方では、産業資本として生産手段と労働力とを商品として買い入れて生産

し、その生産過程で剰余価値を生産しながら、剰余価値を利潤として資本額

に応じて分配するわけだが、この関係を基礎にして、産業資本の利潤を、安

く買って高く売ることでえられる利潤のうちに解消する。つまり、産業資本

の利潤の根源も、商業活動によって代表される資本家的活動に求めることに

なる。

客 商業資本だけでなく、産業資本も、利潤を利子と企業利潤とに分化する

のですね。

主 もちろん産業資本にしても、商業資本にしても、自己資本に対して利子

を支払っているわけではない。

客 それから、産業資本家が生産手段や労働力を安く買って生産物を高く売

ったり、また生産手段を無駄なく労働者の労働を強化したりして、特別な利

潤を得たとしても、それで資本家自身が剰余価値を生産したというわけでは

ないですね。

主 「利潤の利子と企業利潤への分化」とは、資本家的商品経済に特有な経

済的過程の処理方法があらわれたものだ。すなわち、貸付資本は、個々の資

本の生産過程に伴う遊休貨幣資本をできる限り生産資本化し、商業資本は、

商品資本をできる限り迅速に貨幣資本に転化する、という形でのあらわれだ。

客 それは生産手段と労働力とを一刻も無駄にしてはならないという、資本

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家的方法のいわば精神となるものですね。

主 「それ自身に利子を生むものとしての資本」が遊休しているということ

は、いいかえれば利子を食い込んでいることになるわけだ。

<資本家的精神> …商業資本も、貸付資本も、産業資本も

「それ自身に利子を生む」資本は、休ませられない

2 資本家と価値形成

客 新しい生産方式を採用して特別の利潤をあげるということは資本家の活

動によるものであって、新しく資本家によって形成された価値に基づくもの

と、考えてよいのですか。

主 そうではない。そういう方法を発見し、発明するための費用や労苦も、

新しい価値を、したがって剰余価値を生産するものではない。資本家がこれ

を採用するということで、新しく価値を形成するものになるものではない。

むしろ商品の価値を下げることになる。そういう方法が普及しない間にえら

れる特別の剰余価値も、その方法を採用する資本のもとに労働する労働者の

労働によるものでもない。

客 それは、物を生産するに要する労働時間を減ずることになり、それによ

って相対的剰余価値を生産することになるに過ぎないのですね。

主 こうした発明、発見を利用するのに特許料が支払われるというのは、資

本主義社会の発明、発見を奨励するための便宜手段に外ならない。資本家が

何か社会的に特に需要されるような生産物を見いだして、これに投資すると

いう場合も同様だ。

客 多くの人々は、資本家も有用な仕事をしているということを主張したい

と思います。

主 しかし、有用な仕事をするということは、価値を形成するということを

意味するものではない。たとえば教育者がその労務をもって価値を形成する

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となすのは、人を物とする卑俗の考え方という他はない。

客 資本家も資本主義社会では、一定の有用な仕事をしています。

主 しかしそれは経済的な行動ではあっても、たとえば有利な産業を求めて

投資するというような場合にも、それ自身が価値を形成するのではない。

ポイント 有用な仕事が価値を生むとは限らない

3 擬制資本と資本市場の成立

客 「貨幣市場」を基礎として一般的に決定される利子率は、「それ自身に

利子を生むものとしての資本」の利子率に反映します。

主 そこで、この資本家的観念が、社会的基礎を与えられ、資本自身を商品

化する新たな形態規定が展開される。すなわち、一般に資本主義社会におい

ては一定の定期的収入は、一定額の資本から生じる利子とされることになる。

「貨幣市場」の利子率を基準にして、このような所得は利子による資本還元

を受けた、いわゆる擬制資本の利子と見なされることになる。

客 そうしますと、定期的に地代を支払われる土地所有も、それによって土

地を一定の価格をもつ商品として売買できることになりますね。

主 株式形式で形成される産業資本も、その経営によってえられる利潤が、

株式に対して配当として分与されることになる。資本は、この配当を利子と

して資本還元される擬制資本を基準として、商品化されて売買されることに

なる。その他公債、社債などの有価証券も同様にして商品化される。

客 株式その他の有価証券は、「資本市場」で売買されます。

主 それに対して、資金が商品化されて売買されるのは「貨幣市場」だ。「資

本市場」は、「貨幣市場」の利子率の形成に直接参加するわけではないが、

その補助市場を形成するものに発展する。というのは、「貨幣市場」の利子

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率を反映する利子率によって、擬制資本が資本還元され、「資本市場」で売

買されるのだ。

客 そうなると、この「資本市場」に投下される資金は、もはや一般的には

産業資本の遊休貨幣資本を資金化したものとはいえないですね。

主 それは土地の購入と同様に、投機的利得とともに利子所得を得るための

投資であり、いっそう具体的な諸関係を前提として展開する。ここに至って

は原理論だけでは解明しえない。

<資本家的観念が生む擬制資本>

「一定の定期的収入は、一定額の資本から生じる利子」

↓( 一般利子率から逆算)

「定期的収入の源となる資本の価値」(擬制資本)

<擬制資本の形成・例①>

ある個別資本(資本額 100 億円)が、年 10%の利潤率として 10 億円の利

潤を生み出しているとき、市場利子率が 5 %であるとするなら、10 億円

の利子を生む資本として、資本総額が 200 億円(10 億円÷ 0.05)と見な

されることになる。これが擬制資本であり、現実の資本額から区別される。

<擬制資本の形成・例②>

額面 1 株 5 万円の株券 20 万株の会社(資本額 100 億円)が、年 10 億円の

利潤を配当として出すときに、利子率が 5 %であるなら、10 億円の利子

を生む資本は 200 億円(10 億円÷ 0.05)とみなされることになる。これ

が擬制資本であり、額面 1 株 5 万円の株券は 10 万円の価格となる。

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<貨幣市場と資本市場>

預金 貸付

余剰資本 貨幣市場 資本不足

利子 利子

形成

(一般的利子率) 資本還元

利子所得 地代 配当

↓ 資本還元 ↓ ↓

擬制資本 土地所有 株式・証券

投資 収益 収益

資本市場 投資 収益

4 原理論の役割と段階論

客 原理論では、資本は利潤を目標として投下されるものであって、単に利

子をえるためのものではありません。そして貸付資本は、産業資本の遊休貨

幣資本を資金として商品化することを通して成立します。利子率は、こうし

て初めて一般的に経済学的な規定が与えられます。

主 原理論の純粋資本主義社会では、そのような抽象的想定が必要とされる。

株式その他の有価証券が売買される「資本市場」に対して、「貨幣市場」を

原理的に規定することができるし、また規定しなければならない。そういう

原理的規定が与えられてこそ「資本市場」との具体的関係も解明しうるのだ。

客 今日なお、一般にこの両市場を言葉では区別するかのように使用しなが

ら、しかし明確に区別していません。

主 それは、貨幣市場自身の抽象的規定が与えられていないということによ

る。

客 ところで、固定資本が巨大化することによって、株式制度が普及し、い

わゆる金融資本の時代が展開されることになります。

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主 それは、原理論だけでは究明しえない諸現象を呈することになる。株式

会社の資本についていえば、必ず一般の普通株主資本家と会社の支配権を握

る大株主資本家とが分離し、前者はむしろ利子所得者化し、後者はそれに対

応して他人資本をも自己資本と同様に支配する資本家となる。いずれも原理

的には規定しえない、さまざまな具体的な、いわばタイプ的規定を与えるほ

かはないような諸関係を展開する。この諸関係を原理的に規定しようとする

と、ほんらいの原理的規定は与えられなくなる。

客 金融資本の規定は、原理論の資本規定を前提として初めて与えられるの

ですね。

主 原理論の規定を前提にしないで、金融資本を新たな原理によって直接に

規定しようとすると、資本自身の規定をも曖昧にするだけでなく、金融資本

としての規定も与えられなくなる。また原理論の一般的な資本規定を、金融

資本とともに段階論的に規定されるべき産業資本と同一視することになる。

客 段階論としての産業資本は、19世紀イギリスの前半に見られるように、

穀物条例を廃止し、自由貿易を実現し、その一般的な支配を目指して動いて

いるものとして規定されなければなりません。

主 それは原理論で抽象的に規定される資本で済まされるものではないの

だ。

金融資本は、原理論を前提にして規定されるが、

その展開は、段階論で規定される

5 物神崇拝の完成

客 商品経済における物神崇拝は、労働力の商品化による資本の生産過程に

おいてその根拠を明らかにされます。そして、「それ自身に利子を生むもの

としての資本」において、その完成を見ます。

主 それは単に誤ってそう信じられるというものではない。それによって資

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本はその運動を律せられる。それはいわば労働力の商品化による社会関係の

物化に対応する資本主義社会の理念をなすものだ。

社会関係の物化

労働力の商品化 「それ自身に利子を生む資本」の理念

資本の価値増殖 ↓

資本の運動を規制

社会全体を巻き込む

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第4節 資本主義社会の階級性

1 隠される階級性の暴露

客 資本主義社会は、商品経済を全面的に展開する歴史的一社会ですが、封

建社会と違って直接的な支配服従関係を原理とする階級社会ではありませ

ん。

主 表面的には、商品交換という、自由と平等とを本性とする社会関係を基

礎とする。

客 しかし、それは独立の生産者がその生産物を交換するというような、単

純商品生産の社会ではなく、労働力自身を商品化する資本主義社会として、

歴史的に一社会となります。

主 旧来の階級的社会関係をもこの形態規定のうちに解消して、近代化を実

現し、その階級性は、商品形態に完全に隠蔽される。

客 科学としての経済学がそれを暴露するのですね。

「近代化」

階級社会の封建社会 → 自由平等の独立生産者の社会

(直接的支配服従関係) (階級性が商品形態に解消・隠蔽)

経済学による解明

資本主義社会(労働力の商品化)

(階級性が露呈)

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<補足・後進国の近代化>

客 日本のように、資本主義の金融資本段階において資本主義化した後進国

では、旧来の小生産者的社会層を多かれ少なかれ残しながら高度の資本主義

社会の発展を見ることになります。

主 残存する前近代的な諸関係ないしイデオロギーに見られる階級性に目を

奪われて、「近代化」の階級性を軽視する傾向を免れない。

客 特に戦前における農村事情は、そういう傾向を助長しました。

2 階級性を隠す俗流経済学の定式

客 資本主義社会における三大階級(資本家・労働者・土地所有者)の関係

を、「資本-利潤」、「労働-賃金」、「土地-地代」の定式とする経済学では、

科学的解明という目的に達することができませんでした。さらに俗流経済学

は、「資本-利潤」を「資本-利子」というように骨抜きにしました。

主 もともと、資本が生産過程を包摂して社会的実体を得たとき、「資本」

概念自身が常識的に「生産手段」に一般化され、「生産手段」の代わりに「資

本」概念が使用されるようになった。こうして資本、土地、労働が生産の三

要素とされ、「資本-利潤」の定式が形成された。

客 それは、一般に資本としての生産手段を歴史的に理解しえなかった古典

経済学の根本的欠陥でした。

主 すでに明らかにしたように、利潤を所得とする資本が対立するものは、

土地一般ではなく、歴史的に資本家的生産に適応した土地所有だ。そして労

働は、商品形態で購入した労働力を資本の下で消費した労働だ。したがって

賃金は、労働賃金の形態をとっても、労働に対する報酬としての所得ではな

く、労働力商品の代価に過ぎない。所得となるものではない。もし、資本を

生産手段として、土地、労働とともに生産の三要素とするならば、この生産

過程の主体は労働者にあるのであって、資本にあることにはならない。「常

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識的理解」を基礎とする、この定式は、まったく経済学の科学的展開を阻む

ものなのだ。

客 「資本―利潤」の定式は、さらに「資本-利子」という定式へと発展し、

「それ自身に利子を生むものとしての資本」という、資本の物神性を完成し

ます。

主 これによって、「労働-賃金」の中には、資本家的活動の報酬としての

企業利潤まで暗黙のうちに含まれることになる。

客 そうなれば、資本家の「労働」に対する報酬が、資本家の「賃金」=「企

業利潤」ということになってしまいます。

主 しかしそうすると、「土地-地代」は、「資本-利子」に含まれなけれ

ばならないことになる。

客 土地所有者の「土地」という「資本」に対する報酬が、「利子」として

土地所有者の「地代」になるということになってしまいます。「生産の三要

素論」という定式は首尾一貫しませんね。

主 いずれにせよこれらの定式は、資本主義社会の階級性が商品形態のうち

に包摂され、隠蔽されているという事実に頼った常識的規定だ。経済学は、

この定式の矛盾混乱を摘発するだけでなく、この根拠をも明確にしうるもの

だ。

<生産の三要素論> 生産要素 所得

資本 利潤

土地 地代

労働 賃金

①「資本概念」が「生産手段」の代わりに使われる。しかし、

・「資本」は利潤の一部を「土地」にでなく「土地所有」に分与する。

・「労働」は資本が消費するもので、「賃金」は労働力商品の代価である。

・「労働」「資本」が同格の要素とされるのに、労働者は生産過程の主体でない。

②資本の「利潤」を「利子」とし、資本家の報酬「企業利潤」も「賃金」とするなら、

「土地」も「資本」に含まれることになる。三要素論は一貫しない。

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3 資本主義の科学的解明の社会的意義

客 経済学による資本主義社会の階級性の解明は、同時に資本主義社会に先

立つ諸階級社会に通じる階級的関係の一般的な経済的基礎も明らかにしま

す。

主 つまり、特殊な歴史的社会としての資本主義社会を対象とする学問によ

って初めて、唯物史観の基礎となる「物資的生活関係の総体としての経済的

土台」が解明される。なぜなら、資本主義社会が、商品経済を徹底し、純化

し、抽象するという特殊な性格を持っているということ、いわばそのきわめ

て経済的な経済生活の方法によって、その対象がその科学的解明の基礎を作

ってくれるからだ。

客 先行諸社会の研究によって、資本主義社会をその一つとして解明すると

いうのではない、ということになります。

主 むしろそれらの諸社会が結局は資本主義社会に帰一するものとして、そ

の基本関係を明らかにする。こうすることによって、諸階級社会に通じる階

級関係の一般的規定が明らかになり、またそれが資本主義社会に特有な形態

をもって特有な機構をもって展開されているということが明らかになれば、

社会主義その目標をいかなる点に置くべきかも明らかになる。

客 経済学の原理は、そういう意味で社会主義を科学的に根拠づけるものと

なるのですね。

4 経済学と社会主義

客 『資本論』第1巻24章の「資本家的蓄積の歴史的傾向」には、「資本主

義から社会主義への転化の必然性」が述べられています。

主 しかし、これは、『資本論』が明らかにした「資本主義社会の経済的運

動法則」によって規定したものとは言えない。経済学の原理は、資本家的商

品経済が、永久的に繰り返すかのごとくにして展開する諸法則を明らかにす

るものだ。

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客 その経済学の原理自身によって、その原理を否定する転化は説明できな

いということですね。

主 しかし、このことは資本主義社会自身の永久性を経済学が説明する、と

いうことではない。経済学は、法則性を原理的に完全に説きうるという点で、

対象を抽象的に、一般的にではあるが、完全に認識できるものだ。この特殊

な性格を持つことで、対象の変革の主張を科学的に基礎づけることになる。

段階論を通してなされる現状分析は、こうした変革活動に対し具体的に役立

つ行動基準を科学的に与える。

客 そのように原理論はもちろん、段階論、現状分析も、資本主義の社会主

義への転化の過程を経済学的に規定しうるものではない、ということですね。

主 そこにまた社会主義運動の組織的実践における主体の意義がある。それ

は単に経済学的に必然なるものとして明らかにされた過程を実践するという

ものではない。経済学を基礎とする社会科学を運動にできる限り利用する。

客 といってもそれは、自然科学のように技術的に利用しうるわけではあり

ません。

主 実践活動の基準として役立つに過ぎない。しかしこの基準として役立つ

ということが、重要だ。それは無用な暴行を阻止することになるからだ。

客 いずれにせよ社会主義の必然性は、社会主義運動の実践自身にあるので

あって、資本主義社会の運動法則を解明する経済学が直接に規定できること

ではありません。

主 資本主義社会の基本的運動法則とともに、その階級性が明らかにされ、

しかもそれが将来の諸社会に対し、その一般的基礎を明らかにするものとし

て、資本主義社会の歴史性として明らかにされることになれば、資本主義社

会の変革を必然的なものとして科学的に主張できることになる。

経済学 …資本主義の運動法則とともに、その階級性・歴史性を

明らかにし、社会の一般的基礎を明らかにする。

社会主義…資本主義の問題を克服するために、人間・社会が主体

となって、社会変革を実践する。

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<談話室④> 「資本の運動」の行方は

A 経済原論は、第 3 章第 3 節「それ自身に利子を生むものとしての資

本」という「理念」に到達して、第3章「利子」の展開が締めくくられ

る。と同時に、第3篇「分配論」も、さらに経済原論全体も締めくくら

れる、という構図になっている。

B そうすると、「運動体としての資本」は、景気循環を伴うものとし

てありながらもいったん収束することになる。言い換えれば、体系として

は閉じることになる。

C しかし同時に、「それ自身に利子を生むものとしての資本」は、段

階論・現状分析という現実的な経済過程の認識への契機になるものだ。

両面から見なければ。

A まずは、「それ自身に利子を生むもの」として、擬制資本は一定の

定期的収入の源とみなされるものだ。土地も、一定の期限枠で貸し出さ

れ一定額の地代という収入の源になる。これらは、すでに「運動体とし

ての資本」の否定になっている。

B つまり、証券なり土地なりを、ただ単に「所有」することが、「利

子」という収入をえることにつながっている。

C ただし、実質的に剰余価値を生産するのは資本の生産過程なのだか

ら、その実現ために時間の経過が必要となり、それに呼応して「所有の

持続」の保証が必要だ。言い換えれば、その所有が社会的に認知されず

疑いをもたれたり、妨げられたら困るわけだ。

A そのための法体系や国家については、歴史的な経緯に関わる段階論

を経て現状分析で解明することになる。そもそも「所有の根拠」につい

ては、資本家・労働者・土地所有者の「三位一体」を溯って、「原罪」

の話になってしまうね。

B 俗世の教えでは、「それ自身に利子を生むものとしての資本」の所

有者は、「節約に対する報酬として利子を得る」とか、「資金を手元に置

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いておくことの便益を手放し、他人に貸し付けることで対価を得る」な

どと説明されている。

C すると、それを持たない者は、そもそも禁欲して報酬を与えられる

という機会がない。すなわち、擬制資本を相続せず、無所有でこの世に

現れた者は、生まれながらに「原罪」を背負っている、ということにな

る。

A だから一生、地から生まれるものを食するため額に汗流して働き、

土に帰るわけだ。

B 一方、擬制資本を継承してこの世に現れた者は、「原罪」として、

利潤を産む「苦しみ」を味わいながら、ひたすら「資本」に従属する運

命を与えられるというのか。

C ここに至って、自由・平等な人間関係を基礎とするはずの資本主義

的商品経済も、その階級性があらわになる。この関係を当然のこととは

思わない人々が増えれば、商品経済的関係以外の要因によって社会変化

が発生する「可能性」が生まれることになる。

A それはまた、原理論が解明する規定の範囲を越える事態だ。それだ

けでなく、段階論と現状分析を含めた現実的な経済過程の解明をも越え

た話になる。

B ところで、「それ自身に利子を生む資本」が「運動体としての資本

の否定」を意味する一方で、「所有」されるものとしての擬制資本から

分離・独立して、「なお運動する資本」が、外部にはみ出すことになる

のではないか。すなわち擬制資本自身が「理念」として、運動の否定体

であったとしても、なお資本自体の本質としては、利潤を求めて形態変

換を遂げる運動体が成立するのではないか。

C しかしそれなら、一般的利子率以上の収益を確保しなければ意味が

ない。ただし、それがどういう方法であったとしても、原理論だけで規

定しうるというものではない。

A 擬制資本の現物形態としての証券や株式は、実際に「商品」として

売買され利潤が発生している。もっとも、様々な擬制資本の売買という

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投機的取引の中でだけでは、その利潤の総合計が、「擬制資本の利子」

の総合計以上に増加することはないだろう。損失する者もあるからね。

B 購入した擬制資本を加工の対象として、価値を増殖させるというこ

とはありうる。すなわち、株式購入で経営権を握り、内部留保や含み資

産の売却で一時的に配当を増やすことで、擬制資本そのものの価格を高

め、株価が高くなったところで売り抜ける。こうした手法を駆使しうる

有能な経営者に対しては、法的規制を免れて高額の資金が集まり、経営

者にも投資家にも高リスクによる高収益がもたらされる。

C 個別資本としては、商品を安く買って高く売れる商品に作りかえる

ことで利潤を得ることになる。現実資本と経営権が、事前の擬制資本額

で安く購入され、大胆な資本構成の変更を経て、新たな擬制資本として再

評価される。個別資本は、この差額で利潤をえるわけだが、社会的には、

資本の生産過程における価値増殖との関連から考えなければならない。

A 擬制資本の売買による投機の機会、またその失敗の機会が増殖した

とは言えるね。

B 擬制資本の場合は、現実資本よりも多くの変動要因をもっていて、

しかもそれらの影響力が一つひとつ大きい。変動のリスクを利用したビ

ジネスまで生まれている。

C それにつれて政策の影響も大きくなるだろうから、ついそれを利

用して投機の成功を確保したいという誘惑が生まれるだろうね。

A 政治家やマスコミをも巻き込んで、政治そのものがビジネス化さ

れるわけだ。

B 別の例だが、法的に利用を制限された土地を購入したのち、法的制

限の緩和を働きかけ土地の使用価値を変更して、その地代を高める。そ

れに対応して、土地の擬制資本としての価値が高まるので、売却すれば巨

利が得られる、という場合はどうか。

C そのような政治との関わりも、現実の経済過程には登場するものと

して、段階論と現状分析の中で解明されることになる。それにしても、

一般的利子率を遙かに越える利潤を恒常的に確保することは、普通なら

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ば極めて困難だ。

A しかし、そういう成功話は、他の資本をも巻き込む。同様の利潤を

得ることが求められれば、安易な方法として、非商品経済的な要因が利

用されることになる。

B たとえば産業資本は、労働力費用の節約のため途上国(植民地)に

進出するが、そういう超過利潤はやがて必ず解消されるので、次々と場

所を移動する。そのような流通圏を越える取り引きの機会を増やすため

に、あるいは早期に撤退するために、その妨げとなる国境を実質的に解

消するよう他国に強要するような政策が出てくる。

C そのような地理的拡大以外にも、人々の生活過程内部への滲透によ

って新たな市場を生み出すこともある。人々の生活意識を人為的に操作

し「生活における欠損」すなわち「市場への依存」を創出することで需

要を創造する。サービス産業や情報産業などの隆盛の背後には、共同体

や家族の機能縮小を加速するような法改定も見られる。

A もちろん、政治状況によっては、伝統的手法として労働者からの「搾

取」を強化しうる。冷戦終結前後から、特にその動きが強まり、先進国

各国でも進行している。

B 一例だが、20 世紀初めからしばらくは、熟練労働や専門的・技術

的労働が稀少であるとして好待遇を受け、それらの従事労働者が新中間

層の一翼を担った。しかし近年は、電子機械工学などの発展によって、

急速に単純労働に取って代わられ、低賃金化・待遇の劣悪化が際限なく

進んでいる。もちろん、一部のホワイトカラーは労働法の保護から外さ

れ、少なくなった正規社員の席をめぐって無制限の競争をさせられてい

る。こうした中間層の衰退が政治的不安定につながっていくことは確か

だね。

C 商業資本としては、市場の地理的拡大のほか、先物取引など時間的

差異を活用する取引市場を拡大していく。「相手の窮状や無知を利用す

る」という点では、判断力の熟さない子どもが欲望をかき立てられたり、

健康不安をあおられた大人が浪費させられたり、著作権・特許の濫用な

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どがある。

A その他、貨幣市場(資金市場)と資本市場とが混在する中で、さま

ざまな投機的取引市場が次々と創設されるが、生産過程と直接の関係を

持たない商業資本や金融資本が行う取引、特に短期資金による投機は、

ゼロサムゲームということになる。

B そして高リスクの投機による高収益は民間資本が吸い取るが、その

損失は「大きすぎて潰せない」ために公的資金で埋めるのだという。そ

の際には、財政負担を経由して、最終的には租税や社会保険料徴収とな

る。こうした事態には政府の関与が欠かせないわけだ。むしろ「蝕まれ

る国家」としてだけれどもね。

C 政府の不在としては、以前から巨額資金がタックスヘイブン(租税

回避地)による課税逃れで問題になっていたが、近年では、類似の低税

率国を利用し、巨大な多国籍企業、さらには最先端の一流企業が課税逃

れをしていることが明らかとなっている。

A こうした資本や資金の動きは、政策論との関係から解明されること

になるのだろうが、煩雑に見える仕組みも根はそれほど深くはない。丹

念に掘り起こす必要があるね。

B しかし、こうした仕組みが解明されたからといって、実際の諸数値

は判明しにくい。また、現状の諸政府がこれらの動きを穏便に規制した

り、効果的に正したりすると期待できるのだろうか。あるいは、やがて

世界政府が成立すればそれも可能になると期待してよいのだろうか。

C それまで手をこまねいているというわけにはいかない。それよりも、

そもそも資本とは何か、人間は資本にどう対処するのか、という問いに

一人ひとりが向き合うことから何かを考えることの方が賢明というもの

だろう。もちろん、それらの問いに対する答えをいつまでも先延ばしに

しているわけにはいかないけれども。

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《全篇の概観》

経済原論は、全体が流通論・生産論・分配論の3篇で構成され、それぞれ

の篇は3つの章に分かれ、それらの章のいくつかは3つの節で構成されて

いた。例外は、第3篇第3章第4節のみである。(なお本書で独自に追加

した小項目は、解説のために便宜上設けたものであり、論理的な意味合い

は含んでおらず、3項目形式をとっていない)。

この異様とも言える構成で想い起こされる宇野の言葉がある。原理論は、

弁証法的な論理学の応用であるどころでなく、原理論自身が弁証法の論理

学をなす、ということである。しかし、このことが原理論の構成にどのよ

うに反映しているのか、具体的には明らかにされてはいないのであるから、

一般の読者はその論理学自体に深くこだわるには及ばない。原理論自体の

論理展開のみにこだわって理解してゆけばよい、それが宇野自身の考えで

もある、と推察できる。ただ参考までに付け加えるなら、その際には、一

つひとつの規定を字句通りに読み過ごすのでなく、規定の自余を保存して

おき、必要に応じて反省規定によって捉え返す、という読み方をお勧めす

る。理解が深まるはずである。たとえば、「労働力が商品化される」とい

う規定は、「労働力は商品化されない」という規定を排除しえた、として

理解されてはならない。また、「土地などの自然力は資本となりえない」

という規定は、「土地はそれ自身に利子を生む資本の一つだ」という規定

との関連で理解されなければならない。

構成上の例外であった第3篇第3章は、内容的には3節で構成されてよい。

あえて第4節が設定されたことをどう理解すればよいのか。一つの答えは、

「経済学探求という知的営みに、はたしてどのような社会的意義があるの

か」という問いに正対するよう誘うため、というものであろうが、この構

成をどう見るかは、まったく読者自身に任されたものとしてある。ただ、

こだわりのメッセージが込められていることは疑いえない。

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あとがき

宇野弘蔵『経済原論』の成立経緯、その影響と展望などについては、本書

では実質的にはほどんど触れなかった。近年の状況については、鎌倉孝夫・

佐藤優著『初めてのマルクス』(金曜日)がわかりやすく、詳しい。

さて一般に教育という営為では、学問への興味・関心を促し学問の成果を

わかりやすく伝達することが求められる。しかし、本書は、直接に『経済原

論』への道案内を目標とした。まずは、体系全体の魅力を体験してほしかっ

たわけである。そのため、こだわりを持って詳しく追記した部分もあれば、

あっさりと角(カド)をとった部分もある。

そういう点で、本書は解説書としては、内容をまだまだこなし切れていな

い、思い切りの大胆さが足りないであろう。その一方では、文献対応の比較

説明が欠け、かつ自説の部分が明示されていない。しかし、これらを自覚し

ての作業で苦闘しながら、じつは一種の充実感を得ていた。わかりやすく説

明するために、言葉を砕くということも一定程度必要であるが、それよりも、

論理を研ぎ澄ますことの方がはるかに効果が大きい。おそらくそれは、宇野

自身の営為に含まれていたことであろう。

当然のことであるが、宇野弘蔵自身の言葉に手を加えることにはためらい

があった。じじつ、手を加えられなかった部分が随所にある。わかりやすく

説明できなかったからというのでなく、書き換えずに「肉声」を残さなくて

はならない、という思いであった。にもかかわらず、あえて本書のような試

みに挑んだのは、幅広い層の方々に宇野の言葉と思想を届けなければならな

い、という思いからであったことはご理解いただきたい。

近年ようやく、私自身は教育の価値をめぐり、宇野理論への新しい切り口

を模索する地点に至った。それが、「教育と価値のディアレクティク」(鎌

倉孝夫編著『「資本論」を超える資本論』社会評論社に所収)である。これ

を基礎として、改めて宇野理論に正対していきたい。

本書の刊行については、版元を通じて『経済原論』の著作権継承の方に、教

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育的目的での刊行の意義をお伝えしたが、こんにちなおご了解のご返事はい

ただいていない。やむなく、書籍刊行の時期を 20 年後、もしくは 40 年後(TPP

交渉の行方によって)としたい。もちろんその時期となっても、経済原論の

意義、そしてその解説書の意義も変わらないことが前提ではあるが。

また、書籍としての刊行停止の判断に関しては、「教育に関することは別

にして、『経済原論』自体に向き合うべきだろう」とのアドバイスを受けた

ことも大きい。たとえば、第3篇第3章第2節「商業資本と商業利潤」にお

ける表式の例示は、『資本論』だけでなく、宇野『旧・経済原論』の例示に

も満足しえなかった結果であって、積極的な展開に至っていない。そして、

そもそも私自身、近年ようやく「教育の価値」をめぐり、宇野理論への新し

い切り口を模索する地点に至っていた。それが、「教育と価値のディアレク

ティク」(前掲)であった。あらためて『経済原論』への正対を優先すべき

とした次第である。

2015 年 4 月

基本文献 宇野弘蔵著『経済原論』(岩波書店)

参考文献 マルクス著『資本論』(岩波文庫、国民文庫など)

鎌倉孝夫著『資本主義の経済理論』(有斐閣)

鎌倉孝夫編著『「資本論」を超える資本論』(社会評論社)

鎌倉孝夫・佐藤優著『はじめてのマルクス』(金曜日)

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主要事項索引

[ア行] 金貸資本 50,51,68,84,157 経済学の目的 11,17,18

一般的価値形態 39 株式会社 141,180 経済学批判 29

一般的等価物 39 貨幣の貯蓄 47 経済原則 9,19,20,86

一般的利潤率 13,14,29,111, 貨幣形態 11,39,40,76,85,109 ,92,96,99,107,131

119,120,123,124,126, 貨幣市場 159,160,164, 経済史 26,27

133,160 177,179,191 経済の原則 99,130

イデオロギー 6,7,30,53, 貨幣資本 12,29,78,80, 経済原則 9,19,20,86,

54,183 81,82,83,84,109,157, 92,96,99,107,131

インフレーション 45 158,160,163,165,167, ケネー 79

運輸 12,15,79,80,168,169 175,178,179 現状分析 6,8,25,26,

[カ行] 可変資本 12,68,69,70, 55,80,186,187,188,189

階級関係 12,13,74,100, 75,82,83,84,89,93,94, 原料 52,59,81,82,89

111,185 95,108,112,114,115, 原始的蓄積 8,52,152

階級性 13,15,29,107,111,182, 117,120,134,136,168 原理論 13,14,15,24,25,

183,184,185,186,188 簡単な価値形態 11,35 26,28,80,105,106,

価格形態 103 機械 19,20,59,60,61,62,63, 118,132,140,141,

拡大された価値形態 11, 64,66,73,74,75,81,82, 173,178,179,180,

37,39 89,115,133,144,190 186,188,192

拡張再生産 13 機械工業 61 好況期 90,91,137,

貸付資本 14,15,29,103,107, 企業利潤 8,110,170, 138,139,141,161,

157,159,161,165,168, 171,175,184 162,163,173

170,171,172,173,174, 協業 12,72,73 高利貸資本 12,50,51,159

175,176,179 恐慌 139 国民所得 102

価値形成過程 168 金貨幣 13,44,45,98,122,160 個数賃金 12,75

価値形態論 31 金融論 25 個別的価値 14,128,

価値尺度 11,41,42,43,45, 金融資本 7,23,24,25, 129,132,133

47,123 26,179,180,183,191 古典経済学 22,23,26,183

価値増殖過程 12,67,76,105 擬制資本 15,107,177,178, [サ行]

価値の生産価格化 14,118, 179,187,188,189 再生産表式 13,14,

123,124,125,127,130, 銀行券 14,47,160,161,162 79,93,98,124,125

131,132,153,154 銀行資本 8,12,13,14, 再生産過程 12,13,29,

価値の生産価格への転化 29,83,84,110,157, 57,58,84,85,86,87,

13,14,111,117,118,120,124 159,165,174 92,97,98,99,101,

価値法則 13,57,65,86,87, 銀行信用 14,157,158,161 102,104,106,109,

92,96,98,99,119,120,122, 経済学の対象 20 124,125,157,160,

123,124,125,130,131,173 経済学の展開 22 161,162,170

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差額地代 14,146,148, 資本の過剰 15,137, 商品資本 12,29,78,

150,152,153,154 138,139,161,162,163,174 80,81,82,157,158,

差額地代第一形態 150 資本の価値構成 122 165,167,175

差額地代第二形態 150 資本の技術的構成 135 所得 179

搾取 7,8,12,70,75 資本の形態 15,53,173 使用価値 11,12,33,34,

産業革命 73 資本の原始的蓄積 8 35,36,37,38,39,40,

産業資本 8,12,15,25, 資本の商品化 164 41,45,49,51,54,55,

51,52,53,68,80,84,103, 資本の蓄積 13,29,88,90, 57,62,63,69,74,80,

107,110,111,118,119, 91,92,97,131,136, 83,101,102,103,104,

157,158,159,160,161, 150,151,163,173 105,108,112,123,132,

163,165,166,167,168, 資本論 3,6,7,9,11,23, 133,142,169,189

170,171,172,173,174, 24,28,29,34,91,103, 信用 11,14,45,46,47,

175,176,177,178,179, 110,185,194 139,157,158,159,

180,190 資本の有機的構成 134,135, 161,162

産業予備軍 91 153,161 信用貨幣 46,47,158

三段階論 6,11,24 社会主義 9,15,19,20, 時間賃金 12,75

三位一体 111,187 23,27,134,185,186 実体 15,19,27,31,53,

残業手当 75 社会政策論 25 77,118,131,132,

時間賃金 12,75,197 収穫逓減の法則 150,151 134,145,146,157,

資金の商品化 15,160,163,164 収奪 7,8,51,73 173,174,183

市場価格 14,29,116,117, 商業資本 8,12,13,15,29, 純粋資本主義 6,33,

125,127,128,130,133,166,171 79,80,83,84,107,110, 110,173,179

市場価値 14,29,125,126 118,119,159,163,165, 譲渡利潤 170

, 127,128,129,130,131, 166,167,168,169,170, 剰余価値の利潤への転化

132,133,134,145 171,172,173,174,175, 29

市場生産価格 14,125,126, 176,190,191 剰余価値率 13,109,134

127,128,129,130,131 商業利潤 15,29,165, 剰余生産物 63,74

紙幣 44,45,160,161 167,170,172 人口法則 13,58,90,91

資本家的倒錯性 15,170 商業労働 15,168,169 生産期間 76,79,81,82,

資本家の活動 110,170,171,176 商人資本 12,25,33,50, 114,117,118,168,172

資本市場 15,177,178,179,191 51,66,68,73,79,103, 生産資本 12,78,79,80,

資本の回転 13,29,49, 111,118,157,159,160, 81,82,95,105,127,

83,114,117,118,135,172 167,170,173 157,159,160,165,175

資本の回転速度 83 商人資本的形式 12,50, 生産的消費 86

資本の回転期間 13,114, 111,170 生産手段 18

117,118,135,172 消費過程 86,87,102 生産のための生産 58,

商品の過剰生産 163 79,92

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生産の三要素 33,183,184 抽象的人間労働 61,62 平均利潤 29,116,117,119,

生産価格 13,14,111,116,117, 通貨 43,44,46,162 121,122,125,126,129,

118,119,120,121,122,123, 鋳造貨幣 44 146,147,148,154,167

124,125,126,127,128,129, 超 過 利 潤 保管費 12,79,80

130,131,132,140,143,144, 14,29,125,129,132,133,134,137, 補助貨幣 44

146,147,153,154,167 140,143,144,145,146,147,148,14 補助原料 59

生産論 12,28,57,58, 9,150,151,152,153,154,172,190 [マ行]

102,103,124,192 帝国主義論 23,24 無政府的生産 92

生産費 75,76,77,79,102 手形の割引 160 [ヤ行]

生産力の増進 14,68,70,71, 等価形態 35,36,38,39 唯物史観 7,54,185

73,114,133,135,136 投機 162,163,169,170,173, 有機的構成の高度化 13,14,

世界貨幣 11,47 174,178,189,191 89,90,91,134,135,

絶対的剰余価値の生産 12, 特別剰余価値 12,70,72,119, 136,138,139

28,68,70,71 133,134,144,145 有用労働 61,62

絶対地代 14,152,153,154,155 土地の商品化 155 [ラ行]

相対的過剰人口 90,91, 土地所有 8,14,24,25,102,107, 利子率 7,51,137,139,

92,137,138,161,162 109,110,142,143,150, 159,161,162,163,164,

相対的価値形態 35,36,38 151,152,153,154,177, 170,172,173,177,178,

相対的剰余価値の生産 179,183,184,187 179,188,189

12,28,70,71,72,90,133,136 問屋制度 73 利子論 155

それ自身に利子を生むもの [ハ行] 利潤の利子への分化

としての資本 15,110,155, 必要労働時間 63,69,71,72, 15,175

171,175,176,177, 114,119 利潤率 7,13,14,29,49,50,

180,184,187 普及費用 14,134,146 83,108,109,111,113,

[タ行] 費用価格 111,112,113,114, 114,116,117,118,119,

単純再生産 13,84,86, 116,117,119,120,121,122, 120,121,122,123,124,

88,89,93,94,97,98,101 143,144,153,167,171 125,126,127,128,130,

段階論 6,8,11,14,15,23, 不況期 90,91,137,138,139, 131,133,134,135,136,

24,25,26,55,56,80, 141,161,162 137,138,139,140,143,

140,141,179,180, 不変資本 68,69,75,82,84, 144,145,153,154,160,

186,187,188,189 89,93,94,95,108,112, 161,162,163,164,166,

蓄蔵 11,45,46,55,85 114,115,136 171,172,173,178

蓄積資金 88,157 物神崇拝 15,67,110,180 利潤率の要因 13,113,114

地代 13,14,29,102,107,108, 分業 12,72,73,179, 利潤率の均等化 14,139,

109,110,111,142,143,144, 183,184,187,189 153,160,164,166,173

145,146,147,148,149,150, 分配論 13,29,102,103, 利潤率の傾向的低下

151,152,153,154,155,177, 107,187,192 29,137,140

Page 198: 大学では学べない経済学 - plala.or.jp · 壊」、「ゼロサムゲーム」、「軍産複合体」など。ただし、その声の多くは「危 機への警鐘」や「道徳的批判」に終始し、対抗策として挙げられるのは、「行

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流通期間の費用 12,79,80 流通手段 11,42,43,44,45, 労働期間 81

流通圏 11,47,48,190 46,47,161 労働手段 59,60,89,105,

流通資本 78,79,84,158,159, 流通の中断 13,103,104 135,152

165,167 流動資本 12,80,81,82,83,117 労働賃金 74,91,102,161,183

流通手段 11,42,43,44, 流通形態 28,34,48,53,57, 労働の二重性 61,62

45,46,47,161 58,76,84,170 労働日 74

流通の中断 13,103,104 流通速度 43 労働力の商品化 57,68,74,

流動資本 12,80,81,82,83,117 流通論 11,28,31,33,58,77,192 86,87,101,102,103,

流通形態 28,34,48,53,57, 労働価値説 28,31,103,104,169 105,106,124,142,

58,76,84,170 労働対象 59,60,89,105 180,181,182

流通期間の費用化 12,79,80 労働力の売買 74,75 労働力の再生産 13,63,65,

流通圏 11,47,48,190 労働力の費用化 12,82 86,87,89,101,102,

流通資本 78,79,84,158, 労働過程 28,59,105,115 104,106

159,165,167

谷田道治(たにだみちはる) 1952 年栃木生まれ

東京教育大学文学部哲学科卒業 高等学校教員

[著書]『解体する社会科とその行方』(1992 年)

[共著]『「資本論」を超える資本論』(鎌倉孝夫編著・社会評論社 2014 年)

「大学では学べない経済学」

2015年4月10日

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